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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)1249号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

二(本件事故発生の経過と態様)

1 渡辺寛子が、昭和四六年九月一〇日被告病院産科病室に入院したが、同日入院後の同患者につき子宮破裂による子宮切断を要する事故が発生したことは当事者間に争いがない。そして、<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、当時における被告病院産科病棟における医師の勤務体制は、昼間は受持医が、夜間は当直医が、それぞれ入院患者の治療及び管理を担当する建前とされ、受持医は、臨床講師(給与面においてのみ助手扱いを受ける講師)又は古参の助手を長とする医師三名ないし四名をもつて構成されたA、B、C及びDの各班がこれに当り、当直医は、古参の医師を長とし、これに経験の浅い医師及びその中間の医師が加わつた三名が勤務することになつていて、本件事故当日の当直医は、午後四時二〇分頃から山口勉医師を長とし、近田及び向田医師の三名がこれに当つていた。患者は、入院の順序に従い産科病棟の責任看護婦により右AないしD班に順次割当られることとされていたため、同日午前一〇時三〇分頃入院した渡辺患者は、右に従つて小坂講師を長とするA班に割当られたが、後記認定のとおり当日はA班に所属する医師全員が不在で、D班の長である青木徹助手がA班の受持をも兼ねていた。入院後の渡辺患者に対しては青木助手が指示カードによつて陣痛誘発のためのアトニン点滴を指示し、右点滴は、産科病棟にいあわせたため青木助手から依頼を受けた成島医師の手によつて同日午後二時一三分に開始され、その結果陣痛もはじまつたが、同患者については、その後午後三時三〇分頃成島医師が診察し、その前後二回にわたり後記認定のとおり原告が同患者のもとを訪ねたが、そのほかは同患者には看護学生が付添い、その回数等は明らかではないが当直助産婦が見回つたのみで医師による診察がなされなかつたところ、同日午後五時四〇分前後にいたり、それまでかなり強くあつた陣痛発作が消退し、いきみ感がなくなり、やや多めの出血が見られるにいたつたため、直ちに近田当直医が同患者を診察し、内診の結果、児頭も触知できず、出血は継続し、児心音も聴取不能であつたこと等から子宮破裂を疑い、その旨を当直責任者の山口勉医師に連絡し、同医師は、近田医師の報告及び自ら渡辺患者を診察したところ腹部から直接胎児部分が触れること等から子宮破裂と診断したが、念のため、たまたま医局にいあわせた小坂講師に連絡して診断を求めたところ子宮破裂と確認されたので、同日午後六時四〇分頃同患者に対する緊急手術を行うことに決定し、同日午後七時四〇分から午後九時五〇分にかけて、呉医師執力、山口、宮崎、近田各医師介助のもとに同患者に対する前記子宮切断の手術が施行された。以上の事実が認められる。<証拠判断略>。

三原告と渡辺患者との関係

医局における勤務体制が外来、婦人科病棟及び産科病棟に三分されていること、渡辺患者が妊娠及び分娩に関し昭和四六年一月二一日被告病院産婦人科で受診して以来外来患者として通院したうえ前記のように同年九月一〇日に入院したこと、同患者は初診以来右入院にいたるまで外来で原告の診察を受けたこと、同患者の外来カルテには原告によつて①の表示がなされていたこと、本件事故当日原告は、被告病院婦人科病棟で勤務していたが、渡辺患者来院の連絡を受けて外来診察室に赴いて同患者を診察し、前記入院の指示をしたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、この事実と<証拠>と弁論の全趣旨を総合すれば、

1 被告病院産婦人科の外来は、教授又は助教授が主として初診患者を診察する第一診察室並びに講師又は古参の助手が再来患者を診察する第二ないし第六診察室に分かれ、毎週木曜日における第一診察室における診察は藤原幸郎教授、第二診察室における診察は原告がそれぞれ担当していたが、初診のため前記一月二一日木曜日に来院した渡辺患者の外来カルテが藤原教授の都合によつて第二診察室に回付された結果、同患者の初診は原告が担当した。その後同患者は、前記九月一〇日までの間、二月四日、二月一八日、三月四日、四月一日、五月二七日、六月一七日、七月一日、七月一五日、七月二九日、八月一一日、八月二六日及び九月九日の各木曜日(以上の各日が木曜日であることは暦によつて明らかである。)に来院して原告の診察を受けたほか四月三〇日に来院して青木助手の診察を受けたが、同患者が右のように四月三〇日をのぞき来院の都度原告の診察を受けていた関係もあつて、その時期は明らかではないが、同患者の外来カルテには、原告によつて①の表示がなされ、以後同患者は、原告の①患者として扱かわれるにいたつた。

2 ①患者の意味については、従来外来担当医から、自己と個人的に関係のある患者又は学問的に興味を持つている患者等のいわゆる紹介患者について、その入院又は分娩等の際に、その旨の連絡を受けて自ら分娩に立会し、その介助その他を希望しているにかかわらず、当直医等からその旨の連絡がなされなかつたり、あるいは連絡を希望していないにかかわらず、夜間当直医から何度となく連絡がなされ迷惑である旨の苦情があつたため、昭和四五年一二月二一日の医局会において、右の紹介患者の指定方法及びその取扱について、(一)外来担当医が①を表示した患者については、当直医等は「入院、分娩時は連絡のこと(産科)」「入院時は連絡、手術時は執刀予定(婦人科)」、(二)②の表示をした患者については「昼間或いは異常時は連絡」する旨の申合せがなされ、右申合せ事項は、その頃清書されて各病棟勤務室にも貼出されていたが、この申合せ事項については、本件事故当時①患者の入院又は分娩の際、その指定をした外来担当医にその旨を連絡することが必須とされていた点については、医局内における解釈は一致していたが、その連絡を受けた医師の義務ないし責任の有無に関しては医局内においても解釈が必ずしも一致せず、①の表示をした外来担当医は、(一)その連絡を受けた場合においても、分娩等に立会うかどうかは任意であつて特別の義務を負わないと解釈するものから、(二)連絡を受けた場合は分娩等に立会う、外来担当医が立会えないときは、受持医又は当直医がその指示に従つて処置する、(三)連絡を受けた場合は、分娩等に立会う、その際外来担当医が治療行為を行つた場合にはその結果につき全責任を負う、(四)その患者につき全責任を負うと解釈するものにいたるまで区々に分かれ、本件事故に関係ある医師のうち、前記A班の長である小坂講師及びA班を代行した青木助手は(四)の解釈をとり、山口当直医は(二)の解釈、原告は(一)の解釈をとつていたが、この解釈は、本件事故後に開かれた後記昭和四六年九月二二日の医局会の決議によつて右(四)に統一されるにいたつた。

3 原告が本件事故の前日九月九日に渡辺患者を診察した際、すでに分娩予定日を一日超過していたが、原告は、同患者の状態からなお一週間の経過を見る必要があると判断し、その旨を同患者に告げておいたところ、同患者が本件事故当日の午前中に来院し、昨夜来いわゆる「しるし」(血性帯下)があり腹部が張る旨訴えたので診察したところ、児頭は高いものの外子宮口も一指開大であつて子宮頸部も軟く同患者の右の主訴を考え合せると分娩は近いものと判断され、また同患者の初産は昭和四一年三三才時であつたにもかかわらず分娩経過は二時間であつたことから今回の分娩については墜落分娩が危惧されること、同患者の住所は武蔵野市であつて被告病院まで一時間を要するうえに、同患者は当日すでに入院の準備をして来院していたことを考え合わせ、同患者に対し直ちに入院するよう指示し、その外来カルテを自ら持参したうえ同患者を産科病棟まで案内した。

4 渡辺患者が入院時に小坂講師を長とするA班の受持に割当られたことは前記のとおりであるが、本件事故の発生した週は、夏休み最後の週に当り、夏休み中産科病棟においては、その受持医はA班とD班、B班とC班が合併して担当することになつていて、当日のA・D班はA班所属の太田医師、D班の青木助手が勤務し、青木助手は受持患者の回診を済ませたのち練馬区内の被告病院産婦人科教室に関係ある病院に出向く予定であつたが、たまたま当日午前二時三〇分頃同産婦人科教室の相馬助教授から、川崎市新丸子所在の同教室に関係ある立岡医院から患者の帝王切開手術後の措置につき緊急の応援を依頼されたので同助教授に同行するよう要請され、右医院に赴いて応急措置をほどこしたうえ、同日午前八時三〇分頃その患者を被告病院に連れ帰つた経緯があつて重症者である右患者から目が離せなかつたため、太田医師に依頼して前記練馬区内の病院に出向いてもらつた関係上A班所属の患者を見る受持医は青木助手のみであつた。

5 渡辺患者を産科病棟に案内した原告は、その勤務室で同患者の所属がA班であることを知らされ、その際いあわせた青木助手からA班の患者は同医師が担当する旨の申出がなされたので、同医師に対し、前記3所掲の同患者を入院させた理由を説明し、アトニン点滴によつて陣痛を誘発すれば分娩するのではないかとの意見を述べた。これに対して青木助手は、前記のように夏休み中であつて病棟における医師が手不足であるし重症患者を抱えていることもあつて、渡辺患者にアトニン点滴をした場合、同医師自身は点滴開始後における同患者の観察はできないこと、原告の説明によれば、渡辺患者の場合児頭も高くそれまでの経過も正常であつたことから人工的に陣痛を誘発するのは尚早ではないか、むしろ、そのままの状態で経過を見るべきではないかとの意見を述べたが、原告は同助手に対し、同患者にアトニン点滴をつけておいてくれれば、あとは原告自身が見る旨述べ、同患者に対し石けん浣腸五〇〇C・Cのほか午後一時三〇分からアトニン(クリニツト五〇〇C・CとアトニンO<オキシトシン>一〇単位及びビタカン一Aの混和液)の点滴を行うよう具体的に指示するにいたつた。青木助手は、右指示は先輩である講師の指示としてこれに従うべきものと考え、また原告が渡辺患者を産科病棟まで案内しその外来カルテを自ら持参していることから見て渡辺患者と原告が特別に親しい間柄であるらしく見えたことと点滴開始後は原告において同患者を観察するという原告の右言明から、同患者の管理はすべて原告が担当してくれるものと信じたため、原告の前記指示どおりのアトニン点滴の指示カードを作成して責任番の小東助産婦に交付し、その結果同患者に対するアトニン点滴が開始されるにいたつた。そして、青木助手は、渡辺患者は原告が観察しているものと考えたため、アトニン点滴開始前に行われた相馬助教授の総回診に立会つたほか同患者の診察をしなかつたし、また同患者に対しアトニン点滴が行われていることを当直医に引つぐこともせず同日午後四時三〇分から午後五時までの間に帰宅した。なお、右相馬助教授の総回診の際、渡辺患者に対しては午後からアトニン点滴を行う旨を青木助手が報告したところ同助教授から児頭が骨盤内に嵌入していないのに、なぜ陣痛を誘発するのかという指摘がなされたが、青木助手が原告の指示だと答えたため、同助教授も諒承した。

6 原告は、同日午後三時頃産科病棟にある当直室へ休憩に行く途中及びその帰途渡辺患者がアトニン点滴を受けていた第一分娩室に立寄つて同患者に異常がないことを確め、また前記のように成島医師が同患者を診察したことを聞いたため、たまたま産科病棟勤務室前で出会つた同医師にその結果をたずねて、子宮口が二指開いているが胎胞に触れなかつた旨の報告を受け、更にその後同患者に関し何の連絡を受けなかつたので午後四時二〇分頃前記勤務室に立寄り、当直の佐藤助産婦及び小東助産婦から同患者の様子を聞き、その後も同じような調子である旨の報告を受けた。なお、その際原告が外出することを知つた佐藤当直助産婦から渡辺患者に対するアトニン点滴は、そのままでよいかと確められたが、原告は、外出先も告げず、ただ先方に着き次第連絡するとのみ答え、また、同患者に対しアトニン点滴が行われていることを当直医に連絡せずに(原告が外出に際し当直助産婦に対し、先方に着き次第連絡する旨述べたこと及び右のように原告が当直医に連絡しなかつたことは当事者間に争いがない。)、午後五時近くに外出した。

以上の事実が認められる。<証拠判断略>そして、原告の右外出後における経過は、前記二において認定したとおりである。

なお原告は、被告病院産婦人科の勤務体制上外来担当医が病棟の受持医に対し指示を与え又は患者の管理を担当すべき旨申出ること自体が許されていなかつた旨主張するので、この点について付言するに、前項2において認定した①患者制度設定の経緯及び①患者の入院、分娩に際しては、その指定をした外来担当医に対する連絡が必須とされていた事実並びに<証拠>を総合すれば、大学病院である被告病院においては、いわゆるテイーチングスタッフに属する教授、助教授及び講師は、助手以下の医局員を教育指導する義務があり、また講師以上は、個人的に関係のある患者を入院せしめている場合もあつて、前記の勤務体制にかかわらず病棟における受持医に対して治療上その他の指示を与え又はこれに協力する義務があるとされ、現に原告も、本件事故に関する被告の渡辺患者に対する損害賠償義務の有無につき鑑定を委嘱された饗庭忠雄弁護士からの事情聴取を受けた際前記青木助手に対するアトニン点滴の指示を否定せず、また被告の依頼によつて自ら作成した医師賠償責任保険事故報告書中においても、アトニン点滴開始後における渡辺患者の管理を担当したことを自認する記載をしていることが認められる。<証拠判断略>

四本件事故の発生原因

<証拠>と弁論の全趣旨を総合すれば、本件事故は、藤原教授の指示によつて、右事故のあつた翌週の九月二三日に開かれた医局の症例検討会で取上げられ、その席で司会兼報告者を担当した原告から渡辺患者の初診以来本件事故にいたるまでの臨床経過を説明したうえ、同患者の子宮破裂の解釈並びに説明として、渡辺患者は「1 年令(二度目の分娩とはいえ、五年たつているので、三八歳の軟産道は硬かつたのか、2 児頭の先進部位或いは回旋異常が伴つて(誘発によることもあるが)頸管と子宮下部を圧したか、3 突発的に過強陣痛に推移していつたか」、4 渡辺患者は、昭和四四年一〇月武蔵野日赤病院において卵巣のう腫により左側附属器別削除術を受けているが、子宮破裂と右手術の結果との間に何か関係があるか等の問題点の指摘がなされたが、前記のとおり本件事故時に立会つてこれを視認した医師もいなかつたため、右検討会の席上においては、参会者によつて、アトニン点滴が本件事故の原因であつたかどうか、子宮破裂の原因となる過強陣痛があつたかどうかについて、かなり激しい議論がなされたものの、いずれも推測的意見の域を出ず、本件事故とアトニン点滴の関係については明確な結輪も出されないままその会を終了したことが認められる。然しながら、渡辺患者の妊娠経過は前記入院にいたるまで正常に推移していたこと、同患者の陣痛はアトニン点滴によつて誘発され、しかも右点滴開始後三時間余にして子宮破裂を起していることは前記のとおりであり、また前掲各証拠によれば、アトニン(オキシトシン)点滴は、アトニンをブドウ糖に混和したうえ、所定の速度で患者の静脈内に注入することによつて人工的に子宮を収縮させ陣痛を誘発又は促進する方法であつて、産科医により日頃常用されているものではあるが、右のように人工的に陣痛を誘発又は促進することの性質上患者の子宮破裂を惹起する一般的な危険性があり、右点滴開始後においては充分な患者の管理がなされなければならない必要性があり、渡辺患者の場合も、アトニン点滴開始後、医師において充分な観察を行い、同患者の状態の変化に対応した適切な措置をとるなどの管理が尽されていれば、本件事故の発生を未然に防止することができたものと認められるのであつて、これらの事実を総合して考えると、本件事故は、本件事故と前記アトニン点滴との因果関係を否定すべき特段の事情の存在しない限り、右アトニン点滴と右点滴開始後における渡辺患者に対する管理の不充分によつて発生せしめられたものと推認するのが相当であるというべきところ、本件全証拠を検討して見ても右の特段の事情の存在を認めるに足る証拠がない。

五原告の責任

以上認定の事実によれば、渡辺患者に対する陣痛誘発のためのアトニン点滴の指示をした青木助手は、当日における被告病院産科病棟における受持医の手不足、同患者の状態等から右点滴を行うこと自体につき消極的であつたにかかわらず、原告の指示並びに点滴開始後における同患者の管理を原告自身行う旨の申出があつたため、アトニン点滴の指示をしたのであつて、原告の右指示並びに申出がなければ渡辺患者に対するアトニン点滴はなされなかつたのであり、また陣痛誘発のためアトニン点滴を行う場合、点滴中における患者の管理を怠れば子宮破裂を招来する危険性があるのであるから、右のように青木助手に指示して渡辺患者に対しアトニン点滴を行わせ、かつ右点滴中における同患者の管理を自ら担当すべき旨の申出をした原告としては、当然右点滴中における同患者を管理すべき義務があつたというべきところ、充分な管理もせず、また当直医に対する引つぎもしないまま不用意に外出した結果本件事故を発生せしめたものであつて、原告はその責任を免れないというべきである。そして、被告病院就業規則八四条一一号が職員の懲戒解雇又は諭旨解雇事由として「患者に対し不当な行為があり又は失態を招いたとき」と規定していることは当事者間に争いがなく本件事故の態様は、前記のように被告病院入院中の患者の子宮切断を要する子宮破裂であつて、野平証人の証言によれば、被告病院産婦人科においては、同証人が昭和二五年に産婦人科教室に入つて以来本件事故のほかに、本件の場合と原因を異にする一例があつたにすぎないことが認められるのであつて、この事実並びに以上に述べたところを総合して考えると、被告が、原告が前記被告病院就業規則八四条一一号に該当するとの判断に基づいてした本件諭旨解雇の意思表示は相当と認めるべきである。

(原島克己 福井厚士 仲宗根一郎)

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