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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)1336号 判決 1978年5月29日

原告 株式会社岩波映画製作所

右代表者代表取締役 小口禎三

右訴訟代理人弁護士 須藤尚三

被告 日本貿易振興会

右代表者理事長 原吉平

右訴訟代理人弁護士 富沢準二郎

同 耕修二

同 石田重愛

右訴訟復代理人弁護士 山下正一郎

主文

一  被告は、原告に対し、金三〇二万五七七四円及びこれに対する昭和四九年四月五日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを六分し、その五を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一九四六万四一七四円及びこれに対する昭和四九年四月五日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、映画製作を業とする株式会社であり、被告は、わが国の貿易振興を目的として設立された特殊法人である。

2(一)  米国ワシントン州スポーケン市において、昭和四九年(一九七四年)五月から同年一〇月までの会期で、「環境と戸外レクレーション」「環境と調和しながら人間はいかに生き、働き、かつ、遊ぶか」ということをテーマにする環境問題に関する一九七四年スポーケン世界博覧会(以下「本件博覧会」という。)が開かれることになった。日本政府は被告を参加機関としてこれに公式参加することとなり、被告は所轄当局の通商産業省(以下「通産省」という。)から右出展の具体的事業の委託を受けた。

(二) 本件博覧会出展のため、関係各省連絡会及び被告の諮問機関として、本件博覧会専門委員会(以下「専門委員会」という。)が設置され、被告は、浅田孝(株式会社環境開発センター(以下「開発センダー」という。)代表取締役)に対し、右出展のための総合プロデューサーとして、出展の具体的作業のとりまとめを委嘱した。

3(一)  原告は、内藤(旧姓遠藤)完七を代理人として、昭和四八年五月一四日ころ、被告代理人久保誠子との間において、本件博覧会日本館の映像展示のための映画に関し、次のような内容で、原告を請負人、被告を注文者とする映画製作請負契約を締結した。

(1) 作業内容 原告作成のシナリオ「日本人と自然(仮題)」(ただし、当時の表示は、シナリオ第一稿「日本人の自然観(仮題)」というものであった。)に基づく三面マルチスクリーン方式(スクリーンが三面よりなるもの)による映画の製作

(2) 代金 代金は、原告の見積金額(金五五七八万三一四八円)をもとにして当事者で協議して決める金額で、映画完成と同時に支払う。

(二) 仮に久保誠子に被告を代理する権限がなかったとしても、

(1) 久保誠子は、被告の職員で、その上司がいるものの、被告における唯一の専門担当者として、昭和四八年五月一四日ころ当時、事実上一切の事務を処理し、業者と交渉し、契約を締結する権限を授与されていたもので、これらは、民法第一一〇条適用の前提としてのいわゆる基本代理権にあたる。

(2) 内藤完七は久保誠子に被告を代理する権限があると信じていたもので、後記4に述べる本件映画製作契約成立に至る経緯によれば、同人が、右のとおり信ずるについては正当の事由があったというべきである。

4  仮に右事実が認められないとしても、原告と被告との間には、次のとおりの事由があったから、遅くとも昭和四八年六月末日までに前記3(一)と同じ内容の映画製作請負契約が黙示的に成立したものである。すなわち、

(一) 原告取締役の吉原順平は、総合プロジューサーとして、被告から、本件博覧会出展のための計画実施について被告のため指示する権限を授与されていた浅田孝から、本件博覧会日本館の映像展示部門担当のセクションプロデューサーに指名され、右出展に協力をすることとなり、昭和四七年一二月七日、被告展示部長の名黒祥記及び被告職員の久保誠子両名の出席していた、浅田孝主任の準備会議の席上、映像の展示に関し、専門的な意見を述べ、同月一二日の右同会議の席上では展示映画の方式内容について、三面マルチスクリーン方式を使用し、小さな自然の中に大きな自然を表現し、感じとる日本人の心を表現すべきである旨の意見書を提出し、名黒祥記、久保誠子ら出席者全員の賛同を得た。

(二) 被告は、昭和四八年三月二三日、「日本館構成に関する基本構成」と題する文書(甲第四号証)を発行したが、右文書中には吉原順平の前記意見書の考えがとり入れられていた。

(三) 原告は、別紙第一表のとおり、昭和四八年四月上、中旬、京都周辺及び福島県須賀川で桜の花、桜吹雪の景色を撮影したところ、右の部分の撮影は、被告との間において、万一にも、映画製作請負契約が成立しなかったときには原告がその費用を負担する趣旨、換言すれば、原告の危険負担(リスク)でしたものであったが、原告がそのリスクで撮影をしたのは右の部分のみであった。

(四) 吉原順平は、同年五月一日、久保誠子が出席した浅田孝主催の打合会議において、映画のプロット(筋書)を口頭で説明し、賛同を得たが、その席上、久保誠子から、映画には四季がとり入れられ、急ぐ必要があるのでシナリオ、撮影行程予定表(スケジュール表)及び見積書を至急提出してほしい旨の要請を受けた。

なお、吉原順平は、映画のプロットについて右のとおり賛同を得たので、その後、数日ほどしたのち、浅田孝に対し、「小さな自然と大きな自然と(仮題)」と題するシノプシス(構成概要。甲第五号証の二)を提出した。

(五) そこで、原告の本件映画の製作担当者である内藤完七は、同月一四日ころ、吉原順平に同道して被告事務所を訪問し、久保誠子に対し、映画製作の見積書(甲第六号証)及びロケーション予定表(甲第七号証)を提出したところ、同女は、これを受領するとともに、映画の製作を原告に注文をすることは名黒祥記も承諾をしているので、予定どおり撮影を進行してほしい旨を述べた。

(六) 原告は、同月下旬、被告に対し、映画のシナリオ第一稿「日本人の自然観(仮題)」及び同映画の製作予定表を提出し、右各文書は、同月二九日、久保誠子の出席した浅田孝主催の打合会議の席上、同人を中心に日本館出展の基本計画を検討した際、被告から提出され、これをもとに浅田孝から、他の展示部門を含む全体スケジュールが提示された。

(七) 原告は、同年六月初め、前記映画製作予定表に基づき、国鉄のラッシュアワーを撮影するため、浅田孝を通じて国鉄当局にその許可申請をしたが、これを拒絶されたので、同月一一日、被告の専門見本市課長(兼博覧会課長)佐野岸男及び課長補佐高橋英男の出席した、浅田孝主催の打合会議において右の問題が討議され、浅田孝が国鉄当局の担当者から右佐野岸男に電話をして公的な用務のための撮影であることを確認してもらうとの方法を提案したところ、右佐野ら両名は、右提案を了承するとともに、原告との間での契約書の作成は遅れるが、予定どおり撮影を進行してほしい旨を述べた。

(八) 被告は、同月二七日、各省連絡会の席上、「日本館構成(案)」(甲第一五号証)を提出したが、右文書には原告の作成した前記シナリオ「日本人の自然観(仮題)」が附属文書として添付されていたところ、同連絡会で了承され、同年七月には、専門委員会でも了承された。なお、右シナリオの著作権は原告が有するものである。

5(一)  原告は、被告との間の映画製作請負契約に基づき、別紙第一表のとおり、映画製作のため、撮影取材の作業をした。右は、スケジュールに基づく全体の約四〇パーセントの撮影量にあたる。

(二) しかるに、被告は、同年九月五日、本件博覧会展示のため映画製作を指名競争入札によってするとの意向を明らかにしたので、原告は、被告の右態度に驚き抗議したが、右入札は単に形式を整えるために行うにすぎないものと考え、同月一七日、応札をした。しかし、被告は、同年一〇月一五日、原告専務取締役高村武次に対し、原告に発注をしない旨を表明し、ついで、同年一一月一九日付書面で、本件博覧会の映画製作を中止する旨を通知し、これにより、前記映画製作請負契約を解除した。よって、被告は、民法第六四一条により、原告の被った後記8の損害を賠償する義務がある。

6  仮に原被告間に映画製作請負契約が成立していなかったとしても、被告は、原告に対し、契約締結上の過失の法理により、原告の被った後記8の損害を賠償する義務がある。

すなわち、契約の締結に至らなかった場合でも、その準備段階において、当事者間に契約類似の関係を生じ、告知義務など、相互に相手方に不慮の損害を被らせないようにする信義則上の義務が生ずるものであり、右義務に違反した場合には、相手方が契約締結に至ると信頼して被った損害を賠償する責任があるというべきである。

しかるところ、前記4(一)ないし(八)の事実経過によれば、昭和四八年五月一四日ころ当時、原告と被告とは、たとえ未だ契約が成立していなかったとしても、少くとも契約締結の準備段階にあったことは明らかであり、被告の職員である名黒祥記、佐野岸男、高橋英男及び久保誠子は、すでに原告が映画の撮影に着手し続行中であることを知りながら中止させようとせず、かえってその進行を促進するような言動をしたものであるから、原告が、契約締結に至ると信じて被った後記8の損害を賠償する義務がある。

7  仮に以上の主張がいずれも理由がないとしても、前記4(一)ないし(八)のとおり、被告の職員である名黒祥記、佐野岸男、高橋英男、久保誠子は、原告がすでに映画の撮影に着手し続行中であることを知っていたものであり、そのような場合、信義則上撮影を中止させる義務があるのにあえてこれをせず、また、かえって、撮影を促進させるような言動をしたもので、これは原告に対する不法行為を構成する。

しかして、原告は、右被告職員らの不法行為によって映画の撮影を続行することとなり、そのため、次記8の損害を被ったものであるから、被告は、右の者らの使用者として、民法第七一五条により、原告に対し、右損害を賠償する義務がある。

8  原告は、被告の映画製作請負契約の解除、契約締結上の過失又は不法行為により、次のとおりの損害を被った(明細は別紙第二表のとおり。)。

(1) 製作直接費 金一三二五万九一三六円

(2) 製作間接費 金一六四万四三九八円

(3) 一般管理費 金二四六万八一七一円

(4) 製作中止に伴う違約金 金一二八万九一三〇円

(5) うべかりし利益の喪失分 金八〇万三三三七円

(合計  金一九四六万四一七四円)

9  よって、原告は、被告に少し、本件損害賠償金一九四六万四一七四円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四六年二月一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実は認める。同2(二)のうち、被告が浅田孝個人に出展の具体的作業のとりまとめを委嘱したとの事実は否認するが、その余の事実は認める。

被告が、出展に関する役務の委嘱(請負契約)をした相手先は開発センターで、浅田孝は、同社の代表取締役であるにすぎず、また、開発センターに委嘱した業務の内容は、日本館構成に関する基本計画及び基本設計の展示方針の作成のみに限られ、右基本計画等の具体化やその計画実行のための施行業者の選考及び入札発注に関する権限は含まれていない。

3  同3(一)、(二)の事実は否認する。

4  同4(一)ないし(八)の事実は、全体として、否認する(ただし、同(一)のうち、名黒祥記が被告の展示部長、久保誠子が被告の職員であること、同(二)のうち、被告が「日本館構成に関する基本構成」を発行したことがあること、同(七)のうち、佐野岸男が被告の専門見本市課長(兼博覧会課長)、高橋英男が被告の課長補佐であることはいずれも認める。)。

浅田孝が、当時総合プロデューサーと称せられることがあったが、これは被告の委嘱先である開発センターの代表取締役であることから、同社を指示する通称として使われていたにすぎず、同人個人の資格を表示するものではなかった。

原告主張の準備会議は、開発センターが被告に対する請負役務履行の一環として、その責任において開催していたもので、被告の職員が出席したのは単にオブザーバーの立場で出席したにすぎない。

吉原順平は、開発センターが、被告からの委嘱にかかる計画案作成の過程で、そのブレーンとして指名したセクションプロデューサーの一人で、右準備会議等に出席し、意見発表などをしたのは一切、その個人的立場からなされたもので、原告の一員としてされたものではない。

また、原告主張の甲第六、七号証の文書は、被告が当時、予算作成上、映画、庭園等の各部門別に所要費用の見込額を把握する必要があって開発センターに対し、その参考資料の提出方を求めていたのに応じ、同社から提出を受けたもので、吉原順平が右文書を被告事務所に持参したのは、開発センターの代理人の資格においてである。

5  同5(一)の事実は不知。同5(二)のうち、原告が昭和四八年九月一七日、被告の指名競争入札に応札したこと、同年一一月一九日付書面で映画の製作中止を通知したことは認めるが、その余の事実は否認する。

6  同6の事実は否認する(ただし、名黒祥記、佐野岸男、高橋英男及び久保誠子が被告の職員であることは認める。)。

7  同7の事実は否認する(ただし、名黒祥記らの身分関係につき前同)。

8  同8の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1、2(一)の事実は当事者間に争いがない。

二  同2(二)中、被告が本件博覧会日本館出展のとりまとめを浅田孝個人に委嘱したとの点を除くその余の事実は当事者間に争いがなく、右の点については後記四に認定するとおり、本件博覧会への出展に関する役務の委嘱は開発センターに対してなされたものである。

三  同3(一)については、《証拠省略》によっても、被告の代理人とされる久保誠子の代理権及び合意の成立のいずれについても、これを認めるに足りず、他に右主張を肯認するに足りる証拠はない。同3(二)については、右のとおり、明示の合意の成立の事実自体を認めることができないのであるから、その余について判断するまでもなく理由がない。

四  次に、原告主張の本件契約が黙示的に成立したかどうかについて判断する。

前示当事者間に争いのない事実及び《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

1  日本政府は、昭和四七年九月一日被告を参加機関として本件博覧会に公式参加することを決定し、被告がその後通産省から右出展準備にかかる業務の委託を受け、具体的な事務分掌は被告の展示部が担当することになった。

本件博覧会(会期は一九七四年(昭和四九年)五月から同年一〇月まで)は、「いかに人類がその環境と調和して生活し、働き、かつ楽しむか」を主題とし、環境問題と戸外レクリエーションをとり上げようとするもので、その規模は、いわゆる第二種博覧会で、展示用の建物は主催国が建築し、参加国は同建物内部の展示のみを行う種類のものであったので、被告が通産省から委託を受けた前記業務の範囲は、出展のための事業に限られていた。

2  被告は、昭和四七年一〇月ころ、開発センター(代表取締役は浅田孝)に対し、総合プロデューサーを委嘱し、当初においては、総合プロデューサーの業務は、本件博覧会日本館の展示物の製作についてのスケデュールを確立し、出展準備終了までそのスケデュールに従って企画、管理及び現場事業の一切に必要な指示及び業務を行うものとする広汎な内容が考えられており、その範囲ないしは限界が必ずしも明確にされないまま、事実上浅田がセクションプロデューサー候補者を選定して準備的会合を行い、基本計画立案作業が進められたが、昭和四八年三月六日及び同年一一月一日の二次にわたって書面化された契約においては、日本館構成に関する企画基本構想の作成、日本館出展に関する基本計画及び基本設計のための展示方針の作成並びにその他被告の指示する業務を委嘱するものと確定された。右基本構想及び基本計画に基づく具体的な工事についての契約は、被告が自ら入札の方法により発注することが当初から予定されており、開発センター又は浅田にその工事人の選定や契約締結についての代理権を授与されてはいなかったが、映画製作については一時期それが明示されないことがあった。

3  浅田は、開発センターが被告からの委嘱を受けて間もなく、原告の取締役である知人の吉原順平に対し、映像部門担当のセクションプロデューサーになることを依頼し、同人は、これを承諾して本件博覧会出展の準備、計画に関係するようになり、昭和四八年四月には、開発センターから、被告に対し、同人をセクションプロデューサーとして正式に推せんされて被告の承諾も得た。セクションプロデューサーは開発センターの指示監督を受けてその仕事にあたるものであって、被告との間に直接の契約関係はなく、また、開発センターと吉原との間も両名間の個人的な契約関係に止まり、右吉原は当時、原告の取締役であったが、被告と原告との間にはなんら契約関係はなかった。

吉原は、こうして展示映画の映写手段、構想を考え始め、昭和四八年二月半ばころ、被告展示部長の名黒祥記及び職員の久保誠子(この身分関係は当事者間に争いがない。)の出席していた、開発センター主催の準備会議の席上、三面マルチスクリーン方式により、小さな自然の中に大きな自然をみることを特色とする日本人の自然観を映写するのが妥当である旨の考えを発表し、そのうち、三面マルチスクリーン方式の採用は、被告が同年三月二三日付で発行した「一九七四年スポーケン世界博覧会の日本館構成に関する基本構想」(甲第四号証)にとり入れられたが、同人の右考えの発表は、セクションプロデューサー(当時は予定)として、開発センターに対してなされたもので、被告は、前記契約に基づいて開発センターから提供された役務の一環である右考えをとり入れたものであった。

4  ところが、このような経過から、吉原は、同年三月末ころ、展示映画は三面マルチスクリーン方式で、日本人の自然観ないし日本の四季を中心にしたものに決められるものと判断し、もしそうであれば、今のうちにぜひ桜を撮影しておかねばならないと考えるに至り、当時はシナリオもまだ完成せず、映画の製作についてなんらの契約交渉もされていなかったが、自己が取締役をしている原告に発注される可能性が相当強いと考え、原告を使用し、原告が受注することができなかったときには原告がその費用を負担することとし、原告の危険負担でその撮影をすることを決意し、その旨を原告に申出たので、原告は、これを承諾し、同年四月九日から同月一一日まで京都付近で、同月一二日から同月一九日まで福島県須賀川市で桜や桜吹雪の撮影をした。同年五月一日、開発センター主催の打合会議の席上で、同会議に出席していた久保が吉原からの報告により右桜の撮影の事実を知ったが、同会議(なお、前記3の準備会議についても同じ)は開発センターが被告に対する役務提供のための一環として行なう開発センター内部の作業の一つであって、久保ら被告職員は、単にオブザーバー(傍聴者)として出席していたにすぎないものであり、しかも吉原の右発言に対し、久保から積極的に映画撮影の続行を容認する発言はなかった。

5  一方、本件博覧会出展のための所要経費の見込みについて、開発センターは、同年四月二五月ころ、被告に対し、実行予算試案をまとめて提出したが、同試案が項目を映画製作、フィルムライブラリー等の九項目に分け、各項目ごと見積金額のみを記した極めて大まかな内容のものであって、積算内容が不明であったため、被告から、昭和四八年の実施予算作成の必要上、右見積金額の算定根拠を裏付ける明細を明らかにするように求められた。

6  しかるところ、吉原は、この機会に、被告の原告に対する本件映画製作についての意向を打診しようと考え、同年五月一四日ころ、内藤完七を同道して被告事務所を訪問し、久保に対し、科目を一〇項目余に分け、各科目ごとに詳細な明細をしるした「映画製作見積書」(甲第六号証)及びロケーション予定表(甲第七号証)を手渡したところ、久保はこのまま撮影を進めてよい旨述べたが、直ちに上司に示すことなく、吉原らも久保に会ったのみで辞去した。ところで、久保は、被告の展示部展示調査課所属の一係員で、主として本件博覧会の同課所属事務を担当してはいたが、何らの役職はなく、被告の代理人として工事人との契約を締結する権限はなく、右見積書は、原告が右文書を提出した内心の意図はともかく、被告から開発センターに対してなされた実行予算試案の明細書の提出要求に基づくものであり、同社を通じ、その指示により、セクションプロデューサーの吉原がその責任において作成し、本来、同人から開発センターを通じて被告に提出すべき書類であったが、浅田が海外出張中であったことなどの事情から、便宜上、吉原が、直接、被告に差出したものであり、なるほど右「映画製作見積書」には、不動文字で原告の社名が印刷され、一見、原告から被告に対する見積書であるかのような体裁の文書になっているものの、仔細にみると、原告の社印の押捺、担当者名の記名、月・日の日付の数字がなく、書類に不備があるうえ、そもそも被告が原告に見積書の提出を求めた事実はなく、原告のプロデューサーである内藤も、単に吉原に随行して被告方を訪問したにすぎなかった。

7  それにもかかわらず、原告は、原告作成の右見積書等が受領されたことから、暗黙のうちに原告に対する発注が容認されたものと解釈し、本件映画の撮影を続行しようと考え、国鉄のラッシュアワーを撮影するため、同年六月、浅田を通じ、同人の名義で、国鉄当局に右撮影方の許可を求めたが、拒絶された。そこで、同月一一日、被告の専門見本市課長(兼博覧会課長)佐野岸男及び課長補佐高橋英男(以上の身分関係は当事者間に争いがない。)が出席した、開発センター主催の打合会議の席上、浅田から、右両名に対し、被告から国鉄当局に右撮影許可申請をされたい旨の要請がなされ、右両名は、契約がまだ締結されていないことを理由としてそれを断わったが、原告の撮影続行の点については、何ら発言をしなかった。

また、被告は、同月に作成した「日本館構成(案)」(甲第一五号証)中において、「日本館三面マルチスクリーンシナリオ第一稿、日本人と自然(仮題)」をまとめ、右シナリオ案はその後、各省連絡会及び専門委員会で承認され、同年七月末、シナリオとして完成したが、右シナリオ案は、セクションプロデューサーの吉原が作成して開発センターを通じ被告に提出されたものであり、セクションプロデューサーは開発センターの指示監督を受けて作業を行い、被告が、開発センターとの間において、両者間の前記委託契約に基づき、同社の著作物について使用権を有していた。

8  ところで、浅田は、映画の製作注文は、その性質上、入札の方法より、むしろ随意契約によって発注するのが適当であり、その候補業者として原告を考え、前述の桜や国鉄のラッシュアワーの撮影の事実を知悉しており、昭和四八年六月下旬、本件映画の製作の経過及び内容に関し、通産相らに宛てた抗議及び公開質問状を発表した東京の市民団体の代表者らとも会ったが、吉原のシナリオ案の内容を維持すべきであると考え、原告にその意向を示したので、原告において更に撮影の続行をしたが、こうした状況の中において、同年八月初めころ、被告が映画の製作請負注文を競争入札の方法により発注する意向であることを知り、同月下旬、被告と開発センター間の前記契約の解消、総合プロデューサー辞任の意を表明した。

9  被告は、その後、同年九月、本件博覧会日本館の出展映画の製作発注のため、指名競争入札を行い、右指名に基づき原告ほか三社が応札し、落札は原告にではなく、他社になされたが、被告は、その後、同年一一月一九日付で、いったん、右映画製作を中止した(この点は当事者間に争いがない。)。しかし、その後、再び右方針を改め、原告を除く、他三社との間で随意契約を締結して製作してもらい、出展をした。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》 右認定の事実によっては、原告の前記主張を肯認するに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

五  次に、被告は、契約締結上の過失の法理により、その損害を賠償する責任がある旨の原告の主張(請求原因6)について判断する。

思うに、契約法を支配する信義誠実の原則(民法第一条第二項)は、すでに契約を締結した当事者のみならず、契約締結の準備段階においても妥当するものというべきであり、当事者の一方が右準備段階において信義誠実の原則上要求される注意義務に違反し、相手方に損害を与えた場合には、その損害を賠償する責任を負うと解するのが相当である。

《証拠省略》によれば、被告の映画製作の入札発注においては、通常注文者である被告からその映画の製作意図及びあらすじを示し、入札者から、入札金額の提示とともにシナリオを提出させて入札させ、その双方が採用の条件となっており、落札後落札者と被告との間においてシナリオを検討し、数次の推敲を経たうえ撮影に入るものであること、本件においては、当初は原則どおり入札の方法による発注が予定されていたが、間もなく作成されたと推認される「EXFO七四参加準備日程」表及び前記「日本館構成に関する基本構想」(甲第四号証)(いずれも被告作成名義)には発注段階の記載がないこと、前記佐野岸男は、昭和四八年六月一日博覧会課長に就任し、そのころ原告が桜のシーンを撮影していることを聞き、いかんなと思ったが、その時はもちろん、前示のとおり同月一一日ころ国鉄のラッシュアワーの撮影について国鉄への許可申請を要請された時、これを拒絶したのみで、それ以上に原告に対して警告を発しなかったこと、本件映画のシナリオについては、前示のとおり、原告の取締役である吉原が主となって構想をねり、その表紙に原告名を表示したシナリオ第一稿が被告に提出され、それが全くそのまま被告案として印刷され専門委員会及び各省連絡会に提出され、シナリオとして決定されたことが認められ、他にこれに反する証拠はない。

右に見たような映画製作についての特殊性、シナリオの決定に至る経過及び本件映画製作発注の態様において明確さを欠いたことに徴すると、原・被告の当時の関係は契約締結の準備段階に擬するのが相当であり、これに前記四2、6及び8の事実を併せ考えると、原告において将来自己が随意契約により発注を受けうるものと誤信するおそれのあることはたやすく予想されるところであるから、原告がすでに一部の撮影に着手実行しており、被告がそのことを知った以上、信義則に照らし、被告としては、原告の誤解を誘発するような行為を避けるとともに、発注の有無は入札にかかるものであり、原・被告の関係はいまだ白紙状態にあることを警告すべき注意義務があり、前示の被告担当者の行為は右注意義務を懈怠したものとみるべきであり、被告には、いわゆる契約締結上の過失があり、原告がこれにより被った損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。

六  そこで、原告の被った損害について検討する。

1  前示のとおり、昭和四八年四月以前は原告は自己の危険において撮影をしたものであり、また同年九月以降は被告が本件映画製作の発注は入札の方法によることを原告に対して明示しているから、被告が賠償責任を負うべき原告の損害はその中間の期間、すなわち同年五月から同年八月までの間に原告が出捐した費用に限られるというべきところ、《証拠省略》によれば、原告は、昭和四八年五月二五日から同年八月二五日まで別紙第一表記載のとおり撮影をし、そのため、フィルム関係費金四三万五七六八円、労務費金三六七万八一一九円、外注費金一万〇五〇〇円、機材費金一四一万五一五〇円、製作諸費金五一万二〇一一円合計金六〇五万一五四八円を出捐したことが認められ、他にこれに反する証拠はない。

《証拠省略》によれば、原告が製作中止に伴う違約金として昭和四八年一一月一日から昭和四九年二月二五日まで七回にわたって金一二八万九一三〇円を支出したことが認められるが、その支出の時期と、原告が製作を中止したのはその主張によれば同年一〇月一四日以降のことに属することからすると、右違約にかかる契約の締結が八月以前になされたと推認し難く、右損害に算入することはできないし、また、原告は右以外の経費をも損害として主張するが、それらはすべて計算上の経費であり、前記撮影にどれだけ寄与するかは明らかでないから、右損害額に算入することは相当ではない。

2  ところで、原告が本件映画製作について被告から発注を受けうるものと信じたことについては、前記四に認定した事情の下においては、多分に軽率のそしりを免れないものであり、被告の負担すべき損害賠償額を算定するに当っては、これを斟酌すべきであり、その過失割合は一対一とみるのが相当であるから、右賠償額は金三〇二万五七七四円となる。

七  原告は、被告の前記所為をとらえて、不法行為に基づく損害賠償を請求するが(請求原因7)、仮に被告の右所為が不法行為にあたるとしても、それに基づく損害賠償額が前記六に認定した額をこえるものとは認められないから、原告の右主張を重ねて認容すべき余地はない。

八  以上の次第により、被告は、原告に対し、右損害賠償金三〇二万五七七四円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四九年四月五日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるというべきであり、原告の本訴請求は右の限度において理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を、それぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丹野達 裁判官 榎本克巳 裁判官榮春彦は職務代行終了のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 丹野達)

<以下省略>

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