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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)2454号 判決 1979年3月27日

原告

村上太一

右訴訟代理人弁護士

橋本紀徳

(ほか六名)

被告

大正製薬株式会社

右代表者代表取締役

上原昭二

右訴訟代理人弁護士

芦刈直已

(ほか三名)

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  原告と被告との間に雇用関係が存在することを確認する。

2  被告は、原告に対し、金九五五万六一六六円及びこれに対する昭和四九年四月二〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員並びに別表(略)3及び4記載の各金員並びに右各金員に対する右各別表記載の各支払日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うとともに、昭和五三年六月一六日から原・被告間の雇用関係が終了するに至るまで、前月一六日から当月一五日までを一か月として、毎月二五日限り、月額金二五万〇七五〇円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行の宣言。

二  被告

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、医薬品その他の製造、販売等を目的とする株式会社であり、原告は、昭和四一年一月一七日、外商員として勤務する約で被告に雇用され、被告本社営業部に所属し、専ら、東京都足立区北部の、被告の顧客である薬局、薬店、雑貨店等を訪問してその注文を受けたり集金をしたりするなどの業務に従事していた。

2  ところが、被告は、昭和四二年六月一五日に原告を解雇したとして、翌六月一六日以降原告を被告の従業員として取り扱わず、賃金等の支払いもしない。

3  ところで、被告における賃金の支払方法は、前月一六日から当月一五日までの分を当月二五日(但し、二五日が休日の場合はその前日)に支払うというものであり、原告の受けるべき昭和四二年六月一六日から同四九年三月一五日までの賃金は別表1(賃金債権目録(1))記載のとおり金六七〇万〇七三三円となり、同期間の一時金は別表2(一時金債権目録(1))記載のとおり金二八五万五四三三円となるから、原告が同期間に受けるべき金額は右の合計金九五五万六一六六円となる。

また、原告の受けるべき昭和四九年三月一六日から同五三年六月一五日までの賃金は別表3(賃金債権目録(2))記載のとおりであり、同期間の一時金は別表4(一時金債権目録(2))記載のとおりである。

4  よって、原告は、原告と被告との間に雇用関係が存在することの確認を求め、更に、被告に対し、昭和四二年六月一六日から同四九年三月一五日までの間の賃金及び一時金合計金九五五万六一六六円並びに右金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四九年四月二〇日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金並びに別表3及び4記載の各金員(昭和四九年三月一六日から同五三年六月一五日までの間の賃金及び一時金)並びに右各金員に対する右各別表記載の各支払日の翌日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、昭和五三年六月一六日から原・被告間の雇用関係が終了するに至るまで、前月一六日から当月一五日までを一か月として、毎月二五日限り、月額金二五万〇七五〇円の割合による金員を支払うよう求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし3の各事実はいずれも認める。但し、同3の事実のうち、原告の受けるべき賃金及び一時金の点については、原・被告間に昭和四二年六月一六日以降も雇用関係が存在すると仮定すれば原告主張のとおりの金額になるという趣旨である。

三  抗弁

被告は、昭和四二年六月一五日、原告を懲戒解雇した。その経緯は、次のとおりである。

1(一)  被告の外商員は、社内で所定の手続を済ませて被告会社を出ると、直ちに当日予定された得意先を訪問すべきであるところ、原告は、昭和四二年三月二三日、これを怠り、勤務時間中である午前一〇時二〇分頃、当時の同僚(外商員)である佐藤隆、新井進、中居三男とともに、自己の受持担当区域外にある喫茶店「ニューブリッジ」(北千住駅前通り所在)に入り、午後零時二〇分頃まで、約二時間という長時間にわたって勤務を放棄した。

右の事実が判明したので、被告は、原告の上司が原告に対し厳重に注意したところ、原告も同月二五日、右の事実を認めたうえ、「勤務時間中に喫茶店に入ったことは外商員服務規則に違反するものであり、申し訳ない。今後は二度とこのような過ちをおかさない。」と前非を悔い、今後勤務中は喫茶店に入らないことを誓い、被告に対しこの旨記載した始末書を提出した。

(二)  しかるに、原告は同年六月七日、社内で所定の手続を済ませて被告会社を出ると、直ちに当日予定された得意先を訪問すべきであるのにこれを怠り、勤務時間中である午前一〇時二五分頃、当時の同僚(外商員)である中島照憲とともに、自己の受持担当区域外にある喫茶店「シャレード」(日暮里駅東口所在)に入り、午後零時一五分頃まで、約二時間という長時間にわたって勤務を放棄した。

(三)  被告は、外商員を通じてその製品を全国各地の薬局、薬店、雑貨店等に直接販売しているが、その際、その多年の経験と実績からして最も合理的、能率的にして最大の効果をあげうる販売方法として、ルートセールス制度という、他に例をみない独特の制度を採用している。この制度は、各外商員の担当区域内の得意先を月曜日から土曜日までに割りふり、この定められた順序に従って外商員が得意先を訪問するというものであり、得意先に対しても、何曜日のいつ頃訪問するかを事前に連絡しており、得意先としても、外商員の訪問を予定しているのである。

従って、外商員が右のルートセールス制度を遵守して、定められた日時に、定められた順序に従って、必ず各得意先を回ることは、最も肝要な基本的な義務であり、被告としても、そのように外商員を指導し教育し来ったのである。

しかるに、原告は、昭和四二年三月頃から定められたルートどおりに得意先を訪問せず、殆ど連日にわたり得意先をとばして巡訪するというルート違反をおかした。

そして、原告がこのようにして定められた得意先を訪問しなかった延店舗数は、被告において確認しえたものだけでも、同年三月中に二九店、四月中に二六店、五月中に三一店、六月一日から解雇までの間に三〇店に及んでいる。この間、原告は、上司から再三にわたり注意、叱責をうけたにも拘らず、平然とかかる違反行為を繰り返したのである。

(四)  原告は、外商員たる職務を誠実に履行せず、その結果、その成績は被告の外商員中、最低の部類に属し、不良劣悪となっていた。就中、その回収実績は極めて低く、また、返品率も極めて高いという状態であった。

2  原告の前記各行為は、被告の外商員服務規則第四条第一号ないし第三号及び同第二七条第一、第二号に違反し、従業員就業規則第五四条第一号、同第五五条第一号、第三号及び同第五六条第四号、第一五号に該当するものであるところ、右のとおり、原告は、被告の服務規律を全く無視して、同種の違反行為を平然と繰り返しており、そこには自己の非行について、これを改めようとする意思は全くみられず、また、改善を期待しうる余地も存しなかった。このような原告をこのまま企業内に留めることは、他の外商員の同様の行為を誘発するばかりでなく、誠実に職務に精励している他の外商員をはじめ従業員全体の志気を阻喪させ、被告の経営、秩序を著しく破壊させることになるのである。

そこで、被告は、度重なる著しい規律違反を理由として、従業員就業規則第五二条第一項第四号に則り、原告を懲戒解雇したものである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁の冒頭の事実(被告が、昭和四二年六月一五日、原告を懲戒解雇したこと)及び同1の(一)の事実のうち、原告が、昭和四二年三月二三日に喫茶店「ニューブリッジ」に入り、このことを理由に、被告に対し始末書を提出したことはいずれも認めるが、その余の事実は争う。

原告が喫茶店「ニューブリッジ」に入っていたのは、午前一一時頃から同一二時頃までの約一時間である。

2  同1の(二)の事実のうち、原告が昭和四二年六月七日に喫茶店「シャレード」に入ったことは認めるが、その余の事実は争う。

原告が喫茶店「シャレード」に入っていたのは、午前一〇時頃から同一一時頃までの約一時間である。

外商員である原告が喫茶店に入ったという事実は、懲戒解雇の事由にはならないというべきである。

即ち、原告を含む被告本社の外商員は、始業時刻である午前八時三〇分に出勤すると、同九時頃までの間に、前日の取引に関する収支日報、外商日報、訪問票、注文書等、場合によっては社内連絡票などにも所要事項を記載し、あるいは必要な計算をするなどしたうえ、各書類を被告に提出し、同九時頃から同九時一〇分ないし九時三〇分頃までの間、営業部長の社内放送(一般的な注意事項のほか、優秀な成績をあげた外商員の氏名の紹介等をする。)を聞かされ、雑用を済ませて同九時三〇分頃から同一〇時頃までの間に被告会社を出て得意先を訪問するのであるが、そこでは単なる注文取りや集金にとどまらない多様なサービスに努め、帰途につくのも終業時刻の午後五時(但し、一一月一日から翌年二月末日までの間は同四時四五分)よりはるかに遅くなることが多く、時に午後一〇時を過ぎることもあるのである。

このようにして、原告を含む外商員は、被告会社を出発する午前九時三〇分ないし一〇時頃までの間にかなり疲れるのであり、また、前夜の訪問活動による疲労が残っていることもあるのであるから、外商員が被告会社を出たのち、得意先の訪問開始に先立ち、喫茶店に入って休憩することはなんら非難されるべきことではないし、その際、同僚と販売についての知識を交換するというのであれば、むしろ有益だと評しうる場合もあるのである。のみならず、被告は、外商員が相当の時間外勤務をしているのを知りながら、これに対して時間外勤務手当を支払っていないのであるから、外商員の休憩時間の取得についてきびしく制限することは許されないというべきである。

3  同1の(三)の事実のうち、被告が、外商員を通じてその製品を全国各地の薬局、薬店、雑貨店等に直接販売しており、また、その販売方法としてルートセールス制度を採用していること及び原告が、ルート票に定められた得意先を当日訪問しなかったというルート違反をしたことはいずれも認めるが、その余の事実は争う。

ルート違反は懲戒解雇の事由にはならないというべきである。

即ち、原告のルート違反の回数は被告が主張するほど多くはないし、そもそも原告が解雇された当時、被告においてはルートセールス制度はいまだ確立されておらず、試行錯誤の段階であったのであって、ルート違反をした外商員も直接に注意を受けるようなことはなかったし、ましてこのことで始末書を提出させられた者は全くいなかった。

そして、ルートセールス制度は、昭和四一年頃の、被告の営業成績の極度に悪化した状況から脱却するための一つの手段として採用されたものであって、その目的は売上げの増大であった訳であるから、原告は、できるだけルート違反をしないよう留意しつつも、売上げ実績の多い店をより重点的に訪問したのである。このように、売上げの増大を図るためには、ある程度のルート違反が発生することはやむをえないのであって、それゆえにこそ、原告が解雇された当時はもとより、それから二年以上経った時点においても、相当数のルート違反者が存在するのである。

のみならず、被告は、本件解雇に際し、原告に対して、ルート違反が解雇理由の一つであるとは全く告げなかったのであって、被告自身、ルート違反が解雇事由になりうるとは考えていなかったし、また、解雇の真の理由でもなかったのである。

4  同1の(四)の事実は争う。

5  同2の事実は争う。

五  再抗弁

本件懲戒解雇は次の理由により無効である。

1  不当労働行為

原告は、本件解雇当時、被告従業員で構成している大正製薬労働組合(以下「組合」という。)の組合員であった。原告は、同組合ではなんらの役職に就いていなかったが、被告に就職する前に勤務していた同和火災海上保険株式会社では、その従業員で構成されている全日本損害保険労働組合同和支部東京分会の組合員として、青年婦人部情宣部長、財政部長等を歴任したものであって、組合活動には多大の関心を抱いていた。

ところで、被告は、昭和四二年当時、巨額の利潤をあげていたのに、従業員に対しては、低賃金、長時間労働等の劣悪な労働条件を押しつけ、その反面、被告代表取締役上原正吉を中心とするいわゆる上原一族(この一族で、被告の発行済株式の約七〇パーセントを保有するといわれている。)は巨万の収入を得ていたのである。

また、組合は、いわゆる労使協調型の、御用組合的色彩の濃い労働組合であって、右のような矛盾を問題にしたり、労働者の諸権利を守るために闘うということはなく、その組合運営も、一般組合員の声を十分に反映しない、非民主的なものであった。

因に、本件解雇後のことではあるが、前記上原正吉が昭和四三年に、被告取締役土屋義彦が同四六年に、それぞれ自由民主党の公認の下に埼玉地方区から参議院議員選挙に立候補した際、組合は、右両名を全面的に支援したものであり、また、組合発行の機関紙「あゆみ」(昭和四三年六月一日付)には、組合が、前記上原正吉の妻で当時被告の取締役であった上原小枝から金一〇万円の寄付を受けたことや当時被告の常務取締役であった上原昭二からピアノ一台の寄贈を受けたことが、喜ばしげに報ぜられているのであって、右各事実から、組合の被告に対する追従の姿勢は明らかというべきである。

このような状況の下において、昭和四二年五月一九日、組合の本社支部総会が開かれた。同総会は、一〇〇〇名を超える本社支部組合員のうち僅か約七〇名しか出席しないという低調なものであったが、原告は、同総会において、同年度の賃上げについて、組合の要求は金額のみで示されていたのに、被告の回答はパーセンテージのみで示され、また、組合の組合員に対する妥結内容の発表もパーセンテージのみでなされたこと等につき、組合の役員らに対し、

(一) 「妥結内容を金額で示すといくらの昇給になるのか。」、

(二) 「賃上げの交渉を始めてから一週間位で妥結してしまうのはおかしい。もっと早くから要求をまとめ、そのうえで、もっと早くから交渉に入るべきではないか。」、

(三) 「本社支部は、同支部組合員の意向を本部に伝えているというが、実際はどうなのか。その点につき現在出席している本部役員から答えてほしい。」

との趣旨の質問ないし意見の陳述を行った。

従来、本社支部総会には同支部組合員の一割程度しか出席せず、しかも同総会で執行部に対する批判的見解を述べた者は全くいなかったので、原告の前記発言は組合執行部に衝撃を与えたが、また、従前より従業員とくに外商員(外商員は昭和三一年頃団結のうえ待遇改善を求めて被告と激しく闘ったことがある。)が権利意識に目覚めて団結し、被告と対立するに至ることを警戒し、人事部内に指導課を設けて、同課員に外商員を尾行させるなどして外商員を監視し、その反抗を事前に制圧するという方法を講じていた被告に危機感を与えた。

そこで、被告は、前記発言に顕在化された原告の真の組合活動家としての態度、姿勢を嫌悪し、併せて、原告の他の組合員に対する影響力を遮断するとともに、被告の労務政策に根強い不満を抱いている一部の心ある従業員に対する見せしめとするため、本件懲戒解雇処分を行ったものである。

従って、本件懲戒解雇は、労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為に当たるから、無効であるといわなければならない。

2  解雇権の濫用

本件懲戒解雇は、解雇権を濫用したものである。

即ち、懲戒解雇の目的は企業秩序の維持であるから、企業秩序の侵害が極めて重大であり、かつ、懲戒解雇をもってしなければ企業秩序の維持をはかることができない場合にのみ懲戒解雇をすることが許されるものであるところ、被告が解雇事由として主張する、原告の喫茶店入店行為及びルート違反の各事実は、いずれも被告の企業秩序を侵害するものとはいえないし、まして、極めて重大な企業秩序侵害に当たるということはとうていできない。のみならず、被告の従業員就業規則には、懲戒の種類として、解雇のほか、出勤停止、減給(同規則第五五条)及びけん責(同第五四条)が定められているのであるから、被告としては、まず右の出勤停止以下の懲戒処分のいずれかを行い、それでも規律違反を続けるというときにはじめて懲戒解雇処分をすべきであって、このように解するのが、被告が従業員に対し懲戒処分をするに当たっては、けん責、減給及び出勤停止のいずれかを選択できるものとし、やむをえない場合に限って懲戒解雇を選択することができるものとしている被告従業員就業規則第五二条の趣旨にも合致するのである。

しかるに、被告は、他の懲戒処分をなんらすることなく、突如として本件懲戒解雇処分をしたのであって、同処分が、解雇権を濫用したものとして、無効であることは明らかである。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁1の事実のうち、原告が、本件解雇当時、被告従業員で構成している組合の組合員であったこと、原告が、被告に就職する前同和火災海上保険株式会社に勤務していたこと、被告が昭和四二年当時高利潤をあげていたこと、上原正吉が昭和四三年に自由民主党の公認の下に埼玉地方区から参議院議員選挙に立候補した際、組合が同人を支援したことは、いずれも認めるが、その余の事実は争う。

同2の事実は争う。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1及び2の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、抗弁について判断する。

当事者間に争いのない右事実に、(証拠略)を総合すれば、次の各事実が認められ、右各証拠中この認定に反する部分はいずれも採用することができず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

1  被告は、大正八、九年頃から、外商員を通じてその製品を全国各地の薬局、薬店、雑貨店等に直接販売する方式を採用しており、その販売方法も、得意先を定期的に(原則として週に一度)むらなく訪問することを基本とし、各外商員は、その担当する各得意先をいつ訪問するかという予定を自ら立て、毎朝、被告会社から得意先に出発する前に訪問予定票を自己の所属する班の班長(課長)宛に提出することになっていた。この訪問予定票には、得意先を訪問順に列記するものとされ、しかも各得意先毎に訪問予定時間と訪問目的を記入するものとされていた。

しかし、右の方法においては、どの得意先をいつ訪問するかという点が外商員の裁量に委ねられており、そのため、定期的に訪問するという趣旨が徹底されず、また、昭和四一年頃には、外商員の勤労意欲の低下、その職場秩序の乱れが目立ち、このことも一つの理由となって被告の営業成績が悪化したので、被告は、定期訪問の趣旨をより徹底させるべく、昭和四一年一二月頃、次のような方法(ルートセールス制度)を採用することにした。それは、班長が、担当外商員の意見を参考にしたうえ、各外商員の担当区域内の得意先を月曜日から土曜日までの六日間に割りふり、各曜日に訪問する予定の得意先を各外商員毎の週間訪問ルート票(以下「ルート票」という。)に訪問する順序に記入し、この票につき営業部長など(本社の場合は、営業部都内販売部長)の承認を得て、販売事務部に登録し、外商員に対しては右の票のとおりに訪問することを義務づけ、ただ交通途絶その他の理由によりこの票のとおりに得意先を訪問できないという事情が生じた場合には、事前に班長に届け出てその承認を得れば義務違反にはならないものとする、というものである。

班長は、ルート票の作成に際しては、各得意先を週に一度は訪問することになるよう配慮し(但し、班長が必要と認めた場合には、週に二度訪問したり、二週に一度訪問したりするなどの例外的な取扱いをした。)、また、熱心に勤務しさえすれば、就業時間中に無理なく得意先を訪問し終えるよう、時間的にも距離的にも最も能率的なものとなるよう考慮した。そして、ルート票に記載された訪問予定日は外商員を通じて各得意先に通知されており、仮にルート票に、得意先名が欠けている等不合理な点があったとしても、外商員の一存でルート票を変更することは許されず、必ず班長に意見を具申し、班長がこれを相当と認めれば営業部長などの承認を得てルート票を修正することになっている。

被告は、ルートセールス制度の実施に当たっては、外商員に対し、ルート票どおりに訪問するようきびしく言い渡す一方、毎朝訪問票を交付して当日訪問した得意先から訪問印を押してもらうことを義務づけ、これを翌朝被告に提出させ、これとルート票とを照合して、未訪問店の有無をチェックし、未訪問店の多い者に対しては、直接又は間接に、注意し、ないし叱責して制度の定着を図り、この方法は現在に至るも続けている。

被告がこのようにルートセールス制度を重視しているのは、これによって外商員と得意先との間に緊密な人間関係ないし信頼関係が生まれ、その結果、受注高も増え、かつ、得意先の側でも外商員の訪問を予定して注文すべき製品の品目や数量等を予めチェックしておくことが多いため速やかに受注することができ、能率的な訪問活動ができることになって、結局、被告の営業成績も向上することになるからであり、被告はこのことを永年の経験に照らし確信しており、現に、昭和四一年一二月頃のルートセールス制度の採用以後、被告の営業成績は着実に伸びているのである。(以上の事実のうち、被告が、外商員を通じてその製品を全国各地の薬局、薬店、雑貨店等に直接販売しており、また、その販売方法としてルートセールス制度を採用していることは当事者間に争いがない。)

2  被告本社においては、その外商員は、始業時刻である午前八時三〇分までに出勤し、同九時頃までの間に、前日の取引に関する収支日報、外商日報、訪問票、注文書等、場合によっては社内連絡票などにも所要事項を記載し、あるいは必要な計算をするなどしたうえ、各書類を被告に提出し、同九時頃から同九時一〇分ないし九時三〇分頃までの間、営業部都内販売部長の社内放送(一般的な注意事項のほか優秀な成績をあげた外商員の氏名の紹介等をする。但し、この放送がなされない日も稀にはある。)を聞いたのち、雑用を済ませて同九時三〇分頃から同一〇時頃までの間に被告会社を出て得意先に直行したうえ訪問活動に従事し、昼食は午後零時から同二時までのうちの一時間(但し、一一月一日から翌年二月末日までの間は四五分間)以内にとり、午後五時(右同期間中は午後四時四五分)の終業時刻まで勤務しそのまま(被告会社に立ち寄らずに)帰宅すべきものとされている。もとより、外商員も、他の従業員と同様に、労働時間中は職務に専念する義務がある(従業員就業規則第一九条第一号、外商員服務規則第三条)。

そして、外商員の訪問活動の内容は、各得意先で注文を聞いて製品を届けることの手配をし、新製品や特売品の紹介、宣伝などをし、製品販売の指導等のサービスをし、集金日には代金を受領するなどというものである。

3  原告は、薬局、薬店、雑貨店など約六〇店舗を担当し、昭和四一年一二月頃のルートセールス制度の実施後は、右店舗を六日間に分けて訪問していたが、実施直後から平均して一日に一軒程度はルート票に反して訪問しない店舗があり、原告の意見具申によりルート票を修正した昭和四二年三月一四日以後も、原告が訪問しなかった店舗数は、同年三月に延二九店、四月に延二六店、五月に延三一店、六月(一日から本件解雇までの間)に延三〇店に及んだ。

原告は、売上げの増大を図るために、売上高の少ない雑貨店などの訪問を省略して薬局等売上げの多い店を重点的に訪問していたものであるが、被告としては、ルートセールス制度の実施当時、雑貨店やスーパーマーケットに対しても販路を拡張すべく努力していたのであって、外商員にも、このような店をも区別することなく頻繁に訪問して注文を取るようにと指導していた。(現に、殺虫剤や蚊取線香などは雑貨店等でもよく売れていた。)

なお、ルートセールス制度の実施直後は、外商員の心構えが十分でなく、また、ルートにも不合理な点があったため、未訪問店のある者も相当いたが、時が経ち、ルート票の修正も一段落した昭和四二年二、三月頃からは、その数は減少し、原告のように長期にわたってしかも多数の未訪問店を数える者はいなかったため、原告の所属する班の後藤健吾班長は再三にわたり原告に注意し、叱責をしていた。(以上の事実のうち、原告がルート違反をしたこと自体は当事者間に争いがない。)

4  前述のように、被告会社を出た外商員は得意先に直行すべきものとされているところ、原告は、被告に就職以来、平均して月に二、三度は、被告会社を出たのち得意先の訪問開始に先立って、喫茶店に入り、三〇分ないし一時間程度時を過ごし、その間勤務を放棄していたものであるが、昭和四二年三月二三日、社内で所定の手続を済ませて被告会社を出ると、直ちに当日予定された得意先を訪問することなく、午前一〇時二〇分頃、当時の同僚(外商員)である新井進とともに、担当区域外である北千住駅南口付近所在の喫茶店「ニューブリッジ」に入り、居合わせた同僚の佐藤隆、同中居三男とともに午後零時二〇分頃まで雑談等を交し、その間勤務を放棄した。

被告は、その外商員らが北千住駅付近にたむろして勤務放棄をしているとの噂を聞き、人事部指導課員をして調査させたところ、右の事実が判明したため、右四名の所属する班の後藤健吾班長が右四名に対し厳重に注意するとともに、右四名に対し譴責処分をした。原告も右の事実を認めたうえ、「今般勤務時間中に仲間と一緒に喫茶店に入っていたことは外商員服務規則に違反するものであり、誠に申し訳ありませんでした。今後は今回の過ちを深く反省し、右規則を厳守いたします。」との趣旨の同月二五日付始末書を被告に提出した。

しかるに、原告は、同年六月一日、被告会社を出て得意先に赴く途中、電車の乗換駅である日暮里駅でわざわざ駅の構外に出、同僚の吉垣内良光とともに、同駅東口付近所在の喫茶店「シャレード」に入り、午前一〇時三〇分頃から同一一時頃までの約三〇分間勤務を放棄した。

右事実を知った被告は、人事部指導課員をして原告の尾行調査をさせたところ、原告は、同月七日午前一〇時三〇分頃、右の一日の場合と同様に日暮里駅で下車して前記「シャレード」に入り、来合わせた同僚の中島照憲とともに午後零時二〇分頃まで雑談等を交し、その間勤務を放棄したことが判明した。

なお、原告は、前記始末書を被告に提出したのちも、右の六月一日及び七日の件を除き、平均して月に一、二度程度は、被告会社を出たのち得意先の訪問開始に先立って喫茶店に入り勤務放棄をしていた。

(以上の事実のうち、原告が、昭和四二年三月二三日に喫茶店「ニューブリッジ」に入り、このことを理由に、被告に対し始末書を提出したこと及び原告が同年六月七日に喫茶店「シャレード」に入ったことはいずれも当事者間に争いがない。)

5(一)  被告の外商員の賃金は、他の従業員と同様に固定給であり、歩合給はないが、被告には、外商員を報奨する制度として、従来「外商員懸賞」があり、昭和四二年四月からは、これが「加俸制度」に改められた(なお、昭和四一年一〇月から同四二年三月までは、過渡期として、両制度が併用された。)。

外商員懸賞とは、毎年四月を第一か月目として、その月の販売代金回収高を前年同期のそれと比較し、第二か月目は、四月と五月の回収高の一か月平均高を前年同期のそれと比較し、第三か月目以降も同様にし、その増加額の多寡によって成績を競い、二年間続けて第一二か月目(即ち一年間を通じての月平均回収高)において黒字(当期の回収高が前期のそれよりも多いこと)を出した者に褒賞を与える制度であり、加俸制度とは、四月から九月までを上期、一〇月から翌年三月までを下期とし、半年を単位として前年同期と売上高を比較し、その増加額の多寡によって成績を競い、かつ、一期だけでも黒字の者に対しては褒賞を与えるという制度である。

(二)  昭和四二年三月以前の原告の成績を見てみると、昭和四〇年度(昭和四〇年四月から同四一年三月まで)の第一二か月目の回収高は、都内・大阪市内販売一課の外商員合計二一〇名中第一位となっている。しかし、原告は、昭和四一年三月頃に、新井進からその担当区域を受け継いだものであって、昭和四〇年度の成績は、その殆どを新井進及びその前任者である土屋克実に負うものであるから、右の成績をもって原告を正当に評価するものということはできない。

また、原告の昭和四一年度の回収高は、第一か月目から第一二か月目に至るまでずっと赤字(当期の回収高が前期のそれよりも少ないこと)であり、第一二か月目の成績は、東京・京阪神地区の外商員合計二七三名中第二七一位となっている。もっとも、同年度の成績は、前年度(昭和四〇年度)の回収高との比較で決まるものであるところ、昭和四〇年度は前記土屋らが極めて優秀な成績をあげたものであり、しかも土屋は得意先に相当強引に製品を販売したうえ、返品したいとの得意先の要求を拒んだのであって、その相当部分が昭和四一年度になって返品されたのであるから、昭和四〇年度と比較して出された昭和四一年度の原告の成績をもって原告を正当に評価するものということもできない。

なお、加俸制度に基づく昭和四一年度下期の原告の成績は、都内・地方を通じて第二四位、都内では第二位となっている。しかし、昭和四一年度下期即ち昭和四一年一〇月から同四二年三月までと比較されるべき同四〇年一〇月から同四一年三月までの期間は、同四〇年一〇月頃に前記土屋から担当区域を受け継いだ前記新井が、土屋の無理に売り込んだ製品の返品を認めるよう得意先から強く迫られ、新たな売込みも余りできなかったため、ノイローゼに近い状態にまで陥り、勤務も休み勝ちで、ついには原告と交替せざるをえなくなったという時期で、成績のあがらない時期であったから、この時期と比較して出された昭和四一年度下期の原告の成績もまた、原告を正当に評価する資料とはいえない。

(三)  昭和四二年四月の原告の成績を見てみると、実売上高(総売上高から返品高を差し引いたもの)が七三万六四〇三円で、後藤班所属の外商員二三名中第一九位、返品率が三九・一パーセントで、同第二一位となっている。

6  被告は、原告が譴責処分を受けていながらなお、得意先の訪問開始に先立ち喫茶店に入った昭和四二年六月七日の件を重視するとともに、原告は従来からルート票どおりに得意先を回らないことが多く、成績も芳しくないとして、同人を懲戒解雇することにしたが、原告が自ら退職するならば同人を傷つけないためにそれを認めようと考え、同月一二日から一四日までの間、任意退職を勧めたが、原告は自己の行動を反省する態度を示すことなく、退職の意思も表明しなかったため、被告は、同月一五日、原告を懲戒解雇した。

(以上の事実のうち、被告が昭和四二年六月一五日に原告を懲戒解雇したことは当事者間に争いがない。)

7  本件解雇に関連のある、被告の従業員就業規則及び外商員服務規則の内容は、別紙記載のとおりである。なお、外商員服務規則は、ルートセールス制度の実施に伴い、昭和四二年三月頃、その一部が改正された。

以上の事実関係を踏まえて考察するに、原告は、上司の再三の注意にも拘らず、しばしばルート違反をしていたのであり、被告は、ルートセールス制度は被告の営業成績を向上させるための緊要の制度だとして、その徹底方を外商員に厳重に命じていたのであるから、原告の行為は、外商員服務規則(改正後のもの。)第二七条第一、第二号に違反し、従業員就業規則第五六条第四号に該当する。また、原告がしばしば得意先訪問開始前に喫茶店に入って相当長時間にわたり勤務を放棄した行為は、従業員就業規則第五五条第一号に該当し、原告は譴責処分を受けたのちも反省することなく同様の行為を繰り返したこと、外商員がルート票に従って誠実に職務の遂行に努めることが被告の販売活動の根幹をなしていること、被告の外商員の賃金は固定給であり、しかも外商員は終業時刻になれば、被告会社に立ち寄らずに帰宅することになっているのであるから、外商員が自由に喫茶店に入って勤務放棄をするのを放置すれば、その職場秩序は著しく乱れ、収拾がつかない状態に陥ることが明らかであることなどからして、同条但書の「その情状が特に重い場合」に当たるというべきである。

なお、原告は、原告が解雇された当時、被告においてはルートセールス制度は確立されておらず、ルート違反をした外商員も直接に注意を受けたり始末書を提出させられたことはないし、もともと被告がこの制度を採用した目的は売上げの増大であるところ、売上げの増大を図るためにはある程度のルート違反が発生することはやむをえないのであって、それゆえにこそ原告が解雇された当時はもとよりそれから二年以上経った時点においても相当数のルート違反者が存在するのである、と主張するが、前記認定のように、ルートセールス制度は昭和四二年二、三月頃には軌道に乗っていたのであり、また、被告はルート違反の多い者には直接又は間接に注意したり叱責したりしていたのであるし、売上げの増大を図るためにはルート違反が発生するのはやむをえないというのは、前記の被告の考え方に背く独自の主張というべきである。のみならず、ルート違反をしてまで売上げの増大を図ったという原告の成績自体も、前記のように、他の外商員よりとくにすぐれているとは言えず、昭和四二年四月の原告の実売上高及び返品率に見られるようにむしろ悪い方に属すると考えられるのである。また(証拠略)によれば、原告が解雇された当時はもとより、昭和四四年から同四六年までの間にもルート違反をした者が相当数いることが認められるが、原告ほど連続してしかも多数のルート違反をした者は見当たらないし、それらの者の勤務状況その他の事情は証拠上一切判らないのであるから、右の事実をもって、原告に対する本件解雇が失当であるということはできない。

よって、原告の主張は理由がない。

また、原告は、外商員は得意先に向けて被告会社を出発するまでにかなり疲れるし、前夜遅くまで得意先を訪問してその疲れが残っている場合もあるから、外商員が被告会社を出たのち得意先の訪問開始に先立って喫茶店に入ることはなんら非難されるべきことではないと主張するが、禁止されているにも拘らず喫茶店に入って休まねばならないほど、被告会社出発前に疲れるのであれば、直接又は組合等を通じて被告に意見を具申してしかるべき配慮をさせる努力をするのが筋であるところ、かかる行動がなされた形跡は全くないから、右主張は採用することができない(外商員の業務の性質上、ある程度得意先を訪問したのち休息のために短時間喫茶店に入ることまで一概に非難することは行き過ぎと思われるが、本件で問題になっているのは、得意先の訪問開始前のことであるから、同様に考える訳には行かない。)。のみならず、そもそも原告が喫茶店に入った動機は、同僚と販売活動に関する情報交換や雑談(賃金その他労働条件に関する不満等)をしたり、朝食をとるためというのが主であるところ、同僚との情報交換は被告会社を出発する前に社内で行う等の方法によるべきであり、その余の各動機は喫茶店に入る理由にならないことが明らかである。

原告はまた、被告は、外商員が相当の時間外勤務をしているのを知りながら、これに対して時間外勤務手当を支払っていないのであるから、外商員の休憩時間の取得についてきびしく制限することは許されない、と主張する。なるほど、原告本人尋問の結果によれば、原告を含む多数の外商員が相当の時間外勤務を行ったこと、そして時間外勤務手当が支払われなかったことが認められるが、「しかし、右の時間外勤務は、被告に命令されたものではなく、原告ら外商員が自発的に行ったものであることも右本人尋問の結果により認められるところであって、そもそも被告がルート票作成に当たって就業時間内に訪問を終えるように考慮していることを併せ考えると、右の事実をもって、得意先訪問開始前の喫茶店入店行為を正当化することはできない。

よって、原告の主張は理由がない。

如上の認定及び判断に照らせば、被告が原告を懲戒解雇したことには理由があるというべきである。

従って、抗弁は理由がある。

三  次に、再抗弁1について判断する。

再抗弁1の事実のうち、原告が、本件解雇当時、被告従業員で構成している組合の組合員であったこと、原告が、被告に就職する前同和火災海上保険株式会社に勤務していたこと、被告が昭和四二年当時高利潤をあげていたこと、上原正吉が昭和四三年に自由民主党の公認の下に埼玉地方区から参議院議員選挙に立候補した際組合が同人を支援したことは、いずれも当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、原告は、同和火災海上保険株式会社に在職していた当時、同会社の従業員で構成されている全日本損害保険労働組合同和支部東京分会の青年婦人部情宣部長、財政部長を歴任したこと、被告取締役土屋義彦が昭和四六年に自由民主党の公認の下に埼玉地方区から参議院議員選挙に立候補した際組合が同人を支援したこと、組合発行の機関紙「あゆみ」(昭和四三年六月一日付)に、組合が、前記上原正吉の妻である上原小枝から金一〇万円の寄付を受けたことや当時被告の常務取締役であった上原昭二からピアノ一台の寄贈を受けたことが記載されていること、昭和四二年五月一九日に開かれた組合の本社支部総会(同支部組合員約一〇〇〇名中七六名出席)において、原告が、組合の役員らに対し同年度の賃上げについての被告との妥結内容等に関し、(一)「妥結内容をパーセンテージではなく金額で示すといくらの昇給になるのか。」、(二)「賃上げの交渉を始めてから一週間位で妥結してしまうのはおかしい。もっと早くから要求をまとめ、そのうえで、もっと早くから交渉に入るべきではないか。」、(三)「本社支部は、同支部組合員の意向を本部に伝えているというが、実際はどうなのか。その点につき現在出席している本部役員から答えてほしい。」との趣旨の質問ないし意見の陳述を行ったことが認められるが、右各事実を総合しても、本件解雇が労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為に当たるものであるとは認められないし、他に本件解雇が不当労働行為に当たることを認めるに足りる証拠はない。

従って、再抗弁1は理由がない。

四  更に、再抗弁2について判断する。

被告はルートセールス制度を被告の営業成績を向上させるための緊要の制度だと考え、その徹底方を外商員に厳重に命じていたものであるところ、原告は、上司から再三の注意を受けていながら、しばしばルート違反をしたこと、そして、原告は譴責処分を受けたのちも反省することなく得意先の訪問開始に先立つ喫茶店入店行為を繰り返したのであって、原告のこのような行為を放置すると、外商員の職場秩序は著しく乱れ、収拾がつかない状態に陥ることが明らかであることは前述のとおりであり、また、原告は、自己の規律違反が問題とされ、退職を勧告された昭和四二年六月一二日以降も一貫して自己の行動を反省する態度を示さないのであるから、被告がこのような原告を懲戒解雇したのは、外商員の職場秩序の維持、ひいては企業の防衛という見地から無理のないことであって、従業員就業規則第五七条の適用即ち処分の軽減をしなかったのはやむをえないものといわざるをえない。

他に、本件解雇が、解雇権を濫用したものであると認めるに足りる証拠もない。

従って、再抗弁2も理由がない。

五  以上によれば、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないことになるから、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石井宏治)

(別紙) 従業員就業規則

第五二条 懲戒は、けん責、減給、出勤停止及び懲戒解雇の四種とし、事情によりこれら処分を併せ行うことがある。

一、けん責は始末書をとり将来を戒める。

二、減給は一回の額が平均賃金の一日分の半額以内、総額が一賃金支給期における賃金の一〇分の一以内を限って賃金より減じ将来を戒める。

三、出勤停止は七日以内出勤を停止し、その期間中の賃金を支給しない。

四、懲戒解雇は即刻解雇する。

(第二、第三項略)

第五四条 けん責の基準は次の通りとする。但しその情状の重い場合は減給に処する。

一、職務に怠慢を認めたとき。

(第二ないし第九号略)

第五五条 減給又は出勤停止の基準は次の通りとする。但しその情状が特に重い場合は懲戒解雇に処する。

一、正当な事由なくしてしばしば所定の職場を離れたり勤務しなかったとき。

三、勤務に関する手続その他届出をいつわったとき。

(第二号及び第四ないし第一一号略)

第五六条 懲戒解雇の基準は次の通りとする。

四、会社の規律を無視し、又は業務上の指示命令に従わず越権専断の行為をなして職場の秩序を著しくみだし又はみだそうとしたとき。

一五、しばしば懲戒を受けたにもかかわらず改しゅんの見込みがないとき。

(第一ないし第三号、第五ないし第一四号及び第一六ないし第一九号略)

第五七条 前三条の定めにかかわらず、特に情状酌量の余地があるか、又は改しゅんの情が明らかに認められる場合には、懲戒の処分を軽減し、或いは訓戒にとどめることがある。

外商員服務規則(改正前のもの)

第四条 外商員は、左の各号を守らなければならない。

一、会社の信用を増大させ営業成績を上昇させることを任務とし、言動を慎しみ、誠実に職務の遂行に努めなければならない。

二、会社の営業方針並びに主張を担当区域内の全取引店に充分に理解させ、心から協力させる為、上長の指示命令を正確迅速に伝達するよう努力しなければならない。

三、会社又は上長を誹謗し、あるいは会社に対する非難不平に迎合する等、会社の発展を妨げ、又は営業政策の遂行を阻害するおそれのある言動があってはならない。

(第四ないし第一五号略)

第二七条 定期的にむらなく訪問するために、予め訪問計画を樹て、会社を出発する以前に訪問予定表を上長に提出し訪問票を受取らねばならない。

第二八条 訪問に際しては左の各号を守らねばならない。

一、訪問は訪問予定表の順序に従い正確に行うこと。

二、止むを得ない理由のため訪問予定表の順序を変更する時は、事前に出先から上長に報告し許可を得ること。

三、訪問及び辞去の時間を訪問票に記入した後、取引店に確認の印を押して貰うこと。

四、予定の訪問を完了したら、訪問票に必要事項を記入し、翌朝書類提出締切時刻までに上長に必ず提出すること。

外商員服務規則(改正後のもの)

第四条 第一六号が追加されたほかは、改正前のものと同一。

第二七条 訪問に際しては左の各号を守らねばならない。

一、訪問は定められた訪問順序に従い正確に行うこと。

二、止むを得ない理由のため訪問の順序を変更する時は、事前に出先から上長に報告し許可を得ること。

三、訪問及び辞去の時間を訪問票に記入した後、取引店に確認の印を押して貰うこと。

四、予定の訪問を完了したら、訪問票に必要事項を記入し、翌朝書類提出締切時刻までに上長に必ず提出すること。

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