東京地方裁判所 昭和49年(ワ)3480号 判決 1974年12月23日
原告 沖倉理恵子
<ほか六名>
右七名訴訟代理人弁護士 渡辺泰彦
被告 国際自動車株式会社
右代表者代表取締役 波多野元二
右訴訟代理人弁護士 環昌一
同 西廸雄
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
一 当事者の求める裁判
1 原告ら
(一) 原告らがいずれも被告に対して雇用契約に基づく権利を有することを確認する。
(二)(1) 被告は、原告沖倉理恵子に対し、金九七二、九〇六円および内金九一四、五〇〇円に対する昭和四九年八月六日から完済まで年五分の割合による金員、ならびに同年八月以降毎月二五日限り金二九、五〇〇円を支払え。
(2) 被告は、原告猿橋洋子に対し、金九六五、八八〇円および内金九〇七、八九七円に対する昭和四九年八月六日から完済まで年五分の割合による金員、ならびに同年八月以降毎月二五日限り金二九、二八七円を支払え。
(3) 被告は、原告志田雅典に対し、金一、一九七、一六八円および内金一、一二五、三〇〇円に対する昭和四九年八月六日から完済まで年五分の割合による金員、ならびに、同年八月以降毎月二五日限り金三六、三〇〇円を支払え。
(4) 被告は、原告中尾和子に対し、金六三八、四八五円および内金六〇〇、一六〇円に対する昭和四九年八月六日から完済まで年五分の割合による金員、ならびに同年八月以降毎月二五日限り金一九、三六〇円を支払え。
(5) 被告は、原告浜野豊に対し、金一、六五八、九九一円および内金一、五五九、三九三円に対する昭和四九年八月六日から完済まで年五分の割合による金員、ならびに同年八月以降毎月二五日限り金五〇、三〇三円を支払え。
(6) 被告は、原告渡辺悦夫に対し、金一、二四一、三六五円および内金一、一六六、八四〇円に対する昭和四九年八月六日から完済まで年五分の割合による金員、ならびに同年八月以降毎月二五日限り金三七、六四〇円を支払え。
(7) 被告は、原告福島富士男に対し、金九八一、三八〇円および内金九二二、四六七円に対する昭和四九年八月六日から完済まで年五分の割合による金員、ならびに同年八月以降毎月二五日限り金二九、七五七円を支払え。
(三) 訴訟費用は被告の負担とする。
(四) 第二項につき仮執行の宣言。
2 被告
主文同旨。
二 請求の原因
1(一) 被告は、観光バス・タクシー・ハイヤーを運行し、いわゆる旅客運送を目的とする株式会社である。
(二) 原告らは、いずれも別表(一)の雇用年月日欄記載の日に被告会社に雇用され、いずれも観光バスの車掌として稼働していたものである。
2 ところが被告は、昭和四六年一二月一七日、原告ら全員を解雇したとして原告らが従業員としての地位を有することを争っている。
3 賃金関係
(一) 原告らの一月当りの賃金は、別表(一)の賃金欄に記載のとおりであり、前月一一日から当月一〇日までの賃金を当月二五日に支給されていた。
(二) 原告らの昭和四六年一二月一一日以降昭和四九年七月一〇日までの賃金および各賃金の支払日の翌日から昭和四九年八月五日までの年五分の割合による遅延損害金は、別表(二)ないし(八)に各記載のとおりである。
4 よって、原告らは被告に対し、従業員たる地位の確認と別表(二)ないし(八)に各記載の賃金および遅延損害金、ならびに、昭和四九年八月以降毎月二五日限り別表(一)賃金欄記載の各賃金の支払を求める。
三 請求の原因に対する認否
1 1の事実は認める。
2 2について
原告らと被告との本件雇用契約は、本来、後述するとおり、昭和四六年一二月一〇日期間満了により終了したものであって、被告が原告ら主張の解雇の意思表示をしたのは、この点の主張が認められない場合を慮ってなしたに過ぎないものである。
3 3の事実中、賃金支給日は認める。
その余は争う。
四 抗弁
1 期間満了による雇用契約の終了
原告らと被告との本件雇用契約は、いずれも昭和四六年一二月一〇日をもって期間満了により終了した。
すなわち、原告らと被告との本件雇用契約の内容は、いわゆる学生アルバイトといわれるものであって、原告らの本業である学業の余暇に、学業に差支えない日に仕事に従事するというものであり、被告は、季節的に多忙なときにおける観光バスの車掌として一般の観光バスの車掌業務の一部(但し、ガイド等は除かれる。)を担当させるのであって、通常の期間の定めのない雇用契約とは異なり、一時的・臨時的であった。このため、被告は、原告らアルバイト希望者から毎月五日迄に当月の一一日から翌月の一〇日迄の間で働くのに都合の良い日(学業に差支えない日)を申出させ、多少被告の希望によって調整することはあっても概ねその日に働いて貰うことにし、右期間の労働契約を締結してきたものである。そして、賃金は、実際の勤務日に対して支払われてきたものである。このように、原告らと被告とは、その期間を一ヶ月とする雇用契約を順次新たに締結してきたものである。そうであるから、アルバイト希望の学生から毎月五日迄に申出のない場合(卒業し他に就職した者もいる。)は、その者との雇用契約は、その月の一〇日をもって当然終了することとなり、改めてその者からの退職の申出、被告からの解雇の手続等はなされなかったのであり、これまで何らこの点につき異論をみた例はなかったものである。ところで、原告らは、被告の要求にもかかわらず、昭和四六年一二月一一日から昭和四七年一月一〇日迄の勤務可能日の申出をしなかったのであるから、原告らと被告との間に、右間の雇用契約の締結はなされなかったものであり、従って、昭和四六年一二月一一日以降原告らと被告との間に雇用関係の存在しないことは明らかである。
2 解雇
原告らと被告との本件雇用契約は、前述したとおり、昭和四六年一二月一〇日をもって期間満了により終了したものであるが、仮りにこの点の主張が容れられない場合を慮り、被告は、昭和四六年一二月一六日、原告浜野、同沖倉に対し、同月一七日、原告志田、同中尾、同猿橋、同渡辺、同福島に対しそれぞれ解雇する旨の意思表示をするとともに、いずれも同時に解雇予告手当を提供したが、受領を拒否されたので、昭和四七年一月七日これらを供託した。
五 抗弁に対する認否
1 抗弁1について
原告らと被告との間の雇用契約が終了した、との主張は争う。
右雇用契約においては期間の定めはなかった。原告らは、学生援護会の発行する「アルバイト・ニュース」を見て被告会社に応募したのであるが、それには、「週三日、月一二日、三ヶ月以上勤務できる方」と記載されていたのであって、このことからも明らかなとおり、原告らはいずれも長期間の契約を前提としていたのである。また、採用時の面接においても長期間勤務できるか否かが問題であって、それの可能な者が採用となったのである。以上のとおり、雇用契約の期間を限ったということは全くなく、長期間勤務するということが当事者の諒解事項となっていたのである。そうであるから、原告らが勤務するについては毎月五日迄に当月の一一日から翌月の一〇日迄の勤務予定表を提出していたのであるが、それは極めてルーズに行なわれており、その提出が遅れることもままあり、さらには一月も二月も提出しない者がいたのであるが、このことにより解雇となることはなかったのである。また、右の勤務表提出時に口頭で契約期間を告げられたり、あるいは書面でその旨の契約をしたこともなかったのである。
2 抗弁2は認める。
六 再抗弁
1 本件解雇は、労働組合を結成した原告らを被告会社外に排除することを目的としてなされたものであるから、労働組合法七条一号違反の不当労働行為であって、無効である。
(一) 被告会社においては、昭和四六年五月ごろから、従業員の間に、賃金が不明確であること、残業手当が低いこと、残業が多く深夜に亘ることが多いこと、配車(仕事のつけ方)がアンバランスであること、帰庫後に車の清掃をしなければならないことがあり仕事から解放される時刻が遅くなり残業の時間が増すことに対する不満が高まり、昭和四六年五月二五日の賃金支払時刻が不明確であったことから右不満が爆発し、原告中尾、同沖倉、同志田、同浜野、同渡辺、同猿橋、訴外木村、同矢下、同黒田らは、「アルバイト研究会」を結成し、週一、二回会合を持ち、労働基準法を学習した。
(二) そして、同年七月二八日、九日の両日、右の者らが中心となって、八ツ岳において合宿を行なった結果、右の不満を被告会社に突付けるには労働組合を結成することが必要であるということになり、この準備のための連絡員として、原告渡辺、同猿橋、訴外川上が選出された。
(三) 原告猿橋らは、同年八月三日、労働組合結成を具体化するため、東京都目黒区五反田においてコンパを開き、その席において組合結成について説明したが、右の動きを事前に察知した被告会社は、スパイとして若い社員三名をこれに参加させ、情報を収集した。
(四) その頃、被告会社において、同年一一月ごろバスがワンマン化され、原告ら従業員が不必要となり解雇される、という噂が広まり、これに不安を感じた原告らは、労働組合の結成を急ぎ、同年九月二四日、この噂の真否について被告会社に説明を求める要望書を作成するとともに、「アルバイト会」結成の呼びかけを行なって、アルバイト従業員ほぼ全員の署名を集め、同年一〇月四日、右要望書を被告会社運行課浅野係長に提出した。そして、同月一五日、立正大学において、三〇名参加の下に「アルバイト会」設立大会がもたれ、名称を「親臨会」とし、代表部を設け、部長に原告浜野、書記に同福島、会計に訴外黒田を選出し、同月二三日の懇談会に臨んだ。
(五) 懇談会は、冒頭から原告らと被告会社運行課課長北林との間に、これを説明会とするか団体交渉とするかについて激しいやりとりがあり、右北林課長が「アルバイトには団結権、団体交渉権はない。」と発言したことから紛糾した。そして、解雇問題については何ら具体的な説明をしなかった。そこで、原告らは、同年一一月一日、親臨会を開き、さらに解雇問題について説明を求めることとし、再三に亘り被告会社にその要求をしたところ、同月二五日、被告会社から同年一二月一日および二日に説明会を開催する旨の通知があり、同月一日、初めて被告会社から新契約の提示がなされた。
(六) 新契約は、一年を四期に分け、第一期を三月一一日から七月一〇日まで、第二期を七月一一日から九月一〇日まで、第三期を九月一一日から一二月一〇日まで、第四期を一二月一一日から三月一〇日までとし、それぞれ各期別に新たに雇用契約を締結するというものであり、そして、同年一月一〇日までに新契約を締結すべき旨言渡された。しかし、右の新契約は、期間の定めを設け、原告ら組合活動家の契約の更新を拒絶して被告会社から放逐してしまうという不法なものであった。原告らはこれに強力に反対したが、一応勤務表を提出して就労の意思を明確にしてから組合を正式に結成して反対運動を進めることとし、同年一二月五日勤務表を提出した。そして、同年一二月一〇日、国際自動車観光バス臨時労働者労働組合を結成し、団体交渉を求めたところ、原告ら組合員に対してのみ本件解雇をしたのである。
(七) 以上のとおり、被告会社は、前記八月三日のコンパの際すでに組合結成の動きを十分知っており、前記北林課長の発言はこのことを如実に示すものである。そして、前記新契約は、原告ら組合活動家の放逐を目的とするものであったことは明らかである。解雇されたのが原告らのみであったことからみても被告会社がいかに原告ら組合員の放逐に腐心していたかが窺われるのである。したがって、本件解雇は不当労働行為として無効であるといわねばならない。
2 本件解雇は、その理由なくしてなされたものであるから、解雇権の濫用として無効である。
七 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1について
(一) 本件解雇が不当労働行為であるとの主張は争う。
被告は、原告らがそのいうような組合を結成し、あるいは結成しようとする事情にあったことは全く知らなかったものであり、また被告が何らそれを妨げなければならない事情にはなかった。
(二) (一)、(二)の各事実は不知。
(三) (三)の事実中、原告猿橋らが労働組合を具体化するためコンパを開き組合結成を説明した、との点は知らない。その余の事実は否認する。
(四) (四)の事実中、原告らから連名で「要望書」と題する書面が被告に提出されたことは認める。その余の事実は知らない。
(五) (五)の事実中、原告ら主張の懇談会を開催したことは認めるが、その際、被告会社側から原告ら主張の如き発言をしたことはない。右懇談会は、前項の要望書の中に要求されていたので開催したものである。
(六) (六)の事実中、新契約の点については否認する。その余の主張は争う。
(七) (七)の主張は争う。
2 再抗弁2は争う。
八 証拠≪省略≫
理由
一 請求の原因1の事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 被告の抗弁1について判断する。
1 先ず、原告らと被告会社との本件雇用契約の性質について検討する。
≪証拠省略≫によると、次の事実を認めることができる。
被告会社では、毎年三月中旬以降一一月末までのいわゆる観光シーズンにおいては正規の観光バスガイド(車掌業務の外に乗客に説明・案内することをその業務内容とする。)のみではその需要に応じることができないので、その不足を補うため、昭和四三年八月以降相当数のいわゆる学生アルバイトと称される者(以下単にアルバイト学生と略称する。)を採用(一般従業員の採用とは全く異なり、被告会社観光バス部運行課においてアルバイト希望者に対し面接をし、履歴書に基づいて学校の現状とか勤務可能な時間等を聞いて採否を決定していた。)し、車掌業務を担当させてきたものである。被告会社には、昭和四六年当時右の正規の観光バスガイド約一〇〇名に対し、アルバイト学生が約六〇名おり、原告らも右の意味におけるアルバイト学生として採用されたものであるが、その勤務関係は、次の如く特殊なものであった。すなわち、原告らを含む右のアルバイト学生は、そのほとんどが学生であって、学業の傍らそれに差支えない限度で右の業務に従事するものである。このようなことから、出勤日(昼の部と夜の部に分かれており、原告福島は夜の部に、その余の原告らは昼の部に勤務していた。)についてみれば、昼の部は一ヶ月一二日の、夜の部は一ヶ月一五日の出勤日数が義務付けられていた(これを責任日数と称していた。)けれども、毎月五日迄に当月の一一日から翌月の一〇日までのうち原告らが希望する日を所定の用紙に記入して提出する(これを出勤登録という。)こととなっており、被告会社はこれに基づいて仕事の割振りを決めていた。但し、右以外の日に被告会社が出勤を要請することもあったが、これに従うか否かは原告らの自由意思に委ねられていたものである。次に、勤務時間についてみれば、昼の部は午前八時から午後五時まで、夜の部は午後五時から午後一〇時までがそれぞれ定時時間と定められており、右の時間を超過した勤務に対しては後記の残業手当が支給された。賃金は、被告会社における他の従業員とは全く異なる給与体系となっており、昼の部は一ヶ月一二日勤務した場合固定給という名目で金一万円が支給され、その外に乗務手当として一日金一、〇〇〇円、待機手当金八〇〇円(但し、待機中仕事に就いた場合は乗務手当が支給される。)、残業手当として、午前八時以前が一時間につき金二〇〇円、午後五時以降が一時間につき金一五〇円が各支給された。また、被告会社の要請により出勤した場合は一日につき金二、〇〇〇円と前記と同額の残業手当が支給された。そして、責任日数に満たない場合は一日につき固定給の一二分の一が減じられ、責任日数を超過した場合は一日につき金二、〇〇〇円、その外に前記と同額の残業手当が支給された。夜の部は、待機手当が金四〇〇円、乗務手当が一日金七〇〇円、残業手当として午後一〇時から午後一一時迄が金一五〇円、それ以後は一時間につき金二〇〇円となるほかは昼の部と同様の賃金となっていた。
ところで、原告らアルバイト学生は、被告会社に将来に亘り若しくは長期間に亘り勤務する意思を有する者はなく、学費あるいは生活費を補うため一時的に被告会社で働らいていたに過ぎず、例えば、原告猿橋についてみれば、同原告は、昭和四六年当時桑沢デザイン研究所の学生であって、将来グラフイックデザイナーとなる希望を有しており、その学業の傍ら学費および生活費を稼ぐため被告会社で働らいていたものであり、原告福島についてみれば、同原告は、昭和四六年当時一橋大学学生であって、学業の傍ら学費および生活費を稼ぐため働らいていたものであり、将来被告会社に勤務する意思はなかった。
以上の如き勤務関係から、アルバイト学生の内には予め被告会社に何らの連絡もなく何ヶ月も出勤登録をしないものもあり、このような場合、被告会社は一応これらの者に就労の意思があるか否かの確認をするため通知をすることもあったが、これに対し返事のない者については名簿から除名し、その外に解雇というが如き処置は何ら取らなかったものである。
以上の認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、原告らと被告会社との雇用関係は、原告らが毎月五日迄に当月の一一日から翌月の一〇日迄の間の出勤可能日を所定の用紙に記入して被告会社に提出し、被告会社が承諾することにより、はじめて、右の一ヶ月をその期間とする雇用契約がその都度あらたに締結されることになるものとみるのが相当である。
原告らは、被告との雇用契約につき長期間勤務するということが諒解事項となっていた旨主張し、≪証拠省略≫によれば、被告会社が本件アルバイトの募集広告に「週三日、月一二日、三ヶ月以上勤務出来る方」と記載し、また面接等に際して原告らに対し長く勤務してもらいたい旨言明していたことが認められるけれども、≪証拠省略≫によれば、これらは専ら全くの新人よりも仕事に慣れたものを勤務に就かせる方が都合がよいという被告会社の業務上の便宜から出たにすぎないことが認められるから、原告らと被告との雇用関係についての前記の認定を左右するものではない。
2 ≪証拠省略≫によると、次の事実を認めることができる。
被告会社では毎年一二月以降三月中旬ころまでの間観光業務はほとんどなく、その間の業務としては専ら観光バスをスキー、スケート客の冬山への送迎に使用しており、しかも、その業務は金曜日から日曜日にかけての週末に集中していた。このようなことから、被告会社は、右期間中はアルバイト学生との間で右の業務に合った別個の契約(いわゆる冬期の契約)をそれぞれ締結していた。但し、女性については、右の業務の行先が遠方であり、しかも、夜間の運行が多いため就業させることは不適として就業させなかった。このようなことから、被告会社は、昭和四六年一二月二日ころ、原告沖倉、同猿橋、同中尾ら女性のアルバイト学生に対しては、同月以降(すなわち、当時の雇用契約の終了する同月一一日以降)の雇用契約を締結しない旨の意思表示をするとともに、原告志田、同浜野、同渡辺、同福島ら男性のアルバイト学生に対しては、前記期間中冬期の契約をあらたに締結して貰らいたい旨申し入れたのであるが、同原告らは、原告沖倉ら女性のアルバイト学生に対する処置が不当であること、右期間中も従前同様観光バスの車掌業務に就かせることを要求して、右申し入れに応じなかったものである。
≪証拠判断省略≫
右認定事実によれば、原告らと被告会社との雇用契約、すなわち、昭和四六年一一月一一日から同年一二月一〇日までを期間とする雇用契約は、前述した原告らと被告会社との雇用契約の特質から、同月一〇日をもって期間満了により終了すべきものであるところ、被告会社と原告らとの間には同月一一日以降あらたな雇用契約が成立しなかったことは明らかである。
もっとも、≪証拠省略≫によれば、原告らは、昭和四六年一二月五日被告会社に対し、同月一一日から翌年一月一〇日までの間の出勤日程表を郵送により提出したことが認められるけれども、前述したとおり、被告会社は、原告沖倉、同猿橋、同中尾に対しては同年一二月一一日以降雇用契約を締結しない旨の意思表示をするとともに、原告志田、同浜野、同渡辺、同福島に対しては、右の日以降は従前の契約ではなくあらたな雇用契約を締結したい旨の申し入れをし、これに対し同原告らは応じなかったものであるから、原告らが右の出勤日程表を提出したからといって、これにより原告らと被告会社との間に雇用契約が締結されたとみることはできないといわなければならない。
従って、この点に関する被告の抗弁は理由がある。
三 原告らは、抗弁2の被告会社の原告らに対する解雇が不当労働行為または解雇権の濫用である旨主張する。しかし、被告会社は、抗弁1の主張が容れられない場合を慮って解雇の意思表示をしたものであるところ、前記のとおり、抗弁1の主張が理由があって、原告らと被告との雇用契約は、昭和四六年一二月一〇日をもって期間満了により終了したものであり、また、被告会社が原告沖倉、同猿橋、同中尾に対してなした昭和四六年一二月一一日以降の雇用契約を締結しない旨の意思表示、および、原告志田、同浜野、同渡辺、同福島に対してなした同日以降は従前の契約ではなく新契約を締結する旨の申し入れをいずれも解雇の意思表示と同視することはできないから、原告らのこの点に関する主張は、それ自体理由がない。のみならず、かりに右主張が、被告会社において原告らとの間の雇用契約を更新しなかったことが不当労働行為または権利の濫用にあたるとの趣旨を含むと解しても、被告会社が昭和四六年一二月一一日以降において原告らとの雇用関係を存続させなかった理由は前記のとおりであって、これを目して不当労働行為であるとはいえないしまた本件全立証によっても被告会社の措置が信義則に反し権利の濫用にあたると認めるに足りる資料はない。
四 よって、被告会社との間に労働契約が依然存続していることを前提とする原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れず、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 林豊 中田昭孝)
<以下省略>