東京地方裁判所 昭和49年(ワ)4337号 判決 1976年3月17日
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一 原告は「被告は原告に対し金八八〇万円及びこれに対する昭和四八年九月一九日から支払済に至るまで年六分の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、被告は主文第一項と同旨の判決を求めた。
二 (請求の原因)
1 訴外飯田初穂は、昭和三七年九月一三日その所有の東京都杉並区天沼一丁目二四七番地所在鉄筋コンクリート造四階建共同住宅、床面積延七八七・〇四平方メートル(以下本件建物という)を、訴外菱造船不動産株式会社(その後関東菱重興産株式会社と商号を変更した。以下訴外会社という。)に対し、期間同年一一月一六日から二年、賃料一か月五二万八〇〇〇円、入居者は三菱造船株式会社(後に三菱重工業株式会社となつた)社員とする、保証金八八〇万円の約で賃貸したが、右同日飯田は被告に対し、期間を五年と定めて、本件建物の管理を無償で委任するとともに、訴外会社から受取つた保証金八八〇万円の保管を依託し、被告は寄託を受けた保証金に対し月一分の利息を毎月末日限り飯田に支払うことを約した。
2 ところで、被告は(一)昭和四八年六月頃飯田の意思に反して訴外会社に対し、本件建物の賃料を従前の二倍以上にあたる一か月一二五万円に増額するよう請求し、その後再三にわたり訴外会社に対しその実行を強要し、(二)また、本件建物の管理は右述のとおり無償の約であつたのに、その頃飯田に対し、これを有償に改めて一か月一五万円を管理料として支払うことを要求し、(三)さらに、飯田に対して、訴外会社から支払を受けた同年七月分及び八月分の賃料の引渡をしなかつたが、これらは、いずれも前叙の本件建物の管理契約上の義務に違反するものであるので、飯田は、同年九月一日到達した書面により被告に対し、被告の前記債務不履行を理由に、右管理契約を解除する旨の意思表示をした。
3 そうして、飯田は昭和四八年九月一七日原告に対し、前項の解除により生じた被告に対する保証金八八〇万円の返還債権を譲渡し、同月一八日到達した書面で被告に対しその通知をした。
4 よつて、原告は被告に対し保証金八八〇万円とこれに対する債権譲渡通知の到達した日の翌日である昭和四八年九月一九日から支払済に至るまで商事法定利率年六分の遅延損害金の支払を求める。
三 (答弁及び抗弁)
1 (答弁)
(一) 請求原因1の事実は認める。
(二) 同2の事実のうち、被告が、原告主張の頃訴外会社に対し、その主張のように賃料増額の請求をしたこと、被告がその頃飯田に対し本件管理契約を有償にするよう申入れたこと及び被告が原告主張の各賃料を飯田に引渡していないこと、ならびに、原告主張の日に飯田から右契約を解除する旨の意思表示があつたことは認めるが、その余の事実は争う。
右の賃料の増額請求は、被告が飯田の求めに従いその利益のためにしたものであるが、被告のした要求額一か月一二五万円は、当時の物価、公租公課、比隣の賃料に照せば決して不当なものではなく、しかも、右は被告の要求額にすぎず、右増額の請求は、交渉の結果いずれは双方が相当とする額で妥結すべきものであつた。つぎに、被告は飯田に、本件管理契約を有償とするよう申入れ、管理料として賃料の一割五分に相当する金員を支払うこと及び被告が保管中の保証金には利息をつけないことという案を示したところ、飯田はこれを承諾した。さらに、昭和四八年七月分及び八月分の賃料は、前記増額請求についての交渉中に訴外会社が一方的に支払つて来たので、被告は飯田の諒承を得てこれを保管することにしたものである。このような次第であるから、原告主張の各事実は、いずれも本件管理契約上の義務違反にあたらない。
(三) 同3のうち、原告主張の日にその主張の債権譲渡の通知が到達した事実は認める。
2 (抗弁)
(一) 前(二)に述べたとおりの次第であるから、被告には本件管理契約上の債務不履行はないうえに、右管理契約は、被告が月一分の利息を支払うことによつて保証金八八〇万円を自由に使用することが出来るという被告の利益のための契約と一体をなしているものであるから、飯田においてこれを一方的に解除することはできないものである。
(二) 本件保証金は、その性質上本来賃貸人の地位の譲渡を伴うことなくしては他に譲渡出来ないものと解すべきであるうえに、本件においては、被告が飯田から保証金の寄託を受けるに至つたのは、訴外会社の要請によるものであつたことを考えると、被告は訴外会社に対して、保証金の保管及びこれが返還の義務を負うものというべきであるから、本件保証金返還債権は被告の同意なくしてはこれを譲渡し得ないものと解するのが相当である。ところで、本件においては右述の賃貸人の地位の譲渡も、被告の同意もない。
(三) 飯田から原告に対する本件債権譲渡は、原告をして訴訟行為をなさしめることを主たる目的としたものであるから、信託法一一条に違反し無効である。
四 (抗弁に対する認否)
1 抗弁(一)の主張はこれを争う。なお、飯田が被告に対し、その主張1、(二)記載の承諾及び諒承を与えた事実は否認する。
2 抗弁(二)の主張も争う。
3 同(三)は否認する。
五 (証拠)(省略)
理由
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。右争いのない事実に、成立に争いのない甲第一、第二号証、証人飯田初穂(但し、後記措信しない部分を除く)、同宮武春夫の各証言に弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認められる。
1 飯田は、被告代表者萬里崎義一の父とかねて知合いであつたことから、昭和三七年四、五月頃被告に請負わせて本件建物を建築することにした。
2 右建物は一六戸ある共同住宅であつて、飯田はこれを一括して他に賃貸したい意向であつたところ、建築完成前の同年九月頃、その意を受けた被告の斡旋により、飯田は三菱造船株式会社の子会社であつて不動産の管理等を担当する訴外会社との間で、本件建物につき前記請求原因1記載のような内容の賃貸借契約を締結し、同年九月一三日その旨の不動産賃貸借契約書が作成された。
3 ところで、飯田は鳶職であつて本件建物のような共同住宅を一括して他に賃貸した経験はなかつたうえに、賃借人である訴外会社は前記賃貸借契約に基づいて飯田に交付される合計八八〇万円の保証金の返還を確保する等のために、賃貸人が株式会社その他法人であることを希望したことから、建築及び不動産管理を業とする被告が本件建物の管理を引受けることとなり、前同日、被告は飯田と、訴外会社から右建物の賃料を徴収し、これを毎月末日限り飯田に引渡すこと、右建物の公租公課の支払い及び修理等は被告が飯田の負担において代つて行うこと、前記賃貸借契約に基づく保証金は被告が保管し、月一分の利息を毎月末日限り飯田に支払うこと、本件管理は無償とすること及び契約の期間は五年とするが、期間満了の二か月前までに当事者がその終了を予告しない時は更に期間を五年として順次更新されることを骨子とする管理契約を締結し、その旨の契約書を作成した。
4 その後被告は訴外会社から三回にわたり直接前記保証金合計八八〇万円の交付を受けたが、飯田は右述の賃貸借契約及び管理契約締結当時被告に対し右金員を被告が自由に使用することについて許諾を与えていたので、被告は爾来これを事業資金として使用していた。
5 前記賃貸借契約の期間は二年であり、また管理契約のそれは五年であつたが、その後順次更新され、昭和四八年八月頃まではいずれの契約についても特段の紛争もなく経過した。
かように認められ、証人飯田の証言のうち、右認定に反する部分は措信し難く他にこれに反する的確な証拠はない。
二 右認定の事実によると、飯田と被告との間の本件建物の管理契約は、飯田と訴外会社の右建物の賃貸借契約を前提とするものであるが、飯田は右管理契約により、賃料の徴収、修理、公租公課の支払等本件建物の賃貸に関する事務を挙げて被告に一任すると共に、被告から、被告に寄託した保証金について月一分の利息が得られるという現実的利益のうえに、株式会社である被告の信用が利用できるという利益を得ることになるが、他方被告としては、右契約により保証金八八〇万円を前記各契約が存続する限り、飯田に月一分の利息を支払うことによつて、自己の事業資金として常時自由に利用することが出来るという利益を得るわけであつて、本件管理契約は飯田と被告の双方に利益を与えるものであると認められる。
してみると、本件管理契約は、その前提をなす本件建物の賃貸借契約が終了した場合は別として、その継続中は、単なる委任や寄託のように、飯田において何時でも一方的に告知さることができるものと解すべきではなく、当事者間に右管理契約における信頼関係を破壊する等もはやこれを継続することは困難であると認められるような特段の事情がある場合に限つて、これを告知することができるものと解するのが相当である。
三 飯田が被告に対し、昭和四八年九月一日本件管理契約を解除する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。そこで、前叙の観点に立つてその効力の有無を検討する。
被告が昭和四八年六月頃訴外会社に対し本件建物を一か月一二五万円に増額する旨の意思表示をしたこと、その頃被告が飯田に対し本件管理契約を有償とするよう申入れたこと及び被告が訴外会社から受領した同年七月分及び八月分の賃料を飯田に引渡していないことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、証人宮武の証言によつて真正に成立したと認める乙第一、第二号証、第一一号証、証人飯田、同宮武の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認められ、これに反する証拠はない。
1 飯田は昭和四七年末頃他から本件建物の賃料を増額してはどうかとの示唆を受けたので、被告に対し、訴外会社と増額の交渉をするように依頼したが、その額については被告の裁量に委せることにして特に定めなかつた。被告会社の社員の宮武春夫はこの依頼に基づき種々検討した結果、約一〇年以上一度も値上げされていないことも考慮して、この際一か月一二五万円位まで引上げるのが相当であると判断して、昭和四六年六月初頃書面を以てその旨訴外会社に申入れたると共に、その旨を飯田に連絡したところ、これに対し飯田は特に異論をとなえることはなかつた。
2 ところが、前記値上の要求は一挙に従前の賃料の二倍以上に及ぶものであつたため、訴外会社はこれに強く反対し、宮武との交渉ではらちがあかないと見るや、直接飯田に対し一か月七二万円以上の増額には応じられないと強硬に申入れた。飯田は、そこで、本件建物の適正賃料額について他から意見を求めたところ一か月一〇〇万円以上は無理であろうという意見もあつたため、結局訴外会社に対しては、その申出に係る右七二万円でも止むを得ないとの意向を表示したが、被告に対してはこの事実を明白にすることをせず、被告と訴外会社との賃料増額についての交渉はその後行なわれないままとなつてしまつた。
3 ところで、被告は、飯田から賃料増額交渉の依頼をうけ、かつ、実際に交渉を始めたことを機縁として、賃料が増額されるのであれば、本件管理契約も世間一般のものと同様に、管理料の支払を受ける有償のものに改めたいと考え、昭和四八年六月頃飯田に対し、管理料は賃料の一割五分とすること、以後保証金には利息をつけないこと及び契約改定の際賃料の増額分一か月分を申受けたい旨を骨子とする提案をしたところ、飯田も大綱においてこれを認めたものの、賃料増額をめぐる交渉が前認定のような経緯で中断したことから、この交渉もまた結末をみなかつた。
4 訴外会社は前2認定の事情から賃料は一か月七二万円に増額されたものと考え、被告に昭和四八年七月分及び八月分として七二万円宛を支払つた。そこで、被告は飯田に一か月七二万円で承諾したのかどうか問合せたところ、飯田は必しも明確な返事をしなかつたため、被告はなお賃料増額の交渉中であることを考え、後日賃料額が決定し次第清算することとしてその引渡をせず、また同年六月分及び七月分の利息の支払もしないでいたところ、その後間もなく飯田から前記管理契約解約の意思表示がなされた。
このように認められる。
そこで考えてみるのに、被告が訴外会社に対してした賃料増額の意思表示は、なる程従前の賃料の二倍以上に及ぶものであるが、右認定の事実によれば、右は必しも不当に高額のものでもなく、また、賃貸人である飯田の意向に反するものでもない上に、本件においては被告が右額に固執して譲らない意向であつたことを認むべき資料もないから、被告が右述のような増額の意思表示をしたこと自体を目して、本件管理契約上の義務に反するものとはいえない。また、右増額についての被告と訴外会社との交渉は、前認定のとおり、その帰結をみるに至つていないが、これは、前認定の事実によれば、飯田が訴外会社からの一か月七二万円との申入れを一応承引したことによるものと認められるので、右の交渉をつくさなかつたことを以て被告が右契約上の義務に違反するものということもできない。
つぎに、被告が本件管理契約の改定を申入れた点であるが、右契約締結後既に一〇年以上経過していることを考えると、被告が前認定のような事情のもとに、これを有償のものに改めたいと考え、飯田に対しその旨申入れることは十分首肯し得るところであり、しかも、飯田としても、右の申入れに特に異議のなかつたことは右認定のとおりであるから、被告が右の申入をしたからといつて、それが、右契約上の義務に反するとは到底いえない。
また、被告が昭和四八年六、七月分の利息の支払をせず、また、訴外会社から支払われた同年七、八月分の賃料の支払をしていないことは右認定のとおりであるが、被告がその理由とした右認定の事情は一応相当であると考えられるうえに、その額もさ程多額というわけではなく、これが支払ができないような特段の事情も認められないことを考えると、右事実を以て、被告が前記契約上の義務に違反したものということはできない。
その他、被告が本件管理契約上の義務に違反したことを認むべき的確な証拠はない。
してみると、本件においては、本件管理契約における信頼関係を破壊する等その継続を困難とするような特段の事情があると認められないのはもとより、被告において、原告主張のように右契約上の義務に違反したことも全く認め難いものというほかない。そうして、飯田と訴外会社との本件建物の賃貸借契約が現に継続していることは、弁論の全趣旨に照して明らかであるから、飯田が昭和四八年九月一日被告に対してした本件管理契約解約の意思表示は、結局その効力を生ずるに由ないものというほかない。
四 ところで、原告の本訴は、本件管理契約が有効に解約されたことを前提とするものであるところ、その認め難いこと前叙のとおりであつてみれば、原告の本訴請求はさらに立入つて判断するまでもなく理由がなく棄却を免れない。
よつて、訴訟費用は敗訴の原告の負担として、主文のとおり判決する。