東京地方裁判所 昭和49年(ワ)597号 判決 1976年10月25日
原告 甲野太郎
原告 甲野花子
右両名訴訟代理人弁護士 佐々木文一
被告 乙山春男
<ほか三名>
右四名訴訟代理人弁護士 山分栄
同 大浦浩
同 野島潤一
主文
被告らは各自原告らそれぞれに対し、各金四五万円および右各金員に対する昭和五〇年三月五日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告らの、その余を被告らの各負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは連帯して原告甲野太郎に対し金一八〇〇万円、甲野花子に対し金五三五万円並びに右各金員に対し昭和五〇年三月五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 原告らの請求原因
1 原告らと被告らの関係
(一) 原告らは昭和二二年八月二〇日、別紙物件目録(二)の建物(以下本件建物という)を訴外Aから買受けるとともに、その敷地たる別紙物件目録(一)の土地(以下本件土地という)を隣家たる訴外乙山雪男から期間の定めなく、普通建物所有の目的で賃借した。
(二) 昭和二九年一一月一〇日右乙山雪男が死亡し、同人の妻である訴外乙山霧子、子である被告乙山春男、同乙山夏男、同丙川秋子、同丁田冬子の五名が相続により本件土地の賃貸人たる地位を承継した。
《以下事実省略》
理由
一 請求原因1の各事実については当事者間に争いがなく、また被告らが、原告らにおいて本件建物を増改築したことを理由として本件土地賃貸借契約を解除し、右解除による建物収去土地明渡請求権を被保全権利として昭和三六年一〇月八日原告らを相手方として東京地方裁判所に本件建物につき占有移転禁止の仮処分申請をなし、右申請により、同年一一月一二日、仮処分命令がなされ、同月二五日右命令は執行されたこと、被告らは、昭和三七年二月一三日原告らに対し、本件建物収去土地明渡を求めて同裁判所に本案訴訟を提起したこと、被告春男を除く本案訴訟の原告らは昭和四一年一一月七日右訴を取下げた結果、右訴訟の原告は被告春男だけとなったが、昭和四五年七月一五日、右訴訟において請求棄却の判決が言渡され、同年八月八日右判決は確定したこと、その後前記仮処分執行は同年一一月二日被告らの申請により解除されたこと、以上の各事実も当事者間に争いがない。
二 まず、被告らの右仮処分申請行為が原告らに対する不法行為となるか否かについて判断する。
前記争いのない事実によれば、本件仮処分命令は被保全権利が存在しない違法なものであったと認められる。
そこで本件仮処分申請における被告らの故意・過失の有無について考えるに、仮処分の本案訴訟において原告ら敗訴の判決が言渡され、その判決が確定して被保全権利の不存在が確定された場合には、他に特段の事情のない限り、仮処分申請人において過失があったものと推定するのが相当であるというべく、本件においては、仮処分執行後提起された本案訴訟において被告春男は敗訴し、その判決は確定して右被保全権利の不存在が確定されたのであるから、他に特段の事情の認められない限り、被告らには少くとも本件仮処分申請にあたり、過失があったものと推定される。この点につき、被告らは、本件仮処分申請の事情、本案訴訟敗訴の理由等に徴し被告らには、仮処分申請について故意・過失がなかった旨主張するので、以下右被告らの主張について検討する。
《証拠省略》によれば、原告太郎は昭和三六年一〇月ころ本件建物について別紙図面の青線に囲まれた部分を増築しその際に同図面の赤線で囲まれた部分について模様替えを行い、なお、同図面赤斜線の部分については増築部分とあわせて屋根の葺替をしたこと、被告春男は原告ら方の南隣に居住していたが、同月ころ原告太郎が被告らに無断で右工事を始めたことを知ったが、本件建物は大正四年ころ建築された建物で相当古いものであり、増改築によって建物の耐用年数が延びることになるので地主の承諾を必要とすると考え、原告太郎に対し、工事を中止するよう申入れたこと、しかし原告太郎は建物の増改築に地主の承諾は必要でない旨答えて右申入れを拒否し、工事を完成させたこと、そこで被告春男は大橋光雄弁護士に無断増改築を理由とする仮処分申請および建物収去土地明渡訴訟の提起を委任し、その結果本件仮処分申請とその本案訴訟が提起されたこと、同弁護士はその請求原因として第一次的に本件建物の無断増改築による賃貸借契約の解除、第二次的に建物朽廃による賃貸借契約終了の各事実を主張したこと、右本案訴訟においては、本件建物についてなされた増改築は新築に等しい大修繕、大改築とは認められず、本件土地賃貸借契約においては増改築禁止の特約はないことは、被告春男も自認しているところであるから、右工事をなしたことをもって賃貸借契約の継続を著しく困難ならしめる不信行為であるとは解しえず、また本件建物が朽廃しているとも認め難いとの理由で請求棄却の判決がなされたこと、以上の各事実が認められ、右認定を左右しうべき証拠はない。
ところで、一般に土地賃貸借契約において建物の増改築禁止の特約が存する場合においては、右特約に違反してなされた無断増改築の事実が賃貸借契約の存続を著しく困難ならしめる程の不信行為と言えるか否かという法律的評価は、訴訟における当事者の主張立証によって明らかとされる増改築の程度、残存契約期間の長短、建物の朽廃の度合等、諸般の事情を総合考慮のうえなされるものであるから、法律専門家でない被告らがかゝる評価を本案訴訟提起前の仮処分命令申請の段階で誤ったとしても直ちに過失ありということはできない。しかしながら、他方建物所有目的の土地賃貸借契約にあって、増改築禁止の特約のない場合には、借地人が借地上の建物を増改築することは契約によって定まる建物の種類、構造に合致する限り自由であることは、法律専門家でない普通の借地関係当事者にあってもいわば常識として当然認識されているべきものである。そして、本件賃貸借契約が普通建物所有目的であることは当事者間に争いがなく、前記認定の事実によれば、右賃貸借契約において無断増改築禁止の特約の存しないことは本案訴訟当時から被告らの自認していたところであり、しかも本件建物につきなされた増改築の程度から見て右工事が契約により定められた普通建物所有目的を逸脱するが如き規模、構造の建物建築を目的とするものでないことは明らかであり、かつ《証拠省略》によれば右工事当時本件建物が既に朽廃し、或いは短期間のうちに朽廃する状況に至っていないことも一見して明らかであったと認められ、従ってまた右増改築工事により解除権が発生するものとなしえないことは、法律専門家でない被告らにおいても仮処分申請時において判断できたものと考えるのが相当である。以上の理由により、被告らが前認定の経緯によって本件仮処分申請をなしたことをもって前判示の過失の推定を覆えすに足りる特段の事情が存在したものと認めることはできないし、他にかかる特段の事情の存在を認めうべき証拠もない。
以上の次第であるから、被告らは、その申請による本件仮処分命令の執行によって原告らが被った損害を賠償すべき義務があるものというべきである。
三 そこで進んで、本件仮処分命令の執行によって原告らが被った損害について検討する。
(一) 建物、塀の維持費、修理費相当額
《証拠省略》を総合すると、原告太郎は昭和四六年一二月ころ、本件土地とその東隣のB方の土地との境にあった板塀が倒壊したので、同人と共同でこの塀をコンクリートブロック塀に造り直し、その費用のうち七万九二五〇円を負担してこれを有限会社小泉組に支払い、昭和四九年六月ころ、東京都営繕建築協同組合に本件建物の屋根葺替工事を依頼し、その代金として四三万円を支払い、同年一〇月ころ、本件土地の東南側の塀を宮原造園に依頼して修理し、その代金として二〇万二五〇〇円を支払い、更に昭和五〇年七月ころ、同組合に対して本件建物の戸袋、外壁(下見板二個所)、床(四・五畳、六畳)、庇(一個所)の各補修工事を依頼し、その費用として合計二三万一五〇〇円を要し、以上のとおり本件仮処分執行の解除後に総計九四万三二五〇円の修理費を要したことが認められるが、原告太郎が右のほかにも本件建物の修理費を支払ったことを認めるに足りる証拠は存しない。
原告太郎は、これら修理費のうち八二万六七五〇円が本件仮処分執行に因って生じた損害である旨主張するが、右修理費が仮処分執行と相当因果関係の範囲内の損害であると言いうるためには、これらの修理が仮処分命令の具体的な執行行為自体によって生じた破損・減価の修復のためのものであるか、もしくは、本件建物の維持・管理が仮処分命令の執行によって妨げられた結果生じた破損・減価の修復のためのものであること等が必要であるところ、《証拠省略》によれば、本件仮処分命令は本件土地建物についての原告らの占有を他に移転することを禁じ、原告らの占有を解いて執行官の保管に移すが、原告らは現状を変更しないことを条件として本件土地建物を使用することができるとの趣旨のものであったこと、原告太郎は昭和二二年八月ころに本件建物を買受けたが、前判示の各修理部分については買受以来ほとんど修理をしたこともなかったことが認められる。これらの事実によれば、原告太郎は本件仮処分執行中であっても、本件建物について現状を積極的に変更する如き大規模な工事を除き必要に応じて建物の維持管理のための修理工事をなしえた筈であって、原告太郎のなした前判示の各修理工事が本件仮処分執行自体ないしは同執行によって工事を禁じられていたために生じた破損に起因したものとは到底認め難く、かえって右各工事は、仮処分執行の有無にかかわらず、原告太郎が本件建物を購入して後長年月の経過によって生じた破損個所を修理するため必要となったものと認められるから右各修理費を本件仮処分執行と相当因果関係の範囲内の損害と認めることはできない。
(二) 逸失利益
《証拠省略》によれば、原告太郎の長女咲子は昭和三八年五月七日に、次女園子は昭和四一年一二月二四日にそれぞれ結婚し、それまで原告らと同居していた本件建物を出て別居するに至ったことが認められるけれども、原告らがその長女・次女各夫婦を本件家屋に同居させてそれぞれ一ヶ月当り四万円と三万円の賃料を徴収する予定であったという事実は本件全証拠によるもこれを確認することができない。《証拠省略》中には右主張に沿う部分があるが、弁護士をしていて生活に困窮していたわけでもない原告太郎が娘夫婦を同居させて相当高額の賃料を徴収するということは他に特段の事情の主張立証もない以上直ちに首肯しえないところであって、原告太郎の娘らが結婚後別居するに至ったのが本件仮処分執行のためである旨の同原告の供述はにわかに採用できない。なお、仮に同居予定の事実があり、また右賃料は娘夫婦らから自発的にその差入れを申し出たものであったとしても、それは前判示の本件仮処分命令の趣旨に照らし、従来原告太郎と同居していた娘が結婚後も夫とともに同居を続けることは、占有移転禁止の右仮処分命令に違反することにはならないと解されるから、原告らが娘夫婦と同居する予定を変更したとしても、そのことと仮処分との間には相当因果関係はないと解するのが相当である。
従って、原告太郎の逸失利益の損害の主張は理由がない。
(三) 弁護士費用
《証拠省略》によれば、原告太郎は昭和三七年ころ佐々木文一弁護士に対し、被告らから提起された本案訴訟に応訴するためその訴訟手続を委任し、着手金として五〇万円、成功報酬として一〇〇万円合計一五〇万円を支払ったことが認められ、反証は存しない。
原告太郎は右弁護士費用相当額を本件仮処分執行に因って生じた損害である旨主張するが、右弁護士費用は本件仮処分異議ないし取消訴訟追行のためのものではなく、被告らから提起された本案訴訟応訴のためのもので、本案訴訟において原告らの勝訴判決が確定しても当然には仮処分執行が取消されるわけのものではないから、本案訴訟の弁護士費用を仮処分執行と相当因果関係ある損害と認めることはできない。
のみならず、弁護士である原告太郎が、本案訴訟において特に他の弁護士に訴訟追行を委任しなければならなかった特段の事情につき何らの主張立証もない本件では、右弁護士費用の支出と本件仮処分執行の間には相当因果関係がないものと言わざるをえない。
(四) 原告らの慰藉料
《証拠省略》によれば、原告太郎は第二東京弁護士会所属の弁護士で本件建物を住居および事務所として使用していたが、本件仮処分執行期間中の活動分野が同弁護士会の役員を歴任するなど在野法曹界はもとより、○○大学法曹会長に就任するなど教育界に至るまで各方面に及んでいたこと、従ってその社会的活動分野の広さからみても本件土地建物には不特定多数の関係人の出入りがあったこと、本件仮処分執行の公示のために本件土地には建物の東側の塀の内側に高さ約一、二メートルで半紙大の板札が立てられ、本件建物内の六畳の間には公示書が貼られたが、その公示の位置から通常原告ら家族以外の通行人や訪問客などの目にふれるものではなかったこと、原告花子は原告太郎の妻で本件建物で同居していたもので、家庭の主婦としての生活のかたわら、本件仮処分執行期間中に地元自治会役員、国勢調査委員、都青少年委員など各種委員として社会的活動を営んでいたこと、本件建物は原告花子名義の登記がなされていたため、同原告も原告太郎とともに本件仮処分の共同債務者とされたことが認められ、右認定を左右しうべき証拠はない。
以上の事実によれば、原告らは本件仮処分執行によってその社会的な名誉信用や業務の遂行を著しく毀損されたとまでは未だ認め難いけれども、右仮処分執行によって、本件土地建物の自由な管理処分行為を約九年間もの長期にわたって制限され、また公私にわたりある程度その名誉信用等を傷つけられ、これがため精神的苦痛を受けたことが認められるから、被告らは原告らに対して右精神的損害に対する慰藉料を支払うべき義務があるというべきである。そしてその慰藉料額は、前判示の本件仮処分執行に至る経緯、執行方法、執行期間等諸般の事情を考慮し、なお本件建物が事務所であると共に原告ら夫婦の居宅であった点に着目すれば、原告ら各自につきそれぞれ五〇万円とするのが相当である。
四 過失相殺について
原告らが本件建物増改築にあたり事前に被告らにその旨通知しなかったことは前記二で判示したとおりであるが、本件土地賃貸借契約においては建物増改築禁止の特約がなく、原告らが本件建物の右増改築をなすについては法律上被告らの承諾を必要としないものであることは前記二で説示したとおりであるから、隣りに居住する被告方に一言通知しなかったことの社会的妥当性はさておき、原告らが事前に被告らに右通知をしなかったことをもって、本件仮処分執行がなされるに至ったことについての原告らの過失と目すことはできない。
しかしながら、《証拠省略》によれば、原告らは本件仮処分執行の後、本案訴訟に応訴するだけで、仮処分異議ないし取消訴訟によってその執行の早期解除を求める手段をとらず、そのうえ本案訴訟においても、同訴訟の原告(本件被告)側の訴訟追行態度が熱意に欠けていたのに対し、本件原告らも特段その進行を積極的にうながすことなく、延期、休止等がくり返されたため、本案訴訟提起以来判決言渡までに八年余りを経過し、その結果本件仮処分執行期間が極めて長期に及んだことが認められるところ、原告太郎は弁護士であるから、原告らは積極的に仮処分異議ないし取消訴訟を提起することによって仮処分執行を少しでも早期に排除できる可能性のある方途を採り得た筈であるのに(なお本件においては前叙の如く仮処分命令の約三ヶ月後には本案訴訟が提起されているのであるが、かかる場合にときにみられる実務の実情を考慮しても、なお本案訴訟の存することは、異議訴訟等の提起を無意味ないし不必要ならしめるものとは解せられない)、あえて右の方途を採らなかった点については原告らにも幾分の過失があったものと言わざるを得ない。そして、原告らの損害額算定についてしんしゃくすべき右過失の割合は一割とするのが相当である。
従って被告らが各自原告らに支払うべき損害賠償額は、原告らそれぞれにつき各金四五万円とするのを相当と認める。
五 よって原告らの請求は、右の限度において理由あるものとしてこれを認容し、その余の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。
なお、仮執行の宣言は、相当でないと認めるのでこれを付さない。
(裁判長裁判官 小谷卓男 裁判官 山本矩夫 裁判官岡部信也は職務代行終了のため署名押印できない。裁判長裁判官 小谷卓男)
<以下省略>