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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)598号 判決 1977年12月06日

原告

安田昭二

被告

株式会社マルニ

ほか一名

主文

被告らは、各自、原告に対し、金四、〇五八万一、七〇九円及び内金三、六九八万一、七〇九円に対する昭和四九年二月九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は、「被告らは、各自、原告に対し、金四、九八二万四、二九一円及び内金四、五七四万四、二九一円に対する昭和四九年二月九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告株式会社マルニ(以下「被告会社」という。)訴訟代理人及び被告下田喜一郎(以下「被告下田」という。)は、いずれも、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二請求の原因等

原告訴訟代理人は、本訴請求の原因等として、次のとおり述べた。

一  事故の発生

原告は、昭和四六年六月九日午後三時頃、被告下田の所有かつ運転に係る普通乗用自動車(品川五五な六八三三号。以下「被告車」という。)に同乗し、千葉県君津郡君津町小山野五九二番地先国道一二七号線路上を富津方面から木更津方面に向け進行中、被告下田の前方不注視の過失により、被告車がセンターラインを踰越し対向車線に進入したため、折柄、対向直進してきた平野照夫運転に係る普通乗用自動車(千葉五五さ二一九五号)と正面衝突した事故により傷害を受けた。

二  傷害の部位程度、治療経過及び後遺障害

原告は、本件事故により、頭部打撲、頸部挫創、頸椎捻挫、左右肩胛打撲擦過傷、右左第二肋骨ないし第八肋骨骨折、血気胸、左頬部挫創、左耳介擦過傷及び第七頸椎骨折の重傷を負い、事故当日から同年六月二九日まで二一日間千葉県木更津市内の武山病院に入院し、更に、同日二九日から昭和五〇年六月二八日まで一、四六〇日間東京都大田区内の大森赤十字病院に入院し治療を受けたが、下部頸髄以下支配領域完全麻痺による泌尿器完全排尿障害、生殖器完全麻痺、下肢関節運動不能及び下半身の知覚の完全障害の後遺症が残り、右は、自動車損害賠償保障法施行令別表第一級に相当する。

三  責任原因

1  原告は、被告会社の従業員慰安旅行に同行中、本件事故に遭遇したものであるところ、当時被告会社は被告下田から同被告所有に係る被告車を右慰安旅行の間借用し、これを自己のため運行の用に供していた者であるから、被告会社は、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第三条の規定により、原告が本件事故により被つた損害を賠償する責任がある。すなわち、被告会社は、国電大森駅東口駅前商店街で家庭電気製品、家具、洋服、時計等の月賦販売を業とする株式会社で、本件事故前日及び当日の両日千葉県安房鴨川方面へ往復自動車による従業員慰安旅行を企画し、上得意の原告及び出入り下水道工事業者の被告下田を招待したのであるが、参加予定者一〇人に対し被告会社には利用可能な自動車が二台しかなかつたため、被告下田から被告車を借用調達のうえ、計三台に分乗し慰安旅行を実施したところ、その帰途において、本件事故が発生したのであるから、被告会社は、本件事故当時、被告車の運行を支配し、かつ、その運行の利益を享受していたものである。

2  被告下田は、被告車を所有し、これを自己のため運行の用に供していた者であり、また、被告車を運転中、前方不注視の過失により本件事故を惹起させたものであるから、自賠法第三条又は民法第七〇九条の規定により、原告が本件事故により被つた損害を賠償する責任がある。

四  損害

原告は、本件事故により、次の損害を被つた。

1  治療関係費

(一) 入院治療費

原告は、前記傷害の入院治療費として、武山病院に対し金二〇万五、〇〇〇円、大森赤十字病院に対し金二〇九万三、七九一円、合計金二二九万八、七九一円を支払い、同額の損害を被つた。

(二) 入院雑費

原告は、武山病院及び大森赤十字病院に入院中の一、四八〇日間、一日金三〇〇円を下らぬ入院雑費の支出を余儀なくされ、合計金四四万四、〇〇〇円を下らぬ損害を被つた。

(三) 入院付添費

武山病院に入院中の二〇日間、同病院が完全看護でなかつたため、原告の妻がその経営する小料理店を休業し原告の母と付添に当たつたところ、右付添料は一日当たり金一、三〇〇円を相当とするから、右期間の付添料は合計金二万六、〇〇〇円となり、原告は同額の損害を被つた。

(四) 退院時要した医療器具代

原告は、前記後遺症を残し、昭和五〇年六月二八日大森赤十字病院を退院したが、その際、自宅での療養生活を可能にするため、同病院医師君島健一の指示により、マルカンスノコベツド(金一万一、四八〇円)、トランスボートチエアー(金一三万四、〇〇〇円)、ベツド用メデイカマツト(金一〇万二、〇〇〇円)及びハイランク(金六万円)その他の医療器具を購入し、合計金三四万八、六六〇円を支出し、同額の損害を被つた。

(五) 家屋改造費

原告は、退院後も前記後遺症のため、車椅子に座つたままでの生活を余儀なくされたため、これを可能とするため家屋内部の改造を行い、改造費用として金二五万九、三〇〇円の支出をし、同額の損害を被つた。

(六) 将来の医療器具代

原告は、前記後遺症のため、生涯、前記マルカンスノコベツド(時価一万一、四八〇円相当)、トランスボートチエアー(時価一三万四、〇〇〇円相当)、ベツド用メデイカマツト(時価一〇万二、〇〇〇円相当)、ハイランク(時価六万円相当)が必要で、その耐用年数はいずれも四年程度であつて、今後約四年毎にその取換えを要するところ、原告は昭和一〇年一月五日生まれで退院後も少なくとも三〇年以上は余命があるから、少なくとも今後六回の買換えの必要があるので、その購入予定費用合計金一八四万四、八六〇円を請求する。

(七) 将来の医療費

原告は、前記後遺症のため、生涯、床擦れの傷の消毒及びガーゼ交換が一日数回必要であるほか、排泄機能麻痺により浣腸等が必要で、このため一か月当たり、少なくとも、消毒綿半袋金一七〇円相当、ガーゼ一組金四五〇円相当、伴創膏一〇個金七〇〇円相当、消毒液一本金四〇〇円相当、傷薬三分の一本金二、五六三円相当、浣腸薬一〇本金九〇〇円相当、通じ薬金四二〇円相当及び紙シーツ五枚金九〇〇円相当の医療品が必要であるところ、前記のとおり原告の平均余命は退院後少なくとも三〇年以上はあるから、この間の右医療品の購入予定費用金二三四万一、〇八〇円を請求する。

(八) 将来の通院交通費

原告は、退院後も医師の指示により、毎月二日大森赤十字病院に通院する必要があるから、一往復に必要なタクシー代金五六〇円の割合による前同様三〇年間の支出予定交通費合計金四〇万三、二〇〇円を請求する。

(九) 将来の電気代

原告は、医師の指示により、退院後、自宅居室に電気冷暖房機を備えて夏期発汗による褥瘡の悪化防止及び冬期風邪の罹患の防止に努めているほか、電動式の前記メデイカマツトにより下半身に震動を与え褥瘡の防止に努めているため、退院前に比し毎月金四、〇〇〇円を下らない電気代の増額分を負担せざるをえなくなつているので、右割合による前同様三〇年間の電気料金増額分金一四四万円を請求する。

なお、右(六)ないし(九)の将来支出予定の医療器具代、通院交通費、電気料金等の損害算定に当たつては、将来の値上りを考慮し、中間利息の控除をすべきでない。

2  逸失利益

原告は、昭和一〇年一月五日生まれ(事故当時三六歳)の健康な男性で、飲食店「末広」(やき鳥及び季節料理)を経営し、一か月金二〇万円を下らない純益を得ていたが、本件事故に遭いその労働能力を全面的に喪失し、今後回復の見込みはないところ、本件事故に遭わなければ、その後満六五歳まで二九年間は右職業に従事して右金額を下らない月収を得ることができたはずであるから、以上を基礎としてライプニツツ方式により年五分の中間利息を控除して原告の逸失利益の本件事故時の現価を算出すると金三、六三三万八、四〇〇円の損害を被つたことになる。

3  慰藉料

原告は、その働き盛りに本件事故により重傷を負い、長期の入院を余儀なくされたのみならず、退院後も重篤な後遺症を残し、もはや他人の介助なしには生存しえなくなり、自己及び妻子の将来を考えると不安にさいなまれる等、肉体的精神的に言語を絶する苦痛を強いられたもので、その慰藉料としては金五五〇万円が相当である。

4  損害のてん補

本件事故による損害につき、原告は金五五〇万円を自動車損害賠償責任保険(以下「責任保険」という。)から受領した。

5  弁護士費用

原告は、被告らが任意に本件事故による損害の支払に応じないため、余儀なく、本件訴訟の提起、追行を法律扶助協会を通じて原告訴訟代理人に委任し、同協会は原告のため同代理人に費用、実費、手数料として金八万円を立替払し、更に、原告は同代理人に対し金四〇〇万円を支払うことを約したから、原告は、弁護士費用とし以上合計金四〇八万円を請求する。

五  よつて、原告は、被告ら各自に対し、本件事故による損害賠償として、前記四1ないし3及び5の損害額合計金五、五三二万四、二九一円から同四4のてん補額金五五〇万円を控除した金四、九八二万四、二九一円及び右金員から同四5の弁護士費用金四〇八万円を除いた金四、五七四万四、二九一円に対する本件事故発生の日の後で、本件訴状送達の日の翌日である昭和四九年二月九日から支払済みに至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

六  被告会社の主張に対する答弁

被告会社の主張事実は、いずれも争う。

第三被告会社の答弁等

被告会社訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁等として、次のとおり述べた。

一  請求の原因第一項及び第二項の事実中、原告が被告下田運転に係る被告車に同乗中、原告主張の日時及び場所において交通事故に遭遇して受傷し、武山病院及び大森赤十字病院に入院したことは認めるが、その余の事実は知らない。

二  同第三項1の事実中、被告会社が原告主張の場所で、その主張のとおりの事業を営む株式会社であり、被告下田が下水道業者であること及び被告会社が事故前日及び当日千葉県安房鴨川方面へ従業員慰安旅行を企画し、被告車を含め自動車三台に分乗して実施したことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  同第四項の事実は、知らない。

四  被告会社の主張

被告会社は、予て、本件事故前日及び当日にわたる千葉県鴨川方面への一泊二日の従業員慰安旅行を計画していたところ、約一〇年前から被告会社の近くで焼鳥屋を営み、被告会社従業員らと懇意にし、昭和四五年以来毎年実費負担で被告会社従業員慰安旅行に同行してきた原告及び当時たまたま被告会社の店舗の水洗工事を施工していた被告下田の両名が、いずれも、実費負担での同行を強く希望したため、これを許し、事故前日朝、被告会社前から、原告、被告下田及び被告会社従業員ら総計一二名が被告車及び被告会社の調達した二台の自動車計三台に分乗(被告車には、被告下田、原告及び被告会社社員二名が同乗した。)して出発、計画どおり川崎港から木更津港まではカーフエリーを利用して千葉県鴨川に至り、同所で宿泊し、翌日の事故当日、前日同様三台の自動車に分乗し(被告車の同乗者は前日と同じ。)、遊覧後帰途につき、午後二時三〇分頃千葉県富津で昼食を取つた後、同所で解散したのであるが、本件事故は、右解散後被告車が川崎港行きのカーフエリーに乗船すべく前記木更津港に向けて走行中発生したものである。

しかして、被告会社と被告下田とは全く営業業種を異にし、その間に、親会社・子会社、元請・下請等といつた支配従属関係は全くなく、被告会社は、被告下田の希望に沿い、原告とともに、実費負担で旅行への同行を許したにすぎず、両名を招待したわけではないから、本件従業員慰安旅行は被告会社従業員がたまたま中心をなしただけの近隣の者有志の旅行会の性格を有するものというべきであつて、被告会社は被告下田に対し被告車の賃料あるいはガソリン代を負担する約束をしたわけでもないから、この間に賃貸借又は使用貸借関係が存在するわけのものではなく、また、三台の乗用車への分乗の割り振りも任意になされたのであるから、被告車の運行を支配していたのはまさに自己の旅行の必要からこれを運行していた被告下田にほかならず、被告会社は何らその運行を支配していたものではない。のみならず、前述のような本件旅行の近隣有志の旅行会としての性格に徴すれば、被告車の運行による利益を享受していたのは被告下田にほかならず、好意同乗者として被告車に二名の被告会社従業員が同乗したにすぎないのであり、また、原告を得意先として招待したわけではないから、被告会社が被告車の運行から利益を得ることもありえない。

仮に、被告会社が本件慰安旅行につき被告車の運行支配及び運行利益を有していたとしても、本件事故は富津での旅行解散後、トランシーバーによる車両相互の連絡を打ち切り、従前終始最後尾を走行していた被告車が先頭を走行するという状況下で発生したものであるから、事故時、被告会社は既に被告車の運行支配及び運行利益を喪失していたものというべきである。

のみならず、本件旅行の前述の性格にかんがみれば、被告会社が被告車の運行供用者であるとするならば、これとその立場を何ら異にすることのない原告も被告会社とともに共同運行供用者であるというべく、自賠法第三条により保護される他人には当たらないというべきである。

第四被告下田の答弁

被告下田は、請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。

一  請求の原因第一項及び第二項の事実は、認める。ただし、衝突の態様は側面衝突である。

二  同第三項の1の事実中、原告が被告会社の上得意先であつたとの点は知らないが、その余の事実及び同項2の事実は認める。

三  同第四項の事実中4の事実は認めるが、その余の同項の事実は知らない。

第五証拠関係〔略〕

理由

(事故の発生)

一  原告主張の日時、原告が、被告下田の所有に属しその運転に係る被告車に同乗し、千葉県君津郡君津町小山野五九二番地先国道一二七号線路上を富津方面から木更津方面に向け進行中、被告下田の前方不注視の過失によりセンターラインを跨越し対向車線に進入し、折柄、対向直進してきた平野照夫運転に係る普通乗用車と衝突した事故により負傷したことは、原告と被告下田との間に争いがなく、また、右事実中、原告主張の日時及び場所において、原告が被告下田の運転に係る被告車に同乗中、交通事故に遭遇して負傷したことは、原告と被告会社との間において争いがない。

(傷害の部位、程度及び後遺障害)

二  成立に争いない甲第二号証ないし第四号証、第五号証の四、五及び一四、第六号証ないし第八号証、第一二号証及び第一五号証並びに証人安田志げ(第一回)の証言並びに原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告は、本件事故により、頭部打撲、左前額側頭挫滅創、左頬部挫創、左耳介挫創、外耳道損傷、胸背部打撲、右第二肋骨ないし第八肋骨骨折、左第二肋骨ないし第七肋骨骨折、左右血気胸、頸部挫創、第七頸椎骨折、両躯幹下肢完全麻痺、左右肩胛部打撲擦過傷等の傷害を受け、事故当日から昭和四六年六月二九日まで二一日間千葉県木更津市内の武山病院に、同日から昭和五〇年六月二八日まで一、四六一日間東京都大田区の大森赤十字病院に入院し、外傷の手当をはじめ頸椎損傷に対するグリソン牽引等の治療を受けたが、この間昭和四七年一二月三一日頃には症状が固定し、頸髄損傷に基因する両上肢運動不全麻痺、下部頸髄以下支配領域完全麻痺及びこれに伴う下肢関節運動不能、完全排尿障害、腸管機能障害(排便障害)、生殖器完全麻痺等の後遺症を残し、将来回復の見込みがない旨の診断を受けるに至り、その後も大森赤十字病院に引き続いて入院し、腕力を強める等の機能訓練を受けるとともに、臀部、大転子部等の褥瘡の手術を多数回受けたこと、及び昭和五〇年六月二八日退院後は、車椅子に座つたままの生活を余儀なくされ、自ら動かせるのは両上肢と首のみとなつたため、寝起き、車椅子の乗降は努力をすれば自力でなしうるが、着衣の脱着、排便・排尿の始末等には介添が必要で、原告の妻及び長男がこれに当たつており、両上肢不全麻痺は可なり改善され、臀部、大転子部等の褥瘡も次第に治ゆしつつあるが未だ完治していない状況であることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(責任原因)

三 次に、被告らの本件事故についての責任の有無につき判断する。

1  被告会社の責任

(一)  成立に争いない甲第五号証の一一ないし一三及び一五、証人井上志郎及び同柚山十四生の各証言並びに被告会社代表者村上秀之及び原告各本人尋問の結果(右各証人の証言及び各本人尋問の結果中後記措信しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すると、(1) 被告会社は、東京都大田区大森の国電大森駅東口商店街で、従業員約一〇名を擁し、家庭電気器具、家具、洋品等の割賦販売を業とする株式会社であり(以上の事実は従業員数を除き当事者間に争いがない。)、原告は、被告会社の近隣で焼鳥を主体とする飲食店「末広」を経営していたものであるが、予てから原告は被告会社の得意客であり、かつ、被告会社の代表取締役村上秀之(以下「村上」という。)以下同被告の従業員らはいずれも「末広」の飲み客で、互いに懇意な間柄で、原告は連日のように被告会社店舗に顔出しをする関係にあつたことから、昭和四三年以来毎年被告会社が費用を負担して実施する従業員慰安旅行に実費負担で同行していたこと、(2) 被告会社は、昭和四六年も、事故前日の同年六月八日及び当日の九日の両日にわたり千葉県鴨川方面へ鉄道による従業員慰安旅行を企画し、原告は約一週間前に村上から同行を誘われてこれを承諾していたところ、出発前日の同月七日頃、当時被告会社の水洗工事を請け負い施工していた被告下田も同行することととなり、同被告が被告車を所有していたので、急に計画を変更し、被告車、被告会社所有の自動車及び村上の知人から借り受けた自動車計三台による自動車旅行に切り換えたこと、(3) 八日朝、被告会社従業員七名、村上、村上の義父、村上の弟、被告下田及び原告の総勢一二名は、被告会社前から右三台の乗用車に分乗して出発し(ただし、内一名は川崎港で合流した。)、神奈川県川崎港からカーフエリーを利用して千葉県木更津港に至り、同県内の牧場等を見物後鴨川に着き一泊したこと、(4) 事故当日の九日は鴨川を出発後同県内の鯛の浦等を見物後同日午後一時三〇分頃富津に至り、通りがかりのドライブインで昼食を取り、午後二時三〇分頃出発し、木更津港に向かつたが、昼食終了の際村上が、以後は三台が走行順序を守り一団となつて走行せず、各別に走行してもよい旨述べたことから、昼食後は従前三号車として常時最後尾を走行してきた被告車が先頭を走行し始め、トランシーバーによる各車間の相互連絡も行わなくなつたが、各車とも木更津港に向けて走行し、その途中被告車が本件事故を惹起したこと、(5) 右慰安旅行全般につき宿泊先、見物地等大よその予定は予め決められていたが、解散予定地が予め決められていたことはなく、参加者はいずれも木更津港から川崎港までカーフエリーを利用後被告会社に至るまでの間において、随時解散するつもりであつたこと、以上の事実が認められ、証人井上志郎及び同柚山十四生の各証言並びに被告会社代表者村上秀之及び原告各本人尋問の結果中、右認定に反する部分はいずれも前段認定に供した各証拠に照らし、たやすく措信できず、他に叙上認定を覆すに足る証拠はない。

叙上認定の事実によれば、被告会社は、本件事故前日及び当日にわたる従業員慰安旅行に供するために、被告下田からその所有に係る被告車を無償で借り受け、これを右慰安旅行に利用し、その間被告車の運行を支配するとともにその運行による利益を享受し、これを自己のため運行の用に供していた者というべきである。

(二)  被告会社は、本件従業員慰安旅行は、被告会社従業員がたまたまその中心をなしただけの近隣の者有志の旅行会の性格を有するものであるから、被告車の運行を支配し、かつ、運行利益を享受していた者は被告下田のみであり被告会社ではない旨主張する。しかし、叙上認定のとおり、被告会社は、従業員約一〇名を擁する個人営業的色彩の強い家庭電気器具等の割賦販売を業とする株式会社で、毎年従業員慰安旅行を被告会社の費用負担で実施しており、本件事故前日及び当日の従業員慰安旅行も労務管理としての一面をかねて被告会社の費用負担で企画、実施したものであり、本件旅行参加者総数一二名中八名が被告会社関係者で、右以外には被告会社代表取締役村上の義父及び弟並びに原告及び被告下田が(原告及び被告下田は実費負担で)例外的に参加していたにすぎないから、本件旅行の主催者はあくまで被告会社とみるべきであつて、本件旅行をもつて近隣の者有志の旅行会と同視することはできず、原告及び被告下田らは単に同行を許された者にすぎないものというべく、また、参加人数及び利用自動車の台数の点からみても、被告会社は被告車を利用せずには本件自動車旅行を実施しえなかつたのであるから、被告会社は被告下田から被告車の無償貸与を受けたものというべきであり、したがつて、被告会社は、本件慰安旅行の間、被告車の運行を支配し、かつ、その運行による利益を享受していたものといわざるをえない。

(三)  被告会社は、仮に、本件慰安旅行中被告会社が被告車の運行供用者に当たるとしても、本件事故は富津での解散後発生したのであるから、被告会社は既に運行供用者ではなくなつていた旨主張する。しかしながら、富津での昼食終了後村上が以後は三台が走行順序を守らず各別に走行してよい旨述べ、その後は従前三号車として最後尾を走行していた被告車が先頭を走行し始め、トランシーバーによる各車間の相互連絡もとらなくなつたことは叙上認定のとおりであるが、これは、単に、富津における昼食後は見物予定地もなくなり、ただ木更津港からカーフエリーで川崎港に向かい、同港から被告会社方面に帰る行程のみが残されていたため、三台がトランシーバーで連絡をとりつつ一団となつて走行する必要がなくなつた結果にすぎないのであり、東京都大田区所在の被告会社を出発し千葉県各地を周遊後被告会社附近に帰着する旅行日程全体からみれば、右事実を目して従業員旅行が解散終了したものとみるのは相当でなく、したがつて、被告会社が本件事故当時被告車の運行に対する支配及び運行利益を既に失つていたものとは到底認めることはできない。

(四)  被告会社は、仮に、被告会社が被告車の運行供用者に当たるとしても、本件旅行の近隣の有志の旅行会としての性格に徴すれば、原告もまた被告車の共同運行供用者であるというべきであり、自賠法第三条により保護される他人に当たらない旨主張する。しかし、前記説示のとおり、本件旅行は、従業員の慰安を目的とし、被告会社がその費用を負担して企画、実施したものであつて、単に近隣有志の旅行会というをえず、原告は被告会社関係者と懇意にしている者として特に同行を許された者にすぎないのであるから、原告が旅行実費を負担したとしても、本件旅行を主催したものとはいえず、したがつて、原告を目して被告車を運行の用に供していた者とは到底認めえない。

(五)  してみれば、被告会社は、自賠法第三条の規定により、原告が本件事故により被つた損害を賠償する義務あるものというべきである。

2  被告下田の責任

被告下田が被告車を所有し自己のため運行の用に供していた者であることは、原告と被告下田との間に争いがないので、被告下田は、自賠法第三条の規定により、原告が本件事故により被つた損害を賠償する責任がある。

(損害)

四 原告は、本件事故により、次のとおりの損害を被つたというべきである。

1  治療関係費

(一)  入院治療費

前掲甲第六号証ないし第八号証、第一二号証及び第一五号証並びに証人安田志げの証言(第一回)を総合すれば、原告は、前記傷害の治療費として、武山病院に対し金二〇万五、〇〇〇円、大森赤十字病院に対し金二〇九万三、七九一円を支払い、合計金二二九万八、七九一円の損害を被つたことが認められる。

(二)  入院雑費

前記認定の原告の傷害の程度、入院期間等を考慮すると、原告は、通算一、四八一日間武山病院及び大森赤十字病院に入院している間少なくとも一日金三〇〇円を下らない入院雑費を支出したものと推認しうるので、右期間の入院雑費は原告主張の金四四万四、〇〇〇円を下らないものと認めることができる。

(三)  入院付添費

証人安田志げの証言(第一回)及び原告本人尋問の結果によれば、原告が武山病院に入院していた二〇日間、その症状が重篤であり、かつ、同病院が完全看護体制になかつたため付添看護を必要としたところ、この間原告の妻安田志げ及び母安田やすが付き添つたが、両名に対する付添料は各一日金六五〇円を超えるとみるを相当とするから、右期間中の付添費は原告主張の金二万六、〇〇〇円を下らないことが明らかである。

(四)  退院時要した医療器具代

成立に争いない甲第一六号証の一ないし五及び第一七号証の一、二並びに証人安田志げの証言(第一回ないし第三回)及び原告本人尋問の結果を総合すれば、原告は、大森赤十字病院を退院した際、医師君島健一の指示により、今後自宅での生活を可能とするため不可欠なスノコベツト(車椅子への昇降を可能にするため高さを調整してあるベツト・価格一万一、四八〇円)、トランスボートチエアー(外出時に使用する車椅子兼ベツト・価格一三万四、〇〇〇円)、メデイカマツト(褥瘡の発生を防止するための震動可能なスノコベツト用の電気マツト・価格一〇万二、〇〇〇円)及びハイランク(血行を良くするための電気マツサージ機・価格六万円)等の医療器具を合計金三四万八、六六〇円で購入したことが認められるところ、右出費は前記認定の原告の後遺症等に照らし、相当な出費と認められるから、原告は同額の損害を被つたものということができる。

(五)  家屋改造費

成立に争いない甲第一八号証の一ないし三及び証人安田志げの証言(第一回ないし第三回)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、前記後遺症の結果、退院後も車椅子での生活を余儀なくされているため、これを可能にすべく、従前の住居の畳敷きの部屋を板敷きにし、便所を洋式化して手摺を付設するとともに風呂場の床を平坦にする等の改造を加え、改造費として金二五万九、三〇〇円を支出したが、未だ褥瘡が完治していないため入浴は不能で、また、便所も殆んど利用していないことが認められるところ、原告の右日常生活及び改造施設の利用状況等を考慮すれば、右改造費のうち金一五万円をもつて本件事故と相当因果関係ある損害とみるべきである。

(六)  将来の医療器具代

前記(四)において認定に供した各証拠及び成立に争いない甲第二八号証の一に弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、前記後遺症のため生涯前記スノコベツト、トランスボートチエアー、メデイカマツト及びハイランクを必要とし、トランスボートチエアーは月一、二回程度通院の際に使用するが、その他は日常使用するものであり、各耐用年数はスノコベツトが一〇年程度、トランスボートチエアー、メデイカマツト及びハイランクがいずれも四年程度であること、原告は昭和一〇年一月五日生まれで当裁判所に顕著な厚生省昭和五〇年簡易生命表によれば、その平均余命は、大森赤十字病院退院時である昭和五〇年六月二八日以降三四・四五年であるが、原告の場合その後遺症の程度に照らすと、余命年数は若干短目にみて、二五年とみるを相当とするところ、前記各医療器具はその使用状況及び耐用年数にかんがみると、右退院以降スノコベツト及びトランスボートチエアーについては一〇年毎に二回、一回につき合計金一四万五、四八〇円を下らぬ支出をして買い換え、メデイカマツト及びハイランクについてはいずれも四年毎に六回、一回につき合計金一六万二、〇〇〇円を下らぬ支出をして買い換える必要が認められるので、右の間の右各医療器具代金全額を一時に支払を受けるものとし、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、本件事故当時の現価を算定すると金五四万五、一九〇円となる。

(七)  将来の治療費

成立に争いない甲第二一、二二号証、第二五号証及び第二七号証並びに証人安田志げの証言(第一回ないし第三回)及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨に前記認定にかかる原告の後遺障害内容を総合すると、原告は、膀胱・直腸障害による排便障害及び完全排尿障害のため、大森赤十字病院退院後も前記二五年間、毎年金二万六、六四〇円相当の下剤、浣腸薬及び紙シーツを必要とすることが認められるので、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し前同様本件事故当時の現価を算定すると金三〇万八、八九三円となる。

なお、原告は、右のほか、生涯にわたる褥瘡の治療費を請求し、前掲甲第二五号証、成立に争いない甲第二〇号証、第二三、二四号証及び第二六号証並びに証人安田志げの証言(第一回ないし第三回)及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨に前記認定にかかる原告の後遺障害の内容を総合すると、原告は大森赤十字病院入院当時から背部などに褥瘡が生じており、同病院退院後はその治療のため、毎月金四、四七三円相当の消毒薬、消毒綿、傷薬、ガーゼ及び絆創膏を購入しているところ、原告の褥瘡は未だ治癒には至つていないものの、徐徐に軽快してきていること、更に、経験則によれば、原告のように下部頸髄以下支配領域完全麻痺の重篤な後遺症を残した者でも、適切な健康管理を行えば、褥瘡の発生をかなりの程度まで抑制しうることは明らかであるから、上記支出状況から直ちに将来とも右金額の褥瘡治療費を要するものと推認することは困難であり、他にこれを認めるに足る証拠はないから、生涯にわたり右支出を要するとの前提に立つ原告の請求は、失当である(現在における褥瘡治療費支出の事情は、慰藉料を算定するに当たり斟酌するをもつて相当というべきである。)。

なお、原告は右(六)及び(七)の将来支出予定の医療器具代及び将来の治療費につき、将来の値上りを考慮し、中間利息の控除をすべきでない旨主張するが、右各医療器具及び薬品等の今後の値上りの有無及び程度についてはこれを確定しえず、したがつて、右主張は採用の限りでない。

(八)  原告は、大森赤十字病院退院後も毎月二回同病院に通院する必要があるとして、生涯分の通院交通費を請求し、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告は、同病院退院後も、医師の指示により、隔週毎に同病院にタクシーを利用して通院し、褥瘡及び麻痺の状況につき検査を受けていることが認められ、このことに前記認定の原告の後遺障害内容を考え併すと、原告は今後相当期間同病院に通院し検査等を受ける必要があることは容易に推認しうるところであるが、なお今後の通院の具体的必要性、頻度及び期間についてはこれを確定しえないから、右の事情は慰藉料を算定するに当たり斟酌するをもつて相当というべきである。

(九)  将来の電気代

原告は、大森赤十字病院退院後自宅で療養しているところ、褥瘡の予防のたの電気冷暖房機等を利用せざるをえず、従前に比して電気料金の負担が増加するとし、生涯分の電気料金増額分の支払を求め、成立に争いない甲第三〇、三一号証並びに証人安田志げの証言(第三回)及びこれにより成立の認められる甲第三二号証の一、二を総合すれば、原告は、大森赤十字病院退院後、自宅に設置された電気冷暖房機を用いて、夏期は発汗による褥瘡の悪化防止に、冬期は風邪の羅患防止に努めているほか、電動式のメデイカマツトにより身体に震動を与え褥瘡防止に努めている結果、特に夏季及び冬期電気料金が従前に比して増加したことが認められ、今後も右増加額の負担を余儀なくされるであろうことは容易に推認しうるが、その具体的額についてはこれを確定するに足る証拠はなく、右の事情は慰藉料を算定するに当たり斟酌するをもつて相当というべきである。

2  逸失利益

成立に争いない甲第一三、第一四号証並びに証人安田志げの証言(第一回)及び原告本人尋問の結果(同証人の証言及び原告本人尋問の結果中後記措信しない部分を除く。)を総合すると、原告は、本件事故当時三六歳(昭和一〇年一月五日生まれ)の男子で、当時大田区大森北のビル内に約九坪の店を構え、焼鳥を主体とする飲食店「末広」を従業員を置かずに営み、昭和四五年一年間に金一一六万五九五円の純益を得、妻安田志げ、長男安田政司及び実母安田やすを扶養していたことが認められる(右認定に反する証人安田志げの証言(第一回)及び原告本人尋問の結果の一部は、前掲認定に供した各証拠に照らし、にわかに措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。)ところ、前記認定の原告の後遺障害の内容に徴すれば、原告は、本件事故によりその労働能力を全部失い、終生労働に従事して収入を得ることは不可能であることは明らかである。

しかして、昭和四六年以降の一般の所得金額の増加は著しいものがあつたことは当裁判所に顕著な事実であり、口頭弁論終結に至るまでに確認しうべき叙上の事実を逸失利益を算定するに当たり斟酌するを相当というべきところ、当裁判所に顕著な労働省調査賃金構造基本統計調査報告によると、産業計・企業規模計・学歴計・全年齢男子労働者の平均年収額の昭和四六年以降昭和四九年までの対前年度のそれに対する増加率は、昭和四六年度及び昭和四七年度がいずれも一四パーセント、昭和四八年度二〇パーセント、昭和四九年度二五パーセントであり、右増加率は賃金労働者の賃金増加率であつて、これをそのまま飲食店経営者の収入の増加率とすることはできないが、賃金の増加率はその年度における企業収益の増加、物価事情、労働事情等の諸状況を反映したものとみるを相当とし、これに、前記認定のとおり、原告の場合従業員を雇用していない焼鳥を主体とする飲食店の経営者であつたことをも考慮すると、原告の年収は控え目にみても右各年度の増加率の六割を下らない増加率を右各年度において示したものと推認するのが相当であり、原告は、本件事故に遭わなければ六七歳まで三一年間にわたり稼働しえたものと推認するのが妥当であるから、以上を基礎としてライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して原告の得べかりし利益の喪失による損害の事故時における現価を算定とすると、金二、六三六万一七五円となる。

3  慰藉料

叙上認定の事実によれば、一家の支柱であつた原告は、その働き盛りに本件事故により重傷を負い、四年を超える長期の入院を余儀なくされたうえ、下部頸髄以下支配領域完全麻痺の重篤な後遺症を残し、両上肢及び頸部を除き自ら動かしうる身体部分はなくなり、その労働能力の全てを喪失したのみならず、他人の介助なしには生存すら不可能となつたものであり、これにより原告が極めて多大の精神的肉体的苦痛を被つたことは明らかであつて、その他本件に顕れた一切の事情を斟酌するとその慰藉料は、金一、二〇〇万円が相当である。

4  損害のてん補

原告が責任保険から金五五〇万円を受領したことは原告の自認するところであるから、前記1(一)ないし(七)、2及び3の各損害額の合計額金四、二四八万一、七〇九円から右受領金員を控除すると金三、六九八万一、七〇九円となる。

5  弁護士費用

成立に争いない甲第一〇号証、第一一号証の一ないし三及び証人安田志げの証言(第一回)並びに弁論の全趣旨を総合すると、被告らが本件事故による原告の損害を任意に弁済しないため、原告はやむなく本件訴訟の提起、追行を財団法人法律扶助協会を通じて原告代理人に委任し、同協会は弁護士手数料金七万円を立替支出したほか、原告は訴訟完結後報酬を支払う旨約したことが認められるところ、本件事案の内容、訴訟の経過、認容額等にかんがみると、本件事故と相当因果関係ある損害として被告ら各自に請求できる額は、金三六〇万円が相当である。

(むすび)

五 以上の次第であるから被告らは各自、原告に対し、金四、〇五八万一、七〇九円及び右金員から弁護士費用金三六〇万円を除いた金三、六九八万一、七〇九円に対する本件事故発生の日の後である昭和四九年二月九日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべく、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条及び第九三条の規定を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 武居二郎 島内乗統 信濃孝一)

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