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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)64号 判決 1980年11月06日

原告

辛基秀

右法定代理人親権者父

広田英煕

同母

辛正子

原告

広田英煕

原告

辛正子

右原告三名訴訟代理人

鬼倉典正

被告

学校法人日本大学

右代表者理事長

永澤滋

岩本英龍

本田孔久

右被告三名訴訟代理人

饗庭忠男

右訴訟復代理人

小堺堅吾

山下良章

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告辛基秀に対し、金一二四八万〇八六〇円、同広田英煕に対し、金二五六万四二二七円、同辛正子に対し金二〇〇万円およびこれらに対する被告学校法人日本大学、同岩本英龍は昭和四八年七月二八日から、被告本田孔久は同四九年一月一五日から、それぞれ各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁主文同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位

(一) 原告辛基秀(以下「原告基秀」または「本児」という。)は、父原告広田英煕(以下「原告英煕」という。)母原告辛正子(以下「原告正子」という。)間の子である。

(二) 被告学校法人日本大学(以下「被告大学」という。)は、東京都板橋区大谷口上町三〇番地において日本大学医学部附属板橋病院(以下「本件病院」という。)を経営するもの、被告岩本英龍(以下「被告岩本」という。)、同本田孔久(以下「被告本田」という。)は、いずれも原告基秀出生当時本件病院に勤務する産婦人科医であつた。

2  原告基秀の出産経過

(一) 原告正子は、昭和四五年(西暦一九七〇年)七月三〇日、本件病院において、頭位分娩にて原告基秀を出産した。同原告は、生下時の体重四、五八〇グラム、身長五四センチメートル、胸囲36.5センチメートル、頭囲36.0センチメートルのいわゆる巨大児であり、右出生に際し、右上肢分娩麻痺の傷害を蒙つた。

(二) 原告正子(西暦一九三六年、昭和一一年一二月二七日生)は、出産歴はないが、二五才と三三才の頃二度にわたり流産を経験していたところ、原告基秀を懐妊し(最終月経期間、昭和四四年一〇月二八日から五日間)、昭和四四年一二月二三日、本件病院で初診(初診時年令三三才一〇ケ月)を受け、同四五年六月五日から同月二〇日までの間は、本件病院に頸管無力症の治療のため入院して診断・指導を受け、その後も頻発に同病院に外来診察を受けていた。

同女は、元来アレルギー体質であり、妊娠末期には糖尿(四プラスを上下する強陽牲)、蛋白尿、下肢の浮腫等があり、妊娠中毒症と診断され、妊娠一〇か月目の腹囲が一〇九センチメートル(正常値は約八五センチメートル)、子宮底三八センチメートル(正常値は約三二センチメートル)であり、胎児(原告基秀)が正常より大きく、難産が予想されていた。

(三) 原告正子は、同年七月二八日午後七時ころ陣痛発来したので、翌二九日、本件病院に入院し、同日午後四時自然破水したが、翌三〇日午前〇時一〇分子宮口が全開大で、陣痛が強度となつたのに、児頭が高中在以下に下降せず、児心音悪化、産瘤増大により、児切迫仮死の状態になつた。そこで、本件病院の医師は、鉗子手術により、同日午前〇時二三分、原告基秀の児頭を娩出させ、更に、同二五分、同原告の躯体を鉗子手術もしくは肩胛用手娩出術(肩胛解出術)により娩出させた(以下「本件分娩」という。)。分娩所要時間は、二九時間三五分、出血量は九五〇ccであつた。

(四) 本件分娩の介助ないし手術は、被告岩本および同本田のほか産婦人科医竹内一成の三名の医師によつて構成され被告岩本を指導者とする担当班(「岩本班」)がこれを担当したものであるが、直接の介助ないし手術は、被告本田が単独で、あるいは、同被告と被告岩本が共同して施行したものである。

(五) 原告基秀は、右鉗子手術あるいは右肩胛解出術により、右上肢の手関節及び手指の伸筋群の固定性の麻痺を伴う右上肢分娩麻痺(以下「本件分娩麻痺」という。)を生じたほか、右側横隔膜神経麻痺を生じ、また、右後頭部に約五センチメートルの皮膚裂傷二か所、左眼窩下部圧挫創、左鎖骨骨折の傷害を負つた。<以下、事実省略>

理由

第一事実関係

一請求原因1の事実のうち、原告英煕が、同基秀の父であることを除く事実、同2(一)の事実全部、同(二)の前段の事実全部、同後段の事実のうち原告主張の妊婦の腹囲の正常値、原告基秀の難産が予想されたことを除く事実、同(三)の事実の全部、同(四)の事実のうち、被告岩本が鉗子手術、肩胛解出術を直接施術したことを除く事実、同(五)の事実のうち鉗子手術により同原告に本件分娩麻痺が生じたこと、同原告には出生時後頭部に皮膚裂傷および左頸骨々折が存したことを除く事実は、当事者間に争いがない。

二右事実と<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。

1  原告正子(昭和一一年一二月二七日生)は、過去に二五才のとき妊娠三か月で、三三才のとき妊娠七か月でそれぞれ流産した経験があるが、本児の出産は初産であつた。

同原告の昭和四五年七月二九日本件病院入院前における懐妊、入院、症状等は、被告らの主張1(一)、(二)のとおりである。

2  同原告の身長は一五〇センチメートルであり、子宮底長、腹囲、体重、血圧の推移は、(1)昭和四五年三月二日、子宮底長一五センチメートル、腹囲九二センチメートル、体重六七キログラム(以下いずれも単位の記載を省略する)、血圧一一八ないし七〇、(2)同月三〇日、子宮底長二二、腹囲九五、体重七〇、血圧一一〇ないし六〇、(3)同年四月二〇日、子宮底長二八、腹囲一〇〇、体重72.5、血圧一三〇ないし七〇、(4)同年五月一八日、子宮底長二九、腹囲一〇〇、体重七二、血圧一〇〇ないし七八、(5)同年六月四日、子宮底長三三、腹囲一〇〇、体重七三、血圧一一四ないし七〇、(6)同年七月七日、子宮底長三五、腹囲一〇四、体重七四、血圧一二〇ないし七〇、(7)同月二〇日、子宮底長三五、腹囲一〇八、体重七五、血圧一二〇ないし七〇、(8)同月二八日、子宮底長三八、腹囲一〇九、体重七四、血圧一二〇ないし七〇、(9)分娩後の同年九月九日、腹囲八五、体重六三、血圧一四〇ないし七八であつた。

3  妊娠期間中における原告正子の尿糠は、昭和四五年一月一九日陰性、同年三月三〇日(妊娠六か月当時)陽性四、同年四月二〇日(妊娠七か月当時)陽性二、同年五月一八日(妊娠八か月当時)陰性、同年六月四日(妊娠八か月末)陽性一、同年七月七日陽陰性、同年七月二〇日陽性二、同月二八日陽性三、同月三一日(本件分娩の翌日)陰性であり、糠負荷試験による血糖負荷値は、同年六月六日空腹時値九八、三〇分値一五〇、六〇分値一七四、九〇分値一五三、一二〇分値一六六、一八〇分値八八(単位はいずれもmg/dlミリグラムパーデシリットル)であり、同年七月三一日(本件分娩の翌日)空腹時値一〇六、三〇分値二一〇、六〇分値二二三、九〇分値一二八、一二〇分値九八、一八〇分値八三であつた。

また、同原告の尿蛋白は、同年三月三〇日陽陰性、同年四月二〇日陰性、同年五月一八日陽性一、同年六月四日陽性一、同年七月七日陽陰性、同月二〇日陽性二、同月二八日陽性三であり、浮腫はなかつた。

4  同原告の骨盤外計測値は、(1)昭和四五年三月二日、棘間径二三センチメートル(平均値二三センチメートル、以下の括孤内数値は平均値、以下単位は省略)、稜間径二六(二六)、大転子間径三一(二八)、側結合線一六(一五)、外結合線19.5(一九)、斜径七二二(七二一)、(2)同年七月二九日の入院時、棘間径二四、稜間径二七、大転子間径三二、側結合線一六、外結合線二〇、斜径七二二であつた。

5  同原告は、昭和四五年七月二八日午後七時ころ、陣痛発来し、翌二九日午前〇時歩行にて本件病院に入院し、午前〇時三〇分陣痛室に入室した。右〇時三〇分以後の経過は以下のとおりである。

(一) 陣痛発作時間、陣痛間敏、児心音(毎五秒の心拍数)は次の通りである。(1)右〇時三〇分の発作は二〇秒、間歇は五ないし六分、児心音は約一二回である。(2)一時から七時までは、発作は三五ないし四〇秒、児心音は略一二回、その間歇は一時から五時までは五ないし六分、六時から七時までは一〇分である。(3)八時から一六時までは、発作は四〇秒、児心音は一二回、その間の間歇は、八時から九時までが八分、一〇時から一一時までが七ないし八分、一二時が一〇ないし一五分、一三時から一六時までが三ないし四分である。(四)一六時三〇分の発作は三〇ないし四〇秒、間歇は三ないし四分、児心音は一三回である。(5)一七時から一八時までの発作は四〇ないし五〇秒、間歇は三ないし3.5分、児心音は一七時から一七時三〇分までが一二回、一八時が一一回であり、なお一九時一五分の児心音も一一回である。(6)二〇時から二三時までの発作は三〇ないし四〇秒、間歇は二ないし三分、児心音は二〇時は一二回、二〇時三〇分が約一二回(三回計測中二回が一一、一回が一二)、二一時から二三時までは一一回である。(7)二三時一〇分から四五分までの発作は四〇秒、間歇は二分、児心音は一一回である。(8)翌七月三〇日午前〇時一〇分の発作は四〇秒、間歇は一ないし二分、児心音は三回計測値が一一、一〇、一〇である。(9)〇時一五分の発作は四〇秒、間歇は一ないし二分、児心音は三回計測値が一一、一〇、一〇である。(10)〇時二〇分の発作は五〇秒、間歇は一分、児心音は三回計測値が一一、一〇、一〇である。

(二) 前記七月二九日の来院時において、外子宮口二指開大半、児頭第一頭位・未固定であつたが、一一時には、外子宮口三指開大、胎胞が形成され、羊水の流出はなく、児頭は依然未固定であつた。一四時、岩本班は、前任の分娩担当班と交替し、以後本件分娩の介助にあたることになつたが、他に石貫助産婦が立会つている。一六時には自然破水し、羊水の混渇はなく外子宮口は三指開大、児頭は未固定であつた。なお原告正子は、一九時一五分分娩室に入室した。二〇時には、外子宮口が全開大となつたが、児頭は未固定であつた。二二時一五分には児頭は第二頭位となつたが依然児頭は未固定で、産瘤が形成されてきた。同日二三時までに児頭は産道内に進入したが陣痛増強せず、陣痛促進を図るため、母体に五パーセント糠五〇〇ミリリットルにアトニン0.5単位を混じて点滴静注を開始した。同一五分、外子宮口は全開大、児頭は骨盤入口部に固定した。

翌三〇日〇時一〇分、子宮口は全開大し、児頭は固定したが、児心音はやや緩除(毎五秒一一、一〇、一〇)かつ不整、産瘤は児頭排臨を疑わせるほど増大し、児頭は陣痛の増大にもかかわらずその最大経部が骨盤上膣(高中在)にあつて下降しなかつた。

そこで本件担当医は、児切迫仮死の徴候があると判断し、急速遂娩の必要を認めたが、本件病院内に帝王切開手術を行う準備が一応整えられていたものの、これを開始するためにはなお数十分を要するため、鉗子手術を用いることにより本児を分娩させることに決定した。

このときの児頭は、第一前方前頂位(児頭大泉門は母体の右前方一〇時三〇分の方向に、小泉門は母体の左後方四時三〇分の方向にあつて、矢状縫合は骨盤の第二斜径に一致する。)であり、右頭頂後が母体の左前方に、左頭頂骨が母体の右後方に向き、児の後頭は母体の左前方に、顔面は母体の右前方それぞれに位置していた。

(三) そこで、被告本田は、まず四か所に会陰切開をしたのち、鉗子擬似(鉗子はネーゲル氏鉗子)をしてから、左葉を右手の案内のもとに挿入し、これを他の医師または石貫助産婦にもたせたまま、左手の案内のもとに右葉を挿入したが、結局左葉は三時の位置の右葉は九時の位置の横鉗子として装着した。そして、試験牽引により鉗子の滑脱のないのを確かめ、陣痛発来とともに牽引した。牽引は、まず下後方(母体腔門部方向)に牽引し、両坐骨棘線を児頭最大周囲径が通過したと思われた後、水平に牽引し、後頭結節の分娩を確かめ、更に垂直(母体恥骨方向)に牽引した結果、同日〇時二〇分、児頭発頭に至り、同二三分、児頭の三分の一ないし二分の一が出た段階で鉗子を除去し、児頭は斜位のまま娩出されたが、肩胛難産のため躯幹の分娩が困難となつた。

(四) そこで、被告岩本、同本田は、肩胛解出術を施行することを決め、同本田が、まず、児頭を手でもち母体後下方に牽引し、その後逆に前上方に牽引したが、肩胛は娩出しなかつた。そのため、同本田は、児背にそつて膣内に右手を挿入して探つてみたところ、前在肩胛が上方でひつかかつていたので、児の後在肩胛に手をそえ、母体後下方に牽引すると同時に母体の恥骨のま上の腹壁を押すことによつて、後在肩胛から娩出させることを試み、更に前在肩胛からの娩出を試みたが、いずれも成功せず、そこで、被告岩本の介助をえて、児頭を後下方に強力に牽引した結果同二五分やつと肩胛・躯幹を娩出させた。

(五) 原告基秀は、前示の通り生下時、体重四五八〇グラム、身長五四センチメートル、胸囲36.5センチメートル、児頭周囲36.0センチメートル(正常値三三センチメートル)、肩胛部径(肩幅)一三センチメートル(正常値一二センチメートル)、肩胛部周囲四二センチメートル(正常値三五センチメートル)であつたが、本件分娩に際し本件分娩麻痺のほか、右側横隔腹神経麻痺が生じ、また、右後頭部に約五センチメートルの皮膚裂傷二か所、左眼窩下部左挫創を負つていたうえ、アプガースコアー五点(中度の仮死状態)で、口唇にチアノーゼが認められた。そこで本件担当医は、本児に対し、挿管により気道の分泌物を吸引すると共に蘇生器により人工呼吸を施行したところ、その三分後には本児は自覚呼吸を、四分後には規則正しい呼吸を開始した。同三〇分、臍帯搏動が停止したので臍帯を切断し直ちに本児を産科未熟児室の保育器(酸素流量六リットル、温度二九度、湿度九〇パーセント)に収容した。本児は、その後翌三一日小児科未熟児センターへ移され、そこでも保育器に収容(同年八月一〇日まで)され、同年九月一日、本件病院を退院した。

本児には出生時本件分娩麻痺および右横隔腹神経麻痺があつたほか、低カルシウム血圧があつて四肢がケイレンしており、また、新生児持発性高ピサルビン血症を発症し(右の治療のため同年八月三日、四日交換輸血を施行)、更に右入院中に燕下性肺炎を併発したが、このうち前記各麻痺を除いてはいずれも退院時までに治癒した。

本件担当医は、本児を、前記の通り保育器に収容した際、児の右上腕に本件分娩麻痺を認めたが、本児の一般状態が好転してから整形外科の診療をあおぐことにしていた。

同原告は、翌三一日から同年九月一日までの本件病院小児科入院中において、本件分娩麻痺についてATPの注射を受けた以外に特別の治療を受けず、本件病院を退院したのち、本件病院の整形外科において、右手、肘、肩の関節の拘縮を防止するため、マッサージを受けたが、それ以外にシーネ固定等を施されたことはなかつた。

(六) 原告正子は、本件分娩により、左右各一か所の子宮頸管裂傷、左右各一か所の膣裂傷を受け、更に左右各二および中央一か所の会陰切開を受け、合計一四針の縫合がなされた。同原告は、同年八月一四日、本件病院を退院した。

第二被告岩本、同本田の責任について

一帝王切開術を怠つた過失について

原告らは、被告岩本、同本田は、原告正子の本件分娩前の状態から本児が巨大児であり、従つて本件分娩が難産となることを十分に予見しまたは予見しうべきであつたから、母児の安全をより確実に確保するため、分娩が開始された当初から計画的に帝王切開術を施行するか、しからずとするも同原告の右状態から必要に応じていつでも帝王切開術を施行できるようにその準備をととのえたうえで経膣分娩をすすめ、本件母児に危険が切迫した昭和四五年七月三〇日午前〇時一〇分の時点で帝王切開術を実施すべき注意義務があるのに、これを怠たりそのまま経膣分娩をすすめた過失により原告基秀に本件分娩麻痺を生じさせたと主張するので、この点を判断する。

1  そこでまず本件において分娩開始当初から帝王切開術を施行すべきであつたか否かを検討するに<証拠>を総合すると以下の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

(一) 巨大児の定義は固定的でなく、生下時体重四、〇〇〇グラム以上をもつて巨大児とするもの、また五、〇〇〇グラム以上をもつて巨大児とするものがあり、日本人では四、五〇〇グラム以下の児の分娩にはほとんど危険を伴わないことに鑑み生下時体重四、五〇〇グラム以上を巨大児と定義するのが妥当であるとの見解も存するが、本児は、分娩の危険を伴うという意味での巨大児であるといえる。日本では四、五〇〇グラム以上の巨大児の出生頻度は0.05パーセントであるといわれている。巨大児出生の原因としては、妊娠期間は正常であるのに児の子宮内発育が異常に急速な場合、妊娠期間の延長(分娩の発来が遅れること)がある場合、前者と後者が競合する場合があげられるが、前者の原因としては、遺伝、過食、糠尿病、赤芽球症、胎児甲状機能低下などが考えられる。本件の場合、出産予定日は昭和四五年八月四日で、本件分娩日が同年七月三〇日であるから、右後者の場合に当らず、また前者の原因として考えられるもののうち、原告正子には糠尿病以外の所見は窺えない。

(二) 前述のように、巨大児は必ずしも母体の糖尿病だけに由来するものではないが、糖尿病の合併妊婦から巨大児の出生する率が高いことは本件分娩以前から医学上の知見となつていた。

ところで、糖負荷試験数値と糖尿病との関係につき、日本糖尿病研究班第二回基準によると、五〇グラム糖負荷の場合の血糖値が最高値二〇〇(単位は前記の通りmg/dl)以上、二時間値一四〇以上を病域とし、最高値一七〇以下、二時間値一二〇以下を正常域とし、その中間を境界域とし、また一〇〇グラム糖負荷の場合の血糖値は正常域の上界を空腹時一二〇、一時間値一八〇、二時間値一三〇とし、病域の下限を一時間値二〇〇、二時間値一五〇としている。昭和四五年の日本糖尿病学会の判定基準では、一時間値(静脈血)一六〇以上、二時間値一三〇以上を糖尿病域とし、空腹時一〇〇以下、一時間値一四〇以下、二時間値一〇〇以下を正常域とし、両者の中間を境界域としている。

本件の場合、前記認定の原告正子に対する各尿糖及び糖負荷試験の成績の数値は、右日本糖尿病研究班第二回基準及び昭和四五年の日本糖尿病学会の判定基準に照らせば、同年六月六日の糖負荷試験の段階でそれらの糖尿病域の基準をわずかに超えており、少なくとも糖尿病境界域にあつたといえる。

(三) 母体腹囲と児体重及び母体子宮底長と児体重との間にはある程度の相関関係が認められるが、右腹囲は腹壁の厚さにより、子宮底長は羊水量により大きく左右されるので、これらの数値のみで児体重を予測することは困難である。

本件の場合、前記認定のとおり、妊娠末期の昭和四五年七月二八日の腹囲一〇九センチメートルは、正常値とされる数値(八八センチメートルないし八九センチメートル)に比しても過大であり、また子宮底長三八センチメートルも正常値三二センチメートルに比し過大である。

(四) しかし原告正子は、前記のように妊娠中糖尿病の境界域にあつたとはいうものの、糖尿病の既往歴はなく、また妊娠末期の昭和四五年七月二八日における同女の腹囲および子宮底長は過大ではあるが、原告正子が同年三月二日妊娠五か月で子宮の著明な増大のない当時すでに腹囲が九二センチメートル、母体重が六七キログラムと身長(一五〇センチメートル)を考慮しなくとも既に肥満であることが窺われることなどに照らせば、医学上、右各所見からは、大き目の胎児の予測はついても、胎児が巨大児とくに四、五〇〇グラム以上の巨大児であるという診断をすることは、不可能であつた。

なお、エックス線写真を利用して児体重を予測する方法もあるが、これは、胎児の全身被曝という欠点があつて、た易く用いることができない。更に、今日では超音波診断法を用いて胎児の頭部大横径を計測し、それから児体重を予測する試みもなされている。しかし、本件当時には、超音波診断装置の普及は少なく、かつ、診断基準の確立もなかつた。

(五) 原告正子の妊娠八か月当時の頸管無力症及び切迫早産は、満期産時にとくに障害になるものではなく、その妊娠中毒症は、妊娠中、尿蛋白陽性が散見される程度で、浮腫や異常高血圧もない軽症なものであつた。また、同原告の糖尿は、前記のとおり境界域にある程度であり、羊水過多症を伴うものでもなかつた。

(六) 高年初産婦とは、WHO(世界保健機構)およびFIGO(世界産婦人科連会)の定義では、満三五才以上の初産婦をいうものとしている。一方、日本産科婦人科学会産科諸定義委員会の定義によれば、満三〇才以上の初産婦(ただし、妊娠七か月以上を経験した者は経産婦と扱う。)としており、これは、分娩所要時間が満三〇才ころから延長傾向にあること、手術分娩の頻度が満三〇才を境として増加することを考慮したものである。

高年初産婦は、その分娩経過が必ずしも異常なものとは限らないが、ときに骨盤関節の硬化、子宮頸管の強靱、会陰伸展、妊娠性変化の不良のために産科手術の適用頻度が高まり従つてまた軟産道損傷が多かつたり、さらに児を危険にすることもあるので、分娩の取扱いを慎重にしなければならないものとされている。

本件の場合、原告正子は、前記認定のとおり、過去二回の妊娠経験を有しうち一回は妊娠七か月の流産経験である(日本産婦人科学会産科諸定義委員会の定義では、経産婦にあたる)が、満期産は今回が初めてであつて、しかも分娩当時満三三才であつたのだから、高年初産婦に準ずるものとしての取扱いが必要であつた。

(七) 原告正子の妊娠中の骨盤各部の骨盤外計測値はいずれも平均値を上回つていた。

2  以上の事実によれば、原告正子は、高年初産婦に準ずる者であり、糖尿病境界域にあり、妊娠中毒症の症状も呈しており、その腹囲、子宮底長は過大であつたのであるが、同原告には糖尿病の既往歴はなく、その妊娠中毒症も軽症で、羊水過多症もなく、かつ、同原告が肥満体であつて、その妊娠中の骨盤外計測値が平均値を上廻つていたのであるから、これらの事情にかんがみると、本件担当医が、同原告の分娩開始時において、同原告が巨大児を分娩すること、同原告の経膣分娩が難産となることを予測することは困難であつたというべきである。

そして、分娩は、経膣分娩が本然の型態であり、それが理想の分娩であることは多言を要しないところであり、本件においては、右説示のように分娩開始前に経膣分娩が難産となることを予測することは困難であり、他に経膣分娩が禁忌であつた事情を認めるに足る証拠は存しないから、前記事情のもとで分娩開始後当初から帝王切開術を選択施行することなく、経膣分娩による分娩をすすめた本件担当医の行為は相当であつて同医師らに原告ら主張の前記注意義務を認めることはできず、従つて、原告らの前記主張は採用しない。

3  次に前記本件分娩開始後本件母児に危険の切迫した昭和四五年七月三〇日午前〇時一〇分の時点において帝王切開術を施行すべきであつたか否かを検討する。

(一) 前記原告正子の妊娠中の所見に照らせば、本件においては難産の発生を全く否定することができないことは前記認定の通りであり、前記鑑定の結果によれば、かかる事情のもとにあつては、本件分娩を介助する医師は、経膣分娩の経過を観察しつつ、必要に応じていつでも帝王切開術を行いうる準備をととのえておくという、いわゆる試験分娩的な取扱いをするべきであつたことが認められる。

(二) 前記三5の認定事実及び前記鑑定によれば、本件担当医が鉗子手術を決定した昭和四五年七月三〇日午前〇時一〇分の段階においては、児心音が悪化する徴候を示し、前日二〇時に子宮口全開大となつてから約四時間を経過し、児頭は同日二二時一五分から二三時までの間に産道に進入したのに、その時以来少なくとも一時間以上同一箇所にとどまり、児頭が産道内で強く圧迫されていたため、次第に産瘤が増大し児頭排臨を疑わせるほどにまでなつていたこと、このような児頭下降の遷延並びに産瘤の増大からみて、次の段階には胎児死亡につな、がる重大な切迫仮死の発生が十分に予見され、三〇日〇時一〇分の段階では、何らかの急速遂娩を必要とする状況になつたことを認めることができる。

(三) そこで、右の段階で、急速遂娩術の一つである鉗子手術ないし原告ら主張の帝王切開術の適応および要約(施行できる条件)が備つていたか否か等を検討するに<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 鉗子手術の要約は、(イ) 子宮口が全開かまたはこれに近いものであること、(ロ) 児頭が鉗子正位、即ちその最大周囲径が骨盤入口部を通過し、骨盤膣内に下降固定していること、(ハ) 胎胞が既に破錠していること、(ニ) 骨盤が児頭の通過できない様な狭骨盤ではないこと、(ホ) 児頭が一定の大きさと硬さを有していること、(ヘ) 胎児が生存していることである。また鉗子手術の適応は、母児の生命に危険を及ぼすような分娩中の異常であるが、まずこのうち母の危険による適応として、(イ) 陣痛および腹圧の微弱、(ロ) 分娩経過の遷延(分娩第二期において児頭が産道の一定の部位に止まり、一時間半ないし二時間にわたるとき)、(ハ) 軟産道の圧迫症状、(ニ) 回施・定位および胎勢の異状、(ホ) 児頭骨盤不均衡などであり、児の危険による適応として、(イ) 胎児仮死の徴候(持続する児心音の減少殊に一分間一〇〇以下減少、または一分間一九〇以上の増加、頭位における胎便漏出、早期呼吸、急激な産瘤増大)、(ロ) 胎児出血、(ハ) 臍帯脱出などである。

(2) 次に帝王切開術の適応は、(イ) 母児に対する危険が突発した場合(母に対するものとして大出血、子癇、心疾患、肺疾患など、児に対するものとして仮死切迫、過熟児など)、(ロ) 自然産道からの分娩が不可能であるか危険である場合(不可能な場合としては狭骨盤、軟産道の狭窄、腫瘍など、危険な場合としては前置胎盤、静脈節、陰部感染症など)であり、また要約としては、(イ) 母体が手術に堪え得ること、(ロ) 子宮内または膣に感染がないか、あつても軽度であること、(ハ) なるべく破水前であること、(ニ) 胎児が生存していることがあげられる。なお帝王切開術の禁忌としては、(イ) 胎児が既に死亡している場合、(ロ) 奇形児である場合、(ハ) 自然産道よりの分娩が帝王切開術によるよりも母体にとつて安全であると考えられる場合があげられる一方、発熱その他感染の疑いのある場合にはかつては危険であると考えられていたが、最近ではサルファー剤や抗生物質によりこの場合にも安全に行えるようになつたとされている。

(3) 鉗子手術における母体の予後は、子宮口・膣壁・会陰・前連合の各裂傷、出血、感染があげられ、児の予後は、軟部損傷、脳圧迫、骨損傷陥、頭蓋内出血、眼損傷、頸部損傷(エルプ麻痺)、耳殻損傷があげられる。一方帝王切開術の予後としては、臓器(膀胱と腸管)損傷、腹腔内癒着、子宮破裂、妊娠力の低下があげられる。そして鉗子手術における母体の死亡率は、0.4パーセントないし0.54パーセント、児の死亡率は報告者により種々であるが大病院で一〇パーセント前後、実地医家で五パーセント前後であり、帝王切開術における母体死亡率は二ないし三パーセント、児死亡率は保存的手術では7.5ないし11.5パーセント、根治的療法では22.0ないし27.2パーセントといわれる。

(四) そこで、本件について鉗子手術及び帝王切開術の各適応、要約を考えてみると、前記鑑定の結果によれば、前記認定のとおり、前記本件担当医において本件鉗子手術を決定した時点において、本児は生存しており子宮口は全開大であり、既に破水し、児頭の最大周囲径は骨盤入口を過ぎ骨盤濶上腔(高中在)にあつて固定しており、児の通過が障害されるほどの産道の狭窄もなく、かつ児頭の大きさ、硬さは鉗子不適合ではなかつたから、鉗子手術の要約を具備していたというべきであり、また、児心音、産瘤増大により児切迫仮死の徴候が認められたから右手術の適応も一応具備していたものと認められ他方、この児切迫仮死に至る徴候は、帝王切開術の適応でもあり、また前記時点において、本児が生存していることおよび原告正子が同手術に堪え得ない状態であつたとも認めることはできないから、同手術の要約をも具備していたものと認めることができ、鉗子手術帝王切開術が禁忌である事情は窺えない。

(五) ところで、<証拠>によれば、

(1) 近年では、児頭が骨盤濶部特に濶上膣にある場合には、帝王切開術の方が鉗子手術より無難であるとして帝王切開術を選択施行する医師も多数存すること、

(2) 鉗子手術は、濶部鉗子の操作が鉗子挿入の面でも牽引の面でも高等な技術を要し、それだけ母児に傷害を与える危険性が高いこと、

(3) しかし、一方児頭が骨盤濶部に嵌入している場合の帝王切開術も危険を伴うものであること、即ち、(イ) 腹式で児を娩出させようとする際には、骨盤内に嵌入した児頭が出にくいため時間がかかりかえつて児を重症仮死に陥らせたり、強い力を用いるため児を損傷することもあること、(ロ) このような例では、術を終えるまでに破水後長時間経過していることが多いので重症の産褥感染の危険が大きいこと、(ハ) 手を用いても器具を用いても骨盤内に深く嵌入した児頭を子宮外に娩出させようとする際には、手術切創が子宮側方に向つて拡大しやすく、そのため子宮動・静脈を損傷して大出血をおこしたり、膀胱を損傷して、膀胱膣瘻のような後遺症を残すこともあること、

(4) もつとも、帝王切開術による母体の死亡率は過去一〇年間に五ないし六パーセントから二ないし三パーセントに下降し、更に現在では0.1ないし0.35パーセントとともいわれ、これは、化学療法、輸血の進歩によつて感染と出血による死亡が減少したことによるものであること、

(5) 従つて、一般に児頭が骨盤濶部にある場合、鉗子手術、帝王切開術のいずれを選択すべきかは、一概には決定できず、そのときの母体合併症、胎児危険切迫の程度(それが帝王切開術の準備を待てる程度かどうか)、麻酔医、助手、看護婦、設備、手続準備などの諸問題、術者の技量など種々の条件によつて、鉗子手術か帝王切開術のいずれかを選択すべきであること、

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(六) 以上の認定事実によれば、本件においては、前記のとおり急速遂娩を要する状況に至つた同月三〇日〇時一〇分の時点において、鉗子手術によつて経膣分娩をすすめるか帝王切開術を実施するか、いずれを選択するかの判断は、被告岩本、同本田の自由裁量の範囲にあるものと解せられ、同被告らが、帝王切開術を開始するにはなお数十分を要するところから、鉗子手術を採用し帝王切開術を選択しなかつたことに過失があるということができない。

二鉗子手術施術上の過失について

原告らは、被告岩本、同本田は、本件分娩において、鉗子の右葉を原告基秀の右側後頭部、左葉をその左側顔面にそれぞれかけて牽引し、一般産婦人科医の医療水準をはるかに下まわる技術で、極めて粗暴に鉗子手術を実施した過失により、原告基秀に対し本件分娩麻痺を生じさせたと主張する。

そこでまず本件分娩麻痺が被告本田ら本件担当医の施行した前記鉗子手術によるものであるか否かを検討する。原告基秀が本件分娩の際、右上肢分娩麻痺(本件分娩麻痺)のほか右側横隔膜神経麻痺の損傷を受けたこと、左眼窩下部圧挫創および右後頭部二ケ所に長さ約五センチメートルの創傷を受けたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件分娩麻痺は、手関節と手指の伸筋群の麻痺を伴うものであり、また、原告基秀に横隔膜神経麻痺が生じているところからすれば、同原告は、本件分娩の際、頸部から鎖骨部にかけて連続して存在する第三ないし第八頸神経根及び第一胸神経根(C3ないしC8、D1)の損傷を受けたこと、これらの損傷は、頸部の当該箇所を圧迫した場合にも生じないこともないが、むしろ当該箇所を牽引することによつて生ずるというのが整形外科の常識となつていること、(神経は圧迫されても、特定の場所を除いては神経自体が移動する、神経は、体中の柔らかい組織中に存するので、多少押しても麻痺は起らず、また、神経圧迫の場合の麻痺は直るものの方が多いこと)、本児に左眼窩下部圧挫創と右後頭部切創が存することは、その部位の位置関係から、これらの位置にそれぞれ鉗子の両葉が装着されたことを示すものと考えられること、本件鉗子手術を行つた際、児頭が大きく高中在にあり、かつ、軟産道による児頭圧迫により産瘤が増大していた状況において、右手術に使用した肉厚で短いネーゲル鉗子を児の頸部から更に鎖骨部まで深く挿入・装着することは、著しく困難であり、まず考えることができないこと、また、鉗子の構造上、仮に鉗子の一方の葉が頸部に装着されたとしても、他方の葉がこれより浅い左眼窩部に装着されることはありえないし従つてそのまま鉗子の牽引をすることは不可能であることが認められ右認定に反する証拠は存しない。そして判右事実に前記認定の本件鉗子手術に次いで行われた肩胛解出術の経過、前記鍵定の結果に照らせば、本件分娩麻痺は、鉗子手術によるものと認めることは困難であつて、被告本田及び同岩本が前記認定のとおり本児の肩胛を肩胛解出術によつて娩出させた際、巨大な本児の肩胛を娩出させるため種々の試みをした後児頭を母体後方に強力に牽引したときに児の右側頸部が過度に伸展し、そのため頸神経根、第一胸神経根を損傷したことによつて生じたものであると認めることができる。

そうすると、本件分娩麻痺が鉗子手術により生じたことを前提とする原告らの右主張は失当であつて採用しない。

三肩胛解出術施術上の過失

原告らは、被告岩本、同本田が昭和四五年七月三〇日午前〇時二三分、鉗子手術により原告基秀の児頭を娩出させた後、同二五分、肩胛解出術を実施するにあたり、同児の頸部を過度に伸展させた過失により、同原告に本件分娩麻痺を生じさせた旨主張するので、以下検討する。

本件分娩麻痺が鉗子手術により本児の児頭娩出後これに引続いて肩胛・躯幹娩出のために施行された肩胛解出術の際の頸部牽引によるものと認められることは前記説示の通りである。

そこで、右頸部牽引について、肩胛解出術を担当した被告岩本、同本田らに過失があつたか否かについて判断する。

本児の児頭周囲は、三六センチメートル(平均値三三センチメートル)、肩巾は、一三センチメートル(平均値一二センチメートル)、肩胛周囲は、四二センチメートル(平均値三五センチメートル)であり、本児の児頭娩出二分後に肩胛解出術により同児の肩胛・躯幹が娩出をみたことは前記認定の通りである。前記三5(三)、(四)の認定事実、<証拠>によれば、児頭周囲と肩巾周囲は、二ないし三センチメートルの差異であるのが通常で、本児のようにその差異が六センチメートルもある例は稀であり、本件担当医らも以前には経験したことがなく、肩巾周囲がかように異常なものであることは、本児の児頭娩出直後に判つたもので、全く予測していなかつたこと、通常は児頭が娩出されれば次いでおこる陣痛、腹圧、膣収縮によつて一気に肩胛および後続躯幹が娩出されるものであること、しかし児頭娩出後肩胛の娩出が遅れれば、児の肺呼吸阻止と臍帯圧迫により顔面がチアノーゼを呈し、そのまま放置すると児は低酸素症ないし無酸素症となり、やがて脳障害・死亡に至る(二ないし三分間脳に酸素の供給が行われないとかかる結果となる)こと、そこで、通常は児頭娩出後次の陣痛等を待つことなく産婦に軽く腹圧を加え、児頭を牽引して肩胛を娩出させていること、肩胛解出術は、このような通常の分娩によつて肩胛が娩出しない場合に行われるものであり、その手順は、術者において両手で児頭を握持し、母体後方(腔門部方向)に牽引して母体前方(恥骨方向)に位置する児の前在肩胛を娩出させ、次いで児頭を母体前方に牽引して母体後方にある児の後在肩胛を娩出させることによつて行うものであること、本件の場合、本児の児頭娩出後躯幹娩出まで二分を要しているが、この時間は経験的に極めて長いものであつて、このことからみても、本児の肩胛娩出が甚しく困難であり、術者の強力な肩胛解出術の施行を必要としたこと、被告本田、同岩本が前記認定の肩胛解出術を施行しなければ、本児は死の結果を招くであろうことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

以上の事実に照せば、被告本田、同岩本が本児の肩胛・躯幹を娩出させるにあたり、肩胛解出術を施行し、その際、児頭を強力に母体後方に牽引したことは、本児の肩胛が巨大であつてその娩出が著しく困難であり、右のような行為に出なければ本児が死亡するに至ることが明らかであつた以上、本児の生命を守るためにやむを得ない行為であつたというべきであり、その結果、本児に本件分娩麻痺が生じたとしても、被告岩本、同本田の右行為には過失がないというべきである。そして、本件分娩に際し原告正子に子宮頸管裂傷、膣裂傷等の傷害を受けた一事をもつて右肩胛解出術が手技未熟、粗暴であつたことの証左とすることはできず、他に右被告らに右肩胛解出術施行上の過失を認めるに足りる証拠はない。

四被告岩本が同本田に手術を委ねた過失について

原告は、被告岩本が前記肩胛出術の施術を同本田に委ねたことをもつて被告岩本の過失であると主張するが、右肩胛解出術は被告岩本も同本田を介助して行なわれ、右術について被告本田の過失が認められない以上、右原告の主張は採用することができない。

五本件分娩麻痺の治療上の過失について

原告らは、被告岩本、同本田が産婦人科医としての通常の注意義務を尽くし、原告基秀に生じている本件分娩麻痺が重篤であることを発見すべきであり、かつ、これを発見したときは、同原告の右腕をギプス固定ないしシーネ固定すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、最初からマッサージのみを施行した過失により、本件分娩麻痺を固定させた旨主張するので、以下検討する。

被告岩本、同本田が、原告基秀に対し、本件分娩麻痺の治療のためにギプス固定ないしシーネ固定をなさなかつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告基秀は、出生後、本件病院において、本件分娩麻痺の治療としてギプス固定ないしシーネ固定を受けたことがないこと、上腕神経叢の分娩麻痺の治療については、外国では、かつて右麻痺が発見された場合には直ちに副子により敬礼位固定(シーネ固定)する方法が採用されていたが、昭和初めころから反省期に入り、同四三年ころ、アルラーは、装具による固定は不要であり、その代わり頻回に運動させることを主張していること、わが国においては、同年一月、上位型の上腕神経叢麻痺に対し、生後発見次第できるだけ早期に上腕を敬礼位固定(シーネ固定)するのがよいとの報告(島田信宏「新生児主梢神経麻痺例の検討」産婦人科の実際一七巻一号、甲第三五号証)があつたが、右報告は症例数が六例と極めて少数である点に問題があり、同四四年一一月には、外転副子や敬礼位副子を無原則に装用することには関節拘縮の危険性があり、むしろ・他運動を励行すべきことが指摘されており(第一二回手の外科学会における大谷〓ら「分娩麻痺二一症例の報告」臨床雑誌整形外科一九六九年一一月臨時増刊号、乙第一五号証)、同四五年一〇月以後には、分娩麻痺の初期数日は、神経叢の過伸展をゆるめるような位置に上肢を外転位にしておき、損傷神経の組織的治癒機転の起るのをまち、それ以後の治療については、装具または副子による固定が必要であるとの説と必要を認めないとの説とに分かれる旨が報告されていること(原徹也「幼・小児の肩周囲の損傷と処置」災害医学第一四巻、乙第一三号証)が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。医師がつくすべき医療行為は、行為当時の一般的医療水準によつて決定されるべきものであるところ、右認定事実によれば、上腕神経叢の分娩麻痺に対して、ギプス固定あるいはシーネ固定を行うことは、必ずしも本件分娩当時の医学上の一般化した治療行為であるとはいえず、また、原告基秀に対し被告岩本、同本田が右治療方法を用いていれば、本件分娩麻痺が固定しなかつたと認めるに足りる証拠もないので、右被告らが右治療行為を行わなかつたことをもつて過失であるとの原告らの主張を採用することはできない。

第三結論<省略>

(黒田直行 桜井登美雄 長秀之)

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