東京地方裁判所 昭和49年(刑わ)854号 判決 1974年9月11日
主文
被告人を懲役四年に処する。
未決勾留日数中七〇日を右本刑に算入する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は
第一 公安委員会の運転免許を受けないで、昭和四九年二月一一日午前零時五四分ころ、埼玉県和光市白子一丁目一番二号付近道路において、普通乗用自動車を運転した
第二 前記日時ころ、業務として前記自動車を運転し、前記場所先の信号機により交通整理の行なわれているY字型交差点を、成増方面から谷原方面に向かい直進するにあたり、およそ自動車運転に従事するものは、かような場合交差点の対面信号機の信号表示並びに警察官による停止の合図等に留意し、これに従うのはもちろん、前方左右を注視し進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、対面信号機が赤色の燈火信号を表示しているのを知りながらあえてこれを無視し、後方より自車を追跡して来るパトカーより逃れるため、且つ進路右側の通称オリンピック道路上の谷原方面への進行車両に気をとられて、漫然前方注視不十分のまま時速約五〇キロメートルで同交差点内に進入した過失により、同交差点内で赤色の合図灯を表示しつつ被告人運転車両に停止を求めるため接近して来た警視庁石神井警察署勤務警視庁巡査福原敬(当時二四年)に気付かず、同人に自車を衝突させてボンネット上にはね上げた上、路上に転倒させ、よって同人に脳幹部損傷等の傷害を負わせ、同人をして同日午前六時二五分ころ、東京都練馬区貫井一丁目四八番四号所在丸茂病院において、右傷害により死亡させた
第三 前記日時・場所において、自車を前記福原敬に衝突させて同人に前記傷害を負わせ死亡させる交通事故を起こしたのに
一 直ちに車両の運転を停止して右福原敬を救護する措置を講じなかった
二 前記事故発生の日時・場所等法律の定める事項を、直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかった
ものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(累犯前科)
被告人は、昭和四四年六月一七日東京地方裁判所において詐欺、道路交通法違反、有印公文書偽造、同行使の罪により懲役二年に処せられ、昭和四七年四月一五日右刑の執行を受け終ったものであって、右の事実は、前科調書、判決書謄本によりこれを認める。
(法令の適用)
判示第一の所為につき 道路交通法六四条、一一八条一項一号(懲役刑選択)
判示第二の所為につき 刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号(懲役刑選択)
判示第三の一の所為につき 道路交通法七二条一項前段、一一七条(懲役刑選択)
判示第三の二の所為につき 道路交通法七二条一項後段、一一九条一項一〇号(懲役刑選択)
累犯加重 刑法五六条、五七条
併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条によりもっとも重い判示第二の罪の刑に加重
未決勾留日数の算入 刑法二一条
訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項本文(量刑の事情)
本件は、事案の態様に鑑み、業務上過失致死傷事件の中では異例ともいうべき重刑を科すこととなったが、以下そのよって来たるゆえんを述べたいと考える。
前掲各証拠を総合すると次の様な事情が認められる。
(一)被告人はこれまで運転免許を取得したことはないまま無免許運転を反覆していたところ昭和四四年六月一七日東京地方裁判所において、無免許運転並びに、これを隠蔽せんがため勤務先の部下のもつ免許証に自己の写真を貼りかえるなどして行った有印公文書偽造同行使の罪をその理由とする前記の判決の言渡を受け、昭和四七年四月一五日その刑の執行を受け終ったが、同年九月には早くも自ら、自動車を購入し、以来、毎日のように無免許で車を乗り回していた。(二)昭和四九年二月一〇日夜、被告人は、帰宅后、妻が不在のため自己所有の判示記載の自動車を運転してすし屋に行き、すし、清酒二本を飲食し、さらに、同日午后九時三〇分過ぎころ、友人に誘われるまま、右自動車を運転して板橋区成増所在のバー「タイガー」に赴き、同店前に車をとめウイスキー水割一杯を飲むなどし、同日午后一二時ころ帰宅のため前記自動車に乗り発進しようとしたが、操作を誤り、車の右前輪を道路端の段差に落下させ、その場に居合わせた数名の者とともに車を押し上げていた。(三)同店付近所在の志村警察署成増派出所勤務の池ノ谷巡査は、右場所に多数の人間がたむろしていることに不審を抱きその場に急行したが、被告人は同巡査を見て急に車をバックさせたので、不審を抱いた同巡査は被告人に停止を命じ免許証の提示を求めたが、さらに同車内に酒臭がしたので、被告人に飲酒の有無を尋ねるとともに酒酔い運転の疑いでさらに免許証の提示を求めた。ところが被告人はこれに応じることなく、いきなり車を急発進させ、川越街道を池袋方向に向け逃走しはじめた。同巡査は同車を追いかけ、運転席右辺で止るよう声をかけたが、被告人は「うるせい」と怒鳴りつけ、そのまま逃走した。(四)池ノ谷巡査は、警ら用無線乗用車(パトカー)に被告人の追跡を託し、パトカー乗務の佐伯巡査らは被告人に対してマイクで停止を呼びかけつつこれを追跡した。被告人は右パトカーの追跡を逃れんがため、赤信号を無視し、見通しの悪い交差点における右左折を繰返して巧みに逃走をはかった。その距離は、本件事故現場に至るまで約三キロメートルに及ぶ。そのため、本件事故地点の交差点(通称土支田交差点)手前約二〇〇メートル付近で同巡査らは一時被告人車両を見失ってしまった。(五)石神井警察署土支田派出所勤務の福原巡査は、被告人車両が成増方向より土支田方向に向け逃走中である旨の緊急無線指令を受け、手配車両を検問し停止させるべく赤色合図灯を持ち同派出所より同僚の井上巡査とともに駆け出した。被告人は判示の経緯で本件事故を惹起し、その後道交法所定の救護等の措置をとることなく現場から逃走した。その后も被告人はパトカーの追跡を受けながらも逃走を続け、新宿区の早稲田大学正門付近で右折進行中狭い路地に入り、前方に駐車車両があったため進行できなくなり自車を遺留したまま逃走した。そこに至るまでの被告人車の逃走距離は合計約一七キロメートルにも及ぶ。
思うに、頻発する交通災害の防止は、全国民の願いである。そのためには、道路交通環境の整備、交通規制の充実強化など行政当局の手による客観的交通条件の改善向上に待つところが少なくないが、それと共に、現実に自動車運転に従事する者の規範意識、運転人格を信頼し、これに期待するところも又大である。勿論、交通事犯は、一般刑事犯罪とは異り、およそ自動車運転に従事する全ての国民が不測の事故惹起の可能性をもつといわざるをえず、その夫々が社会にとって有為な働き手であるわけであり、その罪とされる行為自体も日常の業務遂行あるいはその生活運営の過程で犯されるものであって、しかも、事柄はまさに瞬間的な過失であるから、現行刑罰法体系上占める過失責任の在り様からいって、一般的にこれに厳罰を以て臨むことが必ずしも適切でない場合も少くない。
しかし、被告人たりうる者の層が広汎であると同時に、被害者たりうる者の層はそれにも増して広汎である。いうなれば、およそ国民の全てが日常不断に交通災害の危険にさらされているといってよい。偉大な先進文明を謳歌する現代人は、皮肉にも、この膨大な文明の利器の大群の谷間で、いつの間にか現にこれを操作し走行させるドライバーの運転人格と規範意識とをひたすら乞い願うことなしには一日といえども安隠には生活しえない事態に立ち至っている。そうだとすれば、その事故に至る経緯とその直接的原因、事故そのものの態様とその結果等を総合的に判断して、その行為のもつ危険性の強さと、それのもたらしたところの結果の重大性とのために、已むをえず当該運転者に対し、厳しい非難をさし向けざるをえない場合のあることを能く否定し得る者はいないであろう。まして、自動車の一般通常の走行の過程における一瞬の不注意に起因するものとは評価しえず、事柄を客観的にみて、あたかも自動車を兇器として用い、現在要求されておるところの交通モラルと、交通警察を中心に営々と展開されている交通規制とに対し、根底からこれに立ち向かったと評価せざるをえないような運転者に対しては、高速度交通機関を運転する者にあるまじき行為として、過失犯ではあってもあたかも故意犯に準じた程度の厳しい非難を浴せないわけにはいかない。いわば、自動車に代表される高速度交通機関は、その者の技術と、その運転態度の如何によっては、瞬時にして兇器と化し、誰彼なしの不特定多数国民に対し、不測の異常なる危険を拡散し現実化する性能を本来保有しているがためにそれに従事する者自体を厳重に資格制限し、その運転方法をも細目に亘って定め、それを犯す者に対しては、路上における現場交通規制によって迅速にこれを摘発し排除し、もってはじめて全体の安全にして円滑なる交通がはかられ、その結果として国民の生命、身体の安寧が保障されておるのが現実であって、かような法規、交通規制の一切合切を無視し、それにより重大なる結果を惹起せしめた場合には、それに相応した厳しい非難が向けられるのもまた已むを得ないところである。
これを本件についてみるに
被告人は(一)無免許運転をその一つの内容とする実刑前科があるのに常習的に自己所有車による無免許運転を反覆し、(二)本件も又、無免許で、(三)飲酒の上(但し起訴されていない)、(四)警察官に免許証の提示を求められても「うるせい」とこれを振り切って逃走し、(五)パトカーに追跡され、停止を求められても停止せず、(六)高速度で赤信号を無視し、前照灯を点滅させつつ約三キロ逃走し、(七)本件交差点の赤信号を無視し、信号待ちのため停止中の塚田車両を追い越して本件交差点に進入し、(八)そのため赤色合図灯により被告人車両を停止せしめんとした福原巡査に衝突、負傷させ、その結果同人を死に致し、(九)そのまま何らの道交法上の措置をとることなく現場より逃走し、(十)再び、ライトを点滅させつつ且つ赤信号を無視しつつ合計約一七キロメートルに亘って逃走したものであって、その運転態度は、極めて危険且つ悪質のものというほかなく、現行交通法規に基く交通規制にその根底から立ち向かったものと評価せざるをえない。
他方で本件被害者は、職務遂行のため、身を挺して赤色合図灯により被告人車両に停止を求めたものであって、被告人車が、それに従い停止してくれるであろうとの信頼をもっていたにせよ、これを弁護人のいう如く被害者の過失とは到底評価することはできないものがある。
被害者は未だ前途有為の若年の身であったが、その遺族の被害感情は強く、その父親は当法廷において被告人の行為を鋭く糾弾しその心情を吐露した。被告人は保釈出所后、一応の努力をした形跡はあるが、被害感情の強度なためか一度も被害の事后的填補の話し合いはなされていない。
以上の諸事情を総合勘案すると、被告人に対しては、その行為とそれにより生じた結果とに照らし、あたかも故意犯に準じた非難を量刑上加えても左程に不当とは考えられない。
よって、主文のとおりの刑を言渡す次第である。
(裁判官 秋山賢三)