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東京地方裁判所 昭和49年(合わ)151号 判決 1974年11月07日

主文

被告人を懲役二年六月に処する。未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四五年一月東京都公安委員会の大型自動車運転免許を受けた後同年六月田島土木株式会社の自動車運転手兼資材置場管理人となつて自動車運転業務に従事していた者であるが、右業務の一環として昭和四九年五月二日東京都世田谷区にある工事現場に資材を取りに行くため、車体の長さ9.78メートル、車体の幅2.5メートル、車体の高さ3.24メートル、車両の重量七五九〇キログラム、最大積載量六二五〇キログラムのキヤブオーバー型大型貨物自動四輪車(左右各後輪はダブルタイヤのもの。以下「被告車」という。)を運転して、千葉県印旛郡四街道町から東京都世田谷区に向かつていたが、その途中首都高速道路環状線に入り、その内回り車道(二本の車両通行帯から成る。)の内右側(被告車の進行方向に向かつて右側をいう。以下「左側」又は「右側」という場合はすべてこれに同じ。)の車両通行帯内で北方の竹橋方面から南方の霞が関方面に向け約六〇キロメートル毎時の速さで被告車を走行させていたが、同日午前七時一〇分ころ同都千代田区北の丸公園一番地先の千代田トンネルの手前(北方)約三〇〇メートルの地点で前記右側車両通行帯上を約五〇キロメートル毎時の速さで霞が関方面に向け南進していた森節夫(昭和二九年一月六日生)運転のキャブオーバー型普通貨物自動四輸車(車体の長さ4.36メートル、車体の幅1.69メートル、車体の高さ1.93メートル、乗車定員三人、車両総重量二九六五キログラムのもの。以下「森車」という。)に追いつき、森車を追い越すため左側車両通行帯に被告車を入れようとしたが同通行帯内の走行車両の流れに切れ目がなかつたためやむを得ず被告車の速さを約五〇キロメートル毎時に落としつつ右側車両通行帯内で森車に追随して(被告車と森車との間に約七メートルの車間距離を保ちつつ)被告車を走行させ、この状態で被告車が約二〇〇メートルも走行したのであるが、かかる状態での走行中被告人は、森車がその前方(南方)には先行車両(南進車)がないので加速可能の状況であるにもかかわらず加速しないこと(但し、この地点での前記内回り車道内の走行車両に対する指定最高速度は五〇キロメートル毎時である。)と森車は比較的容易に左側車両通行帯に入り得る状況であるにもかかわらず森車が同通行帯に入ろうとしないこととのため被告車を前記追随状態のまま走行させざるを得ないことに立腹し始めていたところ、前記追随状態での走行が約二〇〇メートルに達したころ被告車が左側車両通行帯に入り得る状況になつたので被告人は被告車を左に移行させて同通行帯に入れて同通行帯内で被告車を約六〇キロメートル毎時の速さで南進させたが、こうして被告車が同通行帯に入つたころ被告人は、以上の立腹の結果「約六〇キロメートル毎時の速さで南進中の被告車が約五〇キロメートル毎時の速さで南進中の森車の左側に出たとき被告車の車体右側を森車の車体左側に急激に(但し、被告車と森車との衝突は生じない程度に)接近させ、もつて、森車の車内にいる者を驚かせ、これにいやがらせをし、更に、文句を言つてやろう。」と考え被告車が前記左側車両通行帯で直進の態勢に入つてから間もなく(そのときは被告車は、約五〇キロメートル毎時の速さで前記右側車両通行帯を、その右側にある中央帯((但し道路構造令六条七項にいわゆる分離帯))の左側を構成するガードレールとの間に余り間隔を置かずに南進していた森車との間の左右の間隔を約一メートル位に保ちつつ森車の後方約二メートルの地点を南進していた。)約六〇キロメートル毎時の速さで南進中の被告車を大きく右に移行させ、もつて走行中の被告車の車体右側を走行中の森車の車体左側に至近距離(自動車運転業務従事者としての被告人が森車と被告車との衝突を回避するための適正なハンドル操作をなし得る最終段階をいう。以下同じ。)まで接近させ、前記森節夫と屋久和実(昭和二六年九月六日生)と萩原貞次(昭和二七年九月二八日生)との三名(いずれもそのとき森車内にいた者)に対して暴行を加えたが、右暴行開始地点(被告車の右移行開始地点)の前方(南方)は前記内回り車道が左にカーブしており、このことは被告人も被告車の右移行開始の前にあらかじめ承知していたところであり、従つてこの右移行の最中前記カーブの状況及び前記カーブと被告車との位置関係を確実に把握するための前方注視を完全にしていなければ被告車が(このカーブに則応しつつ走行する)森車と衝突しそのため森車が前記分離帯を超えて前記環状線外回り車道内に進出して同車道内を走行中の車両と衝突するかも知れず、このことは自動車運転業務従事者としては当然予想していなければならないところであるから、この右移行の最中被告人としては前記カーブに即応しつつ被告車のハンドル操作を(被告車が、このカーブに即応しながら走行する森車と衝突しないように)適確に行うため前記カーブの状況及び前記カーブと被告車との位置関係を確実に把握するための前方注視を完全にしていなければならないという業務上の注意義務があるのに被告人はこれを怠り、前記右移行の最中(森車と被告車との左右の間隔が約0.3メートルになつた際)森節夫に文句を言うため森車の運転台の方にのみ目を向け前記前方注視をほとんどしておらず、その結果被告人のハンドル操作が不適確となり、この被告人の前記暴行行為と右過失行為との結果、被告人は被告車の車体右側面を森車の車体左前部に衝突させ、そのため森車は前記分離帯の左右両側を構成する二本のガードレールを乗り越えて前記環状線の外回り車道内に進出してしまつたが、ちようどそのとき、右車道内で森車のすぐ南方の地点で西尾健司(昭和二五年八月二四日生)運転の普通乗用自動車(以下「西尾車」という。)が約四〇キロメートル毎時の速さで北進していたため森車の車体左前部が西尾車の車体前面に激突し、この衝撃により、西尾車の中にいた西尾誠一(大正一一年一一月二二日生)は頭蓋骨骨折頭蓋内損傷の傷害を、西尾健司は同日から同月一〇日までの入院加療を要した(同月一六日現在通院加療中である)顔面挫創及び切創・両膝部挫創・前胸部挫創及び切創の傷害を、森節夫は昭和四九年六月一六日までの加療を要した左膝挫傷・頭部外傷・左第二中足骨骨折の傷害を、屋久和実は昭和四九年八月二四日までの加療を要した右大腿部打撲・右下腿骨骨折・右下腿挫創の傷害を、萩原貞次は全治までに約一箇月を要した左上眼瞼切創・左上腕挫傷・両下腿挫創・左第四、五趾挫創の傷害をそれぞれ受け、更に西尾誠一はその受けた前記傷害により前記衝突事故後間もなくこの衝突現場から東京都千代田区麹町一丁目八番地所在の米川外科病院に至るまでの間に死亡したものである。

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は、「森車の車内にいる者にいやがらせをしてやろう。」という意図の下に被告車の車体右側を森車の車体左側至近距離に接近させた点が森節夫と屋久和実と萩原貞次との三名に対する暴行の故意に基づく暴行行為に該当し、右暴行行為とその最中における判示過失行為とにより右三名にいずれも傷害を負わせた点はそれぞれ刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号所定の傷害罪に該当し、右三名に対する前記暴行の故意に基づく前記暴行行為とその最中における判示過失行為とにより西尾健司に傷害を負わせた点も刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号所定の傷害罪に該当し、森節夫と屋久和実と萩原貞次とに対する前記暴行の故意に基づく前記暴行行為とその最中における判示過失行為とにより西尾誠一を死亡させた点は刑法二〇五条一項所定の傷害致死罪に該当するところ、右は、一個の行為で五個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い西尾誠一に対する傷害致死罪の刑で処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち六〇日を右の刑に算入することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(山本卓 清野寛甫 矢村宏)

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