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東京地方裁判所 昭和50年(ヨ)2215号 決定 1975年3月29日

申請人(別紙選定者目録記載の選定者吉森春美ほか四名の選定当事者) 吉森春美

右訴訟代理人弁護士 片桐敏栄

同 丸井英弘

同 渡辺泰彦

被申請人 株式会社ジャパンジャーナル社

右代表者清算人 広瀬優

右訴訟代理人弁護士 伊札勇吉

主文

一  別紙選定者目録記載の五名の選定者ら(以下、選定者らという。)が被申請人に対し労働契約上の地位を有することを仮に定める。

二  被申請人は申請人に対し昭和四九年一二月一日以降毎月末日限り本案判決確定に至るまで別紙賃金目録記載の金員を仮に支払え。

三  訴訟費用は被申請人の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

申請人は主文同旨の裁判を求め、被申請人は「申請人の被申請人に対する申請を却下する。訴訟費用は申請人の負担とする。」旨の裁判を求めた。

第二当事者の主張

申請人の主張は要するに、被申請人(以下、会社ともいう。)が昭和四九年一一月二二日付でした会社解散を理由とする選定者らの解雇(以下、本件解雇という。)は、真実会社の営業を廃止する意思がないのに組合活動をした選定者らを排除するために一時的に解散を装ってなされたものであるから不当労働行為であり憲法二八条、労働組合法七条一号、民法九〇条に違反し、明らかに解雇権の濫用であって無効であるというにある。

これに対し、被申請人の主張は要するに、会社は経営が赤字続きで極端に悪化したため、やむなく営業を中止する目的で解散決議をして本件解雇を行なったものであるというにある。

第三当裁判所の判断

一  本件疎明資料によれば次の各事実が一応疎明される。

1  会社は英字の経済株式新聞たるザ・ジャパン・ストック・ジャーナル(以下、ジャーナルという。)等の編集、発行等を業とする株式会社であって、具体的には右ジャーナルを週一回発行(部数四、〇〇〇部)するほか、海外旅行手帳等の編集、制作、販売を行なっているものである。

2  選定者水野は昭和四八年九月二六日、同田村は同年一〇月一八日、同板倉は同年一二月一日、同八田は昭和四九年三月四日、同吉森は同年三月二六日会社に雇用されたものであるところ、右選定者らは昭和四九年一一月二二日会社から会社解散を理由に解雇する旨の意思表示を受けた(本件解雇)。

ところで、選定者らは本件解雇前、会社から別紙賃金目録記載の各賃金を毎月末日限り支給されていたが、会社は昭和四九年一二月一日以降右賃金の支払をしない。

3  選定者らは新聞発行に伴う残業や深夜労働等の労働条件の問題につき、会社に改善を求めるべく、昭和四九年四月二日、当時会社の社長であった大谷保に対し①女子の深夜労働の廃止、②時間外手当の支給、③申請人田村、同板倉の試用期間の不当延長をやめて正社員とすることを要請した。

4  昭和四九年四月五日会社は、当時経理を担当していた選定者水野に対し突然新聞編集を担当するように命じた。

5  同年五月一三日選定者らの申告にもとづき中央労働基準監督署の調査官が会社を調査に来て、会社に労働条件の改善勧告をしたことがあったが、その後会社の男性社員が選定者らに対し「労働基準監督署に訴えたのは誰だ。」「君たちのリーダーは誰か。」などと社長の考えを代弁するような詰問を職場でした。

6  同年六月二五日会社は前記4のとおり一旦新聞編集へ担当替していた選定者水野に対し、同年六月二六日付で経理の担当に戻るように命じた。右命令を同水野が拒否したところ会社は同年六月二六日同人に対し、七月二五日付で解雇する旨の意思表示をした。

7  選定者らは選定者水野の前記解雇を撤回するよう大谷社長と何回も交渉したが、聞き入れないので組合を結成して交渉する以外にないと考え、同年七月一六日選定者ら五名でジャパンジャーナル社労働組合(以下、組合という。)を結成したうえ、同月二二日会社に対し組合結成の通知をすると共に選定者水野の解雇問題およびその他の労働条件に関して団体交渉をするよう申し入れた。右申し入れによりその後三回にわたる団体交渉が行なわれたが、その結果同年七月二七日会社は選定者水野の解雇を撤回し、同日今後労働条件の問題については労務担当の職制である板倉宏(会社の代表権はない。)を通じて話し合う旨の協定書が作成された。

8  組合は女子の深夜労働、残業手当の未払、試用期間の不当延長および六月の定期昇給の不履行等の労働条件の問題が依然として改善ないし解決されていないので、昭和四九年九月一八日これらの要求を一〇項目にまとめて団体交渉申し入れ書と共に会社に提出した。しかるに、会社は組合の右要求に対し満足な回答を全くしなかったのみでなく、大谷社長は前記労働条件の問題に関するその後の団体交渉には一度も出席せず、会社を代表する資格のない前記板倉を出席させるのみで、責任ある地位の者を出席させないので正規の団体交渉を開催することはできなかった。

9  しかるところ、同年一一月一三日になって会社は前記一〇項目の要求に関する団体交渉に始めて応じ、同日、選定者田村につき試用期間の不当延長の事実を認め、六月の定期昇給を実施することを確約した。そして会社はその他の組合の要求項目については次回の団体交渉期日たる同年一一月二〇日に回答する旨を約束した。ところが、第二回の団体交渉予定日である右一一月二〇日、会社側からは何の連絡もないまま誰も団体交渉の席に姿を見せなかった。

10  同年一一月二一日選定者らが出社したところ、新聞関係の書類、事務用具および組版等が何者かによって社外に持ち出されていた。翌一一月二二日午前一一時半頃、同年八月以降病気加療中とのことで会社に姿を見せなかった大谷社長が突然会社に現われ、選定者らを含む全従業員に対し「昭和四九年一一月二一日の臨時株主総会において解散決議がなされたので社員全員を解雇する。」旨の社告を読みあげ、解散の理由は営業不振による旨述べた。そして、会社は同年一二月一一日解散登記を了した。

しかし、従前、営業不振であるとの事実が会社から選定者ら従業員に対して説明されたことは一度もなく、今までの団体交渉の席上もそのような話は全くされたことがなかった。

11  同年一二月一二日近衛ビル一階のガラス戸に「過激な労働組合のために一時業務をストップしていましたが今回再開することになりました。近所のみなさんには御迷惑をおかけいたしましたが今後ともよろしくお願いします。ジャパンジャーナル社」との貼り紙がしてあった。

12  会社は解散したという前記一一月二一日以降も引き続きジャーナルを間断なく毎週発行しているほか、新聞、テレビ、ラジオの広告料金掲載の雑誌である「メディア・データー」という専門媒体誌の昭和五〇年三月号に、ジャーナルの広告料金および宣伝広告を載せる旨の申し込みをしている。

なお、会社は昭和五〇年二月二六日会社の新聞部門を東京都中央区八丁堀四丁目三番地一二号所在の桜川コーポ四〇一号室に移し、新聞発行に必要な活字等一切の設備を同所へ持ち込んでジャーナルの出版業務を行なっているが、右四〇一号室の郵便受には「Bプレス(株)寮」との表示があるのみで会社名を記していない。同年三月八日選定者吉森らが同コーポ四〇一号室を訪れたところ、会社の新聞部係長である滝沢の机の上に「桜川コーポ四〇一号室にある電話はあくまで外部には秘密にしておくこと」等を記したメモが置いてあった。

13  本件解雇前、会社の従業員は選定者ら五名を含めて合計一四名(取締役を除く。)いたが、本件解雇は前記10のとおり全員解雇であるはずであるのに、選定者らを除く九名のうち二名(栗原、山中)は右解雇の際にそのまま退職しているものの、その余の七名は昭和五〇年三月現在従前どおり会社で勤務しており、会社は更に新入社員三名を採用して営業を続けているものである。

二  前記の事実経過、とりわけ本件解雇は団体交渉継続中になされたものといえること、会社は団体交渉予定日に欠席したうえ、その二日後に会社解散を理由に本件解雇をしていることおよび会社は従業員全員を解雇したといいながら、組合を結成した選定者ら五名を除く従業員(そのうち二名は前記一13のとおり退職した。)を従前どおり勤務させて、営業を本件解雇前から間断なく継続していることをみれば、会社は組合活動(前記一の事実によれば選定者らは正当な組合活動をしていたものということができる。)を活発に行なってきた選定者ら五名を排除するために、真実営業を廃止する意図がないのに解散決議ならびに解散登記をして、一時的に営業閉鎖を装い、全員解雇だと称して選定者らを解雇したものであることが明らかである。

したがって、本件解雇は不当労働行為に当たるものといわざるをえないから無効である。

被申請人は、会社は真実赤字経営であってやむなく解散したものである旨主張し、右赤字経営であることの疎明として疎乙一ないし三号証を提出するが、右疎明は申請人提出の疎明に照らすと俄に措信し難いものであるうえ、かりに赤字経営の事実があったとしても前記一で疎明された事実経過に照らせば何ら前記認定を左右するものではない。

三  本件疎明資料によれば、選定者らは、会社より支給される賃金を唯一の生活手段とする労働者であることが疎明されるから本件仮処分を求める必要性を肯認することができる。

四  よって、申請人の本件仮処分申請は理由があるから訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 中田昭孝)

<以下省略>

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