東京地方裁判所 昭和50年(ワ)10845号 判決 1979年5月30日
原告
東京都
右代表者知事
鈴木俊一
右指定代理人
大下健治
同
大嶋崇之
被告
橋本恒夫
右訴訟代理人
倉田哲治
同
鈴木一郎
同
山岡正明
同
浅野憲一
同
高橋耕
主文
一 被告は原告に対し、金一〇五〇円及びこれに対する昭和四二年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 主文第一項同旨
2 被告は原告に対し、
(一) 別紙物件目録(一)記載の建物を明渡し、かつ、昭和五〇年二月二五日から右明渡済みに至るまで一か月金二一〇〇円の割合による金員を支払え。
(二) 別紙物件目録(三)記載の建物を収去して同目録(二)記載の土地を明渡せ。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求はいずれもこれを棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 原告の請求原因
1 別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件住宅」という。)は公営住宅法(昭和二六年法律第一九三号。以下「法」という。)の第二種公営住宅、東京都営住宅条例(昭和二六年条例一一二号。以下「条例」という。)の第二種東京都営住宅(以下「都営住宅」という。)に該当し、その敷地の一部である同目録(二)記載の土地(以下「本件土地」という。)とともに原告の所有に属する。
2 原告は、条例に基づき被告の本件住宅の使用を許可し、被告に対し、家賃一か月二一〇〇円、毎月末日限りその月分を支払うとの約定で賃貸し、被告は昭和三三年七月二五日から同住宅に入居している。
3 被告は、昭和四一年当時既に本件住宅を引き続き三年以上使用していたものであるうえ、昭和四〇年において、公営住宅法施行令(昭和二六年政令第二四〇号。以下「施行令」という。)一条三号(昭和四二年政令第一〇五号による改正前のもの。以下同じ。)により計算した月額収入として二万五〇〇〇円をこえ四万五〇〇〇円以下の収入をえていた。
ところで、法二一条の二(昭和四四年法律第四一号による改正前のもの。以下同じ。)第二項、施行令六条の二(昭和四三年政令第三〇七号による改正前のもの。以下同じ。)第二項、付則(昭和三七年政令第二一四号)五項(昭和四三年政令第三〇七号による改正前のもの。以下同じ。)、条例一九条の三(昭和四三年条例一一五号による改正前のもの。以下同じ。)(以下、右法令及び条例をまとめて「割増賃料規定」という。)によると、当時、都営住宅を引き続き三年以上使用している使用者は、当該都営住宅の家賃のほか、第二種都営住宅については、使用者の月額収入が二万五〇〇〇円をこえ四万五〇〇〇円以下である場合には、右家賃に付加率0.1(条例所定の付加率は0.2であるが、原告は、当時、これを0.1に軽減していた。)を乗じて得た額(一〇円未満の端数は切捨。)の割増賃料を支払わなければならない旨定められていたので、原告は、昭和四一年一〇月二二日、同月一日付住管発第一七九五号をもつて昭和四一年度収入超過認定通知書を送付する方法により、被告に対し、同年一一月一日以降、一か月につき二一〇円の割増賃料を徴収する旨を通知し、同通知は同年一〇月二二日ころ被告に到達した。
4 しかるに、被告は昭和四一年一一月一日から同四二年三月末日までの割増賃料合計一〇五〇円(以下「本件割増賃料」という。)の支払をしないが、これは法二二条一項二号、条例二〇条一項二号に定める住宅の明渡請求事由に当たる。
5 都営住宅の使用者は、法二一条四項により、事業主体の長の承認を得ないで当該公営住宅を模様替し、又は増築することができないとされ、また、条例一五条四号により、当該都営住宅の敷地内に工作物を設置しようとするときは知事の許可を受けなければならないとされており、これに対する違反は、法二二条一項四号、条例二〇条一項五号により右住宅の明渡請求事由とされている。
しかるに、被告は、昭和四九年七月初旬ころから二か月ほどかけて、原告の許可を受けないで、本件住宅の敷地である本件土地上に、構造は鉄骨兼木造、屋根は亜鉛メツキ鋼板葺で床下を長さ二メートル余りの六本の鉄骨により支えた高床式の居宅である別紙物件目録(三)記載の建物(以下「本件建物」という。)を建築し、現に同土地を占有している。
6 そこで、原告は被告に対し、同年一二月二七日到達の内容証明郵便でもつて昭和五〇年一月三一日までに本件割増賃料を支払うこと及び本件建物を収去して原状に回復するように催告をしたが、被告はこれに応じなかつたので、そのため、原告は、同年二月二一日付内容証明郵便でもつて被告の本件住宅使用許可を取り消して同住宅の明渡をするよう請求し、同郵便は同月二四日被告に到達した。
7 よつて、原告は被告に対し、本件割増賃料一〇五〇円及びこれに対する支払期日を経過した昭和四二年四月一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払並びに本件住宅及び土地の所有権に基づき、本件住宅の明渡と本件賃貸借契約の終了した日の翌日である昭和五〇年二月二五日から右明渡済みまで一か月二一〇〇円の割合による家賃相当損害金の支払及び本件建物の収去本件土地の明渡を求める。
二 請求原因に対する被告の認否及び主張
(認否) <省略>
(主張)
1 原告が本件割増賃料請求の根拠にしている割増賃料規定は、次のとおり、憲法に違反し、無効である。
(一) 公営住宅の使用関係は基本的には私法上の賃貸借契約であり、割増賃料の徴収は、一定の超過収入基準以上の収入のあることを原因とする賃料の増額請求にほかならないところ、借家法の適用のある民間の賃貸住宅においては収入の増加は賃料増額の理由とされていないのに対し、公営住宅は住宅に困窮する低額所得者の保護のために設置管理されるものであるのに、このように民間の賃貸住宅と区別して収入の増加を賃料増額の理由とすることにはなんら合理的理由がなく、公営住宅の居住者を差別してこれを不利益に取扱うものというべきであり、原告が本件割増賃料の徴収の根拠にしている前記諸規定は憲法一四条に違反するものとして無効である。
(二) また、割増賃料制度は昭和三四年法律第一五九号による法の改正により創設されたものであるが、右割増賃料は、右改正により新設された法二一条の二第一項、条例一九条の二(昭和四三年条例第一一五条による改正前のもの。以下同じ。以下「明渡努力義務規定」という。)により公営住宅の明渡努力義務を課せられた入居者がその義務を履行しないことを理由に賦課されるものであり、その意味で割増賃料は明渡努力義務懈怠に対する制裁金性格のものであり、両者は表裏一体の関係にあるところ、右明渡努力義務規定は、以下に述べるように都営住宅の使用者の憲法上保障された居住権を侵害する遺憾なものであり、したがつて、これと前記のように一体の関係にある割増賃料規定も違憲無効なものというべきである。
(1) 住居は、人間の生命、健康を保持する場であるのみでなく、安らぎの場であり、労働力再生産の場であり、また、地域社会における人間関係形成、維持の場であり、ひいては人間の経済、文化生活の基盤をなすものである。国民がかかる住居を保持しうる権利、すなわち居住権は、憲法二五条一項の生存権の一種として、同法一三条にいう生命、自由及び幸福追求に対する権利として、また、同法二九条の財産権の一種とし、憲法上保障されているものというべきである。そして、被告は本件公営住宅を原告から賃借し、居住権を現に亨有しているのであり、この居住権は右憲法の各規定による保障を受けるものというべきである。
ところで、居住権が憲法上の生存権の一種であり、住居ないし居住に関する法体系が社会法の性格を有することに鑑みると、居住権は、権利としての意味をもつためには、居住の本質に根ざした次の三つの要素、すなわち、健康で文化的な生活を営むに足りる住居の保障、居住の継性、安定性の保障及び居住の対価の規制が必要不可決なものというべきである。
(2) 明渡努力義務規定及び割増賃料規定は、施行令及び条例で定める収入基準を超える収入超過者に対し、明渡努力義務を課し、その不履行者に対し割増賃料の支払義務を課しているが、人の収入ないし所得は可変的なものであり、種々雑多な要因により絶えず変動する極めて不安定なものである。しかも、右収入基準は、配偶者をも含む同居親族の所得をも合算するものとされているから、その振幅は極めて大きく、不安定性は一層高まることになる。所得のある親族が一名増加することにより、「低額所得者」から「収入超過者」、さらには明渡を請求される「高額所得者」へと変転することは稀有な事態でなく、また、その逆への変転も容易に起こりうるものである。このように、絶えず変化する収入を基準として、都営住宅の使用者に対し、明渡努力義務を課する前記諸規定は、居住権の本質的要素である居住の安定性、継続性を脅し、実質的には前記憲法の諸規定によつて保障された居住権を侵害する違憲なものというべきであり、したがつて、明渡努力義務規定と一体の関係にある割増賃料規定も違憲無効なものというべきである。
(3) 明渡努力義務規定及び割増賃料規定は、その立法理由及び規定そのものに以下のような不合理が存在し、しかも、公営住宅の使用者の居住権を侵害するものであるから、違憲無効なものというべきである。
(イ) 明渡努力義務規定及び割増賃料規定は、次のような理由、すなわち、法が、低額所得者に対して低家賃の住宅を供給することを目的としているにもかかわらず、一方においては、収入が著しく低額である者が第二種公営住宅にも入居できない事態が生じているとともに、他方においては、入居後収入が増加し、既に低額所得者とはいえない者が、依然として低廉な家賃で公営住宅に入居している事態が相当見受けられるので、これを是正するためという理由にづいて立法されたものである。しかしながら、右理由は以下述べるように不合理なものである。
先ず、前記立法理由は、入居資格のある住居困窮者が多数存在するとの事実を前提としているが、かかる事実は存在しない。すなわち、都営住宅の入居が許されるためには、一定の収入が存在することが要件とされているのであるから(施行令五条、条例五条一項四号)、総ての住宅困窮者に入居資格があるわけではなく、また、右要件を充足する者であつて、公営住宅より劣悪な住宅に現に居住するか、もしくは、全く住居のない住宅困窮者は皆無である。
また、収入超過者も本質的には法にいう住宅に困窮する低額所得者であり、公営住宅法によつて救済されるべき対象たる人々である。したがつて、仮に、前記立法理由が想定した公営住宅に入居資格のある住宅困窮者が実在したとしても、この者の救済は、新たに公営住宅を建設してすべきものであり、既存の公営住宅を所与、絶対のものとして、収入超過者の存在のゆえに公営住宅に入居できない低額所得者が存在するものとする立法理由には合理性がないものというべきである。
(ロ) 明渡努力義務規定及び割増賃料規定には、次のような不合理性がある。
施行令五条と六条の二を比較すると、入居の際の収入の基準を一円でもこえれば、当該使用者に明渡努力義務の生ずることが明らかである。したがつて、使用者は、容易に、収入の基準を超過し、明渡努力義務を負うに至り、昭和五一年度においては、都営住宅二〇万九一三戸のうち、調査済戸数が一六万五四五〇戸あり、うち割増賃料戸数が七万六五三八戸、三年以上の使用者のうち四六パーセント以上の者が明渡努力義務を負うという異常な事態となつている。これは明らかに、明渡努力義務の生ずる基準が低過ぎるために発生したものであり、このような事態が極めて不合理であり、居住権を侵害するものであることは明らかである。
また、前記規定は、三年以上の居住者を対象としているが、これは、居住権の本質的要素である継続性及び安定性を損うことは明らかである。
(三) 明渡努力義務規定及び割増賃料規定は、前記のように昭和三四年法律第一五九号による法の改正により設けられたものであるが、右改正前においては、公営住宅は入居者に払下げられるのが原則とされ、居住者からの請求があれば事業主体にその払下げに応じなければならない法律上の義務があり、使用者にはそれに対応した居住権があつたところ、右改正はこれを一方的に何らの補償なくして剥奪したものであるから、前記諸規定は、公営住宅入居者の居住権を保障した憲法二五条及びその財産的価値の保障を定めた憲法二九条一項に違反する無効なものである。
2 仮に、割増賃料規定が右1において主張したように違憲でないとしても、右規定が被告に適用されるものとすれば、その限度で違憲なものというべきである。すなわち、被告は、本件割増賃料の請求を受けた昭和四一年一〇月ころにおいては、生活に余裕なく、勤務する会社内でも決して高くない給料で一家四人の生活を支えていたものであり、このような被告に対して割増賃料を課するとすれば、法二一条の二第二項が「割増賃料を徴収することのできる」とし、事業主体たる地方公共団体の裁量を許す規定となつているのであるから、適用上憲法二五条、二九条に違背するものというべきであり、また、条例一九条の三が「付加使用料を納付しなければならない」と定め、裁量を許さない規定となつているのであるから、条例自体右憲法の規定に違背するものというべきである。
3 仮に、被告に本件割増賃料の支払義務があるとしても、次のとおり、その支払をしないことを理由に本件住宅の明渡請求をすることは許されない。すなわち、割増賃料の徴収は、前述のとおり、借家法上の賃料増額請求の性格を有するもので、右増額請求とは単にその要件、手続、増額の限度を異にするにすぎないから、事業主体と使用者との間に割増賃料の当否又はその額について紛争があるときには、使用者は正当と認める賃料を支払うことによつて不履行の責を免れるものであり(借家法七条二項)、使用者がこのように不履行の責を免れるときには、事業主体は法二二条一項二号に基づく明渡請求をなしえないものと解すべきところ、被告は、原告の本件割増賃料の徴収の適否を争う一方、正当な賃料として従前の賃料額である一か月二一〇〇円の割合による金員を、昭和四一年一一月分から昭和四二年三月分までは原告に支払い、同年四月分以降は、原告を被供託者として適法に供託しているから、被告は家賃の支払について債務不履行の責任を負うものではない。したがつて、原告は被告に対し、法二二条一項二号に基づき本件住宅の明渡を請求しえない。
4 次に、原告は、被告の本件建物の建築は法二一条四項、条例一五条四号に違反する旨を主張するが、公営住宅の使用関係は、前述のとおり、基本的には私法上の賃貸借契約にほかならず、その契約内容は当事者の合意により決せられ、右の法、条例は公営住宅の事業主体である地方公共団体の内部的準則にとどまり、直接に当事者の法律関係を規律するものではない。
5 仮に、右主張が認められず、被告の本件建物の建築が法二一条四項、条例一五条四号に違反するものであつたとしても、次のとおり、原被告間の信頼関係を破壊するとは認め難い特段の事情がある。すなわち、
(一) 被告が原告から賃借した本件住宅の間取りは別紙図面(三)記載のとおりであり、入居した当初は妻と二人だけであつたため、居住にさしたる不自由はなかつたが、昭和三四年一月に長女、次いで昭和三六年六月に長男が生まれて四人家族になり、長女が高等学校一年、長男が中学一年に進学した昭和四九年ころには、子供が被告夫婦の寝所で試験勉強をせざるを得なかつたり、思春期を迎えた長女は便所で着替えをすることを余儀なくされる有様となり、このままでは家族の私生活の秘密を守ることはもとより、人間的な生活を営むことが無理な状況になつていた。また、夏は狭いため暑苦しく、来客時には、応接する場所に事欠く状況であつた。
(二) そこで、被告は、やむをえず、本件建物を建築したが、その規模は、別紙図面(四)のとおり約六畳と四畳半の二間からなり、床面積は約19.80平方メートルであつて、本件住宅の庭の面積43.12平方メートルの2.17分の一程度にすぎず、その建築に当つては、本件住宅を毀損しないよう右のように庭の一部を利用して建増しの方法をとり、また、本件建物を容易に収去できるように配慮した。すなわち、本件建物は六本の鉄骨を支柱にして建物の本体を空中に支えるいわゆる高床式であるが、右支柱と土中のコンクリート及び建物の本体とは、いずれもボルト締めで、溶接はされておらず、また建物本体は木造のプレハブ様の組立式のもので、壁も土壁ではなく、ベニヤ板の上に化粧板を張りつけたものにすぎず、取壊して原状に回復するのは極めて容易な構造になつている。そして、本件建物を高床式にした理由は、本件住宅が四戸一棟の長屋式建物の一戸であるところ、すでに被告方の東隣りの家が南側に増築していたため、それに並んで低床式の建物を建築すると、道路を隔てて南側にある隣家の臭気抜きから出る臭気が残留するのでそれを避け、また、高床式であると、本件建物の日影は隣家の屋根上に落ちて影響がなく、また、通風がよく本件住宅の維持保存にも適していることを考えたためであり、これまで近隣の者から日照や通風を阻害されたという苦情を受けたこともない。
(三) 更に、本件住宅のある都営第五練馬北町三丁目住宅には二六〇戸の都営住宅があり、そのうち木造住宅は一九四戸、簡易耐火住宅は六六戸であるが、右の団地全体における増築状況は、増築をしている戸数が二二七戸、増築が認められなかつた戸数が一七戸、不明のもの一六戸であり、大半の者が増築をしているものでその平均増築面積も一戸当たり約12.83平方メートルに及んでいる。この面積は、被告の建築した本件建物の面積と比べても大差がなく、本件建物の面積より広い増築例も木造住宅で四二戸、簡易耐火住宅で九戸の例があり、前者の最高増築面積は44.55平方メートル、後者のそれは25.608平方メートルである。しかも、これらの増築のほとんどは原告の許可を受けないでした無断増築であるが、原告はこの事実を黙認している。そして、このような無断増築は右の都営住宅団地だけでなく、練馬区、東村山市及び久留米市内などにある他の都営住宅団地においてもみられるところであり、こうした現状の下では、被告の本件建物の建築を許容したとしても、これにより他の居住者が追随をするということは考えられない。
6 仮に、以上の主張がいずれも認められないとしても、被告は、昭和四〇年四月、本件住宅のある都営住宅団地の自治会副会長になつて都営住宅に居住する使用者の居住権を確保するための諸問題に取り組み始め、昭和四七年に全国公営住宅払下促進連合会(「公住連」と略称されている。)が結成されてから以降は、右全国公住連とその地方組織である東京都公住連及び練馬区公住連の各事務局を担当し、次いで理事長に就任して公営住宅の払下げ促進をすすめることにより、公営住宅居住者の居住権を確保するための運動を続けている者であるところ、本件住宅の明渡請求は、前述のとおり、大半の都営住宅居住者が無断増築をし原告もそれを黙認している状況の中で、原告の住宅政策に反対し批判的な団体、すなわち公住連の役員である被告に対して差別的に明渡の請求をするものであるから、法の下の平等を保障した憲法一四条に違背するものというべきであり、また、その明渡請求権の行使は、権利の濫用に当たる。
三 被告の主張に対する原告の認否及び反論
1 被告の主張1(一)ないし(三)の事実のうち、明渡努力義務規定及び割増賃料規定が被告主張のとおりの立法理由に基づいて制定された事実は認めるが、その余の主張はいずれも争う。
公営住宅は住宅に困窮し、真に公的援助を必要とする低額所得者のために建設されるもので、それ故に家賃についても低廉なものにするように制限されている。居をそして、住宅に困窮して公営住宅への入切望しながら入居することのできない低額所得者が多数存在している現状において、一定の収入超過基準を超過した使用者を引き続き低廉な家賃のままで入居させておくことは、不当にその者を優遇することになつて適当でなく、使用者の収入の増加に応じ一定限度で家賃を増額して適正な家賃負担をはかるのはかえつて公平の原則上の要請であり、また、原告が被告に対し、本件住宅の払下げを約したことはない。したがつて、法二一条の二、施行令六条の二、同令附則五項、条例一九条の三は、憲法一四条、二五条、二九条一項に違反するものではない。
2 同2の主張は争う。
3 同3のうち、原告が被告から、昭和四一年一一月分から昭和四二年三月分までの本件住宅の家賃(ただし、本件割増賃料を含まない、それ以外の家賃として)月額二一〇〇円を受領している事実は認めるが、右が家賃の支払いとして債務の本旨にしたがつた履行であるとの主張は争う。
割増賃料は、法及び条例により、従前の家賃のほかに特別に認められたもので、その徴収、請求については借家法の適用はなく、従前の家賃を支払つたとしても、割増賃料の支払がなければ、家賃の支払につき、債務の本旨にしたがつた履行があるものとはいえない。
4 同4の主張は争う。
法は、公営住宅の管理上必要とする事項を直接定め、あるいは地方公共団体の条例に委任している。公営住宅の入居者は、法及び条例の定める諸規定、諸条件を承知のうえで入居の申込をしたものというべきであり、法及び条例は、公営住宅の使用関係について、事業主体たる地方公共団体及び入居者の双方を拘束するものである。
5 同5(一)ないし(三)のうち、本件住宅の間取りが別紙図面(三)記載のとおりであり、被告の入居したのち二人の子が生まれたこと、本件建物が鉄骨の支柱により支えられた高床式の建物で、壁は土壁でないこと、本件住宅は四戸一棟の建物の一戸であること、本件建物の床面積が19.80平方メートルであること、都営住宅の中には増改築をしているものがあること(ただし、その大半が大幅な増改築をしている点は除く。)はいずれも認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。原告と被告間の信頼関係を破壊するとは認め難い特段の事情があるとの主張は争う。
都営住宅の使用者がその敷地内に工作物を設置しようとするときその他条例一五条二号、四号に該当する場合の知事の許可の基準は、東京都営住宅条例施行規則(昭和二七年規則第一六〇号。以下「施行規則」という。)一四条二項がその大綱を定めており、原告はその具体的な運用の基準を、一戸建、長屋建、共同住宅の種別、専用敷地の有無、広狭、隣戸への影響及び環境等を勘案し、木造住宅については10.0平方メートル以内、簡易耐火構造平家建住宅については3.3平方メートル以内と定めている。しかるに、被告が建築した本件建物は、その面積において原告の右基準をはるかに上回つた規模のもので、また高床式のものであるため、周囲に圧迫感を与えたり、日照、通風を阻害し、その支柱の鉄骨も鉄製のボルトでコンクリートの基礎に固定されているなどのため、本件建物を取壊して原状回復をするには多大の経費及び労力と相当の日時を必要とする。また、被告は、原告から再三にわたり是正指導を受け、昭和四九年八月には工事の中止と鉄骨等の除去を指示され、同年九月六日には、現場に工事中止を命ずる立札も立てられたのにこれを無視して工事を続行し本件建物を完成させたものであり、これを放置すれば他にもこのような違反者が続出し、都営住宅の管理上支障をきたすおそれがある。したがつて、原告と被告間の信頼関係が破壊されていないとはいえない。
6 同6のうち、被告の経歴は不知、その余の事実は否認する。本件請求が憲法一四条に違背するものであり、また、本件住宅の明渡請求権の行使が権利の濫用に当たるとの主張は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一本件賃貸借契約の成立等
1 請求原因1の事実及び同2のうち、被告が原告から本件住宅を賃借し、昭和三三年七月二五日から同住宅に入居している事実は、いずれも当事者間に争いがない。
2 そこで、公営住宅の使用関係の法的性質について考える。
公営住宅は、地方公共団体が国の補助を受けて、住宅に困窮する低額所得者に対し、低廉な家賃でこれを賃貸することにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的として建設されるものであつて(法一条、二条)、その使用関係は公の営造物の利用関係として公法的な一面を有することを否定しえないところであり、これを特定の個人に使用させるには、法一八条に基づいて事業主体の長による入居者の決定を必要とし、これは行政庁が法令に従つてする形式的行政処分にほかならないけれども、いつたん使用許可を受け入居した者と事業主体との法律関係は、入居者が他人所有の建物に居住しその利用の対価として家賃を支払う関係にある点で私人間の家屋賃貸借関係となんら異なるものではなく、このことは、法が、賃貸(一条、二条)、家賃(一条、二条、一二条ないし一四条)等私法上の賃貸借契約に通常用いられる用語を使用していることからも明らかである。したがつて、公営住宅の使用関係については、公営住宅法及びこれに基づく条例のほか、民法、借家法の適用があるが、前示のとおり、公営住宅は、住宅困窮者に低廉な住宅を与え、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与するという社会政策的見地から立法されたもので、同法は公営住宅の右目的に鑑み、その管理上必要する特別の規定(第三章)を直接に設け、あるいは条例に委任している(二五条)のであるから、その範囲で、同法は民法、借家法の特別法としてそれらに優先して適用されるものというべきである。
3 また、事業主体と入居者の権利義務は、法及び条例に特別の規定のない限り、一般の家主と借家人の権利義務と同様であるが、法(一二条ないし二三条の二)は、公営住宅の使用関係について、前示公営住宅建設の目的にそうよう家賃の決定、敷金及びこれらの変更、家賃等の徴収猶予、修繕義務、入居者の募集方法、資格選考、家賃等の報告、変更命令、保管義務等について詳細な規定を設けて規制をし、これに基づき条例(三条ないし二二条)も使用許可、使用申込、使用者選考、使用手続、使用料の決定、徴収等について具体的な内容を定めているものであつて、公営住宅の入居者はこれら法令によつて定められた諸条件を承知のうえ一種の附合契約を締結するものと解することができる。それ故、右条例は単なる原告の内部的準則にとどまるものではなく、原告と被告間における本件住宅の使用関係を規律する拘束力を有するものというべきである。
そして、原告が被告に対し本件住宅を賃貸したのは条例に基づいてしたものであるところ、<証拠>によれば、第二種都営住宅である本件住宅(この点は当事者間に争いがない。)について、被告の入居当時、条例九条二項により都知事の定めていた家賃は一か月二一〇〇円であるとの事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。そして、条例一一条三項は、家賃及び割増賃料の支払は、毎月末日までにその月分を納付しなければならないと定めている。
二本件割増賃料の支払請求について
1 請求原因3前段のうち、被告が昭和四一年当時において本件住宅を引き続き三年以上使用していた事実及び同後段のうち、被告が原告から、原告主張のとおり、本件割増賃料徴収の通知を受領した事実は、いずれも当事者間に争いがない。
2 そして、<証拠>によれば、昭和四一年当時において都営住宅を引き続き三年以上使用している使用者について、法二一条の二、施行令六条の二、同令附則五項、条例一九条の三は、第二種都営住宅の場合、当該都営住宅の使用者の月額収入が二万五〇〇〇円をこえ四万五〇〇〇円以下である場合には、当該住宅の本来の家賃のほか、それに付加率0.1(ただし、条例上は0.2と定められていたが、原告は軽減措置を購じ0.1にしていたものであつた。)を乗じて得た額の割増賃料を支払わなければならない旨を規定していたものであり、被告の昭和四〇年中の給与収入総額は五〇万五〇〇一円以上七八万六六六六円以下で、被告には妻及び未成年の子二名がいたところ、施行令一条三号(昭和四二年政令第一〇五号による改正前のもの。以下同じ)に基づいて求めた月額収入は二万五〇〇〇円をこえ四万五〇〇〇円以下であつたとの事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
3 そこで、割増賃料規定が憲法一四条に違反する旨の被告の主張について検討する。
<証拠>によれば、次の事実が認められる。すなわち、
(一) 公営住宅法は、前示のとおり、住宅に困窮する低額所得者に家賃の低廉な住宅を与えることにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的として昭和二六年に制定されたものであるが、同法には当初、公営住宅に入居するための資格のひとつとして入居者の収入を考慮する規定(一七条二号)があつただけで、入居後における収入の増加を問題にする規定はなかつた。法二一条の二の割増賃料制度は、その後昭和三四年の改正(同年法律第一五九号)により、同条一項の明渡努力義務の規定とともに新設されたものであり、割増賃料に関する条例一九条の三は、明渡努力義務に関する条例一九条の二とともに、法の右条項に基づいて設けられたものである。法及び条例に右各規定が新設されたのは、深刻な住宅難の状態が続くなかで、昭和三四年ころには、多数の低額所得者が収入の点では法の定める公営住宅の入居資格を有しながら公営住宅不足のためそれに入居することができない状況にあつた反面、公営住宅の入居者中には入居後に収入が増え、民間の借家や公団住宅の家賃を支払つてもなお余裕のある生活を維持できる経済状態になりながらも、依然として家賃の安い公営住宅に居住し続けるという現象が生じたため、このような不合理を改善し、公営住宅利用の本来の趣旨を貫くとの見地からされたものであつた(右の法改正と、改正の立法理由が右のとおりであることは当事者間に争いがない。)。
そして、<証拠>によると、右改正における立法理由とされた事実は、右改正当時はもとより、その後においても存在していると認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) 右改正は、公営住宅に引き続き三年以上居住している使用者で、公営住宅の種類に応じた一定の収入超過基準をこえる収入のある者に対し、当該公営住宅を明渡すように努力する義務を課すとともに、当該公営住宅の明渡をしない場合には、一定の限度内で割増賃料の支払義務を課したものであるが、右の両制度は、いずれも収入超過基準を超える者に対しては国及び地方公共団体による補助を一定の限度をこえてする必要はないとの考えに立脚し、相互に共通するものがあるけれども、明渡努力義務は使用者の公営住宅における居住の安定を無視しえないところから公営住宅の明渡を使用者の任意の履行に期待するものであるのに対し、割増賃料制度は、公営住宅の使用者が収入超過基準を超える収入を得るに至つたときに、地方公共団体が、右収入を得る以前において使用者に対してしていた公的補助、すなわち、公営住宅の賃料と当該公営住宅に類似した場所における同種、同程度の民間住宅の賃料との差額の負担を、一部その必要性が無くなつたものとして打ち切り、この部分を賃料として徴収することとしたものというべきであるから、両制度は、別個独立のものであつて、割増賃料が明渡努力義務懈怠に対する制裁金的性格を有するものであるとはいえない。なお、昭和四一年当時における条例所定の収入超過基準は、第一種都営住宅につき四万五〇〇〇円、第二種都営住宅につき二万五〇〇〇円で、割増賃料額算定のために当該都営住宅の家賃に乗ずる付加率は第一種都営住宅につき使用者の収入が四万五〇〇〇円をこえる場合において0.3、第二種都営住宅につき使用者の収入が二万五〇〇〇円をこえ四万五〇〇〇円以下である場合において0.2、四万五〇〇〇円をこえる場合において0.5と定められていたが、原告が実際に適用した付加率は、その軽減措置により、第一種都営住宅につき0.2、第二種都営住宅につき前記収入に応じ順次0.1、0.3であつた。
(三) そして、公営住宅の家賃は、特に低廉な家賃とするために、当該公営住宅の工事費から、国の補助にかかる費用(第一種住宅について工事費の二分の一、第二種住宅につてその三分の二)を除いたものを、木造住宅の場合には二〇年、耐火構造住宅の場合には七〇年という極めて長期の償却期間に年利六分で毎年元利均等に償却するものとして算出した額に修繕費、管理事務費、損害保険料及び地代相当額を加えたものの月割額を限度に事業主体が決定することになつており(法一二条、施行令四条)、右家賃には民間の借家の場合には加算される固定資産税や空室引当金等が含まれていないうえ、償却期間も極めて長いので、その家賃は民間の借家の家賃に比べると極めて低廉というべきである。これに対し、割増賃料は、当該公営住宅の工事費を基礎にし、法一三条三項所定の月割額(又は家賃が当該月割額をこえるときは当該家賃の額)の第一種公営住宅については0.4倍、第二種公営住宅についてはその0.8倍に相当する額の範囲内で、入居者の収入に応じて算出することになつている(法二一条の二第二項)ものであるが、右のとおり公営住宅の家賃に0.4倍あるいは0.8倍の割増賃料を加算したとしても、利回りが公団住宅並みに年四分一厘ほどになる程度であつて、公営住宅使用の対価としての意義を失うものとはとうていいえない。そして、昭和四一年当時における第二種都営住宅の収入超過基準は、前示のとおり月額二万五〇〇〇円で、右基準額は入居者が給与所得者の場合には給与収入総額から所得税法に従い給与所得控除をした収入月額から更に扶養控除対象配偶者及び扶養親族一人当たりにつき月額二〇〇〇円を控除した額であり(昭和四二年政令第一〇五号による改正前の施行令一条三号)、被告のように妻及び子二人の扶養家族が三名いる家族で右基準額に達する収入は、月額四万二〇八三円(年額五〇万五〇〇一円)以上であり、こうして求めた使用者の月額収入が二万五〇〇〇円をこえ四万五〇〇〇円以下の場合には賃料に付加率0.1を乗じた金額を、四万五〇〇〇円をこえる場合には賃料に付加率0.3を乗じた金額を割増賃料として納付すべきものと定められていたところ、前示のとおり、被告の昭和四〇年中の給与収入総額は五〇万五〇〇一円以上七八万六六六六円以下で、その月額収入は二万五〇〇〇円をこえ四万五〇〇〇円以下であつたので、割増賃料は一か月当たり二一〇円になるが、被告が負担することになる家賃と割増賃料とを合計しても、それは未だ民間の借家の家賃や公団住宅の家賃に比べるとかなり低額であることは明らかである。したがつて、被告は、本件割増賃料を徴収されても、民間の借家人や公団住宅の入居者に比べて、公営住宅の入居により、なお相当の利益を得ているものといえる。
以上の事実が認められ、<証拠判断略>。
そして、割増賃料の徴収は、借家法七条の定める賃料の増額請求権の行使に当たるもので、単にその要件、手続、限度に差異があるにすぎないと解するのが相当であるところ、右の借家法上の賃料増額請求権は、土地又は建物の租税その他の負担の増大、土地又は建物の価格の高騰等を要件とするものであつて、賃借人の収入の増加を考慮しないのに対し、割増賃料の制度は、入居者の入居後における収入の増加を原因にして家賃を増額させるものであるから、この点においては、公営住宅の使用者は民間住宅及び公団住宅の借家人と比べて不利益な扱いを受けることになるが、公的補助を受けている公営住宅の使用者と一般の借家人を総ての点において平等に扱わなければならない理はないうえ、前示のように、公営住宅の賃料と割増賃料とを合計してもその額は、民間住宅及び公団住宅の家賃に比べて低廉であるから、前記のような不利益な取扱いがあつても割増賃料規定である二一条の二、施行令六条の二、同令附則五項、条例一九条の三を憲法一四条に違反する無効なものということはできない。
4 次に、明渡努力義務規定及び割増賃料規定が憲法二五条、二九条一項に違反する旨の被告の主張について検討する。
(一) 先ず、被告は、明渡努力義務規定は、居住権を侵害する違憲なものであるとし、割増賃料規定はこれと表裏一体の関係にあるから違憲となる旨主張するが、本件は、原告が被告に対し、明渡努力義務規定に基づきその義務の履行を求めるものでなく、また、前示のように、右義務と割増賃料支払義務とは別個独立のものであるから、本件において明渡努力義務の存否についての具体的争訟は存しないものというべきであり、したがつて、明渡努力義務規定の合憲性についてはその判断を必要とするものでなく、端的に割増賃料規定の合憲性を判断すべきものである。それ故、被告の右主張は、その余の点について論及するまでもなく、採用することができない。
(二) 次に、被告は、割増賃料規定は、その立法事実とされた事実が存在しない不合理なものであるから、違憲である旨主張するが、右規定が設けられた当時から現在に至るまで、右立法事実が存在することは、前示のとおりであるから、被告の右主張は採用することができない。
(三) また、被告は、割増賃料規定は、(1)公営住宅に入居資格のある住宅困窮者が実在するとしても、新たに公営住宅を建設することなく現に公営住宅の入居者について収入超過者のクラスを設けて、この者に明渡を求めるために割増賃料を賦課することによつて、右住宅困窮者の救済を実現しようとする点において、また(2)割増賃料支払義務の発生を可変的なものである収入、しかも、法一七条一号所定の同居の親族の収入を合算した収入にかからしめている点等において不合理なものがあるから、違憲である旨主張するが、割増賃料規定は、公営住宅の使用者の賃借権を存続させることを前提とするものであるうえ、打ち切る公的補助は前認定のように極めて僅少なものであることを考慮すると、右の諸点は、国又は地方公共団体の立法府が限られた福祉財源のもとにおいて、公営住宅法一条所定の目的を達するための手段、方策を選択するに当たつてその裁量の合理的範囲を逸脱した不合理なものとはいえないから、被告の右主張は採用することはできない。
(四) さらに、被告は、割増賃料規定は、何らの補償なくして財産権を剥奪するものであつて、憲法二五条、二九条一項に違背する旨主張するのでこの点について判断する。
<証拠>によると、公営住宅法が制定された昭和二六年当時の当局の公営住宅運営の方針は、公営住宅がその耐用年限の四分の一を経過したときは、建設大臣の承認を得て、当該公営住宅を入居者又は入居者の組織する団体等に譲渡することができる旨の規定(昭和三四年法律第一五九号による改正前の法二四条一項)に従い、建設大臣の定める一定の基準に該当するものについては入居者の意思を尊重し、公営住宅をある程度払下げていく方針であつたこと、右の法改正前の入居者の多くは、当該公営住宅の将来の払下げについての期待を抱いて入居したものであつたこと、しかるに、昭和三四年法律第一五九号による改正により、公営住宅の払下げは特別の事情がある場合に限られることになり、多数の入居者は前記払下の期待を裏切られた気持をもつたが、右改正前においても、前示のとおり公営住宅の払下げには建設大臣の承認を要件としていたものであつて、払下げが原則とされたり、入居者の要求があれば事業主体は公営住宅の払下げに応ずる法律上の義務を有したりするものではなかつたこと、これまでに都営住宅の払下げがされた例が相当数はあるが、それらはいずれも昭和二二年度ころまでに建設された木造住宅が対象になつているところ、本件住宅は昭和三三年度に建設されたものであるうえ、同住宅のような簡易耐火住宅についてはこれまで払下げのされた例はないことが認められ、<証拠判断略>。
右認定の事実によれば、被告の前記違憲の主張は、その前提を欠くものであるから、採用することができない。
5 被告は、割増賃料規定が被告に適用されるときには適用違憲となる旨主張するが、前認定のように右規定に基づく本件割増賃料は、一か月二一〇円に止まるから、仮に被告主張の事実があつたとしても、被告に対し本件住宅の賃借権の放棄を余儀なくさせるほどの負担とは到底いい難いから、右違憲の主張はその前提を欠くものというべきである。
6 したがつて、被告は原告に対し、本件割増賃料一〇五〇円及びこれに対する支払期日を経過した昭和四二年四月一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
三本件割増賃料の不払いによる明渡請求について
1 請求原因4のうち、被告が本件割増賃料一〇五〇円の支払をしていない事実は当事者間に争いがない。
2 被告が原告に対し、昭和四一年一一月分から昭和四二年三月分まで、本件割増賃料が請求される前の家賃と同額の一か月二一〇〇円を支払い、原告がこれを受領している(ただし、原告の受領は、割増賃料以外の家賃として)事実も当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、被告は原告の本件割増賃料請求の正当性を争い、昭和四一年一一月分から昭和四二年三月分までの家賃は従前と同額の一か月二一〇〇円が相当であると考えこれを原告に対し支払つた事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
3 そこで、右のような場合が、公営住宅の明渡を請求できる事由として法二二条一項二号、条例二〇条一項二号の定める割増賃料を滞納したときに当たるかどうかについて検討する。
公営住宅の使用関係の性質は基本的には私法上の賃貸借契約であり、それに対する適用法令としては、公営住宅法及びこれに基づく地方公共団体の条例が、特別法として民法及び借家法よりも優先して適用されるべきであるが、右の法及び条例に特別の定めがない限り、一般法である民法及び借家法の適用があると解すべきことは前示のとおりである。しかるところ、公営住宅法及びこれに基づく東京都営住宅条例が原告と都営住宅の使用者との法律関係につき借家法七条の規定を全面的に排除しているものと解すべき理由はなく、前示のとおり、割増賃料の請求は、同条一項所定の増額請求権の行使たる性質をも有するから、割増賃料の請求について、法及び条例が優先して適用されるのは、その要件、手続及び割増の限度等であつて、それ以外の事項については、民法及び借家法の適用があるものというべきである。したがつて、割増賃料の不払いを理由として都営住宅の賃貸借契約を解除するためには、民法の一般原則(五四一条)により予め割増賃料を支払うべき旨を催告する必要があると解すべきであり、また、借家法七条二項の適用もあるというべきであるから、原告が賃料の増額請求をし、都営住宅の使用者がこれに応じない場合であつても、右増額請求を正当とする裁判が確定するまでの間は、使用者が相当と認める賃料の支払いを続けるときには、右増額請求にかかる割増賃料の不払を理由として賃貸借契約を解除することは許されないと解すべきである。
したがつて、前認定のような本件の事実関係のもとにおいては、原告は、割増賃料規定に基づく割増賃料を被告が支払わなかつたことを理由として、本件住宅の使用許可を取り消しその明渡を求めることはできないというべきである。
それ故、この点に関する原告の主張は失当である。
四本件建物の無断建築による明渡請求について
1 請求原因5のうち、被告が昭和四九年七月ころ、本件土地上に本件建物(ただし、その構造が鉄骨造であるとの点を除く。)を建築し、同土地を占有している事実及び同6の事実は、いずれも当事者間に争いがない。
ところで、法二一条によると、公営住宅の入居者は、事業主体の長の承認を得ないで、当該公営住宅を模様替し、又は増築してはならない(同条四項)ものとされ、また、条例一五条二号、四号によると、都営住宅の使用者は、住宅の模様替その他の工作を加えようとするとき、又は、住宅の敷地内に工作物を設置しようとするときには、知事の許可を受けなければならないものとされ、これらに違反したときは、事業主体の長は、入居者に対し、当該公営住宅明渡を請求することができると定められている(法二二条一項四号、条例二〇条一項五号)。法及び条例が右のような制限を設けているのは、前示のとおり、公営住宅は、地方公共団体が国の協力を得て一般に住宅に困窮する低額所得者に対し低廉な家賃でこれを賃貸することにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的として建設されるものであり、その目的のため、公営住宅の建設は、建設大臣の定める建設基準(公営住宅建設基準)に従い(法五条一項)、使用者の安全、衛生及び美観その他の環境の保全等を考慮のうえ、一般には、一団の土地に集団的、画一的に建設され、こうした住宅を画一低廉な家賃で賃貸するものであるところから、賃借人たる使用者が事業主体に無断で増改築等をするのを放置するときには、使用者の安全、衛生、美観、日照、通風、採光、プライバシーの確保等に支障が生ずるおそれがあり、また、賃貸借契約終了の際、事業主体が造作の買取義務や有益費償還義務を負い、予期しない財政上の負担を強いられるなどして公営住宅の管理上支障が生じ、ひいては公営住宅本来の機能が妨げられ、更には公営住宅制度の趣旨が実現しないこととなるおそれがあるからである。その反面、右のような事態を生ずるおそれがないものは、事業主体の長が承認を与えることができることとし、条例施行規則一四条二項は、「条例第一五条第二号又は第四号に該当する場合知事の許可基準は、次のとおりとする。一 住宅の模様替又は敷地内に工作物を設置するも住宅の維持に支障がなく、原形に復することが容易であるとき。二 増築をしようとする部分が、床面積十平方メートル以内のものであつて、位置及び環境が住宅の維持に支障がないとき。」と規定し、その許可基準を明示している(以下「本件許可基準」という。)。そして、前記法二一条四項及び条例施行規則一四条二項にいう増築並びに条例一五条四号にいう工作物の設置とは、公営住宅に工作を加えて床面積を増加させるもののほか、付属建物の新築及び付属建物でない別個の建物の新築(以下これを「建増」という。)をも含むものと解すべきである。
ところで、<証拠>によると、原告は、条例一五条二号、四号、施行規則一四条二項に基づく入居者からの都営住宅の増築、模様替、工作物の設置の許可申請に対するため、事務取扱基準(昭和四六年住管発第六三二号、以下「本件事務取扱基準」という。)を定めているが、これによると、都営住宅の増築等は、やむをえない事情があり、近接する影響のある入居者の同意を得たもので管理上支障がないと認められる場合に限り許可すること、許可をする場合の許可面積は、木造住宅については、居室用途につき10.0平方メートル、浴室及び物置用途につき各3.3平方メートル(ただし、合計で10.0平方メートルまで)、簡易耐火構造平家建については、居室用途は許可せず、浴室及び物置用途につき各3.3平方メートル(ただし、合計3.3平方メートルまで)、簡易耐火構造二階建については、居室用途は許可せず、浴室及び物置用途につき各2.5平方メートル(ただし、合計2.5平方メートルまで)、中層耐火構造住宅については一切許可しないこと、増築は、原則として、独立平家建とし、軒高、棟高は、本屋のそれぞれの高さをこえてはならないこと、増築部分の構造は原則として既存在住宅と同種のもの又はこれに準じたものでなければならず、既存在住宅が簡易耐火構造であるときには防火構造でなければならないものとすることなどと定められている。
しかし、右事務取扱基準は、原告の内部的処理基準を定めたものにすぎず、本件許可基準より厳しい制限をしている部分及び右基準において考慮すべきものとされている事由以外の事由を許可の要件としている部分は、本件許可基準に照らしてその効力に疑義があるというべきである。
そして、条例一五条所定の知事の許可は、右条例に基づいて(二四条)本件許可基準が公示されているのであるから、もつぱら、右許可基準に適合しない建増等を排除するためのものであつて、許可それ自体に重要な公の利益が結びつけられているものではないものというべきである。したがつて、工作物の設置が知事の許可なくしてされた場合であつても、当該工作物が前示許可基準に適合するときには、許可をえないでしたとの点は、重要な条例違反といえないことが明らかであるから、このような違反のゆえのみをもつて、低額所得者からその生活の本拠である都営住宅に対する賃借権を奪うことは著しく均衡を失するものというべきである。
したがつて、都営住宅の使用者がその敷地内に建増をした場合、原告が条例二〇条一項五号に基づき、右住宅の使用許可を取消し、その明渡を使用者に対して請求しうるのは、建増が条例一五条の許可をうることなくされたことのみならず、それが、前示の条例施行規則一四条所定の許可基準に適合しないものであることをも要するというべきである。
本件において、本件建物は、本件住宅の敷地を利用し、右住宅とは別個独立にこれと離れて居住用の建物として建築されたものであるから、建増に該当するものというべきであり、その床面積が19.80平方メートルであるから、本件許可基準に適合しないものというべきであり、また被告が本件建物を建築するについて、原告の許可をうけていないことは、当事者間に争いがない。
2 しかしながら、都営住宅の使用者が建増をするなどして条例二〇条一項五号に該当する行為に及んだ場合であつても、右行為が賃貸人たる事業主体との間の信頼関係を破壊するとは認め難い特段の事情がある場合には、公営住宅の使用関係の性質が基本的には私法上の賃貸借契約であることに鑑み、事業主体の長は、当該使用者に対し、右条項に基づき、右住宅の使用許可を取消し、その明渡を請求することはできないと解するのが相当である。
そこで、原被告間の信頼関係を破壊するとは認め難い特段の事情がある旨の被告の主張について検討する。
(一) 被告の主張5(一)ないし(三)のうち、本件住宅の間取りが別紙図面(三)記載のとおりであり、被告には入居後に二人の子が生まれたこと、本件建物が鉄骨の支柱により支えられた高床式の建物で、壁は土壁でないこと、本件住宅は四戸一棟の建物の一戸であること、本件建物の床面積は19.80平方メートルであること、都営住宅の中には増改築をしているものがあること、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。
(二) 右及び前示一1の当事者間に争いのない事実、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、
(1) 被告は、本件住宅に入居する四か月ほど前の昭和三三年三月に結婚し、入居当時の家族は妻と二人だけであつたが、その後、昭和三四年一月に長女が、次いで昭和三六年六月に長男が生まれて四人家族になり、本件建物を建築した昭和四九年七月当時、長女は高等学校一年生、長男は中学校一年生であつた。被告が本件建物を建築するに至つた動機は、本件住宅の間取りは別紙図面(三)記載のとおりであり、当時、家財道具も増えて手狭となり、子供も成長し、時には長女の着替えの場所にも事欠き、夫婦間の房事さえも子供のため気を配らねばならない事態に立ち至つたことから、にわかに子供のための部屋を建増しする必要があると強く感じ、本件住宅の敷地であるが庭地として空いていた本件土地上に本件建物を建築することを決心したものである。
(2) こうして、被告は、建築業者に注文して本件建物の建築にとりかかつたが、被告は、当時、都営住宅の増築をするには都知事の許可を受けることが必要であることを知つていたものの、前記のとおり、簡易耐火構造の都営住宅の増築について、原告が床面積3.3平方メートルのものまでしか許可しないという方針をとつていたので、たとえ本件建物の建築についてその許可を申請しても許可を受けられる見込みはなく、許可申請をしても無駄であると考えるとともに、後記認定のとおり都営住宅の増築については、原告の許可を得ないで無断増築をしている例があることから、本件建物の建築についても、原告の許可を受けないでしても許容されるものと速断して工事を始めた。そして、工事開始後、右事実を知つた原告の係員から、当初は電話で、後には呼出されて口頭で工事の中止を指示されたほか、工事現場に工事の中止と原状回復を命ずる立札をも立てられたが、右の呼出を受けた当時にはすでに本件建物のための鉄骨の組立がほぼ終つていた状態にあつたことから、被告は、原告の指示命令に従うことなく工事を続行し、同年九月初めころ本件建物を完成させた。なお、本件建物は工事を開始してより完成までに二か月ほどの期間を要したが、その間、継続して工事が行なわれていたものではなく、工事予定期間をかなり超過して完成したもので、建築費は約一五〇万円であつた。
(3) 右のとおりの経過で被告の建築した本件建物は、本件住宅を全く損傷することなく、これと若干の間隔をおいて建てられたものである。その構造は、本体を長さ三メートルほどの六本の鉄骨で支えた高床式のもので、床の位置が本件住宅の庇より少し上方に位置し、支柱の鉄骨は、周囲に帯状にではなく、鉄骨のあるそれぞれの場所に深さ三〇センチメートルほどの深さに流し埋めて作られたコンクリート基礎にボルトで締着されているものであつて、建物本体の床や桁にも鉄材が使用され、骨組みは鉄製であるが、壁は土壁でなく、外壁はブリキ製の波板で内側はガラスウールの上にベニヤ板の化粧板を張つたものであり、屋根はトタン葺のいわゆるブレハブ様の木造住宅(床面積は19.80平方メートル)で、地上から建物の出入口まで昇降用の金属製の階段も取り付けられている。その間取りは、別紙図面(四)記載のとおりである。
被告が右のとおり、本件建物を高床式のものとしたのは、本件住宅は四戸一棟の長屋式建物の一戸であるところ、同住宅の南側にある住宅の北側に臭気抜きがある一方、本件住宅の東隣りの入居者がその入居している住宅の軒に接してすでに低床式の建物を増築していたので、本件建物も低床式のものとして右の増築建物に並べて建築すると臭気がたまると予想されたので、右の東隣りの入居者と相談のうえ高床式のものとしたのである。そして、これまで本件建物のために日照や通風、採光等が阻害されるとの苦情が被告に寄せられたことはない。
(4) 次に、都営住宅の増改築状況をみるに、本件住宅のある都営第五練馬北町三丁目住宅と隣接の都営第四練馬北町三丁目住宅とには併せて都営住宅が二六〇戸存するが、うち木造住宅が一九四戸、簡易耐火構造住宅が六六戸で、その昭和五一年一二月当時の増改築状況は、木造住宅のうち増築をしているもの一七〇戸、増築をしていないもの一四戸、不明一〇戸で、目測による平均増築面積は約一四平方メートル、簡易耐火住宅のうち増築をしているものは五七戸、増築をしていないもの三戸、不明六戸で目測による平均増築面積は約一一平方メートルであり、入居者の相当数が増築しており、増築建物の用途も居室のほか、物置、車庫、浴室、洗濯場等と多様であつて、簡易耐火住宅で本件建物より広い増築面積のものも数戸ある。都営住宅で増改築のされている戸数が多いのは右の団地だけに限られたことでなく、他の都営住宅においても概ね同様にみられるところであつて、相当数が大なり小なりの増改築をし、中には少数ながら二階建建物を増築ている例もあり、そして、これらの増改築は、原告の許可を得ないで無断でされたものが多数に及んでいる。
以上の事実が認められ、<証拠判断略>。
(三) 以上認定した事実によると、本件建物の床面積が19.80平方メートルで本件許可基準である一〇平方メートルをこえているが、他の許可基準である「位置及び環境が住宅の維持に支障がないとき」の要件は充足されていると認められること、被告が本件建物を必要とした事情には極めて深刻なものがあり、その必要性は極めて強かつたこと、本件建物は、本件住宅に附合するものではないから、原告が、その修繕義務を負つたり、被告との本件住宅についての賃貸借契約が終了した際に有益費償還義務を負うこともなく、財産上の負担の増大をもたらすものでないこと、被告が、本件建物の建築許可を受けることなく、また、原告の本件建物の建築工事の中止命令を無視して工事を続行したことは、非難に値いするが、被告が右のような所為に出るに至つた一因は、原告が本件事務取扱基準に基づき、床面積が3.3平方メートルをこえる建増について許可しないとの行政指導をしたことにあり、本件事務取扱基準の右の部分は、前記のとおり本件許可基準より厳しい制限をしているものであつて、その効力に疑義があるものというべきであるから、右所為について被告のみに責任を負わせしることは当を失していること、原告は、都営住宅を無断で増改築をした使用者が多数存在しているにもかかわらず、本件に至るまで使用許可の取消をして明渡を求めたことはなかつたこと等の事実が明らかであり、これらの諸事実に照らすと、被告が原告の許可を受けることなく、本件建物を建築したとしても、原告に対する信頼関係を破壊しない特段の事情があるものというべきである。
3 したがつて、本件建物を無許可で建築したことを理由として本件住宅の使用許可を取り消し、本件建物の収去、本件土地の明渡、本件住宅の明渡及びその使用損害金の支払を求める原告の各請求は、失当として棄却すべきものである。
五結論
よつて、原告の本訴請求は、被告に対し、本件割増賃料一〇五〇円及びこれに対する弁済期後である昭和四二年四月一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきであるから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条但書を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。
(宇野栄一郎 柴田保幸 榎本克巳)
別紙物件目録、図面(一)〜(四)<省略>