東京地方裁判所 昭和50年(ワ)10964号 判決 1979年4月27日
原告
一場保一
原告
一場ひふみ
原告ら訴訟代理人
森田昌昭
被告
国
右代表者法務大臣
古井喜美
右指定代理人
藤村啓
外四名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告ら各自に対し、それぞれ、金一〇七四万九〇二二円及びこれに対する昭和四六年八月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2 担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
(一) 訴外亡一場哲雄陸士長(以下、「一場士長」という。)は、高校卒業後、昭和四四年三月二七日、陸上自衛隊に入隊し、同年一〇月二三日から東京都練馬区大泉学園町陸上自衛隊朝霞駐とん地(以下「本件駐とん地」という。)内の陸上自衛隊東部方面第一武器隊第三一一装輪車野整備隊に所属し、装輪車整備手の職務に従事していた。
(二) 一場士長は、昭和四六年八月二一日、東部方面武器隊日々命令(昭和四六年七月二六日東方武器日命二三号)に基づき、警衛司令渡辺道男二等陸曹(以下、「渡辺二曹」という。)の指揮する本件駐とん地警衛勤務を命ぜられた。
(三) 訴外新井光史、同島田昌紀(以下単に「新井」、「島田」という。)の両名は、訴外菊井良治らの過激な武力革命思想に共鳴し、昭和四六年八月一五日頃から、本件駐とん地に侵入して鈍器などを奪取する計画について謀議を重ね、同月二一日午後、右武器奪取計画の実行につき各自の役割、方法などを確認し合つたのち、島田の運転する普通乗用自動車(以下、「本件車両」という。)に新井が同乗し、途中、ナンバープレートを取換え、さらに、新井は二等陸尉の階級章をつけた制服上下及び幹部の制帽を着用し、島田は一等陸士の制服上下、略帽を着用して、それぞれ自衛官に変装し、同日午後八時三〇分頃、本件駐とん地正門から本件車両に乗車したまま陸上自衛隊の幹部とその随従員を装つて同駐とん地に侵入した。
(四) 当時、本件駐とん地正門の監視に当たつていた訴外伊藤崇史三等陸曹らは、新井及び島田を、その着用していた制服と階級章によつて幹部自衛官とその随従者と誤認した結果、右両名は、何ら咎められることなく正門を通り抜け、本件駐とん地に侵入したものである。
(五) 新井及び島田は、本件駐とん地内売店(PX)南側広場に本件車両を停車させ、午後八時四五分頃、徒歩で、本件駐とん地内輸送学校整備班建物(七三四号)付近路上に至り、折から正門より駐とん地東北角を経て東門に至る動哨経路を外柵沿いに巡察中であつた一場士長とし遭遇し、挙手の礼をした一場士長に対し、新井はいきなり手挙で一場士長のみぞおちを殴打し、島田が所携の包丁で一場士長の右側胸腹部を二回突き刺し、まもなく、同所付近において、右刺創による胸腔内出血等により同士長を死亡させた。<以下、事実省略>
理由
一事故の発生
請求原因1の事実(本件事故の発生)は当事者間に争いがない。
二被告の責任
1 被告国は、公務員に対し、公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて公務員の生命及び身体等を危険から保護すべき一般的な義務としての安全配慮義務を負うものというべきところ、原告らは、本件事故発生の経緯に徴し、本件駐とん地の営門出入者の監視につき、被告に右義務の懈怠がある旨主張するので検討するに、<証拠>を総合すれば、本件駐とん地の警備体制及び事故当日の警備実施状況は以下のとおりであると認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 陸上自衛隊における警備活動、即ち警衛勤務の内容等については、防衛庁長官の定める陸上自衛隊服務規則(昭和三四年九月一二日陸上自衛訓令第三八号、以下「服務規則」という。)及びこれを承けて陸上幕僚長の定める陸上自衛隊服務細則(昭和三五年四月三〇日陸上自衛隊達第二四―五号、以下「服務細則」という。)に定められており、これによれば、主として駐とん地の警戒及び営門出入者の監視に任じ、あわせて営内における規律の維持、秘密保全、火災予防及び災害防止にあたることが警衛勤務者の職務とされ(服務規則五四条)、自衛官は、警衛勤務者の勤務上発する指示に対してはすべてこれに従わなければならないものとされている(同規則四二条、四四条)。そして、右警衛勤務を命ずるのは駐とん地司令であり、駐とん地司令又は駐とん地当直司令の命を受けて警衛勤務者を指揮する者として警衛司令(二等陸曹、必要に応じ一等陸曹、准陸尉又は陸尉)がおかれ、その下に警衛副司令(二等陸曹または三等陸曹、但し、必要に応じ設ける。)、営舎係及び歩哨係(以上、三等陸曹又は陸士長)、歩哨(陸士)、らつぱ手及び操縦手(以上、いずれも陸士、但し、必要に応じ設ける。)がおかれることとされ、警衛勤務の構成は、陸上幕僚長の定めるところにより駐とん地司令が定めるものとされている(同規則五五条、六〇条)。また、右警衛勤務は二四時間勤務とされ(同規則五七条)、哨所は、営門・弾薬庫その他駐とん地司令の定める警戒上の要点に設置するものとし、単哨、複哨又は分唱とするほか、警衛勤務の構成は駐とん地司令が定めるものとされている(服務細則一二九条一項)。
(二) 本件駐とん地警備の最高責任者は朝霞駐とん地司令であり、昼間は、右駐とん地司令の指揮下に部隊長と警衛司令が、夜間は、右駐とん地司令から命ぜられた駐とん地当直司令の指揮下に部隊当直司令と警衛司令がおかれ、それぞれ自衛隊警備と営門及び外周警備の指揮にあたるものとされていたが、本件駐とん地における警衛勤務の細部は、前記服務規則、服務細則を承けて駐とん地司令の発する朝霞駐とん地警衛勤務規則に定めるところによるとされ、これによれば、本件駐とん地における警衛勤務の人員編成は、警衛司令二等陸曹(必要に応じ一等陸曹、准陸尉又は陸尉)以下二五名、勤務時間は、午前八時三〇分から翌日午前八時三〇分までの二四時間勤務であり、勤務場所は、正門脇にある警衛所を拠点として、第一ポスト(正門)及び第二ポスト(弾薬庫)に歩哨各一名が立哨し、第三ポスト(正門から駐とん地内の外柵沿いをフエンス門まで約一キロメートル)、第四ポスト(フエンス門から南側外柵内を隊舎番号三五一号西側まで約1.3キロメートル)、第五ポスト(第四ポスト終了地点から西側外柵内を正門まで約1.2キロメートル)に歩哨各一名が動哨するように配置されるものと定められ、歩哨勤務は二時間勤務の三交替制とされていた。そして右第三ないし第五ポストの駐とん地外柵沿いの動哨区域には、全部で八箇所、弾薬庫に二箇所の有線電話が設置されており、それぞれ、警衛拠点である警衛所の電話に直結されていた。なお、本件駐とん地には、正門のほか東門、西門、南門の各営門があるが、正門以外は南門が登退庁時の各一時間開門するだけで、東門、西門は常時閉鎖されており、前記服務規則六一条によれば、表門は通常起床時刻に開き、課業終了一時間後に閉じ、その他の諸門は駐とん地司令の定める時刻に開閉するとされていたが、本件駐とん地の正門は、午前六時開門、平日は午後一〇時に、土曜日及び日曜日は午後二時に閉門されていた。そして、位置関係からすると、正門左脇が第一ポスト(哨所)で、歩哨一名が配置され、正門を入つてすぐの正門中央に出入車両の検門所が置かれ、その右側に警衛所の建物があることとなり、右警衛所には、警衛司令がいて、警衛業務の指揮をとるほか、営舎係など数名及び控えの歩哨数名が待機し、これらの者のうち一名が警衛所の前に、一名が検門所に立哨するのが通例であつた。
(三) 本件事故発生の日である昭和四六年八月二一日午前八時三〇分から同月二二日午前八時三〇分までは渡辺二曹が本件駐とん地警衛司令として、本件駐とん地営門及び外周の警備の指揮にあたり、その指揮下の警衛勤務者は、分哨長一名(朝霞演習場担当)、営舎係一名、歩哨係二名、歩哨一八名(うち三名が朝霞演習場担当)、らつぱ手一名、操縦手一名の合計二五名編成であつて、その警衛勤務は、前記服務規則、服務細則、朝霞駐とん地警衛勤務規則の定め及び慣例に従い平常どおり実施されていた。
(四) ところで、前記服務規則六二条は警衛勤務者の営門出入者に対する取扱いにつき定め、同条二項二号によれば、警衛勤務者は、幹部及び准陸尉(私服の場合は身分証明書を所持する者)並びにそれらの随従者については、営門の出入を許可できるとされており、事故当時、制服着用の幹部自衛官の営門の出入については、幹部自衛官に対する信頼感を主たる理由として身分証明書の提示を要しないという取扱いがなされており、警衛勤務者は、その階級章及び帽章により当該自衛官が幹部自衛官であると判断するときには、敬礼をもつてその出入を許可しており、また、幹部自衛官でない自衛隊々員が、幹部自衛官の乗つている車両に同乗して営門を出入する場合には、その自衛隊々員は、当該幹部自衛官の随従者とされ、随従者に対しても幹部自衛官とは別に身分証明書の提示を求めることはせず、幹部自衛官の指揮下にあり、これと一体をなすものとして同様の取扱をしていた。
2(一) 原告らは営門の警衛勤務者が新井及び島田の両名に対し、身分証明書の提示を求めるなどして、営門の出入に際し、その身分を確認すべき義務を怠つた旨主張するが、制服を着用した幹部自衛官の営門出入についての取扱は、すでにみたとおり幹部自衛官に対する信頼感に根ざすものであることが認められ、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とする自衛隊(自衛隊法三条)において、幹部自衛官は、部隊の骨幹をなすものとして、その重責を自覚し、常に心身の修養を怠らず、卒先垂範に努めるべきことが要求され(服務規則五条)、かかる幹部自衛官に対する信頼の確保は、その職務の遂行に当つては、上官の職務上の命令に忠実に従い、一致団結、厳正な規律を保持し、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて実務の完遂に努めるべきことが要求される(自衛隊法五二条、五七条)自衛官によつて構成される自衛隊においては、右職務の特殊性から、その組織の維持及び円滑な運営に不可欠なものというべきであり、かかる要請に加えて、前掲証人渡辺、同加藤の各証言によれば、制度創設以来右取扱により何らの不都合も生じていないなどの実績をその背景に有するものであることが認められるから、制服を着用した幹部自衛官及びその随従者に対しては、幹部自衛官の制服、制帽、階級章を確認するのみで身分証明書の提示までも求めないという取扱は、少なくとも、本件事故当時としては妥当性を欠くものということはできず、その他、新井らに対し、身分証明書の提示を求めるべき特段の事情を認めるに足る証拠はないから、右身分証明書の提示を求めなかつたことを捉えて、安全配慮義務の違背をいうのは、当らないというべきである。(因に、<証拠>によれば、本件駐とん地には約二〇〇〇ないし三〇〇〇人の自衛官が勤務しており、そのうちいわゆる幹部自衛官と呼称される陸尉以上の階級の自衛官は約四〇〇ないし五〇〇人位いること、本件駐とん地には第一施設団、第三一普通科連隊、第一〇一輸送大隊等、非常に雑多な部隊が配属されており、また、輸送学校、体育学校という二つの学校が設置されているため、勤務する自衛官の転勤が頻雑に行なわれるという特殊性を有し、そのため警衛勤務者が営門を出入する幹部自衛官を個別的に識別することは到底不可能な状況にあつたことが認められる。
(二) 原告らは、当時は過激派活動家による自衛隊襲撃が予想される情況にあつた旨主張し、<証拠>によれば、本件事故発生より約六ケ月前である昭和四六年二月に栃木県真岡市の銃砲店が過激派活動家に襲われ銃砲等が強奪されるという事件が起こり、同事件の内容は新聞、ラジオ、テレビ等によつて報道され、一時過激派活動家の動きに世間の耳目が集められたことが認められるが、右各証言によれば本件事故当時、自衛隊では過激派活動家が本件駐とん地または他の自衛隊施設を襲撃する計画があるとの具体的な情報は入手していなかつたし、そのような襲撃計画の存在を客観的に疑わせるような情況も存在しなかつたことを認めることができ、また、<証拠>によれば、本件侵入者の新井はもと自衛官で、本件駐とん地に営居住し警衛勤務についた経験もあるため営内出入者の監視方法にも通じていたことが認められ、前記認定の如き営門出入の幹部自衛官に対する取扱が一般周知のものであつたともいうことはできないから、過激派活動家らが、幹部自衛官とその随従員に変装して駐とん地に侵入してくることまでを予測し、それに対する対応策を講ずることまでを要求することは難きを強いるものであるといわざるを得ない。また、本件事故発生直前ころに本件駐とん地内において自衛官制服上下、自衛隊幹部用の制帽の盗難事件が発生したこと、本件駐とん地内の販売店において自衛官の制服、制帽、階級章等が自由に購入できたことは当事者間に争いがないが、右に述べたと同様の理由により、このことが直ちに本件事故の発生につながるものとはいうことができない。従つて、本件事故発生当日、特に営門の出入者の監視を厳重にし、あるいは警衛勤務者を大幅に増員するなどの通常の警備を超えた厳戒態勢をとるべき格別の必要はなかつたものというべきである。
(三) 次に、原告らは、警衛勤務者が営門を出入する車両の点検、記録及び積載品の点検を怠つた旨主張し、本件車両につき、その点検、記録及び搬入物品の点検がなされなかつたこと、前記服務規則六二条三項には営門を出入する車両及び隊員に対して特別の必要があるときは積載又は所持している物品等について点検を行うことができる旨、前記服務細則一三四条一項九号には、営門を出入する車両は、駐とん地司令の定めるところにより点検を行うとともに、所定の記録簿に自衛隊車両以外の車両も含めて所要の記録を行う旨の各定めがあることは当事者間に争いがない。しかしながら、<証拠>によれば、本件駐とん地においては、警衛勤務者が、営門を出入する隊員及びその車両につき積載または所持している物品について点検を行うのは、盗難の発生等により特にこれを必要とする情況があつて、その旨の指示がある場合、または営門を出入する隊員及びその車両について一見して不審な点が見受けられる場合(武装集団として多数の武器を保有する自衛隊の特殊性から武器等の持出のおそれのある外出には特に厳重な注意が払われていた。)に限られ、隊員及びその車両については、一般に点検、記録は行わないのが通例であること、また、本件駐とん地に出入する車両の一日量はかなりの数に昇り、そのすべてについて記録点検を行うことはその煩に耐え得ない実情にあつたことが認められ、前記認定の新井らの侵入態様、その予測可能性のなかつたことを併せ考えるとかかる取扱も必ずしも妥当性を欠いていたと言うことはできないし、また、新井らが本件車両により本件駐とん地正門を通過した際、特にその点検を行うべきであつたと判断すべき特段の事情を認めるに足る証拠はないのであるから、警衛勤務者が本件車両につきその記録点検及び積載品の点検をしなかつたことをもつて安全配慮義務を尽さなかつたものということはできない。
(四) 更に、原告らは、新井らが本件駐とん地における車両使用許可証を本件車両の所定の位置に掲示していなかつたにもかかわらず、警衛勤務者は、これらの点検を怠り新井らの侵入を看過したものである旨主張し、新井らが右使用許可証を提示していなかつたことは当事者間に争いがないが、<証拠>によれば、本件事故発生当時、右使用許可証は本件駐とん地内において私有車両を使用するに際して携行を義務づけられていたが、必ずしも、当該車両の特定の場所に掲示しなければならないものではなく、専ら、本件駐とん地内における車両の安全運行と規律の維持を図ることを目的として発行されるものであつて、本件駐とん地営門を出入する車両の監視目的に資するものとして発行されるものではないことが認められるから、右使用許可証の掲示を確認しなかつたことはことさら咎めるに足らないものというべきである。
(五) なお、付言するに、被告の負う安全配慮義務の具体的な内容は、公務員の職種・地位、現に遂行する具体的な公務の内容、その具体的な状況等によつて定まるものと言うべきところ、本件事故は動哨経路に従つて動哨勤務中の自衛隊々員が外部から不法に侵入した者によつて動哨であるがために殺害されたというものであつて、そもそも、動哨は、駐とん地内の規律維持等のほかは主として外部からの侵入に備えるためのもので、非常事態が発生したときは、その生命、身体等に極めて高度の危険性が及ぶものであることが当然に予定されているものというべきであつて、かかる職務の特殊性を考慮するときは、その安全配慮のために被告が負うべき義務がいかなる限度にまで及ぶかについては、少なからず議論の余地ある問題であるというを憚らない。しかし、この点はしばらく措くとして、本件事故発生当日、警衛勤務者を増員し、通常単独勤務の動哨を複数人にする等、一場士長が従事していた動哨勤務につき、平常時とは異なる特段の措置を講じていないことが、被告の右安全配慮義務の違背につながるものではないことも、上来説示してきたところにより自ら明らかであるというべきである。
3 以上説示したところによれば、本件事故発生当時の本件駐とん地における警衛勤務は、前記服務規則、服務細則、朝霞駐とん地警衛勤務規則の定めに従い、平常どおり行われていたものであり、本件駐とん地の平常時における警備体制としては、営門出入者の取扱をはじめとして、制度上も運用上も格別欠けるところはないものというべきであるから、右警備体制に瑕疵があり、このことが被告の安全配慮義務の不履行に当る旨の原告らの主張は採用することができない。
三結論
よつて、原告らの被告に対する本訴請求はその余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用について民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。
(落合威 塚原朋一 原田晃治)
別表
第一〜第三<省略>