東京地方裁判所 昭和50年(ワ)1255号 判決 1979年1月30日
原告
小野瀬美奈子
被告
大野敬
ほか一名
主文
一 被告両名は、連帯して原告に対し金一〇〇万八、〇〇六円及び内金九〇万八、〇〇六円に対する昭和四八年一二月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その三を原告の、その余を被告両名の負担とする。
四 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
事実
第一申立
(原告)
一 被告らは連帯して、原告に対し金一六六万九、八八七円及び内金一四九万五、一三〇円に対する昭和四八年一二月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、被告らの負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言
(被告ら)
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
との判決
第二主張
(原告)
「請求原因」
一 事故の発生
昭和四八年一二月一日午前一一時四〇分頃、東京都世田谷区玉川二丁目一六番先の、玉川方面から等々力方面に向う道路と川崎方向から渋谷方向に向う幅員約六メートルの道路との交差点において、原告運転の普通乗用車(品川五め三二二七、以下「原告車」という)に、被告大野運転の貨物自動車(練馬四四あ二〇五、以下「被告車」という)が側面衝突し、原告は後記傷害を負つた。
二 責任
被告会社は、被告車の保有者で、且つ被告大野の使用者であるところ、当時被告大野は被告会社の業務に従事しており、本件事故は次のとおり被告大野の過失によつて生じたのであるから、自賠法三条、民法七一五条により原告の本件事故による人的、物的各損害を賠償すべき責任がある。
被告大野は、速度の出し過ぎと前方不注視から、既に交差点の中央付近まで進行して来ていた原告車に被告車を激突せしめたものであり、不法行為者としてやはり本件事故による原告の損害を賠償すべき責任がある。
三 損害
本件事故により原告は、右外傷性耳小骨連鎖離断の傷害を受け、一五日間の通院加療を要し、現在も右頭部衝撃後遺症があつて、右混合性離聴の症状が続いており、また衝突により原告車は中破して大修理、修繕を必要とした。よつて生じた損害は次のとおりである。
(一) 物損(修理費) 一一万七、三二〇円
(二) 治療費 一万九、八一〇円
(三) 通院交通費 一万八、〇〇〇円
(四) 慰藉料 一三四万円
前記原告の傷害の程度、後遺症の態様からすると、慰藉料は、通院分一五万円、後遺症分(障害等級一一級に準ずると考えられる)一一九万円をもつて相当とする。
(五) 弁護士費用 一七万四、七五七円
四 よつて原告は被告ら各自に対して右損害金合計及び弁護士費用を除く損害金合計につき事故当日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払として請求の趣旨のとおりの判決を求める次第である。
「抗弁に対する答弁」
争う。原告は一時停止を怠つていないし、前方のミラーによつて右方の安全を充分確認したうえ進行したのであり、また原・被告両車の各進行した道路は幅員がほぼ同じ位であることからすると、本件事故発生につき過失はない。また双方の物損につき被告ら主張のごとき過失割合を前提とした示談が成立したことはない。
(被告ら)
「請求原因に対する答弁」
請求原因一項中、衝突の態様は後記のとおりで原告の主張とは異なるが、その余の点は認める。
同二項中、本件事故発生につき被告大野に過失があることは否認するも、その余の事実は認める。もつとも後記のとおり本件事故は原告の一方的過失によつて生じたものであるから、被告らにおいて責任を負ういわれはない。
同三項中、原告が傷害を負つたことは否認し、原告車の損傷については不知、損害額の主張は争う。
「免責等の抗弁」
原告車の進行した道路は、被告車の進行した道路よりも狭く、且つ一時停止の標識があつた。しかるに原告車は一時停止も安全も確認せずに交差点に進入し、そのため原告車の側面と被告車の側面が接触するに至つたものであり、従つて被告大野には本件事故発生につき過失はない。しかも当初原告にはまつたく傷害がないとのことであつたため、本件事故は、事件として立件もされなかつたのである。
そして原告と被告会社の杉山登との話合いにより、双方の車両の損害の処理として原告の過失を八〇%、被告大野の過失を二〇%とする示談も成立したのである。
以上要するに本件事故は原告の一方的過失によつて生じたものであるから被告らには責任はない。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 衝突の態様についてはともかく、請求原因一項については当事者間に争いがない。
そこでまず被告車の運転手たる被告大野の過失の点について検討するに、成立につき争いのない甲第一一号証(昭和四八年一二月一日撮影の被告車前部の写真)、同第一二号証の一ないし七(昭和四八年一二月二日撮影の事故現場交差点及びその付近の写真)、同第一三号証の一ないし六(昭和四八年一二月五日撮影の原告車の写真)、乙第一号証、作成の趣旨より真正に成立したと推認される甲第一四号証、証人小池徳一の証言及び原告本人尋問の結果によると、
(一) 本件交差点は信号機は設置されておらず、そして原告車の進行した道路は、幅員が本件交差点までは七・七メートル、その先は五・五メートルとなつており、他方これと交差する被告車が進行した道路は幅員は六・五メートルであり、いずれも舗装されていること。そして原告車進行道路の左側は道路に沿つた川で、交差道路の本件交差点の左側は橋となつており、従つて原告車から左方の見通しは良いが、被告車が進行して来た右方は、交差点角に建物があつて見通しが悪く、そのため原告車の前方交差点左角の所にミラーが設置してあること。
(二) 原告車からの本件交差点入口には左角に一時停止の標識が設置されており、且つ路面には白線が引かれていて、被告車進行道路の方が優先道路となつていること。
(三) 当時被告車進行道路は空いていたが原告車の進行車線は、本件交差点の五〇メートル位の所から渋滞していて、原告車はのろのろ運転で本件交差点に差しかかり、交差点入口の白線の所で一時停止したこと、そして原告は左方の安全を確認し且つ左前方交差点角のミラーを見たところ右方から進行して来る車両を認めなかつたので、ゆつくりと原告車を本件交差点に進入させたところ、交差点中央付近で原告車前部右側フエンダーに右方から進行して来た被告車の左前部が衝突し、原告車は左前方に押されて左前部が橋の欄干と衝突したこと。
(四) なお原告車の停止した地点からミラーで右方約三〇メートルの地点まで見えるところ、原告は右のとおりミラーで右方の安全を確認しただけで、右方が直接見通せる地点まで進入した所で再度右の安全を確認することはしておらず、従つて衝突に至るまで被告車が進行して来ていることにまつたく気付いていなかつたこと。
他方被告車は原告車が交差点に進入して来るのを認めて急制動をかけているが、スリツプ痕は衝突まで約四メートルついているだけであること。
の各事実が認められる。
二 右事実からすると本件事故の主な原因は、原告車が一時停止の標識のある交差点に右方の安全を充分確認しないまま進入したことにあり、本件事故発生につき原告の過失は少なくない。
しかしながら双方の道路がほぼ同幅員であることや、被告車から左方の見通しが悪いこと、さらに交差点道路が渋滞していたことからすると、被告大野も本件交差点を通過するについては徐行してミラーで左方の安全を確認すべきであつたところ、右事実からすると同被告においてかかる措置を採つたことは窺えない。
よつて被告大野の右のごとき過失も本件事故の原因となつているので、過失相殺により責任が制限されているが、同被告は不法行為者として本件事故による原告の損害を賠償すべき責任がある。
次に被告会社が、被告車の保有者であること及び被告大野の使用者で、同被告が業務に従事中であつたことは被告会社において自認するところであり、そして右に述べたとおり被告大野につき本件事故の原因となつた過失が認められるので、被告会社は自賠法三条、民法七一五条一項により本件事故による原告の人的、物的各損害を賠償すべき責任がある。
三 原本の存在、成立につき争いのない甲第二ないし第五号証、成立につき争いのない乙第二号証、原告本人尋問の結果によれば、本件衝突により原告は身体を左前方に押され且つ右頬に強い風圧を感じたが打撲等は受けず、そして事故後近くの派出所への事故の届出あるいは同所で被告らと事故について話合つた際にも特に身体に異常はなかつたこと、しかるに翌日になるや全身の倦怠感及び右耳の閉塞感、難聴を訴えるようになつたが、原告は以前追突事故に遭つたことがあり、その際事故後安静にしているのが絶対であると聞かされていたのでそのまま自宅で安静にしていたところ、倦怠感については少しづつ良くなつていつたこと、しかるに右耳の状態は元に戻らないので約一〇日後の一二月一一日になつて川崎市川崎区所在の川崎臨港病院で診断を受けたが、この時原告は右耳の耳鳴、難聴を訴えており、そして以来昭和四九年一〇月四日までの二九八日間に八回にわたつて通院して投薬を受けたところ、閉塞感は気にならなくなつたが、右耳の難聴の訴えは変らなかつたこと、同病院の検査では原告の左耳聴力は正常範囲内で、耳道、鼓膜、鼻咽腔等に著るしい異常はないが、右耳につき相当の聴力損失があるとのことであること、その後昭和四九年一一月八日に都内大田区所在の東邦大学医学部附属大森病院に転医し、同病院で四回にわけて繰り返し精密検査を受けたこと、その結果同病院の担当医師は、原告の従前の聴力は不明であるが、事故後聴力が落ちたのであれば、右外傷性耳小骨連鎖離断の疾病が考えられる旨の診断をしていること、の各事実が認められる。
四 前記乙第二号証(カルテ)、原本の存在、成立とも争いのない甲第六ないし第八号証(聴力検査成績報告書)によれば、数ケ月をおいた四回以上の検査において原告の右耳は左耳と対照して強度、振動数において常に一定の関係で聴力が低下しており、原告の右耳の聴力に異常があることは疑いのないところである。その程度につき原告は右耳では電話のベル、ゴミ収集車のチヤイム等が聞きとり難く、また会話の場合相手の右側にいないと不自由があり、原告は家庭の主婦であるところ種々の点で不便を蒙つている旨供述している。
東邦大学附属病院の原告の担当医師が指摘するとおりこの右耳の障害が本件事故により生じたことを示す直接の証拠はない。しかしながら前記のとおり原告は事故直後警察への事故の届出、被告らと事故についての交渉をしているところ、証人小池徳一の証言、原告本人尋問の結果によれば、それには相当長時間を要したと認められるが、その間関係者において原告の右耳に異常があることを問題にした者はなく、事故の翌日から障害が生じたとの原告の供述を疑う事由は存しない。
のみならず東邦大学医学部附属大森病院に対する調査嘱託の結果によれば、鼓膜が正常で、レントゲン上でも異常はないのに、原告の右耳は伝音難聴(オージオグラム上骨導が正常で気導障害を認めるパターン)を示し、聴力損失値は平均して各周波とも約五〇デシベルの低下を示しているところ、かかる障害は耳小骨連鎖の固定、離断などが起つた場合の伝音障害と合致しており、鼓膜から内耳へ音を伝導する三ツの耳小骨は互いに関節で連絡されているので圧変化などの衝激によつて連鎖が離断することは考えられるところであり、よつて原告につき前記のとおり右外傷性耳小骨離断により右耳に障害が生じたと診断したとのことである。
そうすると原告の右耳の聴力障害が本件事故後生じたもので且つ本件衝突によつて生じたとみて合理性があるわけであり、よつてこの障害は本件事故によつて生じたと認め得るところである。
五 そこで右事実を前提として本件事故による原告の損害額を算出すると次のとおりとなる。
(一) 原告車の修理費 一一万七、三二〇円
原告本人尋問の結果により成立の認められる甲第九号証による。
(二) 治療費 一万九、八一〇円
前記甲第三号証、原告本人尋問の結果により成立の認められる甲第一六号証の一ないし三、同第一七、第一八号証の一ないし四によれば、原告の治療費は右金額を下回らないことが認めうる。
(三) 交通費 三、〇〇〇円
原告の住所と通院先の病院、通院回数等に鑑み少なくとも右金額程度の交通費を要したことが推認される。
(四) 慰藉料 八五万円
本件事故の態様、原告の傷害並びに前記後遺症の程度等諸般の事情を斟酌すると本件事故発生についての原告の過失を考慮しても原告の慰藉料は右金額をもつて相当とする。
(五) 過失相殺
本件事故発生につき原告の過失が少なからず寄与していることは前記のとおりである。
しかるところ本件事故によつて生じた双方の車両損につき被告らは原告との間に双方の過失割合が原告八〇%、被告二〇%である旨の示談が成立したと主張する。なるほど証人小池徳一の証言、原告本人尋問の結果によれば、当初本件事故は単なる物損事故と思われたことから、穏便に処理しようとの考慮のもとに、原・被告らの間において被告ら主張のごとき書面を作成して警察に提出したことが認められるが、その後原告の身体に異常が生じたためその書面は撤回されている。そうするとこの書面が過失割合について原・被告ら間に法的な効果を生じさせるものであつたとは認め難いと判断せざるを得ず、右被告ら主張は採り得ないところである。
前記のとおりの本件事故の態様からすると原告の過失を考慮して右(一)修理費についてはその七割を減じた三万五、一九六円の賠償請求権を有し、(二)治療費、(三)交通費についてはその金額が多くないこと、原告が被告らから事故後何らの填補を受けていないことに鑑み過失相殺をしないのを相当とする。また(四)慰藉料については前記のとおり原告の過失を考慮しても前記金額をもつて相当とするものである。
そうすると原告は本件事故による物損につき三万五、一九六円、人的関係の損害として八七万二、八一〇円の合計九〇万八、〇〇六円の賠償請求権を有することになる。
(六) 弁護士費用 一〇万円
本件訴訟の内容、審理の経過、認容額に鑑み弁護士費用のうち本件事故による損害と認めうるのは右金額をもつて相当とする。
(七) 総計 一〇〇万八、〇〇六円(内弁護士費用一〇万円)
六 そうすると原告の本訴請求は、被告両名に対し連帯で、一〇〇万八、〇〇六円及び内弁護士費用を除く九〇万八、〇〇六円に対する事故当日たる昭和四八年一二月一日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容することとし、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する次第である。
(裁判官 岡部崇明)