東京地方裁判所 昭和50年(ワ)1675号 判決 1976年10月26日
原告
室伏保
ほか五名
被告
京浜急行電鉄株式会社
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告室伏保に対し、金三四八万七、二二〇円及びこれに対する昭和四九年一〇月三一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告室伏もみ子に対し、金三九四万三、六一〇円及びこれに対する昭和四九年一〇月三一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告室伏進、原告室伏まさ子及び原告室伏清に対し、それぞれ金一七四万三、六一〇円及びこれに対する昭和四九年一〇月三一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、また、原告室伏明に対し、金二、四二四万五、一二三円及びこれに対する昭和五〇年三月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。
第二請求の原因
原告ら訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。
一 事故の発生
1 亡室伏フミ子及び原告室伏明は、昭和四九年一〇月三〇日午前一一時四六分頃、東京都品川区北品川一丁目所在の被告の京浜急行本線(以下「本線」という。)北品川第二踏切(以下「本件踏切」という。)を横断する際本線三浦海岸行特急電車(運転士根本博)(以下「本件電車」という。)に轢過され、亡スミ子は、頭蓋骨骨折により約一〇分後に死亡し、原告明は、左大腿挫断創等の傷害を受け、本件事故当日から昭和四九年一二月二九日まで(六一日間)北品川病院に入院し、一旦退院後、昭和五〇年一月一〇日から湯河原厚生年金病院に入院し、同年二月末日現在、なお同病院に入院中である。
2 原告明及びその祖母である亡フミ子は、品川教会付属幼稚園(本件事故現場から徒歩約三分の位置にある。)から自宅(本件事故現場から徒歩約五分の位置にある。)へ帰る途中、本線の軌道に平行して走つている第一京浜国道側から本線の反対側へ横断するため本件踏切内に入つたところ、折柄、本件電車が北品川駅方向から接近し、踏切の警報機が鳴り、出口(第一京浜国道と反対の側)の遮断機が降り始めたが、右遮断機前方の従前存在していた軌道(以下「旧軌道」という。)に電車がくるものと錯覚し、本件踏切内である右遮断機手前で佇立して電車の通過を待つていて、本件事故に遭つたものである。
二 責任原因
本件踏切設備は、被告の設置及び保存に係るものであるところ、その設置及び保存には次に述べるように瑕疵があつた。すなわち、本件事故現場は、被告が本線の軌道を高架にするための立体化工事を施工中であり、旧軌道を撤去し、第一京浜国道側に臨時軌道(以下「新軌道」という。)を設けてこれに切り替え、それに伴い、従来旧軌道上に設置されていた踏切(以下「旧踏切」という。)を新軌道上の本件踏切に切り替え移転したものであつて、本件踏切は臨時に設置されたものであるところ、本件事故当時は右切替後間もない頃であり、本件踏切の通行人は、長年旧踏切に慣れていた踏切周辺の居住者が多く、かつ、注意力旺盛な青壮年のみでなく比較的注意力の弱い老人・小児等もいるのであるから、これらの者が踏切の所在につき錯覚しないよう十分な措置を講ずることが必要な状況にあつた。しかるに、踏切切替えに当たつては、近隣居住者への折込広告による予告等右錯覚防止の措置は何らなされず、単に本件踏切に警報機及び遮断機を設置したに止まり、旧軌道のレール撤去後旧踏切に残された軌道跡の溝はアスフアルト等による充填をせずに古枕木で穴埋されただけで新踏切内に入つて眼前に遮断機が降りると旧軌道に電車がくるように錯覚しがちな構造となつており、本件踏切と同状況下にある北品川第三踏切には看視員が配置されていたにもかかわらず、本件踏切には本件事故当時、利用者の注意、誘導等に当たる踏切看視員が配置されていなかつたもので、踏切切替えに伴う錯覚防止措置は皆無に等しかつた。のみならず、北品川第一踏切から本件踏切までの間、電車軌道は横浜方面に向つて左側へ湾曲しているが、本件事故当時、この湾曲部には旧軌道と新軌道との間に鉄柱を立てて高さ約三メートルの工事用金網を張つていたため、これに遮られて、北品川駅方向から本件踏切への見通しは悪く、通過電車から本件踏切通行人の早期発見が妨げられ、通行人も通過電車の早期発見が妨げられる状態にあつた。以上のとおりであるから、本件踏切は、臨時に切替え設置された踏切として通常有すべき安全性を欠いていたものというべきところ、亡フミ子及び原告明は踏切の所在を錯覚し、かつ、本件電車による右両名の発見が遅れたため本件事故に遭つたものであるから、本件事故は、土地の工作物である本件踏切設備の設置及び保存の瑕疵に基因するものというべきである。したがつて、被告は民法第七一七条第一項の規定に基づき、本件事故により亡フミ子及び原告らが被つた損害を賠償すべき責任がある。
被告は、本件踏切の保安設備は、通達による踏切道保安設備設置標準に準拠しているから、瑕疵がない旨主張するが、右設置標準は平常時における標準であるから、個個の踏切設備の特殊事情に応じて事故発生防止のため必要にして十分な設備を要することはいうまでもなく、この観点からみた場合、本件踏切設備に瑕疵が存することは前記のとおりである。
三 亡フミ子及び原告らの損害
亡フミ子及び原告らが本件事故により被つた損害は、次のとおりである。
1 亡フミ子関係の損害
(一) 葬儀費 金三〇万円
(二) 得べかりし利益
亡フミ子は、本件事故当時五八歳の健康な主婦で、夫の原告保及び孫の原告明の世話をし、家事一切を切盛りしていたものであり、本件事故に遭わなければその後少なくとも一〇年間は家事労働に従事することができたはずであるところ、同女の右家事労働は昭和四八年賃金センサス第一巻第二表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者全年齢平均給与年額金八四万五、三〇〇円を下らないものと評価することができ、この間の同女の生活費は右金額の五〇パーセントを超えないから、これを右金額から差し引き、以上を基礎としてライプニツツ方式により年五分の中間利息を控除して同女の得べかりし利益の本件事故時の現価を算定すると金三二六万一、六六〇円となる。
(三) 亡フミ子の慰藉料
亡フミ子は、本件事故で一命を失つたことにより多大な精神的苦痛を受けたものであるところ、これに対する慰藉料は金三〇〇万円が相当である。
(四) 相続
原告保は亡フミ子の夫であり、原告もみ子、同進、同まさ子及び同清はいずれも亡フミ子の子であり、同女の相続人は右原告五名以外には存しないから、右原告五名は、亡フミ子の前記(一)ないし(三)の合計金六五六万一、六六〇円の損害賠償請求権をそれぞれの法定相続分(原告保が三分の一、原告もみ子、同進、同まさ子及び同清が各六分の一)に応じて、すなわち、原告保において金二一八万七、二二〇円、その余の右原告四名において金二一八万七、二二〇円、その余の右原告四名においてそれぞれ金一〇九万三、六一〇円ずつ相続した。
(五) 遺族固有の慰藉料
亡フミ子の死亡によつて、原告保は夫として、原告もみ子、同進、同まさ子及び同清は子として、いずれも精神的苦痛を受けたものであるところ、これに対する慰藉料は、原告保につき金一〇〇万円、その余の右原告四名につきそれぞれ金五〇万円を下らない金額が相当である。
2 原告明関係の損害
(一) 付添費用
原告明の前記入院中、同原告の母である原告もみ子が勤務先を退職してその付添に当たつたが、右付添料は一日当たり金二、〇〇〇円を相当とするから、この割合による北品川病院入院六一日間と湯河原厚生年金病院入院期間中昭和五〇年二月末日までの五〇日間の合計一一一日間における入院付添料は金二二万二、〇〇〇円となり、原告明は同額の損害を被つた。
(二) 入院雑費
原告明は、(一)の入院一一一日間、諸雑費として一日金五〇〇円の割合により合計金五万五、五〇〇円を支出し、同額の損害を被つた。
(三) 得べかりし利益
原告明は、本件事故当時、五歳の健康な男児であつたが、本件事故により左下肢を膝関節以上で切断し、完全に片足の機能を喪失するに至り、右障害は労働基準法施行規則別表第二身体障害等級表第四級に相当する後遺障害に相当するから、その労働能力の九二パーセントを失つたものというべく、本件事故に遭わなければ、一八歳から六七歳まで五〇年間にわたり稼働して、この間金一六二万四、二〇〇円(昭和四八年賃金センサス第一巻第二表産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者全年齢平均給与額)を下らない年収を得ることができたはずであるから、右稼働全期間にわたり年間金一四九万四、二六四円(前記年収額の九二パーセントの金額)を下らない得べかりし収益を喪失したものというべく、以上を基礎として、ライプニツツ方式により年五分の中間利息を控除して原告明の逸失利益の本件事故時における現価を算定すると金一、四三九万七、六二三円となる。
(四) 原告明の慰藉料
(1) 入院分
原告明は、前記受傷の結果、昭和五〇年二月末日現在なお入院を余儀なくされ、多大な精神的苦痛を受けたところ、右同日まで一一〇日間の入院に対する慰藉料は、金五〇万円が相当である。
(2) 後遺障害分
原告明は、本件事故により前記の後遺障害を遺すに至り、多大な精神的苦痛を受けたところ、これに対する慰藉料は、金六八七万円が相当である。
(五) 原告もみ子の損害
原告もみ子は、原告明の母であり、同原告が本件事故により幼児にして片足を失うという死亡したに比肩すべき程度の後遺障害を遺したため、多大の精神的苦痛を受けたものであるから、民法第七一一条に準じて被告に対し慰藉料を請求しうるものというべく、その額は金二〇〇万円を下らない。
3 弁護士費用
原告らは、被告が以上の損害賠償につき任意支払に応じないため、やむなく本訴の提起、追行を弁護士である原告ら訴訟代理人に委任したが、このために要すべき弁護士費用は、次のとおり前記各損害額の一〇パーセントを下らない。すなわち、原告保分金三〇万円、原告もみ子分金三五万円、原告進、同まさ子及び同清分各金一五万円、原告明分金二二〇万円である。
四 よつて、本件事故に基づく損害賠償として、被告に対し、原告保は、前記三1(四)、(五)及び3の合計金三四八万七、二二〇円及びこれに対する本件事故発生の日の後である昭和四九年一〇月三一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告もみ子は、前記三1(四)、(五)、2(五)及び3の合計金三九四万三、六一〇円及びこれに対する前同日から支払済みに至るまで前同率の割合による遅延損害金の支払を、原告進、同まさ子及び同清は前記三1(四)、(五)及び3の合計各金一七四万三、六一〇円及びこれに対する前同日から支払済みに至るまで前同率の割合による遅延損害金の各支払を、原告明は前記三2(一)ないし(四)及び3の合計金二、四二四万五、一二三円及びこれに対する本件事故発生の日の後で、本件訴状送達の日の翌日である昭和五〇年三月一一日から支払済みに至るまで前同率の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三被告の答弁
一 請求の原因一項1の事実中、入院関係は争い、その余は認める。同項2の事実は、知らない。
二 同二項の事実中、本件踏切が被告の設置・保存に係るものであることは認めるが、その余は否認する。
被告の本件踏切設備の設置及び保存には、次に述べるとおり毫も瑕疵がなかつた。すなわち、
1 本件踏切は、臨時に設けられた仮踏切ではなく、正式の本踏切であり、適法かつ適式な方法により他の一般の踏切と同様の保安設備を具備していた。すなわち、踏切道の保安設備については、運輸省鉄道監督局長の各陸運局長に対する昭和二九年四月二七日鉄監第三八四号「地方鉄道及び専用鉄道の踏切道保安設備設置標準について」と題する通達(以下「鉄監第三八四号通達」という。)がその内容を明らかにしているところ、本件踏切は、右通達中の第一種甲の踏切道に該当し、踏切道を通過する全ての列車に対して自動踏切警報機の設備を伴う自動踏切遮断機で軌道を遮断するという、右通達の種別の内で最も保安度の高い設備を具備したものである。しかして、右設備は、本件事故当時も全く正常に作動していたものであるから、本件踏切保安設備自体について、その設置及び保存に瑕疵はなかつた。
2 被告は、本件踏切に切り替えるに当たつて、昭和四九年九月二四日から切替え移動の予告表示看板を出して周辺住民等の利用者に注意を喚起していたのであり、本件踏切使用開始時(同年一〇月五日の始発時)には旧踏切両側に設置してあつた警報機及び遮断機を撤去し、新たに本件踏切の両側に警報機及び遮断機を設置しなおし、本件踏切の入口には「踏切だ鳴らせ心の警報機」の注意喚起の看板を掲げ、旧軌道レール撤去後の旧踏切レール跡の溝は原告ら主張のとおり枕木で埋めたほか、旧踏切は電車軌道としてもはや使用していないことを示すために旧踏切両側に虎テープを張る等の措置を講じていたもので、本件踏切との識別に関しては一般通行者が通常の注意を払えば容易に識別しうる措置を施していたものである。
以上のとおりであるから、本件事故は、当時極めて健康であつた亡フミ子において、通常の注意能力を働かせば未然に防止できたもので、全く原告側の一方的不注意に起因するものであり、被告には損害賠償責任はない。
なお、原告らは、本件踏切に監視員を置いていなかつたことを瑕疵原因の一となすが、本件踏切は、臨時の仮踏切ではなく、前記のとおり高度の保安設備を具備した正式な本踏切であるから、踏切監視員を配置しておく必要はなかつたものである。
また、原告ら主張の金網は、本件事故当日、事故後である午後一時から午後四時三〇分の間に張つたもので、本件事故当時はなかつたものである。
三 同三項の事実は、争う。
第四証拠関係〔略〕
理由
(事故の発生)
一 亡フミ子及び原告明が、原告ら主張の日時及び場所において、本件電車に轢過され、亡フミ子は頭蓋骨骨折により約一〇分後に死亡し、原告明は左大腿挫断創等の傷害を受けた事実は、本件当事者間に争いがない。
(本件踏切の設置又は保存の瑕疵の有無について)
二 本件踏切が被告の設置・保存に係るものであることは当事者間に争いがないところ、原告らは、本件踏切の設置及び保存には瑕疵があり、本件事故は右瑕疵に基因する旨主張するので、以下この点につき審究することとする。
いずれも原告ら主張のとおりの写真であることにつき争いのない甲第二号証の一ないし六、第三号証の一ないし四、成立に争いのない甲第一号証の一、二、第六号証、乙第一号証、第二号証の一ないし三、証人城田九一の証言により成立の認められる乙第三号証及び証人田川茂男の証言により成立の認められる乙第四号証の一、二並びに証人田川茂男、同城田九一、同根本博、同山田冨水子、同続木たい子及び同浦征夫の各証言(証人根本博及び同浦征夫の各証言中後記措信しない部分を除く。)に弁論の全趣旨を総合すると、(一)本件踏切は、本線北品川駅(北方)と北馬場駅との中間に位置し、ほぼ南北に通ずる列車専用軌道である本線上下線軌道に対して東南・北西方向に斜めに平面交差する幅員五・七メートルの踏切道であつて、本件踏切西側入口は、本線とほぼ平行に走る第一京浜国道の東側歩道に接しており、本線は本件踏切の約五〇メートル北方からその北品川駅方向にある北品川第一踏切にかけて東方向にゆるく湾曲していること、(二)本件踏切は、鉄監第三八四号通達において、踏切道の交通量及び通過列車回数により分類された踏切道種別中、最も踏切利用度の高い第一種甲の踏切道に該当し、右通達並びにいずれも鉄道監督局民営鉄道部長の各陸運局長に対する昭和三〇年三月四日付鉄電第五号「踏切警報機の構造基準について及び昭和三一年一一月一七日鉄電第一二号「自動踏切遮断装置の構造基準について」と題する各通達に従つて、西側入口北端及び東側入口南端に、黄色と黒色の交互塗装のされたクロスマーク(裏側は黄色のみの塗装である。)、赤色閃光灯、通過列車進行方向指示器及び一旦停止標示板が付属した、列車通過時に自動的に警音を発する自動踏切警報機(以下「警報機」という。)及び列車通過時に自動的に遮断桿を水平に降下させて踏切道を全遮断する自動踏切遮断機(以下「遮断機」という。)が設置されている(警報機及び遮断機は、踏切道保安設備としては、人為的ミスの介在する余地のない最も安全度の高いものである。)ほか、本件踏切両側の遮断桿の降りる位置よりやや外側に停止白線の標示がされ、更に、本件踏切西側停止白線の北端脇には西向きに、南端脇には東向きに「踏切だ鳴らせ心の警報機」と書かれた、また、踏切東側警報機前には、「危い」との文字及び踏切図柄の書かれた、いずれも品川警察署及び被告名義の注意喚起の看板が付設されていたこと(なお踏切監視員は、本件事故当時、配置されていなかつた。)、(三)本件踏切の警報機及び遮断機の性能は、本件電車のような下り特急列車通過の場合、列車踏切通過時の三五秒前から警報機が警音を発し、かつ、赤色閃光灯を点滅させて警報を開始して列車通過を予告し、その七秒後に遮断桿が降下し始めて(この時間間隔は、通常人が本件踏切を渡り切るのに七、八秒あれば十分であることを考慮して設定したものである。)六秒で降下を完了するようになつており、したがつて、遮断完了後列車が踏切道に達するまでになお二二秒の余裕があるもので、本件事故当時も以上のとおりに正常に作動していたこと、(四)本件事故当時、本件踏切付近は環状六号線との立体交差のため、軌道の高架工事を施行中であり、本線の上下線軌道は、以前はそれぞれ約八・九メートル東方に敷設されていたが、右工事のため、本件事故当時の位置に移設し、上り線軌道については、本件事故の約一か月前の昭和四九年九月三〇日、また、下り線軌道については、同年一〇月四日それぞれ終発電車通過後に列車通過軌道の切替えを実施し、旧軌道上に設置されていた踏切道(旧踏切)も、これを新軌道上まで延長して新軌道と交差する位置に本件踏切を新設し、軌道切替えと同時に本件踏切に切り替えたものであること、(五)本件事故当時、旧軌道及び旧踏切の状態は、旧軌道のレール及び枕木は撤去され、踏切道外に敷かれた線路用砂利はかきならされて平坦になつており、旧踏切両端には、旧軌道がもはや電車軌道として使用されていないことを明示するため、旧軌道内の高架工事現場に工事用自動車等が出入する際取りはずされる場合を除き、踏切道と平行に上下二段の虎ロープが張られ、また、旧軌道レール撤去後の旧踏切レール跡に残る溝には古枕木が埋められていたほか、旧踏切両側に設置されていた警報機、遮断機等一切の保安設備は撤去された状態になつていたこと、(六)本件事故当日、原告明(当時五歳)の祖母である亡フミ子(当時五八歳)は、本件踏切近隣にある品川教会付属幼稚園へ通園している原告明を同幼稚園へ迎えにいき、その帰途、原告明と並んで本件踏切を西側から東側へ横断するため、本件踏切内に入つたところ、折柄、本件電車が北品川駅方向から本件踏切に接近してきたことを予告すべく、本件踏切両側に設置の警報機が鳴り始めたが、両名は、話をしながらゆつくりと本件踏切の中を歩き、東側遮断機の遮断桿が降下を完了したとき、すでに本件踏切東側遮断桿内側北寄りの地点に到達していたにかかわらず、その位置で立ち止まつて佇立し、左右の確認をすることもなく、平然と電車の通過待ちをしているうち、本件電車は、時速約四八キロメートルの速度で進行し、本件踏切と北品川駅との間にある北品川第一踏切の通過時及び同踏切通過後前記本線の軌道湾曲部に至る直前において、それぞれ警笛を吹鳴しながら、右湾曲部から、本件踏切を直線で見通せる本件踏切の約四八メートル手前の地点まで接近したところで、本件電車の運転士根本博は本件踏切内下り線軌道付近に亡フミ子及び原告明が佇立しているのを発見し(右地点以前では、本件踏切北側から前記湾曲部付近まで新旧軌道の境に立てられた工事用防護金網を張るための鉄柱に妨げられて見通しが悪かつた。)、短急汽笛を吹鳴して危険を知らせるとともに急制動をかけたところ、亡フミ子は初めて本件電車が新軌道下り線を疾走してくるのに気付き、あわてて原告明を抱きかかえたが、そのまま何らの避難措置も講じなかつたため、本件事故が発生するに至つたものであること、(七)亡フミ子は、本件事故に至るまで毎日、原告明の通園の際の送迎をしており、本線の東側にある自宅から幼稚園のある西側へ渡るのに普段は本件踏切より北馬場駅方向にある北品川第三踏切を利用していたところ、同踏切は軌道高架工事中でダンプカー等の出入りが激しいため、本件事故の二日位前から本件踏切を利用するようになつたものであるが、北品川第三踏切における本線新旧軌道及び踏切道の切替えの状況は、前記(四)の本件踏切の場合と同様であつたこと、(八)本件踏切の交通量は割合多かつたが、軌道及び踏切切替えが行われてから約一か月を経て発生した本件事故の前後を通じ、本件踏切において発生した電車と通行人との接触事故は、本件事故以外に存しないこと、以上の事実を認めることができ、証人根本博、同浦征夫の各証言中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らし、たやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
叙上認定の本件事故発生に至るまでの亡フミ子及び原告明の挙動に徴すると、右両名が踏切の所在を錯覚し、旧踏切を電車が通過するものと誤信していたことは推認するに難くないが、前叙認定に係る本件踏切の保安設備の設置状況、警報機及び遮断機の性能、旧軌道及び旧踏切の状態並びに本件事故発生の状況等に徴すると、本件踏切は、本来、備えるべき保安設備を具有しており、かつ、踏切の所在の表示において何ら欠けるところはなく、また、旧軌道がもはや電車軌道として使用されておらず、旧踏切がその機能を廃したことも一見して明瞭に察知しうる状況にあつたものということができ、踏切通行人において、軌道ないし保安設備の所在に注意し、保安設備の指示に従つて行動するという踏切横断の際になすべき通常の注意をなす限り、本件踏切を西側から東側へ横断する際に本件踏切が現に使用中であることを看過して旧踏切を電車が通過するものと錯覚することはありえず、本件事故は、専ら、原告明の保護者的立場にあつた亡フミ子が、新旧軌道切替後一か月近くもほぼ毎日、本件踏切と同様な状況にある北品川第三踏切を利用していたのであるから、通常の通行人より更に一層容易に本件踏切及び旧踏切の構造を理解しえたにもかかわらず、右の程度の注意をさえも怠つたため発生したものと認めるのが相当であつて、本件踏切が通常有すべき安全性を欠いていたものとは、本件全証拠によるも到底認めることができない。
原告らは、本件踏切から北品川第一踏切方向の湾曲部にかけて、新旧軌道の境に工事用防護金網を張るための鉄柱が並んで設置されていたため、これに遮られて、右湾曲部までは下り電車の本件踏切方向の見通しが悪かつたこと、及び本件事故当時、本件踏切に踏切監視員が配置されていなかつたことを瑕疵原因として主張するが、本件踏切には前記のとおり踏切利用者において通常の注意をなせば何ら危険を伴うことなく横断しうるだけの保安設備が設置されていたのであるから、被告としては、踏切通行人が右の注意義務を遵守して踏切を横断するものと信頼して軌道施設の整備、列車の運行及び高架工事の施行をなせば足りるものというべきであつて、前記鉄柱による見通しの悪化は、本件踏切の有する安全性についての前叙判断をいまだ左右するものではなく、また、本件踏切の保安設備の内容及びその性能並びに旧軌道及び旧踏切の状態に、本件事故が本線の軌道及び踏切切替えのなされた時から約一か月を経過した後に発生したものであることをも併せ考慮すると、本件事故当時、踏切監視員を配置して踏切利用者の誘導等に当たらせなければ、踏切通行人において前記の注意をなしても、なお本件踏切の横断が何らかの危険を伴うものであつたとは到底認め難く、このことは、前記鉄柱のため下り電車から本件踏切の見通しの悪化が存するとしても変わりはないものというべきであるから、本件踏切に監視員が配置されていなかつた事実もまた、本件踏切の安全性についての前段判示を左右するものというをえない。
したがつて、本件踏切に設置ないし保存の瑕疵がある旨の原告らの主張は、採用するに由ない。
(むすび)
三 以上の次第であるから、原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないものというほかはない。よつて、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九三条第一項及び第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 武居二郎 島内乗統 信濃孝一)