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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)3754号 判決 1979年4月19日

原告

金子正一郎

被告

有限会社石黒運送

ほか二名

主文

一  被告らは各自原告に対し、各金一二七万九二〇四円及びこれに対する被告有限会社石黒運送は昭和四九年三月一日から、被告石黒和は昭和四八年三月一〇日から、被告池田文雄は昭和五〇年五月二〇日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は主文第一項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、金七五六万五二八一円及びこれに対する昭和四六年六月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

昭和四六年六月一二日、原告が東京都練馬区方面から埼玉県戸田区方面へ向けて普通乗用車(練馬五ま二四四六、以下原告車という。)を運転し、同日午後一一時一五分ころ、同区高松町六丁目三一番一号先道路に差しかかつたところ、前方の信号が赤を現示していたため停車し、青信号に変るのを待つていたところ、後方から進行してきた被告池田文雄(以下被告池田という。)運転の普通貨物自動車(品川一一あ七九〇、以下被告車という。)に追突され、鞭打ち症(頭重感、頸部痛、手指の痺れ感右上、下肢の痺れ、眼精疲労等)の傷害を受けた。

2  責任

(一) 被告有限会社石黒運送(以下被告会社という。)

被告会社は、本件事故当時被告車を運行の用に供していたのであるから、自動車損害賠償保障法三条により右事故により原告の被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告石黒和(以下被告石黒という。)、同池田

本件事故は、被告会社の業務として被告車を運転していた被告池田において前方注視を怠つたうえ、赤信号を無視したために発生したものであり、被告石黒は同池田の使用者である被告会社の代表者で、同被告に代つて被告池田を監督すべき立場にあつたのであるから、被告池田は民法七〇九条により、同石黒は同法七一五条二項によりそれぞれ右事故により原告の被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

3  損害

(一) 治療費

原告は前記傷害の治療のため昭和四六年六月一六日から昭和四九年五月末日まで、河井病院、坂戸中央病院、寺田眼科医院、小林治療院、東京慈恵会医科大学附属病院(以下慈恵医大病院という。)、葛ケ谷医院関越病院、関口鍼灸院へ通院し、治療費として河井病院に対し金八三万七〇〇〇円、坂戸中央病院に対し金一五万四七九八円、寺田眼科医院に対し金六四〇〇円小林治療院に対し金六万九〇〇〇円、慈恵医大病院に対し金八万七九二三円、葛ケ谷医院に対し金六六〇〇円、関越病院に対し金二七八〇円、関口鍼灸院に対し金四三五〇円、合計金一一六万八八五一円を支払つた。

(二) 通院交通費

原告は東京都新宿区西落合所在の河井病院、同都中野区東中野所在の小林治療院、同都港区西新橋所在の慈恵医大病院への通院のため、昭和四七年一月から同四九年五月まで埼玉県坂戸市と東京都池袋までの間の定期乗車券を購入して電車を利用したが、定期乗車券購入のため一か月金三一四〇円の割合による二七か月分金八万四七八〇円を、河井病院への通院のため池袋から西落合間のバス往復代金として一回金八〇円の割合による二七五回分金二万二〇〇〇円を、小林治療院への通院のため池袋・東中野間の電車往復代金として一回金一四〇円の割合による六八回分金九五二〇円をまた慈恵医大病院への通院のため池袋・神谷町間の電車往復代金として一回金一四〇円の割合による二〇回分金二八〇〇円をそれぞれ支出し、したがつて原告が通院のために支出した交通費は合計金一一万九一〇〇円となる。

(三) 通院中の諸雑費

原告は前記通院中に、電話料及び内容証明郵便等の料金として金二万二〇七八円、医師らへの謝礼として金一万五四〇〇円、栄養補給費として金六六五〇円、保険会社への保険金請求等のための費用として金三五二〇円、眼鏡購入代金として金三万三七〇〇円、坂戸中央病院、関越病院への通院に使用する自転車購入代金として金二万五〇〇〇円、治療費支払のために銀行からの借入金の利息として金三万四一四二円、右以外の諸雑費(医師、看護婦、治療師、示談交渉の代理人に対する謝礼、調停申立費用、紛失タイヤ購入費、内容証明用紙、白熱燈電気スタンド購入費等)として金六万八五四〇円、合計金二〇万九〇三〇円を支出した。

(四) 休業損害

原告は本件事故当時、訴外株式会社野沢工務店(以下訴外会社という。)に勤務していたが、本件事故による前記傷害のために昭和四六年六月一六日から同年一〇月二七日までの一三四日間ならびに昭和四七年八月二五日から同四八年三月二五日までの二一三日間欠勤し、その間昭和四六年六月一六日から同年一〇月二七日までは一日当り金四一〇〇円、昭和四七年八月二五日から同四八年三月二五日までは一日当り金四七四〇円の各割合による合計金一五五万九〇二〇円の収入が得られなかつたうえ、長期欠勤のため昭和四七年一二月に支給される筈の賞与金三〇万円が支給されなかつた。したがつて、原告の休業損害は合計金一八五万九〇二〇円となる。

(五) 離職による逸失利益

原告は前記のように長期間訴外会社を欠勤するのに耐えられず、昭和四八年三月二五日に同会社を退社し同月二六日から後記のとおり症状が固定した昭和四九年四月八日までの三八〇日間稼働することができなかつたが、本件事故に遭遇しなければ、原告は右期間中に一日金四七四〇円の割合による給与ならびに昭和四八年七月及び一二月、同四九年七月に支給される賞与すなわち半期金三〇万円の割合による合計金七五万円を得られた筈であるから、原告の離職に伴う逸失利益損害は合計金二五五万一二〇〇円となる。

(六) 後遺症による逸失利益

原告の前記傷害は、昭和四九年四月八日に頭重感、頸部痛、眼精疲労、右手指がぎこちなくなる等の後遺症を残して症状が固定し、右後遺症は自動車損害賠償保障法施行令別表第一四級九号に該当するので、その労働能力は右固定時から二年間にわたり五パーセント喪失したところ、原告は本件事故当時訴外会社から給与として毎月金一二万三四〇〇円の支給を受けていたから、これらを基礎に原告の後遺症による逸失利益損害を求めると金一四万八〇八〇円となる。

(七) 慰藉料

原告は本件事故により前記のような傷害を負い、現在に至るもなお前記のような後遺症に悩み、従前行なつていた一級建築士としての仕事も従前程にはできなくなるなど、その精神的苦痛は多大であり、これが慰藉料は金二〇〇万円が相当である。

(八) 弁護士費用

原告は本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人に委任し、昭和五〇年五月一日に着手金として金二〇万円を支払い、同額の損害を被つた。

(九) 損害の填補

原告は自動車損害賠償責任保険から保険金として金六九万円の給付を受けた。

4  結論

よつて、原告は被告ら各自に対し本件事故による損害の賠償として金七五六万五二八一円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四六年六月一三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する被告らの認否

1  請求の原因1の事実中、事故の態様、原告の傷害の部位、程度は否認し、その余は認める。

2  同2(一)の事実は認める。

3  同2、(二)の事実中、被告石黒が同池田の使用者である被告会社の代表者で、同被告に代つて被告池田を監督すべき立場にあつたこと、本件事故の発生について被告池田に前方注視を怠つた過失があつたことは認めるが、その余は否認もしくは争う。

4  同3、(一)ないし(八)は否認もしくは争う。原告の傷害は一か月余の通院治療で完治する程度のものであり、実際にも事故から四〇日後の昭和四六年七月二二日には完治したものであるから、原告の損害は、治療費が金一万八七〇〇円、休業損害が金五万三六二六円(一か月金一〇万七二五二円の収入を基礎に労働能力二分の一喪失として算出。)、慰藉料が金八万円、合計金一五万二三二六円が相当である。仮に、原告の傷害が右時点で完治していないとしても遅くとも事故後五か月を経過した時点で完治しているから、原告の損害は多く見積つても、治療費が金一七万九八九〇円、休業損害が金一九万六六二六円(一か月金一〇万七二五二円の収入を基礎に最初の一か月間は労働能力が二分の一、その後の四か月間は三分の一を喪失したものとして算出。)、慰藉料が金五〇万円、合計金八七万六五二四円が相当である。また、原告には本件事故による後遺症はない。

5  同3、(九)の事実は認める。

三  被告らの主張

本件事故は、被告池田が被告車を運転し、原告車の右後方を追従走行して本件事故現場に差しかかり、赤信号に従つて原告車の右側に停車しようと減速したところ、原告車が突然右側の道路中央寄りの被告車の前方に出てきたうえ、急に左へハンドルを切つて急停車したため、避け切れず、原告車の右後輪付近と被告車の左後輪付近とが衝突したものであり、原告の右のような急ハンドル、急ブレーキも本件事故の一因となつているから、原告の損害額の算定にあたつては、原告の右過失を斟酌すべきである。

四  被告らの主張

被告らの主張は否認もしくは争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  原告主張の日時、場所において、原告運転の原告車と被告池田運転の被告車が衝突し、原告が傷害を負つたことは各当事者間に争いがなく、原本の存在及び成立に争いのない甲第二号証、第四号証の一、原告本人尋問の結果を総合すると、原告は本件事故により頭重感、項部痛、手指の痺れ感、右上下肢の痺れ等のいわゆる鞭打ち障害の傷害を負つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  被告会社が本件事故当時本件事故車を運行の用に供していたこと、本件事故は被告会社の使用する被告池田が被告会社の業務として被告車を運転中に前方の注視を怠つたために発生したこと、被告石黒は被告会社の代表者として同被告に代つて被告池田を監督すべき立場にあつたことはいずれも各当事者間に争いがないから、被告会社は人的損害については自動車損害賠償保障法三条、物的損害については民法七一五条一項により、被告石黒は同条二項により、被告池田は同法七〇九条により、それぞれ右事故によつて原告の被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

三  そこで原告の損害について判断する。

1  治療費

前掲甲第二号証、第四号証の一、成立に争いのない甲第五号証、第七号証の一ないし四、第八号証の一、二、第一六号証、第一七号証一ないし五、第一八号証の一、二、第一九号証の一ないし七、乙第二号証の一ないし六、第三号証の二ないし四、第四、第五号証(甲第五号証、第七号証の一ないし四、第八号証の一、二、第一八号証の一、二、乙第四、第五号証は原本の存在とも。)、原本の存在については当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第四号証の一ないし五、第六号証、第九号証、第一二号証、ならびに同本人尋問の結果を総合すると、原告は本件事故により前記のような傷害を負い、昭和四六年六月一六日から同月二六日まで河井病院に(実通院日数六日)、同月二八日から同年一〇月二七日まで医療法人刀仁会坂戸中央病院に(実通院日数八五日)、その間の同年七月一日、八月一二日、九月二〇日寺田眼科医院に、さらに昭和四七年一月一四日右坂戸中央病院に、同月二七日から同四九年四月八日まで再び河井病院に(実通院日数三三一日)、その間の同四七年一一月八日及び同四八年一月一〇日葛ケ谷医院に、同四八年四月二一日から同年六月一三日まで(実通院日数五日)及び同四九年二月四日から同年四月六日まで慈恵医大病院に(実通院日数一六日)、同月二三日から同年一〇月三一日まで関越病院に(実通院日数七日)、それぞれ通院して診察あるいは治療を受け、その治療費として、河井病院に対する当初の分として金一万八七〇〇円、坂戸中央病院に対する当初の分として金一五万三三〇〇円、寺田眼科医院に対し金六四〇〇円、坂戸中央病院に対する一月一四日の通院分として金一四九八円、河井病院に対する再度の分として金八〇万六三五〇円、葛ケ谷医院に金六六〇〇円、慈恵医大病院に金三九六三円と金八万三九六〇円合計金八万七九二三円、関越病院に金二九九〇円、それぞれ支払つたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

しかしながら、前掲乙第二号証の一ないし六(但し四を除く)、第三号証の二ないし四、第五号証、証人野沢保雄の証言により真正に成立したものと認められる甲第一三号証の一及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、当初頭痛、項部痛、手指及び右上、下肢の痺れ感等があつたが、坂戸中央病院での治療の結果右症状も漸次軽快し、昭和四六年七月二二日ころからはそれまで欠勤していた当時の勤務先である訴外株式会社野沢工務店へも半日勤務を、同年八月一一日ころからは午後から夜まで勤務するようになり、同月一三日ころには一時間半位なら自動車の運転ができるまでに回復し、同年一〇月二七日には坂戸中央病院で略治の診断を受け、その後前記のとおり約三か月後に再び通院を開始したものの、右略治とされた日の翌日から昭和四七年八月二四日までは勤務を継続していたこと、前記のように坂戸中央病院通院中に寺田眼科病院で診察を受けたところ、弱視、白内障及び眼精疲労が認められるのみで、特に異常はない旨の診断を受けたこと、しかも原告には当初から本件事故による器質障害はなく、専ら自覚症状としての愁訴のみで、その自覚症状についても、前記のように昭和四七年一月再び河井病院に通院するようになつてから間もなく手の痺れ感がなくなり、その後は疲労すると症状が現われる程度にとどまり、昭和四九年二月左眼の複視、右手指巧緻運動障害の自覚症状があるとして前記のとおり慈恵医大病院において診察を受けたところ、整形外科的には完全に治療しており、眼科的にも何ら異常がなく、精神科の診察が必要である旨の診断を受けたことがそれぞれ認められ、他に右認定に反する証拠はない。

以上認定事実を総合するならば、原告の本件事故による傷害は、昭和四六年一〇月二七日をもつてその症状が固定し、その後は後遺症が残存したものとみるべきで、したがつて、本件において前記治療費中被告らに賠償を求め得るのは、右症状固定時までの分の全額である金一七万八四〇〇円と右症状固定時以後の分のうちその三分の一である金三〇万一七八七円、以上合計金四八万一八七円とするのが相当である。

なお、原本の存在に争いはなく、その成立も原告本人尋問の結果によつて認められる甲第六、第一〇、第一一号証及び右本人尋問の結果によると、原告は前記通院治療を受けた外、昭和四七年九月ころ鍼灸治療を、また同月ころから同四八年二月ころまでマツサージ治療をそれぞれ受け、その治療費を支出していることが認められるが、原告本人尋問の結果によると、右はいずれも医師の指示にもとづくものではないことが認められ、また通院治療以外に右各治療が必要であつたと認めるべき証拠もないので、これが賠償を求めることはできないものというべきである。

2  通院交通費

原告は、前記河井病院への通院のため、昭和四七年一月から同四九年五月までの間、坂戸市と池袋間の一か月金三一四〇円の電車定期券を購入し、その支出をした旨主張し、原告本人尋問の結果によつて成立の認められる甲第二二号証の一ないし三及び原告本人尋問の結果によると、右のうち昭和四九年四月一〇日までの支出の事実が認められるが、一方右原告本人尋問の結果によると、原告の当時の勤務先であつた前記訴外会社は河井病院から約五〇〇メートルの距離にあり、しかも原告は右期間のうち昭和四七年八月二四日までは訴外会社に通勤していたことが認められるから、右支出のうち通院のためとして認められるのは昭和四七年八月二五日から同四九年四月一〇日までの一九・五か月分であり、しかも前記1において判示したとおり、右通院は症状固定後の通院であるから、右のうち被告らに賠償を求め得るのはその三分の一である金二万四一〇円とみるのが相当である。

原告は、右の外河井病院通院のためのバス代、小林治療院通院のための電車代、慈恵医大病院通院のための電車代をそれぞれ支出した旨主張するが、右のうち小林治療院分については前記1において判示したとおり損害として認めることはできず、他の分の支出についてこれを認めるに充分な証拠はない。

3  諸雑費

(一)  通信費用

成立に争いのない甲第二〇号証の一ないし九、一一、六四ならびに原告本人尋問の結果を総合すると、原告は本件事故後、被告らに対して治療経過等の報告のため、昭和四六年六月二八日から同四九年六月四日までの間に一〇回にわたつて郵便物を発送したが、その代金として金三六二七円を、内容証明郵便用紙購入のため金二五〇円、合計金三八七七円支出したことが認められる。原告は右以外にも被告との交渉のために電話料を支出した旨主張し、成立に争いのない甲第二〇号証の一二ならびに原告本人尋問の結果によれば、原告が昭和四六年七月から同年一〇月までの間に合計金一万八二五六円の電話料を支払つたことが認められるが、同本人尋問の結果によると右電話料は原告が本件事故後被告らとの交渉の便宜のために自宅に設置した電話の利用代金で、被告らとの交渉以外にも電話を使用していることが認められ、同本人尋問の結果によつても被告との交渉に使用した電話の料金の額は明らかでなく、他にこれを認めるに足る証拠はない。

(二)  栄養補給費

原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証の二四ならびに同本人尋問の結果によると、原告は前記のように坂戸中央病院に通院中の昭和四六年七月の一か月間栄養の補給のためとして牛乳を購入し、その代金として金八四〇円を支出したことが認められるが、右の牛乳程度は特に栄養補給として本件事故に基づく損害と認めることはできないものというべきである。

(三)  保険金請求のための費用

原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証の三八ないし四九ならびに同本人尋問の結果を総合すると、原告は本件事故による原告の損害に関して、保険会社に対して保険金を請求するとともに、被告らに対しても保険会社へ提出したものと同一の書類を送付したが、それら書類のコピー料として金三一八〇円及び坂戸町役場から必要書類の下付を受けるため金一〇〇円の合計金三二八〇円を支出したことが認められる。

(四)  調停申立費用

成立に争いのない乙第一号証、原告本人尋問の結果によると、原告は昭和四八年一二月二〇日被告会社を相手方として本件事故による損害の賠償を求める調停の申立を大森簡易裁判所になしたが、その貼用印紙代として金二〇〇〇円を支出したことが認められる。

(五)  紛失タイヤ費用

原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証の六二ならびに同本人尋問の結果によると、本件事故により訴外会社所有の原告車が破損したため、被告らにおいて事故後原告車を修理し、修理後訴外会社に引き渡したが、その際原告車のトランクに積載していたスペアタイヤが紛失していたため、原告においてこれを弁償し、その費用として金三〇〇〇円を支出したことが認められる。

(六)  眼鏡、白熱燈購入費

原告は本件事故により前記のように複視を生じ、目が疲れるようになつたことは前記のとおりであるが、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証の五一、五二、六六ならびに同本人尋問の結果によると、原告は寺田眼科医院ならびに慈恵医大病院の処方で眼鏡を購入し、その代金として金二万三七〇〇円を、また原告は一級建築士として図面を見ることが多く、従前使用していた螢光燈スタンドは目が疲れやすく、医師の勧めもあつて白熱燈のスタンドに変えたが、その代金として金三五七〇円をそれぞれ支出したことが認められる。

(七)  薬品購入費

原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証の三四、三七ならびに同本人尋問の結果によると、原告は前記のように本件事故後眼精疲労があつたため、河井病院の医師の勧めで同症状に効果のあるアリナミンを購入して服用し、その代金として金三一二〇円を支出したことが認められる。

なお原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証の二七ないし二九、三一ないし三三、三五及び同本人尋問の結果によると、原告はその外に薬品購入のため合計金四二七〇円を支出したことが認められるが、右各薬品が治療上必要であつたと認めるに足る証拠はないから、右を損害として認めることはできない。

(八)  原告は、右以外にも(1)医師、看護婦、治療師への謝礼、(2)通院に使用する自転車の購入費用、(3)治療費支払のための銀行からの借入金の利息、(4)被告らとの示談交渉を行なつた原告の代理人への謝礼をそれぞれ支出しており、それらはいずれも本件事故により原告が被つた損害であるとしてその賠償を求め、成立に争いのない甲第二〇号証の六〇、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証の一三ないし一六、五三ないし五九、七一ないし七四ならびに同本人尋問の結果によると、これらに関する費用を支出していることが認められるが、右(1)については前記認定のような治療程度をもつてしては、これを損害として被告らに請求することはできず、(2)については、原告本人尋問の結果によると、同自転車は坂戸中央病院への通院のためのものであるところ、同病院は原告宅から片道徒歩で二〇分程度の距離にあることが認められるうえ、自転車が耐久消費材であることからして右購入費を損害として認めるのは相当でなく、(3)、(4)については、いずれもその支出が必要かつやむを得なかつたものであると認めるに足る証拠がないから、これらを損害として認めることはできない。

また原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証の一〇、一七ないし二三、二五、二六、三〇、三六、五〇、六一、六三、六五、六七ないし七〇及び同本人尋問の結果によると、原告がその外に見舞客接待のための寿司代、清涼飲料代、カセツトテープ代、印紙代、退職挨拶状代等の費用を支出していることが認められるが、右はいずれも本件事故と相当因果関係にたつ損害とは認められないから、これらを損害として認めることができない。

そうだとすると、原告が本件事故により支出した雑費として賠償を求め得るのは合計金四万二五四七円と認めざるを得ない

4  休業損害

前掲甲第一三号証の一、乙第二号証の一、証人野沢保雄の証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告は昭和一二年一二月二六日生れ(事故当時三三歳)の男子で、本件事故当時前記訴外会社に勤務し、工事部長としての職にあり、事故前の昭和四六年三月から五月までの三か月間に訴外会社から給与として金三二万一七五六円(一日当り金三四九七円)の支給を受けていたこと、原告は、本件事故による受傷のため昭和四六年六月一六日から勤務先を欠勤し通院治療を続けたが、同年七月二二日ころからは半日出勤、同年八月一一日からは午後から夜まで勤務するようになり、その後同年一〇月二八日から完全に勤務に復したが、昭和四七年八月二五日から再び欠勤し、同四八年三月二五日退職したことが認められる。原告は昭和四六年六月一六日以降同年一〇月二七日まで完全欠勤した旨主張し、右甲第一三号証の一、証人野沢保雄の証言及び原告本人尋問の結果中に右の趣旨に沿う記載ならびに供述部分が存在するが、それらは右乙第二号証の一の記載に照らしてにわかに措信することはできず、結局右の間は六月一六日から七月二一日までは完全欠勤、その後は半日欠勤をしたものと認めざるを得ず、その間右に対応して給与を受け得なかつたことは前掲各証拠から推認できるところであるから、原告の右期間における休業損害は合計金二九万七二四五円となることは計数上明らかである。

なお、原告は右以外にも昭和四七年八月二五日から訴外会社を退職した昭和四八年三月二五日まで訴外会社を欠勤したことは、前記のとおり認められるが、原告が再び欠勤をはじめた昭和四七年八月二五日ころの症状は前記認定のとおりで、後遺症が残存していたもののそのため勤務に堪え得なかつた程重篤であつたとは認め難いうえ、前掲乙第三号証の二ならびに原告本人尋問の結果によると、原告は昭和四七年一〇月一六日から同年一二月一五日まで慢性腎炎の治療のために河井病院に入院していたことが認められ、右事実を併せ考えると、原告の右欠勤が本件事故による傷害のためやむを得なかつたものであるか否か疑わしく、後記のとおり労働力低下による逸失利益損害は別として、休業損害としては認めることができないものといわざるを得ない。

5  離職による逸失利益

原告は、本件事故による傷害のため昭和四八年三月二五日訴外会社を退職せざるを得なくなり、症状固定時である昭和四九年四月八日までの給料及び賞与の支給を受けることができず、損害を被つた旨主張する。原告がその主張の日に訴外会社を退職したことは前記認定のとおりであるが、原告の症状は昭和四六年一〇月二七日ころには前記認定の程度に軽快していたうえ、前掲乙第三号証の二ないし四及び原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によると、昭和四八年二月下旬ころには一時間半位自動車の運転をすると眼が疲れる、同年三月上旬ころには一日おきなら四時間位図面を書くことができるという状態にあつたうえ、昭和四九年一月ころからは兄の経営する建築請負業を手伝つていたこと、その後自動車損害賠償責任保険の関係で後遺症について査定を受けたが、その程度は一四級該当であるとの認定を受けたことが認められ、それらの事実からするならば、原告がその傷害のため訴外会社に勤務することができず、退職をせざるを得なかつたとは認め難いから、右を理由とする逸失利益損害の請求は認め難いものというべきである。

6  後遺症による逸失利益

前記各認定にかかる原告の受傷部位、症状の程度、その後の回復状況等を総合勘案するならば、原告は本件受傷による後遺症のため前記症状固定時である昭和四六年一〇月二七日以降同四九年四月まで二年六か月にわたつてその労働能力が全期間を通じて平均五パーセント低下したものとみるのが相当であるところ、前掲甲第一三号証の一、二、証人野沢保雄の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は右昭和四六年当時訴外会社から給与として一か月平均金一〇万七二五二円、年間賞与として金五四万三五〇〇円を得ていたことが認められるから、これらの数額を基礎として前記期間における原告の労働能力低下による逸失利益額を算出すると、その数額が金二二万八八一五円となることは計数上明らかである。

7  過失相殺

被告らは、本件事故は、原告車が赤信号で停車する際に突然道路中央寄りの被告車の前方に出てきて、急に左へハンドルを切つたうえ急に停車したこともその一因となつている旨主張し、証人石黒広美の証言及び被告池田文雄本人尋問の結果中に右の趣旨に沿う供述部分が存在する。しかしながら成立に争いのない甲第一四号証、原告本人尋問の結果により本件事故後原告車を撮影した写真であると認められる甲第二一号証の一、二、証人石黒広美の証言、原告ならびに被告池田文雄各本人尋問の結果を総合すると、本件現場付近の道路は片側二車線で、事故当時は雨のために路面は濡れていたこと、被告池田は右二車線のうち、左側車線を練馬方面から戸田方面に向け時速約四〇キロメートルで進行中、約一九メートル前方の同一車線を同一方向に向けて進行する原告車を発見したが、その直後に前方の信号が黄色に変つたため、信号の手前で停止しようと減速していた際に原告車と衝突したこと、本件事故により原告車は右後部角が凹み、後部トランクの上部には後端部の右寄りから右側方へ向つて斜めに被告車の荷台の止め金の塗料が線状に付着していたが、被告車は荷台後部の止め金が曲つた外損傷のなかつたことが認められ、これらの事実からするならば本件事故は原告車の後方から進行して行つた被告車がその左側後部を原告車の右側後部に接触させたものであることが推認される。その点もし証人石黒広美及び被告池田文雄本人の供述するように、原告車が突然被告車の前方に出てきて急にハンドルを左に切つたのであれば、被告車の左側前部が原告車の右側後部に接触した筈であるうえ、事故後被告会社から原告に対し、本件事故は被告池田の一方的過失によつて発生したもので全面的に責任を負う旨の念書(甲第三号証の一、二、同号証の成立については当事者間に争いがない。)を差入れられている事実からしても右各供述はにわかに措信することができず、他に原告の過失を認めるべき証拠もない。したがつて被告らの過失相殺の主張は理由がない。

8  慰藉料

原告が本件事故により前記のような傷害を負い、多大な精神的苦痛を受けたことは容易に推認されるところであり、前記のような原告の傷害の部位、程度、後遺症の内容に鑑みると、これが慰藉料は金七〇万円が相当である。

9  控害の填補

原告が自動車損害賠償責任保険から保険金として金六九万円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、したがつて原告の未だ填補を受けていない損害の残は金一〇七万九二〇三円となる。

10  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告は本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人に委任し、相当額の報酬の支払を約していることが認められるが、本件事案の性質、審理の経過、認容額等に鑑みると、被告に対して支払を求め得る弁護士費用は金二〇万円が相当である。

四  以上のとおりであるから、原告の被告らに対して本件事故による損害の賠償を求める本訴請求は、被告ら各自に対して各金一二七万九二〇四円及びこれに対する被告会社については、遅くとも原告の前記調停申立による呼出状が同被告のもとに到達したと推認される昭和四九年三月一日から、被告石黒については原告からの同被告に対する損害の賠償を求める旨の内容証明郵便が同被告のもとに到達したと推認される昭和四八年三月一〇日右内容証明が同年二月二七日差出され、同被告のもとに到達したことは成立に争いのない乙第六号証の一の記載及び同書証が被告のもとに存在することによつて明らかである。)から、被告池田については本件訴状が同被告に対して送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和五〇年五月二〇日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川昭二郎 片桐春一 金子順一)

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