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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)4636号 判決 1978年7月20日

原告 坂口二美 外六名

被告 国

訴訟代理人 菊地健治 深沢 晃 ほか三名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らそれぞれに対し、各金三八九万八五八二円及びこれに対する昭和五〇年六月一三日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨の判決。

2  担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らの身分関係

原告らは後記事故により死亡した訴外亡坂口良平(以下亡良平という。)の兄及び姉であつて、同人の相続人であり、他に相続人は存在しない。

2  亡良平の経歴

亡良平は昭和二一年一一月四日出生し、中学校卒業後同四〇年一月一二日陸上自衛隊に入隊し、第一〇二輸送大隊に勤務していたが、後記事故により死亡した。

3  事故の発生

(一) 亡良平は、陸上自衛隊第一〇二輸送大隊般命第四四号及び第三〇四輸送中隊般命第六号にもとづき、昭和四〇年六月一八日から同年七月一九日までの間、同年五月一九日に新たに大型第一種運転免許を取得した隊員を対象とする特技(装輸車運転)教育への参加を命ぜられ、教官の訴外野村重雄二等陸曹(以下野村二曹という。)、助教の訴外岩田清陸士長(以下岩田士長という。)の指導の下で教育を受けていたが、同年七月一日、右教育の一環として、札幌市内の真駒内駐屯地を出発し、定山漢、中山峠、洞爺湖、室蘭市、苫小牧市、千歳市等を経由して、右駐屯地に帰着する予定で、同中隊装備の二・五トントラツク三台による操縦訓練を受けた。

(二) 右同日亡良平は、岩田士長、訴外片岡毅二等陸士、同中村英征二等陸士(以下、中村二士という。)とともに、右三台のうちの一台(車番二二-一〇二〇号、以下本件事故車という。)に乗車を命ぜられ、交替で運転していたが、苫小枚において野村二曹の指示により中村二士が運転者となり、助手席に岩田士長、亡良平と片岡とが後部荷台に乗車して進行していた。

(三) ところが、同日午後五時二〇分ころ、北海道苫小枚市美沢一八〇番地先の国道三六号線において、中村二士が先行車を時速五〇キロメートルで中央線を超えて追越した際、自車の進行車線に対向してくる車両を認め、危険を感じあわててハンドルを急に左に切つたため、降雨で路面が湿潤していたことと相まつて右車両がスリツプし、約二・五メートルの道路下に前部パンバーから落下したうえ一回転して横転し、そのため、亡良平はその衝撃による頸動脈破裂により即死した。

4  責任原因

(一) 被告は、公務を遂行する国家公務員に対し、その遂行する公務の管理にあたつて、国家公務員の生命及び健康を危険から保護するよう配慮すべきいわゆる安全配慮義務を負つているものと解すべきである。

(二) そして、右操縦訓練において中村二士は運転者として、事故が発生しないよう慎重に運転すべき立場にあり、また野村二曹は教官として教育全般について指導、監督し、岩田士長は助教として、教官の指導を具体的に実行し、教育車両の運行方法、特技付与に必要な操縦上の技術を直接教育する立場にあつたのであるから、中村二士、野村二曹、岩田士長はいずれも被告の前記義務の履行補助者の立場にあつた。

(三) ところが、中村二士は前記追越しに際し前方の安全を確認することなく時速五〇キロメートルで漫然と追越しを始め、自己の前方に対向車が接近してくるのを認め、同一速度のまま急にハンドルを左に切つたため折からの雨で路面が湿潤していたことと相まつて車両をスリツプさせてそのまま道路外に転落させたもので、中村二士において被告の前記義務を履行しなかつたものである。

また、野村二曹は、本訓練教育中被教育者の運転上の危険な個癖について特に記録して指導する等の配慮もなく、降雨時のアスフアルト道路での運転につき、スリツプ等の危険性について適切な注意を与えず、事故当時夕刻で、当日の訓練の大半を終え、隊員らに駐屯地への帰営を急ぐ気持と疲労そして気のゆるみが予想されたのに適切な指導をしなかつたうえ、本訓練教育にあたつての追越しは助教の指示によつて行なうようにとの指導を被教育者はもちろん、助教の岩田士長にさえも徹底させなかつた。そして、岩田士長も、雨中で初めて追越しをする中村二士に対し、何らの指導、助言も与えず、漫然と同人が猛スピードで追越すのを放置したために本件事故が発生したものである。したがつて、野村二曹、岩田士長もまた、被告の前記義務を履行しなかつたため本件事故が発生したものである。

5  原告らの損害

(一) 亡良平の逸失利益 金二五九二万四三三五円

(1)  亡良平は昭和四〇年一月一二日陸上自衛隊に二年任期で入隊し、本件事故に遭遇しなければ、昭和四二年一月一一日に除隊する見込であつたのであるから、死亡した日の翌日である昭和四〇年七月二日から右除隊に至るまで、同人は別表一記載のとおりの俸給及び退職手当を得た筈である。

(2)  除隊後は満六七歳に至るまで、民間企業に就職し、別表二記載のとおりの収入を得ることができた筈である(右収入は、昭和四二年ないし同四五年までは、第二三回日本統計年鑑産業別企業規模及び年齢階級別給与額男子全労働者欄給与額、昭和四六年ないし同五〇年までは各年度の、昭和五一年以降は同年度の各賃金センサス男子労働者新中卒年齢別平均給与額によつた。)。

(3)  そして、亡良平の生活費として各年度の収入の五〇パーセントを控除したうえ、昭和五二年以降は各年度毎にライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息を控除すると、別表一、二の各年度における逸失利益現価欄記載の金員が各年度の逸失利益となり、結局亡良平の逸失利益は合計金二五九二万四三三五円となる。

(二) 亡良平の慰謝料 金二〇〇万円

亡良平は事故当時一八歳の男子であり、本件事故により一命を失つたことによつて多大な精神的苦痛を受けたものであるところ、これに対する慰謝料は金二〇〇万円が相当である。

(三) 損害の填補 金六三万四二六〇円

原告らは、被告から遺族補償金として金五九万七〇〇〇円、退官退職手当として金三万七二六〇円、合計金六三万四二六〇円の支払を受けた。

(四) 相続

原告らは亡良平の相続入として(一)、(二)の合計額から(三)の金額を控除した残額の各七分の一である各金三八九万八五八二円を相続により取得した。

6  よつて、原告らは被告に対し、被告の債務不履行にもとづき、右損害各金三八九万八五八二円及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五〇年六月一三日から各支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3の事実は認める。但し、岩田士長は助教ではなく助手である。もつとも同人は陸士長であつたため助手と呼称していたもので、操縦訓練においての業務内容は助教と同一である。また本件事故車の追越時の速度は時速四五ないし五〇キロメートルであつた。

3  同4、(一)は認める。

4  同4、(二)のうち中村二士が履行補助者であつたとの点は争う。被告が国家公務員に対して負つている安全配慮義務は、その性質上公の施設等或いは公務を管理する立場にある公務員もしくは右施設等或いは公務の安全を保持する職務に従事している公務員によつて具体化されるものである。したがつて、中村二士のような車の運転に従事していた者は、被告の右義務の履行補助者とはいえない。

5  同4、(三)の事実中、中村二士が対向車を認め、急にハンドルを左に切つたためスリツプし、道路外に転落して本件事故が発生したことは認めるが、その余の事実は否認する。

中村二士を含め本訓練の被教育者は既に北海道公安委員会から第一種大型自動車免許を付与されていたのであつて、路上の操縦も単独でなしうる資格と能力を備えていたものであり、本来自らの責任において車両を安全に運行すべき義務を負つているのであるから、安全運行について他人の補助を要せず、他人もこれを補助すべき義務を負わないのが原則で、本訓練も、自衛隊内において、自動車操縦の一般的技能を向上させるとともに、任務遂行上必要な特殊な地形、気象、道路の諸条件下でも安全に操縦できる技能を修得させることを目的としていたものである。したがつて、教官及び助教としては明らかに危険の予測される場合或いは特に高度な操縦技術が要求される特殊な条件下における訓練の場合は格別、本件のように幅員七・二メートルの平坦な道路において時速四五ないし五〇キロメートルで十分追越しが可能であり、危険が予測される場合でも、また特に高度の技術を要求される場合でもない場合には、野村二曹、岩田士長に安全配慮義務はないものというべきである。

なお、野村二曹は、本訓練を行なうに際し、事前に訓練指導計画を樹立し、これにもとづいて訓練を実施したものであるが、右計画は実施要領として走行状況に応じて安全を考慮した指導内容を具体的に定めていた外、特に安全管理上の措置についても具体的に定め、これにより事前の教育、指導を実施していた。すなわち、事前教育として、実施要領、経路、地形等の説明を行なうとともに、特に安全管理事項として、基礎動作の励行及び喚呼操縦、安全確認の励行、速度、車両間隔等の厳守、車両の整備状況、各入の健康状態の把握、その他駐屯地安全守則、大隊躾事項等の確実な励行の外、助教助手の指示、誘導等の周知徹底を図つた。そのうえ、事故当日も出発前に隊員に対し、市街地通過の際信号の確認をすること、追越の際先行車の速度ならびに対向車に注意すること、凸凹路面は減速すること、前日の降雨のため路肩に注意すること、車両間隔が離れても時速五〇キロメートル以上のスピードは出さないこと等の周知徹底を図つた外、中村二士に対し、当日の天候等を考慮し、雨の時は時速四〇キロメートル、夜間にはスピードを落すよう注意を与えていた

また、岩田士長においても、中村二士に対して、同人が日頃急なハンドル操作するのに対し、ゆつくりハンドル操作をするよう再三注意し、舗装道路におけるスリツプの危険性についても十分な注意を与えたうえで運転を続けたものであり、本件追越にあたつても岩田士長自身も前方を確認して追越可能と判断したうえで中村二士に追越しをさせたものの、予期に反して同人が急にハンドルを左に切つたためスリツプした後も、直ちにハンドルを右に切つて道路下への転落を回避しようとしたが間に合わなかつたものである。

従つて、野村二曹及び岩田士長は国の安全配慮義務を尽していた。

6  同5、(一)のうち、亡良平が昭和四〇年一月一二日に二年任期で入隊し、昭和四二年一月一一日に除隊する見込であつたこと、同人の生活費が収入の五〇パーセントであることは認めるが、その余の主張は争う。なお、被告が損害賠償義務を負つているとしても、亡良平の逸失利益は別表三のとおりである。

7  同5、(二)は争う。

8  同5、(三)の事実は認める。

9  同5、(四)のうち、原告ら以外に亡良平の相続人が存在しないことは認める。

第三証拠 <省略>

理由

一  原告らが亡良平の兄及び姉で、同人の相続人であり、原告ら以外には同人の相続人が存在しないこと、亡良平が昭和四〇年一月一二日陸上自衛隊に入隊し、第一〇二輸送大隊に勤務していたが、陸上自衛隊第一〇二輸送大隊般命第四四号及び第三〇四輸送中隊般命第六号にもとづき、中村二士らとともに、昭和四〇年六月一八日より同年七月一九日までの間、同年五月一九日に新たに大型第一種運転免許を取得した隊員を対象とする特技教育への参加を命ぜられ、野村二曹及び岩田士長の指導下で教育を受けていたが、右教育の一環として、昭和四〇年七月一日、札幌市の真駒内駐屯地を出発し、定山渓、中山峠、洞爺湖、室蘭市、苫小牧市、千歳市等を経由し右駐屯地に帰着する予定で、同中隊装備の二・五トントラツク三台による操縦訓練を受けたこと、当日亡良平は岩田士長、中村二士らとともに本件事故車に乗車するよう命ぜられ、交替で運転していたが、苫小牧からは野村二曹の指示で中村二士が本件事故車を運転し、助手席に岩田士長が座り、亡良平及び片岡毅が後部荷台に乗車していたこと、ところが、同日午後五時二〇分ころ、苫小牧市美沢一八〇番地先の国道三六号線において、中村二士が先行車を中央線を越えて追越した際、自車の前方に対向してくる車両を認め、危険を感じあわてて急にハンドルを左に切つたため、路面が降雨のため湿潤していたこともあつてスリツプし約二・五メートルの道路下に前部バンパーから落下したうえ一回転して横転し、亡良平がその衝撃による頸動脈破裂により即死したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  ところで、原告らは、被告は公務を遂行する国家公務員に対し、その遂行する公務の管理にあたつて公務員の生命、健康を危険から保護すべきいわゆる安全配慮義務を負つており、運転者である中村二士、教官である野村二曹、助教である岩田士長はいずれも被告の履行補助者であるところ、同人らに債務不履行があつたと主張するのに対し、被告は、被告が一般的に原告ら主張のような安全配慮義務を負つていることは認めるが、運転者は履行補助者にあたらず、また本件事故時のように危険も予測されず、高度の技術も要求されない走行時においては野村二曹、岩田士長に安全配慮義務はないと抗争するので、右の点について判断する。

1  被告が、公務を遂行する国家公務員に対し安全配慮義務を負つていることは右のとおり被告の認めるところであるが、被告の右義務は公務の管理に関してであり、それは人的物的設備及び勤務条件等を支配管理していることにもとづくものというべく、したがつて履行補助者の範囲も右管理業務に従事している者に限られ、管理を受けて単に公務に従事している者は除かれると解するのが相当であり、本件の如き事案においては、訓練教育の計画、決定、その実施にあたつての指揮、監督及び指導にあたる者が履行補助者であつて、訓練教育を受けるにすぎない者は履行補助者にあたらないものというべきである。

そうだとするならば、前記のように、本件訓練教育の対象者として参加を命ぜられ、被教育者として単に本件事故時に車両を運転していたにすぎない中村二士は被告の安全配慮義務についての履行補助者にあたらないものといわざるを得ない。

2  次に野村二曹、岩田士長が被告の安全配慮義務についての履行補助者にあたることは弁論の全趣旨からして争いがないものというべく、ただ被告は本件訓練の内容及び事故時の条件の下では安全配慮義務を負わないと主張する。

しかしながら、前記争いのない事実に成立に争いのない甲第一〇号証、乙第一ないし第四号証(乙第三号証については原本の存在とも)、証人野村重雄、同岩田清の各証言を併せると、本件事故当日の訓練教育は、教官である野村二曹の指導監督の下に、助教の訴外太田武三等陸曹、助手の岩田士長の指導で、中村二士、亡良平ら運転免許を取得して間がない隊員に対し、各種道路、地形下において操縦訓練を行ない自動車操縦の一般的技倆を向上させるとともに特殊な地形、気象、道路の諸条件でも安全に操縦できる技能を修得させることがその目的であつたこと、そして同訓練教育における教官の職務は訓練の全般的事項について指導、監督することであり、助教、助手はともにそれぞれ各車両の助手席に乗車して、運転している被教育者に対して、操縦について具体的に指導、助言する立場にあつたこと、助教と助手の差異はその属する階級が陸曹か陸士長以下かによるもので、その職務内容は全く同一であること(右事実は被告の認めるところである。)がそれぞれ認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

そうだとするならば、野村二曹及び岩田士長は、被教育者の教育指導全般について危害の発生を未然に防止するよう配慮すべき義務を一応負つているものというべく、被告主張のように被教育者が運転免許を有している場合には特に危険が予測される場合もしくは高度の技術が要求される場合にのみ安全配慮義務を負うものと解することはできない。

3  そこで、岩田士長、野村二曹に安全配慮義務の不履行があつたか否かについて判断する。

(一)  まず岩田士長についてであるが、本件事故の態様及びその原因は前記のとおりであるが、前掲甲第一〇号証、乙第一ないし第三号証、成立に争いのない乙第六号証、証人野村重雄、同岩田清の各証言を総合すると、本件事故現場の国道三六号線は幅員七・二メートルの片側一車線のアスフアルト道路で、事故現場の手前は事故車の進行方向に向つて緩い右カーブとなつてはいるもののその先は直線であり、しかも道路が両側よりも約二・五メートル高くなつているうえ、付近に人家等視界を遮る物が無いため、見通しは良好であること、事故当時現場付近の路面は降雨のため湿潤し、前方の視界も多少悪くなつていたものの、それでも四、五〇〇メートル先まで見通すことができ、運転に影響を及ぼす状況ではなく、現場付近の速度制限は毎時六〇キロメートルであつたこと、中村二士は、先行車の追越しを始めるにあたつて、前方に対向して来る車両を認めたものの、安全に追越すことができるものと判断し、声を出して前方、後方及び右側の安全を確認いわゆる喚呼操縦をしたうえで時速四五ないし五〇キロメートルで追越しを始めたこと、助手席に座つていた岩田士長も、中村二士の右確認を聞き、対向車が進行して来るのを認めたが距離的に安全に追越しができる状況であつたところから、中村二士の追越しにかかるのを制止しなかつたこと、ところが、中村二士が追越しを始めると先行車が速度を増したため、約一〇〇メートルにわたつて先行車と併進し、そのため予測していたよりは追越しに時間と距離を要して対向車との距離も当初考えていた距離よりも短縮はされたが、急きよ自車線に戻らなければならない状況ではなかつたのに中村二士が追越すと同時にあわてて急にハンドルを左に切つてしまつたため、本件事故車が前記のようにスリツプしたこと、そこで岩田士長において事故を回避すべくサイドブレーキを引こうとしたが手が届かず、またハンドルを少し右に戻す措置をとつたものの間に合わずに道路下に転落してしまつたこと、中村二士は事故当日までに約一、〇〇〇キロメートルの走行経験があり、本件事故車も約八〇〇キロメートル運転していること、同人は本件事故の際の追越しが、雨中での初めての追越しではあつたが、事故日以前の訓練で数回追越しを経験していること、以前に行なわれた訓練において、同人が追越しの際ハンドルを大きく操作する癖があつたため、岩田士長からも再三注意され、同人の右のような癖もその後ほとんど無くなつていたこと、岩田士長が中村二士の追越しを中途で制止しなかつたのは、先行車との追越しに手間取つている間に対向車が接近して来てはいたが、いまだ通常のハンドル操作で安全に追越しを完了できる状況にあり、同人もそのように判断したためであることが認められ、右認定を左右する証拠はない。

してみると、岩田士長が中村二士の追越しにあたつて特に指導助言を与えずまた追越しを制止しなかつたとしても同人に被告の安全配慮義務の履行補助者として、債務不履行があつたとすることはできないものといわざるを得ない。

(二)  次に野村二曹についてであるが、本訓練教育の期間、目的、事故当日の訓練内容は前記のとおりであり、前掲甲第一〇号証、乙第一ないし第四号証、証人野村重雄、同岩田清の各証言を総合すると、右訓練教育は交通法規等の学科の指導をした後、昭和四〇年六月二四日から路上の訓練を行なうこととなり、本件事故のあつた同年七月一日までの間に、小樽市及び千歳市方面に各一回、岩見沢市及び苫小牧市方面に各二回、札幌市街を約四時間にわたり、それぞれ路上訓練を行なつた外、第三〇四輸送中隊近くの焼山演習場で約一六時間にわたる訓練を既に実施していたこと、野村二曹は事故当日の訓練に関してあらかじめ訓練の目的、主要訓練項目、車両編成、服装、携帯品、実施要領、安全管理等に関する訓練指導計画を作成し、中村二士を含む本件訓練の参加者に対しては、前日に約一時間にわたつて訓練経路、途中の道路状況ならびにそれに対応した運転方法等について具体的に注意を与えていたうえ、事故当日も出発前に、前日の降雨のため路肩に注意すること、車両間隔が開いても時速五〇キロメートル以上は出さないこと、追越しの際には先行車の速度及び対向車に注意し、助教、助手等の指示を受け、運転者の独断では行なわないこととの諸注意を与えたこと、出発後も、途中の昭和新山付近で天候が悪くなつてきたことから、参加隊員に対し雨の降り始めはスリツプ事故が多いので速度を通常の速度より毎時一〇キロメートル程度減速して走行するよう注意を与えていること、そして訓練中も自ら先頭車の助手席に乗車し、後続車を含む全般的事項についても監督していたことが認められ、甲第一〇号証中右認定に反する部分は前掲他の証拠と対比して措信できず、他に右認定を左右する証拠はない。

以上の事実を総合すると、野村二曹が被告の安全配慮義務の履行補助者として、その債務の履行につき不履行があつたとは到底いうことはできない。

なお、原告らは、事故当時、夕刻で当日の訓練の大半が終了し、隊員らに駐屯地への帰営を急ぐ気持と疲労そして気のゆるみが予想されたのに野村二曹がこれに対して適切な指導を行なわなかつた点に債務不履行があると主張するが、前記認定のように、同人は途中の昭和新山において隊員に注意を与えており、それ以上に注意指導を行わなかつたからといつて、同人に債務不履行があつたとすることはできない。

三  以上の次第で、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく、理由がないものというべきであるから、いずれも失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川昭二郎 片桐春一 金子順一)

別表一、二、三 <省略>

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