東京地方裁判所 昭和50年(ワ)5080号 判決 1978年12月25日
原告
鎌田正康
原告
鎌田吟子
原告
鎌田昭弘
原告
鎌田光也
右原告鎌田昭弘及び同鎌田光也
法定代理人親権者
鎌田正康
鎌田吟子
右原告ら訴訟代理人
浜二昭男
外四名
被告
国
右代表者法務大臣
古井喜実
右指定代理人
成田信子
小池義樹
被告
神奈川県
右代表者知事
長洲一二
右訴訟代理人
山下卯吉
右訴訟復代理人
福田恒二
右指定代理人
早坂幸男
外二名
主文
被告国は、原告鎌田正康に対し、金五〇四万八四四〇円及びこれに対する昭和五〇年三月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、また、原告鎌田吟子に対し、金五五万円及びこれに対する昭和五〇年三月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告鎌田正康、同鎌田吟子の被告国に対するその余の請求及び被告神奈川県に対する請求並びに原告鎌田昭弘、同鎌田光也の被告らに対する請求は、いずれも棄却する。
訴訟費用中、原告鎌田正康と被告国との間に生じた分は、これを四分しその一を被告国の負担とし、その余を同原告の負担とし、原告鎌田吟子と被告国との間に生じた分は、これを六分しその一を被告国の負担とし、その余を同原告の負担とし、原告鎌田正康及び同鎌田吟子と被告神奈川県との間に生じた分並びに原告鎌田昭弘及び同鎌田光也と被告らとの間に生じた分は、それぞれ同原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
一本件すり事件の発生並びに原告正康に対する刑事事件の捜査及び公判の経過
請求原因一1ないし4の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 昭和四八年一二月三〇日午後零時四五分過ぎころ、横浜市鶴見区鶴見一丁目一番一号所在花月園競輪場内第五投票所一六番窓口前で、数人の者が、二―六の連勝複式投票券(車券)を購入しようとしていた増井茂を取り囲み、そのズボン左後ポケツトから現金三万円をすり取るという集団すり事件が発生したところ、原告正康は、同所において右増井によつて現行犯人として逮捕され、同日神奈川県警察鶴見警察署司法警察員に引き渡され、同署に引致された。
2 原告正康の引渡しを受けた同警察署の井上彦二巡査部長、中原一幸巡査の両名は、早速同署において本件窃盗事件の被害者であり、かつ、逮捕者である増井茂から約二時間にわたり事情聴取を行い、右中原巡査が担当して同人の供述調書を作成し、これと並行して右井上巡査部長が被疑者である原告正康から弁解を録取し、その供述調書を作成した。
右事情聴取に対し、増井は、「午後零時四〇分ころ第四レースの投票が始つたので、左後ろポケツトに一万円札三枚が入つているのを確かめてから、四―六の窓口で二〇〇円券三枚を買い、次いで、すごい人ごみの中を二―六の窓口に向かい、二〇〇円券三枚を買おうとして、百円玉六枚を左手に持つて二―六の窓口に差し入れたところ、私の右側にいた男が、千円札を持つた手でげんこつを作つて窓口につつこんできて、私の手をとれなくしてしまい、それと同時に、私の左側にいた男が、私を抱きかかえるようにして左手で私の左手首をつかみ、やはり同時に、私の後ろにいた男が、そんなに混んでもいないのに、体で後ろから押し始めた。それで、以前話に聞いていた集団すりかなと思つた途端、三万円を入れている左後ろポケツトに誰れかが手を入れ、金を抜き取つたような感じがしたので、直感的にすられたと感じた。そこで、窓口の中に入れたまま押さえつけられていた左手を強引に引き抜き、同時に左側をふり返つて左手首を押さえつけていた男を見ると、その男は、右手で一万円札の二つ折りのものを持ち、真後ろにいた男に手渡したので、私は、「すりだ」と大声をあげて手渡していた方の男にタツクルし、すぐにポケツトに手を入れてみると、三万円がなくなつているのに気づいた。他の二人の男は、すぐに人ごみの中に逃げて行つた。私は、その男を窓口に押さえつけて窓口の人に「警備員を呼んでくれ。すりを捕えたから。」といつた。しばらくして警備員がきてくれ、そのうちに警察官がきてくれたので、事情を話して引き渡した。私がつかまえた男は、この男(原告正康)に間違いない。」と供述した。
これに対し原告正康は、犯行を全面的に否認し、「今日は午後零時ごろ家を出て、友人の深沢良幸を誘い、第二レースが始まつたころ花月園競輪場に着いた。このレースを見たあと、第三レースでは四―六の車券一枚(一〇〇〇円券)を買つたが、はずれた。第四レースの前にまず両替所へ行つて五千円札を千円札及び百円玉に両替をし、次に、二〇〇円券売場へ行つて三―六の窓口で二〇〇円券二枚を買つた。その後、右手に百円玉四枚を持つて二―六の窓口へ行くと、その少し手前で、私の右方にいた三〇歳位の男が、左手(前記供述調書では、「右手」とされている。)に千円札を何枚か持つて左側に立つていた人の方へまわしているのを見た。するとこの人はこのお金をもつて右の方へ行つた。これを見て間もなく、私が二―六の窓口へ行こうとすると、私の前にいた三〇歳位の男が、「すりだ。すりだ。」といつて私のところにきて、私の顔を見て私の右手をつかんで「すりだ。」といつた。私は、おかしいと思い、先程金のやりとりをしていた人がいたので、この人を指して「あれ」というと、逆に私の周囲の人が「お前がとつた。お前がとつた。」というので、私はこの場で騒いでもみつともないし、真実を調べてもらうため警察官の詰所に行き、その後金を取られた人と一緒に警察署まできた。友人の深沢は、私より先に車券を買いに行つたので、この時は一緒にいなかつた。」と弁解したほか、自分には前科がないこと、現住所の家屋は自分の所有であること、家族は妻と三人の子供があること、山一商工株式会社にブロツク工として二年程前から勤め、二〇万円位の月収があること、妻は近所の三和梱包で女工員として働き、三万円位の月収を得ていることなどを供述した。(被害者増井茂の供述内容が概ね右のようなものであつたこと及び原告正康が犯行を否認したことは、当事者間に争いがない。)
なお、この際井上巡査部長らは原告正康の所持品検査を行い、同原告が増井がすり取られたという三万円を所持していないことを確認するとともに、増井が、自分が捕えた男(原告正康)はねずみ色のオーバーを着ていた旨供述したので、同原告から着用していたオーバーの任意提出を受けて、被疑者を特定するための証拠としてこれを領置したが、同原告が所持していた現金、競輪新聞、小銭入れ(検甲第一号証)及び在中の名刺(甲第九号証の一、二)、第四レースの車券四枚(三―六、二―六の車券各二枚)等については、いずれも証拠としての価値がないものと判断して、証拠品としての領置手続はとらず、単に留置人の所持品としてこれを領置するに止めた。
3 右取調べの結果、井上巡査部長らは、増井が、被害状況及び現行犯逮捕の状況について自信をもつた態度で供述しており、その供述内容自体も一貫していて矛盾がないこと、更に、人違いではないかとの質問に対しても「絶対に間違いがない。」旨明確に答えていることから、同人の供述には信憑性があると判断し、右供述によれば、原告正康には、数名で共謀して右増井から現金三万円をすり取つた共犯者の一人として、罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があり、かつ、同原告を釈放すれば、共犯者と連絡して証拠を隠滅するおそれがあるものと判断した。そこで、同巡査部長らは、原告正康を留置する必要があるとして、身柄の拘束を継続し、翌三一日、同原告を横浜地方検察庁検察官に送致した。
4 横浜地方検察庁検察官溝口昭治は、送致を受けた原告正康について、弁解を録取したうえ、右同日、横浜簡易裁判所裁判官に勾留の請求をし、即日勾留状が発せられた。
5 その後の捜査の進展状況
(一) 溝口検事は、本件のように被害者の供述と被疑者の供述とが真向から対立し、しかも被害者の供述の裏付けとなる目撃者や物的証拠が得られない事件では、被害者の供述の信憑性の有無が決め手になるとの判断のもとに、自ら被害者である増井を昭和四九年一月七日と同月一七日の二回にわたり取り調べ、警察におけるとほぼ同趣旨の被害状況及び逮捕時の状況に関する供述(ただし、同人は、犯人グループは三人連れであつたとの警察における供述を、四人連れであつた旨に変更している。)を得て、それぞれ供述調書を作成したほか、鶴見警察署の前記井上巡査部長らに、被害者増井を立ち会わせて現場の実況見分を行い、犯行状況を実地に再現させて、同人の供述の信憑性を確認するよう指示し、同巡査部長らから、右実況見分の結果、増井の供述は現場の状況とも合致していて措信できる旨の報告を受け、かつ、実況見分調書の送付を受けて、自らこれを確認した。その結果、同検事は、増井のはつきりした、自信に満ちた供述態度や右実況見分の結果等からみて、同人の供述は十分信用できるものであるとの心証を抱くに至つた。
(二) 犯行時の状況に関しては、事件当日二―六の車券売場の窓口係員であつた畑山きみの、「第四レースの投票時間締切り間際に、窓口に男の人の手が三本同時に入つてきた。上司からこういう状況はすりの被害状況だと聞いていたので、被害にあつては大変と思い、この三本の手を両手で押しのけた。この時、窓口の外にサングラスをかけた人を中心に、その両側に男の人がいたと思う。それから間もなくして、右隣りの窓口の人に外から「警備員を呼んで下さい。」という声がかかり、外を見ると、先程のサングラスをかけた人が茶つぽいオーバーかジヤンパーを着た人を外の壁に押さえているのが見えた。」旨の、増井の供述を一部裏付ける供述が得られた(もつとも、畑山は、本件の証人として、「何本もの手が同時に窓口に突つ込まれることは、暮れなどの混雑時に往往にしてあり、こういうときは、どの手に何枚の券を渡してよいかわからず、後で始末書を書かされることにもなりかねないので、この時も無我夢中で三本の手を押し出した。その後車券を売り続けていると、大分経つてから、外から「すりをつかまえたからおまわりさんを呼んで下さい。」という声がしたので、外を見ると、サングラスをかけた人が角張つた顔つきの人の手をつかんで立つていた。三本の手を押し出した時には、窓口にいる人の顔は見なかつた。」旨、かなりニユアンスの異なる証言をしている。)
(三) 更に、増井茂の妻満子からは、本件当日訴外増井が現金三万円を所持していたこと、及び同人が、当日帰宅後、警察における供述と同趣旨の報告を妻に対してしたことの供述が得られた。
(四) 本件が集団すり事件であることにかんがみ、原告正康の交友関係を中心にその身辺捜査が行われ、また、同原告の友人で本件当日事件発生直前まで行動を共にしていた深沢良幸についても事情聴取と身辺捜査が行われたが、原告正康には、仕事上の交際を別にすれば、深沢以外に友人もなく、すり仲間と疑うに足りる人物が身辺に介在する形跡はついに認められなかつた。そして、深沢の取調べの結果、同人は、本件当日第三レース終了時までの原告正康と行動を共にしていたが、第四レースの車券を買いに行く際に同原告と別れた旨、同原告の供述を裏付ける供述をした。また、原告正康が下請としてブロツク工の仕事をもらつている関係にある山一商工株式会社の取締役中山雄信は、「原告正康は、非常に真面目で、人のいやがる仕事を進んでやり、従業員間の評判も良い。また、非常に気が小さく、子煩悩である。月収は月平均二〇万円位で、毎月仕事に使うといつて二万円から三、四万円位の前借りをしているが、この金は特に競輪などに使つているようなことはないと思う。競輪等の賭けごとが好きなので、再三やめるように忠告したことがあるが、仕事をよくやるので、強くもいえなかつた。夫婦仲は普通である。同原告がすりをやるような人物とは思われない。」旨供述した。
(五) 溝口検事は、原告正康の生活状況について、同原告の妻吟子を取り調べ、その結果、「原告正康は、毎月一一万円か一二万円を家に持つて来る。実際の収入はもつと多いらしいが、前借りして勝負ごとに使つているので、手取りはその程度になる。同原告は、右の給料の中から毎月四、五万円を持つて行つて競輪等の勝負ごとに使つており、一回に一万円や二万円を使う様子で、金が足りなくて困つている様子だつた。同原告が勝負ごとや酒に金を使うので生活が苦しく、自分が働きに出てその収入を生活の足しにしている。」旨の供述を得た。
(六) 勾留後における原告正康に対する取調べは、警察官によるものが四、五回、溝口検事による取調べが三、四回なされているが、この間に作成された供述調書は検察官に対する一月一一日付供述調書一通だけであり、右供述調書には、「私は、花月園競輪場の近くで育ち、生活しているので、一七、八歳のころから競輪をやつて、やみつきになつており、競輪好きの友人が多くいる。競輪と酒に毎月七、八万円を使うので、生活が苦しく、妻がパートで働いている。事件当日は、友人の深沢良幸と一緒に午後零時三〇分ごろ花月園競輪場に着き、四レースの車券を買いに行く時に深沢と別れた。三―六の窓口で券を買つた後、二―六を買おうと思つて二―六の窓口の方に行つたが、窓口の前に一〇人以上の人がいて混雑していたので、二―六をやめて三―四を買おうと思い、二―六の窓口と三―四の窓口の間の三―四の窓口寄りの所にいたところ、二―六の窓口の前で、「どろぼうだ。」という声があがり、窓口の前の人がバラバラに散り、私は右の場所で捕まつてしまつた。被害者の人が何といおうとも、すりはしていない。」旨が記載されている。右各取調べにおいては、原告正康の事件発生前後の行動を詳細に聴取したり、被害者増井の供述内容を告げてそれに対する原告正康の弁解ないし反論を聴くというような取調方法は採られず、原告正康は、その取調べの状況について、「前と同じだな。」といわれるだけで、「写真を見せてもらえれば、自分が目撃した犯人らしい男がわかるかも知れない。」旨申し出ても、まともに取り扱つてもらえなかつた(警察での取調べ)、「証人がいるんだ。いつまで否認しているんだ。」と怒られてばかりいた(検察官の取調べ)、と述べている。
6 溝口検事は、以上のような捜査の結果から、被害者である増井茂の検察官及び司法警察員に対する供述内容が首尾一貫したものであることや前記のような供述態度、更には、前記畑山きみ及び増井満子の供述による裏付けが得られたことなどから、十分信憑性があるものと判断し、更に、原告正康及び同吟子の各供述によつて原告正康が金に困つていた事実が認められたので、犯行の動機に欠けるところがないと考え、また、深沢良幸の供述によつて、事件当日の行動に関する原告正康の供述が一部裏付けられたものの、第三レース終了時以降の行動に関する裏付けはなく、したがつて、同原告が深沢と別れた後すり仲間と合流して本件犯行に及んだ可能性は否定できないものと判断し、そのほかに、前記のとおり原告正康の身辺にすり仲間を疑うに足りる交友関係を認めるに足りる資料は得られなかつたものの、同原告が花月園競輪場の近辺で生まれ育つたと供述しているところから、その周辺に仲間がいるのではないかと推測し、これらを総合すれば、結局原告正康が本件すり事件の共犯者の一人であることは間違いなく、同原告の弁解は、単なる弁解のための弁解にすぎず、採るに足りないものと考え、これらの証拠によつて有罪判決を得る可能性が十分あるものと判断して、昭和四九年一月一九日、同原告を窃盗罪の公訴事実で起訴するに至つた。
7 第一審の横浜地方裁判所は、同年四月一五日の第二回公判において、増井茂を証人として取り調べたうえ、被告人質問を行い、更に、同年六月五日の第三回公判において、証人鎌田吟子を取り調べ、同月一二日、原告正康に対し、懲役二年の有罪判決を言渡した。
8 第二審の東京高等裁判所では、事実の取調べとして、証人増井茂、同深沢良幸、同中山雄信の取調べが行われ、被告人質問がなされた。そして、更に、弁護人の請求により、原告正康が本件当日所持していた財布(小銭入れ)及び事件当日購入して所持していた第四レースの車券(二―六の車券と三―六の車券各二枚)ほか二点が証拠物として取り調べられた。その結果、同裁判所は、昭和五〇年二月二〇日、「原判決を破棄する。被告人は無罪」との無罪判決を言渡し、同判決はそのまま確定した。
9 右第一、第二審における被害者増井茂の証言は、捜査段階における供述とほぼ同趣旨であるが、金をすり取られた直後における同人の左横にいた男(原告正康)とその後ろにいた男との間の金のやりとりの目撃状況について、「一瞬のことなので、金を渡したのがどちらで受け取つたのがどちらかは見ていない。」旨、捜査段階における供述と実質的に異なる供述をし、また、逮捕時の状況について、「一万円札が行ききしたのを見た瞬間、原告正康がパツと両手をオーバーのポケツトに入れるのを見たので、こいつだと思つて捕えた。」旨、従来の供述にない事実を述べ、更に、その際原告正康が新聞を所持していたこと、同原告が逃げる気配を全く示さず、逮捕行為を妨害しようとする動きも捕えられた同原告を仲間が奪還しようとする動きも全くなかつたこと、周囲にいた何人もの人が原告正康を指差して「すりだ。すりだ。」といつたのを聞いたこと、原告正康が、「俺じやなかつたら承知しないぞ。」といい、興奮して自分に暴力を振るいそうになり、警備員にとめられた事実があつたこと、原告正康が、「俺はすりが金をやり取りしているのを見て知つている。」旨自分に告げた事実があることなど、原告正康の供述を実質的に裏付ける供述もしている。
10 右第二審判決が原告正康を無罪であると判断した理由は、(イ)被害者増井茂の供述のうち、同人が金をすられた時に自分の左側にいて自分を押しつけていたのは原告正康に間違いないとする根拠としては、その時左横にいた人の顔を見たというのであるが、混雑した中での瞬間のことであるから、見誤りがないとはいえず、全面的に信用することは危険であり、また、原告正康と後ろにいた男との金のやりとりを見たとの供述についても、どちらからどちらへ金が渡つたか、金の種類が何であつたかもわからなかつたというのであつて、この点も原告正康を犯人と断定する根拠として十分とはいえないこと、(ロ)原告正康が当日深沢良幸と一緒に競輪場へ行つたことは、証人深沢の証言によつて裏付けられ、また、同原告が増井に捕えられる前に三―六の車券を、捕えられた後に二―六の車券を買つていることも、前記四枚の車券によつて裏付けられており、一概に単なる弁解として排斥し去ることはできないこと、(ハ)深沢がすり仲間の一員であるとか、これと何らかの関係を持つていたと疑わせるものは何もないところ、原告正康が集団すりの一員であるとすれば、友人である深沢と一緒に競輪場へ行き、しかも事件の起こる前に車券を買うなどということはいかにも不自然であること、(ニ)増井が原告正康を捕えた時、近くにいたはずのすり仲間が何らの妨害もしなかつたこと、周りの者が原告正康を指差して、「こいつがすりだ。」と叫んでいたことなどは、むしろ原告正康がすり仲間の一員でなかつたことを窺わせるものといつてよいこと、(ホ)更に、原告正康が、増井に捕えられた後警備員がくるまでの間に二―六の車券を買つた事実は、増井の否定するところではあるけれども、前記証拠物(二―六の車券。甲第一〇、第一一号証の各一、二)の存在によつて裏付けられており、この事実も犯人の行動としては不自然であつて、むしろ、原告正康は間もなく疑いが晴れるであろうことを予想して車券を買つたものとみるのが合理的であること、(ヘ)これらの事情に加えて、原告正康が、左手小指が自由に曲がらず、左足も不自由な身体障害者であることをも総合して判断すると、原告正康が本件窃盗事件の犯人であるとするには合理的な疑いがあるとするものである。
二本件捜査及び公訴の提起、追行の違法性並びに過失の存否
1 原告正康に対する逮捕、勾留、公訴の提起と追行が、国家賠償法第一条にいう国(検察官の場合)又は地方公共団体(警察官の場合)の「公権力の行使」に当たる行為であることは、いうまでもないところ、これらの捜査権及び公訴権の行使が右法条にいう「違法に」なされたというためには、これらの公権力行使が客観的にみて法の許容する限界を超えてされたものと認められることを要し、これを具体的にいうならば、被疑者の逮捕、勾留については、客観的な犯罪の嫌疑、すなわち被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がないこと又は身柄拘束の必要性のないことが明らかであるにかかわらず、それが行われたときに、法が許容する限界を超えたものとして違法性を帯びることになり、公訴の提起、追行については、公訴事実について証拠上合理的な疑いが顕著に存在し、有罪判決を得る見辺みが乏しいにもかかわらず、あえてなされたときに、違法なものとなるというべきである。しかして、刑事事件において、結果として、無罪の判決が碓定したというだけでは、直ちに捜査権及び公訴権の行使が違法となるものと解すべきではない。けだし、刑事訴訟法は裁判官による証拠の評価について自由心証主義を採つており、人によつて証拠の証明力の評価の仕方に違いがあるため、一定の証拠によつて形成される心証の内容、強弱の程度についてある程度の個人差が生じうることは避け難いし、裁判官と検察官との間においても、その立場の相違からして、証拠の見方や心証の強弱に多少の差異がないことは保し難く、まして、現実の訴訟は動的発展的に進行するものであり、場合によつては、検察官が公訴を提起する段階でその職務上の注意義務を尽くしても収集しえなかつた証拠が提出されることさえありうるからである。
したがつて、これらの公権力行使が違法であるというためには、警察官又は検察官の判断が、その行為のなされた当時既に収集されていた資料及び職務上の注意義務を尽くせば当然収集しえたものと認められる資料(いずれも被疑者又は被告人に不利なものも有利なものも含む。)を基にして、証拠の評価について通常考えられる右の個人差を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎで、経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができない程度に達していることが必要であり、警察官又は検察官の判断が、通常考えられる右の差異の範囲内のものとして是認できる場合には、その公権力行使は、適法行為として、国家賠償法による賠償の対象とはならないものというべきである。
しかして、警察官又は検察官の公権力行使が右の意味において違法であると認められるときは、公務員の主観的側面からこれをみれば、法の許容する限界を超えて権力を行使してはならないという職務上の注意義務違反を伴うことが通常であると考えられるから、少なくとも当該公務員の過失の存在を推定しうるものと考えられる。
そこで、以下叙上の見地に立つて、本件において警察官及び検察官が原告正康に対してした前記公権力の行使について、違法性及び過失の有無を検討する。
2 警察官の捜査について
(一) 現行犯人として逮捕された原告正康の引渡しを受けてから検察官に送致するまでの間に鶴見警察署の井上巡査部長らのとつた措置は、さきに一1ないし3に認定したとおりである。
ところで、司法警察員は、現行犯人を受け取つたときは、直ちに犯罪事実の要旨及び弁護人選任権を告知したうえ、弁解の機会を与え、留置の必要がないと思料するときは直ちにこれを釈放し、留置の必要があると思料するときは被疑者が身体を拘束された時から四八時間以内に書類及び証拠物とともにこれを検察官に送致する手続をしなければならず、右制限時間内に送致の手続をしないときは、直ちに被疑者を釈放しなければならない(刑事訴訟法第二一六条、第二〇三条)。
本件の場合、逮捕者である増井の供述によれば、原告正康は、まさに「現に罪を行い、又は現に罪を行い終わつた」(同法第二一二条第一項)現行犯人として被害者である増井自身によつて逮捕されたものであり、原告正康をすり犯人と認めて逮捕するに至つた事実関係(いわゆる罪体と被疑者ないし被告人との結びつき)に関する増井の供述は、のちに検討するように必ずしも信憑性があるとは認められないのであるが、それは原告正康の供述及びこれを裏付ける他の証拠等との慎重な対比検討の結果はじめてそのような判断に到達できるのであつて、前記のような時間的制約のもとに置かれた警察の捜査段階においては、右のような慎重な証拠判断とその基になる裏付捜査までを期待することは困難といわざるをえない。けだし、強制捜査をも含めた慎重な捜査活動の結果、逮捕状の発布を得て被疑者の逮捕に至る通常の場合と異なり、私人による現行犯逮捕の場合は、司法警察員は、何の前触れもなく、いきなり引致されてきた被疑者について、前記のような所定の手続をしたうえ、直ちに身柄留置の必要の有無の判断を迫られるのであつて、仮に被疑者が犯行を否認し、被害者ないし逮捕者の供述と真向から対立する供述をしたとしても、そのそれぞれについて万端の裏付捜査をし、慎重な証拠評価をする時間的余裕がないからである。このように考えると、右捜査段階における増井の供述は、その内容が原告らの主張するようにあいまいであつたとは認められないから、井上巡査部長らが、同人の前記のような供述態度等をも併せ考えて、増井の供述に一応信憑性があるものと判断したことは、まことにやむをえなかつたものといわざるをえない。
(二) また、同巡査部長らが、原告正康の所持品検査の際、同原告が所持していた競馬新聞、小銭入れ及び在中の名刺、二―六、三―六の車券各二枚などを本件窃盗事件に関する重要な証拠と考えず、単に留置人の所持品として領置するに止めた点についても、右の時点では、原告正康は、本件当日の自己の足取りの説明として、第四レースの三―六の車券を購入したことを供述していたが、右車券や二―六の車券が自らの無実を証明する証拠として重要な意味を有することの意識がなかつたため、これらの物件の存在に重きを置いた供述をしていなかつたのであるから、井上巡査部長らがこれらの物件の存在に注意を惹かれなかつたとしても、前記のような時間的制約のもとにある警察官の立場としては、やむをえなかつたものというべきである。
(三) 次に、<証拠>を総合すれば、原告正康は、左足関節不全強直の身体障害があるほか、左手小指の第一関節が曲がらないことが認められるが、右各証拠によれば、右身体障害の程度は、寒い時や疲労した時に若干びつこをひく程度で、不断は目立たないものであることが認められるばかりでなく、右程度の障害であれば本件のような集団的かつ暴力的な形態でのすり行為を行うことを格別困難にするものとも考えられないから、井上巡査部長らが仮にこの点を看過して留置の必要の有無を判断したとしても、それをもつて捜査上の過失があつたと認めることはできない。
(四) 以上の次第で、井上巡査部長らが、原告正康の留置の必要性の有無を判断するに当たり、被害者であり逮捕者である増井の供述を一応信憑性があるものと判断したことに違法な点はなく、右供述によれば、原告正康には、本件窃盗の被疑事実について罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるものと認められ、かつ、本件が集団すり事件であつて数名の共犯者が逃亡しているものとみられる以上、原告正康を釈放すれば、共犯者と連絡して証拠を隠滅するおそれがあると捜査官が判断するのは相当であり、同巡査部長らが、右のような判断のもとに、原告正康を留置したことに何ら違法な点を認めることができない。そして、前記四八時間の制限時間内である一二月三一日原告正康を検察官に送致した警察官の措置についても、右同様、何ら違法な点を見出すことはできない。
(五) また、原告らは、井上巡査部長ら警察官が、捜査の過程において、増井茂の供述調書を漫然と作成した結果、検察官に予断を抱かせ、慎重な捜査を怠らせる端緒を作つたと主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
更に、送検後において、井上巡査部長らが行つた補充捜査の過程においても、格別違法な点を見出すことはできない。
3 検察官のした勾留請求について
(一) 検察官は、司法警察員から逮捕中の被疑者を受け取つたときは、弁解の機会を与え、留置の必要がないと思料するときは直ちにこれを釈放し、留置の必要があると思料するときは、被疑者を受け取つた時から二四時間以内に裁判官に被疑者の勾留を請求しなければならない(刑事訴訟法第二〇五条)。
(二) 本件において溝口検事が原告正康の勾留請求をなすに至つた経過は、さきに一4において認定したとおりであり、同検事は、警察から送付された司法警察員に対する増井茂及び原告正康の各供述調書等の捜査資料並びに同検事自らが聴取した原告正康の弁解を基にして、原告正康を留置する必要があると判断したものと推認されるが、右段階においては、増井及び原告正康の各供述について万端の裏付捜査をし、慎重な証拠評価をする時間的余裕がないことは、さきの警察の捜査段階におけると同様であり、したがつて、同検事が、増井の司法警察員に対する供述が一応信憑性あるものと判断し、主としてこれに依拠して原告正康の勾留を請求したことは、格別合理性を欠いた判断であるということはできず、何らの違法もないと認めるべきである。
4 検察官の公訴提起、追行について
(一) 原告正康が検察官に送致され、勾留された後における捜査の経過及び溝口検事が、原告正康を本件すり事件の共犯者の一人であると判断し、有罪判決を得る可能性があるとの判断のもとに、公訴を提起した経緯は、さきに一5、6に認定したとおりである。
(二) 本件すり事件の捜査においては、増井茂がすりの被害にあつたこと自体には格別の疑問がなく、問題は原告正康が犯人であるか否か、すなわち罪体と被疑者との結びつきの存否にあり、この点が捜査の最大の焦点であつた。そして、捜査の結果によつても犯行の直接の目撃者はあらわれず、また、原告正康が犯人であることを直接証明する物的証拠もなかつたから、結局、原告正康が犯人であることを直接証明する証拠は被害者増井茂の供述以外になく、したがつて、同人の供述の信憑性の有無が原告正康が犯人であるか否かを判断するについての最大の決め手であつたのであり、同検事がその点に最も意を用いて捜査を行つたことは、捜査官として当然のことであつたということができる。
しかして、同検事は、増井の供述の信憑性の有無を確かめるため、自ら二回にわたつて同人を取り調べるとともに、前記井上巡査部長らに指示して、増井茂を立会人として犯行現場の実況見分を行わせ、その際の同人の指示説明及びその態度等から同人の供述の信憑性の有無を判断する資料を得ようとし、更に、同人の供述の裏付けをとるべく、警察官をして前記畑山きみ及び増井満子の取調べを行わせ、それぞれ前記のような供述を得たのであるが、右畑山及び増井満子の各供述は、原告正康が犯人であるとの罪体と被疑者との結びつきの点に関する増井茂の供述の裏付けとなりうるものでないことは明らかであるし、実況見分の際における増井茂の立会人としての指示説明も、それ自体では同人の供述を補強する証拠となりえないことはいうまでもないところである。また、証拠物としてのオーバーの存在も増井の供述が措信できてはじめて意味をもつものであつて、それ自体では増井の供述の信憑性を高めるものとはいいえない。してみると、同検事が増井供述に信憑性があると判断した根拠のうち、客観的に右供述の信憑性を高める根拠となりうるのは、同人の供述内容が首尾一貫していること及びはつきりした、自信に満ちた同人の供述態度(実況見分時における指示説明の態度を含む。)に尽きるものと考えられる。
ところで、供述の信憑性の有無を判断するに当たつては、供述内容自体に矛盾や不明確な点がないかどうか、他の証拠との整合性の有無を吟味し、更には、供述者の供述態度にあいまいさや不自然なところはないか等を十分検討しなければならないことはいうまでもないところであり、同検事が増井の供述内容の首尾一貫性や前記のような供述態度に着目したこと自体は、むしろ当然のことであつて、何ら非難されるべきではないけれども、供述者が、はつきりした、自信に満ちた態度で首尾一貫した供述をすることは、供述者が何らかの事情で事実を誤認している場合にもありうることであり、また、供述者の性格等によつても左右される事柄でもあるから、そのことだけで供述の信憑性の有無を判断することは、判断を誤る危険性をも包蔵するものというべく、したがつて、このような場合には、その信憑性を判断するに当たりより慎重な態度が要請されるものといわざるをえない。殊に、本件のように、被疑者が極力犯行を否認し、被害者以外の目撃者の供述が得られず、かつ、他に被疑者の犯行を立証する決め手となる証拠物も存在しない場合において、被疑者が真実罪を犯したものか否かを判断する最も重要な資料である被害者の供述の信憑性の有無を判断するに当たつては、右に述べたように供述者の供述態度、供述内容を逐一吟味し、裏付資料の有無等を検討するほか、被疑者の供述の信憑性の有無を確かめ、これと比較対照することによつて、できるかぎり正確な証拠判断をすることが要請されるというべきである。しかして、そのためには、被疑者の言い分を虚心に聴取し、犯行の前後における行動の状況等を具体的かつ詳細に供述させ、その供述内容に矛盾や不明確な点がないかどうか、及び他の証拠との整合性の有無を吟味し、更にその供述態度をも検討するとともに、供述内容についてこれを裏付けるに足りる証拠があるかどうかを検討し、場合によつては、被害者の供述と食い違う点について、その供述内容を具体的に告げてそれに対する被疑者の弁解ないし反論を述べさせるなどして、その信憑性の有無を慎重に判断すべきである。本件においては、勾留期間の延長までして捜査がなされたのであるから(勾留期間の延長がなされたことは、勾留状が発布されたのが昭和四八年一二月三一日で、原告正康が身柄拘束のまま起訴されたのが翌四九年一月一九日であるところから、明らかである。)、右のような取調方法をとる時間的余裕は十分あつたものと考えられるが、溝口検事が、原告正康の供述は単なる弁解のための弁解にすぎないとの判断のもとに、右のような取調方法をとらず、同原告の弁解に耳を傾けようとしなかつたことは、さきに認定したとおりである。本件においてもし同検事が原告正康の言い分を十分に聴き、増井茂の供述と対比して犯行前後の相互の行動に関する供述の具体的差異を明らかにしながら、その食い違う点について慎重に取調べを進めておれば、その過程において、例えば、増井茂が原告正康をすり犯人と認めた際の具体的状況に関する同人の供述内容に疑問を生ずる余地もあつたと考えられなくはなく、また、これと関連して、原告正康が、事件発生の直前に三―六の車券を買つたとのそれまでの弁解に加えて、増井に捕えられた後にも二―六の車券を買つたとの弁解をこの段階でした可能性も十分にあり(原告正康本人尋問の結果によれば、同原告は、第一審公判における増井の証言を聞いて、はじめて同人が同原告にタツクルしてこれを逮捕した後警察官がくるまで同原告を捕えていて離さなかつた旨供述していることを知り、自分が二―六の車券を買つたことを思い出し、増井の供述がそのことと矛盾していておかしいことに気がついた旨述べており、もし、同原告が右逮捕時の状況に関する増井の供述内容を捜査段階で知らされておれば、当然右のような弁解をしたものと考えられる。)、そうすれば、同検事において、同原告の申出により、留置人所持品として鶴見警察署に領置されていた前記二―六、三―六の各二枚の車券等を取り寄せることもできたのではないかとも考えられ、同原告の右の点に関する供述に裏付けが得られる結果、同原告の供述全体が単なる弁解のための弁解でなく相当程度信用できるものであることが明らかになり、ひいては増井の供述の信憑性にも疑問をさしはさむ余地があるとの判断に到達しえたとも十分考えられるのである。
更に、原告正康が増井によつて逮捕された際、逃げようとする気配さえ示さず、また、すり仲間と思われる者たちが逮捕を妨げ、あるいは同原告を奪回しようとする動きを全く示さなかつた事実は、捜査段階において増井及び原告正康の取調べを通じてほぼ明らかであつたと推認されるが、もしそうだとすれば、控訴審判決も指摘するとおり、暴力的要素を伴うこの種集団すり事件としては極めて不自然ではないかとの疑問を生じる余地が十分あるのであり、溝口検事がこの点に想いを致しておれば、増井の供述の信憑性に関する同検事の判断が異なつたものになつた可能性も考えられる。
(三) また、原告正康が本件当日友人の深沢良幸と第三レース終了時まで行動を共にしていたことが、同人の捜査段階における供述によつて裏付けられていること、原告正康の交友関係を調べてもすり仲間と疑うに足りる者を発見できなかつたことは、さきにみたとおりである。
この点について、溝口検事は、深沢と別れた後の原告正康の行動に関する裏付けがない以上、同原告がその後すり仲間と合流して本件犯行に及んだ可能性が否定できないと判断したのであるが、数人の共犯者が被害者の物色から実際の犯行に至るまで終始行動を共にするのが通常であると考えられる集団すりの特色や、本件犯行が第三レース終了後その二〇分後に発走予定になつていた第四レースの投票券発売時間中に行われたこと(しかも、原告正康は、この間に三―六の車券を買つている。)に照らして、右判断の合理性は極めて疑わしいものといわざるをえず、原告正康の身辺にすり仲間を疑うに足りる交友関係を認めるに足りる証拠はないが、同原告が花月園競輪場の近辺で生まれ育つたと供述しているところから、その近辺に仲間がいるのではないかと推測したとの同検事の判断(証人溝口昭治の証言)に至つては、証拠を全く無視した、合理性を欠いた判断というほかはない。
(四) そのうえ、さきにみたとおり、原告正康には前科がなく、また、同原告が妻子を持ち、一定の住所に住み、ブロツク工として真面目に仕事をしていること等を示す証拠が捜査段階から存在し(格別これらの証拠と相反する証拠はなかつた。)、これらの証拠は、前記のような交友関係に関する証拠と相まつて、むしろ原告正康がすり犯人でないことを推認させる証拠であるといえるが、本件ではこれらの証拠が適正に評価されたとは認められない。
(五) 以上のとおり、検察官が原告正康について公訴を提起するまでに現に収集されていた全証拠並びに検察官が職務上の注意義務を尽くせば当然証拠として収集しえたものと認められる前記二―六及び三―六の車券等のすべての資料を総合して判断すれば、証拠の評価について通常考えられる個人差を考慮に入れても、なお、原告正康が本件すり事件の犯人であると認めるには、証拠上顕著な疑いがあつたというべきであり、当時収集された証拠関係のもとでも、増井茂の供述の信憑性を裏付ける証拠が少なく、かえつて、原告正康が犯人でないことを推認させる情況証拠が数多く存在したのであるから、これらの情況証拠と対比し、かつ、原告正康の供述の信憑性をも慎重に吟味したうえこれと比較対照すれば、増井の供述の信憑性に合理的な疑いをさしはさむ余地が十分あつたにもかかわらず、原告正康の供述を単なる弁解のための弁解にすぎないものと速断してその信憑性を吟味せず、慎重な証拠評価を怠つた結果、増井茂の供述に十分の信憑性があるとの判断のもとに、原告正康について有罪判決を得る見込みがあると判断して公訴を提起した検察官の判断は、論理則、経験則に照らして到底合理性を肯定することが困難であるというべきであり、したがつて、右公訴の提起及びこれを維持してなした公訴の追行は、原告正康に対する違法な公権力の行使であつたというべきであり、かつ、この点に関し、検察官に過失の責は免れえないものといわなければならない。
三被告らの責任
以上のとおりであるから、被告国は、国家賠償法第一条第一項の規定に基づき、検察官の右違法な公権力の行使によつて原告らが被つた後記損害を賠償する義務があるというべきであるが、警察官の原告正康に対する公権力の行使については、前叙のとおり何らの違法性も認められないから、被告神奈川県に対する原告らの請求は、その余の点について判断を加えるまでもなく、理由がないものというほかない。<以下、省略>
(武居二郎 魚住庸夫 市村陽典)