東京地方裁判所 昭和50年(ワ)6310号 判決 1979年3月08日
原告 池田幸子 ほか五名
被告 国
代理人 菊地健治 清野二郎 ほか三名
主文
一 被告は、原告池田幸子に対し金三六万一、二〇四円及びうち金三三万一、二〇四円に対する昭和五〇年八月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員、原告池田安、同池田司、同池田瑞江それぞれに対し、各金五八一万七、三七一円及びうち金五二九万七、三七一円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員、原告岩下順子に対し金五一七万八、四五三円及びうち金四七〇万八、四五三円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員、原告岩下祥子に対し金二、五五九万五、一八八円及びうち金二、三二七万五、一八八円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを八分し、その五を被告の、その余を原告らの各負担とする。
事 実<省略>
理由
一 請求原因1・2の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで被告の責任について検討する。
安全配慮義務違反について
1 安全配慮義務の内容について考えるに、池田三尉及び岩下三曹が海上自衛隊鹿屋航空基地に勤務する公務員であつたことは当事者間に争いがないから、被告は同人らに対し、被告が同人らの公務遂行のために設置すべき場所・施設若しくは器具等の設置管理又は同人らが被告もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、同人らの生命及び健康を危険から保護するよう配慮すべき義務、即ち安全配慮義務を負つていることは明らかである(最高裁判所昭和五〇年二月二五日判決民集二九巻二号一四三頁参照)(一般的抽象的意味で被告が右義務を負つていることは被告も認めるところである。)。しかして、右安全配慮義務の具体的内容は、問題となる当該具体的状況のもとで異なるものであるが、概括的には、本件において被告は、本件事故機の運行に関して、その物的人的機能・環境を瑕疵なく管理・整備することを十分配慮することにより、本件事故機に同乗していた池田三尉及び岩下三曹の生命及び健康等を、本件事故機の運行に内在するすべての危険から保護する義務を負つているということができる。
そして、公務に従事して航空機に同乗する公務員に対しては通常、航空機の運行が高度の危険を内在していることにかんがみ、運行の管理・運営に当るすべての者において航空機自体に瑕疵がないばかりでなく、当該航空機の操縦上の危険に対しても瑕疵なく安全に運行されることもまた十分配慮されるのが当然である。しかも、当該同乗者は、自ら当該航空機の運行そのものに従事する者ではなく、専ら被告による当該航空機の整備及び指定された操縦者の操縦に自己の生命及び健康等についての安全性の確保を依存しているものであるから、同乗者と当該操縦者との関係では、当該航空機自体のほか、運行上の安全に直接かかわる当該操縦者もまた当該同乗者の安全性を確保するための物的人的機能、環境の重要な部分を構成すると解するのが相当である。従つて、当該航空機の運行に関する安全配慮義務には当該操縦者による操縦上の危険防止等につき瑕疵なく操縦行為を行うことが含まれるということができる。本件においても被告は、右と同様本件事故機の運行を安全に管理するため、本件事故機自体につきその整備を瑕疵なく実施すべきことのみではなく、本件事故機の操縦に関しても瑕疵なく実施すべきことを十分配慮すべく義務づけられていると解するのが相当である。そして、被告は、本件事故機の安全な操縦を瑕疵なく実施すべき義務を果たすため、機長を履行補助者とすることによつて直接右義務の履行に当らせるものであるというべきである。被告が主張する操縦者に対して安全教育を行うべき義務は、右義務を履行するための人的環境の整備の一つとして位置づけられると言うべきであつて、被告の航空機(本件事故機)の運行に関する安全配慮義務がそれのみに限られるということはできない。
被告は機長が本件事故機の運行を指揮している場合においても、被告の安全配慮義務の履行補助者に当らないと主張するようであるが、履行補助者に当るかどうかは当該具体的状況下で具体的に決められるべきであつて、被告主張のように抽象的、一般的、画一的に組織上、職務上予定された管理者にのみ限定されるべき理由はなく、本件において機長たる渡辺一尉がその地位を全く備えていなかつたとすべき理由に乏しい。
2 本件事故の原因
<証拠略>及び弁論の全趣旨によれば、海上幕僚監部に設置されていた事故調査委員会は、本件事故の実態を明らかにし今後の事故防止のための資料を得る目的から、現地調査を行い、関係証拠を収集し、本件事故の原因につき以下のような検討を加えたこと、即ち、まず、場周経路に沿つて右旋回しながら着陸予定地点に向け進行して来た本件事故機のその後の墜落に至るまでの行動を「左旋回」・「ピツチング」・「約四五度の機首上げ、失速、墜落」の三つに分け、それらの行動を発生させる可能性のある物的要因を列挙したうえで、各原因につき理論的技術的検討を加え原因となりえぬものを消去した結果、最後まで消去しえず残つたものとして、サーボ油圧の低下、リンケージの固着又はひつかかり、操縦系統の不具合の三つの要因が指摘され、これらの物的要因については本件事故の原因ではないと言い切れないものが含まれるとする反面、これらが事故原因に関連性をもつとしても本件事故機の一連の行動のすべてを説明することはできず、又それらが同時に発生したとしてもなお本件事故機の一連の行動の中の一部分について説明できるにすぎないこと、また、本件事故機の整備については一応瑕疵がないと結論したが、その趣旨は規定上のすべての検査、点検を行い特に不具合として指摘されたところはなく右瑕疵を積極的に発見できなかつたという意味であること、次に、本件事故機の操縦を誤つたと仮定しても、如何なる操縦上の過誤によつて本件事故機の一連の行動が生ずるか具体的な説明できなかつたため、本件事故の原因として指摘しなかつたこと、しかしながら、説明上可能な部分のみを想定して組合せ、なんらかの物的要因に操縦の誤りが競合したと考えた場合、本件事故機のたどつた一連の行動が生じないとは断定しえないが、それを本件事故の原因とするのは非現実的であるため、結局最終的には原因不明との結論を出したことが認められる。
ところで、本件のように、航空機墜落の事故原因を究明するため顕出された証拠が限られたものにとどまり、かつ、その専門的、組織的な調査としては、右事故調査委員会による調査が唯一であるような場合においては、原則として、右事故調査委員会の見解及び結論を尊重するのが相当であり、その意味で明確な事故原因としての認定は困難である。<証拠略>は、部分的には右調査委員会の結論又は<証拠略>と異るところがないではないが、右事故調査委員会の結論を動かすに足るものとはいえない。
3 しかしながら、右調査委員会の調査目的が前記のとおり、事態を明らかにして今後の事故防止のための資料収集を目的としたものであつて、関係者の責任の有無の探求を目的としたものでないことが<証拠略>によつて明らかであるから、右調査委員会の調査結果から直ちに被告の本件事故機に関する被告の安全配慮義務の不履行がなかつたとは直ちに断定することはできない。むしろ、航空機が高度な科学技術の複雑な集積であり、これに対応してその操縦には高度の技能を要するものであり、僅かな整備上の瑕疵、操縦上の過誤、不全によつて、重大な事故を生ずる危険のあることに照らし、航空機が飛行中事故により墜落した場合、第三者の故意、過失又は予見不能の気象の激変等操縦者、管理者の責に帰すべからざる原因が認められない限り、右墜落に至つた事故原因は、本件事故機の整備その他の管理上の瑕疵又は操縦上の過誤、不全が単独ないし競合的に発生したことにあると推定するのが相当である。そして、前記本件事故の経過、及び<証拠略>によつても、左旋回以後の事故機の状況は、すべてその直前まで予定された通常の着陸に至る事態の経過を大幅にはずれるものであつたが、外部的には、その原因として推定し得るものがなかつたこと、しかし正常に進行していた右旋回から左旋回に進路を変更したことについては操縦者の意思の介入があつた可能性があるが、その目的性、必要性は稀薄であること、そのことが、直後(約一二秒後)に生ずる一連の異常状態の誘因となつた可能性も、約一〇秒前後の間があつたとはいえ、事態の連続的推移からみて完全には否定し得ないこと、第一、二回の機首上げ状態から推測される何らかの原因による揚力の急激な低下(発動機の停止、その他の故障は事故後の調査において一応否定されたものと推定される)及びこれを回復するに必要な操縦系統の故障、障害、又は誤操作、操作不全等の可能性が考えられないではなく、これらの点について前記整備上その他の管理の瑕疵または操縦上の過誤、不全が単独ないし競合的に発生した可能性の推定をすべて覆えすに足る資料はなく、前記調査委員会の調査結果もこれを否定し去るものではない。他に本件事故機が整備その他の管理上の瑕疵及び操縦上の過誤不全のいずれにも起因しない他の原因(第三者の故意、過失、予測し得ない天候の激変は弁論の全趣旨により否定される)により墜落したことを認めるに足る資料はない。
よつて、本件事故は結局被告の安全配慮義務不履行によつて生じたものと認めるのが相当であり、被告は本件事故によつて生じた後記損害を賠償する義務があるというべきである。
三 損害
1(一)(1) 請求原因4(一)(1)、同(2)(イ)ないし(ホ)は当事者間に争いがない。
逸失利益の算定については同人らの収入から生活費のみを控除するのが相当であり、右収入に課せられるであろう課税負担の問題は、本来、課税権者と損害賠償請求権者との間の問題であるから、損害賠償義務者と損害賠償請求権者との間の損害賠償額の算定において、生活費と異なり損益相殺として控除すべきものとはいえないところ、弁論の全趣旨によれば同人らの生活状況は、通常のものとみてその割合は各四〇パーセントが相当である。
以上によつて得られた同人らの在隊中の収入残額から、年五分の割合による中間利息をホフマン係数を用いて控除すると、その計算関係は別表第一(ただし、同表中、昭和四四年六月の収入合計から生活費を控除した差引額及びその現在価格を、一一万七、一五六円、また、損害額の現在価格合計を五一九万六、七六二円と訂正のうえ採用する。)、第三(ただし、同表中同四六年五月から同年九月までの収入合計を五九万五、三〇五円、生活費控除を二三万八、一二二円、差引収入額及びその現在価額を三五万七、一八三円、同六二年一〇、一一月の損害額の現在価格を一二万五一〇八円、また、損害額の現在価格合計を二、〇八九万四、九四四円と訂正のうえ採用する。)表のとおりであるから、在隊中の逸失利益は、池田三尉について金五一九万六、七六二円、岩下三曹について金二、〇八九万四、九四四円となる。
(2) 同4(一)(3)(イ)は当事者間に争いがない。
同(ロ)のうち、ホフマン係数を用いて中間利息の控除を算出すべき点を除いて、その余の点は当事者間に争いがなく、当裁判所は年五分の割合の中間利息の控除はホフマン係数を用いるのが相当であると解するものであつて、必ずしもライプニツツ係数によらねばならないものとは解されないので、岩下三曹の退職金は別表第三表のとおり金二九三万一七二四円となる。これから、原告順子、同祥子らに支給された同原告らの自認する退職手当金三五万一九〇〇円を控除すると、金二五七万九八二四円となる。
(4) 自衛隊退職後の逸失利益の算定については、当裁判所に顕著な労働省統計情報部作成昭和四八年賃金センサス第一巻第二表企業規模計欄の満五〇才以上の平均給与及び平均年間賞与額によつて算出するのが相当である。
本件において、池田三尉が旧制中学校を中退し、陸軍少年飛行学校を卒業したことは当事者間に争いがなく、右事実からすれば、同人を旧制中学卒業として扱うのが衡平妥当であり、また、岩下三曹が新制高校を卒業したことは当事者間に争いがない。
以上を基礎として算出された池田三尉及び岩下三曹の自衛隊退職後の収入から、生活費としてその各四〇パーセントを控除し、更に、年五分の割合による中間利息の控除をホフマン係数を用いて行なうと、その計算関係は別表第一〇、一一表のとおりであるから、逸失利益は池田三尉について金一、二七六万六、四四五円、岩下三曹について金七六八万八、〇一四円となる。
(二) 本件事故の態様及び結果、並びに池田三尉及び岩下三曹の年令、経歴、地位、生活状況等諸般の事情を考慮し、同人らの死亡による精神的苦痛を慰藉するには、いずれも金五〇〇万円が相当と判断する。
(三) 弁論の全趣旨によれば、賞じゆつ金は、明文の規定に基づいて支給される給付金ではないが、自衛隊員が職務を遂行することにより死亡し又は不具廃疾となつたとき、その程度に応じて支給されるもので、その機能は、当該隊員の損害を填補するのと実質上同一であるから、当該隊員の損害賠償請求権額を算定するにあたつて控除されるべきものということができる。
被告が賞じゆつ金として、池田三尉の死亡に対して金一三〇万円、岩下三曹の死亡に対して金一二五万円を支給したことは当事者間に争いがないので、同人らの逸失利益及び慰藉料合計額から右各金員を控除すると、損害賠償請求権額は、池田三尉について金二、三八三万八、一七二円、岩下三曹について金三、四九一万二、七八二円となる。
(四) 同3(三)のうち、原告らの相続関係は当事者間に争いがない。
以上によれば、各原告が相続した損害賠償請求権額は、原告幸子について金七九四万六、〇五七円、同安、同司、同瑞江については金五二九万七、三七一円、同順子について金一、一六三万七、五九四円、同祥子について金二、三二七万五、一八八円となる。
(五) 抗弁2は当事者間に争いがない。
但し、原告らは、同人らが相続した損害賠償請求権額から控除されるべきは、人事院の運用に従い、遺族補償金として支給された金額のうち、三ヶ年分に限られるべきである旨を主張するが、遺族補償金及び遺族特別給付金は、池田三尉及び岩下三曹の逸失利益を実質的に填補する性質機能を有することに照らし、遺族補償年金及び遺族特別給付金の受給権者が相続した損害賠償請求権額から、被告主張の金額全額を控除すべきであると解するのが相当である。
国家公務員災害補償法、国家公務員退職手当法によれば、遺族補償年金及び遺族特別給付金の受給権は、本件の場合、池田三尉及び岩下三曹の各妻に帰属するから、原告幸子について金七六一万四、八五三円、同順子について金六九二万九、一四一円を控除すればその残額は、同幸子について三三万一、二〇四円、同順子について金四七〇万八、四五三円となる。
(六) 弁護士費用は、原告らの相続した損害賠償請求権の実現のため必要な費用であるから、本件事件の困難性、請求認容額その他諸般の事情を斟酌して、原告幸子に対する関係で金三万円、同安、同司、同瑞江らに対する関係で各金五二万円、同順子に対する関係で金四七万円、同祥子との関係で金二三二万円を本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
五 よつて、原告らの被告に対する本訴各請求は、原告幸子について金三六万一、二〇四円と右金員のうち弁護士費用を除く金三三万一、二〇四円に対する弁済期後である昭和五〇年八月八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、同安、同司、同瑞江それぞれについて各金五八一万七、三七一円と右金員のうち弁護士費用を除く金員五二九万七、三七一円に対する右同日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金、同順子について金五一七万八、四五三円と右金員のうち弁護士費用を除く金四七〇万八、四五三円に対する右同日から支払ずみまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金、同祥子について金二、五五九万五、一八八円と右金員のうち弁護士費用を除く金二、三二七万五、一八八円に対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金との各支払をそれぞれ認める限度で理由があるから認容することとし、その余の請求は理由がないからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九二条、第九三条第一項本文を適用し、仮執行宣言は相当でないのでこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡辺卓哉 白石悦穂 長秀之)
別表、別紙図面 <略>