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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)6633号 判決 1978年9月28日

原告

小池秀和

ほか二名

被告

新昭和端子株式会社

ほか一名

主文

一  被告旭日電気工業株式会社は、原告小池紳一に対し金四二五万六、七〇〇円及び内三八七万六、七〇〇円に対して、原告小池里子に対し金三四六万〇、七〇〇円及び内三一四万〇、七〇〇円に対して、原告小池秀和に対し金六〇万二、五〇〇円及び内五三万二、五〇〇円に対して、昭和四七年八月二一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告旭日電気工業株式会社に対するその余の請求並びに被告新昭和端子株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用のうち、原告らと被告旭日電気工業株式会社との間に生じたものについてはこれを二分し、その一を原告らの、その余を同被告の負担とし、原告らと被告新昭和端子株式会社との間に生じた分については原告らの負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一申立

(原告ら)

一  被告らは連帯して原告紳一に対し金六三六万五、〇〇一円及び内五九八万五、〇二一円に対して原告小池里子に対し金九三八万七、一一一円及び内金八五八万七、一一一円に対して、原告小池秀和に対し金一一一万九、〇〇〇円及び内金一〇一万九、〇〇〇円に対して、昭和四七年八月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

(被告ら)

一  原告ら三名の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告ら三名の負担とする。

との判決

第二主張

(原告ら)

「請求原因」

一  事故の発生

昭和四七年八月二一日午後一〇時四〇分頃、神奈川県川崎市多摩区登戸三六六四先交差点において、原告小池紳一運転、原告小池里子、同小池秀和同乗の車両(多摩四み九一二三、以下「原告車」という。また原告らについても「原告紳一」「原告里子」「原告秀和」とそれぞれ略称する)が青信号に従い交差点に進入したところ、右方から進行して来た訴外浅沼繁康運転の車両(品川四四せ一九、以下「被告車」という)に衝突された。訴外浅沼繁康は無免許で飲酒して被告車を運転し且つ信号を無視して交差点に進入して右衝突に至つたものである。

二  被告新昭和端子株式会社の責任

訴外浅沼繁康は、昭和端子工業株式会社の従業員で、同社は運行供用者として自賠法三条により本件事故による原告らの損害を賠償する責任があつた。しかるところ昭和四八年五月七日に新会社たる被告新昭和端子株式会社が設立され、同社が右昭和端子工業株式会社の債務を引受けた。そして昭和端子工業株式会社は昭和四八年六月一二日に臨時株主総会で解散の決議をして清算整理の手続に入り、昭和四八年一一月二七日に清算を結了して同年一二月五日に会社閉鎖の登記を完了した。

よつて被告新昭和端子株式会社(以下「被告新昭和端子」という)は、右昭和端子工業株式会社(以下「訴外昭和端子」という)の債務を引受けたのであるから原告らの本件事故による損害を賠償すべき責任がある。

三  被告旭日電気工業株式会社の責任

本件事故発生当時において被告旭日電気工業株式会社(以下「被告旭日電気」という)は訴外昭和端子の発行済株式の約七二%(発行済株式総数八万四、〇〇〇株式中の五万九、〇〇〇株)を保有し、そして両会社の本店は同一建物内にあり、代表者は同一人で訴外昭和端子の役員の一〇名中七名が被告旭日電気の役員を兼任しており、訴外昭和端子に原材料を買い与えて資金援助をし、製名を購入していたほか、出金の監督、従業員の給料を支払つていたが、これに加え訴外昭和端子保有の車両を自己の業務のため少なくとも年に一、二回は使用していた。

しかも訴外昭和端子の解散は、同社及び被告旭日電気の双方の代表者を兼ねていた富井金三郎の指示によるもので、しかも当時同社は被告旭日電気関係の負債を除けば売掛超過だつたのである。そして解散にあたつて被告旭日電気は訴外昭和端子の債務を原告らの分を除いて手形を振出すなどして決着をつけている。

以上のごとき被告旭日電気と訴外昭和端子との関係からすると、同被告は訴外昭和端子と専属的元請下請の関係にあつたもの、あるいは同社を自社の一部門として使用していた、そうでないとしても完全に支配監督していたということができる。

そうすると被告旭日電気は訴外昭和端子を通して被告車を運行の用に供していたことになり、よつて自賠法三条により原告らの損害を賠償すべき責任がある。

四  原告紳一の損害

本件事故により原告紳一は頭部打撲、前額部挫創、右五、六、七、八、九、一〇、一一、左三、四、五、六、七、八、九、一〇、一一、肋骨々折、腹部打撲、第三胸椎骨折、骨盤骨折などの傷害を負い、川崎市高津区所在の総合高津中央病院に事故当日の昭和四七年八月二一日から同年一〇月一五日迄入院、同年一〇月一六日から同年一一月二〇日迄通院、さらに都内大田区所在の東邦大学医学部付属大森病院に同年一一月二一日から翌四八年一月二三日迄入院、同年一月二四日から同年七月一三日迄通院、その後も二ケ月に一回の割合で通院し、事故後五年を経過した昭和五二年八月頃にあつても右腕が右正中神経麻痺の状態で右腕は左腕に比較してかなり細く重い物は一切持てず、手甲は腫れて握力が弱くやつと茶碗が持てる程度で、且つ跛行状態にある。

よつて生じた損害は次のとおりである。

(一) 治療費(健康保険によつた)

(二) 付添料 三六万円

前記傷害から入院中付添を必要とした。一日当り三、〇〇〇円相当を必要とし、一二〇日分の合計として右金額となる。

(三) 入院雑費 六万円

一日当り五〇〇円相当の入院雑費を必要とし、一二〇日分である。

(四) 賞与減額分 六三万二、四〇〇円

原告紳一は都内大田区所在の財団法人陸運賛助会に勤務し、事故当時営業所長の地位にあつた。本件事故のため休職したが、その間給与の支払は受けたが、右金額の賞与の減額を受けた。

(五) 配置転換による減額 九七万一、一七二円

前記後遺障害のため業務に支障をきたし、配置転換され、営業部係長の地位に落され、管理職給六、〇〇〇円を失うところとなつた。この減額は稼働期間たる二三年間継続するので、ライプニツツ方式によつて年五分の割合による中間利息を控除して現価に引直すと右金額となる。

(六) 後遺症による逸失利益 一六万一、四二九円

前記後遺症のため原告紳一は整備工などの各種の資格を生かすことができなくなつた。右後遺症は少なくとも障害等級一二級に該当し、一〇年間は残存するものと考えられるから、後遺症による逸失利益はライプニツツ方式によつて現価に引直すと右金額となる。

(七) 慰藉料 三八〇万円

前記傷害の程度、入通院の期間、後遺症の態様からすると慰藉料として入・通院分一八〇万円、後遺症分二〇〇万円が相当である。

(八) 弁護士費用 三八万円

本訴提起のため弁護士に委任した。

五  原告里子の損害

本件事故により原告里子は頭部打撲、頸椎捻挫、右肩挫傷、胸部挫傷、腹部外傷、右肘右膝左下肢挫創などの傷害を負い、前記高津中央病院に昭和四七年八月二一日から九月一四日迄入院、同月一五日から一一月二六日迄通院し、日野市所在沢井接骨院に同年一〇月二一日から一一月一〇日迄通院、さらに大田区大森所在東邦大学医学部付属大森病院に同年一一月一三日から同月二六日迄通院、同月二七日から翌四八年一月一八日迄入院、同月一九日から同年七月一三日迄通院したが、右肩に搬痕が残存し、右肩関節に障害が残り、側方挙上約九〇度である。

よつて生じた損害は次のとおりである。

(一) 治療費(健康保険によつた)

(二) 付添費 二三万七、〇〇〇円

一日当り三、〇〇〇円とみて七九日分

(三) 入院雑費 三万九、五〇〇円

一日当り五〇〇円とみて七九日分

(四) 賞与減額分 三九万九、七〇〇円

原告里子は、財団法人陸運賛助会に勤務しているが、本件事故による休職中給与の支払を受けることはできたが、賞与につき右金額の減俸を受けた。

(五) 後遺症による逸失利益 四七一万〇、九一一円

原告里子の前記後遺症は障害等級一〇級に相当するところ、同原告の当時の給与は一一万四六〇円なので稼働年齢たる六七年まで後遺症による労働能力を喪失した割合に対応する収入を喪失するとみて、ライプニツツ方式により現価に引直すと右金額となる。

(六) 慰藉料 三二〇万円

前記傷害の程度、後遺症の態様からすると、慰藉料として入・通院分一二〇万円、後遺症分二〇〇万円の右金額が相当である。

(七) 弁護士費用 八〇万円

六  原告秀和の損害

本件事故により原告秀和は左頸部切創、頭部打撲、両前腕挫創、右肘挫傷、腹部外傷、骨盤部挫傷、左太腿挫傷などの傷害を負い、前記高津中央病院昭和四七年八月二一日から九月二五日迄入院し、同月二九日から翌昭和四八年二月二二日迄通院したが、首に搬痕が残る後遺症が残つた。

よつて生じた損害は次のとおりである。

(一) 付添費 一〇万二、〇〇〇円

一日当り三、〇〇〇円とみて三四日分

(二) 入院雑費 一万七、〇〇〇円

一日当り五〇〇円とみて三四日分

(三) 慰藉料 九〇万円

入・通院分六〇万円、後遺症分三〇万円の右金額の慰藉料をもつて相当とする。

(四) 弁護士費用 一〇万円

七  結論

よつて被告らは連帯して原告紳一に対して六三六万五、〇〇一円及び内弁護士費用を除く五九八万五、〇二一円に対して、原告里子に対して九三八万七、一一一円及び同じく内八五八万七、一一一円に対して、原告秀和に対して一一一万九、〇〇〇円及び同じく内一〇一万九、〇〇〇円に対して、昭和四七年八月二一日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める次第である。

(被告ら)

「請求原因に対する答弁」

請求原因一項中、訴外浅沼繁康が信号無視をした点は知らないが、その余の点は認める。

同二、三項の原告ら主張のうち認める点はあるも、被告新昭和端子が訴外昭和端子の債務を引受承継したとの点、被告旭日電気が被告車の運行供用者であるとの点は否認する。その詳細は後記のとおりである。

同四項の原告紳一の損害として主張する事実中、傷害の部位については認めるが、その余の事実はすべて不知。特に後遺症については右正中神経麻痺の状態にあるとしても、現在の事態は改善されているはずであり、また漸次回復の見込みがあるというのであるから後遺症として固定したとはいえない。のみならず同原告は後遺症に関し労災病院で診断を受けると約しながらこれを履行しなかつたのであり、かくのごとき不審な点があることからすると後遺症があることにつき大きな疑問があり、仮に後遺症としても一〇年間も残存するとは到底考えられない。

また同原告は後遺症のため職場転換を余儀なくされたと主張するが、職場転換ではなく営業所長から営業係長への降格とみるべきである。また後遺症のため整備工など各種の資格を生かせることができなくなつたと主張するが、原告紳一の勤務する株式会社陸運賛助会の業務は写真、代書及び食堂などで、ナンバーの取付等のいわゆる現業は行なつていないから、仮に同原告が整備工などの各種の資格を生かすことができないとしても事故前と差異はないものである。従つて抽象的にはともかく具体的には同原告において喪つた利益はない。

最後に弁護士費用についてであるが、本訴請求は本来解散した訴外昭和端子に対し請求さるべきもので、もし同会社清算中に請求があれば出訴に至らず解決したと考えられるのでまつたく理由がない。

同五項原告里子関係の損害の主張についても傷害の部位は認めるが、その余はすべて不知。特に同原告は上肢の一関節の機能に著しい障害を残すものとして障害等級一〇級の後遺症ありと主張しているが、右手を頭の上まで挙げることができるのであるから、一〇級の後遺症があるとはいえない。

同六項の原告秀和関係の損害についても傷害の部位は認めるも、その余の事実は争う。特に後遺症として首の搬痕の残存を主張するが、その存在は慰藉料請求の対象となるようなものではない。

「被告新昭和端子の地位についての主張」

一  訴外昭和端子の解散に至る経過は原告ら主張のとおりであるが、同社が解散の方針を内定した昭和四八年三月二〇日限りをもつて本店渋谷営業所及び登戸工場を閉鎖することを決定し、当時その取締役であつた島田正義を始め従業員は同日直ちに解任、解雇を申渡された。

二  しかるにこれらの者のうち有志の者が集まり従来の経験を生かして昭和四九年五月七日、資本金一〇〇万円の別個の新会社を設立したが、これが被告新昭和端子である。同社はその資本金が小額であること、その他の事情もあつて端子の製造を行わずこれが販売のみを営業目的としている。清算会社と類似の「新昭和端子」なる商号を使用しているが、それは訴外昭和端子の社員が新たな会社を作つたからであつて他意はなく、訴外昭和端子の営業を譲受けたことはなく、何等の債務を引受けたこともない。

よつて被告新昭和端子と訴外昭和端子とはまつたくの別会社であり、本件損害賠償責任を負ういわれはない。

「被告旭日電気の地位についての主張」

一  原告ら主張のうち被告旭日電気が保有していた訴外昭和端子の株式の数及び割合、役員兼任の事実並びに被告旭日電気の原材料の売掛未収金が解散前数年の間累増してそれに伴い経理面の支配が強くなつたことは認める。しかし被告旭日電気の取締役の訴外昭和端子の役員兼任は代表取締役を除いてすべて非常勤役員であり、売掛未収金の累増を認めて援助を余儀なくされてきただけで、資金面で訴外昭和端子を支配していたものではない。

確かに訴外昭和端子は資本面では被告旭日電気の純然たる子会社で、従つて同被告において親会社としてそれ相応の影響力があつたことは事実であろう。しかし役員を除く人的構成、経歴、業態からいつて法律上まつたく別個独自の別会社であり、且つ訴外昭和端子は一〇数年の実績を有し、この間同社独自の機構と職員によつて業務は遂行されてきたのであり、同社独自の立場、責任において職員の指揮監督、会社財産の維持管理も行なわれてきたのであつて、親会社に支配されていたようなことはない。

これら事情に加え被告旭日電気は電気設備工事の請負を目的とし、訴外昭和端子は電線末端処理用の端子の製造販売を目的としており、その営業目的を異にしている。そのため両社の取引先はまつたく異なつており、双方の取引関係も月額一万円から五万円程度の極めて微々たるもので、両社は専属的元請・下請の関係、あるいはその一部門といつた関係にはまつたくなかつたのである。

訴外昭和端子の解散、清算結了の点は原告ら主張のとおりであるが、訴外会社が解散したのは積年の欠損により金融機関の援助も不可能となり、そこでやむなく被告旭日電気において援助を行うもなお欠損が続き先行き回復不能と判断されたからである。清算にあたり被告旭日電気はその債権の大半を放棄したがこれは親会社としてその信用保持のためにも他の債権者に迷惑をかけることなく平穏完全に清算を終了させたかつたからである。しかし前記のとおり両社は別個独立の会社で訴外昭和端子の会社業務は同社独自の意思、判断によつてなされていたのであるからかかる事情は被告旭日電気が親会社として責任を負う理由とはならない。

二  以上の事実に加え訴外昭和端子は、端子の製造を被告旭日電気の渋谷本店営業所から離れた川崎市登戸の工場で行つていたもので、被告車は同工場専用の二台の車両のうち一台で、しかも同車を運転していた訴外浅沼繁康は同工場で勤務していたものである。

従つて本件事故は、訴外昭和端子が所有し、自賠責保険は勿論任意保険も同訴外会社において締結し、その工場職員が管理していた車両を、同訴外会社工場部門に所属する従業員が業務終了後に勝手に無謀運転して惹起したものである。よつて被告旭日電気は被告車につきその運行を支配する立場になく、またその運行利益を享受する立場になかつたのであり親会社であるからといつて被告旭日電気が運行供用者責任を負う理由は到底ないものである。

三  原告らは、被告旭日電気と訴外昭和端子とは専属的な元請・下請関係にあるとか、訴外昭和端子は被告旭日電気の一部門に過ぎないとか、同被告会社が訴外昭和端子を資金及び人事などを通じて完全に指揮支配していたとか主張するのであるが右に述べた次第でかかる事実はまつたくなかつたのである。

原告らが資力豊かな親会社に請求出来ればと考える心情は判らないでもないが、右に述べたとおり被告車につき事実上の運行利益、運行支配を親会社に認めるべき事情がない限り、いかに自賠法が被害者の保護、救済を主眼とするとはいえその請求は認容さるべきものではない。これに加え原告らは本件事故発生後訴外昭和端子から入院費、治療費、付添人費用、見舞手土産代等の一切の費用を受領しておきながら、本件請求に当つては同訴外会社が積年の営業不振で解散のやむなきに至り清算の段階に入つたため、その請求が到底満足を得られないと速断し、その債権の申出をせず清算結了に至るのを見送つたのであつて、原告らの運行供用者に対するその余の請求は仮りに存在していたとしてもこれを放棄したものといわざるを得ない。

第三証拠関係〔略〕

理由

第一事故の発生

原告ら主張の日時、場所で本件事故が発生したことは当事者間に争いがなく、原本の存在成立につき争いのない甲第一号証、成立につき争いのない甲第一四号証の一ないし四、被告新昭和端子代表者島田正義本人尋問の結果、原告小池紳一本人尋問の結果によれば、事故当時訴外浅沼繁康は酒に酔つていたこと(この点は当事者間に争いがない)、そして事故は原告ら主張のとおり青信号に従い交差点に進入した原告車に被告車がその右方から赤信号を無視して進行して来て衝突したもので、その程度は原告車の右側面、後部が大破するものであつたことがそれぞれ認められる。

そして被告新昭和端子代表者島田正義本人尋問の結果、原告小池紳一本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、被告車は事故当時訴外昭和端子の所有で同社名義で損害保険も締結され、同社登戸工場の専用車として使用されていたところ、同工場の従業員たる右訴外浅沼繁康において勤務終了後同車の鍵を持出してこれを運転して本件事故を起すに至つたことが認められる。

右事実からすると訴外昭和端子は被告車の運行供用者の地位にあつたと認められ、よつて本件事故による原告らの損害について賠償責任を負うものである。

第二被告新昭和端子の責任

原告ら主張のとおり訴外昭和端子が解散して清算手続を結了したこと、及び昭和四八年五月七日に被告新昭和端子が設立されたことは当事者間に争いがなく、そして成立につき争いのない甲第一〇、第一四号証、被告新昭和端子代表者島田正義本人尋問の結果により成立の認められる甲第四号証(但し公証人作成部分については成立につき争いがない)、同第五、第七、第一一号証、同本人尋問の結果、証人宗像健三の証言を総合すると、訴外昭和端子は、電気部品たる圧着端子類、圧着工具の製造、販売を営む株式会社で、事故当時、資本金四、二〇〇万円、従業員四五名位、本社を東京都渋谷区桜丘町二四番八号(被告旭日電気の本社と同一場所)におき、川崎市登戸に工場を有し、その代表者は被告旭日電気の代表者たる富井金三郎であつたところ、業績不振から昭和四八年一月頃解散することに事実上決定したこと(その経過の詳細は後に見るとおりである)、そして同年三月末頃までには工場を閉鎖して機械類の処分、従業員の解雇、債権債務の整理に入り、また取締役等の役員も事実上解任されて同社は解散状態となつたこと、しかるにこの段階で同社の取引先から、同社の取締役で中枢として活動していた島田正義に対して、得意先もあることなので協力するから端子類の販売をやつてはとの話が持込まれ、同人及び同社の従業員二名がこれに応じて被告新昭和端子を設立し、以来同被告会社は圧着端子類の販売を営んでいること、なお同被告会社は資本金一〇〇万円、販売のみを目的とし、当初の従業員は五名位であつたこと、がそれぞれ認められる。

被告新昭和端子の設立経過について右のごとき事実を認めることはできるが、同被告会社が訴外昭和端子の債務を承継引受したとの証拠は存せず、また、訴外昭和端子の解散に至る経過、その営業財産の処分の模様、被告新昭和端子の営業内容、企業規模、その形態を考慮すると、販売先及び若干の従業員を同じくするも、同被告会社が訴外昭和端子の営業を譲受けたとみることができないので債務引受の事実を窺わせる事情にもない。

以上の次第で被告新昭和端子が訴外昭和端子の債務を引受けたとの原告らの主張は認めることはできない。

第三被告旭日電気の責任

一  被告旭日電気が原告ら主張どおりの訴外昭和端子の株式を保有し且つ代表者その他の役員が兼任となつていてその親会社であつたこと及び原材料供給の点で資金面で援助していたことは同被告会社においても争わないところである。

右争いのない事実に前記乙第一〇号証、成立につき争いのない乙第八号証、その作成の趣旨により成立の認められる乙第九号証、証人宗像健三の証言により成立の認められる乙第一七、第一八号証、同証人の証言、被告新昭和端子代表者島田正義本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。

(一)  被告旭日電気は、主に電気工事の請負を営む資本金一億円の株式会社で代表者には同族たる富井金三郎、富井敏雄が就任しているが、昭和一六年からの株式会社で全国一三ケ所に支店、出張所を有し、元請、下請として官民の多数の電気設備工事を施行している。

同被告会社の本店は昭和四八年頃まで都内渋谷区桜ケ丘二四番八号に存し、同所の一棟の長屋形式の建物の一軒に同被告会社が、他方に訴外昭和端子がそれぞれ本店をおいていた。

(二)  訴外昭和端子は昭和三五年に設立されたのであるが、本訴で提出された証拠によつては設立の事情、当初の本店の所在地、役員構成等は不明である。しかし設立当初は被告旭日電気は、同訴外会社の株式を保有していなかつたが、同訴外会社が昭和三七年に昭和産業株式会社と合併した時に同被告会社がその株式の四五%を保有するに至つていることからすると、この合併時頃から同訴外会社の本店は右場所となりそして被告旭日電気から役員が派遣されるようになつたと推認される。

その後増資の際被告旭日電気と他の株主とが交互に新株を引受けたので同被告会社の保有株式の割合は変化したが、最後の昭和四四年の増資に際して被告旭日電気が新株の引受をしたためその保有株式の割合は六八%に達し、さらにその後株式の譲渡を受け、昭和四五年五月には七一・二%事故当時はその発行済株式の約七一・四%を保有するに至つていた。

訴外昭和端子の代表者は以前他の個人株主であつたが業績不振のため昭和四三年頃辞任し、被告旭日電気の役員たる野中堅太郎、同社役員であつた一宮加喜男が代表者となつて訴外昭和端子の経営に当ることとなつた。この頃には同訴外会社の役員九名中七名並びに監査役(一名)は被告旭日電気の役員もしくは以前役員であつた者で占められていて、その中には被告旭日電気の代表者たる富井金三郎、富井敏雄も含まれていた。

(三)  右野中堅太郎は訴外昭和端子の代表取締役になるや、主力となつて同訴外会社の業績をあげるべく尽力し、また被告旭日電気の一層の援助を得るべく働きかける一方、昭和四三年前記島田正義を経理課長として訴外昭和端子に入社させ、昭和四五年に取締役とした。なおこの時被告旭日電気の監査役たる幸宗次が訴外昭和端子の監査役に就任した。

しかるに野中堅太郎は昭和四六年初め病気で入院し、同四七年三月に死亡するに至つた。同人入院後は、他の代表者たる一宮加喜男、右島田正義、戸沢寿雄(被告旭日電気の役員を退職して昭和四六年一〇月に訴外昭和端子の取締役に就任した者)の三名が経営に当つた。

しかし訴外昭和端子の業績は悪く、そして一宮加喜男も昭和四七年七月に健康上の理由で辞任し、代つて被告旭日電気の代表者たる富井金三郎、富井敏雄が代表者に就任した。そしてこの直後に本件事故が生じたものである。

右富井金三郎らが訴外昭和端子の代表者に就任直後の昭和四七年八月末の同社の決算も大幅な赤字で且つ同人はこの頃には訴外昭和端子の中枢として働いていた島田正義から業績が回復する見込もない旨聞かされた。

その結果富井金三郎は訴外昭和端子を解散させることにしたらしく、翌昭和四八年一月に島田正義に同年三月末をもつて同社の業務活動を停止させるように命じるとともに、同人をして取引先に親会社たる被告旭日電気において支払を保証するから解散に応じて貰いたい旨伝えさせた。

こうして前記のとおり同年三月末に訴外昭和端子の登戸工場は閉鎖されて従業員は解雇され、さらに機械類の処分、債権債務の整理に入り、同年五月中頃にはこれらもほぼ終了したのであるが、債務整理の際、所持人から要望のあつた分については訴外昭和端子振出の手形を被告旭日電気振出の手形に書替えた。

その後同年六月一五日に解散の決議がなされ、被告旭日電気の代表者たる富井敏雄及び同被告会社が依頼した税理士たる奥戸武が代表清算人に、同被告会社取締役宗像健三が清算人にそれぞれ就任し、そして清算結了に至つた。なお清算手続における事務は被告旭日電気の経理課員が担当した。

二  被告旭日電気と訴外昭和端子の関係、及び同訴外会社の清算に至る経過は右認定のとおりであるが前掲各証拠並びに成立につき争いのない乙第一五、第一六号証、証人宗像健三の証言により成立の認められる乙第一三号証、原告小池里子本人尋問の結果によればさらに次のごとき事実が認められる。

(一)  野中堅太郎が訴外昭和端子の代表者になるや同人において被告旭日電気に同訴外会社を一層援助するよう働きかけたことは前記のとおりであり、その後同被告会社は資金面等で訴外昭和端子を援助していた。のみならず同訴外会社に信用がなくなり原材料を購入するのが困難になるや同被告会社においてこれを買付け、二~三%の口銭をとつただけで訴外昭和端子に売渡すという方法でも援助した。

(二)  しかし前記のとおり訴外昭和端子の業績は好転せず、粉飾決算をしても赤字が続く状態で、富井金三郎らが同訴外会社の代表者となつた直後の昭和四七年八月末の決算では粉飾しても二、〇〇〇万円以上の欠損が生じており、実際の欠損は約一億二、〇〇〇万円となつていた。

そのため前記のとおり富井金三郎は訴外昭和端子の解散を決意したわけであるが、粉飾を洗い直し、債権債務を整理したところ、解散時の欠損は約一億五、〇〇〇万円になつた。

債務の総額は一億九、五〇〇万円にも及び、債務の整理をしたのでその主な内容はほぼ金融機関関係二、二〇〇万円、被告旭日電気関係約一億七、〇〇〇万円(但し子会社関係分若干を含む)のみであるが、被告旭日電気に対しては短期借入金だけで一億一、七〇〇万円を負担していた。

(三)  しかし被告旭日電気において金融機関関係分その他について代位弁済し、自己の分については放棄したので第三者に迷惑をかけることなく訴外昭和端子の清算は終了した。もつとも同訴外会社の資産があつたので、被告旭日電気の負担は欠損分相当の自己の債権を放棄することで終つた。

右清算中の昭和四八年七月末に被告旭日電気に対し原告ら代理人弁護士から、訴外昭和端子は同被告会社の専属的下請なので本件事故につき責任を負うと考えられるが見解を聞きたいとの内容証明郵便が送達されたのであるが、同被告会社は訴外昭和端子とは法人格が別なのだから回答する必要はないとの考えのもとにこれを放置しておいた。

(四)  被告旭日電気は昭和四八年三月以前にその本店を事実上従前の都内渋谷区桜丘町から現在の都内世田谷区新町に移転しており、そして従前本店のあつた都内渋谷区桜丘町の土地は資金繰りの必要から訴外昭和端子の解散時頃処分している。

すなわち訴外昭和端子の解散は、敷地処分という点からも被告旭日電気に必要であつたともいえるのである。

(五)  野中堅太郎が訴外昭和端子の代表者となつてその代表印を保管するようになるや、同人が被告旭日電気の役員でもあつたことから、事実上同被告会社の総務課で保管されるようになつた。

また年に一回位であるが被告旭日電気において車両が不足することがあり、その場合一、二度であるが、訴外昭和端子の登戸工場で使用している車両を借用したことがある。

さらに本件事故について訴外昭和端子の方から被告旭日電気に連絡がついていたようで昭和四八年一月初の原告里子が訴外昭和端子の指示で付添費の支払につき同被告会社に問合わせたことがある。

三  右認定事実からすると遅くとも昭和四五年以降にあつては訴外昭和端子は被告旭日電気とは別法人の子会社とはいえ、両社は一体で実質的には一個の企業と見られる関係にあつたと考えざるを得ない。

なるほど被告旭日電気の主張するとおり訴外昭和端子は昭和三五年設立の長年実績のある会社で被告旭日電気とは営業目的を異にしていて専属的な元請下請関係にあつたわけではなく、その取引関係も僅かであつたことは認められ、そして被告車は同訴外会社の名義で所有され、保険も締結されていた。

しかしながら右認定のとおり被告旭日電気は昭和三五年以降増減はあつても訴外昭和端子の発行済株式の相当割合を保有していて昭和四五年以降はその七一%余を保有していたもので、そしておそらくそれ以前から両社は同一建物内に本店をおき、同訴外会社の役員の大半、監査役は被告旭日電気の役員らが兼任していて、同年以降同訴外会社の代表者はすべて同被告会社の役員らで占められており、その中には同被告会社の代表者も含まれていたのである。さらに付言すれば、昭和四五年に訴外昭和端子の取締役となり以来同社の中心となつて活動したと見られる島田正義も、被告旭日電気の役員でないとはいえ同被告会社の希望で訴外昭和端子に入社した者である。これら事情に加え被告旭日電気は訴外昭和端子の解散に至るまで直接、間接に一億七、〇〇〇万円を上回る融資をしているのであるが、両社の規模を勘案するとこの額は膨大な額といわざるを得ない。

証人宗像健三は、訴外昭和端子の要望があれば被告旭日電気において次々と資金面で援助したことは認めながら被告旭日電気は訴外昭和端子を野放しにしていた旨強調するのであるが到底措信し難いところである。訴外昭和端子の右のごとき資本面、人事面の構成からすると被告新昭和端子代表者島田正義の供述するとおり少なくともその基本方針については被告旭日電気の意向を尊重していたことは明らかである。

のみならず仮に同人らの供述するとおり被告旭日電気において訴外昭和端子の日常業務について干渉することはなかつたとしても巨額な融資状況は同被告会社が訴外昭和端子を自社の一部と評価していたからであると考えざるを得ない。さらにこのことは被告旭日電気の意向並びに必要によつて訴外昭和端子の解散が決定され、そして解散に至る過程で同被告会社において訴外昭和端子の取引先に対して支払について保証するとの挨拶をしたり、手形の書替に応じたことによつても認められるところである。

右のごとき被告旭日電気と訴外昭和端子との関係からすると、同被告会社は訴外昭和端子と同一の立場で被告車の一般的運行を支配し且つその利益を享受していたと見るのが相当であり、よつて同被告会社も訴外昭和端子と共同して原告らの損害を賠償すべき責任がある。

そして右被告旭日電気の責任原因からすると同被告会社の原告らは訴外昭和端子の清算結了に至るのを見送つたのであるからその請求を放棄したと看做すべきだとの主張はその余の点を判断するまでもなく理由のないところである。

第四原告紳一の損害

本件事故により原告紳一がその主張どおりの傷害を負つたことは被告旭日電気において争わないところであり、そして原本の存在、成立につき争いのない甲第二号証、成立につき争いのない甲第三、第四号証、同第一五号証の一ないし六、同第一九号証、同第二三号証、その趣旨により成立の認められる甲第一八号証、原告小池紳一本人尋問の結果により成立の認められる甲第五、第六号証、同本人尋問の結果、原告小池里子本人尋問の結果を総合すると、入・通院治療の経過はその主張どおりであるほか、昭和四七年一一月一三日から同月二六日まで東邦大学医学部付属大森病院に通院していること、事故後原告紳一は総合高津中央病院に運ばれるや顔面六針、右肘部三針の縫合術を受け、その後一〇日間位の間輸血、酸素吸入、点滴、胃吸引、胸腔穿刺を受けたのであるが、この間強度の背部痛、左胸部痛、喝きを大声で訴えて暴れるので昼夜を問わず男子の付添を必要としたこと、その後も点滴を受けさらに骨盤を骨折していたので同年九月一六日まで牽引を続けていたので昼夜の付添を必要としたこと、一〇月初めになつて歩行器を使用して歩行の訓練をするようになり一〇月上旬頃には一人で便所に行けるようになつたが、この間輸血により血清肝炎を併発したこと、しかるに右正中神経断裂のため右手親指付近に麻痺が残り、マツサージを受けても良くならないのでその治療のため前記東邦大学医学部付属大森病院に入院して縫合術を受けたのであるが、昭和五二年二月現在にあつても麻痺は残り右手は親指を曲げることができず、小学校低学年位の握力しかなく左手よりも細くなつており治療を受けてもあまり変りがないがまだ回復の見込みがあるとのことなので三、四ケ月に一度の割で同病院に通つていること、後遺症としてはこのほか多数の肋骨が折れたため右鎖骨が変形し、骨盤骨折のため身体の右側が下つて跛をひくうえ寝返りをうたないと起上れず、季節の変り目などには手足、背中などが痛み、さらに胸腔穿刺したのと肋膜ゆ着しているので二〇分位歩くと足や胸が痛むようになり、また、額、左胸、右腕に傷跡がある等の症状があること、事故当時同原告は四一歳で運輸省の外郭団体の子会社で写真、代書、食堂を営む都内大田区大森所在の株式会社陸運賛助会に営業所長として勤務していたが、右入通院のため休業を余儀なくされたこと、昭和四八年四月から当初は杖をひく状態で出勤するようになつたが右手が満足に使えないことから営業係長に配置転換となり管理給が減額されたが、さらにその後従前同等の地位にあつた者は昇格昇給しているのでこの点でも不利益を蒙つていること、なお休業中の給与は勤務先から支給を受けたが、昭和四七年一二月及び昭和四八年の賞与は減額されたこと、原告紳一は二級整備士、溶接、大型車運転の各免許を有しているが、前記のごとき後遺症のため事実上これらの技術を生かすことはできなくなつたこと、の各事実が認められる。

よつて原告紳一の損害額を算定すると次のとおりとなる。

(一)  付添料 一六万八、〇〇〇円

原告小池紳一本人尋問の結果によれば、同原告が総合高津中央病院入院中のほぼ全期間昼夜とも付添人がついたが、それには事故直後から九月末までは原告らの親族が、それ以降は昼間は先に退院した原告里子が当つたこと、その後の入院の際は訴外昭和端子において付添人を雇つたこと、がそれぞれ認められる。

そして前記原告紳一の総合高津中央病院での入院状況からすると、同病院入院中の五六日間は昼夜の付添を必要としたと認められ、そうするとその費用は一日当り三、〇〇〇円とみて相当なのでその合計は一六万八、〇〇〇円となる。

(二)  入院雑費 六万円

原告紳一主張どおりの損害を認めて相当である。

(三)  賞与減額分 六三万二、四〇〇円

前記甲第五号証によれば賞与の減額は右金額であつたことが認められる。

(四)  後遺症による逸失利益 八一万六、三〇〇円

原告紳一が事故後、後遺障害が原因で配置転換となりその結果管理給が減額されたことは前記のとおりでこの減収は後遺症によるものと認めうる。その額は前記甲第六号証によれば昭和四八年七月が月額五、〇〇〇円、同年八月に同等であつた者が昇格昇給したため月額八、〇〇〇円となり、その後昭和四九年四月には原告紳一が昇給したため月額六、〇〇〇円となつたことが認められる。

原告紳一は右月額六、〇〇〇円の減収が稼働期間中継続すると主張するが、同原告の地位、後遺症の程度からみて爾後一五年間とみるのが相当である。そうするとその損害は昭和四八年七月分五、〇〇〇円、同年八月から翌四九年三月までの八ケ月分六万四、〇〇〇円、それ以降一五年間の月額六、〇〇〇円(年額七万二、〇〇〇円)の減収をライプニツツ方式により年五分の中間利息を控除して現価に引直した七四万七、三〇〇円(係数一〇・三七九六、一〇〇円未満切捨)の合計八一万六、三〇〇円となる。

なお原告紳一はこのほかにも後遺症により整備工等の各資格が生かすことができなくなつたとして逸失利益の請求をしているが、同原告の稼働状況からすると後遺症による逸失利益は右減収によつてすべて評価されているとみるのが相当であつて、この分の請求は失当である。

(五)  慰藉料 二二〇万円

前記傷害の程度、入通院の期間、後遺症の態様からすると慰藉料としては総計右金額が相当である。

(六)  弁護士費用 三八万円

原告小池紳一本人尋問の結果によれば、同原告は本訴提起を弁護士に委任し、右金額を支払つたことが認められるところ、本件訴訟の内容、認容額等に鑑み、この弁護士費用は本件事故による損害と認めうる。

第五原告里子の損害

原告里子がその主張どおりの傷害を負つたことは被告旭日電気において争わないところであり、そして前記甲第一八号証、原本の存在、成立とも争いのない甲第七号証、同第九号証、成立につき争いのない甲第一〇号証、同第一六号証の一、二、同第二〇号証、同第二二号証、原告小池里子本人尋問の結果により成立の認められる甲第八号証、同本人尋問の結果を総合すると、事故直後運ばれた総合高津中央病院の入院期間が九月一一日まででその後は通院している点並びに一〇月一二日以降しばらくの間順天堂大学医学部付属順天堂医院に通院している点を付加するほかその主張どおりであること、総合高津中央病院に入院直後は胸部、右肩の痛みを訴えていたが、同病院では治ゆしたと診断されたこと、しかるに右肩が痛み沢井接骨院、順天堂医院に通院し、さらに一一月一三日に東邦大学医学部付属大森病院で診察を受けたところ右肩に陳旧性関節脱臼が認められたので入院して同月三〇日に観血的整復固定術を受け約二ケ月間にわたつてギブス固定したこと、その後機能訓練を受けたが昭和四八年末頃に右腕が上らない後遺症が固定し、その程度は前挙八〇度、側挙八〇度、後分廻し二〇度、旋回は非常に制限されるものであり、そのほか右肩のところに六センチ位の傷跡があつてノースリーブは着用し難く、そして季節の変り目に肩、背中が痛むこと、原告里子は昭和七年生れで都内新宿区四谷所在の財団法人陸運賛助会に勤務しているところ右入通院のため事故後翌年の昭和四八年二月一七日まで休業したこと、この間の給与(昭和四八年二月現在において月額一一万〇四、六〇円)は勤務先から支給を受けたが、昭和四七年一二月及び昭和四八年の賞与は減額されたこと、の各事実が認められる。

よつて原告里子の損害額を算定すると次のとおりとなる。

(一)  付添料 八万円

原告里子の入院は七五日に及ぶところ、同原告の傷害の程度及びその後の手術からみて相当期間付添を要したと推認されるが、その期間は判然としないのでこれをやや少な目に四〇日とみて、その費用は一日当り二、〇〇〇円が相当なので右金額となる。

(二)  入院雑費 三万七、五〇〇円

一日当り五〇〇円とみて七五日分

(三)  賞与減額分 三九万九、七〇〇円

前記甲第一一号証によれば賞与の減額は右金額であつたことが認められる。

(四)  後遺症による逸失利益 一〇二万三、五〇〇円

前記後遺症に鑑み原告里子においてその稼働能力をある程度喪つていることは容易に推認されるところであるが、後遺症の態様、同女の職業等からするとその割合、期間は判然としない。しかしながら前認定の事実に鑑み少なくとも、月額一一万〇、四六〇円(年額一三二万五、五二〇円)の給与の一〇%を爾後一〇年にわたつて喪うとみて相当である。

右割合の右期間の逸失利益をライプニツツ方式によつて年五分の割合の中間利息を控除して現価に引直すと右金額となる(係数七・七二一七、一〇〇円未満切捨)。

(五)  慰藉料 一六〇万円

前記傷害の程度、入通院の期間、後遺症の態様からすると慰藉料は右金額をもつて相当とする。

(六)  弁護士費用 三二万円

前同様の事情を勘案すると弁護士費用のうち本件事故による損害と認めうるのは右金額をもつて相当とする。

第六原告秀和の損害

原告秀和がその主張どおりの傷害を負つたことは被告旭日電気において争わないところであり、そして原本の存在成立とも争いのない甲第一二、第一三号証、成立につき争いのない甲第一七号証の一、二、同第二一号証、原告小池里子本人尋問の結果を総合すると、事故後直ちに同原告は総合高津中央病院に運ばれ、九月二二日までの三三日間入院したこと、同病院入院当初は強い頭痛、嘔気を訴え、絶対安静で点滴等の措置を受けたこと、さらに九月初めに目が寄るような症状があらわれたので診察を受けたところ左眼外転神経麻痺とのことでその点の治療も受けたがすべて治ゆということで同病院を退院したこと、しかるに九月末頃になつて複視を覚えるようになり同月二九日に順天堂大学医学部付属順天堂医院で診察を受け以来三ケ月位通院したこと、さらにその後同年一二月末頃頸椎の様子がおかしいことが判り東邦大学医学部付属大森病院で翌四八年三月中頃まで首の固定等の治療を受けたこと、後遺症として左首、左肩に傷跡があり、昭和五二年三月現在でも時折複視を覚えること、なお同原告は昭和三六年五月生れで、事故当時一一歳であつたこと、の各事実が認められる。

よつて原告秀和の損害額は次のとおりとなる。

(一)  付添費 六万六、〇〇〇円

一日当り二、〇〇〇円とみて三三日分

(二)  入院雑費 一万六、五〇〇円

一日当り五〇〇円とみて三三日分

(三)  慰藉料 四五万円

前記傷害の程度、入通院の期間等に鑑み慰藉料としては右額が相当である。

(四)  弁護士費用 七万円

前同様の事情により右金額をもつて相当とする。

第七結論

以上の次第で原告らの本訴請求は、被告旭日電気に対して原告紳一において四二五万六、七〇〇円及び内弁護士費用を除く三八七万六、七〇〇円に対する事故当日の昭和四七年八月二一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で、原告里子において三四六万〇、七〇〇円及び内弁護士費用を除く三一四万〇、七〇〇円に対する同じく昭和四七年八月二一日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を求め用を除く五三万二、五〇〇円に対する同じく昭和四七年八月二一日以降支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるのでこれを認容し、その余の被告旭日電気に対する請求、並びに被告新昭和端子に対する請る限度で、原告秀和において六〇万二、五〇〇円及び内弁護士費求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する次第である。

(裁判官 岡部崇明)

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