東京地方裁判所 昭和50年(ワ)9030号 判決 1979年4月27日
主文
一 被告は、原告黒崎和子に対して金四一〇万四一〇七円、同黒崎透子に対して金三六六三万一四一八円と、これらに対する昭和四四年一月六日から各支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。
二 原告らのその余の請求はいずれも棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主位的請求
(一) 被告は、原告黒崎和子に対して金一五四四万八八〇六円、同黒崎透子に対して金三七八二万六〇七七円と、これらに対する昭和四四年一月六日から各支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行宣言
2 予備的請求
(一) 被告は、原告黒崎和子に対して金一四六一万五四七三円、同黒崎透子に対して金三八六五万九四一〇円と、これらに対する昭和四四年一月六日から各支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 (原告らの身分関係)
原告黒崎和子(以下「原告和子」という)は、訴外亡黒崎叡二(以下「黒崎」という)の妻であり、原告黒崎透子(以下「原告透子」という)は黒崎の長女である。
黒崎は、後記事故当時、航空自衛隊第二航空団所属の自衛隊員で、その階級は一等空尉であつた。
2 (本件事故の概要)
黒崎は、右航空団第二〇三飛行隊のT―三三Aジエツト機(九一―五四〇八号機。以下「事故機」という)の定期検査終了後の試験飛行実施のため、事故機を操縦し、機上計測のため整備員訴外亡葛西二曹(以下「葛西」という)を後席に同乗させて、昭和四四年一月六日午前一一時一五分千歳飛行場を有視界飛行方式により離陸した。
黒崎は、午前一一時一八分同飛行場北方約二海里附近で、第四五警戒群(レーダー部隊)に対し、無線により「千歳を午前一一時一五分に離陸、現在針路二七〇度を右旋回中、予定飛行時間一時間の有視界飛行を実施する。」と通報した。同警戒群は、事故機が針路を西にとり羊蹄山附近から北に変針し石狩湾に達するのを確認していたが、午前一一時三四分ころ無線連絡がないまま事故機の機影はレーダー上から消失した。
事故機は、午前一一時三六分ころ石狩湾に墜落し、黒崎、葛西は事故機から脱出することなくその墜落によるシヨツクで即死したものである。
3 (事故の原因及び被告の責任)
(一) 国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設又は器具等の設置、管理にあたつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき、いわゆる安全配慮義務を負つている。
本件についていえば、被告は事故機を管理、所有していたものであつて、これに内在する物的危険から黒崎の生命及び健康等を保護するよう配慮すべき義務、即ち、事故機の管理にあたつて、飛行中故障をおこして墜落させないように配慮すべき義務を負つていたものである。
(二) 前記事故(以下「本件事故」という)は、事故機の酸素系統又は酸素マスクの機能の障害によつて黒崎に酸素欠乏症を生ぜしめたか、あるいは操縦系統の不具合によつて補助翼の作動を停止させ又はその作動を困難ならしめたため、もしくは右両者の競合により生じたものである。
そして右の機能障害あるいは不具合は、酸素レギユレータ若しくは酸素マスク又はエルロンブースタに設計上のミスのあることを看過したこと、あるいはこれらに対する充分な整備、点検、修理等がなされなかつたことによつて生じたものである。
従つて、被告は、前記安全配慮義務の不履行によつて本件事故を発生させ黒崎を死亡せしめたものというべきである。
(三) 仮に右(二)が認められぬとしても、そもそも航空機が飛行中に墜落した場合においては、原則として、その墜落事故は事故機の操縦者が操縦に関して注意を怠つたためか、又は、整備その他事故機の管理に瑕疵があつたため、あるいはその両者の複合により発生したものと推定されるべきであるところ、本件の場合、黒崎に操縦上の過失はなかつたから、本件事故は事故機の整備等の管理に瑕疵があつたために発生したものというべきであり、結局、被告は、前記安全配慮義務不履行により本件事故を発生させ黒崎を死亡せしめたといえる。
(四) 以上、いずれにしろ、被告は本件事故によつて生じた後記損害を賠償すべき義務がある。
4 (損害)
(一) 逸失利益
(1) 黒崎は、高等学校卒業後、昭和三一年四月一〇日航空自衛隊操縦学生として幹部候補生学校に入校し、同校教育終了後隊務に精励し、本件事故当時、一尉四号俸の給与を受ける三〇歳(同一三年二月一六日生)の健康な一等空尉自衛隊員であつた。
従つて、黒崎は、本件事故により死亡しなければ、自衛隊定年(二等空佐以下の幹部自衛官としての)五〇歳(同六三年二月一六日)に達するまで勤務してその間少なくとも毎年一号俸宛昇給して自衛隊俸給表に従つて、別紙「別表第一」記載のとおりの収入を、また右定年時には同「別表第三」記載のとおりの退職金をそれぞれ得たはずである。
なお、逸失利益算定の基礎となる年収の算定にあたつては、口答弁論終結時まで毎年実施されたべースアツプ等を考慮すべきであつて、本件においても昭和五二年度までは各年度の実際の自衛隊俸給表に従つて基本給、航空手当、扶養手当、賞与をそれぞれ計上し、同五三年度以降は同五二年度の同俸給表に従つて計上した。その具体的計算方法は右「別表第一」の(注)書きのとおりである。また、退職金についても、右の方法によつて計上した定年時の基本給に、係数六一・三八を乗じた。
(2) そして、黒崎は、右定年退職後は、直ちに少なくとも一〇人から九九人までを雇用する規模の会社(同五一年賃金センサス第一巻第一表のうち男子労働者旧中・新高卒欄)に再就職し、少なくとも六七歳に達するまで就労し、別紙「別表第二」記載のとおりの収入を得たはずである。
(3) 黒崎が要した生活費は年間所得の三〇パーセントであつたから、右(1)(2)の額(但し、退職金は除く)からそれを控除し、更に年五分の割合による中間利息をライプニツツ方式により控除すると、逸失利益の死亡時における現在価格は同「別表第四」記載のとおり合計金四八七八万九一一五円となる。
(4) 原告らは、法定相続分に応じ、右損害賠償債権のうち、原告和子は三分の一である金一六二六万三〇三八円を、原告透子は三分の二である金三二五二万六〇七七円をそれぞれ相続により取得した。
(二) 慰謝料
(1) 本件事故により、原告和子は三三歳の若さで夫を失い、原告透子は一歳で父を失い不遇の身となり、多大の精神的苦痛を受けたが、これを慰謝するには、原告らそれぞれ金二五〇万円が相当である。
(2) 仮に原告ら固有の慰謝料請求権が認められないとしても、黒崎は、弱冠三〇歳で、しかもわずか一歳の長女と妻を残して本件事故により死亡したものでその精神的苦痛は多大なものであり、これを慰謝するには金五〇〇万円が相当であるところ、原告らは法定相続分に応じ、右慰謝料請求権のうち、原告和子はその三分の一である金一六六万六六六七円を、原告透子はその三分の二である金三三三万三三三三円をそれぞれ相続により取得した。
(三) 葬祭費
原告和子は、黒崎の死亡により、葬祭費として少なくとも金三〇万円を要した。
(四) 損害の填補
原告和子は、被告から、国家公務員災害補償法による遺族補償年金一七一万〇六六二円(但し、昭和四四年二月から同四七年一月までの三年間分)、葬祭補償金一九万八八四〇円、特別弔慰金一五五万円、退職金一一五万四七三〇円をそれぞれ受領したので、右受領金額を原告和子の右(一)(二)(三)の合計損害賠償請求権から控除する。
(五) 弁護士費用
原告らは以上のとおりの損害金を被告に対して請求しうるものであるところ、被告が任意に弁済しないので、弁護士である本件原告ら訴訟代理人に訴訟の提起、遂行を委任し、弁護士費用として、原告和子は金一〇〇万円、原告透子は金二八〇万円を支払う旨約したが、右弁護士費用は被告の本件安全配慮義務不履行と相当因果関係にある損害である。
(六) 遅延損害金
本件訴訟の請求債権は、債務不履行に基づく損害賠償請求債権であるが、右債権の内容は、債権発生の時即ち損害発生の時に定まるべきものであり、債権成立と同時に履行期となり、履行遅滞を生ずる。従つて、遅延損害金の起算日は事故発生日たる昭和四四年一月六日とするのが妥当である。
5 よつて、被告に対して債務不履行に基づく損害賠償として、第一次的に、原告和子は金一五四四万八八〇六円、原告透子は金三七八二万六〇七七円、第二次的に原告和子は金一四六一万五四七三円、原告透子は金三八六五万九四一〇円と、以上それぞれにつき事故発生の日である昭和四四年一月六日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び被告の主張
1 請求原因1、2の事実は全て認める。
2(一) 同3のうち、被告が一般的に原告が(一)で主張するような安全配慮義務を負うべきことは認めるが、その余は否認し、または争う。
(二) 事故機種の整備については、飛行の前後に実施する飛行前点検、基本飛行後点検と二五及び五〇飛行時間毎に実施する定時飛行後点検があり、更にその後、二〇〇飛行時間毎に実施する定期検査があつて、これらを繰り返してその間に三六か月または九〇〇飛行時間毎に機体定期修理を実施することになつているが、事故機は、昭和四一年七月二二日、訴外川崎航空株式会社において第二回目の機体定期修理を終了し、同四三年一二月一八日から同月二七日までの間に第三回目の定期検査を完了していた。なお、事故機搭載のエンジンは、同四三年五月から一一月までの間、右訴外会社においてオーバーホールが実施されたもので、同年一二月一四日受領して事故機に搭載し、右定期検査を実施した。右検査の結果は、エンジンテストスタンドでの点検及び地上運転の結果とも良好で異常は認められなかつた。
そして本件事故機は、墜落前に無線による通報及び緊急事態の宣言はしておらず、目撃者の話によると、墜落瞬間時までエンジンは回転していたと判断されること、又、気象、機の整備等において、本件事故の原因と推定されるものは見あたらないことからして、本件事故原因を推定すると、黒崎の身体的障害あるいは誤操作による場合、本件事故直前に突発的に生じた器材上の欠陥で操縦不能となつた場合が考えられる。
右の黒崎の誤操作による場合としては、ストール特性点検(エンジンを低い回転数で稼働し、機体を上昇させてその性能を調査する)中、失速に続くスピン(きりもみ状態)に入つたため高度が大きく低下し、急激な引き起こし回復操作のため二次失速に入つた場合、及び補助燃料タンクの燃料スイツチを入れ忘れたためエンジンが停止し、回復操作後の再始動中、エンジン低回転のうちに失速させた場合が考えられ、黒崎の身体的障害による場合とは、黒崎が何らかの原因で意識を喪失し、または身体の不具合により誤操作をした場合のことである。
3 同4(一)(1)のうち、黒崎が原告ら主張のとおりの自衛隊員であつたこと、黒崎は本件事故により死亡しなければ昭和六三年二月一六日の定年に達するまで自衛隊に勤務してその間少なくとも毎年一号俸宛昇給して自衛隊俸給表に従つて給与を、また右定年時には基本給に六一・三八を乗じた額の退職金をそれぞれ得たであろうことは認めるが、右給与及び退職金の算定にあたつてベースアツプ等を考慮すべきことは争う。右算定にあたつては、黒崎の死亡時(昭和四四年度)の俸給表(航空手当及び賞与の各係数並びに扶養手当の額も含めて)に従うべきである。なお別紙「別表第一」の(注)書きのうち、航空手当の計算方法が当該階級の初号俸に一定の係数を乗じるものであること(右係数は同四四年度においては五五パーセントである)及び賞与の計算方法が係数の点を除き原告ら主張のとおりであることは認める。
4 同4(二)は争う。
5 同4(三)の事実は不知。
6 同4(四)の事実は認める。
7 同4(五)のうち、原告らが、原告ら主張のような委任をしたことは不知、その余は争う。
8 同4(六)は争う。被告が遅滞に陥るためには原告らの催告を必要とする。
9 同5は争う。
三 抗弁
被告は、原告和子に対して、本件事故による遺族補償年金として金一一六〇万八〇三一円を支給した。従つて、右金員は原告和子の損害額から控除されるべきである。
四 抗弁に対する認否
原告和子が被告から、被告主張のとおりの金員の交付を受けたことは認めるが、損害額から控除されるべきことは争う。
第三証拠〔略〕
理由
一 請求原因1(原告らの身分関係)、2(本件事故の概要)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 事故原因及び被告の責任
1 右事実と証人久保重男及び同森洋の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 事故機は昭和四四年一月六日午前一一時一五分に千歳飛行場を離陸し、同一八分、同飛行場北方約二海里(約三七〇〇メートル)附近で第四五警戒群(レーダー部隊)に対して「千歳を午前一一時一五分に離陸、現在針路二七〇度を右旋回中、予定飛行時間一時間の有視界飛行を実施する。」と無線通報した。同警戒群は、事故機が針路を西にとり支笏湖上空を経て羊蹄山附近から北に変針し、石狩湾に達するのをレーダー上で確認していたが、同三四分ころ事故機の機影はレーダー上から消失した。なお、奥尻のレーダーサイトが測定したところによれば、同二二分ころには、事故機は支笏湖上空約二万フィート(約六一〇〇メートル)の高度にあつた。
(二) 事故機は、右無線通報以後は何らの無線連絡をすることなく、同三六分ころ、石狩湾十線浜沖約三、四キロメートルの海上に、空中分解、空中火災もなくエンジン音を発したまま墜落した。その際、黒崎及び葛西は、事故機には脱出装置がついているのに脱出することなく、そのまま墜落し即死した。
(三) 前記の機影がレーダー上から消失した地点と右墜落地点との間の水平距離はさほどなく、ほぼ一致していた。
2 右認定事実に証人森洋の証言を併せて検討すると、事故機は、機影がレーダー上から消失した同三四分ころまでは、ほぼ順調に飛行し、少なくとも高度二万五〇〇〇フイート(約七六〇〇メートル)以上に達していたこと、及び右消失地点あたりからかなり急激な角度で垂直方向に墜落したことが推認され、また、証人森洋の証言によれば、事故機は、本件飛行の時間的経過からみて、右消失地点附近ではいまだストール(失速)特性の点検を行う段階には至つておらず、相当高い高度を保ちながら試験飛行を行なうべきはずであつたことが認められる。そして証人久保重男及び同森洋の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、右墜落の原因は、黒崎の身体的障害(例えば心臓病等)又は事故機の酸素系統若しくは酸素マスクの不具合のいずれかによる同人の意識喪失又は意識不完全による操縦不能であることが推認される。ところが、右各証言及び原告和子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、黒崎はとりたてる程の病気もなく健康体であつて、総飛行時間二〇〇〇余時間のベテラン飛行士であり、かつ本件事故機と同種のT―三三Aジエツト機についても六五〇時間弱の飛行経験を有していたもので、これまで何ら飛行中に身体的障害等を経験したことがなく、本件事故の前日、当日とも身体に何らの異常もなかつたことが認められるから、結局本件事故原因は事故機の酸素系統又は酸素マスクの不具合であると推認するのが相当である。
3 ところで、国は公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設又は器具等の設置、管理にあたつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき、いわゆる安全配慮義務を負つており、本件のようにジエツト戦闘機に搭乗して整備試験飛行に従事する自衛隊員黒崎に対しては、被告は、機体部品等の十分な整備を実施し、事故発生を防止して飛行の安全を保持すべき義務を負うと解すべきである。そして、本件事故が前記のように事故機の酸素系統あるいは酸素マスクに不具合が発生して墜落するに至つたことが推認される以上、右不具合の発生が黒崎の酸素系統あるいは酸素マスクの誤操作によるものであること等の特段の事情の存在が立証されない限り、被告は前記の機体部品等の整備について不十分な点があつたものと推定すべきであるところ、本件全証拠を検討してみても右の特段の事情の存在をうかがわせるに足りる証拠はない。
従つて、被告は、本件事故について前記安全配慮義務違反の責任は免れず、右事故による後記損害を賠償すべき義務があるというべきである。
三 損害
1 逸失利益
(一) 黒崎が、昭和一二年二月一六日生で本件事故当時一尉四号俸の給与を受けていたこと、及び本件事故によつて死亡しなければ同六三年二月一六日の定年に達するまで自衛隊に勤務してその間少くとも毎年一号俸宛昇給して自衛隊俸給表に従つて給与を受けたであろうことは当事者間に争いがない。そして、右の黒崎が受けたであろう給与の算定にあたつては、原告ら主張のとおり毎年実施されたベースアツプ等を考慮すべきであつて、原告ら主張の算定方法(昭和四四年から同五二年度まではベースアツプされた各年度の実際の自衛隊俸給表<航空手当及び賞与の係数並びに扶養手当の額も含めて>に、同五三年度以降は同五二年度の同俸給表にそれぞれ従つて算定)が合理的である。成立に争いがない甲第九号証及び弁論の全趣旨によれば、各年度の基本給月額は別紙「別表第一」の基本給月額欄記載のとおりであることが認められ(但し、原告ら主張の計算方法に従い、年度<当該年度の二月一六日から翌年二月一五日まで>の途中でベースアツプがあつた場合は、そのベースアツプ分は当該年度分には算入せず翌年度において算定した。以下の航空手当の係数、扶養手当の額についても同様。)、また航空手当が当該階級初号俸(黒崎は一尉であつたから一尉一号俸)に一定の係数を乗じたものであることは当事者間に争いがないところ、前掲甲第九号証及び弁論の全趣旨によれば各年度における右一尉一号俸は前記「別表第一」の基本給月額欄の〔 〕括弧内記載の数額のとおりであること、成立に争いがない乙第六号証及び弁論の全趣旨によれば右の一定の係数は昭和四四、四五年はいずれも五五パーセント、同四六年ないし四九年は各六五パーセント、同五〇年以降は各七五パーセントであることがそれぞれ認められるから、各年度における一か月の航空手当は前記「別表第一」の航空手当欄記載のとおりとなる。そして、前掲乙第六号証及び弁論の全趣旨によれば、各年度の一か月の扶養手当は、前記「別表第一」の扶養手当欄記載のとおりであることが認められる(但し、昭和四五、四六年度分については( )括弧内の数額。なお、原告和子が黒崎の妻であり、原告透子が同人の長女であることは当事者間に争いがなく、成立に争いがない甲第一号証によれば原告透子は昭和四二年三月八日付であることが認められ、従つて同六〇年三月八日に一八歳に達するから、同年度以降は配偶者分のみである。)。また、賞与のうち、各期末手当が(基本給+扶養手当)×係数の、各勤勉手当が基本給×係数の各計算式により算出されることは当事者間に争いがないところ、前記認定の基本給月額及び扶養手当額並びに前掲乙第六号証と弁論の全趣旨によつて認められる右各係数(別紙「賞与係数表」記載のとおり)によれば、各年度の一年間の賞与は前記「別表第一」の賞与欄の( )括弧内記載の数額のとおりとなる。
以上から黒崎の受けたであろう各年度の給与の年額合計は前記「別表第一」の年額合計欄( )括弧内記載の数額のとおりであることが認められる。
(二) 黒崎が、前記の定年時に基本給×六一・三八の計算式により算出される退職金を受けたであろうことは当事者間に争いがないところ、右の基本給は、右(一)の方法によつて算出される定年時(昭和六二年度)の基本給によるべきであるから、結局退職金は二八七三〇〇×六一・三八=一七六三万四四七四円となる。
(三) 更に、黒崎は自衛隊退職後六七歳に至るまで少くとも原告ら主張の労働省統計情報部昭和五一年度賃金センサス第一巻第一表中一〇人から九九人までを雇傭する規模の会社の旧中・新高卒欄記載の収入をえたものと認めるのが相当であるから昭和六三年以降同七九年まで別紙「別表第二」記載の収入を得べかりしものと認めるべきである。
(四) しかして、黒崎が要した生活費は年間所得の三〇パーセントと認めるのが相当であるから、右(一)(三)の額からそれを控除し、更に右(一)(二)(三)の額から年五分の割合による中間利息をライプニツツ方式により控除すると、黒崎の逸失利益の死亡時における現在価格は別紙「別表第五」記載のとおり合計金四八九四万七一二九円となる。
ところで、前記のとおり原告和子が黒崎の妻であり、原告透子が同人の長女であることは当事者間に争いがなく、前掲甲第一号証及び原告和子本人尋問の結果によれば原告らのほかには黒崎の相続人はいないことが認められるから、原告らは法定相続分に応じ、原告和子は右損害賠償請求権のうちその三分の一である金一六三一万五七〇九円(円未満切捨、以下同様)、原告透子は三分の二である金三二六三万一四一九円をそれぞれ相続したものである。
2 慰謝料
(一) 原告らは、本件事故によつて原告ら固有の慰謝料請求権を取得したと主張するが、本訴は被告の黒崎に対する安全配慮義務の不履行のみを請求の原因とするものであつて、右債権債務関係の当事者ではない原告らが被告に対して固有の慰謝料請求権を取得するに由ないことは明らかであるから、この主張はその他の判断をまつまでもなく失当というほかない。
(二) 黒崎は前記のように本件事故により即死したものであつて、これにより同人が多大の精神的苦痛を受けたことは容易に推認されるところであり、本件事故の経過、同人の年齢、家族構成その他本件に顕われた諸事情を併せ考えると、右精神的苦痛は被告から金五〇〇万円の支払を受けることによつて慰謝されるものと認めるのが相当であつて、原告らは右慰謝料請求権のうち、原告和子はその三分の一である金一六六万六六六六円、同透子はその三分の二である金三三三万三三三三円をそれぞれ相続したものというべきである。
3 葬祭費
原告和子本人尋問の結果と弁論の全趣旨を総合すれば、原告和子は黒崎の葬祭費として約金三〇万円の出捐をしたことが認められるが、黒崎の死亡日時、死亡時の年齢、地位等を考慮すれば、金三〇万円が同人の死亡により生じた損害と認めるのが相当である。
ところで、右葬祭費の請求は、原告和子がこれを固有の損害として請求している趣旨と解し得る余地もないではない(もしそうであるとすれば、その請求を認容しえないものであることは、前記の固有の慰謝料の場合と同様である。)が、元来人身事故による損害は、当該事故によつて生じた被害者の受傷又は死亡それ自体をいうものであつて、このことは、当該の損害賠償請求権を不法行為として構成するか又は債務不履行として構成するかによつて異るものではなく、右のように解する限り、既に認定した被害者の逸失利益及び慰謝料はもとより葬祭費も右の損害評価のためのひとつの資料にすぎないことになるのであり、被害者の相続人はこれを相続したものとして請求することもできるし、葬祭費のごとく被害者の死後その相続人又は祭祀を主宰すべきものが現実に支出したときにはじめて具体化する損失については、その支出者及び支出した額が社会通念上合理的なものとして是認し得る限り、民法四九九条又は五〇〇条の各規定の類推により、右の損失についての賠償請求権を代位承継したものとして賠償義務者に対し直接右の請求権を行使し得るものと解するのが相当であり、原告和子の葬祭費の請求も、その趣旨を善解すれば、右の代位承継の趣旨において被告に対し直接その請求権を行使しているものと解されるので、右請求は、前記認定の額(金三〇万円)の範囲内において理由があるものとして認容する。
4 損害の填補
原告和子が、被告から、国家公務員災害補償法による遺族補償年金として金一一六〇万八〇三一円、葬祭補償金として金一九万八八四〇円、特別弔慰金として金一五五万円、退職金として金一一五万四七三〇円の各支給を受けたことは当事者間に争いがないところ、右遺族補償年金は、国家公務員の収入によつて生計を維持していた遺族に対して、右公務員の死亡のためその収入によつて受けることのできた利益を喪失したことに対する損失補償及び生活補償を与えることを目的とし、遺族にとつて右給付によつて受ける利益は死亡した者の得べかりし収入によつて受けることのできた利益と実質的に同質のものといえるので、既に給付のなされた金額については損害の填補がなされたものというべきであるから、これを原告和子の損害額から控除することとし、その余の金員についても、これを原告和子の損害額から控除すべきことは同原告の自認するところであるから、これに従つて控除することとする。
5 弁護士費用
原告和子本人尋問の結果と弁論の全趣旨を総合すれば、原告らは本訴の追行を原告訴訟代理人に委任したことが認められ、事件の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を斟酌して金一〇〇万円が、黒崎の被つた損害と解すべきであり、前記3において判示したと同様の理由(但し、相続)により、原告和子はその三分の一である金三三万三三三三円を、同透子はその三分の二である金六六万六六六六円をそれぞれ取得したものである。
6 遅延損害金
人身事故による損害を不法行為を理由として請求する場合に限り、不法行為の成立と同時に付遅滞の効果も生ずるものとして解釈するのが通例であるが、右の解釈が専ら政策的な配慮によるものであることは争いえないところであり、事を人身事故による損害のみに限定して考えてみれば、本件の場合のように債務不履行を理由とする損害賠償請求にあつては、特に右と異なつた結論を採らなければならないとする合理的な根拠も見出すことができないし、一般に不法行為責任よりも債務不履行責任の方が重いと解されていることをも考えあわせれば、被告は、本件事故発生日である昭和四四年一月六日をもつて、以上に認定した損害賠償債務につき遅滞に付されたものと解するのが相当である。
四 結論
よつて原告らの本訴請求中、原告和子については金四一〇万四一〇七円、同透子については金三六六三万一四一八円、及びこれらに対する昭和四四年一月六日から各支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 原島克己 太田幸夫 貝阿彌誠)
別表第一
<省略>
(注)
1 『年度』昭和44年度の当初欄は、昭和44年1月7日より同年2月6日までの1カ月間であり、同年度の2段目欄は、同年2月16日より昭和45年2月15日までの12カ月間である。以下同様の方法による(昭和44年2月7日より同月15日までの9日間は、訴外黒崎の生年月日が2月16日であるため定年退職日の計算の便宜上除外した。)。
2 『号俸』は、毎年1号俸宛昇給するものとして計算。
3 『基本給』は、当該年度の途中においてベースアツプが行われた場合においてもベースアツプ相当額は算入せず、次年度においてその額を算入することとし、昭和52年度まで同様の方法で計算し、昭和53年度以降はベースアツプについては考慮していない。
例えば、昭和44年度2段目欄の基本給についてみると昭和44年4月1日にベースアツプがなされ、1尉4号は59,500円となり、同年6月1日64,900円となつたが、事故時の1尉4号58,900円で1年間の収入を計算した。
なお、昭和45年4月1日、45、46各年度は各5月1日に、昭和47年以降52年度まで各4月1日にそれぞれベースアツプがなされている。
4 『航空手当』は、当該階級の初号俸に、昭和45、44年度については各55%、昭和46年度から49年度までは各65%、昭和50年度以降は各75%を乗じた額とした。
5 『扶養手当』は、基本給の場合と同様の方法によつて計算した。
例えば、昭和44年5月31日までは配偶者に対し1,000円支給されていたが、同年6月1日1,700円に改定された。しかし昭和44年度の扶養手当は毎月1,000円支給されるものとして計算した。なお46年5月1日2,200円、47年4月1日2,400円第1子800円、48年4月1日3,500円第1子1,000円、49年4月1日5,000円第1子1,500円、50年4月1日6,000円第1子2,000円、51年4月1日7,000円第1子2,200円にそれぞれ改訂された。
なお、昭和60年度以降は原告透子が満18歳に達するため配偶者のみに支給されるものとして計算した。
6 『賞与』について
(1) 期末手当(毎年3月、基本給+扶養手当×0.5)
(2) 〃(毎年6月、〃+〃×1.1)
(3) 〃(毎年12月、〃+〃×2)
(4) 勤勉手当(毎年6月、〃×0.6)
(5) 〃(毎年12月、〃×〃)
但し、
(1) 毎年6月に支給される期末手当の支給率は、昭和44年度0.9、昭和46年度1.0、昭和46年度ないし昭和48年度分は各1.1、昭和49年度以降は各1.4である。
(2) 毎年12月に支給される期末手当の支給率は、昭和44年度ないし昭和48年度は各2.0、昭和49年度および昭和50年度は各2.1、昭和51年度は各2.0である。
(3) 毎年6月に支給される勤勉手当の支給率は、昭和44年度ないし昭和50年度は各0.6、昭和51年度以降は0.5である。
別表第二
<省略>
(注)
1 昭和63年度は、昭和63年2月16日より昭和64年2月15日までの12カ月間である。
2 学歴は、旧中、新高卒である。
別表第三
退職金
定年時の基本給×支給率=退職金
287,300×61.38=17,634,474
別表第四
<省略>
別表第五
<省略>
賞与係数表
<省略>