東京地方裁判所 昭和50年(ワ)9747号 判決 1979年10月09日
原告 坂口伸司
右訴訟代理人弁護士 石野隆春
被告 中山政時
右訴訟代理人弁護士 大里一郎
主文
一、原告の請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告
1. 被告は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年一一月二二日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2. 訴訟費用は被告の負担とする。
3. 仮執行の宣言。
二、被告
主文同旨。
第二、当事者の主張
一、請求の原因
1. 被告は、肩書住所地で酒類小売業を営むものであるところ、昭和四五年四月二〇日、千葉県市原市辰己台字東三丁目二三番地の一二宅地一九八・三四平方メートル上に、酒類小売店用の木造鉄板葺平家建店舗兼居宅床面積八九・八一平方メートル(以下、市原店ないし本件店舗という)を建築した。
2. 原告は、被告との間で、昭和四五年四月ころ、左記の約定で、被告が市原店につき原告において被告の市原店として酒類小売店を開店することを許諾し、原告が右店舗を経営する旨の経営委任契約を締結した(以下、本件契約という)。
(一) 期間は、少なくとも被告の長男中山政和(昭和二九年九月六日生まれ)が大学を卒業するまでとし、実際は、同人が卒業後、一定期間経過してから本件店舗を明渡す。
(二) 原告は、市原店の経費一切を負担し、かつ、殖産住宅相互株式会社に対する本件店舗建築費のローン二六五万五〇〇〇円の残金一四〇万円及び国民金融公庫に対する本件店舗の造作・内装費の借入金一二五万円を、市原店の開店後三年間、毎月一一万九〇〇〇円(内訳は、殖産住宅相互株式会社分五万五〇〇〇円、国民金融公庫分六万四〇〇〇円)を被告に代って支払う。
(三) 原告は、(一)項記載の期間内に、市原店の営業利益から、独立して事業を営む資金を確保し、他に移転する。
3. 原告は、本件契約に基づき、昭和四五年六月一〇日、市原店を開業し、市原店の営業一切をとり仕切った。
4. ところが、被告は、昭和四八年三月、原告に対し、市原店から退去することを求め、実力で原告を追い出し、原告の市原店に対する経営権を侵奪した。
被告の右行為は、本件契約を原告の不利な時期に解除したものというべきであるから、被告は、原告に対し、民法六五一条二項本文により、後記損害を賠償すべき義務がある。
5. 原告は、被告の右解除によって、左記のとおり、合計一一〇八万円の損害を被った。
(一) 逸失利益 九六〇万円
市原店の経営による収入は、一か月二〇万円を下らないから、昭和四八年四月一日以降少なくとも四年間の収入利益金九六〇万円(20万円×12か月×4年間)の損害を被った。
(二) 居住利益 四八万円
本件店舗の居宅部分の使用料は、一か月一万円が相当であるから、昭和四八年四月一日以降少なくとも四年間の居住利益金四八万円(1万円×12か月×4年間)の損害を被った。
(三) 慰藉料 一〇〇万円
原告は、本件店舗から理不尽に追い立てられ、居住家屋と生活の基盤である市原店を失ったことにより精神的苦痛を受けたところ、これを慰藉すべき金額は一〇〇万円が相当である。
6. よって、原告は、被告に対し、右損害のうち、(一)逸失利益二二二万円、(二)居住利益四八万円、(三)慰藉料三〇万円、以上合計損害金三〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五〇年一一月二二日から右支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、請求原因事実に対する被告の認否
1. 請求原因1の事実を認める。
2. 同2の事実のうち、本件契約の期間につき、実際は、中山政和が大学を卒業後、一定期間経過後に本件店舗を明渡す旨を約したことを除き、その余は認める。
3. 同3の事実は認める。
4. 同4の事実のうち、被告が、昭和四八年三月、原告に対し市原店から退去することを求めたことは認め、その余は否認する。
5. 同5(一)ないし(三)の事実は不知。
三、抗弁
本件契約の解除には、つぎのとおり、已むをえない事由がある。
1. 原告は、市原店の昭和四六年度所得税につき、小売酒類販売店の利益率が通常一割五、六分であるところを、一割二分と申告して売上金の計上洩れをした結果、税額金一二〇万円の更正決定を受けたため、被告は、右修正税額、区民税、事業税等追加分を自ら負担したが、これは、原告が売上金を着服し、かつ、杜撰な記帳をしていたことによるものである。
2. 原告は、その後も、昭和四七年六月ころまでの間に、日本酒類販売株式会社(以下、日酒販という)からの買掛金三五〇万円及び株式会社土岐操商店からの買掛金約二〇〇万円に対応する売上金を着服し、遊興費に費消した。
3. 原告は、昭和四七年一二月二四日ころ、被告に無断で、千葉県市原市内に季節料理店「八重州」を開業し、右料理店に市原店の商品を伝票に基づかずに出荷したり、横流しをしたりしたうえ、金銭出納簿上問屋には支払ずみの記帳をしながら、現実には未払であったこともあった。そこで、被告は、昭和四八年二月、原告の不信行為にたまりかねて、市原店の現金管理を始めた。
4. 原告は、昭和四八年三月一五日ころ、市原店の顧客に対し、「自分は市原店をやめるから、酒は市原店の競争相手である丸新から買ってくれ」との趣旨を吹聴し、同月二二日ころ、自らアパートを賃借したが、そのころの三か月間で市原店に一一五万九六四七円の欠損があった。
5. そこで、被告は、原告に対し、昭和四八年三月二九日、本件契約を解除する旨告知したものであって、右解除には、やむをえない事由がある。
四、抗弁事実に対する認否
1. 抗弁1の事実は否認する。市原店の昭和四六年度所得税につき、所得金額一二〇万円の修正申告がなされたが、その原因は、被告の指示で売掛分の売上金を計上しなかったこと及び利益率を現実よりも高く査定されたことにある。右修正申告による追加所得税、加算税、個人事業税の増額分は、市原店の会計で決済した。
2. 同2の事実は否認する。市原店の経営は、運転資金の少ない状態で出発し、以後つなぎ資金の導入もなかったので、原告は、日酒販及び土岐操商店から買掛金として信用借りしていたが、日酒販から営業所の機構替えによる早期決済の希望が出されたため、日酒販への返済金を増し、土岐操商店への買掛金にまとめてきたところ、昭和四八年三月までに、定額積立預金額が一七一万一九〇〇円となり、そのうち一五〇万円を右買掛金の返済に充てられるようになった。
3. 同3の事実のうち、原告が千葉県市原市内に季節料理店「八重州」を開業したことは認め、その余は否認する。右料理店は、知人の管野某の誘いにより、原告が実兄から資金の半分である七〇万円を借入れて共同出資して開店したものであるが、同店の運営は管野によって行われていた。
4. 同4、5の事実は否認する。原告は、市原店開店後、献身的に働き、その結果、顧客層も安定し、業積を上げてきたものであって、昭和四八年三月までに、被告名義の殖産住宅株式会社及び国民金融公庫からの借入金元利合計金のうち三八七万円を支払い、更に、二、三か月後には残金を完済しうる状況にあったから、被告の解除は違法である。
第三、証拠関係<省略>
理由
一、請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二、同2の事実は、本件契約の期間につき、実際は、中山政和が大学を卒業後、一定期間経過後に本件店舗を明渡す旨を約したことを除き、当事者間に争いがなく、原、被告各本人尋問の結果によれば、原告は、長男の中山政和が大学を卒業し市原店の経営を継ぐことになった場合、本件店舗を明渡す旨を約したことが認められる。
三、同3の事実は当事者間に争いがない。
四、同4の事実のうち、被告が、原告に対し、昭和四八年三月、市原店から退去することを求めたことは当事者間に争いがない。
右事実によれば、被告は、原告に対し、昭和四八年三月、本件契約を解除(解約)する旨の意思表示をしたものと認めることができる。
五、そこで、右解除(解約)につき、原告にとってこれが不利益な時期になされたものか否かの判断をひとまず措き、やむをえない事由の存否について検討する。<証拠>を総合すれば、つぎの事実を認めることができ、この認定に反する原告本人尋問の結果はにわかに措信しがたく、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない。
1. 被告は、肩書住所地で酒類販売業を営むものであり、昭和四三年一〇月ころ、市原市辰己台字東三丁目二三番の一二宅地一九八・三四平方メートルを買受け、同地に支店を構える予定をたて、昭和四五年四月に本件店舗を建築したが、右建築に先だち、原告の妻佳子(昭和四九年二月二六日協議離婚した。)から、原告に右支店の経営を任せることを懇願された。被告は、佳子が被告の妻と実姉妹であり、市原店の経営を、長男の中山政和が大学卒業後に引き継ぐまでの間、原告に委託することとした。原告は、当時、日酒販に勤務していたが、給料が安く、生活も不安定であったので、被告の好意を受け、市原店の経営に携わるべく被告との間で、本件契約を締結した。そこで、被告は、原告に対し、市原店の当座の運転資金として一〇〇万円を醵出し、市原店の営業利益を得させる目的で、営業の一切を任せた。原告は、月額給料として一二、三万円を受領し、また、被告が市原店の開店資金として殖産住宅株式会社及び国民金融公庫から借入れた金員の月賦返済と、東京都民銀行に月額五万円の定期積金を売上金から賄い、市場の開拓に勤めたが、昭和四五年度の営業成績は赤字となり、そのため、被告から五、六〇万円の補填を受けざるをえなかった。
2. 市原店は、昭和四六年度から、営業利益をあげうるようになり、昭和四七年三月一三日付で所得税の確定申告が必要となった。ところが、原告は、右申告の際、売上げの利益率を過少申告したため、税務署からこれを売上げの計上漏れであると指摘され、改めて営業所得一二〇万円を増額して修正申告せざるをえなくなり、昭和四七年末までに、市原店において所得税、事業税等を、被告において住民税の納付をそれぞれ余儀なくされた。そして、原告は、たびたび夜遅くまで放縦し、また、売上金の一部で妻子と飲食するなど節度を欠くこともあったところ、被告は、昭和四七年六月ころ、市原店につき、日酒販から買掛金の請求を受け、また、株式会社土岐操商店にも買掛金を放置していることが判明し、不審に思い、経理士に会計を監査させたところ、原告が会計帳簿を正確に記帳していないことが明らかとなった。更に、原告は、被告に内密に、昭和四七年一二月ころ、割烹料理店「八重州」を開店し、市原店と兼務したため、市原店の業務に専念できなくなったばかりでなく、市原店と右八重州間の取引につき会計処理を明朗にしていなかったところ、被告は、同年二月から三月ころにかけて、土岐操商店から売掛代金合計四〇〇万円余りの請求を受けるに至り、市原店の現金管理を自ら行うことにする一方、同月一七日ころ、被告を呼び寄せて、在庫品の棚卸しをなし、同年一月から三月までの営業収支を調査したところ、欠損金として一一五万九六四七円の計上漏れを確認した。
3. 原告は、昭和四八年から給料として月額一五万円の支給を受けていたが、被告が市原店の現金管理を始めるころから、早晩に本件店舗から退去すべき時期を迎えることを予測し、附近に移転先のアパートを予約していたところ、昭和四八年三月二九日、被告から、右退去を求められ、直ちに、本件店舗を明渡した。その後、被告は、東京都民銀行の定期積金合計一七一万一九〇〇円のうち、日酒販の支払のために借入れた一五〇万円を相殺した残金二一万二六三四円につき、同年一〇月二二日、原告が一一万一六六六円、被告が一〇万〇九六八円を受領して清算する旨の和解が成立した。
右認定事実によれば、被告は、原告に対し、親族間の情誼に基づき、市原店の経営を一定期間任せてその営業利益を確保させることにより、原告及びその家族の経済基盤を築かせる目的で本件契約を締結することとしたものの、原告が被告の誠意に答えず、会計処理が粗雑で、しばしば信頼を裏切る挙動に出たため、ついに原告への信頼感を失ない、市原店の現金管理をするに至ったものであり、被告は、このような原告の不徳な態度により、もはや本件契約を継続することが所期の目的に沿わないものと判断して本件契約を解除(解約)したものと認めることができ、このような事情のもとにおいては、被告にとって、本件解除(解約)は、やむをえない事由に基づくものと解するのが相当である。よって、被告の抗弁は理由がある。
六、以上のとおりであるから、原告の損害の有無を判断するまでもなく、本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 遠藤賢治)