東京地方裁判所 昭和50年(行ウ)128号 判決 1978年6月30日
原告 日本育英会臨時労働者組合
被告 中央労働委員会
参加人 日本育英会
主文
本件訴を却下する。
訴訟費用は、参加によつて生じた分を含めて、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 参加人を再審査申立人、原告を再審査被申立人とする中労委昭和四九年(不再)第二八号不当労働行為再審査申立事件について、被告が昭和五〇年七月一六日付でした命令を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 原告の請求原因
1 原告日本育英会臨時労働者組合(以下「原告組合」という。)は、東京都地方労働委員会(以下「都労委」という。)に対し、参加人日本育英会(以下「参加人会」という。)を被申立人として不当労働行為救済の申立てをし、都労委は、昭和四九年五月二一日付で別紙二の命令書記載どおりの命令(以下「初審命令」という。)を発した。
参加人会は、初審命令を不服として被告中央労働委員会(以下「被告委員会」という。)に対し再審査の申立てをしたところ、被告委員会は、昭和五〇年七月一六日付で別紙一の命令書記載どおりの命令(以下「本件命令」という。)を発し、この命令書は、同年八月五日原告組合に送達された。
2 本件命令の違法性
本件命令は、参加人会が昭和四七年三月一七日原告組合申入れの四項目要求に関する団体交渉を拒否したことをもつて不当労働行為であるとした初審命令を、初審命令後被告委員会立会いのもとに行なわれた団体交渉において、参加人会は、十分の説明を尽したが、双方の主張は依然として平行線上にとどまり、団体交渉は決裂したものと認めざるを得ず、初審命令どおりの団体交渉を今後も重ねて命ずる実益はないことを理由に取り消したものであるが、これは、以下に述べるとおり、事実の認定および評価を誤まつた違法があり、取り消さるべきである。
(一) 本件命令書理由中の「第一当委員会の認定した事実」についての認否
(1) 一(初審結審時までの経過)(初審命令書理由中の「第一認定した事実」を引用したもの)について
記載事実は認める。
(2) 二(初審命令後の経過)について
(イ) (1)記載の事実は認める。
(ロ) (2)記載の事実中、昭和四九年八月二八日第一回調査が行なわれたこと、原告組合がその認定する趣旨のことを被告委員会に述べたこと、被告委員会が参加人会および原告組合にその認定するような勧告をしたこと、右勧告に対し、参加人会は直ちに受諾の回答をし、原告組合が翌日受諾の回答をし、ピケをといたこと、以上の事実は認める。その余の事実、即ち参加人会が被告委員会に対し述べた内容および被告委員会の判断内容については不知。
(ハ) (3)記載事実は認める。
(ニ) (4)記載事実中、「原告組合要求を認めること」、「具体的な資料」、「立会団交における双方の主張は対立したまま歩みよりは全くみられなかつた」との点は否認する。その余の記載事実は認める。
(ホ) (5)記載事実は認める。
(ヘ) (6)記載事実は認める。
(二) 原告組合が本件命令を違法とする事実上および法律上の主張は次のとおりである。
(1) 初審命令発付以降における原告組合の団体交渉要求から立会団体交渉受諾に至るまでの経緯
原告組合は、昭和四九年六月三日都労委の初審命令の交付を受け、同日以降参加人会に対し団体交渉に応ずるよう繰り返し申し入れたが、いずれも拒否された。同年八月二二日原告組合は、午後五時ごろ、団体交渉を要求して参加人会会館出入口に待機したが、参加人会理事長らは、いかなる意図に基づくものか一般職員の退庁後も右会館内にたてこもり、同月二九日まで右会館内にたてこもり続けた。
同月二八日、被告委員会の調査の席上、被告委員会から、同事務局立会いのもとでの団体交渉(以下「立会団交」という。)を行なうよう勧告があり、原告組合は自主団交を要求したが、被告委員会から、立会団交は解決を前提としたものである旨強く説得されたので、同月二九日右勧告を受け入れた。
(2) 第一回立会団交(昭和四九年九月五日)
冒頭日本育英会労働組合(以下「育英労」という。)の組合員資格をめぐつて右組合と参加人会との間に争いのあつた岡田福利係長が出席者の一人であつたことから、原告組合は同人を出席者からはずすよう要求し、この点につき一時間余論議があつたが、被告委員会より「岡田係長について今回限り書記として出席を認め、次回は変更するよう」との見解が出され、団体交渉に入つた。原告組合は、昭和四七年三月一七日提出の四項目要求に対する参加人会の誠実な回答を要求したが、参加人会の理事長は、「特殊法人であり、財源が国の貸付、補助金でまかなわれているため効率的運用が必要である。そのために臨時筆生の短期雇用制度をとつている。四項目要求はとうてい認められない。金銭的要求にも特殊法人としての性格から応じられない。」と述べて従来の主張を繰り返すにとどまり、立会団交に臨んだ理由についても「被告委員会から、立ち会つてやるから話し合つたらどうか、との話があり、争いがある以上話合いは有意義と考えた。従来説明が不十分であつた点について十分説明したいと考えたからである。」と述べるのみで解決への何ら具体的提案も出さなかつた。原告組合は右のような参加人会の態度を不満とし、これについての論議があるうち二時間余にわたつた第一回立会団交は終了した。次回団体交渉について、原告組合は自主団交を主張したが、参加人会が自主団交には一切応じられないとの態度に終始したので、被告委員会の勧告により再度立会団交を行なうことになつた。
(3) 第二回立会団交(昭和四九年九月一七日)
冒頭原告組合は、第一回立会団交直後の九月二一日、原告組合の闘争を支援していた労働者が参加人会職員の告訴により逮捕されたことについて強く抗議した。これは、昭和四八年三月一七日原告組合が団体交渉要求を行なつた際右の労働者が参加人会職員を負傷させたことを理由とするものである。原告組合は、労使間の紛争の中で起きた事件であるから告訴を取り下げるよう申し入れたが、参加人会はこれを拒絶して刑事弾圧をちらつかせるなどし、この問題の論議に一時間以上を費した。その後団体交渉に入つたが、参加人会は前回同様一切の具体案を示さず、被告委員会の指導も全面的に受け入れる態度ではないことを明らかにした。第二回立会団交終了後立会団交の続行の是非について論議がなされたが、結局原告組合および参加人会は、被告委員会の「次回は第一回および第二回の延長として九月二〇日午後二時から参加人会会館で被告委員会職員立会いによる団体交渉を行なう。交渉委員は各五人とし傍聴は認めない。交渉時間はなるべく精力的に解決したいという意向がみえるので交渉が煮つまるということで双方考えてほしい。時間については立会う職員の判断にまかせよ。告訴問題もあるので、できれば今週中に自主解決するよう双方徹夜を辞さず最大限努力する。」旨の提案を受け入れた。
(4) 第三回立会団交(昭和四九年九月二〇日)
(イ) 第三回立会団交は、参加人会役員会議室において、九月二〇日午後二時五〇分から同月二二日午前一時一〇分ごろまで途中立会いの被告委員会職員の指示により八回の休憩をはさんで行なわれ、被告委員会の打切り宣言により打ち切られた。
(ロ) 第一回目(同月二〇日午後二時五〇分から同五時三〇分まで)
参加人会は、当初から全く解決案を示さず、「会が組合要求を認めない理由について組合側に疑義があるようなので、団交は会のゼロ回答を説明する場であると考えている。」、「ゼロ解答を納得することが解決である。」旨繰り返した。そこで、原告組合は、昭和四七年四月以降参加人会が臨時筆生(いわゆるアルバイト)を採用する計画であつたことを取り上げ、臨時筆生を採用しなくなつたため業務に著しい遅滞が生じたこと、昭和四七年度、同四八年度においても臨時筆生雇用のための予算がついていたことを理由にこの点をただしたところ、参加人会は、「採用するかもしれない。」と述べたことおよび原告組合の闘争があつたため臨時筆生が採用されなかつたことを認めた。しかし、参加人会は、なおも第二次事務改善計画が終れば臨時筆生はいらないという見通しがあつた旨主張したので、原告組合は、臨時筆生を雇うだけの客観的条件がなかつたことの資料提出を要求したが、参加人会はこれを拒否した。
(ハ) 第二回目(同日午後七時八分から同九時二五分まで)
参加人会は、一応原告組合の要求に応じて「昭和四七年度返還事務の処理について」と題する文書等初審段階で都労委に提出された文書のほか「昭和四八年度事務処理予定」と題する文書(乙第一四五号証)を提出した。しかし、これらの資料のみでは全体の状況がわからないので、原告組合はさらに追加資料の提出を要求したが、参加人会に拒否された。参加人会は、右提出資料について若干の説明をしたが、これに関する質疑に照し参加人会が第二次事務改善計画の一環として最初から臨時筆生の雇用を中止しようとしていたのではなく、昭和四七年度、同四八年度においてその雇用のための予算措置をとり、臨時筆生の雇用を計画していたことが明らかである。右の話合い終了後被告委員会は原告組合に対し斡旋移行を提案したが、原告組合は続行を要請した。
(ニ) 第三回目(同日午後一〇時二二分から同一一時五五分まで)
原告組合は、参加人会が何らかの解決案を提示することを強く要求したが、参加人会は、被告委員会から何らかの示唆があれば検討したい旨繰り返すのみで何らの解決案の提示もなかつた。この話合い終了後再び被告委員会から斡旋移行の打診があつたが、原告組合は自主的に争議解決の努力をしたうえでないと考えにくいとの態度を表明した。
(ホ) 第四回目(同月二一日午前一時三分から同三二分まで)
団体交渉における原告組合側控室の使用についてのやりとりに終始した。
(ヘ) 第五回目(同日午前一時五〇分から同三時五一分まで)
参加人会が文部省との関係で自らの交渉能力を否定する発言を行つたことから、原告組合はこれに強く反発し、解決に向けて発言せよと強く要求したが、参加人会は解決案の提示をあくまでも拒否し続けた。この話合いの後被告委員会から「参加人会に局面打開の余裕があれば来週もう一回もつか、公益委員より事情を聞く場を作るかで検討せよ。」との申出でがあつたが、原告組合は熟慮のうえ再開を要請した。
(ト) 第六回目(同日午前八時二七分から同一〇時五五分まで)
原告組合が解決への積極的姿勢と決意を示しても、参加人会は、「いうことはない。」、「自主的に解決できない。」、「解決案を出さないというのではなく、出すべきではないと考えている。」などと終始不真面目かつ無責任な対応をした。
(チ) 第七回目(同日午後一時二〇分から同三時五分まで)
参加人会は従前の態度を変えず、解決についての話合いに入ることをあくまで拒否し、「中労委の専門家の御指導で解決できるかもしれない。尊重して検討する。しかし、解決できるかどうかはわからない。」と斡旋をにおわす発言をしたが、原告組合は自主的解決に努力することが先決であることを主張した。
(リ) 第八回目(同日午後八時一三分から同九時三八分まで)
原告組合は、参加人会の従来の態度につき再考を促したが、参加人会は、被告委員会が和解ないし斡旋をしてくれるなら十分尊重するが、自ら斡旋申請はしないとの立場を明らかにした。原告組合は、なおも自主解決についての参加人会の決断を促したが、参加人会は拒否の態度を変えず、さらに、立会団交の打切りを要求した。そして、参加人会は斡旋のための方法論を議論することを主張したので、被告委員会は、原告組合の意見を聴くため休憩を宣した。
(ヌ) 第九回目(同月二二日午前一時五分から同一〇分まで)
被告委員会は、「和解斡旋で組合に打診した。結論として組合側は会側の団交態度からみて今の段階で斡旋が成立するとは思えないと判断している。職員の立会いによる団体交渉はこれで打切りとする。」と立会団交の打切りを宣告した。
(5) 立会団交の内容と評価
立会団交における参加人会の交渉態度等の特徴を記すと次のとおりである。
(イ) 参加人会は、臨時筆生の雇用期限撤廃、組合員の継続雇用を求める原告組合の要求を拒否し続けたが、これを理由づける資料として参加人会から新たに提出されたのは「昭和四八年事務処理予定」と題する文書(乙第一四五証)のみであり、既存の資料と総合しても、原告組合を納得させる合理的説明は不可能であり、また、臨時筆生を雇用せずとも事務を処理しうる根拠とされた第二次事務改善計画に関する全体の資料も提出されなかつた。さらに、昭和四七年度、同四八年度、同四九年度において臨時筆生雇用のための予算措置がとられていたにもかかわらず、その予算の使用状況に関する決算資料も提出されず、結局参加人会は、十分な資料を提出することによつて、自らの回答を納得させる努力を怠つたものである。
(ロ) 原告組合は、解決を前提とした継続交渉が確認されたため立会団交に応じたのであるが、参加人会は、昭和四七年三月当時のゼロ回答について新たな立場から再検討したり、原告組合に譲歩するなどの姿勢を全く示さず、ただ、参加人会にとつて従前の参加人会の方針や立場が変更し難いことを強調し、これを原告組合に説明することのみに終始したのである。このことは、参加人会が立会団交に臨むにあたつて雇用期限撤廃にかかる要求については絶対に応じられないという最終方針を決めていたこと、第三回立会団交中参加人会が「解決案は出せないのではなくて出すべきではないと考えている。」「自主的には解決できない。」などと発言していることからも明らかである。しかしながら、雇用期限を撤廃するか否か、同じ臨時筆生と再契約をするかどうかは政府関係特殊法人として何ら法律上制約されているものではなく、参加人会として自由に決定しうるものであり、ことに、昭和四七年四月以降臨時筆生の不採用によつて参加人会の事務処理に著しい遅滞があること、参加人会の主張する事務合理化、機械化によつても臨時筆生が従来担当してきた事務がすべて合理化、機械化によつて処理されるものではないこと、臨時筆生雇用のための人件費予算については、仮にその予算がなくとも庁費の枠内では自由な使用が許されていることから稔出可能であり、臨時筆生の継続雇用は参加人会の方針ひとつで容易になしうることなどからすれば、参加人会が従来の方針に固執する必然性は全く認め得ないのである。そしてこのような参加人会の当初のゼロ回答に固執して譲らぬ態度は、雇用期限の撤廃要求についてのみならず、他の三項目要求についても全く同様であつた。
(ハ) 参加人会は、立会団交中、自らは具体的譲歩案は全く示さず、「中労委の示唆があれば検討する。」、「時間だけはかける。」などと発言しているが、このことは参加人会が団体交渉にただ形式的に応じたにすぎないことを示している。また、被告委員会の示唆とか、第三者の指導とか、さらには被告委員会の斡旋を期待するとかの発言および態度を示し、自らの判断と責任で原告組合と交渉を尽して解決しようとの姿勢を全く欠如させていたことも団体交渉全体の経過に照し明らかである。
(6) 被告委員会の判断の違法性
本件においては、交渉時間や交渉人員等の制限をふしたうえでの立会団交を自主団交に代替しうるものと評価すること自体誤りであるばかりか、立会団交における参加人会の交渉態度はおよそ誠意のある態度とはいい難いものであり、本件命令が指摘するような「十分説明したもの」とはいえない。また、資料も十分に提出せず、単なる参加人会の方針や立場を説明するのみで具体的回答や提案あるいは譲歩的姿勢を全く示すことなく、自主的解決の努力を払つていないのであるから、いまだ協議を尽したとはいい得ず、「双方の主張が依然として平行線上にとどまり、団体交渉は決裂したもの」との判断を下したのは明らかに事実認定および評価を誤まつた不当な速断というべきである。団体交渉の全経過から明らかなことは、むしろ形式的な交渉に終始し、実質的な団体交渉が尽されなかつたということなのである。参加人会の態度には、昭和四七年三月時点の団体交渉態度を変えた点は全くみられず、そのむし返しにすぎない。
結局被告委員会の本件命令には、自らの勧告によつて立会団交が行なわれるに至つた経緯にとらわれるとともに、立会団交の内容について実質的交渉の有無、程度という視点から十分に吟味することなく、回数や時間という外形的、形式的事実に目を奪われた結果参加人会の交渉態度に関する事実認定および評価を誤まり、不誠意な団体交渉を正しく認定しなかつた違法があり、取消しを免れない。
二 参加人の本案前の抗弁
原告組合は、以下に説明するとおり、本件命令についてその取消しを求める原告適格(行政事件訴訟法九条)を欠き、また、取消しを求める具体的な訴の利益を有していないので、本件訴は却下されるべきである。
(一) 団体交渉の当事者となり得る資格(以下交渉適格という。)については、労働組合法七条二号は「使用者が雇用する労働者の代表者」と規定している。これによると労働者を雇用する使用者と使用者が雇用している労働者の代表(組合)とがそれぞれ交渉適格を有することが明らかであるが、同号にいう「使用者が雇用する労働者」とは団体交渉を求める時点における使用者と対向関係または現実の支配関係下にある被用者のみを指すのである。ところで、都労委が昭和四九年五月二一日付初審命令書をもつて救済申立てを認容した時点において、さらに、被告委員会が昭和五〇年七月一六日付本件命令書をもつて救済申立てを棄却した時点において、また、本訴訟の口頭弁論終結時において、原告組合に参加人会が雇用する労働者は一人もいなかつたことは、明白かつ客観的事実である。初審命令当時およびそれ以後において原告組合の組合員は、北川允子、吉田時子、上野いく子、赤津浩の四名であつたが、この四名は、いずれも臨時筆生として、参加人会との間で短期間の期限付雇用契約を締結し、いずれも昭和四七年三月三一日雇用期間の満了により雇用関係は確定的に終了していたのである。なお、東京地方裁判所は昭和四九年一〇月三〇日、参加人会を原告とし、右四名を被告とする雇用関係不存在確認請求事件について、雇用契約関係が存在しない旨の確認判決をし、東京高等裁判所は、昭和五〇年五月二八日右判決を支持して控訴棄却の判決をし、さらに同裁判所は、同年八月一四日上告却下の決定をし、もつて右判決は確定した。右のとおり、原告組合には初審命令時点においても、本件命令時点においてもさらに本訴訟の口頭弁論終結時点においても参加人会が雇用する労働者が一人もいないことは確定した事実であり、右のいかなる時点においても、参加人会と原告組合の組合員との間に使用者対被用者の対向関係は存在しない。さらに参加人会は、右の四名について将来再雇用する意思を有しておらず、また、将来臨時筆生を雇用する計画や意思もないから、将来参加人会と原告組合の組合員との間に使用者対被用者の対向関係が成立する可能性は皆無である。このような場合、原告組合は、団体交渉の交渉適格を有していないことが明らかであり、参加人会との関係において不当労働行為救済申立ての当事者たり得ないのであるから、原告組合は、本件命令の取消しを求める訴訟につき原告適格を有しない。
(二) 原告組合は、本訴訟において、原告組合の救済申立てを棄却した本件命令の取消しを求めているが、これは本件命令を取り消すことによつて被告委員会をして参加人会に対し原告組合との間で、組合員の雇用期限の撤廃等四項目要求について、団体交渉を命ずる命令を出させることを目的としているものと考えられる。しかしながら、原告組合の全組合員と参加人会との間の雇用契約は既に昭和四七年三月三一日をもつて終了し、原告組合の組合員の中に参加人会が雇用する労働者は一人も存在しない以上、原告組合が参加人会との間で団体交渉を求めることや被告委員会が参加人会に対して団体交渉を命ずることは全く無意味であり、実益のないことである。従つて、原告組合は、本件命令の取消しによつて回復すべき利益または目的をもともと有していなかつたものであり、取消しを求める訴の利益を欠くというべきである。
(三) 原告組合は、参加人会との間で主として組合員の雇用期限の撤廃について団体交渉を求めていたが、昭和四七年三月三一日をもつてすべての組合員の雇用契約が終了したことから、その後は再雇用ないし新たな雇入れを求めて団体交渉を要求していると考えられる。しかし、労働組合法一条が「労働者がその労働条件について交渉」と規定していることは、既に存する雇用関係の成立を前提として雇用契約上の内容(労働条件)の改善に係る事項だけがその保護範囲に属する団体交渉事項であることを示すものであるから、原告組合の求める再雇用とか雇入れという事項は、参加人会と原告組合の組合員との間の雇用契約の締結を求めるもの、即ち雇用関係の創設を求めるものであつて、労働組合法上保護さるべき団体交渉事項ではないというべきである。このような労働組合法上団体交渉の保護目的の範囲外にある事項について、労働組合が団体交渉を求めたとしても、相手方がこれを拒否することは正当であり、何ら不当労働行為を構成しない。従つて、このような事項については不当労働行為救済申立権がなく、その申立ては却下さるべきであり、万一救済申立てを棄却した命令に対して取消しの請求がなされた場合には、請求の内容が裁判の対象となる適正を有していないものとして却下さるべきものである。
(四) 原告組合は、本訴訟において本件命令の取消しを求め、このことにより被告委員会をして参加人会に対し再度団体交渉をすべきことを命ずる命令を発付させることを目的としていると考えられる。しかし、参加人会と原告組合の間では話合いによる解決の見込みは全くないから、原告組合は話合いの成立する可能性のない団体交渉をすることを目的として本取消訴訟を提起するものであり、訴訟の具体的利益を欠いているものといわなければならない。
(五) 原告組合の要求項目のうち交通費支給や日額の引上げ要求は、原告組合の組合員らが参加人会に雇用された時に遡つて支払えとの要求であるから、雇用契約が確定的に消滅してもなお団体交渉を行なう実益があるもののようにみえる。しかしながら、原告組合の要求の主たる項目は、雇用期限の撤廃におかれ、その余の要求項目は副次的なものであつた。しかるに雇用期限の撤廃について団体交渉は決裂し、雇用関係は、昭和四七年三月三一日をもつて確定的に終了し、主たる要求について目的達成の不能が確定したものであるから、これに伴い従たる要求項目も当然消滅したものというべきである。さらに、交通費支給や日額引上げという要求項目は、無から有を生ずるべき類の新しい事項の要求であつて、過去の権利義務関係の精算を求めるという性質のものではないから、現に参加人会と原告組合員との間に雇用関係が存在する限りにおいて原告組合は団体交渉を行なう利益を有するというべきである。従つて、既に原告組合の全組合員の雇用関係が確定的に消滅した以上右要求事項についても原告組合は参加人会に対して団体交渉権を有しないことは明らかである。
三 請求原因に対する被告の答弁
1 請求原因1項の事実は認める。
2 請求原因2項の事実および主張については、冒頭の事実中、本件命令が不当労働行為を認定した初審命令を原告組合主張の理由により取り消し、原告組合の救済申立てを棄却したことは認める。本件命令は、労働組合法二五条、二七条、労働委員会規則五五条に基づき適法に発せられた行政処分であつて、処分の理由は本件命令書記載のとおりであり、被告委員会の認定した事実および判断に誤りはない。
四 請求原因に対する参加人の答弁および主張
1 答弁
(一) 請求原因1項の事実について
本件命令書が原告組合に送達された年月日は不知、その余の事実はすべて認める。
(二) 請求原因2項の(二)の事実および主張について
(二)(1)の事実中昭和四九年六月三日初審命令が原告組合に交付されたこと、同年八月二八日被告委員会において調査が行なわれたこと、同(2)ないし(4)の事実中立会団交が昭和四九年九月五日、同月一七日、同月二〇日に行なわれたこと、同(2)の事実中原告組合から参加人会の出席者に岡田福利係長が入つていたことについて抗議があり、この問題で一時間余費したこと、参加人会理事長が原告組合の四項目要求に対する参加人会の基本的態度について発言したこと、以上の事実は認める。(二)のその余の事実および主張は争う。
2 本件命令書中「第一当委員会の認定した事実」についての認否
(一) 一(初審結審時までの経過)(初審命令書理由中「第一認定した事実」を引用したもの)記載の事実は認める。但し、参加人会は昭和四七年三月二九日、三〇日の団体交渉においてその応諾義務は尽している。
(二) 二(初審命令後の経過)記載の事実は、同(2)の事実中原告組合が被告委員会に対して述べた内容を除き、これを認める。右内容については不知。
3 主張
参加人会が原告組合の本件命令取消申立てを理由がないとする事実上および法律上の主張は次のとおりである。
(一) 臨時筆生雇用の経緯およびその推移について
参加人会の雇用する臨時筆生は、四か月限度の雇用期間を定めて雇用され、参加人会が行なう奨学金の貸付ならびにその返還請求事務のうち季節的に増加する事務中の比較的単純かつ機械的な事務の処理にあたるものであり、職務の性質上特別の技能経験を必要としないため、その採用方法も正規職員とは全く異つている。参加人会においては過去に臨時筆生について契約を反覆更新したり、新たに職員採用試験を受験させて正規職員に採用したことがあつたが、昭和四三年四月以降は参加人会の業務の性質上臨時筆生に担当させる事務の量は、年間を通じて繁閑の波があり、臨時筆生の雇用期間を長期に定めて雇用することは国庫補助等により賄われている予算の効率的使用の上からも不得策であるのみならず、雇用期間が長期化した臨時筆生から正規職員と同一待遇その他の要求がなされても、定員削減の方向にあり、予算の制約もあつてこれに対応しきれないため、同一人を再雇用することや雇用契約を更新することはしていなかつた。
(二) 原告組合の組合員の雇用関係について
原告組合が都労委への不当労働行為救済申立てをした時点の組合員は、北川允子、吉田時子、上野いく子、赤津浩の四名であつたが、参加人会は、赤津との間において昭和四六年一二月一五日に、上野との間において昭和四七年一月一二日に、吉田および北川との間において同月一九日、いずれも雇用期限を同年三月三一日までと定め、臨時筆生として雇入れる雇用契約を締結した。右雇用契約にあたつて、参加人会は職員をして雇用期間満了後に契約が更新されることを期待してはならない旨説明させている。右の各雇用契約は、昭和四七年三月三一日雇用期限の到来により確定的に終了し、このことは東京地方裁判所の判決により支持されているところである。
(三) 事務改善計画と臨時筆生の不要化
昭和四七年一月、参加人会は政府から第二次定員削減の指示を受け、これに対処するため、同年三月第二次事務改善計画を立案した。この計画は電子計算機をより有効に活用して機械化をはかりこれに応じて組織、機構を再編成することを骨子とし、これに基づきとりあえず外務職員の業務内容の一部変更を昭和四七年九月から、送金事務の機械化を昭和四八年一月から、返還金受付簿の機械作成を同年二月からそれぞれ実施し、これによつてういた職員を他の業務に配置するとともに臨時筆生を雇用して処理していた事務を順次解消していつた。このため、参加人会は、昭和四七年四月以降臨時筆生を採用していない。この事務改善計画は、育英労との協議を重ねながら、昭和五〇年三月二五日完全に実施され、臨時筆生は将来にわたつても全く雇用する必要はなくなつた。
(四) 原告組合の組合結成と団体交渉について
(1) 要求書提出から団体交渉開催までの経過
原告組合は、昭和四七年三月一七日参加人会に対し雇用期限撤廃要求を中心とする四項目要求書を提出するとともに口頭で団体交渉の申入れをしたので、参加人会は団体交渉開催のための事務折衝を行ない、理事会を開いたうえ、同月二九日に団体交渉を行なう旨連絡した。
(2) 昭和四七年三月二九日および三〇日の団体交渉
参加人会は、右両日にわたり、理事長、理事、総務部長等が出席して団体交渉を行なつた。席上参加人会は、原告組合の四項目要求に応じられない理由として、参加人会の予算の仕組みや臨時筆生の雇用についての基本方針等について十分説明を行ない、誠意をもつて交渉にあたつたが、原告組合は、参加人会の説明に理解を示そうとせず、交渉は平行線をたどり、三〇日の団体交渉において、原告組合は、「会の方針には反対である。四月以降も来て闘う。四月以降の臨時筆生導入を阻止する。明朝一時間のストライキを打つ。」などといい放つて一方的に席を立ち、団体交渉は決裂した。なお、三〇日の団体交渉の席上で原告組合から団体交渉継続の申出はなかつた。
(3) 昭和四七年三月三一日以降の参加人会と原告組合との折衝等
原告組合は、昭和四七年三月三一日一時間の時限ストライキを行なつた。同年四月一日以降同年五月一八日までの間参加人会と原告組合との間で二七回の事務折衝がもたれたが、原告組合は四項目要求を堅持し続け、参加人会は、原告組合の組合員の雇用関係が終了していることや原告組合の態度からみて団体交渉を開催しても進展は期待できないので団体交渉には応じられない旨回答した。なお、原告組合の組合員は外部支援者多数とともに参加人会会館に押しかけ、デモ等により業務運営を妨害するとともに参加人会役職員の私宅に押しかけ種々のいやがらせを行なつた。
(4) 団体交渉の再開と決裂
(イ) 被告委員会による団体交渉再開の斡旋
原告組合の組合員は外部支援者多数とともに昭和四九年八月二二日以降参加人会会館の出入口を封鎖し役職員の出入を妨害していたが、同月二八日被告委員会の勧告により参加人会と原告組合の双方は団体交渉を行なうことを受諾し、原告組合は参加人会会館の封鎖をといた。
(ロ) 第一回立会団交(昭和四九年九月五日)
第一回立会団交は、昭和四九年九月五日午後三時一〇分から同五時四六分まで被告委員会会館内で行なわれ、参加人会からは理事長、総務部長、人事課長等が出席した。冒頭原告組合が参加人会側の出席者に岡田福利係長が入つていたことに異議を述べ、この問題に一時間余費した後本題に入つた。参加人会は、育英奨学事業の目的、業務内容を説明し、さらに、参加人会の経費が国の補助金でまかなわれていることから、予算の執行は筋を通すとともに効率的に使用する責務があるという参加人会の業務運営の基本姿勢を説明するとともに、事務の機械処理が軌道に乗るまでの経過措置として業務の繁忙期に増加する単純かつ機械的仕事を短期間に処理することを目的として昭和四三年四月以降短期一回限りの臨時筆生を採用してきたこと、原告組合の組合員はすべて昭和四七年三月三一日をもつて雇用関係が終了し、再雇用の意思もなく、賃金引上げ要求等についてこれを受け入れる余地もないこと等意を尽して説明した。しかし原告組合は、参加人会の説明を聞こうとせず、要求のみ主張し続け、話合いは平行線に終始した。
(ハ) 第二回立会団交(同月一七日)
第二回立会団交は同月一七日午後二時二〇分から同四時三〇分まで被告委員会会館内で行なわれ、参加人会からは理事、総務部長、人事課長等が出席したが、昭和四八年三月一七日、原告組合の組合員が支援者多数とともに参加人会会館に侵入した際、参加人会職員に傷害を負わせた被疑者が逮捕されたことに関し論議があり、予定時間のほとんどを費し、その後本題に入つたが、議論は平行線をたどつた。なお、参加人会が席上刑事弾圧をちらつかせたことはない。
(ニ) 第三回立会団交(同月二〇日から二二日まで)
第三回立会団交は、参加人会会館内役員会議室で同月二〇日午後二時五〇分から同月二二日午前一時一〇分まで途中数回の休憩をはさんで三日間連続三四時間余にわたつて行なわれ、参加人会からは理事、総務部長、人事課長等が出席した。参加人会は、十分時間をかけて話合いを行ない、また、原告組合から要求された資料も提出するなどして参加人会の立場、考え方、当時の事情や現状等について十分に説明を行ない、原告組合の了解を得るよう話合いを続けた。しかし、原告組合は、団体交渉期間中外部支援者を動員して集会やシュプレヒコールを繰り返して騒然たる状況を現出させ、団体交渉においても過激な発言を繰り返すなどしてしばしば団体交渉を混乱させた。このような状況のもとで、原告組合は、雇用期限の撤廃要求に固執し、参加人会はこれを受け入れることができなかつたので話合いは平行線をたどり、遂に被告委員会から立会団交を打切りたいとの発言があり、双方がこれを了承して団体交渉は打ち切られた。
(五) 本件命令の適法性
(1) 参加人会は、昭和四七年三月二九日および同月三〇日の団体交渉においても、理事長、理事等が出席し、十分な理由を示して誠実に話し合つたが、決裂のやむなきに至つたものであり、使用者としての団体交渉応諾義務を誠実に履行している。従つて、都労委がさらに団体交渉をすることを命じたことは全く理由がなく違法であつた。その後原告組合と団体交渉を再開したが、前記のとおり、結局決裂し、昭和四七年三月三〇日と同一結果になつたことは初審命令が誤つていたことを裏付けるものである。このような具体的事実経過において、被告委員会が初審命令を取り消し、原告組合の救済申立てを棄却したことは当然の措置であり、何らの違法も存在しない。
(2) 参加人会が原告組合との団体交渉を拒否するのは、原告組合には参加人会の雇用する労働者が一人も存在しないし、四項目要求についても話合いを尽し、これ以上話合いを尽しても解決の見込がないと考えたためである。このように参加人会には原告組合を無視するとか弱体化するとかの反組合的意思はなく、不当労働行為意思を欠くものであるから、不当労働行為の責を負うものではない。
(3) 原告組合の組合員は、雇用関係終了後外部支援者多数とともに種々の不法な手段により参加人会の業務を妨害したり、職員に暴行傷害を加え、さらに、役職員宅に赴いて嫌がらせ行為を繰り返した。そしてこのような集団的暴力は、都労委に救済申立てをし、また、被告委員会に事件が係属するに至つた後もさらに本訴訟が係属した後も継続している。このことは原告組合において、真にその要求事項について参加人会との間で団体交渉を開催するため労働委員会や裁判所による救済を求める意思が全くなく、実力、集団的暴力によつて強引に原告組合の要求を実現しようとすることを示している。そうとすれば、原告組合の救済申立てはクリーンハンドの原則に違反し、救済申立権を濫用するものといわなければならない。
五 本案前の抗弁に対する原告の答弁および主張
1 本案前の抗弁はすべて争う。
2 労働組合法七条二号は、「雇用する労働者の代表者と団体交渉をすること」と定めているが、これは雇用主と被用者で組織する労働組合という典型的な場合を規定しているにすぎないのであつて、団体交渉権行使のためには、労働組合の構成員と団体交渉の相手方である使用者との間に個別的労働関係としての雇用関係が存在していることを必ずしも必要とする趣旨ではない。たとえば、日雇労働者の労働組合に団体交渉権を認める判例が存すること、自由労務者の労働組合に対し直接の雇用関係にたたない公共職業安定所長に対する団体交渉権を認めた判例が少なくないことはこのことを示すものといえる。さらに、子会社の労働組合が親会社に団体交渉を要求し、これが拒否された事案について、不当労働行為を肯定する労働委員会の命令や、いわゆる下請労働に従事する社外工の労働組合が親会社に対し団体交渉権を有することを肯定する労働委員会の命令などは、不当労働行為における使用者は、労働契約の当事者かどうかという基準によつてではなく、団結権に対する侵害排除という不当労働行為法上の制度目的から使用者概念をとらえるべきであることを示すものといえよう。
いずれにせよ、原告組合の組合員と参加人会との間において雇用関係の不存在が法的に確定しているということは、原告組合の参加人会に対する団体交渉権を直ちに否定する根拠にはならない。実質的に本件団体交渉要求に即して考えても、雇用期限撤廃に関する要求は、雇用契約の存在を法的に前提としなければならないものではないし、また、交通費支給や日額二、五〇〇円の引上げ要求は原告組合の組合員が参加人会に雇用された時に遡つて支払えとの要求であるから、昭和四七年三月三一日をもつて原告組合の組合員すべての雇用契約が確定的に消滅するとしても、右各要求について解決を求めて団体交渉を行なう実益は存するのである。従つて、本件救済命令の取消しを求める本訴訟の原告適格および訴の利益はいずれも存在する。
第三証拠関係<省略>
理由
一 本件命令
請求原因1項の事実は、本件命令書が原告組合に送達された年月日を除き当事者間に争いがない。
弁論の全趣旨により本件命令書が原告組合に送達されたのは昭和五〇年八月五日と認める。
二 当事者等
原告組合は、昭和四七年三月一七日参加人会に雇用される臨時筆生とよばれる臨時労働者二一名が結成した労働組合であり、都労委に対する不当労働行為救済申立て当時の組合員数は四名であつて、いずれも同年三月三一日までを雇用期間とする者であつた。参加人会は、学生に対する学資の貸与その他育英上必要な業務を行なうことを目的とする日本育英会法によつて設置された特殊法人である。
以上の事実は当事者間に争いがない。
当事者間に争いのない事実と成立に争いのない乙第四一号証、第一一一、第一一三、第一一五、第一二〇、第一二一、第一二三、第一六一、第一六三号証、丙第三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第四五ないし第五八号証、第八三号証を総合すると(以上の証拠のうち後記採用しない部分を除く。)次の事実が認められ、前掲乙第一一一、第一一三、第一一五、第一六三号証のうち右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
参加人会は正規職員の指導のもとに主として入金処理、支払請求の訴訟事務、住所調査等の事務に従事させるため、四か月以内の期限付で臨時筆生とよばれる臨時労働者を雇用していたが、原告組合結成当時の臨時筆生は組合員二一名を含め合計四、五〇名でいずれも雇用期限は昭和四七年三月三一日であり、同日の経過によりすべて参加人会との雇用契約関係は終了した。その後原告組合が同年一一月二〇日都労委に不当労働行為の救済申立てをした当時の組合員は上野いく子(昭和四七年一月一二日採用)、吉田時子(昭和四七年一月一九日採用)、北川允子(前同日採用)、赤津浩(昭和四六年一二月一五日採用)の四名であつたが、後記のとおり原告組合と参加人会との間に雇用期限撤廃要求等をめぐつて争いがあり、昭和四七年三月三一日に全組合員の雇用期間満了後も右紛争が続いたため、参加人会は昭和四八年三月組合員として残つた四名を被告として東京地方裁判所に雇用関係不存在確認請求訴訟を提起したところ、参加人会の勝訴となり、右勝訴判決に対する右四名の控訴は棄却され、上告は昭和五〇年八月一四日却下され、その後即時抗告の申立てもなく同判決は確定した。
三1 参加人会は、原告組合の組合員全員が昭和四七年三月三一日をもつて参加人会との雇用契約関係を終了し、同年四月一日以降被用者たる地位を失なつたので、原告組合は、参加人会に対し団体交渉を求める交渉適格はなく、また、具体的な事項について団体交渉を求める利益もないから、本件命令の取消しを求める本訴訟の原告適格(行政事件訴訟法九条)および訴の利益を欠くとして訴却下の裁判を求める。
労働組合が使用者の団体交渉拒否につきなした救済申立てを棄却した労働委員会の命令(以下棄却命令という。)に対し、原告として、行政訴訟を提起するためには、原則として、少なくとも、当該組合がその使用者との関係において団体交渉の当事者たり得る資格即ち交渉適格を有していなければならないと解すべきである。当該組合が右資格をそなえるためには労組法七条二号にいう「使用者が雇用する労働者の代表者」と認められることが必要であるとともにそれをもつて足り、同号に該当しない組合は右行政訴訟につき原告適格を欠き、その訴は却下を免れないものというべきである。
しかしながら、当該労使関係の紛争の実情に照らし、右の原則論をそのまま適用することにより、法の精神に反するような不都合が生じるような場合には特別な考察が必要である。
2 以上述べたことを前提にして検討すると、前記認定のように、原告組合は、四か月以内の期限付雇用契約に基づき参加人会に雇用された臨時筆生により結成されたが、全組合員が雇用期限の昭和四七年三月三一日の経過により参加人会の従業員たる地位を失つたため、同年四月一日以降労組法七条二号にいう「使用者が雇用する労働者の代表者」ではなくなつたものというほかない。そうであれば、右の原則論による限り、原告組合は、参加人会に対する関係において、一見、その交渉適格を全面的に否定される如くみられないではない。
しかし、原告組合のように全組合員が有期の雇用契約期間満了により一せいに同一時期に従業員たる地位を失う関係にある労働組合が、組合員の雇用契約継続中その労働条件について団体交渉を申入れたのに対し、使用者の対応が不誠実であつて団体交渉が十分尽されないまま全組合員の雇用契約が終了した場合、その時点以後当該組合が「使用者の雇用する労働者の代表者」でなくなつたとの理由でもはや団体交渉を求め得ないとすることは、前段階における使用者の団体交渉における不誠実を看過し、ひいては、使用者による雇用契約終了を見越したいわば時間切れ逃込み策を容認することにつながりかねない。
このように、組合員の雇用契約存続中における団体交渉が使用者側の原因により十分尽されないまま全員の雇用契約終了という事態を迎えたという特別な事情が認められるときは、その後の段階においてもなお労使交渉により合意に達しさえすれば解決可能な事項(以下懸案事項という。)に限り、当該組合は交渉適格を有するものと解するのが相当である。
そして、当該組合が口頭弁論終結時においてかかる意味で交渉適格を有すると認められる限り、棄却命令を争う原告適格を有するものというべきであり、この理は、当該労使関係につき前記のような特別な事情が存する限り、組合員が雇用契約の終了を認めていても、また、本件のように雇用関係不存在確認請求を認容した確定判決が存していても変わるものではない。
そこで、原告組合は労組法七条二号にいう「使用者が雇用する労働者の代表者」ではないが、右に述べたような意味で、いわば限定された交渉適格を有するか否かについて以下に検討を進める。
四 まず原告組合結成から昭和四七年三月三一日までにおける参加人会との交渉経過等から、同日現在において団体交渉が尽された否かを検討する。
1 当事者間に争いのない事実と成立に争いのない乙第一六ないし二〇号証、第二六号証、第四一ないし第四三号証、第八四、第一一一、第一一三、第一一五、第一一六、第一一八、第一二三、第一二五、第一二六、第一二八、第一三〇号証、第一六一ないし第一六三号証、第一六五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第六〇、第八三、第九八、第九九号証、証人中野順八の証言を総合すると(以上の証拠のうち後記採用しない部分を除く。)次の事実が認められる。前掲乙第一一一、第一一三、第一一五、第一一六、第一一八、第一二三、第一二五、第一二六、第一二八、第一三〇号証、第一六一ないし第一六三号証、第一六五号証および証人中野順八の証言のうち右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 団体交渉申入れから参加人会の団体交渉応諾に至るまでの経過
原告組合は、同年三月一七日の組合結成大会において、<1>賃金日額一、二〇〇円を二、五〇〇円に引上げること(ただし、採用時にさかのぼつて支払うこと)、<2>交通費を全額支払うこと(ただし、採用時にさかのぼつて支払うこと)、<3>雇用期限を撤廃すること、<4>生理休暇を含めて月二回の有給休暇を認めること、以上の四項目について参加人会に対し団体交渉を申し入れることを決議した。同日原告組合の組合役員五名(執行委員長上野いく子、書記長吉田時子、執行委員北川允子外二名)が参加人会の人事課長に会い、同人に組合結成を通知し、組合役員を紹介するとともに参加人会理事長宛の前記四項目要求書を提出して団体交渉を申し入れ、右要求書に対する参加人会の回答を同月二二日までに文書をもつてするよう要求した。これに対し、参加人会は、組合規約の交付と組合員の氏名、人数を知らせるよう原告組合に要求し、原告組合は、翌一八日組合規約を参加人会に提出したが、組合員の氏名、人数については団体交渉を行なうために必要ではないとして拒否した。原告組合と参加人会の人事課長との間で、同月一七日以降、同月一八日、二一日、二二日、二三日にわたつて団体交渉を開くための事務折衝がもたれたが、参加人会は、終始組合員の氏名はともかくとして人数でも知らせるならば団体交渉に応ずるかどうか検討するとの態度をとり、このため団体交渉が開催されるまでにいたらず、また、四項目要求書に対する回答もなかつたため、原告組合は、抗議の意味で同月二四日午前一〇時三〇分から同一二時まで時限ストライキを行ない、同月二七日都労委に対し組合員の再契約および団体交渉促進を申請事項として、斡旋を申請した。同月二八日前記斡旋申請に関し参加人会の総務部長が都労委に出頭した際、都労委から原告組合の組合員数を教えられたため、参加人会は団体交渉に応ずることを承諾し、翌二九日初めて団体交渉が開かれることになつた。なお、参加人会は、同月二二日理事会を開き、団体交渉に応ずるか否か等を検討し、さらに同月二八日四項目要求に対する態度について協議した。
(二) 団体交渉の経過等
三月二九日の団体交渉は、午後三時から同五時一五分までの間参加人会役員会議室において、原告組合からは、委員長、書記長、執行委員らが、参加人会からは、総務部長、人事課長、職員係長が出席して行なわれた。参加人会は、四項目要求のうち、<1>賃金の引上げ、交通費の全額支給については、参加人会の経費は国の予算で賄われており、その予算は毎年四月から翌年三月までを会計年度とする単年度予算の仕組みになつていて、年度末の三月中旬に要求を受けても既に支払先は一月末にはほとんど確定しているから要求にこたえるための財源がなく全く応じられない、<2>雇用期限の撤廃については、(イ)臨時筆生の採用時雇用期限を昭和四七年三月三一日までとし、契約の更新または再雇用をしないことを明示しかつ説明していること、(ロ)参加人会の業務のうち一部に季節的に著しい繁閑があり、予算を効率的に使用してこれに対処するため、従来から四か月以内に雇用期間を限定して臨時筆生を採用してきたこと、(ハ)雇用契約を更新したり再契約すると臨時筆生の雇用期間が長期化し、待遇改善、職員化の問題がおこり、予算面、定員面等人事労務政策上困難な問題を生ずること等の理由により一切応じられない、<3>生理休暇を含む有給休暇の要求については、短期間のアルバイトで日給制であり、任意に欠勤することも自由であるから、要求には応じられないとして、四項目要求すべてにつき全面的に拒否する旨の説明をした。これに対し原告組合は、臨時筆生の賃金額は著しく低額で生活ができない、参加人会は四月以降も臨時筆生を雇う予定があると言い、実際に臨時筆生の担当している仕事もあるのになぜ現在いる臨時筆生を雇用できないのかなどと反論した。
翌三〇日の団体交渉は、午後六時四〇分から同一〇時二〇分ごろまでの間参加人会役員会議室において、原告組合からは委員長、書記長、執行委員らが、参加人会からは、理事長、総務部長、人事課長、職員係長らが出席して行なわれた。参加人会は、四項目要求書に対しすべてについて要求に応じられない旨の書面回答をするとともに、主として参加人会の理事長が四項目要求すべてに応じられない理由につき二九日の団体交渉において説明したとほぼ同様の説明をし、原告組合の理解を求めた。これに対し原告組合は前日の団体交渉においてした反論を繰り返し前日と同様の議論の応酬となり、結局原告組合は参加人会の回答は納得できないとして再検討を求めるとともに翌三一日時限ストライキを行なう旨の通告をし、かくて団体交渉は不調のまま終つた。
原告組合は、翌三一日午前九時三〇分から同一〇時三〇分までの間ストライキを行なうとともに、要求貫徹のため翌四月一日以降も就労する旨通告し、参加人会は、臨時筆生に対し、四月一日以降参加人会の従業員としての身分はないし、再雇用や契約の更新もしないので、就労してはいけないし、就労しても賃金は支払わない旨通告した。
2 前記認定事実(一)によると、参加人会は、昭和四七年三月一七日に原告組合から団体交渉の申入れを受けたが、原告組合員の人数が開示されなかつたことを理由に同月二八日まで団体交渉を拒否していたことが明らかである。しかしながら、原告組合は、団体交渉申入れ時に参加人会に組合役員を紹介し、その翌日には組合規約も交付していたのであるから、参加人会としてもその構成員が臨時筆生を中心とするものであることは知り得たはずであり(臨時筆生全員が加入しても四、五〇名に過ぎない。)、また、右に認定したように参加人会は原告組合の要求すべてを拒否する意向であつたのであるから、団体交渉に当つて加入した臨時筆生の数を知る必要があつたものとは認められない。従つて団体交渉開催の前提として組合員数の開示を求めた参加人会の右の態度は妥当とはいい難く、また、参加人会の右の態度が雇用期間満了直前の一〇日余りの日数を空費させる結果になつたことが明らかである。次に、昭和四七年三月二九日および三〇日の団体交渉における参加人会の交渉態度等をみるに、前記認定事実(二)によると、参加人会は、右の団体交渉において一貫して四項目要求を全面的に拒否する態度で臨み、拒否理由として、参加人会の従来の経営ないし人事方針、予算上の問題をあげ、これにつき一応の説明をしたことが認められる。しかしながら、原告組合の要求事項の中心をなすと思われる雇用期限撤廃に関し、原告組合が特に強く主張した現実に臨時筆生の担当していた事務が雇用期間満了後なくなるわけではないのに、何故希望する臨時筆生を引き続き雇用しないのかとの反論に対してはただ従来の方針の変更し難いことを繰り返したにとどまり、事務量に関し参加人会が要求拒絶の根拠としている季節的繁閑につき説明を裏付ける資料を一点も提出せず、さらに、成立に争いのない乙第一二三、第一二五、第一二六、第一二八、第一三〇号、第一六一、第一六二号証によると、参加人会は、原告組合の団体交渉申入れ前の昭和四七年三月初めには第二次事務改善計画の大綱を立案し、同年四月以降臨時筆生を不要化することを検討中であつたことが認められるが、このことについても説明したと認むべき証拠はない。これらの資料提出、説明の追加等がさして困難であるとか、原告組合にこれを秘匿しなければならない事情も見出し難いから、この点を怠つたことは、参加人会が原告組合に対し要求を受入れがたいことにつき納得させるための努力を尽さなかつたことを示すものというほかない。もつとも、証人中野順八の証言により真正に成立したものと認める乙第一四四号証によれば、当時、参加人会は第二次事務改善計画を未だ育英労にすら提示していない段階であつたことが認められるが、同計画が臨時筆生を不要とする大きな理由であつたのであるから、この事情は、参加人会が原告組合に同計画の説明をしなかつたことを正当ならしめるものではない。右のごとき団体交渉申入れからその応諾に至るまでの参加人会の対応、団体交渉応諾の時期、その回数、参加人会の交渉態度等を総合的に検討すると、組合結成が組合員の雇用期限間近の三月一七日に行なわれたため、参加人会にとつて準備に要する期間が短かつたという点を斟酌するとしても、団体交渉が不調に終つた原因のかなりの部分は参加人会側にあるものと認めざるを得ない。
次に、雇用期間の満了の時点において右四項目要求が懸案事項といい得るかどうかについて検討すると、雇用期間中における要求としてみる限りいずれも団体交渉の対象たり得るものであることは明らかであるが、雇用期間満了後であつても、雇用当初に遡及しての賃上げおよび交通費の支給要求は労使が合意しさえすれば解決可能な事項であり、また、中心的要求事項である雇用期限の撤廃要求については雇用期間を廃止して組合員を期間の定めなく雇用することもしくは雇用期間を自動的に更新することを求めるものであり、雇用期間満了後であつても労使が雇用期間満了時に遡及した形でそのような合意をするということは可能であるから、いずれも懸案事項たる性質を失わないと解される。これに対し生理休暇を含めた有給休暇を認める要求は、その趣旨が昭和四七年三月三一日までの雇用期間中につき右のような取扱いを求めるというのであれば、雇用期間が満了してしまえば無意味な要求となるから懸案事項たり得ないが、雇用期限撤廃後における休暇に関する要求というのであれば、懸案事項といい得る。
3 以上要するに、原告組合は、全組合員が雇用期間の満了により従業員たる地位を失つた昭和四七年三月三一日の時点において労組法七条二号にいう「使用者が雇用する労働者の代表者」ではなくなつたが、四項目要求に関しては、その団体交渉が十分に尽されなかつた原因のかなりの部分が参加人会側にあり、かつその団体交渉事項は、後日においても解決可能な事項を含むものであるから、原告組合は、その限度で交渉適格を有すると認められる。
五 そこで、さらに、昭和四七年四月一日以降本件命令に至るまでの原告組合と参加人会との交渉の経過等から、団体交渉が尽されたか否かを検討する。
1 当事者間に争いのない事実と成立に争いのない甲第一号証の一、二、乙第二二ないし第四〇号証、第七八ないし第八二号証、第一〇〇ないし第一〇九号証、第一一一、第一一三、第一一五、第一一六、第一一八、第一二〇、第一二一、第一二三、第一二五、第一二六、第一二八、第一三〇号証、第一四八ないし第一五八号証、第一六一ないし第一六三号証、第一六五、第一六六号証、証人中野順八の証言により真正に成立したものと認める乙第一三九、第一四〇、第一四三、第一四四、第一四六号証、丙第四号証、証人北川允子の証言により真正に成立したものと認める乙第一五九号証、郵便官署作成部分の成立は当事者間に争いがなく、その余の部分については弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第六一ないし第七五号証、第七七号証、第八六ないし第八九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第二一、第五九、第六〇、第八五号証、第九〇ないし第九九号証、第一三八、第一四一、第一四二、第一四五号証、証人中野順八および同北川允子の各証言を総合すると(以上の証拠のうち後記採用しない部分を除く。)、事実関係は以下のとおりと認められる。前掲乙第一五九号証、第一六一ないし第一六三号証、第一六五、第一六六号証、証人中野順八および同北川允子の各証言のうち、右認定に反する部分は採用せず他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 昭和四七年四月一日以降初審命令発付までの経過
原告組合員六名は、昭和四七年四月一日以降育英労の支援のもとに引続き参加人会で従前の仕事を続けるとともに、原告組合は、同日から同月一八日までの間約二七回にわたり人事課長と団体交渉開催のための事務折衝を行なつた。しかし、参加人会は、右組合員らに対し文書あるいは担当課長を通じて口頭で事務室内に立ち入らぬようあるいは同室内から退去するようしばしば警告し、事務折衝においては、「四項目要求には応じられない。昭和四七年三月二九日および三〇日の団体交渉において十分に説明しており、原告組合員の雇用契約の期限は同月三一日をもつて終了したので団体交渉を開く必要がない。」として団体交渉には全く応じず、さらに同年五月二五日参加人会会館出入口に元臨時筆生の入館を禁止する旨の通告文を貼り出して、原告組合員の就労を阻止した。このため、原告組合は、同年六月以降、支援者多数とともにしばしば参加人会会館に赴いて団体交渉の開催を要求し、デモ行進、シユプレヒコールなどを行なつたが、この間の昭和四七年一一月二〇日都労委に対し不当労働行為救済の申立てをした。そして昭和四九年五月二一日都労委は初審命令を発付した。
(二) 初審命令発付後被告委員会の勧告による立会団交受諾に至るまでの経過
原告組合は、昭和四九年六月三日初審命令の交付を受け、直ちに支援者らと参加人会会館に赴いて初審命令の履行を求めたが、初審命令を不服とする参加人会は、団体交渉に応じることなく、同日被告委員会に対し再審査申立てを行なつた。原告組合は、同日以降連日のように支援者二〇人ないし三〇人ぐらいとともに参加人会会館に赴いて団体交渉の開催を強く求め、同年八月二二日には午後四時ごろ、支援者四、五〇名と参加人会会館に赴いて団体交渉を要求し、参加人会が要求に応じるまで同会館出入口付近を包囲する態勢をとつたため、参加人会の理事長以下理事等の幹部職員は、原告組合との紛争を回避するため同会館内に泊り込むようになり、右状態は、同月二八日まで続いた。
同月二八日、被告委員会の第一回調査が行なわれたが、被告委員会は、原告組合および参加人会の双方から事情を聴取し、右のような状態を速やかに正常化する必要を認めながらも、その紛争の経過および状況からして直ちに原告組合と参加人会が自主的かつ平和裡に団体交渉をもつことは困難と判断し、双方に対し、「原告組合および参加人会は、原告組合がピケの現状を直ちにとくことを前提として以下の条件で団体交渉を行なうこと。<1>九月七日までに行なうものとする。<2>被告委員会立会いの下で被告委員会事務所で行なう。<3>人数は双方とも五名以内とする(ただし、傍聴を認めない。)。<4>交渉時間は二時間以内とする。」旨の勧告を行なつた。右勧告に対し、参加人会は直ちに受諾の回答をし、原告組合は一度は自主団交を主張してこれを拒否したものの、同月二九日受諾の回答をし、原告組合員および支援者らは参加人会会館周辺から全員退去した。
(三) 立会団交の経過等
(1) 第一回立会団交
第一回立会団交は、昭和四九年九月五日午後三時一〇分から同五時四六分までの間被告委員会の会議室において、原告組合からは、吉田書記長、北川執行委員、支援者三名、参加人会からは、理事長、総務部長、人事課長、職員係長、福利係長が出席し、被告委員会の事務局長、事務局次長、審査第二課長、職員二名が立ち会つた。
この席上、参加人会理事長は、四項目要求に対する参加人会の基本的立場について、昭和四七年三月二九日および三〇日の団体交渉において説明した事項に加えて、「育英奨学事業の目的、事務内容および参加人会の経費が国の補助金で賄なわれていることから、すべての予算措置は国の規制を受け、参加人会の自由意思で使用できる財源はほとんどない。国の補助金を使用する以上予算を効率的に使用することは国民に対する参加人会の責務である。このため参加人会は事務処理を機械化し省力化を図つてきたが、事務の機械処理が軌道に乗るまでの経過措置として業務の繁忙期に増加する単純かつ機械的仕事を短期間に処理することを目的として昭和四三年四月以降短期間の契約で臨時筆生を採用してきており、昭和四七年三月まで何ら問題はおこらなかつた。短期の臨時筆生はそれなりの社会的意義を果していると考えているし、長期間働きたい人には試験を受けて常勤の職員になる途もあつたのであり、臨時筆生に対し不当なことをしたと思つていない。以上の理由で四項目要求を受けいれることはとうてい不可能である。初審命令で昭和四七年三月当時の団体交渉における参加人会の説明が不足であつたと指摘されたので、この点を十分に説明し、参加人会の立場を理解してもらいたいと考えている。」と説明した。これに対し、原告組合は、「都労委での証言のくり返しはやめろ、そういう説明は必要ない。そんなことはよくわかつている。参加人会は事態を解決するつもりでいるのか。」などと反発するとともに(この間にあつて、参加人会側の説明を中断し原告組合の出席者の一部は「何をいつているんだ」と大声を出していたこともあつた。)「東京都の臨時講師は期間が満了しても次の職場を探してやり首を切つていない。我々の雇用通知書には四月以降は雇用しないとは書いていないし採用時に口頭でも聞いていない。昭和四七年四月以降臨時筆生が担当していた仕事もあり、また、そのための予算もあつたのになぜ臨時筆生を採用しなかつたのか。現実に臨時筆生を採用しなかつたため参加人会の業務に著しい遅滞がある。」と述べ、専ら雇用期限撤廃要求に関し、臨時筆生の雇用契約が期間満了により当然に終了するものではないことおよび現実に予算および業務があるのに雇用しないことは不当であることを中心に反論した。参加人会はこれを受けて「東京都の臨時講師の例は教育資格を必要とする教育の仕事と参加人会の臨時筆生とでは仕事の性質が全く異なり、参考にならない。臨時筆生には採用時に雇用期間満了後再雇用しないということは明確に伝えている。昭和四七年度ないし同四九年度予算の中に臨時筆生採用のための賃金予算があつたことは間違いないが、これは庁費の中の一項目であり、庁費全体の枠の中で自由に使用できるものであり、必ずしも臨時筆生を採用しなければならないものではない。また、臨時筆生は事務改善計画の実施により昭和四七年四月以降不必要となつた。現在業務は遅滞していない。」などと応酬するうち予定した時間を終了した。被告委員会は「次回までに双方とももう少し歩み寄ることができるのかどうか検討して、譲れるところと譲れないところをはつきりさせて問題をどこにしぼるか決めて出席してもらいたい。」との希望を述べ、次回の立会団交を同月一七日に指定した。
(2) 第二回立会団交
第二回立会団交は、同月一七日午後二時二〇分から同四時三〇分までの間被告委員会の会議室において、原告組合からは吉田書記長、北川執行委員、支援者三名、参加人会からは理事(労務担当)、総務部長、人事課長、職員係長、庶務係長が出席し、被告委員会の事務局長、事務局次長、審査第二課長、職員二名が立ち会つた。
冒頭に、昭和四八年三月一七日原告組合が参加人会会館内で団体交渉を要求した際、支援者の一人が参加人会職員に対し傷害を負わせた事件により右支援者が昭和四九年九月一一日に逮捕されたことに対し、原告組合から参加人会に抗議がなされた。原告組合は、争議中に起つた傷害事件は労使間で解決すべきであるから直ちに告訴を取り下げるよう参加人会に要求したが、参加人会は、傷害事件は刑事上の問題であつて労使間で解決できる問題ではないと反論し、この問題の論議に予定時間のほとんどを費し、四項目要求については、参加人会理事から、四項目要求については認められずその理由について説明を尽したいとの立会団交に臨む参加人会の態度が表明されたにとどまり、具体的な話合いはもたれなかつた。右立会団交終了後、次回の団体交渉の続行の是非、態様等について話合いがなされ、被告委員会の勧告により、参加人会会館内で被告委員会の立会いのもとに団体交渉を行なうことにし、右立会団交については十分意を尽して話し合うため特に時間を制限せず、立会いの被告委員会職員の判断に委ねることになつた。
(3) 第三回立会団交
第三回立会団交は、参加人会会館役員議室において、同月二〇日午後二時五〇分から同月二二日午前一時一〇分までの間途中八回の休憩をはさんで行なわれ、原告組合および参加人会からは第二回立会団交と同一の交渉担当者が出席し、被告委員会の審査第二課長と職員二名が立ち会つた。
この団体交渉において、原告組合は、「参加人会が昭和四七年四月以降も臨時筆生採用のための予算を確保し、これを採用する計画をもつていたのに臨時筆生が組合を結成し、四項目要求につき団体交渉を求めたために急遽方針を変更したもので、原告組合員の雇用を拒否する正当な理由はなく、現実に臨時筆生を雇い続ける計画をやめたため参加人会の業務は事実上破綻していた。」と述べ、雇用期限の撤廃要求等を受けいれるよう強く求めた。これに対し参加人会は、「参加人会は、昭和四七年一月政府から第二次定員削減の指示を受け、これに対処するため同年三月初め第二次事務改善計画を決定した。この改善計画は、既に導入されていた電子計算機をより有効に活用し機械化できるものはすべて機械化すること、これに応じて組織、機構を再編成することを骨子としていたが、完全実施までにはかなりの日数を要すると予想されるので、実施可能な項目については育英労と協議のうえ順次実施していく方針をあわせて決定し、完全実施までの間も臨時筆生の採用をせずに業務を処理していける見通しをつけた。この方針に基づき、育英労と協議のうえ、昭和四七年九月から外務職員の職務の拡大による内勤業務の担当替えを、昭和四八年一月から送金事務の機械化を、同年二月から返還金受付簿の機械作成を順次実施し、これによつて余裕のでた職員を他の業務に配置することにより、従来季節的に大量に発生するときは臨時筆生を雇用して処理していた業務を正規職員または機械により処理し、臨時筆生を全く必要としなくなつた。その後も改善計画は逐次進められ、臨時筆生は将来にわたつても全く雇用する必要はなくなつている。右計画の完全実施までの過渡的措置として昭和四七年四月以降も臨時筆生採用の要否も検討したが、たまたま本件の紛争と重なつたことと、右のように臨時筆生なしでも業務処理をなし得るとの見通しに立つて採用しないことに決定した。その後、業務が一時期において一部遅れたのは返還受付簿の機械作成について育英労との協議が予定より遅れたために生じたもので、臨時筆生を採用しなかつたからではない。」旨説明した。この説明に対し、原告組合は、停滞事務の処理につき説明を裏付けるに足る客観的資料の提出を要求したため、参加人会は初審段階で都労委に原告組合が提出した「四七年度返還事務の処理について」と題する書面(乙第四〇号証)と新たに「昭和四八年度(一一月ないし三月)事務処理予定」と題する文書(乙第一四五号証)を提出したほか、初審段階で自ら都労委に参加人会の事務は事項により季節的繁閑があり、恒常的に多数の職員を雇用することができないことを示す趣旨で提出した「昭和四六年度管理課管理係においてアルバイトを使用した仕事名・仕事量ならびにアルバイト使用状況」と題する文書(乙第九二号証)、「昭和四六年度管理課管理係における仕事別アルバイト使用状況(月別延人員)」と題する文書(乙第九三号証)、「東京支所住所照会状作成発送数状況表」と題する文書(乙第九四号証)、「東京支所における昭和四五年度ないし四八年度の住所照会状作成状況」と題する文書(乙第九五号証)、「東京支所収納第一課管理係におけるアルバイト使用状況(月別延人員)」と題する文書(乙第九六号証)を右要求にも応える意味で提出した。参加人会は右各資料をもとに、臨時筆生を雇用しなかつたことにより事務遅滞が生じたのではないかとの原告組合の質問に対し、昭和四七年度は返還金受付簿の電子計算機による作成について育英労との協議が予定より遅れたためこれまで臨時筆生を補助としてその処理にあたらせていた本部返還部における返還事務の一部に処理の遅延があつたこと、しかしながら、昭和四八年一月の送金事務の機械化、同年二月の返還金受付簿の機械作成により右処理の遅延は順次解消し、昭和四八年度以降は、これまで臨時筆生が担当していた事務は電子計算機および事務改善計画により余裕のできた正規職員によつて処理が可能となり、臨時筆生を雇用する必要は全くなくなつたことを説明した。これに対し原告組合から、資料によると昭和四八年末においてもこれまで臨時筆生が担当していた事務について相当の未処理件数があるので臨時筆生を雇用できたはずではないか等の質疑があり、さらに昭和四七年度および四八年度の事務処理状況を示す資料は処理予定件数しか記載されていないので過去の処理実績を示す資料も提出せよとこれを強く求めるとともに、臨時筆生担当事務関係の資料だけでなく参加人会の業務全体の処理状況を示す資料および臨時筆生のための賃金予算がどのように使用されたかを示す決算資料の提出を要求したが、参加人会は、業務全体の処理状況を示す資料はなくその余の資料は提出する必要がないとして拒否し、右七点以外の資料は提出されなかつた。その後再び四項目要求特に雇用期限の撤廃についてこれを受けいれるよう強く要求する原告組合と一切応じられないとする参加人会との間に議論が続き喧騒にわたることもあつたが、原告組合、参加人会双方の主張は終始平行線をたどり、そのいずれからも妥協案ないし譲歩案が提示されることもなかつたうえ、被告委員会が斡旋を申出たのに原告組合がこれを受けること自体を拒んだため、この工作も不調に終つた。そこで、被告委員会は、双方の主張は対立したままであり、歩み寄りは全くみられないと判断して立会団交を打ち切つた。なお、第三回立会団交の際、夜間原告組合の支援者多数が参加人会会館外からマイクを使つてシユプレヒコールをくり返したため、近隣住民から参加人会に対し何回も抗議電話がかけられた。
その後本件命令発付にいたるまで原告組合および参加人会の間で団体交渉は全く行なわれなかつた。
2(一) 前記認定事実によると、参加人会は四項目を受入れることはできないとの立場を堅持し、立会団交においても、四項目要求に対する自己の立場を説明し原告組合の納得をえる場として臨んだことは明らかである。ところで使用者が団体交渉において常に組合の要求を全面的または部分的に受入れて譲歩の姿勢を示さなければならないものでないことはいうまでもないところであり、使用者が自己の立場ないし見解を堅持し組合の要求を受入れることができないという場合に交渉義務を尽したといい得るためには、使用者の主張が特に不合理とは認められず、かつ組合の納得を得るべく、必要ならば資料をそえてその理由を説明することが必要であり、また、それをもつて足るものというべきであつて、組合がこれを納得したことは必ずしも必要ではない。
(二) そこで、まず、本件立会団交の出席者、時間等をみると、参加人会からは、第一回は理事長、第二回以降は理事(労務担当)が出席し、交渉時間は、三回にわたり延べ三八時間余行なわれたことが明らかである。なお、本件における三回の団体交渉は、いずれも被告委員会事務局職員立会いのもとに交渉担当者数、交渉時間等に制限の付された立会団交の形式をとつたものであるが、前記1の(一)および(二)に認定した労使紛争の実情からすれば到底実りある自主団交が期待し得ないことは明らかであるから、被告委員会が立会団交の勧告をしたことは妥当な措置であり、また、立会団交中における被告委員会の指導ないし勧告等にも妥当を欠く点は窺われないから、本件立会団交が通常労使間で行なわれる団体交渉と質的に異なるものでないことはいうまでもないところである。
(三) 次に、参加人会の四項目要求に対する主張の合理性およびこれを裏付ける資料の提示等から参加人会が自己の主張を明確に示し、原告組合の納得をえるための努力をしたか否か検討する。成立に争いのない乙第四〇号証、第一二〇、第一二一、第一二三、第一二五、第一二六、第一二八、第一三〇号証、第一四八ないし第一五八号証、第一六一、第一六二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第九〇ないし第九六号証、第九八、第九九、第一四五号証、証人中野順八の証言により真正に成立したものと認める乙第一四六号証および同証言を総合すると、参加人会は、臨時筆生の雇用については、団体交渉の席上原告組合に説明したのと同一の理由により(前記四(二)の<2>(ロ)および(ハ))、昭和四三年四月以降二か月ないし四か月の雇用期間を定め同一臨時筆生の再雇用ないし契約更新しないことを一貫した人事方針としており、これまで例外を認めず、原告組合の組合員らを含め採用の際再雇用または更新をしない旨を臨時筆生に明示的に告知していたこと、参加人会は、昭和四七年一月政府から第二次定員削減の指示を受け、既に原告組合の団体交渉申入れ以前の同年三月初め第二次事務改善計画を立案し、事務合理化の一環として臨時筆生を雇用して処理していた事務を電子計算機によつて処理することにより臨時筆生を不要化し、機械処理が可能となるまでの間は臨時筆生が担当していた事務を育英労の協力等により処理することを計画し、とりあえず同年四月からの臨時筆生採用の要否を検討しているさなかに本件の紛争が発生したため、新たな紛争の発生を防止する意味もあつて、臨時筆生がいなくても事務処理ができるとの見通しのもとに、その採用を確定的に中止したこと、その後右計画の一部の実現に遅れがあり、事務の遅滞が生じたが、参加人会は次第にこれを実現に移し、立会団交時においては臨時筆生を雇用する必要はなくなつていたことが認められる。このように昭和四七年四月一日時点で参加人会が臨時筆生採用を中止したことは、第二次事務改善計画を実現すべく臨時筆生不要化を検討していた矢先これと全く相反する雇用期限撤廃要求を原告組合から受けたことにより、紛争の拡大と右計画の挫折を避けるためとられた相当な措置ということができ、このことと参加人会の従来の人事方針に徴すれば、参加人会が前同日時点における原告組合の雇用期限撤廃要求に応じがたいとしたことに特に不合理はなく、また、右事実によれば、立会団交の時点において組合員の再雇用に応じがたいとしたことにも不合理な点は見出せない。そして、参加人会の立会団交における説明は、従来の人事方針、事務合理化計画を事実に即して説明したというべきであり、特に原告組合が最も重視した雇用期限の撤廃要求に対しては、会の事務の季節的繁閑性を示す資料を提出しているのであり、説明内容について虚偽ないし歪曲した点はみられない。また、参加人会は原告組合の質疑に応え提出した各資料により昭和四七年四月以降第二次事務改善計画が育英労との協議の遅れにより一部に遅れがあつたものの逐次実現し、臨時筆生を雇用しなくとも正規職員により事務を処理しうる状態にあつたことを数字的に裏付けようと努力したものということができる。さらにその他の要求についてもそれ相応の説明をしたものと認めることができる。
(四) ところで、参加人会の説明に対する原告組合の反論の要旨は、参加人会は、昭和四七年度ないし同四九年度において臨時筆生雇用のための賃金予算を確保しているうえ、昭和四七年四月一日以降従前臨時筆生の担当していた事務が消滅したわけではなく、現実に昭和四七年度、さらには昭和四八年度においても従来臨時筆生が担当していた事務のうち処理し切れずに翌年度に繰り越されるものもあつたのに、臨時筆生の雇用期限撤廃要求を終始拒否したのは不当であるというところにあると考えられる。しかしながら臨時筆生雇用のための予算を確保していることにより参加人会が臨時筆生の採用を義務づけられるわけではなく、参加人会は、政府関係特殊法人として予算関係法令に反しない限りその裁量によつて自由に使用できるものであるし、正規職員の補助者たる臨時労働者を採用するか否か、また、契約期間の更新、雇用期限の撤廃、再雇用の措置をとるか否か等は、使用者が業務方針に従い自由に決定しうる事項であるだけでなく、原告組合員ら臨時筆生は採用当初に雇用期間の更新がないことを明示的に告知されて採用されているのであるから、元来期間満了後の雇用継続を期待し得ない地位にあるのであることを思えば右反論に対しては前記認定の説明をもつて足るものというべきである。
(五) 前記諸事情に加え、既に認定したように原告組合も四項目要求中、特に雇用期限撤廃要求については、多数の支援態勢のもとにあつてその立場を堅持し全く譲歩の姿勢を示さなかつたため、主要紛争点について妥協点を見出し得ない状況であつたと認められること、被告委員会が再々斡旋を申出たのに原告組合がこれを受けること自体を拒んだため不調に終つたこと、労使の紛争を取り扱う専門機関たる被告委員会の事務局長職員が終始団体交渉に立ち会い、双方の主張は平行線をたどり歩み寄りの余地がないと判断して団体交渉を打ち切つたこと等を考慮すると、本件団体交渉は、原告組合と参加人会との主張が完全に平行線をたどり、遂に不調に終つたものと認めざるを得ず、この不調の原因が参加人会の不誠実な態度等参加人会の側に由来するものとは認め難いから、結局参加人会は、原告組合の団体交渉要求について、その交渉義務を果したものということができる。
六 ところで、通常の場合にあつては、交渉適格は労働組合が申入れた個々の団体交渉が尽されたか否かの判断とは別途に一般的な形で定まるわけであるが、本件のように当該組合が「使用者が雇用する労働者の代表者」ではないにもかかわらず懸案事項につき団体交渉を求め得るという特別な場合は、交渉適格の存否と懸案事項につき団体交渉が尽されたか否かの判断はいわば表裏の関係をなし、その後の使用者の対応により懸案事項についての団体交渉が尽されこれ以上組合として交渉を求め得ないと判断されれば(使用者が以後これを拒否しても正当であると判断されれば)、同時に組合は交渉適格を失うという特殊な関係にあると考えざるを得ないのである。
そうであれば、前記五に述べたように、立会団交により原告組合と参加人会との懸案事項についての団体交渉が尽されたと認められる以上これにより原告組合は交渉適格を失つたものというべきである。即ち、原告組合は本件口頭弁論終結時においては交渉適格を有しないものであるから、棄却命令である本件命令を争う原告適格を有しないものである。
七 以上の次第であるから、原告の本件訴を却下することとし、訴訟費用(参加によつて生じた分を含む。)の負担につき、民事訴訟法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松野嘉貞 吉本徹也 牧弘二)
(別紙一)
命令書
(中労委昭和四九年(不再)第二八号 昭和五〇年七月一六日命令)
再審査申立人(被申立人) 日本育英会
再審査被申立人(申立人) 日本育英会臨時労働者組合
主文
本件初審命令主文を取消し、再審査被申立人の救済申立てを棄却する。
理由
第一当委員会の認定した事実
一 初審結審時までの経過
初審結審時までの事実経過は、初審命令理由「第一認定した事実」と同一であるのでここに引用する。
二 初審命令後の経過
(1) 昭和四九年六月三日に本件初審命令が交付された後、組合は、会に対し、初審命令の履行を求め団体交渉の開催を強く要求したが、初審命令を不服とする会は、組合との団体交渉に応じることなく同月一五日本件再審申立てを行つた。
(2) 昭和四九年八月二八日当委員会において第一回調査が行われた。席上、会側から、今月二二日午後四時頃から組合員二名が支援団体の者多数と会におしかけ、不法に会の建物を封鎖し、退庁しようとする理事長以下の役職者をつるし上げようとする行動をとつている。このため理事長以下役員、管理職らは八月二二日から本日まで七日間会の建物内に泊り込んでおり、健康状態も疲労の限界にきている。従つてこの状態をただちに解除してもらいたい。との趣旨のことを述べた。これに対し組合は、初審命令に従つて速やかに会が誠意をもつて団交に応じるよう再三にわたつて要求を行つているにもかかわらず、会は何ら正当な理由も説明せず、組合無視の態度をとり続けている。組合としては、会のこのような不誠実な態度に抗議するとともに、初審命令に従つて早急に団交を行うよう求めているにすぎない。との趣旨のことを述べた。
このような事情を聴取した当委員会は、上記のような状態を速やかに正常化する必要を認めつつも、直ちに両当事者が自主的かつ平和裡に団体交渉をもつことは困難と判断し、同日次のとおり会および組合に勧告した。
「当事者は組合がピケの現状を直ちにとくことを前提として以下の条件で団交を行うこと。
<1> 九月七日までに行うものとする。
<2> 中労委事務局立会の下で中労委で行う。
<3> 人数は双方とも五名以内とする(但し、傍聴は認めない)。
<4> 交渉時間は二時間以内とする。」
右勧告に対し、会は直ちに受諾の回答をし、組合も翌日の午前受諾するとともに会の建物周辺のピケをといた。
(3) 当委員会の勧告に基づき中労委事務局立会の下で行われた団体交渉(以下「立会団交」という。)は第一回が九月五日午後三時一〇分から同五時四六分まで、第二回が九月一七日午後二時二〇分から同四時三〇分までそれぞれ当委員会の会議室で行われ、第三回は会の会議室において九月二〇日午後二時五〇分から同月二二日午前一時一〇分まで途中数回の休憩をはさんで行われた。
(4) 三回にわたつて行われた立会団交で組合は、「会は組合結成以来今日まで組合無視的な態度に終始している」として会の態度を強く非難するとともに、四項目についての組合要求を認めること、とりわけ雇用期限の撤廃又は組合員の再雇用の要求については、会の昭和四七年度予算からみても不可能ではないと強く主張した。これに対して会は、初審段階ですでに提出した資料に加えて会の業務運営状況について具体的な資料を提出し、四項目の組合要求のうち特に雇用期限の撤廃問題について、昭和四三年四月以降会がとつてきた臨時筆生の採用に関し、同一人の再雇用又は契約の更新は行わないとする方針は変更できないと説明した。さらに、昭和四七年一月会は、昭和四七年度から同四九年度までの三年間に定員を五%削減するとの政府の第二次定員削減計画に準じて定員を削減するよう政府からの指示をうけたので、同四七年三月、会としての第二次事務改善計画を策定し、同年四月以降臨時筆生を採用しておらず、また、今後雇用する見通しもないと説明した。結局のところ、立会団交における双方の主張は対立したまま歩みよりは全くみられなかつた。
(5) 上記立会団交後に行われた当委員会の和解工作も結局不調に終り、審問が開始され結審したが、それ以後も現在に至るまで両当事者間には団体交渉は行われていない。
(6) なお、会は上野委員長ら四名の組合員との間における雇用関係不存在確認の訴えを東京地方裁判所に提起したが、同裁判所は、昭和四九年一〇月三〇日「会と上野委員長ら四名との間に雇用関係が存在しないことを確認する。」旨の判決を言渡し、これを不服とする上野委員長ら四名は東京高等裁判所に控訴したが、同裁判所は昭和五〇年五月二八日控訴棄却の判決を言渡した。
以上の事実が認められる。
第二当委員会の判断
一 当委員会の昭和四九年八月二八日付勧告を会及び組合双方が受諾するまでの間における組合の団体交渉要求に対する会の態度については、初審命令理由第二判断と同一であるので、ここにこれを引用する。
二 次に、当委員会の勧告による立会団交につき、双方は次のとおり主張する。
会は、立会団交の結果、もはや組合との間に意見が合致する見込みも可能性も存在しない現状においては初審命令を維持する実益はないと主張し、他方、組合は、立会団交における会の態度は、中労委の勧告にやむなく形式的に応じたのみで自主的に回答を示して解決を図ろうとするものではなく、団体交渉の実質をもたないものであつたとし、なお、団体交渉を行う実益があると主張する。
このように双方の主張は対立するので、当委員会の勧告受諾後の経過をふまえ、以下判断する。
双方の主張の対立点は、要するに立会団交を経た現在もなお、初審命令を維持して団体交渉を命ずる必要と実益があるかないかという問題に帰着する。
前記第一の二の(3)~(5)認定のとおり、雇用期限の撤廃および臨時筆生に関する会の雇用方針については、会側としては団体交渉において十分説明をつくしたものと認められ、双方の主張は、依然として平行線上にとどまり、この段階に立ちいたればもはや団体交渉は決裂したものと認めざるをえない。
したがつて、現状においては、既に初審命令のとおりの団体交渉を今後も重ねて命ずる実益はない。
以上のとおりの理由により、結局初審命令を取り消すことを相当と認める。
よつて、労働組合法第二五条、同第二七条および労働委員会規則第五五条を適用して主文のとおり命令する。
(別紙二)
命令書
(都労委昭和四七年(不)第一二六号 昭和四九年五月二一日命令)
申立人 日本育英会臨時労働者組合
被申立人 日本育英会
主文
被申立人日本育英会は、申立人日本育英会臨時労働者組合が昭和四七年三月一七日に申し入れた四項目についての団体交渉を、(ア)団交は決裂したものである、(イ)現に団交を行なう実益がなく、要求に応ずる余地は客観的にない、(ウ)臨時組合員の要求は、雇用関係の創設を求めるものであるから、団交事項になり得ない、(エ)組合員のなかに、会が雇用する労働者がいないから団交権を有しないと主張して拒否してはならない。
理由
第一認定した事実
一 当事者
(1) 申立人日本育英会臨時労働者組合(以下「組合」という。)は、昭和四七年三月一七日被申立人日本育英会に働く臨時労働者二一名が結成した労働組合であり、本件申立当時の組合員数は四名であつて、この四名は同年三月末日までを雇用期間とする臨時筆生(以下「臨時」という。)であつた。
(2) 被申立人日本育英会(以下「会」という。)は、学生に対する学資の貸与、その他育英上必要な業務を行なうことを目的とする日本育英会法によつて設置された特殊法人である。
二 組合結成と団体交渉の申入れ
(1) 組合は結成の当日、会に対して<1>雇用期限を撤廃すること<2>日額を二、五〇〇円に引き上げること<3>交通費を支給すること<4>生理休暇を含めて月二回の有給休暇を認めることの四項目について要求書を提出し、団体交渉を行なうよう要求した。これに対して会は、中野人事課長を窓口として事務折衝を行ない、翌一八日、組合から組合規約の提出を受けたが、さらに二一日から二四日までの間に会側は「組合の組織実態を知らせてほしい、そのうえで団交に応ずるかどうかを検討する」などといい、まず組合員数を知ることに固執して団交を行なわなかつた。
(2) 二七日、組合は、組合員の再契約ならびに団交促進を申請事項として東京都地方労働委員会にあつせんを申請した。
三 団体交渉の模様とその後の折衝経過
(1) 翌二八日、会は、本労働委員会を通じて組合員数を知り、二九日と三〇日に組合と団交を行なつた。
(2) 二九日の団交における会側の説明は<1>賃金引き上げ、交通費問題については、会の予算は国の補助金で賄われており、年度末に要求されても財源がないから今年度は上げない、<2>雇用期限撤廃問題については、期限を撤廃することは、期間の定めのない正式職員あるいはこれに準ずる地位に変えることを意味することになり、待遇改善、職員化等の問題が起るので、会としては受け入れられない、<3>休暇問題については、短期アルバイトで日給制であり、任意に欠勤が許されるので、世間一般でも認めないのが通例である、というものであつた。これに対して組合は、<1>日額一、二〇〇円では生活できない、<2>四月以降もアルバイトの仕事は残つており、四七年度も臨時を雇う予算もついているので、会の説明は納得できない、と反論した。
(3) 三〇日の団交には理事長が出席し、「四項目の要求には応じられない」との文書回答を行なつた。そして交渉は前日と同様の応酬となり、結局、組合は翌三一日ストライキを行なうことを通告してわかれ、三一日、始業時から一時間の時限ストを行なつた。
(4) 四月一日から五月一八日までの間に二七回の折衝がもたれ、組合は、団交をひらけ、四項目要求を認めよなどと主張し、会は三月二九日と三〇日の団交で十分話し合つており、しかも組合員の雇用関係は三一日に終了しているから団交には応じられない、などと答え、結局、団体交渉は一回も行なわれなかつた。
(5) そして、その間、四月一七日に組合は中野課長に対して、組合は認めるとか、進展のない団交はやる必要を認めないとか六項目の会側発言についての確認書に調印を求め、中野課長は口頭でこれを肯定した。また、組合は四月一日以降五月二四日までの間、就労闘争と称して、各人がもと配属されていた部署に入り、この闘争を三八日間続けた者もあつた。これに対して会は、五月二五日、ロツクアウトを行なつた。さらに、組合はそのあと、内容証明郵便で会に団交を申し入れ、抗議するとともに四月一日以降就労した賃金の請求を行なつた。
第二判断
一 当事者の主張
(1) 申立人は、会側は申立人の申入れた団交に誠意をもつて応じておらず三月二九日と三〇日の団交は会が自己の方針や立場を一方的に説明したのみで、問題を解決しようとする姿勢を示さず、その他会側の挙げる団交の拒否の理由はすべて不当である、と主張する。
(2) 被申立人は、(ア)誠意をもつて団交を重ねたが、結局団交は決裂したものである。(イ)要求事項について現に団交する実益がなく、また、要求に応ずる余地は客観的にない。(ウ)臨時労働者の雇用継続を求める事項は雇用関係の創設を求めるもので、団交事項になり得ない。(エ)組合員のなかに会の雇用する労働者が現存しないから、組合は団交権を有しないことを挙げ、団交拒否は成立しないと主張する。
二 判断
(1) 三月一七日に組合から団交を求められ、二九日に団交を行なうまでの間に会は組合に対して、まず組合員数を明らかにせよとのみ主張していたが、当時臨時労働者が何名であつたかは会としてわかつていたことで、要求事項を検討するために組合から組合員数を聞かなければならない必要は認められなかつたから、このような会の態度は、妥当とはいえない。
(2) 二九日と三〇日の団交において、組合側の中心的要求であつた雇用期限撤廃の問題について、会はもつぱら会の労務政策あるいは労務管理上の立場を一方的に説明したのみで、四七年度以降も臨時労働者の仕事はあり、予算もついている状況にありながら、この点からの説明を全くしなかつた。そして三一日以降全く団交を行なつていないのであつて、団交がすでに十分に進められ、決裂したものとは認められない。
(3) 会は、臨時労働者の雇用契約は三月三一日で終了し、会が雇用する労働者が現存しない組合とは団交を行なう義務がないし、再雇用を求める事項は交渉事項になり得ないというが、本件の場合、組合は雇用関係の存在を主張し、会は東京地裁に「雇用関係不存在確認の訴」を提起してこれを争うなど現に雇用関係の存否をめぐる意見の対立があるのであるから、その解決のために団交を行なうことは有意義であり、会の主張は採用できない。
(4) また会は、要求事項が現に団交を行なう実益がないというが、解決の条項いかんでは、現に実益がありうるから、会の主張は採用できない。
(5) 以上の次第であるから、会の態度は結局、団体交渉を正当の理由なく拒否したものである。
第三法律上の根拠
会の行為は、労働組合法第七条第二号に該当する。よつて、労働組合法第二七条および労働委員会規則第四三条を適用して主文のとおり命令する。