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東京地方裁判所 昭和51年(タ)440号・昭52年(タ)54号・昭51年(ワ)5090号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1 原告廣治(昭和七年二月三日生)と被告なみ子(昭和九年二月二〇日生)とは、昭和三〇年四月一八日婚姻の届出を了した夫婦であつて、二人の間には、昭和三二年一〇月三一日長女奈緒美が、同三五年四月一二日長男尚人が、同四〇年一〇月一七日二男惣弘が各出生した。

2 婚姻後、原告廣治は、姉の夫であつた川北勝三と共同で水道工事業を始め、昭和三四年に有限会社川北設備工業を設立したが、同三六年頃から独立して右会社を経営するようになつた。他方、被告なみ子も当初から右会社の事務や従業員達の世話をするなどして原告廣治の仕事に協力し、原告廣治は、右仕事を始めるにつき、いずれ店を持たせて独立させてやるからと言つて被告なみ子の弟である高橋文一、同忠男、同正を次々に呼び寄せ、右会社の従業員として雇い入れた。

3 原告廣治と被告なみ子の弟らは、当初は円満であつたが、やがて原告廣治と文一は、共同出資して建築した南品川のアパートの帰属をめぐつて対立し、文一は、日頃から原告廣治が独立させてくれないことに不満を抱いていたため、川北設備を退社し、居住していた南品川のアパートを原告廣治に明渡したうえ、昭和四五年四月頃三鷹市牟礼六丁目六〇〇番地所在の父文七の家に移り、高橋設備という名称で独立して上下水道の仕事を始めた。そして、文一は、昭和四五年一〇月二四日、文七居住の建物につき文七名義で保存登記をし、さらに右建物の敷地(129.77平方メートル)を昭和四六年一二月一日に国から払い下げを受けるや、同月七日自己名義で所有権移転登記を了した。

4 原告廣治は、文一が独立して文七方で仕事を始めたことに強い不満を抱き、文一に対し、三鷹の建物は、文七と自分との共有である旨主張して右建物から退去するよう迫り、また右建物の敷地を文七名義に変更するよう強く求めるようになつた。そして、原告廣治は、被告なみ子に対しても右要求の実現を強く迫つたため、原告廣治と被告なみ子との間にも諍いが生じるようになり、原告廣治が、被告なみ子に対し暴力に及ぶこともあつた。

5 そこで、被告なみ子や正らは、やむなく文一を説得して、三鷹の建物の敷地につき昭和四八年二月七日付で登記名義を文七に変更させ、さらに、同年八月三日には、文一に対し、昭和四九年三月末日までに右建物から立退く旨の公正証書を作成させた。

6 しかし原告廣治は、これ以後も三鷹の建物につき共有名義にすることを要求して被告なみ子の実家と対立し、同女が実家に同調する態度を示すと、同女に対し暴力を振い、昭和四九年一二月八日には、被告なみ子は、顔面、頭部挫傷により一〇日間入院するに至つた。このようなことが続いたため、被告なみ子は、家を出たことが四回に及んだが、その都度家庭のことを考えて戻つたものの、原告廣治と被告なみ子との仲は冷却し、その間に深い溝が生じた。

7 被告なみ子は、昭和五〇年一一月二四日三鷹の建物の件で原告廣治と言い争いになり、同人から暴力をふるわれたため、家を出るに至り、以来今日まで右両名は別居状態にある。その後、右両名の子供らも原告廣治の許を去り、被告なみ子と一緒に生活している(長女奈緒美は現在独立して生活している。)。

8 ところで、被告相沢(昭和二五年八月八日生)は、昭和四五年一月から同四七年九月二八日まで品川警察署に勤務し、その後は警視庁第六機動隊に所属する警察官であるが、今野巡査の紹介で昭和四六年六、七月頃原告廣治方を訪れ被告なみ子と知り合つた。当初被告相沢は、一か月に一回くらいの割合で警邏の途中で被告なみ子方に立ち寄る程度であつたが、やがて非番の日廣治の留守中にも同女方を訪れるようになり、昭和四八年暮頃から頻繁に被告なみ子方を訪れるようになつた。

9 被告なみ子は、被告相沢に対し原告廣治の留守中でも酒肴のもてなしをして右両名さし向いで飲酒し、昭和四九年一月頃には、被告相沢の見合いを口実に被告相沢を連れてなみ子の郷里である宮城県に出かけたりし、また、なみ子の化粧品を買うために友人の峰島宅に被告相沢を同行するとか、被告相沢の友人の結婚式に被告相沢と伴に出席したりするなど、被告なみ子と同相沢は、親密な交際をするようになつた。

10 原告廣治は、同人の留守中に被告相沢がやつて来て被告なみ子と酒を飲み、また、同女が風呂に出かける時間にあわせて帰宅したり、同女が自分の着衣のかかつているハンガーに被告相沢の服をかけたりしたことや、さらに、昭和四九年夏被告相沢と共に原告廣治一家が旅行した際、被告なみ子が何のためらいもなく被告相沢の上着を着込んでいたことなどから、同人と被告なみ子との仲に疑いを抱いたもののとりたてて問題にはしなかつた。ところが、原告廣治は、昭和五〇年九月頃、遊びに来ていた被告相沢が飲酒のうえ帰隊する際、上着を忘れたことに気づいて被告なみ子に対し「おい、お前おれの上着を持つて来い。」と言つているのを聞き、同女に「おいお前とはどんな関係だ。」と問い質したのに対し、同女が明確な返答ができなかつたことから、不審の念を強めた。被告相沢は、翌日、被告なみ子から右経緯につき電話を受け、原告廣治に対し前日の無礼をわびた。

11 その後、被告相沢は、昭和五〇年一〇月頃他の女性と交際し、やがて同棲を始め同年一二月一五日に同女との婚姻の届出をしたこともあつて原告廣治方を訪れなくなり、他方、被告なみ子も前記のとおり同年一一月二四日家出したが、原告廣治は同女と被告相沢との仲に不審の念をぬぐい去ることが出来なかつたため、昭和五一年一月九日北海道別海町の被告相沢の姉に対し、被告相沢と被告なみ子との関係について内密に相談したいことがあるので上京してほしいと電話したところ、北海道の兄から連絡を受けた被告相沢が同日原告廣治方を訪れた。そこで、原告廣治は、被告相沢に対し被告なみ子との関係について問い質したところ、当初は否認していたものの、原告廣治からそれならば機動隊本部に報告する旨言われたため、勤先に報告されると免職になる恐れもあり、また婚約も破談になることを恐れて、被告なみ子との肉体関係があつたことを自認するに至つた。そこで、原告廣治は、被告相沢に対しそのことを書面にするよう求めたところ、被告相沢は、これにしたがい原告廣治の下書のとおりに「御詫状」と題する書面を作成した。

12 原告廣治は、右書面に具体的内容が記載されていなかつたため、同月一一日に被告相沢を再度呼び出して、同人に被告なみ子との関係について具体的に問い質し、それにしたがつて被告相沢は、下書きをしたうえ被告なみ子との関係を具体的に記載した「御詫状に補足する供述書」と題する書面を作成した。

13 そこで原告廣治は、昭和五一年一月一五日に被告なみ子の実家である三鷹の家に妹丸川文子や姉川北みよ子と伴に出かけ、被告なみ子らに対し、被告相沢が作成した左記の書面二通を読み上げ被告なみ子の反省を求めようとしたところ、大騒ぎとなつたので帰宅した原告廣治のもとに被告なみ子は弟の忠男及び正らと右書面の返却を求めるために押しかけたが、同書面を取り上げることはできなかつた。

14 他方、尾木(昭和一四年一月三一日生)は、信仰上原告廣治と知り合いとなつたが、昭和四四年五月一六日長男基治を出生し、同年八月一五日右出生の届出をするにあたり、原告廣治の同意を得ることなく、同人の名義で同月一八日認知の届出をなした。その後このことを知つた原告廣治は、同年秋頃尾木に対し抗議をしたもののそのまま放置していたが、被告なみ子と別居した後の昭和五一年一月になつて東京家庭裁判所に対し認知無効確認の審判を申し立て、昭和五一年五月一八日認知無効の審判が確定し戸籍が抹消されるに至つた。この間、尾木は、昭和五〇年一二月三〇日原告廣治の姉である川北みよ子方に居を移し、右審判確定後川北方から住所を移転した。

15 別居後、被告なみ子は、原告廣治を相手どり東京家庭裁判所に対し夫婦関係調整の調停を申し立てたが、右調停は昭和五一年八月二四日不調に終つた。このため、原告廣治は、被告なみ子との離婚を求めて乙号事件を提起したどころ、同女も反訴として同じく離婚を求めて丙号事件を提起するに至つた。

以上の事実が認められ<る。>

二<省略>

三次に、原告廣治及び被告なみ子の各離婚請求について検討する。

前記認定の事実によれば、原告廣治と被告なみ子は、昭和五〇年一一月二四日以来今日に至るまで約四年半に渡たつて別居状態にあり、かつ右両名は互いに本訴、反訴をもつて離婚を求めているのであるから、右両名の婚姻関係は既に破綻し、かつ回復の可能性はないといえる。

そこで、右両名の婚姻関係が破綻するに至つた責任の所在について検討するに、原告廣治は、被告なみ子の弟である文一が原告廣治が経営する川北設備を退社し独立して仕事を始めたことに不満を抱き、文一に対し種々の要求を出したため、同人との間に諍いが生じ、やがて三鷹の建物の所有をめぐつて被告なみ子の実家と対立するようになつた。このために原告廣治と被告なみ子との間にも諍いが生じ、原告廣治は、被告なみ子が少しでも実家に同調する態度を示すと暴力を振つたことから、同女は、やがて右暴力に耐え切れず家を出たため、原告廣治と被告なみ子の婚姻関係は破綻の危機に直面するに至つたところ、その後、被告なみ子と同相沢との不貞関係が露見したため、右両名の婚姻関係は完全に破綻するに至つたものである。してみると、被告なみ子が被告相沢と肉体関係を持つに至つたことが、原告廣治と被告なみ子との婚姻関係の破綻につき重要な一因となつたことは明らかであるが、他方、右両名が別居するに至つた直接の原因は、むしろ、原告廣治と被告なみ子の実家との財産上の紛争に際し、原告廣治が自己への同調を求めるために被告なみ子に対し再三暴力を振うなどしたことによるものであり、かつ、原告廣治も先に認定の事実関係に徴すると、尾木との不貞行為の存在につき強い疑いがもたれるなどの点を勘案すると、右両名は、婚姻破綻につき各々同程度の責任があるものというべきである。

したがつて、民法七七〇条一項五号に基づく原告廣治、被告なみ子の各離婚請求はそれぞれ理由がある。

四そこで、原告廣治、被告なみ子との間の二男惣弘の親権者について考えるに、前記認定の事実によれば、惣弘は、右両親の別居後は専ら被告なみ子のもとで生活してきたことが認められ、右生活環境につきさしたる問題もないことからすると、原告廣治、被告なみ子間の二男惣弘の親権者は母である被告なみ子と定めるのが相当である。

五次に、原告廣治及び被告なみ子の各慰藉料請求について検討するに前記判示のとおり右両名の婚姻関係が破綻するに至つた責任は双方が同程度に負担すべきものと認められるから、原告廣治の被告なみ子に対する慰藉料請求及び被告なみ子の原告廣治に対する慰藉料請求は、いずれも理由がない。

(牧山市治 古川行男 滝澤雄次)

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