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東京地方裁判所 昭和51年(ヨ)8676号 判決 1978年8月17日

債権者

有限会社後藤製材所

右代表者

後藤芳則

右訴訟代理人

仲武雄

外四名

債務者

右代表者

瀬戸山三男

右指定代理人

藤村啓

外二名

主文

債権者の本件仮処分申請をいずれも却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  債権者

1  主位的申請の趣旨

債務者は、別紙物件目録記載の土地内において、債権者が同土地内においてする立木の伐採及び搬出行為一切を妨害してはならない。

2  予備的申請の趣旨

債務者は、別紙物件目録記載の土地内に立ち入り、同土地内の立木の伐採、搬出その他一切の処分行為を為したり、又は第三者をして以上の各行為をなさしめてはならない。

債権者の委任する大分地方裁判所の執行官は右の事項を公示するため適当な方法をとらなければならない。

二  債務者

主文同旨。

第二  当事者の主張

一  申請の理由

1  被保全権利

(一) 大分県大分郡野津原町大字入蔵字浅内一七六六番の土地(以下旧一七六六番の土地という。)はもと同郡野津原村大字野津原と同村大字入蔵小字吉熊両部落の共有地であつたが、昭和二二年七月五日野津原村(その後町村合併で野津原町と改称)の所有となり、同町は昭和三四年五月二七日右土地を一七六六番の一ないし四の四筆に分筆した。

このうち同番の三原野四四、六二七平方メートル、及び同番の四山林四四、六二七平方メートル(以下両者あわせて一七六六番三、四の土地という。)の所有権は転々譲渡され、債権者は右三、四の土地につき昭和五〇年二月一三日各共有持分二分の一を持分権者申請外清本国義から、同年八月二三日各持分二分の一を同申請外亜聯産業株式会社から、それぞれ売買により取得し、よつて、右各土地全部につき所有権を取得した。

(二) 別紙物件目録(別紙図面(一))記載の土地(以下本件係争地という。)は、右一七六六番三、四の現地に該当する。

すなわち、大分地方法務局植田出張所保管にかかる字図(以下本件字図という。)によれば、旧一七六六番の土地が本件係争土地を含んでいたことが明らかであり、前記分筆により旧一七六六番の土地のうち本件係争土地が、一七六六番の三及び四となつたのである。

なお本件係争土地は、債務者が浅内国有林と主張する別紙図面(二)の斜線部分に包まれ、その一部である。

2  保全の必要性

(一) 債権者は肩書地に事務所と工場を有する資本金一五〇万円、従業員三七名の有限会社で、原木の購入、木材の製材、加工、販売をその事業内容としているところ、本件係争土地上の立木の伐採を企画して右土地を購入したのであるが、昭和五〇年中頃より運転資金が枯渇し、同五一年一〇月五日には手形不渡を出すにいたつたうえ、売上げも激減しており、資金繰りのため早急に本件係争土地上の立木を伐採、換金しなければ、倒産が必至である。

(二) 本件係争土地上には檜を主体とし、杉、松その他の立木が密生しているが、その大部分を占める檜は明治四二年頃植林されたもので樹令は六七年を超えている。

しかるところ、森林法に基づき定立される地域森林計画に定められた本件係争土地付近の樹種別の標準伐期齢は、杉三五年、檜四〇年、松三五年などとなつており、本件係争土地上の立木の樹令は、これをはるかに越えているし、また右計画において定められた「老齢過熟林等の理由により伐採を促進すべき林分」にも該当するものであり、従つて本件係争土地上の立木は早急に伐採しなければ価値が低減する。

さらに、都道府県知事は森林所有者に対し標準伐採期齢を著しく越えた森林の伐採を促進するために施業の勧告をすることが認められる(森林法九条、地域森林計画に係る施業の指導及び勧告の実施について―昭和三七・一一・一七・三七林野計一六五〇号)ことに照らしても、本件係争土地上の立木は早急に伐採する必要がある。

(三) しかるに債務者は本件係争土地が国有林であると主張して、債権者の同地上立木の伐採を拒否しているから、債権者が同地上の立木を伐採しようとすれば、これを妨害するおそれがあるし、また将来債務者自ら又は第三者をして右立木の伐採、搬出を実行するおそれがある。

(四) よつて、債権者は本件係争土地所有権に基づき債務者に対し所有権確認、妨害予防請求の本案訴訟を提起すべく準備中であるが、右判決の確定を待つていては、前記の事情により重大な損害を蒙るおそれがあるので、前記主位的及び予備的申請の趣旨のとおりの仮処分を求める必要がある<以下、事実省略>

理由

一申請の理由1(一)の事実は当事者間に争いがない。

二境界査定処分の存在

債権者は本件係争土地が旧一七六六番の一部であつて現在の同番の三、四の現地に該る旨主張するところ、債務者はこれを争うとともに、本件係争土地がもと旧一七六六番の現地に該当すると否とにかかわらず、明治三九年三月になされた境界査定処分によつて、旧一七六六番の土地の国有地たる浅内国有林(一七五八番の一)との境界が確定され、これによれば本件係争土地は同国有林の一部であると抗弁するので、まず右抗弁について判断する。

1  国有林野法(明治三二法律第八五号)に基づく境界査定処分の手続は、権限ある官庁は予め期日を定めて隣接地所有者に通告し、その立会を求め(同法四条一項)たうえ、査定官吏が予定期日に境界の調査、測定をし、境界を内部的に査定決定して、査定を終了した後直ちに隣接地所有者に通告(同法五条)してこれをなすべく、そして隣接地所有者は境界査定に不服がある時は、右通告を受けた日より六〇日以内に行政裁判所に出訴することができる(同法七条)ものとされている。

しかるところ、<証拠>によれば、次の事実を一応認めることができ、<る。>。

境界査定官吏黒木市蔵は、現在の浅内国有林を含む野津原村大字入蔵字鍋ノ山、浅内、カウ平、日方山所在の国有原野について右国有林野法に基づく境界査宗処分を実施するため、明治三八年六月二九日から同年七月一一日にかけて現地に臨んで右国有林野と隣接非国有地との境界の測定を実施した。旧一七六六番の土地も右国有原野と境界を接しており、その間の境界査定もなされたが、旧一七六六番の土地は前示のとおり当時野津原村大字野津原と同村大字入蔵字吉熊両部落の共有地であつて、野津原村長がその管理者であつたところ、右現地測定に先立ち同年六月二八日野津原村長職務管掌田坂義直宛にその立会通告書が交付された。

同査定官史は右測定の結果に基づき境界査定図を作成したうえ、同年一〇月一〇日付で熊本大林区署長に対し境界査定承認伺を提出し、同大字区署は右査定に関する一件書類を調査したうえ右査定図どおりこれを承認することとし、明治三九年三月一七日同査定官吏に対しその旨通告するとともに、右国有原野を管轄する大分小林区署長に対し林業課長名をもつて、隣接地所有者から閲覧申請のあつた場合にはこれを閲覧させるため境界査定図二葉を送付する旨通知し、さらに右同日野津原村長工藤茂宛に査定が終了した旨の通告書を配達証明郵便をもつて発送した。

右査定処分に対し所定の出訴期間内に何人からも不服の申立てはなく、同処分は確定した。

右査定処分によれば、右国有原野と旧一七六六番の土地との境界は別紙図面(二)記載の95点から106点を順次結ぶ線とされ、よつて、同図面斜線部分に含まれる本件係争土地は国有地とされた(本件係争土地が同図面斜線部分に含まれることは当事者間に争いがない。なお別紙図面(一)の1点は図面(二)の55点と同一地点である。)。

2 右境界査定処分は、ただ単に国有林野と隣接地との境界を調査するだけでなく、国が行政権の作用により一方的に国有林野とそれ以外の土地との境界を審査決定する行政処分であり、処分がなされると、当該処分が取消され若しくは無効である場合を除き、国有林野との境界は処分内容どおり確定され、これにより国の所有に属する地域が決定されるものである。従つて、右認定の本件境界査定処分により、旧一七六六番の土地と浅内国有林との境界は右処分どおり確定し、本件係争土地は国有地(現在の一七五八番一)に属するとされたことになる。

三本件境界査定処分の効力

債権者は本件境界査定処分には重大な瑕疵があり、同処分は無効であると主張するので、その点について判断する。

1  立会通告について

(一)  <証拠>によれば、本件境界査定処分の立会通告は、明治三八年六月二八日、野津原村長職務管掌大分郡書記田坂義直に対してなされ、同人は右同日立会通告書の領収証及び立会請書を境界査定官吏黒木市蔵宛提出したことが明らかであるところ、債権者は、右田坂義直は、右当時、野津原村長職務管掌の地位になく、立会通告を受領する権限がなかつたから、本件立会通告は無効である旨主張している。

<証拠>によれば、債権者の主張に副う事情として以下の事実を一応認めることができる。

(1) 当時、町村長の職務管掌の任命権者は知事であつたところ、大分県においては、明治五年頃以降知事の発令した辞令を発令順に記載した辞令留が保存されているが、右辞令留には、田坂義直に対し野津原村長職務管掌の発令があつたとの記載はないこと

(2) 野津原村の村長、同職務管掌、助役等の職員の氏名および在職期間を記載した同村職員録には、田坂について、明治四〇年四月一日より同年七月二六日までの間、村長職務管掌の地位にあつたとの記載はあるが、本件立会通告のなされた明治三八年六月当時、同人が村長職務管掌の地位にあつたとの記載はないこと

(二) しかしながら、

(1)  <証拠>によれば、現在の大分県辞令留は、人事管理上絶対的なものとして作成されているが、明治二〇年代及び三〇年代の辞令留については、相当過去のものであり、かつその作成の根拠となつた資料も不明であるため、如何なる範囲の人事が記載の対象となつたのか、また記載の対象となつた人事は漏れなく記載されているのかは必ずしも明らかでないことが一応認められる。

そして、<証拠>によれば、辞令書の明治二七年の分には、村長職務管掌の発令が相当数記載されているが、明治二七年一〇月一三日以降、就中明治三八年分の辞令留には、村長職務管掌の発令の記載は一切存しないことが一応認められるのであるが、明治二七年一〇月一三日以降、大分県において村長の職務管掌を命ずる必要が一切なかつたとは考え難いところであり、現に前述のとおり野津原村職員録には、明治四〇年四月一日から同年七月二六日までの間、田坂義直が職務管掌の地位にあつた旨記載されており、<証拠>によれば、右期間中大分郡長から同人宛に認可書が発行され、あるいは同人名において大分県知事宛に条例許可稟請書を提出するなど、同人が現実に村長の職務を行つていたことが一応認められる(これらによれば右期間中同人は同村長職務管掌の地位にあつたと推認すべきである。)のに、辞令留には、同人に対する職務管掌の発令の記載はないのである。

してみると、辞令留に職務管掌の発令の記載がないからといつて、必ずしもその発令自体がなかつたものと断ずることはできない。

(2)  一方、<証拠>によれば、野津原村では、明治三八年六月一日に高屋柴喜が任期満了で村長を退任した後、同年七月一七日に工藤茂が村長に就任するまでの間、村長および助役が存在せず、同期間中、村長の職務を行う者を任命する必要があつたことが一応認められる。そして<証拠>によれば、田坂義直は右期間中大分郡書記の地位にあつたが、<証拠>によると、村長職務管掌に任ぜられているのはいずれも郡書記であり、また同人が前述のようにその後野津原村長職務管掌に任ぜられたことがあることを合わせ考えると、田坂義直が前記の期間中、野津原村長職務管掌に任命されていたと考えることは、十分に合理性がある。

(3)  また、<証拠>によれば、本件境界査定に際し浅内国有林の隣接地の管理者の一人である諏訪村長立川正幹より「野津原村長職務管掌大分郡書記田坂義直」に対し、境界査定立会等の権限を委任する旨の委任状が作成されているが、村長として自己の村の重大な利害にかかわる境界査定の立会等を委任するに際しては、相手方たる田坂の地位権限を確認した上で委任したものと推認される。

右のような諸事情を総合考慮すると、(一)で認定した事実から、田坂義直が村長職務管掌の地位になく、立会通告を受領する権限がなかつたと推認することはできない。

(三)  なお、<証拠>によれば、昭和三七年当時の野津原町長は、田坂義直宛の本件立会通告書の引継ぎを受けておらず、また野津原村役場で右通告を受領したとの証拠書類も現存しないことが一応認められるけれども、本件立会通告がなされてから五〇年以上を経過していることに加えて、立会通告書の性質上立会の指定日時経過後これを保存しておく必要性は高くないことを合わせ考えれば、右の事実をもつて、債権者主張事実を推認すべき資料とみることはとうていできない。

また、<証拠>によれば、立会通告書の領収証および立会請書には、田坂義直と署名され「坂」の字が「阪」と誤記されているが、右事実から推認し得るのは、右署名は本人以外の者によつてなされたであろうことに留まり、右事実を田坂が職務管掌の地位になかつたことを推認する資料とみることはできない(村長職務管掌者が領収証、請書等を提出する場合に部下に代筆させることは十分あり得ることである。)。

<証拠判断・略>

2  査定通告について

(一) 本件境界査定処分が終了した旨の通告が、明治三九年三月一七日野津原村長工藤茂宛に配達証明郵便をもつて発せられたことは前認定のとおりであるところ、債権者は、工藤茂は同年三月一〇日で村長を退任しており、しかも右通告は、同人の自宅に送達されたものであるから、査定通告は無効であると主張する。そして、<証拠>によれば、工藤茂は明治三九年三月一〇日をもつて野津原村長を退任していること、昭和三七年当時の野津原町長は本件査定通告書の引継ぎを受けておらず、また野津原村役場において右通告書を受領した旨の証拠書類は現存しないことが一応認められる。

しかし、<証拠>によれば、右査定通告書を送付した配達証明郵便の差出人は熊本大林区署、受取人住所氏名は「大分郡野津原村村長工藤茂」と記載されていたのであり、同郵便が工藤茂個人宛のものではなく、野津原村長なる官職にある者にあてて出された公文書であることが明らかに看取し得るのであるから、このような文書は、名宛人として氏名を記載された者が退職した後であつても、当該官公署に送達され、当該官公署においても、その後任者もしくは職務代行者<証拠>によれば当時助役として橋本重三郎が存在していたことが認められる。)においてこれを受領し、処理するのが通例であるところ、右文書が右工藤個人の自宅に送達されたと窺える証拠はない。また査定通告書は、その性質上長期間保存の必要性が高いものとは考えられないから、その当時から五〇年以上を経過した昭和三七年の時点で右右通告書受領に関する証拠書類が現存せず、町長がその引継ぎを受けなかつたことは、何らあやしむに足りないというべきである。

よつて、前記事実をもつて、本件査定通告が有効になされなかつたことを推認することはとうていできないし、<証拠判断・略>かえつて同通告書は有効に送達されたものと一応認めることができるというべきである。

(二)  なお債権者は、右通告の際境界査定図の送付がなかつたことも、右立会通告及び査定通告の無効と相まつて本件境界査定処分手続上重大な違法事由となる旨主張するが、右各通告が有効になされなかつたと認めることはできない以上、右主張はその前提を欠くし、そもそも同法五条の通告の際査定図を送付することは同法の規定上も要求されていない(右境界査定図の謄本の閲覧請求があれば、その都度供閲せしめる建前になつていた)のであるから、債権者の右主張はこれを採用し得ない。

3  右に述べたとおり、本件境界査定処分に関する立会通告及び査定通告の無効事由はこれを認めえないのであるが、さらに付言すれば、本件境界査定処分に対し法の定める出訴期間中に何人からも不服申立てのなかつたことは前認定のとおりであるうえ、<証拠>によれば、同処分後浅内国有林につき国有林野事業としての境界上の防火線の設置、土塁の構築等がなされ、そして明治四二年頃から同国有林全般に植林が開始され、以来本件係争土地は国有林の一部として管理されてきたものであつて(本件係争土地上の立木のほとんどは右により植林、管理されて生育したものである。)、地元住民にとつて本件係争土地が国有林として管理されていることは容易に知りうる状態であつたのに、昭和三七年に当時の一七六六番三、四の土地所有者から訴訟(大分地方裁判所昭和三七年(ワ)第六二号)が提起されるまでの五〇年以上にわたり本件係争土地が国有地でない旨の申立てが一切なされず、かえつてこれを国有林として管理するに必要な地元民の協力も得られてきたことが一応認められるのであり、右1、2に判断したところに右事情を綜合して考えると、本件査定処分は、有効な手続を経、地元民の実質的了解のもとになされたものと推認するのが相当というべきである。

4  非国有地間を査定したとの主張について

債権者は、本件境界査定処分は、本件係争土地と、その南側安藤村(現在大野郡大野町大字安藤)及びその北側一七六六番二の土地(当時旧一七六六番地の土地の一部)との境界をそれぞれ査定しているが、以上の三つの土地は当時いずれも非国有地であつたから、右境界査定処分は非国有地と非国有地との境界を査定したものであり、無効であると主張する。

しかし、旧一七六六番の土地と一七五八番一(浅内国有林)とが本件境界査定処分前においても境界を接していたことは当事者間に争いがなく、本件境界査定処分は、右一七五八番一の土地の範囲を別紙図面(二)斜線部分のとおりであると査定した結果、旧一七六六番の土地の範囲は右斜線部分土地に接してその北側に限定され本件係争土地は右一七五八番一の一部とされたのであるから、本件境界査定処分は国有地と非国有地の境界を査定したものであることは明らかであつて、債権者の主張は採用の限りでない。

四以上のとおり、本件境界査定処分を無効とする債権者の主張はいずれも採用することができず、従つて本件係争土地は債権者の所有と認めることができないから、その余の点を判断するまでもなく、債権者の本件申請は、被保全権利の疎明がないものというべくまた、本件においては、保証を立てさせてその疎明に代えるのも相当でない。

よつて、本件仮処分申請はいずれもこれを却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(濱崎恭生 房村精一 大竹たかし)

物件目録、図面(一)および(二)<省略>

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