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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)10868号 判決 1978年3月30日

原告(反訴被告) 乙山咲子

右訴訟代理人弁護士 吉永順作

被告(反訴原告) 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 松井一彦

同 市野澤邦夫

主文

一  本訴

1  別紙物件目録記載の建物は持分原告(反訴被告)一二分の七、被告(反訴原告)一二分の五の共有であることを確認する。

2  右建物はこれを競売に付し、その代金から競売費用を控除した金額を分割し、原告(反訴被告)に一二分の七、被告(反訴原告)に一二分の五の割合で配当することを命ずる。

3  原告(反訴被告)の右建物の共有持分確認請求のうちその余の請求及び別紙物件目録記載の土地の共有持分確認の請求をいずれも棄却し、右土地の共有物分割の訴を却下する。

二  反訴

1  反訴被告(本訴原告)は反訴原告(本訴被告)に対し、別紙物件目録記載の土地について、東京法務局世田谷出張所昭和二八年一〇月三〇日受付第二一二〇五号の所有権一部移転登記及び同出張所昭和四九年一二月二三日受付第四五八〇六号の共有者甲野花子の持分全部移転登記の各抹消登記手続をせよ。

2  反訴被告(本訴原告)は反訴原告(本訴被告)に対し、別紙物件目録記載の建物について、所有権持分一二分の一の移転登記手続をせよ。

三  訴訟費用

訴訟費用は本訴、反訴を通じてこれを一〇分し、その九を原告(反訴被告)の負担とし、その余を被告(反訴原告)の負担とする。

事実

Ⅰ  本訴

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1 別紙物件目録記載の土地(以下、本件土地という。)は、原告と被告の各持分二分の一ずつの共有であることを確認する。

2 本件土地を東西の線をもって平等に二分し、南側の部分を原告に引渡す。

3 別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という。)は、持分原告三分の二、被告三分の一の共有であることを確認する。

4 本件建物を東西の線をもって南側二、北側一の割合に分割し、南側三分の二の部分を原告に引渡す。

5 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1 本件土地は、昭和二四年ごろ、原、被告の母親である亡甲野花子(以下、花子という。)が国から払下を受けたものである。

その代金は年賦によって支払い、支払完了と同時に昭和二八年一〇月二一日払下による所有権移転登記を経たものである。

花子は一応払下の名義を被告としたが、実際払下を受けたのは母花子であり、花子の所有に属していたのである。なお花子はいったん被告の所有名義に登記をしたが、将来被告が妻帯してその嫁との間に問題が生ずるのをおそれて、払下の登記をした一週間後の一〇月三〇日には持分二分の一について花子名義に持分移転登記をした。

2 別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という。)は、原告、被告及び花子の各持分三分の一ずつの共有であった。なお本件建物は原、被告の父親亡甲野太郎の所有であったが、原告、被告及び花子が昭和二二年五月に相続し、相続後約三〇年を経過しているから、遺産性は失われ、通常の共有となっていたものである。

3 花子は昭和三八年四月一七日作成された公正証書遺言により、本件土地の持分二分の一及び本件建物の持分三分の一を原告に遺贈したが、花子は昭和四九年九月一五日死亡した。

4 したがって原告は本件土地の持分二分の一、本件建物の持分三分の二を有し、被告はその残りの持分を有している。

5 よって原告は本件土地、建物について共有持分の確認と共有物の分割を求める。分割の方法としては本件土地、建物の現況からして請求の趣旨どおりの分割が妥当である。

二  請求原因に対する答弁

1 請求原因1項のうち、原告主張の登記がされていることは認めるが、その余は否認する。

本件土地は被告が昭和二八年三月二七日国から払下を受け同年一〇月二一日所有権移転登記を了したものであり、被告の所有に属する。

ところが被告の知らないうちにその僅か九日後である同年一〇月三〇日、持分二分の一が花子に贈与された旨の登記が経由されており、被告はこのことを昭和五〇年二月ごろ原告からの手紙で初めて知った。この登記は花子が被告不知の間に保管中の登記済権利証を利用して勝手に行ったものである。

被告への所有権移転登記は当時同居していた花子に委任して行い、以後登記済権利証等は花子が保管していたが、昭和四六年ごろ被告は花子から「会社に保管しておくように」といわれ、以来被告の勤務先のロッカーに保管しておいた。

なお生前花子は被告に対し、前記贈与登記について一言も触れたことはなく、公正証書遺言についても同様であって、かえって昭和四八年ごろには「私を扶養してくれたのだから財産は全部お前にやるが妹(原告)にも一〇〇〇万円か一五〇〇万円やれ」という趣旨の話をしていた位である。

2 同2、3項は認める。ただし、本件建物はいまだ遺産の状態であって、通常の共有ではない。

三  抗弁

1 花子の原告に対する本件建物の持分三分の一の遺贈は、被告の遺留分を侵害しているので、被告は原告に対し、昭和五〇年七月一五日ごろ到達の書面で持分一二分の一につき、遺留分減殺請求の意思表示をした。

2 したがって花子の持分のうち一二分の一は被告に帰属しているものである。

四  抗弁に対する答弁

1 抗弁1項は認める。

2 しかし、被告の遺留分減殺請求権は時効によって消滅している。

Ⅱ  反訴

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1 主文二の1、2項同旨

2 反訴の訴訟費用は反訴被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 反訴原告の反訴請求を棄却する。

2 反訴の訴訟費用は反訴原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1 本訴において述べたとおり本件土地は反訴原告の所有に属する。

2 しかるに本件土地について東京法務局世田谷出張所昭和二八年一〇月三〇日受付第二一二〇五号の花子のための所有権一部移転登記及び同出張所昭和四九年一二月二三日受付第四五八〇六号の反訴被告のための共有者甲野花子の持分全部移転登記がそれぞれされている。

3 また本訴で述べたとおり、本件建物のうち花子の持分三分の一のうち一二分の一は反訴原告に帰属しているものである。

4 よって反訴原告は反訴被告に対し、本件土地についての前記各登記の抹消登記手続及び本件建物についての所有権持分一二分の一の移転登記手続を求める。

二  請求原因に対する答弁

本訴において述べたとおりである。

Ⅲ  証拠《省略》

理由

一  本件土地が国から払下げられたものであることは当事者間に争いがない。そこで右払下を受けて本件土地の所有権を取得したのは花子であるかそれとも被告(反訴原告、以下単に被告という。)であるかを判断する。

1  本件土地について、昭和二八年一〇月二一日被告のために所有権移転登記がされ、次いで同月三〇日、同日の贈与を原因として花子のために持分二分の一について所有権移転登記がされていることは当事者間に争いがない。

2  成立に争いのない乙第二号証によれば、国との間の昭和二六年六月二五日付国有財産売買契約書の買受人の氏名は被告とされていることが認められる。

3  原告(反訴被告、以下単に原告という。)と被告の各本人尋問の結果によれば、本件土地の払下に関する一切の手続を担当したのは原、被告の母親である花子であって、右乙第二号証の売買契約書の被告の氏名等の記載も花子の筆跡であること、払下後も本件土地の登記済権利証、右売買契約書及び売買代金の領収証書等は昭和四五、六年以降花子から頼まれて被告が勤務先のロッカーに保管するようになるまで花子が保管していたこと、本件建物の登記済権利証の保管の状況も同様であることが認められる。

なお、右各本人尋問の結果によれば、昭和二六年の本件土地の払下当時、原、被告の父親甲野太郎は既に死亡しており(昭和二二年五月に死亡)、昭和六年ごろに買取った本件土地上の本件建物に原告、被告及び花子が居住していたこと、被告は昭和二三年三月に大学を卒業して以来池貝鉄工株式会社に勤務し、原告は昭和二二年三月ごろから通産省に勤務していた(昭和二七年一二月まで)ことが認められる。

4  《証拠省略》によれば、本件土地の代金は四万九九八七円、その納期限は昭和二六年七月三〇日と定められていたが、右代金は約定の納期限に支払われず、昭和二八年三月二七日に至って四万九八七円を支払って完済となったこと、そのため昭和二八年八月六日、主管の関東財務局に対し土地貸付料として七八五二円を支払ったことが認められる。

右の売買代金を誰が負担したかについて、原告は次のとおり供述している。すなわち、右代金は父親の退職金、保険金、恩給等によって賄われたものであり、それによって不足があったとすれば、原告が昭和二七年一二月に通産省を退職した際の特別退職金約四万円、原告が昭和二八年一、二月ごろに受取った結納金三万円、結婚後原告が夫と住むために本件建物に一部屋増築する資金として夫が送付してきた一五万円等のうちから支払われたものと思われる。被告が当時勤務していた池貝鉄工株式会社は給料の遅配、欠配が続いており、被告からの金員は売買代金のうちに入っていない。

これに対して被告は次のとおり述べている。すなわち、父親は昭和二一年三月に逓信省を退職したが、そのころの一家の経済状態は悪かった。池貝鉄工株式会社から受取る被告の給与は昭和二三年四月ごろは月額二三〇〇円位、昭和二七年ごろは月額七〇〇〇円位であって、そのほかに昭和二三年四月ごろから約五年間家庭教師のアルバイトをして一か月一五〇〇円ないし三〇〇〇円の収入を得ていたが、これら給与、アルバイト料のほとんどは母親に渡していた。父親の遺族扶助料は昭和二八年ごろ年間六〇〇〇円位であった。

右のような原、被告の各供述のうち、いずれが真実であるかを検討する。

《証拠省略》によれば、原、被告の父親は昭和二一年三月三〇日逓信省を退職し、その際退職特別賜金九八七二円及び特別手当五五八〇円を支給されていることが認められる。そして右の金額に徴すればこれらの金員が昭和二六年ないし二八年ごろまで残存していたものとは考えられない。

また、娘(原告)の結納金や娘が結婚後居住するための部屋の増築資金を母親が他の目的に流用するということはにわかに首肯し難いことである。

これに対し、被告が勤務のかたわらアルバイトをして多額のアルバイト料を得ていたというのは疑問をはさむ余地があるが、《証拠省略》によれば、被告が勤務先の池貝鉄工株式会社から受取った給料総支給額は昭和二三年度分が一一万七九六五円、二四年度分が一二万七二五九円、二五年度分が一四万三四八四円、二六年度分が一九万九六三〇円、二七年度分が二一万六〇〇四円、二八年度分が二五万六〇八二円であることが認められ、被告の供述するとおりかなりの高額である。

一方、《証拠省略》によれば、原、被告の父親の遺族扶助料(受給権者は花子)も被告の供述するほど低額ではなく、昭和二二年六月から二三年九月まで年額六〇〇円、二三年一〇月から二四年一二月まで年額九七四四円、二五年一月から同年一二月まで年額一万九八三九円、二六年一月から同年九月まで年額二万七一四四円、同年一〇月から二七年一二月まで年額三万三六四〇円、二八年一月から同年九月まで年額四万一二九六円であることが認められ、数年間の支給額を合算すれば、本件土地の払下代金を支払うことは不可能ではない。

以上の検討の結果によれば、本件土地の払下代金は被告の給与によって賄われた可能性が最も大きいこと、少なくとも代金の相当部分は被告の給与によって支払われたものであることが推測し得るが、払下代金の負担者を明白に確定するのは困難である。すなわち、その納期限を二年近く徒過した後にようやく支払っている(そのためその間の土地貸付料の支払を余儀なくされている。)ことから考えると、当時一家の生活には経済的余裕はなく、各種の収入を二年近くかかって貯え、これによって売買代金の支払を了したものと推認するのがおそらく妥当であろう。

結局売買代金を出捐した者を確定することはできないのであって、この点は払下を受けた者を決定する確実な根拠とすることはできない。

5  《証拠省略》によれば、本件土地の固定資産税の支払手続を担当していたのは、昭和三六年に被告が結婚するまでは花子であり、その後は被告の妻であることが認められる。そして、これを出捐していた者が誰かについては証拠上明らかではないが、花子に何らかの収入があったことを窺わせる証拠はないから(もっとも、前記のとおり遺族扶助料を受領していたことはある。)、右税金を実際に負担していたのは一家の生活を担っていた被告であるものと推測される。

6  《証拠省略》によれば、昭和四八年四月一七日に作成された花子の遺言公正証書には、「遺言者は本件土地の二分の一に該る自己持分全部を長女乙山咲子(原告)に遺贈する」と記載されていることが認められる。すなわち、本件土地全部が花子の所有であるとは記載されていない。

7  以上認定の事実に基づいて、本件土地の払下を受けた当事者が誰であるとみるのが相当であるか検討することにする。

まず、払下の事務手続を担当したのは花子であるが、当時被告は勤務の身であって、時間的余裕があったものとは思われないし、このような事務手続の代行を子が同居している母親に依頼するということも十分あり得ることであるから、この点はそれ程重視することはできない。

登記済権利証はいわば所有権を化体したものであって、その所持者はその物件の所有者であるとの推定が一応成立し得るであろう。しかし花子は本件土地の権利証のみならず、花子、原告及び被告の三名共有にかかる本件建物の権利証もともに保管しているのであって、本件土地の権利証を所持しているからといって直ちに花子がその所有者であると推定するのは疑問である。

またそもそも被告と花子は親子であって、しかも同居しているのであるから、花子が被告に本件土地の権利証を渡さずにみずから保管していたからといって不思議ではない。結局本件においては権利証を保管していたという事実は必ずしも権利者を推認する根拠にはなり得ない。

昭和三八年に作成された花子の遺言公正証書には、「本件土地の二分の一に該る自己持分」と明記されているから、花子はこの時点でこのように考えていたものと推測することができる。もっとも、真実は自分が権利を有してはいないのに、そのような主張をすることはあり得ることであるから、右の遺言公正証書の記載から少くとも本件土地の持分二分の一は花子に属するものであったと断定することはできない。そして、この遺言公正証書が被告の関与のもとに作成されたものであるならば、その記載は極めて重要であるが、《証拠省略》によれば、原告は右公正証書が作成されることを知っていたが、被告は全く知らなかったことが認められる。

要するにこの時点でこのような内容の公正証書が作成された事情、理由が明らかにならない限り、確定的な推認はできないのであるが、この点に関する原告本人の供述(この二年前に被告が結婚したが、花子と被告の妻とは折合いが悪く、被告の妻には財産を全部は渡したくないと考えたことと、本件土地の持分二分の一は被告名義になっているのに、原告の持分はなく、花子が死亡した場合に原告が相続できないことになる事態にならないようにという理由で遺言書を作成したと供述している。)も十分納得できるものではなく、この遺言書が作成された背景は必ずしも明らかではない。また、二分の一が自己の持分であるとしているのは、当時登記名義がそのようになっていたことと関連があると思われるが、なぜ二分の一だけが自己の所有であるというのか明らかではない。

このようにみてくると、結局のところ被告に対し所有権移転登記がされていること、売買契約書の買受人が被告とされていることを最も重視せざるを得ない。本件土地の払下を受けた者を認定するに当たって、これらが最も有力な根拠であることはいうまでもない。ことに本件建物が昭和二四年に相続分に応じて花子、原告及び被告の共有として保存登記がされていること(《証拠省略》により認められる。)と対比すると、本件土地の所有権移転登記が被告名義でされていることには特別の意味合い(すなわち本件土地は被告の単独所有であるという)があったものと考えられる。

もっとも真実は親の所有であるが便宜その登記名義だけを子のものにするということは珍しいことではない。ことに長男の名義にしておくというのは十分あり得ることである。しかも本件においては被告へ移転登記をした直後に贈与を原因として持分二分の一について花子に移転登記をしている。そして《証拠省略》によれば、このことについて被告は花子から全く相談を受けていないことが認められる。したがって、このように花子が一存で自己名義に移転登記をしていることからすると、もともと被告名義にしたのは形式上、便宜上のものであって、真実は花子の所有であったとの推測ができない訳ではない。

しかし、前記認定の事実によれば、当時一家の生計を支えていたのは被告であったことを否定することはできない。したがって、被告への移転登記、契約書の名義は実体を反映するものであった(したがって花子は勝手に名義だけを移転した)と推認するのが相当である。右に述べたような事実だけでは、登記の推定力を覆すには十分ではない。

なお被告がこのような登記を知りながら放置しておいたとすれば、本件土地を被告が買受けたものであるという点に疑問をはさむ余地があるが、《証拠省略》によれば、被告は本件土地の持分二分の一について花子に所有権移転登記がされていることを昭和五〇年二月に原告からの手紙によって初めて知ったことが認められる。

以上のとおり、本件土地は被告が国から払下を受けたものであると認められる。

二  本件土地の持分二分の一について被告主張のような登記がされていることは当事者間に争いがなく、右に述べたところによれば、原告はこれら各登記を抹消すべき義務がある。

三  本件建物がもと亡甲野太郎の所有であって、昭和二二年五月同人の死亡により原告、被告及び花子が各相続分三分の一の割合で相続したこと、花子は昭和三八年四月一七日作成の遺言公正証書により右の自己持分三分の一を原告に遺贈し、花子が昭和四九年九月一五日死亡したことにより、昭和四九年一二月二三日右遺贈を原因とする花子の持分全部移転登記がされたこと、被告が原告に対し昭和五〇年七月一五日ごろ到達の書面で本件建物の持分一二分の一(被告の遺留分)の限度で右遺贈の減殺を請求したことは当事者間に争いがない。

原告は右減殺請求権は時効によって消滅していると主張するが、《証拠省略》によれば、被告が右遺贈があったことを知ったのは昭和五〇年二月であることが認められ、被告の減殺請求権の行使はその時から一年内にされているから原告の右主張は理由がない。

したがって原告は被告に対し本件建物の持分一二分の一について所有権移転登記手続をする義務がある。

四  以上述べたところによれば、本件建物は原告の持分一二分の七、被告の持分一二分の五による共有であることになる。

そして原告は本件建物の共有物分割を請求しているところ、もともと本件建物は亡太郎の遺産であり、昭和二二年五月原告、被告及び花子が共同相続したものであるが、花子の死亡した昭和四九年九月当時も本件建物はなお遺産分割がされていない状態であったとみるのは相当ではない。遺産分割の方法として、相続財産を相続人の共有にするという分割も許されることはいうまでもない。そしてこの場合の共有は通常の共有であり、民法二四九条ないし二六二条の適用があり、その後の分割は遺産分割ではなく、単なる共有物の分割である。

本件建物は相続後三〇年近い年月を経ているのであるから、少くとも暗黙のうちにこれを通常の共有にするという方法で分割するという相続人全員の意思の合致があったものと推認し得るのであって、既にこのような形の遺産分割の協議がされていたものと解される。したがって本件建物の分割は、遺産分割についての民法九〇七条所定の手続による必要はない。

なお亡花子の持分三分の一が花子の遺産であることは明らかであるが、右持分は遺贈によって花子の死亡と同時にその相続財産から離脱し、遺産分割の対象から逸出するものと解すべきであるから、受遺者がその遺贈を受けた持分権に基づいてする分割手続を遺産分割審判としてしなければならないものではない。このことは、本件のように受遺者がたまたま共同相続人の一人であった場合でも同様であると解される(受遺者が包括受遺者である場合は別である。)。したがって、花子の持分三分の一は遺留分減殺の結果、原告一二分の三、被告一二分の一の割合に分割されることになるが、この分割手続も共有物分割訴訟をもって相当とすべきである。

ところで本件建物は一棟の建物であって、区分所有の対象になるものであることを認めるに足りる証拠はないから、現物をもって分割することは不可能であるものと認められる。したがって当裁判所はその競売を命ずることとする。

五  以上のとおり、原告の本訴請求のうち、本件建物の共有持分確認の訴は原告一二分の七、被告一二分の五とする限度で理由があるからこれを認容して、その競売を命じ、その余の請求は理由がないから棄却または却下することとし(本件土地の共有物分割の訴は、原告はその共有者ではないから不適法である。)、被告の反訴請求はすべて理由があるから認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 矢崎秀一)

<以下省略>

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