東京地方裁判所 昭和51年(ワ)1485号 判決
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【判旨】
一被告が昭和二五年八月二七日に原告から原告所有地のうちの東側の土地を五〇坪の約定で賃借してその引渡しを受けたこと、被告がその後に本件土地とその東側隣接地とにまたがつて被告所有建物を建築し、現在本件土地上に本件建物部分を所有していること、原告が昭和四三年三月に本件土地の西側の原告所有地上に原告所有建物の建築を始めたこと、被告が原告を債務者とし、本件土地の外に本件係争地も賃借地であると主張して、建築中の原告所有建物につき建築工事及び使用の禁止の仮処分を申請した(東京北簡易裁判所同年(ト)第一七号事件)こと、同年五月一三日にその旨の仮処分命令を得て直ちにその執行をしたこと、被告が原告に対して原告所有建物の取壊し・撤去を求める本案訴訟を提起した(同裁判所同年(ハ)第一二〇号事件)こと、そこで、原告が同裁判所同年(ト)第一七号事件につき仮処分異議を申し立てた(同裁判所同年(サ)第三八五号事件)が、右仮処分命令が認可されたので、控訴した(東京地方裁判所昭和五四年(レ)第一四号事件)ところ、原判決を取り消し、右仮処分命令を取り消して被告の右仮処分申請を却下する旨の判決がされて、右判決が昭和四七年一一月に確定したこと、また、東京北簡易裁判所昭和四三年(ハ)第一二〇号事件でも被告の請求は棄却され、被告が控訴した(東京地方裁判所昭和四七年(レ)第一三二号事件)が、控訴棄却の判決がされて、右判決が昭和五一年一月七日に確定したことは、いずれも当事者間に争いがない。
二右によると、被告は、仮処分の申請をし、その命令を得てこれを執行するとともに、本案訴訟を提起したが、仮処分異議においてその仮処分命令が取り消され、また、本案訴訟においても敗訴して、それらの判決が確定したわけであるから、被告は、実体法上何らの権利がないのに、仮処分の申請とその命令の執行及び本案訴訟の提起に始まる抗争を違法に継続したことになる。
そこで、右違法抗争について被告に故意又は過失があつたかどうかについて検討するに、これは、結局、本件係争地が被告の賃借地に含まれていないことについて被告に故意又は過失があつたかどうかということに帰着する。
まず、契約書上の借地面積が五〇坪で、被告が賃借開始の昭和二五年八月以降五〇坪の割合による地代しか支払つてきていないことは当事者間に争いがないが、<証拠>を総合すると、原・被告間の賃貸借契約においては、測量について全く経験のない原告が賃貸に際して大工の使用する尺棒と巻尺とを使用して五〇坪を測量しただけで、それ以降も専門家による測量をしたことがないこと、被告は賃借して間もなく原告から示された本件借地境上に板塀を設置したが、昭和三一年に被告の建物を増築した際にその板塀が撤去されて再築されなかつたこと、原告が賃貸の際あるいは右板塀撤去の際に本件借地境の両端に入れたと主張する境界石は長年にわたつてその所在が確認されず、本案訴訟の第一審における現場検証の際(昭和四六年五月一七日)にようやくその北側の境界石が確認されたこと、したがつて、被告は賃借地は正確に五〇坪ではなくて約五〇坪であると考えていた上に、右板塀撤去後は本件借地境を示す表章が存在しなくなり、約定の五〇坪の範囲を専門家の測量によつて確認する作業も行われなかつたので、被告は原告の主張する別紙図面のNo.3とNo.6の各点を直線で結んだ線までが五〇坪であることを知らなかつたことが認められる。
また、被告が当初東京地方裁判所に仮処分申請を行い、その後東京北簡易裁判所に同趣旨の仮処分申請を行つたこと及び東京地方裁判所への仮処分申請が却下されたことはいずれも当事者間に争いがないが、<証拠>によると、東京北簡易裁判所への仮処分申請は、東京地方裁判所へのそれが事物管轄を間違つていたので、それを取り下げる前提の下に行つたものであること、ところが、その取下げを失念していたため、被告が東京北簡易裁判所から仮処分命令を得てその執行をした後に、東京地方裁判所から仮処分申請を却下されたことが認められ<る。>
したがつて、契約書上の借地面積が五〇坪で、被告がその割合による地代しか支払つてきていないことや当初の仮処分申請が却下されたことから被告の故意を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。
しかしながら、一般に、仮処分命令が異議若しくは上訴手続において取り消され、あるいは本案訴訟において原告敗訴の判決が言い渡されて、それらの判決が確定した場合には、他に特段の事情のない限り、右仮処分申請人において過失があつたものと推定するのが相当であるところ、本件においては、被告の申請した仮処分命令が仮処分異議の控訴審において取り消され、本案訴訟においても被告の請求が棄却されて、ともにその判決が確定したことは、前記のとおり当事者間に争いがないから、被告には過失があつたものと推定されるというべきである。
三そこで、次に、本件において右特段の事情、すなわち被告が仮処分申請の挙に出るについて相当な事由があつたかどうかについて検討する。
1 まず、<証拠>を総合すると、原告所有建物建築当時、その西側には十分な広さの敷地が存在していたので、原告は、被告所有建物にわざわざ近接させて原告所有建物を建築する必要がなかつたのに、被告所有建物に対して日照・通風等の障害が及ぶことを認識しながら、あえて、その東側の壁面が被告所有建物の西側外壁から三五ないし四五センチメートルしか離れていない距離に、その樋や屋根自体が被告所有建物の屋根の下に食い込むような状態で原告所有建物を建築したこと、その結果、原告所有建物によつて被告所有建物の窓が塞がれて日照・通風が妨けられ、雨水が吹き込む状態となつて、被告所有建物自体及びその居住者の生活利益に重大な損害が生じるようになつたこと、ところが、原告は、原告所有建物を被告所有建物に近接して建築することによつて、いかに被告所有建物及びその居住者の生活利益に損害が生じようとも、建築基準法にかなつてさえいれば、自己の所有地上のどこに建物を建築しようが自由であるとして、右建築をするについて事前に被告に話をすることをしなかつたばかりか、被告所有建物の居住者や被告からの建築の変更ないし中止要請に対して全く耳をかそうとしなかつたこと、そのため、当初は、弁護士の助言に従つて、近所のことでもあるので、できるだけ話合いで解決しようと努力していた被告も、前記のような損害が生ずるを防止するため、巳むなく法的手段をとらざるを得なかつたことが認められ<る。>
右によると、被告の仮処分申請に始まる抗争は、原告が被告に自己の主張する線を本件借地境と承認させようとして自己中心的な行為に出たので、被告自身のみならず被告所有建物の居住者の利益を守るために巳むなく行つたものであるということができる。
2 次に、<証拠>によれば、本件借地境の位置に関し、仮処分異議の第一審判決は被告所有建物の西側外壁から約九〇センチメートル西側の線と推認したのに対し、その控訴審判決は被告所有建物の西側外壁に沿つた線と認定し、また、本案訴訟の第一審判決も右仮処分異議の控訴審判決と同じ認定をしたが、その控訴審判決は被告所有建物の西側外壁から少なくとも一五センチメートル西側の線と認定したことが認められる。
右のように各裁判所の認定が分かれたことが示すように、本件借地境の位置がどこであるかは極めて微妙な問題であつて、本件係争地が被告の賃借地の範囲に含まれるか否かは一義的に明白なことではなかつたということができる。
3 さらに、<証拠>を総合すると、
(一) 被告は、昭和二九年九月ころ、賃借地の北西隅に前記板塀から若干東側に離して冷蔵庫を建築し、板塀と冷蔵庫との間を壊れた干網の置場として使用したこと、そして、昭和三〇年ころ、冷蔵庫の東西に各三本ずつ計六本の柱を建てて「おかぐら」にして屋根を取り付け、昭和三一年にその西側の柱の上に下見板を張り、その上にモルタルを塗つて、その延長線上に煎餅工場を増築し、その際、前記のとおり板塀を撤去したこと、その後、昭和三五年に右工場を賃借地の南西隅まで再度増築して被告所有建物の外形を完成し、これを昭和四二年に内部改造して一階を貸倉庫、二階を共同住宅としたこと、
(二) 被告は、昭和三一年に煎餅工場を増築した際、本件係争地に上・下水道管を敷設し、さらに、右工場内でボイラーを使用するために、煙突を被告所有建物の西側外壁から二尺位突き出した上、垂直に立ち上げて、本件係争地を煙突や排水の掃除等に使用していたこと、
(三) 以上の被告による増改築及び本件係争地の使用に対し、原告は、全く異議を述べたことがないばかりか、むしろ、右増改築のための仕事場として被告の賃借地の西側の原告所有地を被告に使用させる等の便宜も供与して、その都度被告の建物の完成と事業の発展を祝していたこと、
(四) 他方、原告は、昭和三七年に被告の賃借地の西側の原告所有地の南東隅に花園荘と称する二階建の共同住宅を被告の煎餅工場に接近して建築したが、その際には、花園荘の東側外壁が右工場の西側外壁から六尺離れるようにした上、花園荘寄りの三尺の部分のみコンクリートを打つて舗装したこと、
(五) ところが、昭和四二年の右内部改造の後、被告が被告所有建物の西側外壁にガン吹きするために原告に対して原告所有地を使用させてくれるよう要請したところ、原告がこれを拒否して、初めて被告所有建物が本件借地境を越境していると言い出したこと、そこで、測量士によつて測量をしてみたところ、原告が正確だと主張していた区画整理図が現況の一致していなかつた上に、原告が原告所有地側から測量することを拒否してこれに協力しなかつたため、十分な測量をすることができなかつたこと、
以上の事実を認めることができる。
右認定事実に、前記二において認定した事実(素人の原告が五〇坪を測量したので、被告は賃借地を約五〇坪と考えていたこと及び板塀撤去後本件借地境を示す表章がなくなり、専門家による測量も行われなかつたので、被告は五〇坪の範囲が正確にどこまでであるかを知らなかつたこと)を考え併せると、被告が本件係争地も賃借地の範囲に含まれると考えていたことは無理からぬことであつたということができる。
4 以上の1ないし3を総合すれば、本件においては被告が仮処分申請の挙に出て、その後の抗争をするについて相当な事由があつたというべきであるから、仮処分命令が取り消され、本案訴訟で被告が敗訴したという一事から直ちに被告に過失があつたとすることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。
四そうすると、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求のうち不法行為による損害賠償請求は理由がないというべきである。
(伊藤博 宮﨑公男 原優)