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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)1806号 判決 1979年7月09日

原告 金子清栄 ほか一名

被告 国

代理人 藤村啓 永田英男 ほか五名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事  実<省略>

理由

一  請求原因1の事実は、原告らと昌孝との身分関係を除き当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、原告らが昌孝の父母である事実を認めることができる。

二1  請求原因2(一)の事実及び同(二)の事実のうち、事故機が青森県下北郡川内町大字川内字曽古部山の山林に墜落したこと、昌孝が死亡したこと、は当事者間に争いがない。

2  <証拠略>によれば、事故機は、本件事故発生の当日、中原虎彦二等空尉の搭乗する一番機と共に二機編隊を組み、訓練予定経路のうち北海道松前上空から青森県の八戸基地へ戻る最終経路を飛行中、悪気流のため高度を三万四〇〇〇フイートから約三万二〇〇〇フイートに下げて水平飛行に移つてから約三、四分後の同日午後六時四二分ころ、大湊サイトから二六八度の方向二二マイル、高度約三万二〇〇〇フイートの地点にさしかかつた際、それまでの間、正規に編隊を組み、一番機の右側について飛行していた事故機が急に高度を下げつつ一番機の下方を通り左側に離れていつたので、これに気づいた右中原が直ちに事故機を追尾しながら無線で昌孝に機首を上げるべき旨を繰返し呼びかけたにもかかわらず、何の応答もなく航法灯を点灯したまま翼を若干左に傾けながら降下を続け、高度約一万九〇〇〇フイートの雲中に姿を消した事実を認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

次に、<証拠略>に弁論の全趣旨を総合すると、事故発生後、右中原は、直ちに大湊サイト、八戸管制塔及びモビールコントロールに対し「緊急状態、救難頼む。」を連絡し、その後八戸基地に基地救難用意及び捜索救難用意が発令され、救難捜索隊が現場附近に急行し、捜索を開始した結果、昭和四一年三月一一日青森県下北郡川内町大字川内字曽古部山国有林一番地一号において事故機の破片の一部が発見され、次いで同月一三日左右主翼等が、同月一八日遺体を含む機体中央部がそれぞれ発見されたこと、航空自衛隊航空事故調査委員会は、同月一三日から約一週間にわたり、事故調査委員一等空佐以下操縦、整備、技術、医学等の専門家一一名をして現地調査をなさしめたが、その結果、事故機の主翼と尾翼は、多くの断片となり、約五〇〇メートルにわたる広い円形上の範囲内に散布し、細かい破片、部品、帽子などはそれから約一〇〇〇メートルほど難れたところで発見されたが、胴体は主翼部分の散布地点からやや離れたところで発見され、その周辺の樹木に損傷がみられず、かつ胴体にも損壊はなかつたところから、胴体は、ほとんど自由落下に近い状態で落下したものと考えられ、又、昌孝は、事故機の機体の座席房から半身を乗り出したような姿勢で発見され、左前腕の離断のほかには、衣類の著しい破損も、一見してわかるような大きな損傷も認められず、頭部及び顔面にも大きな損傷はなかつたが、耳介の損傷、頸椎の脱臼骨折があり、更に、ヘルメツトは、主翼部分と同じ地域で発見され、本体及びバイザーに大きな損壊はなかつたが、バイザーが異常な力で転位したと思われる痕跡があり、ヘルメツトの後面に多数の細かい塗料の剥奪があるところから、昌孝の致命傷は前方に向つての頸椎の脱臼骨折であると認められたこと、事故機には、空中での火災・爆発が生じた痕跡は全くなく、エンジン系の計器からは空中分解の直前までエンジンはほぼ正常の作動状態であつたものと推定されたが、事故機のGメーターは、正方向にはプラス一〇・一の最高値を、負方向にはマイナス〇・五を示していたこと、右の昌孝の死因、機体の破壊状況、機体破片の散布状況等からして、事故機は高度約二五〇〇フイート(地表から約一〇〇〇フイート)において空中分解したものであり、その原因としては、事故機が地表面に衝突するのを回避しようとして、操縦者である昌孝が意識的に急激な引きおこし操作を実施したことによつて、機体にその構造強度を超えるプラス一〇G以上の荷重が加わつたことが推定され、それ程の低高度まで事故機が降下した理由として昌孝の意識喪失が推定されることが考えられたことが認められる。<証拠略>の死亡診断書には、昌孝の直接死因が頭蓋底骨折である旨の記載があるが、右記載は、<証拠略>に徴し、たやすく措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上認定事実によれば、昌孝は、事故機を高度三万四〇〇〇フイートから三万二〇〇〇フイートに降下させて水平飛行に移つてから三、四分後に意識を失つたこと、又、昌孝が意識を回復して高度回復操作を実施しようとしたこと及びその時の高度はせいぜい二千数百フイートにすぎないものであることを推認することができる。

三  昌孝が、本件事故当時航空自衛隊所属の自衛官であつたこと及び事故機が航空自衛隊所属のジエツト戦闘機であることは当事者間に争いがないから、被告は、昌孝に対し、本件の飛行訓練のため昌孝が操縦した事故機の設置管理にあたつて、昌孝の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負つているものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五〇年二月二五日判決民集二九巻二号一四三頁参照)。そして、右安全配慮義務の具体的内容は、それが問題となる当該具体的状況により異なるべきものであるところ、原告らは、「事故機の酸素供給装置に欠陥が存し、同機が陸奥湾上空約三万二〇〇〇フイートの地点を飛行中右装置に何らかの異常を来したため、同機を操縦していた昌孝が、低酸素症に陥り、意識を喪失した結果、本件事故が発生した。」と主張するので、以下、本件事故機の酸素供給装置を中心に、同機の設置管理において、被告に安全配慮義務の懈怠があつたか否かについて検討する。

1  <証拠略>によれば、一般に、高度約一万フイートまでの上空においては、人体は低酸素の影響をほとんど受けることはなく、通常は酸素を吸わなくてもさしつかえないが、更に高度が上昇するにつれ低酸素の影響が種々の症状となつて現れ、個人差や体調又は機内の温度等の具体的状況による多少の相違は存するが、通常であれば、一万三〇〇〇ないし一万二〇〇〇フイートの高度においては、酸素量の不足が体内の代償作用で補われるため、五分ないし一〇分という短時間であれば特に酸素の吸入をしなくとも身体に異常はなく、二〇分ないし三〇分という長時間右の高度にさらされた場合はじめて疲労や睡気等の自覚症状が現れ、高度一万八〇〇〇フイート以上になると、意識の混濁が起り遂には意識を喪失するに至る事実が認められる。

2  ところで、<証拠略>によれば、本件のように、飛行中操縦者が急に意識を喪失する原因としては、低酸素症に限らず、例えば一過性の低血圧症、一過性の高度な貧血、何らかの心臓疾患及び癲癇の小発作なども、一応考えられることが認められる。しかして<証拠略>によれば、本件の飛行訓練実施中、編隊長として二番機である事故機を操縦していた昌孝に対し、飛行高度を変更する場合などはその都度無線により指示を送る等の連絡をとつていたこと、これに対する昌孝の応答については、同機が編隊を離脱するまで中原は、特に異常な様子は見られなかつたこと、右中原の操縦機の機内圧は、同機の与圧装置により高度三万二〇〇〇フイートを飛行する場合には高度一万三〇〇〇ないし一万二〇〇〇フイートの状態になるよう調整されており、かつ編隊長である右中原から昌孝に対して事故機の機内圧が右中原機と同様となるよう与圧装置を調整することを指示してあつたことが認められ、事故機の与圧装置に何らかの異常があつたものと認めるべき証拠は何もないから、昌孝が先に認定のとおりその間に意識を失つたと思われる飛行時間帯において、事故機の機内圧は高度一万三〇〇〇ないし一万二〇〇〇フイートの状態にあつたものと推認することができる。

3  してみれば、昌孝が高度三万二〇〇〇フイートで意識を喪失したことが低酸素症によるものであるとは断じ難いというほかない。

もつとも、<証拠略>を総合すると、本件事故後に原因究明のため設けられた前示の調査団による調査の一環として昌孝の遺体の解剖が行なわれ、その際、遺体の脳の各部分から採取した組織について乳酸の含有量を測定したところ、脳組織一〇〇グラムあたり最高二〇一、七ミリグラムから最低一二〇、七ミリグラムまでの範囲に属する乳酸値が得られたこと、一般に乳酸は個体の体内において糖分が炭酸ガスと水に分解する過程の中間において産出されるものであるが、その分解の過程における酸素の供給量と産出される乳酸の量については、前者が十分であると後者は相対的に少なく、逆に前者が不足すると後者は相対的に増加するという相関関係が存すること、従つて個体に低酸素症が発生すると脳の乳酸値は相対的に上昇することの各事実が認められるところ、証人田中一朗は、昌孝の遺体の脳組織に含まれていた乳酸量が正常値に比較して若干高く、昌孝において低酸素症が発生したことを断定はできないがこれを一応疑わしめるものである旨供述しているが、他方、<証拠略>によれば、医学上低酸素症の発生を疑わせる脳内乳酸値の基準は平均して脳組織一〇〇グラムあたり二〇〇ミリグラムであり、低酸素症が発生していないと思われる通常の死体における脳内乳酸値は脳組織一〇〇グラムあたり一〇〇ミリグラムないし二〇〇ミリグラムであることが認められ、この事実に照らすと先の田中証人の供述は必ずしも採用し難い。また、<証拠略>によれば、個体の脳内乳酸値変動の要因は酸素供給量に限定されないこと、死体の脳内乳酸値については、一般に死亡後の時間の経過によつて増加する傾向があること、本件事故の発生した日から昌孝の遺体が検索されるまで約八日間が経過していたことの各事実が認められ、これらの事実をも総合して判断すると、仮に昌孝の遺体の脳の乳酸値が低酸素症の発生していない通常の死体のそれに比して若干高いものであると評価できたとしても、それをもつて、直ちに昌孝において低酸素症が発生していたとの事実を推認することはできないものと言わざるを得ない。そして、他に原告主張事実を認めるに足る証拠もない。

4  そして、<証拠略>を総合すると、本件事故機に搭載されていた酸素供給装置は、概ね酸素ボンベ、レギユレーター及び酸素マスクから成り、右ボンベから金属性チユーブを通じて送られる酸素は、レギユレーターによりその供給量を調節されたうえ、酸素マスクを介して操縦者の鼻口部に送られる構造になつており、レギユレーターには酸素圧及び酸素流出量を指示する計器がついていたこと、訓練飛行を実施する際は、操縦者が最終的に搭乗機の整備状況を点検し、異常がないことを確認した趣旨で当該文書にサインしたうえでなければ離陸することができないが、右の点検の箇所には酸素供給装置も含まれており、具体的には操縦者が着用したヘルメツトに右装置を接合してマスクを鼻口部にあて、酸素の流出状況、レギユレーターの作動状況を確認するという方法がとられていること、マスクを通じて送られる酸素が何らかの理由により不足を来す場合は、操縦者は右の酸素流出量を指示する計器によつて認識することができるほかその吸入の感覚によつても容易にこれを察知できるものであること、本件の訓練飛行中、編隊長であつた中原は昌孝に対し数度酸素供給関係も含め諸計器の点検を指示したが、その際の昌孝の応答には特に異常を訴えるものは存しなかつたこと、本件事故の後、回収された事故機のレギユレーター、チユーブ・ホース並びに酸素マスクについて前示の事故原因究明のための調査団が機能検査を実施したところ特に異常は認められなかつたことの各事実が認められ、以上の事実を総合すると、結局、事故機の酸素供給装置に欠陥が存したとの事実は認め難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。又、他に被告が本件事故機の設置管理に関して安全配慮義務を怠つたことを認めるに足りる証拠はない。

四  請求原因4の事実のうち、事故機が航空自衛隊第八一航空隊所属のジエツト戦闘機であることは当事者間に争いがないが、本件事故機の酸素供給装置に欠陥が存した事実並びに同機の飛行中右装置に異常が生じたとの事実については前説示のとおりいずれもこれを認めることができず、他に同機の設置又は管理について何らかの瑕疵が存したことを認めるに足りる証拠はない。

五  ところで、原告は、本件訴訟において、本件事故に関して航空自衛隊航空事故調査委員会が作成した航空事故調査報告書について、文書の趣旨として、「事故機の飛行計画、右計画実行に至る経過、飛行時の飛行状況、本件事故の発生経過及び結果などについて、右事故原因究明のために総合的に調査をとげた結果を記載した文書である」旨を、証すべき事実として、「事故機の機体及び酸素供給系統の機器に管理上の瑕疵が存在した事実」をそれぞれ主張して、民事訴訟法第三一二条第一号、第三号前、後段による文書提出命令の申立をなし(当庁昭和五二年(モ)第一八〇四七号、東京高等裁判所昭和五三年(ラ)第四四五号)、当裁判所は、昭和五四年五月七日の本件第一四回口頭弁論期日において、右申立を理由があると認めて右命令を発付したが、被告がこれに従わないことは本件記録上明らかである。しかしながら、被告が右文書を提出しない効果は単にその記載内容についての原告の主張を真実と認め得るにすぎないものであるところ、原告は、右文書の記載内容について、前記「文書の趣旨」のとおり主張するにすぎず、本件事故の原因に関する調査結果の具体的記載内容を主張しないが、<証拠略>によれば、右航空事故調査報告書には、事故の概要、事故の原因(主因、副因)、事故防止に関する意見の記載のあるほか、事故に関する詳細を記載した航空事故現地調査報告書が添付されていることが認められるものの、<証拠略>によれば、右航空事故調査報告書には、原告主張のような事故機の機体及び酸素供給系統の機器に管理上の瑕疵が存在した事実、更には本件事故が、昌孝が低酸素症に罹患したことを原因として発生した事実を窺わしめる記載のないことが明かであるから、被告が右文書を提出しなかつた一事をもつて、事故機の機体及び酸素供給系統の機器に管理上の瑕疵が存在したとの原告主張事実を肯認する資料とすることはできないというべきである。

六  結論

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山口繁 遠藤賢治 三代川三千代)

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