東京地方裁判所 昭和51年(ワ)1806号 決定 1978年4月28日
原告
金子清栄
外一名
右原告ら訴訟代理人
井上恵文
外四名
被告
国
右代表者
瀬戸山三男
右指定代理人
藤村啓
外六名
主文
本件申立を却下する。
理由
第一原告らの申立
一文書の表示
昭和四一年三月一〇日、青森県下北郡川内町大字川内字曽古部山付近の山林に航空自衛隊八戸基地第八一航空隊所属のF八六Fジエツト戦闘機(以下「本件事故機」という。)が墜落した事故(以下「本件事故」という。)について航空自衛隊航空事故調査委員会が作成した航空事故報告書(以下「本件文書」という。)
二文書の趣旨
本件事故機の飛行計画、右計画実行に至る経過、飛行時の飛行状況、本件事故の発生経過及び結果などについて、右事故原因究明のために総合的に調査をとげた結果を記載した文書である。
三文書の所持者
被告(保管場所は、東京都港区赤坂九丁目七番四五号防衛庁航空幕僚監部)
四証すべき事実
本件事故機の機体及び酸素供給系統の機器に管理上の瑕疵が存在した事実
五文書提出義務の原因
1 (民訴法三一二条一号)
被告は、その準備書面(一)(昭和五一年七月五日付)、同(二)(同年一〇月一八日付)において、(イ)本件事故機の飛行計画の内容、(ロ)事故発生までの飛行状況、(ハ)事故発生時の状況、(二)事故の推定原因の諸点について詳細に主張しているが、右主張は、本件文書の内容に依拠してなされたものであることは明白であり、被告は本件文書を訴訟において引用したものと認めるべきである。従つて、被告は、民訴法三一二条一号に基づいて本件文書を提出する義務がある。
2 (民訴法三一二条三号前段)
本件文書の趣旨は前記のとおりであるから、右文書は、本件事故機の機体の瑕疵の存否及びこれについての被告の管理上の責任の有無について触れているはずであるが、右内容中には被告の安全配慮義務違反を立証すべき原告らにとつて利益となる部分がありうるので、本件文書は挙証者の利益のために作成された文書であると認められる。従つて、被告は、民訴法三一二条三号前段に基づいて本件文書を提出する義務がある。
3 (民訴法三一二条後段)
法律関係につき作成された文書とは、法律関係に関係ある事項を記載した文書であればよいと解されるところ、前記の趣旨からして、事故原因の調査結果をまとめた本件文書は、本件事故による原告らと被告との間に生じた被告の安全配慮義務違反に基づく法律関係に関係のある具体的事項が記載されていることは明白である。従つて、被告は、民訴法三一二条三号後段に基づき本件文書を提出する義務がある。
4 (必要性)
本件文書は、本件事故発生直後の時点において、事故現場の調査もふまえ、関係者の記憶も鮮明なうちに、純粋に事故原因の究明を目的として、事故の概要、発生原因等について詳細な調査分析をした結果が記載されたものであり、その詳細さ及び客観的正確さにおいて他の証拠による代替を許さない極めて重要な証拠資料である。
ところで、原告らは、本件訴訟において、本件事故は本件事故機の酸素供給系統の瑕疵により発生したものであると主張し、今後さらに同機の他の機体の瑕疵についても主張を補充する予定であるが、右の点を立証するには、本件事故機の事前点検、本件訓練飛行の状況、事故発生状況、墜落現場付近の状況、墜落機機体の破壊状況、同機の計器その他機器類の状況等の諸点について、極力客観性のある証拠資料によることが不可欠であり、本件事故の如く事故に遭遇した原告側の当事者が死亡しており、立証の大半を被告である国側の書証、人証等に依拠せざるをえない事件においては、本件文書を証拠資料として使用する必要性は一層重大である。
5 (被告の信義則上の義務)
被告は、訴訟当事者となつた場合においても、信義則上国として公的立場を考慮して訴訟活動を行うべきであり、本件のような事件においては真実究明に役立つ資料は卒先して法廷に顕出し、被告に損害賠償義務があるか否かについて十分な資料に基づく裁判所の公権的判断を求めなければならない。しかも、本件文書は、その主要な記載事項と思われる本件飛行の目的、使用された航空機、事故発生場所、推定事故原因等の諸点のいずれをとつてみても、これを訴訟において公表されても何ら国家利益、公共の福祉を侵害するものではないことは明白であるから、被告は本件事故発生の原因を明確にするために、本件文書を提出する義務がある。
第二被告の意見
一(「証スヘキ事実」について)
文書提出命令の申立において明らかにすることを要する「証スヘキ事実」とは、具体的な事実すなわち本件に即していえば瑕疵の具体的な内容である事実であると解すべきところ、原告らが本件申立において「証すべき事実」として主張するところのものは一定の法的評価にすぎず、右のような具体的事実とはいえないから、原告らは本件申立においていまだ「証すべき事実」を明らかにしていないというべきであり、結局原告らの本件申立は不適法なものとして却下されるべきである。
二(本件文書が民訴法三一二条一号に該当するとの主張に対して)
被告は、原告らが主張する被告の準備書面(一)、(二)においてはもとより、その他の主張においても、本件文書の存在に言及しその内容を引用したことはない。仮に被告の主張に本件文書の内容と共通する部分があつたとしても、被告が本件文書の存在に言及したものでない以上、「引用」があつたとはいえない。
三(本件文書が民訴法三一二条三号前段に該当するとの主張に対し)
民訴法三一二条三号前段の「挙証者ノ利益ノ為ニ作成」された文書とは、挙証者の利益のためにのみ作成された文書であることまでは要しなくても、少なくとも挙証者の地位、権利ないし権限を証明し、またはそれを基礎づける目的をもつて作成された文書(たとえば、契約書、同意書、委任状、身分証明書等)であることを要するが、本件文書は、如何なる意味においても挙証者の地位、権利を証明あるいは基礎づける目的をもつて作成されたものではないから、民訴法三一二条三号前段の文書に該当しないことは明らかである。
四(本件文書が民訴法三一二条三号後段に該当するとの主張に対し)
民訴法三一二条三号後段の「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成」された文書とは、法律関係それ自体を記載した文書ばかりではなくその法律関係に関係のある事項を記載した文書であればよいと解されるが、法律関係に関係のある事項を記載した文書であればすべてこれに該当すると解すべきではなく、その文書が当該法律関係に関して作成された(すなわち文書作成の段階において、挙証者との間の法律関係が前提として存在し、これに関連して当該文書が作成された)ものであることを要し、たまたま作成された文書の内容が当該法律関係に関連するというだけでは足りないと解すべきである。ところで本件文書は、航空事故の発生に際し、防衛庁長官の発する訓令により「自衛隊における航空事故の発生を未然に防止するに必要な資料を得るために」航空事故の発生情況及び事故原因を調査し、その結果を航空幕僚長に報告すべく作成されるものであつて、専ら航空自衛隊の内部の必要から、その目的に使用するために作成された自己使用のための文書であり、事故の被害者との法律関係を念頭においたものではなく、ましてその遺族と被告との法律関係を前提として作成されたものではないし、また右法律関係についての調査も要求されていなければ、記載も要求されていないのであるから、結局本件文書は民訴法三一二条三号後段の文書に該当しないことは明らかである。
五(必要性について)
本件事故の態様、原因については、当事者間に争いないところが多く、また争点については本件文書を提出するまでもなく、証人尋問によつて十分な立証が可能である。また本件文書は、将来の航空事故防止という目的の下に、考えられる限りのあらゆる原因を推定して作成されるものであつて、証拠資料としては必ずしも適切なものであるとはいい難いから、被告が右文書を提出する必要性はない。
六(本件文書の公共性)
航空事故の調査には民間人を含めた多数の関係者の協力が必要であり、これなくしては事故の真相を把握し難い場合が多いが、右関係者に真実の供述をさせるためには、それによつて後に自ら不利益を受けることがあつてはならず、右供述が公表されることに対する不安があつてはならない。もし本件文書が訴訟等の副次的な目的に使用されることになると、航空自衛隊において今後の事故防止対策のための有力な調査方法である右関係者の供述を得るのが困難となり、ひいては今後の事故に伴う人的、物的損害防止という重大な国家的利益を失うことになるのは必至である。
第三当裁判所の判断
一本件記載によれば、本件文書は、後記三に示した航空事故調査報告書であり、被告がこれを所持していることが認められる。
二(本件訴訟の争点)
本件記録によると、本件訴訟において原告らは、その四男である亡金子昌孝一等空曹が、昭和四一年三月一〇日、飛行隊長から命令され局地有視界飛行方式による夜間編隊航法訓練に参加し、本件事故機を操縦して飛行中、墜落して死亡したものであるところ、本件事故は、被告が右事故機の設置管理にあたつて、いわゆる公務員に対する安全配慮義務を懈怠して、酸素供給系統等機体に欠陥のある右事故機を亡金子一等空曹に使用させた結果発生したものであるから、被告には右事故により亡金子一等空曹に対して生じた損害をその遺族である原告らに対し賠償する義務がある旨主張し、これに対して被告は原告ら主張の右事故原因及び被告の責任を争つているので、被告が右事故機の設置管理につき安全配慮義務を懈怠したか否かが本件訴訟の主たる争点であることが明白である。
三(本件文書の性質)
航空自衛隊において航空事故が発生した場合の事故調査について、航空事故調査及び報告等に関する訓令(昭和三〇年五月二六日防衛庁訓令第三五号)、航空事故及び地上事故の調査及び報告に関する達(昭和四六年三月一五日航空自衛隊達第九号)は、次のとおり規定している。すなわち、航空幕僚長は、航空事故について行う調査を補佐させるため、航空幕僚監部に航空事故調査委員会を常置し(同訓令五条一項、同達九条)、同委員会は、航空幕僚監部監察官の職にある隊員をもつてあてられる委員長、航空幕僚監部その他の一定の職にある隊員をもつてあてられる委員、航空幕僚長、航空総司令官等が指定する隊員をもつてあてられる副委員(原則として、飛行運用幕僚又は操縦幹部、整備幕僚又は航空機整備幹部、技術行政幕僚幹部、医官の特技を有する隊員を含ませる。)及び航空医学実験隊長が所属する衛生職域幹部及び心理幹部の特技を有する隊員等から選定し航空幕僚長の承認を得て指定される専門委員をもつて組織され(同達一〇条、一一条)、委員のうち事故発生部隊等の区分に従い定められる担任委員は、その必要と認める副委員及び委員長の必要と認める専門委員に補佐せしめて現地調査をなしたうえ、一定の様式の現地調査書を作成してこれを委員長に提出し(同達一二条、一四条、一八条)、委員長は、右現地調査書に基づき委員会を開催して審議し、一定の様式の航空事故調査報告書(事故発生部隊等名、事故の種別、事故機の機種・機番、操縦者及び事故関係者、事故発生の日時・場所及び天候、飛行方式・任務別区分、事故発生の時期、事故の型態種類、航空機の損壊等、事故の経過概要、調査分析、事故の原因、事故防止に関する意見が記載事項とされている。)を作成し、現地調査書を添えて事故発生の日から九〇日以内に航空幕僚長に提出し、(同訓令六条、同達一三条、二一条)、航空事故調査報告書は航空事故の実態を明らかにし、航空事故の防止に資することを目的とするものであつて航空事故に関する隊員の責任を究明することを目的とするものではない(同訓令八条)。
本件記録によれば、本件文書提出命令申立の対象である本件文書は、本件事故につき右手続方法に基づき右目的のため航空事故調査委員会が右各記載事項を記載して作成し航空幕僚長に提出した航空事故調査報告書であることが認められる。
四原告らは、本件文書が民訴法三一二条一号、三号前段及び同後段の文書に該当する旨主張しているので、これにつき順次検討を加える。
1 民訴法三一二条一号の文書に該当するとの主張について
民訴法三一二条一号の「当事者カ訴訟ニ於テ引用」した文書とは、当事者がその訴訟の口頭弁論等においてその存在に言及して自己の主張の根拠ないし補助とした文書をいうものと解すべきである。本件記録中の被告の主張を精査しても、その主張中に、被告が本件文書の存在に言及して自己の主張の根拠ないし補助とした点は見受けられないので、本件文書が民訴法三一二条一号の文書に該当しないことは明らかである。
2 民訴法三一二条三号前段の文書に該当するとの主張について
民訴法三一二条三号前段の「挙証者ノ利益ノ為ニ作成」された文書とは、その文書により挙証者の地位、権利もしくは権限が直接明らかにされるものと解すべきであるが、前記本件文書の性質に照らし、本件文書により原告らの地位、権利もしくは権限が直接明らかにされるものとは認められないので、本件文書は民訴法三一二条三号前段の文書に該当しない。
3 民訴法三一二条三号後段の文書に該当するとの主張について
民訴法三一二条三号後段の「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法関係ニ付作成」された文書の解釈として、法律関係それ自体を記載した文書ばかりでなく、その法律関係に関係のある事項を記載した文書も含まれるとする見解が見られるが、右の法律関係に「関係のある事項」という表現はあいまいであるといわざるをえない。法律関係「ニ付」の文言を正視すれば、まず、その文書によつて法律関係の発生、消滅又は法律関係の内容、効力を直接に証明することができる。そのような文書がこれに該ることは疑いないし、次に、法律関係の成立過程においてその成立を目的として作成された文書及び法律関係の成立後ないしは消滅後において成立ないしは消滅を前提として作成されたものであつて、法律関係の発生、消滅又は法律関係の内容、効力を間接に証明することができる、そのような文書もこれに該ると解することができるが、法律関係と右のような関連をもたない文書は、たまたまそれが法律関係に事実上、立証上なんらかの関係があるというだけでは法律関係につき作成された文書とは認めがたいというべきである。そして、法律関係につき作成されたというためには、文書が法律関係の当事者たる挙証者と所持者との間で作成されたか、一方当事者から他方当事者に対するものとして作成されたかのいずれかでなければならないのは理の当然である。
ところで、本件文書は前記認定のとおり、航空事故が発生した後において、現地調査の結果に基づき、航空幕僚監部に常置されている航空事故調査委員会が審議して作成するものであるが、そのことから明らかなように、本件文書は、航空事故という法律関係を生ぜしめる事象を客観的な存在として措定し、これを事故とは無関係の委員が事実関係を調査し、そこから得られた事実認識とこれに基づく判断を記載したにすぎないものであつて、その認識ないし判断は、法律関係そのものの成否、内容ないし効力とは無縁である。
もとより、現地調査及び航空事故調査委員会の審議においては、航空機器、その操作、医学、気象等に関し高度の学識経験を有する者が関与し、従つてその事実認識や判断を借用すれば、航空事故に伴いすでに形成される権利義務関係の発生しているところの法律関係を明らかにするうえにおいて、事実上あるいは間接的に寄与するところが大きいことは否定しえないが、それだからといつて、右のような文書が法律関係につき作成された文書に転化することはできない。また、前掲訓令一一条によれば、航空事故に関する調査が終了した場合には、すみやかに損壊資材を事故現場から除去し、修理し、又は回収するものとし、地形その他の理由により事故現場から除去できない損壊資材は、分解して埋没するか、それで処理できないときは爆発により広範囲に飛散させること等により処理しなければならないとされており、事故の性質上、航空事故調査委員会の行う現地調査とは別個に被害者等損害賠償請求権を主張する者が独自に事故現場に臨み調査することは恐らく不可能であると考えられ、その意味では航空事故調査報告書に依拠する実際上の必要性は大きいといえるが、それだからといつて右のような文書が法律関係につき作成された文書に転化すると解することもできない。
以上説示のところからして、本件文書が民訴法三一二条三号後段の文書に該当すると解することはできない。
五なお、原告らは、本件文書は代替を許さない証拠資料である旨及び被告はその公的立場を考慮し信義則に則つて訴訟活動を行うべきであるから本件文書を提出する義務がある旨主張するが、本件文書の記載を要する事項はすでに原告らにも明らかになつているので、それらの事項をもとにして、本件文書の作成に関与した航空事故調査委員会の構成員につき証人尋問をすることは可能であり、そうすれば、本件文書の記載内容と同じ程度の事実を立証することができないとはいえず、本件文書は必ずしも代替を許さない証拠資料であるともいえないし、また一般に国が訴訟当事者となつた場合において、いかなる訴訟活動をなすのが信義則に適うかについての判断は専ら国の判断に委ねられているといわざるを得ないので、本件訴訟において被告に本件文書を提出する信義則上の義務が存在するとも認められない。
六以上によれば、本件提出命令を申立てられている本件文書は、民訴法三一二条一号、三号前段、同号後段の文書のいずれにも該当しないから、その余の点につき検討するまでもなく被告には右文書の提出義務が存しない
よつて、本件文書提出命令申立はこれを却下することとし、主文のとおり決定する。
(西山俊彦 遠藤賢治 谷口幸博)