東京地方裁判所 昭和51年(ワ)2328号 判決 1978年1月31日
原告 大野俊夫
右訴訟代理人弁護士 長谷川朝光
被告 東京都中野区
右代表者区長 大内正二
右指定代理人 山下一雄
<ほか三名>
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金三〇〇万円およびこれに対する昭和五一年五月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二請求原因
一 原告と本件土地、本件建物
1 原告(大正七年六月一日生れ)は、昭和二〇年一〇月ころから視神経萎縮により両眼の視力を失った者で、昭和三四年一一月から肩書現住所(後記本件建物)に居住し、妻および長女の家族があり、現在マッサージ業をしている。
2 本件建物は昭和三〇年七月一五日付建築確認(建築主訴外三ッ橋博志名義)を受けたうえ建築された建物であるが、原告は、昭和三四年一〇月二三日、前所有者訴外三ッ橋要蔵から、東京都中野区江原町二丁目九六六番一宅地、同所九六七番二宅地、右面積合計八八・八八平方メートル(以下、右二筆の土地を「本件土地」という。)ならびに同所九六六番一所在、家屋番号九六六番四、木造スレート瓦葺平家建居宅、床面積四七・一〇平方メートル(以下「本件建物」という。)を買受け、その所有権を取得した。
二 被告の職員らの違法行為
1 本件建物は前記のとおり建築確認を受けた建物であるので、原告は、当然その改築も可能であると考え、昭和四四年五月本件建物の改築を計画していたところ、同月一三日、被告の環境部建築課(以下、単に「建築課」という。)の職員二名が原告方を訪れ、右改築工事を直ちに中止するように通告した。
2 同月下旬ころ、原告が改築に関する手続を知るため建築課に赴いたところ、同課職員は原告に対し、「本件建物は敷地である土地の形状から改築が不可能である」旨を告げた。
3 同年六月初旬ころ、原告が建築課職員に対して、本件建物は前記のとおり建築確認を受けて建築した建物であるから改築できないのはおかしいと面会抗議したところ、同課職員は、これについて明確な回答をせず、「公道に至る道路(幅二メートル以上)を見つけるように」と指示した。
4 昭和四五年七月初旬ころ、原告は建築課に対し、本件建物の改築ができなくなったのは前記本件建物建築確認の時から前記原告の本件建物取得の時までの間に本件土地の隣地所有者訴外森田マサミにおいて右隣地上建物を二階建に増築した際に本件土地内に侵入して建築し、本件土地のうち路地部分が狭められた結果であると推測されるところから、右森田の増築の建築確認の有無、その内容の調査を依頼した。しかし、同課職員は、個人の秘密を理由にこれを拒否した。
5 その後、原告は、公道に至る所定路地設定のため隣地所有者と折衝したが話合がつかず、これを建築課に報告したところ、同課職員は原告に本件建物を建築した大工を探すよう指示した。そこで、原告は右大工訴外高橋某を見つけ、同課にその氏名を報告したが、同課職員は右高橋を調べようとしなかった。
6 また、原告は建築課に対して、前記森田が同人方建物の建築確認通知書添付の建物配置図を所持しているので、これを建築課に提出させて調べるよう再三上申したところ、同課職員は、当初右提出をさせることを約しながら、結局、被告の仕事ではないと称して、これに応じなかった。
7 原告がなおも建築課に対して右図面に関する再三の陳情をした結果、同課職員から中野区議会桃田議員を通じて原告に対し、右図面の拡大図の写(甲第三号証。以下「本件青写真」という。)が交付された。しかし、その図示するところは現場の建物の位置と違うので、原告が同課田中係長に質問したところ、森田方の青写真だから原告方のところは分らない、話しても分らないなら知らないなどと怒り、質問に十分答えなかった。
8 昭和四七年一二月一五日、原告は本件青写真に準拠して、本件建物改築について建築確認申請をしたところ、被告の建築主事は、これを認めず、その理由を質問しても、本件青写真がでたらめであるという以外に理由を明らかにしなかった。
9 昭和四八年一月一六日、建築課三好建築主事は原告に対し、本件青写真が前記のとおり同課から原告に交付した図面であるのに、「この青写真は絵である。でたらめだ。」と云った。
10 同年四月二日、被告代表者(以下「区長」という。)は原告に対して、本件青写真はないことにして被告が通路を見つける旨約した。しかし、その後、これに関して回答せず、原告が再三書面で話合の申入をしても、その回答をしなかった。
11 昭和四九年二月二二日ならびに同年五月一四日の両日、原告は、いずれも区長立会のうえ、建築課職員と話会ったが、右職員の回答は次のとおりであった。
(一) 昭和三〇年本件建物建築当時の関係者も調べたが事情は分らなかった。
(二) 当時、個人住宅の違反建築に代執行をしていなかった。
(三) 被告に原告に対する賠償責任はない。
(四) 被告に対する訴訟等がなされても、かまわない。
12(一) なお、以上の間に原告に対して、被告の環境部長は昭和四七年一〇月二〇日付で、本件青写真によっても本件土地が前記接道要件を充たしていない旨記載した回答書(乙第二号証)を送付し、区長は昭和四九年六月八日付で、建築行政上の誤りはなく、民事上の土地使用権原の問題である旨記載した書簡を送付している。
(二) しかし、右回答書についてみると、本件青写真によると本件土地は接道要件を充たしており、また、右書簡についてみると、建築行政上の誤り(確認の誤り)があったからこそ問題を生じているのであって、以上は、いずれも納得のできる回答ではない。
三 責任原因
区長ないし建築課職員らは、住民のため民主的かつ能率的行政事務を行い、住民の行政上の疑問について合理的な説明をし、これについて住民の納得が得られるように努力すべき義務があるところ、前記事実に照らすと、区長ないし右職員らは、原告に対して行政事務、特に行政の実施、指導に関し、右義務に違反し、適切を欠いた行為をなしたものというべきであり、区長ないし右職員らは、被告の公権力の行使に当る公務員として、その職務を行うについて過失があったから、被告は原告に対して、国家賠償法一条一項の規定により本件違法の行政指導に基づいて原告の受けた損害を賠償する義務がある。
三 損害(慰藉料)
原告は、本件違法行為により、長年にわたり、いたずらに迷わせられ、また、愚ろうされ、前記のとおり身体障害者であるため通常人以上の精神的苦痛を受けた。これに対する慰藉料の額は、すくなくとも三〇〇万円をもって相当とする。
四 よって、原告は被告に対し、右三〇〇万円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和五一年五月一日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三請求原因に対する認否等
《以下事実省略》
理由
一 原告と本件土地、本件建物
1 原告(大正七年六月一日生れ)が現在両眼の視力を失っている者で、昭和三四年一一月から肩書現住所(本件建物)に居住し、妻および長女の家族があること、本件建物は昭和三〇年七月一五日付建築確認(建築主訴外三ッ橋博志名義)を受けたうえ建築された建物であること、原告が昭和三四年一〇月二三日、前所有者訴外三ッ橋要蔵から本件土地および本件建物を買受け、その所有権を取得したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、原告が右視力を失ったのは戦後間もないころであること、原告が現在、あん摩師、はり師、きゅう師をしていることが明らかである。
2 《証拠省略》によると、
(一) 本件土地の形態は、別紙図面のABCDEFGHAの各点を順次直線で結ぶものであって、そのうち右ABGHAの各点を順次結ぶ直線内が幅員約九〇センチメートル、長さ一〇メートル未満の路地であり、その他の部分の上に本件建物が存在すること、
(二) 本件建物は、大工訴外高橋広記により江古田二丁目(現在の江原町二丁目)九六六番地上の建物として、建築主堀内京子名義、同森田マサミ名義の各建物と相前後して昭和三〇年夏ないし昭和三一年初に新築された建物であるが、以上三棟の建物の建築確認申請ならびに確認はいずれも同じ日に続いてなされていること、本件青写真は右三棟の建物を図示したものであるが、もっぱら建築確認を受ける便宜から作図されたもので、実際に新築された右三棟の配置を図示した図面ではないこと、
(三) 建築基準法四三条二項の規定に基づく東京都建築安全条例(昭和二五年条例八九号)三条は、建築敷地が路地部分のみによって道路に接する場合の、その敷地の路地部分の幅員は、右路地部分の長さが一〇メートル未満のときは二メートル以上としなければならないと定めていること(同条一号)、
(四) 被告における建築確認関係書類の保存期間は五年であり、現在、右三棟に関する右書類は被告に一切存在しないこと
が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。
二 被告の職員らの行為
1 昭和四四年五月一三日、建築課職員二名が原告方を訪れたことは当事者間に争いがない。
そして、《証拠省略》によると、右のとおり建築課職員らが原告方を訪れたのは、原告方で本件建物改築を計画していたところ、近隣の者から同課に苦情の申出があったことによるもので、右職員らは原告に対し、本件建物の改築について建築確認を受けないときは、本件建物の取毀はできても建直しができないので、右確認を受けてから取毀をするように告げ、あわせて建築課に相談に来るよう勧めたことが認められ、これを左右する証拠はない。
2 同月下旬ころ、建築課職員が原告側に対し、本件建物は敷地である土地の形状から改築が不可能である旨を告げたこと、また、同年六月初旬ころ、建築課職員が原告側に対し、公道に至る道路(幅員二メートル以上)を見つけるように告げたことは当事者間に争いがない。
そして、《証拠省略》によると、右のような説明ないし指導助言のあったのは、原告側が建築課に相談に赴き、あるいは、本件建物は建築確認ずみの建物であるから、その改築ができないはずはない旨を申出たりしたためであること、また、そのため建築課では同年中に特に管轄登記所について関係の不動産登記簿、公図を調査し、その結果、本件土地ないし関係土地の形態や権利関係が別紙図面のとおりであることも判明したことが認められ、これを左右する証拠はない。
3 建築課職員が原告から、隣地所有者と話合がつかなかった旨告げられたこと、同課職員が原告から本件建物を建築した大工の氏名について報告を受けたことは当事者間に争いがない。
そして、《証拠省略》によると、原告方では建築課の相談窓口で勧められたとおり所定の路地確保のため隣地所有者と交渉したが話合がつかなかったため、右のとおりその結果を建築課に告げたのであり、また、同様に勧められたとおり大工等を調べた結果、これを同課に報告したものであること、他方、建築課でも独自の立場から、本件土地に隣接する二か所の土地について、それぞれその所有者と右路地提供方を求めて交渉したが、いずれも承諾が得られなかったこと、建築課において原告側で見つけ出した大工について特に調査はしていないことが認められ、これを左右する証拠はない。
4 その後、原告が建築課職員に対し、前記森田方増築について建築確認の有無、改築の内容の調査を依頼したこと、右職員がこれに応じなかったこと、また、原告が建築課職員に対し、前記森田から原告主張の図面を提出させて調べるよう申入れたこと、同課職員がこれに応じなかったこと、また、建築課田中係長が本件青写真について原告の質問に対し、森田の青写真だから原告方のところは分らないと答えたこと、昭和四八年一月一六日原告と三好建築課長とが面談したことは当事者間に争いがない。
そして、《証拠省略》によると、原告の右調査の依頼ないし申入のなされたのは昭和四七年七月ころであること、原告は、本件建物の改築ができないのは請求原因二の4で主張するとおりその原因は前記森田方建物増築の際の原告方土地侵入にあると考えていたこと、建築課職員は原告側に対し、原告の右調査依頼に応じられない事由として、第三者である個人の権利義務関係の実体上の調査にわたるとの趣旨の説明をしていること、また、原告の右申入に応じなかったのも右同様に被告の権限外であるとの趣旨の理由からであったこと、しかし、建築課職員は原告側に対して前記森田が当該図面を所持していることを連絡し、右森田方でこれを見せてもらうよう勧めたが、原告は森田方と不仲であるため、結局、中野区議会議員桃田某を頼り、間もなく同議員から本件青写真を入手したこと、三好建築課長(建築主事)が前記原告との面談の際、本件青写真が実態どおりの図面でない旨の発言をしたことが認められ、これを左右する証拠はない。
しかしながら、右森田方の原告方土地侵入を断定するに足りる証拠は何もなく、また、被告側において本件青写真の交付を原告に対して承諾したこと、本件青写真を原告に交付した者が建築課職員であることを認めるに足りる証拠はない。
5 昭和四七年一二月一五日原告が本件建物改築工事について建築確認申請をしたことは当事者間に争いがない。
そして、《証拠省略》によると、原告側は、本件青写真を根拠として右申請をしたこと、しかし、建築課側では従来どおりの説明、指導等を繰返し、これを不受理としたことが認められ、これを左右する証拠はない。
6 昭和四八年四月二日、原告と区長とが面談したことは当事者間に争いがない。
そして、《証拠省略》によると、区長が原告側に対し、被告において所定の路地を見つけるよう努力することを告げたことが認められ、これに反する証拠はない。しかし、右各証拠をもってしても、区長が原告に対して所定路地を提供すべき債務を負担したことは認めることができず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。
7 昭和四九年二月二二日ならびに同年五月一四日の両日、建築課職員が原告に対し、請求原因二の11の(一)ないし(四)のとおりの回答をしたこと、また環境部長および区長が原告に対し、同12の(一)のとおりの回答書または書簡を交付したことは、当事者間に争いがない。
三 被告の責任原因の存否
原告の主張するところは、要するに、本件建物の改築に関する被告の職員らの行政指導について、当該公務員らには、住民の行政上の疑問に対して合理的な説明をし、住民の納得の得られるよう努力すべき義務があるというのであるが、本件の場合、それでは具体的に原告の納得する説明などというのは、どのようなことであるというのか、また、当該公務員らにおいて原告に対し具体的にどのような説明などをなすべき法律上の注意義務があったとするのか、すなわち、当該公務員らにどのような注意義務違反による過失があるというのか明らかではない。
ところで、上叙本件の一連の事実によれば、そもそも本件建物は、いわゆる違反建築であったところ、原告のその改築計画について、被告の当該公務員(区長、建築主事、建築課職員ら)において、原告に対して建築確認に関する行政指導などとしてなした説明などは、そのすべてが、通常の者にとって十二分に理解し得るところであって、誤った説明をするなどの点は、これを見出すことができず、また、当該公務員らにおいて原告主張の調査の要求、依頼などに応じなかったのは、もとより正当であって、かえって、当該公務員らにおいては、原告に対しては、その窮状打開のため特別に配慮を払い、努力をつくして来たのに対し、原告において、当該公務員らの十二分な説明などにもかかわらず独特の見解を固執して抗争に及んでいるに過ぎないことが明白である。
すなわち、被告の当該公務員らの上叙一連の行政指導上の行為に関して、なんら違法の点は存しない。
四 よって、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 平田孝 裁判官 古屋紘昭 裁判官秋武憲一は、職務代行を解かれたため、署名捺印することができない。裁判長裁判官 平田孝)
<以下省略>