東京地方裁判所 昭和51年(ワ)3209号 判決 1980年12月02日
原告
大久保秀吉
右訴訟代理人
中村三郎
被告
泉水良雄
右訴訟代理人
成富安信
同
田中等
主文
一 被告は原告に対し、金二〇四万三二五二円及びこれに対する昭和五一年五月八目から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判<省略>
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 釣船乗船契約の締結
(一) 被告は、釣船(名称「第二泉水丸」、エンジン付、全長11.98メートル、約四〇名乗り。以下「泉水丸」という。)を所有し、舟宿第二泉水という屋号で、右釣船により釣客を東京湾沖等の釣場まで運送するなど、いわゆる釣船業を営んでいる者である。
(二) 原告は、昭和五〇年五月八日午前八時ころ、被告との間で、神奈川県三浦市城ケ島(以下「城ケ島」という。)近海の釣場に向けて出航予定の泉水丸の乗船契約(以下「本件乗船契約」という。)を締結し、被告にその船賃金二五〇〇円を支払つた。
2 事故の発生
(一) 被告は、昭和五〇年五月八日午前八時ごろ、東京都江東区東砂五丁目一五番二号所在の前記舟宿第二泉水近くの船着場において、原告及び他の釣客三〇余名を泉水丸に乗船させ、泉水丸をみずから運転して、城ケ島近海の釣場に向けて発進させた。
(二) 原告は、別紙第二泉水丸平面図(以下「別紙図面」という。)記載の船室内の×点にあぐらを組んだ状態で坐つていたところ、泉水丸が東京湾を出て神奈川県三浦半島東側の久里浜沖付近にさしかかつたところ、波の衝撃により急激な上下運動を起したため、原告は、あぐらを組んだ状態のまま急激に船底の床板に叩きつけられた(以下「本件事故という。)。
(三) そのため、原告は、右衝撃により胸背部打撲挫傷、尾骨骨折、第一腰椎圧迫骨折、両下肢不全麻痺の傷害を受けた。<以下、事実省略>
理由
一釣船乗船契約の締結について
請求原因1(一)、(二)の事実は当事者間に争いがない。
二本件事故の発生について
1 請求原因2(一)のうち、被告が昭和五〇年五月八日午前八時ころ、東京都江東区東砂五丁目一五番二号所在の前認定の舟宿第二泉水近くの船着場において原告及び他の釣客を泉水丸に乗船させ、泉水丸をみずから運転して城ケ島近海の釣場に向けて発進させたことは当事者間に争いがない。
2 <証拠>によれば、請求原因2(二)、(三)の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
三被告の責任について
1 本件乗船契約は、その性質上旅客の運送を主たる契約内容としているものというべきであるから、右契約については商法五九〇条一項が適用されるものと解するのが相当であるところ、本件事故により原告が受傷したことによる損害は、右条項にいう旅客が運送のために受けた損害に該当することは明らかである。
2 そこで、抗弁1の免責(無過失)の抗弁について検討する。
(一) <証拠>を総合すると、
(1) 泉水丸は、総トン数4.11トン、全長11.98メートル(これは前認定のとおりである。)推進機関ディーゼルエンジン一七〇馬力、最大とう載人員四二名、平水水域内のみで操業する場合五三名、航行水域神奈川県城ケ島と千葉県洲崎とを結ぶ陸岸により囲まれた水域、とする小型遊漁船であり、ほば別紙図面のとおり運転室をはさんで船首側と船尾側にそれぞれ船室を持ち、船外放送用の設備は有していたが、乗客に対する船内放送用の設備はなかつたこと
(2) 原告が本件事故当時乗船していた泉水丸の船首側の船室は、船首側と運転室側に二個の出入口を持ち、右船室内の周囲四方には乗客が船の動揺に対処するための鉄製の手すりが設置され、床にはじゆうたんが敷かれていたが、外部、殊に海上の波の状況を見渡せるような窓は設置されていなかつたこと
(3) 原告は、本件事故当日、泉水丸の船首側の船室に船首側入口より乗船したが、既に右船室には約一〇名の釣客が乗船していて、横になつている者もいたり、釣道具類も諸処に置かれていたため、船室内は多少混雑しており、原告は、船室内の船首側に船首を背にして、入口にかけられた固定されていない木製階段(その位置はほぼ別紙図面船首側船室斜線部分)に左手でつかまる形であぐらを組んで坐り、泉水丸の発進後も右のような姿勢で鉄製の手すりにつかまることなく坐つていたところ、波の衝撃による船の急激な上下の動揺により腰部を床に打ちつけて前認定のとおり受傷するに至つたこと
(4) 被告は、本件事故当日、前認定のとおり原告を含む釣客約一一名を泉水丸に乗船させ、乗組員は被告一人の状態で、泉水丸をみずから運転して城ケ島近海の釣場に向けて発進させたが、泉水丸は、その後東京湾をおよそ南に向かい、中ノ瀬航路の東側をこれと並行して走行し、第一海堡の西側を抜けた後、浦賀水道路の東側をこれと並行して走行し、さらに、浦賀水道路の横断禁止区域を過ぎてから浦賀水道路を直角に横断して観音崎方向に向けて走行し、泉水丸が観音崎から久里浜沖へ沿岸ぞいに時速約八ノットで走行中、同日午前一〇時過ぎころ本件事故が発生したこと
(5) 本件事故当日は、本件事故発生地点からそれほど遠くない陸上の神奈川県三浦市所在の同県東部漁港事務所の観測によれば、午前九時から一〇時にかけて風速約6.7メートルの南西の風、すなわち東京湾入口方向より同湾内部方向に向けての風が吹いており、泉水丸が発進後第一海堡に差しかかるところまでは波も穏やかであつたが、第一海堡を過ぎてからは東京湾入口に近ずくにつれて次第に波が高くなり、本件事故が発生した久里浜沖付近では波の高さは約一メートル程度になつたこと
(6) 被告は、発進後第一海堡に差しかかるまでは時速約一六ノットで走行させていた泉水丸を、その後波が高くなるにつれて減速させ、本件事故が発生した久里浜沖では時速約八ノットまで減速させていたが、前記のとおり泉水丸には乗客用の船内放送設備もなく、乗組員も被告一人であつたため、第一海堡を過ぎて波が次第に高くなつてきてからも、乗客に対し、危険防止のため手すりにつかまるようにとの警報は発しておらず、また、泉水丸の発進時点においても事前にそのような注意はせず、その旨の注意書も船室内に掲示されていなかつたこと
以上の各事実が認められ<る。>
(二) 右認定の(1)ないし(6)の各事実に基づき本件事故の発生につき被告が無過失であつたかどうかについて検討するに、(1)の事実によれば、被告に原告主張のような航行水域外を航行した過失のないことは明らかであり、また、(2)の事実によれば、泉水丸には乗客が波による船の動揺に対処するための安全設備として船室の周囲四方に鉄製の手すりが設置されており、(4)ないし(6)の事実によれば、被告は、泉水丸の発進後第一海堡を過ぎて波が次第に高くなるにつれて走行速度を時速約一六ノットから約八ノットに減速させており、本件事故当時の波の状況も波高一メートル程度であつて、被告としては、事故当時相当程度注意を払つていたことが窺われる。一方、(3)の事実によれば、原告は、事故当時船室内の鉄製の手すりにつかまつておらず、当時右手すりにつかまつておれば本件事故の発生を防止できた可能性は高く、右手すりの設置状況及び原告が坐つていた船室内の位置からみて、原告が手すりにつかまることにさしたる支障はなかつたものというべきである。そして、船の航行に波によるある程度の動揺は不可避であり、事故当時泉水丸の船室内にいた原告としても、船の動揺の具合から波が次第に高くなつてきたことはある程度予測可能であつたというべきであつたから、みずからこれに対処すべく手すりにつかまるなどの注意を払うべきであつたといわざるをえない。したがつて、原告の右不注意な態度が本件事故発生の一因をなしていることは否めないところである。
しかしながら、(2)の事実によれば、原告が本件事故当時乗船していた泉水丸の船首側の船室には乗客が外部・殊に海上の波の状況を見渡せるような窓は設置されていなかつたから、右船室の乗客は船の動揺の具合から海上の波の状況を判断するほかなく、殊に(5)の事実のとおり泉水丸が発進後第一海堡に差しかかるころまでは波も穏やかであつたものが、第一海堡を過ぎて東京湾入口に近ずくにつれ次第に波が高くなつてきた場合、右船室の乗客に対し、単なる船の動揺の具合のみから海上の波の状況まで的確に判断したうえ、それに対応して自発的に危険回避のため周囲の手すりにつかまることまでも当然のこととして期待し、右のような対応措置をとらなかつた乗客についてはそれに基づく事故の結果をすべて右乗客自身の責任に帰せしめることは、酷に失するといわざるをえない。さりとて、右船室の乗客に船が多少でも動揺したら即時周囲の手すりにつかまり、右動揺が止むまでこれを継続することを要求することも、本件のごとく船の走行が相当長時間にわたる場合には現実的ではなく、相当でない。結局、泉水丸の右船室には乗客が海上の波の状況を直接把握できるような窓はなかつたこと並びに本件事故当日の泉水丸発進後の波の状況変化よりすれば、泉水丸の運転者ないし乗組員としては、発進後波の状況よりみて乗客が船室内の周囲の手すりにつかまらなければある程度の危険が予測される事態になつた時点(第一海堡を過ぎた時点)において本来その旨の警報を発すべきであり、右警報を発していたならば本件事故の発生を回避できた可能性は十分あるといわなければならない。しかるに、(6)の事実によれば、泉水丸には乗客用の船内放送設備もなく、乗組員も被告一人であつたため、被告は、右のような警報を発することなく、走行速度を約八ノットまでに減速したのみであり、右減速措置のみでは泉水丸の波による急激な動揺を防止しきれずに原告に受傷させたものであるから、右認定した(1)ないし(6)の各事実からは、いまだ本件事故の発生につき被告が無過失であつたとまでは認定し難く、他に、これを認めるに足りる証拠はない。
してみれば、被告の免責(無過失)の抗弁は理由がないことに帰するから、被告は、原告が本件事故により被つた損害につき、商法五九〇条一項に基づき、本件乗船契約上の債務不履行責任としてこれを賠償すべき義務があるといわなければならない。
3 そこで進んで、抗弁2(一)の過失相殺の抗弁について検討する。
前記2(二)で判断したとおり本件事故の発生については原告にも過失があつたことは否定し難く、本件事故の発生における原告の過失割合は、右過失の程度に鑑みて六割と認定するのが相当であり、後記認定の原告の損害より六割の過失相殺をしなければならない。
四原告の損害について<省略>
五過失相殺について<省略>
六相殺の抗弁について<省略>
七結論
以上によれば、被告は原告に対し本件乗船契約の債務不履行に基づく損害賠償として金二〇四万三二五二円を支払うべき義務があるといわなければならない。
ところで、原告は、右損害賠償金について本件事故の翌日である昭和五〇年五月九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めているが、右の債務不履行に基づく被告の損害賠償債務は期限の定めのない債務として発生し、催告によつて遅滞に陥るものと解すべきである。しかるところ、本訴状の被告に対する送達日以前に原告が被告に対し右催告をしたことの主張立証はないから、被告の右損害賠償債務は本訴状の送達日である昭和五一年五月七日の経過により遅滞に陥つたものというべきである。
よつて、原告の本訴請求は、被告に対し金二〇四万三二五二円及びこれに対する昭和五一年五月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(横山匡輝)