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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)5010号 判決 1978年8月03日

【理由の目次】

第一編序説

第一章 本件審理の概要

第一 審理の概要―各次訴訟の観点から―

一 本判決の対象とする事件

二 弁論の分離・併合

第二 審理の概要―原被告の立証の観点から―

一 総論の立証

二 各論の立証

三 人証の取調べ終了後の経過

第二章 被告らの認否その他について

第一 争いのない事実

第二 因果関係に対する被告会社らの認否について

第三 認定に供した書証の成立について

第四 凡例

第二編因果関係

第一章 スモンの沿革と臨床

第一節 スモンの沿革と調査研究の概要

一 わが国におけるスモンの発生と病名の由来

二 前川班とスモン調査研究協議会

三 協議会による第一回全国調査

四 臨床診断指針の作成と第二回全国調査

五 協議会およびスモン班による把握患者総数

六 緑舌・緑尿についての研究の発表

七 椿の仮説と新潟県下を中心とする疫学調査

八 中央薬事審議会の答申とキ剤販売中止の行政措置

九 協議会によるスモン患者のキ剤服用率の調査

一〇 スモンの病因についての協議会の総括等

第二節 スモンの臨床

一 椿による臨床的考察

二 高崎による臨床的考察

三 祖父江による臨床的考察

四 楠井による臨床的考察

別紙一 「スモンの臨床診断指針」

別紙二 椿・豊倉・塚越による臨床所見の概括

別紙三 「椿の診断基準」

別紙四 「高崎の診断基準」

別紙五 「祖父江の診断基準」

第二章 スモンの病理

第一節 小川、堤らによる岡山地方におけるスモン剖検例の病理的観審

第一 小川・提らの所見「岡山地方のSMON剖検例」

一 症例

二 神経系の病変

三 諸臓器の病変

四 神経系の炎症性病変等

五 キ剤の投与量と病変の強度との比較

第二 ヘスによる批判の当否

第二節 豊倉による病理的考察

一 豊倉の知見(その一)

二 豊倉の知見(その二)

三 前記一、二の知見に基づく豊倉の指摘

第三節 白木・小田によるスモンの病理的考察

第四節 松山らによる電子顕微鏡的研究

第五節 協議会の昭和四六年度研究報告(昭四七・三・一三)

一 白木の報告

二 江頭の報告

スモンの病理組織学的診断基準(案)

第三章 スモンと他疾患との異同

一 悪性貧血における索性脊髄症(SCD)

二 ギラン・バレー症候群(G1Bと略称)

三 視神経脊髄炎(デビツク病)

四 ペラグラ

五 多発性硬化症

六 急性間歇性ポルフイリア(AIP)

七 癌性ニユーロパシー

八 アミロイド・ニユーロパシー

九 抗結核剤(INH、EB)によるニユーロパシー

一〇 結論

第四章 スモンの疲学

第一節 因果関係認定における疫学的手法

一 はじめに

二 疫学的手法についての概説

1 疫学における病因研究の方法

2 病因の推論につき検討すべき諸条件

第二節 キノホルムのスモン発症に対する先行因子性

一 椿らの調査

二 豊倉らの調査

三 祖父江らの調査

四 黒岩らの調査

五 大村らの調査

六 島田らの調査

七 野村らの調査

八 吉武らの調査

九 山本(俊)らの調査

一〇 協議会およびスモン班の調査

一一 結論

第三節 キ剤服用とスモン発症との関連性

一 症歴調査

1 椿らの調査

2 吉武らの調査

3 倉恒らの調査

4 青木らの調査

5 伊東らの調査

6 まとめ

二 スモン発症の家族集積性、施設集積性、地域集積性

1 A病院、E病院における院内発生

2 名古屋市における院内発生

3 戸田・蕨地区

4 岡山県、特に井原、芳井、湯原地区

三 キ剤の生産・消費量とスモン患者発生数との関係

1 キ剤の生産・輸入量とスモン患者の発生数

2 被告チバの府県別キ剤販売率とスモン初診患者率

3 キ剤の販売量・処方件数とスモン患者の発生数

四 キ剤販売中止の行政措置後のスモン患者の激減

1 患者発生数の推移

2 行政措置後における患者発生数の激減

3 環境的因子についての調査

五 結論

第四節 キノホルム原因説が従来の医学理論と矛盾しないこと

第五節 量と反応の関係

一 序説

二 協議会の調査

1 一八班員によるキ剤服用状況調査

2 全国スモン患者のキ剤服用状況調査

3 スモン班の全国調査成績の解析

三 個別的研究

1 笠井らの研究

2 青木らの研究

四 中江らの研究

五 結論

第六節 疫学的因果関係認定におけるその他の問題点

一 行政措置以前からのスモン患者の減少

二 キノホルム剤非服用スモン

1 椿の見解

2 非服用患者の剖検例からのキノホルムの検出

3 結論

三 行政措置後のスモン患者の発生

1 行政措置後の発生数

2 黒岩・小坂による「キノホルム非服用スモン様症例の調査」

3 他疾患への診断名の混入の可能性について

4 結論

四 岡山県におけるスモンの多発

1 患者多発についての感染説の抬頭

2 前記感染説に対する批判としてのキノホルム説

3 結論

五 戦前のスモン様症例

1 戦前におけるスモンについての調査

2 椿による症例評価と意見

3 結論

六 外国におけるスモン

1 外国におけるキノホルムおよび類縁化合物による神経障害例

(一) 椿らの調査

(二) 椿の宿題報告「SMONの本態と臨床」

(三) チバガイギー(バーゼル)葉品副作用センターに集められた情報

(四) 片平らの調査

(五) 要約

2 わが国と外国におけるキ剤投与状況の差異

(一) 椿の外国における投与量・投与期間の調査

(二) わが国における調査

3 結論

第七節 疫学的関連性についての判断

第五章 キノホルム投与動物とスモンの類似性―動物へのキノホルム投与実験とその臨床・病理―

第一節 大月・立石らによる実験

第一 各種動物に対する経口投与実験―昭和四五年秋投薬開始分

一 昭和四七年五月末日までに得られた実験結果

1 材料および方法

2 実験成績

(一) 臨床経過

(二) 慢性中毒症状

(三) 神経症状の発症とキノホルム投与量

(四) 臨床検査成績

(五) 慢性中毒動物の病理所見

3 右実験成績とスモンの臨床・病理との比較検討

二 その後の実験結果

第二 慢性中毒犬の電子顕微鏡的研究

一 実験方法

二 光学顕微鏡所見

三 電子顕徴鏡所見

四 右実験成績とスモンとの比較検討

第三 ビーグル犬に対するキノホルム投与実験―昭和四九年八月七日投薬開始分

一 実験方法

二 実験成績

三 従来のキノホルム投与動物実験との比較検討

第四 ビーグル犬に対するキノホルム投与実験―昭和四九年一〇月一一日投薬開始分

第二節 椿による実験

第一 病理所見

第二 電子顕微鏡所見

第三 キノホルム投与量と病変の関係

第三節 江頭による実験

第一 カニクイザルへの経口投与実験

第二 幼齢犬への経口投与実験

第三 犬への投与実験

第四節 高橋(理)による猿への投与実験

第一 昭和四五年一一月九日投薬開始分

第二 昭和四六年一月二六日投薬開始分

第五節 豊倉らによる家兎への投与実験

第一 実験方法

第二 実験成績

第三 豊倉らの指摘

第六節 わが国における動物実験に対するヘスの批判の当否

第一 ヘスの批判の要約

第二 右批判の当否について

第七節 動物への連続投与実験で神経毒性が発現しなかった旨の報告例

第一 ヘスらの実験

一 ビーグル犬への二年間連続投与実験

二 ビーグル犬への一二二日間連続投与実験

三 ヘスと被告田辺の研究員による猿における長期投与試験

第二 フロー研究所によるビーグル犬に対する九〇日間経口投与試験

第三 その他の実験

第八節 ハンチントン研究所における肯定例と前節の否定例に対する評価

第一 ハンチントン研究所における肯定例

一 同研所独自のもの

二 チバ社からの委嘱によるもの

第二 前節の否定例に対する評価

第九節 キノホルム中毒動物に見られる臨床・病理所見とスモンのそれとの相関性

第一 臨床面における実験動物の所見(症状)とスモンとの異同

第二 病理面における実験動物の所見(病変)とスモンとの異同

一 スモンの病理学的特徴

二 キノホルム投与動物の病理所見との対比

1 立石による所見について

2 椿による所見について

3 江頭による所見について

4 結論

第六章 発症機序に関する実験とその評価

第一節 吸収・分布・代謝・排泄に関する動物実験

第一 立石らによるもの

一 シンチレーシヨン・カウンターによる昭和四六年度に実施分

1 材料と方法

2 成績

(一) 生体内遊離キノホルムのキヤリア

(二) 腸胆道(腸肝)循環

(三)〜1 ハツカネズミ

(三)〜2 ダイコクネズミ

(三)〜3 犬

(三)〜4 猫

(四) 動物における臓器内分布の比較

(五) 負荷動物への投与実験

3 評価

二 シンチレーション・カウターによる四七年度実施分

三 ミクロ・マクロオートラジオグラフイーを使用したもの

1 実験材料と方法

2 実験成績

(一) 雑犬

(二) ビーグル犬

(三) 猫

(四) ラツト

(五) マウス

3 評価

四 オートラジオ・グラフイーを使用した四八年三月一三日発表分

第二 豊倉らによるもの

一 マクロ・オートラジオグラフイーとシンチレーシヨン・カウンターによる四六年度分

1 材料と方法

2 成績

(一) マウスによる実験成績

(二) 犬による実験成績

3 評価

二 全身計測・マクロオートグラフイーによる四六年度分

1 材料と方法

2 実験成績

3 評価

三 マクロオートラジオグラフイーによる四七年度分

第二節 田村らによるスモン患者試料からのキノホルムの検出

第一 スモン患者の緑尿からの検出

第二 スモン患者の緑舌からの検出

第三 ヒトの血清からの検出

第四 スモン患者の臓器からの検出―その1

第五 スモン患者の臓器からの検出―その2

第三節 田村らによる各種動物とヒトにおける血中濃度差に関する実験

第一 昭和四七年度実施分

第二 昭和四八年度実施分

一 犬、猫を用いたもの

二 ヒト・兎・マウスによるもの

三 田村の指摘

第四節 キノホルムの毒性に関するin vitro(試験管内)の実験

第一 豊倉による鶏胚脊髄後根神経節を用いたもの

一 材料と方法

二 実験結果

三 豊倉の指摘

第二 米沢によるラツトやマウスの後根神経節を用いたもの

一 昭和四六年度実施分

二 昭和四七年度実施分

三 昭和四八年度実施分

第三 八木による白ネズミ単離ミトコンドリアを用いたもの

第五節 わが国における発症機序に関する実験に対するケバリーの批判の当否

第一 ケバリーの批判の要約

第二 右批判の当否について

第三 結論

第六節 標識キノホルムを用いての吸収・分布等に関する動物実験の評価―キノホルムの分布と病理所見との関連性―

一 末梢神経について

二 脊髄後索について

三 網膜および視索について

四 腰髄錐体路について

五 その他

六 結論

第七節 田村らによる実験、豊倉らによるin vitro実験の評価

一 田村らによる実験について

1 スモン患者試料からのキノホルムの検出について

2 各種動物とヒトにおける血中濃度差に関する実験

二 豊倉らによるin vitro実験について

第七章 ウイルスに関する研究

第一節 肯定例

第一 井上・木村(輝)らによるもの

一 ウイルス学的研究―その一

二 ウイルス学的研究―その二

1 京大ウイルス研究所年報一八巻(一九七五年)登載分

2 米国臨床病理学雑誌六六巻(一九七六年)登載分

三 動物実験―その一(ランセツト一九七二年一月二九日号および協議会報告書No.10登載分)

四 動物実験―その二(協議会微生物部会第三回―昭和四七年二月一九日発表分)

五 動物実験―その三(ランセット一九七四年四月二〇日号登載分)

六 電子顕微鏡による検索

第二 島田らによるもの

一 スモン患者および正常対照例の血清の井上ウイルス中和抗体価の検討

二 螢光抗体法によるスモン病原体の検出

第三 西村によるもの

一 BAT―6細胞による実験

二 孵化鶏卵培養法による井上ウイルスの培養

三 螢光抗体法によるウイルス抗原の証明と抗体価の測定

第四 吉田らによるもの

第五 井出らによるもの

第六 東によるスモン病原の電子顕微鏡的観察

第二節 井上ウイルスに対する追試および批判

第一 甲野らによる追試と批判

一 BAT―6細胞に関する実験

二 スモン剖検材料よりの病原体分離の試み

三 動物実験

四 井上らによる実験に対する批判

五 疫学および神経病理一般からのウイルス説への批判

第二 奥野・高橋(理)らによる追試所見

一 スモン患者よりのウイルス分離の試み

二 昭和四七年二月二日の追試

第三 飯田・桜田らによる追試所見

一 成績

二 考察

第四 多ケ谷・北原らによる追試所見

第五 江頭・内田らによる接種マウスの病理組織学的検索所見

一 成績

二 結論

第六 永田らによる追試所見

一 スモン患者材料からのウイルス因子分離の試み

二 スモン患者髄液等の新生マウス接種実験

第七 豊倉による感染説への批判

第八 協議会の昭和四六年度総会(昭四七・三・一三)における白木の報告

第九 スモン班の井上ウイルス検討会(昭四七・七・二〇)における結論と微生物学的研究の凍結

第一〇 吉野らによる追試所見

第三節 井上ウイルスの病原性に関する判断

一 井上ウイルスの存否について

二 ウイルス説とスモン患者の発生状況との関係について

三 ウイルス説とスモンの病理像との関係について

四 肯定例に見られる実験動物の種類の制限について

五 結論

第四節 スモンのキノホルム起因性―一般的因果関係についての結論―

第一 本編における認定説示の総括

第二 因果関係についての約言

一 スモンの病因

二 スモン多発の社会的要因

第三編責任

第一章 被告製薬会社の責任

第一節 序説

第一 無過失責任の主張について

一 無過失責任主義についての一般論

二 本件における無過失責任の主張の当否

第二 過失の前提となる注意義務の内容

第三 予見義務と結果回避義務

一 予見義務について

二 結果回避義務について

三 長い臨床上の使用経験を持つ薬剤の従たる成分の配伍を変えて新薬を製造する場合の注意義務

第四 キノホルムおよび類縁化合物の副作用等についての文献・報告

第五 薬害事件について要求される予見可能性の程度について

一 予見の対象についての原被告の主張

二 当裁判所の判断―予見の対象についての一般論―

第二節 結果回避義務を負わせるに必要な予見可能性の範囲および程度を画する際の判断基準

第一 症状の範囲

第二 類縁化合物の副作用からするキノホルムの副作用の予測可能性

一 ハロゲン化8ハイドロキシキノリン類

二 その他の8ハイドロキシキノリンおよびアミノキノリン類

1 副作用文献等綴一2に記載の薬品の化学構造

2 右各薬品の副作用からするキノホルムの副作用の予測可能性

第三 動物における副作用からするヒトにおける副作用の予測可能性

一 リツチフイールドらの所見

二 まとめ

第四 in vitroでの実験の評価

一 薬理実験に使用される標本の三系

二 まとめ

第五 急性毒性試験あるいは急性中毒の臨床資料からする慢性中毒症状の予測可能性

一 急性中毒と慢性中毒について

二 急性毒性試験について

三 まとめ

第六 投与方法の相違の評価

二 静脈注射、腹腔内注射、経口投与

二 まとめ

第七 キノホルムの吸収可能性からする副作用の危険の予測可能性

一 内用薬としてのキノホルムの性質

1 腸内殺菌・防腐剤として要求される性質

2 キノホルムの開発の歴史

3 デーヴイツドらによるキノホルムの内用開始前の急性毒性試験

4 油・水分配係数の高さから予測されるキノホルムの神経組織への親和性

二 放射性標識キノホルム等を用いているキノホルムの吸収度等による副作用の危険の予測可能性

三 キノホルムの神経組織への親和性を否定する見解について

1 血中におけるキノホルムのイオン化率および血清蛋白結合率

2 血中におけるイオン型と非イオン型、結合型と非結合型の動的平衡関係

3 まとめ

第三節 被告製薬会社らの本件キ剤製造開始時における結果回避義務に関する判断

第一 ハロゲン化8ハイドロキシキノリン類に関する副作用報告―ヒトおよび動物に関するもの―

一 グラヴイツツ、バロスによる二症例の報告

二 グラヴイツツ、バロスの報告例の持つ意味

1 右二症例は「孤立例」であるとの被告の主張

2 副作用文献等綴・治験例綴における投薬例の検索

(一) グラヴイツツおよびバキルにおける投薬例

(二) わが国における投薬例―戦前から昭和三一年まで―

3 「孤立例」であるとの主張に対する判断

4 「アルゼンチンにおける」報告であるとの主張について―被告チバの場合―

5 右同―他の製薬会社について見た場合―

三 ハロゲン化8ハイドロキシキノリンに関するその他の副作用報告―ヒトに関するもの―昭和三一年(一九五六年)一月以前のもの―

四 ハロゲン化8ハイドロキシキノリンに関するその他の副作用報告―動物に関するもの―

第二 8ハイドロキシキノリン、その誘導体およびアミノキノリン類に関する副作用報告―ヒトおよび動物に関するもの―昭和三一年(一九五六)一月以前のもの―

一 8ハイドロキシキノリンおよびその誘導体による神経障害の報告

二 アミノキノリン類による神経障害の報告

三 まとめ

第三 キノホルムの治療上の価値

一 キノホルムの販売中止措置前における臨床治験例

二 臨床治験例についての問題点―昭和三一年(一九五六年)一月当時の観点から―

1 キノホルムの副作用と制潟剤としてのキノホルムの代替性

2 成書・公定書等に掲げられるキノホルムの適応症

3 アメーバ赤痢の重篤度

4 デーヴイツト警告(一九四五年)とFDAの所見(一九五四年)

三 結論

第四 昭和三一年一月の時点における結果回避義務

一 結果回避義務の在否

二 結果回避義務の具体的内容―“適応症”が多岐にわたる場合―

三 本件キノホルム製剤についての被告会社らの結果回避義務違反

1 被告会社らがとるべきであつた措置

2 被告会社らによる製造販売の実際

四 被告会社らの原告らに対する損害賠償義務

第四節 被告製薬会社らの本件キ剤製造開始時における動物実験義務

第一 被告会社らの動物実験義務の存否

第二 昭和三一年(一九五六年)一月当時における動物実験による慢性毒性試験の技術水準

一 一九三九年以降の文献資料等

二 結論

第三 被告会社らの動物実験義務違反

第四 被告会社らの動物実験義務の懈怠と原告らに生じた損害との関連性

一 動物実験義務の懈怠を理由として損害賠償を要求し得るための要件

二 昭和四五年(一九七〇年)前後におけるキ剤投与による慢性毒性試験

1 実験動物におけるスモン様症例の発現例

2 消極の報告例

三 本件における前記の義務懈怠と損害との関連性についての判断

1 右関連性の判断につき考慮すべき諸要素

(一) キ剤投与の動物実験における「漸増法」について

(二) 昭和四五年秋に開始された立石らによる動物実験の結果

(三) 昭和四六年度協議会総会(昭四七・三・一三)における大月の発表

2 結論―動物実験義務の懈怠による損害賠償義務―

第五節 治験例等の安全確認資料としての価値

第一 臨床治験例綴に現われるわが国の治験例について

一 戦前および戦後昭和三一年一月までのキ剤の投与量

二 大量投与の予測可能性

三 結論

第二 臨床治験例綴等に現われる外国の治験例について

第三 前記治験例以外の「キ剤の使用実績」について

第六節 医師の投薬行為の介在および国(厚生大臣)の関与と被告製薬会社の責任

第一 医師の投薬行為の介在について

一 被告の主張

二 被告会社の指示・警告義務の懈怠

三 結論―医師の責任について―

第二 国(厚生大臣)の関与について

第七節 被告武田の責任

第一 キ剤の製造・販売についての被告武田の関与の実情

一 被告武田によるキ剤の製造・販売

二 能書・宣伝誌等の記載

第二 結論

一 チバ・武田の提携関係の要約

二 販売者としての被告武田の責任

第二章 被告国の責任

第一節 反射的利益論について

第一 医薬品の製造承認(旧許可)行為につき民事上の責任を負うことなしとする被告国の主張

一 違法な行政処分に対する取消訴訟の原告適格と国家賠償請求訴訟における被侵害利益とのアナロジー

1 法的に保護された利益と反射的利益

2 薬事法の立法趣旨および目的

3 結語―個々の国民に対する不法行為責任の不成立―

二 国の主張の要約

第二 被告国の前記主張に対する判断

一 問題の所在

1 製造承認(旧許可)の性質

2 製造承認に関する申請手続の構造

二 取消訴訟における原告適格の有無と不法行為の成否

1 承認または承認拒否処分の取消訴訟における第三者たる国民の原告適格

(一) 製造承認行為の持つ社会的機能の観点から

(二) 現行法規における「医薬品の安全性確保についての具体的規定」の欠落の観点から

2 違法な製造承認と第三者たる国民に対する不法行為の成否

(一) 製造承認処分の瑕疵が第三者たる国民との関係においても違法となる場合

(二) 結論―原告適格の有無と不法行為の成否との非関連性―

第二節 薬事法の沿革

第一 昭和一八年薬事法の制定以前

一 薬品営業竝薬品取扱規則(明治二二年法律第一〇号)

二 売薬法(大正三年法律第一四号)

三 当時における薬事法制の目的

第二 昭和一八年薬事法(旧々薬事法)

一 戦時体制下における最初の「薬事法」

二 同法制定の目的

第三 昭和二三年薬事法(旧薬事法)

一 新憲法の施行に伴う薬事法の全面改正

二 公定書外医薬品等の製造の許可と薬務局の新設

1 法二六条および規則二二条

2 新医薬品の審査についての資料の要求(薬務局長通知)

3 薬務局の新設

三 薬事審議会

1 行政委員会的存在から諮問機関へ

2 包括建議

四 同法制定の目的

第三節 現行薬事法の規定と立法趣旨

第一 実定法規としての昭和三五年法の法体系

一 具体的諸規定について

1 局方外医薬品等の製造の承認に関する規定

2 同法中の他の許可に関する規定との対比

3 とくに同法七九条の規定について

二 昭和三五年法は警察法規か

1 判例の見解

2 立法の趣旨―立法者の意図―

三 諸外国における薬事法制上の規定との対比

1 米国キーフオーバー=ハリス修正法(一九六二年)

2 英国薬事法(一九六八年)

3 西ドイツ新薬事法(一九七六年)

4 前記諸外国の薬事法における「医薬品の安全性確保」についての諸規定とわが国における現行薬事法

第二 薬事法についての法思想の変遷

一 牛丸著作から松下論文まで

二 わが国におけるサリドマイド事件の発生

1 関係製薬企業および厚生当局の対応

2 厚生省薬務局監修「医薬品製造指針」および製造承認についての「特別審査」

3 医薬品安全対策特別部会の設置(昭和三八年)

4 「医薬品の胎児に及ぼす影響に関する動物試験法」の基準の設定

三 アンプル入りかぜ薬事件(昭和四〇年)

1 事件の概要

2 「製造承認の取消」について

四 医薬品の製造承認等に関する基本方針

1 「基本方針」まで

2 「基本方針」の策定

(一) 昭和四二年九月一三日「基本方針について」の通知

(二) 同年一〇月二一日「基本方針の取扱いについて」の通知

(三) “法思想の変遷”における「基本方針」の位置づけ

五 「基本方針」以後

1 製造承認の取消について

2 医薬品の再評価について

第三 「基本方針」による現行薬事法の実質的修正

一 昭和三五年法の制定とサリドマイド事件の発生

二 新たな行政需要と「行政指導による対応」について

三 新たな法思想の定着―昭和三五年法の実質的修正―

第四節 国とキノホルムとの関りあい

第一 国によるキノホルム原末の製造と戦後における製法特許実施権等の払下げ

一 戦時下、東京衛生試験所によるキノホルムの製造

二 戦後における製法特許実施権等の払下げ

第二 キノホルムの劇薬指定とその解除

一 指定と解除

二 劇薬指定解除の経緯

三 劇薬指定解除の当否

第三 キノホルムの日本薬局方収載

一 第五改正日本薬局方の一部改正(昭和一四年)

1 キノホルムの局方収載

2 キノホルム収載の趣旨

二 第六改正日本薬局方(昭和二六年)

1 六局制定の経過

2 キノホルムの繁用性の有無

(一) キノホルムのわが国における輸入・生産量の推移

(二) 終戦後におけるキ剤の生産・需給状況

(三) 終戦後におけるキ剤の調剤・処方状況

(四) 結論

三 第七改正日本薬局方

1 七局制定の経過

2 公定書収載基準

3 使用頻度調査

4 昭和三〇年代後半におけるスモン患者の激増

第四 キノホルム製剤の製造許可等

一 製造許可等にあたって厚生大臣のした審査

1 昭和三〇年以前のもの

2 昭和三一年以降のもの

二 キ剤の製造許可等にあたり厚生大臣のした審査についての評価

第五節 昭和四二年一一月一日段階において厚生大臣のとるべき措置

第一 右時点前におけるキノホルムおよびその類縁化合物に関する副作用情報等の堆積

一 ハロゲン化8ハイドロキシキノリンのヒトに対するもの

一 ハロゲン化8ハイドロキシキノリンの動物に対するもの

三 その他の8ハイドロキシキノリンおよびアミノキノリン類関係

四 ハロゲン化8ハイドロキシキノリンの生体内吸収・代謝関係

五 要約

第二 前記時点―昭和四二年一一月―におけるキノホルムの治療上の価値

一 FDAの勧告

1 一九五四年六月二四日付ヤコヴイツツ書簡

2 一九六〇年八月一一日付ヤコヴイツツ書簡

3 右書簡の趣旨

4 一九六一年三月一四日付ヤコヴイツツの米国チバ社サリバン博士宛の書簡

5 米国チバ社の勧告受諾

二 文献上に現われたキノホルムの適応症についての記述

1 PDR

2 マーチンデール準薬局方

3 薬理学書

第三 国の責任についての結論

一 国の責任についての判断の基準時

1 本件キノホルム製剤についての許可・承認

2 薬事法制定の趣旨およびその修正

3 基準時の設定

二 厚生大臣の権限の行使または不行使の適否

1 本件キノホルム製剤についての許可・承認の適否

2 規制権限の不行使が違法となる場合

3 本件における取消権不行使の適否

三 国の責任の性質および範囲

1 性質および限度

2 基準時以前のキノホルム服用者について

第三編添付「副作用文献等綴」

一 キノホルムおよび類縁化合物の副作用に関する文献と報告

1 ハロゲン化8ハイドロキシキノリン関係

(一) ヒトに対するもの

(二) 動物に対するもの

2 右1以外の8ハイドロキシキノリンおよびその誘導体ならびにアミノキノリン類関係(ヒト・動物)

二 キノホルムを含むハロゲン化8ハイドロキシキノリンの生体内吸収・代謝に関する文献と報告

三 キノホルムを含むハロゲン化8ハイドロキシキノリンに対する各国の規制状況(一九七〇年九月わが国での中止措置以前の勧告)

第三編添付「臨床治験例綴」

キノホルムの臨床治験例(内服初期の動物実験を含む)

一 キノホルムの内用と初期動物実験

二 ヒトでの治験例

1 外国におけるもの

2 日本での例

第四編損害

第一章 個別的因果関係

第二章 損害額の算定にあたり考慮すべき事情

第一節 スモン被害の特質

第二節 損害額の算定基準

第三節 個別損害の認定

第三章 一部原告の拡張請求について

第一節 被告田辺の不当抗争について

第二節 介護費用の請求について

第四章 結論

原告 (一)

大山貞雄

外二七名

右訴訟代理人弁護士

重富義男 外

原告 (二)

坂野すえ

外六九名

右訴訟代理人弁護士

柳沼八郎 外

原告 (三)

欠瀬トシエ

外三四名

右訴訟代理人弁護土

斎藤一好 外

被告

右代表者法務大臣

瀬戸山三男

右訴訟代理人弁護土

黒田節哉 外

被告

日本チバガイギー株式会社

右代表者代表取締役

エツチ・エツチ・クノツプ

右訴訟代理人弁護土

赤松悌介 外

被告

武田薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

小西新兵衛

右訴訟代理人弁護土

品川澄雄 外

被告

田辺製薬株式会社

右代表者代表取締役

平林忠雄

右訴訟代理人弁護土

石川泰三 外

主文

一  別紙認容金額一覧表記載の原告らに対し、各原告に対応する「被告」欄に記載の被告らは各自、各原告に対応する「認容金額」欄に記載の金員およびこれに対する昭和五二年七月一九日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告らの被告会社に対するその余の請求を棄却する。

三  右一覧表において被告国につき「請求棄却」と表示された原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却し、その余の原告らの被告国に対するその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用中、

被告国に対する請求の全部を棄却された原告らに関しては、同原告らと被告国との間に生じた分は同原告らの負担とし、同原告らと右一覧表においてこれに対応する「被告」欄に記載の被告会社(または被告会社ら)との間に生じた分は、同被告会社(または同被告会社ら)の負担とする。

前記の原告らを除くその余の原告らと被告との間に生じた分は、右一覧表において右各原告に対応する「被告」欄に記載の被告(または被告ら)の負担とする。

五  この判決は、第一項記載の認容金額につき各三分の一の限度において仮に執行することができる。

認容金額一覧表 (一)

固有

番号

原告

被告

認容金額(円)

内訳(円)

弁護土費用以外の部分

弁護土費用

大山貞雄

田辺

四七〇三万一二五〇

四三七五万

三二八万一二五〇

三木マスコ

田辺

四一六五万六二五〇

三八七五万

二九〇万六二五〇

渋谷照

田辺、

チバ、

武田

一八二七万五〇〇〇

一七〇〇万

一二七万五〇〇〇

一〇

亡中島覚子承継人

中島靖侃

田辺

一八二七万五〇〇〇

一七〇〇万

一二七万五〇〇〇

一三

山口美代

田辺

一八二七万五〇〇〇

一七〇〇万

一二七万五〇〇〇

一五

村岡キミ

田辺

三六二八万一二五〇

三三七五万

二五三万一二五〇

二九

白石啓文

田辺

二三七五万七五〇〇

二二一〇万

一六五万七五〇〇

三九

田中慶治郎

田辺

四四三四万三七五〇

四一二五万

三〇九万三七五〇

五一

出羽卓司

田辺

三七六二万五〇〇〇

三五〇〇万

二六二万五〇〇〇

五二

嶺静香

田辺

四一六五万六二五〇

三八七五万

二九〇万六二五〇

五三

石崎二三

田辺

三六二八万一二五〇

三三七五万

二五三万一二五〇

五四

河合シズエ

田辺

二六八七万五〇〇〇

二五〇〇万

一八七万五〇〇〇

五五

仕田原哲也

田辺

一三四三万七五〇〇

一二五〇万

九三万七五〇〇

五六

鈴本肇昭

田辺

二三七五万七五〇〇

二二一〇万

一六五万七五〇〇

五七

増田恭子

田辺

三二二五万

三〇〇〇万

二二五万

五八

山成章之

田辺

一三四三万七五〇〇

一二五〇万

九三万七五〇〇

五九

山本静子

田辺

二一九三万

二〇四〇万

一五三万

六〇

渡辺ツヤコ

田辺

三二二五万

三〇〇〇万

二二五万

六一

原田隆志

田辺

三四九三万七五〇〇

三二五〇万

二四三万七五〇〇

一二二

本木新

田辺、チバ、武田

二六八七万五〇〇〇

二五〇〇万

一八七万五〇〇〇

一三四

工藤誓子

田辺、チバ、武田

四一六五万六二五〇

三八七五万

二九〇万六二五〇

一五〇

中野もと

田辺、チバ、武田

二〇一〇万二五〇〇

一八七〇万

一四〇万二五〇〇

一五一

河村実

田辺、チバ、武田

一三四三万七五〇〇

一二五〇万

九三万七五〇〇

一五八

滝村浩二

田辺、チバ、武田

四一六五万六二五〇

三八七五万

二九〇万六二五〇

一五九

斉藤喜章

田辺

七三一万

六八〇万

五一万

一六〇

斉藤雅彦

田辺

七三一万

六八〇万

五一万

一六一

斉藤ゆかり

田辺

七三一万

六八〇万

五一万

一三〇六

窪田延代

田辺、チバ、武田

二一九三万

二〇四〇万

一五三万

認容金額一覧表 (二)

固有番号

原告

被告

認容金額(円)

内訳(円)

弁護士費用以外の部分

弁護士費用

坂野すえ

田辺

二〇一〇万二五〇〇

一八七〇万

一四〇万二五〇〇

佐藤喜美子

田辺

請求棄却

三二二五万

三〇〇〇万

二二五万

鈴木富美雄

田辺

四七〇三万一二五〇

四三七五万

三二八万一二五〇

竹内寿美子

田辺

一八二七万五〇〇〇

一七〇〇万

一二七万五〇〇〇

一一

中村栄子

田辺

四一六五万六二五〇

三八七五万

二九〇万六二五〇

一二

藤田チヨ

田辺

三四九三万七五〇〇

三二五〇万

二四三万七五〇〇

一四

中村芳男

田辺

二三七五万七五〇〇

二二一〇万

一六五万七五〇〇

一六

村崎ハツエ

田辺

一八二七万五〇〇〇

一七〇〇万

一二七万五〇〇〇

一七

相原タミ

田辺

六〇九万一六六六

一八二七万五〇〇〇

五六六万六六六六

一七〇〇万

四二万五〇〇〇

一二七万五〇〇〇

一八

小沢タカ

田辺

六〇九万一六六六

一八二七万五〇〇〇

五六六万六六六六

一七〇〇万

四二万五〇〇〇

一二七万五〇〇〇

一九

堺トリ

田辺

六〇九万一六六六

一八二七万五〇〇〇

五六六万 六六六

一七〇〇万

四二万五〇〇〇

一二七万五〇〇〇

二〇

佐藤善吉

田辺

二一九三万

二〇四〇万

一五三万

二一

猪俣マツ

田辺

六〇九万一六六六

一八二七万五〇〇〇

五六六万六六六六

一七〇〇万

四二万五〇〇〇

一二七万五〇〇〇

二二

今井イシ

田辺

請求棄却

二三七五万七五〇〇

二二一〇万

一六五万七五〇〇

二三

片岡厚子

田辺

三二二五万

三〇〇〇万

二二五万

二四

亡鈴木タマ承継人

鈴木定夫

田辺

四六二万八四七一

一三八八万五四一六

四三〇万五五五五

一二九一万六六六六

三二万二九一六

九六万八七五〇

鈴木玲子

田辺

四六二万八四七一

一三八八万五四一六

四三〇万五五五五

一二九一万六六六六

三二万二九一六

九六万八七五〇

鈴木孝雄

田辺

四六二万八四七一

一三八八万五四一六

四三〇万五五五五

一二九一万六六六六

三二万二九一六

九六万八七五〇

二五

中里千鶴子

田辺

三二二五万

三〇〇〇万

二二五万

二六

須田みよの

田辺

六〇九万一六六六

一八二七万五〇〇〇

五六六万六六六六

一七〇〇万

四二万五〇〇〇

一二七万五〇〇〇

二七

早野竹治

田辺

三八九六万八七五〇

三六二五万

二七一万八七五〇

二八

蓑島イセ

田辺

七三一万

二一九三万

六八〇万

二〇四〇万

五一万

一五三万

三〇

山口求

田辺

一三四三万七五〇〇

一二五〇万

九三万七五〇〇

三一

石川正志

田辺

請求棄却

二一九三万

二〇四〇万

一五三万

三二

西まつの

田辺

二〇一〇万二五〇〇

一八七〇万

一四〇万二五〇〇

三三

開原実

田辺

四七〇三万一二五〇

四三七五万

三二八万一二五〇

三四

畑野栄子

田辺

一二九〇万

一二〇〇万

九〇万

三五

柳原秀一

田辺

四七〇三万一二五〇

四三七五万

三二八万一二五〇

三六

上原照恵

田辺

二三七五万七五〇〇

二二一〇万

一六五万七五〇〇

三七

佐藤当栄

田辺

請求棄却

三四九三万七五〇〇

三二五〇万

二四三万七五〇〇

三八

赤羽昭子

田辺

請求棄却

四一六五万六二五〇

三八七五万

二九〇万六二五〇

四〇

田口武恒

田辺

七三一万

二一九三万

六八〇万

二〇四〇万

五一万

一五三万

四一

中村マサ

田辺

六〇九万一六六六

一八二七万五〇〇〇

五六六万六六六六

一七〇〇万

四二万五〇〇〇

一二七万五〇〇〇

四二

西島まち

田辺

八九五万八三三三

二六八七万五〇〇〇

八三三万三三三三

二五〇〇万

六二万五〇〇〇

一八七万五〇〇〇

四三

野崎富美枝

田辺

二六八七万五〇〇〇

二五〇〇万

一八七万五〇〇〇

四四

斉川なみ

田辺

請求棄却

三二二五万

三〇〇〇万

二二五万

四五

若目田長治

田辺

二一九三万

二〇四〇万

一五三万

六四

礒田要

田辺

一八二七万五〇〇〇

一七〇〇万

一二七万五〇〇〇

八〇

平田政子

チバ

武田

三九四万一六六六

一一八二万五〇〇〇

三六六万六六六六

一一〇〇万

二七万五〇〇〇

八二万五〇〇〇

八二

高澤光代

チバ

武田

六七〇万〇八三三

二〇一〇万二五〇〇

六二三万三三三三

一八七〇万

四六万七五〇〇

一四〇万二五〇〇

八五

山川嘉朗

チバ

武田

四四七万九一六六

一三四三万七五〇〇

四一六万六六六六

一二五〇万

三一万二五〇〇

九三万七五〇〇

八九

石川正東

チバ

武田

一二五四万一六六六

三七六二万五〇〇〇

一一六六万六六六六

三五〇〇万

八七万五〇〇〇

二六二万五〇〇〇

九〇

胡屋富貴子

田辺

チバ

武田

三六二八万一二五〇

三三七五万

二五三万一二五〇

九一

金田洸

田辺

チバ

武田

三七六二万五〇〇〇

三五〇〇万

二六二万五〇〇〇

九六

服部須美枝

チバ

武田

七三一万

二一九三万

六八〇万

二〇四〇万

五一万

一五三万

九八

檜山みち子

チバ

武田

四三〇万

一二九〇万

四〇〇万

一二〇〇万

三〇万

九〇万

九九

増田保子

チバ

武田

四三〇万

一二九〇万

四〇〇万

一二〇〇万

三〇万

九〇万

一〇〇

吉田スヅ子

チバ

武田

八九五万八三三三

二六八七万五〇〇〇

八三三万三三三三

二五〇〇万

六二万五〇〇〇

一八七万五〇〇〇

一〇七

中村昇三

チバ

武田

一三八八万五四一六

四一六五万六二五〇

一二九一万六六六六

三八七五万

九六万八七五〇

二九〇万六二五〇

一二三

星三枝子

チバ

武田

一三八八万五四一六

四一六五万六二五〇

一二九一万六六六六

三八七五万

九六万八七五〇

二九〇万六二五〇

一三一

池上公江

田辺

チバ

武田

二一九三万

二〇四〇万

一五三万

一三二

大河原利江

田辺

チバ

武田

二三七五万七五〇〇

二二一〇万

一六五万七五〇〇

一三三

狩野量三郎

田辺

チバ

武田

二三七五万七五〇〇

二二一〇万

一六五万七五〇〇

一三五

小椋金子

田辺

チバ

武田

一八二七万五〇〇〇

一七〇〇万

一二七万五〇〇〇

一三六

立野淳子

田辺

チバ

武田

請求棄却

三七六二万五〇〇〇

三五〇〇万

二六二万五〇〇〇

一三七

都世子時敏

田辺

チバ

武田

三二二五万

三〇〇〇万

二二五万

一三九

林恒夫

田辺

チバ

武田

二三七五万七五〇〇

二二一〇万

一六五万七五〇〇

一四〇

岡部興自

田辺

チバ

武田

一四五一万二五〇〇

一三五〇万

一〇一万二五〇〇

一四一

石坂五十鈴

田辺

チバ

武田

三九四万一六六六

一一八二万五〇〇〇

三六六万六六六六

一一〇〇万

二七万五〇〇〇

八二万五〇〇〇

一四二

亡堀田恭助承継人

堀田富美子

田辺

チバ

武田

七三一万

六八〇万

五一万

中野豊久

田辺

チバ

武田

一八二万七五〇〇

一七〇万

一二万七五〇〇

中野幹子

田辺

チバ

武田

一八二万七五〇〇

一七〇万

一二万七五〇〇

平島康子

田辺

チバ

武田

三六五万五〇〇〇

三四〇万

二五万五〇〇〇

新海房子

田辺

チバ

武田

三六五万五〇〇〇

三四〇万

二五万五〇〇〇

古川雅子

田辺

チバ

武田

三六五万五〇〇〇

三四〇万

二五万五〇〇〇

一四三

古賀照男

田辺

請求棄却

一三四三万七五〇〇

一二五〇万

九三万七五〇〇

一四四

三田静江

田辺

チバ

武田

二六八七万五〇〇〇

二五〇〇万

一八七万五〇〇〇

一四五

乾栄子

田辺

チバ

武田

二一九三万

二〇四〇万

一五三万

一四六

徳永豊秋

田辺

チバ

武田

二一九三万

二〇四〇万

一五三万

一三〇四

高橋英一

田辺

チバ

武田

七九一万九一六六

二三七五万七五〇〇

七三六万六六六六

二二一〇万

五五万二五〇〇

一六五万七五〇〇

認容金額一覧表 (三)

固有番号

原告

被告

認容金額(円)

内訳(円)

弁護士費用以外の部分

弁護士費用

四六

欠瀬トシエ

田辺

六〇九万一六六六

一八二七万五〇〇〇

五六六万六六六六

一七〇〇万

四二万五〇〇〇

一二七万五〇〇〇

四七

亡北浦安治承継人

北浦としせ

田辺

チバ

武田

二四三万六六六六

七三一万

二二六万六六六六

六八〇万

一七万

五一万

今井愛子

田辺

チバ

武田

一六二万四四四四

四八七万三三三三

一五一万一一一一

四五三万三三三三

一一万三三三三

三四万

北浦弘隆

田辺

チバ

武田

一六二万四四四四

四八七万三三三三

一五一万一一一一

四五三万三三三三

一一万三三三三

三四万

木村ミヤ子

田辺

チバ

武田

一六二万四四四四

四八七万三三三三

一五一万一一一一

四五三万三三三三

一一万三三三三

三四万

四八

足達睦子

田辺

請求棄却

一八二七万五〇〇〇

一七〇〇万

一二七万五〇〇〇

六二

笹野光二

田辺

チバ

武田

請求棄却

四七〇三万一二五〇

四三七五万

三二八万一二五〇

六三

田中ヨシミ

田辺

請求棄却

三八九六万八七五〇

三六二五万

二七一万八七五〇

六五

和喰勇

田辺

チバ

武田

請求棄却

三七六二万五〇〇〇

三五〇〇万

二六二万五〇〇〇

六六

吉田シヅ子

田辺

チバ

武田

請求棄却

二一九三万

二〇四〇万

一五三万

六七

西口初一

田辺

一一六四万五八三三

三四九三万七五〇〇

一〇八三万三三三三

三二五〇万

八一万二五〇〇

二四三万七五〇〇

六八

緒方都

田辺

六七〇万〇八三三

二〇一〇万二五〇〇

六二三万三三三三

一八七〇万

四六万七五〇〇

一四〇万二五〇〇

六九

武田晋

田辺

チバ

武田

七九一万九一六六

二三七五万七五〇〇

七三六万六六六六

二二一〇万

五五万二五〇〇

一六五万七五〇〇

七〇

佐々木美代

田辺

六七〇万〇八三三

二〇一〇万二五〇〇

六二三万三三三三

一八七〇万

四六万七五〇〇

一四〇万二五〇〇

七六

齊藤常雄

チバ

武田

六七〇万〇八三三

二〇一〇万二五〇〇

六二三万三三三三

一八七〇万

四六万七五〇〇

一四〇万二五〇〇

一〇九

出口敏夫

チバ

武田

一二〇九万三七五〇

三六二八万一二五〇

一一二五万

三三七五万

八四万三七五〇

二五三万一二五〇

一一一

二沢秀子

チバ

武田

九八五万四一六六

二九五六万二五〇〇

九一六万六六六六

二七五〇万

六八万七五〇〇

二〇六万二五〇〇

一一九

西谷はるえ

チバ

武田

請求棄却

一三四三万七五〇〇

一二五〇万

九三万七五〇〇

一二六

近藤喜代

チバ

武田

一〇七五万

三二二五万

一〇〇〇万

三〇〇〇万

七五万

二二五万

一二七

高野康子

田辺

チバ

武田

七九一万九一六六

二三七五万七五〇〇

七三六万六六六六

二二一〇万

五五万二五〇〇

一六五万七五〇〇

一二八

佐藤光章

チバ

武田

七九一万九一六六

二三七五万七五〇〇

七三六万六六六六

二二一〇万

五五万二五〇〇

一六五万七五〇〇

一二九

安井弘子

チバ

武田

請求棄却

二三七五万七五〇〇

二二一〇万

一六五万七五〇〇

一三〇

安井一

チバ

武田

請求棄却

二三七五万七五〇〇

二二一〇万

一六五万七五〇〇

一三八

能勢ひろ子

田辺

チバ

武田

一〇七五万

三二二五万

一〇〇〇万

三〇〇〇万

七五万

二二五万

一四八

笠井史子

田辺

チバ

武田

請求棄却

二九三万

二〇四〇万

一五三万

一四九

田中琴代

田辺

チバ

武田

一〇七五万

三二二五万

一〇〇〇万

三〇〇〇万

七五万

二二五万

一五二

坂東房子

田辺

チバ

武田

一〇七五万

三二二五万

一〇〇〇万

三〇〇〇万

七五万

二二五万

一五三

柏尾善重

田辺

チバ

武田

一六五七万二九一六

四九七一万八七五〇

一五四一万六六六六

四六二五万

一一五万六二五〇

三四六万八七五〇

一五四

三宅ミサホ

田辺

チバ

武田

請求棄却

三六二八万一二五〇

三三七五万

二五三万一二五〇

一五五

岩佐近子

田辺

チバ

武田

一四七八万一二五〇

四四三四万三七五〇

一三七五万

四一二五万

一〇三万一二五〇

三〇九万三七五〇

一五六

田川サエ子

田辺

チバ

武田

請求棄却

三二二五万

三〇〇〇万

二二五万

一五七

亡鎌田愛子承継人

鎌田万寿雄

チバ

武田

四三二万九八六〇

一二九八万九五八三

四〇二万七七七七

一二〇八万三三三三

三〇万二〇八三

九〇万六二五〇

鎌田重康

チバ

武田

四三二万九八六〇

一二九八万九五八三

四〇二万七七七七

一二〇八万三三三三

三〇万二〇八三

九〇万六二五〇

鎌田敏子

チバ

武田

四三二万九八六〇

一二九八万九五八三

四〇二万七七七七

一二〇八万三三三三

三〇万二〇八三

九〇万六二五〇

一三〇五

矢野国栄

チバ

武田

請求棄却

二九五六万二五〇〇

二七五〇万

二〇六万二五〇〇

事実

第一節当事者双方の求めた裁判

第一  請求の趣旨

一  別紙「原告請求金額一覧表」記載の原告らに対し、各原告に対応する被告欄記載の被告らは、連帯して、各原告に対応する請求金額欄記載の金員およびこれに対する別紙「民法所定の遅延損害金起算日一覧表」記算の各起算日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  被告田辺製薬株式会社は、別紙「増額請求原告一覧表」記載の原告らに対し、各一〇〇〇万円およびこれに対する昭和五二年七月一八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

三  別紙「介護費用請求原告一覧表」記載の原告らに対し、各原告に対応する被告欄記載の被告らは、連帯して、昭和五二年七月二〇日以降当時原告の生存期間中、毎月末日かぎり一月一〇万円の割合による金員およびこにれ対する各支払日の翌日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

四  訴訟費用は被告らの負担とする。

五  仮執行の宣言

第二  被告らの申立て

一  請求の趣旨一につき、請求棄却

二  請求の趣旨二につき、主位的に訴却下、予備的に請求棄却(被告田辺)

三  請求の趣旨三につき、請求棄却

四  訴訟費用は原告の負担とする。

五  仮執行免除の宣言(被告国、同日本チバガイギー)

第二節請求の原因

第一  原告らの罹患

原告らまたはその被相続人らは、認容金額一覧表(一)記載の原告については、原告番号三大山貞雄「原告の主張」以下、同一覧表(二)記載の原告については、原告番号五坂野すえ「スモン罹患経過表」以下、同一覧表(三)記載の原告については、原告番号四六欠瀬トシエ〔とくに表題なし〕以下、いずれも、本編末尾添付の各個別主張のとおり、被告会社の製造・販売にかかるキノホルム製剤を服用してスモンに罹患し、現にその疾病に苦しみ、またはその後死亡して各該当原告においてこれを相続したものである。

第二  被告会社らによるキノホルム製剤の製造・販売と被告国による製造承認等

被告日本チバガイギー株式会社、同武田薬品工業株式会社、同田辺製薬株式会社は、別紙「キノホルム含有製剤許可等一覧表」記載の各キノホルム製剤(以下これを「本件キノホルム製剤」という)を製造または輪入のうえ販売し、厚生大臣は、右一覧表記載のとおり、本件キノホルム製剤の製造・輸入を許可または承認した。

第三  因果関係

原告らまたは原告らの被相続人である死亡患者らが、キノホルム剤の服用によりスモンに罹患したことは、スモン調査研究協議会の研究結果等により認められる次の諸事実からして明らかである。

一  スモン患者の主要薬剤服用率について

スモン患者の大多数が神経症状発現前はキノホルムを内服している。

二  キノホルム服用量とスモンについて

1 キノホルム内服総量が多いほどスモン発症率が高い。

2 キノホルムの一日服用量が多いほど短時日で発病する。

3 キノホルム内服総量が大であるほど重症度が高くなる。

三  スモンの分布と消去について

1 一定病院内のキノホルム使用量の時間的経過または場所的分布とスモンの発生数の平行する事例が存する。

2 同一地区内のスモン発生数に特定の病院への集積性があり、これがキノホルム使用状況と平行する事例がある。

3 わが国におけるキノホルム販売量の年次的推移、または地理的分布とスモンの発生数が平行する。

4 キノホルムの販売中止措置のとられた昭和四五年九月以降、スモンの新規発生が全国的に激減し、顕著な再燃を見なくなつた。

四  スモン病変とキノホルムの作用の発症機序について

1 スモン患者によく見られる緑舌・緑便は、キノホルムの三価鉄キレート化合物が原因である。

2 スモンの病理所見は、中毒症として最説もよく説明できる。

3 犬、猫、猿、ウサギなどに対しキノホルム投与実験を行なつた結果、右薬剤が神経病変を起こすことが証明され、その病理変化がヒトのスモンと本質的に異ならないことが明らかにされた。

4 右動物実験等の結果、キノホルムは腸管よりかなりよく吸収され、これが肝・腎・末梢神経等に比較的よく留まることが証明された。

第四  無過失責任

一  合成医薬品には、生命・身体に対する危険が本質的に内在するが、その大量生産・大量販売により右の危険性が一層増大する。ところで、製薬会社は、医薬品の安全性を確保するための調査・実験の知識、情報、手段を独占的に保有しているのに比べ、薬剤の服用者である原告らにはこのような能力がない。このように製薬会社が利潤追求を至上目的として、安全性を無視しつつ大量生産・大量販売を行なつた結果発生した本件のような薬害事件にあつては、右生産・販売体制自体に重大な瑕疵があつたというべきであるから、被告らは、過失の立証がない場合にも本件スモンによる損害賠償義務を免れない。

二  医薬品は、民法七一七条一項にいわゆる「土地の工作物」中に、動的危険の一態様として包含されるべきであるから、同条の類推適用により、被告会社らは前記損害賠償義務を負う。

三  被告会社らは、本件キノホルム製剤を販売するにあたり、その能書に、副作用のない安全な薬剤である旨の表示をすることにより、服用者に対してその無害性を担保したものといい得るところ、原告らは右薬剤の服用によりスモンに罹患したのであるから、被告会社らは、右薬剤の販売者として、原告らに対し、スモン罹患により生じた損害賠償義務を免れない。

四  被告国は、本質的に危険性の内在する医薬品の安全性を確保するための人的・物的組織を保有しているのに、薬事・医療行政全般を通じて国民の生命・健康を守るべき立場を忘れ、医薬品の日本薬局方収載、製造許可・承認に際し、また医薬品の発売後の監視の面で、いずれも安全性の確保を怠つたのみならず、被告会社らの安全性を無視した大量生産・大量販売を助長した結果、本件薬害を発生せしめた。そしてかかる場合には、安全性無視の行政姿勢中に重大な瑕疵があつたというべきであるから、被告国は、過失の立証なしに本件スモンによる損害賠償義務を負わなければならない。

第五  過失責任―その一―

仮に無過失責任の主張が容れられないとしても、被告会社らは、本件キノホルム製剤を含む医薬品の製造・販売にあたり、その安全性を確認すべき高度の注意義務を負担するものであつて、

一  被告会社らは、医薬品の製造・販売を開始するに際し、内外の文献等の調査、各種毒性試験・薬理試験等の動物実験、臨床試験等を行なつて、当該医薬品の安全性を確認すべき注意義務があり、もし安全性に疑いが生じたときは製造・販売をしてはならないのを当然とするところ、具体的に本件においては、文献等の調査のみによつても、本件キノホルム製剤の開始時において、すでに同剤のヒトおよび動物に対する神経障害を含む副作用の予見が可能であり、その余の注意義務を尽くすことにより右予見が一層容易となり得たにもかかわらず、これらの義務を尽くすことなくして本件キノホルム製剤の製造等を開始した過失がある。

また、製造開始後も、右の注意義務を尽くし、もしその安全性につき疑いを生じた場合には、右薬剤の販売中止ないし回収措置を講ずることによりスモンの被害の発生または拡大を未然に防止すべき義務があるところ、この段階に至つては副作用文献等の累積により、その予見がさらに容易であつたにもかかわらず、前記の義務を怠つて製造・販売を継続した過失がある。

二  被告会社らは、文献等の調査により、昭和二〇年代末当時、キノホルムの人体に対する次のような害作用を予見できた。

1 キノホルムは、当初外用殺菌剤として開発された薬剤であるのに、安全性の確認なしに内用されるに至つたもので、人体にどのような害作用を及ぼすかも知れぬ危険性を有していた。

2 キノホルムは、相当量が腸管から吸収され、CMC等の添加剤により一層吸収が促進されることが判明しており、したがつて神経等の体内各部位に分布してこれを障害する危険性があつた。

3 キノホルムは、外国の一部で劇薬に指定されており、わが国でも過去の一時期その指定を受けていた。

4 のみならず、キノホルムとその類縁化合物のヒト・動物に対する神経障害、胃腸・肝腎障害等の報告例が多数存在しており、これによりキ剤が神経障害を含む人体に対する具体的危険性を有することが明らかであつた。

第六  過失責任―その二―

一  憲法一三条、二五条は、基本的人権としての生存権、またその一内容として国民の健康を保持・増進する権利、いわゆる健康権を保障しており、薬事法は右憲法における健康権の保障を具体的に実現するための法規として把握さるべきである。

そうとすれば、薬事法中の医薬品の製造・販売についての許可・承認の制度(旧法二六条、二八条、現行法一二条、一四条、二三条)は薬害から国民をあらかじめ保護し、安全な医薬品を国民に提供する積極的義務を国に課したものと理解すべきで、被告国は、薬事法に基づき、薬害発生防止の具体的義務を個々の国民に対し負担していることになる。

二  かくして、厚生大臣は、医薬品の製造等の許可・承認にあたり、その申請者をして、内外文献の精査は勿論、各種毒性試験・薬理試験などの動物実験、臨床試験を実施させる等して、当該医薬品の安全性を確認させるとともに、自らも右と同様の調査・研究を行なつたうえ各申請を審査し、申請にかかる医薬品の安全性に疑いのあるときは、許可・承認をしてはたらず、もつて薬害の発生を未然に防止すべき注意義務がある。

しかるに、厚生大臣は、本件キノホルム製剤につき、それぞれ許可・承認の申請がなされた際、すでに、前記のとおり、キノホルム製剤が人体に対し害作用を及ぼすことの予見が可能であつたのに、右審査にあたり、被告会社らをして前記の調査研究をなさしめず、また自らの調査研究をすることなく許可・承認をした過失がある。

さらに、厚生大臣は、右許可・承認後も、被告会社らに対し、その安全性について十分な調査研究をなさしめるとともに、自らもその服用の結果について追跡調査を行ない、かつ、内外の文献等を収集するのは勿論、右各種試験を継続し、当該医薬品の安全性に関する調査研究を行ない、もし安全性につき疑いが生じたときは、直ちに当該医薬品の製造等を停止させ、また、市販中の製品を回収するなど適切な措置を講じ、もつて人体に対する被害の発生および拡大を未然に防止すべき注意義務がある。

しかるに厚生大臣は、本件キノホルム製剤の製造等の許可・承認後、前記服用結果の追跡調査その他の調査研究を怠り、何らの措置もとらないまま、昭和四五年九月八日まで被告会社らの製造等を放置した過失がある。

三  以上、被告国は、国家賠償法一条一項に基づき、スモンにより原告らの被つた損害の賠償義務を免れない。

第七  原告らの損害

一  「原告請求金額一覧表(一)」記載の原告について

右一覧表(一)記載の原告中、後記の原告を除くその余の原告らおよび固有番号一〇番の原告の被相続人亡中島覚子、同一五九番ないし一六一番の原告らの被相続人亡斉藤令子は、それぞれ、スモンの罹患あるいはそれによる死亡のため、弁護士費用を含み、五〇〇〇万円相当の財産上、精神上の損害を被り、右の各固有番号に表示の原告らは、原告の個別主張綴に記載された被相続人の死亡日に、相続により相続分に応じた右損害賠償請求権を取得した。

二  「原告請求金額一覧表(二)」記載の原告について

1 右一覧表(二)記載の原告中、後記の原告を除くその余の原告らおよび固有番号二四番の原告ら(三名)の被相続人亡鈴木タマ、同一四二番の原告ら(六名)の被相続人亡堀田恭助は、それぞれ、スモンの罹患あるいはそれによる死亡のため、弁護士費用を含み、五〇〇〇万円相当の財産上、精神上の損害を被り、右の各固有番号に表示の原告らは、原告の個別主張綴に記載された被相続人の死亡日に、相続により相続分に応じた右損害賠償請求権を取得した(ただし、右五〇〇〇万円は、左記2に記載の原告については被告田辺製薬に対する増額慰藉料相当分を除いた、左記3に記載の原告については口頭弁論終結の翌日である昭和五二年七月二〇日以降の介護費用相当分を除いた損害金である)。

2 被告田辺製薬は、本件訴訟において、(一)過去に捨て去られたスモン・ウイルス説を主張して原告らを苦しめ、(二)忌避等の手段により訴訟の遅延を図り、(三)スモン患者の日常生活を8ミリ・フイルムに盗み撮りしてそのプライバシーを侵害するなどの不当抗争に及んだ結果、前記「増額請求原告一覧表」記載の原告らに大きな精神的苦痛を与えたが、その慰藉料としては、各一〇〇〇万円(相続人たる原告らについては、被相続人ごとに一〇〇〇万円)が相当である。

そこで、右原告らは、この一〇〇〇万円を、前記1の慰藉料に加算して請求する。

3 前記「介護費用請求原告一覧表」記載の原告らは、いずれも重症のスモン患者であるので、被告ら各自に対し、本件口頭弁論の終結の翌日である昭和五二年七月二〇日以降当該原告の生存期間中一か月につき一〇万円宛の介護費用の支払を求める。

三  「原告請求金額一覧表(三)」記載の原告について

1 右一覧表(三)記載の原告中、後記の原告らを除くその余の原告らおよび固有番号四七番の原告ら(四名)の被相続人亡北浦安治、同一五七番の原告ら(三名)の被相続人亡鎌田愛子は、それぞれ、スモンの罹患あるいはそれによる死亡のため、弁護士費用を除き、五〇〇〇万円相当の財産上、精神上の損害を被り、右の各固有番号に表示の原告らは、原告の個別主張綴に記載された被相続人の死亡日に、相続により相続分に応じた右損害賠償請求権を取得した。

2 原告らは、各請求金額の一〇%の割合に弁護士費用について、被告らの本件不法行為と相当因果関係の範囲内にある損害としてその賠償請求権を有するところ、原告らは慰藉料と弁護士費用の合計を、五〇〇〇万円の限度において請求する。

四  原告らは、本訴において請求するほか、他に財産上の請求をしない。

第三節請求原因の認否および被告らの主張

第一  請求原因の認否

請求原因中、第一は不知、第二は認める。第三(因果関係)につき、被告会社らは否認、被告国は不知。第四ないし第六(責任)および第七(損害)は否認。

第二  被告らの主張

一  因果関係についての被告会社らの主張

以下に述べる諸事実に照らし、スモンとキノホルムとの因果関係は認められない。

1 スモン調査研究協議会などの資料におけるスモン患者中にはキノホルムを服用していない者が相当数含まれている。

2 外国においては、昭和四五年九月八日以前のわが国におけると同様キノホルムが販売されているのに、スモン患者の割合が著しく低い。

3 キノホルムの販売中止措置後もスモン患者の発生が見られる。

4 わが国では戦前よりキノホルムが販売されているのに、昭和三〇年以前にはスモンの発生がない。

5 岡山県では、スモンが多発したうえ感染症を疑わせる浸染度前進現象が見られた。

6 例年スモン患者の発生数は、夏場にかけて上昇曲線を辿つていたのに、昭和四五年には販売中止措置の講じられた九月八日以前である五月から七月にかけて、すでに発生数が頭打ちとなつている。

7 スモンは類似疾患との鑑別が困難であることから、協議会などによる統計上スモンとされている者の中には、他疾患罹病者の混入している可能性が大きい。

8 原告らがスモンの再現と主張する動物実験の殆んどは慢性毒性試験の方法としては不適切な漸増・大量投与の手法を用いたものであるし、右実験動物の“病変”は、死後変化あるいは標本作成の過程に生ずることのある人工産物の可能性がある。

9 被告チバによるキノホルムの長期定量投与慢性毒性試験、その後の被告田辺による同様の実験でも、実験動物にスモン様症状の発現を見ていない。

10 被告チバ、同田辺による吸収等に関する実験で、キノホルムが特異的に神経に分布・蓄積するとの所見は得られなかつた。

二  因果関係についての被告田辺の主張

スモンは井上ウイルスによつて発症し増悪をみたものである。

1 島田証言および従前提出の書証によつて井上ウイルスの存在および病原性は立証された。

2 昭和四九年までの研究によつて井上ウイルスの存在とスモン病原性は明らかになつていた。

3 井上ウイルス批判の甲野証言は信用するに足らない。

4 昭和五〇年以降においても井上ウイルスの研究は着々と成果をあげ国際的レベルにまで発展している。

5 井上ウイルス説は一元的なスモン病因論としての地位を占めうる。

昭和四七年九月厚生省特定疾患調査研究スモン班においてなされた「調査研究の凍結」措置は、まことに遺憾な出来事であつた。その決定は学界では有り得ない暴挙であつたといわねばならない。蓋し、この政治的決定は、一般世人をしてスモンの病因は医学的に確定したものと錯覚させたばかりでなく、医学界においては自由濶達にこの問題を研究・発表・討議する気風を萎縮させたからである。

関係者によつて右の暴挙撤回の措置が一日も早く執られることを念願すると同時に、今後重ねて同様の過誤を繰り返さないよう関係者一同きびしく自戒しなければならない。

三  責任についての被告らの主張

1 予見可能性の不存在

(一) 合成化学医薬品は、本来、生体にとつて異物であり、有益な作用をもつ反面、有害な作用を併せ持つものである。したがつて薬剤の有用性は、その有効性と安全性を比較衡量のうえ評価さるべきところ、右のように合成医薬品の持つ一般的な副作用の可能性をもつて、本件キノホルム製剤の神経障害作用の予見可能性ありということはできない。

(二) そして、予見可能性の判断にあたり対象とすべき副作用情報の範囲は、スモンあるいはスモンに関連する重大な神経障害に関するものに限られるべきである。

(三) また、類縁化合物の副作用からするキノホルムの副作用の予測可能性に関しては、医薬品の薬理作用の類似性は化学構造の類似性に依存するものではなく、わずかな化学官能基の変更によつても、その生体に及ぼす薬理作用が異なる場合が多いから、右のような予測は困難である。

(四) さらに、動物とヒトとの種差のため、動物において発現する作用であつても、人体においてはそれが見られない場合がある反面、人体において発現する作用であつても、動物においてはそれが見られない場合も少なくない。したがつて、動物実験で得られた副作用に関する情報からヒトにおけるそれを予測するのは極めて困難である。

(五) 外用の消毒薬である薬物が消化管から吸収されるからといつて、それが人体に有害な作用を及ぼすおそれを有することにはならない。このことは、当初外用に用いられていたが現在では内用に供されている抗菌剤が多数に上ることによつても明らかである。

(六) 以上のとおり、医薬品の安全性は、最終的には多数人に対する臨床的使用によつてはじめて確認され得るところ、キノホルム剤は長年月にわたり世界各国においてさしたる副作用もなく使用されつづけてきた。そして、本件キノホルム製剤の製造承認、製造販売の時点において、その有効性を掲載した多数の文献が集積しており、同剤が安全な著効のある胃腸薬、抗アメーバ剤であることは世界の医学・薬学界における常識であつたのであるから、かりにキノホルム剤のヒトに対する神経障害作用を疑わせる一、二例の報告があつたとしても、長年のヒトに対する臨床使用により培われた同剤の安全性を覆すに足るものではない。

(七) キノホルム剤につき、昭和四五年わが国において販売中止の行政措置がとられるまで、副作用を考慮したうえで何らかの規制措置を講じた国はスウエーデン以外になく、それとても一九六九年に投与期間の制限を行なつたのみである。

2 動物実験義務等の不存在

本件キノホルム製剤の製造承認・製造販売の開始時には、新薬の場合に要求される動物実験、臨床試験などよりも更に進んだレベルでの、長年月にわたる多数人への内用により、薬効および安全性が確認されていたのであるから、被告らにはこと改めて右実験等の義務は存しなかつた。

3 医師の行為の介在

医師は、投薬にあたり、慢然と同一薬剤を繰り返して投薬すべきではなく、疾病に対する的確な診断に基づき、薬剤の効果を見つつ、患者の健康の保持・増進上、適切妥当な投薬をなすべき義務を負つている。

ところで、本件の如く原因と結果発生の間に第三者である医師の投薬等の行為が介在している場合、被告らの責任の存否の判断にあたつては、右注意義務違反の有無などが考慮されるべきである。

四  責任についての被告国の主張

1 薬事法の規定と国の損害賠償責任

薬事法制創設後現行薬事法に至るまでの間、同法の立法趣旨と目的は一貫して、如何に医薬品の性状と品質を確保し、これに違反した不良医薬品を取り締るかにあつた。換言すれば、右立法趣旨と目的は、適正な医薬品の供給を通じて公衆衛生の向上と増進を図ることにあるというべきである。

然りとすれば、薬事行政における厚生大臣の権限は、医薬品製造業者に対する関係では、右目的の達成のために、製造業者の営業の自由を規制するものとして意義づけられるのであつて、この権限行使の結果、公衆衛生の向上および増進が図られるとともに、国民のうちの特定の個人も利益を享受することとなるが、それは右規制に伴う単なる反射的利益に過ぎない。

したがつて、医薬品の副作用により被害を受けたとする特定の個人たる原告らが、厚生大臣の義務違反を理由として国に対し損害賠償請求をしても、その法的根拠を欠くことになる。

2 許可・承認行為およびその後における権限不行使の自由裁量性

かりに、原告らが侵害されたとする利益が法的利益に当たるとしても、厚生大臣の行なう許可・承認は、いわゆる自由裁量行為と解すべきであるから、裁量に逸脱または濫用のないかぎり右許可・承認を違法となし得ない。

次に、本件キノホルム製剤の許可・承認後における厚生大臣の不作為の責任を問う原告らの主張は、厚生大臣の行政権限の不行使の責任を問うものといい得るところ、公権力の行使にあたる公務員の不作為の違法を理由として国が賠償責任を負うためには、当該公務員に法律上の作為義務の存することが必要である。そして一般に行政権限の行使は、その権限を付与された公務員の専門技術的見地に立つた合理的判断に基づく自由裁量に委ねられていると解すべきであるから、その行使を義務づけた法令のないかぎり、当該公務員はその権限を行使すべき法律上の義務を負わないものというべきである。

これを本件について見るのに、現旧薬事法をはじめとして、如何なる法令にも、厚生大臣が許可・承認後に医薬品の副作用による被害を回避するための措置を講ずるよう義務づけた規定は存しないのであるから、厚生大臣は、許可・承認後に、かかる措置を講ずべき法律上の義務を負うものとはいい得ない。

3 許可・承認にあたつての厚生大臣の注意義務の程度

厚生大臣は、薬事法に基づき、チエツク機関として後見的立場から医薬品にかかわり合いを持つに過ぎないから、製薬会社や医師に比べ注意義務の程度は軽減されるというべきで、具体的には、特定の調査目的がないまま外国の医学文献を詳細に調査、評価することや、独自に動物実験等をして薬剤の安全性を確認すべき義務を負わない。

五  責任についての被告田辺の主張

キノホルムの如く日本薬局方収載医薬品は、いわば国によつてその有効性と安全性が保証されたものといい得るから、製薬会社たる被告田辺は、医薬品の製造・販売にあたり安全確認義務を免除されるか、あるいは大幅に軽減される。

六  責任についての被告武田の主張

被告武田は、被告チバから預かつている本件キノホルム製剤を卸店に配給する単なる中間販売者に過ぎないから、原告らの主張するような薬品製造者として要求される高度の注意義務を負うものではない。<事実関係、以下省略>

理由

第一編序説

第一章本件審理の概要

第一審理の概要

――各次訴訟の観点から――

一本判決の対象とする事件

本判件は、本件口頭弁論終結時(昭和五二年七月一九日)現在において当庁に係属するいわゆるスモン訴訟の第一次ないし第五〇次訴訟(原告総数二〇〇〇余名)のうち、昭和四六年提訴の第二次ないし第四次訴訟および同四八年提訴の第二〇次ないし第二二次訴訟につき審理を遂げ、原告らの請求の当否についての当裁判所の判断を示すものである。第一次訴訟(昭和四六年(ワ)第四五一五号事件)が含まれていないのは、口頭弁論終結後における和解成立による。なお、被告の追加・変更等のため審理中に追提訴されて弁論を併合された若干の派生的事件がある。

二弁論の分離・併合

当裁判所が昭和四八年六月八日、弁論終結時と同一の構成員による最初の口頭弁論期日を迎えた際、当庁に係属するスモン訴訟の原告総数は約一三〇〇名、被告は、国、日本チバガイギー、武田薬品工業、田辺製薬のほか、さらに製薬会社一三社、医師および医療機関二三の合計四〇に上つた。原告は四グループーのち三グループーに分かれ(なお、これらグループに属さない個人訴訟も係属した)、各グループは、それぞれ別個に弁論期日をもち、かつ、書証を提出した。原告集団のグループ別化は、提訴後のことであるので、同一事件番号を付された訴訟中の原告が三〜四グループに分かれることとなり、それぞれ、第一、第二、第三、第四グループの呼称に従つて、何号事件の一、二、三、四と呼んだ。医師および医療機関を被告とする医療過誤訴訟を併合提起した原告は、おおむね第一グループにとどまり、医療過誤訴訟は原告第一グループによつて遂行された。

昭和四八年一〇月末から一一月にかけて第二〇次ないし第二二次訴訟(同年(ワ)第八七〇七号、第九四八〇号、第九四九一号)が提起された。これは第一、第二、第三グループに属する患者のうちから各一名を選んで提訴されたもので、当裁判所はこれらの事件において簡易な主張整理を行なつたうえ、三事件の弁論を併合し、ここに原告三グループに共通の併合事件が誕生することとなつた。証人の申請はその後この「併合事件」において行なわれ、証人の取調べは「併合事件」のみにおいて行なわれた。

本件口頭弁論終結前日の昭和五二年七月一八日、当裁判所は、原告各グループの提訴にかかる第一次ないし第四次訴訟のうち医師および医療機関を被告とする医療過誤訴訟部分を分離し、本来の薬害訴訟部分と前記「併合事件」との弁論を併合し、ここに原告一五七名(患者数一五四名)が第一次判決対象者として登場した。本判決において対象原告数が相続人を併わせて一三三(患者数一一九)にとどまるのは、弁論終結後における和解の成立による。

第二審理の概要――原被告の立証の観点から――

一総論の立証

当裁判所は、(1)キノホルムとスモンとの一般的因果関係および(2)被告の責任という、すべての原告に共通する事項を総論と名付け(のちに(3)損害論総論がこれに加わることとなつた)、(4)各個別の原告がスモンであるか否か、また(5)その損害の程度いかんを各論と名付けて、審理方針の案内とした。論理的見地からは、(2)が(1)についての、各論が総論についての、(5)が(4)についての、それぞれ肯定の結論を前提とするもので、当裁判所は幾度か総論((1)(2))についての中間の判断を示すこと(結論が肯定であれば中間判決、否定であれば終局判決となる)を検討したが、当事者双方の意見の一致を見るに至らず、また千数百名の原告全員(原告数は審理の進捗とともに増加の一途を辿つた)についての中間判決または終局判決ということの当否にも問題があると考えられたので、総論((1)、(2)、(3))の審理終了とともに各論の審理に入ることとした。

1 一般的因果関係

ここで問題とされるのは、被告会社らによる本件キノホルム製剤の製造(輸入)販売行為ないし被告国によるその許可・承認行為と原告らに生じたスモンの被害との間の因果関係であり、端的にいつて、スモンはキノホルムに起因するか、キノホルムはスモンの原因物質であるか、の点である。その意味で、ここにいう因果関係は、事実的、自然的、没価値的なものであり、損害の範囲を画するうえでの法律上の帰責関係ないし法的因果関係とは、その性質を異にする。

かくして当裁判所は、キノホルムとスモンとの「自然的」因果関係そのものを審理の対象とすることを宣明しつつ、因果関係についての審理を遂げた。ただ、その趣旨が、キノホルムによるスモンの発症機序の解明を訴訟の場において要求したものでないことは、いうまでもないところである。

因果関係についての証人調べは、「併合事件」において、昭和四九年一月二一日(第二回期日)から同五〇年一月二一日(第二五回期日)まで行なわれた。この間、被告申請の証人とくに被告日本チバガイギー申請のいわゆる外人証人の取調べは、原告らの強い反対を押し切つて行なわれた。

キノホルムとスモンとの間の因果関係の存否の判断は、その性質上、経験則にかかわるものであるから、その人証に関する証拠方法としては、まず鑑定が考えられるところ、当時すでにスモン調査研究協議会の昭和四六年度研究総括(昭和七・三・一三)、厚生省特定疾患スモン調査研究班の昭和四七年度研究総括報告(昭四八・三・一三)が行なわれた後でもあつたので、当裁判所は、原告らの依拠するキノホルム説の提唱者である椿、協議会の会長である甲野、のちにスモン班の班長を甲野から引き継いだ重松らを鑑定人として採用することは必ずしも妥当でないと考え、これとの対比において、被告申請の人証を含めて、一般的因果関係については、すべて証人としての取調べを行なつた。

昭和五〇年一月二一日(併合事件第二五回期日)、双方申請の証人重松逸造の取調べを終了するにあたり、当裁判所は、これをもつて一般的因果関係についての取調べは一応の区切りとする旨を、法廷において言明した。

2 責任論

責任論についての証人調べは、「併合事件」において、昭和五〇年一月二〇日(第二四回期日)から同五一年四月一九日(第五〇回期日)まで行なわれた。

責任論の審理の当初において、原告らは無過失責任論を強く主張し、責任論に関する証人の取調べそのものに強い反対を示した。原告らのかかる態度は、その心情においてこれを理解し得ないものではない。しかしながら、無過失責任主義の安易な主張は、かえつて不法行為における加害者の責任を空洞化する惧れなしとしないのであつて、当裁判所は、あえてこれを排し、過失責任主義を前提として多数の証人を採用し、また、当事者双方より、キ剤の副作用等に関する多数の文献および他庁に係属するスモン訴訟についての証人尋問調書が書証として提出された結果、本件においては、責任論に関する証拠方法が、いわば山積するに至つたものであり、かくして審理を遂げた現在においては、これら証拠の分折・整理の上に立つて、被告の責任の有無につき、仔細に評価を加えた判断を示すことが当裁判所の当然の責務であると考える。

なお、事は因果関係についてももとより同様であつて、当裁判所は、いわゆる蓋然性説ないしは「一応の推定の理論」に拠ることなく、可能なかぎり、書証についてはいわば無制限に、人証については当裁判所が必要かつ十分と考える範囲において、証拠調べを行なつた。かくして審理を遂げた現在においては、これらの山積する証拠の分折・整理のうえに立つて、能うかぎり仔細に因果関係の存否についての判断を示すことを、当裁判所の当然の責務とする。由来、本件の如く原告一人あたりの請求金額が高額に上り、しかも原告が多数に上る訴訟において、被告において因果関係の存否ないし責任の帰属を争うかぎり、被告の反証の提出を相当の範囲を超えて制限することは、訴訟の在り方として妥当を欠くものといわざるを得ず、被告から反証が提出されれば原告において再立証を要することとなる筋合であつて、前記推定の理論は、必ずしも本件の如き訴訟の審理にそぐわないものがある。少なくとも、多数証拠の提出されたのちにおいては、安易に推定の理論に拠るべきでないこと勿論である。

本件総論の審理に鑑み、ここに言及を要すると思われるのは、後記第二、三編の説示に明らかなごとく、事実認定の資料となつた証拠の多くが書証であること、人証は多くそのガイダンスとしての効用を持つにとどまること、ただし、本件に見る如き特殊な内容を有する書証につき裁判所が読解力を持ち得るためには、時としてそのガイダンスとしての人証の取調べが必要となること、これである。

昭和五一年四月一九日(併合事件第五〇回期日)、証人小西良士の取調べを終了するにあたり、当裁判所は、これをもつて責任論についての証人の取調べは一応の区切りとする旨を、法廷において言明した。

3 損害論総論についての証人調べは、昭和五一年四月二六日(併合事件第五一回期日)から同年五月一八日(同五三回期日)まで行なわれた。

二各論の立証

当裁判所は、原告各グループ別の事件において、昭和五一年三月三一日、各論の審理方針につき各当事者双方の意見を聴取した。

1 鑑定

原告各グループ別の事件において、同年五月一二日、鑑定の採否について各当事者双方の意見を聴取したうえ、当裁判所は、当庁係属原告全員についての鑑定を採用した。鑑定事項は、各原告がスモンであるか否か、スモンであるとすれば症状の程度いかん、の二項目である。当裁判所が原告全員についての鑑定という異例の方法を採用したのは、被告の申請にかかるカルテの取寄嘱託が、原告の一致した反対により、たとえ採用してもその実効を挙げ得ないと判断されたことによる。鑑定に際し、いかなる資料を必要とするかの判断は鑑定人に委ねられるが、カルテを含めて鑑定人がこれを必要としたときは、原告において積極的に協力することが同意された。鑑定の採用は、原告第一、第二グループについては、その申立てによつた。

鑑定人の人選については、前出の椿をはじめスモン調査研究協議会またはスモン班のメンバーないしその共同研究者のうちから一五名を選任した。総論の立証において椿らを鑑定人として採用することを避けたこと前述のとおりであるが、前記鑑定事項については、これらの人びとによる共同鑑定以外に、信頼度の高い鑑定結果が得られないと考えられたからである。鑑定人の人選については、すべての被告を通じて異存の旨の申出のなかつたことが、ここに付記されるべきであろう。

第一次判決対象原告(死亡患者を含む)についての鑑定書は、同年九月二五日に提出された。

2 原告本人尋問

原告各グループ別の事件につき、各口頭弁論期日または法廷外の証拠調期日において、原告各本人(相続人を含む)の尋問が行なわれた。

原告本人の尋問は、(併合審理された第一グループの医療過誤訴訟の原告本人尋問が先行したことは別として)、同年五月一一日開始され、九月三日に終了した。

三人証の取調べ終了後の経過

以上により、当裁判所は総論および各論の審理を終了した(ただし、その後においても弁論終結に至るまで、書証の提出は制限されていない)ので、同年一〇月以降、各グループ別の期日において、責任論および損害論に関する弁論を聞いていたところ、同年一二月二〇日、突如、被告田辺より証人の申出があり、翌二一日(併合事件第五五回期日)、当裁判所がこれを必要なしと認めて不採用を宣したところ、越えて昭和五二年一月七日、被告田辺より当裁判所の構成員全員に対し忌避の申立てがあり、以後、訴訟手続は停止のやむなきに至つた。

被告田辺のした忌避申立の却下決定に対する即時抗告の棄却されたのち、当裁判所は同年七月一八日、一九日の両日(併合事件第五六―五七回期日)、当事者双方の最終陳述を聞いて、本件口頭弁論を終結した。

第二章被告の認否その他について

第一争いのない事実

厚生大臣が、請求原因中の「キノホルム含有製剤許可等一覧表」記載のキノホルム製剤(以下これを「本件キノホルム製剤」という)の製造または輸入につき、品目ごとの承認(旧許可)をし、また、被告会社らが右薬剤の製造(輸入)販売を行なつたことは、本件各当事者間に争いがない。

第二因果関係に対する被告会社らの認否について

昭和五一年六月一〇日、各グループ別の弁論期日において、被告会社らは原告各グループを前に、次のように陳述した。

「本件スモン訴訟につきましては、わたくしども被告三社といたしましても、事案の性質上、かねて根本的解決が必要であると考えて参りました。

当裁判所における審理も、すでに総論的部分の立証を了り、現在個別論の証拠調べに入つている段階であります。

わたくしどもと致しましては、根本的解決をはかるためには、現在が最後の時機であろうと考えます。

そこで、被告三社と致しましては、この際、裁判所に和解による解決のため、御斡旋下さるようお願い致したいと存じます。

つきましては、次の三点を表明致します。

私どもは、日本においてキノホルムがスモンと因果関係のあつたことを認めます。

従つて、日本における社会的責任を負担し、これを回避する意志のないことを表明します。

上記に鑑み、日本チバガイキー株式会社と武田薬品工業株式会社とは、エンテロ・ヴイオフナルムないしはメキサホルムを服用した患者に対し適正な補償をすることをお約束し、田辺製薬株式会社は、エマホルムを服用した患者に対し、適正な補償をすることをお約束します。

以上の通りでありますので、何卒よろしくお願い致します」と。

しかしながら、被告田辺は、同年九月一三日付書面をもつて当裁判所に対し、「被告田辺は、現在に至るまで一貫してキノホルムとスモンの因果関係を否認し、また被告田辺の過失を否認しております」旨を通知し、また、他の製薬会社においても、或いはこれと同趣旨であるやの態度が窺われる如くである。

よつて、当裁判所は、右六月一〇日の意思表示が裁判所に対する和解の斡旋方の申出を前提としたものであること、およびすでに「総論的立証を了」つた段階においてなされたものであることに鑑み、右の意思表示が一般的因果関係についての裁判上の自白にあたるか否かの不毛の論議を避けて、因果関係についての被告会社らの認否は従前どおり否認として扱い、これに対する判断を第二編において示すこととした。

第三認定に供した書証の成立について

第二編ないし第四編において認定の用に供した書証中、その成立について争いのあるもの、および当裁判所がその成立を認めた根拠は、別紙記載のとおりである。

第四凡例

以下、いずれも理由中において、

一  「本件キノホルム製剤」とは、前記のとおり、請求原因中の「キノホルム含有製剤許可等一覧表」記載のキノホルム製剤を指す。「本件キ剤」はその略称である。

二 「副作用」とは、医薬品の主作用に対する意味での副作用でなく、薬剤を投与した医師が企図せず希望もしなかつたような薬の効果、より端的にいつて害作用あるいは逆作用(adverse reaction)の意味である。これをとくに「害作用」としなかつたのは、「副作用」という用語があまりにも行きわたつているように思われたからにほかならない。

三  「ヨードクロルオキシキノリン」、「ヨードクロルオキシキン」、「5クロル7ヨード8ハイドロオキシキノリン」とは、要するに、キノホルム(国際的一般名クリオキノール)の謂にほかならない。

四  甲1何号証、甲2何号証、甲3何号証は、それぞれ、総論につき原告第一、第二、第三グループの提出した書証であり、甲個何号証とは、個別につき原告の提出した書証で、その号証の番号は、各原告の「裁判所固有番号」(裁判所に登録された一連の通し番号)に該当する。

五第二編、第三編において、姓のみによつて表示されている諸学者の氏名等は、別紙二の一覧表記載のとおりである。なお、記載の順序は、第二編(因果関係)における姓の表示の順によつた。

《別紙一、別紙二――省略》

第二編因果関係

第一章スモンの沿革と臨床

第一節スモンの沿革と調査研究の概要

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一わが国におけるスモンの発生と病名の由来

1 本症は昭和三〇年(一九五五年)にわが国において散発し始め、漸次増加の一途をたどり、同四四年(一九六九年)には年間発生数が最高に達した。その集団発生の報告を年代順に見るのに、およそ昭和三二年頃から始まつて、山形・米沢などを皮切りに、釧路(昭和三四―三八年)、大牟田(同三四―三六年)、津(同三四―三九年)、徳島(同三七―三九年)、戸田・蕨(同三九年)、岡谷(同三八―四二年)、室蘭(同三七―四〇年)、井原・湯原(同四二―四四年)などが主要なもので、どちらかというと、地方中小都市に目立ち、病院内発生の形態をとる例が少なくなかつた。

2 この間学会において、昭和三三年楠井によつて一例の、次いで昭和三六年高崎によつて二例の報告がなされ、その後も同様の報告と学術誌への発表が相次いだけれども、これらの症状が独立疾患なのか、異なつた病因による症候群なのかについては、見解の一致が見られなかつた。

そこで本症は、昭和三九年五月第六一回日本内科学会総会(会頭前川)において楠井司会のもとに、「非特異性脳脊髄炎症」の主題でシンボジユウムとして取り上げられるに至つたが、その臨床症状の特徴については大方の意見が一致し、その席上、椿・豊倉・塚越によつて、Subacute Myelo―Optico―Neuropathyなる名称が提唱され、その略称としてSMON(スモン)という名称が生まれることとなつた。

二前川班とスモン調査研究協議会

本症の病因については、病理学的立場から中毒ないし代謝障害などが考えられる一方、感染説、とくにウイルス病原説が考えられた。そこで、昭和三九年に厚生省医療研究助成金による「下痢を伴う脳脊髄炎症の原因および治療の研究班」(いわゆる前川班)が発足し、厚生研究費が計上され、甲野、新宮らの参加のもとでウイルス学的研究が行なわれたが、この研究班は格別の成果を挙げることのないまま昭和四二年に解敢した。

しかし、前記のように、昭和四二年以降、スモンが岡山県の井原・湯原両地区を中心に多発したことから、厚生省は再び特別研究班を発足させることになり、昭和四四年九月二日スモン調査研究協議会(以下協議会という)の第一回総会が岡山市において開催の運びとなり、会長甲野のもと、疫学班、病原班、病理班、臨床班が置かれ、それぞれ重松、甲野、江頭、豊倉が各班長に選出された。

三協議会による第一回全国調査

協議会は、昭和四四年一一月に、同四二―四三年の二年間に医療機関で受診したスモン患者の調査を行なつたが、その際には、依頼先の各都道府県、指定都市の衛生部局宛に調査票とともに配布された「スモン診断基準および治療の概要」と題する書面に、診断基準として、一応、後記の椿、高崎、祖父江の各診断基準が登載されることとなつた。

四臨床診断指針の作成と第二回全国調査

しかし、より統一的なスモン臨床診断指針の存在が必要視されたので、楠井を長として、越島、祖父江、高崎、椿、豊倉、早瀬、平木からなる立案準備委員会を設け、昭和四五年三月一九日以降討議を重ねた結果、同年五月八日本章末尾添付別紙一記載の「スモンの臨床診断指針」が設定された。この診断指針による調査票を用いて、昭和四四年の一か年間および翌四五年一月から六月末までの初診患者を、同年九月末の時点において調査したのが、第二回全国調査である。

五協議会およびスモン班による把握患者総数

協議会の調査およびその後の調査結果では、昭和四七年六月末現在で、全国患者数は九二四九人(人口10万対9.2)、うち確実五八三九人、スモン容疑三四一〇人で、年次別発生は、確実と容疑の合計が、昭和四一年以前発病一八五九人、昭和四二年一四五二人、四三年一七七〇人、四四年二三四〇人と漸増してきたのが、昭和四五年はじめて一二七六人に減少し、四六年にはなお三六人を数えたが、四七年には三名(うち確実二名)、四八年には確実一名のみとなつた。

昭和四七年度の一年間の受診患者につき実施された特定疾患スモン調査研究班によるそれをも含め、三回の全国調査について患者の重複などをチエツクし、最終的に甲野らが把握した全国スモン患者数は一万一〇〇七名となつた旨、報告されている。

六緑舌・緑尿についての研究の発表

ところで、スモン患者に緑色舌苔がかなり高率に見られることは、昭和四四年秋、豊倉・井形・高須らによつて気付かれ、翌四五年二月二七日の臨床班会議で発表され、次いで同年五月、田村らは、緑色尿を排泄するスモン患者二名の尿中に発見された緑色物質と針状結晶がそれぞれキノホルムの三価鉄キレート化合物、非抱合型キノホルムであることを分析の結果明らかにし、六月三〇日の班会議においてこれを発表した。

七椿の仮説と新潟県下を中心とする疫学調査

そこで椿は、キノホルムがスモンの原因ではないかとの仮説を立て、新潟県下を中心に疫学的調査を行ない、その結果を所轄新潟県衛生部に報告したところ、これが同年八月七日の朝日新聞の報道するところとなつた。

八中央薬事審議会の答申とキ剤販売中止の行政措置

椿の報告を重視した厚生省は、同月二七日「キノホルムの副作用に関する小委員会」を開き、協議会より会長甲野、国立衛生試験所より毒性部長池田良雄ならびに厚生省薬務局担当官が会合したうえ、九月二日には、さらに「キノホルムに関する打合せ会」が招集され、協議会より会長甲野ほか六名、中央薬事審議会より会長右館守三ほか医薬品安全対策特別部会の五名、同副作用調査部会の阿曽引一ほか五名、厚生省薬務局長以下関係者が会合した。この会合での検討がもととなつて、九月四日厚生大臣の諮問(厚生省発薬第一九〇号)が発せられ、これを受けて同月七日、中央薬事審議会が開催されたが、同審議会には、椿・豊倉・甲野が参考人として呼び出された。そして、この審議会の結論に基づき、会長石館は厚生大臣内田常雄宛に左記内容の答申を行なつた。

「スモンは現在わが国が対処すべききわめて重大な疾患であり、その早急な病因解明が強く望まれているものである。スモンにおけるキノホルムの明確な役割は今後の調査研究によつて明らかにされるべきであるが、本病発生に対してキノホルムがなんらかの要因になつている可能性を否定できないので、事態がさらに明確になるまで当分の間下記の措置をとることが適当であると考える。

1 キノホルムおよびキノホルムを含有する製剤の販売を中止させるとともに、これらの使用を見合わせるよう警告すること。

2 他の8Ⅰヒドロキシキノリンのハロゲン誘導体についても同じ扱いをすること。

3 腸性末端皮膚炎等医療上本剤を使用することが特にやむを得ない場合については、別途考慮すること。」

厚生省は、この答申に基づき、同月八日、各都道府県知事宛に左記内容の薬務局長通知「キノホルム及びキノホルムを含有する医薬品の取扱いについて」(同年薬発第七八七号)を発し、キノホルム製剤の販売停止措置に踏み切つた。

「標記については……中央薬事審議会……の答申に基づき、標記医薬品については、今後下記のとおり取り扱うこととしたので、御了知のうえ指導に遺憾なきを期されたい。

1 キノホルム及びブロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品の販売を当分の間中止させること(後略)。

2 キノホルム及びブロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品であつて、既に販売されているものについては、その使用を見合わせるよう広く一般に周知を図ること。

3 腸性末端皮膚炎等医療上これらの医薬品を使用することが特にやむを得ない場合の措置については、おつて通知すること。

4 キノホルム及びブロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品の製造(輸入)は、今後当分の間承認及び許可しないこと。」

九協議会によるスモン患者のキ剤服用率の調査

右時点以後、協議会によつて、後記で認定のとおり、キノホルムの毒性に関する動物実験、定量法、代謝とくに標識キノホルムによる生体内分布の研究、培養神経細胞に対する直接毒性実験、徴生物学的実験が行なわれ、また、スモン患者のキノホルム服用調査が二回にわたり行なわれた。すなわち、第一回は楠井委員長のもとに昭和四五年九月二〇日臨床班員一八名の自験例を対象とした調査で、その結果発病前六か月のキノホルム服用率は「不明」および「ないらしいが不確実」を除くと84.7%の数値が得られた。第二回は、全国医療機関に受診した確実なスモン患者につき、昭和四六年七月一五日から調査票を配布・回収し、翌四七年二月二七日これを集計解析したもので、総数から「不明」と「ないらしいが不確実」を除くと、キノホルム服用率83.4%、さらに同一医療機関受療中神経症状を発した一〇九二人について見ると服用率83.4%の数値が得られた。

一〇スモンの病因についての協議会の総括等

1 協議会の昭和四六年度研究総括

以上のような調査および実験結果に基づき、協議会は、昭和四七年三月一三日の総会の研究総括において、「以上述べた疫学的事実ならびに実験的根拠から、スモンと診断された患者の大多数はキノホルム剤の服用によつて神経障害を起こしたものと判断される」と結論づけた。

2 スモン班の昭和四七年度研究総括報告

協議会は、昭和四七年度より特定疾患調査研究スモン班(班長甲野)として、より一層のスモンの原因究明と治療、予防法の確立を目指して再出発したが、甲野班長は、同四八年三月一三日のスモン班総会において、「新発生患者の届出は、昭和四七年六月大阪府よりの一名に止つた。このことはキノホルム発売停止措置がいかに有効であつたか、換言すればスモンの病因はキノホルムをおいては考え得ないことを示すデータであり、キノホルム病因説は確定されたとみてよいと思われる」と述べている。

3 スモン班の昭和四八年度研究の総括報告

その後、昭和四九年三月一三日のスモン班総会においても、「その後の疫学的事実および研究成績から昭和四七年三月一三日スモン調査研究協議会の総会において……とした総括〔前記1参照〕に背馳する事実は認められず、キノホルム原因説はより一層強固なものとなつた」と述べている。

4 スモン班の昭和四九年度の総括研究報告

さらに昭和五〇年三月二一日の班会議においても、班長重松は、「昭和四六年度に報告されたスモンとキノホルムの因果関係については、昭和四九年度の研究(動物実験、新発生患者サーベイランスなど)で、決定的となつたといつてよい」と述べている。

第二節スモンの臨床

一椿による臨床的考察

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1 椿は、昭和三九年、豊倉・塚越とともに、下痢その他の腹部症状に続く神経症状により死亡した六例(釧路市立病院一例、三重県立医大二例、岐阜県立医大一例)、ならびに東大附属病院、浴風会、毛呂病院において観察した原因不明の亜急性横断性脊髄症三二例(うち二〇例につき腹部症状の前駆あり)を検討し、その結果を前記第六一回日本内科学会総会で発表したが、その際右各症例の臨床的特徴を別紙二のとおり要約した。

2 その後椿は、スモンの普遍的な臨床上の特徴として右所見のほかに「女性に多く、小児には殆んど見られない」、「春から夏にかけて多発する」という二つの事項を追加したが、不明確な表現を避ける意味から右のうち別紙三記載の諸事項を挙げるにとどめ、これが第一回全国調査の際、「椿の診断基準」として調査表に添付されたものである。

3 右1、2の定型的な臨床所見に対して、椿は、新潟大学神経内科で受診したスモン三五一例を検討した結果、全経過を通じ腹部症状を欠くものが九例見られ、また本症の重症例中には視力障害、運動麻痺が強度な反面、知覚障害が前景に出ず、しかも前記の異常知覚も軽い症状の者があることを指摘している。

二高崎による臨床的考察

<証拠>によると、次の事実が認められる。

高崎ほか二名は、胃腸症状、とくに下痢・腹痛などを前駆に発症する脊髄症状につき昭和三八年以前既に作成済の左記臨症所見の総括(1)ないし(5)の診断基準に合致した自験二八例(同年四月の第三七回日本伝染病学会総会発表分)ならびに東海、北陸、信越の三地方にわたる疫学調査による総数一四六例中胃腸症状を有し膝反射の亢進する五三例、三重県立大学医学部高崎内科で剖検した三例につき検討したうえ第六一回内科学会総会に発表し、右各症例における臨床所見を左記のとおり総括した。

「高崎による臨床所見の総括」

(1) 中年以後の女性に多発する傾向がある。

(2) 前駆症として、下痢・腹痛などの胃腸症状を有する。

(3) 下肢末梢に始まる上行性知覚異常と痙性対麻痺をきたし、末梢ほど程度が強い。障害の脊髄レベルがさほど明確でなく、腰腹部で麻痺の停止するものが多い。

(4) 血液、髄液に殆んど変化がない。

(5) 明瞭な緩解、再発は認められない。

(6) 既知の病原体の確認ができない。

(7) 病理組織学的に脊髄後索・側索に限局した変性像を認める。

右の臨床所見の総括を基本として作成されたのが、第一回全国調査における診断基準の一つとなつた別紙四「高崎の診断基準」である。

三祖父江による臨床的考察

<証拠>によると、次の事実が認められる。

1 腹部症状

同人は、スモンの腹部症状として、神経症状発現前に慢性的に続く下痢・腹痛等の症状と、神経症状の発現と時期的に密着して見られる前駆症状ともいうべき、深部でえぐられるような、やけつくような独特の感じを伴う激しい腹痛で他覚的所見を欠くものと、の二種類を指摘する。

2 神経症状

腹部症状に引き続き下肢末端部がしびれ、このしびれは左右対称性に上行し、そ径部・臍部に達し、表在・深部知覚ともに下肢末端部ほど強い特異な異常知覚を訴える。下肢麻痺・視力障害は必発でないがかなり多数例に認められ、下肢の深部反射が一般に亢進する。これに対し、上肢が障害されることは少なく視神経以外の脳神経が障害されることは稀である。

初発症状は両足のしびれが圧倒的に多く、症状の進展は大多数が上行性知覚障害の経過をたどる。そして知覚障害のうち高度鈍麻は振動覚が最も高率である。

異常知覚につき

まず足部に関しては、(ア)足の裏に餅がついている、厚いゴムが貼りついている、ベニヤ板が貼つてある、厚いボール紙が数枚ついている、割箸が数本入つている、スポンジがついている、豆が沢山ついているなどの、足裏に厚いもの、硬いものがついた感じと、(イ)足指がくつついてしまつている、窮屈な靴をはいている、ゴムの足袋をはいている、足首がひき締まつて縮まる、足首に鉄の輪がはまつている、足の肉の中に砂利がつまつているなどの足が硬くなり、締め付けられるような感覚とが、特徴的である。

次に下腿および大腿部では、何かで締め付けられる、突つぱる、石膏で固まつている、ギブスをまいた様、鎖で締められている、などの硬くなつた感覚が主に訴えられている。

3 なお、第一回全国調査の際登載された同人による診断基準は別紙五のとおりである。

四楠井による臨床的考察

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

楠井によると、前記診断指針に従つたスモンの臨床症状は以下のとおりである。

1 必発症状

(一) 腹部症状

下痢と腹痛が主体で、時に悪心・嘔吐、便秘、腹部膨満感、鼓腸などもこれに随伴することがある。

(二) 神経症状

急性または亜急性に発現し、知覚障害が前景に立つのを特徴とする。この障害は両側性に現われ、最初は足底、次第に上行して大腿部、さらに臍の高さ位に達し、末梢ほど強く上界が不鮮明である。そして、物がついている、締め付けられる、ジンジンする、ピリピリする、しびれる、砂利道を裸足で歩くような感じ、足底を針で刺されるような感じ、などと表現される独特の異常知覚を訴える。

2 参考条項

(一) 下肢の深部知覚障害を呈することが多い。

とくに末梢ほど強い振動覚の低下、位置覚障害が見られ、しかも深部知覚を証明する患者の歩行は失調性となり、ロンベルグ現象(被検者に両足爪先の間を閉じて立たせ両眼を閉じさせると、身体の動揺が強くなる脊髄性の運動失調をいう)陽性を呈する例がきわめて多い。

(二) 運動障害

下肢にきわめて多く出現し、下肢の筋力低下、起立不能ないし歩行障害をきたす。また、下肢腱反射の亢進、バビンスキー現象・痙性麻痺性歩行などの錐体路徴候を呈する。

(三) 知覚・運動障害は軽度ながら上肢にも起こり、指先や手に異常知覚を伴う知覚低下、手や腕の筋力低下、腱反射の亢進、ホフマン=トレムネル反射(前者は、検者の母指と示指で被検者の中指末端部をつまみ末端関節で受動的に強く屈曲させ急にこれを放つと、陽性なら、中指のみならず他の指が各関節で手掌に向つて屈曲運動を示す上肢の反射を、後者は、検者の指で被検者の中指末節を掌側からはじいて受動的に伸展させると、陽性なら、前同様各指の屈曲運動が起こる上肢の反射をいう)などを証明することがある。

(四) 次の諸症状を伴うことがある。

(1) 両側性視力障害

この併発率は二〇ないし四〇パーセントで軽重があり、自覚的に目がかすむ程度から視神経萎縮による失明までさまざまである。

(2) 脳症状として意識障害、嚥下・発語障害、痙攣、眩暈・失神、不随意運動などが挙げられ、神経質、憂うつ、不眠などの精神症状は殆んどの例に見られる。

(3) 腹部症状に随伴して緑色舌苔を呈し、また緑便をきたすことがある。

(4) 膀胱・直腸障害は、下肢の知覚・運動障害と相前後して起こるけれども、高度なものを除き比較的早期に消褪する。

(五) 経過はおおむね遷延し、再燃することがある。

(六) 血液像・髄液所見に著変がないことは、類症、例えば臨床・病理的にスモンと酷似する悪性貧血における亜急性連合性脊髄変性症(SCD)、臨床的に紛わしいギラン・バレー症候群(G―B)などとの鑑別上きわめて重要で、SCDではメガロブラステン(巨大赤芽球)の出現など特有な血液像を呈し、G―Bでは、髄液の細胞増加ながいのに著明な蛋白増量を認める。

別紙一

「スモンの臨床診断指針」

必発症状

1 腹部症状(腹痛、下痢など):おおむね、神経症状に先立つて起こる。

2 神経症状

a 急性または亜急性に発現する。

b 知覚障害が前景に立つ。両側性で、下半身、ことに下肢末端につよく、上界は不鮮明である。とくに異常知覚(ものがついている、しめつけられる、ジンジンする、其他)を伴ない、これをもつて初発することが多い。

参考条項(必発症状と併わせて、診断上きわめて大切である)

1 下肢の深部知覚障害を呈することが多い。

2 運動障害

a 下肢の筋力低下がよくみられる。

b 錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、バビンスキー現象など)を呈することが多い。

3 上肢に軽度の知覚・運動障害を起こすことがある。

4 次の諸症状を伴なうことがある。

a 両側性視力障害

b 脳症状、精神症状

c 緑色舌苔、緑便

d 膀胱・直腸障害

5 経過はおおむね遷延し、再燃することがある。

6 血液像、髄液所見に著明な変化がない。

7 小児には稀である。

別紙二

椿・豊倉・塚越による臨床所見の概括

(1) 初発症状は足底、足尖より次第に上行する異常覚が多い。

(2) 知覚障害レベルはD10(Th10)〜L1(別紙図面一、二を参照)が多い。

(3) 四肢末端部の知覚障害の著しいものが多い。

(4) 深部知覚のとくに障害されるものが多い。

(5) 手指の異常知覚を伴うものもある。

(6) 下肢の完全または不全麻痺。

(7) 視力障害を伴うことが多い。

(8) 顔面神経その他の脳神経麻痺は殆んどない。

(9) 膀胱・直腸障害は約半数に認める。

(10) 膝反射亢進、アキレス反射はしばしば減弱ないし消失

(11) 髄液は一般に正常

(12) 亜急性に発病し、前駆症状として下痢または腹痛を伴うものが多い。

別紙三

「椿の診断基準」

(1) 腹部症状につづいて神経症状をおこす。

(2) 神経症状の発現は急性または亜急性。

(3) 知覚障害が前景に出る(運動障害の強さは問題にしない)。

(4) 知覚障害は下半身に強い。ことに下肢末端が著明。

(5) 知覚障害は知覚低下のみならず異常覚を伴う。

(6) 知覚障害は治癒傾向が少ない。

(7) 下記のいずれか一つの症候を伴う。1体節性障害 2錐体路徴候 3視力障害

(8) 類似疾患を除外出来る(ギラン・バレー症候群、ビタミン欠乏症、癌性神経症、脱髄疾患、膠原病、ポルフイリア、アミロイドーシス)など。

別紙四

「高崎の診断基準」

(1) 前駆症状として下痢、腹痛などの胃腸症状を有する。

(2) 突然に下肢麻痺に始まる上向性知覚異常と痙性対麻痺をきたす。

(3) 白血球数は正常が軽度減少し、赤沈値の促進も著明でない。

(4) 髄液の異常所見は殆んどない。

(5) 比較的予後良好でRemissionがない。

(6) 中年以後の女性に好発する。

(7) 既知の病原体が確認出来ない。

(8) 病理組織学的に脊髄後索、および側索に強い変性像を認める。

別紙五

「祖父江の診断基準」

(1) 下痢、腹痛などの腹部症状に続いて急性または亜急性に発症する。

(2) 足のうらのしびれに始まり、左右対称にしびれが上行する。

(3) 知覚障害レベルは主としてD10(注、Th10に同じ)―L1で左右対称性の障害。

(4) 下肢末端部程、知覚障害の程度が強い。

(5) 特異な激しい異常知覚を訴える。

(6) 深部知覚障害が強い。

(7) 手の知覚障害は1/4の例のみで程度も軽い。

(8) 大腿四頭筋反射亢進、下腿三頭筋反射低下例が約半数ある。

(9) バビンスキー系病的反射の出現は比較的少ない。

(10) 視力障害は約1/5の症例にみられる。

(11) 視神経以外の脳神経はおかされにくい。

(12) 下肢の強い麻痺は1/4の症例にみられるが、全く麻痺のない例も1/4程度ある。

(13) 髄液は正常所見が多い。

(14) 経過は遷延し下腿以下特に足のうらの異常知覚はよくならない。

(15) 腹部症状、結核、腎炎などで入院中に発症するものが1/4におよぶ。

(16) 種々の消化器疾患、開腹術、婦人科疾患、結核、腎炎などの既往歴をもつものが八五%におよぶ。

(17) 三〇才以上の女性に発生頻度が高い。

(18) やせ型で神経質のものが多い。

《図面一、図面二――省略》

第二章スモンの病理

第一節小川・堤らによる岡山地方におけるスモン剖検例の病理的観察

第一小川・堤らの所見(甲1一五号証「岡山地方のSMON剖検例」)甲1一五号証によると、次の事実が認められる。

同人らは、岡山地方におけるスモンおよび関連疾患の剖検例につき検索した結果、以下の知見を得た。

一症例

それらの臨床・病理診断の結果は、本章末尾添付別表一記載のとおりで、うち病理学的にスモンと診断された二五例の合併症・死因などは別表二記載のとおりである。それらのうち、特別な合併症の認められなかつた症例7、10、14、15、18、21、23、26と、合併症も死因たり得るほど重症でない症例1、2、9、17、25の合計一三例は、いずれもスモンによる球麻痺が直接死因と考えられる臨床像を示した。

二神経系の病変

1 脊髄

偽系統的連合性索変性と呼ぶべき、スモンにおける最も特徴的な変化が見られた。

全例に薄束(ゴル束。なお、脊髄後索の構造につき本章末尾添付別紙図面一参照)・錐体側索路(別紙図面二参照)が選択的に侵され、薄束では、頸髄上端部に最も強い。錐体側索路では腰髄に最も強く、上行するに従つて軽減するが、後索病変に比べやや弱い傾向がある。これら索病変を経時的に見ると、神経症状発現後一か月以内では、薄束・錐体側索路のいずれもニユーロン末梢に始まる軸索(有髄神経の構造につき別紙図面三参照)の膨化、次いでその崩壊とともに髄鞘の変性が起り始めるが、髄鞘はなおよく保たれているものが多い。炎症性細胞浸潤はない。一〜三か月以内では軸索の崩壊が増強し、崩壊部に小数の大食細胞が散在し、髄鞘変性崩壊部にズダンⅢ陽性の中性脂肪が見られる。

五か月以上では完全な軸索・髄鞘の消失に加え著明な泡沫細胞の出現を見る。

二年以上になると、高度な膠症を薄束中央に認め得る。脊髄灰白質は白質に比べ変化が弱い。急性例で前角神経細胞のcentral chromatolysis(中心性ニツスル虎斑溶解)や空胞形成が認められる。

2 菱脳

(一) 延髄

薄束の変化は、頸髄上端の変化に連続しており、楔状索(ブルダツハ索、別紙図面一の一〜三参照)にも軽度な病変を合併する例が多い。オリーブ核に強い変化を認める。

(二) 小脳

torpedo形成を認めた例が二例あり、歯状核に軽度な神経細胞の委縮を見るほかは著変が見られない。

3 大脳

皮質ではベツツ細胞(図面二参照)に軽度な委縮を見る程度で、神経細胞に特別な変化は見られない。

4 脳・脊髄神経

脳神経では視神経に、脊髄神経では下肢の神経に、高度の変化を認める。病変の分布は、別表三脳・脊髄神経の項記載のとおりである。

(一) 視神経

視神経の構造については別紙図面四参照。病変は左右対称性、強さはニユーロン末梢の外膝状体近辺で最高で、視交叉あたりでかなり減弱し、視束に及ぶものは少ない。視束を横断像で見ると、中心部に、より強い変性(黄斑線維束の変性)を認める。

(二) 脊髄神経

末梢の変化を脛骨神経で検索したところ、太い神経線維に強い変性崩壊が認められ、細いものは比較的よく保たれている。脊髄神経根の変性は明瞭な軸索・髄鞘の崩壊が一九例中八例に認められ、後根の方が前根に比べより強い変化を認めた。

神経節には全例変化を証明し得たが、脊髄の高さによる明瞭な強弱の差は見出し得なかつた。

5 自律神経

一五例につき腹腔神経節を、九例につき頸〜胸部交感神経幹を検索したところ、前者に高度な衛星細胞増生巣の形成が多く見られたのに対し、交感神経幹の変化は軽度であつた。

三諸臓器の病変

舌に錯角化症(緑毛舌の像)を認めるほかは、本症に特有な病変が見られなかつた。

四神経系の炎症性病変等

脊髄その他の神経組織につき、急性例の全経過を通じ、また慢性例の早朝においては、炎症性細胞浸潤は殆んど見られない。

さらに、神経組織以外の組織にも、炎症反応や通常のウイルス感染によく見られる封入体形成が認められない。

以上一ないし四の知見から、小川・堤らは、スモンをもつて、多くの代謝異常・欠乏症・中毒性疾患と形態学的に類似性を有する疾患で、とりわけ、ペラグラの病変に最も近似していることを指摘している。

五キ剤の投与量と病変の強度との比較

なお、同人らは、前記各剖検例について、錐体側索路の病変の広がりを基準にしてキノホルム投与量とその病変の強さを比較したところ、十〜卅病変の広がりは、一〇〇mg/kg以下では胸髄下部以下に、二g/kg以下では胸髄上部以下に、五g/kg以下では頸髄以下に、六g/kgを超えると延髄にも変化が及んでいることから、右両者間に相関性があることを指摘している。

第二ヘスによる甲1一五号証に対する批判の当否

ところで、ヘスは、一九七四年七月四日付「スモンの病理所見」と題する論文中で小川らの前記所見に対して、(一)キノホルム投与量とスモンの形態学的変化の関係を検討するにあたり、変性の軽重度が錐体路の病変の程度によつて測定された理由が不明である、(二)また右程度とキノホルム投与量との関係を表わす図中には症例18の錐体路病変の強さが表示されているのに、同症例の脊髄の写真(甲1一五号証末尾の写真1)には錐体路に明らかな損傷が見られない。(三)さらに、症例15の脊髄神経節の写真(右書証末尾の写真15)は病変を識別し得るほど、はつきり写つていない旨の批判を行なつている。

しかしながら、<証拠>によれば、小川らが本来スモンの特徴である知覚の伝達路、すなわち、脊髄後索の病変によらず、錐体側索路の病変を基準にして変性の強さを比較したのは、後索の変性が激しいあまり症例別の比較が非常に困難なためであること、また症例18については、錐体側索路(第三腰髄)が変性をきたしていることを表わすスライド写真が、症例15については、脊髄後根神経節の神経細胞が崩壊しそこに外套細胞が侵入していることを表わすスライド写真が、それぞれ前記写真とは別に存在することが認められる。

したがつて、ヘスの右批判は当を得たものとはいい難い。

第二節豊倉による病理的考察

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一豊倉の知見(その一)

豊倉は、東大医学部脳研究所神経内科の剖検例四例を検索した結果、スモンの神経病理的特徴として、以下の知見を得た。

1 原則的特徴

(一) 非炎症性、亜急性のpseudo-systemic degeneration(偽系統性の変性)で、主要病変は、末梢神経、脊髄後索・側索、視神経に見られる。

(二) 長い神経・神経索ほど侵され易く、対称性で、その遠位部に病変の程度が強く早く現われる。

(三) 運動性よりも知覚性ニユーロンが強く侵され、原則として第二次知覚ニユーロン以上は傷害から免れる。ただし、視神経のみは例外である。

(四) 神経線維の軸索の変化が著明で、これに髄鞘の崩壊を伴う。

2 個別的所見

(一) 末梢神経とくに下肢に強く、かつ、遠位部に強い神経線維の減少、軸索の断裂、珠数化、腫脹、崩壊とこれに伴う髄鞘の脱落

(二) 脊髄後索の遠位部に強く、かつ、おおむねゴル索に限局する変性で髄鞘よりも軸索の変化が強い。

(三) 脊髄側索の遠位部に変性を見ることもしばしばあるが、後索のそれに比し程度は軽い。

(四) 視神経の乳頭黄斑線維を主とする変性。

(五) 脊髄神経根にも病変が及んでいる場合には、後根の変化が前根のそれより常に強い。

(六) 後根神経節における神経細胞の変性、外套細胞と太く変形した。subc-apsular dendritesの増殖。

(七) 延髄オリーブ核(神経細胞の変性と肥胖星状膠細胞の増殖)、腰髄前角、小脳皮質、歯状核、中脳灰白質、三叉神経下降路、アンモン角、末梢自律神経系の神経線維および神経節の変化や、大脳の虚血性変化を認める例がある。

二豊倉の知見(その二)

また、豊倉は、スモン患者三六例(四〇件)について行なつた腓腹神経生検所見を、同年令層の対照例(急死剖検例)二五例の腓腹神経所見と対比して検索したところ、以下の知見を得た。

1 スモンにおける腓腹神経障害としては、軸索の変化がとくに著しく、腫脹、断裂、細小化、著明な珠数化等が認められ、これらの出現率は対照例と比較して有意に高い。

2 オスミウム酸固定標本によつて有髄神経線維数を測定すると、スモン一五例全例に同年令層の対照一六例と比較して数の減少を認めた。

3 有髄神経を直径6μ未満の小径線維と6μ以上の大径線維とに分けると、対照例では小径線維の方が多いのに対し、スモンでは小径線維の減少が見られ、大径線維の数とほぼ等しいか、またはそれより少ない例が約半数に認められた。

4 なお大径線維の減少の著明なスモン例もあり、このような例では下肢の深部知覚障害が顕著であつた。

三前記一、二の知見に基づく豊倉の指摘

ところで、ウイルスを含む感染症、アレルギー、代謝障害、欠乏状態等に基づく神経系病変の性質と局在・分布の特徴は、次表の如く三群に分けられるところ、豊倉は、前記スモンの神経病理学的所見が第三群、すなわち、代謝障害、中毒、欠乏状態の際に見られる神経系病変に一致することを指摘している。

病因

性質

局在・分布

1

感染症

炎症性変化

巣性、散布性またはびまん性

2

アレルギー

脱髄(軸索保存)

軽度の炎症

散在性または多巣性、しばしば血管周囲性

3

代謝障害

変性(軸索、髄鞘、時にニユーロン)

対称性・偽系統性(特に長神経索を侵す)。

比較的選択的な病変局在を示す。

中毒

欠乏状態

Pseudosystemic Degeneration

第三節白木・小田によるスモンの病理的考察

<証拠>によると、次の事実が認められる。

白木らは、別表四記載のスモン剖検例七例を検索した結果以下の知見を得た。

一脊髄

病変は、後索に著しく、左右ほぼ対称性で、下部腰髄から延髄ゴル核直前にかけ、ほぼ連続性に発展するそう白化、脱髄として全剖検例に認められる。そして、一か月以内の急性例では、軸索そのものの消失に加えて、その膨化、空胞化、断裂などが目立つけれども、髄鞘の方は軸索の周囲に残つている。後索における病巣分布は、下半身の主病変に対応してゴル索に主座があり、他方、脊髄知覚路の第一中継核であるゴル、ブルダツハの両核には、神経細胞の脱落がなく、全例において延髄から上の知覚路には異常が認められない。

また、脊髄の皮質錐体路の全例に左右対称性、連続性の病変が見られ、それはとくに慢性例で中部胸髄以下の側索路に目立つ。延髄から上のレベルの皮質錐体路、前中心回には著変が見られない。

椎骨管外の末梢神経についても、急性例・慢性例を問わず、軸索・髄鞘の双方が強く侵されるけれども、三か月以上遷延すると神経線維の脱落よりもシユワン核や膠原線維の増えが目立つてくる。

二脊髄後根神経節

節神経細胞は、各種の崩壊、脱落像を示すものが多く、節内の軸索変性、脱髄、シユワン細胞核、衛星細胞核、膠原線維の増えも著しい。

三交感神経系

脊髄後根神経節同様に侵される。

四視神経(別紙図面四参照)

全例が侵されており、比較的急性例では交叉部中心性の限局性軟化巣である。他方、遷延例では、眼球直後から外膝状体に至る両側の視神経のほぼ全長にわたる脱髄で、軸索は比較的よく残り、全体としてその中心部に著しく、同部が嚢胞性に軟化するが、外膝状体には著変がない。

炎症像は、症候性のものを除き、見出し難い。

五副次的所見

以上の中核をなす病理像のほかに、副次的な所見として、延髄オリーブ核神経細胞における著しい空胞変性・星状グリア反応、ならびに小脳皮質プルキニー工細胞のtorpedozが挙げられる。

なお血管壁の炎症性細胞侵潤は、全例を通じ少数・症候性範囲を超えず、対照例にも見られる程度である。

六結論

以上の病理所見から、白木らは、スモンの病因を欠乏・代謝障害の一群に属するものと推定している。

第四節松山らによる電子顕微鏡的研究

<証拠>によると、次の事実が認められる。

一松山らは、臨床的にスモンと診断され、発症後一か月から三年六か月までの四症例の腓腹神経生検材料を電子顕微鏡的に検索した結果、基本病変として軸索内ニユーロフイラメントの増量と病変が進行すれば軸索の崩壊、髄鞘が侵されるなどの病像を認めた。

二さらに同人は、スモンの神経病理が、とくに大きいニユーロンほど侵され易く、しかもその末梢部よりperikarya(細胞体核周辺部)に向つて進行する、いわゆるdying-back neuropathyの型をなし、右病変は薬剤中毒やビタミン欠乏症の際に見られること、その場合ペリカルヤは末梢部の病変に後れて単純萎縮の形をとり、最後にはニユーロン全体が消失する経過をたどるのを通例とするところ、スモンでも脊髄後根神経節の神経細胞や、網膜の神経細胞層の神経細胞(別紙図面五参照)にこの型の病変を見ることがあること、また、ダイイング・バツク・ニューロパシーを呈する猫のアクリルアミド中毒実験でプリニアスが最初期の変化として、ニユーロンの最末端にニユーロフイラメントの増加を見ていることを指摘している。

三その後、松山は、経過二年のスモン剖検例の神経線維を電子顕微鏡的に観察した結果、スモンがアクリルアミド型の変性病変であることを確認している。

第五節協議会の昭和四六年度研究報告(昭四七・三・一三)

一白木の報告

<証拠>によると、次の事実が認められる。

白木は、標記協議会において、右時点までに協議会所属の病理学者らによつて殆んど異議なく確認されたスモンの病理所見につき、以下のとおり報告している。

1 神経系以外の臓器・組織とくに腸、肝、腎、内外両分泌腺などに見られる病変は、後記強烈かつ恒常性を有する神経病変に比べ特異性を欠く。

2 一般の特徴

スモンは、脊髄長索路、つまり知覚性後索路と運動性錐体路、および末梢神経の変性々疾患で、変性は左右ほぼ対称性、ニユーロンの遠位に強く、系統性もしくは偽系統性をなす。また、神経線維の軸索、髄鞘がともに侵されるが、急性死亡例では軸索の方が髄鞘よりも強い損傷を受ける。

3 脊髄

下半身に対応する長索路としての後索病変はスモンの全剖検例に見られ、しかもその遠位に位置する頸髄ゴル索に最強で、上半身に対応するブルダツハ索の病変は、これを欠くか、または軽度である。

次に、錐体路病変は腰髄に最強で、上行するにつれて軽度となるが、後索のそれに比べて軽くかつ頻度も恒常性を欠く。

灰白質神経細胞についてその脱落・消失は殆んどないが、腰髄を中心に前角細胞の逆行性変化、空胞性病変が、前角の腹内側を中心に軸索腫脹性の類球体が、多発する。

4 末梢神経中脊髄レベルの後根神経が恒常的に侵され、後根神経節の神経細胞も胸・腰両脊髄レベルに著しく、頸髄により軽い。

5 交感性・副交感性神経節・索の両病変は、後根神経節と索病変に比べより軽度である。

右2ないし5の病変はスモンにとつて恒常的であるのに対し、以下の病変は、それが存在することによりスモンの診断を一層確実ならしめるものである。

6 視神経の両側性かつ同性格の変性が見られる。

病変は視索のほぼ全長、外膝状体の直前ではそのほぼ全域にわたり、交叉部から遠位部の視神経にかけてはその中心部に限局し、乳頭部に近づくにつれ次第に範囲が狭まるとともに、その腹外側部に限られてゆく傾向がある。

さらに、網膜のinner ganglion cell layer(内神経細胞層)の神経細胞が脱落し、とくにpapillo macular region(乳頭黄斑部)に著しい例があるけれども、外膝状体の神経細胞の脱落は見られない。

7 延髄レベルにおける迷走神経根の病変は、比較的臨床経過の短いものに目立つ。しかし、延髄の背側迷走神経核には著変を見ない。

8 大脳から脳幹にかけては、前記諸領域に比肩できる所見を見出すことが困難である。

9 結論

以上の知見から、スモンは、脊髄長索路と脳神経根を含む末梢神経系の系統性(もしくは偽系統性)変性症で、そのEtiopathogenesis(疾病の原因論)としては、中毒性もしくは代謝障害性と考えられる既知の神経疾患群の範疇に組み入れることができる。

二江頭の報告

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

病理部会は、昭和四四年秋から、全国より収集した剖検例一五〇中各班員による顕微鏡的検索の結果スモンと決定された一一四例をもとに、左記のとおり、スモンの病理組織学的診断基準(案)を作成したが、右検索では、内臓臓器で神経系の変化に匹敵する特異的変化は、舌の過角化症のみである。

「スモンの病理組織学的診断基準(案)」

SMONは脊髄長索路および末梢神経の変性疾患である。変性はほぼ対称性で、ニユーロンの遠位に強い。

Ⅰ 脊髄・・(1)病変はゴル束にもつとも強い。 (2)錐体路もおかされる。 (3)前角細胞のcentral chromatolysis〔中心性ニツスル虎斑溶解〕が腰髄そのほかに見られることがある。

Ⅱ 末梢神経・・(1)末梢神経の病変も下肢遠位部に強い。 (2)後根神経の病変は前根神経よりも強い。 (3)後根神経節内の神経細胞もおかされることが多い。 (4)自律神経にも変性がみられる。

Ⅲ 視神経の変性を伴うことがある。通常は視索と視神経交叉附近がおかされる。

Ⅳ 病変の強い例ではオリーブ核等に変化がみられる。

Ⅴ 大脳、小脳には上記部位にみられるほどの強い変化を認めないのを常とする。

《表一〜四――省略、図面一の一〜三、二〜五――省略》

第三章スモンと他疾患との異同

被告らは、以下の諸疾病とスモン間には臨床あるいは病理の面で類似性が見られることから、スモンの独立疾患性に疑問があると主張するので、以下この点につき検討する。

一悪性貧血における索性脊髄症(Subacute combined degeneration of spinal cord以下、SCDと略称)

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  臨床面

椿・楠井によると、SCDには、四肢末端に強い知覚異常、脊髄後索性運動失調、下肢の著しい筋力低下、深部反射低下または亢進、錐体路徴候などの神症状が見られ、さらに、舌炎、高色素性貧血、血中ビタミンB12値の低下、右ビタミン補給による諸症状の緩解、胃液低酸症、巨大赤芽球(メガロブラステン)の出現を見れば診断が容易になる。

このほか、椿・豊倉は、スモンでは特徴的な腹部症状、視神経が侵され易いなどの点を挙げ、高崎はスモンには血中B12値の低下がなく、シリング試験(Co60―B12を経口投与し、次いで非標識化B12を大量筋注し、二四時間経過後の尿中放射能値の測定により、Co60―B12の排泄率を調べるもの)によるビタミンB12の吸収障害も認められず、同ビタミン投与の効果がないことを、鬼頭は、SCDでは脊髄の知覚障害レベルがスモンより判然としている点を挙げるが、血中B12値の測定なしにスモンとの鑑別がしにくい症例もあることを指摘している。

2  病理面

白木は、エルプスロエー、マイヤー、ベビン、ヴアジヤールなどの業績から、SCDの脊髄病変がスモンのそれと類似することを指摘しながらも、SCDの起こり方や分布が集中・散在または両者の混合形態をなし、一次病巣が必ずしも対称性・系統性をなすものとはいえず、新旧両病変の混在も見られること、病変の程度は髄鞘に著しいけれども、軸索も強く侵されることを指摘している。

二ギラン・バレー症候群(G―Bと略称)

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

楠井によると、G―Bの臨床所見は、急性に四肢の知覚・運動麻痺が生じ、髄液には蛋白質が異常に増量するのに細胞数に変化のない、いわゆる蛋白細胞解離が見られること、また顔面神経麻痺をしばしば伴い、腱反射が減弱ないし消失するのに対し、病的反射は出現しないことなどである。

椿・豊倉は、本症とスモンとの臨床面での相違点を本章末尾添付別表一のとおり要約しており、黒岩、阿部、鬼頭も右同旨の所見を両疾患の鑑別基準として指摘している。

三視神経脊髄炎(Devic's disease)

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

本症は、脊髄と視神経がともに侵されるもので、比較的急激に四肢の麻痺に前後して視力減退・消失をきたす。その病理像は、脱髄巣が脊髄・視神経に主として存在するが、しばしば大脳にも見られることである。

椿による本症とスモンとの鑑別点は、デビツク病では、腹部症状の先行が殆んどなく、下肢の運動障害と知覚障害が同時かつ急性に出現するのが普通で、脊髄の病巣部位に一致して明確なレベルを有し、上部に別の病巣があつた場合それが巣性のため上肢障害は左右不対称に出ることである。また、楠井は、デビツク病で急性経過のものは三か月以内に死亡することが多く、慢性経過例では増悪と緩解を繰り返すところからスモンと鑑別できると指摘する。

なお、本症をもつて、後記多発性硬化症の急性型とみなす者もある。

四ペラグラ

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

葉酸の欠乏に起因するといわれ、臨床的には、胃腸症状、対称性皮膚発疹、中枢および末梢神経症状を呈する疾患で、病理像は、末梢神経の退行性変性、脊髄後・側索の変性、運動神経核の退行変性などを呈する。

黒岩は、本症とスモンとを比較して、前者がアルコール中毒者に多く、特有の皮膚発疹があり、痙攣などの中枢神経症状を示し、上下肢とも侵され、錐体路症状を認めないのに対し、スモンは下肢錐体路症状を多く示すなどの点を鑑別点として挙げている。

白木は、神経病理学的なペラグラとスモンの類似性を挙げながらも、スモンとの相違点として、本症がひろく中枢神経系の神経細胞にセントラル・クロマトリシス(中心性ニツスル虎斑溶解)が見られる点、さらにスモンの脊髄病変がペラグラのような汎発性・温和・不明確なものでなく、中性脂肪にまで崩壊がすすむ非常に強い索病変である点を指摘している。

五多発性硬化症

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

脳脊髄の各所に生ずる脱髄巣と症状の消長緩解を二大特徴とする本症のうち、スモンとの鑑別が問題となるのは、わが国で比較的多いといわれる視神経脊髄型であることを椿・黒岩は指摘している。

黒岩によると、右型の本症では、左右差が多く、脳幹症状、すなわち、球麻痺・眼筋麻痺などが多発すること、スモンでは視力障害が先行することはなく、スモンの脊髄症状には索性脊髄症型が多く、また下肢のしびれ感はスモンで多く見られることなどを鑑別点とする。

次に、椿によると、多発性硬化症では両下肢の完全麻痺が急激に来ることは殆んどなく、左右不同の不全麻痺となり易く、また深部反射は殆んど亢進するのに対し、スモンがこのような形となつた時にはしばしば深部反射(ことにアキレス反射)が低下することを右鑑別基準に挙げている。

六急性間歇性ポルフイリア(AIPと略称)

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

本症は、①腹部症状(腹痛、嘔吐、便秘)、②精神症状(不安、不眠、ヒステリー症状)、③神経症状(脱力、四肢麻痺、全身痛)を三徴候とする疾患で、腹痛と神経症状を多発する点でスモンとの鑑別に留意を要する。尿中にはボルフイリンの前駆物質であるporphobilinogenを排泄するのが特徴である。

黒岩は、AIPでは、優性遺伝、意識障害、球麻痺、運動障害が多く、錐体路障害は稀で自律神経症状が多く、尿のワトスン=シユワルツ反応(ボルホビリノーゲン検出法で、右物質が存在すれば水溶液が淡赤紫色を呈する)が陽性を示すことなどを鑑別点として挙げている。

七癌性ニユーロパシー

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

肺癌によるものが大多数で、スモンとの鑑別上問題となるのは多発性神経炎症状を呈するもので、病理組織学的所見もスモンに酷似するけれども、宮崎によれば、瘠せや食欲不振など、癌を疑わせる全身状態の低下の存在から生前診断も不可能でない。

八アミロイド・ニユーロパシー

<証拠>によると、次の事実が認められる。

慢性腹部症状に続き混合性ポリニユーロパシーを示す。アミロイドージスでは、慢性の交代性の下痢と便秘を示し、続いて神経症状をきたす。

本症とスモンとの差異につき黒岩は、本症が表面感覚の障害を生ずるのに対し、スモンでは深部感覚障害をきたすこと、本症では優性遺伝を示し、難治性かいよう、無汗症、起立性低血圧などの自律神経症状が見られるが、スモンでは右症状を見ることが少ないことを指摘し、宮崎によれば、本症の診断に直腸粘膜生検が役立つ。

九抗結核剤(INH、EB)によるニユーロパシー

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  森によるスモンとの異同点

森は、自験の抗結核剤によるニユーロパシー一〇例とスモン七二例(九大第二内科在局時)について、臨床神経学的特徴の比較検討を行なつた結果、右両者の異同点を別表二のとおり要約している。

2  祖父江によるスモンとの異同点

本症につき祖父江は、以下のとおりスモンとの対比を行なつている。

(一) スモンでは女性に発症が高率であるが、BE―N(エタンブトール・ニユーロパシー)では性差は見られなかつた。スモン、EB―Nともに五〇歳以上に高率に発症するが、その傾向はスモンの方がより著しい。

(二) スモンでは七〜九月に高率に見られるが、EB―Nでは月別発生に特別な傾向は見られなかつた。

(三) 四〇日以内の発症率、五〇g以内の発症率は、EB―Nに比ベスモンではより高率であつた。

(四) スモン、EB―Nの神経症状の比較では、知覚障害レベルTh10のものの率、特異な異常知覚、二点識別覚障害、失調、中等度以上の下肢運動障害率はスモンの方がより高率であつた。高度の視力低下はEB―Nに高率に見られた。

(五) 腓腹神経生検では有髄神経線維の脱落、髄鞘の変化はEB―Nに強いものが多く、軸索の変性はEB―N、スモンのいずれにも強いものが多く見られた。

(六) エタンブトール1.0g/kgを家兎に投与し、八〜二三二日の観察で末梢神経、神経根、脊髄神経節、視神経に病変を認めた。キノホルム0.25g、0.4g/kgを同様家兎に投与し八〜一五〇日の観察で、末梢神経、神経根、脊髄神経節に病変を認めた。両者の病変はかなり類似しているが、キノホルム投与群では髄鞘変化がエタンブトール投与群に比べ少なく、キノホルム投与群では後根の方が前根に比べ軸索変性が強く見られ、エタンブトール投与群では後根、前根に差は見られなかつた。

(七) エタンブトールではキノホルムにみられるような白ネズミ肝ミトコンドリアに対する脱共役作用は見られなかつた。

一〇結論

前記認定にかかるスモンの臨床診断指針作成に至るまでの経過、臨床、病理像などを総合考慮すると、スモンは他の類似疾患と鑑別可能な独立の疾患というべきことが明らかである。

《表一、表二――省略》

第四章スモンの疫学

第一節因果関係認定における疫学的手法

一いわゆる公害訴訟等における因果関係の認定につき、しばしば疫学的手法が採用されていることは周知のとおりであるが、当裁判所は、本件における「キノホルムとスモンとの因果関係」の成否についても、まず疫学の面から検討することを相当と考える。

二疫学的手法についての概説

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

1 疫学における病因研究の方法

疫学における問題の原因研究の方法としては(1)記述疫学的方法、(2)分析疫学的方法および(3)実験疫学的方法がある。

(一) 記述疫学的方法とは、自然界における流行のありのままの姿を観察し、流行の特性を観察・記録・考察する方法である。

(二) 分析疫学的方法は、記述疫学的方法によつて考察された諸事項から作られた疾病の発生原因に関する仮説を吟味検討する方法であつて、具体的には、(a)症歴調査、(b)追跡調査、(c)因果関係の総括的検討の三つを挙げることができる。

(三) 実験疫学的方法は、分析疫学で吟味検討された仮説を実験によつてさらに確認するとともに、とくに原因の作用機序を探究する目的で行なわれ、具体的には動物実験による方法と実際の衛生行政対策の中におり込み、人間集団について野外でその仮説の立証と細部観察を実施するいき方がある。

2 病因の推論につき検討すべき諸条件

そして、右記述疫学的および分析疫学的方法で、相関性の高い因子が浮かんできたときは、その因子と疾病との間に因果関係があるかどうかを、観察諸成績を総合的に吟味検討して結論することになるが、ある因子がある疾病の原因であるとするためには、次の諸点を検討することが必要であり、その条件が認められる場合には両者の間に因果関係の存在することがかなり高い確率で推定される。

(一) その因子が健康障害の発現に先行して存在していること。

(二) 両者の間に高い関連性(association)があること。時間的、場所的および集団の種類別にみても同様の関連性が認められること。

(三) そのような関連性が医学的理論とも矛盾しないこと。

(四) 量と反応の関係(dose-respose relationship)があること。

そこで、以下キノホルムとスモンの関連性について、順次考察することとする。

第二節キノホルムのスモン発症に対する先行因子性

一椿らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

椿らは、昭和四五年七月、本章末尾添付の別表一に示したA〜Gの七病院(うち新潟県六、長野県一)の診療科における入院または外来患者で、スモンと診断された全症例を調査した(以下椿の七病院の調査という)。ただし、F病院では同表※※のとおりの三五例を対象とし、F病院を除く六病院については受診前発症の一五例を調査対象から除外した。このような調査対象一七一例につき神経症状発現前のキノホムル剤服用の有無を調査したところ、同表記載のとおり、一六六例(九七%)はキ剤を服用しており、五例は服用の事実を把握できなかつた。一方、B、C、E各病院のスモン患者の神経症状発現前の他の薬剤の使用頻度は、多いものでも五〇%前後が服用されているに過ぎなかつた。

二豊倉らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

豊倉らは、昭和四五年九月頃、東大病院神経内科六五例、埼玉県戸田市中島病院二二例、虎の門病院内科神経外来二一例、関東中央病院内科四例その他六例、合計一一八例のスモン患者を調査した。右スモン患者のうち、スモン初発当時の薬剤服用状況を明らかにし得た三五例につき調査したところ、三四例はキ剤を服用していた。

三祖父江らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

祖父江らは、名古屋大学附属病院内科での外来・入院のスモン症例と、他にある期間内にスモンが多発した四病院でスモンと確認した症例とについて、キ剤の使用状況を調査した。調査例数合計二五四例で、このうちキ剤使用中に発症したもの一九一例(75.1%)、キ剤使用を中止してある期間後に発症したもの四〇例(15.8%)で、スモン発症前にカルテ上からはキ剤が処方されていないもの二三例(9.1%)であつた。

四黒岩らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

黒岩らは、福岡市南部六校区を対象として昭和四四年八月以来、内科、外科、小児科などの二六施設についてカルテ調査、集団検診を行なつたところ、昭和四五年一二月現在二七名のスモン患者を発見し、この内二五例(九三%)が神経症状発現前にキ剤を服用していることが判明した。

五大村らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

大村らは、国立呉病院内科を受診した下痢を伴うスモン患者一〇七例についてキ剤服用状況を調査したところ、このうち確実に服用しているものは八二例(76.6%)で、確実に服用していないもの一六例(14.9%)、おそらく服用していないもの九例(8.4%)であつた。

六島田らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

島田らは、岡山県井原市民病院において調査した結果は別表二のとおりで、昭和四三年から同四五年までのスモン症例一一五例のうち神経症状発現前にキ剤投与を受けたものは七三例(63.5%)であつた。

七野村らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

野村らは、関東中央病院消化器内科において調査したところ、同院でスモン患者三六例を経験したが、この中三三例(91.7%)が神経症状発現前にキ剤を服用していた。うち同院受診中に発症した二〇例では全例キ剤を服用していた。これに対し、他病院受診中に発症した後同院に転院してきた一六例では、一三例(81.3%)にしかキ剤の服用を発見できなかつた。

八吉武らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

吉武らは、石山病院において昭和四一年から同四五年六月まで腹部手術をうけた一五五例で、術後六か月間についてキ剤内服の有無を調査した。手術の対象となつた基礎疾患は胃癌三七例、胃潰瘍一〇一例のほか、胃炎、胃ポリープ、胆石などで、虫垂炎は含まれていない。調査した一五五例の術後患者中三四例が発症している。この三四例全例がキ剤を内服していた。

九山本(俊)らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

山本(俊)らは、岡山県湯原温泉病院内科および小児科を昭和四〇年四月から同四六年三月の受診(入院を含む)した全患者の診療録について、キノホルム使用状況とスモン発生とについて調査した。この間におけるスモン発生数は「疑いスモン」を含めると一四一名であり、このうち神経症状発現前にキ剤の投与を受けたものは一〇七名(75.9%)であつた。なお、非服用者として処理した三四名のなかには、発症前のキ剤服用の有無についてきわめてあいまいなものが一五名含まれており、これを差引いて計算すると発現前のキ剤服用率は84.9%となる。

一〇協議会およびスモン班の調査

1 一八班員によるキ剤服用状況調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

スモン調査研究協議会は昭和四五年九月下旬、同協議会臨床班所属の班員二〇名に調査票を送付し、同年一〇月二〇日までスモン患者について、(ア)神経症状発現前六か月以内と、(イ)発現後とにおけるキ剤服用状況の調査を依頼したところ、別表三のとおり、一八班員から右(ア)(イ)の両者について各八九〇例についての回答が得られた(以下これを「一八班員によるキ剤服用調査」という)。その結果は、別表四のとおりで、そのうち、前者の、神経症状発現前に六か月間についての調査症例の総数八九〇例から「薬剤使用状況の不明」一四八例および「ないらしいが不確実」二二例を除いた七二〇例を一〇〇%として、これに対する「服用あり」六一〇例をとつて、神経症状発現前六か月間のキ剤服用率を計算すると、84.7%となつた。

2 全国スモン患者のキ剤服用状況調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

スモン調査研究協議会は昭和四六年七月一五日、各都道府県、指定都市を通じ、全国医療機関に対し、同年四月一日から翌四七年三月末日までの間に医療機関で受診したスモン患者およびその疑いのあるもので当該医療機関における初診の者をすべて調査票により報告するよう依頼した。右依頼に応じ報告した医療機関およびその報告数は別表五のとおりであり、重複を除いた数は二四五六例となる。右の調査結果のうち、神経症状発現前六か月のキ剤使用状況別患者数は別表六のとおりである。この表により、総数二四五六例から「薬剤使用状況の不明」六一七例および「ないらしいが不確実」一八九例を除いた一六五〇例を一〇〇%として、これに対する「服用あり」一三八一例をとつて、神経症状発現前六か月のキ剤服用率を計算すると、83.7%となつた。

以上の協議会の二回にわたるキノホルム服用状況調査の結果の数字はよく一致し、一般にスモン患者の発病六か月前キノホルム服用率が八五%といわれる根拠になつている。

3 スモン班の調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

昭和四七年度に厚生省はいわゆる難病対策の一環として八疾患を特別に指定し、原因究明、治療方法解明のため調査研究班を編成した。各研究班長および疫学担当者は八疾患の疫学調査を能率的に行なう目的で特定疾患疫学調査協議会を発足させ、全国の病院に対して一次調査、二次調査からなる疫学調査を実施してきた。二次調査として行われた患者個人調査で判明したスモン患者は一八八八名であり、神経症状発現以前六か月以内のキ剤服用は、あり六一%、なし六%、不明三三%となつている。不明を除いたものを一〇〇%とすれば、ありは九二%となり、前記の全国スモン患者のキ剤服用状況調査成績の83.7%より、高率になつた。

一一結論

以上の諸調査に対して指摘されている、対照調査の行なわれていないものがある点、発症前のキ剤服用者の率にバラツキがあり、非服用者にも発症している点については、後記第三節一、第六節二において検討するとおりである。

以上の諸調査によれば、スモン発症前のキ剤服用率は、63.5%から100%に至るが、この中でとくに、全国的規模で行われた協議会の調査およびスモン班の調査において83.7%、九二%となつている点は、アザラシ症患児の母親の妊娠中におけるサリドマイド服用率に関するレンツの調査成績の80.4%をも凌ぐもので、このこと自体、キノホルムとスモンの関連性が相当に高度であることを示すものということができる。

第三節キ剤服用とスモン発症との関連性

一症歴調査

1 椿らの調査

(一) 七病院における調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

椿の七病院における調査の結果の一六三例につき神経症状発現迄のキ剤服用期間は本章末尾添付の図一のとおりで、キ剤服用開始後一一〜四〇日で神経症状を発現したものが多い。

また、一六二例についての神経症状発現迄のキ剤服用量は図二のとおりで、一〇〜五〇g服用後神経症状を発現したものが多い。

五二例についてのキ剤一日服用量と神経症状発現迄の服用期間の関係は別表七のとおりで、一日六〇〇mg服用の場合は三三〜一二八日(平均48.8日)で神経症状を発現し、一二〇〇mg服用の場合七〜一三一日(平均29.4日)でこれを発現しており、後者が短時日である。しかし、服用されたキ剤量の平均は、前者29.3g、後者35.3gで両者間に差はない。

(二) H町病院における調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

椿らは、昭和四五年九月末から一〇月にかけて新潟県H町の町立病院において次の調査を行つた。同病院内科外来に昭和四四年一月一日より翌四五年七月末日までに受診した全患者の症歴四一五〇枚を調査し、このうち(Ⅰ)病歴にキ剤投与の記載のある症例、(Ⅱ)キ剤使用の記載はないが消化器疾患で受診した症例をすべて抽出したところ、(Ⅰ)は二六三例、(Ⅱ)は七〇八例見出された。これら両群について、スモンあるいはそれに類似した神経症状の検討を行なつたところ、(Ⅱ)中には、神経症状の記載はまつたく見られず、(Ⅰ)中には、スモン一八例(6.8%)、スモン疑い一一例(4.2%)、その他の神経症状一五例(5.7%)であつた。右のその他の神経症状は、「下肢が冷える、つつぱる、しびれる、ふらつく、目がかすむ」などの愁訴のみの記載にとどまるものと、腱反射異常、病的反射の断片的記載が加えられた場合であり、坐骨神経痛、脳軟化症などの診断がなされている場合を除外した。以上のとおり、キ剤非服用消化器疾患群には神経症状の発現の記載がなく、キ剤を投与された患者からは16.7%の神経症状発現者があつたことになる。

次いで、(Ⅰ)の二六三例につき、キ剤服用期間を一三日以下と一四日以上に分けると別表八のとおりであり、一三日以下の服用例では一五三例中、スモン一例、その他の神経症状三例、計四例(2.6%)であるのに比して、一四日以上服用した一一〇例中、スモン一七例、その疑い一一例、その他の神経症状一二例、合計四〇例(36.4%)と、明らかに一四日以上服用群に神経症状が多く見られた。

(三) S病院における調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

椿らは、新潟県内S病院内科外来に昭和四五年一月一日から同年九月末日まで受診した全患者の病歴三〇五二枚のうちキ剤投与の記載のある症例二七七例と、キ剤投与はされていないが消化器疾患で受診した症例七六六例について、スモンあるいはそれに類似した神経症状の検討をキ剤服用後に限つて行なつた。キ剤服用消化器疾患での神経症状の記載は六例あり、キ剤服用者ではスモン一九例(6.9%)、スモン疑い例六例(2.1%)、その他の神経症状一一例(4.0%)であつた。キ剤服用者のスモンあるいは神経症状発現率は13.0%となり、前記H病院と殆んど一致した。キ剤服用期間を一三日以下と一四日以上に分けてみると別表八のとおりで、一三日以下の服用では、スモンあるいはその疑い例はなく、一四日以上の服用では、スモン一九例、その疑い六例、その他の神経症状九例であり、明らかに一四日以上が多くなつていた。前記H病院の調査および右S病院の調査に基づき、椿は、この二病院のスモンとキ剤の相関はともに0.1%の危険率で有意であるとしている。

次に、S病院において、非スモン患者とスモン患者(疑い例を含む)について、キ剤一日投与量と投与日数を対比したところ、図三のとおりであり、非スモン例では投与期間が短い例が多いことが示されている。

以上H病院、S病院の調査により、椿は、神経症状の発現時期とキ剤の服用された時期は密接な関連がある、キ剤一日服用量の多いものは比較的短期間の服用で発病する場合がある、と述べている。

2 吉武らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

吉武らの前記調査によれば、調査した一五五の術後患者中三四名が発症している。術後六か月以内にキ剤を内服したのは七八例であるが、このうち三四例43.6%が発症しており、発症者は全例キ剤を服用していた。一方キ剤を服用しなかつた七七例中には一例の発症もなかつた。また、発症群と非発症群について基礎疾患、手術術式、輸血量、抗生剤投与の各項についての関連を検討したが有意の差は見られなかつた。

3 倉恒らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

倉恒らは、スモンとキノホルムの関連に関する疫学的研究として、実際上検定可能な方法と考えられる、腹痛・下痢からなる何らかの腹部症状があつてキ剤を投与された集団と、同様の腹部症状があつたがキ剤を投与されなかつた集団とを比較して、前者の集団に有意に高率にスモンの腹部症状と神経症状あるいはスモンの神経症状が発現するか否かを検定することとした。この方法として、国立療養所福岡東病院の一看護区域に昭和四一―四二年に一時的であつても入院していた結核患者一〇三五例の各カルテに基づき調査し、腹部症状(腹痛あるいは下痢、または両方)を一日以上経験し、何らかの治療処置を受けた者を選び出したところ、三三一名選出された。別表九のとおり、この三三一名のうち一一四名はキ剤(エマホルム)を投与されており、この中から五名のスモン患者が発生している。五名はいずれも神経症状発現前にキ剤投与を受けていた。これに反し、キ剤を投与されていない二一七名の中からはスモン患者が発生していないことがわかつた。この差をフイツシヤーの直接確率計算法で検定すると、P.≒0.005で有意であつた。

4 青木らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

青木らは、名古屋市某病院で昭和四四年度の外来患者四三一八例を対象として、各症例毎にキ剤使用状況を調査した。右外来患者四三一八例中のスモン発生例は二一例で、キ剤を服用しているもの五三二例のうちスモン発症は一七例(3.2%)であり、キ剤を服用していない三七八六例のうちスモン発症は四例(0.1%)であつた。この差はP<0,001で有意であつた。なお、男女別のキノホルム投与無別スモン発生頻度は別表一〇のとおりで、とくに女子では、投与ありの発症率5.6%、投与なしの発症率0.2%で、差が著しかつた。

なお、以上の対照調査の行なわれた椿ら、吉武ら、倉恒ら、青木らの調査結果をまとめて表示すれば、別表一一のとおりである。

5 伊東らの調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

伊東らの釧路K病院における調査によれば、キ剤の投与を受けた患者二五三五名のうちスモン発症者は二二名(発症率0.9%)であり、キ剤の投与を受けない消化器病患者九〇八五名にはスモン発症者はなかつた。

6 以上の病歴調査によつて、同一医療機関内において、キ剤服用群の方が非服用群よりスモン患者の発生率が有意に高いことが判明した。

二スモン発症の家族集積性、施設集積性、地域集積性

1 A病院、E病院における院内発生

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

A病院外科では比較的短期間にスモン患者が多発しているが、当該科における患者の発生数の推移とキ剤の使用量を比較すると図四のとおりで、キ剤使用量の増加とともに患者が多発して使用量の減少とともに患者発生も減少した。E病院(長野県某国立結核療養所)における患者の発生状況は図五のとおりであり、伝染性を示す例証であるといわれたが、調査の結果、この図で示された入院中スモン発症の全患者と病棟担当でスモンに罹患した二人の医師とは、神経症状の発現前にキ剤を服用していたこと、また当時他の病棟ではキ剤が殆んど投与されていなかつたこと、一病棟のスモン多発が終つた時点以後には、全病棟にわたつてスモン患者が少しずつ発生していたが、それらの患者はいずれもキ剤が投与されていたこと、また、非スモン入院患者二四〇例の病歴を調べたところ、キ剤を投与されていたものは五例(うち三例は少量)のみに過ぎなかつたこと、が見出された。以上の調査から、椿は、病院のキ剤使用量の推移と患者発生頻度には関連がある(集団発生のため伝染を疑われたE病院の発生はすべてキ剤をもつて説明できる、と述べている。

2 名古屋市における院内発生

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

安藤、祖父江は、スモンの多発したA、N、K、Yの四病院における、院内発生状況とキ剤使用との関連について調査した。右の四病院におけるスモンの医療形式別スモンの発生状況は別表一二のとおりである。A病院では院内発生例は昭和四一年に一例、四二年に二例、四三年九例、四四年二一例、四五年(八月末まで)一四例で、ことに各種疾患で通院中のスモン罹患例が多く、また、五例の往診中の発症例があることが注目される。勤務中のナース一例がスモンに罹患し、通院中発症例の中には夫婦一組(発症間隔三か月)、勤務中の健康ナースの夫、二軒おいて並び家とその筋向い家の中年の三女性が含まれている。

N病院での院内発生例は昭和四〇年二例、四一年二一例、四二年一例、四三年三例、四四年一例で、ここでも通院中の発症例が多い。また、勤務中のナース一例が罹患し、通院中発症例の中には父と娘の例(発症間隔三か月)、女主人と女中の例(発症間隔二年)が含まれている。

K病院では昭和三九年六月〜四三年二月にわたつて多発し、以後の院内発生は四例にとどまつている。ここでも通院中発症例が多く、勤務中のナースと事務員一名ずつが罹患し他疾患で入院していた病院ナースとエツクス線技師それぞれ一名もスモンを発症した。スモンに罹患した勤務中のナースの姑はスモンで死亡している。

Y病院では昭和三八年から四一年七月までに結核病棟入院患者より一〇例、四〇年五月から一年間に一般病棟入院患者より四例のスモンが発生したが、ここでは通院中の患者や病院勤務者でスモンに罹患したものはない。

以上の四病院でのスモンの院内発生の状況を見ると、A病院では昭和四五年八月末まで発生が継続したが、他の三病院ではある時期から急激に減少ないしは発生が見られなくなつている。病院単位で見ると院内発生は三〜四年間にわたり、その間にも二、三のかなり多発する時期が認められる。

そこで、A、N、Kの三病院について、カルテの記載からキ剤の使用状況について調査したところ、スモン発症前にキ剤の処方されていた症例は、A病院では調査できた四五例中三六例(八〇%)、N病院では二七例全例(一〇〇%)、K病院では四九例全例(一〇〇%)であつた。

他方、A病院における昭和四一年八月以後の各年の前半期(一〜六月)と後半期(七〜一二月)のキ剤購買量(キノホルム原末として計算)スモン発生数の関係は図六のとおりで、また、K病院における昭和三九年以降について同様の関係は図七のとおりである。なお、K病院は山間地で某企業体の従業員とその家族約一万人を対象として医療を行ない、他の一般住民約一万人はC病院で医療を受けているが、C病院ではキ剤の使用はきわめて僅少であり、ここでのスモンの経験例は二例に過ぎない。

以上の調査により、安藤、祖父江は、同じ山間地内のK病院からは五五例のスモンが発生し、C病院からは二例の発生しか見られなかつたが、この両病院はほぼ同じ規模でありながらキ剤の使用量には著しい差があり、A、K病院ではいずれもキ剤の購買量の半年毎の推移とスモンの発生数がかなりよく平行している、四病院ともスモンの発生は入院、外来、往診ともキ剤を好んで処方した医師の取り扱かつた患者から多発し、また、K、Y両病院ではその医師が他に転任した時期からスモンの発生がなくなるか、または著減している、これらの事実から、院内発生の原因はキ剤によつても説明可能である、としている。

3 戸田・蕨地区

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

スモンが戸田・蕨地区に発生したのは昭和三八年秋頃からであるが、翌三九年に地域的に多発を見、当時「戸田の奇病」として問題になつた。山本(俊)、井形らが疫学的調査を行なつた。本調査の結果で井形の診断によりスモンと診断されたものは五一名であり、このうち戸田・蕨地区で発病したのは四七名であつた。この四七名を、神経症状発現時に受診していた医療機関別に分類すると、戸田市A病院、蕨市B医院の二つの機関だけで三六名(八〇%)にも達する。そこで当地区の医療機関について、蕨市国民健康保険診療明細請求書(国保レセプト)調査と医療機関訪問の両面からの調査を行なつた。

国保レセプト調査は、昭和四一年度から同四四年度分まで約一六万四〇〇〇件について行なわれたが、この結果、スモン患者の集中しているB医院と、それと地理的に非常に近接し、同じ診療科、診療規模、初診患者層をもつD医院とを比較対照したところ、Bにおいてスモン患者一〇名の発生を見たのに対し、Dにおいてはこの発生がないが、キノホルム使用状況はBが一日1.5〜3.5gで、Dが一日0.3〜1.2gであり、顕著な差が見られた。また、蕨市の三七医療機関中Bのキノホルム一日投与量が最高であつた。

次いで、戸田・蕨市の七つの医療機関を訪問調査した結果は別表一三のとおりであつた。

すなわち、(1)BDのキノホルム使用状況は、国保レセプト調査とほぼ一致する。(2)Aと同じ総合病院で、相互の距離が四〇〇メートルしか離れていないCでは、受診中発症したスモン患者が一名ときわめて少なく、キノホルムの使用量も一日0.9〜1.08g/day(キノホルム量)でAに比べると少ない。また、使用期間もCでは、長期にわたるものはスモンの二例のみで少ない。

山本らは、これらの調査から、キノホルムの過剰投与とスモン発症との間に密接な関係があることを示唆するものである、と述べている。

4 岡山県、特に井原、芳井、湯原地区

この点については後記第六節四参照。

三キ剤の生産・消費量とスモン患者発生数との関係

1 キ剤の生産・輸入量とスモン患者の発生数

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

昭和三〇年から同四五年までのスモン患者発生数は、第六一回内科学会シンポジウムの集計と協議会の集計によれば図八のとおりで、昭和三〇年に初めて発生し、爾来同四四年まで増加し続けた。キ剤は昭和一四年に国産化され、戦時中は主として軍用に使用されたが、戦後二一年頃から民需用として製造が再開された。当時は月産三〇〜五〇kg程度といわれるが、昭和二八年にはCMC配合キノホルムが製造市販されるようになり、生産は年とともに増大し昭和三七年には原末生産一万五〇〇〇kgに達した。一方、輸入品は昭和一一年に始まつたが、戦時中一時中断し、昭和二八年に再開され、年額38.3kgであつたが、四年後スモンの最初の報告が現われたころには1558.9kgとなり、年を追つて増大した。キ剤の生産・輸入量の増大とスモンの年次別発生数の増加は右図のとおり、明瞭な並行関係にある。

2 被告チバの府県別キ剤販売率とスモン初診患者率

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

被告チバの昭和四三年度の府県別キ剤販売率を計算し、これと昭和四二―四三年度の府県別スモン初診患者率と比較したところ、図九のとおり両者は比較的よく並行していた。

3 キ剤の販売量・処方件数とスモン患者の発生数

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

協議会が行なつたスモン患者全国実態調査(第一、二回)によれば、昭和四二年から同四七年までの年次別月別発病患者数(確実+容疑)は図一〇のとおりで、四二年には八月に、四三―四四年はいずれも九月にピークをつくりつつ年次とともに各月の患者が増加している。四五年は、一、二、三月がそれ以前の三年間の同月よりも多くなつているが、四月以降は他の年次と異なり、増加傾向が鈍り七月までほぼ横這いとなり、八月以降は七月と比較して急減の傾向にある。

甲野らが、医薬品の販売および処方に関する統計である「日本医療統計」(インターナシヨナル((インターコンチネンタル))メデイカル・スタテイステイツク社による)に基づき、昭和四二年ないし同四五年の四年間日本におけるキ剤販売量(キノホルム原末量に換算)と、前記の協議会に報告されたスモン発生状況とについて三か月単位の年次推移を見たものは、図一一の一のとおりで、両者の関係はきわめてよく一致していた。

次いで、甲野らは、全国の一九床以下の診療所・開業医のキ剤処方状況を調査した。協議会に報告されたスモン患者は、病院からのものが多いが、病院・開業医の間でキノホルムの処方の仕方が大きく異なることがないと仮定し、キノホルム剤投与開始後スモン特有の神経症状の発現までの期間については、一応腹部症状発現から神経症状発現までの期間が平均56.6日といわれているので、二か月と仮定し、キノホルム剤の処方当該月より二か月ずれたスモン発生状況を算出した結果は図一一の二のとおりである。この図によれば、昭和四五年六月頃からスモン患者の発症が横這いまたは減少を示している事実は、同時期におけるキノホルム剤の処方件数の横這いまたは減少と大略符合していることがわかる。

また、協議会のうちの特定臨床班員所属施設における観察でも、ほぼ全国と同様にキノホルム剤の使用が減少する傾向を示していた。

四キ剤販売中止の行政措置後のスモン患者の激減

1 患者発生数の推移

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

協議会は、スモン患者全国実態調査を第一回(昭和四二―四三年受診患者調査)、第二回調査(同四四年以降新受診患者調査)により施行した。

右の第二回調査は、昭和四四年一月一〜同四五年六月三〇日の間の初診患者(容疑例を含むを)一括して同四五年九月末日までに、また同年七月一日〜翌四六年三月末日の間の初診患者は毎月分を各翌月末までに提出するよう、各都道府県および指定都市の衛生部局に依頼したものである。右の第一、二回全国実態調査とその後の昭和四七年三月末までの調査の成績をまとめると、同月現在スモン患者は、重複を除き九二四九名とされており、その年次別発生数は別表一四のとおりで、昭和三五年頃より患者発生が増加し、同四二年以後急増し、昭和四四年にピークに達した。翌四五年も夏までは前年に近い数の患者の発生があつたが、同年九月以降激減し、翌四六年は、前年までの多発と比較すれば、きわめて少ない発生状況であつた。

右の昭和四七年三月末現在の調査では、このうち発病時がキ剤の販売中止の同四五年九月以降のスモン患者は、昭和四五年九月〜一二月六三名(確実二八名、容疑三五名)、四六年二三名(確実一五名、容疑八名)の計八六名であつた。

その後スモン班は、昭和四八年末までに一七の府県および指定都市から、以後の患者一四名(従前集計済みのものとの重複を除いて確実三名、容疑一一名)について報告をうけたが、同四九年一月に、改めて全国都道府県および指定都市に対し、最終報告時点以降同年三月末までにおける報告患者数を問い合わせ、一八府県および指定都市より回答があつて、昭和四五年九月以降の発生患者数は、集計済みのものとの重複を除いて五名(確実三名、容疑二名)であつた。

そこで、昭和四五年九月以降に発病したスモン患者数は、別表一五のとおり、同年九月〜一二月六五名(確実二八名、容疑三七名)、同四六年三六名(確実一八名、容疑一八名)、同四七年三名(確実二名、容疑一名)、同四八年一名(確実)の合計一〇五名(確実四九名、容疑五六名)となつた。

2 行政措置後における患者発生数の激減

以上のとおり、昭和四五年九月のキ剤販売中止の行政措置後スモン患者の発生が急減したことが明らかであり、右の行政措置は、その実際において、実験疫学的な方法(Prospective study)が大規模に行なわれたことを意味するものといつてよい。ただ、この点については、理論上は、キ剤の投与を停止しない対照群の設定が必要であつたということができるが、人道上、かかる実験的措置をとることはもとより不可能であるから、この点の不足は、主として動物実験によつて補足すべきものとされたのである。そして、右行政措置の疫学的評価は、対照群がないため、もしこの措置が行なわれていなかつたとする場合、それまでと同じ傾向でスモン患者が発生するものと仮定してその理論値を算出し、それと比較するという方法によつた(図一二のとおり)のであるが、その結果によれば、行政措置後のスモン患者の発生は急激に減少したものといえる。そこで、まずキ剤以外の要因についての検討が行なわれたが、宿主(人間)側の要因が全国的に急激な変化を招来することはまず考えられないので、主として環境側の因子について調査されることとなつた。

3 環境的因子についての調査

<証拠>によると、柳川らは、わが国における主な農薬生産量の年次推移および農薬使用量の地域差などとスモン発生との関係を見た。わが国で戦後ひろく使用されてきた農薬のうちDDT、BHCその他の有機塩素剤、有機水銀剤、有機燐剤、砒素剤、タリウム剤などの生産量の年次推移を見たところ、スモン発生の年次推移と比較的よく一致するものとして、有機塩素剤のDDT、BHC、アルドリンなど、有機水銀剤、パラチオンなどが挙げられたので、経営耕地面積あたりの量で府県別分布の比較をした。その結果は、いずれもスモン発生の地域分布とはかなり異なつていた。農薬その他の化学物質の蓄積については、わが国では全国的規模で、人体臓器についての測定が行なわれている。例えば昭和四九年には、BHC、DDTおよびPCTについて調べられたが、地域、性、年齢のいずれを見ても、測定結果の分布とスモン発生の分布とは異なつていた。

このように農薬によつてスモン発生の低下傾向を説明できず、他に食品、生活条件などをも含めてこの低下傾向を説明しうるものは見出せなかつた、と述べている。

五結論

1 以上のとおり、症歴調査によつて、同一医療機関内においてキ剤服用群の方が非服用群よりスモン患者の発生率が有意に高く、病院施設内で集団発生したため感染症を疑われたものについても、キノホルム投与と関連があることが判明した。また、地域的に多発を見た戸田・蕨地区の患者の大部分が集中した医療機関のキ剤使用量とスモン発生との関連が認められ、さらに、岡山県内の多発地区のスモンについても、後述のとおり、キノホルムとの関連において説明することが可能である(第六節、四、2、3参照)。これらに加えて、キノホルムのわが国における生産・輸入量あるいは消費量とスモン発生数と並行しているというデータがあるばかりでなく、ことに、昭和四五年九月のキ剤の販売中止の行政措置後スモンの発生が激減し、ついに終熄するに至つたことは、キノホルムとスモンとの関連が密接であることを如実に示すものといわなければならない。

2 被告田辺は、協議会の実施したスモン患者全国実態調査の各都府県別最終報告月日が昭和四五年三月から同四七年四月までと、きわめて区々であるので、同四五年三月以降のデータについては欠測値を内包したものであり、そのデータに基づいて激減したといつても科学的な意味を有さない、と主張する。

しかし、前述のとおり、スモン班では、全国実態調査のあと昭和四八年末までに報告を受けた患者数ならびに昭和四九年一月に改めて全国都道府県および指定都市に対し最終報告時点以降昭和四九年三月末までの患者の有無を問い合わせて報告を受けた数字に基づき、キノホルム販売中止後の発生のスモン患者の把握を行なつているのであるから、全国実態調査の最終報告日のバラツキのみを取り上げることは、もとより当を得ないものといわなければならない。

第四節キノホルム原因説が従来の医学理論と矛盾しないこと

一スモンの病理像については、すでに第二章において述べた。すなわち、(1)小川らは、剖検例の検索の結果、スモンは病変の主座においても、その辺縁においても、何一つ一義的な炎症像を見出し得ない反面、多くの代謝異常、欠乏症、中毒性疾患に形態学的類似性を有する疾患である(同第一節参照)とし、(2)豊倉らは、従来スモンの病因として(一)ウイルスを含む感染症、(二)アレルギー、(三)代謝障害、中毒、欠乏状態等が初期より問題とされたが、スモンの神経病理所見は、明らかに右(三)の場合に見られる神経病変に一致する、神経病変に関するかぎり、既知のウイルス感染症とみなし得る病理所見はずいこにも見出し難く、また現在までに知られているいわゆるslow virusinfectionと呼ばれる二、三の神経疾患のそれとも明らかに異なる(同第二節参照)とするほか、(3)松山らは、スモン症例の腓腹神経生検材料を電子顕微鏡的に検索した結果、スモンの神経系の病理がニユーロンの変性であつて、とくに大きいニユーロンが侵され易く、しかも病変がその末梢部よりperikarya(細胞体核周辺部)に向かつて進行するdyimg-back neuropathyの型をなし、かかる病変は薬剤中毒やビタミン欠乏症の際に知られていることを指摘したが、その後、経過二年のスモン剖検例の神経線維を電子顕微鏡的に観察した結果、スモンが中毒症であるアクリルアミド型の変性病変であることを確認している(同第四節参照)。

そして、(4)白木は、みずからの所見(同第三節参照)を含め、以上の諸学者のそれを総合して、協議会の昭和四六年度総会(昭四七・三・一三)において、スモンは、脊髄長索路、つまり知覚性後索路と運動性錐体路、ならびに脳神経根を含む末梢神経の変性性疾患で、その変性は左右ほぼ対称性、ニユーロンの遠位に強く、系統性(もしくは偽系統性)の性格を明示しており、その細胞病理学的特徴をも加味すると、そのEtio-pathog-enesis(疾病の原因論)としては、中毒性もしくは代謝障害性と考えられる既知の神経疾患群のカテゴリー中に組み入れることができる(同第五節、一)と報告している。

スモンの臨床上の特徴については、前記認定(第一章参照)のとおりで、右に再説したスモンの病理所見に符合する。

二キ剤の服用とスモン発症との関連性については、本章において詳述するとおりで、この関連性を肯定する見解(キノホルム原因説)は、右の臨床・病理所見に見られる従来の医学理論に矛盾しないことが明らかである。

第五節量と反応の関係

一序説

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

量と反応の関係とは、多量にその物質に接触する程発生が多くなる(発症率)、症状が重くなる(重症度)、あるいは病理変化が重くなることをいい、もともと中毒学の方で毒物の量と生物反応がいわゆるdose-response curveを示すことで知られているが、毒物の代わりに病原体を用いた場合でも、また宿主である生物が人間の場合でも、多数例について観察すれば、同様の関係が成立することが確かめられており、このことから逆にこの関係が認められる場合には、因果関係の存在する公算が大きいといわれている。そしてドース・レスポンス・カーブがS状曲線(sigmoid)を示すことは、反応のための最少量と飽和量の存在を意味していて、疫学的には極めて興味のある点である。

なお、右のシグモイド・カーブは、一般に、横軸に負荷量(対数変換)を、縦軸に累積反応出現率をとることによつて作成されている。また、横軸に反応を起こすまでの負荷量(Dose)を、縦軸に当該負荷量ではじめて反応を起こした個体数の割合(反応率)をとると、両者の関係は多くの場合、対数正規型(横軸を対数変換すると正規型)分布を示す、とされている。

二協議会の調査

1 一八班員によるキ剤服用状況調査

(一) <証拠>によれば、次のとおり認められる。

臨床班員によるスモン患者のキ剤服用状況調査で、神経症状発現前後におけるキ剤使用の有無および使用キ剤の量別にスモンの各症候(下痢、腹痛、知覚障害、運動障害、視力障害、緑色舌苔)の程度、経過、重症度、再燃の有無を、キ剤使用の有無が明らかな六七二例について検討した。楠井、重松は、「これらのいずれの場合も明瞭な量と反応の関係は認められなかつた。しかし一部にはそのような傾向を示す所見があり、この場合神経症状発現前のキ剤使用量よりは、発現前後合計のキ剤使用量の方がより関連が深いように思われた」と要約している。

(二) 被告田辺は、一八班員の報告の原資料のうち、祖父江、大村のデータを解析し、量と反応の関係がない旨主張する。

しかし、協議会における一八名の臨床班員についての調査に関する要約自体、一八班員の個々の調査のすべてについて量と反応の関係があるというのではなく、かえつて集計したものの「一部にはそのような傾向を示す所見があ」る、というに過ぎないこと前述のとおりであつて、協議会が、この一八班員によるキ剤服用状況調査をもつてキノホルムとスモンとの間に「量と反応の関係」あり(とし、したがつてまた、この両者の間に因果関係がある)とするのでないことはいうまでもないところであるから、前記田辺の主張は、それ自体、協議会の所見(スモンの病因論としてのキノホルム説)に対する批判としての意味をなさないものというほかはない。

2 全国スモン患者のキ剤服用状況調査

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

協議会の行なつた全国スモン患者のキ剤服用状況調査で、使用キ剤量とスモンの各症候(下痢、腹痛、知覚障害、運動障害、視力障害、緑色舌苔)の程度、経過、重症度、再燃の有無を、キ剤使用の有無の明らかな一五二七例について観察した。キ剤服用量と視力障害の程度については別表一六―一七のとおりで、高度視力障害の発生率は、神経症状発現前におけるキ剤非服用群から5.9%、二〇g以下服用者7.1%、二一〜六〇g服用者8.0%、六一g以上服用者12.0%であり、神経症状発現前後合計のキ剤使用量別では、非服用群から3.8%、四〇g以下服用者3.8%、四一〜一四〇g服用者5.6%、一四一g以上服用者17.5%となつており、重症の視力障害はキ剤内服量が多くなるほど発生し易い。神経症状発現前後合計のキ剤使用量とスモン重症度の関係は別表一八のとおりであるが、重症者の発生率は非服用群から12.7%、二〇g以下服用者14.4%、二一〜六〇g服用者22.4%、六一g以上服用者30.8%となつており、重症者はキ剤内服量が多くなるほど発生し易い。神経症状発現前後の合計のキ剤使用量とスモン再燃の関係は別表一九のとおりで、再燃は、キ剤非服用群から9.5%、四〇g以下服用者10.9%、四一〜一四〇g服用者14.6%、一四一g以上服用者では24.5%となつており、キ剤服用量が多くなるほど再燃の発生率が高くなつている。以上のとおり視力障害、重症度、再燃とキ剤服用量との間に明瞭な量と反応の関係が認められる。

3 スモン班の全国調査成績の解析

(一) 昭和四七年度研究業績

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

山本(俊)は、全国調査で昭和四六年度までに回収された二四五一例に、同四七年に新たに報告された三六〇例を加え、このうち神経症状発現前六か月間のキノホルム投与量の明らかなスモン患者一〇〇七名について新たに分析した結果を報告している。図一三は右一〇〇七名について、六か月に投与されたキノホルム量(一〇g刻み)別に、患者数を見たものである。「この図に示す如く、患者の発症前服用量の分布は、二一〜三〇gにモードをもち、量が多くなるに従つて患者数が減少する分布パターンである、この分布を正規確率紙上にプロツトすると、略直線となることから、この分布関数は、対数正規分布に近似の分布関数である」と述べている。

中江は、右図一三に示す曲線が、ログノーマル・カーブに近似する点は、サートウエル「の理論である一点暴露における急性伝染病の発症曲線と一致しており、本症が亜急性に発症する疾患であるという違いを考慮に入れても、今後の理論疫学の一つの方向性を示唆するものとして興味深い」と述べ、ドース・レスポンス・リレーシヨンシツプを示唆している。

(二) 昭和四八年度研究業績

<証拠>によれば、山本(俊)は、同年度の疫学的調査研究のまとめとして、「1)投与量と発病率 調査の大半は相関ありとしている。この場合、総投与量として相関ありとするもの、一日投与量として相関ありとするもの、および投与期間として相関ありとするものがある。一方、相関は女子にはみられたが、男子にはみられなかつた、および相関は流行年にはみられたが非流行年にはみられなかつたという報告がある。 2)投与量と重症度 相関ありという報告と相関なしという報告があるが、いずれも少数で、『一部あり』とする報告が多数を占める。すなわち、先ず、症状として眼症状、あるいは視力障害の重症度だけに関して投与量との間に有意の相関がみられたという報告がある。また、経過としての悪化率との間の相関もみられているし、死亡率(致命率)との間の相関もみられている。一方、発症後の服用量についての重症度(特に視力障害の)との間に相関がみられた、および、一日投与量の大量の群についてのみ相関がみられたという報告がある。 3)投与量と再燃率『あり』とするものと『一部あり』とするものがある。相関が『一部あり』とは、神経症状発現前服用量と再燃率との間には有意の相関はないが、その前後の全服用との間にはありとするもの、および、神経症状発現後服用量との間にありとするものである」と述べ、祖父江は「キ剤服用者からのスモン発症例について一日服用量、期間別に分析した成績は種々の機関で行なわれており、スモン発生率には一日服用量、期日の相関が高いことが認められている。これらの成績からスモン発症に対しドース・レスポンス・リレーシヨンシツプがあることが知られている」と述べている。

(三) 昭和四九年度研究業績

<証拠>によれば、山本(俊)らは次のとおり報告している。

協議会とスモン班の行つた大規模な全国疫学調査はこれまで三回行なわれた。すなわち、(1)昭和四二年から現在まで継続的に行なわれている全国スモン患者調査(以下全国調査と略)、(2)昭和四五年九月から四六年にかけて行なわれたスモン患者のキノホルム剤服用状況調査(以下キノホルム調査と略)、(3)翌四七年一年間に受診したスモン患者の生活実態を調査した特定疾患スモン調査(以下実態調査と略)がある。(1)全国調査の報告数は九三五九名、(2)キノホルム調査の報告数三四五八名、(3)実態調査の報告数一八八八名であつた。この三調査のいずれにも重複して報告されたスモン患者は四一五名であり、この三調査に重複して報告された患者のキノホルム投与量と各種症状の関係について調査したところは別表二〇ないし三六のとおりである。これについて検討を加える。

(1) 下痢

下痢なしにもかかわらず投与を受けている例が七六例(18.3%)ある。また、下痢の強さとキノホルム量との関係は、下痢が強くなる程投与量も多くなつている。

(2) 腹痛がなくてもキノホルムの投与を受けているものは四四例(10.6%)ある。腹痛の程度が強くなるにつれて投与量も多くなつている。

(3) 知覚障害の範囲

ドース・レスポンス・リレーシヨンシツプは明確ではない。

(4) 運動障害

ドース・レスポンス・リレーシヨンシツプは明確ではない。

(5) 視力障害一

投与量が多い程障害が強くなる傾向が認められる。

(6) 視力障害二

全盲のうち一〇例(71.4%)が二二一g以上の投与を受けている。

(7) 緑色舌苔

軽度発現者には二〇g以下の少量投与例があるが、中等度発現者にはそれがなく、さらに高度発現者は三〇一g以上の投与例に限られている。

(8) 重症度

投与量と反応との関係が認められる。

(9) 再燃

投与量との関係はないようである。

(10) 便秘

投与量との関係はないようである。

(11) 上肢運動障害

投与量の多い群に障害のある例がやや多い。

(12) 下肢運動障害

弱いドース・レスポンス・リレーシヨンシツプがあるようである。

(13) 知覚障害

一〇一g以上の投与例に知覚障害なしの例がなく、ドース・レスポンス・リレーシヨンシツプがあるようである。

(14) 歩行、(15) 着衣、(16) 用便

投与量との関係は殆んどないようである。

(17) 経過

一〇一g以上投与群に治癒例はなく、死亡例は二二一g以上投与群にのみ見られる他、投与量の多い群は不変、徐々に悪化する例が多い傾向にある。

以上(1)〜(17)のおのおのについて、不明を除き、投与量を〇〜一〇〇g、一〇一g以上の二群に分け、各項目とキノホルム投与量との関連をx2検定で検定した結果、(5)視力障害一、(6)視力障害二、(8)重症度の三項目は危険率五%で、有意、(11)上肢運動障害、(13)知覚障害の二項目は危険率一〇%で、有意であつた。

三個別的研究

1 笠井らの研究

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

笠井らは、室蘭市のA病院、釧路市のE病院および小樽市のF病院につき調査した。A病院では昭和四〇年一月〜四五年九月の内科外来および入院患者、E病院は、三九年一月〜四三年一二月の内科外来患者、F病院は四四年一月〜四五年九月の内科外来および入院患者からキ剤の投与を受けた者を選び出し、使用キ剤の種類、一日投与量、投与日数(スモン患者の場合は神経症状発現までの日数)、性および年齢の明らかな者を対象とした。その数はA病院四八一三名、E病院二三五八名、F病院二五四名であつた。上記期間中、上述の三病院から発生したスモンは一三二名であるが、前述の事項が確認された九九名を本研究に用いた。

研究成績のうち、キ剤総投与量の分布とスモンの発生に関する部分は次のとおりである。すなわち、男性女性各一〇〜三九歳、四〇〜五九歳、六〇歳以上に区分し、キ剤総投与量の増加に伴うスモンの平均発症率は図一四のとおりである。男性三九歳以下と四〇〜五九歳群の発症群は総量の増加に伴いきわめて緩やかに上昇するが、一%を越えず、年齢による差も僅少である。これに対し、六〇歳以上の高年群の発症率は、少い総量においても若年群より明らかに高く、四〇gに至るまで急激に上昇したのち、やや低下する。女性の若年二群の発症率も総量の増加とともに緩やかに上昇するが、年長群の方に明らかに高い。六〇歳を超えると発症率は飛躍的に上昇し、八〇gで最高に達したのちやや低下する。この総量は同年齢の男性に比べ二倍に多い。

右の調査に基づき笠井らは、昭和四六年三月一日の協議会において、キ剤服用量別のスモン発症率を別表三七上段のとおり発表している。これによれば、男性では、一g以上一〇g未満が〇%、一〇g以上二〇g未満1.9%、二〇g以上四〇g未満2.6%と増加し、四〇g以上六〇g未満で〇%、六〇g以上一〇〇g未満5.5%、一〇〇g以上4.0%となつており、女性では、一g以上一〇g未満が0.2%、一〇g以上二〇g未満2.7%、二〇g以上四〇g未満6.6%、四〇g以上六〇g未満12.9%と増加し、六〇g以上一〇〇g未満4.5%、一〇〇g以上13.3%となつている。

2 青木らの研究

(一) <証拠>によれば、次のとおり認められる。

青木らは、名古屋市A病院における昭和四四年一年間の外来受診患者四三一八例を対象にキノホルム服用状況調査を行なつた。別表三八は、キ剤服用五三二例、五四八回についての一日投薬量別、連続投与日数別の分布と、発症状況を示している。九歳以下では男女とも一g以下、一九日以内の者が多く、1.5gをこした者は殆んど六日以内であるが、一〇歳をこすと、1.5g以上、七日以上の率が高くなる。六日以内の投薬では、2.7gでも一名の発症もなく、0.9〜1.0g、二〇日以上で一、あとはすべて1.5g以上であつた。女子では、ドース・レスポンスの関係をうかがわしめる。男子では明瞭ではない。

女子のみの年齢別、キノホルム0.9以上、一〇日以上服用者からの発症を見ると別表三九のごとく、二九歳以下にはなく五〇歳以上で非常に高率となる。また、別表四〇のごとく一日量と継続日数を組み合わせた群別にするとドース・レスポンスの関係が明瞭となつた。以上の調査により、青木らは、発生頻度の高い女子においてはドース・レスポンスが比較的明瞭に示されたが、男子については必ずしもそうではなかつた、と述べている。

また、青木らは、東海地方で比較的多数の患者を診療している五病院と、その他の診療機関において発病したスモン患者のキノホルム服用歴を調査した。右五病院の患者一三二例と、散発発生と考えられた九一例について、発病初期の神経症状の重症度と発病前使用キノホルム一日量の関係は別表四一のとおりであり、量が多くなるほど重症者の占める率が高いことがわかつた。

岡本(進)らは入院中発症五一例についてキノホルムとの関係を調査しており、青木らがこの資料を解析した結果も、キノホルム総投与量と投与中止時期の病状の重さと密接な関係があつた。

なお、青木らは、右の名古屋市A病院の調査に基づき、キ剤服用量別発病率を計算し、昭和四五年一二月二五日協議会疫学班会議において別表三七下段のとおり発表している。これによれば、スモン発症率は、男性では一g以上一〇g未満〇%、一〇g以上二〇g未満1.9%、四〇g以上六〇g未満7.7%と増加し、女性では一g以上一〇g未満〇%、一〇g以上二〇g未満2.1%、二〇g以上四〇g未満3.1%、四〇g以上六〇g未満27.2%と増加していることがわかる。

(二) <証拠>によれば、甲野は、右笠井ら、青木らの研究について「このように服用量が一gから六〇gにいたるまでの間両成績とも確実に発症率が増加している。この傾向はとくに女性の場合に顕著であつた。なお、同表のとおり服用量が六〇g以上になると発症率は横這いもしくは低下の傾向を示し、決して増大しない。この傾向は多くの研究者によつて観察されている。」と述べている。

四中江らの研究

1 <証拠>によれば、次のとおり認められる。

(一) 中江らによるドース・レスポンス・リレーシヨンシツプの考え方

中江・福富は、スモン発症とキノホルム投与量とのドース・レスポンス・リレーシヨンシツプに関しては、これまで用いられている計算式の妥当性について疑問があるとして、新しい考え方を報告した。これが本章末尾添付の別紙一「スモンとキノホルムに関する疫学的研究(第一報―スモンとキノホルムのDose-Res-ponse Relationshipの考え方―」等の論文に表示されるもので、その内容は、(1)実験医学におけるドース・レスポンス・リレーシヨンシツプにできるだけよく対応するように疫学的資料を適用する方法、(2)「確率変数としての最小発症量の人間集団における分布が対数正規分布をする」という仮説に立脚して統計学的にアプローチする方法、の二つのアプローチの仕方を報告し、そしてこの二つの別個のアプローチから最終的に帰着した結論(数式)が同一であることが証明される、とするものである。

(二) 中江らの方法による具体例の検討

右の中江の計算方法を具体的な資料に適用した結果は、別表四二のとおりである。

(1) このA欄「青木ら」は昭和四五年一一月一三日の協議会総会における青木らの発表の「大都市におけるスモン発生の疫学」によるN市内のA病院外来患者四三一八例中のキノホルム投与者五三二名、スモン患者一七名について、スモン発症とキノホルム投与量のドース・レスポンス・リレーシヨンシツプに関する部分を、別紙一の論文中の⑤または⑤'式(以下、単に⑤式という)に従つて再計算したもので、スモン発症とキノホルム投与量の関係がシグモイド・カーブに類似の増加関数であることがわかる。

(2) 椿らは、(1)と同じく昭和四五年一一月一三日の協議会総会において、「キノホルム服用者の神経症状について―某病院一年七か月の臨床統計的観察」という報告をしている。この資料によれば、新潟県某町立病院内科を昭和四四〜四五年七月の間に受診した患者四一五〇の名キノホルム投与状況と神経症状出現の有無について調査した。この報告を別表一の論文中の①式に基づいて計算すると、ここでも総服用量が四〇gを超えると発症率に極端な増減が見られるが、⑤式に基づく再計算では別表四二D欄に示すような曲線関係が認められる。

(3) 吉武らは、「SMONとキノホルム投与との関連について」(医学のあゆみ七七巻一四八頁、昭和四六年)で、東京都I病院における六年間(昭和四〇年〜四五年)のキノホルム投与例(一九八九名)について①式を使つてスモン発症率を計算している。それによると、キノホルム服用量がふえるに従つて発症率も増加し、総量三五g以下では発症率23.8%となるが、その後は総服用量の増加とは逆に発症率は12.0%とかえつて低下するという。この吉武らの報告を⑤式に従つて再計算した結果が別表四二B欄であるが、ドース・レスポンスの関係がシグモイド様の曲線として示されることがわかる(図一五参照)。

(4) 島田らは、昭和四六年九月三〇日の第一六回疫学研究会総会において「岡山県井原地区におけるSMONの発生状況」について報告したが、この資料によれば、岡山県I病院における三年間(昭和四三〜四五年)の診療録を精査し、スモン発症とキノホルム服用量との関係を否定する結果を得たとしている。別表四二C欄は、この島田らの報告を、⑤式に基づいて再計算したもので、スモン発症とキノホルム投与量との関係が、シグモイド・カーブに類似していることがわかる。

(5) 笠井らは、昭和四七年二月二八日の協議会、第三回キノホルム部会研究会における「キノホルム投与量とスモン発症の間のDose-Responseの検討」によれば、①式により発症率を計算しているが、男性では八〇g位から、女性では一〇〇g位から発症率の減少傾向が見られる。これに対し⑤式に基づいて再計算したものが図一六であるが、スモン発症率とキノホルム量との関係がシグモイド・カーブを思わせるある増加関数として示されていることがわかる。

2 <証拠>によれば、次のとおり認められる。

中江・柴田が岡山県湯原温泉病院において調査したところ、昭和四〇年四月から同四六年三月までの間に同病院内科を受診した二万三七二一人中のキノホルム服用歴のあるものは一一三二人であり、この期間におけるスモン発生数は、「疑スモン」を含めると一四一人であつた。一四一人のスモン患者のうち、神経症状発現前にキノホルム投与を受けたものは一〇七名であつた。同病院内科におけるキノホルム投与量別スモン患者と非スモン患者の数は別表四三のとおりで、スモン患者については発症前のキノホルムの使用量のみを計算してある。この表に④式および⑤式を適用すると、図一七の実線で示すようなスモン発症とキノホルムとのドース・レスポンス・カーブが得られる。なお、同図の破線は従来のやり方(①式)による発症率である。この図によると④式および⑤式によるドース・レスポンス・カーブはシグモイド・カーブに類似している。

さらに、中江は、前記湯原温泉病院でのキノホルム投与量とスモン発症率の関係について、ドース・レスポンス・リレーシヨンシツプを密度関係で調べたが、その結果は図一八のとおりで、「正規確率紙による検討でこの分布がほぼ対数正規分布であることがわかる。このことは、スモン発症とキノホルム量との間に因果関係のある可能性を強く示唆していると考えられる」と述べている。

3 中江らの考え方に対する評価

以上の中江らの新しい考え方について、山本(俊)は、疫学にドース・レスポンス・リレーシヨンシツプの概念を導入する試みは、「いうまでもなく疫学的因果関係の解明に役立たせようとするものであつて、半定量的なものから、定量的なものへと発展させることを目的としている。しかし、この概念はもともと実験科学のものであり、そのままの形では疫学に導入することはできない。中江氏の論説は、この点に関するものであり、導入方式はこれによつて定まつたといえるであろう」と述べ、重松は「スモンとキノホルムの場合も一部に量と反応の関係が明瞭でないデータもあるが、一方観察方法を正しく理解すれば(キノホルム投与量別の発病者数は、当該区分のキノホルム量で発病した者のみを示し、それ以下の量で発病した者を含まない点に注意)、その関係の認められるデータがかなり豊富に存在する」と述べ、観察方法を正しく理解したものとして中江らの考えを引用している。

五結論

以上のとおり、キノホルムとスモンとのドース・レスポンス・リレーシヨンシツプは、協議会の全国調査の解析によつて、視力障害、重症度については高い相関が、上肢運動障害、知覚障害についても相関が認められるところで、笠井、青木らの各研究によつて、発症との相関があることが認められた。さらに、中江らの新しい理論は学界において高く評価されており、これに対する反論を見ないところであるが、これによると、右笠井、青木、椿、島田、吉武、中江らの各研究について、明瞭なシグモイド・カーブが見られるのである。また、協議会の全国調査の結果、岡山県湯原温泉病院のデータについて、ほぼ対数正規型の分布を認めることができた。諸種調査の一部にこのような関係を認めることのできないものを含んでいたとしても、以上認定説示したところから、キノホルムとスモンの発症および病状の一部との間にはドース・レスポンス・リレーシヨンシツプが認められるものということができる。

第六節疫学的因果関係認定におけるその他の問題点

一昭和四五年九月の行政措置以前からのスモン患者の減少

1 問題の所在

前記第三節、三、3記載のとおり、昭和四五年のスモン患者の発生状況は一、二、三月はそれ以前の三年間の同月よりも多くなつているが、四月以降は他の年次と異なり、増加傾向が鈍り七月までほぼ横這いとなり、八月以降は七月と比較して急激の傾向になつている(図一〇参照)。そこで、このことから、キノホルム以外に右の原因となるものがあるのではないか、との疑問を指摘する説がある。

2 甲野らによる調査

右の点に関する諸調査のうち、甲野らの行なつた、全国の一九床以下の診療所・開業医のキ剤処方状況に関する調査は、前記第三節、三、3のとおりで、昭和四五年六月頃からスモン患者の発生が横這いとなつている事実は、同時期におけるキ剤の処方件数の横這いまたは減少と大略符合していることがわかつた。

3 柳川・重松・甲野らの見解

<証拠>によれば、柳川、重松、甲野らは「キノホルム販売停止前のスモン患者の減少」について次のとおり述べている。

協議会の二回にわたる全国調査の方法については、「第一回全国調査は昭和四二年一月〜四三年一二月の二年間の全受診患者(含容疑例)のみが調査対象になり、全国都道府県および指定都市の衛生部局が個人票の作成にあたり、昭和四四年末までに回収された。第二回全国調査では調査個人票を一部改定して、昭和四四年一月〜四五年六月の初診患者分を一括して九月三〇日までに、昭和四五年七月以降の初診患者分は一か月ごとに翌月末までに提出するよう依頼した」のであるが、解釈上の問題点については、「1 第二回の調査では前述のように昭和四五年一月〜六月の初診患者分と七月以降の分とでは調査個人票の提出方法が異なる。すなわち、前者は一括して提出することを求めたのに対して、後者は毎月提出することを求めた。また、その提出時期はキノホルム原因説発表(昭和四五・八)、同販売停止(昭和四五・九)の後であるために、この時期以降の提出率が低下していると考えられる。また四五年初診患者の発病から初診までの期間が二か月以上のものが四〇%以上もあり、発病月別に観察する場合、調査票提出率低下の影響が昭和四五年五月以前にまで及ぶ可能性のあることを無視してはならない。 2 第二回の調査個人票の集まり状況はすべての府県で必ずしも均等ではない(昭和四五年三月末までの初診分は全県より提出あり。その後では、四〜八月二県、九月四県、一〇月五県、一一〜一二月九県が未提出)。したがつて、報告患者は四月以降において、みかけ上低くなつていると考えられる。このような事情があるので、昭和四五年の患者発生の月別傾向は全国合計の値で観察するよりも、むしろ調査個人票提出率がよく、しかも患者数の多い特定県について観察した方がより現実に近い傾向が得られる。例えば報告患者数の最も多い三都府県(大阪一一〇三名、東京八六一名、愛知七二〇名)はいずれも提出率があまり落ちていないので、それらについて年月分布をみると、いずれもキノホルム販売停止時期と患者発生減少の時期とはよく一致していた(図一九)」とする。

4 結論

以上によれば、行政措置以前からのスモン患者の減少は、全国調査の集計の際の時間的差異によつても説明可能であり、また、キノホルムの使用量が行政措置前にすでに下がり始めていたという調査もあるので、いずれにしても、キノホルムの使用量と関連していると認めて妨げないものということができる。

二キノホルム剤非服用スモン

前記のとおり、協議会の行なつた一八班員に対するキ剤服用状況調査、全国スモン患者に対するキ剤服用状況調査あるいはその他諸学者による調査において、程度の差はあるが、キ剤非服用のスモン患者がいるとされており、このことが問題点の一つとして指摘されているので、以下この点について検討する(なお、右にいわゆるキ剤の「非服用」とは、協議会の両調査においても示されているとおり、神経症状発現前六か月間にキ剤の服用がないことを意味するものであることに留意の必要がある)。

1 椿の見解

<証拠>によれば、椿らは「非服用と思われた人でも詳細に調査すると、いろいろの理由でキノホルムを服用していたことが明らかになる例が多い」とし、「ここでいろいろの理由というのは次のごとくである。(1)患者はしばしば二人以上の医師を受診しているが、余程よく注意しないとすべての医師についての調査を行ないえない。また患者が受診した医師を失念していることがある。(2)患者が自分で気づかぬうちにキノホルムを服用していることがある。(3)病院の病歴は必ずしも一患者一張となつていないので、見落すことがある。ことに病歴の一部が紛失している場合があるので注意を要する。(4)医師または患者に記憶違いがあることがある。(5)キノホルム非服用SMON患者といわれていたものの一部は、他疾患の誤診である」と述べている。

そして、<証拠>によると、昭和四五年九月の行政措置以後にスモン患者の発生が終熄し、非服用といわれた一五%に相当する患者の発生をみていないことは、そのこと自体、かつて飲んでいなかつたといわれる一五%もやはり飲んでいたのではないかという考え方をした方がより自然であるというに帰着する、というのであり、かかる見解は、行政措置後におけるスモンの劇的ともいうべき患者発生の激減ないし終熄を、他のいかなる見解にも優つてよりよく説明しうる論理性を有するものといわなければならない。

2 非服用患者の剖検例からのキノホルムの検出

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

田村らは、スモン患者剖検例の臓器中のキノホルムを測定したところ、結核の病歴のある四二歳の患者(組織学的診断ではスモンと判定されている)で、入院した病院ではキ剤の投与がないとされていたものの剖検例の肝臓から1.1μg/g、腎臓から1.1μg/gのキノホルムが検出され、また化膿性腹膜炎の病歴のある二四歳の患者(組織学的診断では非スモンとされている)で、死亡前一五か月はキ剤の服用がないとされていたものの剖検例の肝臓から0.4μg/g、腎臓から0.5μg/gのキノホルムが検出されたことが認められる。

3 結論

以上みたように、キ剤販売中止の行政措置後に従前「非服用」とされた一五%に相当する患者の発生が見られないこと等からすれば、右の一五%中には、実際にはキ剤を服用した者のあることが十分考えられるのであり、また、スモン類似の他疾患がスモンと診断されていた誤診例の混入も併せて考慮されるべきであろう。そして、この「非服用」患者一五%という数字については、そもそも前記において椿の指摘するように、より詳細な調査によつてはキ剤の服用率が九七%に達した(したがつて非服用率は三%に減ずる)例のあること(第二節一参照)が留意されるべきであるばかりでなく、そもそも、一八班員の調査および全国調査において示されるスモン患者のキ剤服用率の約八五%という数字は、それ自体、前記サリドマイド服用率に関するレンツ報告の80.4%という数字(第二節一一参照)をも上廻るものであつて、キノホルムとスモンの関連性を強く推定させるものということができる。

三行政措置後のスモン患者の発生

1 行政措置後の発生数

前記第三節、四、1で述べたとおり、昭和四五年九月以後同四九年三月末日までの間に発症したスモン患者は合計一〇五名(確実四九名、容疑五六名)とされている。

2 黒岩・小坂による「キノホルム非服用スモン様症例の調査」

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

スモン班の黒岩・小坂の両名は、キノホルム非服用スモン様症例の調査を、臨床班員にアンケートを送る方法により行なつた。その対象を神経症状発現前六か月間にキノホルムを服用していない者とした(ちなみに、右調査にいわゆる「キノホルム非服用スモン」とは、文字どおりに“キ剤の服用歴を有しないスモン患者”を指すものではなく、神経症状発現前六か月以内にキ剤を服用していない者を意味するにとどまり、神経症状発現の六か月以上前にキ剤を服用した者や神経症状発現後にこれを服用していた者を含むことは、従前の調査におけると同様である)が、調査の結果七九例を得た。その概要は次のとおりである。

男三八名、女四一名。診断別ではスモン五八例、スモン疑一二例その他九例、岡山・広島両県に多く、次いで東京都、京都府の順に多い。非服用の確認は、六四例では医師の証言、病歴調査の両者あるいは何れかにより、その他に患者の証言のみ一四例、無記載一例が含まれる。神経症状出現以後のキ剤服用は二九例に見られ、うち一三例では神経症状出現と同日あるいは一〜七日後にキ剤服用を開始しており、二六例では一日量0.9g以上、一九例では二か月以上続けて服用し、投与総量一〇〇g以上が一五例あり、一〇例では神経症状の悪化ないし再燃を見ている。なお、神経症状発現前六か月以内に使用した他の薬剤としては、八例にクロロマイセチン(うち二例INH併用、一例エタンブトール併用)、五例にINH(うち一例エタンブトール併用)、四例にニトロフラントイン、各一例にグリセオフルビンまたはアブレソリンが記載されている。臨床症状としてキノホルム服用スモンにおけるイレウスの発症例数に比し、本件調査の非服用スモンにおいてはイレウスは三例で、少ない。そのほか全体として視力障害の頻度も含めてキノホルム服用スモンと区別しがたい。以上のとおりで、スモン臨床診断には、いくらかのヘテロジニアスなもの(他疾患)の混入もあり得るし、また情報の精度の問題もあり得ると思われる、と結んでいる。

3 他疾患への診断名の混入の可能性について

前述のとおり、昭和四九年九月のキ剤販売中止の行政措置以後、スモン患者の発生報告が激減しているのであるが、この点に関しては、「スモン」とされるべき診断名が他の神経疾患名に繰り込まれた可能性があり、これが右の「激減」に影響しているのではないかという疑問が一部にもたれている。

(一) 柳川らの調査

<証拠>によれば次のとおり認められる。

柳川らは、第八回ICD分類(昭和四三年より使用)による神経系疾患の人口動態死亡統計(昭和三〇〜四八年、スモンのみは昭和四七年〜四九年一〇月、なお多くの疾患は第七回ICD分類と結合できないため、昭和四三年以降)および患者調査成績(昭和四三年以降、ただし、細分類のコード化されていない疾患は昭和四六年以降)を資料として、各種神経系疾患患者死亡率と受療率の年次推移を調査した。

その結果、(1)神経性疾患の全国死亡者統計の場合(別表四四)、昭和四六年より減少傾向にあるものは多発性硬化症、てんかん、その他の進行性筋萎縮症、振戦(顫)麻痺であり、増加傾向にあるものは進行性筋ジストロフイー症その他の中枢神経系の脱髄疾患であり、ほぼ不変のものは同表のその他の疾患であつた。(2)神経性疾患の一日受療患者の全国推定数(別表四五)によれば、多発性硬化症のみに昭和四六年以降増加傾向が見られたが、その他の疾患はほぼ不変か増減が不明であつた。

(二) 片岡らの調査

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

片岡らは、昭和四五年九月の行政措置の前後(昭和四四年および四六年)における神経疾患患者数の比較調査を、国立東京第二病院および国立大蔵病院において行つた。

昭和四四年の右両病院神経内科新患患者数は、東二が四五三名、大蔵が一一五名、計五六八名であつたが、昭和四六年においては東二が三六四名、大蔵が一三四名、合計四九八名であつた。疾患別調査では、昭和四四年にスモンが東二で二六例、大蔵で一二例、計三八例、スモンの疑が東二で二例、大蔵で七例、計九例であつたものが、昭和四六年にはスモンは東二で二例、大蔵で二例、計四例、スモンの疑が東二で〇、大蔵で一例となつており、昭和四六年には殆んどなくなつている。その他の神経疾患を、さらにスモン類似疾患とこれ以外に分け、スモン類似疾患として多発性硬化症(デーヴイツクを含む)、亜急性連合性脊髄変性症、ギラン・バレー症候群、脊髄炎、脊髄腫瘍多発性神経炎、癌性ノイロパチーを取り出して見ると、表四六、四七のとおりで、スモン類似疾患は、昭和四四年両病院併わせて四三例が、四六年四〇例と変つていない。スモン類似疾患をさらに詳細に検討して見ると、昭和四四年に多発性硬化症は四例であつたものが、四六年には三例、ギラン・バレー症候群は昭和四四年には〇であつたものが、四六年には二例、亜急性連合性脊髄性症も昭和四四年に二例のものが、四六年に〇となつている。多発性(代謝性)神経炎だけが〇から八例となり、増えたかに思われるが、東二における昭和四四年以降(四五年は除く)同四八年までの神経内科料患者中に占める多発性神経炎の割合は、年によつてその差は著明でない。

以上の成績から、片岡らは、昭和四四年と昭和四六年における神経疾患患者数の比較においては、スモンおよびスモン疑症例が激減しているが、これに代わつて他の神経疾患患者が増加しているという成績は得られなかつた、としている。

4 結論

以上のとおり、昭和四六年以降において、スモン以外の神経疾患の増加について顕著な差が見られないのであるから、本来スモンと診断されるべきものが他の神経疾患に混入したものとはいえないのであり、むしろ、行政措置以降に発生した「スモン」患者について、他疾患混入の可能性を否定し難いのである。

四岡山県におけるスモンの多発

1 患者多発についての感染説の抬頭

(一) 緒方からの調査

<証拠>によれば、次のとおりの報告がなされている。

協議会のスモン患者全国実態調査によれば、全受診者を都道府県別に見ると東京都と大阪府のそれぞれ五五四名が最も多く、愛知県の三一四名、北海道の二八九名、岡山県の二七九名などが、これに次いでいるが、このうち岡山県につき、緒方らはその調査の結果を、概要次のように報告している。

岡山県における多発地域は井原・芳井地区と湯原地区で、年次別患者数は図二〇のとおりで、井原市においては、昭和三八年以前では三五年にのみ患者の発生があつたが昭和三八年より年を追つて増加し四二年より急激な増加が認められた。芳井町は二年遅れて患者発生があり、湯原町の患者発生は四一年に始まり四三年に急激に増加している。両地区とも四四年には減少の傾向を示し、さらに四五年において八月までにおのおの二名に過ぎなかつた。家族内発生については、家族内二次罹患率(流行全期)で、湯原町0.072、井原市0.029、芳井町0.031で、それぞれ一般罹患率の4.8倍、5.8倍、6.7倍である。湯原町において、罹患率の最も高い湯本、社、田羽根の三地区合計においては訂正家族内二次罹患率は、0.090であつた。一五歳以上の訂正家族内二次罹患率は0.130であつた。このように家族内集積性が強く認められた。患者の年齢罹患率における浸染度前進現象については、井原市、芳井町において、患者発生の増加とともに若年層に移行したモードは、患者の減少とともに、やや老年層に復帰する傾向が認められた。湯原町において、老年層の峰のみやや復帰する傾向が、全患者においても、また一次患者においても認められた。また、一次患者の発生は湯原地区ではさらに若年層への移行を示した。また、家族内二次患者は一次患者より若年層に移行する傾向が認められた。患者の環境についての調査では、湯原町は簡易水道、井原市は昭和四三年までは井戸水の使用が多かつた。これらのことから患者の発生は感染症の発生に近い形であり、感染症がトリガーとなり、それに何らかの素因が加わつてスモンの発病に到るものと推定される、と。

(二) 小坂・島田らの調査

<証拠>によれば、小坂・島田らは、井原地区のスモンの発生状況とキノホルム投与について調査したが、その結果を概要、次のように報告している。

(1) 井原市におけるスモン患者は、昭和四〇年より多発したが、同四四年の前半で発生が急速に減少した。この減少についての半減期は同年七月と八月間のにあつた。一方、井原市民病院にカルテの存在するキノホルム投与を受けた非スモン患者数を同年以降につき調べると、同年九月より減少し始め昭和四五年一月が最低で、半減期は同四四年一〇月と一一月の中間にあることがわかつた。

(2) 井原市民病院で診療し、その治療状態が発病の初期から明らかな一一三名について検討したところ、スモン発症の時期を下肢しびれ感出現時として、キノホルム投与開始日からの日数を計算し、これを横軸に、キノホルム一日投与量を縦軸にして図示し検討すると、キノホルム投与以前に下肢しびれ感の出現した症例は一一三例中二四例(21.2%)であり、一日投与量が増加しても、下肢しびれ感出現までの日数は短縮しなかつた。

(3) 昭和四四年度に井原市民病院に来院し、キノホルム投与を受けた非スモン症例は総数一六一例で、そのうち一一日以上キノホルム連続投与例は六三例(三九%)、一月以上使用例は二五例(一六%)であつた。一方、同年度発生のスモン例のキノホルム投与より下肢しびれ感出現に至る日数が一一日以上の症例は四三例中一九例(四四%)、一月以上使用例は四三例中八例(一八%)で、キノホルム投与非スモン例とほぼ同率であり、一日量も両者の間で差がなかつた。

以上の三点は、いずれもスモン発症とキノホルムの関係を否定するものである、と。

2 前記感染説に対する批判としてのキノホルム説

岡山地方に多発したスモンが感染症を疑わせるものであるとの以上の見解に対し、右スモンの多発とキノホルムとの関連を指摘するものとして、次の諸説がある。

(一) 山本(俊)らの説

<証拠>によれば、山本(俊)らは、岡山県湯原温泉病院におけるキノホルム使用状況とスモン発生状況との関係について、次のとおり報告している。

湯原町におけるスモン発生数は、疑スモンを含め一四一名で、その発生状況は昭和四〇年一二月の一例を初発に、その大部分(一一六名、八二%)が昭和四三―四四年に多発し、同四五年は一二名(八%)と激減し、同年九月の一例を最後に発生が終焉した。同病院内科におけるキノホルム使用量を年次月別に示したものが図二一のとおりで、破線は当該月の成人に対する使用総量(キノホルム原末量)を、実線はそれより発症後のスモン患者に投与されたキノホルム量を差し引いたものである。なお、右図に当該月のスモン発症数を併示してある。その結果キノホルム使用総量とスモン発症との間には極めて高い相関のあることがわかる。

(二) 甲野・中谷らの説

<証拠>によれば、甲野は、岡山県井原市、湯原町のスモンの集団発生は、根底に消化器感染症の流行があつたためではないかと考えるとし、次のように説明している。すなわち、キノホルム投与の契機となつた下痢には感染性下痢も非感染性下痢もあり、とくに前者の流行が基底となつてスモンの集団発生が起こり得る可能性は十分あると思われるところ、同地における大平らの国保レセプト調査によつてスモン流行時に消化器病が増加しているという事実があり、中谷らの調査によると井原地区でスモン死の患者から分離されたSalmonella infantisに対するO凝集価の分布が患者群では対照健康群に比べ高い方に偏つていることがわかつている、という。

(三) 岡山地方のスモン剖検例

(1) 小川らの所見

<証拠>によると、小川らは次のとおり報告している。

岡山県下では昭和四五年末までに八一一名のスモン患者が発生し、うち四三名が死亡した。少川らは、別表四八のとおり二五のスモン症例の剖検を行い、キ剤投与量と神経病変の病理学的所見との関連性について検索した。右二五症例のうち集団発生地区(井原市)のものは症例13、14、18の三例で、他は散発地区の症例である。なお同表で欠番の症例5は、スモン非定型例として報告してきたが、その後の検討により白血病による脊髄症と結論し得たのでスモン症例から除外した。症例1、3は臨床記録が入手不能のため調査し得なかつたが、残り二三例は別表四九に示すとおりいずれも神経症状発現以前からキ剤の投与を受けていた。キ剤投与量合計は同表に示したとおりで、これと神経病変の病理学的所見との相関は、次のとおりである。

神経病変の強さを決定するために、錐体側索路病変の広がりを基準にして、変性の強さを比較した。判定の記号士は錐体全体で変性軸索が一〇本以下のもの、Tは強拡大一視野に変性軸索が一〇本以下のもの、+は−視野に変性軸索が一〇本以上の場所があるもの、は−視野に非変性軸索が二〇本以下の場所があるものを現わし、その結果を図二二に示した。その結果+〜病変の広がりは、一〇〇mg/kg以下では胸髄下部以下に、二g/kg以下では胸髄上部以下に、五g/kg以下では頸髄以下に、六g/kgを越えると延髄にも変化を認める。次に比較的近似的な投与を受けた症例を図二二から抽出して図二三にまとめた。これらの例は、全病例についての一日投与量平均値36.7mgを連続投与された状態に近いものを選んだもので、この症例について比較するとかなりきれいなグラフになつている。

視神経病変とキ剤投与量の関係は図二四に示すとおりで、キ剤投与量が増すほど眼球に近づいていく傾向が見られる。

オリーブ核に明瞭な膠症を来しているのは約2.5g/kg以上の例であり、さらに糸球体形成を示したのは、10.37g/kgの症例18、5.27g/kgの症例9、2.8g/kgの症例8であつた。

馬尾の変化は別表五〇に示したとおりで、別表四九、図二五の投与から死亡までの過程を参照して見ると、死亡直前までキ剤投与をうけた症例により強い変性あるいは活動性病変が見られ、投与終了後長時日を経たものでは活動性の変性が終焉したことを意味している。

腸壁内神経線維変性、とくにシユワン細胞腫脹は、キ剤投与が死亡前まで行われ、しかも総量が多いもの程強い変化を示す傾向が見られた。

以上のとおり、神経病変はニユーロン末梢に強い変性で、その広がりはキ剤の投与量と明らかな相関性のあることがわかつた。

また、右の形態学的検索の結果、脊髄変性の型は、ペラグラに最も近い点からも、キノホルムがニコチン酸代謝異常を介して神経病変を起こす可能性が考えられ、感染症を考えさせる炎症病変は見られなかつた、と述べている。

(2) 提の所見

<証拠>によれば、提は「剖検例から見た、年次別スモン発生状況とキノホルムの関係」について次のとおり報告している。すなわち、

提は、昭和四〇年から同四五年までの剖検例について、生前のキ剤投与状況を調査し、キノホルム投与とスモン発生の相関を検討した。ただし、昭和四五年九月以降のスモン剖検例で、発病期間が上期間内に含まれるものも三例も含めた。対象として岡山県の剖検例二五九〇体、広島県下のJ病院六二体、高知県下のK病院一一八体の計二七七〇体を用いた。

なお、スモン症例のキノホルム量検討には、岡山県下L病院例一体(剖検数一〇五体)およびM病院例二体(剖検数三六六体)を加えた。

この結果、岡山県下のA〜H八病院についての剖検例中キノホルムの投与のあつた病例一四九例について、キノホルム投与状況とスモン発生の関係は図二六に示したとおりで、各相関性が認められた期が多い。ここでキノホルム投与数と相関性を示さない時期が二〜三見られるが、そのうち昭和四五年(一九七〇年)Ⅰ期(一、二、三月)についてのキノホルム用量を見ると、図二七の如くなり、キノホルム用量が少ない症例だけしかなかつたことがわかる。

さらに、調査対象とした他病院例も入れて一六〇症例について年次別発生状況を見ると、図二八の如くになつた。各期におけるキノホルム投与例をすべて算入すると図の△―△線の如くスモン発生と殆んど関係がないように思われる。しかし、スモン発生例について、発症後の投与を除外すると○―○線になつて、かなりスモン発生との相関性を示すようになり、さらに二〇mg/kg/day以上、一〇日以上の投与をうけた症例だけを図示すると、×―×線の示すように、ほぼ完全な相関性を示す。

結論として、年次別に見たキノホルム投与状況とスモン発生の関係においては、明らかな相関性が見られた。特に昭和四五年九月以降現在までの四年半の間に一例の発生も認められなかつたことは特記すべきである、と述べている。

3 結論

以上によれば、岡山地方のスモン多発の現象は一見感染説によつても説明可能のように見えるが、剖検による形態学的検索(右の中には岡山県内のスモン多発地域の一つである井原の症例三例がある)では、その神経病変はニユーロン末梢に強い変性で、その広がりはキ剤の投与量と明らかな相関関係があり、しかも、感染症を疑わしめる炎症病変がなかつたことが特に強く指摘されなければならない。同県内のスモン多発地域の一つである湯原地域については、スモンの発生状況と湯原温泉病院内科におけるキ剤使用状況および同県下A〜Hの八病院におけるスモン発生状況と同病院のキ剤使用状況がそれぞれ相関関係が認められているのである。しかして、前記のような、あたかも、感染症を疑わせるかのような同県内のスモンの分布や時間的な推移現象も、症原体起因の消化器疾患が慢延して、その治療予防としてキノホルムの投薬がなされたことによりスモンの発症を見たがために、結果的に、右消化器疾患自体の分布形態がスモンのそれに投影されて、スモンもまた感染症的な分布形態をとるに至つたと考えることが可能で、前記現象をもつてキノホルム説に対する反論の論拠とするには足りないのである。

五戦前のスモン様症例

1 戦前におけるスモンについての調査

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

(一) 片平・中江らによる調査

片平、中江らは戦前のキノホルム使用の実態とスモン様症例の発生の有無を調べるため、次のとおりの文献調査とカルテ調査を行つた。

文献調査は、大正二年から昭和二〇年までの医学中央雑誌の索引より検索し、原文にあたり、一部は関係文献・資料の検討ならびに関係者への問合せにより行われた。この調査結果は次のとおりである。

(1) キノホルムは、一九〇〇年にヴイオフオルムという名で、スイス、バーゼル工業により製造発売された。わが国では大正二年に、チバの日本総代理店であるカール・ローデ商会と契約を結んだ三共合資会社より外用薬として輸入・発売されている。このヴイオフオルムにサパミンなどを加えたエンテロ・ヴイオフオルムは、昭和九年チバが製造提供し、武田長兵衛商店より発売された。一方、国産品としては昭和二年に陸軍で、また一二年に内務省で試製中と報告され、同一四年六月より生産を開始、同年八月に日本薬局方に収載された。キノホルムの生産販売量は、戦前はヴイオフオルムが同一四年〜二〇年に年間四〇〇g〜八〇〇kg(国産分)、エンテロ・ヴイオフオルムが同一一〜一五年に年間1.2〜33.9kgという程度であつた。戦後になると、昭和二八年に乳化剤CMCなどを加えた乳化キノホルムが発売されたのを皮切りに、二九年にエンテロ・ヴイオフオルム、三七年にメキサホルムなどの製剤が次々に売り出され、生産販売量は急激に増加した。

(2) キ剤のわが国における使用報告例として、昭和四年に腸結核その他に内用したとの報告があり、また、表五一に示されるように、昭和八年以後一三年までに毎年のように、腸カタル、結核性下痢、赤痢などに用いたという報告がみられるが、この頃の投与量は、文献報告の範囲では、成人一日量でヴイオフオルム0.2〜1.5g、エンテロ・ヴイオフオルム一〜三錠(キノホルム量0.25〜0.75g)であり、期間は一五日以内というのが多く、一か月以上にわたる連続投与例は少ない。これらのうち、一日投与量と投与期間が明らかな一二六例について、縦軸に一日投与量、横軸に投与期間をとつて図示したのが図二九である。これから、投与例の大部分は一日量1.0g以内、投与日数三〇日以内であることがわかる。なお、右図中で一日量1.0g以上の三〇例は、すべて大阪市立桃山病院における腸チフス患者への投与例であり、なかには比較的長期にわたるものも見られる(表五一中、兼田功ほかの報告にかかるもの)。

(3) カルテ調査は、右表においてもつともキ剤投与量の多い兼田らの報告例を対象として、同病院のカルテを検索し、当時診療を担当していたK医師に面会して調査した。調査の結果、抽出しえたカルテは三〇例中二八例で、別表五二記載のとおりである。このうち四例(H・M、Y・A、S・Y、M・C)に神経症状の記載が見られた。H・Mはヴイオフオルム投与前に四肢しびれ感の記載があり、残り三例はいずれもヴイオフオルム投与後下肢しびれ感などの神経症状発現の記載があることがカルテに基づいて詳細に報告されている。

(二) 調査結果の要約

以上の調査から、片平、中江は、戦前のキ剤のわが国における生産販売量は、多い時でも一トン未満であり、昭和三七〜四四年には毎年二三〜三六トンに達しているのに比較して、非常に少ない、また、同じく戦前のキ剤個別使用量は、前記の臨床治験報告の範囲では、大部分が一日量1.0g以内、投与日数三〇日以内であることが判明した、と述べている。

(三) 高須・豊倉らによる症例評価

また高須、豊倉、中江、片平、杉山は、右調査の結果により、S・Yの症例については、(1)ヴイオフオルムの服用と神経症状の経過の時間的関連が密接であり、(2)患者の希望により同薬を中止したあと神経症状の一部が軽快したとの記載があること、(3)これらの臨床経過がスモンの臨床診断の指針とも一致し、(4)スモンの重症例では急性期には腱反射が消失し弛緩性麻痺を呈することもあることを考慮すれば、本例の全経過はスモンとして矛盾するところはなく、診断として、スモンの疑いをかなり強く置いても差支えないと考えるとし、Y・Aの症例について、記載された限りでは軽度のスモンと相容れぬ症例ではないとし、M・Cの症例については、スモンを疑い得る症例と考えられるとし、少くとも一例のスモン容疑例をみいだし得た、と述べている。

2 椿による症例評価と意見

<証拠>によれば、椿は、右の片平らの調査について次のとおり述べている。片平らの報告するスモン容疑例二例について、すでに死亡しているため診断を確認することができないが、病歴の記載でみる限りスモン容疑の例である。椿自身も病歴を検討する機会があつたが、キノホルム服用を続けたのち腹痛が先行し、知覚障害優位、下半身障害優位、左右対称性障害などを示し、スモンに一致する点が多い。昭和三〇年以前にキノホルムが大量投与された例は、このほか殆んど報告がない点から考えて、昭和三〇年以前でもキノホルムが大量長期投与されれば高率に神経症状を起こしたと考えることは妥当であろう。すなわち、キノホルム以外の因子が昭和三〇年以降に加わつてスモンが多発したと考えなくてよいであろう。

3 結論

以上によれば、戦前においてもスモンと目される症例が見出されるのであるが、これは戦前としてはキノホルムの一日投与量の最も多い大阪市立桃山病院に発生したもので、戦前と戦後スモンの多発した昭和三〇年代以降との間に、一日投与量および投与期間につき相当の差が認められること(後述第三編第一章第九節一1参照)からすれば、戦前にスモン様症例と認められるものの発見され難いのは、結局、当時におけるキノホルムの投与量が少なかつたことに基因するとの椿の見解をもつて正当とすべきである。

六外国におけるスモン

被告会社らは、キ剤は現在なお、日本および韓国以外の国では製造・販売・使用が続けられているにもかかわらず、それらの国々では殆んどスモンの発生を見ていない、と主張し(本件口頭弁論終結時までの外国におけるキ剤使用の規制状況については、後記1、(四)、(3)参照)、これをスモンの原因論としてのキノホルム説に対する大きな問題点として指摘するので、以下この点につき検討することとする。

1 外国におけるキノホルムおよび類縁化合物による神経障害例

(一) 椿らの調査

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

椿および井形は、一九七一年夏スイス、ドイツ、オランダ、イギリス、オーストリアおよびイタリーにおいて、(1)日本とこれらの諸国との間にキノホルムの投与方式の違いがあるかどうか、(2)キノホルム中毒の実際の頻度はどうか、(3)多くの患者を発見できた場合には、どの患者が日本のスモン患者に匹敵する大量のキ剤を服用したか、また神経性副作用の頻度に差があるかどうか、すなわち、日本でのスモンの発病に対して日本だけに存在する何らかの特別の要因を仮定する必要があるかどうか、の諸点につき調査した。対象とした施設は、大学および総合病院の神経科一一、大学および総合病院の内科七、その他二、薬剤の安全性に関する公式委員会五、一般開業医四、薬局一〇であつた。

その結果は次のとおりであつた。すなわち、一二歳から六三歳までのキノホルム中毒八例の情報が得られ、二例はバーゼル、三例はロンドン、二例はウトレヒト、一例はウイーンであつた。二例は男性、六例は女性であつた。四名の患者で認められた臨床的特徴は主として多発神経炎と視力障害であつた。概してこれらの患者の臨床像はスモンのそれと類似していた。

(二) 椿の宿題報告「SMONの本態と臨床」

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

一九七三年四月、第七〇回日本内科学会講演会においてなされた椿の宿題報告「SMONの本態と臨床」によれば、外国におけるキノホルムおよび類似物質による神経障害例(椿自身の体験例と文献例)のうち、国籍と診断の明らかなものは、次の二四例である。

国名

報告者

例数

報告年度

スウエーデン

ベルグレンら

一九六六

一九六八

後記(三)(4)参照

米国

エサリツジら

一九六六

後記(三)(5)参照

スウテーデン

ストランドヴイクら

一九六八

後記(三)(10)参照

英国

マツクイーン

後記(三)(12)参照

スイス

ケーザーら

一九七〇

後記(三)(14)参照

スウエーデン

オスターマン

一九七一

オランダ

ベツクら

一九七二

ブロンら

ドルツカーら

山本(耕)ら

後記(1)参照

オーストラリア

セルビー

後記(2)参照

米国

椿

未発表

後記(3)参照

オーストラリア

ウイウオーカー

未発表

(1) 山本(耕)らの調査

山本(耕)ら調査による二例は、次のとおりである。

山本(耕)らは、オランダのウトレヒト大学病院において、キノホルムによると考えられる神経障害例二例を経験した、と次のとおり報告している。第一例は、二七歳の家婦で、キノホルム一日1.6gを三年間服用したあと、両側視神経萎縮、錐体路徴候を発現。第二例は、一一歳の女子で、一日八〇〇mgのキノホルムを約六週間服用したのち、両下肢の軽度の知覚障害、痙性不全麻痺を示した。両例とも知覚障害が欠如あるいは軽微である点が、日本のスモンとの相違点である。なお、同病院のキ剤年間購入量から推定した使用量は、ほぼ同一規模の日本の一病院のそれの四分の一〜七分の一と少なく、長期大量投与もまれであつた。

(2) セルビーによる報告例

シドニーのロイヤル・ノース・シヨア病院のセルビーによるランセツト七七四二号<一九七二年一月>一二三〜一二五頁登載分六例は、次のとおりの症例である。

五七歳から六七歳までの五人の女性と一人の男性で、全症例神経症状発現前に下痢、腹部症状があり、その期間は年余にわたるものから二週間までと多様であつた。神経症状としては、下肢に始まる上向性の異常知覚が全例に見られ、その上界は二例で膝まで、四例で鼠径部であり、かつ、締めつけ感ないし疼痛を訴えたものが四例あつた。下肢の触覚、温痛覚、振動覚の低下も種々の程度に存在している。下肢の脱力と歩行失調が全例に見られたが、経過とともに軽快した例が多い。上肢には運動知覚障害は見られず、膝蓋腱反射亢進が二例に見られ、アキレス腱反射は五例で消失、一例で減弱していた。視力障害は一例に見られ、眼底に乳頭萎縮を伴い最悪時の視力は6/60であつた。全例神経症状発現前にエンテロ・ヴイオフオルムを服用しており、重症ほど多量を服用していた。すなわち、軽症の二例は一八gと四二gを服用後発症しており、次いで、一日1.5gを二か月、同四か月、同六週間(この例はそれ以前に五〇〇〜七五〇mgを一五か月にわたり間歇的に服用している)服用した例が続き、視力障害を伴つた例は1.5gを一四か月にわたつて服用していた。キノホルム投与中止後神経症状は軽快の傾向を示した。

右の症例の紹介に続き、セルビーは、キノホルムの投与量・投与期間と神経症状の重症度の間に明らかな関係があると思われるが、一方、スモンが発症した患者の割合が比較的少ないということは、キノホルムあるいはその代謝物のあるものに対して特異体質があることを示唆する、もし、ここに挙げた症例が日本の患者と同様なものとして受け容れられるなら、キノホルムまたは同類の薬に対する特異体質が特別の人種的グループに限られること、あるいは日本人がこのグループの薬に対して中毒を起こすような特別な遺伝的体質をもつていることはありそうにない、と述べている。

(3) 椿の未発表の症例

五〇歳位の女性カメラマンで、アメーバ症に罹患し、よく下痢をしたので、相当長くキノホルムおよびジヨードキンの投与を受けたところ、下肢のしびれ、一時的な上肢のしびれ、視力障害、歩行障害があり、腱反射の亢進が見られた。右の患者はイギリスの雑誌に掲載された椿の記事を読んで、同人に手紙で症状および投薬状況を報告してきたもので、昭和四七年ニユーヨークにおいて同人が直接診察した。

(三) チバガイギー(バーゼル)薬品副作用センターに集められた情報

<証拠>によれば、一九七〇年一月にチバ(バーゼル)薬品副作用センターにおいて「ハイドロキシキノリン治療時の神経および眼科的障害」と題する報告書No.3、追補1〜3を作成した。この追補3には、エンテロ・ヴイオフオルム等を用いて治療を行なつたところ発生した神経および眼科的障害に関する症例を一九例挙げている。なお、このなかには、チバ社が治療と合併症との関連を、「蓋然性あり」、「可能性あり」、「確かでない」、と評価するものまで含まれている。

<証拠>によれば、チバガイギー(バーゼル)は、一九七六年五月に「一九三四年一月一日から一九七五年一二月三一日までのクリオキノール治療中に神経障害が観察された日本以外での報告症例」と題する社内報告書を作成した。この報告は一九三四年一月一日から一九七五年一二月三一日までの間のクリオキノールとの蓋然性の有無に拘らず、これに関連したかも知れないあらゆる神経障害の発症例を含むもので、エンロ・ヴイオフオルム、メキサフオルム、ヴイオフオルムに関する一四四二の出版物と、右年代間のチバガイギー副作用センターに報告されたすべての非公刊の報告に基づくものである。この報告には合計一七九の症例が集められているが、うち三症例はチバガイギーの薬剤を服用していないので除外される、としている。

以上の各種調査報告に現われたもののうち、おおむね一九七〇年以前に発表されたものは、第三編末尾添付「副作用文献等綴」に収録されているので、ここでは以下、発表者名のみを挙げることとする。

(1) ブツセ・グラヴイツツ、エンリケ・バロスによる一九三五年報告の二例(右文献等綴一、1、(一)、③④)

(2) テユビニによる一九六三年報告の一例(同)

(3) ゴルツらによる一九六四年報告(同)

(4) レナルド・ベルグレン、オーレ・ハンソンによる一九六六年および一九六八年報告の二例(同)

(5) ジエームズ・E・エサリツジ、G・T・スチユアートによる一九六六年報告の一例(同)

(6) W・C・ムンツによる一九六六年報告の一例(同)

(7) L・バイコウスキー・スロムニツキーによる一九六六年報告の一例(同)

(8) R・デランベールによる一九六七年報告の二例(同)

(9) J・M・フエリエによる一九六八年報告の一例(同)

(10) ビルギツタ・ストランドビツク、ロルフ・ゼツターストロエムによる一九六八年報告の一例(同)

(11) G・S・ナギーによる一九六八年報告の一例(同)

(12) L・M・マツクイーンによる一九六八年報告の三例(同)

(13) E・バン・ギンネケンによる一九六八年報告の一例(同)

(14) H・E・ケーザーによる一九六九年報告の三例(同)

(15) A・M・フアン・バールンによる一九七〇年報告の一例(同)

(四) 片平らの調査

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

(1) 調査事項および調査方法

片平らは、一九七〇年以降に諸外国で出されたキノホルムの神経障害例に関する報告と、各国でのキ剤使用規制の有無、およびその内容について、次のとおり調査した。

調査方法 1文献調査 一九七〇年から一九七六年八月までのIndex MedicusとExcerpta MedicaおよびASCATOPICSによる文献情報検索サービスを利用し、さらに特定疾患スモン調査研究班を通じて得られた文献等を参照し、ジヨードハイドロキシキノリン、ブロキシキノリンによる症例も含めた。2郵送調査 一九七六年八月二〇日より同年一一月二〇日迄の間にキノホルムの副作用報告と使用規制に関する質問表を世界九九か国の厚生関係者に郵送した。これに対する返信は一九七七年三月二九日迄に四〇か国より到着した。回収率は四〇%であつた。

(2) 調査結果(その一)キノホルム類中毒報告

第1の文献調査より一九七〇年から一九七六年の間に外国でキノホルム中毒あるいはスモン(疑いも含む)として四六編、合計八五症例(オーストラリアの二九例を含めた)が報告されていることが判明した。発生が報告されたのは一七か国に及んでおり、オーストラリアが最も多い。また第2の郵送調査では、西独、フランス等八か国合計約六〇例の発生報告があつたが、報告年が記載されていないものもあり、これらの中には一九七〇年以前の報告例も含まれていると見られる。なお、以上の数字とともに参考までにチバガイギー社により集約された一九六二〜一九七一年および一九三五〜一九七五年間の報告数を併せて、別表五三に示した。次に、文献より報告された症状の臨床症状を葛原が検討し、記載が不十分なためキノホルム中毒とするには判定困難な例や診断の疑問な例を除いた三七編五〇症例について、亜急性・慢性中毒の大人の場合、同じく小児の場合、急性中毒の三つに分類したものを別表五四の一〜三に示した。この結果、大人の下痢・大腸炎等にキノホルムを投与し、亜急性ないし慢性に神経症状が発現したのが二四編三四症例、小児の下痢や腸性末端皮膚炎にキノホルム類(ジヨードキンが多い)を投与し、同様に神経症状を起こしたのが九編一〇症例、急性中毒例が四編六症例であつた。神経症状の内容としては、亜急性・慢性中毒例の場合、小児では視覚障害のみを呈する症例が大部分であり、大人の場合にも三四例のうち一七例が視覚障害を伴つていた。三四例のうち二九例には知覚障害の記載があつた。知覚障害、運動障害、視覚障害がすべて発現した症例は九例であつた。急性中毒例の場合「錯乱」、「健忘症」等の症状が記載されていた。キノホルム類の神経症状発現前投与量は、小児の場合は大量投与例が多く、大人の場合も算定可能であつた二三例中一一例が一〇〇gを超えており、一〇g以下は一例であつた。急性中毒の場合は1.5〜7.5gの範囲であつた。

以上のことから、日本と比較すればまだ数は少ないとはいえ、キノホルム中毒の報告は諸外国においても年々累積しつつあることがわかる。文献より報告された症例数は、実際の発生数を下廻つていることが当然考えられるので、調査を積極的に行なえば、発生数はさらに増加するといえよう。何故に「スモンが日本に多発した」かという問題については、以上のことを考慮して引き続き外国での発生数を調査し続けるとともに、発生率の差の検討を通じて、製剤・キノホルム投与量・人種等の差異につき今後検討を深める必要があろう、と述べている。

(3) 調査結果(その二)キノホルム類の使用規制の動向

外国政府ないし関係機関によつて何らかのキノホルム使用規制(警告も含む)措置がとられたのは返信のあつた四〇か国中二三か国であり、措置をとつていないとの答があつたのは一〇か国(うち将来の計画等についても調査表にまつたく無記入であつたのは六か国)であつた。このことから、わが国でのキノホルム販売停止措置以降、キノホルム使用停止ないし規制措置をとる国が年々増加していることが判明した(表五五)。

キノホルムの使用を全面的に禁止すべきか、適応や量の規制等で良いかについては、外国では今日なお見解が分かれているが、一方では重篤な有害な反応をきたすことがあり、また他方有効性の面でも、アメリカでは一九六二年アメーバ赤痢のみに適応が限定され(一九七二年には販売停止)、ノールウエーでは一九七四年より有害性とともに治療上効果があるという証拠がないことによつて販売が停止されたこと、また、スエーデンではキノホルムの唯一の適応として残つた腸性末端皮膚炎が亜鉛剤の投与で足りることが判明して、キノホルムの使用が停止されたこと等から考えると、少なくともキノホルムの内用としての使用は、その他の外国においても禁止されることが真剣に検討さるべきであると考えられる、と述べている。

(五) 以上要するに、外国におけるキノホルムおよびその類縁化合物による神経障害の発生症例は、一九七三年頃までに発表されたものを椿の手でまとめたものは二四例にとどまつたが、その後チバガイギー(バーゼル)に集められたキノホルムとの関連の疑われるあらゆる神経障害の発生例は一七九例にのぼり、また片平らの調査によつても(キノホルム中毒とするには判定困難な例や診断の疑問な例を除いても)三七編五〇症例に達するのである。このように、現に発生症例の把握数がかなり増加しつつあるばかりでなく、調査の精度を高めることによつて、さらにより以上の多数を把握することが可能であろうと考えられる。

一方、片平らの調査によると、外国におけるキノホルム類の規制措置は、販売停止四か国、処方箋必要等の規制一〇か国、服用量・服用期間の制限等七か国、副作用の警告三か国にのぼるのであり、被告チバらの主張する“キノホルムは日本および韓国以外では製造・販売・使用が続けられている”というのも、今日ではもはや誤りとなつたものというべく、このようにキノホルムに対する規制が一般化されつつあることが、近時外国におけるキノホルムによる神経障害例の報告の少ない一つの要因となつているともいえるのである。

2 わが国と外国におけるキ剤の投与状況の差異

(一) 椿の外国における投与量・投与期間の調査

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

椿および井形の前記の外国における調査に際し、西ドイツのハンブルグ、ブツパータール、ハツヘンドルフ、ビユツツブルグ等の病院において七一〇七名の入院患者につき調査したところ、入院中にキ剤を服用した七一例が見出された。これらのキノホルムの一日服用量および服用期間は、一日量については、三〇〇mg未満三〇例、三〇〇mg一七例、六〇〇mg六例、一二〇〇mg九例、一八〇〇mg三例、二四〇〇mg二例であり、六〇〇mg以下が79.1%を占め、キノホルムの使用期間については、六日以内一七例、七日から九日六例、一〇日から一三日一六例、一四日から二〇日一二例、二一日から三四日一〇例、三五日以上なし、であり、一三日以下が63.9%を占めていることがわかつた。キノホルムの用量は一般に日本での用量と比較して少なかつた。

(二) わが国におけるキ剤の投与量・投与期間

(1) 山本(俊)の報告

前記第五節、3、(一)に述べたとおり、協議会の行なつた全国スモン患者のキ剤服用状況調査成績と昭和四七年に追加された例を合わせ、神経症状発現前六か月にキ剤投与量の明らかな一〇〇七名を解析したところ、患者の発症前のキノホルム服用量の分布は二一〜三〇gにモードをもつていると認められた(図一三)。これに続き、<証拠>によれば、山本(俊)は次のとおり報告している。

キノホルム投与期間別(一〇日刻み)に患者数を見たものは図三〇のとおりで、一一〜二〇日のキノホルム服用群が最も多い。右の一〇〇七例のうち発症前のキノホルム量の記載について信頼度の低いと思われる、(1)神経症状発現が初診の時期の前にあるもの、(2)神経症状発現――初診の時期的前後の不明なもの、(3)キ剤として「キノホルム」と報告したもの、(4)「メキサホルム散」と報告したものの四つを除いた七二九例について、一日投与量別の患者数ならびにスモン発症までのキノホルム総投与量は別表五六のとおりであり、一日投与量1.21〜1.60gにモードをもつことがわかつた。

(2) 青木らの調査

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

青木らは、名古屋市某病院において昭和四四年度の外来患者四三一八例を診療録を中心に調査した(前記第三節、一、4のもの)。これによると、胃腸炎、下痢等に対するキノホルム処方件数は、女六二七例中一九一(30.5%)、男六七七例中一九四(28.7%)で性差なく、年齢別では九歳以下では男が高く、一〇〜四九歳で性差なく、五〇歳以上で若干女が高かつた。下痢患者のみについてキノホルム一日投与量を見ると0.5g以下は2.1%、0.6g〜0.9gは17.2%、1.0g〜1.4gは6.5%、1.5g〜1.9gは37.6%、2.0g〜2.7gは36.6%で比較的大量投与が多かつたが、総量としては三〇g以下が88.2%で長期投与者は少なかつた、としている。

(3) わが国の医療機関におけるキノホルムの投与状況の例として、右の青木らの調査、山本(俊)らの戸田・蕨市における調査(前記第三節、二、3)および協議会の全国調査の解析を挙げることができるが、これらを前述の椿の調査の外国におけるものと比較しても、わが国の医療機関の方が一日投与量が多く、就中、スモン患者の発生の多い医療機関において大量投与の傾向が明確に看取される。

3 結論

右のとおり、外国におけるスモン様症例数は、漸次拡大把握されつつあるとはいえ、わが国における空前のスモン発症数に比べれば、なお遙かに少数に止まるものといわざるを得ないけれども、わが国でスモンの多発を招いたのは、前記キ剤の投与状況の比較検討により明らかな如く、外国に比べてわが国における一日当り投与量が多く、投与期間も長いことに起因するものと結論づけられるのであり、要するにわが国におけるスモン多発の最大の要因はキノホルムの量にあるとするのが至当である。したがつて、外国におけるスモン様症例数が少ないことの故をもつて、キノホルムがスモンの要因たり得ないとの主張は当を得ないものといわなければならない。

第七節疫学的関連性についての判断

一因果関係認定における疫学的手法に関し、病因の推論につき検討すべき諸条件(第一節、二、2参照)については、前記第二節ないし第五節で詳細に検討したとおりである。すなわち、(1)キノホルムのスモン発症に対する先行因子性については、スモンと診断された患者の大多数が神経症状発現前六か月以内にキ剤の投与を受けた者であること、(2)キ剤服用とスモン発症との関連性については、右のキ剤投与群から非投与群に比して有意に高いスモンの発症が見られること、スモンの家族内、病院内、とくに地域内の多発についても、キ剤投与との関連が濃厚に看取されること、キ剤の生産・消費量とスモンの発生数との間に平行関係が認められること、とりわけ、昭和四五年九月の行政措置後にスモン発生の激減とついには終熄を見るに至つたこと、(3)キノホルム原因説は、スモンの臨床・病理所見について述べた従来の医学理論との間に矛盾が見られないこと、(4)量と反応の関係については、キ剤の投与量とスモンの発症ないし症状の程度との間に、ドース・レスポンス・リレーシヨンシツプを肯定する調査研究が少なくないこと、などが認められるのであつて、以上の諸事実を総合すれば、キノホルムとスモンとの間には、高度の相関関係の存することが肯定されうるのである。

二そして、以上の疫学的手法による因果関係の肯定に対し、疑問として投げかけられた幾多の問題点、すなわち、(1)「行政措置以前からのスモン患者の減少」、(2)「キ剤非服用スモンの存在」、(3)「行政措置後におけるスモン患者の発生」、(4)「岡山県下におけるスモンの多発」、(5)「昭和三〇年代に至るまでわが国においてもスモンの報告例が存しないこと」、(6)「外国におけるスモンの報告例が少数にとどまること」の諸点については、前記第六節において詳述したとおりであつて、いずれもキノホルム原因説によつて合理的に説明されうるものである以上、とうてい、前記“キ剤とスモンとの間の高度の相関性”を疑わしめるものというに足りず、協議会において昭和四六年度研究の総括の行なわれた当時(昭四七・三・一三)に比し、さらに調査研究の結果の累積された今日においては、右の相関性は、より一層その密度を濃くしたものといわなければならない。

《別紙一、表一〜表五六、図一〜図二九――省略》

第五章キノホルム投与動物とスモンの類似性――動物へのキノホルム投与実験とその臨床・病理――

第一節大月・立石らによる実験

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

第一各種動物に対する経口投与実験

――昭和四五年秋投薬開始分

同人らは、昭和四五年秋以来、雑犬、ビーグル犬、猫、猿に対するキ剤の長期経口投与実験を行ない、以下の知見を得た。

一昭和四七年五月末日までに得られた実験結果

1 材料および方法

(一) 動物

雑犬二五頭(うち一頭はビーグル犬と同時に追試、四頭がコントロール)、生後一四か月の純系雌ビーグル犬一四頭(二頭は予備実験に使用、五頭がコントロール)、猫三二頭(うち五頭がコントロール)、日本猿二頭(うち一頭がコントロール)を用い、雑犬二四頭は病院食、同一頭は固型飼料、ビーグル犬は全例固型飼料(日本クレア(株)製CD―1、その成分は本章末尾添付別表一記載のとおり)で、猫は煮魚と猫用罐詰食、猿は果物、野菜、芋類を与えて飼育した。

(二) キノホルム製剤

実験当初は市販のエマホルム(キノホルム九〇%+CMC一〇%)とエンテロ・ヴイオフオルム(キノホルム九三%+サパミン七%)を用いたが、販売中止措置以降は協議会を通じて提供された両製剤を使用した。

(三) 投与方法

雑犬二一頭とビーグル犬九頭には、前記製剤を牛乳に懸濁して朝夕二回、猫二七頭には飼料に混入して一日一回それぞれ経口投与した。

猿一頭は当初食餌または飲料水に混入し、その後一日一回鼻腔ゾンデにより懸濁水を注入する方法で投与した。投与量の詳細は別表二の一ないし三のとおりである。

(四) 合併処置

(1) キノホルムの腸管からの吸収促進を意図して、便秘処置(ブスコパン皮下注2A/day一〇日+収斂剤((タンナルビン2.0、ビスマス2.0))の接続的内服)を、投薬雑犬三頭とコントロール雑犬一頭に行なつた。

(2) キノホルム少量投与雑犬とコントロールの各一頭に肝・腎障害作製の目的で四塩化炭素0.5cc/kgを六日間投与した。

(3) 猫二頭に腎障害作製の目的でViomycin三〇〇mg/kgずつ二日間筋注した。

(五) 剖検

別表二の一ないし三に「生存中」と記載された動物以外はすべて剖検した。その大部分はネンブタール麻酔下に瀉血剖検したが、一部の動物(とくに猫)では死後なるべく早期に剖検した。剖検は全身臓器について行ない、一〇%中性化ホルマリン溶液に固定後、パラフイン包埋または凍結切片を作製し、H―E染色、髄鞘染色(WoelkeまたはK―B)軸索染色(Bodian)を全例に行ない、必要に応じてNissl, Holzer, Masson脂肪染色などを行なつた。また末梢神経については生検材料のエポン包埋、ときほぐし線維法を併用した。

2 実験成績

(一) 臨床経過

(1) 雑犬(別表二の一)

キノホルムを投与した二一頭中、急性中毒死した四頭、キノホルム投与直後から食欲の減退をきたし全身衰弱のため二八日目に死亡した一頭、臨床的に無症状であつた三頭を除く一三頭に慢性中毒による神経症状を認めた。

(2) ビーグル犬(別表二の二)

雑犬に見られたような急性中毒死は避けられたが、キノホルム投与ビーグル犬九頭中の一頭(No.2)は食欲不振、体重減少により衰弱し、七三日目に鎖をからませて死亡した。その他の八頭はすべて神経症状を呈したが、とくに六頭は著明であつた。

(3) 猫(別表二の三)

食欲不振、下痢、全身衰弱により早期に死亡するものが多かつたが、急性痙攣死は確認できなかつた。生前六頭(No.13、23〜27)に神経症状を確認し、とくにNo.27は重篤であつた。

(4) 猿(別表二の一)

実験末期に食欲が減退し、とくに下肢の瘠せが目立ち、坐り込むことが多く、筋脱力を疑わせたが八四日目に肺炎を併発して死亡した。

(二) 慢性中毒症状

キノホルム投与動物は、急性期を過ぎるとやや食欲も回復し、体重減少もとまる。さらに投薬を続けるうち、雑犬一三頭、ビーグル犬八頭、猫六頭に以下の神経症状が臨床的に観察された。

初期には運動負荷とくに階段の昇降により腰の横揺れと不安定性が生じ、歩行が不自然になり、足のもつれが見られる。これらは休息により回復するが、病勢の進行とともに後肢の脱力と失調性・痙性歩行が著明となり、休息効果も見られなくなる。後肢ではさらに筋萎縮と腱反射亢進の傾向が見られた。前肢は後肢に比し侵されにくいが、末期にはともに罹患する。腰部以下の失調も増強するため、絶えず左右に動揺し、とくに排尿便の体位が保てずに倒れたり、坐つたまま、または壁にもたれて行なつた。重篤な雑犬では、しばしば足が足関節で反屈したまま引きずつて歩こうと努力し、そのため後肢に擦過創が絶えなかつた。針による痛覚刺激も二、三の動物では後肢が前肢に比し低下している如く思われた。さらに二頭の雑犬(No.8、12)では体動のたびに尿失禁が観察された。

長期罹患雑犬、ビーグル犬、猫では対照群に比し視線の動きが鈍いところから視力低下が疑われたが、眼底所見および眼底写真からは対照動物に比し有意な差はみられなかつた。この時期にも食欲や全身状態は一般に良好で、とくに休薬した雑犬No.11は体重が著明に増加し、活気が出てきたが、神経症状は殆んど改善されなかつた。

(三) 神経症状の発症とキノホルム投与量

雑犬中No.13以外の一二頭は、一日当りキノホルム量六〇〜一四四mg/kgで発症した。投与開始から発症までの日数は、No.2、11を除き七〜二八日で、一般に一日投与量の多いものは短期間に発症した。雑犬中No.6、7、11、13を除く九頭の発症までの総投与量平均値と標準偏差は4.161±1.984g/kgであつた。

ビーグル犬No.1〜4、6〜9はキノホルム一日投与量約二五〇〜四五〇mg/kgで発症したが、これは雑犬の二〜七倍である。また、発症までの総投与量13.008±3.506g/kgは雑犬の場合の三倍強である。典型的な発症猫であるNo.27は一日投与量九〇mg/kg、総投与量2.032g/kgで発症した。臨床症状の確認できた他の五頭の猫も九〇〜二五〇mg/kg/dayで発症している。

(四) 臨床検査成績

ビーグル犬について、投薬開始後三〇日目に股動脈から採血のうえ別表二の四記載の諸検査を行なつたが、投薬群と非投薬群に有意差は見られなかつた。

(五) 慢性中毒動物の病理所見

(1) 内臓所見

腎臓では、近位尿細管の上皮細胞の変性がしばしば見られ、核の変性・消失と胞体に豊富な脂肪顆粒の出現を認めたが、遠位尿細管・糸球体に著変が見られなかつた。

肝臓では高率に肝細胞の変性・壊死と脂肪顆粒の出現Kupffer星細胞の腫大などが見られた。

消化管では、雑犬No.4、ネコNo.26で広汎な腸重積症を、また、雑犬No.2に巨大結腸症を認めた。

(2) 神経系所見

ア 脊髄

慢性中毒動物中剖検済の雑犬一一頭、ビーグル犬四頭、猫二七頭、猿一頭の全例の頸髄ゴル束に変性が見られた。罹病期間の短い雑犬(No.1〜3)、猫とビーグル犬(No.1、5)、神経所見の軽微あるいは見落した猫、ビーグル犬(No.2)、猿にも、延髄後索核周辺部から頸髄上部後索に限局した変性が見られた。後索の変性は、ゴル束の正中部から左右対称的に始まり頭側ほど強い連続的変化で、まず軸索の膨大、空胞化と髄鞘との間の空隙形成が見られ、次いで貪食細胞の遊走も認められたが、この時期の髄鞘には光学顕微鏡的変化はまだ有意でなかつた。一方、罹病期間の長い雑犬(No.6〜10、12)、猫(No.27)、ビーグル犬(No.3)では頸髄後索の変性は、その拡がりと変性の強度を減じながら、連続的に腰髄上部にまで及び、延髄下部と頸髄上部ではゴル束のみならずブルダツハ束にも病変が波及する。

これらの部位では軸索が完全に消失する線維も多く、髄鞘の崩壊も著明で、中性脂肪滴を組織中または貪食細胞中に多量認める。

脊髄灰白質では腰仙部前角神経細胞の中心性クロマトリーゼ、萎縮、空胞形成、まれに神経突起の類球体形成やグリヤ集簇なども見られた。

イ 脊髄後根神経節

ほぼ全例で神経節細胞のクロマトリーゼ、空胞化、核の消失から胞体の崩壊に至る変性が認められ、外套細胞の増加、基底膜下への侵入、軸索の肥大、渦巻形成なども見られた。これらの変化は一般に腰髄神経節に強いが、下部頸髄神経節でも認められた。

ウ 末梢神経

坐骨・腓骨・上腕神経を全例検索した。罹病期間の短い動物では、パラフイン切片の光学顕微鏡的変化はつかみ難いけれども、エポン包埋切片またはときほぐし線維法で、髄鞘に空胞、脱落、髄球の形成などが早期に認められた。しかし、長期罹患動物で明らかな軸索と髄鞘の崩壊、シユワン細胞、結合織成分の増加、節間距離の短い再生像と思われる所見などが得られた。

これらの変性は、一般に下肢の大径有髄線維末端部に頻度が高いが、個々の神経線維については非連続的に侵される病変も混在していた。小径有髄線維と無髄線維の変化は一般に弱かつた。長期罹患動物では上腕神経にも同様の変化が見られた。

エ 自律神経系

腹腔神経節で神経細胞のクロマトリーゼが全体に認められ、腸管筋層内、膵内神経節などで神経細胞の崩壊とシユワン細胞の増殖が見られたが、これらの変性は後根神経節のそれに比し一般に弱い。

オ 視神経系

雑犬四頭(No.7〜9、12)、猫(No.27)、ビーグル犬(No.3)の視神経系に、軸索の変性・脱落、髄鞘の崩壊と豊富な中性脂肪顆粒、貪食細胞、肥大星膠細胞の出現など、長期罹患動物の頸髄ゴル束と同一の変性が見られた。これらは、視束の遠位部に強く、視交叉を通り視神経にも連続的に及ぶが、視交叉の背側部および視神経の周辺部ではやや変性が軽かつた。また、雑犬二頭(No.10、19)、ビーグル犬二頭(No.1、5)、猫二二頭に軸索の変性が主として視束遠位部に認められた。外側膝状体では、神経細胞のクロマトリーゼ、類球体形成が少数の動物に見られた。

大多数の動物の眼球では、内神経細胞層の多極神経細胞の変性・脱落と一部でグリアの増生を認めた。

カ 脳幹

ゴリ核で神経細胞の変性、基質の粗鬆化、まれに類球体の形成を見た。ブルダツハ核の変性は一般にゴル核より弱い。橋では三叉神経運動核の神経細胞の変性、上オリーブ核のびまん性グリオーゼなどが認められた。

キ 小脳

プルキニー細胞の軽度変性や、小数のtorpedoを認める例のあつたほか一般に著変が見られない。

ク 大脳

運動領の神経細胞を含めて変化に乏しく、わずかに扁桃核、海馬回の神経細胞変性と星膠細胞の増生が見られる程度である。

ケ 神経系の病変

雑犬No.5では、脳室壁、大脳・小脳・脊髄などの髄液に接する外縁に炎症性小病巣が散在し、エオジン好性核内封入体があり、腎・肝に見られた炎症性変化とともにジステンパーの合併が疑われた。

また慢性中毒末期に後肢の創傷をもつた雑犬一頭(No.8)で、新鮮な静脈炎が神経系を含めて全身臓器に散在性に認められた。また深部電極を前もつて挿入した猫では、挿入傷にそつた小出血、軟化とともに少数の多核白血球の混在があり、同処置を受けた猫(No.26)では広汎な化膿性髄膜炎の像を認めた。しかし、その他の動物では神経系に炎症反応はまつたく認められなかつた。

3 右実験成績とスモンの臨床・病理との比較検討

立石らは、右2のような慢性キノホルム中毒動物の臨床・病理像とスモンのそれらとを左記のとおり比較検討したうえ、両者がきわめて類似する旨指摘している。

(一) 臨床面

同人らが類似点として指摘するところは、

キノホルム投与動物に、投薬の比較的初期に見られる下痢、便秘、吃逆、嘔吐、食欲不振などの症状がスモンにおける腹部症状とかなり共通するものであること、また慢性中毒動物の基本症状である運動負荷時における腰の横揺れ、後肢の不安定さ、のちには静止時にもみられる著明な腰の動揺、犬や猫の重症例に見られる足の反屈が、脊髄後索損傷に由来する深部知覚障害であること、さらに、中毒動物に見られたその他の神経症状が軽度の筋萎縮と腱反射亢進を件う後肢の脱力で、重症動物では前肢にも脱力が見られたが、後肢より常に軽度であつたこと、ビーグル犬での血液検査所見で対照犬との間に有意差が見られなかつたこと、などである。

(二) 病理面

キノホルム慢性中毒動物の病変は変性で、その局在は脊髄後索、視束、後根神経節、末梢神経に主座を持ち、ヒトのスモンの病理とほぼ同一といえる。

そして右動物に共通の所見は、延髄後索核周辺から頸髄上部に優位な、ゴル束を中心とした左右対称性、連続性の変性で、下部脊髄に移るほどその強さが減じ範囲が狭くなり、重症例ではブルダツハ束にも波及する。この変性は、軸索に始まり、次いで髄鞘も侵され、発症から三〜五か月で脂肪顆粒も出現する。これらはスモンの剖検所見とも一致するが、非投与対照犬には一切認められなかつた。次に、脊髄錐体路の変化は、脊髄後索の変性同様その遠位部、すなわち、下部腰髄に強い連続性の変性で、主に側索に見られるが、後索に比べ程度は常に軽い。脊髄後根神経節の変性も、対照動物の所見と対比して有意差が見られ、スモンのそれとほぼ同一と思われる。長期罹患動物では、軸索の崩壊が髄鞘の変化よりも重篤で、大径有髄線維の末端部に強い傾向はいわゆるdying back neuropa-thyなどのneuronalな変性像に一致する。

慢性中毒動物の視束病変も脊髄長索路同様に遠位部に強い、左右対称性・連続性の変化で、また一部の発症犬や猫で網膜の多極神経細胞の変性が確認されているが、これらの病変はスモン重症例と差がない。

小脳・大脳には、スモン同様キノホルム中毒に特異的な病変は殆んど認められなかつた。

二その後の実験結果

立石らは、その後前記動物のうち、別表二の二のNo.7、8、10のビーグル犬を除くすべての生存動物を屠殺剖検し、また右ビーグル犬を観察した結果、以下の知見を得た。

1 剖検例の病理所見

長期間生存させた雑犬とビーグル犬の組織所見は、脂肪顆粒細胞による清掃機点とグリヤ線維による瘢痕過程がより慢性経過の特徴を示したこと以外に、前記慢性中毒動物の病理所見と異なるところはなかつた。

2 生存犬の臨床所見

右エンテロ・ヴイオフオルム中毒ビーグル犬No.7、8は、投薬開始後三二日目および五〇日目に後肢の失調性歩行が始まり、さらに持続投与することにより失調・脱力が著明となり、さらに視力障害も加わつた。

第二慢性中毒犬の電子顕微鏡研究

一実験方法

電子顕微鏡的検索の対象は、体重一〇〜一六kgの雑種成犬一〇頭で、六頭を投薬群(うち五頭は、前記別表二の一の「慢性中毒雑犬」より、残り一頭は「非発症雑犬」より選択)、四頭を対照群とした。投薬方法は五二〜一四四mg/kg/dayのエマホルムを食餌にまぜて、連日経口投与した。投薬開始より症状発現までの期間と生検までの期間は、別表三に示すとおりである。

症状は、最初運動負荷時の後肢の運動失調に始まり、投薬の続行で負荷がなくても失調が著明となり、のちには歩行障害を示すようになつた。うち一頭は失明状態を呈した。

二光学顕微鏡所見

ボデイアン染色では軸索の腫大・断裂・空胞形成等の変性所見が見られた。シユワン細胞の核の増加は、あまり著明でなかつた。膠原線維の軽度の増加は認めたが、細胞浸潤は見られなかつた。エポン包埋パラフエニレンジアミン染色では、軸索径の大小不同が目立ち、髄鞘内の不均一性、髄鞘の壁形成も見られた。脱髄変化の初期像と思われる。髄鞘幅の高度の不均一性、部分的菲薄化、ときに髄鞘の連続性が失われている像がよく見られる。

三電子顕微鏡所見

1 軸索

有髄線維軸索にはニユーロフイラメントの増加が対照群に比べ明らかに見られ、また、正常・変性ミトコンドリアの増加が高頻度に見られた。稀には軸索が正常で軽度の髄鞘変化を示すこともあるけれども、恒常的に見られるのは軸索の変化である。

他方無髄線維では、有髄線維に比べニユーロフイラメントの増加が著明でなく、変性ミトコンドリアや軽度の空胞形成が時折見られるが、比較的変化が軽い。

2 髄鞘

軸索ほど恒常的でないけれども、シユワン細胞内のmyelin ovoid形成、層板離開像、髄鞘の蜂巣化、菲薄化ないし消失等の諸変化が見られる。完全に胞体内に遊離したmyelin ovoidは変性を受け、附近にグリーコーゲン様顆粒が多数出現して見られることが多い。中間層の層板離開像には微細な顆粒が見られることが多い。対照群においても層板離開はよく見られるけれども、その場合には微細顆粒の存在が見られない。蜂巣化はRanvier絞輪部に見られることが多い。

3 シユワン細胞

胞体外形の変化としてonion bulb(横断切片で一個の有髄線維を弓状または弧状に延びたシユワン細胞の突起が同心円状に取り巻くもの)形成とBungner band(数個以上のシユワン細胞の一部が突起状をなして、多数皿状に集合し、単一の基底膜に囲まれたもの)形成で、前者は短期投薬犬にのみ少数、後者は短期投薬犬に多数、見られた。胞体内変化としては、myelin ovoidに件うグリコーゲン顆粒の存在、胞体内細線維の増加、Paranodalの胞体内ミトコンドリアの集積が目立つ所見である。

4 間質成分

毛細血管の内皮細胞のpinocytosisの亢進が全例に、粗面小胞体の拡大がかなり見られた。

四右実験成績とスモンとの比較検討

立石・斉藤らは、右のような慢性キノホルム中毒動物の腓腹神経の電顕像とスモンのそれとを左記のとおり比較検討したうえ、両者がほぼ同質のものであることを指摘している。

すなわち、右動物の電顕像ではとくにニユーロフイラメントの増加が投薬期間の長短を問わず一貫して見られた恒常的な病変であるところ、前記(第一章第四節)のとおり松山によるスモン患者腓腹神経の電顕所見においても、基本的病変としてニユーロフイラメントの増加を認めている。

そして、toxic neuropathyの末梢神経病変については、一次的に軸索が侵されるneuronal type((INHやアクリルアミドの中毒など)と髄鞘の脱髄に始まる節性脱髄(鉛中毒など)の二類型に大別され、前者では、病変の進行がニユーロン遠位部より神経細胞胞体に及ぶいわゆるdying back processをとることが殆んどで、スモンは右プロセスをたどると考えられているところ、キノホルム慢性中毒犬はニユーロナル・タイプをとつた。

第三ビーグル犬に対するキノホルム投与実験――昭和四九年八月七日投薬開始分

一実験方法

生後八か月のビーグル犬九頭(八頭は雌、対照群のうち一頭は雄)を三頭ずつ三群に分けた。投与薬剤はチバガイギーより提供を受けたエンテロ・ヴイオフオルムである。

第一群はカプセル・固定量群とし、三〇〇mg/kg/dayを朝一回のど深く挿入し、嚥下を確認した。第二群は、散剤・漸増群とし、一〇〇mg/kg/dayから始め、三日毎に五〇mg/kg/dayずつ増量し、一二日後に三〇〇mg/kg/dayに達し、以後持続した。散剤は一日二回(朝夕)牛乳に混じ投与した。一、二群とも週七日投与し、休薬はしなかつた。

第三群は対照群とし、すべて固定食(日本クレア製CD―1)と水道水で飼育した。

死亡(No.3)、屠殺(No.5)した二頭につき全身解剖を行ない、パラフイン包埋切片から全ブロツクにH―E染色、神経系にはK―Bトルイジン青の重染色を加え、心要に応じてボーデイアン染色、凍結切片からの脂肪染色を追加した。

二実験成績

1 臨床像

第一、二群とも投薬開始の数日後より食欲減退、体重の軽度減退を示すものが多く(別表四の二)、まれに嘔吐、下痢も見られた。また別表四の一のとおり、全例に亜急性〜慢性中毒による神経症状を認めた。No.3を除けば消化器症状も減少し、全身状態も良好なものが、後肢の失調性歩行、腰の横揺れで発症し、さらに進行すれば後肢の脱力、腱反射亢進が生じ、ついには後肢が立たなくなり、前記のキノホルム慢性中毒動物のそれと同一ないし後肢の脱力はむしろ強い傾向を示した。全投与犬で表在知覚障害や視力障害は確認されず、投与開始後六三日目全犬に投薬を中止するまで前記神経症状は進行した。

別表四の三、四のとおり血液検査では一般血液像に著変がなかつた。

2 病理所見(No.3、5)

両例において、神経系では、肉眼的に頸髄ゴル束が限局性に白く、正常な透明度を失うなどの、キノホルム慢性中毒犬に共通な所見を示した。

鏡検では二頭の内臓で腎近位尿細管上皮細胞の変性・脱落が認められ、肝では軽度の肝細胞の変性が見られた。

最も著明な病変は、延髄下部から頸髄上部に強いゴル束の左右対称性変性で、軸索の膨化・断裂・消失のため基質がやや粗鬆化し、その間にグリヤ細胞の肥大・増殖傾向が見られた。髄鞘はK―B染色では著変を認めなかつた。このゴル束の変性は、胸髄下部に至るまで、病変の程度は弱くなるが、連続的に認められた。

しかし、側索錐体路の変性は目立たず、No.3の胸髄で軸索の軽度の膨化・空胞形成が見られたに過ぎない。脊髄後根では軸索に、後根神経節では神経細胞に、軽度の変性が疑われた。パラフイン包埋の末梢神経では軸索の変性・断裂とシユワン細胞の肥大が疑われた。

視神経では、視束末端部に明らかな軸索の腫大と消失、空隙形成、グリア細胞の反応などが連続的に見られた。しかし、視神経の眼球側、眼球網膜などには著変を認めなかつた。その他の神経系にはいずれも著変がなく、炎症性変化や循環障害性病変などは認められなかつた。

三従来のキノホルム投与動物実験との比較検討

立石らは、右の実験成績と同人らによる従来のキノホルム投与動物実験を左記のとおり比較検討した結果、両者がほぼ一致する旨指摘している。

すなわち、後肢の失調・脱力と腰の横揺れは、従来の漸増投与による慢性中毒動物に見られた所見と全く同一で、その症状の進行は漸増投与の場合よりも強い傾向がある。

次に剖検犬二例の病理所見も、従来の慢性キノホルム中毒動物と同様のMyelo-optico-Neuropathyであつた。そして、その病変の程度は、発症初期に死亡または屠殺剖検したため、従来の重症中毒動物の変化より弱く、崩壊・清掃過程も弱く、従来の早期剖検動物の所見とまつたく一致する。

第四ビーグル犬に対するキノホルム投与実験――昭和四九年一〇月一一日投薬開始分

ビーグル犬二頭中一頭にカプセルの固定投与を、他の一頭に散剤の漸増投与を行なつた。その他の条件は、前記第三の昭和四九年八月七日投薬開始分と同一である。両犬には同年一〇月一一日より投薬を開始し、一一月二日カプセル投与犬に軽度の後肢失調・脱力を認め、散剤投与犬にも軽度の発症が疑われた。発症までの日数は、カプセル投与犬で七二〇〇mg/kg、散剤投与犬で五一〇〇mg/kgであつた。

第二節椿による実験

<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

椿らは、別表五の一掲記のとおり、四頭の雑犬と二頭のコントロール(ただしNo.11は登載されていない)を含む一二頭のビーグル犬を用い、キノホルム漸増経口投与実験を行なつた。いずれも固型飼料、猫用罐詰、水道水で飼育され、雑犬群には米飯が与えられたが、その他実験条件は同表に記載のとおりである。同人は、以下のとおり、右実験からの所見を得、併せてこれらとスモンとの共通点を指摘している。

第一病理所見

一一般臓器

1 消化管

別表五の二記載のとおり、対照(ビーグル犬No.12)に比べ胃・大腸で軽く小腸でやや重い変化があり、とくに、粘膜上皮・固有層の細胞浸潤と粘膜固有層の線維化が目立つた。右所見はヒトのスモンに対応する。

2 その他の一般臓器

膵臓では、外分泌腺・ランゲルハンス島がともに萎縮し、肝臓ではグリソン鞘の細網細胞・星細胞に脂肪化と同部位に鉄陽性物質の出現が見られた。

腎臓でも、糸球体、近位および遠位尿細管上皮、間質細胞に脂肪化と鉄陽性顆粒の出現が見られた。右所見は、ヒトのスモンの初期における一過性のアミラーゼ上昇、過血糖、肝機能障害に対応して考えることができる。

二神経系

異常の見られなかつた一頭のコントロール・ビーグル犬と明らかな病的所見を指摘できない急死のビーグル犬No.5、10を除き、次のような所見が見られた。

1 視束

全例に視束のびまん性脱髄が見られた。ボデイアン染色で軸索の変性を見ると、網膜の遠位部ほどその変化が強く、またそこでは髄鞘の変化よりも高度で、ヒトのスモン病変と対応される。このような変化は、外側膝状体に入る直前で最も著しく、外側膝状体の細胞の基質そのものが空胞状となり、神経細胞の膨化・萎縮像が混在する病像を呈するが、スモンでも同様に認められる。さらに、実験例でこれより上部に変化が認められないことはスモンと同様である。

2 網膜

全眼球網膜に明らかに神経節細胞の脱落が見られ、この層が浮腫状となつているが、この所見はスモンに対応する。

3 脊髄

ゴル束の軸索変性と髄鞘脱落が全例に見られ、この変化は上行するにつれ著明となる。錐体路にもゴル束に比べ軽度だが同様の病変が見られる。頸髄ゴル束の病変が著しく、一部ブルダツハ束にも病変が及ぶ例では、ゴル核の基質は粗鬆化し、脱髄と神経細胞の消失・萎縮が見られる。この変化はスモンに一致する。

4 脊髄後根神経節

(ヒトの)スモンと同様神経細胞の萎縮・外套細胞の増殖が見られた。また、著明な所見として外套細胞一三例中一二例に、神経細胞核内一三例中六例に、それぞれ鉄陽性物質を認めた。

5 坐骨神経

神経根に明らかな変化がないけれども、脊髄を離れるにつれ著明となる軸索の変化が見られた。

6 大脳・小脳には著明な変化が認められなかつた。

第二電子顕微鏡所見

一網膜と視神経

初期には視神経の髄鞘―軸索間隙の空胞状離開が起こり、この時期にはMuller細胞のみが変性像を示す。次いでシナプス(ニユーロン相互の接着部)の変性が起こり、感覚細胞、神経節細胞の変化が始まり、視神経の変化も高度となり、最後には神経節細胞の胞体に顆粒が多数出現するという経過をとる。この過程はいわゆるdying back過程に一致する。

二末梢神経系

後根神経節の初期変化は明らかでなく、外套細胞も正常であるけれども、軸索にはneurofilament neurotubulesの増加が見られる。この時期には末梢神経に髄鞘の膨化、軸索と髄鞘間の間隙形成が見られる。

病変の進行とともにこの変化は著明となり、同時に神経細胞の空胞化などの所見が見られる。外套細胞には神経細胞の構造が比較的よく保たれている時期に、ミエリン様構造物の出現あるいはIipo-fuscin顆粒の増加など著明な変性所見が見られる。

第三キノホルム投与量と病変の関係

まず形態学的変化の強さと投与キノホルム量との関係は本章末尾添付図一の一表示のとおり、雑犬(Z)の病変はビーグル犬(P)のそれよりも明らかに強く、また明らかなドース・レスポンス・リレーシヨンシツプを認めた。

また、病変の強さとキノホルム投与から剖検までの期間は図一の二に表示のとおり、期間の長いほど病変の強さは重い。

第三節江頭による実験

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

第一カニクイザルへの経口投与実験

一材料と方法

投与対象は、カニクイザル一〇頭と予備実験の残り一頭で、それらの体重は2ないし2.5kg内外である。原末のキノホルムを用い、二〇〇mg/kg/dayより投与開始し、二か月後に二五〇mg/kg/day、さらに一か月後四〇〇mg/kg/dayに増量した。約四か月後二か月間休薬した。再投与は一〇〇mg/kg/dayより始め、毎週一〇〇mg増量して、最終投与量は二〇〇〇mg/kgに達した。投与方法は当初薬剤を水で団子状にまとめ、次いでゼラチンカプセルにつめて、のちには3g/10mlの割合で数パーセントのCMCを加えて水に懸濁したうえ注射筒にゴム管をつけたもので食道内に注入する方法によつた。

二実験成績

1 臨床所見

緑便がキノホルム投与後翌日から全例に、緑舌も殆んどの例に見られた。ケージから出して観察したところ、後肢の軽い麻痺あるいは運動の緩慢さが認められた。

2 病理組織学的所見

脊髄に明らかな病変の見られたのは、三頭(うち一頭は軽度)で、後索のゴル束に強い軸索の崩壊と髄鞘の消失があり、この変化は、左右対称性で、頸髄に強く、腰髄では軽かつた。ブルダツハ束にも頸髄では後縁近くには明らかな変性が見られた。

側索錐体路には仙髄と腰髄で左右対称性の変化が明らかであるけれども、胸髄より上方には変化が見られなかつた。

三江頭らの指摘(その一)

江頭らは、右の所見から、脊髄病変に関する限りスモンの典型例に匹敵する組織像が得られたと指摘している。

第二幼齢犬への経口投与実験

一材料と方法

1 材料

投与対象は、中型の雑種母犬から生れた同腹の仔犬五匹で、これらの母犬には分娩前二六日間キノホルム原末を漸増法に従い投与されており、分娩後も母親犬への投与が続けられた。

2 薬剤投与方法

出生後四五日間すべての仔犬は母乳のみで育つた。以後離乳と同時にエンテロ・ヴイオフオルムの投与を開始した。毎日(日曜日を除く)牛乳にまぜて一日一回強制的に経口投与した。生後七〇日から牛乳を固型飼料に換えた。

最初の投与量はキノホルム換算量で一日三〇mg/kg、第二〜第四週は毎週二〇mg/kgずつ、第五〜第七週は五〇mg/kgずつ、第八〜第一〇週は一〇〇mg/kgずつを、それぞれ増量した。第一一〜第一三週は第一〇週の投与量からさらに二〇〇mg/kgを増量した七四〇mg/kgを投与し、以後投与を中止した。

二実験成績

1 臨床症状

投与開始第一〇週目、全例に歩行の際、何らかの異常を認め、第一二週目には一匹が比較的軽いほか、揃つてとくに後肢の強い運動障害を示した。第一三週で投与を中止すると、二〜三日以内に食欲も運動障害も急速に回復へ向つたが、軽度ないしごく軽い障害は消失しなかつた。

2 脊髄の病理組織学的観察

投与開始後一六週目(中止後一七日目)に一匹(No.1)、一八週目(中止後三三日目)に二匹(No.2、4)、二五週目(中止後七〇日目)に二匹(No.3、5)を深麻酔後カコジール緩衝液―グルタールアルデハイド液で灌流固定した。

投与を一三週間で中止したのち、一七日と三三日後に検索した犬では、ともにゴル束に中等度の変性と側索錐体路に軽度あるいはごく軽度の変化が見られた。

投与中止後七〇日を経過して体重の増加も著しくかつ臨床的な歩行障害も一見しては認められないほどまでに回復していた二匹には、組織学的にゴル束に定型的な軸索の変性と髄鞘の消失、側索錐体路にそれよりも軽いけれども定型的な変性が観察された。

これらの変化はそれぞれ遠位部ほど強かつた。

三江頭らの指摘(その二)

江頭らは、右二、2の所見から、幼齢犬全例にスモンの病理組織学的診断基準に一致する脊髄病変が見られたと指摘している。

第三犬への投与実験

江頭は、前記立石らによる投与実験がスモンの集団発生地域である岡山県でなされているため地域的条件に問題があるとの考え方もあるので、その追試を目的として、右実験に準じた方法で犬への投与実験を行なつたところ、以下の結果を得た。

すなわち、発生した脊髄病変の強さは、ヒトのスモンに匹敵しており、猿のそれよりさらに強かつた。また視神経と網膜にもスモンと同様の変化を認めた。臨床的にも運動障害が明らかに認められ、中途でキノホルム投与を中止すると実験中期には運動障害の回復が明らかであつたが、後期に至ると投薬の中止によつても回復の傾向が軽かつた。

第四節高橋(理)らによる猿への投与実験

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

第一昭和四五年一一月九日投薬開始分

一材料と方法

1 体重1.5ないし2kgのカニクイザルを使用した。

2 投与キ剤としてエマホルムを用いた。

3 投与法 最初約二週間エマホルム約0.5g(一匹当り)を水に混じ注射筒を用いて強制投与した。しかし、この方法では吐き出す場合があるので、以後飲料水に加えて経口投与した。

二成績

1 第一のグループの猿(別表六のNo.1〜3記載のもの)

カニクイザル三匹にエマホルム0.5g/dayずつ投与を始めた。二週間位で緑便・下痢を起こし、三五日目頃より二匹の両下肢に麻痺が出現してきた。麻痺は左右とも殆んど完全で、下肢による運動は不可能であつた。そのうち一匹は四二日目に死亡し、他の一匹は四五日目に解剖した。解剖した猿の脊髄では頸髄の後索に弱い変性が見られ、また腰髄・仙髄の前角細胞にも変性が見られた。四五日頃より最後の一匹にも両下肢の不完全麻痺、知覚鈍麻が現われてきて投与開始後七〇日目に死亡した。

2 第二のグループの猿(別表六、No.4、No.5)

さらに、二匹の猿に経口投与を開始した(一g/day)。投与開始後二週間で一匹の猿に両下肢麻痺、上下肢知覚鈍麻が出現した。他の一匹は一五日頃より下痢を起こし、約三〇日目頃に至り不元気、両下肢麻痺を起こし死亡した。

三高橋(理)の指摘

高橋(理)は、右二の両下肢麻痺、知覚鈍麻等がスモン類似の症状であり、また右二のような頸髄後索の軽度変性、腰髄・仙髄の前角細胞の変性などの病理所見は、ヒトのスモンの剖検例ほど著明でないとの指摘をしている。

第二昭和四六年一月二六日投薬開始分

一材料と方法

カニクイザル合計一〇匹(1.3ないし2.0kg(別表七参照)を四群に分け(二、二、二、四匹)、キノホルム(主としてエンテロ・ヴイオフオルム五〇〇mg/day/匹)を飲料水に混ぜて経口投与した。

二実験成績

1 第一群の猿(1.3kg、二匹)

昭和四六年一月二六日よりキノホルム純末(田辺製薬)五〇〇mg/day/匹を投与したが五月まで症状を呈しなかつた。そこで五月二七日より水溶性のエンテロ・ヴイオフオルム五〇〇mg/day/匹を投与した。一匹は九月初旬に死亡し、他の一匹は九月末に後肢麻痺を起こし、一〇月四日に解剖した(解剖例1)。

2 第二群の猿(一・三・一・五kg二匹)

同年二月一七日よりキノホルム純末の経口投与を開始したが、五月までに症状がでないため第一群同様五月二七日よりエンテロ・ヴイオフオルムにきりかえ投与を続行した。一匹は一一月中旬に後肢麻痺を起こし、他の一匹は一一月二一日に死亡した。

3 第三群の猿(一・三一・五kg二匹)

同年五月二七日よりエンテロ・ヴイオフオホルムの経口投与を続けたところ、一匹は九月末後肢麻痺を起こし、投与を中止したが一一月四日死亡し、他の一匹は一一月中旬後肢麻痺を起こし、翌年一月七日に解剖した(解剖例4)。

4 第四群の猿(2.0kg四匹)

同四六年六月一五日よりエンテロ・ヴイオフオルムの投与を続け、九月末に二匹が後肢麻痺を起こし、うち一匹は一一月一日に解剖し(解剖例2)、他の一匹は投与を中止して翌年五月二四日に解剖(解剖例6)した。

一一月中旬他の二匹も後肢麻痺を起こし、うち一匹は一二月一日に解剖(解剖例3)し、他の一匹は投薬を中止し翌年五月二二日に解剖した(解剖例5)。

三病理組織学的所見

1 染色方法等

HE,LFB,LFB-HE二重染色、軸索染色および凍結切片に関してsudan Ⅳによる脂肪染色を主に行なつた。他に全臓器につきHE染色により組織学的に検索した。なお健常な猿につき同様の組織標本を作成して対照とした。脊髄における組織学的変化はLFB染色において明らかであつた。

2 剖検

解剖例1

髄鞘の変性が脊髄で一般にびまん性に見られ前索、側索、後索ともいわゆる蒼白化の状態が認められたが、明瞭な限局巣は見られなかつた。脊髄神経では殊に後根神経に極めて著明な髄鞘変性を証明し得た。

解剖例2

髄鞘変性は前例に比しより著明で、一般に後索および側索にやや限局した一層高度な髄鞘変性を認めた。

なお後根脊髄神経の髄鞘変性は前例同様顕著であつた。また前角神経細胞も部分的に核融解、濃縮などの所見を呈していた。さらに、Gliosis(神経膠症)の傾向も見られ、後根神経節細胞の変性を認めるものもあつた。

解剖例3、4

解剖例2ほど著明な変化は一般に見られなかつた。

3 右2の病理所見に対し、高橋(理)らは、一般に病理変化か人体例ほど著明でないとの指摘を行なつている。

第五節豊倉らによる家兎への投与実験

<証拠>によると、次の事実が認められる。

第一実験方法

成熟家兎六匹(体重二〜四kg)を用い、一回に三〇mg/kgを標準として六〇〜一二〇mgのエンテロ・ヴイオフオルム(キノホルム62.5%+サパミン)を1.5〜3mlの生理的食塩水に溶解し、煮沸滅菌の上、体温に近い温度に保つてよく混和し懸濁液として耳静脈から注入した。

投与間隔は、四例(図二のNo.1〜4)においては左記量を一週一回、五週にわたり静注を繰り返し、第五週に屠殺剖検したNo.1を除く四例では引き続き隔日に注射を行なつた。他の二例(No.5、6)においては最初より隔日に静注し、四週間以上続けた。

剖検を行なつた一例(No.1)につき肺、肝、腎、脾、末梢神経、脊髄、大脳を氷結切片として一〇%のFeCl3液を加え、キノホルムが非抱合のまま沈着しているか否かを検討した、また各組織をホルマリン固定後パラフインで包埋し、病理組織学的検討を行なつた。

第二実験成績

一臨床所見

一週一回静注群四例(No.1〜4)においては三〜四週より全例に下肢麻痺が発症し、最初より隔日に注射した二例(No.5、6)では二〜三週で発症した。さらに二例(No.2、5)では経過中に痙攣発作を見た。麻痺は、まず自然の跳行が拙劣となり、一側または両側の下肢を伸展したまま接地し、肢位の修正が困難となり、臥位にすると姿勢回復の反射行動が鈍く、失敗し易いなどの形で出現する。吊り下げると下肢は交叉せず、伸展し、深部反射も減弱している。

三例において栄養障害と考えられる下肢の脱毛・筋萎縮を認めた。なお膀胱障害、上肢麻痺、視力障害などは確認できなかつた。

一方麻痺の程度については、発症後もキノホルム投与を続けたのに、No.1では完全な下肢麻痺を呈したのち回復の傾向を示し、また他の全例ともキノホルム投与を続けたのに症状は著しい変動を見ず、必ずしも増悪の傾向を示さなかつた。

二病理所見

No.1を発症後二週間で屠殺剖検したが、組織化学的に神経系を含め肺、肝、脾において非抱合型キノホルムの沈着を証明しなかつた。

神経系の病理組織学的検索では、坐骨神経に著明な変化が認められた。最も著しい変化は、軸索の高度の腫脹・膨化で、多くは変形・断裂・崩壊を示し、完全に消失している部分も少なくない。

右軸索の変性に伴い髄鞘も崩壊・消失しており、シユワン細胞の増殖も見られた。以上の変性所見は坐骨神経線維束の全体に一様に見られるものでなく、比較的変化の軽い部も混在している。

なお検索の範囲では中枢神経系、視神経、肝、腎には著しい変化が認められなかつた。

第三豊倉らの指摘

豊倉らは、右実験がキノホルム静注という特殊な投与法で行なわれ、しかも動物差の問題も大きいので、右の結果をもつてスモンの動物における実験モデルと速断できぬとはしつつも、スモンの発生病理を考える上での重要性を指摘している。

第六節わが国における動物実験に対するヘスの批判の当否

第一ヘスの批判の要約

前記認定の立石らの実験に対するロベルト・ヘスの批判は、以下のとおり要約することができよう。

一 立石らによる実験は、急性中毒死を避けつつスモン様症状を惹起することを目的とした漸増大量投与で、薬剤の慢性毒性の有無を調べるための動物実験には不適当である。

二 立石らの作り出した病変は食欲不振による栄養不良の結果とも考えられる。

三 立石らの実験犬中一例にジステンパーが見られるが、このような神経組織に長期間持続する損傷を与える感染症が起こると、神経系統における病変の評価が不可能となる。

四 犬の脊髄が血流の変化に非常に敏感であることから、同部位への血液供給不足により立石らの実験での脊髄病変が生じたとも考えられる。

五 立石らによる実験動物の病変は、死後変化あるいは標本作成の過程に生ずることのある人工産物の可能性がある。

第二右批判の当否について

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一漸増大量投与法について

まず投薬量を時の経過とともに増量していくこと自体の当否については、前記で認定のとおり、立石らによる昭和四九年八月七日、同年一〇月一一日投薬開始分のビーグル犬への実験で固定量連続投与によつても漸増量投与動物と同様の病変が見られたことから、さほど重視する必要はなく、むしろ立石らによる動物への投与量がヒトにおけるキ剤の常用量をはるかに超えている点が批判さるべきものといえるところ、後記田村らによる各種動物とヒトにおける血中濃度差に関する実験(第六章第三節参照)で認定のとおり、ヒトおよび各種動物に対するキノホルム投与量と血清遊離キノホルムの最高濃度を比較した実験では、発症し難い動物ほど血中濃度が上り難いこと、ヒトが他の動物に比べてはるかに非抱合型キノホルムの血中濃度の上昇をきたし易いことなどが明らかにされており、このことから、田村や熊岡は、犬等の実験動物の発症にはヒトに比べて高投与量を要したと考えられる旨の説明をしている。

さらに白木は、実験動物におけるキノホルム投与量がヒトのそれを上回つている事実を問題視する必要がない理由として、実験動物が健康なのに対し、ヒトは病的状態にあるという前提条件の差に由来すると説明している。また、立石は、この点につき、実験動物の大多数に発症させた中毒量とヒトでごく一部に発症を見たに過ぎぬ常用量との差はむしろ当然と思われる旨の指摘をしている。

右で認定した諸家の説明は、実験動物とヒトの投与量との差を合理的に解明したものといえる。

二栄養障害について

まず、立石らによる実験動物への飼料中に、その欠乏によりスモン類似の症状であるSCDをきたすといわれているビタミンB12、またその欠乏によりスモン類似の症状であるペラグラをきたすといわれている葉酸が、いずれも適量含まれていることは、前記認定のとおりである。次に、証人立石潤の証言によれば、キノホルム投与後、動物の大部分が食欲の低下をきたすけれども、その時期を過ぎると食欲が回復し、その後発症するという経過をたどること、栄養障害をきたしたといいうるのは雑犬のNo.18とビーグル犬のNo.2のみであること、また、キノホルム投与動物に一過性にせよ食欲低下や腹部症状、体重減少の見られる場合があり、低栄養状態の可能性が残るため、立石らが、昭和四九年八月・一〇月に開始したビーグル犬への投与実験に附随して、別に絶食動物群を設けて検討したところ、成犬は飲料水のみで一か月以上生存し、自然死を待つて剖検しても神経系には著変を認めなかつた。

三感染症の存在について

立石はその実験にあたり、まず予防措置として、雑犬購入後二週間以上の観察期間を置き、その間に感染症を含めた病気の有無を確認したうえ健康なもののみを使用しており、またビーグル犬についてはすべてジステンパーの予防接種済のものを購入していること、さらに購入後は犬舎内を毎日清掃し、飲料水・飼料の清潔についても配慮したこと、臨床上ジステンパーは独得の症状を呈するうえ、病理学的には、実験動物の病変が左右対称性に分布するのに対し、ジステンパーでは内臓、神経系に、小さい限局性の海綿様病巣が分布し、その中に炎症性細胞が多数見られ、しかも附近の細胞の核内にはジステンパーのウイルスによる封入体が見られるなど、両者の病変が鑑別可能である(現に雑犬のNo.5についてジステンパーの罹患が弁別されていた)こと、猫中にも炎症の見られるもの(No.27)があるけれども、それは頭部に検査のため深部電極の針を差し込んだことに起因し、キノホルム投与動物に特有な病理所見とは区別できるものであることが明らかである。

四血流障害について

まず脊髄病変について、横断的に見ると慢性中毒動物の場合脊髄後索とくにゴル束ならびに錐体側索略が選択的に侵されるのに対し、脊髄後部の動脈流障害の場合には、後索のみならず、その環流範囲である後角をも含めて変性が起こり、これを縦断的に見るならば、慢性中毒動物の場合上部で強く下部に向うにつれ弱くなる連続した変性が見られるのに対し、動脈流障害の場合にはこのような変性は見られない。

また、慢性中毒動物の場合視索が選択的に侵されるけれども、血流不全でこのような病変が起こることはない。

五死後変化、人工産物について

1 死後変化の予防策

大部分の実験動物は催眠麻酔下に剖検し、夜間死亡したものは翌朝剖検したのち、一〇%のホルマリン溶液に浸して死後変化を防止する措置がとられている。

2 人工産物の防止策

まず、人工産物が標本中に混入せぬようあらゆる段階でチエツクする。たとえば、ピンセツトでつまんだ部分は除いて標本の作成する。また、末梢神経の初期病変は、パラフイン包埋の切片の光顕像で人工産物と区別しにくいことがあるので、このような場合ボデイアン染色で軸索を染め、それとエポンあるいはときほぐし線維法を併用する方法によつた。

3 人工産物や死後融解とキノホルム中毒病変との鑑別点

まず、死後融解と中毒病変の両者に、神経細胞と線維の膨化、大小の孔が開くなどの病変が生ずるけれども、後者では、病変の周囲に細胞が集まるという生体反応が見られるのに対し、前者にはそれがない。

次に、雑犬No.9の坐骨神経には、軸索が白く抜け、その中に傷ついた線維の崩壊産物を食べる貪食細胞が見られ、また雑犬No.3の仙髄後根神経節には、神経細胞の胞体に大孔が開きそこに外套細胞の侵入が見られるところ、このような変化は死後融解や人工産物には見られないものであり、右神経節の検索にあたつては、立石らは、神経細胞の膨化・崩壊、外套細胞の侵入、周囲の軸索が膨化して渦巻状を呈している所見を総合して、人工産物とは異なる変性である旨の判断をしている。

さらに、雑犬No.7の肝臓、No.8の視神経、No.9の第一頸髄、No.12の腎臓中には、いずれも褐色の脂肪顆粒、脂肪滴が見られるところ、これらは死後融解や人工産物には出現しない。

また、猫No.27の視索中には軸索の断裂・崩壊が見られ、崩壊箇所には、修復のためにグリア細胞が侵入し、貪食細胞も見られるが、このような変化は人工産物では起こり得ない。

加うるに、立石らによる動物実験の結果得られた病変が、わが国の学会において、人工産物あるいは死後融解が混在している旨の批判を受けたことはない。

六結論として、以上いずれの点においても、立石らの実験に対するヘスの批判は、とうてい採用し難いものといわなければならない。

第七節動物への連続投与実験で神経毒性が発現しなかつた旨の報告例

第一ヘスらの実験

一ビーグル犬への二年間連続投与実験

<証拠>によると、次の事実が認められる。

ヘスは、一群が雌雄同数の一六頭からなる三群に対し、それぞれ一日あたり三〇mg/kg、一〇〇mg/kg、二〇〇mg/kgの34257―Ba(ヴイオフオルム九三%とサパミン七%を含む粉末)を二年間にわたり連続経口投与し、同数の構成からなる一群を対照群として行なつた実験結果を、以下のとおり報告している。

1 神経病理的検索

脳(大脳、脳幹上部、下部、小脳)、視神経、頸椎、胸椎、腰椎、後根神経節、坐骨神経、脛骨、腓骨のパラフイン切片、凍結切片に、ニツスル小体・神経線維・軸索・ミエリン鞘などがはつきり確認できるように特殊染色を施したものを検索の対象にした。

(一) 投与一年後の顕微鏡検査

(1) 視束――有髄線維、神経膠細胞とも通常の状態で軸索は無傷で規則正しく束の形に配列していた。

(2) 脳・脊髄――No.429の犬に終脳の脈絡膜神経叢の位置異常が見られたが、この所見は偶発的なものである。

他の犬の脳と脊髄には病理的変化は見られなかつた。ただ、ある切片では、標本作成上の人工産物と自己融解変化が見られた。

(3) 脊髄神経節――正常に分布していたけれども、殆んどの切片でハイパークロマジアと核濃縮を伴う神経細胞の縮化がいくつか見られた。いくつかの神経節細胞では、細胞質の末梢部の染色質融解が見られた。神経節細胞のまわりの随伴細胞は、ときおり数が増加するように見えた。殆んどの切片において数個の細胞は膨化あるいは空胞化しているのが見られた。このような神経細胞の軽度の組織学的変化は、犬では共通な所見であり、薬剤投与に関係なく投与群と対照群で同様に見られた。

(4) 坐骨神経――その近位部と遠位の分枝(脛骨神経と腓骨神経)につき調べた。ミエリン鞘と軸索は正常で、シユワン細胞の構造と位置に変化は見られなかつた。いくつかの切片で時折見られたミエリン鞘の膨化は、標本作製上の人工産物に帰因し、対照群と投与群に同様に見られた。犬No.417(雌、二〇〇mg/kg投与六月か後に自然死)に見られた広汎な軸索の膨化は、人工的なもので、自己融解によるものと考えられる。

(二) 投与二年後の顕微鏡検査

(1) 視束――二三匹の実験犬すべてに、病理学的所見は認められなかつた。対照・投与両群のいくつかにミエリン鞘の人工的膨化が見られた。

(2) 中枢神経系――すべての実験犬で、脳・脊髄の特別な病理学的変化は認められなかつた。いくつかの切片では、標本作製上の人工産物と自己融解変化が見られた。

(3) 神経節――殆んどの切片で、ハイパークロマジアと核濃縮を伴う神経細胞の縮化がいくつか見られた。神経節周囲の随伴細胞は時折数が増加した。時折数個の細胞が空胞化した。これらの所見は、対照・投与両群に見られ、組織の生理的な細胞の交替あるいは、大部分が人工産物と自己融解変化によるものと考えられる。

(4) 末梢神経――特別な病理学的変化は認められなかつた。対照・投与両群中数個の標本に見られたシユミツト〜ランテルマン切痕は、死後変化と考えられる。また、No.473(雌、三〇mg/kg)No.464(雄、二〇〇mg/kg)No.387(雄、二〇〇mg/kg)に見られた神経線維の単発性の変性は、むしろ非投与群に多く見られる偶発的変化と考えられる。

2 その他の検査

心電図検査では、No.453雌を除き各群とも、投薬期間にかかわらず正常であつた。

血液化学検査では、とくに投薬一年以内に、一〇〇mg/kg投与群と二〇〇mg/kg投与群中にSGPT、SGOT、血清アルカリフオスフアターゼ(SAP)の値が明らかに高い動物が多く認められた。

血液学的検査と尿分析の成績はすべて生理的範囲内にあり、眼科学的・神経学的所見では、反射なども含め対照群と投薬群間に差異はなかつた。

さらに剖検の結果では、投薬によるものと思われる肉眼的病理変化は認められなかつた。

二ビーグル犬への一二二日間連続投与実験

<証拠>によると、次の事実が認められる。

ヘスは、一群が雌雄同数の六頭からなる三群に対し、それぞれ一日あたり三〇mg/kg、一〇〇mg/kg、三〇〇mg/kgのキノホルム(C34257―Ba)を一二二日間にわたり連続経口投与し、同数の構成からなる一群を対照群として行なつた実験結果を、以下のとおり報告している。

1 神経病理学的検査

脳、視神経、胸髄と腰髄、後根神経節、頸上部の交感神経節のパラフインと凍結切片、脛骨神経と腓骨神経の切片を検査した。

(一) 視束

正常な構造の神経線維が観察され、投与動物と対照動物間に構造の差が認められなかつた。

(二) 脳と脊髄

標本作製上、人工産物の認められた切片が若干見られた以外、病理学的変化は認められなかつた。対照動物と投与動物に差は認められなかつた。

(三) 脊髄神経節、頸上部(節状)神経節

切片の大部分に過色素症、核濃縮を示す神経細胞の縮化が認められた。また、若干の神経節細胞は細胞質の末梢部分に染色質融解現象を示した。

さらに、神経細胞周辺の随伴細胞はときおりその数の増大を示した。切片の大部分には膨化あるいは空胞化過程の細胞が若干認められた。しかし軸索と神経根に変化が認められず、投与動物と対照動物に差は認められなかつた。

右のようなわずかな組織学上の変化は犬に共通したもので薬剤投与とは無関係である。少数の神経節(核濃縮、随伴細胞数の増大、染色質融解、神経食現象、空胞化現象)に影響を与えるこのような変化は組織の正常な細胞の交代現象の現われである。さらに、縮化・空胞化のような変化の若干は標本作製上の人工産物と区別することが困難である。

(四) 坐骨神経

検索された末梢神経の構造はまつたく正常と考えられ、対照動物と投与群間に差は認められなかつた。

2 その他の検査

眼科学的検査、神経学的検査(とくに反射に対し)は心電図所見と同様に正常の結果を示し、投与動物と対照動物に差は認められなかつた。

三ヘスと被告田辺の研究員による猿における長期経口投与試験戊三四八号証によれば、次の事実が認められる。

1 六頭のカニクイザルにキノホルム五〇および二〇〇mg/kgを一〇二二日間にわたり経口投与し、その長期毒性につき検討した結果を、次のとおり報告している。

(一) キノホルム投与猿で緑便の排泄が見られたが、対照群を含む全例において運動機能あるいは自律神経の異帯は認められなかつた。体重も正帯猿と同様にほぼ順調な増加を示した。

(二) 脊髄反射、筋電図、急性自発脳波、脳波覚醒反応でも、キノホルム投与猿と正帯猿間で差異がなかつた。また、眼底検査でも異常は認められなかつた。

(三) 血液検査の結果、キノホルム投与群に軽い貧血症状を呈している例が見られたけれども、他の臨床検査では、ほぼ正帯猿の示す検査値の範囲内にあつた。

(四) キノホルム投与猿の中枢神経、末梢神経について特殊染色を施し、ニツスル小体、グリア細胞、軸索、髄鞘および中性脂肪について病理組織学的検索を行なつた結果、目と視神経、視索を含む脳の各部位、頸髄、胸髄、腰髄、脊髄神経節、自律神経節および他の末梢神経でキノホルム投与によると考えられる病理学的な変化を認めなかつた。

一般臓器では、殆んどの猿に小さな線維性増殖巣(軽度な慢性間質性腎炎)を伴つたリンパ球浸潤が見られた。しかし、キノホルム投与群と対照群の猿に見られた一般臓器の病理組織学的な所見は、すべてその性質から考え自然発生的病変であつた。

(五) 猿にキノホルムを経口投与した場合の血中キノホルム量は一回投与時と連続投与時とでは差が見られなかつた。

2 右のように、猿にキノホルムを長期間経口投与しても、一般行動や生理学的機能検査および病理学的検査では、キノホルムに起因すると思われる障害は何ら見出せなかつた。

第二フロー研究所によるビーグル犬に対する九〇日間経口投与試験

<証拠>によると、次の事実が認められる。

米国メリーランド州、フロー研究所のチヤリー・N・バロンはチバガイギー(ニュージヤージー)の依頼による実験結果を大略、次のとおり報告している。

純血のビーグル犬二四匹を、雌雄同数の四群に分け、対照群、少量投与群、中等量投与群および大量投与群とした。これに対して連続九〇日間、一日一回、対象群には空のゼラチン・カプセル、他の群にはそれぞれキノホルム粉末(C34257Ba)三〇、一〇〇、三〇〇mg/kgをつめたゼラチン・カプセルを経口投与した。大量投与群の雌一匹が、第一日に瀕死の状態になつたので屠殺し、第四日に別の一匹を代わりに入れた。本薬剤と関連づけられるこの犬の唯一の病変は、脳とくに海馬域の浮腫とニユーロン変性で、これは直接的な毒性のためよりは、むしろ酸素欠乏症によるものである。最終的に四匹(少量投与群および大量投与群各二匹)の腎臓に、本剤によると思われる機能的形態変化が見られている。九〇日間生存した一八匹の投与犬においては、本剤によると思われる他のいかなる変化も認められていない。特異的な神経毒性の証拠は、臨床的にも、解剖学的にも何ら見られていない。

第三その他の実験

<証拠>によると、次の事実が認められる。

右の各実験のほか、別表八記載の、チバガイギー(バーゼル)における兎と鶏での投与実験、同社において一九六六年二月から開始されたラツトに対する三か月間経口投与実験(ヴイオフオルム、エンテロ・ヴイオフオルムとも最高一〇〇〇mg/kg、丙二一二―二一三号証による)、猫に対する同期間の経口投与実験(一日一〇〇mg/kg一か月半投与後一日三〇〇mg/kgを引き続き一か月半投与、<証拠>による)、チバ研究所(ホルシヤム)がインベレスク研究所に委託して行なわれたラツトとヒヒに対する二八日間投与毒性試験(ラツトに最高二〇〇mg/kg/day定量投与、ヒヒに最高一〇〇mg/kg/dayの定量投与、<証拠>による)のいずれにおいても神経毒性の発現がなかつた旨の報告がされている。

第八節ハンチントン研究所における肯定例と前節の否定例に対する評価

第一ハンチントン研究所における肯定例

<証拠>によると、次の事実が認められる。

一同研究所独自のもの

同研究所のR・ヘイウツドらは、ビーグル犬にキ剤を投与して以下の知見を得た。

1 方法

雌雄各三頭からなる四グループの純系ビーグル犬(計二四頭)のうち三グループに対しゼラチンカプセルに入れたキノホルム粉末(C34257)を投与し、第四のグループには空のカプセルを投与して対照群とした。この投薬は毎日行なわれ二六週間にわたつた。実験第一週の間は、それぞれ一日一五〇、一〇〇、五〇mg/kgの投与量であつたが、第二週以降は一日四〇〇、二五〇、一〇〇mg/kgに増量された。

通常の臨床検査は、実験開始前および投薬後第四、八、一二、二〇、二四週に行なわれ、血液検査、臨床生化学検査、なども行なわれた。実験期間終了後犬は屠殺し十分に肉眼観察を行なつた。主要臓器はすべて重量を計測し、切片を作成し、組織学的検査に供した。神経系にはとくに注意を払つた。

2 結果

大量(体重一kgあたり一日四〇〇mg)投与犬二頭は投与期間満了前に、すなわち、雄一頭が第四七日目に、雌一頭が第一六一日目に屠殺された。右二頭はともに後肢運動不能および一般状態の悪化を伴つた歩行異常を呈した。右雄犬の組織検査では異常を示したのは肝のみで、そこには、空胞化し、時に変性しつつある肝細胞が少数見られた。また、右の雌犬では、頸髄の薄束に、疑う余地なく病理学的に有意の変性病変が見られた。さらに、異常な歩行および異常な反射反応と応答が別表九のとおり、体重一kgあたり一日四〇〇mgおよび二五〇mg投与の犬に見られた。投薬第四週に歩行の不安定が見られた。症状の最も経い犬では姿勢を保つのに足を外側に広げて、後肢の僅かな協調不能を示した。症状の最も重い犬では後肢の完全麻痺を示した。脳神経の反射は実験期間を通して正常であつたのに対し、脊髄反射弓、上行路、下行路の無傷性に依存する姿勢反応は全部について異常があつた。体重一kgあたり一日二五〇mgの投与を受けた犬三頭の後肢では疼痛刺激に対する反応が陰性であつた。眼には副作用が見られなかつた。

組織学的検索の結果、次の所見を得た。

四〇〇mg/kg/day投与犬のうち、投与期間中死亡しなかつた四頭すべてにおいて、脊髄薄束に病理学的変化が見られた。二五〇mg/kg/day投与犬六頭のうち四頭に何らかの病変が見られた一〇〇mg/kg/day投与犬は障害を受けなかつた。この病変の主たる形熊学的特徴は、軸索の変性および腫張、ミエリン食細胞を伴つたミエリンの崩壊である。一六一日目に屠殺された雌犬では視神経の変性も見られた。

四〇〇mg/kg/dayの三頭および二五〇mg/kg/day投与の一頭は肝毒性の徴候を示した。組織学的検索では、空胞化し、時には変性した少数の肝細胞が、主として門脈部位および小葉中心部に、単核細胞と関連して見られた。結合組織要素がいくらか増加していた。

3 考察

ヘイウツドらは、右に記載の臨床症状および病理像は日本の研究者らの記載したものと相違しないと指摘している。

二チバガイキー(バーゼル)からの委嘱によるもの

ヘイウツドらは、ビーグル犬にキ剤を投与し以下の知見を得た。

1 方法

キノホルム粉末(C34245―Ba)を左のとおり雄・雌三頭ずつからなるグループ三群の純系ビーグル犬のち、二つのグループにそれぞれ一日二五〇mg/kg、四〇〇mg/kgずつ投与し、残りの一グループは対照群とした。投与法はゼラチン・カプセルに入れ、一日一回一週七回経口投与の方法により、総投与期間は六か月にわたつた。

グループ1

対照(ゼラチン・カプセル)

雄 七三五、七三七、七三九

雌 七三六、七三八、七四〇

グループ2

低投与量(一日二五〇mg/kg)

雄 七四一、七四三、七四五

雌 七四二、七四四、七四六

グループ3

高投与量(一日四〇〇mg/kg)

雄 七四七、七四九、七五一

雌 七四八、七五〇、七五二

2 結果

(一) 死亡例

751号犬(雄一日四〇〇mg/kg)は第三五日、741号犬(雄一日二五〇mg/kg)は第八八日、747号犬(雄一日四〇〇mg/kg)は第一一六日、749号犬(雄一日四〇〇mg/kg)は第一一六日にそれぞれ屠殺された。

(二) 臨床症状

両投与群ともに以下の徴候を示した。

(1) 健康状態の喪失、両群で多数の犬が瀕死の状態に達した。

(2) 歩行異常、二頭の犬では後肢の麻痺に発展した。

(3) 検査物質による染色による毛の黄色化

(4) 脱毛

(三) 体重

一日四〇〇mg/kg投与犬の体重の抑制があつた。一日二五〇mg/kgでは、体重増加の抑制および体重減少またはそのうちのどちらかが、正常な発達のほかに見られた。

(四) 食餌摂取

両投与量で食欲抑制があつた。必須の栄養分および微量元素の摂取は長期にわたつて減少し、その結果おきた栄養不良は、体重増加の減少と相関していた。

(五) 水摂取

投与犬は対照群より水摂取が少なかつたが、これは与えられた食餌のタイプを反映するものと考えられた。

(六) 検眼鏡検査

唯一の有意な所見は、乳頭部の蒼白で、752号犬(雌一日四〇〇mg/kg)に見られた。

(七) 神経学的検査

高投与群のすべての犬と、一日二五〇mg/kgの何頭かに定位反応および姿勢反応の障害が見られた。投与犬すべてに異常歩行が見られ、犬によつては後肢の失調にまで発展した。右神経学的障害は一貫して存在していたのでなく検査時ごとに相違があつた。

(八) 臨床検査

赤血球に関する値は、正常範囲であつたが、投与群は対照群に比して低い傾向があつた。統計学的に有意な貧血傾向が三週間までに見られ、その後も反復して見られた。尿検査で、腎機能の変化が時々見られた。

(九) 剖検肉眼所見

二五週間死亡しなかつた高投与群の雌三頭の四肢の筋肉組織の萎縮が見られた。

(一〇) 組織学

次の犬の脊髄の後柱に病理学的変化が認められた。743号犬(雄二五〇mg/kg)、747号犬(雄)、748号犬(雌)、749号犬(雄)、752号犬(雌)(一日四〇〇mg/kg)

752号犬の脊髄では種々の部位でこの病変が見られた。743号犬では頸胸髄のみで見られた。747〜749号犬で頸髄に見られた。最後の三頭では、病変は僅少で、延髄の薄束核近辺で見られた。752号犬では、病変の程度は中程度で、頸髄の薄束で、延髄の薄束核の近辺で最も顕著であつた。病変の性質はジストロフイー性で、その発現は急性で形態学的特徴は、軸索の変性および腫張、ミエリン貧食細胞を伴つたミエリンの崩壊、時として見られる星状細胞の腫張であつた。752号犬(雌、一日四〇〇mg/kg投与)の視神経には、軸索の腫張を含んだ同様な変化が見られた。

末梢神経または脊髄交感神経節には、組織病理学的に有意な変化は見られなかつた。

第二前節の否定例に対する評価

一わが国において行なわれた動物実験に対するヘスの批判が失当であることは、すでに前記第六節第二、第三において詳述したところであるが、他方、前節に掲げるような「動物への連続投与実験で神経毒性が発現しなかつた旨の報告例」もあるので、最後にこれについて一言すべきであろう。

二右の消極の報告例(否定例)の主たるものは、いうまでもなく、ヘスの「ビーグル犬への二年間連続投与実験」を始めとするチバ社内の実験およびヘスと被告田辺との共同実験であるが、

1 右は、いずれも社内報告たるにとどまり、学会において多数専門家の批判にさらされたものではない(そのうちには、当裁判所の法廷で初めて公開されたものすらある)から、データの評価に問題がないわけではないこと、

2 右共同実験に関しては、その一日投与量を見るかぎり、同種動物(猿)で発症を見た前記高橋(理)による実験での五〇〇mg〜一〇〇〇mg/匹(第四節参照)や、とくに江頭による実験での二〇〇mg/kgから最高二〇〇〇mg/kgに及ぶそれ(第三節第一参照)に比べて、かなり少量であること、

3 しかも、ヘス自身による漸増投与実験において(同人の評価では“非特異的”ということになるが)、キ剤投与ビーグル犬二六匹中、合計七匹の視神経と視索の神経線維に新鮮病変が見られ、うち五匹では脊髄薄束にも病変が観察されたこと、

などが指摘されうるばかりでなく、

三前記認定のとおり、世界的に著名な英国ハンチントン研究所においても、(1)同研究所が独自に行なつたビーグル犬への投与実験でわが国における実験結果と異ならない臨床・病理像が得られたのに加えて、(2)チバガイギー(バーゼル)からの委託に基づくビーグル犬への定量投与実験で五匹の脊髄後索と一匹の視神経に病変を生じていることに徴すれば、前節掲記の消極の報告例が存在することの故をもつて、わが国における「動物へのキノホルム投与実験」においてヒトのスモンに類似する神経病変が発現したとの事実ないしその旨の評価(第一節ないし第五節参照)を左右し得るものでないことが明らかである。

第九節キノホルム中毒動物に見られる臨床・病理所見とスモンのそれとの相関性

前記第一節ないし第三節で認定したキノホルム慢性中毒動物の臨床・病理所見と、本編冒頭の第一章ないし第三章で認定したヒトにおけるスモンのそれとを、以下、比較検討することとする。

第一臨床面における実験動物の所見(症状)とスモンとの異同

まず、臨床面について見るのに

一立石らの実験の際にキノホルム投与動物の比較的初期に見られた下痢などの腹部症状、慢性中毒動物に見られた腰の横揺れ、後肢の不安定性、犬や猫の重症例に見られた足の反屈という深部知覚障害、腱反射亢進等を伴う後肢の脱力、血液検査所見では対照犬との間に有意差が、見られないこと。

二江頭による実験の際に見られたカニクイザルの後肢の軽度麻痺、幼齢犬の後肢の強い運動障害、

三高橋(理)による実験の際に見られた猿の両下肢麻痺、知覚鈍麻、

四豊倉による実験の際に見られた兎の後肢麻痺、

等は、ヒトにおけるスモンと相当の類似性を有する症状ということができる。

第二病理面における実験動物の所見(病変)とスモンとの異同

次いで、病理面について見るのに、

一前記認定にかかるスモンの病理学的特徴は、概略して、次のようにいうことができよう。

1 スモンは、脊髄長索路と末梢神経の変性疾患で、その変性はほぼ対称性であり、ニユーロンの遠位部に強い。

2 これを変性の各部位について見れば、次のとおりである。

(一) その病変は、脊髄の知覚性後索路、とりわけ、下半身に対応するゴル束の遠位部(頸髄部分)に最強で、上半身に対応するブルダツハ束には病変がないか、あるとしても軽度である。

(二) 錐体路では腰髄に最強であるが、後索に比して軽度であり、かつ、頻度も恒常性を欠く。

(三) 末梢神経では下肢遠位部に強く、後根神経節内の神経細胞も侵され易い。

(四) 視神経の変性を伴うことがあり、その場合、通常は視索と視神経交叉附近が侵される。

(五) 網膜において、内神経細胞層の神経細胞の脱落が見られる。

(六) 大脳・小脳には著変を見ない。

二キノホルム投与動物の病理所見を前記「スモンの病理学的特徴」に対比して見ると、次のとおりである。

1 立石による所見について

(一) 立石による実験動物の病理所見(第一節、第一、3、(二)参照)では、

(1) 病変は、延髄後索核周辺から頸髄上部に優位な、ゴル束を中心とする左右対称性、連続性の変性で、重症例ではブルダツハ束にも波及しており、これはスモンの病理と一致する。

(2) 脊髄錐体路の変化は、主に側索に見られ、その遠位部である下部腰髄に強い連続性の変性で、その程度は後索に比し常に軽く、同部位における病変もまたスモンの病理に矛盾しない。

(3) 視束の病変も、遠位部に強い、左右対称性・連続性の変化で、また、一部の発症犬猫で網膜の多極神経細胞の変性が確認されており、これらの病変はスモン重症例と差がない。

(4) 大・小脳に特異的な病変が殆んど認められなかつた点も、スモンにおけると同様である。

(二) 立石による慢性キノホルム中毒動物の腓腹神経の電子顕微鏡的検索の結果(第一節、第二、四参照)では、松山によるスモン患者腓腹神経の電顕所見と同様、恒常的な病変としてニユーロフイラメントの増加が見られたことなど、スモンの類似性が認められる。

2 椿による実験動物の病理所見(第二節、第一、二参照)では、

(一) 脊髄を上行するにつれて著明となるゴル束の変化が見られ、ことに頸髄ゴル束に著しいこと、右に比し軽度だが錐体路にも同様の病変が見られることなどは、スモンに一致する。

(二) 視束にびまん性脱髄が見られ、軸索の変性は網膜の遠位部ほど変化が強く、髄鞘の変化よりも高度なこと、眼球網膜に明らかな神経節細胞の脱落が見られることなど、スモンの病変と対応する。

(三) 脊髄後根神経節にも、スモンと同様、神経細胞の萎縮・外套細胞の増殖が見られる。

3 江頭による実験動物の病理所見(第三節参照)では、

(一) カニクイザルへの投与実験において、脊髄後索のゴル束に強い軸索の崩壊と髄鞘の消失が見られ(この変化は左右対称性で、頸髄に強く腰髄で軽かつ)たこと、錐体側索路に仙髄と腰髄で左右対称性の変化が明らかに見られ、胸髄上方には変化が見られないことなどは、スモンの典型例に匹敵する(第三節、第一、二、2参照)。

(二) 幼齢犬への投与実験において、スモンの病理組織学的診断基準に一致する脊髄病変が見られ(第三節、第二、三参照)、また、犬への投与実験においても、脊髄、視神経、網膜にスモンと同様の変化が見られる(同節、第三参照)。

4 結論

以上説示のとおり、慢性キノホルム中毒動物とスモンとの間には、病理面、とくに脊髄病変、視神経・網膜の病変などにおいて、きわめて高い相関性の存することが明らかである。

《表一〜表九、図面一の一、一の二、図面二――省略》

第六章発症機序に関する実験とその評価

第一節標識キノホルムを用いての吸収・分布・代謝・排泄に関する動物実験

第一立石らによるもの

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一シンチレーシヨン・カウンターによる昭和四六年度に実施分

1 材料と方法

(一) 投与方法と動物、標識化のための放射性同位元素の種類などは、本章末尾添付別表一のとおりである。臓器内遊離キノホルムを分離する目的でクロロホルムを用い、クロロホルム溶性分画の放射能をもつて、遊離キノホルムの近似推定値として使用した。131I・125Iキノホルムの測定には日本無線製ウエル型シンチレーシヨン放射能自動測定装置を用い、試料の前後にバツクグラウンドを測定し、その平均値をバツクグランドとした。14Cキノホルムの測定にはPackard Liguid Scintillation Spectrometerを用いた。

(二) 負荷動物への投与実験

(1) 四塩化炭素負荷実験

ウイスター系ダイコクネズミ雌に四塩化炭素を胃管より与え脂肪肝を起こさせた。

(2) アレルギー性腎炎負荷実験

ダイコクネズミにSeegalの方法に準じてアレルギー性腎炎を負荷した。

2 成績

(一) 生体内遊離キノホルムのキヤリア

14Cキノホルム投与ビーグル犬のOxi-dizer法による放射能の測定では、血球への吸着は約七パーセントに過ぎなかつたので血清について以下の実験を行つた。

(1) 生体内研究

14Cキノホルムをマウスに注射し二日後、血清を分離して瀘紙電気泳動を行ないradio activityを測定した結果、放射能値は血清アルブミンに局在することが認められた。

(2) 試験管内研究

マウスの血清に14Cキノホルム(0.04μc/ml)を二分の一量加えて同じ条件で濾紙電気泳動を行なつたところ、放射能値は血清アルブミンおよび原点に認められた。

(二) 腸胆道(腸肝)循環

胆汁中の放射能値、またはそれより計算したキノホルム量(cpm/ml)あるいはμgキノホルム/ml値は、血液(131Iキノホルムまたは血清(14Cキノホルム)中の三二〜五〇〇倍に及んでいる。また、14Cキノホルム静注ハツカネズミの十二指腸内容物中には、放射能は、クロロホルム溶性分画に全分画の14.4%を示した。

次いで、14Cキノホルム投与マウスおよびビーグル犬の胆汁のペーパークロマトグラムを行なつた後に、放射能値を測定した。マウス胆汁のクロマトグラムでは遊離キノホルムはフロント(前端)に存在する。胆汁の場合は微量にしか認められなかつた。ビーグル犬では、βーグルクロニダーゼ作用後のラジオペーパークロマトグラムは、Rf=0,33のピークは減少し、フロントの放射能値のピークが出現する故に、放射能値の主峯は、グリクロン酸抱合物の部に存在することが認められた。

右を総合すると、キノホルムは主としてグルクロン酸抱合物の形で胆汁に放出され、その一部は腸内細菌や腸粘膜で再び遊離の形となつて吸収され、他の部は抱合物の形で再吸収されると思われる。

(三)〜1 ハツカネズミ

(1)  14Cキノホルムのハツカネズミへの尾静脈注射

一匹あたり三七五μgの14Cキノホルム(1.6mc/mMを0.3mlの0.05N・NaOHに溶解して尾静脈に注射したのち臓器分布を調べた結果は別表二、本章末尾添付図面一のとおりである。

(ア) 一時間後の放射能値

一般臓器では、湿重量あたりの放射能値は、腎臓、血液、肝臓、肺臓、脂肪、小腸、脾臓の順に高かつた。

神経系では、坐骨神経は中枢より高値(一〜三倍)を示し、とくにクロロホルム可溶性分画に高かつた。

胆汁には、一gあたり血漿の約五六倍の放射能値が認められ、また小腸内容物中クロロホルム抽出液は全分画の14.3%であつた。

(イ) 半減期

小腸とクロロホルム溶性分画に長い傾向が認められた。

(ウ) クロロホルム溶性分画

全分画に対するクロロホルム分画の比率は、一般臓器よりも末梢神経系に高かつた。

(2)  14Cキノホルムのハツカネズミへの経口投与(三時間後、別表三)

ハツカネズミ(二〇g)四匹に、一匹あたり、1.5mgのキノホルムを0.15mgのCMCに加えて蒸留水0.375mlに溶かして経口投与し、三時間後に瀉血致死せしめた。

一般臓器では放射能値は、腎臓、一二指腸、肝臓、血漿、結腸、肺臓、脾臓、脂肪の順に高かつた。

神経系にも放射能値の分布が認められたが、坐骨神経は中枢神経系よりやや高かつた。

(3) 131Iキノホルム経口投与ハツカネズミの生体内および臓器内放射能値(一〜八日の経過)

体重約二〇gのddn系ハツカネズミに二〇mg/kg(12.5μc/kg)の割合に希釈し、胃ゾンデを用いて投与した。

(ア) 一回投与時

二四時間後の全身の放射能値は三八%で、四八時間後には1.1%の残留しか認めなかつた(図二)。腎臓の放射能減少度(第一日の半減期一〇時間)は肝臓のそれ(第一日の半減期一四時間)より速やかであつた。なお、1.25μc腹腔内投与時にも全分画・クロロホルム溶性分画において坐骨神経に高い分布が認められた。また、胆汁には一gあたり血液の八倍の放射能値が認められた。

(イ) 連日経口投与時

ハツカネズミに131Iキノホルム(二〇mg/kg、二五〇μc/kg)を毎日連続投与し、体内に残留する放射能値を全身計数法で測定した(図三)。その結果、第五日目に計数はほぼ平衡状態に達し、その際各回投与前の体内蓄積量は、五日後で一回投与の約二倍であることが認められた。

(4) 125Iキノホルムのマウスへの静注後臓器内分布(別表四)三μcの125Iキノホルムをハツカネズミの尾静脈に注射し、二四時間後の放射能値を測定したところ、胆汁中に一gあたり血液の6.6〜7.0倍の放射能値がクロロホルムに不溶で水に可溶性の成分に多く存在し、小腸にもかなり放射能値が認められた。眼球での放射能値はクロロホルムに不溶で水に可溶性の分画に主に存在した。

(三)〜2 ダイコクネズミ

(1) 131Iキノホルムのダイコクネズミへの尾静脈注射(一〜二四時間後)

ダイコクネズミ(約二〇〇g、雌)各群六匹に、131Iキノホルムmcを尾静脈に注射後の臓器分布を調べた(別表五、図四)。

一般臓器では、注射後一時間で腎臓、肝臓、肺臓、脂肪、血液、小腸の順に認められた。

末梢神経系では、坐骨神経に中枢神経系の三〜四倍の高い蓄積が認められた。

中枢神経系では、腰髄、脳幹、小脳、大脳の順に認められた。

クロロホルム溶性分画―一時間後一般臓器では全放射能値の約1/4を、神経系では1/2以上を示した。

半減期―一般臓器では、肺臓および小腸の半減期が比較的長く、神経系では坐骨神経のそれが明らかに長く、かつ、クロロホルム溶性分画の残留量が多い。

(2) 131Iキノホルムのダイコクネズミへの経口投与(比較的長期の経口・八日後)

体重一kgあたり二〇mgの割合に希釈し、胃ゾンデを用いて投与した(別表六、図五)。

(ア) 血液では放射能値が速やかに減少し、四八時間後には二四時間値の二四%、七二時間時には三%で、半減期は一二時間であつた。

(イ) 腎臓 血液よりはるかに高く、半減期一二時間を示した。

(ウ) 肝臓 血液より高く、半減期は一四時間を示した。

(エ) 末梢神経系では、坐骨神経系に分布量が高く、蓄積の傾向が見られ、半減期は約3.2日であつた。

(オ) 中枢神経系では、分布量が末梢神経系に比し低かつた。

(カ) 尿中放射能値 一日目で二四万七四一三cpm/ml、二日目で六万六九七九cpm/ml、三日目で三〇七一cpm/mlであつた。

七日間の放射能値より投与キノホルム放射能値を除して算出した吸収比はほぼ一〇〜一三%であつた(腸内への胆汁排泄値を含まず)。

(3)  14Cキノホルムのダイコクネズミへの腹腔内注射(1.5時間後)

14Cキノホルム33μc≒6.67mg/1匹(体重二〇〇g)を腹腔内注射1.5時間後に瀉血致死せしめ、臓器放射能を測定した(別表七)。

(ア) 一般臓器では、脾臓、腎臓、膵臓、肝臓、小腸壁、肺の順で、脂肪組織にも導入される。

(イ) 末梢神経系では、坐骨神経、頸部後根神経節、上腕神経、視神経の順で、中枢神経系の一〜二倍程度である。

(ウ) 中枢神経系では、腰髄、脳幹、小脳、頸髄、前頭葉の順に分布する。

(三)〜3 犬

(1) 雑犬とキノホルム服用犬に131Iキノホルム腹腔内注射(三時間後、別表八)。

131Iキノホルム0.5mlを健康犬とキノホルム服用犬に腹腔内注射投与した。

(ア) 非服用犬

一般臓器では、胆汁に血液の一〇倍の分布が見られる。また、健康犬の腎臓は放射能量六七七五cpm/gで、膵臓とリンパ腺に放射能が認められた。

末梢神経系では後根神経節と視神経、坐骨神経の順である。

中枢神経系では大・中・小脳より頸・腰髄の分布が高い。

(イ) キノホルム服用犬

中枢神経系では、脊髄が一般に大脳より高い。

末梢神経系では、坐骨神経、視神経、後根神経節に分布する。

なお、胆汁には血液の三〇倍の分布が認められる。

(2) 犬を用いる実験

(ア) 131Iキノホルムの雑犬への腹腔内注射(1.5時間後)

131Iキノホルム一mc(比放射三mc/二六mg)を1/10N・NaOHに溶解後、腹腔注射麻酔で1.5時間後瀉血致死せしめ、臓器を摘出した(別表九)。

一般臓器では、腎、肝、十二指腸、脂肪、結腸、肺、脾、顎下腺の順の濃度(cpm/g湿重量)で分布が認められる(別表九)。

末梢神経系では、半月神経節、坐骨神経、後根神経、腓骨神経、視神経、上腕神経の順で認められ、その値は中枢神経系の約二倍である。

(イ) 131Iキノホルムのビーグル犬への腹腔内注射時の健康雑犬との比較

131Iキノホルム一mc・比放射能三mc/二六mgを1/10N・NaOHに溶解後腹腔注射麻酔下で1.5時間後瀉血致死せしめ、臓器を摘出した(別表九)。

一般臓器では、腎・肝に高く、血液に対する比率は雑犬より高い。次いで、結腸、膵、十二指腸、肺、脾、舌筋、顎下腺の順である。

末梢神経系では、上腕および坐骨神経にとくに高く、次いで後根神経節の順である。

なお、網膜と下垂体には高い分布が認められ、その約五〇%はクロロホルム溶性分画である。

中枢神経では、大脳・小脳・延髄が雑犬に比べて低く、脊髄の分布がやや高かつた。髄液に放射能値は殆んどなかつた。

キノホルム服用犬では、各臓器への放射能の導入が低く、臓器相互の比較では、神経系において後根神経節、上腕神経、視神経における放射能値が高い。

(3)  14Cキノホルムのビーグル犬への腹腔内投与

体重5.8kgの犬に14Cキノホルム二五〇μc、50.0mgをCMCで乳化後、腹腔内注射した。その分布は、131Iキノホルムの成績とほぼ等しい(別表一〇)。

一般臓器では、膵、肝、副腎、腎、血漿、卵巣、肺、脾、舌筋、小腸、小腸壁、唾液の順である。

中枢神経系では、いずれも末梢神経の1/2〜1/3の値で、脊髄は大・小脳よりやや高い傾向がある。

(4) 131Iキノホルムの雑犬への経口投与

雑犬二匹に131Iキノホルム1.25mc、九〇mgをCMCで乳化後経口投与し、三時間後に瀉血致死させた(別表一一)。一般臓器で、分布の順位は、腹腔内注射法のそれと大差がないけれども、腎、肝、血液、脂肪、十二指腸、肺、舌下腺、脾、膵、筋肉の順で、放射能値は比較的高い。

末梢神経系では、坐骨神経、上腕神経、半月神経節、後根神経節の順に放射能が見られ、中枢神経系の六〜一〇倍の値を示した。なお、網膜にも、末梢神経よりやや高濃度の分布が見られる。

中枢神経系では、脊髄が大・小脳よりやや高い。

クロロホルム溶性分画の全分画に対する比率は、腹腔内注射法に比べ著しく低く、経口投与法の方が遊離キノホルムが少ないことがわかる(別表九、別表一一)。

(三)〜4 猫

14Cキノホルムの腹腔内注射(1.5時間後)

猫(体重0.75kg)に二〇〇μc腹腔内注射後1.5後間の生体内分布を見た。

一般臓器では、肺、脾、肝、小腸、脂肪、副腎、腎、血漿、顎下腺、筋肉、膵臓の順である。

末梢神経系では、上腕神経、坐骨神経(近位部は遠位部よりやや高い)、頸部後根神経節、半月神経節、馬尾、視神経の順であつた。

中枢神経系では、橋、中脳、海馬、小脳の順に高く、また、頸髄において前索・側索・後索・灰白質に分けて分布を見たけれども病理所見の見られる後索にとくに高濃度の分布は見られなかつた。胆汁では、血液の約五〇〇倍のキノホルムが認められ、ビーグル犬とともに他の動物に比べ著しく高かつた(別表一二)。

(四) 動物における臓器分布の比較(別表一三、一四)

(1) 腹腔内・静脈内注射

(ア)  14Cキノホルム投与のビーグル犬、猫、ダイコクネズミ、ハツカネズミについては、図六、別表一四に記載のとおりである。

(イ) 131Iキノホルム投与ビーグル犬、雑犬、ダイコクネズミについては図七、別表一四に記載のとおりである。

(2) 経口投与法

(ア) 臓器分布(図八)

14Cキノホルム経口投与のハツカネズミの分布を静脈注射の例と比較すると、坐骨神経の濃度がやや低かつたほか、分布は静脈注射に比べて特別の差異は認められない(図八と図六の比較)。

また、131Iキノホルムを雑犬に経口投与した場合の濃度は、別表一四の如く、中枢神経系より坐骨神経と後根神経節に高く、その分布は、腹腔内注射法に比べ特別の差異は認められない(図七と図八の比較)。

(イ) 投与量について

14Cキノホルムの経口投与では、静注法に比べて、約四倍量を投与して一時間後約1/5、三時間後4/5の値を示している。

14Cキノホルム経口投与では、腹腔内注射法に比べ、約一〇倍投与し1/4、体重の犬で七倍の濃度を示していた。

(五) 負荷動物への投与実験

(1) 四塩化炭素負荷ダイコクネズミ

別表一五の如く大脳、小脳、脳幹、坐骨神経、腎臓のいずれの臓器でも、対照動物より放射能値が高く、この傾向は小脳、脳幹、坐骨神経で特に著明であつた。

次に、クロロホルム溶性分画の全分画に対する比率は、中枢神経(大・小脳、脳幹)、坐骨神経、肝臓、腎臓のいずれも131Iキノホルムが対照より著明に高かつた。

(2) 腎炎ダイコクネズミ

別表一六のとおり、血液中の減衰が対照群に比べて著しく遅延しており、クロロホルム不溶性分画でも同様であつた。

腎炎負荷動物では対照群に比べ、肝・腎臓、脂肪、肺臓の放射能の蓄積が高く、とくに腎臓に著しかつた。

坐骨神経では腎炎負荷群に約1.5倍の貯留が認められた。

3 評価

立石らは、前記1、2の知見をもとに、以下のとおりキノホルム投与動物に見られる病変とキノホルムの分布等の関係を指摘している。

(一) キノホルムは、図九のとおり、腸・肝・胆道循環を行なう。

すなわち、経口投与による遊離キノホルムは門脈より吸収され、血中では主に血清アルブミンと結合し、そのままの形で臓器に移行する。そして結合キノホルムは腎より、一部は胆汁中に排泄され、胆汁中の一部は細菌と腸管粘膜により遊離型となり再吸収される。

(二) 末梢神経(坐骨神経、後根神経節、半月神経節)には、中枢神経の約五〜一〇倍の濃度が見られ、坐骨神経の半減期が長い。後根神経節の神経細胞に対する導入の成績からは、坐骨神経への附着のほかにdying back neuropathyによる形式が考えられる。

犬に見られた感覚神経系・後索の変性は、後根神経節細胞と末梢知覚神経の放射能値の高いことより、末梢神経への附着のほかにdying back diseaseとして説明が可能である。

(三) 頭頂葉を含む大脳の取り込み値が低いため、キノホルム投与実験動物に見られる側索の変性を分布のみで説明することは困難である。

(四) 網膜への分布が高いことから右実験動物に見られる眼の変性を、網膜の神経節細胞の機能喪失によるものと考えることができる。

(五) 四塩化炭素負荷により脂肪肝を起こさせた動物では、対照群に比べ生体内に分布する全キノホルムに対する遊離キノホルムの割合が増加することから、肝障害負荷により遊離キノホルムの神経組織内の貯留が増加し、キノホルム中毒の発症を容易にすることが考えられる。

(六) なお、犬、猫は、ダイコクネズミ、ハツカネズミに比べ中枢神経系や後根に対する放射能値が高く、その中毒の発生し易い点と対応する。

二シンチレーシヨン・カウンターによる四七年度実施分

1 前年度に引き続き131I・14Cーキノホルムを各種条件下にビーグル犬、雑犬、猫、ラツト、マウスに投与後屠殺し、放射能を計測した結果、末梢神経とくに坐骨神経に強い取り込みが見られ、脊髄後根神経節、脳下垂体、網膜にもかなり分布するが、中枢神経系への分布は少なく、一般臓器では、肝・腎・膵・脂肪に高濃度に認められた。

2  14Cキノホルム一回投与マウスの各臓器内キノホルムの減少度を三週間までの長期にわたり検討した。

一〜七日までの分布は前年度に発表した所見とほぼ同一で、坐骨神経中に高濃度の分布が見られた。

七〜一四日では神経系の減衰は比較的速やかで坐骨神経ではややその程度が大であつた。

一四〜二一日では肝・腎・血液・小脳・骨髄・頸髄ではなお減衰傾向があるけれども、脂肪・脾・脳幹・大脳・坐骨神経ではほとんど減衰せず、長期滞留が予想された。

三ミクロ・マクロオートラジオグラフイーを使用したもの

1 実験材料と方法

実験動物と使用した標識キノホルム、投与法などは(別表一七)に記載のとおりである。

2 実験成績

(一) 雑犬

(1) 静注・腹腔内注射法

131Iキノホルムの静注・腹腔内注射による分布と量の差は見られなかつた。

(ア) 一般臓器

腎臓では、近位尿細管上皮細胞に最も強い取り込みが見られ、糸球体と遠位尿細管に軽度の取り込みが見られた。

肝臓では、びまん性に、肝実質細胞・クツパー星細胞・細胆管に強い分布が見られた。

膵臓ではランゲルハンス島に分布が見られた。

(イ) 神経系

大脳に特異的な分布はなく、ベーツ細胞を含め神経細胞には殆んど認められなかつた。

また、小脳にも特異的分布はなく、延髄後索核への分布も殆んど認められなかつた。

脊髄では、全長にわたり灰白質とくに前角神経細胞胞体に強い取り込みが見られたが、白質には後索を含め殆んど認められなかつた。

脊髄後根神経節と三叉神経の半月神経節では、全例に神経細胞・外套細胞に強い取り込みが見られたが、脊髄後根神経節では、腰髄と頸髄で差がなかつた。

末梢神経ではシユワン細胞に集中的に集まり、軸索・髄鞘のいずれにも入る傾向が見られた。坐骨神経の遠位部と近位部の分布量には差がなかつた。

ミクロ・オートラジオグラフイーでは、眼球・視神経に有意な取り込みがなかつた。

(2) 経口投与

大脳では軟膜、血管壁、グリアに軽度に、第Ⅲ脳室周辺部とくに視束上核のグリアにやや強い取り込みが見られた。

小脳では顆粒層、延髄では背側核の神経細胞に軽度の分布を認めた。

脊髄では灰白質の神経細胞に黒点が集まる傾向が見られた。

脊髄後根神経節では一頭でその神経細胞にかなりの取り込みを見、また二頭とも外套細胞に分布が見られた。

坐骨神経では一頭にびまん性の分布を認めた。

眼球では、網膜、鞏膜ともびまん性の黒化が見られたが、アイソトープの移動が疑われた。

一般臓器では腎の近位尿細管壁、尿細管管腔、肝の実質細胞にかなりの分布を認め、また膵ではランゲルハンス島の腺細胞に黒点が見られた。

(二) ビーグル犬

(1) 一般臓器

肝臓では小葉中心性に限局性の強い取り込みが見られ、腎臓ではびまん性に、膵臓ではランゲルハンス島にもそれぞれ分布が見られた。

(2) 神経系

大量投与ビーグル犬で脳幹、脊髄の大型神経細胞、末梢神経などに腹腔内投与雑犬とほぼ同程度の放射能分布が見られた。

眼球のマクロ・オートラジオグラフイーでは、網膜に最大の黒化が見られたが、視神経への分布は殆んどなかつた。

一側坐骨神経の縦断面マクロ・オートラジオグラフイーによると、神経周囲脂肪組織への放射能分布が強く、神経内部にもほぼびまん性の強い黒化が見られ、坐骨神経の近位部と遠位部に殆んど差がなかつた。

しかし、運動領を含む大脳・小脳・脳幹の前額断では、肉眼的に殆んど黒化が認められず、ミクロ・マクロオートラジオグラフイーともにベーツ細胞を含めた皮質への取り込みは白質と同様僅少であつた。

(三) 猫

(1) 一般臓器

腎臓の近位尿細管上皮細胞に集中的に、肝臓にびまん性に強い分布が見られ、膵・脾臓、リンパ節に弱い取り込みが見られた。

(2) 神経系

三叉神経核の神経細胞に特異的な取り込みがあり、脊髄後根神経節の神経細胞、外套細胞にも同様認められた。

(四) ラツト

正常ラツトでは、神経系中第Ⅲ脳室底部のグリアと第Ⅲ、Ⅳ脳室周囲に少量の分布を見るのみで、それ以外の部位では殆んど認められなかつた。一般臓器では肝細胞、腎臓の近位尿細管上皮細胞に軽度の黒点が見られた。

四塩化炭素負荷ラツトでは、一般臓器中腎臓の近位尿細管上皮細胞に特異的黒点が、肝臓の肝細胞、クツパー星細胞、細胞管、血管内皮細胞に分布が見られた。

(五) マウス

脊髄灰白質、白質では神経細胞への特異的取り込みがなかつた。

一部のマウスで検索した脊髄後根神経節では外套細胞に、末梢神経ではシユワン細胞に、主な分布が見られた。

なお、眼球では、内外顆粒層の一部に分布が認められた。

3 評価

立石らは、右一、二に記載の知見をもとに、以下のとおりキノホルムの分布と、ヒトのスモンおよびキノホルム投与実験動物に見られる病理所見との関連を指摘している。

(一) スモンの下肢に始まる知覚障害、ヒト・動物の生検・剖検で認められる末梢神経障害は、放射性標識キノホルムが投与後短時間で坐骨神経に取り込まれ、遊離型キノホルムが長期間にわたり存在し、しかもその近位部と遠位部で分布差がないことから、直接キノホルムの侵入による傷害の可能性が大である。さらに、脊髄後根神経節の神経細胞にも高い分布が見られたことからperikarya(細胞体核周辺部)のミトコンドリアへのキノホルムの毒作用およびそれに基づくdying backの機制の関与も考えられる。

(二) さらに、スモンおよびキノホルム投与実験動物の病理所見の中核である脊髄後索とくにゴル束の遠位部から始まる変性は、この部位にキノホルムの分布が殆んど認められないところから、末梢知覚神経または後根神経節細胞が一次的に障害されて起こる続発性の変化と考えられる。

(三) また、スモンおよび実験動物に見られる視束遠位部から始まる連続性の変化は、眼球網膜への放射性キノホルムの集中が見られ、それが網膜の内神経節細胞層の神経細胞の変性・脱落をきたすと考えられ、反面、視神経または視束へのキノホルム分布が多くないことから、脊髄後索の変性と同様なメカニズムによるdying-back neuropathyとわ思れる。

(四) しかしながら、頸髄ゴル束の病変よりも一般に弱い、スモンおよび実験動物に見られる腰髄錐体路の病変については、これを裏づけるキノホルムの分布が、大脳運動領のベーツ細胞のみならず大脳皮質の神経細胞には殆んど見られず、また錐体路のどの部位にも取り込みが僅少であることから説明が困難である。

四オートラジオグラフイーを使用した四八年三月一三日発表分

1 ラツトに二〇〇μCiの131IキノホルムのCMC懸濁液を経口投与後二時間で瀉血剖検したが、そのミクロ・オートラジオグラフイーでは、ほぼ、それまでどおりの放射能分布を示した。

2 ビーグル犬に三mCiの131Iキノホルムに少量のポリエチレングリコールを加え、微細な懸濁液とし、腹腔内注射1.5時間後に瀉血剖検した。

一般臓器では肝小葉中心性に強い分布が見られた。

神経系では、末梢神経・眼球のほか、脳幹の大型神経細胞と脊髄前角細胞の胞体に、雑犬とほぼ同様な分布を認めた。

また、マクロ・オートラジオグラフイーによる検索の結果、眼球については、網膜最内層に最大の黒化が見られたが視神経への分布は殆んど認められなかつた。

出来るだけ長く切り出した一側の坐骨神経の全長にわたるマクロ・オートラジオグラフイーでは、神経周囲に附着する脂肪組織への放射能分布は強く、神経内部にもほぼびまん性に強い黒化が認められ、坐骨神経の近位部と遠位部で殆んど差がなかつた。

これに対し、運動領を含む大脳・小脳・脳幹などへのキノホルム分布は僅少であつた。

第二豊倉らによるもの

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一マクロ・オートラジオグラフイーとシンチレーシヨン・カウンターによる四六年度分

1 材料と方法

使用動物と投与量・投与方法は別表一八のとおりである。

2 成績

(一) マウスによる実験成績

(1) 131I標識キノホルムの分布(マクロオートラジオグラム)

ア 静脈内投与

一時間後、脳脊髄には血液の黒化よりは低い、背景に比し有意の黒化が、また、坐骨神経、傍脊柱部の脊髄神経、三叉神経根、骨格筋の黒化は、血液と同等かまたはやや高い。

イ 腹腔内投与

(a) 一時間後

脳脊髄には背景に比べ有意の黒化があるが、血液のそれより低い。なお、このマウスの切片単位面積あたりの放射能計測値(ウエル型シンチレーシヨン・カウンターで測定)は、脳対血液=一対一一であつた。

(b) 二四時間後

脊髄白質と脳には背景に比べ有意の黒化が認められないのに対し、坐骨・脊髄の各神経には血液のそれよりも高い明らかな黒化が認められた。脊髄中心部(灰白質)の黒化は脊髄白質のそれよりやや高い。

(2)  14C標識キノホルムの分布―そのⅠ(マクロオートラジオグラム)

(ア) 静脈内投与

(a) 一時間後

脳脊髄には背景にくらべ有意の黒化がある。骨格筋の黒化はこれと同等かやや高い程度で、三叉神経根と坐骨神経にはこれらよりさらに高い黒化が認められる。しかし、いずれも血液のそれよりは低い。

(b) 六時間後

黒化の程度は、血液、三叉神経と根、脊髄神経と骨格筋、脳脊髄の順に低く、脳脊髄のそれは背景よりやや高い程度である。

(c) 二四時間後

坐骨神経と脊髄神経、血液、骨格筋、脳脊髄の順に低く、脳脊髄の黒化は背景と殆んど同程度である。

なお、脊髄中心部(灰白質)の黒化が脊髄白質のそれよりやや高いけれども、血液のそれより低い。

(d) 四八時間後

坐骨神経、脊髄中心部(灰白質)、血液と三叉神経と根、骨格筋と脊髄白質と脳の順で低く、骨格筋以下の黒化は背景とほぼ同様である。

(イ) 腹腔内投与

(a) 一時間後

脳脊髄には背景に比べ有意の黒化があり、骨格筋の黒化はこれよりやや高い。坐骨神経・三叉神経根の黒化は骨格筋とほぼ等しい。脊髄中心部(灰白質)の黒化は脊髄白質のそれよりやや高い。これらはいずれも血液のそれより黒化が低い。

(b) 六時間後

脳・脊髄の黒化は背景よりわずかに高い。骨格筋と坐骨神経の黒化はこれよりやや高く、互いにほぼ等しい。三叉神経根の黒化はこれらよりやや高い。眼球外膜(網膜、脈絡膜、鞏膜をあわせたもの)にはこれよりさらに高い黒化がある。しかしこれらはいずれも血液のそれより低い。

(c) 二四時間後

坐骨神経には、血液・脳・脊髄および背景に比べても、有意の黒化がある。

(ウ) 経口投与

(a) 二時間後

脳・脊髄の黒化は背骨に比べ殆んど有意の差がない。

骨格筋・三叉神経根・坐骨神経の黒化は互いにほぼ等しく、脳・脊髄より高く、血液のそれよりは低い。

(b) 二四時間後

脳・脊髄の黒化は、背景に比べ殆んど有意の差はない。骨格筋の黒化はこれよりやや高く、脊髄神経・坐骨神経の黒化はさらに高い。

(3) 標識キノホルムの分布―その2、および臓器組織別滞留(サンプル計測)

14C標識キノホルムを二三mg/kg腹腔内注射した三〇匹のマウスを、投与後一時間、六時間、二四時間、四八時間、七日間の時点で、坐骨神経(膝窩から骨盤に入る直前まで)、骨格筋(大腿直筋)、脳(大脳半球)、皮下脂肪(側腹部皮下)、肝臓から組織サンプルをこの順に採取し、含有放射能を液体シンチレーシヨン計測法で測定した。

組織単位湿重量あたりのdpmもしくはキノホルム重量は図一〇と別表一九のとおりである。

(ア) 各時点における分布

(a) 一時間後

肝臓・皮下脂肪内濃度は血液内のそれより高く、坐骨神経は血液と有意の差はなく、骨格筋と脳は血液より低い。

(b) 六時間後

肝臓と坐骨神経内濃度は血液のそれより高く、皮下脂肪よりやや高い。骨格筋は血液とほぼ同レベルで、脳内濃度はこれらより低い。

(c) 二四時間後

肝臓と坐骨神経内濃度は血液のそれより高く、皮下脂肪と骨格筋は血液よりやや低く、脳はさらに低い。

(d) 四八時間後

坐骨神経と肝臓内濃度は血液のそれより高く、骨格筋と皮下脂肪も血液よりやや高く、脳は血液より低い。

(e) 七日後

肝臓・坐骨神経・皮下脂肪内濃度は血測のそれより高く、骨格筋と脳は血液より低い。

(イ) 各臓器組織内滞留

(a) 血液内滞留

血液内濃度は初期に急激に低下したのち、二四時間以後は比較的一定した値を保つ。

(b) 坐骨神経内滞留

坐骨神経内濃度は一時間値と六時間値との間に著差なく、二四時間でいつたん下降したのち四八時間で増加し、のち再び低下する。一時間値は血液のそれと有意の差がないが、六時間、二四時間、四八時間値は血液のそれの数倍以上である。七日後には再び血液と著差がなくなる。

(c) 脳内滞留

初期にいつたん減少した後、四八時間でやや増加の傾向を示し、のち再び低下する。脳内濃度は終始血液のそれより低い。

(二) 犬による実験成績

(1) 131I標識キノホルムの雑犬における分布(マクロオートラジオグラム)

五mCiの131I標識キノホルムを腹腔内注射(一〇mg/kg)し、二四時間後殺した体重四kgの雄成犬(雑種)のマクロオートラジオグラムの所見は左記のとおりである。

(ア) 脳脊髄

脳では、脳室脈絡叢と軟膜にやや強い黒化があるほかは、実質では全体に黒化の度が低かつた。

脊髄では、軟膜にやや強い黒化がある。実質の黒化はこれよりかなり低く、頸髄、胸髄、腰髄の三レベルのいずれにおいても横断面、縦断面上の分布はほぼ均一で、例えば頸髄ゴル束や腰仙髄錐体路にとくに黒化が強いということはなかつた。また頸髄、胸髄、腰髄の三レベル相互の比較では、著差はなかつた。

(イ) 脊髄神経根、脊髄後根神経節、坐骨神経

これらの黒化は互いにほぼ等しく、脊髄実質より一段と強く、視神経より強く、また前根と後根の黒化に著差は認められなかつた。

(ウ) 網膜、視神経、視索

網膜の黒化は強く、全身で最も強い黒化を示す腎臓や肝臓の次に位する。視神経の黒化はこれより弱い。視索の黒化は脳実質と大差なく、視神経とほぼ等しいと推定される。

(2) 131I標識キノホルムのビーグル犬における分布(マクロオートラジオグラム)

八mCiの131I標識キノホルムを腹腔内注射(7.9mg/kg)し、二四時間後に殺した、体重六kgの雌成犬(ビーグル)のマクロ・オートラジオグラムの所見は左記のとおりである。

(ア) 脊髄

脊髄実質の黒化は、背景に比べ殆んど有意の差異がない。

(イ) 脊髄神経根、脊髄後根神経節、脊髄神経

これら三組織の黒化は互いにほぼ等しく、かなり強い。前根と後根にはいずれにも黒化があるが、後根の黒化が前根のそれよりやや強いところもある。

(ウ) 視神経、眼球外膜

眼球外膜には強い黒化があり、水晶辺縁部にも黒化が見られる。

角膜の黒化はこれらよりやや低く、視神経の黒化は角膜に比べ一段と低い。

3 評価

豊倉らは、前記1、2記載の所見から、標識キノホルムの分布と慢性キノホルム中毒犬やヒトのスモンの病理組織学的変化の関係を以下のとおり指摘している。

慢性キノホルム中毒犬やヒトのスモンの病理組織学的変化の分布の模式図は図一一のa、標識キノホルムの犬神経系における分布のそれは図一一のbに表示のとおりである。

(一) 病理学的に最も顕著な変化の見られる末梢神経には強い摂取があり、また著明な摂取を示す網膜ではその神経細胞層に著しい病理組織学的変化が見られる。

(二) 一方中枢神経系における摂取は末梢神経に比べはるかに弱く、病理組織変化も特定の神経索を除けば一般に中枢神経に乏しく、あつても通常は軽いことから、全体としての摂取パターンはスモンの病理に矛盾するものではないと考えられる。

(三) 一般に病理組織変化の強い頸髄ゴル束、強い変化が少なからず見受けられる視索には、キノホルムの摂取がとくに強くなく、むしろこれらの親細胞の存在する脊髄後根神経節と網膜に強い摂取が見られたことから、スモンにおいて、親細胞の代謝障害の結果ニユーロンの突起の末端部から変性が始まり次第に近位部へも波及する、いわゆるdying back neuropathyの変性機序が関与しているように見える。

(四) ところが、腰・仙髄側索については、そこにも親細胞部位にも標識化合物の摂取は弱く、別途の考慮を要する。

二全身計測・マクロオートラジオグ

ラフイー等による四六年度分

1 材料と方法

標識化合物として131I・14Cキノホルムが用いられ、実験動物としてマウス(CRFI:OF#1とRFの一代雑種)、ラツト(wistar)、犬(雑種とビーグル犬)、猿(カニクイザル)が用いられた。

投与法は、静脈注射(0.1規定苛性ソーダ溶液)、腹腔内注射(オリーブ油溶液)、皮下注射(オリーブ油溶液)、経口投与(オリーブ油溶液、CMC乳化液、水懸濁液)が用いられた。

研究方法として、ARMAC全身カウンターによる全身計測法および全身凍結切片を用いた全身オートラジオグラフイー、ならびにウエルカウンター、液体シンチレーシヨン・カウンターによる組織の放射化学分析などが用いられた。

2 実験成績

(一) 投与形態と消化管からの吸収率

マウスにオリーブ油溶液、CMC乳化液、水懸濁の投与形態で経口投与二時間後に殺し、全消化管を摘出し、消化管以外の部分に存在する放射能と体全体に取り込まれた放射能との比により吸収率を算出したところ、別表二〇記載のとおり、どの投与形態でもキノホルムはかなりよく吸収されることがわかつた。

(二) 消化管吸収率に及ぼすキノホルム投与量とキノホルム連続投与の影響

一定量の標識キノホルムに非放射性のキノホルムを混合して投与量を変え、吸収率の投与量による変化を調べた結果は、図一二のとおり、吸収率は投与量が増すと著しく減少するけれども、ヒトの最大投与量の範囲では吸収の絶対量は投与量の増加とともに増大することが明らかとなつた。

(三) 各種投与法における全身滞留率

マウスに経口・静脈・皮下・腹腔の投与法で131I標識キノホルムを一回投与したときの全身滞留率の時間的変化は図一三のとおりで、どの投与法でも最初の一〜二日に急速な減少があり、経口投与の場合は最初の一日目の減少が他の投与法に比べ著しかつた。

(四) 投与量と長期連続投与の全身滞留率に及ぼす影響

各群六匹のマウスに131I標識キノホルムをそれぞれ一〇mg/kg、四〇mg/kg、一六〇mg/kgずつ一回経口投与し、全身滞留率の時間的変化を調べたところ、図一四a)b)(図bは絶対量の変化に書き換えたもの)のとおり、投与量が増加すると、滞留率は低下するけれども、体内の絶対量の滞留は増加することがわかつた。

(五) 胆汁排泄キノホルムと消化管からの再吸収

あらかじめ胆管にカニユレーシヨンしたラツトにオリーブ油溶解キノホルムを胃ゾンデにより経口的に一ml(キノホルム量として5.1mg/kg)投与した場合の131Iの胆汁への排泄を胆汁の時間採取により追跡し、その濃度と投与量に対する排泄量の一例を示したものが図一五で、投与後四時間の間に投与量の二二%が胆汁中に排泄され、その濃度の最大は三時間後であつた。これらの胆汁を集め均一に混合したものを七匹マウスに経口的に投与し、胆汁中に抱合型で排泄されたキノホルムの吸収を調べた結果は別表二〇最下欄に記載のとおりで、かなりの再吸収が認められた。

(六) マウスにおける全身オートラジオグラフイー

マウスに131I・14C標識キノホルムを各種の投与法で与え、凍結全身オートラジオグラムを作つた。

(1) 131I標識化合物による検討

静注後一時間のオートラジオグラムでは肝臓・胃・胆のうへの集中が著しく、血液中よりはるかに高い黒化を示した。

投与後二四時間目の所見では肝臓の黒化が著しく減少しているが、胆のうと消化管内胆汁の黒化が最大で、キノホルムの体外排泄に腎臓以外の胆汁系を介するものが大きいこと、したがつて腸肝循環が推定された。

神経系に関する全身オートラジオグラムでは、一般に脳・脊髄等の中枢がいずれの時間でも黒化が非常に低いのに対し、二四時間後のオートラジオグラムでは脊髄神経・坐骨神経に著明な取り込みが確認された。

(2)  14C標識キノホルムの全身オートラジオグラフイーによる

分布の検討

14Cキノホルムの静脈投与の結果はほぼ131Iの場合と同様であつたが、ただ甲状腺と唾液腺への分布の様子が異なつていた。

静注後一時間の分布では、最高の黒化が腎(とくに腎孟)と胆汁(胆のう内および腸管内)に認められ、次いで肝・鼻腔の一部、血液、皮膚、骨髄、唾液腺、脾臓、坐骨神経の順で黒化の程度は減少した。

静注六時間後では、腎、胆汁に黒化が著しく、次いで肝、血液、皮膚、褐色脂肪、脾臓、睾丸、骨格筋、脊髄神経、三叉神経の順で黒化が減少していた。

静注二四時間後になると、最高の黒化は胆汁、腎実質の一部、鼻腔にあり、次いで肝、胃内容、坐骨神経、脊髄神経、血液の順で黒化の程度は減少した。

静注二四時間後には全体のレベルはかなり下つているが、胆汁、肝、腎の黒化が最も高く、坐骨神経、皮膚などの順で黒化が減少した。

腹腔内投与の場合は、初期の腹腔内残存の場合を除いて六時間以後は静脈内投与の場合と殆んど同じであつた。

経口投与は、オリーブ油溶解・CMC乳化のものを胃ゾンデで投与する方法により行なわれたが、二四時間後の分布のパターンには他の投与法のそれと大差がなかつた。

(七) 犬におけるマクロ・オートラジオグラフイーによる臓器内分布の検討

(1) 131I標識人血清アルブミンによる実験

体重三kgの雑犬に五mCiの131I標識人血清アルブミンを静注し、九分後に殺してマクロ・オートラジオグラフイーにより臓器内の正常血液分布を調べた。

(2) 131I標識キノホルムによる実験

四kgの雑犬(雄)と六kgのビーグル犬(雌)にそれぞれ五mCiの131I標識キノホルムをオリーブ油に溶解したものを腹内腔投与し、二四時間後に殺して各臓器を摘出し、凍結標本を作つた。観察中経時的に採血採尿を行ない、また解剖に際して胆のうから胆汁を採取し、それぞれ放射能を測定した。

血中濃度は投与後三時間から二四時間までほぼ一定に保たれていたのに対し、胆汁中の濃度は二〇〇〇倍近い値を示した。臓器相互の濃度の比較では大体マウスで観察されたのと同様で、眼球の断面が非常に高い黒化を示し、とくに綱膜に高かつた。脊髄縦断面のオートラジオグラムでは脊髄神経根に高い取り込みが示された。これらの知見はいずれもビーグル犬の実験によつて確認された。

(八) 猿における全身オートラジオグラフイーによる分布の検討

約六〇〇gのカニクイザルに三〇〇μCiの14C標識キノホルムをオリーブ油に溶解したものを腹腔内に投与し、二四時間後に殺して全身オートラジオグラフイーを行なつたところ、投与二四時間後には腹腔内にオリーブ油の残存を見たけれども、キノホルムはその部分から殆んど完全に消失していた。

(九) マウスにおける臓器分布の時間的変化

マウスに14C標識キノホルムをオリーブ油に溶かして腹腔内投与し、一時間、六時間、二四時間、二日、七日後に各点六匹ずつを殺して組織を取り出し、液体シンチレーシヨン計測を実施した結果、臓器によつて肝臓のように最初の取り込みが高いと急速に減少するものと坐骨神経のように最初は低いがその値があまり減少しないものとがあつた。

また坐骨神経は常に血液よりも高濃度で、しかも脳に比べると一桁以上高い値を常に保つていることが明らかになつた。

3 評価

豊倉らは、前記1、2に記載の知見から、スモンとキノホルムの関係を左記のとおり指摘している。

標識キノホルムはどの投与剤型、どの投与法でもよく吸収され、体内の各臓器へ分布することがわかつた。

肝胆道系と腎臓などの排泄系が高く、中枢神経系には取り込みが非常に低いのに対し、坐骨神経等の末梢神経にはかなりの高い取り込みが、投与後ある程度の時間の経過後には、他の組織に比べて有意に示されることがわかつた。またラツトやマウスの実験からキノホルムの腸肝循環が立証された。

これらの結果はスモンの病因としてキノホルムを考える場合に特別な矛盾はなく、むしろ右病因論をよく支持するものと考えられる。

三マクロ・オートラジオグラフイーによる四七年度分

1 ビーグル犬に131I標識キノホルムを腹腔内注射後二四時間で殺し、凍結マクロ・オートラジオグラムを作成し、標識化物質の分布を検討した。その結果、(一)体内に入つたキノホルムはビーグル犬の神経系へも雑犬の場合と同様に摂取され分布すること、(二)末梢神経へはとくに強く入ること、(三)視神経へも入るがその度合は弱く、網膜へは視神経よりもはるかに強く入ると推定されること、などが明らかになつた。

2 豊倉は、右の分布と、スモンや慢性キノホルム中毒動物の神経系の病理組織学的変化の局在とを比較検討することにより、本症における病変の成立機序としては、細胞体部分へのキノホルムの直接の侵襲を考慮する心要がある旨を指摘している。

第二節田村らによるスモン患者資料からのキノホルムの検出

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

第一スモン患者の緑尿からの検出

昭和四五年六月初め、東大病院の井形および三楽病院の長谷部より提供された緑尿(2/3日分)を加熱滅菌したのち、図一六に表示の方法に従つて分離していつたところ、微黄色結晶A・B(同図に表示)が得られた。

このAおよびBは同一物質で、その融点(一七五度分解)、元素分析値、赤外・紫外吸収スペクトル、NMRスペクトルから5クロル7ヨード8ハイドロキシキノリン(キノホルム)と同定された。

次いで、キノホルムの三価の鉄キレートを合成して、合成色素と、右図に記載のとおり分離精製した緑色物質との可視吸収スペクトルを比較すると一致した。

また、右合成物質と精製緑色物質ならびにスモン患者の緑便から塩化メチレンで抽出された緑色色素は、いずれも、図一七表示のとおり、シリカゲル薄層上のクロマトグラムにおいても一致した。

右の実験結果から、スモン患者の緑尿・緑便中に含まれる緑色物質はキノホルムの三価の鉄キレートで、この尿中には多量の遊離キノホルムが排泄されているのが明らかになつた。

第二スモン患者の緑舌からの検出

スモン患者の緑色舌苔をピリジンに浸し、一週間放置したところ緑色舌苔が褐色に変つた。このピリジン層を蒸発乾固し、残留物に酢酸エチル0.1mlと無水トリフルオロ酢酸0.05mlを加え、この溶液の一〜二μlを水素炎イオン化検出器つきのガスクロマトグラムに注入したところキノホルムに一致するピークが得られた。また、抽出後の舌苔を直接トリフルオロアセチル化したところ、さらに大量のキノホルムが別表二一に示す四種類のカラムで検出された。

右の実験により、緑色舌苔が遊離またはキレートの形でキノホルムを含んでいることが確かめられた。

第三ヒトの血清からの検出

河合らが質量分析器を用いてスモン患者血清の諸元素を測定した際、キノホルム剤を服用していないでスモンになつたといわれる患者血清中のヨウ素量が、キノホルムを服用したことのあるスモン患者で、同剤の投与中止後一か月経経過した血液中のヨウ素量とほぼ同じ位に高い値を示している例があつた。そこで田村は、以下のとおり、右のキノホルム非服用スモン患者(別表二二、症例6)ならびに対照としてキノホルム剤服用中止後一か月のスモン患者(症例4)およびキノホルム剤非服用の正常人(症例15)の一例ずつの乾燥血清からキノホルムの検出を試みた。

一方法

凍結乾燥血清七五mg(約一mlの血清に相当する)を秤量して一mlの水に溶かし、ベンゼン・ピリジンで抽出し、水洗し、Na2SO4で脱水後アセチル化して、ガスクロマトグラフイーを行なつた。検出器にはECD(電子捕獲検出器)を用い、三種類のカラム、QF―1、SE―30およびXF1105を用いて、標準品のキノホルムとピークの位置を比較することにより同定した。

二結果

キノホルム剤非服用スモン患者血清から、別表二二記載のとおり、同剤服用中止後一か月の患者とほぼ等しい濃度のキノホルムが検出された。この値は質量分析法によるヨウ素/塩素値から換算したキノホルム値と近似していた。

第四スモン患者の臓器からの検出

――その1

スモンで死亡した三例の患者の臓器を、図一八記載のガスクロマトグラフイーを使用する微量分析法により分析した。

その検査対象と検出結果は別表二三記載のとおり、肝では全例に、脂肪(腸管周囲のもの)でも全例に、微量のキノホルムが検出され、神経では患者1の坐骨神経から検出されたけれども、他の二例では検出できなかつた。右の実験結果をもつて、田村は、キノホルムがヒトの体内にながく留まる可能性を実証したものと評価している。

第五スモン患者の臓器からの検出

――その2

材料は、協議会病理班がスモン剖検例の全国調査に関連して江頭がキ剤服用について調べた中から、(一)死亡近くまでキ剤を大量に服用していた例、(二)キ剤服用をやめた後一か月以上経過して死亡した例、(三)調査回答上でキ剤を服用していないと記された中から選んだ。

定量法は、図一九記載の方法でIS(内部標準物質)を用いたガスクロマトグラフイーによつて行なわれ、その結果は別表二四記載のとおりで、定量値は同一試料について三回測定の平均値として示した。

田村は、右の実験結果に基づき、キノホルムが長期間組織中に貯留すること、キノホルムの投与量・投与期間と組織中の濃度との間にはつきりした関連性が認められなかつたことから、キノホルム処理能力においてヒトに大きな個体差があることが判明したとの指摘をしている。

第三節田村らによる各種動物とヒトにおける血中濃度差に関する実験

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

第一昭和四七年度実施分

比較的少量の経口投与で神経症状を発現する雑犬と、比較的多量を要するカニクイザル、ウズラとについて、一日一回CMCを混ぜたキノホルムを経口投与し、次回の投与直前に採血して血清中の非抱合キノホルム濃度をガスクロマトグラフイーで測定した。雑犬に四〇mg/kg/dayから一週間ごとに二〇mgずつの漸増投与を行なつたところ、一〇〇mg/kg/dayの時点で血清非抱合キノホルムは、二匹が二〇μg/ml、他の二匹が六μg/ml程度であつた。

また、カニクイザル一一匹に二〇〇mg/kg/dayの連続投与を行なつたところ、二週間後の血清レベルは、0.4〜4μg/mlと低く、四か月投薬後二か月休薬すると、0.2μg/ml以下に減つた。

次に漸増投与を2.5か月行なつて一二〇〇mg/kg/dayに達したが、血清レベルは2.6〜6μg/mlであつた。

ウズラに漸増投与し、麻痺発現から三日後二四〇〇〜五六〇〇mg/kg/dayの時点で心臓採血したが、量が不充分で正確な値は得られず、いずれも五μg/ml以下と推定された。

右の結果から、田村は、発症し難い動物ほど血清非抱合キノホルムのレベルが高まり難いことを指摘している。

第二昭和四八年度実施分

一犬、猫を用いたもの

1 方法

キノホルムを連続投与された雑犬から生れた五匹の仔犬にエンテロ・ヴイオフオルムを一日一回漸増法で経口投与して行き症状を観察しながら血清を分析した。

また、すでに発症し、キノホルムを二〇〇mg/kg/day一か月間投与された成犬(三匹)と五〇〇mg/kg/day投与されたカニクイザル(四匹)について投与後の血清レベルの変化を調べた。

2 実験成績

仔犬は成犬に比べ発症し難く血清レベルも上り難かつた。すなわち、麻痺の現われ始めた四四〇mg/kgの投与に対して、非抱合キノホルム(C)の最低血清濃度は0.1〜1.1μg/ml、全例が発症した七四〇mg/kgの時点で最低濃度0.1〜7.3μg/ml、最高濃度一四〜三二μg/mlであつた。

犬、猿ともに投与後約二時間で血清濃度が最高となり、この時点でキノホルムとその抱合体のモル濃度を比較すると、犬でC(非抱合型)>CS(キノホルムサルフエイト)>CG(キノホルムグロクロナイド)であるのに対し、カニクイザルでは、CG>CS≧Cとなり、発症し難い動物ほど非抱合型の割合が少ないことがわかつた。

二ヒト、兎、マウスによるもの

1 方法

ヒト四人(五四〜六八kg)に対し早朝空腹時にエンテロ・ヴイオフオルム(Cとして五〇〇mg)を経口投与し、経時的に採血・採尿して、図二〇に表示の方法(以下、本項の分析は同法による)で分析した。

ウサギ3匹(3.0kg)にキノホルム一〇〇mg/kg(エンテロ・ヴイオフオルム)を胃ゾンデで投与し、耳静脈から採血した。

マウス(ddy系三一g)二四匹にキノホルム一〇〇㎎/kg(CMC一〇%添加)を、他の二四匹にはそのほかに水酸化アルミニウムゲル五〇㎎/kgをそれぞれ胃ゾンデで投与し、経時的に三匹ずつ頸動脈採血し、血清を合せて分析した。

2 実験成績

ヒトの血中濃度は四〜六時間後に最高になり、モル濃度はC(2.7〜5.8μg/ml)>CG(3.2〜5.0μg/ml)>CS(1.5〜2.4μg/ml)の順であつた。

尿への排泄形は九五%以上がCGで、CSが三%以下、Cは一%以下であり、排泄速度は血中濃度にほぼ比例し、二四時間で投与量の一五〜二〇%が排泄された。

兎での血中濃度は一〜二時間で最高となり、CG(2.1〜5.5μg/ml)>CS(0.8〜1.7μg/ml)>C(0.6〜0.7μg/ml)の順であつた。

マウスでは0.5〜1時間で血中濃度が最高となり、CS(11.6μg/ml)≧CG(12.9μg/ml)>C(6.3μg/ml)の順で、右時点以後、急速に減少した。

三田村の指摘

田村は、右一、二の知見から、非抱合キノホルム(C)の最高血中濃度と投与量の関係を別表二五のとおり比較したうえ、ヒトが他の動物に比べてはるかに非抱合キノホルムの血清レベルが高まり易いことを指摘している。

第四節キノホルムの毒性に関するin vitro(試験管内)の実験

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

第一豊倉による鶏胚脊髄後根神経節を用いたもの。

一材料と方法

実験は、キノホルムの高濃度短期間の作用と低濃度長期間の作用を見るために、急性実験と慢性実験の二つの部分に分れ、さらにその各々の場合につき培養初期の幼若神経組織に及ぼす影響と長期培養後の成熟神経組織に及ぼす影響とを検討した。

また、観察は通常光学顕微鏡と位相差顕微鏡を用い、一定期間後一部はフオルマリン固定しH.E、ニツスル染色を行ない、一部はFEA固定後ボデイアン染色を行なつた。

1 急性実験

(一) 幼若培養組織への影響

一〇日鶏胚の脊髄後根神経節を用い、始めからキノホルムを加えた液で三日間培養し、神経線維、シユワン細胞、線維芽細胞等の成長を観察した。培養液中のキノホルムの濃度は二、四、八、一六、三二μg/ccとなるように調整し、各濃度につき四枚、計二〇枚の培養を行なつた。別に対照としてキノホルムをまつたく含まぬ液で三日間培養した一群を加え、これと比較観察した。

(二) 成熟培養組織への影響

九日鶏胚の脊髄神経節をキノホルムを含まない通常の培養液で暫く培養したのち、一七DIV(days in vitro)の時点で検鏡し、髄鞘形成が良好で神経細胞にも変性の殆んど認められない培養組織のみを一二枚選び出し、これを無作為に四群に分けた。一群は対照としてキノホルムを含まない従来通りの培養液で培養し、他の三群はキノホルム三二μg/ccを含む液でそれぞれ一、二、三日間培養し、対照と比較した。

2 慢性実験

(一) 幼若培養組織への影響

一一日鶏胚一〇羽から腰部後根神経節のみを八〇個とり出し、これを無作為に二〇個ずつ四群に分け、各群をキノホルム二、四、八μg/ccを含む液および対照としてキノホルムを含まない液で一七日間培養した。

四〇〇倍で検鏡し、各組について神経線維、神経細胞、シユワン細胞等の成長を比較観察するとともに、それぞれの組で二〇個中何個の神経節に髄鞘形成が認められるかを毎日記録し、髄鞘形成曲線を作製した。この際神経節一個あたりに形成された髄鞘の多寡は問題とせずall or noneで判定した。

(二) 成熟培養組織への影響

一一日鶏胚の脊髄神経節を四週間キノホルムを含まない通常の培養液で培養したのち、髄鞘形成が良好で、かつ、同程度に揃つた八枚を選び、これを二枚ずつ四群に無作為的に分けた。各々を四、八、一六μg/ccのキノホルムを含む液および対照としてまつたくキノホルムを含まない液で二八DIVから四五DIVまでの一七日間培養し比較した。

二実験結果

1 急性実験

(一) 幼若培養組織への影響

培養初期からキノホルムを含む液で培養し、三日目に固定してボデイアン染色を施した。

三二μg/ccでは殆んど神経線維の伸び出しはなく、一六μg/ccでは線維の数も長さも対照に比べ明らかに劣るが、八μg/ccでは対照との差がやや疑わしくなる。

さらに四μg/cc、二μg/ccでは対照群とまつたく変らない成長を示した。伸び出した神経線維の方を強拡大で観察すると、高濃度のキノホルムを与えた群では線維の途中に、ところどころ紡錐状、珠数状あるいはらせん状に膨化した部分が数多く認められた。対照群ではこのような所見は皆無であつた。線維全体としても対照例に見るような繊細な網状構造が失われ、針金のような硬い走行を示している。

(二) 成熟培養組織への影響

培養開始後一七日目の脊髄後根神経節に三二μg/ccのキノホルムを加えると三六〜四八時間目頃から以下の変化が現われた。

すなわち、正常培養神経細胞に見られる繊細な紋理が不明瞭となり、それに代わつて粗大、大小不同な顆粒が細胞質内に出現する。細胞体は全体に縮小し辺縁には多少の凹凸が認められ、衛星細胞との境界はコントラストを増し部分的には間隙を生じたように見える。三日目には大半の神経細胞の細胞質は顆粒状となつて縮小し、核の存在も不明瞭となる。髄鞘の変化は少なく、一部にripplingやmyelin dropletの出現を見るが、大半の神経細胞が変性に陥つた三日目の時点でも、なおほぼ健常に近い構造を保つているものが多い。

シユワン細胞や線維芽細胞の変化も軽度である。

2 慢性実験

(一) 幼若培養組織への影響(髄鞘形成率の変化)

培養初期の成長はキノホルムを含む群(八μg/cc、四μg/cc、二μg/cc)と対照群との間に明らかな差を見出し得なかつた。髄鞘形成の始まる時期は、図二一に表示のとおり、七DIVで四群間に差はないけれども、八μg/cc群では九DIV頃から他の三群との間に明瞭な差が出てくる。すなわち、神経細胞には顆粒変性像が次第に出現し、いつたん形成された髄鞘も変性崩壊してついには認め難くなる。

線維芽細胞、シユワン細胞の変化は少ないが、対照群に比較すると小さな空胞を含む変性細胞がやや増加している。

(二) 成熟培養組織に及ぼす影響

急性実験(三二μg/cc)の場合に比べ、変化の出現する時期は遅れ、一六μg/ccで投与後三〜四日目頃から、八μg/ccで一〇日目頃から徐々に変化が出現する。

神経細胞の顆粒変性を認め、小型の神経細胞の方が侵され易く、神経線維よりも細胞体の方の変化が目立ち、髄鞘・シユワン細胞・衛星細胞・線維芽細胞等は、神経細胞に比し変化が少ないなどの点で、基本的には急性実験の結果と一致している。キノホルム添加後同一時点での変化を比較すると、濃度が高い場合ほど変化も著しいが、低濃度でも長期間投与された場合には高濃度短期間投与の場合以上に著明な変化を示す。大部分の神経細胞は変性萎縮しており、髄鞘の破壊も著しい。しかし、この時点でも、極めて少数ながら比較的変化の少ない神経細胞や髄鞘がなお残存している。

三豊倉の指摘

豊倉は、右一、二の結果から得られた4μg/cc<最小中毒濃度<8μg/ccという値と、前記のとおり、田村により測定されたスモン患者の血清中キノホルム濃度約一〇μg/ccという値とが、かなり近似している点は興味ある成績である、として指摘している。

第二米沢によるラツトやマウスの後根神経節を用いたもの

一昭和四六年度実施分

1 実験方法

ラツトおよびマウス胎生一五〜一七日の胎児の後根神経節を培養し、培養約一か月後の完成した培養組織にキ剤を投与し以後の変化を追求した。

投与したキ剤は前もつて血清中に溶解したもので、濃度は一〇μg/ml、一μg/ml、0.1μg/mlの三種である。

キ剤投与後一週より二か月にわたり観察を続け、その経過中一部は固定、軸索染色、髄鞘染色を行ない、また一部はグルタール・アルデハイド固定後オスミウム酸再固定を行ない、電顕観察用資料とした。

2 実験結果

(一) 一〇μg/ml濃度のキ剤投与による培養神経組織の変化

投与後二〜三日頃より神経細胞は軽度に増大し、同時に細胞質内の小顆粒の増加が認められる。この変化は日を追つて著しくなり、約五〜六日頃には神経細胞は凹凸が著しくなり、細胞質顆粒も増加する。核には異常を認めない。さらに一両日を経過すると神経細胞の胞体は急速に増大し、細胞質内に多数の空胞を作る。それはさまざまの大きさで、細胞の辺縁部に多い。核には殆んど変化を認めない。衛星細胞では五〜六日頃より肥大が現われる。

神経線維での変化は、特異的で、キ剤投与後三日頃より始まる軸索の空胞状の変性を特微とする。この変化は有髄・無髄いずれの神経線維にも見られ、とくにランヴイール絞輪部では空胞が大きい。

髄鞘の変化は、主として軸索の変化に基因する二次的のものと思われる。すなわち、軸索内に出現した空胞が大きさを増すにつれ機械的に断裂破壊する。

シユワン細胞での変化は衛星細胞のそれとほぼ同様であるが、キ剤投与後五〜六日頃に軽度の腫脹を示し、稀に胞体内に小空胞の出現が見られる。シユワン細胞核での変化は殆んど見られない。

(二) 一μg/ml投与による変化

この場合、病変の出現は著しく遅延する。すなわち、キ剤投与後一〇〜一四日頃より、神経細胞の萎縮と軽度の小顆粒の出現が見られる。約一か月間キ剤を連続投与しても、それ以上に病変は進行しない。

しかし、神経線維では空胞変性は著明でなく、むしろ髄鞘の変性が目立つている。すなわち、キ剤投与後一〇日頃より、ランヴイール絞輪は開大し、髄鞘は徐々に退縮する。これと同時に髄鞘の表面は不平滑となる。時には髄鞘が離開し套状の裂隙を作ることもある。この所見は慢性節状変性の像である。シユワン細胞や衛星細胞の変化は見られない。

(三) 0.1μg/ml投与の場合には、長期投与(二か月)にかかわらず神経細胞・神経線維のいずれにも変化は見られない。

(四) 電顕検索の結果

前記神経細胞の顆粒化・軸索の空胞変性は、いずれもミトコンドリアの変性に基づく。すなわち、ミトコンドリアは軽度の腫脹後(二日)櫛の破壊・融解に次いでミトコンドリア膜にも破壊が起こる(三〜五日)。ミトコンドリア周囲の神経小管やその他の小器管には変化が見られない。約一週間後にはこのようにしてできた空胞が神経細胞の胞体内、軸索内に充満する。髄鞘の変化は軸索内に空胞が多数集積するまで殆んど変化が見られない。その時期になると、髄鞘は軸索内空胞の圧迫によつてその層状構造の乱れを生じ、次第に破壊に陥る。

3 米沢の指摘(その一)

米沢は、右1、2の結果から、キ剤一〜一〇μg/mlの投与で神経組織への影響があると考えてよく、右の数値は、in vivo(生体内)の実験で一〇μg/mlの血清中の濃度が中毒量として重視されていることと一致すること、また、前記ミトコンドリアの急速な変性は、後記のとおり、八木らによつて、同部位に生化学的にキ剤による酸化機構の障害の起こることが報告されたことを形態学的に裏づけるものと思われる旨の指摘をしている。

二昭和四七年度実施分

1 実験方法

ラツトおよびマウスの胎児後根神経節を培養し、髄鞘形成完了後(約二〇日)の培養に種々濃度のキ剤を投与し、以後一般形態的変化を調べるとともに電顕検索を行なつた。

2 実験結果

(一) 六〜一〇μg/ml濃度投与

この場合培養組織での変化は軸索に見られる。

それはまづ、軸索の無髄部に空胞形成として始まり、同時にランヴイール絞輪部の軸索にも出現する(投与後三日)。この変化は次第に軸索全域に拡がると同時に空胞の融合が現われ、次第に大きな空胞となる。髄鞘の変化はこの空胞の融合により圧排されて二次的に破壊するように思われる。神経細胞での変化はキ剤投与後四日頃より胞体の顆粒変性として認められ、日毎に増強し、空胞変性の像をとる。核での変化は殆んどない。

電顕観察によれば、右空胞はミトコンドリアの変性によつて生じたものと思われ、初期にはミトコンドリア櫛の破壊、ミトコンドリア腫脹を示し、次第にミトコンドリア膜にも破壊が及ぶ。また、髄鞘の変化はミトコンドリアの空胞化が進んだ後に出現する。神経細胞での変化は右同様ミトコンドリアの変性、破壊空胞化を特徴としている。

(二) 0.6〜1μg/ml濃度

病変の出現には約二週間の投与を要する。この間神経細胞では殆んど変化は見られない。神経線維ことに髄鞘の節制変性が特徴的である。

電顕所見としてシユワン細胞の変性とともに髄鞘層状構造の剥離断裂が見られ、軸索内では層状のいわゆるdense body状構造物の出現が見られる。

(三) 二〜五μg/mlでは上述の二群所見が共存して見られる。

3 米沢の指摘(その二)

米沢は、右1、2の結果から、キノホルムのミトコンドリア侵襲作用は無髄線維、有髄線維、神経細胞の順で現われ、このことは、臨床的にキ剤投与によつて生じた神経症状が自律神経障害を初発症状とする点と一致した所見とみなされる旨指摘している。

三四八年度実施分

米沢は、前記各年度実施分と同様ラツトの培養神経を用い、知覚・運動および自律神経線維でのキ剤による変化の差異を調べた結果、同一濃度のキ剤一〇μg/mlにより自律神経と知覚神経の無髄の部が最も速やかに侵され、病変はミトコンドリアの腫脹さらに空胞化によつて特徴づけられること、運動神経ではミトコンドリアの変化は軽微で、むしろ軸索流の障害を示喚しているなどの所見を得た。

第三八木による白ネズミ単離ミトコンドリアを用いたもの

白ネズミの肝・脳の単離したミトコンドリアに対しキノホルムを投与し、ミトコンドリアによる酸素の消費をBeck-manの酸素電極によつて測定したところ、神経毒であるDNP(2、4―ジニトロフエノール)と同様に脱共役剤として作用すること、しかも右作用の発現にはキノホルムとキレートを作り得るMg2+等のカチオン(陽イオン)を要すること、これに対し、投与キノホルムから肝臓で生成されるキノホルムグルクロナイドは右の作用を有しないことが明らかになつた。

第五節わが国における発症機序に関する実験に対するケバーの批判の当否

第一ケバリーの批判の要約

前記第二節において認定の、田村の実験に対するケバリーの批判は、以下のとおり要約できる。

一 前記第二節第一記載の緑尿からの検出について

対象尿の前歴が不明確である。尿に施した分離法が温和でない。

二 同第二記載の緑舌からの検出について

ガスクロマトグラフイーによる分析にあたり内部標準物質(IS)が使用されておらず、信頼性に欠ける。

三 同第三記載の血清からの検出について

ガスクロマトグラフイーによる分析にあたりISの使用がないうえ、そのクロマトグラムには、キノホルムAcのピークとされる直前に未知ピークが現われていることから、真実キノホルムのピークかどうか疑わしい。

四 同第四記載の臓器からの検出について

右同様ISの使用がないうえ、そのクロマトグラムには多くのピークが現われており、そこにいうキノホルムのピークが他の妨害物質のピークでないという証明もない。

第二右批判の当否について

一まず、批判の一の緑尿からの検出分については、前記第二節第一に記述のとおりその出所が明らかであり、薄層クロマトグラフイーをはじめ数種の定性分析の結果が一致しているのであるから、右批判は失当である。

二次に、批判の二ないし四にいうISの使用がないことその他の点について検討するに、<証拠>によれば次の事実が認められる。

1 ガスクロマトグラフイー分析におけるISの使用目的―定量分析

ガスクロマトグラフイーによる分析の際ISが用いられるのは、クロマトグラムに表示される試料のピーク位置とISのピーク位置(いずれもそれの物質の保持時間を表わす)を比較することにより、試料中に含まれる物質の定性分析を行なうとともに、試料のピークの高さをISのそれと比較することによつて定量分析を行なうためである。

2 定性分析の場合

ところで、定性分析のみの場合には、ISを用いなくとも、同一のカラムに分析が予想される標準品と試料とを交互に入れクロマトグラム上のピーク位置を比較することにより物質の同定が可能で、むしろISを用いる方法よりも確実な分析法といえるところ、前記第二節第二ないし第四(緑舌、血清、臓器からの検出)で行なわれた分析は、いずれも標準品のキノホルムと試料とを交互に入れる右の方法によつてなされたものである。

3 アンノウン・ピークについて

のみならず、同第三(血清からの検出)の分析にあたつては、正常人の血清をガスクロマトグラフイーにより分析したところ、スモン患者の血清と同様のアンノウン・ピーク(未知のピーク)は出ていたけれども、キノホルムに相当するピークは見られず、また三種類のカラムの使用でいずれもキノホルムの位置にピークが見られており、しかも前記認定のとおり、質量分析法による血清中のヨウ素量がガスクロマトグラフイーによる血清中キノホルム量で説明が可能である(第二節第三参照)。

4 いわゆる妨害物質のピークについて

次に、同第四(臓器からの検出)の分析は、バツクグラウンドと区別可能な検出限界が0.05μgの方法で行なわれ、とくに坐骨神経の分析は試料を増量して精度を高めており、また、キノホルム非服用者の対応試料を同様の操作で分析してキノホルムの現われる位置にピークが現われないのを確認している。なお右分析の際アルミナカラムに、キノホルムが吸着したときに生ずる特有な螢光が見られた。

三結論

以上いずれの点においても、田村による実験についてのケバリーの批判は、とうてい採用し難いものといわなければならない。

第六節標識キノホルムを用いての吸収・分布等に関する動物実験の評価――キノホルムの分布と病理所見との関連性――

前記のような立石らおよび豊倉らによる実験結果(第一節第一、第二参照)に基づき、キノホルムの分布とスモン患者およびキノホルム投与動物に見られる病理所見との関連性につき、以下これを検討する。

一末梢神経について

スモン患者やキノホルム投与動物で顕著な病変の認められる坐骨神経等の末梢神経については、標識キノホルムの分布が高いところから、これらの部位への直接侵入による傷害が考えられるほか、親細胞の存する脊髄後根神経節への分布も高いので、dying backの機制の関与も考えられる。

二脊髄後索について

次に、スモン患者とキノホルム投与動物に見られる病変の中核である脊髄後索とくにゴル束の遠位部から始まる変性は、この部位にキノホルムの分布が殆んど認められないけれども、親細胞の存する後根神経節に高い分布が認められるので、親細胞の代謝障害の結果、ニユーロンの突起の末端部から変性が始まり、次第に近位部へも波及する、いわゆるdying back neuropathyとして説明することが可能である。

三網膜および視索について

また、神経細胞層に著しい病理組織学的変化の存する網膜にはキノホルムの著明な分布が見られるので、それが右病変をきたすものと考えられる。その反面、強い病変が少なからず見受けられる視索へのキノホルムの分布が少ないけれども、親細胞の存する網膜に右の如くキノホルムの強い摂取が認められる以上、脊髄後索の変性と同様、dying back neuropa-thyとしての説明が可能である。

四腰髄錐体路について

ところで、スモン患者とキノホルム投与動物に病変の見られる腰髄錐体路については、前記の分布等に関する実験による限りでは、そのいかなる部位にもキノホルムの取り込みが僅少であり、親細胞である大脳運動領のべーツ細胞にも殆んど分布していないことから、右病変とキノホルムの分布との関係を説明することが困難である。しかしながら、前記第二章「スモンの病理」において認定・説示のとおり、スモン患者およびキノホルム投与実験動物に見られる脊髄病変は、その長索路が選択的に侵され、短い神経線維のものは侵されないという特徴を有しており、このこと自体からしても、錐体側索路の病変についても、dying backの機制の関与を考慮すべき余地が残されているのであるから、右説明困難の故をもつて、これら一連の実験により明らかにされたキノホルムの分布とスモンおよびキノホルム投与動物の病変との関連性を否定することはできない。

五その他

そして、前記各実験結果中には、腸肝循環(第一節、第一、一、2、(二)、3、(一)参照)など、むしろキノホルム病因論を支持する所見こそ認められるものの、右病因論に矛盾する事実は格別見出され得ないのである。

六結論

以上のとおりであるから、これらの実験結果は、前記第四章「スモンの疫学」において認定・説示したキノホルムとスモンとの関連性を一層緊密にする有力な事実ということができる。

第七章田村らによる実験、豊倉によるin vitro実験の評価

一田村らによる実験について

1  スモン患者試料からのキノホルムの検出について

まず、緑尿・緑舌からのキノホルムの検出(第二節、第一、第二)については、それが相当量のキノホルムがスモン患者の体内に分布され、また排泄されていることを示しているほか、緑尿からのキノホルムの検出については、前記椿による「スモンとキノホルムとの間の疫学調査」の端緒となつた(第一章、第一節、六、七、第四章、第二節、一、第三節、一、1参照)というスモン病因研究史上の意義が指摘されよう。

次に、ヒトの血清およびスモン患者の各種臓器からのキノホルムの検出(本章第二節、第三ないし第五)は、キノホルムが長期間組織中に貯留する可能性を示唆するものと解される。

2  各種動物とヒトにおける血中濃度差に関する実験

血中濃度差に関する右の実験(第三節)は、その実験結果によれば、各種動物間の種差ないしこれら動物とヒトとの間の種差により、非抱合型キノホルムの割合およびその血清レベルの上昇の程度に差異が見られるところから、動物実験において発症に要するキノホルムの投与量とスモン患者への実際の投与量との差を説明するための、きわめて有力な一資料たりうるものである(第五章、第六節、第二、一参照)。

二豊倉らによるin vitroの実験について

キノホルムの毒性に関するin vitroの実験(本章、第四節)は、後記で認定・説示のとおり、in vivo―丸ごと標本による―の動物実験との差異はあるものの(第三編、第一章、第五節、四参照)、右田村らによる血中濃度差に関する実験および前記生体内の分布に関する各種実験(本章、第一節掲記)において、血清中に相当量の遊離キノホルムの存在が認められた知見と相俟つて、キノホルムの直接侵襲により神経病変の生ずる可能性を示唆するものとして、前記の疫学(第四章)および動物へのキノホルム投与実験(第五章)により明らかにされた“キノホルムとスモンとの関連性”をより一層強めるための一資料というべきである。

《表一〜表二五、図面一〜図面二一――省略》

第七章ウイルスに関する研究

第一節肯定例

第一井上・木村(輝)らによるもの

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

井上・木村(輝)らはスモン患者試料からのウイルス分離の試みおよび動物への投与実験を行ない、その結果を以下のとおり報告している。

一ウイルス学的研究―その一

1 スモン患者および非スモン患者からのウイルス分離

岡山地方のスモン患者糞便からのウイルスは、五例の患者糞便乳剤全例からBAT―6細胞に同種の細胞変性効果(CPE)を示して分離された。これに対して、京都地方成人健康者二例の糞便材料から、同一方法でウイルスは分離されなかつた。

次に、大阪地方スモン患者脊髄液一〇例中八例から、同種ウイルスがBAT―6細胞に分離された。また、北海道地方のスモン患者脊髄液二九例中二三例から同じくウイルスがBAT―6細胞に分離された。これに対して大阪地方二〇例の非スモン患者脊髄液のうち一八例からはBAT―6細胞にウイルスは分離されなかつた。

2 分離ウイルスの同定

岡山のスモン患者糞便由来の佐藤株免疫ウサギ血清で大阪および北海道のスモン患者脊髄液由来の全ウイルスが中和されることから、BAT―6細胞に同種のCPEを示して分離されたウイルスは血清学的に同一であつた。

3 スモン患者および健康者血清の中和抗体価

スモン患者血清では、一五例中一三例に血清希釈五〜一〇倍という低い中和抗体価を証明できるが、非流行地の健康者成人血清一〇例の中和抗体価はいずれも五倍以下であつた。

4 スモンと無菌性髄膜炎の関係

大阪地方の無菌性髄膜炎患者二例の脊髄液からBAT―6細胞にウイルスが分離されたが、その回復期患者血清は中和抗体価一六〇〜三二〇倍という高い価を示した。

5 診療関係者等血清の中和抗体価

スモン患者の診療、看護に従事した一〇例の血清は、六例が四〇〜一六〇倍の抗体価を示し、ウイルスの研究に従事した四例の血清はいずれも陽性で、二〇倍一例、四〇倍一例、二例は一六〇〜三二〇を示した。

6 分離ウイルスの性状

ウイルスの性状に関する実験によると、スモン由来ウイルスは、BAT―6細胞においては弱く、かつ、不宗全な細胞変性効果(CPE)を生じたが、その他の細胞ではCPEを生じなかつた。しかし右ウイルスは、CPEをきたすことなくヒトの二倍体細胞内で増殖した。また、それは平均孔径二〇mμの膜フイルターを通過するが、一〇〇mμのそれは通過せず、エーテルと5ークルオロー2'―デオキシウリジンに対しては感受性があり、紫外線照射により不活化された。また3H―チミジンによつてラベルされるがウリジンではラベルされないため、DNAを含むと思われた。塩化セシウム中での密度は1.21〜1.22g/mlであつた。

7 考察と結論

(一) 右1、2の結果から、スモンと右ウイルスの関係は地域により異なることなく明瞭である。

(二) 右3、4のとおり、無菌性髄膜炎患者の回復期における血清が高い中和抗体価を示したのに対し、スモン患者のきわめて低い中和抗体産生状況を見るとき、スモンは免疫反応不全に伴う新種ウイルス感染症と考えられる。

(三) 右1のとおり、スモン患者からのウイルス分離が高率であることは、免疫反応不全に基づく持続性ウイルス感染(slow virus infection)のためと考えられる。

(四) 右のウイルスは、6記載の性状から、新種のウイルスと推定される(以下、これを「井上ウイルス」と呼ぶ)。

二ウイルス学的研究―その二

井上らは、慢性神経疾患患者におけるウイルス感染の国際調査の結果を、次のように報告している。

1 京大ウイルス研究所年報一八巻(一九七五年)登載分

(一) オーストラリア、英国、米国において、血清学的方法あるいはウイルスを分離する方法を用いて井上ウイルス感染の事実を発見した。

(二) 最近、多発性神経炎の数症例から井上ウイルス抗体を検出した。

(三) 昭和五〇年(一九七五年)にスモンに罹患した四一歳の日本の主婦の脊髄液から井上ウイルスを分離した。

2 米国臨床病理学雑誌六六巻(一九七六年)登載分

アメリカ生まれの一婦人における、通常の胃腸障害でなく肺炎に引き続いて起こつた電劇性のスモンの症例(米国ウイスコンシ州ミルウオーキー、郡立総合病院病理部チエインバースらとの共同報告)

患者は、急性期に対麻痺と部分的盲目に陥り、その後病状が悪化して発病後一一か月で死亡した。剖検では対称性の視神経および脊髄の脱髄が認められた。井上ウイルスに対する中和抗体価の測定を、死後三年半経つてから、剖検時に採取した血清につき実施したが、有意な上昇が認められた。

三動物実験―その一(ランセツト一九七二年一月二九日号および協議会報告書No.10登載分)

1 C57BL/6新生児マウスの発症

前記のとおりスモン患者試料から分離したウイルスを三種類(dd, C57BL/6, CF1 strain)の新生児マウスに接種したところ、CS7BL/6マウスが、出生時脳内接種によりこのウイルスに感受性を示すことが見出された。右接種マウスは、二〜三週間以上の潜伏期を経て多くは体重減少、立毛、後肢麻痺を起こして発病し、うち軽症のものは回復するが、重症のものは殆んど死亡する。

2 発症マウスの病理所見

病理所見の主なものは、脊髄後柱の中間部または中央部の対称性両側性変化で、脳には何ら変化が見られない。脊髄の変化は、蒼白化あるいは脱髄性の変化、神経線維の断裂と破壊、神経線維の数の減少で、炎症性変化は見られなかつた。これらの所見は、下行性脊髄路の下部である腰髄あるいは錐体路の全域と、上行性長脊髄路の上部である頸部ゴル索に観察された。

これらの異常所見は、ウイルス接種後発症した二六匹のマウス中一九匹にはつきりと認められた。

3 考察

前記のマウスに見られた主要な神経病理学的変化は、神経線維の変性が末端部から起こる過程(“dying-back”process)を含め、ヒトのスモンの変化とまつたく同一のものと思われた。

四動物実験―その二(協議会微生物部会第三回―昭和四七年二月一九日発表分)

1 C57BL/6新生児マウスの腹腔内・皮下接種実験

C57BL/6新生児マウスの腹腔内ウイルス接種と皮下接種によつても、二〜三週以上の潜伏期をもつて後肢麻痺を主として発病することが見出された。病理所見も、基本的に脳内接種で発病したマウスと同じである。

2 免疫抑制処置成熟ddマウスの発症

免疫抑制剤としてEndoxan処置成熟ddマウス(生後五週)のウイルス感受性を検討したところ、右処置によつて感染したマウスは、立毛、wasting歩行障害、後肢麻痺をきたして死亡するものが見られた。

五動物実験―その三(ランセツト一九七四年四月二〇日号登載分)

「サイクロフオスフアマイド処置マウスにおけるスモンウイルスの経口感染」

右免疫抑制剤処置ddN系成熱マウスにスモンウイルスを経口接種したところ、二〜三週後に立毛、衰弱、後肢機能障害を認めた。

六電子顕微鏡による検索

井上らは、昭和四九年二月にネガテイブ染色によるスモン由来ウイルス(渡辺株)の電子顕微鏡写真の撮影に成功したとの報告をしている。

第二島田らによるもの

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一スモン患者および正常対照例の血清の井上ウイルス中和抗体価の検討島田らは、井上らとともにランセツト(一九七二年九月三〇日号)に投稿して、次のように述べている。

1 スモン患者四五例については、回復期の一二例に抗体価の上昇が見られた。また、スモン患者の看護に当たつた健康な看護婦六名中三名の血清に抗体の存在が確認された。他方、健康な成人七三名の血清を対照として抗体価を調べたが、うち七一例は一〇倍以下であつた。

2 右の成績は、井上ウイルスがスモンと関係あることについての血清学的証拠を示すもので、スモンが免疫学的不全に引き続く新ウイルスの感染により起こるという井上らの仮説に非常によく一致している。

二螢光抗体法によるスモン病原体の検出

1 島田らは、スモン患者五例(うち「疑い」一例)の死体脊髄組織および対照として四例の非スモン患者の脊髄・肝組織を材料として、井上ウイルスの家兎抗血清を用いた螢光抗体法によつて、病原体の検出を試みた結果を、以下のとおり、報告している。

2 成績

螢光抗体用プラフイン切片を使用したスモン患者三例(スモン疑い一例を含み、全例岡山県内例)全部につき脊髄の蜘蛛膜および脊髄内血管周囲、一部の脊髄前角細胞と脊髄神経節内神経細胞の細胞質内に特異螢光を認めた。

また、クリオスタツト切片、冷アセトン固定法を用いた二例では、いずれも特異螢光が陰性であつたが、このうち剖検後新しい症例の未固定処理標本につき再検したところ、脊髄の前角部と側索部に顆粒状の特異螢光を多数認めた。

ところが、対照例にはまつたく特異螢光が見られなかつた。

3 考按

右の成績からスモン患者の脊髄組織内に直接ウイルスの局在が証明された。そして、脊髄組織内の特異螢光局在所見から考えると、スモンは、病理学的に一般的な炎症所見を認めない一種の脊髄症と推定される。

第三西村によるもの

<証拠>によると、次の事実が認められる。

西村は以下のとおり井上ウイルスの追試を行ない、その結果を報告している。

一BAT―6細胞による実験

いずれも井上より供与されたBAT―6細胞に渡辺株ウイルスを感染させたところ、観察された細胞変性は、従来扱つてきたどのウイルスに比べてきわめて弱く、出現様式も大分違つていた。すなわち、井上ウイルスによる細胞変性は感染三日目から出始める。顆粒状のものが細胞面に増え、やがてこれが数個の群を作るように見えてきて、四〜五日で一部の細胞は剥れてくる。培養五日目頃になると、対照実験においた非感染細胞も古くなつて部分的に剥れ始めるために、判定に苦しむことも度たびであつたが、観察馴れがするとともに再現性よくこれを読みとれるようになつた。

二孵化鶏卵培養法による井上ウイルスの培養

1 井上ウイルスの一〇〇〇〜五〇〇〇倍希釈液の0.1mlを、一二日卵の漿尿膜(CAM)上に接種して、三七度で三日間おくと、接種された漿尿膜に、時には血管壁に沿つた線条の出血斑が見られ、膜をつまみ上げるとやや白濁し肥厚していることがわかつた。この漿尿膜を無菌的にすりつぶして別の一二日卵漿膜上に再接種すると、同様な症状を起こし、この方法で右ウイルスを継代しながら一〇代の継代数に達している。

2 ウイルス継代五代目の感染漿尿膜の切片を作つて染色すると、上皮細胞の核の中に、ヘルペスウイルス特有の核内封入体であるCowdry小体を証明することができた。岡山大学医学部小坂内科より入手したスモン患者の脊髄液を直接に一二日鶏卵漿尿膜に接種した場合も、同様の所見を得ることができた。

3 C57BL/6マウスの脳内にCAMの乳剤を接種すると、比較的長い潜伏期の後に典型的な症状が現われ、さらに、CAMの乳剤には特異的免疫血清に対する補体結合活性のあることがわかつた。

三螢光抗体法によるウイルス抗原の証明と抗体価の測定

1 井上ウイルス感染のBAT―6細胞は、感染四八時間後から間接螢光抗体法で陽性となり、感染四日目になると大部分のBAT―6細胞は螢光を示すのみでなく、一部に巨細胞の形成も見られる。螢光は細胞質部分に、より強く見られ、枠内では限局した部分に強い螢光が観察される。

2 井上ウイルスの免疫学的特異性につきさらに詳しく知るため、放射性同位元素51crを使用する免疫溶解法(Imm-une cytolysis)の実験を行なつた結果、井上ウイルス感染細胞において産生される膜抗原は、鶏の伝染性喉頭気管炎ウイルス(I.L.T.ウイルス)およびヒトのヘルペスウイルス(H.S.V)(一九六株)と部分的に共通抗原を持つことが証明できた。

3 さらに、右の結果を螢光抗体法によつて確かめる実験を試みたところ、井上ウイルスは、I.L.T.ウイルスおよびH.S.V.(一九六株)と部分的共通抗原を持つことで、右結果とよく一致することが認められた。

第四吉田らによるもの

<証拠>によると、吉田らは、ランセツト(一九七二年二九日号)に投稿して次のように述べている。

昭和四五年末に腹痛を訴え、翌年一月にしびれと冷感が出現し、二か月後に歩行障害と指のしびれ(ストツキングと手袋型の知覚鈍麻)を認めた症例(四七歳、男、診断名は多発性神経炎)の脊髄液を人胎児肺細胞上に培養し、上清を採取して希釈したものをC57BL/6乳呑みマウスの脳内に接種したところ、一七匹中の二匹が約三週間後に体重の減少、立毛、後肢麻痺を示した。また、右症状は、発症マウスの脳組織懸濁液により継代可能であり、この病原性は、摂氏五六度、三〇分間の加熱で消失するのが認められた。

第五井出らによるもの

<証拠>によると、次の事実が認められる。

井出らは、昭和五〇年に発生したキノホルム非服用スモン患者から採取された脳脊髄液を用いてC57BL/6J系マウスで脳内および腹腔内接種実験を行なつたところ、立毛、運動麻痺、運動失調、体重低下など発症を示唆する所見を得たが、発症例の出現時期は二〜三週で、発症率は、脳内接種で23.1%、腹腔内接種で22.6%であつたとの報告を、「医薬ジヤーナル」一九七六年一一月号にしている。

第六東によるスモン病原の電子顕微鏡的観察

<証拠>によると、次の事実が認められる。

東は、BAT細胞で分離培養した井上らの標本につき電子顕微鏡的観察を行なつた結果、ウイルスが発芽形式により粒子を形成すること、宿主細胞のPlasma membranceおよび細胞質空胞内の空胞膜において粒子形成を見ること、そして特徴としては、切片あたりの粒子数が少ないことなどを報告している。

第二節井上ウイルスに対する追試および批判

第一甲野らによる追試と批判

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一 BAT―6細胞に関する実験

甲野らは、井上よりBAT―6細胞と分離されたagentの代表株である佐藤株の分与を受けて、ウイルス分離、佐藤株の性状と同株による中和試験を行なつた結果を、以下のとおり、報告している。なお、この実験は昭和四五年五月までに行なわれた。

1 ウイルス分離試験では、スモン患者糞便二七例、患者脊髄一例、対照患者一〇例の糞便を接種し、三〜五代継代観察したが、すべてウイルス分離は陰性に終つた。また、スモン患者一〇例血清二三検体と対照血清一〇検体につき中和試験を行なつたところ、その抗体価はすべて<1:4料であつた。

2 佐藤株の性状に関する実験の結果、佐藤株に見られたCPEは一種のマイコプラズマに因ること、同株のCPEは井上の成績と異なり、岡山のスモン患者血清によつては阻止を受けず、佐藤株マイコプラズマに対する中和抗体は岡山流行地の患者血清に含まれていないと結論され、また同株中に別にCPE agentが存在するという証拠は得られなかつた。

3 BAT―6細胞は、増殖が旺盛な反面きわめて脆弱な細胞で、無接種の対照において自発的な細胞の変性崩壊が強く、CPEが弱いときには判定が非常に困難と考えられる。右細胞はとくに糞便材料等の毒性物質に弱いため、初代培養時はウイルスによるCPEが現われたのではないかと考えられた場合があつたけれども、継代を続けるに従い陰性化してしまうのが常であつた。

二スモン剖検材料よりの病原体分離の試み

甲野らは比較的定型的スモン例の各種臓器について検索した結果を以下のとおり報告している。

1 ウイルス分離

脊髄・大便材料について、乳呑みマウスの脳内・腹腔内継代接種および人胎児の肺・腎細胞での継代接種を行なつたが、結果はすべて陰性であつた。

2 螢光抗体法による結果

脳・脊髄・脊髄後根神経節・大腿神経・視神経および一般臓器を螢光抗体間接法で検索したが、すべての材料について特異螢光は認められず、また手持ちの抗ウイルス標識抗体による直接染色もすべて陰性であつた。

さらに、井上由来のウサギ抗「スモンウイルス」標識血清で、胸・腰髄の一部を染色したが特異螢光は認められなかつた。

三動物実験

甲野は、動物への投与につき以下のとおり報告している。

1 甲野は、スモンの病因がもしもウイルスであるとすれば、近年注目を惹くようになつた、いわゆるslow virus infectionの一種ではないかと考えて、岡山・東京・三重における定型的な発症・死亡例の脊髄・消化管・糞便などを乳剤とし、カニクイザルやマウスなどに接種して約一年間観察したが何ら発症せず、中枢神経系にもスモンと一致するような変化を証明できなかつた。

2 甲野は、同一材料をアメリカのN.I.H.(米国予防衛生研究所)のガイジユセク(一九七六年ノーベル医学生理学賞受賞者)らに送り、チンパンジーの脊髄内に接種して貰つたが、三年の観察期間中何らの症状を呈せず、病理組織学的にも変化がなかつたとの報告を受けている。

四井上らによる実験に対する批判

甲野は、追試の結果では、感染したと称せられるBAT―6細胞の病的変化は対照と差が認め難く、電顕的にもウイルス粒子は認められなかつたこと、また、C57BLマウスの脊髄に見られる脱髄は、ウイルスを接種しない同月齢のマウスにも認められ特異的な病変とは思われず、マウスの幼弱時における髄鞘の発育が個体により未熱にとどまつている状態での所見に過ぎないとの指摘をしている。

五疫学および神経病理一般からのウイルス説への批判

また甲野は、感染説では説明できない事実として、スモンが、(1)散発地では伝染をトレースできないこと、(2)小児に稀で中年以後のとくに女性に多いことは一般の感染症の疫学に反すること、(3)臨床的に発熱を欠き、血液像・髄液像に特記すべき変化がないこと、(4)病理学的に神経の軸索変性、脱髄が主病変で、感染症に通常必発する炎症反応がなく、従来の病理学での常識ではビタミンB群欠乏症の神経病変に最もよく似ていること、なお、スローウイルス感染症中にはスモンの如く炎症反応を欠くものが見られるけれども、その病変分布はスモンのそれに比しはるかにランダムであること、などを指摘している。

第二奥野・高橋(理)らによる追試所見

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一スモン患者よりのウイルス分離の試み

奥野・高橋(理)らは、スモン患者の糞便、血液、髄液(リコール)よりウイルス分離を試み、その結果を以下のとおり報告している。

1 糞便

四一例につきミドリザル腎細胞(GMK)、人胎児腎細胞(HEK)、ハムスター腎細胞(HamK)、ハムスター胎児細胞(HamE)を用いてウイルス分離を試み、いずれも数代のblind passage(盲検式継代接種)をしたが、三代以上継代し得るCP(細胞変性)agentは見付からなかつた。

2 血液

患者血液一〇例をGMKに接種しウイルス分離を試みたが、全部陰性であつた。また、患者五名から一週間隔で二回採血し五頭のカニクイザルに二回ずつ静注し、六か月間観察したが猿には何らの変化も見られなかつた。

3 一三試料をGMK,HKに接種したが、三代以上継代し得るCP agentは認められなかつた。

二昭和四七年二月二日の追試

1 井上より井上ウイルスの分与を受け、同人の原法に従いしBAT―6細胞に分与材料を接種し、三五〜三六度Cに培養したが、対照細胞に比し特異的なCPEは確認できなかつた。

2 井上ウイルスを人胎児肺細胞に接種し3H―thymidineを培養液中に加え、培養七日後の培養液を遠心沈澱して3H―チミジンのウイルス粒子への取り込みを調べたが、肉眼で遠心チユーブに明瞭なバンドは見られず、アイソトープのカウンドでもウイルス特異的と思われるピークは見られなかつた。

3 井上ウイルス感染人胎児肺細胞の感染後七日目の超薄切片を作り、電子顕微鏡で観察したが、ウイルスらしいものは見られなかつた。

第三飯田・桜田らによる追試所見

<証拠>によると、次の事実が認められる。

飯田・桜田らは、以下のとおり井上ウイルスに関する追試の結果を報告している。

一成績

1 井上が昭和四五年北海道で採取された二九件のスモン患者髄液から、BAT―6細胞を用いて二三株のスモン関連ウイルスを分離したと称する同一の髄液を、井上の方法に従いC57B/6哺乳マウスに脳内接種し、ウイルス分離を試みたところ、このうち三検体(SF51,SF91,SF114)を接種したマウス中、SF51では四匹中の二匹、SF96では七匹中の三匹、SF114では五匹中の三匹に動作緩慢、立毛、振頭、四肢麻痺、体重減少などの症状が見られた。

2 病理組織学的検査では、SF51は脳・脊髄に脱髄・細胞浸潤はなく、神経細胞に変化は見られなかった。SF96とSF114は対照に比較して特記すべき変化はない。

3 SF96の初回の接種の際、発症死亡したマウスの脳・肝・脾の乳剤を作り、それぞれ脳内と腹腔内に接種したが陰性であつた。

4 渡辺株を希釈し脳内・腹腔内接種したところ、脳内接種分はすべて陰性で、腹腔内接種分は五匹中の一匹が死亡、四匹が発症した。発症した四匹のうち三匹に病理組織学的検査を行ない、昭和四七年二月一九日の協議会微生物部・病理部合同会議の際、病理組織標本を供覧したところ、病理部会の白木は、右標本に脱髄は見られず、おそらくミエリン形成の抑制されたものであろうとの見解を述べた。

5 陽性であつた患者髄液・渡辺株の原材料についてC57B/6マウスに再接種を行なつたが、すべて陰性で再現性は見られなかつた。

二考察

前記一のとおり、井上の要請にかかる実験条件で追試が行なわれたのに、結果は陰性例が圧倒的に多く、しかも発症マウスの病理組織像に特異的な所見が得られないことから、スモンがウイルス感染によるという確定的な根拠は乏しいものと考えられた。

第四多ケ谷・北原らによる追試所見

<証拠>によると、次の事実が認められる。

多ケ谷・北原らは、新生児マウスを用いて井上ウイルスの追試を行ない、その結果を以下のとおり報告している。

一スモンと関連のあるヒト由来の材料(主としてリコール)をそのまままたは人胎児肺細胞を二回通過した後、C57BL/6の生後二四時間以内の新生児マウスに脳内接種し、接種後三か月間観察して異常の発生の有無を見た。具体的方法・手技はできるだけ井上らのそれによつた。

二三例の材料をそれぞれ多数のマウスリツター(リツターとは、同産群すなわち同一の母体から産れた一腹の仔の一群のこと)に接種したところ、二例につき材料接種の二〜三週間後に井上らの報告する症状、立毛、Runtingおよび運動障害等の症状を示すものが認められた。これに対し、無処置のマウスとリコールの継代に用いた細胞の培養上清を接種したマウスには右症状を呈するものがなかつた。

三右発症の発生頻度は低く、発症とみなされるマウスはリツターあたり、一または最大二匹で、同じ材料を接種してもリツターによつてはまつたく発症を見ないものもあり、このマウスの発症がスモンの病原と関連しているか否かの判断は、きわめて困難であつた。

第五江頭・内田らによる接種マウスの病理組織学的検索所見

<証拠>によると、次の事実が認められる。

江頭・内田らは、前記多ケ谷・北原らの実験マウスの病理組織学的検索および対照としてC57BL/6系とddY系の検索を行ない、その結果を以下のとおり報告している。

一成績

1 多ケ谷・北原らの実験マウスの検索

多ケ谷・北原らの接種実験マウスのうち少数には、脊髄錐体路の髄鞘のluxol fast blue(L.F.B.)に対する染色性が弱いものが見られるが、これらの軸索を鍍銀法で検索した限りではとくに変性があるとは見えなかつた。すなわち、少なくとも軸索変性と髄鞘の変性とが共存する病巣は観察されなかつた。

なお、接種群の何れにも、ヒトのスモンに見られる脊髄後索知覚領域の変化は認められなかつた。

対照例の検索では、一九日例とそれ以前では脊髄錐体路髄鞘のL.F.B.に対する染色性は弱いことがわかつた。

2 C57BL/6系とddY系との脊髄発育段階の比較

C57BL/6は髄鞘のL.F.B.に対する染色性が全般的に一〇日頃まで弱く、とくに錐体路の部分が弱い。三〇日になると脊髄々鞘の染色性が錐体路でむしろ強くなつている。これに比べ軸索は一〇日頃より染色性が良くなる。

これに対し、ddYの脊髄々鞘の染色性は五日までやや弱く、とくに錐体路は殆んど染まつていない。一〇日になると髄鞘の染色性が出てくるが、錐体路はやや染色性が弱い。軸索はC57BL/6と同じく一〇日以後染色性が良くなる。

二結論

右の実験結果を合わせ考慮すると、脊髄錐体路の髄鞘の弱染性と病原因子接種との間に直接の因果関係があることを肯定できる結果を得るに至らなかつた。

第六永田らによる追試所見

<証拠>によると、次の事実が認められる。

一スモン患者材料からのウイルス因子分離の試み

永田らは、スモン患者材料から各種培養細胞によるCP因子の検索を行ない、その結果を次のように報告している。

患者糞便、脊髄液および剖検例二例について、ヒト胎児細胞、その他の培養細胞を用いてCP因子の分離を試みてきたが、継代可能な因子は検出されなかつた。

二スモン患者脊髄液等の新生マウス接種実験

永田らは、C57BL/6新生マウスに井上agent(渡辺株)、スモン患者脊髄液(K株、Y株、A株)を接種して、体重の変動、神経症状の発現、死亡の有無および病理組織学的検索を行ない、脳内接種例の結果を以下のとおり報告している。

1 臨床所見

渡辺株接種マウスで九例中一例、K株接種マウスで九例中二例に明らかな後肢の異常が認められた。すなわち、強制的に歩行を継続させた場合、片側後肢に、伸展したまま屈曲し得ない状態を生じた。しかし、これは一過性で、休めば間もなく回復した。

K株接種例では、成長したマウスの九例中六例まで何らかの異常を認めた。

2 病理所見

K株接種例三匹、渡辺株接種例二匹(いずれの接種例にも後肢の異常を示した一匹を含む)、対照一匹を井上らの方法で固定し、脳・脊髄の病理学的検索を行なつたが、接種例のいずれにも、対照に比して明らかに有意な病変は認められなかつた。

第七豊倉による感染説への批判

<証拠>によると、豊倉は、その論文「スモンからキノホルムへ」において、次のように述べて、感染説を批判している。

一もし本症の病理像が、何らかの感染による神経系の原発性炎症変化を表現しているものであるとすれば、古典的な病理学の常識は一変せざるを得まいと考えていた。昭和三九年五月の第六一回内科学会総会において、本症につき初めてSMONの病名を提唱した当時、すでに、急性発病、発熱もなく、神経系の炎症性変化を殆んど欠く、いわゆるSlow virus infectionの概念や実例が問題にされつつあつた折でもあるので、われわれ自身も当時多少の不安を混えていたことは否定できない。しかし、当時、少なくとも――炎(――itis)という名称を避けてSubacute Myelo-Optico-Neuropa-thyという表現をとつた理由は、(1)この病変の成立ちは亜急性である。(2)少なくとも神経組織自体に見られる変化には、炎症性もしくは感染性のものであるという確実な証拠はない、(3)病変の主座は末梢神経、脊髄の後索・側索、視神経にあり、いずれも対称性で、かつ、末梢ほど変化が強い、一種の偽系統的変性(pse-udosystemic degeneration)である、第二章第二節三末尾掲記の表は、諸病因に基づく神経系病変の特徴をごく常織的に模式化したものであるが、この古典的な常識に従えば、スモンの病因は同表中の代謝障害、中毒、欠乏状態の原因グループに最もよく適合するものと判断された。ここで、代謝障害、中毒、欠乏状態はそれぞれ病因となるagentは異なるが、広い意味では何らかの“代謝障害”として一括できる性質のものであり、かつ、神経病理学的特徴にある程度の共通点を有するという意味から、一つの病因グループとして理解したのである。その後、スモンの神経病理学に関しては重要な知見が追加されたが、中でも、視神経の病変が乳頭黄斑線維に一致する変性であること、網膜神経細胞、オリーブ核、後根神経節、アンモン角神経細胞、交感神経節を含む末梢自律神経系などの変性は、特記されなければならない。

右に述べたように、神経病理学が病因の方向づけと、感染説に対する最大の疑問符、最後の防波堤として果した役割は評価されるであろうし、また、スモンの神経症状を最もよく説明し得る特徴的な局在を確かめることによつて、疾患単位の確立へ導いた功績は重大である。

二他方、また、その症状において、まつたく無熱に経過し、一般に白血球増多や髄液細胞増多、蛋白尿を伴わないこと、小児に稀であること、経過中に再燃がしばしば見られること、少なくとも一九五五年(昭和三〇年)以前には知られていない新しい疾患であることなど、感染説では説明の困難な幾つかの臨床的特徴があり、これは、前記の神経病理像とともに非感染説を支えるものである。

第八協議会の昭和四六年度総会(昭四七・三・一三)における白木の報告

<証拠>によると、次の事実が認められる。

白木は、標記協議会において、井上らのウイルス説に対して以下のとおり述べている。

“井上agent”による脊髄病変につき協議会病理部会員が検討した結果では、その所見の主要なものは錐体路に連続性に見られるものであつて、そこは髄鞘の染まりが悪く、軸索は比較的よく残つているが、少なくともヒトや犬に見られた前記第二章、第五章掲記のような著明な病変を見出すことは困難であること、また、この領域には、清掃・器質の両機転に積極的に関与するグリア・間葉系の細胞反応はまつたく生じていないことなどから、右所見を病変と解釈するのは行き過ぎであるとの意見があり、神経病理学の立場から見るかぎり、キノホルムとスモンとの密接な因果関係に匹敵しうるほどの成果は得られていないと結論できる。

第九スモン班の井上ウイルス検討会(昭和四七・七・二〇)における結論と微生物学的研究の凍結

<証拠>によると、次の事実が認められる。

一ウイルス説について、スモン班としては昭和四七年七月二〇日、井上ウイルスに関する検討会を開いた。当日の出席者は、多ケ谷、北原、江頭、内田、甲野(以上、予研)、永田(名大)、桜田(北海道衛研)、石井(北大)で、奥野(阪大微研)からは手紙で報告があつた。

二この検討会において、主としてC57BL/6系哺乳マウスに対する病原性を中心に追試成績を論議した結果、追試成績に一定の結果が得られず、その脊髄の病変に関する限りは、神経病理学者の意見によればウイルスを接種しない同日齢の幼若マウスにも同様の所見が見られ、むしろ髄鞘の発育過程の範囲内のものとみなされ、したがつてヒトのスモンおよびキノホルム投与実験動物におけるスモン様の脊髄病変とは性格を異にすると結論された。そこで、特別の新しい所見が得られるまでは、腸内細菌の研究以外の微生物学的研究を凍結することとし(この措置は微生物部会の全部の意向で決定され、同年九月二四日の班会議で報告された)、今日に至つている。

三右にいう神経病理学者とは、江頭ら当日の出席者のみでなく、白木、松山その他多数の神経病理学者を含む趣旨であり、また、腸内細菌の研究以外の微生物学的研究を「凍結する」とは、井上ウイルスを肯定するような発表を認めないということではなく、研究班としては、以後、キノホルムとかリハビリテーションというような主要テーマとしては取り扱わない(それまでは取り扱つていた)ということを意味するものであつた。

第一〇吉野らによる追試所見

<証拠>によると、次の事実が認められる。

吉野らは、昭和五〇年一〇月七〜九日に行なわれた第二三回日本ウイルス学会総会において、井上ウイルスの細胞変性効果と鶏卵漿尿膜反応の欠如について、左のとおり報告した。

井上ウイルスのBAT―6細胞上のCPEを西村の方法で再現しようと試みた。渡辺株凍結乾燥復元液の階段希釈をレイトン管培養BAT―6細胞にうえ、blind codeを付して一五日間三七度Cに置いて毎日観察し、四日目に西村に見て貰い記録したが、その結果従来CPEといわれていたのは、単なる自然変性に過ぎないことが明らかになつた。同時に各希釈を一二日卵漿尿膜にも植えたが、肉眼的にも組織学的にもまつたく何の変化も現われなかつた。渡辺株、佐藤株の二株を用いて、西村の方法で鶏卵継代をしても、五〜八代に至るも何の変化も出なかつた。

第三節井上ウイルスの病原性に関する判断

以上、第一、二節の認定事実をもとに、井上ウイルスがスモンの原因といいうるか否かについて、検討する。

一井上ウイルスの存否について

前記第一節に掲記のとおり、スモン患者材料からのウイルス分離試験、螢光抗体法による検出、電子顕微鏡による検索の結果ウイルスの存在を確認した旨の報告、さらにin vitroおよびin vivoの動物実験においてスモン類似の病変の作成とその継代化に成功した旨の報告例が見られるのであるが、他面、第二節に掲記する如く、同一の方法による追試の結果、右ウイルスの存在について、また、スモン類似の病変の作成・継代化について、いずれも否定的な報告例が多数存在する(ちなみに、前記第二節第一、一掲記のとおり、BAT―6細胞を用いて否定的な結果の得られた甲野らによる実験は、椿によるキノホルム説提唱以前の昭和四五年五月までに行なわれたものである)ばかりでなく、第一節掲記の肯定例中にも、井上と同じく京大ウイルス研究所に属する東のそれの如く、後日における電子顕微鏡的検索の結果、対照(コントロール)の未感染細胞にも類似の所見があつたことから、その後の班会議(昭四七・二)において同節第六掲記の見解をみずから否定する発言をした例があること、また第二節掲記以外にも、スイスのサンガレン・ウイルス研究所において、クレツヒらが免疫電顕法という手法を用いて井上ウイルスの追試を行なつたが、ウイルスの検出ができなかつたことなどからすれば、むしろ、井上ウイルスの存在自体に問題があるということができよう。

ところで、井上ウイルスの追試に関する所見の対立について、井上らの見解を支持する研究者の一人は、「学問の世界においては、『多数が正しいのではなくて、真理が正しいのだ』というイプセンの言葉を想い出してみる必要がある」としている。何が学問上の真実であるかがいわゆる多数決によつて決せられるものでないことはいうまでもないが、患者材料からのウイルスの分離、その接種による細胞変性効果、実験動物における継代接種などの如き、純粋に自然科学上の事実の存否については、一回生起的な歴史上の事実と異なり、一定の手法によれば一定の結果が得られるという、その意味での一般的な追試可能性によつてのみ「真実」たることの証明が得られるのであつて、井上ウイルスについては、未だその証明がないものというに帰着する(この点につき、被告田辺は、追試における肯定例が少ないのは、スモン班による前記「凍結」措置によると主張するものの如く、この措置を目して「暴挙」と呼び((昭和五一年一二月一〇日付準備書面、はしがき、四))、また、「全く不可解な……いたずらに真理の発見に目を掩つている」もので、「井上ウイルスについての研究は、この『凍結』の措置のため、タブー視され、その発展を妨害された」とし、この「凍結」措置について、甲野と井上との間の「感情的な対立」にまで言及している((同準備書面二四六―七頁))。しかし、右の凍結措置の趣旨および経緯は第二節に前述したとおりであつて、右に見る如き被告田辺の言辞は、ひとり甲野個人に対する中傷たるにとどまらず、わが国における多数ウイルス学者の研究姿勢に対する侮蔑以外のものではありえないであろう。)

二ウイルス説とスモン患者の発生状況との関係について

また、井上ウイルスの存在をその主張のとおり仮定するとしても、前記井上らの報告(第一節、第一、一参照)どおりにウイルスが高率に分離されるとすれば、井上ウイルスは相当の感染率をもつて広範囲に他人に伝播して行く筈である。学問に国境なしといわれる如く、ウイルスにもまた国境はない。スモンがわが国において多発した(あるいは井上ウイルスがわが国において猖獗をきわめた)昭和三〇年代の後半から四五年にかけて(すなわち、一九六〇年代の一〇年間を通して)、わが国と交通・往来の頻繁な諸外国において、井上ウイルスによるスモンの多発を見なかつたのは何故であろうか。由来「外国スモン」の問題は、キノホルム説による説明困難な最大の問題点として指摘されているが、かかる批判は、キノホルム説に対するよりもウイルス説に対して、遙かによく妥当する。

とくに、昭和四五年九月の行政措置以降わが国におけるスモン患者の発生が劇的ともいうべき形で急激に減少し、ついに終熄を見るに至つた事実は、感染説によつては、論理的に説明され得ない。この点につき、甲野は、「われわれは、井上ウイルスに対する予防接種その他の宿主対策も、井上ウイルスを社会から一掃するような環境対策も講じたことがないから、もし井上ウイルスが存在するとすれば、感染の連鎖は存続し、とくにキノホルム説が確実となつてから患者の隔離等はまつたく行なわれておらず、感染のチヤンスはむしろ増大しているはずであり、スモン患者の発生は依然としてつづいていなければならず、かつて感染説を疑わせた最大の疫学現象である集団発生は、以前にもまして起こつていなければならない。キノホルム発売停止措置以後のスモン患者激減と、集団発生の消滅は、井上ウイルス説の立場からはまつたく説明できない点である」としているが、まさにその指摘のとおりであるといわなければならない。

被告田辺は、スモン患者の集団的発生およびその減少につき、「これらの疫学的な現象は、ウイルス説によれば合理的な説明が十分に可能である。すなわち、ある時期、ある地域においてウイルス感染が生じ、その間、ある者は発病し、その数が目立つため多発とみられるが、一方、不顕性感染によつて天然の免疫現象が住民に生じ、住民が免疫をうることによつてウイルス性疾患の激減がみられるわけである。そして、ウイルスが絶滅していないかぎり、その種の免疫を得ていない者のうちからそれにより発病することのあることも事理上当然のことなのである」と主張している(前記準備書面二五八頁)。しかし、かかる主張は、少なくとも、昭和四五年九月の行政措置後のスモン発生の激減に関するかぎり、キノホルム説とのバランスにおいて、疫学的現象の「合理的な説明」として意味をなさないものといわなければならない。

三ウイルス説とスモンの病理像との関係について

さらに病理面について見るのに、そもそも、ヒトにおけるスモンの神経病理学的特徴は、前記第二章において認定のとおり、従来の病理学の常識によれば、代謝障害、中毒、欠乏状態のカテゴリーに分類さるべきものであること、そして前記松山らによるスモンの腓腹神経の電顕的検索の結果見られた(同第四節参照)ニユーロンの末梢部からpericarya(細胞体核周辺部)に向かつて病変が進行するdying-back neuropathyは、薬物中毒やビタミン欠乏症の際に見られる病変の型であること、また、いわゆる“井上ウイルスによる感染”が病理学上偽系統変性疾患で、かつ、炎症反応に乏しいと考えられているslow virus infectionであると仮定しても、甲野が前記において指摘するように(本章、第二節、第一、五参照)このinfectionによる病変の分布は、スモンのそれに比して遙かにランダムであること、のみならず、井上らがスモン類似の病変として報告しているマウスの脊髄における病理所見自体、前記認定(本章第二節第八参照)のとおり、白木その他多数の病理学者から、少なくともヒトや犬に見られた前述(第二、第五章参照)の著明な病変を見出すことは困難であるとの評価を受けているものであることなどからすれば、井上らの提唱にかかるウイルス説はスモンの病理に著しく矛盾するものというほかなく、スモンの病因に関する研究の全過程を通じて、感染説に対し(島田の属する岡山大学医学部を含めて)神経病理学者からの強い批判があつたことが改めて想起されるのである。

四肯定例に見られる実験動物の種類の制限について

ところで、ウイルス説を支持する肯定の報告例を見るのに、丸ごとの実験動物に対する井上ウイルスの接種により、病変の発現と継代化が見られたと報告されているのは、C57BL/6系の新生児マウスおよび免疫抑制措置を施したddN系の成熟マウスに限られ、その他のマウスや、犬、猫、兎を含む他の動物種についての肯定の報告は一例もなく、前記認定(第二節、第一、三参照)のとおり、カニクイザルやチンパンジーへの接種後、長期間にわたる臨床・病理学的観察によつても、継代化はもとより、病変の発現自体が認められていない。井上ウイルスが、もしその主張の如くスモンの病因であり、井上らによる病理所見が正しくスモン様の病変であるとすれば、何故に、前記の特定条件下における特定マウスについてのみ病変の出現が可能であり、他の動物種については可能でないのか、この点の疑問が強く指摘されなけれはならない。

五結論

以上、一ないし四に記するところに加えて、前掲甲野、豊倉らによる、感染説によつては説明されえないスモンの疫学・臨床・病理面における指摘が首肯されうるものである以上、いわゆる井上ウイルスをもつてスモンの病因であるとする被告田辺の主張は、とうてい採用に値しないことが明らかであるといわなければならない。なお、本件において、井上らによるウイルス説の提唱後六年余、原告らによる提訴後五年余を経た昭和五一年一〇月、被告田辺が俄かにスモンの病因としてウイルス説を主張するに至るまで、被告国および関係製薬会社の中(膨大な研究陣を擁するチバガイギーをも含めて)、その一者としてスモンの病因論としてのウイルス説を採る者のなかつた事実が、ここに附言されてよいであろう。

第八章スモンのキノホルム起因性――一般的因果関係についての結論――

第一本編における認定・説示の総括

以上、本編において認定・説示したところ、とりわけ、疫学面での調査・検討の結果認められたスモンとキノホルムとの間の高度の関連性が、キ剤投与実験動物とヒトのスモンとの臨床・病理の両面における極めて高い類似性、さらには発症機序に関する実験によつて、より一層緊密の度を加えるに至つたことからすれば、本件において原告らの主張するキノホルムとスモンとの間の因果関係は、優にこれを認めるに足り、発症機序の解明がなお完全といい得ないことは、なんら右結論の妨げとなるものではない(最高裁昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)。被告田辺の主張するウイルス説の採用し得ないことについては、前述のとおりである。

第二因果関係についての約言

一スモンの病因

スモンの病因はキノホルムであり、これと並存する(わが国に特有の)他の何らかの未知の原因物質(agent)に基因するものではない。ウイルスを含めて他の病因は、本件全立証を通じて認められない。すなわち、キノホルムがスモンの唯一のagentとして認められるのであり、スモンがわが国において多発したのは一に長期・大量投与に因るのである(第四章、第三編第一、二章参照。)

二スモン多発の社会的要因

右のように、薬剤の長期大量投与という、いわば「社会的な要因」が、わが国におけるスモンの多発を招来したことは、わが国における医療制度の在り方に深い反省を迫るものといわなければならない(なお、本件原告中には、国および製薬会社のみならず、医師および医療機関をも被告として損害賠償請求訴訟((医療過誤訴訟))を併合提起する者があるが、当裁判所は、いま、これを分離し、国および製薬会社のみを被告とする、いわゆる薬害訴訟としての請求に限つて本判決を言い渡すことになるので、医師の責任の問題については、その行為((キ剤の投与))の介在が被告会社らによる本件キノホルム製剤の製造・販売と原告らに生じた損害との間の因果関係を中断するやの被告らの主張につき、必要の範囲においてのみ、次編において言及するにとどめることとする)。

被告会社らは、「神経毒性」を有するキノホルムの含有製剤を、副作用の警告をしないのみか、かえつて安全性を強調し、さらには「整腸剤」と銘打つて大量販売に努め(第三編第一章参照)、また被告国は、これら製薬会社の営業活動に対し、許認可官庁として認められる規制権限の行使を、それが当然に要請される時期においてなお怠つたもの(同第二章参照)であつて、その意味において、スモンは、まさに“社会的に作られた病”というべく、スモン訴訟は、その名称においても、さきの「サリドマイド事件」と同様「キノホルム事件」と呼ばれるにふさわしいものであるといつてよい。

第三編責任

第一章被告製薬会社らの責任

第一節序説

第一無過失責任の主張について

一無過失責任主義についての一般論

いわゆる無過失責任主義は、現代的な産業の発展に伴つて、発展・開発の途上にある技術や設備あるいは大規模で複雑な施設・設備等に関連する災害につき、伝統的な過失責任主義が必ずしも十分に機能し得なくなり、その結果、正義・衡平の観念に反する事例が次第に蓄積されるに及んで提唱されるに至つたものであり、その基礎に危険責任主義あるいは報償責任主義の観念があることも、改めて詳述を要しないところであろう。そして、無過失責任主義は、いまや単なる講学上の一学説たるにとどまらず、多数先進諸国を含む立法例に見られるところであり、わが国においても、昭和一四年法律第二三号による改正後の旧鉱業法(明治三八年法律第四五号)七四条ノ二をはじめとして、鉱業法(昭和二五年法律第二八九号)一〇九条、水洗炭業に関する法律(同三三年法律第一三四号)一六条、原子力損害の賠償に関する法律(同三六年法律第一四七号)三条、以下いずれも昭和四七年法律第八四号による改正後の大気汚染防止法(同四三年法律第九七号)二五条、水質汚濁防止法(同四五年法律第一三八号)一九条その他、実定法上の諸規定を見ることができる。

二本件における無過失責任の主張の当否

しかしながら、わが国における不法行為に関する一般法である民法は、その七〇九条において明確に過失責任主義を掲げるのであり(同法七一七条の規定を本件に援用することは、むしろ立法論に傾く嫌いがあろう)、無過失責任を規定した前記の各特別法所定の事業は、本件における医薬品の製造・販売の事業と、必ずしもその業態および性質を同じくせず、右特別法上の規定をもつて本件における解釈上の準拠となし難いのであつて、原告らの無過失責任の主張は、いずれも採用し難いものというほかはない。なお、原告らの主張のうち、いわゆる製造物責任の一環としての担保責任の法理については、当裁判所も深甚の関心を有するが、なお実定法の解釈論としては、過失主義の原則を否定し難いものと考える。

第二過失の前提となる注意義務の内容

過失責任主義に立脚する見地においても、過失の前提となる注意義務の内容につき、説の分かれるところであるが、当裁判所は、民法七〇九条所定の「過失」とは、その終局において、結果回避義務の違反をいうのであり、かつ、具体的状況のもとにおいて、適正な回避措置を期待し得る前提として、予見義務に裏づけられた予見可能性の存在を必要とするものと解するのである。

第三予見義務と結果回避義務

一予見義務について

ところで、医薬品を製造・販売するにあたつては、なによりもまず、当該医薬品のヒトの生命・身体に及ばす影響について認識・予見することが必要であるから、製薬会社に要求される予見義務の内容は、(1)当該医薬品が新薬である場合には、発売以前にその時点における最高の技術水準をもつてする試験管内実験、動物実験、臨床試験などを行なうことであり、また、(2)すでに販売が開始され、ヒトや動物での臨床使用に供されている場合には、類縁化合物をも含めて、医学・薬学その他関連諸科学の分野での文献と情報の収集を常時行ない、もしこれにより副作用の存在につき疑惑を生じたときは、さらに、その時点までに蓄積された臨床上の安全性に関する諸報告との比較衡量によつて得られる当該副作用の疑惑の程度に応じて、動物実験あるいは当該医薬品の症歴調査、追跡調査などを行なうことにより、できるだけ早期に当該医薬品の副作用の有無および程度を確認することである。なお、製薬会社は、右予見義務の一環として、副作用に関する一定の疑惑を抱かしめる文献に接したときは、他の(同種の医薬品を製造・販売する)製薬会社にあててこれを指摘したうえ、過去・将来を問わず、当該医薬品の副作用に関する情報を求め、より精度の高い副作用に関する認識・予見の把握に努めることが要請されるのである。

なお、右(1)(2)の場合を通じて、動物実験によつては、必ずしもヒトにおける重篤な副作用の予見が可能であるとは限らず、また可能であるとしても容易であるとは限らないのである(前記第四節参照)から、予見義務の内容として、製薬会社に第一次的に要求されるのは、国の内外を通じて、主としてヒトに関する臨床上の副作用情報の収集に努めることであるといわなければならない。

二結果回避義務について

ところで、予見義務の履行は、それ自体が副作用の危険の発生防止の意味を持ち得るものではなく、製薬会社をしてみずから結果回避義務の前提となる予見を可能ならしめることに、その意義があるのであるから、製薬会社は、予見義務の履行により当該医薬品に関する副作用の存在ないしはその存在を疑うに足りる相当な理由(以下、これを「強い疑惑」と呼ぶ)を把握したときは、可及的速やかに適切な結果回避措置を講じなければならない。

そして、この結果回避措置の内容としては、副作用の存在ないしその「強い疑惑」の公表、副作用を回避するための医師や一般使用者に対する指示・警告、当該医薬品の一時的販売停止ないし全面的回収などが考えられるのであるが、これらのうち、そのいずれの措置をとるべきかは、前記予見義務の履行により把握された当該副作用の重篤度、その発生頻度、治癒の可能性(これを逆にいえば、いわゆる不可逆性の有無)に加えて、当該医薬品の治療上の価値、すなわち、それが有効性の顕著で、代替性もなく、しかも、生命・身体の救護に不可欠のものであるかどうか、などを総合的に検討して決せられなければならない。

三長い臨床上の使用経験を持つ薬剤の従たる成分の配伍を変えて新薬を製造する場合の注意義務

本件キノホルム製剤の如く、その主薬(キノホルム製剤においてはキノホルム)が長年にわたつてヒトの内用に供されてきた医薬品につき、単に添加剤など従たる成分の配伍を変えたのみで、これを新薬として製造・販売する場合において、製薬会社に要請される注意義務の内容は、前記販売開始後の医薬品について述べたところが本質的に異ならない形で妥当するものと解される。ただ、この場合における若干の相違点は、(1)予見義務については、剤型や、添加剤その他の従たる成分の変更により、吸収率の増加ないし相乗効果などの抽象的危険性が増加することが考えられるため、実験とか他の製薬会社に対する副作用報告の照会などの研究・調査義務が加重されるほか、前記指示・警告義務の一環としての適応症の限定についても、意識的な検討がなされるべきこと、また、(2)結果回避義務については、前記の回避措置のうち、一時的販売停止、全面的回収等の措置が、製造・販売を開始しない旨の不作為に変容することなどである。

第四キノホルムおよび類縁化合物の副作用等についての文献・報告

キノホルムと類縁化合物の副作用およびキノホルムの生体内吸収・代謝に関する文献・報告ならびに右薬剤に対する各国の規制状況につき、当事者双方より提出された証拠に基づいて検討すると、本編末尾添付の「副作用文献等綴」記載のとおりである。

右副作用文献等綴については、その目次(D一頁)に明らかな如く、「キノホルムおよび類縁化合物の副作用に関する文献と報告」を、(1)ハロゲン化8ハイドロキシキノリン(キノホルムを含む)関係と、(2)それ以外の8ハイドロキシキノリン・その誘導体およびアミノキノリン関係とに、二大別し、前者については、とくに(一)ヒトに対するものと、(二)動物に対するものとを区分して分類した(後者についてもその別を明らかにしている)点に留意されたい(なお、同綴所収の「各国の規制状況」がわが国におけるキ剤販売中止の行政措置前のものに限られることは、その記載に示すとおりである)。

第五薬害事件において要求される予見可能性の程度について

一予見の対象についての原被告の主張

予見と対象につき、原告らは、「結果回避義務を課すために必要な予見可能性は、人の生命・健康に対する具体的な危険性ではなく、『人の生命・健康に対する危険が絶無であるとして無視するわけにはいかないという程度の危惧感』で十分だといわなければならない」(第一グループ準備書面((第二三))九二頁)、「結果に対する予見の程度は、決して確実である必要はなく、単なる危惧感ないしは『懸念をもたせるような疑問点』の存在だけで足りる」(第二グループ準備書面((総括))三一頁)、「予見の対象として、『本件キノホルム剤によつて、人体にとつて無視しえない危害が生ずるかもしれないという危惧感があること』で基本的には十分である」(第三グループ最終準備書面、責任論―第二分冊一一頁)とするのに対し、被告会社は、「予見の対象は、何らかの副作用や単なる危惧感ではなく、スモンあるいはスモンに連なる重大な神経障害である(被告田辺、昭和五一年一二月一〇日付準備書面三三四頁)、「どのような事を予見しなければならなかつたかという事は、結局『何らかの危険』という程度では足りず、矢張り具体的な危険に対する予見可能性に要求されると考えざるを得ない。従つて、本件について予見を要求されるのは、『スモン』そのものか、或は仮にそうでないとしても『スモン』特有な末梢神経症状でなければならない」(被告チバ、昭和五〇年一月一七日付準備書面二二頁)、「医薬品については、繰り返し述べるように、その本来的異物性から、潜在的には危険を内包するわけであるから、原告らのいうような『人の生命・健康に対する危険が絶無であるとして無視するわけにはいかないという程度の危惧感』というものは、いかなる場合にも払い切れないものではなかろうか。従つて、医薬品の場合に、予見可能性をこの程度でよいとしたのでは、医薬品の副作用が問題とされる、あらゆる場合に、予見可能性があつたということになり、それでは結果責任を認めるのと同じ結果になるのみならず、そもそも製薬業自体なりたたない」(被告武田、昭和五〇年一月二〇日付準備書面一一四頁)としている。

二当裁判所の判断――予見の対象についての一般論――

1 原告らの主張するところは、それぞれの引用する裁判例の事案に即して、必ずしも理解し得ないものではない。しかし、キノホルムないし本件キノホルム製剤を含む合成化学医薬品は、本来、人体にとつて異物であり、何らかの副作用発現の危険の可能性を本質的に内包するものとされる――薬の本質についての「両刃の剣」論は、本件当事者双方に共通するものといつてよい――のであつて、およそ合成化学医薬品については、その副作用の発現による障害の種類・程度いかんを問わず、常に予見可能性が肯定されるというのは、結論として当を得たものとはいい難い。予見可能性の有無は、それぞれ個々の事案に即して判断さるべきものであり、単なる「危惧感」といい、また、「懸念をもたせるような疑問点」という如きは、多種多様な個々の具体的事例における予見可能性に関する判断基準として、十分に機能し得る概念であるとはとうてい考え難いのである。

2 しかしながら、また、副作用の発現による具体的な「障害そのもの」が予見の対象であるとする見地は著しく妥当を欠く。近年における合成化学薬品の開発の歴史を顧みるまでもなく、その展開は日進月歩であり、もし新たに開発された医薬品に起因する新たな障害そのものが予見の対象であるとすれば、かかる場合、予見可能性の立証は、困難というよりはむしろ不可能というにちかく、かかる結果が、正義・衡平の観念に反することは言わずして明らかであろう。

そして、事は必ずしも、新薬による新たな障害の事例に限らないのである。すなわち、医薬品の副作用による障害の発現については、本来的に未知の要素が介在することを免れず、しかも、一方、医薬品の製造業者には前述のように副作用の発現についての予見義務があり、その遵守に必要な専門家を含む人的・物的設備を有する(少なくとも、それが医薬品製造業者に対する当然の社会的要請である)のに対し、医薬品の服用者には、副作用の有無についての究明手段がまつたく存在しないのであつて、かかる両者の関係を対比すれば、障害の結果そのものを予見の対象とするのは、被害者に殆んど不可能を強いるものであつて、かかる見解はとうてい採用し難いものといわなければならない。

3 結局、予見可能性の有無は、それぞれの事案に即して判断さるべきものとするほかはないのであるが、ヒトの身体・生命に対する単なる危惧感では足りず、反面、衡平の見地から、その内容をある程度抽象化し、予見の幅を緩やかに解するのが相当である、というに帰着しよう。

以下、本件に即して、予見可能性の有無を仔細に検討することとする。

第二節結果回避義務を負わせるに必要な予見可能性の範囲および程度を画する際の判断基準

一般に薬害事件につき要求される予見可能の程度を前述の如く解すべきものとしても、副作用文献等綴に現われる副作用については、病状の種類も身体各所にわたり、動物での発現、類縁化合物による発生など多種・多様であるので、標記予見可能性の範囲・程度を画するにあたり考慮すべき点について、さらに本件に即して具体的な検討を加えることとする。

第一症状の範囲

この点につき、もし、単に生命・身体に対する侵害の危険性が予見可能であれば足りるとするならば、合成化学医薬品の殆んどすべてにこの程度の危険性があるともいい得るのであつて、その実、文字どおりの無過失責任を課する結果を招来することとなろう。

そこで、より具体的な枠組みとして、当裁判所は、第二編(因果関係の部)において認定のとおりスモンが臨床・病理の両面において神経障害を主徴とすることに鑑み、少なくとも「神経障害」の範囲に症状の種類が限定されるべきものと解するが、ただ右障害が中枢神経系に対するものであると末梢神経系に対するものであるとを問わず、右神経障害の枠内での、認識し得た副作用と具体的なスモンの症状との間の齟齬は、予見可能性の存否の判断に影響を与えないものと解される。なお、「神経症状」の枠外の症例報告あるいは薬剤の危険性に関する抽象的な警告であつても、臨床・病理上の経験に裏づけられた信頼すべきものは、神経障害作用発現の危険度を支える一資料たり得ること勿論である。

第二類縁化合物の副作用からするキノホルムの副作用の予測可能性

一ハロゲン化8ハイドロキシキノリン類

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1 キノホルム(5クロロ7ヨード8ハイドロキシキノリン)は、本章末尾添付の図面一(キノリンとキノリン誘導体)表示⑧の構造式から明らかなとおり、キノリン核の八位に水酸基が置換基として導入された8ハイドロキシキノリンの、さらに五位と七位に置換基としてそれぞれ類似の性質を有するハロゲン原子の塩素とヨウ素を持つ構造を有する。

2 ジヨードキン(5・7ジヨード8ハイドロキシキノリン)は、右図面表示⑦の構造式から明らかなとおり、キノリン核の五位の塩素の代わりにヨウ素原子を持つ点のみがキノホルムと異なる、8ハイドロキシキノリン誘導体である。

3 ブロキシキノリン(5・7ジブロム8ハイドロキシキノリン)は、右図面表示⑨の構造式から明らかなとおり、キノリン核の五位の塩素と七位のヨウ素の代わりに、それぞれハロゲン原子である臭素原子を持つ点がキノホルムと異なる8ハイドロキシキノリン誘導体である。

4 キニオフオン(7ヨード8ハイドロキシキノリン5スルホン酸)は、右図面表示⑥の構造式から明らかなとおり、キノリン核の五位の塩素の代わりにスルホン酸基を持つ点のみがキノホルムと異なる8ハイドロキシキノリン誘導体である。

5 ステロサン(2メチル5・7ジクロル8ハイドロキシキノリン)は、右図面表示⑲の構造式から明らかなとおり、キノリン核の七位のヨウ素の代わりに同じくハロゲン原子である塩素を持ち、さらにその二位にメチル基を持つ点がキノホルムと異なるハロゲン化8ハイドロキシキノリン誘導体である。

6 以上のとおり、これらのキノリン誘導体は互いに類似しているが、とりわけ、キノホルム、ジヨードキンおよびブロキシキノリンは、いずれも8ハイドロキシキノリンのキノリン核の五位と七位にそれぞれ置換基としてハロゲン原子を有し、その余の位置に置換基の導入がない点において、構造上互いに酷似の関係にあること、また、熊岡によれば、キニオフオン、ジヨードキン、キノホルムはともに抗アメーバ作用、抗菌活性を有し、作用の面でも共通性の見られることが明らかであることからすれば、右2ないし4の薬剤(ジヨードキン、ブロキシキノリン、キニオフオン)の投与による副作用の疑いは、キノホルムの投与により同様の副作用が生ずることを強く推定せしめるし、また、5の薬剤(ステロサン)の投与による副作用の疑いも右に準じた推定力を有するものというべきである。

二その他の8ハイドロキシキノリンおよびアミノキノリン類

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1 副作用文献等綴一2に記載の薬品の化学構造

(一) 8ハイドロキシキノリンは、前記図面表示④の構造式のとおり、キノリン核の八位に水酸基が置換基として導入された構造を有する。

(二) 5ニトロ8ハイドロキシキノリンは、右図面表示⑤の構造式のとおり、キノリン核の五位にニトロ基を有する8ハイドロキシキノリン誘導体で、キノホルムとは8ハイドロキシキノリン核を持つ点で共通性がある。

(三) クロロキンは、右図面表示⑪の構造式を有する4アミノキノリン系誘導体の一つであり、またプラズモシド、プリマキン、パマキン、プラズモキン・スルフアは、それぞれ右図面表示⑬、⑭、⑮、⑯の構造式を有する8アミノキノリン誘導体であつて、いずれもキノリン核を有する点でキノホルムと共通性を持つ。

2 右各薬品の副作用からするキノホルムの副作用の予測可能性

前記のような、8ハイドロキシキノリン核あるいはキノリン核を持つ点でキノホルムと共通性を有する薬品の副作用文献等からキノホルムの副作用を類推することが可能かどうか、以下、検討することとする。

(一) <証拠>によると、化学薬品の薬理作用を論ずるにあたり、類似構造を有する物質は類似作用を有する旨の基本原則の存することが認められるのであつて、現に、ベルグレンは、視神経萎縮がキノホルムによるとの疑いを持つ根拠の一つとして、アミノキノリン使用の際に既知の網膜合併症があることを挙げ(副作用文献等綴一、1、(一)参照)、また、ランセツト誌は、キノホルムに関する同様の副作用報告について、不可逆性網膜症がクロロキンや他の4アミノキノリン類の長期継続投与によることが周知の事実であることからすれば驚くにあたらない、と論評し(同参照)、ケーザーも、ハロゲン化オキシキノリン誘導体が潜在性の神経毒性を有するとする根拠の一つとして、やはり類似構造のクロロキンによる網膜障害などを挙げている(同参照)。なお、本件キ剤販売中止の行政措置に関連して発せられた昭和四五年一〇月九日付薬務局長通知の別紙中においても、キ剤の神経毒性についての叙述に続いて、「キノホルムそのものではないが近縁化合物の5―nitro―8―hydroxyq-uinolineについて」として、ロエシユの、5ニトロ8ハイドロキシキノリンのラツトへの投与による四肢の運動・知覚障害を認めた例(副作用文献等綴一、2、⑪参照)が指摘されている。

そのうえ、薬剤の効果に関してではあるが、高木敬次郎らの紹介にかかるマジドソン説は、マラリア作用につきエールリツヒの考えを踏襲し、キノリン核を毒作用基と考えて、側鎖は結合基と仮定する説を唱え、グツドマン・ギルマンの薬理書「下」では、アメーバ症に対するクロロキンの効果は、キニオフオン、キノホルム、ジヨードキンなどハロゲン化オキシキノリン抗アメーバ薬の活性の共通因子がキノリン核自体であつて核内ヨード含量ではないことを示唆していると記載されており、また、8ハイドロキシキノリンからの類推可能性に限つての論拠としては、キノホルムは8ハイドロキシキノリンの防腐作用を増強する目的で、そのフエノール環をハロゲン化した誘導体の一つとして合成された経緯を有するのである(後記第七、一、2参照)。

(二) 他方<証拠>によると、わずかな化学構造の変化が薬理作用に強い影響力を持つ場合もあることが認められ、また、副作用文献等綴一、2の③④⑦の著者らは、いずれも、8アミノキノリンの神経毒性がキノリン核自体よりも側鎖に依存するとの説を述べている(なお、前記ロエシユは、同⑪のとおり、5ニトロ8ハイドロキシキノリンによる動物での神経障害は、キノリン誘導体自体ではなく、その代謝で生成する還元産物に起因することを暗示するとし、また、前記ケーザーは、金沢地方裁判所における証言中で、同人が新旧文献を研究したところでは、クロロキンを含むアミノキノリン類が網膜などの器官に蓄積されるのに対しキノホルムなどのオキシキノリン類には右の蓄積が見られないことがわかつた、としている。

(三) 以上認定の諸事実を総合評価すると、これら近縁化合物の副作用のみからキノホルムの副作用を推認して製薬会社に対し何らかの結果回避措置を期待するのは困難であるけれども、右近縁化合物の副作用は、キノホルムなどハロゲン化8ハイドロキシキノリン誘導体の副作用の疑惑が一たび生じたときには、その疑惑を補強する有力な支えになるものと解するのが相当である。

第三動物における副作用からするヒトにおける副作用の予測可能性

一<証拠>によると、次の事実を認めることができる。

1 実験動物による研究結果からするヒトに対する薬剤の影響の予測につき、リツチフイールドが同一の薬剤を使用した際にネズミや犬に現われた副作用をヒトにおけるそれと比較したところ、本章末尾添付別表一のとおり、全体を通して、ヒトに起こるであろうと予想して的中したものが六八%、起らないと予想して的中したものが七九%であつた。右の両動物とヒトに見られた種類の異なる六種の薬剤の客観的に捉え得る副作用は、別表二のとおりで、ヒトにのみ起こる副作用も相当数見受けられた。

2 オーエンスは、一三種の抗癌剤につき、ネズミ、犬、猿で逆効果発現の予言性を検討したが、その結果は次のとおりであつた。検討項目は、骨髄、胃腸、肝、腎、神経系、皮膚であるが、このうち皮膚系統の疾患、皮膚炎とか脱毛は、ヒトでなくては発見できない症状であることが明らかにされている。これに対して、肝、腎、胃腸障害はやはり動物実験の結果が頼りになる。神経系統は、ものによつては犬や猿が同じ症候を示しているが、大部分はヒトでなくてはわからない。骨髄系統は比較的予言性があるが、ただ栓球減少症だけは動物に現われないことが同様に注意されている。また、動物の種類としては、猿は最もヒトに近いが、犬も比較的ヒトに近く、ネズミの結果はあまり信用し難い。

3 岩本は、薬品開発の際に動物実験の過程でぶつかる問題として、動物実験で得られた結果を直ちにヒトにあてはめることはできない、健常な動物で得られた結果を病気の動物およびヒトにあてはめることはできない、ヒトの病気をすべて動物に(人工的にも自然にも)起こすことはできない旨を指摘している。

二以上のように、同一の薬剤を投与した場合に、動物において発現する副作用からヒトにおけるそれを完全に予測し難いものである以上、薬剤の投与によりヒトに発現すべき副作用の予測については、動物に現われた副作用のデータは、ヒトに現われた副作用のデータに比較して、推定力が弱いものといわなければならない。

第四in vitroでの実験の評価

一<証拠>によると、次の事実を認めることができる。

1 薬理実験に使う標本には、(一)一つの器官や組織を生体から切り離して、器官槽内に移したり磨砕したりして行なう実験である「摘出標本―in vitro」、(二)組織・器官等を生体内のあるがままの位置に置き、ただ、周囲との関連をできるだけ切り離した系である「生体位標本―in situ」、(三)動物一匹を丸ごと使う実験である「丸ごと標本―in vivo」の三系があるが、(三)では生体の防御機能・調節機能などが作用するため、実験に薬物を投与したときの反応に最も近い成績を得ることができるのに対し、(一)では生体全体の反応を予測することは不可能であり、最も単純な系であるin vitroでの実験がin situまたはin vivoで再現されるとは限らない。

2 しかしながら、反面、野上らによると、in vitro実験では、薬理学的性質を知ることをはじめ、解析的研究に向くのに対し、in vivo実験では、薬物に対する反応が複雑になり、解析的な仕事には不向である。また、この点に関し、別府や小西によると、in vivo実験では、たとえば消化・吸収・排泄・解毒機構などの複雑な要素が入り込むので、生体中における薬物の毒性その他の作用を観察する際、非常に単純な形で分析して行くのが一つの望ましい方法であり、熊岡によると、丸ごとの動物を使つたときに見られない条件を組織培養で見ることができる点にin vitroの実験の特徴がある。

二以上によると、ある薬物に関するin vitroでの実験結果から、それが直ちに、動物におけるin vivoでの、また、ひいてはヒトにおける副作用の発現可能性を表わすものと即断することはできないにしても、in vitro実験の結果は、前記のような特質を踏まえたうえで、当該薬剤のヒトにおける副作用を疑わしめる一資料たり得るものと解される。

第五急性毒性試験あるいは急性中毒の臨床資料からする慢性中毒症状の予測可能性

一急性中毒と慢性中毒について

<証拠>によると、

池田らは、急性中毒と慢性中毒では当然その現われ方も異なるとしており、トーマンによると、致死的な急性中毒の場合には、中枢系の阻害により鎮静化、昏睡、運動失調が起こり、また中枢神経系統にも影響が出て振顫、筋攣縮、痙攣といつた症状の出ることが毒性学者の間で知られていること、この点に関し、ボイドがアスピリンやパラチオンをはじめとする薬剤、食品、殺虫剤その他の作用物の致死量を実験動物に投与したところ、急性毒性試験例の五〇%に痙攣か、三九%に運動失調が、三二%に反射異常亢進が発現したことが認められる。

二急性毒性試験について

他方、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1 野上らは、新薬開発のための第一次スクリーニング・テスト(スクリーニング・テストとは、“薬になる可能性がありそうな”化合物を大雑把に振るい分けて拾いだすテストをいう)による中枢興奮作用の一指標として、致死量に近い用量を与えたときに出現する痙攣を挙げ、振顫、攣縮、強直性痙攣(直立強直・後弓反張・前方反張・側方反張)、間代性痙攣(遊泳痙攣、跳躍痙攣)などが認められたとき、その薬物が中枢刺激作用を持つている旨の指摘をしている。

2 また、野上は、急性毒性試験の実施にあたり注意すべき事項として、薬物投与動物の死亡率に目を奪われることなく、死に至る経過を克明に観察することによつて、普通の薬用量では知り得ない事実を見出すべきことを指摘している。

3 熊岡は、急性毒性がわかると、普通にはほぼ類似した亜急性・慢性毒性が出ると考えて間違いはないとの見解を示している。

4 白木は、熊岡と同様の見解のもとに、チバによる前記一九三九年の急性毒性試験を評して、猫に見られる痙攣、振顫等が末期的な急性中毒症状を示す可能性を否定できない反面、そこに見られる強い振顫、よろめき歩行、著しい呼吸促進までが末期において一般的に発現するわけでないことから、かなり特異的な神経症状があるとの評価をしたうえ、右症状の発現を契機として、当然、亜急性、亜慢性あるいは慢性毒性試験を行なうべきであつたと指摘している。

5 岩本も、右実験における諸症状およびチバの一九五二年二月二七日の急性毒性試験中で動物に見られた全身の鈍麻をもつて、いずれも神経障害と考え、さらに長期間のキノホルム投与により症状の原因を確認すべきであつたとの指摘をしている。

6 さらに、池田は、急性毒性試験の実施にあたり、中毒症状を綿密に観察してその経過を見ることが、LD50値を求めること以上に必要な理由として、このような観察により被検物質の生体に対する作用部位を推定しうる場合のあることを指摘している。

三以上によれば、急性毒性試験の結果発現する症状が慢性毒性のそれに一致するとはいい得ないにしても、前者において神経症状の発現を見た場合には、後者においても類似の症状の発現する可能性があり、したがつて、当該薬剤の神経毒性を疑う有力な資料たり得るものというべきである。

第六投与方法の相違の評価

一<証拠>によると、次の事実を認めることができる。

1 奥井誠一らは、毒物の使用法について、血管に注射された場合は一般に毒作用は最強で、次いで皮下注射、経口投与の順に弱まるが、これは吸収速度に起因する旨指摘している。

2 野上らは、静脈内注射や腹腔内注射された薬物は静脈血に乗つてまず心臓に達し、次いで全身に送り出されて短時間に確実に奏効器に到達する経路をたどるのに対し、経口投与された薬物はまず消化器からの吸収という大きな障壁に遭遇し、ここを通過できた薬物は肝臓に送られて、薬物により差はあるけれども、かなりの部分が代謝されたのちに心臓を経て奏効器に送り届けられることになるので、静脈内注射の場合より奏効器へ到達する効率が悪いとの指摘をしている。

二以上のように、投与法の相違が薬物の副作用発現に与える影響は少なくないが、投与法の相違は、それ自体として、右の影響度を考慮に入れつつ、非経口投与による副作用の疑いから経口投与による副作用発現の可能性を予測することの妨げとなるものではない。

第七キノホルムの吸収可能性からする副作用の危険の予測可能性

一内容薬としてのキノホルムの性質

<証拠>に、副作用文献等綴一、1、(一)、および同(二)②記載の認定事実を総合すると、次の事実を認めることができる。

1 腸内殺菌・防腐剤として要求される性質

およそ、経口投与後に胃や小腸から吸収された薬物は、一般に、門脈を通り肝臓を経て全身を循環したのち、腎臓から尿中に排泄される経路をたどるもので、消化器から吸収されるからといつて当該薬剤が危険であるとは必ずしもいい得ないこと勿論であるが、高瀬豊吉によると、腸内殺菌・防腐剤として内用する場合には、当該薬剤が腸よりできるだけ吸収されにくいものがよく、クシンスキー・リユルマンの薬理学教程によると、ヒトに適用されるための理想的な消毒・防腐薬の一性質として、万一吸収された場合でも、その全身毒性がなるべく少ないか、できれば全くないことが挙げられている。

2 キノホルムの開発の歴史

ところで、キノホルムは、化学療法剤であると同時に消毒薬として分類されており、右薬剤の開発の歴史を見ると、同剤は、ハロゲン化されたフエノール(石炭酸)が単なるフエノールよりも強い抗バクテリア作用を有するという既知の原理を応用して、後年、中枢神経抑制作用が刊行物に記載されている8ハイドロキシキノリン(副作用文献等綴一、2、②参照)の防腐作用を増強する目的で、そのフエノール環をハロゲン化した誘導体の一つとして合成されたのである。

3 デーヴイツドらによるキノホルムの内用開始前の急性毒性試験

また、デーヴイツドらが内用化に先立ち、猫、ウサギ、モルモツトに対して経口投与した急性毒性試験の結果(副作用文献等綴一、1、(二)、②参照)によると、8ハイドロキシキノリンのハロゲン化につれて、また、そのハロゲンの原子量に比例して毒性が増大することが明らかとなつた。すなわち、8ハロイドロキシキノリンに比べて、キノホルムは非常に強い毒性を示したのである。

4 油・水分配係数の高さから予測されるキノホルムの神経組織への親和性

脳・脊髄などの中枢神経系には、髄液または脳の中に血液中の異物質が移行し難くするための機構である血液脳関門、血液髄液関門などが存し、末梢神経にも、これと本質的に異ならない機構(血液神経関門)が存すると考えられているところ、右開門ならびに生体膜を通過するためには、当該薬物が脂溶性を有し、油・水分配系数の高いこと(水に溶け難く、油に溶け易いこと)が大きな要素と考えられている。ところで、キノリン核にハロゲンを導入すると、水溶性が低下して脂溶性が高まるところから、キノホルムは、その構造式自体からして、油・水分配係数の高い物質で、神経組織への親和性を有するとの予測が可能である。

このように脂質に富み、神経組織への溶込みの容易な物質、すなわち、脂溶性の大きい物質ほど神経組織への作用が強いとする学説は、麻酔作用に関してではあるが、一八九九年マイヤーにより、一九〇一年オバートンによつて、つとに提唱されていたところである(以上1ないし4に指摘するような諸事実が存するにもかかわらず、キノホルムは、内用開始以来、おおよそ昭和三〇年代(一九五五―一九六四年)の前半に至るまで、わが国を含む世界の一般医家の間においては、多くは、腸管より吸収されないが故に内用薬としても安全と信じられていたのであつて、かかる誤りが何に由来するものであつたかが、改めて問われなければならないのである)。

二放射性標識キノホルム等を用いてするキノホルムの吸収度に関する測定による副作用の危険の予測可能性

以上、認定したところによれば、本件キノホルム製剤が相当量吸収されたときは、8ハイドロキシキノリンに見られる中枢神経抑制作用を含む生命身体に対する何らかの害作用の発現する可能性ありというべきところ、副作用文献等綴二に記載のとおり、キノホルム等8ハイドロキシキノリンの内用開始の時点から一九四〇年代までの間は、これら薬剤中のヨード量を測定することによつて間接的に、一九五〇年頃から一九五五年までの間は放射性標識キノホルム等あるいは分光測定法により一層高い精度でより直接的に、これら薬剤の相当量がヒトあるいは動物において吸収・排泄されることが明らかにされていたのであるから、遅くとも一九五六年初頭の時点においては、キノホルムの持つ右のような危険性は、製薬業界を含めて十分認識され得たものといわなければならない。

三キノホルムの神経組織への親和性を否定する見解について

1 血中におけるキノホルムのイオン化率および血清蛋白結合率

<証拠>によると、前記の諸関門や生体膜(一、4参照)を通過するには、(一)油・水分配係数が高いことのほか、(二)非イオン性物質であること、(三)アルブミン、グロブリンなどの血清蛋白と結合しないことなどを要するものと考えられているところ、(二)についてアルバートによると、キノホルムはイオン化率が83.4%であり、(三)についてリーヴエンダールの最近の実験では、キノホルムの血清蛋白結合率が99.5%であるところから、佐々木正は、右薬剤が神経に到達し難い物質と理解してよいとの見解を述べていることが認められる。

2 血中におけるイオン型と非イオン型、結合型と非結合型の動的平衡関係

他方、<証拠>を総合すると、(二)のイオン化率の点について、血液中でイオン化されていない16.6%のキノホルムは、前記関門や膜を通過して神経に到達する可能性があること、また、血液中のイオン型と非イオン型との間には必ず一定の量比が保たれるという動的平衡関係が存するために、非イオン型が膜を透過して細胞内に移行したのちには血液中のイオン型キノホルムが同じ割合で非イオン型に転化すること、さらに、(三)の血清蛋白との結合についても、前記(二)と同様結合型と非結合型とは動的平衡関係にあり、非結合型が膜透過し細胞への移行後順次結合が切れて遊離のものが再生される可能性を有するほか、津田恭介らによると、一般に、血漿中の濃度がある値に到達すると急激に非結合型が増加し、蛋白結合に飽和性の存在すること、加えて村田敏郎らによると、薬物の脂溶性が中枢への移行速度を決める推進力となる最有力要素であつて、血漿中の蛋白結合はどちらかといえば透過速度に対して影響を及ぼす大きな要素にはなつていないと思われるとの見解が存すること、が認められる。

3 右2で認定したところによれば、キノホルムの血中におけるイオン化率および血清蛋白結合率がともに高いことの故をもつて、キノホルムが神経に到達し難い物質であると即断することはできず、前記認定にかかるキノホルムが消化管から吸収されることによる危険性(一参照)は、とうてい否定され得べくもないのである。

第三節被告製薬会社らの本件キ剤製造開始時における結果回避義務に関する判断

前記第二節に掲げる判断基準に照らして副作用文献等級綴所収の文献および報告の評価を行ない、さらにキノホルムの治療上の価値を考慮したうえ、被告会社が本件キノホルム製剤の製造を開始した当初の昭和三一年(一九五六年)一月の時点で、製薬会社に対し結果回避措置を要求することができるか、できるとしてその具体的内容いかんにつき、以下、検討を加えることとする。

第一ハロゲン化8ハイドロキノキシリン類に関する副作用報告――ヒトおよび動物に関するもの――

一グラヴイツツ、バロスによる二症例の報告

1 昭和三一年一月までのヒトに対する「神経障害」の副作用報告

右時点までの、キノホルムを含むハロゲン化8ハイドロキシキノリン誘導体のヒトに対する神経障害の副作用に関するものとしては、グラヴイツツ、バロスによる一九三五年二、三月のラ・セマナ・メデイカに発表された二例(副作用文献等綴一、1、(一)、③④)が存するのみであるが、その症状は次のとおりである。

2 J・V夫人の症例

右の二例は、いずれもヴイオフオルムを一日1.5g三〇日間投与を受けた一五三例中の一部で、うち一例(J・V夫人)については、投与を開始してから数日後に死足感(足の無感覚の状態)が出現し、その後、投薬の中止・再開を反覆する中で、足の重い感じは変らず、両下肢の知覚・運動障害の増悪が起こり、さらに足を引きずり、歩くには壁で体を支えなければならず、数回の転倒を繰り返すなど症状は日毎に悪化したが、処方された全量の服用を終えたのちには、少しずつ両下肢の弛緩が消失し、著しく脛攣性の状態ながらも歩行ができるまでになつた。

バロス自身、同女を診察したところによつても、痛覚の減退および両下肢の腱反射亢進、両足と両膝の搦(クローヌス)、皮膚―腹壁反射の消失、バビンスキー強陽性ならびに少ししてから拘縮が認められた。

3 二症例についての要約

バロスは、右の症状を総合してJ・V夫人を脊髄炎と診断し、その病因として、ヴイオフオルム以外の、感染症あるいは過去の妊娠による可能性を否定し(バロスは、何らの感染的なフアクターも働いていないようであり、これに反して、毒性フアクターが確かに、はつきりと認められる、としている)、予後につき「治癒という点では悲観的である」として、不可逆的な障害であることを示喚している。

また、他の一症例(T・S)においても、J・V夫人の症例より軽度とはいえ、不全対麻痺と糖尿を伴う類似の知覚異常の発現を見ており、バロスは、右の二例をもつて、前記のような高用量(ヴイオフオルム一日1.5g三〇日間、計四五g)投与中に起こつた「重症の神経病変」であるとしている。

4 副作用報告としての評価

以上に鑑みれば、右二症例は一五三例中のものとして頻度も低くなく、少なくともうち一例は重篤かつ不可逆的な神経障害を呈し、しかもキノホルムの副作用による疑いの極めて濃厚な、信頼すべき報告と評すべきである。

二グラヴイツツ、バロスの報告例の持つ意味

1 右二症例は「孤立例」であるとの被告の主張

被告チバは、「キノホルムの場合は、一九三五年の右アルゼンチンにおける」二症例の「報告以後は、一九六四年のゴルツの報告まで、実に三〇年間、耐容性と有効性を確認する治験例の集積があつたのみで、みるべき副作用報告――特に神経毒性を疑わせるような報告――は何もなかつたのである」として、「右アルゼンチンの報告がいかに孤立した副作用報告であるから明らか」である旨を強調する。

2 副作用文献等綴・治験例綴における投薬例の検索

よつて検討するのに、グラヴイツツ、バロス報告ののち一九六四年のゴルツらによる歩行障害の報告(副作用文献等綴一、1、(一)、)に至るまで、キ剤によりヒトに生じた神経障害の報告例が見当たらないことは、そのとうりである。しかし、他方、副作用文献等綴や治験例綴(これに収載されている投薬例は、医学・薬学その他関連諸科学の研究者の努力により、世界的視野に立つて収集された資料の中から選び出されたものである)の記載、<証拠>および後記第五節の認定事実によれば、右各綴所収の投薬例を検するかぎり、次のような事実が認められるのである。すなわち、

(一) ゴルツらによる長期投与試験以前の外国における投薬例中では、グラヴイツツの一五三例が最高用量投与の部類に類しており、なお、グラヴイツツの例よりも長期大量投与のなされたバキルの一例においても、呼吸困難や抑鬱症などの副作用が見られる(副作用文献等綴一、1、(一)、⑦)。

(二) 他方、ゴルツ以前のわが国における投薬例を検するに、後記第六節第一において見るとおり、わが国における戦前のキノホルム投薬例一二六例の大部分が一日量1.0g、期間三〇日以内の比較的短期少量の投与にとどまり、戦後昭和三一年(一九五六年)一月までの一〇四例も総投与量において右の型を出ないのに対し、戦前の治験例中最も投薬量の多い大阪市立桃山病院(一日量1.0g以上の三〇例はすべて同院の分)の患者中、少なくとも一例にスモン様症状の発現していることが肯認されるのである。

3 「孤立例」であるとの主張に対する判断

要するに、前記副作用文献等綴・治験例綴所収の投薬例の検索により、ゴルツ以前においては、グラヴイツツ、バロスおよびバキル、また前記桃山病院の投薬例が長期大量投与の部類に属するのに対し、その余の投薬例は大部分、短期少量投与にとどまることが判明するのであつて、この事実に加えて、薬剤の大量投与がともすれば重篤な副作用を惹起するものであるという医学・薬学上の経験則をあわせ考察すれば、前記のゴルツの報告に至るまでの間、グラヴイツツ、バロスによる二症例以外の投薬例について神経障害の副作用の報告が見受けられないのは、これらの投薬例が比較的短期少量投与にとどまつていた故であろう、と考えられるのである。

したがつて、以上指摘の投薬量からする観点を捨象して、前記二症例をもつて単純に「孤立例」であるとし、そのことの故をもつて副作用報告例としてのグラヴイツツ、バロスのそれの価値を軽視することはとうてい容認し難いものといわなければならない。

4 「アルゼンチンにおける」報告であるとの主張について――被告チバの場合――

なお、被告チバは、グラヴイツツ、バロスの報告を指して、とくに「アルゼンチンにおける症例報告」、「アルゼンチンの報告」と称するので、この点につき若干の付言に及ぶことを相当としよう。

グラヴイツツ、バロスの報告がアルゼンチンにおける症例であることは、そのとおりであり、この二報告を登載したラ・セマナ・メデイカ誌は、アルゼンチン国内発行のスペイン語文献の一つである。しかし、グラヴイツツがJ・V夫人に投与したのはVioformo cib(ヴイオフオルム・チバ)であり、バロスによればJ・V夫人の「症例は、私から直接製薬会社に伝えたが、彼らはこの情報に感謝し、能書に指示されている用量を超えないように医師に勧告すべきであろう、と答えた」というのであるから、アルゼンチンのチバ社、したがつてまたバーゼルのチバ本社にとつて、情報の入手困難という問題はおよそ存在しないのである(なお、グラヴイツツ、バロスの報告が登載刊行された前年の昭和九年(一九三四年)のチバ時報六二号に、当のグラヴイツツによる文章が「アメーバ赤痢に対する『ヴイオフオルム』の応用」なる題名の下に、日本語で登載されている事実が注目されてよいであろう)。

5 前記主張について――他の製薬会社について見た場合――

また、被告チバ以外の製薬会社の関係においても、スペイン語は有力な国際語の一つに数えられるものであるうえに、グラヴイツツ(一九三五年二月一四日の七号)、バロス(同年三月二一日の一二号)の報告を登載したラ・セマナ・メデカ誌四二巻は、翌々年の昭和一二年六月一五日、東北帝国国大学(図書館)医科分館に収納されていることが明らかであつて、これに前記チバ時報六二号のグラヴイツツの文章記載をあわせ考慮すれば、昭和一〇年当時においても、グラヴイツツ、バロスは、わが国の製薬企業にとつて(地球の反対側の国に住む)無縁の存在などではなく、その報告例について情報の入手困難という事情は認め得ないのである。

三ハロゲン化8ハイドロキシキノリンに関するその他の副用作用報告――ヒトに関するもの――昭和三一年(一九五六年)一月以前のもの――

次に、以下に述べるハロゲン化8ハイドロキシキノリンのヒトに対する副作用報告および警告は、直接、神経障害それ自体に関するものではないけれども、グラヴイツツ、バロスによる二症例に見られるような神経障害発現の具体的危険性を、間接に支持する資料として評価されるべきものである。

1 アンダーソンらによる文献(副作用文献等綴、一、1(一)、②)の評価

ヴイオフオルムを一日一gずつ一週間投与された六〇例のうち、一例に呼吸困難が生じている。長畑一正によると、呼吸困難には、(一)呼吸器である気管・気管支・肺に原因のある肺性呼吸困難と、(二)心臓に原因のある心性呼吸困難と、(三)呼吸運動に関与する神経系に原因のある神経系呼吸困難とが、区別されるところ、神経性呼吸困難の原困の一つとして、中枢性の薬物中毒に起因するものが指摘されており、また、岩本も、アンダーソンらによる右副作用報告中の呼吸困難の原因として、呼吸中枢か、あるいは横隔膜の運動神経の、そのいずれかの障害の可能性を指摘している。

以上によると、投与されたヴイオフオルムの一日あたりの量が多いとはいえず、また投与期間も短いにもかかわらず呼吸困難を生じたことは、その症状自体キノホルムの神経毒性を暗示するものというべきであるが、さらに報告者が「温和な気候下でのアメーバ症には、大量の有毒薬剤の長期連用を要するほど激しい症状は見られない」として、キノホルム投与の危険性を指摘していることが留意されてよいであろう。

2 デーヴイツドらによる文献(副作用文献等綴一、1、(一)、⑥)の評価

ジヨードキン投与者の二名に見られた「嗜眠」について、岩本は神経障害の可能性を示唆するものとの見解を示し、さらに報告者デーウイツドらは、アメーバ症の予防にヴイオフオルム、ジヨードキンを使用する場合は、厳格な管理が必要である旨を指摘している。

3 バルキによる文献(副作用文献等綴一、1、(一)、⑦)の評価

エンテロ・ヴイオフオルムの投与を受けた一例に呼吸困難や抑鬱症などが見られるところから、中枢神経障害の可能性を示喚するものと解される。

4 いわゆるデーヴイツド警告(副作用文献等綴一、1、(一)、⑨)の評価

いわゆるデーヴイツド警告の骨子は、ヴイオフオルムやジヨードキンなどが本来、毒性を有し、予期せぬ作用を生ぜしめることがあるのを理由として、(一)右薬剤による治療期間の制限、(二)休薬期間の設置、(三)肝障害および薬物過敏性患者への使用禁忌、(四)非アメーバ性下痢に対する使用禁止等を提唱するにある。そして、デーヴイツドのこの警告は、直接、右薬剤の神経毒性を示唆するものでないにしても、キノホルムの内用開始の際の動物実験、臨床試験以来、右警告までの長年の間臨床・吸収に関する試験等に携わつてきた研究者の警告として、単に右薬剤の具体的危険性を推測せしめる資料たるにとどまらず、後記製薬会社に要求される結果回避措置の内容を定めるうえでの重要な資料たり得るものと解される。

四ハロゲン化8ハイドロキシキノリンに関するその他の副作用報告

――動物に関するもの――

1 昭和三一年(一九五六年)一月以前のもの

右時点以前における、8ハイドロキシキノリンの動物に関する副作用文献で、神経障害を疑わせるものを年代順に列挙すると、次のとおりである。

(一) シユベールによる文献(副作用文献等綴一、1、(二)、①)

一九二四年、シユベールによるヤトレン投与に基づく、ウグイの強い興奮と麻酔状態、野蛙の呼吸停止、後肢麻痺、マウスの呼吸困難、手足の運動失調と麻痺。

(二) ホーグによる文献(副作用文献等綴一、1、(二)、⑤)

一九三四年、ホーグによる培養鶏胚消化管組織を用いてのin vitroで見られた神経の死滅。

(三) チバ(バーゼル)によるもの(副作用文献等綴一、1、(二)、⑥)

一九三九年、チバ(バーゼル)による急性毒性試験で猫に見られた痙攣、振顫、もうろう状態、呼吸促進、よろめき歩行、硬直性・動揺歩行。

(四) チバ(バーゼル)によるもの(副作用文献等綴一、1、(二)、⑨)

一九四四年、チバ(バーゼル)による急性毒性試験で家兎に見られた麻痺状態。

(五) チバ(バーゼル)によるもの(副作用文献等綴一、1、(二)、⑩)

一九五二年、チバ(バーゼル)による急性毒性試験で家兎に見られた全身の感覚鈍麻。

2 右各副作用報告の評価

右の各副作用報告のうち、(二)ホーグによるそれはin vitroで発現したものであり、その余も急性毒性試験ないしそれに準ずるもので、いずれも第二節で述べた判断基準に照らして種差・実験方法などの面で考慮すべき点はあるものの、同節第七のキノホルムの吸収に関する事実と併せ考察すれば、前記一1記載の、ヒトにおける治療量でのキレホルムの神経毒性の疑いを、さらに補強する資料となるものといわなければならない。

第二8ハイドロキシキノリン、その誘導体およびアミノキノリン類に関する副作用報告――ヒトおよび動物に関するもの――昭和三一年(一九五六年)一月以前のもの――

一8ハイドロキシキノリンおよびそ誘導体による神経障害の報告

まず、(1)一九三八年杉原、一九四一年高瀬によるもの(副作用文献等綴一、2、①、②)があり、また、一九五〇年クレスサイテリイのin vitro実験(同⑨)があるが、前者には詳細な実験データの記載がなく、抽象的な神経毒性の指摘たるにとどまるのに対し、後者には、8ハイドロキシキノリンの不可逆的な神経伝導遮断作用という神経障害の記載が見られる。

二アミノキノリン類による神経障害の報告例

1 ヒトに対するものとして、(一)一九四八年オーヴイングらによるクロロキンの眼障害例(副作用文献等綴一、2、⑤)と、(二)一九四九年レーケンらによる治療用量の約二〇倍のパマキンの投与を受けた者の臨床面における顔面・口蓋の麻痺、呼吸困難、病理面における中枢神経障害をきたした一例(同⑧)があるほかは、

2 動物に対するものとして、いずれも8アミノキリン類による重篤な中枢神経障害を主徴とした例である(同③、④、⑥、⑦)が、

右障害はいずれも重篤かつ不可逆的なものである。

三以上によると、8ハイドロキシキノリン、アミノキノリン類による右の各副作用報告は、いずれも、キノホルムのヒトにおける神経障害作用発現の可能性を支える有力な資料たりうるものというべきである。

第三キノホルムの治療上の価値

一キノホルムの販売中止措置前における臨床治験例(内服初期の動物実験を含む)は、本編末尾添付の臨床治験例綴記載のとおりである。

二臨床治験例についての問題点――昭和三一年(一九五六年)当時の観点から――

キノホルムが、抗アメーバ剤としてのみならず、制瀉剤として有効である旨、また、本件キノホルム製剤の能書に適応症として挙げられている他の相当例の疾病に対しても有効である旨の報告があることは、前記治験例綴記載のとおりであるが、これに対しては、いわゆる二重盲検法その他、厳密な意味での薬効テストを経たものではなく、したがつて、いわゆる“使つた、治つた、効いた”の型を出ないものが殆んどであるということのほか、次のような諸点が指摘されなければならない。

1 キノホルムの副作用と制瀉剤としてのキノホルムの代替性

キノホルムを含むハロゲン化8ハイドロキシキノリン類、その他の8ハイドロキシキノリンとその誘導体、およびアミノキノリン類のヒトおよび動物に関する副作用報告―昭和三一年(一九五六年)一月以前のもの―については、前叙(第一、第二参照)のとおりである。したがつて、キノホルムにつき、かかる重大な副作用が予測され得る以上、同剤はその適応症とされる疾病の症状自体が同剤の予測される副作用に比しはるかに重篤で、しかも、治療薬として代替性がない場合に限つて、その治療上の価値が認められるものといわなければならない。

しかるに、通常の下痢が症状自体として重篤といい得ないことは勿論、制瀉剤・腸内殺菌剤としては、キノホルムを含むハロゲン化8ハイドロキシキノリン類以外に、サルフア剤や抗生物質など相当数の薬剤が存するのである。

2 成書・公定書等に掲げられるキノホルムの適応症

ところで、成書・公定書等においてキノホルムの適応症として掲げられるところを見るのに、栗秋要の最新薬理学Ⅱ(一九五四年)とグツドマン・ギルマンの治療学の薬理学的基礎(一九五六年)には、キノホルムの項に内用の適応症としては腸アメーバ症と腸性末端皮膚炎のみが挙げられており、さらにメルク・インデツクス六版(一九五二年)には同じ項に内用として抗アメーバ剤の記載のみが、USP(米国薬局方)一五版(一九五五年一二月一五日)にも通常当該薬剤または有効成分の最もよく知られた薬理作用を表わしている「カテゴリー」欄(ただし、それ以外の効果を持たないことを示すものではない)に抗原虫剤、局所的抗感染剤(膣管)との記載があるのみで、マリオン・E・ハワードによる現代医薬品集と治療索引六版(一九五五年)、アメリカ医師会薬学化学委員会の指導・監督下に発行された新局方外治療薬集(NNR)(一九三五年、一九四五年、一九五二年の各版)にも内用としてアメーバ症の記載があること、そして、米国薬学会・ナシヨナルフオーミユラリー(NF)一〇版(一九五五年)には、カテゴリー欄に抗原虫剤の記載のみがなされており、米国薬局方註解(デイスペンサトリー、一九五〇年、一九五五年の各版)には内用の適応症として、アメーバ症、アメーバ赤痢の記載が見られ、英国薬学会発行のマーチンデール準薬局方二一版(一九三六年)にはアメーバ症によく効くとの記載がある。

3 アメーバ赤痢の重篤度

ところで、右のように、キノホルムの適応症として一般に肯認されたアメーバ赤痢の症状、経過、合併症として指摘されているところを見るのに、<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

アメーバ赤痢は、熱帯・亜熱帯地方に流行する大腸炎で、赤痢アメーバによつて起こり、わが国にも散在性に発生する。

本症は、突然の下痢・腹痛・しぶり腹をもつて始まり、腹痛・嘔吐・腹部不快感などが数日間持続したのち糞便は水様かつ粘液便となり、一日十数行から六〇〜七〇行に達する、一般に全身的症状は軽いけれども、往々にして頻回の下痢のため衰弱に陥り、あるいは大血管が侵蝕されて腸出血を起こし、または混合伝染のため腸に壊疽性変化をきたして腐敗性悪臭を放ち、壊疽組織片を含有する便を排出し、衰弱のために死亡することもある。

また、往々にして慢性アメーバ赤痢に移行する傾向が大きく、かくて再発が相次いで起こり、粘液血便を排出するとともに不快な腹痛を感じ、また一見治癒したように見える状態が持続したのち再び増悪する。こうして適当な治療を加えない場合には患者は速やかに貧血して蒼白となり衰弱するとともに、しばしば高度の全身性浮腫を起こして数か月後に死の転帰をとる。あるいは、そこまで行かないにしても、患者の作業能力は甚だしく阻害されている。さらに合併症として、アメーバ赤痢患者の約三分の一に肝膿瘍が見られ、そのため悪寒戦慄・間歇熱をきたし、適当な時期に切開しなければ腹腔・右側胸膜腔などに破れ、また往々にして肺膿瘍・脳膿瘍を誘発することがある。

4 デーヴイツド警告およびFDAの所見

以上、成書・公定書等にキノホルムの適応症として記載されるところは、主として、アメーバ症・アメーバ赤痢である、というに帰着するが、アメーバ赤痢が前記のような重篤な症状を呈する疾病で、また右疾病につき他に有効な治療薬が二、三あつたとはいえキノホルムを含むハロゲン化8ハイドロキシキノリンほど効果をあらわすものはなかつたことからすれば、昭和三一年(一九五六年)当時において、キノホルムの適応症としてアメーバ赤痢を掲げることは首肯されうるところであつたといえよう。

これに対し、わが国において、本件キノホルム製剤が有効であるとされた下痢については、(一)一九四五年にはすでに、前述のとおり、デーヴイツドにより、非アメーバ性の下痢の治療にヴイオフオルム等を経験的に(empirically)使用すべきでないとの警告がなされていること(第一、三、4参照)、また、FDAは、一九五四年六月二四日付でチバ(ニユージヤージー)に対し、ヴイオフオルムが微生物によらない下痢に対して恐らく無効であるとの理由により、大衆薬としてのチバのヴイオフオルムのラベルでは、いかなる単純性下痢にも有効ととられることもあり得るから、右のラベルの妥当性には疑義がある、との所見を明らかにしていること(副作用文献等綴三、①)などの事実が指摘されなければならないのであつて、そこにおいては、キノホルムの適応症をアメーバ赤痢に限定し、また、非感染性下痢をその適応症から排除しようとする意図が窺われるのである。

三結論

以上要するに、本件キノホルム製剤の各能書中に適応症として掲げられる諸々の症病(別表三参照)のうち、アメーバ赤痢以外のものについては、本剤の治療上の価値はたやすく肯認し難いものといわなければならない。

第四結論――昭和三一年一月の時点における結果回避義務

一結果回避義務の存否

前記のように、昭和三一年(一九五六年)一月以前において、キノホルムのヒトに対する神経障害を疑わしめるに足る副作用報告は、グラヴイツツ、バロスの二例にとどまるとはいえ、(1)その後一九六四年のゴルツに至るまでの間に同様の報告が見当たらないことが、一日の投与量および投与期間の点から十分説明がつくうえに、(2)デーヴイツド警告をはじめとするキ剤投与のヒトに対する危険性の指摘、(3)キノホルムその他ハロゲン化8ハイドロキシキノリン製剤の動物への投与実験in vitro実験、右以外の8ハイドロキシキノリンおよびアミノキノリン類の動物に対する同様の実験、ヒトについての臨床資料などから窺われる右各薬剤に起因する神経毒性を疑わしめる報告および(4)脂溶性を有する腸内殺菌剤としてのキノホルムが相当量消化管から吸収されることによる(いわば抽象的)な危険性に鑑みれば、本件キノホルム製剤の製造・販売にかかわる被告会社らは、同剤の製造を開始した昭和三一年一月の時点において、前記の文献調査および他の関係製薬会社に対する副作用情報の提供依頼の措置等を講ずることにより、キ剤の投与によるヒトにおける「神経障害」の発生の危険性を予見することが可能であつた以上(なお、チバ社がグラヴイツツと密接な関係を有し、バロスからも直接に情報を入手していたこと、また、他の製薬会社も、グラヴイツツ、バロスの報告について情報の入手困難という事情の認められないことは前述のとおりである)、被告会社らは前記説示にかかる何らかの結果回避措置(第一節第二参照)を講ずべき義務があつたものといわなければならない。

二結果回避義務の具体的内容

――“適応症”が多岐にわたる場合――

およそ本件キノホルム製剤に限らず、その適応症が多岐にわたるとされるものに関し、いかなる結果回避措置を講ずべきかについては、適応症とされる各疾病に対する当該薬剤の治療上の価値と製造開始時までまたはその後に判明した副作用の危険の度合(重篤度、頻度、回復可能性、副作用の疑いの程度)とを比較衡量して決すべきものといわなければならない。

そして、右衡量の結果、適応症とされるものの一部についてのみ、副作用の危険性を甘受してなお当該薬剤に利用価値を認めることができ、その余についてはこれが否定される場合には、能書への記載(または記載事項の訂正)、医師へのダイレクト・メール、プロパーが医師を訪問した際の口頭での伝達あるいはマスコミなどの手段を通じて、適応症を右一部の疾病に限定するとともに、それまでに明らかとなつた副作用の危険性の内容を具体的に公表し(なお、この場合の注意事項としては、たとえば、「一日三回一錠ずつ服用」とか「二週間以上連用してはならない」とするだけでは足りず、それ以上服用すればいかなる結果を生ずる惧れがあるかについて、明示しなければならない)、併せて右適応症以外の疾病への投薬を行なつてはならない旨、また具体的に指摘された副作用の微表が現われたときは直ちに投薬中止についての考慮決定を要する旨の指示・警告付でのみ、当該薬剤の製造販売が許されるものといわなければならない。

三本件キノホルム製剤についての被告会社らの結果回避義務違反

1 被告会社らがとるべきであつた措置

以上によつて本件を観るのに、前記キノホルムの投与による副作用発現の疑惑の程度、当時アメーバ赤痢に対する治療上の価値が高いと考えられていたこと、非アメーバ性下痢へのキ剤投与を行なうべきでない旨のデーヴイツド警告などを考慮すると、被告製薬会社らは、昭和三一年(一九五六年)一月以降、本件キノホルム製剤の製造・販売を開始するにあたり、少なくとも、能書の記載、医師へのダイレクト・メール、プロパーが医師を個別に訪問した際の口頭での伝達あるいはマスコミなどの手段を通じて、本件ノキホルム製剤の適応症をアメーバ赤痢に限定するとともに(ちなみに、キ剤販売中止の行政措置において言及された腸性末端皮膚炎Acrod ermatitis En-teropathicaは、本件キノホルム製剤のいずれにおいても、被告会社らによつて適応症として挙げられていない)、バロスらによる両下肢の知覚・運動障害の認められた二症例を公表し(一日の投薬量、投与期間の制限およびそれ以上服用すればバロスらの報告例に見られるような神経障害を生ずる惧れがある旨を明示し)、併せて右適応症以外の疾病の治療のための内用に供してはならない旨、また、もし右神経障害の徴表が発現したときは直ちに投薬の中止を考慮決定すべき旨の、指示・警告をなすことを要し、かかる指示・警告付でのみその製造販売が許され得たものといわなければならない。

2 被告会社らによる製造販売の実際

しかるに被告製薬会社らは、本件キノホルム製剤の製造を開始した昭和三一年一月以降、何らかかる措置を講じなかつたばかりでなく、別表三の1ないし16(許可・製造承認の年月日は昭和三一年一月から同四〇年一一月まで)のとおり、内用として八ないし一六にのぼる夥しい数の適用症を掲げ(ちなみに、本件キ剤の製造開始時である昭和三一年一月以降、前記の指示・警告義務については、副作用情報の蓄積により、これが強化されるべき事情こそあれ、およそ緩和されるべき事情のなかつたこと勿論である)、さらには本件キノホルム製剤の能書につき、被告田辺は、エマホルムにつき「副作用は、全く見られない」(昭和三一年)、「副作用は殆んど見られない」(昭和三三年―四五年)とし、被告チバは、メキサホルム、強力メキサホルムAにつき「本剤は忍容性の高い薬剤で小児に対しても使用できる」(昭和三七年―三八年)とし、エンテロ・ヴイオフオルムにつき「長期に及ぶ治療の後でも、極めて耐容性があるため、薬物過敏症の患者、小児及び高年者にも使用できる特長を有している」(昭和三七―四五年)とし、強力メキサホルムについては「整腸剤」と銘打つて(昭和三九―四五年)、各社いずれも、その安全性を強調しつつ、戦後の高度経済成長の波に乗り、通常商品におけると同様、大量販売・大量消費の風潮を助長したものであつて、被告会社らの結果回避義務違反は、昭和三一年一月の本件キ剤製造開始時においてすでに明らかであつたばかりでなく、その後、年を経るとともに、いよいよその度を深くしたものといわなければならない。(<証拠略>能書については、前掲各書証のほか、弁論の全趣旨を総合して明認しうるところである)。

能書の記載の点のみからしても、被告会社らの結果回避義務の違反の明らかであることは、前述のとおりであるが、なかんづく被告チバのそれについては、一九六一年(昭和三六年)八月二二日、チバ(ニユージヤージー)が、エンテロ・ヴイオフオルムはアメーバ赤痢にのみ使用さるべき旨のFDAの勧告を受諾し(副作用文献等綴三、⑧)、また、一九六五年(昭和四〇年)一月一四日、バーゼルのチバ本社が、かねてエンテロ・ヴイオフオルムあるいはメキサホルムの投与により、飼犬がてんかん様発作を起こして死亡する、との報に接して検討中のところ、その危険性に鑑み、この製剤を獣医用治療薬として使用すべきでないとの回状を獣医あてに発送し(同一、1、(二)、⑮)ながら、「これらの製剤はヒトの薬剤として作られたものである」との見地から、ヒトにつき見るべき警戒の措置をとらなかつたばかりでなく、かえつて、わが国において、その後においてなお、前記の如くエンテロ・ヴイオフオルムおよびメキサホルム剤の安全性が強調し続けられたのは、まことに遺憾のことであつたといわなければならず、もしこれらの時点において、即時適切な措置がとられていたとすれば、わが国において多発したスモン患者の中、その大半、少なくともその相当部分が被害を免れ得たであろうことを想えば、何びとも前記チバ社の対応をもつて痛恨事とせざるを得ないであろう。

四被告会社らの原告に対する損害賠償義務

そして、本件原告ら(ただし、死亡者については被相続人たる患者本人)が、アメーバ赤痢以外の消化器疾患の治療のため本件キノホルム製剤の経口投与を受けた者であることは、後記第四編の損害の部において各個別に認定するとおりであるから、被告会社らは、すでにこの点において、原告らのスモン罹患によつて生じた損害の賠償義務を免れ得ないものといわなければならない。

第四節被告製薬会社らの本件キ剤製造開始時における動物実験義務

第一被告会社らの動物実験義務の存否

およそ本件キノホルム製剤の如く、主薬のキノホルムが比較的長期間にわたりヒトに経口投与されてきた薬品にあつても、剤型、添加剤、従たる成分の配伍などを変えて製造を開始する場合には、その時点までに見られた類縁化合物を含む当該薬剤のヒトおよび動物での臨床使用をはじめ、in vitro実験・吸収実験などから予測される副作用の危険度に応じた動物実験を必要とするものというべきところ、昭和三一年一月の製造開始の時点において、キノホルムには前記認定のような重篤な神経障害の危険性が存したのであるから、被告製薬会社は右時点における最高度の技術水準をもつてする動物実験義務を負うものというべきであるが、うち各種動物を使用しての急性毒性試験は、副作用文献等綴記載のとおり、すでに相当例存したのであるから、神経毒性に的をしぼつた慢性毒性試験に力点を置いた実験を行なうべきものと解される。

第二昭和三一年(一九五六年)一月当時における動物による慢性毒性試験の技術水準

一一九三九年以降の文献資料等

<証拠>を総合すると、標記技術水準に関して次の事実を認めることができる。

1 オースチン・スミスらによるアメリカ医師会雑誌一二六巻一五号<一九四四年一二月九日>に登載分

「新薬の実験的臨床的評価」

(一) 本報告は、FDAのメンバーとアメリカ医師会中の薬学化学委員会の幹事であるオースチン・スミスとの共同執筆にかかるもので、製薬業者に対する規制ではないが新薬研究を企図する製薬業者の助けとなるであろうとの確信のもとに、一つの目標・手本として発表されたものである。

(二) 本報告は、予備的実験を通過後の調査内容として、(1)薬品の吸収・代謝・分布・排泄を含む生化学的険査、(2)原形質抑制ないし毒性試験、神経系への作用、蓄積作用を含む薬力学的検査、(3)実験的機能病理学的検査、(4)化学療法検査を挙げ、

また、慢性毒性試験の内容として(1)実験動物として、三種類以上を使用し、少なくとも一種類の動物を生涯にわたり実験に供すること、(2)投与方法につき、何の影響も示さない程度の量から、著しい障害を示し寿命を縮めると思われる程度の量までのいくつかの段階に分けて行なうこと、(3)さらに対象動物を顕微鏡的病理学的検査に付し、加えて自発性の運動、例えばより微妙な機能的変化の証拠としての走行やその他の動作への影響を観察すること、を挙げている。

2 ジオフレイ・ウツダードによるFDA食品・薬品・化粧品法雑誌一〇巻一〇号<一九五五年一〇月>六九四頁に登載分

「食品・薬品・化粧品中の化学薬品の毒性評価の手順」

著者は、慢性毒性試験に関し、以下の忠告を行なつている。

薬品を突発的な急性の病気にだけ使用するのならば、慢性実験は一〜三か月の期間だけ必要である。慢性の病気に使用すべきものであれば、右実験は六か月ないし一年の期間に増すべきである。また薬剤の投与方法はヒトへの使用に提案された方法に実施できる限り密接して追随すべきである。そして、右実験の投薬量は、ヒトの最大投与量と同程度の大きさの低投与量と、一定の毒性および(または)病状を十分に起こしうる高投与量を包含するように選定すべきで、動物種は一つの囓歯類種と一つの非囓歯類種を使用すべきである。

3 モリターらによるもの――動物による長期投与試験――

一九五六年一月以前に、臨床使用において重篤な副作用の発現の疑いを見たために、それを確認すべく行なわれた動物による長期投与試験の典型例は以下のとおりである。

モリターらによる薬理学・実験治療学雑誌六五巻<一九三九年>四〇五頁以下に登載分

スルフアニルアミドとベンジル・スルフアニルアミドの長期投与の効果を、一一〇匹のラツト、四〇匹の兎、一八匹の犬について研究した。ラツトには一二〇日間、兎に三二日間、犬に五〇日間、胃ゾンデを用いて毎日投与して、慢性毒性を研究した。ベンジル・スルフアニルアミドは無毒のままであつたが、スルフアニルアミドの毒性は一層顕著となつた。一〇、二〇、三〇、五〇、一二〇日間の投与後動物を屠殺し、解剖学的組織学的に検査したところ、ベンジル・スルフアニルアミド投与動物の臓器は正常であつたが、スルフアニルアミド投与動物は脾臓の顕著な肥大および時折の肝臓と腎臓の変性的変化を示すのが見られた。

4 岩本は、昭和三〇年(一九五五年)の時点においては、右1に記載の水準を持つ慢性毒性試験がわが国においても技術的に可能であつたとの見解を述べている。

二結論

以上認定したところによれば、被告製薬会社らは、昭和三一年(一九五六年)一月以降、本件キ剤の製造を開始するにあたり、右1(オースチン・スミスら)、2(ジヨフレイ・ウツダード)において認定説示にかかる程度の慢性毒性試験をなすべきものであつたといわなければならない。なお、<証拠>によれば、米国において、FDAが製薬会社に対し、亜急性・慢性毒性試験を義務づけたのは一九六〇年代に入つてからであることが認められるけれども、この点については、FDAをはじめとする各国の保健当局ないしWHOによる新薬開発等に関する実験基準は製薬企業に要求される医薬品の安全確認に関する注意義務の程度につき、なんらその最大限度を画するものでないことの一事が指摘されれば足るであろう。

第三被告会社らの動物実験義務違反

本件キノホルム製剤の製造開始の時点において、被告会社らに動物実験義務の存したことは前述のとおりである(第一参照)が、被告会社らがいずれもその義務を果さなかつたことは、以下に述べるとおりである。

一被告田辺について

被告田辺は、昭和三一年一月にエマホルムおよびエマホルム錠を製造・販売するに先だち、なんら動物実験を行なうことなく、ただ僅かに、三〇名に対し乳化キノホルム錠一日六錠(一錠中キノホルム0.1g含有)を数日間投与した程度の臨床試験をしたのみで、その後、本件キノホルム製剤中、その余の田辺製品の製造を開始するにあたり、別段の動物実験を行なつていない。

二被告チバについて

被告チバの場合、バーゼルのチバ本社は、(1)内服用キノホルムの製造・販売に先だち、リーク、アンダーソン、デーヴイツドらに委嘱してキノホルムの有効性と安全性に関する研究を行なわせ(副作用文献等綴一、1、(一)、②、同(二)、②、同③、治験例綴一、同二、1、①、一九三一―一九三四年)、(2)急性毒性試験とLD50の決定をチバ(バーゼル)社内で行ない(副作用文献等綴一、1、(二)、⑥、⑨)、(3)デーヴイツドらに依頼して継続的調査研究を行なわせ(同一、1、(一)、⑥、(二)、⑦)、(4)ハスキンスらに協力を依頼して吸収・排泄実験を行なわせ(同二、⑨⑩)、さらに(5)一九六〇年八月には社内でのエンテロ・ヴイオフオルム一日一〇〇mg/kg二八日間連続経口投与実験を行なつているけれども、これらの毒性試験は、長期投与に起因する医薬品の副作用の危険性を見つけ出すという観点からすれば、前記第二において認定・説示した慢性毒性試験の水準に遠く及ばないのであるから、バーゼルのチバ本社、したがつてまた被告チバにおいても、本件キ剤の製造開始にあたり、製薬企業として要求される動物実験義務を尽くしたものということはできない。

三被告武田について

また、被告武田については、弁論の全趣旨に徴し、昭和三五年一〇月以降、エンテロ・ヴイオフオルム錠、エンテロ・ヴイオフオルム散を始めとする別表三の67911121416記載のキ剤を販売するに先だつて、別段の動物実験を行なつていないことが明らかである。

第四被告会社らの動物実験義務の懈怠と原告らに生じた損害との関連性

一動物実験義務の懈怠を理由として損害賠償を要求し得るための要件

被告製薬会社に要求される動物実験義務は、もとより、それ自体を目的とするものではなく、もし実験の結果、一定の副作用を疑わせるに足りる症状が発現した場合には、それに見合つた結果回避の措置をとることを目的とするものであるから、被告製薬会社に対し、右実験義務の懈怠を理由として、損害賠償の義務を負担させるには、前記第二の技術水準に照らし、必要とされる動物実験を行なつたとすれば、当然に結果回避措置を製薬会社に義務づけるに足りる程度の副作用の危険が発現したという関係にあることを要するものというべきである。

二昭和四五年(一九七〇年)前後におけるキ剤投与による慢性毒性試験

そこで昭和四五年(一九七〇年)前後に本格的に行なわれたキノホルム製剤の動物への慢性毒性試験を通観するのに

1 動物実験におけるスモン様症例の発現例

第二編(因果関係の部)において認定のとおり、わが国において、経口投与により、実験動物にスモン様症例の発現を見た成功例は少なくないが、そのうち、立石による昭和四九年八月と一〇月に投薬を開始した四頭のビーグル犬に対する一日三〇〇mg/kg投与実験が固定量であるほかは、典型的な発症を見たものの殆んどが漸増投与によるものであり、また、外国においても、その前年(一九七三年)イギリスのハンチントン研究所により行なわれたビーグル犬四〇〇mg/kg/dayと二五〇mg/kg/day各六匹)の六か月間定量投与実験で五匹の脊髄後索と一匹の視神経に病変を生じた例、また、同じくハンチントン研究所により行なわれたいま一つの積極の実験例のほかは、ヘスにより神経病変の発現を見たのも、漸増投与によるものである。

2 消極の報告例

他方、ヘスによる二年間二〇〇mg/kg/dayのビーグル犬の固定量投与実験、一九六六年から開始されたラツトに対する三か月間経口投与実験ヴイオフオルム、エンテロ・ヴイオフオルムとも最高一〇〇〇mg/kg)、猫に対する同期間の経口投与実験(一日一〇〇mg/kgを一か月半投与後、一日三〇〇mg/kgを引き続き一か月半投与、<証拠略>、チバ社がインベレスク研究所に委託して行なわれたラツトとヒヒを使つての二八日間投与毒性試験(ラツトに最高二〇〇mg/kg/day、ヒヒに最高一〇〇mg/kg/dayの定量投与、<証拠略>)、さらに米国フロー研究所に委託して行なわれたビーグル犬に対する九〇日間三〇〇mg/kg/dayの固定量投与実験(<証拠略>)、ヘスと田辺との共同研究にかかる猿におけるキノホルム長期投与毒性試験(六頭に五〇〜二〇〇mg/kgを一〇二二日間経口投与、<証拠略>)のいずれにおいても、神経毒性の発現が見られなかつたと報告されている。

三本件における前記の義務懈怠と損害との関連性についての判断

1 右関連性の判断につき考慮すべき諸要素

(一) 立石および江頭は、動物実験においてある期間にわたり何回も投与する場合に、各々の群では量を変えずに持続するのが原則であつて、「漸増法」は、スモン患者における投薬の場合と異なり、急性中毒死を避けつつ、しかもなるべく多くの一日量を与えつつ、長期間生存させることにより神経病変を起こさせようという要求に応えるための方便として考え出されたものである旨を指摘している。

(二) 立石らの、昭和四五年秋に開始された動物実験の結果では、神経症状発現までの投与量は、雑犬や猫でほぼ同等であるのに対し、本来、実験動物として望ましいとされている純系のビーグル犬の一日投与量は、雑犬の二〜七倍の高値を示し、猿はビーグル犬よりもさらに多めを要している。

(三) 昭和四六年度協議会総会(昭四七・三・一三)での大月の発表によると、右時点までのキノホルムによる動物の慢性中毒症状は、猿(11/14)、犬(雑犬21/39、ビーグル犬7/9)、猫(6/27)、ウサギ、ニワトリ、ウズラにおいて神経症状の発現を見た(括弧内は発症数/実験数である)けれども、ラツト、マウス、モルモツト、ハムスターでは、右時点までの投与量で発症が認められていない。

2 結論――動物実験義務の懈怠による損害賠償義務――

以上認定したところによれば、漸増法には、スモン再現のための実験方法としての意義は十分認められるけれども、これが慢性毒性試験における通常の投与方法であるとはいえず、結局、将来に向つて神経毒性発現の有無を調査するための投与方法としては、定量法によるべきところ、キノホルムの定量投与法による慣性毒性試験においては、種差により発現に難易が見られるうえ、その発現には相当の大量投与を要する(そのため、しばしば急性中毒死を惹起し、これを避けることが実験上の大きな課題となる)ところから、キ剤の投与により実験動物に神経毒性を発現させるのは必ずしも容易でなかつたことが予想されたものといつてよい。しかしながら、前記のとおり、立石およびハンチントン研究所による定量法での慢性毒性試験においては、現に神経毒性の発現を見たものであつて、被告会社らが本件キノホルム製剤の製造を開始した昭和三一年一月の時点においても、前記第二で認定・説示した慢性毒性試験の水準に照らし、必要とされる動物実験を行なつたとすれば、当然に結果回避措置を被告会社らに義務づけるに足りる程度の副作用の危険が発現したという関係にあるものということができ、したがつて、被告製薬会社らは、前記動物実験義務不履行の点からしても、本件キノホルム製剤の投与によりスモンに罹患した原告らに生じた損害の賠償義務を免れないものといわなければならない。

第五節治験例等の安全確認資料としての価値

ところで被告らは、前記治験例をもつて、長年にわたるヒトへの投薬例として、動物実験に勝る安全確認資料である旨を主張するので、以下に検討することとする。

第一臨床治験例綴に現われるわが国の治験例について

一戦前および戦後昭和三一年一月までのキ剤の投与量

昭和九年から一三年までの治験例一二六例(治験例綴二、2、⑤ないし⑰を含む)につき、一日量および投与期間を見るのに、本章末尾添付の図面二のとおり、投与例の大部分が一日量1.0g以内、投与日数三〇日以内で、また、戦後昭和三一年一月までの治験例一〇四例も総投与量において右範囲を出ないのに対し、協議会による第二回調査において、服用量の明らかなスモン患者一一一〇人を総投与量別に分けると、四〇g以下が三三二人、四一〜一四〇gが四一二人、一四〇g以上が三六六人で、また、神経症状発現前六か月にキノホルムを使用した者の中で、量的記載の明らかな一〇〇七名の平均投与量を見ても、一人あたり40.1g(男40.4g、女39.9g)であつて、昭和三一年一月以前の投与量と右第二回調査における投与量との間には、相当の開きが見られるのである。

二大量投与の予測可能性

ところで昭和三一年一月以降の時点において、被告製薬会社の立場からする大量投与の予測可能性について見るのに、

1 被告田辺の製造・販売にかかる「エマホルム」については、その能書の記載上とくに投薬期間の制限がなく、かえつて「強力な腸内殺菌、防腐、止痢……等の諸作用を発揮し、しかも副作用は全く見られないので、胃腹炎、夏季下痢、アメーバ赤痢、細菌性赤痢等の腸内諸感染性疾患に安全に投与でき卓効を収める」旨(昭和三一年四月の能書、<証拠略>、さらには「安全かつ経済的」で、「内服された大部分は吸収されることなく、排泄されると考えられている」、「副作用はほとんどみられない」(昭和三三年頃の能書、<証拠略>)等長期大量投与が可能であつて、あたかもこれを推奨するかの如き記載、また一日量については症状により適宜増量する」旨の記載がなされているうえ、以上の能書を通じて、慢性下痢・腸内異常発酵など長期連用の予想される疾病が適応症として挙げられていることなどの事実に徴すれば、被告田辺にとつて、エマホルム剤の製造開始時ないしこれにかなり近接した時点において、その後における同社のエマホルム剤の長期大量投与の予想は、十分可能であつたものといわなければならない。

2 被告チバ・武田については、その製品であるエンテロ・ヴイオフオルム錠「チバ」およびエンテロ・ヴイオフオルム散「チバ」の製造・販売を開始したのは、被告田辺のエマホルムに後れること四年九か月余の昭和三五年一〇月で、当時すでに、わが国においてキ剤の販売量が急激に増加しつつあつた時期に属するから、キ剤が長期・大量投与されていることの認識、したがつてまた自社の製造・販売にかかるキ剤が同様に長期・大量投与されるであろうことの認識が、より一層可能であつたということができる。

三結論

以上検討したところによれば、本件キノホルム製剤の製造開始時点である昭和三一年一月に至るまで、わが国の治験例報告に見られるキ剤の投与は総じて低用量にとどまるのであつて、かかる状況の下における若干の治験例の報告をもつて、以後高用量投与の予想され得る右時点における(動物実験義務を含む)安全確認義務を免れしめるほどの資料たりうるものでないことが明らかである。

もつとも、兼田功ほかの報告(治験例綴二、2、⑰)にかかる大阪市立桃山病院における投与例については、従前の治験例報告中の例外として高用量投与の事例が認められ、しかも同報告には、「一〇〇g内外に及ぶも何らの副作用を来さず」との記載があることは、被告らの指摘のとおりである。しかしながら、<証拠>によれば、桃山病院におけるヴイオフオルム投与例中、総投与量が三〇gを超えるものは、わずか七例(127.5g、83.5g、64.5g、六三g、46.5g、三九g、31.5gの各一例)に過ぎないばかりでなく、豊倉・片平らの調査するところによれば、ヴイオフオルムの投薬を受けた三〇例中四例(一三%)のカルテには下肢感覚障害を示す記載があり(これに対しヴイオフオルム非投与群の六七三例中そのカルテに同様の記載がある者は一二例(1.78%)に過ぎない)、しかもその中少なくとも一例がスモン様症状を呈していたことが認められるのであつて、前記兼田らの報告は、被告製薬会社らをしてキノホルムによる神経障害(スモン)の予測を可能ならしめる手掛りとなるものでこそあれ、高用量投与下におけるキ剤の安全確認資料たり得るものでないことはいうまでもない。

第二臨床治験例綴等に現われる外国の治験例について

次に、外国における治験例、副作用報告例を見るのに、一九五六年(昭和三一年)一月までの分で、とくに一日投与量が多くて投与期間も長く、したがつて総投与量が目立つて多いのは、グラヴイツツ、バロスの一五三名とバキルの一例のみで、その余の殆んどは、前記スモン患者への現実の投与量に比し、短期少量投与にとどまるということができ、しかも、グラヴイツツ、バロスの例においては、重篤な神経障害の発現を見た症例が含まれ、また、バキルの例においては、可逆的とはいえ、呼吸困難、抑鬱症など中枢神経系への影響を否定できない副作用の発現を見たことに徴すれば、右の治験例等をもつて、前同様の安全確認資料となし得ないものといわなければならない。

第三前記治験例以外の「キ剤の使用実績」について

なお被告らは、キノホルムには、過去数十年間にわたり、前記治験例のほかにも莫大な内用の実績がある旨主張するけれども、この点に関する統計資料等の提出がないばかりでなく、わが国におけるキノホルムの生産・輸入量は、スモンの頻発し始めた昭和三七年以降の年間数十トンの生産量に比べ、戦前においては、ヴイオフオルムが昭和一四〜二〇年に年間およそ四〇〇〜八〇〇kg(国産分)、エンテロ・ヴイオフオルムが昭和一一〜一五年に年間1.2〜33.9kg程度であつて、格段に低く、しかも右国産キノホルムの相当量が軍に納入されていたこと、さらに後記認定(第二章、第四節、第三、二、2参照)のとおり、戦後の昭和二〇年代にもキノホルムが民間で繁用されていた形跡の認められないことを考慮すると、患者一人あたりの投与量は比較的少量であつたものと推認されるのであり、したがつて、右治験例以外の「使用実績」をもつて、安全確認資料の一とすることは、とうてい肯認し難いところといわなければならない。

第六節医師の投薬行為の介在および国(厚生大臣)の関与と被告製薬会社の責任

第一医師の投薬行為の介在について

一被告の主張

被告会社らの主張の中には、原告らのスモン罹患は、大量かつ長期にわたる服薬に起因するところ、これら投薬量、投薬期間は、臨床医において患者の症状を観察しながら決せられるものであるから、被告会社らには責任がないかの如くいう部分がある。

二被告会社らの指示・警告義務の懈怠

しかしながら、被告田辺については、エマホルム剤の製造開始時ないしこれにかなり近接した時点において、また、被告チバ・同武田については、エンテロ・ヴイオフオルム剤の製造開始時において、それぞれの製造・販売にかかるキ剤の投与が長期大量にわたるであろうことの予想が十分可能であつたことは、前述(第五節、第一、二)のとおりであつて、本件原告中で最初にスモンの発症を見た者についても、これに投与されたキ剤の製造・販売につき、被告製薬会社において、なんら右の予測に欠けるところはないのである。

しかも本件の如く、薬剤による副作用発現の危険性が具体的に予測され得る場合において、製薬会社が、投薬により患者の生命・身体に生じた障害の結果を、投薬上の不備を理由として、一方的に医師のみの責任に帰せしめるためには、医師に対し、当該薬剤の販売時に予見可能であつた副作用発現の危険性を公表し、副作用の発現防止のための具体的な指示・警告をなすことを要するものというべきところ、本件において、何らかかかる指示・警告措置のとられていないことは、前記認定(第三節、第四、三参照)のとおりである。

三結論――医師の責任について――

医師の行為の介在――医師の責任――については、薬害例を発見し報告することが臨床家の大きな功績であること、その意味でも、「薬についての最終責任はほかの誰でもない……臨床家自身にある」ことは、しばしば識者によつて指摘されているところである(乙四〇号証の一、砂原茂一「臨床家と薬害」日本医師会雑誌七五巻五号は、その一例に過ぎないといつてよい)が、これらは、いまだ一部有識者の提言にとどまるものの如く、わが国における医師の大多数、とくに開業医の殆んど全部によつて組織されている日本医師会の中に副作用に関する委員会が設けられ、これが副作用の発見ないしその発現防止につき特段の業績を挙げた旨の報告が本法廷に提出されていないことは、むしろ不審のことというべきであろう。米国においては、さきに述べたオースチン・スミスらの「新薬の実験的臨床的評価」(甲三五四号証、アメリカ医師会薬学化学委員会の報告、アメリカ医師会雑誌一二六巻、一五号、一九四四年)の一例にも明らかな如く、医師会自体の中に設けられた薬学化学委員会が、当時すでに四〇年の活動歴を有して副作用の発現防止に実績を挙げているのであり、また、米国以外の他の先進国においても、“Profession”の団体としての医師会がその内部に医薬品の副作用の発見・防止に関する委員会を設置し、これが顕著な業績を挙げた例の存することは周知のところである。

個々の診療を担当する医師とその大部分によつて組織される医師会に対する国民の期待と要求とは、まことに切にして大なるものがあるというべく、本件は、医師を被告とする医療過誤訴訟としてではなく、製薬会社らを被告とする薬害訴訟として審理判決されるものであるが、本件訴訟記録、とくに原告本人の陳述書、陳述録取書およびその宣誓供述は、右に述べた医師に対する期待と要求とに満ち満ちているといつても過言はない。

しかしながら、以上は治療を受ける国民(患者)の側からする医師への期待と要求であつて、およそ、安全なる旨を強調しつつ、甚だしきは「整腸剤」と銘打つて、大量販売されたキノホルム剤が、失明ないしは歩行不能をも含む重篤な神経症状を生ぜしめるであろうことを、通常の医師が予測し得なかつたからといつて、なんら前記の指示・警告義務を果すことなくしてこれらキ剤の製造・販売をした被告製薬会社らが、当該医師を非難し得ないことは言をまたないところであり、したがつて、医師の行為の介在を理由として、被告会社らに責任なしとする主張は、もとより失当というべきである。

第二国(厚生大臣)の関与について

被告田辺は、「局方品についてはそもそも安全性についてなんら配慮する必要がないという国の判断が示されている……局方に沿つて製造販売する者に対し、局方に沿つている限り、その医薬品の安全性等の調査研究義務を免除または少なくとも大巾に緩和したものというべきである。国は、製薬業者に対し、そのような保証を与え」ており、「したがつて、製薬業者たる被告田辺は国の保証に依存してキノホルム剤を製造販売したものであり、被告田辺としては責任を負う理由はない」として、その製造・販売にかかる本件キノホルム製剤がスモンの病因であることを前提としても、なおかつ、被告田辺に製薬業者としての責任がない旨を主張する。

その失当たることは、後述第二章(国の責任の部)において述べるとおりであるが、要するに、かかる主張は、人の生命・身体の安全にかかわる医薬品の製造業者の責任の何たるかを解しないものというの一語に尽きるというべきであろう。

第七節被告武田の責任

原告らは、被告武田が本件キノホルム製剤を含むキ剤を自ら製造したことがあり、また、自己の販売網を利用して、被告チバの輸入・製造にかかる本件キノホルム製剤をわが国において一手に販売してきたのであるから、製造者と同一の注意義務、したがつてまたその懈怠に因る損害の賠償義務を負うべき旨を主張し、他方、被告武田は、単にこれら製品の中間販売者に過ぎない者であるからその義務を負わない旨を主張するので、以下これを検討する。

第一<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一 被告武田によるキ剤の製造・販売

1 チバ・武田の提携の沿革

被告チバ・武田の両者のかかわりは、遠く大正二年(一九一三年)に遡るが、同一一年(一九二二年)には、被告武田の前身である武田長兵衛商店がチバ社のわが国における総代理店発売元となり、輸入・拡張・配給など全般にわたり相互協力する旨の契約を、チバ社との間で締結し、以後両者の関係は緊密化の一途を辿つたものということができる。これをやや詳細に述べれば、以下のとおりである。

2 国内原料によるヴイオフオルムの国産、ビオメチンの製造

昭和一三年(一九三八年)チバ社は、昭和二年(一九二七年)以来バーゼルの本社より原料を移入し武田商店において製造・販売をしつつあつた契約を改め、まず、ヴイオフオルムを含む数種の製品に関する製造権を武田商店に移譲し、わが国内の原料を使用して、同商店の製薬工場において、国産品として右各薬剤を製造・販売することとなつたが、昭和一五年(一九四〇年)頃からは、キノホルムにペクチンを同量配伍した粉末と錠剤であるビオメチンが、被告武田により製造・販売された。

3 武田の申請によるエンテロ・ヴイオフオルム「チバ」の製造の許可

昭和二八年(一九五三年)六月三〇日、被告武田は、自ら製造の許可を得て、原末をチバ(バーゼル)から輸入のうえエンテロ・ヴイオフオルム「チバ」の製造を開始し、また、同三二年(一九五七年)六月二七日、製造許可事項変更の許可を得て、エンテロ・ヴイオフオルム散「チバ」の大入包装をチバ(バーゼル)から輸入のうえ、その小分けを行なう方法により、同剤の製造を開始した。

4 チバ・武田間の製造契約と配給契約

昭和三三年(一九五八年)三月一日、被告武田は、被告チバの前身であるチバ製品株式会社との間で、チバの医薬品に関する製造契約および配給契約を結び、以後チバ製品の委託により、打錠・小分けを含むキ剤の製造を行ない、これをチバのため保管したうえ、当時すでに百数十店に及んだ自社系列の卸店を通じて販売した。被告武田による製造は、昭和三六年(一九六一年)被告チバが宝塚工場を新設し、翌年三月二七日エンテロ・ヴイオフオルム錠「チバ」につき、同三九年(一九六四年)三月九日エンテロ・ヴイオフオルム散「チバ」につき、それぞれ一貫製造に関する許可・承認を得るに至るまで続けられたが、前記契約の大要は次のとおりであつた。

(一) 製造契約……(1)武田は、チバの仕様書に基づき、その医薬品を同社のためにのみ独占的に製造し、これを同社に引き渡したうえ倉庫に保管する。(2)チバは、武田に対し、その製造価格に武田の製造利益として一〇%の報酬を加えて支払う。(3)チバのため武田が製造した医薬品は、技量と材料において欠陥がないことおよびチバの仕様書または修正書に適合したものであることを武田によつて保証される。武田は現行の日本における医薬法規に従つて製造業者として責任を負う。

(二) 配給契約……(1)チバは、武田を日本におけるチバの医薬品の一手配給人に指定し、武田は、右医薬品の日本市場における全需要を満たすため保有しなければならない在庫を随時チバに通知し、チバはかかる在庫を随時武田に供給する。 (2)チバは、医師と薬剤師向けのすべての資料・文献を作成・配布し、自己の費用と責任において、すべての販売と販売促進業務を実施する。 (3)チバは、武田と協議のうえ武田の販売にかかるチバ製品の価格と割引額を定める。 (4)武田は、本契約履行の対価として、原則として、販売品の正味卸向価格から五%の顧客への割戻しを差し引いた額につき17.5%の、特売の場合は右卸向価格の二〇%の、配給人としての手数料をチバから受け取る。 (5)武田は、チバの医薬品の在庫につき保管の責めを負う。 (6)武田は、チバ製品の売上げを促進する事項に関する情報をチバに提供するものとし、このため卸売商、医師、病院、薬局の最新の名簿をチバに提供することに同意する。

5 チバ製品の武田による一手販売

右配給契約中の「一手配給人に指定し」云々は、チバがわが国において被告武田以外の第三者にチバの医薬品を販売させないことは勿論、チバ自身も販売してはならないことを意味するものであり、被告武田は、チバが自ら製造を開始したのちも、右の配給契約に基づき、チバ宝塚工場から送られて来る製品を被告武田の大阪倉庫などに保管のうえ、卸店への販売を続けていた。

二能書・宣伝誌等の記載

1 能書

昭和三四年(一九五九年)のエンテロ・ヴイオフオルムの能書の末尾には、「製造 武田薬品工業株式会社、提携 チバ薬品株式会社」と記載されており、また、エンテロ・ヴイオフオルムの能書(昭和三七年〜四五年)、メキサホルムの能書(昭和三七年)、強力メキサホルムAの能書(昭和三八年)、強力メキサホルムの能書(昭和三九〜四五年)の末尾には、いずれも、「製造 チバ薬品株式会社、販売 武田薬品工業株式会社」との記載がなされている。

2 武田薬報

被告武田は、少なくとも昭和二八年(一九五三年)から同三八年(一九六三年)に至るまでの間、国内の病院・薬局に対し、以下のとおり、本件キノホルム製剤を含むキ剤の製品紹介と販売拡張を依頼する趣旨の記載された「武田薬報」を配布している。すなわち、以下いずれも「営業だより」欄において、武田薬報五二号(昭和二八年九月には、新発売品として、エンテロ・ヴイオフオルム錠「チバ」を記載し、同九七号(昭和三二年六月)には、「夏向製品の御拡売御願い」と題して、「何卒今夏も下記弊社製品につき一層の御推奨御勉売の程御願い申し上げます。下痢に……エンテロ・ヴイオフオルム錠『チバ』」と記載し、同一〇八号(昭和三三年五月)には、「エンテロ・ヴイオフオルム『チバ』の御拡売お願い」と題して、夏期需要期を控えて一層の拡売、推奨を願う旨を記載し、同一五九号(昭和三七年八月)には、「新発売品のお知らせ」と題して、メキサホルム散「チバ」の効果について紹介している。また、同一六七号(昭和三八年四月)には、「特売の御案内」と題してエンテロ・ヴイオフオルム錠などにつき特売を実施中なので拡売を願う旨が記載されている。

第二結論

一チバ・武田の提携関係の要約

以上要するに、昭和の初頭よりチバは、バーゼルの本社より原料を移入して武田商店の工場においてヴイオフオルムを製造していたが、昭和一三年(一九三八年)ヴイオフオルム等の製造権を武田商店に移譲し、原料を含めて純国産としての右薬剤の製造が開始されるに至つた。戦後昭和二八年に及んで、被告武田自ら製造の許可を得て、原末をチバ(バーゼル)より輸入したうえ、エンテロ・ヴイオフオルム「チバ」を製造・販売し、昭和三三年(一九五八年)には、チバ・武田間に前記内容の製造契約・配給契約が結ばれて、両者の提携はより一層緊密の度を加えたのである。これにより、被告武田は、昭和三六年(一九六一年)チバの宝塚工場新設に至るまでは自社の製造にかかるキノホルム剤を、その後はチバの製造にかかるキ剤その他のチバ製品を、いずれも被告武田の国内販売網に乗せて独占的販売を行なつて来たものである。

二販売者としての被告武田の責任

以上のとおり、被告武田はキノホルム剤についても単なる販売者に過ぎない者ではなく、自らキ剤の製造者であつた時期のあることが明らかであるが、本件原告中エンテロ・ヴイオフオルム剤の投与を受けた者については、その投薬の時期からして、その殆んどすべてが被告チバにおいて製造し、被告武田の販売した同剤を服用したものと認められる。よつて、本件原告らについては、被告武田の販売者としての責任が問われることとなるのであるが、前記認定(第一参照)に徴し、被告武田は、いわゆる街の薬局に見る如き単なる中間販売者に過ぎない者ではなく、本件キ剤の製造者たる被告チバと同様の注意義務を負い、したがつてまたその義務懈怠により原告らに生じた損害の賠償の責めに任ずべきものといわなければならない。

もつとも、本件の如く販売者につき責任の認められるべき場合においても、なお製造者の責任と販売者の責任とはとうてい同日に論じ難いものがあり、その間、責任の程度に軽重の差のあるべきことは当然であるが、この点は、いわば製造者・販売者間の内部関係の問題たるにとどまり、被害の生じた相手方(本件原告ら)との関係においては、製造者・販売者の両者連帯して、その損害を賠償すべき義務あるものといわなければならない。

《表一〜三、図面一〜二――省略》

第二章被告国の責任

第一節反射的利益論について

第一医薬品の製造承認(旧許可)行為につき民事上の責任を負うことなしとする被告国の主張

被告国は、医薬品の製造承認(旧許可)に関し、個々の国民に対する関係において、国の不法行為の成立を一般的に否定するが、その理由は次のとおりである。

一違法な行政処分に対する取消訴訟の原告適格と国家賠償請求訴訟における被侵害利益とのアナロジー

1 法的に保護された利益と反射的利益

「違法な行政処分により不利益を受けたとする者が、救済を受けるため取消訴訟を提起するに当たつては、まず第一にその受けたとする不利益が権利ないしは法的利益の侵害であるのか、あるいは単なる事実上の利益ないしは反射的利益の侵害であるのか、が確定されねばならない。そして、この検討の結果、その不利益が、単なる事実上の利益ないしは反射的利益の侵害であるならば、その者には取消訴訟を提起する資格はないことになる。

このような検討は、違法な行政処分により損害を受けたとする国家賠償請求事件においても、当然行われなければならない。その受けたとする損害が、単なる事実上の利益ないしは反射的利益の侵害によるものであるならば、このような利益は当該行政処分との関係においては法的に保護された利益とはいえず、したがつて、当該行政処分の違法の理由として損害のてん補を求めることは許されないからである。」

「要するに、違法な行政処分により損害を受けたとして、国家賠償を求める請求の当否を判断するに当たつては(特に、賠償を求める者が当該処分の相手方でない場合には)、まず、その主張する損害が当該処分との関係において『法律上の利益』といい得るか否かを検討しなければならないというべきである。すなわち、この点において、右のような国家賠償請求訴訟は、取消訴訟と差異はないものといわなければならない。

以上に述べた事柄は、本件にもそのまま該当するものである。すなわち、本件で問題となつている本件医薬品の承認・許可は、もとより原告らを相手方としてなされたものではないからである。

したがつて、本件では、まず第一に、原告らが侵害されたと主張する権利ないし利益が、厚生大臣のした本件医薬品に対する承認・許可との関係において、『法律上の利益』といい得るか否かが検討されなければならない。」

2 薬事法の立法趣旨および目的

ところで、「薬事法の立法趣旨及び目的は、薬事法制が創設され、数回にわたる改正・制定を経て現行薬事法に至るまでの間、一貫して、いかに医薬品の性状及び品質を確保し、これに違反した不良医薬品を取り締まるかにあつたということができる。このような取締法規としての薬事法としての性格は、医薬品の安全性の確保が緊急課題となり、より積極的な薬務行政の展開が必要とされるに至つた現在においても変わるものではない。そこで、右のような性格としての薬事法はそのままにしておきながらも、わが国においては、このような新しい行政需要には、行政指導という形で対応することにしている。

すなわち、医薬品の安全性の確保については、その性質上何よりも業界の自主的積極的な活動にまつべき点が多いので、法的規制よりも、説得及び忠告という行政指導によつてその目的を達成しようとしているのである。

更に、現行薬事法又は旧薬事法の性格が取締法規であることは、次のような事情からも明らかである。明治二二年薬品営業竝薬品取扱規則から、昭和一八年薬事法(旧々薬事法)、昭和二三年薬事法(旧薬事法)を経て、昭和三五年薬事法(現行薬事法)に至るまで、それぞれについてその制定又は改正の経過を見ると、後法は前法より更に徹底した形で不良薬品を取り締まるという点にその立法の動機があつたといい得る。例えば、現行薬事法は、不良医薬品の取締りについては旧薬事法に比しより詳細な規定を設けているのである。

しかしながら、これに反して、製造承認に当たつての審査基準、審査手続及び審査機関並びに承認後における追跡調査制度及び承認の撤回等に関しては、旧薬事法と同様に規定を欠き、医薬品の安全性確保のための積極的な具体的規定は見られない。このことは、サリドマイド事件以後制定又は改正された先進諸国の薬事法制と比較すると一層明らかとなる。すなわち、一九六二年の米国キーフオーバー=ハウス修正法、一九六八年の英国薬事法、一九七六年の西独薬事法等は、厳格な新薬の許可、既発売薬品の再評価及び副作用情報収集体制、GMP等の医薬品の安全性確保についての具体的規定を設けている。したがつて、我が国の現行薬事法は、その規定の体裁からいつて、国に対して積極的な安全保証活動を法的義務として義務付けた法律ということはできないのである。

このように、旧薬事法はいうに及ばず、現行薬事法も取締法規であるとすると、薬事法の立法趣旨及び目的は、適正な医薬品の供給を通じて『公衆衛生の向上及び増進』(厚生省設置法四条一項参照)という公衆(国民全体)の利益を保護することにあると解すべきであつて、副作用のない医薬品の供給を受け得るという個々人の利益を保護するにあると解することはできない」。

3 結語――個々の国民に対する不法行為責任の不成立――

「以上によれば、厚生大臣は、薬事法により国民の健康の維持、増進を図るという政治的行政的責務を負うとはいい得ても、国民のうちの特定の個人に対して何らかの法律上の義務を負うとはいえない。

したがつて、医薬品の副作用により被害を受けたとする特定の個人が、厚生大臣の義務違反を理由として国に対し損害賠償を請求するのは、その法的根拠を欠くものといわざるを得ないのである。被害者の損害のてん補は、当該医薬品の製造・販売業者に対する民事上の損害賠償請求によつて、あるいは、それが医療過誤に該当する場合は当該医師に対する民事上の損害賠償請求によつてなされるべき筋合のものである。国が社会福祉、社会保障の向上及び増進を図るという政治的、行政的責務に基づく各種の施策によつて被害者の救済を図るのは格別、被害を受けたとする特定の個人に対して民事上の損害賠償という法的責任を負うとするのは、その法的根拠を欠くというほかはない」。

二国の主張の要約

以上は、本件における被告国の主張の根幹をなすものであるので、これを詳細に摘記したが、その主張は要するに、薬務行政に関する実定法規としての薬事法を見るのに、昭和二三年法は、公定書外医薬品の製造について、品目ごとに厚生大臣の許可を要すべきものとし(二六条三項)、昭和三五年法は、局方外医薬品の製造承認の申請があるときは、厚生大臣は、名称、成分、分量、用法、用量、効能、効果等を審査し、品目ごとに製造承認すべきものとしている(一四条一項)が、かかる規定を設けた薬事法の趣旨および目的は、適正な医薬品と供給を通じて「公衆衛生の向上及び増進」という公衆(国民全体)の利益を保護するにあると解されるから、厚生大臣の製造承認(旧許可)の結果、個々の国民が副作用のない医薬品の供給を受け得たとしても、それは単なる反射的利益にすぎず、したがつて、もしかかる利益の侵害があるとしても、何ら権利または法律上の利益(法的に保護された利益)の侵害には当たらないから、製造承認(旧許可)に関する厚生大臣の行為に違法があつても、第三者たる個々の国民との関係において、国に不法行為責任が成立する余地は存しない、というのである。

第二被告国の前記主張に対する判断

一問題の所在

1 製造承認(旧許可)の性質

昭和三五年法一四条による“品目ごとの承認”は、製造業の許可と一体をなすもので、その関係において、これを一般的禁止の解除たる性質を持つものと解して妨げなく、昭和二三年法二六条による“品目ごとの許可”と軌を一にする。よつて以下、現行の昭和三五年法の規定に則り、便宜、「製造承認」に集約して述べることとする。

2 製造承認に関する申請手続の構造

法は、右の「承認」を、申請者(製造・輸入業者)と行政庁(厚生大臣)という二者間のみの法律関係を前提として規定している。承認の申請手続において、将来の服用予定者たる個々の国民の関与は認められず、申請が許容(承認)されれば当該申請手続は完結し、申請が拒否(不承認)されれば、申請者たる業者には拒否処分に対する取消訴訟の提起という途が開かれている。すなわち、そこにおいて、承認の対象となる各品目ごとの医薬品の使用者(服用者)が当該法律関係の当事者として登場する場面は、法の予定するところではないのである。

しかし、それでは、厚生大臣によつて製造承認された医薬品の使用者(服用者)は、当該行政庁(その権利主体たる国)と如何なる法律関係に立つこともないといい得るか。これが問題の出発点であり、被告国の主張する“反射的利益論”の当否に直接つながる論点にほかならない。

二取消訴訟における原告適格の有無と不法行為の成否

1 承認または承認拒否処分の取消訴訟における第三者たる国民の原告適格

(一) 製造承認行為の持つ社会的機能の観点から

法の予定する行政庁の行為は、確かに、申請者という特定人(製造・輸入業者)に対する個別的行政行為(承認または承認の拒否)である。しかし、医薬品の品目ごとの承認は、一度これが許容されれば、通常、不特定多数の国民の服用が予定される関係にあるから、申請手続が申請者たる業者と行政庁という両者間のみの関係に限つて規定されているとはいえ、製造承認という行政行為は、その実質において、不特定多数人に対する集団的社会的行為として機能する性格を有するのである。

果して然りとすれば、製造承認が国民の生命・健康の維持・増進に多大の影響を持つ可能性があるからといつて、承認処分につき第三者たる国民の側から取消訴訟を提起し得るか(たとえば、キ剤につき販売中止措置がとられていない場合を想起すれば足りる)、また逆に、承認拒否処分につき第三者たる国民の側から取消訴訟を提起し得るか(たとえば、「経口避妊薬」としてのピルの“解禁”を求める人びとの如き場合を想定すれば足りよう)については、問題のあるところであつて、かかる場合、申請手続上の関係者として予定されていない第三者の原告適格は、容易に認められ難いであろう。従来の判例・学説上、製造承認ないしその拒否処分についての第三者からの取消訴訟の提起の許否については、特段の論議が行なわれた例も見当たらず、判例の傾向からすれば、原告適格の否定はむしろ確定的であるといつてよい。

(二) 現行法規における「医薬品の安全性確保についての具体的規定」の欠落の観点から

ところで、医薬品の品目ごとの製造承認は、まさしく行政庁の高度に専門技術的な裁量に委ねられる行政行為というべく、その結論の妥当性を担保するため、現行法上、厚生大臣の諮問機関として、中央薬事審議会が置かれ(昭和三八年三月これに医薬品安全対策特別部会が設けられ)ているのであつて、問題はそこでの“審査”の内容(実際)にあるといつてよい。

飜つて、諸外国の例を見るのに、いみじくも被告国自身の指摘するように「一九六二年の米国キーフオーバー=ハリス修正法、一九六八年の英国薬事法、一九七六年の西独薬事法等は、厳格な新薬の許可、既発売薬品の再評価及び副作用情報収集体制、GMP等の医薬品の安全性確保についての具体的規定を設けている」のであつて、医薬品に対する需要の高い、その意味での先進国であるわが国において、何故に右諸外国の例に比し、薬事法上、「医薬品の安全性確保についての具体的規定」が、かくも見事なまでに欠落しているのであるか、何びとも疑問とせざるを得ないであろう。

そして、かかる実定法規の不備(欠落)の改正を差し置いて、製造承認の審査手続の適正ないし結論の妥当性を担保するため、将来不知の間に服用の可能性を有し、またはとくに服用を希望する第三者たる国民の側からする承認または拒否処分に対する取消訴訟の提起を認めることは、政策論としても、むしろ筋違いのことに属するものというべく、以上要するに、薬事法所定の、医薬品の品目ごとの製造承認またはその拒否処分に対する第三者(個々の国民)からの取消訴訟の提起については、かかる第三者は、実定法上、「法的に保護された利益」を有せず、行政庁の製造承認権の行使により、医薬品として不適当なものの供給を受けることがないという「反射的利益」を有するに過ぎない、というに帰着する。

これが判例上も肯定されている従来からの伝統的な考え方であり、取消訴訟における原告適格の有無という観点からするかぎり、被告国の主張するところも、あながち不当とすることはできないのである。

2 違法な製造承認と第三者たる国民に対する不法行為の成否

(一) 製造承認処分の瑕疵が第三者たる国民との関係においても違法となる場合

前記のように、医薬品の品目ごとの製造承認につき、申請手続上の第三者たる個々の国民は、行政庁の承認権行使による反射的利益を有するに過ぎないけれども、しかし、だからといつて、薬事法上の関係規定の趣旨・目的が窮極的に「公益」保護の一点に尽き、個々の国民が行政庁の適正な権限行使により、自己の生命・身体の安全あるいは健康を維持・増進され、とくにこれを侵害されないという利益(地位)が常に、単なる「事実上の利益」あるいは公益目的の反射に過ぎないものということはできない。

すなわち、たとえば、行政庁が承認審査のため法の明文上規定され、もしくは法の趣旨・目的に従つて行政庁自ら定めた重要な審査手続を履践せず、または所定の審査規定によれば当然に承認すべからざるものを承認する等審査手続の適用・判断を誤り、その他、法の趣旨・目的に著しく反する判断をした場合においては、かかる処分上の瑕疵は、相手方(申請業者)のみならず、一般に承認手続の結果を受容せざるを得ない立場にある第三者(不特定多数の国民)に対する関係においても、当該処分を違法ならしめるものといわなければならない。すなわち、かかる違法な製造承認により流通に置かれた医薬品を服用した個々の国民に服薬による被害を生じたときは、行政庁の当該処分行為と服用者に生じた損害との間に相当因果関係の認められるかぎり、行政庁と服用者(個々の国民)とは、不法行為法上の加害(関与)者――本来の加害者は欠陥ある当該医薬品の製造・販売者にほかならない――および被害者の関係に立つ。そして、かかる法律関係の成否という観点からすれば、個々の服用者が承認申請手続上の第三者であつて、当該承認の許否の処分の名宛人でないということは、法律上いかなる意味も有するものではない。

(二) 結論――原告適格の有無と不法行為の成否との非関連性――

前記の反射的利益論と右の不法行為の成否との関係について、約言すれば次のようにいうことができよう。すなわち、

「反射的利益」およびこれに対立するものとしての「法的に保護された利益」という一対の概念は、取消訴訟その他の抗告訴訟(行政庁の公権力の行使に対する不服の訴訟)において、“訴えの利益”の有無を判定する基準としての役割を担う技術概念にほかならず、本件の如き行政庁の“不法行為”を理由とする国家賠償請求事件においては、行政庁の処分にその遵守すべき行為規範の違反があつて、当該違法行為と原告の主張する損害との間に不法行為法上の相当因果関係が認められれば足り、処分の相手方でない者に取消訴訟の原告適格が認められるか否かの問題と、承認申請手続上の第三者たる個々の特定人に損害を生じた場合の不法行為の成否とは、論理上、直接の関連を有するものではない、というに帰着する。

第二節薬事法の沿革

第一昭和一八年薬事法の制定以前

一薬品営業竝薬品取扱規則(明治二二年法律第一〇号)

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

明治新政府の発足とともに近代医学に基礎を置く医療制度も摂取され、これに関する法制も徐々に整備された。明治一九年六月に日本薬局方が公布されて翌二〇年七月から施行され、明治二二年法律第一〇号として薬品営業竝薬品取扱規則(一般に薬律といわれる)が公布された。これと同時に、同法の執行に必要な、薬剤師試験規則、薬品巡視規則および毒劇薬品目の三省令も公布された。これによつて先に公布された日本薬局方と相俟つて、わが国における医療制度の基礎と輪廓が一応整備されるに至つた。これよりさきに、政府は、製薬免許手続と薬品取扱規則を定め粗悪不良医薬品の取締りを図つていたが、前記薬律もこの趣旨のもとに制定されたもので、その実施の成果について相当の期待を持たれていたにもかかわらず、意外にも不良医薬品がその後依然として跡を絶つような様子もなかつた。これは根本的に薬律の規定に不備や欠陥があることによつた。すなわち、薬律二六条および二七条において、日本葉局方もしくは外国薬局方に記載する薬品は、その性状品質が局方の所定に適合するものでなければ「販売若クハ授与スルコトヲ得ス」と規定されていたが、販売または授与した場合以外は、たとえば売買の目的で粗悪薬品を倉庫に貯蔵し、または店頭もしくは製造場に陳列した場合であつても、その罪を問うことができなかつた。そこで、明治四〇年薬律が改正され、これにより局方に適合しない薬品は、販売および授与のみならず製造、貯蔵、陳列をも禁止することとし、同時に指定医薬品を定め、この薬品の販売授与は薬品の品質鑑別の能力を持つている薬剤師にのみ限定し、他の者の同様の行為を禁止することとした。

右の改正に伴い明治四〇年二月内務省令第二八号により新薬(日本薬局方および外国薬局方のいずれにも記載されていない薬品)、新製剤(薬局方に記載された薬品を用いて製造した薬品を含む)の製造または輸入による発売か届出を必要とすることに改められ、その後に明治四四年一〇月内務省令第一八号にも踏襲された。

二売薬法(大正三年法律第一四号)

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

売薬は古くからわが国において広く使用されているので、売薬の取締りと規整の重要なことは政府もつとに認めていた。したがつて、明治三年に売薬の取締りを大学東校に当らしめ、明治六年には文部省医務局に売薬の検査と許可を行なわしめた。次いで明治一〇年太政官布告をもつて売薬規則が制定された。その後、この売薬規則に欠陥が指摘され、大正三年に売薬法が制定された。これによる改正点を挙げれば、毒薬配伍に関する法文を明定したこと、売薬業者の資格を定めたこと、売薬原料につき一定の品質を具備すべき旨の規定を置き、売薬の調整・販売場所を臨検し、または売薬を検査する制度を設けたこと、売薬広告の取締りの途を開いたこと、輸出する売薬に関する規定を設けたこと、売薬の請売、行商出願の制度を廃止したこと等である。

三当時における薬事法制の目的

以上によれば、昭和一八年法律第四八号(旧々薬事法)制定以前の薬事法制は、医薬品を薬品と売薬に分け、薬品は薬品営業竝薬品取扱規則の、売薬は売薬法の適用を受けた。売薬法上、発売についての免許(二条)、売薬の効能の公示についての規制(八条)、広告についての制限(九条)等により、売薬に関する取締規定を置き、薬品営業竝薬品取扱規制にあつては、薬局方所定不適合薬品の製造、貯造、陳列、販売または授与の禁止規定(二六―二七条)、薬品貯蔵方法に関する規定(二八条)、局方外不良薬品の製造、貯蔵、陳列、販売または授与の禁止処分(三八条ノ二)、薬品巡視規則の制度(三八条)を設け、薬品の純良を保持し、不良薬品の取締りを目的としたものであつたことが認められる。

第二昭和一八年薬事法(旧々薬事法)

一戦時体制下における。初の「薬事法」

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1 戦時体制下の統制

戦時体制に入り医薬品についても次のとおり統制が実施された。医薬品の価格について、昭和一四年九月一八日の価格を超えて値上げすることを禁止する応急措置がとられ、同年一〇月一八日には国家総動員法に基づき価格統制令が制定公布された。同年二月資源調査法一条に基づき、医薬品其の他衛生用物資現在高調査規則が制定公布され、病院診療所および薬局の開設者、医薬品の製造業者、輸入販売業者に対して、調査期日における指定された医薬品の所有数量を申告せしめることとした。また、同年五月七日国家総員法に基礎をおく生活必需物資統制令に基づいて医薬品等統制記則が定められ、これにより医薬品の統制機関として日本医薬品配給統制株式会社と日本医薬品生産統制株式会社が設立され、厚生省の生産計画に基づいて、後者は各製薬業者に対して原資材の割当を行ない、またこれによつて生産された統制医薬品の買上げを行ない、前者は後者から統制医薬品を買い受けてこれを地方に配給する機関となつた。

2 昭和一八年法の制定

このような統制経済を背景に、昭和一八年三月一二日法律第四八号が、わが国において初めて「薬事法」の名を冠して制定された。この法律は、「本法ハ薬事衛生ノ適正ヲ期シ国民体力ノ向上ヲ図ルヲ以テ目的トス」(一条)とし、「医薬品ノ製造業ヲ行ハントスル者ハ命令ノ定ムル所ニ依リ主務大臣ノ許可ヲ受クベシ但シ命令ヲ以テ格段ノ定ヲ為シタル場合ハ此ノ限ニ在ラズ」(二二条一項)と定め、医薬品の製造について許可制を導入した。同法制定の趣旨につき、厚生書記官木村忠二郎は、同法の解説「薬事法の概要について」において、次のように述べている。

「薬事衛生の適正を図るといふのは、結局、医薬品の性状竝に品質を適正ならしめ、其の生産竝に消費に関しては、其の必要に応じて適正ならしむるが如く措置し、医薬品、薬物、飲食物等の検明を適時に適正に行ふと共に之に基き必要なる措置を適正に行ふことを謂ふものである。要するに、薬学の知識竝に技術が適正に且適時に其の動員せられることを謂ふものといつている。かくして医薬品、薬物等が国民の保健衛生上十分なる効果を発揮し、以て国民体力の向上に寄与し得らるるのである」(昭和一八年四月、警察研究一四巻四号)と。

二同法制定の目的

以上によれば、昭和一八年法の目的は、医薬品の性状ならびに品質を適正ならしめるという不良医薬品に対する対策を行なうことと、その生産ならびに消費に関して適正なる措置を行なうという戦時統制にあつたものということができる。

第三昭和二三年薬事法(旧薬事法)

一新憲法の施行に伴う薬事法の全面改正

戦後、日本国憲法の施行(昭二二・五・三)に伴い、「この憲法……の条規に反する法律……は、その効力を有しない」ものとされ、すべての法令が再検討された中で、許可事項を中心とした昭和一八年法も全面的に改正されることとなり、新憲法下に装いを新たにした薬事法が制定された。昭和二三年七月二九日法律第一九七号がそれである。<証拠>によると、新法の趣旨は次のように解説されている。

1 厚生省薬務局「新薬事法解説」昭和二三年八月(執筆者中村光三)はいう、

「一 終戦後における社会諸制度の民主化的傾向に鑑みるならば、薬事行政乃至薬事制度の領域においても、その運営の民主化を図る措置を講ずることは最も緊要なことと言わねばならない。戦時的な統制行政の枠を外して薬業界の自主的な活動を促すことは日本経済の再建にとつても亦不可欠の条件であろうと思われるのであつて、旧薬事法〔注、昭和一八年法を指す。以下同じ〕における許可制度に関する諸規定はこの意味においても最も強くその改正が要望されていた。

二 次に新憲法の施行に伴い、広汎な委任立法については、その速かなる改正が要請されるに至つているのであるが、旧薬事法においても命令への委任事項が相当存していたのであつて、かかる規定の改正は一日も早くこれを実現しなければならなかつた。

三 最后に最近殊に著しい不良粗悪なる医療品医療用品又は化粧品の横行は、その一半の原因は勿論原料資材の不足、物価の高騰及び社会秩序の混乱等にこれを求め得るのであるが、他の一半の原因は、旧薬事法における取締規定の不備にこれを帰さねばならぬのであつて、新憲法により公衆衛生の向上及び増進に努めるべきことが国家の最高責務の一とせられていることに思を致すならば、取締規定の不備を補い取締の完璧を期することは、刻下の急務と言わなければならない。

以上に述べた諸点が旧薬事法を廃止して新薬事法を制定しなければならなかつた主な理由であつて、かかる趣旨に基き新薬事法は終戦後の諸情勢に即応して新しい視野に立つて薬事制度の自主的運営、委任立法規定の縮限、及び公衆衛生保護の見地よりする取締規定の整備にその主眼をおいているのである」と。

2 厚生省薬務局監修「薬事年鑑」昭和二六年

右の「薬事年鑑」は、昭和二三年法の特色の一つとして、「許可事項の縮限、登録及び登録更新制度の採用」を挙げ、その項においていう。すなわち、

「法律的な考え方として、許可とは一般に禁止されている事柄を特定の者に丈禁止を解除するという意味であり、許否の決定権は主務官庁にある。特に戦争による企業整備の強行により既存の業態については整理統合を遂行する一方、新規許可は原則として認めない方針をとつた。即ち許可制度が経済統制を強化する手段とされたのであつて、それは合法的に行なわれた訳である。

然るに新憲法の下において、民主的な自由を擁護するためには官庁の一方的判断によつて営業の自由を左右することは許されず、許可制度はそれが真に国民全体の生命、保健に必要な部面についてのみ許され、適用されることになり、右以外の営業は原則として自由に認めることが強く要請されるに至つた。新憲法第二十二条には、『何人も公共の福祉に反しない限り居住移転及び職業選択の自由を有する』と保障した所以である。

新しい薬事法は、医薬品・用具・化粧品の製造業、薬局開設・医薬品販売業について、前者は厚生大臣による登録、後者は都道府県知事による登録とし、これを毎年更新するという制度をとつた。

ここで登録という言葉の意味であるが、それは一定の客観的条件をみたした上での届出とでも言うべきものであり、登録を申請した者は誰でも、別に定められた登録基準に適合していれば、行政官庁によつて当該申請が受理せられ、登録簿に登録した上これを証する証票(登録票)を交付するということになる。」

「公定書(日本薬局方、国民医薬品集)に収載されている医薬品を製造又は販売する場合には、登録すれば足りるというのも、これらの医薬品の規格が権威ある公定書で定められているのであるから、一々行政庁の判断によつて許否を決する必要がないという趣旨によるものである。又公定書に収載されていない医薬品については、従前通り一品目毎に厚生大臣の許可を要するとしているのは、薬事法において認めた許可事項の唯一のものであつて、新しい医薬品や公定書に収められていない医薬品の許可について申請すれば、自動的に製造販売して差支えないとすることは保健衛生上好ましくないとしているからであつて、この場合の許可に当たつては薬事審議会の建議によることとし、許可が主観的に流れるのを防ごうとしている。

以上によつて見ても嘗つての許可が距離制限を伴つたり、経済統制的に流れることは今後は許されないものであり、純粋に保健衛生の向上という観点からのみ許否を決すべきものとされているわけである」と。

また、右の薬事年鑑は、「薬事法の問題点とその将来」と題する項において、次のようにいう。すなわち、

「薬事監視の強化は……当然之を行わなければならないものではある。これは行政の方針の問題である。しかし、薬事法の運用の重点を何れに置くかという事についてその変遷を見るとき、戦後の統制からその解除と共に本来の取締監督行政に戻りつつあることと思い合わせて興味のあることである」と。

二公定書外医薬品等の製造の許可と薬務局の新設

1 法二六条および規則二二条

昭和二三年法二六条は、(一項)「医薬品、用具又は化粧品の製造業を営もうとする者は、省令の定めるところにより、手数料を納めて製造所ごとに、厚生大臣の登録を受けなければならない」、(三項)「医薬品の製造業者が、公定書に収められていない医薬品を製造しようとするとき、又は用具の製造業者が用具を製造しようとするときは、品目ごとに、その製造について、厚生大臣の許可を受けなければならない」、(四項)「厚生大臣が、新医薬品その他公定書に収められていない医薬品について前項の許可を与えるには、薬事委員会の建議に基いて、これをしなければならない」、とした。

右にいう「許可」は、前記のように、同「法において認めた許可事項の唯一のもの」(一、2参照)であつたが、この許可を与えるにつき「薬事委員会の建議に基いて」なすべきことを要するとした四項の規定は、後に削除されるに至つた(後記三、1参照)。

また、同法施行規則(昭二三・八・一五厚生省令第三七号)は、その二二条において、品目ごとの製造許可の申請書の必要的記載事項につき、(四項)「製造品目の成分及び分量並びに製造法、成分不明のときは、その本質及び製造法」、(五号)「用法、用量及び効能」と規定した。許可申請手続に関する実務のうえで、申請書における「効能」欄には、当該製造品目の適応症が記載される扱いとなつていた。

2 新医薬品の審査についての資料の要求(薬務局長通知)

厚生省に薬務行政を担当する部局として薬務局が誕生したことは後述のとおりであるが、昭和二四年八月四日薬発第一三七二号をもつて「薬事審議会で審査する新医薬品について」と題する薬務局長通知が発せられ、公定書外医薬品許可に当つて、薬事審議会(前記の「薬事委員会」を改称したもの)で審査する場合は、その品目の内容につき調査研究するため「製品の見本五十人分、製品に関する文献の写五十部、製品に関する実験例(少なくとも二か所以上の実験報告とする)五十部」の資料の提出が必要とされた。

2 薬務局の新設

昭和二三年法は、前述のように、同年七月二九日法律第一九七号として公布、即日施行されたが、同月、厚生省内に薬務局が新設されるに至つた。従来、薬務行政については、終戦の前後にまたがつて、衛生局に薬務課(昭和一七年)、製薬課(同二〇年)、麻薬課(同二二年)が設けられ、薬事全般にわたる復興と取締りの事実を分掌していた。昭和二二年一一月、衛生局を廃し、公衆保健局、医務局、予防局が設けられるに伴い、薬務に関する前記三課は医務局の傘下に入ることとなつた(被告国最終準備書面七二頁、乙四二号証の二)。

翌年七月、昭和二三年法の施行と時を同じうして新設された薬務局の設置につき、同局監修の前記「薬事年鑑」昭和二六年は、次のように述べている。

「昭和二十三年……かくして計画実施された重要医薬品の増産対策によつて、生産は上昇カーブを画いて来たのであるが、当時急速に内外にその重要性をあらゆる方向より認識されて来た薬務行政は、官民一致の要望により遂に医務局より独立して待望の薬務局の設置を見たのである。茲に当時の薬務局の課の編成と共に其の推移を示せば次のとおりである。

二十三年七月 薬務、製薬、麻薬、

療品、資材、審査

二十四年三月 薬務、製薬、麻薬、

療品、細菌製剤、監視

二十四年十月 企業、薬事、製薬、

麻薬、細菌製剤、監視

これによつて其の間の薬務行政の大略の在り方がうかがわれる」。

「昭和二十四年……十月には、従来薬務課で所管していた薬業経済に関する業務を強力に拡充し、茲に企業課が独立し、企業、貿易、生産、配給、財務、資材、調査等に亘る広範な経済業務を担当することとなつた。この企業課の誕生によつて医薬品その他衛生用品について厚生省は単に需要者のみからでなく事業を育成する産業官庁としての立場をはつきりさせたものといえよう。又其の他の従来行つて来た監督行政を所管する薬事課が設置されている」と。

なお、この間、昭和二四年三月、新設後間もない薬務局が俄かに医務局薬務部に組織替えされんとする機運となるや、この薬務局廃止案に対し、「業界総蹶起のの猛反対」が報ぜられ、また、薬事委員会は同月一七日緊急常任委員会を開き、「薬務局存置を切望する」旨の建議を行なつている(同年三月一九日付「薬業タイムス」八八号、甲3六四〇号。)薬務局廃止反対についての業界の決議ないし薬事委員会常任委員会の協議において、薬務局は、「産業局」、「経済局」、「生産局」、「行政局」であり、「局の廃止は産業助長等に逆転を来す」との指摘が見られることは、薬務局監修の前記「薬事年鑑」の叙述に照らして、興味深いところである。

三薬事審議会

1 行政委員会的存在から諮問機関へ

昭和二三年法制定当初においては、薬事委員会(昭和二四年法律第一五四号により「薬事審議会」と改称)は、厚生省に対して半ば独立した行政委員会的な権限をもち、薬剤師国家試験を執行し、また厚生大臣の行なう免許または登録の取消、業務の停止等の行政処分についても一種の再審機関的な性格を有していたのであるが、二六年に各省の審議会の権限、組織等について一般的な整理が行なわれた際、その一貫として改正され(昭二六・六・一法律第一七四号)、「厚生大臣の諮問に応じ、薬事……並びに毒物及び劇物の取締に関する重要事項を調査審議させるため、厚生大臣の監督に属する薬事審議会を置く」ものとされた(改正後の昭和二三年法一三条)。これにより薬事審議会は独立行政委員会的な性格を失つて諮問機関となり、制定当初の法二六条四項の規定は削除されるに至つた。

2 包括建議

法二六条四項の規定の削除は、昭和二六年六月一日公布・施行の同年法律第一七四号によつたもので、それまでの間、厚生大臣が「新医薬品その他公定書に収められていない医薬品について」製造の許可を与えるについては、すべて「薬事委員会〔薬事審議会〕の建議に基いて」することが必要であつた。

この点につき、前掲厚生省薬務局「新薬事法解設」(一、1参照)は、「新医薬品については、実際上製造許可をする個々の場合につき、その適格性を判定するのであるが、従来の新薬、新製剤の如き医薬品についてその許可を一々薬事委員会の建議に俟つときは行政上の能率を阻害する計りでなく、医薬品によつては、その必要のないものもあると思われるので、かかる医薬品については予め薬事委員会が包括的に建議し、この建議の範囲内で厚生大臣が具体的事例につき許可を与えて行くようになるものと思われる。上述のような運営の方式については、その他の事項と共に、薬事委員会の定める薬事委員会規則によつて規定さるべきものである」、とした。

かかる見解のもとに、薬事審議会は昭和二三年一二月一七日「薬事審議会の公定書外医薬品製造に関する包括建議」を定め(当初は一項ないし四項)、同二四年四月二三日に五項ないし七項を追加し、同二五年四月一七日さらに八項を追加した。その内容は、次のとおりである。

「薬事法第二十六条第三項の規定によつて厚生大臣が行う公定書に収められていない医薬品製造許可について、その医薬品が左の各号の一に該当する場合においては厚生大臣は同法第四項の規定に基く薬事審議会の建議は之を個々に求めることなく許可を与えられたい。

(一) 公定書医薬品を主な有効成分とする製剤で従来之に類するものが存在し効能その他の内容が適当なもの。

(二) 主な有効成分が既往に許可を受けた公定書外医薬品よりなる製剤であつて従来これに類するものが存在し効能其他の内容が適当なもの。

(三) 有効成分が公定書医薬品及び既往に許可を受けた公定書外医薬品よりなる製剤であつて従来これに類するものが存在し効能其他の内容が適当なもの。

(四) 薬事法に基いてその内容についての基準が定められているもの。

(五) USP、BP、独局方、瑞局方、佛局方、米局方註解、NF及びNNRに収載されている医薬品。

(六) 政府貿易により輸入したもの。

(七) 普通知られている生薬。

(八) 米国、独国、瑞国、佛国、英国等において既に製造販売されている有名医薬品で効能その他の内容が適当なもの。

但し、効能が結核、癌その他難治の疾病に用いる医薬品についてはこの限りではない。」

四同法制定の目的

以上のように、昭和二三年法の規定上、医薬品の製造許可申請にあたつて提出すべき資料および厚生大臣の審査についての具体的・基礎的基準の定めもなく、昭和二四年八月四日局長通知により要求されるようになつた資料も、申請が薬事審議会で審査される場合に限られ、公定書外医薬品の薬品の製造許可申請一般に該当するものではなかつた。また、審査手続について、当初必要とされた薬事委員会の建議についても同年一二月一七日「包括建議」が定められた以外に準則が存しない状態であつた。このような昭和二三年法の規定は、終戦前の統制経済的な規制から脱却し、薬業界の自主的な活動を促すとともに、不良粗悪な医薬品医療用品または化粧品の横行に対し、昭和一八年法の不備を補い、取締の完璧を期するという目的によつたものと解されるのである。

第三節現行薬事法の規定と立法趣旨

第一実定法規としての昭和三五年法の法体系

一具体的諸規定について

1 局方外医薬品等の製造の承認に関する規定

法一四条一項は、「厚生大臣は、日本薬局方に収められていない医薬品、医薬部外品、厚生大臣の指定する成分を有する化粧品又は医療用具……につき、これを製造しようとする者から申請があつたときは、その名称、成分、分量、用法、用量、効能、効果等を審査して、品目ごとにその製造についての承認を与える」と規定する。

昭和一八年法において、薬事行政に多くの許可制が導入されたのに対し、新憲法下の昭和二三年法においては、公定書外医薬品等の製造についての品目ごとの許可が同法の認めた許可事項の唯一のものであつたことは、前述(第二節、第二第三、一、2参照)のとおりである。これに対し、昭和三五年法一四条は、「承認」の語を用いるが、これは旧法において規定する品目ごとの「許可」が、品目の承認とその品目にかかる製造(業)の許可(昭和三五年法一三条一項参照)との二つの性格を併有していたのを、分離して明規したことによるもので、前法と後法とは、この点においてなんらその性格を異にするものではない。

なお、昭和一八年法施行規則二二条の規定に対比し、とくに「効果」の一語が追加されている如く見えるが、「効能」と「効果」の別は必ずしも明らかでなく(前者との対比において後者をとくに副作用と解する説があるが、妥当とはいえない)、許可申請手続に関する実務上は、申請書に「効能又は効果」の欄が設けられ、従前どおり、当該製造申請品目の適応症が記載される扱いとなつていた。

2 同法中の他の許可に関する規定との対比

昭和三五年法は、第一章ないし第一一章より成るが、同法は、医薬品等の製造業および輸入販売業については、営業所ごとに厚生大臣の許可を受けることを要するものとし(一二条、二二条)また、薬局の開設および医薬品の販売業については、それぞれ所轄都道府県知事の許可を要するものとし(五条、二四条)、以上を通じて法定の更新期間が明記されている。

そして、同法は、医薬品等の製造業者・輸入業者につき、また、薬局の開設者や医薬品の販売業者につき、この法律その他薬事に関する法令等に違反する行為があつたときは、前者については厚生大臣、後者については都道府県知事において、その許可を取り消すことができる旨を規定し(七五条)、かかる取消処分または前記許可の更新の拒絶については、あらかじめ、その相手方に処分の理由を通知し、弁明及び有利な証拠の提出の機会を与えなければならない旨の聴聞の規定(七六条)を置いている。しかるに右七五―七六条は、医薬品の品目ごとの製造承認(一四条)には何ら触れるところがない。

そもそも、右一四条(局方外医薬品の製造の承認)は、一二条(製造業の許可)、二二条(輸入販売業の許可)と同一の第四章に属し、しかも第三章(薬局)、第四章(医薬品等の製造業及び輸入販売業)、第五章(医薬品及び医療用具の販売業)が、昭和三五年法中に相前後して配置される関係からいつても、一四条の品目ごとの製造承認に関する取消しないし聴聞の規定の欠如は、何ら立法作業上の過誤ではなく、明確な立法政策に基づくものであることが看取されるのである。

3 とくに同法七九条の規定について

昭和三五年法の性格については、後に判例の見解を引きつつ検討するが、同法中、最もよくその性格を表わしているのが、七九条(許可の条件)に関する規定である。同条はいう、(一項)「この法律に規定する許可又は承認には、条件を附することができる」、(二項)「前項の条件は、保健衛生上の危害の発生を防止するため必要な最少限度のものに限り、かつ許可を受ける者に対し不当な義務を課することとならないものでなければならない」と。

すなわち、戦時下に制定された昭和一八年法は新憲法の下に全面的に改正されて、昭和二三年法が誕生し、これがさらに全面的に改正されて制定されたのが現行の昭和三五年法である。しかも同法において、一たび医薬品の品目ごとの承認が与えられれば、その「取消」についての規定はなく、この承認に条件を附するについては、前記七九条二項に見るような制約が課されているのである。要するに、同条の規定ほど昭和三五年法の性格を端的に物語るものではないといつてよいであろう。

二昭和三五年法は警察法規か

1 判例の見解

薬事法(昭和二三年法、昭和三五年法)については、すでに累次の最高裁判決があるが、このうち最も注目すべきものは、昭和五〇年法律第三七号による改正前の薬事法(昭和三五年法律第一四五号)六条二項、四項を違憲とした昭和五〇年四月三〇日大法廷判決(民集二九巻四号五七二頁)である。大法廷は次のように判示する。すなわち、

「一 憲法二二条一項の職業選択の自由と許可制(省略)

二 薬事法における許可制について

(一) 薬事法は、医薬品等に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的として制定された法律であるが(一条)、同法は医薬品等の供給業務に関して広く許可制を採用し、本件に関連する範囲についていえば、薬局については、五条において都道府県知事の許可がなければ開設をしてはならないいと定め、六条において右の許可条件に関する基準を定めており、また、医薬品の一般販売業については、二四条において許可を要することと定め、二六条において許可権者と許可条件に関する基準を定めている。医薬品は、国民の生命及び健康の保持上の必需品であるとともに、これと至大の関係を有するものであるから、不良医薬品の供給(不良調剤を含む。以下同じ)から国民の健康と安全とをまもるために、業務の内容の規制のみならず、供給業者を一定の資格要件を具備する者に限定し、それ以外の者による開業を禁止する許可制を採用したことは、それ自体としては公共の福祉に適合する目的のための必要かつ合理的措置として肯認することができる(最高裁昭和……四〇年七月一四日大法廷判決・刑集一九巻五号五五四頁、同昭和……四一年七月二〇日大法廷判決・民集二〇巻六号一二一七頁参照)。

(二) そこで進んで、許可条件に関する基準をみると、薬事法六条……は一項一号において薬局の構造設備につき、一号の二において薬局において薬事業務に従事すべき薬剤師の数につき、二号において許可申請者の人的欠格事由につき、それぞれ許可の条件を定め、二項においては、設置場所の配置の適正の観点から許可をしないことができる場合を認め、四項において具体的内容の規定を都道府県の条例に譲つている。これらの許可条件に関する基準のうち、同条一項各号に定めるものは、いずれも不良医薬品の防止の目的に直結する事項であり、比較的容易にその必要性と合理性を肯定しうるものである(前掲各最高裁大法廷判決参照)のに対し、二項に定めるものは、このような直接の関連性をもつておらず、本件において上告人が指摘し、その合憲性を争つているも、専らこの点に関するものである。(中略)

三 薬局及び医薬品の一般販売業(以下「薬局等」という)の適正配置規制の立法目的及び理由について

(一) 薬事法六条二項、四項の適正配置規制に関する規定は、昭和三八年七月一二日法律第一三五号「薬事法の一部を改正する法律」により、新たな薬局の開設等の許可条件として追加されたものであるが、右の改正法律案の提案者は、その提案の理由として、一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること、及び薬局等の一部地域への偏在の阻止によつて無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接に促進することの二点を挙げ、これらを通じて医薬品の供給(調剤を含む。以下同じ)の適正をはかることがその趣旨であると説明しており、薬事法の性格及びその規定全体との関係からみても、この二点が右の適正配置規制の目的であるとともに、その中でも前者がその主たる目的をなし、後者は副次的、補充的目的であるにとどまると考えられる。

これによると、右の適正配置規制は、主として国民の生命及び健康に対する危険の防止という消極的、警察的目的のための規制措置であり、そこで考えられている薬局等の過当競争及びその経営の不安定化の防止も、それ自体が目的ではなく、あくまでも不良医薬品の供給の防止のための手段であるにすぎないものと認められる。(中略)

四 適正配置規制の合憲性について

(一) (二)、(1) (省略)

(2) (中略) (イ) まず、現行法上国民の保健上有害な医薬品の供給を防止するために、薬事法は、医薬品の製造、貯蔵、販売の全過程を通じてその品質の保障及び保全上の種々の厳重な規制を設けているし、薬剤師法もまた、調剤について厳しい遵守規定を定めている。そしてこれらの規制違反に対しては、罰則及び許可又は免許の取消等の制裁が設けられているほか、不良医薬品の廃棄命令、施策の構造設備の改繕命令、薬剤師の増員命令、管理者変更命令等の行政上の是正措置が定められ、更に行政機関の立入検査権による強制調査も認められ、このような行政上の検査機構として薬事監視員が設けられている。これらはいずれも、薬事関係各種業者の業務活動に対する規制として定められているものであり、刑罰及び行政上の制裁と行政的監督のもとでそれが励行、遵守されるかぎり、不良医薬品の供給の危険の防止という警察上の目的を十分に達成することができるはずである」(後略)と。

2 立法の趣旨――立法者の意図――

以上、わが国における薬事法制の沿革を見るのに、薬事法の立法趣旨および目的は、被告国の指摘するように、「薬事法制が創設され、数回にわたる改正・制定を経て現行薬事法に至るまでの間、一貫して、いかに医薬品の性状及び品質を確保し、これに違反した不良医薬品を取り締まるかにあつた」ものということができよう。すなわち、わが国における薬事法規の基本的性格は、一貫して「取締法規」たる点にあり、新憲法下における昭和二三年法の誕生、さらには現行の昭和三五年法の制定に至るまで、変わるところはない。薬事行政は、講学上いわゆる行政警察中の衛生警察に該当し、前記に見るような薬局の開設の許可(五条)、医療品等の製造業および輸入販売業の許可(一二条、二二条)、医薬品の販売業の許可(二六条、二八条、三〇条、三五条)は、いわゆる警察下命としての一般的禁止の解除(許可)として観念される。

このような「薬事法の性格及びその規定全体との関係」から見て、昭和三五年法を含めてわが国における薬事法制全般に対する支配的原理の一つとなつたのが、いわゆる警察消極目的の原則であることが明らかであり、前記の同法七九条(許可の条件)の規定の文言は、その趣旨の端的な表現にほかならない。(一、3参照)。

要するに、現行薬事法の立法趣旨は、「不良医薬品の供給の危険の防止という警察上の目的」を達成するにあり、これにより反面、憲法が国民(業者)に保障する職業上の自由が侵されることがないよう、警察消極目的の原則をその支配的原理の一つとするのである。

右は、少なくとも、昭和三五年法制定当初の立法の趣旨―立法者の意図するところ―であつたものというべく、以上に詳述した実定法規としての薬事法の定める諸規定を離れて、いわばア・プリオリに、薬事法の趣旨・目的を論ずることは許されないのである。

しかしながら、かかる法体系、法思想のもとにおいて、厚生大臣は、果して被告国の主張するように、「薬事法により国民の健康の維持、増進を図るという政治的行政的責務」を果すことができるであろうか。いま暫く眼を転じて諸外国における薬事法制を見ることにする。

三諸外国における薬事法制上の規定との対比

1 米国キーフオーバー=ハリス修正法(一九六二年)

(一) エリキシル事件と連邦食品・医薬品・化粧品法(一九三八年)の制定

米国においては、一九〇六年制定のPure and drug act(いわゆるウイリー法)が薬剤の化学物質としての純粋性を規制する役割を果したが、一九三七年、死者一〇七名に及ぶ著名なスルフアニルアミド・エリキシル事件が発生し、これを契機として翌一九三八年、食品・薬品・化粧品法(Food, Drug and Cosmetic Act)が成立した。同法においては、主として安全性が新薬発売許可の目安となつていた。

(二) サリドマイド事件と右連邦法の改正

その後一九六〇年以降、上院議員キーフオーバーの主宰する聴問会において、医薬品の安全性と有効性についての検討が開始され、厳格な規制を求める改正案が提出されて難航中のところ、たまたま西ドイツを中心としてサリドマイド事件が発生し、一九六二年一〇月四日、新薬に対する規制を強化したFederal Food, Drug, and Cosmetic Act Amended 1962(いわゆるキーフオーバー=ハリス修正法Kefauver Harris Amended of 1962)が可決されるに至つた。

同修正法は、医薬品の規制の方向として、厳格な新薬の許可、既発売医薬品の再評価、GMP(Good Manufacturing Practice)の三方法を設定したもので、このうち、新薬の許可と取消しについては、同法五〇五条に大要、次のとおり規定されている。

(a)項 州際貿易に新医薬品を持ち込むには、保健教育長官の承認を要するところ、 (b)項 その承認の申請には、当該医薬品の安全性および有効性を証明するために行なわれた研究結果のすべての記載を含む書類または見本の提出を必要とする。

(d)項 保健長官は、申請が次の各号の一に該当することが判明したときは、申請者に聴問の機会を与えたうえで、承認を拒否しなければならない。以下いずれも(1)ないし(5)につき、当該医薬品がその予定された適応症に使用された場合において、(1)当該医薬品が安全なりや否やを判定するに必要なすべての方法による十分な試験が報告資料に含まれていないとき。(2)試験の結果、当該医薬品の危険性が証明され、または安全性が証明されなかつたとき。(4)提出された資料その他保健長官の有する資料が、当該医薬品を安全と判定するに不十分であるとき。(5)右同様の資料に照らし、当該医薬品がその表示にかかる効能を実際に有することを示す実質的証拠(Substantial evidence)に欠けるとき。また、(6)当該医薬品に使用を予定された表示が、何らかの点において虚偽であるか、もしくは誤解を招くおそれのあるとき。

(e)項 保健長官は、申請が次の各号の一に該当することが判明したときは、申請者に聴問の機会を与えたうえで、この条の規定による承認の取消しをしなければならない。公衆衛生上差し迫つた危険があると認められるときは、直ちに右承認の停止をすることができる。以下、(1)(2)につき、当該医薬品が承認された適応症に使用された場合において、(1)臨床実験その他の実験、試験もしくはその他の科学的資料に照らし、当該医薬品が危険であることが判明したとき。(2)承認後はじめて保健長官の知得した臨床実験上の新証拠または承認時にはまだ一般に知られていなかつた新方法による試験と、承認時に保健長官が知得していた証拠とを併せて評価した結果、当該医薬品の安全性が証明されないことが判明したとき。(3)新たに提出された資料と承認時の既得の証拠と併せて評価した結果、当該医薬品が表示されている効能を有することを示す実質的証拠に欠けることが判明したとき。(4)申請が重大な事実につき虚偽の記載を含んでいることが判明したとき。

2 英国薬事法(一九六八年)

(一) サリドマイド事件とダンロツプ委員会(一九六三〜六八年)

英国においても、サリドマイド事件を契機として、一九六三年六月に「医薬品安全委員会」(委員長の名を冠して、ダンロツプ委員会として知られる)が設けられ、医薬品の副作用に関する情報の収集活動を展開するとともに、新薬の製造・販売の“許可”の問題を担当することとなつた。すなわち、製薬会社は、前臨床および臨床試験の二段階に分けて資料を提出し、これに基づいて委員会が審議し、その結果によつて、臨床試験への移行の可否、製造・販売の可否が決せられて、申請業者に通知された。委員会の運営は任意制で、企業に対する法的強制力は持たなかつたが、その活動は世界的にも著名であつた(なお、このような方法が有効に実施されていたが、“許可”された医薬品に関する責任は製造業者にあり、委員会の事前チエツクにより、医薬品製造業者の最終責任が軽減されることはない、とされた。)

(二) センスベリー委員会報告(一九六七年)

また、英国においては、国民保健事業との関係において、薬事に関する重大な改革プランを検討していたセンスベリー委員会が、一九六七年九月、二年の歳月を費して報告(勧告)を提出した。これによると、(1)法定の権限を持つた独立の薬品審議会(Medicines Commission)を設置して、前記の医薬品安全委員会(ダンロツプ委員会、のちスコウン委員会)を下部組織として吸収し、この審議会の議を経て許可された薬剤以外は、英国において販売を許さないものとすること、(2)医薬品を市場に出すことの許可は、安全性の要件をみたし、かつ、審議会を満足させる確証を持つ業者に限つて与えられるものとすること、③医師に流される情報は、偏見のない完全なもので、その時期における知識の状態において可能なかぎり正確なものでなければならないものとすること、(4)すでに市販されている医薬品についても、一定の猶予期間を置いたうえ、新薬についての許可基準を適用して再審査しなければならないものとすることを勧告した。

(三) 医薬品法の制定(一九六八年)

一九六八年一〇月、英国は初めて医薬品法(Medicine Act 1968)を制定し、医薬品の製造・販売につき、法律上の許可制を導入した。その大要は次のとおりである。

(1)何びとも「製品許可」(product lic-ence)を受けなければ、医薬品を販売・供給・輸出し、または輸入することはできない(七条二―三項)。 (2)製品許可の基準として、医薬品の安全性、効能、品質および品質確保の方法(provisions)が考慮される。効能については、他の医薬品が同一目的に対し同等またはそれ以上の効能を有するかも知れないという問題を考慮に入れてはならない。ただし、安全性については、同一目的に対して同等またはそれ以上の効能を有する他の医薬品の方がより安全であるかも知れないという問題を考慮に入れることを妨げない(一九条一、二項)。 (3)許可の期間は原則として五年とし、更新することができる(二四条)。 (4)許可当局は、次の各号の一またはそれ以上に該当する場合にかぎり、許可を一定期間停止し、または許可の取消しもしくは許可条件の変更をすることができる。(a)申請書の記載がその重要事項につき虚偽または不完全であつたことが判明したとき。(b)許可条件に対する重大な違反があつたとき。(c)販売・供給・輸出・輸入・製造または小分けされた製品が、許可された医薬品の性格に著しく合致しないものであるとき。(d)許可当局により要求された資料が、正当な理由なくして、提供されなかつたとき……(g)許可の与えられた医薬品をそこに示された目的のために投与することが安全でないか、または当該目的に対しては効能がないとみなされたとき。(h)当該医薬品を製造するための規格および基準が不十分であるとみなされたとき。

3 西ドイツ新薬事法(一九七六年)

(一) 医薬品の取引に関する法律

(医薬品法)一九六一年

西ドイツにおいて薬事に関する一般法が制定されたのは、一九六一年五月一六日公布の「医薬品の取引に関する法律」(医薬品法)が最初である。

同法において(1)医薬品の製造業については許可制(一二条)、「特殊医薬品」については登録制(二〇条)が採用された。登録の期間は五年間で、更新することができ、登録を受けた者の申出ある場合または容器もしくはその表示等に関する指示が守られない場合には、抹消される(二五条)ものとされた。

(二) サリドマイド事件と同法の改正(一九六四年)

これより先、西ドイツのグリユネンタール化学社が発売した鎮静・催眠薬コンテルガンの服用によりウイーデマン症候群(あるいはデイスメリー症候群)の新生児が、西ドイツをはじめ全世界にわたつて出産された(その惨禍を逃れ得たのが米国のみであつたことは、よく知られるとおりである)が、一九六一年一一月一八日デユツセルドルフで開かれた西ドイツの小児科医の会合で、ハンブルグの小児科医レンツは、この奇形(phoco-melia)が広く普及しているある新薬によるものではないかと考えている旨を発表し、会議終了後phocomeliaの原因に関する情報を集めていた一部の小児科医仲間に、問題の薬はまさにコンテルガンであることを告げた。これよりさき、レンツはグリユネンタール社と連絡をとつていたが、同社が早急な措置をとらなかつたので、その観察結果をデユツセルドルフの会議で公開する決意を固めたものであつた。同社の態度はレンツの発表後も変らず、一一月二四日ノルトライン=ヴエストフアーレン州内務省において開かれた会議においては、グリユネンタール社は、もし当局が発売禁止措置をとれば、会社として損害賠償を請求することもあり得る、とさえしていた。

しかし、同月二六日、ヴエルト・アム・ゾンターク紙が「錠剤から奇形―世界中に普及した薬に医師が警告」という見出しを掲げて、この経緯を報道するに及んで、グリユネンタール社は即日、コンテルガンの回収を決定した。翌二七日、同社がドイツ医師会薬事委員会にあてて書き送つた書面には、次のように記されていた。いう、「新聞報道が科学的論議の基礎を危くしたため、当社としてはコンテルガンを直ちに回収することを決定いたしました」と。これが、西ドイツにおいていわゆるコンテルガン訴訟(Contergan―Prozess、後記(三)、(1)参照)の発端である。その後アーヘン地方裁判所第一刑事部で行なわれた刑事訴訟および附帯私訴の経過については多く言及の必要を見ないであろう(一九七〇年四月まず民事事件について和解が成立し、同年一二月刑事訴追についても、西ドイツ刑訴法一五三条により裁判打切りの決定が出され、訴訟は終結した)。わが国における製薬企業および厚生当局の対応については、後述参照。

西ドイツは右サリドマイド事件の経験に鑑み、医薬品に関する規制をより一層強化するため、一九六四年六月、前記法律(医薬品法)を改正し、医学上一般に周知されていない効果を持つ物質またはその製剤を含む「特殊医薬品」の登録の申請をする場合等には、薬物学的および臨床学的(特別な場合には、その他の医学的、歯科医学的または獣医学的)な特殊医薬品の検査報告を提出しなければならないものとして、申請者に広範な検査義務を課することとなつた(二一条の(1a)項、(1b)項)。

(三) 医薬の取引に関する法律(医薬品法)一九七六年

(2) 立法の趣旨および概要

一九七六年六月、西ドイツ連邦議会において右の新法(Gesetz uber den Verkehr mit Arzneimitteln((Arzneimi-ttelgesetz)))が成立した(施行予定日は一九七八年一月一日)。この法案が議会に提出された際の提案理由は、次のような叙述をもつて始まるものであつた。いわく、「この法律は、最善の医薬品の信頼性(Arzneimittelsicherheit)を実現することを目的として、医薬品法の基本的内容上また制度上の改変を図ろうとするものである。この目的は、将来すべての医薬品が必要な品質、有効性および無危険性(Unbedenklichkeit)を具備すべきであるという要請に重きを置くのであり、この三つの基準は、それが、従来の法律におけると異なり、政府の許可の前提として確定されることになるという点において、当該医薬品の価値を特徴づける性質のものである。従来医薬品法に規定されていた登録制は許可制に改められる。かくして、医薬品法の規定の殆んどすべての領域が、薬の広告宣伝に関する法律をも含めて改正されることとなる。コンテルガン訴訟によつて得られた知識を生かし、そこから必要とされる措置が講ぜられるに至つたのである」と。

同法の内容を概説すれば、(ア)医薬品の品質確保のためのGMPの法文化、(イ)医薬品の安全性・有効性の確保のための品目ごとの許可および許可品目についての再評価、(ウ)情報と広告の規制、(エ)医薬品事故の監視体制の確立、(オ)医薬品事故に対する損害賠償責任について規定したものということができるが、ここに特記すべきは、(イ)の品目ごとの許可および再評価についてである。

(2) 品目ごとの許可および再評価

医薬品は、従来の品目ごとの登録制度から許可制度となり(二一条)、許可の期間は五年とし、再評価のうえで更新されることができる(三一条)。品目ごとの許可を受けるには、分析的試験(物理的、化学的、生物学的もしくは微生物学的試験結果およびその測定に用いた方法)、薬理学的―毒物学的試験(薬理学的、毒物学的試験結果)、臨床試験(臨床的または、その他医師・歯科医師もしくは獣医師による試験成績)が必要とされ、これらの事項については専門家による試験成績書の添付を要するものとする(二二条、二四条)。また、これらの試験が、それぞれの時点における確立された科学的知識の水準に適合するよう、必要事項が一般的行政規則として制定され、連邦の官報に公告される(二六条)。許可基準が明示され、許可申請が次の各号の一に該当する場合にかぎり、拒絶されるものとした。すなわち、当該医薬品が、(a)医薬品として通常認められている適正な品質を有しないとき、(b)申請者の主張する治療上の有効性を欠きまたはその時点における確立された科学的知識により、その有効性を十分に証明できないとき。(c)規定どおり服用されたにもかかわらず、医学的科学的知識から見て容認できる限度を超えた害作用があるのではないかと疑われるとき〔その他省略〕(二五条)。許可後の許可基準を充たしていないことが判明したときは、許可の撤回、取消しまたは一定期間の停止をすることができ、この場合、当該医薬品の販売は禁止される(三〇条)。

4 前記諸外国の薬事法における「医薬品の安全性確保」についての諸規定とわが国における現行薬事法

わが国において、昭和三五年法の定める「具体的諸規定について」は、前記のとおり(一参照)であつて、前記諸外国における「医薬品の安全性確保」についての諸規定との間に見られる著しい相違は、言わずして明らかであろう。ここでは、さきに摘記した被告国の主張(第一節、第一、一、2参照)に現われる“問題点の指摘”を再び引用するにとどめることとする。いわく、

わが国の現行薬事法上、「製造承認に当たつての審査基準、審査手続及び審査機関並びに承認後における迫跡調査制度及び承認の撤回等に関しては、旧薬事法と同様に規定を欠き、医薬品の安全性確保のための積極的な具体的規定は見られない。このことは、サリドマイド事件以後制定又は改正された先進諸国の薬事法制と比較すると一層明らかとなる。すなわち、一九六二年の米国キーフオーバー=ハリス修正法、一九六八年の英国薬事法、一九七六年の西独薬事法等は、厳格な新薬の許可、既発売薬品の再評価及び副作用情報収集体制、GMP等の医薬品の安全性確保についての具体的規定を設けている」のである、と。

戦後、とくに世界的に発生したサリドマイド事件ののち、関係法規の改正ないし制定をしたのは、もとより右の三国にとどまるものではない。しかるに、薬剤に対する需要の高いわが国において、医薬品の安全性の確保が緊急課題となり、より積極的な薬務行政の展開が必要とされるに至つた現在においても」なお、薬事法の改正を行なわず、製造承認に関する有効期間の定めないしは製造承認の取消に関する規定一つ存在しないままとなつているのは、果して何故であるか。何びともその理由の奈辺に存するやを疑わざるを得ないであろう。しかし、いま暫くその理由を問うことを措いて、戦後わが国における薬事法運営の実際――薬事法に関する法思想の変遷――について見ることとする。

第二薬事法についての法思想の変遷

一牛丸著作から松下論文まで

1 牛丸義留「薬事法詳解」昭和三七年

昭和三五年法の趣旨・目的とするところについて、同法の運営の衝にあたる担当責任者の理解の変遷を示す顕著な事例がある。その一は、同法施行当時の厚生省薬務局長牛丸義留著「薬事法詳解」昭和三七年刊であり、他の一は、わが国におけるサリドマイド訴訟の和解成立時の薬務局長松下廉蔵「医薬品副作用被害者救済制度の問題点」ジユリスト昭和四八年一一月一五日号である。

まず、前者について見るのに、所管局長による新法の「詳解」(三七〇頁に及ぶ)であつて、昭和二三年法についての前記厚生省薬務局「新薬事法解説」(執筆者中村光三)を凌ぐものである(第二節、第三、一、1参照)が、同書は、昭和三五年法の一二条ないし一四条につき、次のように述べている。すなわち、

一二条(製造業の許可)につき、「本条は……医薬品等が国民の保健衛生にきわめて密接な関連を有する物であることにかんがみ、これらの製造業についてその構造設備の状況、人的適格性等を審査して許可を与えることによつて……その営業が保健衛生上支障なく行なわれることを確保しようとする趣旨である……この許可はいわゆる業態の許可であるが、次条〔許可の基準〕第一項及び第一八条〔製造品目の変更等の許可〕によつて明らかなごとく、特定の品目を特定の製造所において業として製造することについての許可であつて、品目と無関係のものではない」とし、一四条(局方外医薬品等の製造の承認)につき、「これらの物については、本件の規定による厚生大臣の承認を受けておかなければ、その品目に係る第一二条第一項の許可は与えられない(一三条一項)こととして、不適当な医薬品等の出現の防止を図つている……日本薬局方に収められていない医薬品は、本条の規定による承認を受けていなければその品目に係る製造業の許可が与えられないが、局方収載品は本条の承認の対象から除外されている。日本薬局方とは、広く用いられ、かつ、有効なことが公知実証された医薬品中の医薬品ともいうべき重要品目について、現代の薬学、医学の知識を総合して、その品質及び性状を定めたものであり(四一条参照)、したがつて、日本薬局方に収められている医薬品(二条一項一号)については、改めて厚生大臣の承認にかける必要は認められないからである」とし、また、「本条の承認はもつぱら申請に係る物が医薬品等として適当な物であるか否か、すなわち、無害かつ有効な医薬品等であるか否かに関するものであつて、申請者にその品目を製造する能力があるか否か、すなわち、申請者がその物を業として製造するに足る構造設備を有しているか否かに関する審査は、第一二条又は第一八条の規定による許可に際して行なわれる」とした。

以上、牛丸・詳解は、「不適当な医薬品の出現の防止」といい、「広く用いられ、かつ、有効なことが公知実証された医薬品中の医薬品」といい、また「医薬品等として適当な物であるか否か、すなわち、無害かつ有効な医薬品等であるか否か」といい、要するに、「無害かつ有効」な物が医薬品として適当であるというに尽きるのであつて、そこには“有効性と安全性とのバランスを考慮したうえで医薬品としての有用性が決定される”との発想は存在せず、同書の一二条から一四条までの部分を通じて、その解説文中一語として「安全」の文字を見出し得ないのである。

そして、これは、牛丸・詳解に限らず、当時の法思想としてはむしろ普通のことであつて、現に、さきに判示を摘記した大法廷判決(第一、二、1参照)に引用される昭和四〇年七月一四日大法廷判決・刑集一九巻五号五五四頁も、「販売される医薬品そのものがたとえ普通には人の健康に有益無害なものであるとしても」云々として、「有益」と「無害」という相反することのない二つの観念を単純に併立させて論じているのである。

2 松下廉蔵「医薬品副作用被害者救済制度の問題点」ジユリスト五四七号昭和四八年一一月一五日発行登載分

松下論文は次のようにいう、すなわち、「医薬品については、特に、その性質上、有効性および安全性を確保することがその法的規制の中核をなすものであることは、いうまでもない。現行の薬事法においては、医薬品の製造の規制は、局方外医薬品……について品目ごとに厚生大臣の承認を受け、さらに局方医薬品を含むすべての医薬品について、製造所ごとおよび品目ごとに厚生大臣の許可を受けるという二重のチエツクがなされており、輸入についてもこれに準じている。承認・許可の何れについても、各時点における科学技術の水準に照らして厳格な審査が行なわれ、さらに発売後においても、検定・検査や薬事監視などによつて品質の確保が図られているのであるが、最近におけるこの分野の医学・薬学の研究は急速に進歩しており、その成果をふまえて、現在実施されている有効性および安全性確保のための行政的施策の主なものは次のとおりである」として、(1)製造承認に当たつての審査の厳格化、(2)副作用情報処理体制の強化、(3)薬効再評価の実施につき、なお詳細に言及している。

3 牛丸著作と松下論文との間の距離について

前者が医薬品としての適性の判定基準として、「無害」かつ「有効」という相反することのない二つの観念を単純に併立させて挙げる(大法廷判決もまた然りである)のに対し、後者は、「医薬品については、特に、その性質上、有効性および安全性を確保することがその法的規制の中核をなすもの」と明言した。その背景に、医薬品は本質的に人体にとつて異物であり、効能と同時に何らかの副作用による危険を伴うものである――両刃の剣的な性質を有する――から、医薬品の有用性(Availability)は有効性と安全性との比較衡量において決定されるという思想のあることが明らかであるが、両者ともに所管の局長であり、対象となるのは同一の法律(昭和三五年薬事法)であるにもかかわらず、一一年余の歳月を隔てて、牛丸説と松下説との間には、まさに万里の距離が存するものというべく、両者の相違は、量的というよりも、むしろ質的と評されるべきであろう。本来、統一性・継続性の要求される行政の世界において、しかも、この間、何ら見るべき法改正が存しないにもかかわらず、所管責任者の法解釈にかかる相違が見られることは、人をして瞠目せしめるに足るものであるが、これが、前述のレソツ警告に端を発するサリドマイド事件(第一、三、3、(二)参照)に因ることは何びとの目にも明らかなところであろう。

サリドマイド事件がわが国に及ぼした影響については、その被害の深刻さももとよりであるが、これがわが国における薬事行政ないし薬事法規に関する法思想に与えた影響(imp act)も絶大であつて、かかる観点を抜きにして、前記の「両刃の剣」論から、むしろア・プリオリに、実定法規としての薬事法の解釈を抽き出すことは、とうてい正当とはいい難く、昭和二三年法ないし制定当初の昭和三五年法に関し、医薬品の有用性は、有効性と安全性との比較衡量によつて決せられるとの見地――両刃の剣論――からする法解釈に対しては、自然科学上の研究の日進月歩の時代(とくに医薬品の開発において然りといい得るであろう)において、果して然りとすれば、何故にわが薬事法において、製造承認につき有効期間の定めがなく、一度与えられた製造承認については取消しの規定すら存しないのであるか、が問われなければならないのである。

二わが国におけるサリドマイド事件の発生

1 関係製薬企業および厚生当局の対応

西ドイツにおけるサリドマイド事件の発生およびその経過については前述のとおりである(第一、三、3、(二)参照)が、わが国におけるサリドマイド事件の発生とこれに対する関係製薬企業および厚生当局の対応の経緯については、同事件の和解成立前、全国サリドマイド訴訟統一原告団と被告側との間に取り交わされた「確認書」の冒頭に、次のように簡潔に要約されている。いう、

「大日本製薬株式会社は、昭和三二年一〇月、旧薬事法に基づく厚生大臣の許可を得たうえ、サリドマイド(N・フタリルグルタミン酸・イミド)を製造し、鎮静催眠剤『イソミン』及びこれを配伍した胃腸薬『プロパンM』を製造販売した。またその販売に際し、特徴として『安全性はどの睡眠薬よりも高い』『小児・妊婦などどなたにもおすすめ願える』等の文言を用いて宣伝を行つた。

これらの医薬品を妊娠初期に服用した母親から、サリドマイド胎芽症と呼ばれる四肢、顔面、内臓等に重篤な障害を受けた子供達が出生した、

昭和三六年〔一九六一年〕一一月、西独のレンツ博士が当時西独において多発していた重症四肢奇形児は、サリドマイド製剤の服用によつて発生したものと考えられることを指摘し、サリドマイドの催奇形性に対する警告を発した。

大日本製薬株式会社の製造販売にかかる前記医薬品については、その製造及びこれに対する許可に際し、胎児に対する催奇形作用の有無について安全性の確認が為されておらず、また西独グリユネンタール社等がレンツ博士の警告後、短時日でサリドマイド製剤を回収したとの情報が、大日本製薬株式会社及び同社を経由して厚生省に到達していたにも拘わらず、我が国においては『イソミン』及び『プロパンM』の販売を継続し、その後、昭和三七年五月に『イソミン』の出荷停止、同年九月『イソミン』の回収等の措置がとられたが、この間にもこれらの医薬品が服用されたことによる被害が発生した」と。

西ドイツにおいては、前記のような経過(第一、三、3、(二))であつたにせよ、レンツ警告のあつたその月、グリユネンタール社が自主的にまず回収をやり、これと並行して連邦政府においてその後も動物実験が行なわれたという状況にある。わが国においても、グリユネンタール社から、大日本製薬を通じて政府に対しても右警告の趣旨は直ちに入つていたこと、前述のとおりである。この点につき、昭和四三年五月七日、参議院社会労働委員会において、園田厚相が、ドイツで「発表になつたと同時に、おかしいと思つたら直ちに製造中止を命じて、そして販売中止を命じて、その上で実験をすべきであつた。調べてみますると、そういう事実を知り、厚生省のほうでは大学に頼んで動物実験をやつておるようでございます。その間しばらく見送つておつた。そして、製造中止を命じておる。次に販売中止をやつておる。この……手抜かりがあつた。こういう問題は、率直に……厚生省の責任は私は痛感しており、これに対する処置をしなければならぬと思います」と述べたことは、すでに周知のところである。

わが国におけるサリドマイド児の発生数は、西ドイツに次いで世界第二位を占め、被害の規模と悲惨さにおいて、わが国民の初めて体験した(当時において)未曽有の薬禍事件であり、この事件を契機として、前記のような行政警察法規としての現行薬事法を改正し、真に国民の健康を守り、もつて「公衆衛生の向上及び増進」(憲法二五条)に資すべき薬事法制の創設を求める旨の社会的要請は、他の諸外国に優るとも劣らぬものであつたということができる。

以下、わが国における薬務行政の運営の推移を見ることとする。

2 厚生省薬務局監修「医薬品製造指針」および製造承認についての「特別審査」

(一) 新医薬品製造承認申請書添付資料基準(昭和三五年)

昭和三五年法の公布に先だつて、同年五月一二日、薬事審議会の新医薬品特別部会において、新医薬品の製造承認申請書に添付する資料基準(また別に、悪性腫瘍治療剤、抗結核剤につきそれぞれの承認申請書に添付を必要とする資料基準)が定められ、これが審査方法の内規として用いられるようになつた。これらの基準の内容は、承認申請の手引書として初めて公刊された厚生省薬務局監修・財団法人日本公定書協会編集の「医薬品製造指針(一九六二年)」に登載されているが、「新医薬品製造承認申請書添付資料」基準は、次のとおりである。

「(1)基源または発見の経緯に関する資料 (2)構造決定など物理的、化学的基礎実験資料 (3)効力および毒性に関する基礎実験資料 当該資料中主要なものについては原則として専門の学会に発表、または学会雑誌あるいはこれに準ずる雑誌に掲載され、もしくは掲載されることが明らかなものであることが必要である。 (4)臨床実験に関する資料 二カ所以上の十分な施設がある医療機関において、経験ある医師により、原則として合計六〇例以上について効果判定が行なわれていること。なお当該資料中二カ所以上は専門の学会に発表し、または学会雑誌あるいはこれに準ずる雑誌に掲載され、もしくは掲載されることが明らかなものであることを要する。 (5)その他の参考資料〔備考〕外国文献を資料として使用する場合は、当該文献の写しおよびその邦訳を添付すること」と。なお、同書中の解説部分は、厚生省において審査する場合に考慮されている点を参考までに記載したものであるが、右資料基準の(3)の〔解説〕部分には、「毒性に関する資料については、その申請品目によつて急性毒性のみでもよいが、長期間連用されるものは必ず慢性毒性資料も考慮すべきである。なおその試験については経皮、経口、腹腔内注射その他の投与方法による試験があるが、申請品目によつて必要度が異なる」云々との記述がなされている。

(二) 医薬品製造(輸入)承認に関する「特別審査」(昭和三七年)

その後、医薬品の品質確保のため、昭和三五年法七八条二項にいう、製造(輸入)「承認のための審査につき特に費用を要する……場合」およびこの場合に申請者が納付すべき「手数料」に関し、同法施行令の一部を改正する政令(昭和三七年九月政令第三五八号)および同法施行規則の一部を改正する省令(同年九月厚生省令第四一号)が公布され、同年一〇月一日から施行された。

この「特別審査は、医薬品製造承認申請書に記載された『規格及び試験方法』のうち試験方法の適否について、試験研究機関(主として国立衛生試験所)において実地に検討を行うものであり、これによつて『規格及び試験方法』の審査を適正ならしめ、医薬品の品質の確保を図る」ことを目的とする(同年九月二〇日薬発第四九三号薬務局長通知)ものであつた。

すなわち、昭和二三年法時代には、医薬品の製造許可の審査に当たつては、その成分、分量、用法、用量および効能(同法施行規則二二条)等に重点が置かれ、その規格や試験方法については、複合製剤にあつてはとくに審査の対象とされていなかつた(昭和二三年法下では、医薬品の製造許可申請に当たり、規格および試験方法を申請書に記載することは要求されておらず、行政指導によりこれが行なわれていた)のを、医薬品の品質確保のため、明確な法規上の改正を行なつたものであつた。そして、これが前述の大日本製薬による「イソミン」の回収と時を同じうして行なわれたことは、一応の注目に値するものといつてよいであろう。

3 医薬品安全対策特別部会の設置(昭和三八年)

昭和三八年三月八日、中央薬事審議会常任部会は、医薬品の安全性を確保する専門部会として、医薬品安全対策特別部会の設置を決定した。サリドマイド事件を一つの端緒とするものであつたことは、いうまでもないところである。同月一八日、同特別部会の第一回会合が開催され、医薬品の安全確保についての厚生大臣の諮問につき審議を行ない、翌一九日その答申がなされた。

4 「医薬品の胎児に及ぼす影響に関する動物試験法」の基準の設定

厚生省薬務局は、前記の答申を受けて、同年四月三日、「医薬品の安全確保の方策について」と題する通知を各都道府県あてに発した。

(一) 昭和三八年四月三日薬発第一六七号薬務局長通知

「医薬品特にサリドマイド製剤と奇形児出産との関連の有無が世界的な問題となつたため医薬品の安全確保の方策について種々検討を重ねてきている処であるが、差し当たり今後新医薬品の承認審査に当たつては、胎児への影響も併せて考慮することとし、これがため原則としてすべての新医薬品については、申請者から従来の基礎実験に加えて当該医薬品の胎児に及ぼす影響に関する動物試験成績の提出を求めることとした」。

(二) 昭和三八年四月三日薬製第一二〇号薬務局製薬課長通知

この製薬課長通知は、局長通知にいう「医薬品の胎児に及ぼす影響に関する動物試験」の方法を定め、これによる試験成績が新医薬品の審査に当たつて必要な資料となる旨を内容とするものであつた。

「(試験方法)

1 動物の種類 マウス、ラツト及びウサギのうち二種類以上とすること。

2 投与量 少量と大量によること。

3 群 一群の妊娠動物数を一〇匹以上とすること。

4 投与期間 交尾後一週間前後から一定期間連続投与すること。

5 検査 出産前及び出産後離乳期までのものについて行なうこと。検査項目は外形、骨格、産仔数その他とすること。

(解説)

1 動物の種類について

マウス、ラツト及びウサギの三種類から二種類以上をえらぶわけであるが、出来ればウサギを含むことが望ましい。

2 投与量

少量とは人体常用量を体重換算した量の約一〇倍とする。

大量とは中毒量以下の量であつて、雌動物に検体を二週間程度連続投与した場合の最大安全量をいう。少量と大量とあるのは必ずしも投与量を二段階に限定するという意味ではない。

3 群

一群の妊娠動物数はマウス及びラツトでは二〇匹程度が望ましい。

4 投与期間

検体投与は交尾後七日前後より始める。投与期間は原則としてマウス及びラツトでは約七日間、ウサギでは約一〇日間連続する。

5 検査

出産前における検査は、外形、骨格の異常、胎仔死亡の有無、吸収などについて行なう。出産後の新生仔は離乳期まで観察を行ない、以上の検査の他出産率、哺育率、生体臓器等についても検査すること」。

(三) 昭和四〇年五月二八日薬製第一二五号薬務局製薬課長通知

前記(二)の課長通知所定の「医薬品の胎児に及ぼす影響に関する動物試験法」は、次のように改められた。

「(試験法)

1 動物の種類

マウス、ラツトおよびウサギなどのうち二種類以上とすること。

2 動物数

一群の妊娠動物数は種によつて数匹以上二〇匹程度とすること。

3 投与量

大量および小量によること。

4 投与時期

感受期を含む一定期間投与すること。

5 検査

出産前のものについて行ない、検査項目は外形、骨格その他とすること。ただし、薬物の種類によつては出産後一定の発育時期までのものについて行なうこと。

(解説)

1 動物の種類

マウス、ラツト及びウサギなどから二種類以上のほ乳類を選ぶわけであるが、出来ればウサギあるいは非けつ歯類を含み、かつ、期待される薬理作用が認められる種の動物を使用することが望ましい。

2 動物数

一群の妊娠動物数はマウス及びラツトでは二〇匹程度、ウサギでは八匹程度が望ましい。

3 投与量

大量とは被検動物に検体を一定期間連続投与した場合の最大安全量をいう。小量とは被検動物における有効量とし、これが不明な場合には、人体における推定常用量を基礎として定める。

大量と小量とあるのは必ずしも投与量を二段階に限定するという意味ではない。なお、投与法は原則として経口及び(又は)注射により行なう。

4 投与時期

原則として、マウス及びラツトでは交尾後七日前後より始め約七日間、ウサギでは交尾後七日前後より始め約一〇日間投与する。ただし、薬物の種類によつては適宜時期及び期間を選定する。

5 検査

出産前における検査は胎仔の吸収、死亡の有無、外形、骨格の異常などについて行なう。出産後のものについては、哺育率、成長、分化などについても検査を行なう」と。

三アンプル入りかぜ薬事件(昭和四〇年)

1 事件の概要

昭和四〇年の二月から三月にかけて、千葉、静岡、大阪等でアンプル入りかぜ薬を飲んだ後にシヨツクを起こした事例が相次ぎ、九件の死亡が報告された(死亡例は、その後、同年二月から三月までの約一か月間で十数名にのぼるとされ、また、昭和三四年ないし四〇年の間に判明分だけで三八名を数えたとされている)。死亡例についての剖検所見から、使用者にある種の体質または異常状態のあるときは、かぜ薬の主成分の極量以下の使用によつても中毒を起こすことがあり、大量に服用するときはその危険性がより大きいこと、国立衛生試験所で行なつた動物実験の結果により、アンプル剤型のかぜ薬は他の剤型のかぜ薬に比べて吸収速度が極めて早いため血中濃度が急速に高値に達し、その毒性の発現が著しく強いこと等が判明した。これにより、中央薬事審議会は同年五月七日、アンプル入りかぜ薬はその製造販売を禁止すべきである旨の答申を行ない、厚生省およびその意を受けた都道府県の当局は、アンプル入りかぜ薬のすべてについて、製造業者に対し、その製造・販売の中止を求めるとともに、製品の回収、製造品目の廃止等の行政指導を行なつた。その準拠とれさたのは次の薬務局長通知である。

2 「製造承認の取消」について

かぜ薬の製造・輸入承認(旧許可)につき、昭和四〇年五月一一日薬発第三六〇号薬務局長通知は、すでに承認(旧許可)を受けているアソプル入りかぜ薬については、日を限つて製造品目の廃止届を提出させること、指定期限までに廃止届を提出しない場合には、「当該品目については……製造承認の取消を行なう方針である」旨を明言した。これは、現行法上明文の規定のない「製造承認の取消」につき、当局が言及した――少なくとも文書をもつて明言した――最初であると思われるが、“薬事法についての法思想の変還”を語るうえで、その意義は特筆に値するものといつてよいであろう。けだし、行政法に関する講学上の一般論としては、行政行為の取消・撤回につき、瑕疵ある行政行為の取消は、法規違反または公益違反の是正を目的とするものであるから、瑕疵ある行政行為については、法規違反(違法)であると公益違反(不当)であるとを問わず、原則として、これを取り消すことができ、その取消について明示の法の根拠があると否とを問わないものとされ、また、法律上、一定の事由のある場合に行政行為の撤回をなし得る旨を定めていることが少なくないが、かような規定の有無にかかわらず、公益上の必要があるときは、原則として、自由に撤回し得るものと解すべきである、とされる(かかる見解を代表するものとして、田中(二)説を挙げることができる)のであるが、かかる見地においてもなお、取消・撤回につき一定の制限の存することが説かれるのであつて、前述のように、現行「薬事法の性格及びその規定全体との関係」から見て、法が一四条一項(二三条により準用される場合を含む)において品目ごとの承認を規定するにあたり、承認の取消に関する規定を設けなかつたことは、何ら立法作業上の過誤によるものとは認められない(第一の一、二参照)にもかかわらず、薬事法運営の衝にあたる行政庁の有権解釈として、「製造承認の取消」が可能と明言されたことは、“法思想の変遷”を語るうえで、特段の注目を惹かずにはおかないのである(なお、前述の取消・撤回の制限については、一九世紀後半のドイツにおいて職業選択の自由を含む経済的自由権は実体的権利に非ずとされ、そのため自由権の保障を意図して、補完的に、行政作用法の次元において「授益的行政行為の取消・撤回の制限の法理」が主張され、一九世紀末からワイマール・ドイツにおいて判例・学説上承認されるに至つたものであること、したがつて、この法理がわが国における現代的課題である公害の規制作用にそのまま適用されるとすれば、かえつて公害発生企業の既得権を保護する結果となること、が指摘されているのが現状である。

四医薬品の製造承認等に関する基本方針

1 「基本方針」まで

サリドマイド事件発生後、これを契機として医薬品の安全性確保が緊急課題となり、製造承認(旧許可)のための資料要求の形式も、従来、「新医薬品製造承認申請書添付資料」基準に見られるように、審査方法の内規(薬事審議会の申合せ事項)であつたのが、「医薬品の胎児に及ぼす影響に関する動物試験法」の基準の設定に見られるような正式の行政通知となつて現われるに至り(前記二、2(一)、同4参照)、また、医薬品の品質確保のため、いわゆる「特別審査」についての法規改正が実現した(前記二、2、(二)参照)ことは、すでに述べたとおりであるが、さらに、「昭和三八年からは、初めてダブルブラインドテスト(二重盲検法)による臨床試験資料が要求され、資料の内容の充実が図られ、また、昭和四〇年には、吸収排泄資料(特に分布に関するもの)の添付が要求されるようになり、新薬の前臨床試験において、吸収・分布・代謝及び排泄に関する資料の重要性が認識されるに至つた」ことは、被告国の自陳するところである(同最終準備書面一六九―一七〇頁)。

2 「基本方針」の策定

昭和四二年九月一三日薬発第六四五号薬務局長通知「医薬品の製造承認等に関する基本方針について」、翌一〇月二一日薬発第七四七号薬務局長通知「医薬品の製造承認等に関する基本方針の取扱いについて」の両通知が発せられた。その内容の詳細は、本章末尾添付の別紙一、二のとおりであるが、この基本方針の策定の経緯として、第五六臨時国会における健康保険臨時特例法の成立にあたり、(1)製薬許可等の体制の改善、(2)科学的根拠による価格体形の確立、(3)製薬企業の販売姿勢の改善が要望され、この国会の指摘を受けて、厚生当局がまず製薬許可等の改善につき対応を示したのが右の基本方針であつた事実が留意さるべきであろう。

(一) 昭和四二年九月一三日「基本方針について」の通知

詳細は別紙一のとおりであるが、とくに注目すべきは、承認審査に必要な資料要求の範囲を明確にしたことのほか、医療用医薬品と一般用医薬品を区分し、新たに製造承認が与えられた医薬品につき副作用報告を義務づけ、医療用医薬品についての一般公告を禁じたことである。

資料要求の範囲については、「1 医薬品についての起源又は発見の経緯及び外国での使用状況等に関する資料 2 薬医品についての構造決定、物理的・化学的恒数及びその基礎実験資料並びに規格及び試験方法の設定に必要な資料 3 薬医品についての経時的変化等製品の安定性に関する資料 4 急性毒性に関する試験資料 5 亜急性毒性及び慢性毒性に関する試験資料 6 胎仔試験(人体に直接使用しない場合を除く)その他特殊毒性に関する資料 7 医薬品についての効力を裏づける試験資料 8 一般薬理に関する試験資料 9 吸収、分布、代謝及び排泄に関する試験資料 10 臨床試験成績資料(精密かつ客観的な考察がなされたものであること)」と明記された。また、製造承認後二年間は、当該医薬品に関する副作用情報の収集・報告が義務づけられることとなつた(この期間は、昭和四六年六月二九日薬発第五九一号局長通知により、三年に延長された)。

(二) 昭和四二年一〇月二一日「基本方針の取扱いについて」の通知

詳細は別紙二とおりであるが、とくに注目すべきは、(1)療用医薬品と一般医薬品との区分を明示し、(2)承認申請の際に必要な提出資料をより具体的に定め(なお、医療用医薬品については、禁忌症、副作用、その他特別な警告事項についての「使用上の注意」の記載案を提出すべきものとされた)、(3)承認審査の方針を明確にし、(4)副作用報告が、昭和三五年薬事法七九条にいう許可または承認の「条件」として課されるものであることを指摘した等の諸点である。

(三) “法思想の変遷”における「基本方針」の位置づけ

基本方針の持つ意味について、被告国自身の述べるところを聞こう。いわく、

「医薬品の安全性を確保する方策は、大別して二つに分けることができる……その第一は、行政庁において医薬品として製造承認する前の段階で、毒性副作用等についてメーカーから精密かつ客観的な資料を提出させ、その安全性を慎重にチエツクすることであり、第二には承認段階で予測さえすることができなかつた副作用につき、その情報をいち早くキヤツチして、慎重に検討し、当該医薬品による事故が考えられる場合には、事故の拡大を未然に防ぐ指置を早急に講ずることである。我が国の薬事法制では、昭和一八年の旧旧薬事法以来、昭和三五年の現行薬事法に至るまで、公定書外医薬品の製造には厚生大臣の許可又は承認が必要とされているのであるが、前記の第一の方策については、医学及び薬学の進歩や医薬品の安全性の評価の変遷に伴い、その内容がレベルアツプし、特に昭和四二年九月一三日付け薬務局長通知『医薬品の製造承認等に関する基本通知』……により、製造承認に必要な資料の範囲と内容が明文化され、医薬品の安全性確保の体制が充実されている。しかし、前記第二の方策については、昭和三五年制定の現行薬事法においても何らの規定が設けられておらず、薬務行政庁は、行政指導という方式でこれに対処しているものである」(最終準備書面一三五―六頁)と。

また、前記1掲記の叙述(同一六九―一七〇頁)に続いていう、

「以上のような経過を経て。昭和四二年九月一三日付け薬発第六四五号薬務局長通知『医薬品の製造承認等に関する基本方針」及び同年一〇月二一日付け薬発第七四七号薬務局長通知『医薬品の製造承認等に関する基本方針の取扱いについて』……の両通知が発せられた。これは、従前から順次積み重ね、充実されてきたものと、新たに決定した方針とを併せ集大成したものである」(同一七〇頁)と。

要するに、基本方針に関する両通知は、製造承認に必要な資料の範囲と内容を「明文化」し、また、従前から順次積み重ね充実されてきたものと新たに決定した方針とを併せ「集大成」したもので、これにより「医薬品の安全性確保の体制が充実」されるに至つた、というのである。

しかも、昭和三五年法七九条の趣旨については、前述したとおりであつて(第一、一、3参照)、前記のように、同法下における「製造承認の取消」をも明言した(三、2参照)うえで、製造承認後における副作用の報告義務を七九条に基づく品目ごとの製造承認ないし製造所ごと品目ごとの許可の「条件」として課するというのは、まさしく薬事法運営の衝にあたる行政当局の理解の百八十度の転換を示すものといわなければならず、前記松下論文(一、2参照)に現われる法思想は、昭和四二年の基本方針において、明文化され集大成されて、定着するに至つたものといわなければならない。さきに引用した砂原「臨床家と薬害」が、その末尾において、「幸いにアメリカならキーホーバー・ハリス法案(一九六二年)、日本なら昭和四二年(一九六七)年の薬事法の改正以後に発売された新薬では、サリドマイド事件のような大事件は起こつていません」とするのは、昭和四二年の基本方針が「薬事法の改正」の実質を持つことを、端的に表現したものと評して妨げないであろう。

五「基本方針」以後

1 製造承認の取消について

昭和三五年薬事法の解釈・適用につき、厚生当局が、同法に明文の規定がないにもかかわらず、場合により「製造承認の取消を行なう方針」であることを文書上明確に打ち出したことは、さきにアンプル入りかぜ薬事件につき述べたとおりである(三、2参照)が、この態度は、その後も一貫して堅持されている。前記園田厚相の国会発言も結局において同一趣旨に出たものというべきであるが、その後、「製造承認の取消」についての厚生当局の明確な発言は、次のように続いている。

(一) 昭和四四年七月二三日薬発第五六二号薬務局長通知「アミノ塩化第二水銀(白降汞)含有する製剤等の取扱いについて」

同通知は、すでに製造についての承認および許可を受けている白降汞含有一般製剤については、「可及的すみやかにその製造を中止させるものとし、かつ、遅くとも本年八月三一日までに……製造品目の廃止の届出を行なわせること。なお、当該製造業者が同日までに自主的に上記の措置を講じない場合には、当該品目についての製造の承認及び許可の取消処分を行なう方針である」とした。

(二) 昭和四五年五月一九日内田厚相発言(衆議院決算委員会)

内田国務大臣は厚生当局の最高責任者として、右国会において、「前の承認が誤りであつた、また、前の承認と条件その他が違つてきて今日無効であることが客観的に学界等の検証によつて認められます場合には、行政行為によつて承認をいたしたものでありますから、今日の薬事法上も承認の取消ということはできる、こういう解釈に私どもは立つております」旨を、言明した(後記2、(一)参照)。

(三) 昭和四八年一一月二一日薬発第一一四二号薬務局長通知

医薬品の再評価については後に略述するが、「医薬品再評価が終了した単味剤たる医療用薬品の取扱いについて」、次のように取り扱われる旨が通知された。すなわち、「第一 有用性を示す根拠がないものと判定された医薬品に対する措置

1 日本薬局方収載医薬品については、日本薬局方から当該医薬品を削除する。

2 日本薬局方外医薬品については、当該医薬品の製造(輸入)承認及び当該医薬品にかかる製造(輸入販売を含む……)業の許可の取消しを行なう」と。

(四) 要約

以上のとおり、昭和三五年薬事法一四条(二三条により準用される場合を含む)の承認については、昭和四〇年五月(前記三、2参照)以降、繰り返し薬務局長名の行政通知により、さらには厚生大臣の国会における発言によつて、「承認の取消」が可能である旨の見解が表明され、これが再確認されて来たものということができる。

2 医薬品の再評価について

(一) 薬効問題懇談会の発足

これより先、いわゆる「肝臓薬」、「ビタミン剤」をはじめとする医薬品の有効性の問題が国民の関心を集めるに及んで、昭和四五年五月一九日、衆議院決算委員会において、参考人として桑原章吾、佐藤倚男、高橋晄正らおよび国立衛生試験所長石館守三らの学識経験者の出席を求めたうえ、医薬品の有効性の評価判定につき議論が交換された(前記1、(二)の内田厚生大臣の発言は、その際になされたものである)が、委員会における審議の結果、同年七月、決算委員長より大略次のような医薬品の再検討を要望する意見が出されるに至つた。すなわち、「医薬品は人間の健康と生命に直接かかわりのあるものであるから、政府が認可する場合は、より以上安全性と有効性について慎重な態度で臨み、その判定については客観的にして科学的判断によらなければならない。この際すでに承認されている大衆保健薬もあわせて権威ある新しい機関を設け、すみやかに善処されんことを要望する」と。

これを承けて、同年八月、中央薬事法審議会とは別に、厚生大臣のいわば私的な諮問機関として、医学または薬学の学識経験者一一名より成る薬効問題懇談会(座長熊谷洋)が発足し、同年九月から討議を開始し、翌年七月答申をした。

(二) 昭和四六年七月七日薬効問題懇談会の答申

答申の内容は、別紙三のとおりであるが、その一部を略述すると次のとおりである。

(懇談会発足の背景)

戦後、医薬品の開発も目覚ましい発展を示した。結核症の治癒を可能にした化学療法剤の出現、ペニシリンその他の抗生物質の発見がその適例であるが、このような優れた医薬品の出現がかえつて医薬品に対する過信を招き、その濫用という風潮を招いたことも否定できない。

このような医薬品の濫用に対して大きな衝撃を与えたのは、昭和三六年に起こつたサリドマイド事件、昭和四〇年のアンプル入りかぜ薬事件などであつた。とくにサリドマイド事件は、わが国だけでなく、世界各国で医薬品の安全性の確認に対する不安をたかめ、医薬品の安全対策は世界共通の大きな問題として取り上げられるに至り、昭和三八年WHOの総会において、「WHO加盟各国は、医薬品の副作用について国家的水準により正確な評価をする機関を持つこと。医薬品の研究開発時または一般使用時において発生する副作用情報について、組織的に収集できるような体制を作る必要がある」との決議が採択された。わが国の安全対策もこの決議に沿つて推進され、昭和四一年度より副作用モニター制が実施され、同四二年度より新医薬品承認後、少なくとも二年間にわたる副作用の報告義務が業者に課され、さらに副作用についての情報収集体制の整備がはかられてきた。その結果、得られた副作用については、その内容に応じ中央薬事審議会の意見を徴し、販売中止、使用上の注意事項の適切な記載の指示など、所要の措置が講ぜられている。

近年、わが国においても、医薬品の臨床評価については、精密かつ客観的な比較試験法が発展し、その結果、「臨床効果を、より科学的に検討できるケースがふえてきた。そこで従前の臨床試験の方法なり効果判定の仕方で有効性を裏づけられた医薬品の一部に、二重盲検法等による比較試験を行なう場合、有効性が確認できるか否か疑念のもたれるものも生じてきている。この傾向は日本のみに止まらず、欧米各国でも同様であり、市販医薬品の再検討が行なわれつつある状態である」。

(医薬品再評価の必要性)

「医薬品は、その本質とする生物学的活性から疾病に対する一定の範囲の効果とともに、程度の差こそあれ、必ず好ましくない副作用を示すものとみるべきである。換言すれば、医薬品の有用性の評価は、その適用範囲を考慮したうえでの有効性と安全性のバランスにより判断されるべきものである。このような認識に立脚する時、既承認医薬品の有用性の再検討の必要性を主張すべき根拠として次の三点があげられよう。

(1) 有効性および安全性の再確認

近来、医学薬学の進歩には注目すべきものがある。特に毒性試験、代謝に関連する試験法および診断治療技術などの発達、あるいは統計学利用による臨床試験法の改善など、医薬品の評価に寄与する知見の増加が著しい。この結果、かつては未知であつた事項がつぎつぎと解明され、あるいは今まで確認されていた事項でも否定される場合が生じてきた。このように医学薬学の進歩に伴い、医薬品の有効性および安全性の評価に変更が生ずることは当然であり、これが医薬品再検討の必要性が強調される最大の理由である」。

医薬品の製造承認審査は、その時代の学問のレベルを背景に行なわれ、関係資料の整備および審査の基準もその時点でのレベルを反映したものであつた。

(中略)

「以上のように終戦直後から現行のレベルにいたるまで医学薬学の進歩に即応して不断にレベルアツプが行なわれてきたのである。かくて、すでに周知のとおり、昭和四二年一〇月からは薬務局長通知により『医薬品の製造承認等に関する基本方針』(いわゆる基本方針)が実施され、製造承認に必要な資料の範囲と内容が明文化されたのである。

しかし、上記のとおり開発段階における臨床試験のレベルがかなり向上したとしても、たかだか数百例の臨床試験から治療薬の性質の全ぼうを知ることは困難であり、発売後一定期間経験を集積した時点における再検討の必要性は、将来にわたり等閑視できないはずである。

なお、医療用医薬品の配合剤の承認の取扱いについては、昭和四二年九月以前には、新医薬品を配合しない限り、特に配合理由についての資料の提出を必要としなかつたのであるが、基本方針実施以降承認の有無に関係なく、原則として配合理由を裏づける基礎実験および臨床試験の資料が必要となつた。この経過にかんがみ基本方針実施以前に承認された医療用配合剤についても再検討する必要がある」。

(2) 「一般用医薬品」の製造承認による取扱いの明確化

昭和四二年一〇月からのいわゆる「基本方針」では、製造承認審査の取扱いについて、はじめて医療用医薬品とその他の医薬品(一般医薬品)とが区分されたが、「昭和四二年九月以前に承認された医薬品についてみると、医療用と一般用の区分が明確でなかつたため、一般用医薬品として市販されているものの中には、一般用として不適当な成分を含んでいたり、あるいは、好ましくない用法、用量、効能、効果を有するものがあることは否定できない。したがつて昭和四二年九月以前に承認された医薬品で、現在の区分では一般用医薬品に該当する品目についても、医療用医薬品と同様適正な再検討が必要である」。

(3) 医薬品の淘汰

開発研究の進歩によつて、既存の医薬品より高い有効性ないし安全性をもつ医薬品が登場すれば、同一適応の既存の医薬品は当然にその存在理由を失い、市場から姿を消すことになる筈である。「しかし、現実には、医薬品を使用する医師ならびに一般国民の慣習、広告宣伝活動、価格など、本来の医薬品の有用性とは別の多くの要素によつて淘汰が阻害され、有用性が低く存在理由の疑わしい医薬品が根強く残存している。したがつて、有用性の低い医薬品をそのまま放置することなく、積極的に淘汰を推進するために、再検討を国家的規模で実施することは、有用性の高い医薬品の育成の面からも不可欠の措置といえる。」

(三) 医薬品再評価の実施

薬効問題懇談会の答申は、「医薬品再検討の必要性」、「医薬品評価の在り方」の標題のもとに、わが国における医薬品の承認・許可に関する従前の実情と医薬品評価の本来あるべき姿について詳述し、また、「医薬品再検討の実施計画の大要」をも示したものであるが、この答申においても、昭和四二年一〇月から実施された「医薬品の製造承認等に関する基本方針」についての二つの局長通知が当然ながら大きく取り上げられ、「基本方針」以前と以後とを区別して論じられていることが注目されてよいであろう。

懇談会の答申を基盤として、昭和四六年七月二〇日、厚生大臣から改めて中央薬事審議会に諮問が行なわれ、審議会は同月二二日、本問題に対処するため、医薬品再評価特別部会の設置を決議した(厚生省は、中央薬事審議会に諮問するとともに、この新しい業務を担当する製薬第二課を発足させた。)同年一〇月一日、医薬品再評価特別部会(部会長熊谷洋)は第一回の会合を開き、特別部会の運営、再評価の実施に関する細則案を審議したが、部会の下部組織として、薬効群別の再評価調査会と臨床関係以外の基礎面を担当する基礎調査会とを設置することとなり、前者にあたるものとして、まず、精神神経用剤、抗菌製剤、ビタミン等代謝性製剤の各評価調査会が設置されることとなつた。薬効群別の再評価調査会の設置数は、現在、約二〇に及んでいる。

中央薬事審議会は、昭和四八年一一月二一日、医薬品再評価についての最初の答申を行なつたが、その際、「医薬品再評価が終了した単味剤たる医療用医薬品の取扱いについて」発せられたのが、同日付けの前記薬務局長通知(1、(三)参照)である。なお、右の第一次答申についての論稿において、担当の製薬第二課長が、次のように述べているのは、興味深いところである。いわく、「再評価の実施によつて得られた……もつとも大きな意義は情報収集の重要なことが認識されたことであろう。従来よりわが国では、薬事法による承認許可を受けるまでは、多少の無理をしてでも必要な資料の収集につとめるが、一度承認許可を受けてしまつた後は、その売り上げの増加にのみ気をとられていた。そのため、販売促進のための手段は種々こうじられていたが、その医薬品に対する評価がその後どのように変わつてきているか等には比較的無関心であつた……心ある企業は常に内外の情報を入手して、そのつど必要な措置がとられてきていたようであるが、このような例は全体からみればどちらかといえば例外に属する方であつたといえよう」と。

第三「基本方針」による現行薬事法の実質的修正

一昭和三五年法の制定とサリドマイド事件の発生

昭和三五年法の立法趣旨――立法者の意図――については、前述した(第一、二、2参照)。しかし、その施行(昭三六・二・一)後、間もなくサリドマイド事件が起こり、これが医薬品の安全性の問題につき全世界にわたつて大きな影響を及ぼした。わが国もその例に洩れず、というよりも、サリドマイドの開発・製造元である西ドイツに次ぐ多数の被害児を発生させ、その結果として、医薬品の安全性確保のため、昭和三八年三月、中央薬事審議会に医薬品安全対策特別部会が設置され、同年四月には医薬品の胎児に及ぼす影響に関する動物試験法の基準を定めた「医薬品の安全確保の方策について」の“正式の行政通知”が発せられるに至つた(第二、二参照)。サリドマイド事件が諸外国の薬事法制に及ぼした影響についても、さきに述べたとおりである(第一、三参照)。わが国においても、「医薬品の安全確保の方策」としては、まず、警察消極目的の原則を支配的原理の一つとする行政警察法規としての薬事法の、真に国民の生命・健康を守り、「公衆衛生の向上及び増進」(憲法二五条)を図る積極行政のための根拠法規としての新薬事法への法改正が、焦眉の急務でなければならなかつた。

二新たな行政需要と「行政指導による対応」について

しかるに被告国は、「取締法規としての薬事法の性格は、医薬品の安全性の確保が緊急課題となり、より積極的な薬務行政の展開が必要とされるに至つた現在においても変わるものではない。そこで、右のような性格としての薬事法はそのままにしておきながらも、我が国においては、このような新しい行政需要には、行政指導という形で対応することにしている。すなわち、医薬品の安全性の確保については、その性質上何よりも業界の自主的積極的な活動にまつべき点が多いので、法的規制よりも、説得及び忠告という行政指導によつてその目的を達成しようとしているのである」という。

しかし、行政警察(衛生警察)法規としての薬事法をそのままにして置きながら、何故そのような住格の薬事法のもとで、要すれば(法に明文の規定のない)取消権の行使をもつて臨むという底の“行政指導”が可能であるのか、また、医薬品の安全性の確保について、何故、法的規制よりも行政指導が適するといい得るのか、大方の理解し難いところであろう。

また、被告国は、薬事法が取締法規であることを前提として、「薬事法の立法趣旨及び目的は、適正な医薬品の供給を通じて『公衆衛生の向上及び増進』(厚生省設置法四条一項参照)という公衆(国民全体)の利益を保護することにあると解すべきであ」るとする。その主旨は、その主張の行政指導の根拠として右法条を掲げるにあるものと解されよう。しかし、業者に対する規制措置としての性格を有する行政指導の根拠は、行政作用法の中にこそ求むべきであつて、各省設置法という行政組織法の中に求めることはできない。

要するに、サリドマイド事件発生後、「医薬品の安全性の確保が緊急課題となり、より積極的な薬務行政の展開が必要とされるに至つた」段階においては、このような「新しい行政需要」と実定法としての薬事法の規定との間の乖離が目立つのであつて、新たな行政需要に対応してより積極的な薬務行政を展開するためには、まず、それに適した薬事法の改正が必須とされるのである(現に、サリドマイド事件において、コンテルガンの回収後、グリュネンタール社から大日本製薬を通じてレンツ警告の趣旨が直ちに報ぜられたにもかかわらず、わが厚生当局がこれに即応し得なかつたのも、昭和三五年法の基本的性格が不良医薬品の取締を目的とする行政警察法規であつて、純正医薬品についての販売停止、製品の回収ないしは製造承認の取消に関する規定を持たなかつたことに因るところが大きいと認められるのである)。

しかるに、業界は必ず行政指導に従うから法改正の必要なしとする当路者の言辞(山田証言はその一例に過ぎない)の如きは、もはや強弁以外の何物でもないことが明らかであろう。サリドマイド事件に即応したキーホーバー=ハリス修正法(一九六二年)より本件口頭弁論終結に至るまで一五年、英国薬事法の制定(一九六八年)より九年、西ドイツ新薬事法の成立(一九七六年)よりさらに一年、被告国が時代の要請に応えるための法規改正の努力を示すことなく、もつぱら行政指導によつて新たな行政需要に対応し、むしろこれをもつて足りるとしながら、一度提訴を受けるや、既存の実定法規の体裁を論拠として国に責任なしとするのは、矛盾の甚だしいものというほかはないのである。

三新たな法思想の定着――昭和三五年法の実質的修正――

被告国は、医薬品の本質につき、医薬品は、有効性を有する反面、何らかの副作用による危険を伴うという「両刃の剣的性質を有するため、その有用性は、有効性と安全性のバランスを考慮した上で評価されなければならない」(最終準備書面一〇頁)とする。これが前述の薬効問題懇談会の答申(第二、五、2、(二)参照)に依拠することは看易いところであるが、医薬品の本質論として、わが国においてかかる見地が強調されるようになつたのは、サリドマイド事件以後のことに属するのであり、少なくとも薬事法の解釈論としては、「無害かつ有効」という単純に並存しうる二つの観念をもつて、医薬品としての適性の判断基準とされていたのである(第二、一、1参照)。昭和三五年法が、少なくともその制定当初において、医薬品の本質についての「両刃の剣」論に立脚するものではないことは、同法に製造承認の取消に関する規定の存しないことの一事を指摘すれば足りるであろう(原告らは、その主張のごとき法解釈の論拠として、しばしば憲法原理の転換を挙げるけれども、昭和二三年法は日本国憲法下に新たに成立した薬事法であり、昭和三五年法はさらにこれを全面改正したものであることが忘れられてはならない)。

かくして、昭和二三年法はもとより、昭和三五年法もまたその制定当初においては、不良医薬品の取締りを目的とする行政警察法規たることを、その基本的性格とするものであつたことは、疑いを容れないところである。

しかしながら、サリドマイド事件をはじめとする薬禍の発生は、厚生当局をして薬事法の性格如何にかかわらず薬害防止のため現実的対応をすることを余儀なくさせた。その経過は、前記第二の一ないし五において、仔細に見たとおりであるが、その中において特筆さるべきは、昭和四二年九―一〇月の「基本方針」であつて、この両通知により、サリドマイド事件以後、緊急課題となつた医薬品の安全確保の方策が明文化され、集大成され、ここに新たな時代の要求が法思想として実定法の運営上に定着したものということができる。

すなわち、わが薬事法は昭和二三年法から三五年法を通じて、憲法二二条との関係においてその合憲性が論ぜられる法律として出発したのであるが、憲法のいま一つの条規である二五条との関係において、医薬品の安全確保の法思想が成文の形式をもつて定着し、かかる観点から、実定法規としての薬事法の諸規定の憲法的指導原理による解釈が可能となつたものといわなければならない。

第四節国とキノホルムとの関りあい

第一国によるキノホルム原末の製造と戦後における製法特許実施権等の払下げ

一戦時下、東京衛生試験所によるキノホルムの製造

わが国においては、大正一一年末から旧陸軍において、医務局長承認治療薬としてヴイオフオルムを使用するようになつたが、国内では製造されていなかつたため、同一三年頃から陸軍衛生材料廠、陸軍軍医学校等で試製されていた。

他方、内務省管轄下にあつた東京衛生試験所(昭和一三年一月の厚生省設置とともに同省に移管された)は、戦時下、医薬品の輸入が困難となつたため、昭和一一年頃より次々と時局に即応した緊急医薬品や輸入薬品の製造を計画したが、ヴイオフオルムの国産化が図られたのもこの時期のことである。

東京衛生試験所製薬部技手篠崎好三は、昭和一〇年半ばヴイオフオルム研究の命を受け、種々研究の結果、既知の製法とまつたく異なるバラジクロルベンゾールを出発原料とする新合成法を考案し、製法特許を得た。発表当時数社の製薬会社から特許権払下げの希望があつたが、時局がら衛生試験所で製造を実施することとなり、昭和一三年度予算に計上され、翌一四年六月キノホルムの名称で製品第一号(二五g入り)が発売された。製品の大部分は陸海軍の衛生部に納入され、一部は民間にも払い下げられた。篠崎によれば、同試験所におけるキノホルムの生産量は昭和一四年度約四〇〇kg、同一五年度以降一九年度に至るまで各年間約八〇〇kgであつた、とされている。

二戦後における製法特許実施権等の払下げ

昭和二一年八月、篠崎は、厚生大臣および衛生試験所長からキノホルムの製法特許実施権とキノホルム製造用機械の払下げを受け、八州化学株式会社に入社した。同社の立石工場において、昭和二三年四月より同三〇年四月までキノホルムの製造を続けたが、その生産量は年間約六〇〇kgであつたという。

第二キノホルムの劇薬指定とその解除

一指定と解除

キノホルム(ヨードクロルオキシキノリン)は、昭和一一年七月三日内務省令第一九号(同・一〇・一施行)により劇薬に指定され、同一四年一一月九日厚生省令第三六号(翌一五・二・一施行)をもつて劇薬品目より除かれた。当初の内務省令により劇薬扱いとなつたのは「ヨードクロルオキシキノリン」として、キノホルム原末(当時のヴイオフオルム)のみに限られ、エンテロ・ヴイオフオルムは従来どおり普通薬のままであつた。

二劇薬指定解除の経緯

他方、キノホルムは、右の劇薬指定解除に先だち、昭和一四年八月二三日厚生省令第二七号による第五改正日本薬局方中一部改正により、局方品として追加収載された。

この局方改正につき、厚生技師(当時)刈米達夫は、日本薬報(昭一四・九・五号)の講壇に、「薬局方の臨時改正に就て」と題する文章を寄せているが、その中において、新薬の収載につき、「外国から輸入される新薬類は現在概ね国産品ができて居るに拘らず、医師其他需要者は外国品の市販名に慣習せる為、国産品は著しく不利の条件に立つて居る。且、薬局方外の新薬は何等規格無き為、往々不良品が市場に跋扈し、其為国産品全体の信用を傷ける場合も少しとせず、依て是等を局方に収載し、規格を定めて純度を確保し、又称呼に便なる薬局方名を附して名称を統一することは専ら国産奨励の趣旨によるものである」とし、また、毒劇薬品目の改正について「今回の改正が省令一八号の毒劇薬品目に影響を及ぼす点は、ヨードクロルオキシヒノリンがキノホルムといふ名称で普通薬として収載された為、劇薬品目中から削除される」と述べているが、キノホルムの局方収載と劇薬指定解除の経緯については、他にいかなる説明も加えられていない(以上、乙二〇号証の一ないし三による)。「普通薬としての局方収載」と「劇薬品目からの削除」とは、キノホルムの劇薬性の有無という観点からすれば、むしろ同義句というべきところ、後者(劇薬品目からの削除)の措置理由として前者(普通薬としての局方収載)が挙げられていることは、注目に値するところである。

三劇薬指定解除の当否

毒劇薬の取扱いについては、わが法制上、毒薬劇薬取扱規則(明治一〇年布告第二〇号)、薬品取扱規則(同一三年布告第一号)、薬品営業竝薬品取扱規則(同二二年法律第一〇号)以来、毒薬・劇薬の指定の制度があり、薬事法制定後においては、昭和一八年法の二九条、昭和二三年法の二条、昭和三五年法の四四条がその根拠規定となつている。

毒劇薬の指定基準は時代により一定していないが、前記キノホルム原末についての劇薬指定・解除当時の所見としては、

1 第五改正薬局方に関与した伊藤幹愛が厚生省から依頼を受けて昭和七年頃から作成した致死量表に示される、動物の体重一kgあたり致死量0.1g以下の場合を毒薬とし、一kgあたり一g前後の場合を劇薬とする基準のほか、

2 昭和七年内務省令第二三号をもつて指定された毒劇薬竝毒劇物品目は、昭和一一年七月三日内務省令第一九号(同・一〇・一施行)により全面改正されたが、この改正に関与した刈米が日本薬報(同・七・二〇号)の講壇に寄せた「毒劇薬竝毒劇物品目改正に就て」と題する文章においていうところの、「大体に於て成人経口致死量一g以下のものを毒薬とし、一g以上一五g以下のものを劇薬とすると云ふ標準を仮に設けて参考とした。人の致死量に関する文献の拠るべきもの無き薬品に就ては止むを得ず動物に対する致死量を参照し、大体に於て動物の体重一kgに対し経口的致死量二〇mg以下、或は皮下注射致死量一〇mg以下、若くは静脈注射致死量七mg以下の程度のものは毒薬として考慮を加へ、又同様に経口三〇〇mg、皮下注射一五〇mg、静脈内注射一〇〇mg以下を以て死に到る程度のものは劇薬として一応調査上の参考に供した」とする基準

3 清水藤太郎「薬局方概論」(薬学大全書第五巻所収、昭和一五年四月刊)にいう、動物に経口的投与により体重一kgに対する最小致死量が0.02g以下(人間は五〇kgとして一g以下)のものを毒薬とし、右同0.3g以下(人間は一五g以下)のものを劇薬とする基準

が見られるのであつて、これによると、副作用文献等綴一、1、(二)、②のアンダーソン、デーヴイツド、コツホによる文献<一九三一年>がヨードクロルオキシキノリン(キノホルム)二〇〇mg/kgを経口投与されたモルモツト一〇匹中七匹が死亡した旨を報告する一例をとつてみても、昭和一四年一一月九日厚生省令第三六号(同一五・二・一施行)によるキノホルムの劇薬指定解除に問題があつたことが容易に指摘され得るのであり、経口投与の場合のLD50値が三〇mg/kg以下のものを毒薬、三〇〇mg/kg以下のものを劇薬とする今日の毒劇薬指定基準(前掲牛丸・薬事法詳解による)に照らして見ても、キノホルムは劇薬と目さるべき医薬品であることが明らかで、その劇薬指定解除はもとより当を得ないものといわなければならない。

第三キノホルムの日本薬局方収載

一第五改正日本薬局方の一部改正(昭和一四年)

1 キノホルムの局方収載

昭和一四年八月二三日厚生省令第二七号をもつて第五改正日本薬局方の一部改正が行なわれ(即日施行)、キノホルムがはじめて局方品として収載された。

この局方改正は、一〇年毎の定期的改正でなく、そのため第五改正日本薬局方の一部改正という形式をとつているが、当時の林衛生局長みずから「劃期的大改正」と称し、また、一般にシナ事変下の“臨時大改正”と呼ばれたものであつた。すなわち、この局方改正は、公布当日の厚生次官通牒に示されるように、「事変の長期戦化せる現下の時局に対処せんがため国産品を以て輸入品に替へ治療上支障なき限り之に適応すべき規格に改め又は従来の薬品取締の実績に徴し必要なる改正を加へ以て必需医薬品の国内確保を期せんとしたるもの」であつた。

2 キノホルム収載の趣旨

また、同日付の衛生局長通牒は、改正の趣旨として、「(一) 国産医薬品の生産より可及的自給方策を講じ奨励に外国品の輸入を防遏する趣旨を採りたること(二) 医薬品原料に国産原料利用の途を拓きたること (三) 資源節約の方針を採りたること (四) 他の工業用途の影響により原料の不足する場合を考慮し其の対策を講じたること (五) 医薬品を確保せんがため他用途への流用を防止する趣旨を採りたること (六) 一般に繁用せらるる製剤類を追加したること」の六項目を掲げているが、キノホルムは、右(一)の趣旨(外国品の輸入防遏)により「新に収載したる品目中主なるもの」の一つとして挙げられている。すなわち、その局方収載の理由は、「一般に繁用せらるる」ためではなかつたのである(なお、同日付の衛生局長談話として、外国品の輸入防遏の趣旨に則り「国産医薬活用の途を開いたもので……差し当り緊急と認めらるる品目例之スルフアミン、キノホルム、マーキユロクロム等数十品目の新載改訂を見たに過ぎないが」云々としているのが、注目されてよいであろう)。

ちなみに、改正に先だち厚生省は、日本薬学会の全国薬剤部長会に対し、薬局方収載希望の新薬の調査依頼をなし、昭和一四年四月七日同部長会は、全国の大学ならびに医専附属病院、日本赤十字社病院、府県立、市立病院、陸海軍病院、会社経営病院等に右の調査を依頼したところ、回答提出病院は一〇五か所であつたが、「事変下特に日本薬局方収載希望品目」の中にキノホルムは挙げられていなかつたのである。

二第六改正日本薬局方(昭和二六年)

1 六局制定の経過

厚生省は、戦後の新事態に対処して日本薬局方の大改正を三か年計画で行なうこととなり、昭和二二年八月、その準備委員会を設け、一二月上旬には、日本薬局方調査会の最初の委員会が開催された。委員会は、米国薬局方を原則的には最大限に取り入れる方針を決定するとともに、五局収載品目からの削除品目および六局への新規収載品目の選定作業に入つたが、昭和二三年四月頃京都および東京で開かれた各部会総合連絡会において、削除品目として稀醋酸等一三一品目を決め、同年八月さらにヨード鉄シロツプ等一〇品目の削除を追加することとし、同年一〇月一六日に開かれた第一一回日本薬局方調査会委員会において、以上計一四一品目の局方よりの削除を全員一致で可決するとともに、キノホルム等一一品目の追加削除を決定した(五局収載品目からの削除は合計一五二品目となつた)。

右のとおり、昭和二三年一〇月の局方調査会委員会においては、日本薬局方からのキノホルムの削除が正式に決定されたが、同二五年三月に発表された六局収載品目(案)には、キノホルムが含まれており、その後これが変わることなく、昭和二六年三月一日、第六改正日本薬局方がキノホルムを収載品目の一つとして公布施行された。局方からのキノホルムの削除決定が再度収載に変更された理由は明らかでないが、同剤の局方収載が被告らの主張するようにその“繁用”を意味するものであつたか否かにつき、以下これを検討することとする。

2 キノホルムの繁用性の有無

(一) キノホルムのわが国における輸入・生産量の推移

(1) 昭和四五年九月二日厚生省におけるキノホルムに関する打合会資料

戦時中の東京衛生試験所におけるキノホルムの生産量については、前述のとおりである(第一、一参照)が、本件キ剤の販売中止に関する行政措置前の昭和四五年九月二日、厚生省においてキノホルムに関する打合会が開かれた際、資料として、本章末尾添付表一のとおり、(ア)戦前のエンテロ・ヴイナフオルム生産販売量、(イ)戦後のエンテロ・ヴイオフオルム生産販売量およびキノホルム原末生産(輸入)量が報告された。

(2) 厚生省薬務局監修「薬事工業生産動態統計年報」

右掲記の年報(昭和三六年〜四五年)によれば、昭和三六年から同四五年までのキノホルム類末、キノホルム類錠別生産数量は、表二のとおりである。

(二) 終戦後におけるキ剤の生産・需給状況

(1) 昭和二二年度――重要医薬品の選定――

戦後、臨時物資給需調整法(昭二一年一〇月一日法律第三二号)が施行され、さらに同法に基づく指定生産資材割当規則が公布された。厚生省は、昭和二二年指定生産資材割当実施要綱を発表し、医薬品等の生産に要する指定生産資材の割当は、原則として重要医薬品に指定されたものに限る方針を明示した。厚生省は、(ア)医師、歯科医師、獣医師の診療上必要なもの、(イ)防疫対策上必要なもの、(ウ)一般家庭用薬品として重要なもの、の三つを選定基準として、重要医薬品二八二品目の成案を得るに至つたので、同年九月一〇日、日本医師会館において朝野関係者を招き、「重要医薬品選定協議会」を開催した。厚生省案の二八二品目には、「抗原虫剤」としてキノホルムが含まれていた。

当日、業界代表からは、重要医薬品から洩れることは業者として致命的であるとして、品目の追加の希望が続出したが、日本医師会代表は、各都道府県医師会から取りまとめた調査報告に基づき、原案から九四品目を削除し三三品目を追加して、計二二一品目の指定を相当とする意見であつた。キノホルムは、医師会が削除を相当とした九四品目のうちに含まれていた。

(2) 昭和二三年度――医薬品の生産計画、生産割当、配給割当――

昭和二三年度において、厚生省の決定した第一・四半期の医薬品生産割当品目(八七品目)、第二・四半期の需要別生産計画(九五品目)および指定配給医薬品割当(五一品目)、第四・四半期の医薬品生産計画のいずれにおいても、キノホルムは含まれておらず、また、第二・四半期中の月別の医薬品総生産高の集計においても、指定配給医薬品の七月分(五六品目)、八月分(五二品目)中にキノホルムは含まれていない。他の時期については、資料の提出がない。

(3) 昭和二四年度――医薬品の生産計画の策定――

昭和二四年度の医薬品生産計画策定にあたり、厚生省は医薬品需給協議会を開催し、医薬品の緊急度をA(需要度大、増産を要するもの)、B(需要あり)、C(需要少なし、過剰気味なり)の三段階に分類することとなつた。第一・四半期分として、A四八品目、B一四品目、C三九品目、第二・四半期分として、A四〇品目、B一二品目、C五〇品目が挙げられたが、そのいずれにもキノホルムは含まれていない。他の時期については資料の提出がない。

(三) 終戦後におけるキ剤の調剤・処方状況

(1) 市井哲「現時の調剤学」

都内病院薬局に勤務する市井(薬剤師)は、日本医学三巻一〜四号(昭和二三年一〜四月号)に「現時の調剤学(1)」と題する一文を寄せた。重要医薬品使用調査表がその内容であつて、腸内殺菌剤を含む「胃腸疾患治療剤(其一)」、「胃腸疾患治療剤(其二)止潟剤」には、それぞれ「過去ニ於テ全国的ニ最モ賞用サレタ医薬品」、「某一流病院現在使用医薬品」、「類似医薬品」の分類のもとに多数の品目が掲げられているが、キノホルム剤の名は挙げられていない。

(2) 東大病院「約束処方及常用処方集」

東京大学医学部附属病院は、「約束処方及常用処方集」を作成し、各科に共用でき利用度の高いものを約束処方とし、利用度の比較的少ないものを常用処方として記載していたが、右の昭和二六年版、二七年版、三四年版、三五年版には、いずれもキノホルム製剤の記載がなく、四〇年版に至つて、小児用剤としてエンテロ・ヴイオフオルム等の処方が登載されている。

(四) 結論

以上認定するところによれば、第六改正日本薬局方に収載された当時、キノホルムが繁用されていたとの事実は、とうてい認め得べくもなく、キノホルムが繁用されるに至つたのは昭和三〇年以降であるといつてよいとする証人石館守三の証言を裏付けるものということができる。

三第七改正日本薬局方(昭和三六年)

1 七局制定の経過

第六改正日本薬局方の公布後、医薬品の急激な進歩、試験法の発達などの情勢に伴い、さらに薬局方の全面改正の必要を生じ、薬事審議会は、厚生大臣の諮問に応じ、昭和三〇年三月第二改正国民医薬品集の改正終了とともに、引き続き七局の調査に着手した。その後、昭和三五年薬事法の制定により、六局および二国は日本薬局方第一部および第二部とみなされることとなつた。第七改正日本薬局法は、昭和三六年四月一日厚生省告示第七六号をもつて公布されたが、キノホルムはその第一部に収載されていた。

2 公定書収載基準

七局収載予定品目の選定にあたり、昭和三四年七月二八日、薬事審議会公定書部会公定書調査会は、公定書収載基準(案)を決定した。その内容は次のとおりである。

(一) 公定書収載基準

(1) 繁用されている医薬品

(2) 繁用されていないが、薬効が明らかで治療上重要な医薬品

例:国産されていないが輸入されている重要医薬品、ジキタリス製剤等

(3) 治療上重要なもので、使用にあたつて危険を伴うおそれがあるから規格を作成する必要のある医薬品

例:亜硝酸アミル、亜酸化窒素等の麻酔剤、麻薬、水銀剤、ヒ素剤等

(4) 医薬品の原料(製剤用)として使用されるもの

例:溶解補助剤、賦形剤等

(5) 以上の四つの条件にはいずれも規格がほぼ確立されていることを付帯条件とする。

(二) 日本薬局方収載基準

(1) 原薬((三)の(1)を除く)

(2) その倍散、顆粒剤、錠剤、カプセル剤および注射剤等

(3) 特に繁用されるエキス剤、チンキ剤、丸剤、軟膏剤および二種以上の原薬を含む注射剤等

(4) 特に繁用される生物学的製剤および抗菌性物質製剤

(三) 国民医薬品集収載基準

(1) 専ら家庭薬や混合製剤の原料として使用される原薬およびこれに準ずる〔局方に収載するほどではないが公定書に残す必要がある〕原薬

(2) 混合製剤および(1)の製剤

3 使用頻度調査

公定書調査会は、局方および国薬への収載品目選定のため、全国主要病院約六〇〇を対象として調査表を配付し、約二〇〇(局方分二〇三、国薬分一九二)の回答を得たが、これによると、キノホルムにつき使用頻度が極めて高い(○印)としたものが三三%、過去二年間ほとんど使用しないか、または公定書薬品として収載の意義がないと考えられる(×印)としたものが二六%、無印回答が四一%であつた。

同一調査中の他の止潟剤について見ると、アクリノールは○印七五%、×印五%、次硝酸ビスマスは○印七八%、×印〇%、タンニン酸アルブミンは○印七七%、×印一%、薬用炭は○印四三%、×印一六%であつて、この調査の行なわれた時点(その時期は定かでないが、調査結果の登載された日本公定書協会「会報」五号の発行された昭和三四年一〇月以前であることは明らかである)においてもなお、キノホルムの使用頻度は必ずしも高いとはいえなかつたのである。

4 昭和三〇年代後半におけるスモン患者の激増

キノホルムがわが国において繁用されるに至つたのは昭和三〇年代に入つてからであること、前述のとおりである(二、2、(四)参照)が、三〇年代の初頭においてはなお右のとおりであつて、わが国におけるキノホルムの生産(輸入)量の推移を見れば、あたかも七局収載に符節を合するかの如く、キノホルムの生産(輸入)量の急激な増加とスモン患者の激増とが時期を同じくしていることを知ることができる。

第四キノホルム製剤の製造許可等

一製造許可等にあたつて厚生大臣のした審査

1 昭和三〇年以前のもの

(一) 乳化キノホルム「ヤシマ」

八洲化学株式会社は、昭和二八年初め頃から、三沢敬義、野上寿、北原静夫らの開発にかかる乳化キノホルムを発売した。これはキノホルムにカルボキシメチルセルローズナトリウム(CMC)を加えたものである。

厚生省薬務局製薬課は、これに先だち八洲化学株式会社からなされた医薬品製造許可申請を審査したが、有効成分であるキノホルムが日本薬局方に収載されており、CMCはアメリカ医師会の薬学・化学委負会「新局方外治療薬集」「NNR」に載つていたので、これを参照して、包括建議に則り、製造を許可した。

(二) エンテロ・ヴイオフオルム「チバ」

昭和二八年四月二〇日、被告武田のしたエンテロ・ヴイオフオルム「チバ」の製造許可の申請について、右製剤は公定書医薬品であるキノホルムを主な有効成分とするもので、類似の製剤として、昭和二三年に出た第一版国民医薬品集に収載のキノホルミンがあつた(該当薬としてエンテロ・ビオホルム(Ciba)およびホメチン(塩野義)があつた)ので、包括建議一項に基づき、薬事審議会の建議を求めることなく、厚生省薬務局製薬課において審査した。審査は、相当の技官が、局方あるいは局方の注解、第一版国民医薬品集解説のキノホルミンの項を参照し、当該申請のエンテロ・ヴイオフオルム「チバ」の効能の大部分がキノホルミンの効能と一致することを確認し、キノホルミンにはない鞭虫感染症については、申請書添付の臨床報告により確認したうえ、同年六月三〇日その製造の許可をした。

2 昭和三一年以降のもの

(一) エマホルム、エマホルム錠

被告田辺が昭和三〇年一二月一日にしたエマホルム、同三一年一月六日にしたエマホルム錠の製造許可申請につき、右製剤は公定書医薬品であるキノホルムを主な有効成分とするもので、類似の前例として、八州化学が昭和二八年初めごろに製造許可を受けて販売していた、乳化キノホルム「ヤシマ」があつたので、包括建議一項に基づき、薬事審議会の建議を求めることなく、厚生省薬務局製薬課において審査した。審査は、相当の技官が、日本薬局方あるいは局方の注解、乳化キノホルム「ヤシマ」の製造許可の際の書類を参照し、エマホルム、エマホルム錠の成分であるCMCについては、NNRに収載されていたのでこれを参考にして、昭和三一年一月一七日いずれも製造の許可をした。

(二) ホルム錠、エマホルム錠(0.25g)、エマホルム錠(0.5g)、エンテロ・ヴイオフオルム錠「チバ」、エンテロ・ヴイオフオルム散「チバ」、複合エマホルム

被告田辺の申請にかかるホルム錠、エマホルム錠(0.25g)、その昭和三五年一月二〇日申請にかかるエマホルム錠(0.5g)、被告チバの同年七月一九日申請にかかるエンテロ・ヴイオフオルム錠または散「チバ」については、右製剤はいずれもキノホルムのみを有効成分とするものであつたので、担当官において、すでに許可となつているエマホルムまたはエンテロ・ヴイオフオルム「チバ」の例と日本薬局方およびその解説書とを参考にし、包括建議により、昭和三三年一月一三日ホルム錠、同三五年一月八日エマホルム錠(0.25g)、同年三月一二日エマホルム錠(0.5g)、同年一〇月三日エンテロ・ヴイオフオルム錠または散「チバ」につき、製造の許可をした。

被告田辺の申請にかかる複合エマホルムについては、右製剤はキノホルムとそれ以外の有効成分を含有するものであつたが、当該成分が日本薬局方に収載されている医薬品かまたは既に製造輸入承認を受けているものであつたので、担当官において、日本薬局方および同解説書または前例となる製造許可を参考として審査し、包括建議により、昭和三六年一月三一日その製造の許可をした。

(三) メキサホルム散「チバ」

昭和三七年三月一四日、被告チバの申請にかかるメキサホルム散「チバ」の輸入承認については、右製剤がキノホルムのほかにエントベツクス末を含有したので、中央薬事審議会の新医薬品調査会の審査に付せられた。同審査会では、右申請に添付された東京大学の亀田治男の治験報告その他の治験報告を検討し、さらにエントベツクスの抗菌作用および毒性に関する資料の追加を求め、その結果提出された資料を含めて審議した結果、申請書に記載された用法・用量のうち「トリコモナス症においては……」以下を削除すること、効能または効果のうち「細菌および寄生虫による混合感染、鞭毛虫症、トリコモナス症等を削除することを条件に承認して差支えない旨決定したので、担当官において、これに従い同年五月一二日、その承認の手続をした。

(四) エマホルム錠(五〇mg)、強力メキサホルム散「チバ」、強力メキサホルムA散「チバ」、エマホルムP、強力メキサホルム錠「チバ」、エマホルムS、エンテロ・ヴイナフオルム シロツプ

被告田辺の申請にかかるエマホルム錠(五〇mg)、その昭和三八年二月九日申請にかかるエマホルムPの製造承認について、右製剤はいずれもキノホルムのみを有効成分としたものであるので、担当官において、日本薬局方および同解説書を参考として審査を行ない、包括建議により、昭和三七年七月一〇日エマホルム錠(五〇mg)、同三八年六月二〇日エマホルムPの製造承認をした。

被告チバの申請にかかる強力メキサホルム散「チバ」(昭三七・六・二七申請)、強力メキサホルムA散「チバ」の製造承認、強力メキサホルム錠「チバ」(昭三九・三・一一申請)の輸入承認については、右の各製剤はいずれもキノホルムの他にエントベツクスを有効成分としたものであるので、担当官において、メキサホルム散「チバ」についての製造承認、日本薬局方および同解説書を参考として、包括建議により、昭和三七年一一月二六日に強力メキサホルム散「チバ」、同三八年六月八日に強力メキサホルムA散「チバ」、同三九年六月一一日に強力メキサホルム錠「チバ」の製造または輸入承認をした。

被告田辺の申請にかかるエマホルムSについては、この製剤がキノホルムとそれ以外のものを有効成分とするので、担当官において、日本薬局方、その解説書および前例となる製造承適を参考として、包括建議により、昭和四〇年四月一日その製造承認を行なつた。

被告チバの昭和四〇年六月二四日申請にかかるエンテロ・ヴイオフオルム シロツプの輸入承認については、この製剤がキノホルムのみを有効成分とするものであつたので、担当官において、日本薬局方および同解説書を参考にして、包括建議により、同年一一月二五日その承認をした。

二キ剤の製造許可等にあたり厚生大臣のした審査についての評価

以上、要するに、(一)昭和三〇年以前には、乳化キノホルム「ヤシマ」、エンテロ・ヴイオフオルム「チバ」、(二)同三一年以降には、前記「キノホルム含有製剤許可等一覧表」記載のキ剤一〇品目についての許可・承認があるところ、そのうちメキサホルム散「チバ」につき薬事審議会の審議を経たほかは、すべて包括建議により、製造の許可・承認ないし輸入承認が与えられているのである。そして、その審査手続の経過を見るのに、前記第一節において述べた「製造承認処分の瑕疵が第三者たる国民との関係においても違法となる場合」、すなわち、「行政庁が承認審査のため法の明文上規定され、もしくは法の趣旨・目的に従つて行政庁みずから定めた重要な審査手続を履践せず、または当該審査手続によれば当然に承認すべからざるものを承認する等、審査手続の適用・判断を誤り、その他法の趣旨・目的に著しく反する判断をした場合」(第一節、第二、二、2、(一)参照)に該当する違法の廉があるとは認め難いとはいえ、各審査時において、担当官を通じ、厚生大臣が、申請者たる被告会社らの提出した若干の治験例を含む資料を披見したのみで、副作用文献等綴に見る如き重要な副作用報告の存在を顧慮することなく、許可・承認を与えたのは、少なくとも不当の譏りを免れず、とりわけ、一九六〇年にチバ(ニユージヤージー)に対しキ剤の販売につき強く規制を勧告し、同社をして翌年これを受諾するに至らしめた米国厚生当局の態度に比し、著しい懸隔が存するものといわなければならない。

第五節昭和四二年一一月一日段階において厚生大臣のとるべき措置

第一右時点前におけるキノホルムおよびその類縁化合物に関する副作用情報等の堆積

昭和三一年(一九五六年)一月以前におけるハロゲン化8ハイドロキシキノリン、他の8ハイドロキシキノリン、その誘導体およびアミノキノリンのヒト、動物に対する副作用報告とそれに対する評価(第一章、第三節、第一、第二参照)およびキノホルムの吸収可能性に関するもの(同、第二節、第七参照)については、それぞれ該当の章節において前述したとおりであるが、これらに加えてその後、昭和四二年(一九六七年)一〇月までに発表されたもののうち、主要なものは次のとおりである。

一ハロゲン化8ハイドロキシキノリンのヒトに対するもの

1 一九六四年のゴルツらの報告(副作用文献等綴一1(一))四年間にわたり医療施設内の四〇〇〇人の患者にキノホルム二五〇mgを一日三回ずつ投与したところ、うち二〇人に異常な歩行変化が見られたが、そのうち一八人は完全に回復したとし、ゴルツ自身「キノホルムが病因ではないことを示しているように思われる」としている。しかし、ケーザーはこの報告を評して、「これらの症例の概略の記述は診断を確定するには十分ではない」としながら、「エンテロ・ヴイオフオルム一日七五〇mgを長期連用した場合、症例の0.5%に多発性神経炎を惹起するものと考えることは可能である」と述べているのであつて、これに証人鈴木哲哉、同白木博次の証言を総合すれば、ゴルツらの右報告は、キノホルムによる神経障害の報告例として注目に値するものということができる。

2 一九六六年のベルグレンらの報告(副作用文献等綴一l(一))

キノホルムを一日一二〇〇mg以上一一か月間投与された腸性末端皮膚炎の患者に視神経萎縮を生じた、という症例の報告に続き、キノホルムの高投与量で長期間治療に用いると併発症として視神経萎縮を生ずる可能性のあることを明示するもので、特段の注目に値する。

3 一九六六年のエサリツジらの報告(副作用文献等綴一1(一))

二年間にわたり一日三二〇〇mgのジヨードキンの投与を受けた患者が、さらに一日三六〇〇mgに増加されて四週間後に、視力減退、視神経萎縮が見られたという症例の報告に続き、エサリツジらは、これらの経験は、各種の置換基をもつたオキシキノリンが、多量のあるいは継続した投薬により、視神経萎縮を起こし得ることを示唆する、と述べている。

二ハロゲン化8ハイドロキシキノリンの動物に対するもの

1 一九六五年のハンガルトナーの報告(副作用文献等綴一1(二⑯)

エンテロ・ヴイオフオルム「チバ」によつて、てんかん様発作が惹き起こされた一〇匹の犬と一匹の猫についての報告である。ハンガルトナーは、右のスイス獣医学雑誌の登載(一九六五年一月)に先だつて、問題のエンテロ・ヴイオフオルムを製造・販売しているチバ社(バーゼル)に対し、一九六二年一二月二二日付書簡(前同綴一1(二)⑬)をもつてこれらの症状を報告した(なお、翌六三年二月一日付書簡(同⑭)参照)ところ、一九六五年一月一四日、チバ社は、かねてエンテロ・ヴイオフオルムおよびメキサホルムの投与により、飼犬がてんかん様発作を起こして死亡するとの報に接して検討中のところ、その危険性に鑑み、この製剤を獣医用治療薬として使用すべきでないとの回状を、獣医あてに発送している(同⑮参照)。この警告は、獣医あてになされたものとはいえ、右ハンガルトナー報告(同⑯)とともに、特筆に値するものといわなければならない。

2 その他

なお、その他、エンテロ・ヴイオフオルムまたはメキサホルムによる犬の中毒の報告例として、一九六五年のシヤンツらの報告(副作用文献等綴一1(二)⑰)および一九六七年のミユラーの報告(同⑱)がある。

三その他の8ハイドロキシキノリンおよびアミノキノリン類関係

このうち、主たるものとしては、4アミノキノリン系誘導体の一つであるクロロキンを使用した治療に伴う網膜症についての、ホツブスらによる一九五九年の報告(副作用文献等綴一2⑩)を挙げてよいであろう。

四ハロゲン化8ハイドロキシキノリンの生体内吸収・代謝関係

キノホルムを含むハロゲン化8ハイドロキシキノリンの生体内吸収・代謝に関する報告については、その主たるものとして、一九六三年のハンソンの報告(副作用文献等綴二⑪)および一九六七年のリーヴエンダールらの報告(同⑫)がある。

五要約

以上は、昭和三一年(一九五六年)一月から昭和四二年(一九六七年)一〇月までの間に、従前の副作用文献等の蓄積の上に付加された資料のうち、主要なものを掲げたに過ぎないことに留意さるべきである。

要するに、グラヴイツツ、バロス報告に見られる重篤な神経障害例をはじめとするハロゲン化8ハイドロキシキノリンのヒトおよび動物に対する副作用報告(第一章、第三節、第一参照)、他の8ハイドロキシキノリン、その誘導体およびアミノキノリン類のヒトおよび動物に対する副作用報告(同、第二参照)に加えて、ゴルツらの多発性神経炎を疑わせる歩行障害例、ベルグレンらおよびエサリツジらの視神経萎縮の例が積み重ねられたのであるから、昭和四二年一一月初めの時点においては、キノホルムが重篤かつ不可逆的な神経障害作用を呈することは、すでに文献上も明らかとなつたものといい得るし、さらにこれを補強するものとして、犬等における急性中毒例の報告が相次ぎ、また、クロロキン療法に伴う網膜症についての報告も現われている。そして、キノホルムの吸収に関する新しい報告も、一九五六年までに発表されたものと相反するものではなかつたのである。

第二前記時点―昭和四二年一一月―におけるキノホルムの治療上の価値

昭和三一年(一九五六年)一月の時点におけるキノホルムの治療上の価値――臨床治験例綴等に現われる内外の治験例に対する評価を含む――については、前述した(第一章第三節第三参照。なお、同、第五節参照)。いま、その後、昭和四二年一〇月までに現われた資料につき言及を付加することとする。

一FDAの勧告

1 一九五四年(昭和二九年)六月二四日付ヤコヴイツツの書簡については前述した(第一章、第三節、第三、二、4参照)。

2 一九六〇年(昭和三五年)八月一一日付ヤコヴイツツの米国チバ社宛の書簡

米国保健教育省食品医薬品庁(FDA)執行局行政監査課課長補佐M・L・ヤコヴイツツは、米国チバ社(ニユージヤージー)あてに、書簡を発した。その内容は、次のようなものであつた。

「最近、当庁の医学顧問団は、ヨードクロルヒドロキシキン〔キノホルム〕製剤の位置付け(status)につきさらに検討を加えたが、この問題に関する再調査の結果、次のような公式見解を述べている。すなわち、ヨードクロルヒドロキシキンは、アメーバ赤痢の如き重症患者の治療の際の使用のために留保さるべきであつて、一般大衆が『単純な下痢』の治療用に同剤を使用してよいという確たる理由は何一つなく、下痢の治療用として他のより害の少ない(simpler)製剤が容易に入手できる以上とくに然りである、と。要するに、当庁の医師団としては、ヨードクロルヒドロキシキン製剤は要処方薬に限定さるべきである、との意見である」と。

この書簡の胃頭には、ヨードクロルヒドロキシキンは、要処方薬に限定さるべきであり、かつ、アメーバ赤痢の如き重症患者の治療用に留保さるべき旨が、FDAの意見として、簡潔に要約されている。

<証拠略>なお、副作用文献等綴三、⑤参照)

3 右書簡の趣旨

(一) ヤコヴイツツの陳述

ヤコヴイツツは、右書簡の趣旨につき、一九七六年一一月七日付の陳述書において、2の書簡の原本はヤコヴイツツ自身が作成し、FDAの医学顧問の一人であるデニス・J・マツクグラス博士の承認を得たものであること、書簡の内容は、FDAがさきに与えたエンテロ・ヴイオフオルムの店頭販売の許可を取り消して、同剤が以後、要処方薬とされ、かつ、アメーバ赤痢に限つて投与されるよう規制したことを明示していること、書簡中の「下痢の治療用として他のsimplerな製剤が容易に入手できる以上」という一節において、同人はsimpleという言葉を障害を起こす可能性がほんの僅かしかないという意味で用いたのであるが、その際、同人らの念頭にあつたのは、今なお米国で単純な下痢の自家治療薬として一般に市販されているカオリンとペクチンの混合剤のようなsimpleな製剤であつたこと、前記の書簡は連邦食品・医薬品・化粧品法五〇三条(b)に基づいて出されたものであること、を述べている。

(二) マツクグラスの陳述

マツクグラスは、一九七六年一一月一二日付陳述書において、(一)の陳述書におけるヤコヴイツツの声明に賛成であること、当時マツクグラスは、FDAの医薬局においてヒトの新薬を取り扱う新薬課(NDB)の医学監督官であり(陳述書当時の現職は薬品局薬物濫用防止部医官)、エンテロ・ヴイオフオルムを含むヨードヒドロキシキンの店頭販売の許可の取消を決定し、かつ、これをヤコヴイツツ氏に勧告する立場にあつたこと、その理由として、マツクグラスを含むこの分野の数名の専門家が、いずれも、これらの薬は店頭販売薬として不適当である旨の意見を明確に持つていたこと、彼らは、この薬は要指示薬に分類さるべきであると考えていたこと、その理由は、単に同剤の承認された唯一の用途がアメーバ赤痢の治療であつて、この疾患は素人の自家治療に適しないものであるばかりでなく、これらの薬には副作用があるのに、他の――たとえばカペクチンのような――よりsimpleな、つまり、障害のより少ない製剤が下痢の治療薬として利用できたことにあつたこと、を述べている。

(三) 要約

以上によれば、2の書簡によるFDAの米国チバ社に対する勧告は、エンテロ・ヴイオフオルムがアメーバ赤痢以外の疾患に対して効力がないとする「有効性」の点に関するものであるにとどまらず、同剤には副作用があつて、他の、障害のより少ない製剤が下痢の治療に使用さるべきであるという「安全性」への配慮にも基づくものであつたことが明らかである。

4 一九六一年三月一四日付ヤコヴイツツの米国チバ社サリバン博士宛の書簡

右書簡の内容は、大要、次のようなものであつた。すなわち、「われわれの信ずるかぎり、『単純感染性下痢』として正確に特徴づけられるような疾病は実在しない……われわれは、この製剤〔エンテロ・ヴイオフオルム〕が乳幼児の感染性下痢に使用されることを憂慮している。小児科の分野におけるいかなる型の感染性下痢も重症疾患であつて、ヴイオフオルムによる治療は承認されず、受け容れられてもいない」。「ヨードクロルヒドロキシンはアメーバ赤痢の治療上、価値のあることが認められている。この薬は、パンフレツト(brochure)記載の疾病に対し、かつ、それのみに対して使用されるよう勧告する」と。

5 米国チバ社の勧告受諾(一九六一年)

米国チバ社は、一九六一年(昭和三六年)八月二二日、エンテロ・ヴイオフオルムは、アメーバ赤痢にのみ使用さるべき旨のFDAの勧告(4のヤコヴイツツ書簡参照)を受諾した(副作用文献等綴三、⑧参照)。

二文献上に現われたキノホルムの適応症についての記述

1 PDR

米国で刊行されている、いわゆるPDR(Physician's Desk Reference to Pharmaceutical specialties and biolog-icals)は、その名の如く各種薬剤についての「医家机上便覧」として広く用いられているものであるが、同書は、エンテロ・ヴイオフオルム(iodochlorhydrox-yquin U.S.P. CIBA)につき、次のように記述している。

(一) 一九五八〜一九六〇年(昭和三三〜三五年)版

作用および適応:単純な感染性下痢の治療ならびにコクシジウム(球菌)、大腸菌および赤痢群微生用の殺菌用。アメーバ赤痢の治療にも用いられる。

投薬法および用量:成人につき、単純な感染性下痢には、一〜三錠ずつ一日四回が平均的な治療用量であるが、アメーバ赤痢には二〜三錠ずつ一日三回一〇日間、裏急後重の消失次第、経口投与に浣腸を併用できる。八日間の休薬期間後、検便の結果が陰性であつてもさらに一〇日間の治療を加える。子供に対する推奨用量:生後六か月まで一日1/4〜1/2錠、六か月から一歳まで一日1/2錠〜一錠、二歳から三歳まで一日一〜二錠、四歳から一二歳まで一日二〜三錠、一三歳以上は通常の成人用量。

(二) 一九六一〜一九六五年(昭和三六〜四〇年)版

作用および適応:アメーバ赤痢の治療に用いる。エンテロ・ヴイオフオルムは、アメーバ症による腸の痙攣、疝痛および裏急後重を速やかに緩解する。通常、下痢や疝痛は急速に軽減し、便もすぐに正常な外観に戻る。

投薬法および用量:アメーバ赤痢、成人、二〜三錠ずつ一日三回一〇日間、裏急後重の消失次第、経口投与に浣腸を併用できる。八日間の休薬期間後、検便の結果が陰性であつてもさらに一〇日間の治療を加える。

(三) 一九六七年(昭和四二年)版は、エンテロ・ヴイオフオルム(idochlor-hydroxyquin NF CIBA)につき、

作用および適応:アメーバ症による腸の痙攣、疝痛および裏急後重を緩解する。通常、下痢や疝痛は急速に軽減し、便もすぐに正常な外観に戻る。

警告:ヨード特異体質の患者に投与してはならない。

投薬法および用量:前記((二)参照)に同じとしている。

なお付言すれば、一九六九年(昭和四四年)版以降では、適応症がアメーバ赤痢であることが以前にも増して明確にされ、かつ、エンテロ・ヴイオフオルムによる治療を二クールまでとし、それ以上の投薬を行なつてはならない旨が付加されている。

(四) 以上、PDRの記載に見られる変化、とくに一九六一年(昭和三六年)版以降に見られる変化が、前記FDAの勧告(一参照)に副うものであることは、一見して明らかなところである。

2 マーチンデール準薬局方

英国薬学会のマーチンデール準薬局方は、エンテロ・ヴイオフオルムの適応症として、一九三六年(昭和一一年)版はアメーバ赤痢を挙げ、一九五八年(昭和三三年)版も、「腸内感染症、つまり、アメーバ性または桿状菌による赤痢」を挙げている。

3 薬理学書

著名な薬理学書について見るのに、ソルマンの「薬理学―その治療および毒物学への応用―入門」の一九三六年版、一九四八年版、一九五七年版(昭和一一年版、二三年版、三二年版)、グツドマン=ギルマンの「治療学の薬理学的基礎」一九五五年(昭和三〇年)版、カツシユニー「薬理学と治療学」のエドマンズらによる一九四〇年(昭和一五年)改訂版、同グロルマンらによる一九四七年(昭和二二年)改訂版、グロルマンの「薬理学と治療学」一九六〇年(昭和三五年)版は、ヴイオフオルムNNR(ヨードクロルヒドロキシキノリン)、ヴイオフオルム(5クロル7ヨード8ハイドロキシキノリン)、ヨードクロルヒドロキシキン(ヴイナフオルム)、ヴイオフオルムとして知られるヨードクロルヒドロキシキノリン、ヨードクロルヒドロキシキン(ヴイオフオルム)即7ヨード5クロル8ハイドロキシキノリンの名を挙げて、要するにキノホルムが、アメーバ症に有効であることを記述している。

第三国の責任についての結論

一国の責任についての判断の基準時

1 本件キノホルム製剤についての許可・承認

本件キノホルム製剤中、エマホルム、エマホルム錠、ホルム錠、エマホルム錠(0.25g)、エマホルム錠(0.5g)、エンテロ・ヴイオフオルム錠「チバ」、エンテロ・ヴイナフオルム散「チバ」、複合エマホルムは、昭和三一年一月一七日以降同三六年一月末日に至るまでの間、昭和三五年法施行(昭三六・二・一)前の旧法下において、いずれも厚生大臣より製造の許可を受けたものであり、その余のメキサホルム散「チバ」、エマホルム錠(五〇mg)、強力メキサホルム散「チバ」、強力メキサホルムA散「チバ」、エマホルム散P、強力メキサホルム錠「チバ」、エマホルムS、エソテロ・ヴイオフオルム シロツプは、いずれも現行の昭和三五年法に基づき、その製造または輸入の承認を受けたものである(右の日時は、許可または承認の年月日であつて、これらの薬剤がその後、長きにわたつて製造(輸入)され続けたことは、いうまでもないところである)。

2 薬事法制定の趣旨およびその修正

新憲法下に登場した昭和二三年法は勿論、これを全面的に改正した昭和三五年法においても、また製造等の承認(旧許可)にあたつての審査基準、審査手続および審査機関ならびに承認後における追跡調査制度および承認の撤回等、医薬品の安全性確保のための具体的諸規定が見事なまでに欠落しており、「薬事法の性格及びその規定全体との関係」から見て、実定法上、承認権者たる厚生大臣に医薬品の安全性確保を法的義務として課する根拠を見出し得ないこと、しかしながら昭和三五年法の施行後、間もなく発生したサリドマイド事件により、医薬品の安全性の確保がわが国を含めて全世界の緊急課題となり、厚生当局も、かかる新たな行政需要と実定法規との乖離の中で、医薬品の品目ごとの承認という「授益的行政行為」を明文の規定なくして取り消し得るという有権解釈を後楯として、医薬品の安全性確保という緊急課題に応えるべく薬務行政を運営し、昭和四二年いわゆる「基本方針」を策定するに及んで、医薬品の安全性確保が、新たな法思想として明文化され集大成されて、成文の形で定着するに至り、これがわが国における「薬事法の改正」とも称せられていることは、前述(第三節参照)のとおりである。

3 基準時の設定

以上により、昭和三五年薬事法は「基本方針」以後、憲法二二条(職業選択の自由)のみならず二五条(公衆衛生の向上及び増進)の条規をも指導原理とする、医薬品の安全性確保のための法律として解釈適用されることを要する(三五年法一四条は、新たな法思想のもとに安全性確保のための根拠規定として機能することとなる)ところ、この昭和三五年法のいわば実質的修正は、改正法律の公布施行という形式をとつていないので、その“修正”の基準時を解釈上設定する必要がある。

よつて、前記「基本方針」について見るのに、別紙一の昭和四二年九月一三日付通知が、同年一〇月一日以降承認するもの(例外的に同日以降申請されるもの)から実施されるものであること、およびその取扱いを定めた別紙二の同年一〇月二一日付通知の内容に照らし、昭和三五年法の実質的修正は、同年一〇月三一日の経過とともに実現したものとして、基準時を設定するのが相当である。

これをより具体的にいえば、厚生大臣による医薬品の品目ごとの承認が第三者たる個々の国民との関係においても違法となるか否かについての、判断基準の一つとなる現行法規の趣旨および目的(第一節、第二、二、2、(一)参照)、「基本方針」以後、実定法の解釈上も容認されることとなる「取消権」の行使の適否または後述の取消権不行使の適否は、すべて昭和四二年一一月一日を基準時として判断すべきものと解されるのである。

二厚生大臣の権限の行使または不行使の適否

1 本件キノホルム製剤についての許可・承認の適否

本件キノホルム製剤についての許可・副認は前述(一、1参照)のとおり、すべて右基準時前のものであり、当該処分の瑕疵が第三者たる国民との関係においても違法となる場合(第一節、第二、二、2、(一)参照)にあたらないので、原告らの主張のうち、右許可・承認それ自体の違法をいう点は採用できない。

ちなみに、右基準時前において、薬事法は行政警察法規たることをその基本的性格とするのであり、したがつて、医薬品の品目ごとの許可・承認も、警察下命としての「禁止」の解除として、覊束裁量処分たる性格を有することは否定し難いところである。しかしながら、右基準時以後において、薬事法は医薬品の安全性確保を目的とする法規として実質的に変容し、有効性と安全性とのバランスにおい有用性を判定すべきものとする観念(法思想)のもとに解釈適用されることを要するのであり、したがつて、少なくとも右基準時以後、医薬品の品目ごとの承認は、高度に専門技術的な行政行為たることをその特徴とし、その意味においてこれが自由裁量処分たることは疑いを容れないところである。もしこれをもつて覊束裁量処分と解すれば、一定の要件を備えた承認の申請は厚生大臣においてその認容を覊束されることとなるのであつて、原告らの一部に見る如く、一方においてサリドマイド禍を防止したFDAのケルシー博士を賞賛しつつ、他方において承認をもって覊束裁量処分と解すべきものとするのは、自家撞着以外の何ものでもないことが理解されなければならない。

2 規制権限の不行使が違法となる場合

医薬品の品目ごとの承認が自由裁量処分であつてみれば、承認後における当該医薬品の有効性と安全性とのバランスの変動からその有用性が否定される場合に行なわれる承認の取消(講学上いわゆる撤回)もまた、自由裁量処分たることを当然とするのであり、取消権を行使するか否かの決定も厚生大臣の自由裁量に委ねられるのを本則とする。

明文の規定の存しない「承認の取消」については、なお、製造業等の許可または薬局の開設の許可の取消、許可の更新の拒絶等につき法が必要として定めた聴聞の規定(七六条)の類推適用の問題が残るが、いずれにせよ、承認の取消については、承認を与えられた業者の既得権と国民の生命・健康とが、法益としての比較を絶するものであること、また、承認を取り消すべきものとした厚生大臣の判断に誤りがないかぎり(本件において、キノホルム含有製剤の販売中止の行政措置をとるべきものとした厚生大臣の判断に誤りがないことは、第二編において詳述したところである)、承認の取消あるいはその分量的な一部としての製造・販売の停止は、必ずしも業者にとつて不利益とは限らないこと(本件において、右の行政措置がさらに一年後れた場合を想起すれば足りるであろう)が、まず認識されなければならないのである。

ところで、医薬品の品目ごとの承認の取消を含めて、およそ行政庁の持つ規制権限の行使は、がんらい、憲法によつて認められた国民(業者)の営業活動等の自由に対する行政上の監督権の行使にほかならす、特定業者の営業活動等により第三者に被害を生じたときは、その原因を与えた当該業者に損害賠償の責任が帰属するのを当然とし、行政上の監督権の不行使を理由として、行政主体たる国または地方公共団体が損害賠償責任を問われ得るのは、特殊例外的な場合に限るものといわなければならない。

そして、この特殊例外的な場合がいかなる要件のもとに肯認され得るかを一般的に立言することは必ずしも容易でなく、これを一義的に定義づけることはかえつて妥当を欠くとも考えられるのであるが、おおむねは、国民の生命・身体・健康に対する毀損という結果発生の危険があつて、行政庁において規制権限を行使すれば容易にその結果の発生を防止することができ、しかも行政庁が権限を行使しなければ結果の発生を防止できないという関係にあり、行政庁において右の危険の切迫を知りまたは容易に知り得べかりし情況にあつて、被害者――結果の発生を前提――として規制権限の行使を要請し期持することが社会的に容認され得るような場合、ということができよう。そして、かかる場合には、規制権限を行使するか否かについての行政庁の裁量権は収縮・後退して、行政庁は結果発生防止のためその規制権限の行使を義務づけられ、したがつてその不行使は作為義務違反として違法となるものと解すべきである。

3 本件における取消権不行使の適否

以上説示するところによつて本件を見るのに、キノホルムは昭和一一年に劇薬として指定され、同一五年にその指定を解除されたが、当時においてはもとより今日の基準に照らしても劇薬指定を相当とする薬品であつて、その劇薬指定の解除につき、本件全立証を通じて殆んど説明らしい説明が与えられていないこと(第四節、第二参照)、戦後第六改正日本薬局方への品目の収載にあたり、キノホルムは、日本薬局方調査会委員会においていつたん削除と決定されながら結局において六局に収載されたものであるが、その経緯についても同様なんらの説明も与えられていないこと(同、第三、二参照)本件キノホルム製剤の製造・輸入についての許可・承認は、メキサホルム散「チバ」を唯一の例外として、その余は包括建議により(ないしはその趣旨に則り)、薬事審議会ないし中央薬事審議会への諮問を経ることなく付与されたものであること(同、第四参照)、戦後昭和三〇年代におけるキ剤の大量投与につき、被告田辺、同チバ・武田の見地からする予測可能性については前述のとおりである(第一章、第五節、第一、二参照)が、監督行政庁たる厚生大臣においてその予測が可能であつたことは勿論というべく、むしろ「国民皆保険が実施された時と相前後して、現在のスモンと称される疾患に関する文献報告が発表される」に至つたものであることは、被告国の自陳するところである(最終準備書面二二九頁)こと、昭和四二年一一月一日の基準時の段階においては、第一章において詳述したところに加えて、キノホルムないし類縁化合物がヒトに対し重篤かつ不可逆的な神経障害を呈する旨の副作用報告、これを補強するものとしての動物における副作用報告、さらにその生体内における吸収・代謝に関する報告があり、厚生大臣においてもキ剤の投与により神経障害作用の発生の予測が可能であつたと認められること(第一章第三節、本章本節、第一参照)、さきにFDAの勧告において見たように、米国、英国その他においてキノホルムの適応症は主としてアメーバ赤痢とされていること(本節、第二参照)等を総合勘案すれば、前記基準時において、厚生大臣は、少なくとも本件キノホルム製剤の適応症をアメーバ赤痢に限定し、その他の疾病を適応症とするいわゆる胃腸薬、止瀉剤、整腸剤としてのキ剤の製造・輸入につき、その承認の取消権の分量的一部としての一時停止の規制権限を行使すべき義務があつたものというべく、この点において厚生大臣には規制権限不行使の違法があり、かつ、以上の認定事実に照らして過失を免れないものと認められる。

行政庁の規制権限の不行使の違法は安易に認められるべきでないこと前述のとおりであるが、上来認定説示するところ、とくに被告国(内務省、厚生省)自身がわが国におけるキノホルムの製造者、むしろ開発者であつた事実(第四節、第一)に徴すれば、事キノホルムに関するかぎり、かかる結論も決して難きを強いるものでないことが明らかであろう。

三国の責任の性質および範囲

1 性質および限度

医薬品の製造等についての承認またはその取消に関する厚生大臣の権限は、その他の許認可における行政庁の規制権限と同様、行政上の監督権にほかならず、したがつて、医薬品に内在する欠陥により服用者に被害を生じたときは、因つて生じた損害を賠償すべき義務の全部が製造(輸入)者に帰属するのを当然とし、一定の場合に販売者がこれと共同責任を負うことのあるのは格別として、規制権を行使すべき行政庁(その権利義務の帰属する法的主体としての国または地方公共団体)は、これら業者と共同不法行為者の関係に立つものではない。ただ、これら行政庁の権限の行使または不行使に違法が認められる場合において、賠償の対象となる損害が業者のそれと同一である点において、加害行為者たる業者と規制権者たる行政庁(国または地方公共団体)の債務とが不真正連帯の関係に立つに過ぎない。

医薬品の製造承認についていえば、そもそも厚生大臣の設定する承認基準は、当該医薬品に内在する瑕疵の有無を判定するうえでの私法上の基準とはなり得ないのであり、厚生大臣のした製造承認が、製薬会社の行為に対する免罪符とならないこと勿論であつて、行政庁の関与の如何にかかわらず、製薬会社は当然独自に責任を負うのであり、その認識なくしては、今後の薬害防止もまたあり得ないことが銘記されなければならない。被告田辺は、「局方品を製造する製薬業者は安全性に関する調査研究義務を免除または大幅に軽減される」とし、「製薬業者たる被告田辺は国の保証に依存してキノホルム剤を製造販売したものであり、被告田辺として責任を負う理由はない」(昭和五一年一二月一〇日付準備書面三〇九頁、三一二頁)とするが、かくの如きは人の生命・健康にかかわる医薬品の製造業者の責任の何たるかを解しないものというの一語に尽きるというべきであろう。

以上、要するに、医薬品に内在する瑕疵により被害を生じたときは、製造(輸入)者において全部義務を負担するものであるところ、本件においては基準時(昭和四二年一一月一日)以後において厚生大臣に規制権限不行使の違法が認められるので按ずるに、行政上の監督責任の性質、その他諸般の事情に鑑み、被告国は、加害行為者たる被告会社らに認められる全部義務の三分の一の範囲において、これと不真正連帯の関係に立つ損害賠償義務を負担するものと解するのが相当である。

2 基準時以前のキノホルム服用者について

基準時以後において製造・販売されたキ剤の服用によりスモンの発症を見た者については、上記によりその被つた損害の三分の一の限度において、その賠償を国に請求することができ、また基準時前においてスモンの発症を見た者にあつても基準時以後において製造・販売されたキ剤の服用によりその症状に決定的増悪を見た者については、前同様の賠償を国に請求することができる。

これに対し、基準時前にスモンの発症を見た者のうち、右の例外に属しない者については、その被つた損害の賠償を被告国に対しては請求し得ないというに帰着する。しかしながら、基準時前においても、厚生大臣のした許可・承認についての行政責任の重大であることは、上来説示するところによつて明らかなところであつて、国自身の調査するところによつても、わが国におけるスモン患者の発生数が一万一〇〇〇名の多きに上るというのは、実定法規の体裁いかんにかかわらず、「公衆衛生の向上及び増進」(厚生省設置法四条一項)の目的に照らし、むしろ厚生省の存在理由にかかわる底の事態と目して妨げないであろう。しかも基準時前に発症を見たスモン患者(キノホルム被害者)は、基準時後に発症を見た者に比し、より長期にわたる罹患に苦しんだ者であつて、その救済の必要はかえつて優りこそすれ、劣ることはないのである。本件口頭弁論の終結に先だち、昭和五二年六月二八日、被告国は自らに「民事責任なし」としつつ、さきに当裁判所の提示した和解案を受諾する旨の意思表示をしたが、その趣旨は、正しく、右の行政責任の重大性と患者救済の必要性とを認めたことにあるものと解されるのである。

《別紙一〜三、表一〜二――省略》

《キノホルムおよび類縁化合物の副作用に関する文献と報告――省略》

第四編損害

第一章個別的因果関係

原告(被相続人を含む)各本人のスモン罹患の有無およびその罹患と本件キノホルム製剤の服用との間の因果関係の存否について検討するのに、祖父江逸郎ら鑑定人一五名(その氏名等は本編末尾添付の鑑定人名簿記載のとおり)の共同鑑定の結果によれば、原告らはいずれもスモンに罹患しているものと判定されており、この判定は、被診断者の臨床症候が協議会の設定した「スモンの臨床診断指針」(第一編第一章末尾添付の別紙一参照)に合致し、かつ、神経症候の発現前に本件キノホルム製剤のいずれかの服用があり、さらにキノホルム以外の原因およびスモン以外の疾患が除外される場合にかぎり行なわれていることが認められるのであつて、これによると、原告らは、本件キノホルム製剤のいずれかの服用により(各本人の服用の関係については、本編末尾添付の各個別認定綴に記載のとおりである)、スモンに罹患したものと認められる。

第二章損害額の算定にあたり考慮すべき事情

第一節スモン被害の特質

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

一さきに工場排液の汚染による公害事件において、損害額の算定にあたり考慮さるべき事項として指摘されたのと同一の事情(新潟地裁昭和四二年(ワ)第三一七号ほか同四六年九月二九日判決、熊本地裁昭和四四年(ワ)第五二二号ほか同四八年三月二〇日判決参照)が、本件においても存在する。すなわち、

1 本件においては、交通事故その他通常の生命・身体に対する侵害事件におけると異なり、被害者が加害者の立場に立つことはあり得ないという、被害者と加害者との地位の非交替性が指摘されなければならない。

2 被害者は、医師の薬品投与につき選択の自由がなく、みずから被害を回避する可能性を有しないばかりでなく、服薬について被害者側の過失はまつたく見られない。

3 被害が多数に及び、しかも全国にまたがつている点は、前記公害の例をすら凌ぐものがある。

二右に述べるほか、本件においては、さらに次のようなスモン被害の特殊性が存在する。すなわち、

1 スモンの臨床的特微は、第二編において詳細に見たとおり下肢筋力低下等による歩行障害や視神経萎縮による視力障害に加えて、四六時中続くしびれや激痛などの知覚障害が見られることで、スモン患者は、時としてこの三重苦の悲惨な様相を呈する。

2 その治癒の可能性についていえば、

(一) スモンの治療法としては、ステロイドホルモン、ビタミンB群、ATPニコチン酸、パントテン酸等の投与、高圧酸素療法、鍼麻酔療法、高濃度乳酸菌製剤療法、また、これらのほか、一般的療法としてのリハビリテーシヨン等が行なわれてきたけれども、運動障害に多少の改善可能性を有するのみで、殊に知覚障害、視力障害に対する効果的な治療法がなく、今後も著効ある治療法を見出すことは困難とされている。

(二) このように知覚障害が難治性なのは、一つには、障害を受けた知覚路神経線維の再生が末梢では良好なのに、脊髄レベルでの方向性が悪いために刺戟の伝導が不良なこと、また一つには、親細胞である脊髄後根神経節の神経細胞が脱落しており、これが再生不能なことに由来する。

次に、視力障害は、眼球網膜の神経細胞の脱落と視神経の障害に由来するところ、その神経細胞が再生不能なのは知覚神経の場合と同様であり、しかも視神経が、ひとたび障害を受けると再生することがないといわれる中枢神経系に属するところから、知覚障害以上に治癒が困難なのである。

3 スモンの罹患と治癒のため、患者本人が就業、就学、結婚などの面で著しい支障を被つたばかりでなく、その家族もまた看護のために辛酸をなめ、また就労の面で悪影響を受け、加えて看護・治療への多額の出費を余儀なくされる等の経済的不利益に苦しみ、夫婦の間柄や子女の教育などの家庭生活の面にも大きな悪影響が及び、あまつさえ周囲の者からは奇病・伝染病などと家族ぐるみで迫害されて苦しまなければならなかつた(現に、被告田辺は昭和五一年一〇月以来、スモンの一元的な病因論としてのウイルス説を唱えている。被告田辺の同年一〇月二七日付準備書面七二頁以下)。

第二節損害額の算定基準

以上の諸点と、各個別の損害の項において認定するところの、罹患者の症状およびその経過、入通院期間、年令、職業、扶養親族の有無、主婦としての家族への寄与度、スモン罹患による生活状況の変化、鑑定による症度区分などを総合勘案すると、原告らの被つた損害額は、本件口頭弁論終結時現在において、左記の基準によつて算定するのを相当とする。

一鑑定による症度区分に応じて基準金額を定め、これに年令その他の修正要素による加算を行なうことを基本とする。

二基準金額は、次のとおりとする。

症度Ⅲ度 二五〇〇万円

症度Ⅱ度 一七〇〇万円

症度Ⅰ度 一〇〇〇万円

(本判決対象者中には、症度0度の者は含まれていない)

三年令による加算

以下いずれも発病時において、

1 三〇歳未満の者は、それぞれの症度による基準金額に二〇%を加算する。

2 三〇歳以上五〇歳未満の者は、それぞれの症度による基準金額に一〇%を加算する。

(発病時とは、神経症状発症時をいうものとする)

四超重症者加算

1 症度Ⅲ度の基準金額に三五%を加算する。

2 超重症者とは、次に掲げる者をいうものとする。

(一) 失明者またはこれに準ずる者

(二) 歩行不能者またはこれに準ずる者

(三) 視力障害と歩行困難とがあいまつて、その症状の程度が(一)または(二)と同視される者

五一家の支柱についての加算

発病時において一家の支柱(有職者で扶養親族を有する者)であつた者については、それぞれの症度による基準金額に次のとおり加算する。

症度Ⅲ度につき三〇%

症度Ⅱ度につき二〇%

症度Ⅰ度につき一五%

六一定範囲における主婦加算

発病時において乳幼児ないし義務教育就学中の子女を有した主婦(ただし、「一家の支柱」に該当する者を除く)については、症度Ⅲ度ないしⅠ度を通じて、それぞれの基準金額に一〇%を加算する。

七弁護士費用加算

弁護士費用分として、前記二の症度による基準金額に前記三ないし六の年令、超重症者、一家の支柱、一定範囲における主婦の各加算をした総額に対する、7.5%を加算する。

第三節個別損害の認定

以上説示するところに照らし、原告らの各個別の損害につき審究すると、本編末尾添付の各個別認定綴のとおり認められる。

第三章一部原告の拡張請求について

第一節被告田辺の不当抗争について

一本件において、当裁判所が、キノホルムとスモンとの一般的因果関係につき、昭和五〇年一月二一日の証人重松逸造の尋問終了をもつて、人証の取調べを一応の区切りとする旨を言明したこと、責任論につき、同五一年四月一九日の証人小西良士の尋問終了をもつて、人証の取調べを一応の区切りとする旨を言明したこと、同年五月一八日損害論総論の人証の取調べを終了したこと、同年六月一〇日、被告製薬三社は当裁判所に対し和解の斡旋方の申出をしたが、その際、被告田辺の代理人は三社を代表して、「当裁判所における審理も、すでに総論的部分の立証を了り、現在個別論の証拠調べに入つている段階であります。わたくしどもと致しましては、根本的解決をはかるためには、現在が最後の段階であろうと考えます」として、右の申出をしたものであること、その後、同年九月三日、予定された原告本人尋問のすべてを終了し、同月二五日には、第一次判決対象者(患者数一五四名)全員についての鑑定結果が書面で提出されたこと、その後、当裁判所は当事者双方の弁論を聴いていたところ、被告田辺は同年一〇月二七日付準備書面をもつて俄かにスモンの病因論としてのウイルス説を主張し、同年一二月二〇日の弁論期日において突如、ウイルス説立証のための証人の申請に及んだものであることは、すべて前述(第一編第一章第二参照)のとおりである。

しかも、ウイルス説は、当裁判所における審理が「すでに総論的立証を了」つた後の新説などではなく、その提唱は、被告田辺による証人申請に遡ること六年余の時期にかかるものであつて、被告田辺のみずから主張するところによつても、「昭和四九年までの研究によつて井上ウイルスの存在とスモン病原性は明らかになつていた」(昭和五一年一二月一〇日付準備書面)というのであり、また、スモンの病因はウイルスであるとする被告田辺の主張が採用に値しないことは、第二編第七章において詳述したとおりである。

よつて、当裁判所は、昭和五一年一二月二〇日の被告田辺の証人申請につき、時機に後れた攻撃防禦の方法としての却下を可とすべきところ、むしろ本案の判断を示すことを相当と考え、従前の審理経過の説明をも付加したうえ、被告田辺の申請にかかるウイルス説立証の証人は、当裁判所において不必要と認めてこれを取り調べない旨を告知した。これに対する被告田辺の応答については、前述(第一編、第一章、第二、三参照)のとおりである。

二以上説示するところによれば、被告田辺の応訴態度それ自体をもつて、その不当抗争たることはすでに明らかであるとする原告らの心情はこれを理解し得ないものではない。

しかしながら、一般に、被告の応訴行為をもつて、それ自体独立の不法行為が成立するとするには、特段の立証を要するものというべく、本件においては、昭和五一年一〇月、被告田辺が俄かにスモンの病因論としてのウイルス説を主張し、その立証のためとして同年一二月、突如、証人を申請するに至つた真意の奈辺に存するやを審究し、事実を確定したうえで被告田辺の不当抗争の成否を決すべきものと考えられる。

しかるに、この点の請求は、弁論終結時に原告中の一グループのみから申し立てられたもので、的確な証拠の挙示に欠ける憾みなしとせず、少なくとも現段階においては、これを採用するに由ないものというほかはない。

第二節介護費用の請求について

次に、前記「介護費用請求原告一覧表」記載の原告らは、前記において認容すべきものとした元本賠償請求のほか、同原告らの生存期間中、毎月一〇万円ずつの介護費用の支払を求めるいわゆる定期金賠償の請求を申し立てている。

よつて検討するのに、右の介護費用支払請求原告らは、原告中の一グループに属し、鑑定により症度Ⅲ度とされた者の全員であるが、本件全証拠によつても、同原告ら全員につき、前記認容にかかる元本賠償のほか、将来の介護費用の定期金賠償の請求を肯認するに足りない(なお、いわゆる定期金賠償については、損害の認定がより正確なものとなる等の合理性が認められるとはいえ、これを肯定すべき直接の根拠規定がなく、また、定期金賠償を肯定する以上当然に必要とされる担保の供与や変更判決等に関する制度が設けられていないのであつて、定期金賠償の請求それ自体にも問題がないわけではない)ので、この点の請求も採用に由ないものというほかはない。

第四章結論

以上によれば、前記認容金額一覧表記載の原告らの、各原告に対応する「被告」欄に記載の被告会社または被告会社らに対する請求は、それぞれに記載の認容金額およびこれに対する弁論終結日以降の民事法定利率による遅延損害金の限度において理由があり(支払義務者が複数であるときは、連帯して支払の義務を負う)、また、右一覧表において、被告国につき請求棄却と表示された原告らを除くその余の原告らの被告国に対する請求は、それぞれに記載の認容金額およびこれに対する弁論終結日以降の民事法定利率による遅延損害金の限度において理由があり(被告国は認容金額の限度において被告会社または被告会社らと連帯して支払の義務を負う)、原告らのその余の請求は失当として排斥を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条に従い、仮執行の宣言は各認容金額の三分の一の限度において相当と認め、仮執行免脱の宣言は相当でないのでこれを付さないこととして、主文のとおり、判決する。

(可部恒雄 荒井真治 鎌田義勝)

原告請求金額一覧表(一)~(三) <省略>

民法所定の遅延損害金起算日一覧表 <省略>

増額請求原告一覧表 <省略>

介護費用請求原告一覧表 <省略>

別紙

キノホルム含有製剤許可等一覧表

番号

キノホルム剤の

販売名

製造・輸入・販売をした

被告会社名

製造・輸入等の許可等とその年月日

1

エマホルム

製造

販売

田辺

昭31.1.17

昭31.11.21

昭32.9.27

昭43.6.5

製造許可

製造許可事項変更許可

製造許可事項変更許可

製造承認事項一部変更承認

2

エマホルム錠

製造

販売

田辺

昭31.1.17

昭31.11.21

製造許可

製造許可事項変更許可

3

ホルム錠

製造

販売

田辺

昭33.1.13

製造許可

4

エマホルム錠(0.25g)

製造

販売

田辺

昭35.1.8

製造許可

5

エマホルム錠(0.5g)

製造

販売

田辺

昭35.3.12

製造許可

6

複合エマホルム

製造

販売

田辺

昭36.1.31

製造許可

7

エマホルム錠(50mg)

製造

販売

田辺

昭37.7.10

製造承認

製造品目追加許可

8

エマホルムP

製造

販売

田辺

昭38.6.20

製造承認

製造品目追加許可

9

エマホルムS

製造

販売

田辺

昭40.4.1

製造承認

製造品目追加許可

10

エンテロ・ヴイオフオルム錠「チバ」

製造

販売

チバ

武田

昭35.10.3

昭37.3.27

製造許可

製造承認事項一部変更承認

製造品目変更許可

11

エンテロ・ヴイオフオルム散「チバ」

製造

販売

チバ

武田

昭35.10.3

昭39.3.9

製造許可

製造承認事項一部変更承認

12

エンテロ・ヴイオフオルムシロツプ

輸入

製造

販売

チバ

武田

昭40.11.25

昭41.2.11

輸入承認

輸入品目追加許可

製造品目追加許可

13

メキサホルム散「チバ」

輸入

製造

販売

チバ

武田

昭37.5.12

昭37.5.28

輸入承認

輸入品目追加許可

製造品目追加許可

14

強力メキサホルム散「チバ」

製造

販売

チバ

武田

昭37.11.26

製造承認

製造品目追加許可

15

強力メキサホルムA散「チバ」

輸入

製造

販売

チバ

武田

昭38.6.8

昭38.7.3

輸入承認

輸入品目追加許可

製造品目追加許可

16

強力メキサホルム錠「チバ」

輸入

製造

販売

チバ

武田

昭39.6.11

昭39.8.6

輸入承認

輸入品目追加許可

製造品目追加許可

鑑定人名簿《省略》

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