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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)5744号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

本訴請求の原因のうちの「一 事故の発生」とは以下のようなものである。

1 亡樅山信廣(陸上自衛隊二等陸士、以下「亡信廣」という。)は、昭和四八年一月二五日、新入隊後期教育のため北海道の各部隊に配属されることになつた陸上自衛隊中部方面所属の新入隊員計一〇〇名の一員として、前同日京都府舞鶴港から新日本海フエリー株式会社(以下「新日本海フエリー」という。)所属の「すずらん丸」に乗船し、同船は、同日午後七時ころ同港を出港し、途中翌二六日午前零時一二分ころ福井県敦賀港に寄港後、北海道小樽港へ向かつた。

2 当時海上は強い風雨のため大時化となつており、「すずらん丸」の乗客全員が船酔いにかかり、とりわけ亡信廣は、乗船時から風邪をひいていたこともあつて極度の船酔症状を呈していた。そのため、同人は、二六日午後零時三〇分ころから午後七時三〇分ころまでの間に、新潟県佐渡ケ島沖から青森県艫作崎沖に至る海上において、あまりの気分の悪さに耐えかねて嘔吐すべく一人で甲板に出たところ、大時化のために船が大揺れしたため、甲板から海中に転落し、死亡するに至つた。

【判旨】

一事故の発生

請求原因一1の事実は、「すずらん丸」への乗船時刻及び同船の舞鶴港出港時刻の点を除き、当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、「すずらん丸」は昭和四八年一月二五日午後九時ころ舞鶴港を出港したが、出港直後から悪天候のため揺れが激しく(航海中の天候が悪かつたことは、当事者間に争いがない。)、翌二六日午前六時に行われた日朝点呼のころまでには、新入隊員一〇〇名のうち三分の一ないし半分程度の者が船酔症状を呈していたこと、亡信廣は、乗船前から風邪気味であつたことと船酔いのため、舞鶴港出港直後から同人の所属する班に割り当てられたBデツキ中央部二等客室の一画で寝たままであり、右日朝点呼も横になつたままで受けたこと(同人が船酔症状を呈していたことは、当事者間に争いがない。)、その後亡信廣は、同人の所属する班の班長である吉林力一曹から船酔止めの薬を、また、同じ班の同僚の荒谷勝二士から風邪薬をもらつて飲み、その後巡視にきた吉林一曹に「大分よくなつた。」と述べていたこと、同日午後一二時ころ、吉林一曹が亡信廣を昼食に誘つたが、同人は「欲しくない。」と答えて船室に残つたこと、昼食後荒谷二士が船室に戻つたところ、亡信廣の姿が見えなかつたが、便所にでも行つているのではないかと思い、気にもとめなかつたこと、ところが、同日午後七時三〇分ころになつても亡信廣が姿を見せないため、不審に思つた荒谷勝二士が、当直者にその旨を届け出て、直ちに臨時点呼が行われた結果、亡信廣がいないことが確認されたこと、そこで、直ちに「すずらん丸」側に通報して、亡信廣に帰室を促す船内放送を行うとともに、同僚隊員及び同船の乗組員が船内各部をくまなく捜索したが、遂に亡信廣を発見することができなかつたこと、当時、船室部分から甲板に通じるドアには「荒天のため出入厳禁」の札が掛けられ、大部分のドアが施錠されていたが、一、二のドアは無施錠であつたこと、しかして、当時荒天のため揺れが激しく、甲板上では立つているのがやつという状態であつたこと、なお、亡信廣には自殺の動機となるような事情は全くなく、遺書もなかつたこと、以上の事実が認められ、右事実によれば、亡信廣は、昭和四八年一月二六日午後零時ころから同日午後七時三〇分ころまでの間に、荒天下を航行中の「すずらん丸」の甲板上から誤つて海中に転落し、死亡したものと推認される。

二被告の責任の存否

原告両名は、本件事故は、本件輸送の指揮に当たつていた烏田三尉及び吉林一曹ら基幹隊員が、輸送中隊員の動静を把握し、体調の悪い者については手当と看視をし、船酔いにかかつた隊員が嘔吐するため、あるいは風にあたるため甲板上に出て海中上に転落することのないよう監督し、もつて、その安全を計るべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠つたために惹起されたものである旨主張するので、検討するに、請求原因二1の事実は当事者間に争いがなく<証拠>によれば烏田三尉及び基幹隊員らは、舞鶴港に集合した時点で点呼を実施し、また、航海中も毎日午前六時、午後一〇時にそれぞれ日朝点呼、日夕点呼を行うこととし、現に二五日午後一〇時と二六日午前六時に点呼を実施して人員の掌握を行い、それぞれ異状のないことを確認したほか、当直者を定めて、一時間ないし一時間半に一度の割で隊員の船室を巡視させ、体調不調の者の掌握に努めたこと、また、烏田三尉は、乗船前舞鶴港の待合所において、隊員全員に対し、民間人とトラブルを起こしてはいけない、乗船中の飲酒は禁止する等の一般的注意を与え、更に、乗船後も、舞鶴港出港直後に同様の一般的注意を繰り返えして与えたほか、「海が荒れているから甲板に出ないように。」との指示を与え、また、その頃船酔いによる嘔吐に備えて全員にビニール袋を配布したこと、他方、「すずらん丸」側からも、舞鶴港出港直後に「海が相当しけているので甲板に出てはいけない。」旨の船内放送があり、船室部分から甲板に通ずる出入口に「荒天のため出入厳禁」と書いた札がかけられ、その大部分は施錠されていたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、本件輸送のような人員の輸送の指揮に当たる者としては、全員を目的地まで無事に送り届けるのがその任務であるから、隊員の動静を把握し、体調の悪い者があるときには適切な手当を受けさせる義務があるというべきであるが、本件「すずらん丸」のような公共の交通機関を利用して輸送が行われる場合においては、その際に部隊としての特別の訓練若しくは演習が行われるなど特別の事情があれば格別、そうでない限り、その交通機関の利用に伴い一定の危険(例えば、本件のような航行中の船舶からの海中への転落の危険)にさらされるという点においては、一般乗客との間に差異がある訳ではなく、しかも本件の場合、輸送の対象であつた亡信廣らは、入隊後間がないとはいえ、三か月間の前期教育において自衛隊員としての基礎訓練を受けた者であり、また亡信廣は当時一九歳で(同人が昭和二八年一〇月一日生まれであることは当事者間に争いがない。)、社会生活における右のような危険に対する判断力を十分備えていたものとみられるから、このような者については、社会通念上容易に予想しうる前記のような危険は自らの判断と責任において回避するものと期待して差支えなく、さきにみたように、「海が相当しけているから甲板に出ないように」との船内放送がなされ、上司からも同様の指示を受け、かつ、甲板への出入口に「荒天のため出入厳禁」との警告がなされている以上、これらを無視してあえて危険な行為に出る者があることまで予想して、輸送の指揮に当たる者が隊員の動静を終始監視し、あるいは甲板への出入口に見張りを立てる等の措置をとるべき義務はないものというべきである。しかるところ、さきに認定したように、烏田三尉及び基幹隊員らは、点呼及び定期的な巡視によつて人員の確認、隊員の動静の把握を行い、また、隊員全員に対し、荒天であるから甲板に出ないように指示し、船酔いによる嘔吐に備えてビニール袋を配布するなどの配慮をしたうえ、体調の悪かつた亡信廣には吉林一曹が船酔止めの薬を与える等輸送責任者としての監督注意をしていたものであり、前叙の諸状況のもとにおいては、烏田三尉らには本件輸送に当たつて、何ら注意義務に欠けるところがなかつたものと認めるのが相当である。

したがつて、烏田三尉及び基幹隊員らには、原告両名主張のような過失はなかつたものというべきである。

また、原告両名は、被告の安全配慮義務違反による責任を主張するが、前叙のような事実関係のもとにおいては、被告に亡信廣の雇用主としての安全配慮義務違反があつたものとは到底認めることができない。

(武居二郎 魚住庸夫 市村陽典)

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