東京地方裁判所 昭和51年(ワ)8641号 判決 1979年5月28日
原告 田中潤司
右訴訟代理人弁護士 中野公夫
高橋易男
右訴訟復代理人弁護士 藤本健子
被告 松岡巖
右訴訟代理人弁護士 錦織正二
被告 株式会社早川書房
右代表者代表取締役 早川清
右訴訟代理人弁護士 五十嵐敬喜
主文
原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は、「(一)被告らは、連帯して原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和五一年一一月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。(二)被告らは、その費用をもって、被告株式会社早川書房発行の雑誌「ミステリマガジン」に別紙記載の広告を一回掲載せよ。」との判決を求め、被告松岡巖訴訟代理人及び被告株式会社早川書房訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。
第二請求の原因
原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。
一 被告松岡巖は、都筑道夫のペンネームをもつ創作家であるが、被告株式会社早川書房(以下「被告早川書房」という。)が刊行、発売する雑誌「ミステリマガジン」一九七六年五月号に「続・幽霊さわぎ事後報告」と題するエッセイ(以下「本件エッセイ」という。)を執筆、発表した。
二 本件エッセイの概要は、『作者が昭和四九年一二月六日に神戸三の宮のオリエンタル・ホテル八二〇号室に泊ったとき「曖昧で強烈な、かたちの定かでない実在感」のものをみたが、今回昭和五一年一月二六日夜に泊ったときには見なかった。そこで、以前にみた幽霊の本体は何かといえば、前回はその前に京都で、カルタ製造元である山城屋をたずね「むべ山かるた」という掘出しものを買った。その際、カルタ屋の主人が、東京の□□がぜひ欲しいといっているが手金がまだこないので売ってもかまわないといったので買ったものだが、その後すぐに□□からお金を送ったとの電話があったそうだ。□□は、そのお金をつくるのにずいぶん無理をしたそうだ。……だから私が横取りしたと思っているかもしれない。したがって、八二〇号室の間に立って、私を見つめていたのは亡霊ではなく□□の生霊であるというのが、私の解釈である。ことに一年ちかくたっても□□は、むべ山は僕に譲るべきだといっていることからもこれは確かである。新宿で赤線から足を洗って男と同棲した女が男に逃げられ、みじめな死に方をした部屋に一年過ごしたことがあるが、その場合にも幽霊がでなかったのであるから生霊がいることは確かだ。』というものである。
三 本件エッセイは、原告のことを□□として伏せてはいるが、あとはすべて実在の場所及び人名を用いており、原告と被告松岡との間に現実にあった出来事を記述している。すなわち、□□はコレクターであり、「むべ山」をめぐる□□と被告松岡との経過は、原告と被告松岡とのそれであり、全く同一の状況を記述したものに他ならない。そして、原告は、カルタ収集家として知られており、また、多少とも翻訳をして雑誌に投稿し、その点被告松岡もカルタ収集に興味をもち、また、創作家であることから、原告と被告松岡両名を知る者は多いから、原告及び被告松岡を知る読者には一読して□□の中に田中が入ることは明白であり、その効果は□□の中に原告の実名をあげた場合と異なることはない。
四 本件エッセイのうち次の点は、被告松岡が故意又は過失により原告の人格を揶揄し、誹謗したものである。
1 第一に、原告の人物像がきわめて物に固執し、それを買いとられた場合には、一年あまりにわたって自分に譲るべきだと他人にぶつぶついい、その者に対しては生霊となってあらわれる人間であるとして描かれている。
2 第二に、本件エッセイ中に次の文がある。
『□□は、あきらめのいい男ではない。コレクターというよりもコレクトマニアで、マニアというのはたいがいエゴイストなものだけれども、□□も自分はいっこうに約束を守らないのに、人が約束を守らないとすぐ怒るようなところがある。』
3 第三に、新宿で赤線をやめ、男と同棲し、すてられ怨み死した女と同列にたとえられ、話をおもしろくする題材に用いられている。
五 原告は、本件エッセイによって、カルタコレクターとしての名誉のみならずその品性、徳行、信用につき世人から相当に受けている社会的評価を著しく傷つけられ、その精神的苦痛ははかり知れない。右苦痛を慰藉するには金三〇万円が相当であり、かつ、本件雑誌「ミステリマガジン」に謝罪広告を掲載することにより回復されるべきものである。
六 出版社は、書籍を出版発行することによって、社会への表現活動を行うものであるから、書籍の出版発行に当たっては、その書籍が如何なる内容のものであるかを確認し、かつ、名誉、プライバシー等の侵害を伴うものでないことの点検を全般的に行うべき注意義務があり、被告早川書房は、過失によりこれを懈怠したものであるから、被告松岡との共同不法行為者としての責任を負うべきである。
七 よって、原告は被告ら各自に対し、右金三〇万円及びこれに対する本件不法行為の日の後である昭和五一年一一月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払並びに被告早川書房発行の雑誌「ミステリマガジン」に別紙記載の謝罪広告を一回掲載することを求める。
第三被告松岡巖の答弁
被告松岡巖訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。
一 請求の原因一の事実は、認める。
二 同二の原告が本件エッセイの概要として主張するところは、本件エッセイの恣意的な引用と解釈であって、本件エッセイの精神と内容を正しく伝えるものではない。
三 同三のうち、被告松岡が以前に一時カルタ収集に興味をもったことがあること及び創作家であることは認めるが、その余はすべて争う。
本件エッセイは、原告と被告松岡とのむべ山カルタに関する事実を題材の一部として書かれているが、本件エッセイを読む者には、本件エッセイが原告と被告松岡の間にあった事実を書いたものであり、□□は原告であると考える者は全くという程存在しない。すなわち、本件エッセイには、□□については、(1)東京に住む(2)カルタの収集に熱心な(3)被告松岡の知人であることは書かれているが、その他には、氏名は勿論、性別、年齢、職業及び風貌その他の外観等□□が誰であるかを推測させるような事実は全く書かれていない。原告がカルタの収集家として世間に知られているという事実はなく、また、原告と被告松岡は古くからの友人ではあるが、原告は、以前は推理小説の評論を多少書いたことがあるものの、ここ一〇年近くは推理小説関係の仕事を含め文筆活動をほとんどしていないから、一般の読者は原告の名前すら知らないのであり、まして原告と松岡との関係が知られている事実はない。したがって、一般の読者が本件エッセイを読んでも□□が原告のことを指すものと知ることはありえない。また、仮に原告がカルタの収集家であること及び原告が被告松岡の友人であることを知っている者が本件エッセイを読んだとしても、その者が事前に原告と被告松岡の間のむべ山カルタの一件について知らない以上、本件エッセイ自体からは□□を原告に結びつけて考えることはありえないところ、被告松岡と原告とのむべ山カルタの一件を知る者はごく少数かつ特定の者に限られており、一般の読者はこれを知らないのであるから、□□を原告のことと推知することはありえないものというべく、したがって、本件では名誉毀損の成立に不可欠な被害者の特定性に欠けるというべきである。
四 同四の主張は、争う。
本件エッセイの内容は、何ら原告の名誉を毀損するものではない。すなわち、
1 本件エッセイは、被告松岡の推理作家としての時代背景、知識背景を読者に知ってもらうための一種の自伝として雑誌「ミステリマガジン」に連載中の「推理作家の出来るまで」の一環として書かれたものであるが、「番外」という表題が示すように、右の趣旨での自伝の流れとは無関係に、被告松岡が、自らの体験事実を自己の内面で論理と推論により再構築していく過程を明らかにすることによって、同被告が推理小説を書いていく経過、背景、内面の思考方法等を読者に知ってもらおうとの意図のもとに執筆されたものである。したがって、被告松岡が現実に体験した事実を踏まえてはいるものの、それは被告松岡が一定の体験事実を内面で再構成していくための題材となっているにすぎず、右事実を真実であると主張しているものではなく、いわゆるモデル小説等のように、登場人物が現存の誰それであり、その人物が斯く斯くであるということを明らかにすることを一つの目的としている作品と異なり、本件エッセイの□□の人物像を明らかにする意図は作者である被告松岡には全くなく、まして本件エッセイの読者に□□が現存の誰であるかというような興味は全くいなのである。
2 また、本件エッセイは、掲載誌である「ミステリマガジン」が推理小説、怪談小説の分野を対象とする雑誌であるように、推理小説、怪談小説の分野に属するもので、この分野に属するものの特質として、現実性がきわめて薄く、内容的には通常の怪談小説とほとんど差異がなく、一般の読者は、コレクターないしコレクトマニアの執念を生霊に結びつけて恐しさを感ずることはあっても、□□を日常生活上の実存としてとらえることはほとんどないのである。
3 原告が名誉を毀損されたとする部分は、「金策に苦労している。」「コレクトマニアで、マニアというのはたいがいエゴイストである。」「約束をまもらないのにひとが約束をまもらないとすぐ怒る。」の三か所で自己に対する評価に誤りがあるというにつきるが、これはいずれもきわめて抽象的な表現であり、事実を摘示したものとはいえない。また、右に掲げた個所のようなことは、一般人の誰しもが、他人から指摘され、あるいは自らを顧みて、その一つ二つないしは全部がもっともであると思わされるものであり、この程度の摘示では通常人において法的に保護された名誉が毀損されたことにはならない。まして、原告が金銭的に、また、友人知人との約束事にルーズであることは事実であるから、原告の内心の個人的感情はともかく、名誉という点では全く低下することはありえない。
4 被告松岡が本件エッセイを執筆、発表するについて、被告松岡には原告の名誉を毀損する故意が全くなかったのは勿論、過失も全くない。すなわち、本件エッセイは、被告松岡が以前別のエッセイの中で、あるホテルで幽霊を見たと書いたのに対し、ホテル側から反響があったため、その結末をつけるため、自分の体験に一定のフィクションをまじえて書いたものであり、原告を非難する意図で書いたものではない。しかも執筆に当たっては、□□が万一にも原告と結びつけられることのないよう十分配慮をしている。
五 同五及び七は、争う。
第四被告早川書房の答弁
被告早川書房訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。
一 請求の原因一の事実は、認める。
二 同二の事実のうち、本件エッセイに概要原告の主張する文章が存在することは認めるが、原告の掲げる文章は、原文のままではない。
三 同三の事実は、否認する。
本件エッセイは、被告松岡が以前「ミステリマガジン」誌に発表したエッセイにおいて「神戸の某ホテル八二〇号室で生まれて初めて幽霊らしきものに出会った話」を書いたことがあったが、これを読んだ読者から被告早川書房あてに「幽霊がでるのか否か面白いことであるからもう一度泊ってみてくれないか。」という手紙がきたので、被告らは、この読者及び右エッセイ中の「神戸の某ホテル」(オリエンタルホテルであるが、右エッセイ中ではホテル名は明らかにしていない。)のために、その種あかしをし、結着をつけなければいけないと考え、本件エッセイを企画したものである。したがって、原告を攻撃する意図は全くなく、むしろそれがコレクターの執念に基づく生霊であったといういわば面白い結末になったことを書こうとしたものであって、その意味からいえば、このコレクターは原告である必要は全くなかったのであり、コレクターであれば誰でもよく、生霊を生む激しい性格のコレクターであることだけが必要だったのである。
本件のような名誉毀損事件の違法性判断の要素としては、他の要件とともに、作品の筋又は骨格が終始実在の人物の行動に沿っていること、及び作者が同一人物(本人)を連想させないようにという配慮をしないか又はこれを怠っていること、あるいは作者が主観的には同一人物を連想させないように努めているが、その意図にかわわらず客観的には同一人物を連想させることがあげられているが、まず前者についていえば、本件エッセイが原告の行動に沿っていないことは、執筆の目的及び本件エッセイ全体からして明らかである。また、後者すなわち特定性の点についても、本件エッセイは、原告に関する部分については、すべて□□となっていて実名を伏せているほか、職業、性別、年齢、居住地等人物の特定に必要な事項については一切触れていない。したがって、本件エッセイ中の□□が原告であることを特定するためには、原告がカルタコレクターであること及び山城商店に行ったことを読者が知りうることが必要であるが、原告は、これまでカルタについて一度も論文その他の論稿を発表したこともなく、その収集品を公開したこともないのであって、被告早川書房は勿論、世の中のほとんどの人が原告がカルタコレクターであることを知るよしもなく、また、山城商店の一件にいたっては、原告、被告松岡及び山城商店以外は知るよしもないのである。したがって、一般の読者が、本件エッセイの記載から□□が原告であると連想することは全く不可能である。
四 同四の主張は、争う。
原告が名誉毀損だとする第一の点は、「□□の生霊」という部分であるが、「生霊」という言葉が人間の絶対悪を示す言葉であるという前提にたたなければ、原告のような解釈になることはないが、「生霊」という言葉はそのようなものでないことは社会通念上明らかなことである。さらに、ここでの「生霊」という言葉は、□□が生霊であると断定したものではなく、「□□の思念を私がキャッチして感じたすがただった。」としているように、被告松岡の解釈を述べたものであって、問題にするほどのものではないことが明らかである。
第二に、「□□はあきらめのいい男ではない。コレクターというよりも、コレクトマニアで、マニアというのは、たいがいエゴイストなものだけれども、□□も自分はいっこうに約束を守らないのに、ひとが約束を守らないと、すぐ怒るようなところがある。」という部分は、原告個人に限っていえば、すべて真実であり、読者にとってみれば、□□が原告を指すかどうかとは全く無関係に、コレクターというものの執念を表わすのに必要な形容というべきものであって、この部分から被告らが原告を攻撃したとみることができないことは明らかというべきである。
第三に、「新宿で赤線をやめ、男と同棲し、すてられて怨み死した女と同列にたとえられ、話をおもしろくする題材に用いられた」とする部分は、□□について記述したものではなく、何故問題とされるのか了解不明である。
五 同五及び六の主張は、争う。
出版社が書籍の発行をするに当たり原告主張のような注意義務があることは認めるが、本件エッセイの掲載に当たって、被告早川書房が右の注意義務を懈怠したことはない。本件エッセイが原告のプライバシーあるいは名誉を毀損するものでないことは前述したとおりであるが、本件においては、執筆者と相対的に独立した立場にある出版社の注意義務違反の有無の判断に当たり、次のことが考慮されるべきである。
1 被告早川書房からみれば、本件エッセイにおいて□□が原告である必要は全くなく、また、原告以外の具体的な誰かを指すものでなければならないものではない。そして、このような抽象的な人間についてどのような表現が用いられようと、差別あるいは性につながらない限り、言論の自由として尊重されるべきである。
2 本件エッセイは、主として原告と被告松岡との個人的な関係のもつれから(しかも、多分、原告の感情過多から)生じたものであり、かつ、この個人的関係がこの二人の間の問題に限定されていて、読者に察知されるおそれがない本件のような場合には、出版社としては、それが素材になっている作品の発表も許されるし、逆にこの個人的な関係を一切考慮する必要がないというべきである。もし、これらのことを考慮する必要があるとすれば、出版社は作者の対外関係のすべてについて知っておく必要と義務があることになり、それは出版活動を不可能にするであろう。
3 ある個人のプライバシーあるいは名誉というものを考えるについては、出版社の出版の意図が尊重されるべきである。本件のような自伝的性格をもつ作品の場合、作者と関係する実在の人物が登場するのは当然であり、その人物を作者の評価なしに描くことはできないものであるが、この評価は肯定的なものもあれば否定的なものもあるのが当然である。出版社にとっては、それがことさら悪質な暴露あるいはスキャンダル的なものでない限り、その否定的な評価も出版の意図に合致する限り当然に発表してよく、また、発表すべきものである。本件では、□□に対する評価は、プライバシーの暴露あるいはスキャンダルとはほど遠く、ささいなことであり、しかも全くリアリズムを感じさせないものとして描かれているのであり、一方、出版の意図もこれらを目的としていないのであるから、出版の意図にとってごく付随的なこの程度の形容は当然許されてしかるべきである。
六 同七は、争う。
第五証拠関係《省略》
理由
一 被告松岡巖が、都築道夫のペンネームをもつ創作家であること、同被告が、被告早川書房が刊行、発売する雑誌「ミステリマガジン」一九七六年五月号に「続・幽霊さわぎ事後報告」と題するエッセイ(本件エッセイ)を発表したことは、当事者間に争いがない。
二 《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
1 「ミステリマガジン」は、外国の短編ミステリーの紹介及び外国ミステリーに関するエッセイ等を掲載する発行部数三万部ほどの海外ミステリーの専門誌であるところ、被告松岡は、同誌に「黄色い部屋はいかに改装されたか」「私の推理小説作法」「辛味亭辞苑」などのエッセイを連載したことがあり、同誌一九七五年一〇月号からは「推理作家の出来るまで」という題で、毎号エッセイを連載して現在に至っている。
2 被告松岡は、前記エッセイ「辛味亭辞苑」の中で、神戸の某ホテルに宿泊したときに幽霊らしきものを見たことがあるとして、そのいきさつを書いたところ、これに対して右ホテルの関係者からもう一度宿泊してその実体を確かめて欲しいとの話があり、これに応えて再び神戸まで赴き、右ホテルの以前と同じ部屋に宿泊してみたときの顛末を、「ミステリマガジン」一九七六年四月号及び五月号に、「推理作家の出来るまで」の連載の番外編として、「幽霊さわぎ事後報告」(四月号)、「続・幽霊さわぎ事後報告」(五月号。本件エッセイ)と題して発表した。
3 右「幽霊さわぎ事後報告」は、作者が以前見た幽霊らしきものの実体を確かめるため、再び神戸のホテルに赴いた経過及び作者が以前と同じ部屋で幽霊の現れるのを待っているというところまでが描かれており、本件エッセイは、前号を受けて、その結末を書いたものである。
4 本件エッセイの梗概は、「結局その夜は幽霊は出なかった。ほかの日にその部屋に泊った客からもそこで幽霊を見たという話もないとのことであるから、前に幽霊らしきものを見たのは、(その場所に原因があるのではなく、)私に原因があるとしか考えられない。そういえば、以前幽霊らしきものを見た日の二日前、私は京都の山城商店というカルタ製造元をたずねたが、その時「むべ山」という珍しいカルタが一組だけ売れ残っているのを見つけた。店の主人の話によれば、数日前に□□さんがきたので見せたところ、ぜひ欲しいがいま持ちあわせがないので東京に帰ってすぐ手金を送るから取っておいて欲しいということだったが、いまだに連絡がないのであきらめたのでしょうから、よろしかったらお持ち下さい、ということだったので、私はこの「むべ山」を買うことにした。しかし、その後知ったところによれば、私が山城商店で「むべ山」を買って帰った直後に、□□から同店に、内金として五万円作ったから銀行に振り込むとの電話連絡があり、同店の主人は、私が、□□と知り合いであることを知っているので、□□に、たった今都築さんが持ってお帰りになりました、と答えたらしい。□□はその金を作るのにずいぶん無理をしたのだそうだが、私は、そんなことは知らないまま、翌日は京都で仕事をすませ、翌々日大阪に向かった。その電車の中で、「むべ山」のことが気になり出した。□□は、あきらめのいい男ではない。コレクターというよりも、コレクトマニアで、マニアというのは、たいがいエゴイストなものだけれども、□□は、自分はいっこうに約束は守らないのに、ひとが約束をまもらないと、すぐ怒るようなところがあるから、私が「むべ山」を横どりしたと思っているかも知れない、などと考えた。(今、こうしたことを考えると)以前私が神戸のホテルで見た幽霊らしきものは、□□の生霊―といういい方が古風ならば、□□の思念を私がキャッチして、感じたすがただったのではないか、というのが私の解釈である。東京に帰ってから、□□がいかに金策に苦労したかという話を聞いたり、まだ「むべ山」のことを残念がっているという噂を聞いたりするうちに、この解釈が当たっていそうな気がしてきた。私は以前兄が死ぬ前の晩、奇妙な足音を聞いたことがあるが、私はこのような思念に敏感なのかもしれない。とすれば、今度のも生霊である可能性は、すこぶる大きいし、□□が一年ちかくたってからも、依然として「むべ山」は自分に譲るべきだ、といっているという話を聞くと、そのような考えは確信になった。また、自分は、二十数年前に新宿で、赤線で働いていた女が足を洗って男と同棲したが、結核にかかっていたうえ、男に教えられたヒロポンで中毒症になった挙句、男に捨てられ、怨み死したといういわくつきの部屋で一年近く暮らしたが、そんなところでも幽霊はでなかった。だから、自分は、死霊よりも生霊の方を信じたい。」というものである。
三 原告は、本件エッセイ中の□□は原告を指すものであり、しかも原告はカルタコレクターとして知られており、また、原告と被告松岡の両名を知る者は多いから、原告と被告松岡を知る読者には□□が原告を指すものであることが明白であり、本件エッセイにおいて□□と伏字にしても、原告の実名をあげた場合と異なることがなく、本件エッセイの内容は、原告の人格を揶揄し、誹謗したものであると主張するの、で以下この点につき判断することとする。
《証拠省略》によれば、本件エッセイのうち、京都の山城商店で「むべ山」カルタを購入したことに関する一件は、被告松岡と原告との間に実際にあった出来事をほぼそのまま叙述したものであり、□□は、原告のことを指しているものと認められる。
しかし、《証拠省略》によれば、本件エッセイにおいては、原告の氏名は全く記されておらず、すべて□□として伏せられていること(この点は、本件当事者間に争いがない。)、本件エッセイの文中から窺いうる□□が実在の人物の誰れであるかの手がかりになる事項としては、□□が、(一)熱心なカルタコレクターであること、(二)作者(被告松岡)の知り合いであること、(三)東京在住の者であることの三点だけで、他には全く□□を特定する手がかりになるような事柄には触れられていないことが認められ、一般の読者が、これらの手がかりだけで□□が原告であると推知することは到底ありえないものというべく、本件エッセイを読んで□□が原告を指しているものであることを推知しうる者は、原告が被告松岡の知人であること及び原告が熱心なカルタコレクターであることを知っていて、かつ、本件エッセイの素材となった京都の山城商店での「むべ山」カルタに関する一件をも既に知っている読者に限られるものと考えられる。
そこでまず、原告が被告松岡の知人であること及び原告がカルタコレクターであることが一般に知られた事実であるか否かについて検討するに、《証拠省略》を総合すれば、被告松岡は、推理作家として現在までに六〇数点の作品を単行本として発表しているほか、雑誌などに毎月多数の小説、エッセイ等を発表しており、推理小説の分野では著名な作家であること、他方原告は、以前推理小説の評論等を書いていたことがあるけれども、ここ四、五年は全く推理小説関係の仕事をしておらず、推理小説関係の分野においてまとまった著作を発表したことがないことが認められ、右の事実からすれば、本件の「ミステリマガジン」のような推理小説関係の読者層において、原告の名前や被告松岡と原告とが知り合いであることが一般に知られているものとは到底認め難いところである。また、原告がカルタコレクターとして著名であるか否かについてみても、《証拠省略》を総合すれば、原告は、二万点以上のトランプ類を収集しているほか、カルタ類についても二〇〇〇点を越える収集品を有しており、週刊誌等にカルタ関係の解説記事を書いたりしたことがあることがあるけれども、右のカルタ等の収集品を、展覧会などを通して公開したり、あるいは出版物などを通じて紹介したようなこともなく、作家仲間でも原告がカルタを収集していることを知っている人数は多くないことが認められ、これらの事実によれば、原告がカルタコレクターとして一般に知られた存在であるとはいまだ認め難く、他に右判断を覆すに足りる証拠はない。
更に、本件エッセイの素材となった京都の山城商店での「むべ山」カルタの一件についても、そもそも右の一件自体被告松岡と原告の間の全く個人的なささいな出来事であって、原告か被告松岡のどちらかがそのことを他に告げない限り、第三者はこれを知りえない性質のものであるところ、原告又は被告松岡が右事実を広く第三者に告げたと認めるに足りる証拠はないから、右事実が一般に知られていたものとは到底認められない。
のみならず、《証拠省略》によれば、本件エッセイは、前叙のように、作者が以前にホテルの一室で見た幽霊らしきものの正体を推理し、それが亡霊ではなく、生霊だったのではないかとの結論に到達するまでの過程を読者に示すことに主眼が置かれているものであって、本件エッセイが軽妙ないわゆる読み物風の作品であることと主題がいささか現実味に乏しいものであることも加わって、その素材となっている□□と作者との「むべ山」カルタをめぐる出来事が現実にあったものであるかどうかとか、□□が誰であるかなどといった事柄では、格別の意味があるものではないことが認められ、したがって、本件エッセイの読者は、作者の右のような推論の過程に興趣を覚えるとともに、霊的存在なかんずく生霊というものに関する作者の考え方に興味を惹かれこそすれ、□□が誰であるかといったことなどについては、およそ関心を示すことも、あえて詮索することもなく読み流すものと認められる。
叙上認定説示したところからすれば、本件エッセイの一般の読者が、右エッセイ中の□□を原告と結びつけ、□□が原告を指していることを推知しうるとは到底認め難いものというほかはなく、したがって、本件エッセイにより、原告に対する社会的評価が低下させられたり、原告のプライバシーが暴露されたものと認めることはできない。
四 以上の次第で、原告の被告らに対する本訴請求は、その余の点について進んで判断を加えるまでもなく、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 武居二郎 裁判官 魚住庸夫 市村陽典)
<以下省略>