東京地方裁判所 昭和51年(ワ)943号 判決 1980年11月11日
原告 甲野花子
右訴訟代理人弁護士 渡辺次郎
同 水口昭和
亡野口義雄承継人被告 野口信行
被告 野口ホンダ株式会社
右代表者代表取締役 野口信行
右両名訴訟代理人弁護士 小林宏也
同 本多藤男
同 長谷川武弘
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 主位的請求の趣旨
1 被告野口信行は原告に対し別紙物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明渡せ。
2 被告野口ホンダ株式会社は原告に対し別紙物件目録(二)記載の建物から退去して同目録(一)記載の土地を明け渡せ。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 予備的請求の趣旨
1 被告野口信行は、原告から金二五〇四万円の支払いを受けるのと引換えに、原告に対し別紙物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明け渡せ。
2 被告野口ホンダ株式会社は、原告から被告野口信行に金二五〇四万円の支払いがなされるのと引換えに、原告に対し別紙物件目録(二)記載の建物から退去して同目録(一)記載の土地を明け渡せ。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
三 主位的及び予備的請求の趣旨に対する答弁(被告両名)
主文と同旨。
第二当事者の主張
一 被告野口信行に対する請求原因
1 原告は訴外宮本亀寿に対し、昭和三一年八月、別紙物件目録(一)記載の土地(以下本件土地という)を賃貸期間二〇年間(同五一年八月三一日満了)普通建物所有の目的で賃貸し、これを引き渡した。
2 野口義雄(被告野口信行の父)は訴外宮本亀寿から、昭和四五年三月一一日、その所有にかかる別紙物件目録(二)記載の建物(以下本件建物という。)を買い受けると同時に本件土地の賃借人たる地位を承継した。
3 野口義雄は本訴が提起された後死亡したが、被告野口信行は同人の子であり、本件建物及び本件土地の賃借権を相続した。
4 本件土地賃貸借契約は昭和五一年八月三一日かぎり期間が満了した。そこで原告は亡野口義雄に対し、昭和五〇年一二月二三日に同人に到達した同年同月二二日付の書面により予め更新拒絶の意思表示をしたうえ、本訴を提起して、被告らの本件土地の使用について異議を述べた。
5 原告が右異議を述べるについては次のような正当事由がある。
(一) 原告は明治四一年生れの老人であり、別紙図面のとおり本件土地の西隣りの土地(台東区○○×丁目一一八番一の土地)に高血圧症を病む明治三六年生れの夫(甲野太郎と二人暮しをしている者であるが、両人とも老衰のため働くことができない。そこで、本件土地を被告野口信行から返還をうけて貸駐車場として利用することから得られる収益によって原告及び夫(以下原告夫婦という。)の今後の生計の維持安定をはかることが必要不可欠である。
(二) また原告夫婦には子供がないのでその家系を継がせるために養子を迎えたいところ、原告夫婦が本件土地の西隣りの土地上に所有し、かつ、現在居住している建物は手狭であって到底養子夫婦とは同居することができない。そこで原告夫婦の住居地に隣接する本件土地に養子夫婦の居住するための家屋を建築して、養子夫婦と親密な家庭生活を営むためにも本件土地の返還をうける必要がある。
(三) 被告らは本件建物を被告野口信行がその代表取締役をしている被告野口ホンダ株式会社(以下被告会社という。)の倉庫として使用しているに過ぎなく、また本件建物は朽廃直前の老朽建物である。被告会社は多数の従業員を雇用してその経営も順調であり、被告らは他に土地建物等の不動産を相当多く所有しているし、また、被告らの資力をもってすれば本件土地から移転して被告会社の倉庫用の代替地を探すことは容易であり本件土地を使用する必要性は少ない。
(四) 以上のとおり原告の本件土地を使用する必要性は被告野口信行に比べてはるかに強く、更新拒絶の正当事由を有するものである。
なお以上の事実のみで正当事由が認められないのであれば、予備的に原告は被告野口信行に対して正当事由の補強として金二五〇四万円の金員を提供することを申し出る。
(五) 二の3の正当事由不存在についての被告の主張に対する認否
(1) 同3(一)の事実のうち、原告及び夫が多少の土地を有し、賃貸地及び貸駐車場としていることは認めるが、その余の事実は否認する。
右の貸駐車場の現契約台数は一三台であるし、賃貸地からの収入も地代が低額であり、あるいは供託されていて公租公課の支払いにあてるのが精一杯である。
(2) 同3(二)の事実のうち、訴外株式会社野口商会と被告会社が全く別異の会社であるとの点は否認する。右両会社は被告野口信行、訴外野口実、同野口正子、同高松隆次を共通の役員とする野口一族の同族会社であって、実質的には同一の会社である。
(3) 同3(三)の事実のうち、本件土地及び本件建物が被告らにとって必要不可欠であるとの主張は争う。
(4) 同3(四)の事実は否認する。
6 よって、原告は被告野口信行に対し、本件土地の賃貸借契約の終了に基づき本件建物を収去して本件土地を明け渡すことを求める。
二 請求原因に対する認否(被告野口信行)
1 請求原因1ないし4の事実はいずれも認める。
2 同5の原告の更新拒絶についての正当事由の存在は否認する。
同5(一)のうち、原告が明治四一年生れの老人であり、明治三六年生れの夫と本件土地の西隣りの土地で二人暮しをしていることは認めるが、夫が高血圧症を病んでいることは知らない。本件土地の返還を受けて駐車場として収益をあげることが原告夫婦の生計の維持安定に必要不可欠であるとの点は否認する。
同5(三)のうち、被告らは本件建物を被告会社の倉庫として使用していること、被告会社は多数の従業員を雇用していることは認めるが、その余の事実は否認する。
3 正当事由不存在についての被告の主張
(一) 原告及びその夫の甲野太郎は台東区内の大地主であって、本件土地の他にも多くの賃貸地を有するほか、所有の更地に約二〇台の自動車を常時駐車させて多額の収入を得ている。
(二) 被告らの所有する不動産は、被告野口信行の居宅用の土地建物の他は、被告野口信行が本件建物を有しているにすぎない。訴外株式会社野口商会(以下訴外商会という)が若干の土地建物を所有しているが、右訴外商会は、訴外野口実が経営する全く別異の会社である。
(三) 被告野口信行の父である亡野口義雄が昭和四五年三月に訴外宮本亀寿から本件土地の賃借権を譲り受けた際に、原告は本件土地を被告会社が商品収容用の倉庫として使用することを認めた上で右の賃借権譲渡を承諾したものであるが、本件土地は被告会社の倉庫資材置場として必要不可欠のものである。被告会社は多量の保管すべき商品置場の確保に苦慮しており、本件建物の他に他の借家を部分借りして収容している状態であって、別紙図面のとおり被告会社の本社社屋に一軒(原告らの居住建物)を置いて隣接している本件建物ひいては本件土地の必要性は極めて高い。
(四) 野口義雄が、昭和四五年三月、訴外宮本亀寿から本件土地賃借権を譲り受けるにあたって原告に対してその承諾を求めた際、原告は野口義雄に対し昭和五一年八月の期間満了時に本件土地賃貸借契約を更新することを約した。
三 被告会社に対する請求原因
1 原告は本件土地を所有している。
2 被告会社は本件建物を倉庫として使用して本件土地を占有している。
3 よって原告は被告会社に対し、本件土地の所有権に基づき本件建物から退去して本件土地を明け渡すことを求める。
四 請求原因に対する認否(被告会社)
請求原因事実1及び2はいずれも認める。
五 被告会社の抗弁
1 被告野口信行に対する請求原因1ないし3と同じ。
2 被告会社は本件建物を被告野口信行から借り受けている。
六 被告会社の抗弁に対する認否
抗弁1の事実は認める。
七 再抗弁
1 被告野口信行に対する請求原因4と同じ。
2 被告野口信行に対する請求原因5と同じ。
八 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1の事実は認める。
2 再抗弁2の事実は否認する。詳細は被告野口信行の請求原因に対する認否2と同一である。
第三証拠《省略》
理由
一 原告の被告野口信行に対する請求原因1ないし4の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで原告が被告信行に対してなした昭和五〇年一二月二三日の本件土地の賃貸借契約(翌五一年八月三一日満了)の更新拒絶についての正当事由について以下判断する。
1 (本件土地の位置関係等)
本件土地が原告及びその夫の訴外甲野太郎の居住する台東区○○×丁目一一八番一の土地の東隣りに位置し、また、右原告夫婦の居住地の西隣りには、被告会社本社の建物が存在すること即ち本件土地と被告会社本社の所有地の間に原告夫婦の居住土地があることは当事者間に争いがない。また《証拠省略》によると本件土地及び近隣の土地の位置関係が別紙図面のとおりであること並びに本件土地は国鉄O駅から約四〇〇メートルの距離にあたり商業地域内にあることが認められる。
2 (本件土地使用をめぐる原告側の事情)
原告が明治四一年九月二一日生れ(昭和五五年九月末現在満七二才)であり、原告の夫の甲野太郎が明治三六年九月二八日生れ(同日現在満七七才)であること、原告夫婦が本件土地の西隣りの地に老夫婦二人きりで居住していることは当事者間に争いがない。《証拠省略》によると、原告夫婦はともども高血圧等の病気に悩まされ、それに加えて高令であることから勤労することは不可能であること、原告夫婦には現在子供がいないことが認められ右認定に反する証拠はない。これらの事実によるとき原告夫婦の生計の途は、主として、本件土地を含む原告又は原告の夫が所有する土地を利用しての地代あるいは貸駐車場の収益に頼っているということができる。
《証拠省略》によると、原告夫婦は以前にはより多くの土地を所有していたが、土地を切り売りして来た結果、現在においては、台東区○○×丁目一一八番の一(前記のとおり原告夫婦の居住地)、一一八番の二、一一八番の三(本件土地)の各土地を原告名義で、同一〇九番及び一一七番(被告会社が本社として使用している土地)の各土地を夫甲野太郎名義で所有していること、右五筆の土地の合計面積は、九八五・八二平方メートルであることが認められ、右認定に反する証拠はない。ところで原告夫婦の右五筆(自己の居宅用の土地を除くと四筆)から現在あげているもしくはあげうる収益について、《証拠省略》を総合すると、原告夫婦は右の四筆の土地のうち一一八番の二の土地及び一〇九番の土地の一部を賃駐車場に、一一八番の三の土地(本件土地)、一一七番の土地及び一〇九番の土地の大部分を賃貸地にそれぞれ利用していること、賃貸地から得られる地代は供託中のものもあるがそれらを含めて昭和五三年当時において合計で少くとも年二五七万七四三二円を下らないこと、駐車場からの収益については両地をあわせて合計二〇台ほどの自動車が収容可能であって、現に一〇台以上の自動車について駐車場使用契約を結んでおり、一月に一台四万円で少くとも四〇万円以上の収益を得ていること、一方原告夫婦がその所有の五筆の土地に対して負担している税金は、固定資産税と都市計画税をあわせて昭和五四年度分は年間一四七万七六四六円であること(この点について右認定に反する原告本人の供述は信用しない。)の各事実が認められ、これらの事実をあわせると、原告夫婦はその所有の土地から公租公課を控除しても年六〇〇万円に近い収入を得ていることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
一方原告主張のいま一つの正当事由を基礎づける事実(請求原因5(二)の事実)についてみると、《証拠省略》によると、原告夫婦の居宅の間取りは一階が四・五畳、六畳の間と台所、二階が八畳一間であること、原告夫婦は養子夫婦を迎えることを希望しているが未だ具体的に決定した話ではないこと、原告夫婦が養子を迎える場合には自己の居宅に隣接した本件土地に養子用の建物を建築して提供することも考慮していることが認められる。
3 (本件土地使用をめぐる被告野口信行側の事情)
被告野口信行がその代表取締役である被告会社が本件建物を倉庫として使用し、ひいては本件土地を使用していることは当事者間に争いがない。《証拠省略》によって認められる被告会社が昭和四〇年九月三〇日に亡野口義雄を代表取締役として現在地に設立された事実、当事者間に争いのない昭和四五年三月一二日に亡野口義雄が訴外宮本亀寿から本件建物を買い受けるとともに本件土地の賃借権を譲り受けた事実及び原告が明らかに争わないので自白したものとみなす被告主張の原告が右借地権譲渡に承諾を与えた事実に照らし、さらに《証拠省略》を総合すると、被告野口信行の被相続人である亡野口義雄の借地権譲受けに右認定のとおり承諾を与えるについて、原告は、野口義雄が原告から賃借することになる本件土地上に存する本件建物を被告会社がその倉庫として使用することを承知していたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。
ところで《証拠省略》によると、被告野口信行の所有地は自己の居宅用の台東区池之端四丁目一二六番の六七・一〇平方メートルの土地があるだけであること、被告会社には所有の土地がなくその使用地あるいは建物としては、本件土地及び台東区○○×丁目一一七番の本社敷地の他は、本社存在地からいずれも一〇メートル以内の距離にある同区同×丁目一一六番の一、同一一六番の三、同一〇九番、同一一番の二の四箇所にある建物のそれぞれ一部並びに東京都の上野及び蒲田の借家があるにすぎないことを認めることができ(る。)《証拠判断省略》また《証拠省略》によると、被告会社は、本田技研工業の自動車及びオートバイの部品専門代理店として二万数千点の部品を擁し、一日数千点の部品の出し入れをしていること、被告会社の本社の至近距離に部品を収容する倉庫があることが被告会社の営業上至便であること、右のように大量の部品や商品を収容するには前記の被告会社の使用建物だけでは不足気味であること、被告会社は年商一四億円程度の売り上げであり従業員が三十数名いることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。
なお原告は、被告会社と実質的には同一の会社である訴外株式会社野口商会(訴外商会)が多数の建物を所有していると主張するのでこの点について判断する。《証拠省略》によると訴外商会は六階建てのビル二棟、八階建てのビル一棟を初め、他に二階建ての建物二棟を所有して使用していることを認めることができる。また《証拠省略》を総合すると、被告会社と訴外商会は取締役四名(野口実、被告野口信行、野口正子及び高松隆次)が共通であり、ともに台東区○○×丁目に本社を有し、さらに一部の建物において訴外商会と被告会社が同居して看板も同一のものに両社の社名が併記されていること並びに被告野口信行の実兄が訴外野口実であることを認めることができる。しかし一方で《証拠省略》によると、被告会社の実質経営はその代表取締役である被告野口信行が、訴外商会の実質経営はその代表取締役である野口実がそれぞれ行っており、両社はその実質的経営者を全く別異にしており、前記認定の取締役の四名がそろって共通なことも名目上のものに過ぎないこと、その営業目的も被告会社が前記認定のとおり自動車及びオートバイ部品の製造販売であるのに対して訴外商会は自転車部品を取り扱っているという違いもあることが認められ、右認定に反する証拠はない。してみると被告会社と訴外商会が実質上同一の会社であることを前提にする原告のこの点の主張は採用できない。
また原告は本件建物が朽廃直前の老朽建物であると主張するが右の主張を認めるに足りる証拠はない。
4 (正当事由についての結論)
右1ないし3の事実によるとき、原告の本件土地を使用する必要性は、まず貸駐車場として使用したいという点については、本件土地を被告らに使用させておくより、駐車場として使用する方が高収益を期待できること及び本件土地の北隣りの○○×丁目一一八番の二の駐車場と一体としてより有効に本件土地を使用しうることは推測できるところであるが、前記認定の原告夫婦の経済状態に照らせばとりたててその必要性が強いものとはいえない。次に養子夫婦居住用として本件土地を使用したいとの原告夫婦の希望についても、この養子夫婦を迎える話は未だ具体的に煮詰まったものではないばかりでなく、養子夫婦の居住家屋がどうしても原告夫婦居住家屋の隣地でなければならない理由は、原告夫婦の主観的感情を別にすれば、ないと言ってよい。また原告夫婦が養子夫婦を迎えるために本件土地を使用したいとする原告の主張は、本件土地を駐車場として使用したいとする主張と矛盾し合うものと言わざるをえない。
他方被告野口信行の本件土地使用の必要性は、前記3に認定したところから被告会社の本件土地使用の必要性をもって原告に対して主張しうるものであり、前記認定のとおり本件土地に代替しうるような倉庫用の土地を被告会社の本社から至近の地に見出すことは不可能ではないにせよ、甚だ困難であることからいえば被告会社の本件土地を使用する必要性は極めて高いものと言うことができる。
以上の点から、被告主張の更新の予約の点を判断するまでもなく、原告のなした更新拒絶の意思表示には正当事由は存しないものと言うべきであって、前記認定の、被告会社が年商一四億円という売り上げを有しており、被告野口信行が本件土地をもっぱら被告会社の営業用として使用しているという事実は、それだけでは直ちに右の結論を左右するものではない。
三 予備的請求について
《証拠省略》によると、昭和五三年六月三日の時点における本件土地の借地権価格は二六三五万八〇〇〇円であり、賃貸人である原告が当該借地権を購入せんとしたときの借地権価格は二五〇四万円が相当であることが認められる。また、原告が正当事由を補強するものとして本件土地の明渡と引き換えに右金員の二五〇四万円を被告野口信行に支払うことを申し出ていることは記録上明らかである。しかし立退料の提供は正当事由を補強するものであって、正当事由に代替しうるものではなく、二で認定したとおり、本件土地を使用する必要性は原告に比して被告野口信行において著しく高いものであるから、原告の申し出た立退料二五〇四万円の提供も本件においては原告の更新拒絶の正当事由を補完するものということはできない。
四 原告の被告会社に対する請求について
請求原因事実及び抗弁1の事実は当事者間に争いがなく、抗弁2の事実については《証拠省略》によりこれを認めることができ、右認定に反する証拠はない。再抗弁1の事実は当事者間に争いがなく、同2の事実は、二及び三で述べたと同一の理由によりこれを認めることができない。
五 以上のとおりであるから、原告の被告らに対する本件主位的及び予備請求はいずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 菅原雄二)
<以下省略>