東京地方裁判所 昭和51年(ワ)9886号 判決 1980年12月17日
原告
内藤幸子
右訴訟代理人弁護士
小池通雄
(ほか七名)
被告
株式会社日本メールオーダー
右代表者代表取締役
石井錬一
右訴訟代理人弁護士
成富安信
(ほか四名)
主文
一 原告が被告に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
事実
第一当事者双方の求める裁判
一 原告
1 主文第一項同旨
2 被告は、原告に対し、金一、二七五万三三八二円及び内金四三万六七〇〇円に対し昭和四八年一二月二六日以降、内金一一〇万二二四六円に対し昭和四九年一二月二六日以降、内金二〇一万六九〇〇円に対し昭和五〇年一二月二六日以降、内金二一一万〇六〇〇円に対し昭和五一年一二月二六日以降、内金二〇五万〇一三六円に対し昭和五二年一二月二六日以降、内金二二六万六三〇〇円に対し昭和五三年一二月二六日以降、内金二三五万五三〇〇円に対し昭和五四年一二月二六日以降、内金四一万五二〇〇円に対し昭和五五年三月二六日以降各完済まで年五分の割合による金員、並びに、昭和五五年四月以降毎月二五日限り金一三万八四〇〇円を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 2につき仮執行の宣言
二 被告
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
(地位確認請求について)
1(一) 被告は、レコード、図書、運動用具、教育用機材等の委託製造及び通信販売を主な目的とする株式会社である。なお、被告の前身は、昭和三七年五月に設立されたヴンチレックス・エヌ・ヴィー日本支社であったが、同社の営業が昭和四三年六月に有限会社日本メール・オーダーに譲渡され、同時に従業員全員との法律関係も右有限会社に引き継がれ、更に右有限会社が昭和四六年一二月に株式会社に組織を変更して今日に至ったものである。
(二) 原告は、昭和三七年五月二三日、前記ヴンチレックス・エヌ・ヴィー日本支社に和文タイピストとして雇用され、それ以来、営業譲渡、会社組織の変更の前後を通じて管理課タイプ係として勤務してきた。
2 被告会社は、昭和四九年三月一四日付をもって原告を解雇したと主張して、原告を従業員として取り扱わない。
(金員請求について)
3 被告会社就業規則給与規定一一条は、「業務上の疾病のため欠勤したときは基準給料合計額に相当する疾病手当を支給する。」と定めている。
4 原告は、業務上の疾病である右拇指腱鞘炎及び頸肩腕症候群にかかったことにより、昭和四八年八月三一日以降欠勤した。
5(一) 原告の、昭和四八年九月以降の、被告会社における基準給料額(月額賃金)は、少なくとも次のとおりの額である。(なお、被告会社においては、毎月二五日に当月分給料が支払われている。)
期間 基準給料額(円)
昭和四八年九月~四九年三月 八万〇九〇〇
昭和四九年四月~五〇年三月 九万九八〇〇
昭和五〇年四月~五一年三月 一一万二七〇〇
昭和五一年四月~五二年三月 一二万〇五〇〇
昭和五二年四月~五三年三月 一二万七五〇〇
昭和五三年四月~五四年三月 一三万三三〇〇
昭和五四年四月~五五年三月 一三万八四〇〇
(二) 被告会社における、昭和四八年九月以降同五五年三月までの、夏季、年末各一時金の、支給年月日は次のとおりであり、原告に対する支給額は、少なくとも、次に記載するとおりの金額である。
支給年月日 金額(円)
昭和四八年年末
昭和四八年一二月一一日 二四万二四〇〇
昭和四九年夏季
昭和四九年六月七日 一八万〇一〇〇
昭和四九年年末
昭和四九年一二月六日 三〇万〇六〇〇
昭和五〇年夏季
昭和五〇年六月六日 二七万一二〇〇
昭和五〇年年末
昭和五〇年一二月二四日 四三万二〇〇〇
昭和五一年夏季
昭和五一年六月一一日 三〇万八五〇〇
昭和五一年年末
昭和五一年一二月一三日 三七万九五〇〇
昭和五二年夏季
昭和五二年六月一〇日 三一万五四〇〇
昭和五二年年末
昭和五二年一二月一二日 三五万六九〇〇
昭和五三年夏季
昭和五三年六月九日 三一万五九〇〇
昭和五三年年末
昭和五三年一二月八日 三六万八二〇〇
昭和五四年夏季
昭和五四年六月八日 三三万八五〇〇
昭和五四年年末
昭和五四年一二月七日 三七万一三〇〇
(三) したがって、原告が被告会社から受ける各年の賃金合計額(毎月の基準給料額及び夏季・年末各一時金の合計額)は、少なくとも、次に記載するとおりの金額となる。(ただし、昭和五五年分は、同年一月ないし三月分の基準給料合計額。)
昭和四八年 金五六万六〇〇〇円
昭和四九年 金一六二万一六〇〇円
昭和五〇年 金二〇一万六九〇〇円
昭和五一年 金二一一万〇六〇〇円
昭和五二年 金二一八万一三〇〇円
昭和五三年 金二二六万六三〇〇円
昭和五四年 金二三五万五三〇〇円
昭和五五年 金四一万五二〇〇円
(まとめ)
6 よって、原告は、被告に対し、雇用契約上の権利を有することの確認を求めるとともに、就業規則給与規定一一条に基づき疾病手当として、昭和五〇年分、同五一年分、同五三ないし五五年分については前記の各金額、同四八年分はうち金四三万六七〇〇円、同四九年分はうち金一一〇万二二四六円、同五二年分はうち金二〇五万〇一三六円の合計金一二七五万三三八二円及びこのうち昭和四八ないし同五四年分の疾病手当に対しては、それぞれの年の全賃金の履行期日後であるそれぞれ一二月二六日以降、同五五年分の疾病手当に対しては、一ないし三月分の賃金の履行期日後である同年三月二六日以降、各完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、更に昭和五五年四月以降毎月二五日限り疾病手当金一三万八四〇〇円の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因1、2及び5記載の事実は、すべて認める。(ただし、被告会社における原告の勤務成績は劣悪であり、原告に対する査定は最低査定となるべきものであるから、請求原因5記載の金額は原告の賃金の全額であり、原告は右金額を超える賃金請求権を有しないものである。)
請求原因3について、被告会社就業規則給与規定一一条がかつて原告主張の内容であったことは認めるが、右給与規定一一条は、原告欠勤当時既に改訂されて「会社が業務上と認めた傷病のため欠勤したときは基準給料合計額に相当する疾病手当を支給する。但し労働者災害補償保険法等により休業補償その他の補償を受けたときは、補賞額から控除する。」となっている。
請求原因4について、原告が右拇指腱鞘炎にかかったことにより昭和四八年八月三一日以降欠勤したことは認め、その余は否認する。原告の右拇指腱鞘炎は業務外の傷病である。また、仮に原告が頸肩腕症候群にかかっていたとしても(被告は右事実を争うものである。)、それは被告会社欠勤の後にかかったものであり、業務外の傷病である。
三 抗弁(地位確認請求について)
1 被告会社就業規則には次のような規定がある。
就業規則二五条 会社は社員が次の各号に該当するときは休職を命ずることができる。
1 省略
2 省略
3 業務外の傷病にて引続き欠勤一カ月以上に及んだとき
4 省略
同二六条 休職の期間は一年以内とし必要によりその期間を延長することがある。但し、業務外の傷病に対しては健康保険法の定める傷病手当金の支給期間が満了したとき
同二九条 会社は社員が次の各号の一に該当するときは三〇日前に予告するか又は三〇日分の平均給与を支給して解雇することができる。
1 省略
2 休職期間満了したとき
3 省略
2(一) 原告は、業務外の傷病である右拇指腱鞘炎にかかったことにより、昭和四八年八月三一日以降欠勤した。被告会社は、同年一〇月一日、就業規則二五条三号により原告に休職を命じた。
(二) 原告は、同年九月八日から健康保険法による傷病手当金の支給を受けていたところ、同四九年三月七日、同法四七条による傷病手当金の支給期間である六カ月が経過した。被告会社は、就業規則二六条但書に定める休職期間が満了したことを理由として、就業規則二九条二号により、昭和四九年三月一四日に原告のもとに到達した書面で、原告に対し、同日付をもって原告を解雇する旨の意思表示をした。
3 原告の前記右拇指腱鞘炎が業務外の傷病であることは、次のことにより明らかである。
(一) 腱鞘炎は元来家事労働に専ら従事する家庭婦人にもよく起こる疾病であるが、特に出産前後においては、ホルモン分泌の異常、出産による体力消耗、育児などの家事負担等により、多発する。原告の発症時期も出産直後であることに照らせば、原告の腱鞘炎は育児等の家事労働により引き起こされたものと解すべきである。
(二) 腱鞘炎が、業務、家事労働の際の筋・腱の酷使に起因するものであれば、筋・腱を休め局部注射等の治療を施せば、通常、比較的短時間のうちに治癒に至る。原告の疾病が欠勤以降半年以上を経ても治癒に至っていないことは、原告の腱鞘炎の原因が被告会社における業務以外のところにあって欠勤中も発症原因が取除かれていないことを明白に示すものである。
(三) 原告の健康保険法による傷病手当金請求に対し、原告の主治医である大田病院上畑鉄之丞医師は、原告の腱鞘炎の発病原因につき「不詳」である旨証明している。右傷病手当金は業務に起因する疾病には給付されないものであって発病原因につき虚偽記載を行うことは国から右手当金を騙取する違法行為となることに照せば、上畑医師による右証明は信用すべきものといわねばならない。
(四) 原告の腱鞘炎は、前記大田病院整形外科澤田医師の診断によれば、右長拇指外転筋腱鞘炎である。しかしながら、字を書く作業において最も重要でかつ常に行われるのはペンを握る動作であって、このとき関与するのは長拇指屈筋である。したがって、仮に原告がボールペン手書き作業によって腱鞘炎にかかったとすれば、その腱鞘炎は長拇指屈筋に発症しなければならない。しかるに、原告の腱鞘炎は長拇指外転筋に発症したというのであるから、原告の右腱鞘炎はボールペン手書き作業とは全く関係のない業務外の原因によって生じたものというべきである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁事実のうち、原告のかかった右拇指腱鞘炎が業務外の傷病であるとの主張(抗弁2(一)及び同3記載)は否認し、その余の事実は認める。
2 原告の、昭和四八年八月三一日以降の欠勤の原因となった疾病である右拇指腱鞘炎及び頸肩腕症候群(以下両者を総称して「本件疾病」ということがある。)は、業務上の疾病である。したがって、(一)被告会社が原告に対して行った休職処分は、就業規則二五条三号に定める要件を欠くものであるから、無効であり、右休職処分を前提としてなされた原告に対する解雇の意思表示も、その効力を有しない。(二)また、右解雇の意思表示は、業務上の疾病の療養のために休業していた期間中にされたことになるから、労働基準法一九条一項に違反し無効である。
3 原告の本件疾病がその従事していた業務に起因するものであることは、次に述べるところから明らかである。
(一) 原告が従事していた業務の内容と原告の健康状態
原告の従事していた作業の内容及びその推移と原告の本件疾病の発生、悪化、快復及び再発の経過とは、次に述べるとおり全く符合している。
(1) 原告は、昭和三七年六月から昭和四一年五月ころまでの間、被告会社の通信販売上の顧客である会員(以下「会員」という。)にダイレクトメール、注文品などを郵送するため、ステンシルカードと呼ばれる謄写用原紙に会員の宛名などをタイプ打ちする作業に従事し、昭和四一年六月ころから昭和四二年一二月までの間、社内配布用の文書にタイプ打ちする作業に従事した。しかし、以上の期間、原告は、全く健康であった。
(2) 原告の作業内容は、昭和四三年一月ころから昭和四五年初めまでの間、前記(1)に述べたと同じく、ステンシルカードのタイプ打ちの作業が主であったが、それ以外に同じく会員の宛名を謄写する原紙であるIBMカードのタイプ打ちの作業をも行った。この作業は、活字が裏返しになっている機種のタイプライター(第一タイプ逆字宛名打ちという。)を使用しなければならないため、目とか神経が疲れ易いものであった。そして、原告は、このころから、肩の凝りや頭痛、更に終業時間近くになると、目がかすむとか螢光灯が二重に見えるなどの自覚症状を覚え、視力も低下してきた。そのため、原告は、眼鏡を買い求めたり、休憩時間等に、同僚と肩を叩き合ったり、マッサージをしたりなどした。
(3) 原告は、昭和四五年初めから昭和四七年一月ころまでの間、ステンシルカード、IBMカードにタイプや手書きで記載された会員の宛名に誤りがないか否かをチェックする校正の作業に従事したほか、その作業の合間にはIBMカードの手書き作業をも行った。この作業の内容は、IBMカードというノートの表紙位の厚さの紙の下にデュプロカーボン紙を敷き、IBMカードの上からボールペンで会員の宛名を書いて、デュプロカーボン紙の粉をIBMカードに付着させ、このカードを謄写に利用するものである。この作業は、初めタイプで打っていたけれども、タイプでは謄写用に長持ちしないという理由で、このころから次第に手書きで行うようになった。そして、この作業は、IBMカードが厚いため文字を記すのに手に力を入れなければならず、手首にかなり大きな負担がかかるものであった。しかし、原告の作業は、右に述べたとおり、校正が主であったため、比較的楽で、前項に述べたような症状は現われなかった。
(4) 原告は、昭和四七年二月から同年五月ころまでの間、前項で述べたのと同じIBMカードの宛名書きの作業に従事(筆耕担当)し、同年六月ころから同年一一月までは、そのほかにラベルの宛名書きの作業をも行い、右の両時期を通じて宛名書きの作業がないときは、校正の作業を手伝っていた。ラベルというのは、会員に商品のカタログ、見本などを郵送する際、その包装紙の上に宛名を書いて貼る紙のことである。原告は、前項の校正担当から筆耕担当に変って一ケ月位経ったころから、手首の痛みや肩の凝りという症状を感じるようになった。ところで、管理課タイプ係には、主任を除き八人の従業員がいたが、タイプを打つ従業員は、そのうち二人だけで、筆耕が五人、校正が一人という構成であった。そして、筆耕担当者五人のうち、タイプ係に所属して間のない二人を除いた三人は、誰もが手首の痛み、肩の凝りといった症状を訴えていたのである。なお、職場には、トクホン等が備え付けられており、筆耕やタイプ打ちに従事していた従業員は、よくこれを利用していた。
(5) 原告は、昭和四七年一一月一三日から、出産のため休暇に入り、同年一二月二五日に、長女(第一子)を出産し、その後昭和四八年三月末日まで、産後の休暇をとった。原告は、産前のころまでは肩の凝りが残っていたが、産後の休暇中にはこれもなくなった。
(6) 原告は、昭和四八年四月から同年八月末日までの間、筆耕担当者として、前記(4)で述べたIBMカードの手書きの作業を中心に、そのほかラベル書きや校正の作業にも従事した。ところで、原告は前項の産後の休暇明け後一ケ月半位を経た同年五月半ばころから、再び右手首が痛むようになり、同年六月には、午後四時ころになると、手首のうち右拇指の付根から拇指の先にかけた部分が痛み、備え付けの鎮痛剤アンメルツを右の痛みの箇所や右腕に塗布しながら、ボールペンによる手書きの作業に従事していた。同年七月ころからは、週末に近い木曜日とか金曜日になると、すでに始業前から右手首の拇指の付根部分等が痛んで力が入らず、ボールペンによる手書きの作業は辛く、アンメルツやシルバーエム(はり薬)、携帯用の鍼等を常用しながら作業をしていた。更に、同年八月になってからは、起床後肩や背中の痛む日が続き、右拇指の痛みは一層激しくなり、包丁を使って芋の皮をむくこともできない有様であった。そこで、原告は、職場においては、主任に対して手首の痛いことを訴えていたが、何らの措置もとられず、相変らずボールペンによる手書きの作業に従事させられた。当時、原告は、右拇指の痛みのためIBMカードをつい薄く書いてしまって、主任に注意されたこともあり、また、右拇指の付根に力を入れると、腕から肩にかけて電撃様の痛みの走ることもあった。このようにして、原告は、右拇指、手首の痛みが激しくなり、作業もできなくなったので、同年八月三一日以降、被告会社にその旨を告げて欠勤し、同日、慶応病院整形外科において診察を受けたところ、右拇指腱鞘炎にかかっているとの診断を受け、更に、同年九月五日、大田病院(東京都大田区大森東四丁目四番一四号所在)の医師上畑鉄之丞からも、同様の診断を受け、同月八日、同医師作成の同月五日付診断書を被告会社に提出して、療養生活に入ったのである。
(二) 原告の主治医の診断意見
原告の主治医である前記上畑鉄之丞医師は、原告は昭和四八年九月五日の初診時の段階から右拇指腱鞘炎及び頸肩腕症候群にかかっていたものである旨診断している。同医師が初診時に行った諸検査の結果によっても、原告の右症状について業務以外の原因は認められていないのであって、同医師の診断意見書は、原告の本件疾病発症の直接の原因は原告が産休明け後の同年四月から八月にかけてボールペン作業に従事したことに求めることができると指摘している。
(三) 品川労働基準監督署長の業務上認定
原告は、昭和四九年一月二六日、品川労働基準監督署長に対して労働者災害補償保険法に基づく保険給付の申請を行い、同署長は、同年六月一三日、右保険給付の支給決定を行っている。
(四) 同じ職場の労働者の頸肩腕症候群
原告と同じ職場である管理課タイプ係には、従業員が常時八人前後いたが、昭和四八年八月末の筆耕担当者は、原告のほか、小林フミエ、上原淑子、アルバイトの国井栄子の四人であった。このうち、原告、上原淑子、小林フミエの三人は、頸肩腕症候群にかかっている。上原淑子、小林フミエは、原告と同じくボールペンによる手書き作業に相当期間従事したため、右疾病にかかったものであって、右両名とも品川労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険法に基づく保険給付の申請を行い、上原淑子は、昭和四九年八月二八日に、小林フミエは、同年一一月一八日に右保険給付の支給決定を受けている。更に、小林朝子は、昭和四〇年六月から昭和四六年九月までの約六年三か月の間、タイプ打ち作業に従事し、その後同年一〇月以降主に校正の作業を担当していたものであるが、昭和四三年ころから、肩凝り、手指の痛みや頭痛がはじまり、その後これら症状が次第に悪化し、昭和四六年九月には、激しい肩の凝りと痛みや、指の付根部分から先にかけての痛み(特に右腕)を覚える状態になり、遂には右手が震え出して、タイプ打ち作業をすることができなくなったのみならず、日常生活においてハンドバックを持つことさえもできなくなり、同月末ころ、鬼子母神病院において頸肩腕症候群の診断を受けた。そこで、小林朝子は、タイプ係から校正係に担当替えになり、その後、症状は軽くはなったが、校正の作業でも上肢、手指は常に使用するし、また、校正の暇なときには筆耕(ボールペンによる封筒やラベルの宛名書き)もしなければならなかったため、その量の多いときには、背中や肩の痛みを激しく感じるという状態であった。そして、昭和五〇年二月一日、品川労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険法に基づく保険給付の申請をし、同年七月二一日に右給付の支給決定を受けた。
(五) 被告会社における作業環境
被告会社において原告が作業に従事していた部屋には、印刷機、タイプライター及びクーラーが置かれていて、隣りの席の者と話すにも大声を出さねばならないほどの騒音であった。被告会社には運動する場所や娯楽室もなく、休養室は常に施錠されていた。更に、原告に対しては、被告会社管理職による日常的な監視・いやがらせが行われていた。右のような劣悪な作業環境が、原告に精神的疲労を与え、本件疾病発生の一因となったものである。
五 原告の右主張(四3記載)に対する被告の認否及び反論
被告は、原告が頸肩腕症候群にかかっていたこと自体に疑問を抱くものである。原告の業務の内容からみて、原告がその業務に起因して腱鞘炎ないし頸肩腕症候群にかかるなどということはありえない。
1 原告の主張(一)(原告が従事していた業務の内容と原告の健康状態)について
(一) その(1)の事実のうち、原告の従事した昭和三七年六月から昭和四二年一二月までの業務の内容が、原告主張のとおりであることを認める。
(二) 同(2)の事実のうち、原告の業務の内容についての主張は否認する。原告がタイプ打ちの作業をしていたのは、昭和四三年三月末までであり、昭和四三年四月から昭和四七年二月までの間は校正の作業を専門に行なっている。当時、原告がその主張のような症状にあったことは知らない。
(三) 同(3)の事実のうち、原告が昭和四五年初めから昭和四七年一月ころまでステンシルカード、IBMカードにタイプや手書きで記載された会員の宛名に誤りがないか否かをチェックする校正の作業に従事していたことは認める。しかし、原告が校正の作業の合間にIBMカードの手書き作業を行っていたことは否認する。この期間中、原告は、校正の作業を専門に行っていたものである。更に、IBMカードの手書き作業の方法及び右カードが厚いため、文字を記す際手に力を入れなければならず、手首に大きな負担がかかることは否認する。
(四) 同(4)の事実のうち、ラベルの形態、用途が原告の主張のようなものであること、及び、管理課タイプ係には、主任を除き八名の従業員がいたことは認めるが、その余の点は否認する。原告の昭和四七年三月から同年一一月までの作業は、校正が主であって、その合間にラベル書きをも行っていたが、IBMカード書きの作業は、月に僅か数時間の手伝い程度にすぎなかった。
(五) 同(5)の事実のうち、原告が昭和四七年一一月一三日以降出産のため休暇に入り、同年一二月二五日に長女(第一子)を出産し、昭和四八年三月末日まで産後の休暇をとったことは認める。その余の点は知らない。
(六) 同(6)の事実のうち、原告が昭和四八年四月から同年八月末日までの間筆耕担当者としてIBMカードの手書き作業を中心に、そのほかラベル書きや校正の作業にも従事していたこと、同年八月三一日から右拇指腱鞘炎罹患を理由に欠勤したこと、同年九月八日に医師上畑鉄之丞作成の診断書を被告会社に提出したことは認める。被告会社にアンメルツの備え付けがあること、原告がアンメルツやシルバーエム、携帯用の鍼を常用しながら作業をしていたこと、原告が職場で主任に対して手首の痛いことを訴えていたことは否認する。その余の点は知らない。
2 原告の主張(二)(原告の主治医の診断意見)について
原告主張の事実は、知らない。
原告が昭和四八年八月三一日慶応病院において診断を受けた際の病名は右拇指腱鞘炎のみであるほか、原告が欠勤のはじめに提出した上畑医師作成の診断書にも病名としては右拇指腱鞘炎のみが記載されているものであって頸肩腕症候群とは診断されていない。原告は長期欠勤以後初めて、頸肩腕症候群という病名を主張し、右病名の記載された診断書を提出しているが、頸肩腕症候群が腱鞘炎と明らかに別個の疾病である以上、原告が仮に頸肩腕症候群にかかっていたとしてもそれは欠勤以後すなわち被告会社での業務に従事していない時期に発症したものであるから業務上の疾病ということはできない。
上畑医師が原告の疾病につきいかなる理由に基づき頸肩腕症候群と診断したのかは不明であるが、上畑医師が原告に対しレントゲン撮影を行っていないことは、診療録の記載に照し、明らかである。患者が肩凝り、肩筋硬結等の症状を示している場合には、まずレントゲン撮影により頸椎可動性の検査を行って、椎間板ヘルニア、頸部変形症、頸部椎間板症等の有無を確認するのが当然である。しかるに、上畑医師は右検査を行っていないのであるから、原告の疾病を頸肩腕症候群とする同医師の診断は根拠を欠くものである。
3 原告の主張(三)(品川労働基準監督署長の業務上認定)について
原告主張の事実は、知らない。
しかし、仮に原告主張のような給付決定が存在しているとしても、それをもって、原告の疾病を業務に起因するものということはできない。
4 原告の主張(四)(同じ職場の労働者の頸肩腕症候群)について
管理課タイプ係に労働者が平均八人前後いたこと、昭和四八年八月末日の時点におけるタイプ係の筆耕担当者が原告の他小林フミエ、上原淑子、アルバイトの国井栄子の合計四人であったこと、小林朝子が昭和四〇年六月からタイプ打ちに従事し(但しタイプ打ちに従事したのは昭和四七年二月までである。)その後校正を担当していたこと及び同人をタイプ係から校正係に担当替えしたことは認めるが、その余の事実は知らない。
5 原告の主張(五)(被告会社における作業環境)について
原告が作業に従事していた部屋に印刷機、タイプライター及びクーラーが置かれていたこと並びに被告会社に娯楽室がないことは認めるが、その余の事実は否認する。作業環境については、品川労働基準監督署が昭和四九年五月二日に本件以外の件で調査を行った際の測定によっても、騒音六〇ホン、照度六一六ルクス、気積二一立方メートル(タイプ宛名係については三三立方メートル)で全く問題となるところはない。被告会社は従業員が一八〇名の小規模であるため娯楽室こそないが、社屋屋上をスポーツ、リクリエーション用に開放しており、休養室も休憩時間中は常に利用できる状態にしてある(施錠するのは就業時間中のみである。)。
6 頸肩腕症候群は、特定の業務に従事することによってのみ発症する(その結果、その疾病にかかれば当然に業務起因性を推定される)特異性疾病とは異なり、男女別、年齢別を問わず(更に就業者、無職者を問わず)ひろく発症をみる一般病であり、その症状も発症原因如何によって異なることがない非特異性疾病である。頸肩腕症候群の発症原因としては、医学上、極めて多数の疾病・非疾病要因が認められているのであるが、婦人の場合には、日常生活のなかでの編みもの、和洋裁、タイル拭き、台所仕事等も原因となりうるものとされている。
7 頸肩腕症候群に関しては、労働省労働基準局長昭和五〇年二月五日通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(基発第五九号)が、職業病認定の行政基準として存在するが、原告の疾病は、右通達に照しても、業務に起因するものと認めることができない。
(一) 右通達及びその解説は、頸肩腕症候群についてそれが業務上の疾病であると認定すべき基準として、いくつかの要件を掲げているものであるが、そのうちには、(1)その症状が当該業務以外の原因(外傷及び先天性奇形による場合、関節リウマチ及びその類似疾病等八項目の疾病による場合)によるものではないと認められること、(2)上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業を主とする業務に相当期間(一般的には六カ月程度以上)従事した労働者であること、(3)業務量が同種の他の労働者と比較して過重であるか又は業務量に大きな波のあることが掲げられており、更に、右解説は、(4)個々の症例に応じて適切な治療を行えば、おおむね三カ月程度でその症状は消滅するものと考えられるから、三カ月を経過してもなお順調に症状が軽快しない場合には、他の疾病を疑う必要があることを指摘している。
(二) 原告の疾病に関しては、前記通達の解説の定める各種のテストが行われて当該症状が業務以外の原因に起因する可能性が排除されたと認めるに足りる資料はない。
(三) 原告は、昭和四八年八月三一日以降の欠勤の前には、暦日の上でも五カ月程度しか就労しておらず、更にその間欠勤など不就労日が多く、また就労した日であっても欠時が多いのであって、実質的な業務従事期間の点で、前記通達及びその解説の定める要件に遠く及ばない。
(四) 原告の業務量もまた、前記通達及びその解説の定める要件に及ばない。
被告会社では標準作業量(平均的な従業員に対して期待されている作業量)として、IBMカード一日(七時間)あたり二三〇枚(一時間あたり三五枚)、ラベル・封筒一日(七時間)あたり三一五枚(一時間あたり五〇枚)と定めているが、右標準作業量は、他の企業における同種労働者の作業数量を参考にして、それよりやや低めに設定した数値である。しかるに、原告の作業量は、昭和四八年四月以降、一日平均して、IBMカード一二七枚(標準作業量の五〇%)ラベル・封筒八九枚(同じく二八%)と、標準作業量を大きく下まわっている。(これは、原告に仕事に対する熱意がなく動作緩慢で非能率であるうえ、一日のうち一定時間は必ず校正業務に従事させているためである。)また、昭和四八年四月から八月までの原告のIBMカード、ラベル・封筒の一日の作業量は、一日たりとも標準作業量に達していない。更に、原告は、会社業務がいかに繁忙であっても残業をすることもなく、常に自己のペースで作業を行っているもので、被告会社も、筆耕作業が多いときは従業員に負担がかからないように外注に出しているのである。
(五) 原告の疾病は、欠勤して業務を離れ治療に入った後、三カ月はおろか六カ月以上経過しても治癒に至っていない。これは、まさに、前記通達及びその解説のいう「他の疾病を疑う必要がある」場合に該当するものである。
六 再抗弁
本件解雇処分は、原告が労働組合の組合員であり、かつ、組合結成以来いわゆる職場の中心的活動家であったことを嫌悪して、原告を職場から排除するため、休職期間の満了に藉口してなしたものであるから、労働組合法七条一号の差別待遇に該当し、不当労働行為として無効である。
七 再抗弁に対する認否
再抗弁については、争う。
第三証拠(略)
理由
第一地位確認請求について
請求原因1、2記載の事実は、当事者間に争いがない。
抗弁1、2記載の事実については、原告のかかった右拇指腱鞘炎が業務外の傷病であるとの点を除き、当事者間に争いがない。被告主張の本件解雇処分の効力はその前提となる本件休職処分の効力の如何にかかるものであるが、右休職処分の効力は原告の昭和四八年八月三一日以降の欠勤が業務外の傷病に基づくものであるか否かにかかる。被告は右欠勤の原因となった原告の疾病は業務外の傷病であると主張し、原告は右疾病は業務に起因するものであると主張してこれを争うので、まず、この点について検討する。
(事実関係)
一 原告の被告会社欠勤に至る経緯
原告が、昭和三七年五月二三日、被告会社の前身であるヴンチレックス・エヌ・ヴィー日本支社に和文タイピストとして雇用され、同年六月から昭和四一年五月ころまでの間ステンシルカードにタイプ打ちする作業に従事し、同年六月から昭和四二年一二月までの間社内配布用文書をタイプ打ちする作業に従事したこと、昭和四三年一月から同年三月末までの間タイプ打ち作業に従事したこと、昭和四五年初めから昭和四七年一月ころまでの間校正の作業に従事したこと、同年一一月三日以降出産のため休暇に入り、同年一二月二五日に長女を出産し、昭和四八年三月末日まで産後の休暇をとったこと、同年四月から八月末日までの間筆耕担当者としてIBMカードの手書き作業を中心にラベル書きや校正の作業にも従事したこと、同年八月三一日から右拇指腱鞘炎にかかったことを理由に被告会社を欠勤し同年九月八日に医師上畑鉄之丞作成の診断書を被告会社に提出したことの各事実は、当事者間に争いがない。
当事者間に争いのない右各事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。(証拠判断略)、他にその認定を覆すに足りる証拠はない。
1 原告は、昭和三七年五月二三日、被告会社の前身であるヴンチレックス・エヌ・ヴィー日本支社に和文タイピストとして雇用され、同年六月から昭和四一年五月ころまでの間、会員にダイレクトメール、注文品などを郵送するため、ステンシルカードと呼ばれる謄写用原紙に会員の宛名などをタイプ打ちする作業に従事し、同年六月ころから昭和四二年一二月までの間、主として社内配布文書のタイプ打ちの作業に従事するかたわらタイプ等に誤りがないか否かをチェックする校正の作業や前同様のステンシルカードのタイプ打ちの作業等をも行っていた。
昭和三七年六月から昭和四二年一二月までの間における原告の健康状態は、格別異常なところはなく、むしろ良好であった。
2 原告は、昭和四三年一月ころから昭和四五年一月ころまでの間、前同様のステンシルカードのタイプ打ちの作業に主として従事したが、それ以外に同じく会員の宛名を謄写する原紙であるIBMカードのタイプ打ちの作業をも行った。
原告は、昭和四三年一月ころから昭和四五年一月ころまでの間、肩の凝りや頭痛、更に終業時刻近くになると目がかすむといった自覚症状を覚えた。
3 原告は、昭和四五年一月ころから昭和四七年一月までの間、ステンシルカード、IBMカードにタイプや手書きで記載された会員の宛名に誤りがないか否かをチェックする校正の作業に主として従事したが、右校正作業の合間にはIBMカードの手書き作業を行った。
昭和四五年一月ころから昭和四七年一月までの間は、原告は、前記肩凝り、頭痛等の症状を感じなかった。
4 原告は、昭和四七年二月から同年五月ころまでの間、筆耕担当者としてIBMカードの手書きの作業に従事し、同年六月ころから同年一一月までは、そのほかラベルの宛名書きの作業(ラベルというのは、顧客にカタログ、見本品等を郵送する際、包装紙の上に宛名を記載して貼布する紙のことである。)をも行い、右の両時期を通じて宛名書きの作業がないときは、校正の作業を行っていた。
原告は、筆耕担当に変ってのち一ケ月位経過した同年三月ころから、手首の痛みや肩の凝りを感じるようになった。
5 原告は、昭和四七年一一月一三日から、出産のため休暇に入り、同年一二月二五日に、長女(第一子)を出産し、その後昭和四八年三月末日まで、産後の休暇をとった。
原告は、産前までは肩凝りの症状を感じていたが、産後の休暇中にはこれもなくなり、そのほか別段異常な症状は感じなかった。
なお、右の時期における育児・家事については、原告の姉妹が一日おきに二一日間昼間に手伝いに来てくれたほかは、原告がこれを行っていた。
6 原告は、昭和四八年四月から同年八月までの間、筆耕担当者として、IBMカードの手書き作業を中心として、そのほかラベル書き、校正の作業にも従事した。
原告は、右の時期、長女を保育園に預けて被告会社での作業に従事していたものであるが、育児のため、終業時刻より一時間早い午後四時三〇分に退社して、家庭での育児・家事労働に従事していた。なお、この間、同年六月二九日から同年七月一三日までの間、原告は、流産(当時妊娠二カ月)のため被告会社を欠勤している。
原告は、前記産後の休暇後一カ月半位を経た同年五月半ばころから再び手首の痛みを感じるようになり、同年六月ころになると、午後四時ころ以降右拇指の付根部分に激しい痛みを覚えるようになり、職場に備え付けの鎮痛剤アンメルツを手首や腕に塗布しながら作業をしていた。同年七月ころには、週末に近い木曜日や金曜日になると、すでに始業前から手首の痛みを感じて力が入らなくなり、アンメルツや携帯用の鍼等を用いながら、ボールペンによる手書き作業に従事していた。同年八月になると、起床するとすぐ肩や背部の痛む日が続き、右拇指の痛みは一層激しくなり、包丁を使用して芋の皮をむくこともできない状態で、右拇指の付根に力を入れると腕から肩にかけて電撃様の痛みが走った。
原告は、右のように拇指、手首の痛みが激しくなったので、同年八月三一日以降、被告会社を欠勤し、同日、慶応病院整形外科で診察を受けたところ、右拇指腱鞘炎にかかっているとの診断を受けた。原告は、更に、同年九月五日、大田病院(東京都大田区大森東四丁目四番一四号所在)の医師上畑鉄之丞からも同様の診断を受け、同月八日、同医師作成の診断書を被告会社に提出して、療養生活に入った。
二 被告会社における原告の作業内容
(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 原告が昭和三七年六月から昭和四八年八月末日まで被告会社において従事した作業は、前記一記載のとおりである。ステンシルカード及びIBMカードというのは、前記認定のとおりいずれも会員にダイレクトメール、注文品などを郵送する際に会員の宛名印刷に用いる謄写用原紙であり、初めはタイプを用いて会員の住所、氏名、会員番号を記載する作業がなされていたが、このうち、IBMカードのタイプ打ち作業には、活字が裏返しになっている機種のタイプライター(第一タイプ逆字宛名打ちという。)が使用されていた。ラベルというのは、顧客にカタログ、見本品等を郵送する際に包装紙の上に貼布する紙であり、宛名書き作業は、ボールペンを用いて(通常の筆記方法によって)顧客の住所、氏名をラベル上に記載してなされていた。IBMカードについては、前記のように初めはタイプを用いて作業がなされていたのであるが、タイプでは謄写用に長持ちしないという理由で、昭和四五年一月ころから次第にボールペンを用いた手書き作業により行われるようになった。(タイプの場合は、約三〇回の使用にとどまるのに対し、手書きの場合は四〇ないし五〇回の使用が可能である。)IBMカード手書き作業の内容は、IBMカードという大学ノートの表紙位の厚さの紙の下にデュプロカーボン紙を敷き、IBMカードの上からボールペンで会員の住所、氏名、会員番号を書くことによりデュプロカーボン紙の粉をIBMカードに付着させ、このカードを謄写に利用するもので、ボールペンを用いた通常の筆記作業に比べると、強度の筆圧を要する(実験により四〇〇ないし五〇〇グラムを要することが測定されていることが認められる。)作業である。
2 被告会社における就業時間は、毎週月曜から金曜までの五日間(土曜、日曜は休日である。)、午前九時から午後五時三〇分までであり、この間、午後零時から一時までと、同三時から三時一五分までが休憩時間である。なお、原告は、前記認定のとおり、昭和四八年四月から八月までの間終業時刻より一時間早い午後四時三〇分に退社していた。
被告会社における、IBMカード筆耕作業(ボールペン手書き)の標準作業量(平均的な従業員に対して期待されている作業量)は、一時間あたり三五枚、一日あたり二三〇枚であり、ラベル・封筒筆耕作業の標準作業量は、一時間あたり五〇枚、一日あたり三一五枚である。
3 昭和四七年七月から昭和四八年八月までの間、前記認定のとおり原告は、IBMカードの宛名書き(ボールペン手書き)、ラベル宛名書き及び校正の作業に従事していたものであるが、この間における、原告のIBMカード、ラベル宛名書き作業の一日平均作業量(枚)及び作業従事時間(時間)は、次のとおりである。(一日平均作業従事時間は、一日平均作業量を一時間あたりの標準作業量で除して算出したものである。)(編注=次ページの表)
三 大田病院における原告に対する診断及び治療
<省略>
(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 昭和四八年九月五日、原告が大田病院において診察を受けた際の主訴と所見は、次のとおりである。
問診に対する原告の回答によれば、同年八月ないし九月当時における原告の自覚症状として、右肩の凝り、右腕のだるさ、右手指の痛み及び目の疲れを常時感じ、長く続けて字を書くとつらく、ナイフや包丁で果物の皮をむきにくいことが常であり、また、右肩の痛み、右頸の凝り、だるさ、右背部のだるさ、痛み及び目のかすむことを時々感じ、ふとんのあげおろしがつらく、風呂でタオルをかたく絞れないことも時々あるという状態を訴えていた。
診察の結果は、原告には、右拇指手根部分の自発痛(自覚的な痛み)及び圧痛があり、両肩筋硬結が認められたが、頸椎可動性は良好、リウマチ反応は陰性、血沈は正常であって炎症の所見はなく、血液検査・尿検査でも貧血及び腎障害の所見はなく、背筋力四二キログラム、握力左右とも二三キログラムで右筋力がやや低下しているというものであった。
2 同病院の上畑鉄之丞医師は、以上の診察結果から、原告を右拇指腱鞘炎及び頸肩腕症候群にかかっているものと診断したが、症状の悪化している腱鞘炎の治療をまず行うべきであると判断し、同病院整形外科に、原告の右拇指腱鞘炎の治療を依頼した。
同病院整形外科の澤田実医師は、原告の腱鞘炎を、右長拇指外転筋腱鞘炎と診断し、同月中旬から、原告に対し、鎮痛剤、ステロイド、プレドニン等の局部注射などの治療を行った。
右治療を約一ケ月間継続した結果、同年一〇月中旬には、原告の右拇指手根部分の疼痛は軽快したが、右肩背部痛は持続していたため、上畑医師は、原告に対し、肩筋硬結に対する鍼・灸治療を併用することとした。
3 右治療後の原告の経過は良好であって、同年一二月下旬には半日勤務での職場復帰が可能な状態となり、昭和五〇年七月中旬には前記各症状はほとんど消失して、毎週一回水曜日に全日休業して治療を受け手指作業につくときは連続作業時間は一時間以内とし適度の休憩時間を設けることを配慮すれば、通常の勤務も可能な状態となった。
四 原告と同じ職場の従業員の健康状態
被告会社管理課タイプ係には従業員が平均八名前後いたこと及び昭和四八年八月末日の時点でのタイプ係の筆耕担当者が原告のほか小林フミエ、上原淑子、アルバイトの国井栄子の合計四名であった事実は、当事者間に争いがない。
(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 上原淑子は、昭和四七年六月以降、筆耕・校正の作業に従事してきたものであるが、同年九月ころから肩凝りが続き、昭和四九年一月ころには腕、肩、背部が痛むなどの症状があらわれ、同年三月一三日に前記大田病院で診察を受けたところ頸肩腕障害と診断され、その後通院して治療を受けている。
2 小林フミエは、昭和四七年七月末から、筆耕担当者としてIBMカード書き等の作業に従事していたものであるが、昭和四八年一月ころから肩凝り等が続き、同年一二月ころになると肩の痛み等の症状があらわれ、昭和四九年五月一五日には鉄砲洲・箱崎診療所において頸肩腕症候群との診断を受け、同年六月四日以降、毎週月・木曜日の午後早退して鍼・灸の治療を受けている。
3 小林(現在の姓は「畔柳」)朝子は、昭和四〇年六月から、管理課タイプ係においてステンシルカード等のタイプ打ちの作業に従事していたものであるが、昭和四六年九月ころから肩の凝りと痛みとの症状があらわれ、特に右拇指の付根部分から指先にかけて痛みを感じるようになり、遂には右手が震え出し、タイプ打ちの作業ができなくなったのみならず、日常生活においてハンドバックを持つことさえもできなくなり、同月末ころに鬼子母神病院で頸肩腕症候群の診断を受け、同年一〇月以降校正の担当に変更してもらったが、なおも肩の凝りと痛み、上腕、手指の痛み等の症状が続き、昭和四八年八月一七日には前記大田病院において頸肩腕障害との診断を受けた。
五 頸肩腕症候群・頸肩腕障害
(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 労働省労働基準局長昭和五〇年二月五日通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(基発第五九号)及びその解説によると、いわゆる「頸肩腕症候群」とは、種々の機序により後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり、こり、しびれ、痛みなどの不快感をおぼえ、他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛及び緊張若しくは硬結を認め、時には神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全などの症状をも伴うことのある症候群であると定義されている。
2 一方、日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会は、とかく誤解を招きやすい「頸肩腕症候群」「腱鞘炎」などという診断名は改めるべきであり、業務に基づく頸肩腕症候群を「上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業により神経・筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害である。」と定義し、これを「頸肩腕障害」と呼ぶことを提唱し、右障害には、従来の成書に見られる疾患(腱鞘炎、関節炎、斜角筋症候群など)も含まれるものとしている。
3 頸肩腕症候群・頸肩腕障害の病理、診断基準、症状、治療方法については、未だ十分に解明されているとは言いがたい段階にあり、発病因子の不明な症例も少なくないことから、なお、その診断、治療には多くの困難が存在している。
(業務起因性についての判断)
六 原告の疾病とその発病時期
前記認定の事実によれば、原告の疾病についてその診察にあたった上畑医師は、初診時においては診療録、診断書に病名を「右拇指腱鞘炎」と記載し、同医師から治療の依頼を受けた澤田医師も「右長拇指外転筋腱鞘炎」と診断しその治療を行っていたものである。更に(証拠略)によれば、上畑医師は、健康保険法による傷病手当金請求書の担当医師の意見欄に、原告の傷病名として昭和四八年一〇月一六日、同年一一月五日、同年一二月五日の各日付でいずれも「右拇指腱鞘炎」と記載していることが認められる。そして、他方、(証拠略)によれば、同年一二月二六日付診断書において初めて「頸肩腕症候群」の病名が記載され、その後の同四九年二月一三日付、同年九月四日付各診断意見書では病名として「右拇指腱鞘炎及び頸肩腕障害」と、同五〇年七月一四日付診断書では「頸肩腕障害・腱鞘炎」と記載されていることが認められる(この「頸肩腕障害」の記載は、腱鞘炎と併記されているところからみると、前記日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会の定義によるものではなく、頸肩腕症候群と同意義に用いられているものと解される。)。そこで、原告が欠勤するに至った当時原告がいかなる疾病にかかっていたのかが問題となる。
前記認定の事実によれば、原告は、昭和四八年五月ころから肩や背部の痛み、手首、右拇指の痛み等が発症し、大田病院の初診時においても、右拇指手根部分の自発痛及び圧痛が認められていたほか、自覚症状として、右肩の痛み、右頸部の凝り、だるさ、右背部のだるさ、痛み、目のかすむこと等が問診の際に訴えられており、また、他覚症状として両肩筋硬結が認められていたものであって、右拇指部の痛み以外の症状はいわゆる頸肩腕症候群の症状と一致するものと認められる。そして、(証拠略)によれば、原告の症状は初診当時から「右拇指腱鞘炎及び頸肩腕症候群」と診断名を付するのが正確であったが、上畑医師は、指根部の痛みがひどく症状の悪化していた右拇指腱鞘炎の治療を優先して行うべきであると判断し、整形外科に依頼してその治療を集中的に行ってもらうこととしたため、診療録、診断書の診断名を「右拇指腱鞘炎」と記載することになったこと、治療にあたった澤田医師も右のような治療依頼の趣旨から「右長拇指外転筋腱鞘炎」の診断名を付して専らその治療にあたったこと、その結果約一か月経過した一〇月中旬ころには腱鞘炎の症状は軽快したが、なお頸肩腕症候群の症状が強く残っていたのでその治療をも行うようになったこと(<証拠略>の診療録の一〇月一二日の欄には上畑医師が澤田医師に肩硬結について鍼治療を依頼している記載がある。)、また、診療録の傷病名欄には九月二六日付で「頸肩腕症候群」の病名が付されていることが認められる。
これらの事実によれば、原告は昭和五八年九月五日の大田病院の初診時以来、「腱鞘炎及び頸肩腕症候群」にかかっていたものと認めるのが相当である。
七 原告の疾病と業務との関係
1 (証拠略)によれば、腱鞘炎は日常の家事労働によっても発病する例が多く、中年以降の婦女子、特に産後の主婦に発病例が多いこと、また、頸肩腕症候群についても編みもの、和洋裁、タイル拭き、台所仕事等を原因として発病することがあることが、認められる。そして、前記認定の事実(一記載)によれば、原告は、昭和四七年一二月二五日に長女(第一子)を出産しその後昭和四八年三月末日まで産後の休暇をとったがこの間の育児・家事労働は姉妹の手助けはあるものの主として原告が担当していたこと(なお、長女出産前においても日常家事は主として原告が担当していたものと考えられる。)、休暇後四月から出勤していたが八月までの間終業時刻より一時間早い午後四時三〇分に退社して家庭での育児・家事労働に従事していたこと、同年六月下旬第二子を妊娠二カ月で流産していることが、それぞれ認められる。したがって、原告の本件疾病が、これらの育児・家事労働に起因するものであって、第一子出産ないし第二子懐胎を契機として発症するに至ったという可能性のあることを否定することはできない。
2 しかしながら、まず、前記一ないし四において認定した各事実を総合すると、次の(1)ないし(3)記載の各点を指摘することができる。
(1) 原告の従事してきた業務の内容とその従業期間中における健康状態とを概観すると、原告は、昭和三七年六月から昭和四五年一月までの間主としてタイプ打ち作業に、昭和四五年一月から昭和四七年一月までの間校正作業に、昭和四七年二月から同年一一月までの間IBMカード等の手書き作業等に、更に産休後の昭和四八年四月から同年八月までの間主としてIBMカードの手書き作業に、従事していたが、その間の作業はいずれも主として手首、手指を使用する作業であり、特にボールペンによるIBMカードの手書き作業は通常のボールペン筆記に比べてかなり強い四〇〇ないし五〇〇グラムの筆圧を要する作業で手首、手指にかなりの負担のかかるものであったと認めることができる。他方、この間における原告の健康状態は、昭和四二年一二月までの間は格別異常はなかったが、その後、特にIBMカード等の手書き作業に従事するようになってから肩凝り、頭痛等の自覚症状があらわれ、産休中はこれらの症状は消失していたが、産後の休暇明け後一ケ月半位経過した昭和四八年五月半ばころから手首、右拇指の痛み、肩、背部の痛み等の症状があらわれ、これが次第に増大していったため、原告は、同年八月三一日、慶応病院整形外科で診察を受けたところ、右拇指腱鞘炎との診断を受け、更にその後、同年九月五日以降、大田病院において診察、治療を受けているものであって、原告がIBMカード等の手書き作業に従事したことと症状の発生との間に関連をうかがわせるものがある。
(2) また、昭和四八年九月五日大田病院における初診時の所見は、「頸椎可動性良好、リウマチ反応陰性、血沈正常で炎症所見なし、血液検査尿検査では貧血及び腎障害の所見なし」、というものであり、右諸検査の結果では原告の作業以外で前記症状を発する可能性のある疾患は発見されていない。
(3) また、原告と同じ職場の管理課タイプ係で筆耕を担当していた従業員四名のうち原告を含めた三名までが頸肩腕症候群にかかっているとの診断を受けて通院して加療を受けており、以前タイプ係においてタイプ打ちの作業に従事していた小林朝子も同様の診断を受けて加療を受けている。
更に、(証拠略)によれば、(4)ボールペンを用いた複写伝票記入作業(三〇〇グラム程度の筆圧を要する作業)に二ないし四か月間従事したことにより頸肩腕症候群にかかった事例も相当例報告されていること、が認められる。
以上(1)ないし(4)記載の各事実は、原告の本件疾病が被告会社における業務に起因する可能性をも示唆するものであって、このような各事実の存在する本件においては、前記1のような可能性のあることだけから直ちに原告の本件疾病が業務外の事由により引き起されたものと推認することはできないものといわなければならないし、他に原告の疾病が業務外の事由により発病したことを認めるに足りる証拠はない。
3(一) もっとも、被告は、澤田医師による原告の本件疾病に対する診断病名が「右長拇指外転筋腱鞘炎」であったことを根拠として、長拇指外転筋はボールペン筆記作業の際に使用される筋ではなく、したがって、原告の疾病は業務外の原因によって生じたものであると主張する。
しかしながら、(証拠略)によれば、ボールペンの筆記作業は、長拇指屈筋が主体的に作用しているが、実際には外転、伸展、屈曲、対立運動の総合作用であり、そのために必要な筋肉が全部程度の違いはあっても作用していること(なお、長拇指外転筋の主な機能は、拇指の外転及び伸展に作用するものである)、複写伝票ボールペン記入作業における書字作業時には、右手第二背側骨間筋部、右指伸筋・短橈側手根伸筋部、右尺側手根屈筋部の各筋が協働していることが認められていることの各事実が認められる。そうであるとすれば、ボールペンの筆記作業は、各筋部の総合作用であり、そのためその筋部に作用する腱もまた必要に応じて協働することとなり、仮に被告主張のようにボールペンを握る動作において最も関与する筋が長拇指屈筋であるとしても、筆記作用が長拇指屈筋のみの作用によって行われるものでない以上、原告の従事した作業により長拇指外転筋腱鞘炎が発症する可能性を否定することはできないというべきである。
(二) また、(証拠略)によれば、上畑医師は健康保険法に基づく傷病手当請求書の担当医師の意見欄の発病の原因について「不詳」と記載していることが認められる。しかし、上畑証言によれば、同医師としては原告の本件疾病は業務に起因するものと判断していたが、患者の治療にあたってまずその生活条件を確保することが先決であり請求書に業務上の原因に基づくと記載したのでは傷病手当金の給付を受けることができなくなるため、慣行に従って原因不詳と記載したものであることが認められるから、前記記載をもって本件疾病と原告の従事した業務との関係を否定し本件疾病が業務外のものと認める資料とすることはできない(もっとも、右のように保険給付を受けるために真実と異なる記載をする上畑医師の疾病の発生原因に対する意見の記載態度に徴すると、同医師の診断意見書の業務上外の判断に関する意見は必ずしも全面的に信頼することができるものではないから、本件疾病と業務との関係を判断するにあたって同医師の意見を考慮に入れるのは相当でない。)。
(三) また、大田病院における原告に対する診断に際し頸椎のレントゲン検査が行われたかどうかについては、(証拠略)の診療録にその記載がないので疑問がないわけではない。しかし、仮にこれが行われていなかったとしても、そのことによって、原告の本件疾病と業務の関係が全く否定されるわけではなく、そのことにより積極的に本件疾病が業務以外の事由に起因するものと断定することはできない。
4 しかし、以下述べるとおり、前記2認定の原告の本件疾病について業務に起因する疾病である可能性を示唆する事実が存在することだけでは、いまだ、原告の本件疾病が被告会社における業務に起因すると積極的に認定することもできない。
(一) まず、原告の本件疾病について前記1のような可能性があることを否定することもできない。
(二) 更に、前記労働省労働基準局長昭和五〇年二月五日通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(基発第五九号)及びその解説(以下、両者を総称して「認定基準」という。)は、現在、職業病認定の行政上の基準とされているものであり、裁判所が業務上外の判断をするについても基準とするに足りるものと考えられるものであるが、(証拠略)によれば、右認定基準は、頸肩腕症候群について業務上の疾病と認定すべき基準として次の各点をあげている。
(1) 上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業を主とする業務に相当期間継続して従事した労働者であること
(2) 業務量が同種の他の労働者と比較して過重であるか又は業務量に大きな波のあること
(3) 頸肩腕症候群の症状(五1記載)のみられること
(4) その症状が当該業務以外の原因によるものでないと認められること
(5) 当該業務の継続によりその症状が持続するか又は増悪の傾向を示すこと
右(1)にいう「業務に相当期間継続して従事」することについては、「発症までの作業従事期間は、その作業内容によって異なり、必ずしも一様ではないが、一週間とか一〇日間という短期間ではなく、一般的には六カ月程度以上のものであること。」とされ、(4)の「業務以外の原因」としては(ア)頸・背部の脊椎、脊髄あるいは周辺軟部の腫瘍、(イ)頸・背部及び上肢の炎症性疾病、(ウ)関節リウマチ及びその類似疾病、(エ)頸・背部の脊椎、肩甲帯、及び上肢の退行変性による疾病、等八項目にわたる疾病が掲げられており、右業務外の原因に基づくか否かを判断するためのテストもまた掲げられている。また、(5)の当該業務の継続による症状の持続については、「いわゆる『頸肩腕症候群』の病訴の加工ないし固定の要因としては、筋緊張、精神的心理的緊張などの関与が考えられるので、個々の症例に応じて適切な療養(例えば薬物療法、理学療法、体操、作業上の配慮、生活指導、精神衛生面よりの助言・指導など)を行えば、おおむね三カ月程度でその症状は消退するものと考えられる。したがって、三カ月を経過してもなお順調に症状が軽快しない場合には、他の疾病を疑う必要があるので、鑑別診断のための適切な措置をとらなければならない。」とされている。
(三) これを、原告についてあてはめてみると、次のとおりである。
(1) 原告は昭和四七年一一月一三日から昭和四八年三月末日まで第一子出産に伴う産前産後の休暇をとっており、本件疾病発病前に継続して筆耕作業に従事した期間は同年四月から八月までの五カ月間足らずであり(なお、この間原告は、同年六月二九日から七月一三日まで、流産のため被告会社を欠勤しているので、実質的には約三カ月と約一カ月半である。)、前記認定のようにボールペンを用いた複写伝票記入作業に二ないし四カ月従事したことにより頸肩腕症候群にかかった事例もあることから右程度の作業従事期間しかないことをもって原告の本件疾病が被告会社の業務に従事したことにより発病した可能性を否定することはできないにしても、なお右程度の期間をもって積極的に業務に起因するものと認定するについて十分な作業従事期間があったものというには疑問がある。
(2) 昭和四七年七月から昭和四八年八月までの間の、原告の被告会社における一日平均の作業量は前記認定(二記載)のとおりである。これによれば、産休明けの昭和四八年四月以降、それ以前に比較して筆耕作業量が増加していることは認められるものの、被告会社における標準作業量との対比においては、昭和四八年四月以降であってもなお原告の作業量ははるかにこれを下回るものである。(もっとも、<人証略>によれば、被告会社の設定した標準作業量は過去における実績から割り出した数字というに過ぎず、これが作業従事者の健康管理という観点から適正なものであるかどうかについてはこれを肯認するに足りる証拠はないから、このことをもって直ちに原告の本件疾病が原告の従事した業務に起因することを否定することはできない。)また、黒田証言及び原告本人尋問の結果によれば、被告会社においては筆耕担当従業員に対し一定期間内(一時間または一日、一週間あたり)における業務達成量を義務づけることは行われておらず、原告ら筆耕担当の従業員は、各人の業務量が昇給、一時金支給等の際の査定に影響するという点を除けば、過重な筆耕作業量を強制されるといったことはなく、終業時刻以降に残業して筆耕作業に従事することもなかった(特に原告の場合には昭和四八年四月以降終業時刻より一時間早く退社していた。)ことが、認められる。そして、他に原告の作業量が過重なものであったかどうかについてこれを判断する的確な資料は見あたらない。したがって、原告の従事した業務量が原告の頸肩腕症候群発病の原因となったといいうるほど過重なものであったかどうかについては、なお疑問がある。
(3) 大田病院初診時における原告の所見は、前記(三1記載)のとおりであって、その際行われた検査だけからは本件疾病の症状を発する可能性のある疾患は発見されていないのであるが、右検査の際に、頸椎のレントゲン検査が行われたかどうかについては、前述のとおり、診療録にその記載がないため、なお疑問があるほか、当該症状が業務以外の原因に基づくか否かを判断するための方法として認定基準の掲げる各種のテストが行われたと認めるべき証拠はない。したがって、このことから直ちに原告の本件疾病が原告の従事した業務に起因することを否定することはできないとしても、業務以外の原因に基づくことの可能性を否定することもまたできない。
(4) 被告会社欠勤後(昭和四八年八月三一日以降)の原告の治療経過及び本件疾病の症状は、前記認定(三2、3記載)のとおりである。すなわち、同年九月中旬から右拇指腱鞘炎に対し局部注射等の治療を行い、同年一〇月中旬からは肩筋硬結に対する鍼・灸治療を併用したもので、右治療の結果、右拇指付根部分の疼痛は同年一〇月中旬に軽快し、その後その他の症状の経過も良好であるとはいえ、本件疾病の症状がほとんど消失したのは昭和五〇年七月中旬であって、全く業務を離れていたにもかかわらず、症状消失に至るまで欠勤以後約一年一〇カ月、鍼・灸を用いた治療開始以後約一年九カ月を要している(原告は右時点においてもなお、週一回全日を休業しての治療が必要であって、一時間以上の連続手指作業は困難な状態であった。)。したがって、なお、他の原因を疑う余地がないわけではない。
(四) 以上のとおり、原告の頸肩腕症候群について、前記認定基準に従って検討を加えた場合、これを業務上の疾病と認定することができるかどうかについては、なお、多分に疑問の余地がある。
もっとも、(証拠略)によれば、原告が、昭和四九年一月二六日、品川労働基準監督署長に対して労働者災害補償保険法に基づく保険給付の申請を行い、同署長は、同年六月一三日、原告の本件疾病を業務上のものと認めて右保険給付の支給決定を行ったことが認められる。しかし、右署長の業務上の認定は、行政庁として行政上の観点から判断したものにすぎないから、本件訴訟において当裁判所の判断をなんら拘束するものではない。
(五) 他に、原告の本件疾病が業務上の事由に基づくものと積極的に認めるに足りる証拠はない(なお、本件疾病と業務との関係を判断するにあたって、上畑医師の意見を考慮に入れるべきでないことは、既に述べたとおりである。)。
5 以上検討したところによれば、原告の本件疾病と業務との関係については、これを被告会社における業務以外の事由に起因すると認定することも、また被告会社における業務に起因するものと認定することもできないといわなければならない。
(結論)
八 右のとおり、原告の本件疾病についてはこれを業務外の疾病と認めることはできないのであるから、本件休職処分は、原告の本件疾病の原因についての判断を誤ってなされたものであって就業規則二五条三号に定める要件を欠き無効である。したがって、右休職処分が有効であることを前提としてなされた原告に対する本件解雇処分もまた無効であり、原告は被告に対し雇用契約上の地位を有するものといわねばならない。
第二金員請求について
原告は、本訴において、被告会社就業規則給与規定一一条(「業務上の疾病のため欠勤したときは基準給料合計額に相当する疾病手当を支給する。」)に基づく疾病手当の支払を被告に対し請求しているものである。
原告が右規定によって疾病手当の支払を受けるためには原告の欠勤が業務上の疾病に基づくものであることが必要であるところ、本件においては前記認定のとおり原告は欠勤直後である昭和四八年九月五日当時「腱鞘炎及び頸肩腕症候群」にかかっていたものである(第一の六記載)から、結局、原告の前記疾病手当請求が理由があるというには、右疾病が被告会社における業務に起因するものと積極的に認定されることが必要である。
しかしながら、前記第一の七で判断したように、原告の本件疾病については、これを積極的に業務上の疾病と認めることもまたできないのであるから、原告の被告に対する疾病手当の支払請求は、就業規則給与規定の定める要件を欠くものであって、理由がないものといわなければならない。
(なお、本件疾病が完治して原告が被告会社における通常勤務に就労可能となった時期以降の賃金については、被告会社が原告の従業員たる地位を否認してその就労を拒否していたため就労義務の履行ができなかったものであるから、原告はなお賃金請求権を失わないものと解するのが相当である。しかしながら、本訴における原告の金員請求は就業規則給与規定一一条に基づく疾病手当の支払を求めるものであるから、当裁判所は原告の右賃金請求権についての判断を行わない。)
第三結論
以上のとおり、原告の本訴請求は、原告が被告に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 越山安久 裁判官 星野雅紀 裁判官 三村量一)