東京地方裁判所 昭和51年(刑わ)5819号 判決 1978年8月22日
主文
被告人を罰金一万円に処する。
未決勾留日数中、その一日を金二、〇〇〇円に換算して右罰金額に満つるまでの分を、右刑に算入する。訴訟費用は、これを二分し、その一を被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五一年一一月七日午前一時前ころ、東京都杉並区浜田山四丁目三番一〇号都営第三住宅五号棟一号安藤邦彦方の、同人が看守する生垣等で囲まれた庭内に、木戸口から故なく侵入したものである。
(証拠の標目)(省略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し、刑法第二一条を適用して未決勾留日数中、その一日を金二、〇〇〇円に換算して右罰金額に満つるまでの分を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文によりその二分の一を被告人に負担させることとする。
(本件公訴事実のうち住居侵入の点について有無、軽犯罪法違反の点について無罪と判断した理由)
一 本件公訴事実とこれに対する弁護人らの主張の要旨
1 本件公訴事実
被告人は、
第一 安藤邦彦の住居をひそかにのぞき見る目的で、昭和五一年一一月七日午前一時ころ、東京都杉並区浜田山四丁目三番一〇号都営第三住宅五号棟一号右安藤邦彦方住居の、同人が看守する生垣等で囲つた庭内に、木戸口から故なく侵入した
第二 正当な理由がないのに、同時刻ころ、前記庭内において、前記安藤邦彦方住居内をひそかにのぞき見た
ものである。
2 弁護人らの主張の要旨
被告人は、昭和五一年一一月七日午前零時三〇分ころ、安藤邦彦方庭に木戸口から一、二歩立ち入つたことはあるが、これは妻敏子から安藤邦彦の妻宏子と話がしたいので呼んで来て欲しいと頼まれたため、同女を被告人方に招くべく呼びに行つたものであつて、安藤方住居内をのぞき見る目的はなく、また、のぞき見てもいない。そして、被告人方と安藤方とは近隣関係にあるうえ、内藤敏子と安藤宏子とは親密な間柄で、日常頻繁に往来し、時には深夜まで話し込むこともあつたほどであるから、被告人が前記のような目的で安藤方庭に立ち入つたことは、被害者である安藤夫婦の推定的承諾の範囲内の行為といえるし、仮に、その範囲を超える点があつたとしても、その目的、行為の態様からみて違法性はきわめて弱く、可罰性を欠くものである。
従つて、被告人は、住居侵入の点も軽犯罪法違反の点も無罪である。
二 当裁判所の判断
当裁判所は、本件公訴事実のうち第一の住居侵入の点については判示(罪となるべき事実)のように認定して有罪であると判断し、第二の軽犯罪法違反の点については無罪であると判断したが、その理由は、次のとおりである。
1 まず、本件における主な争点は、本件公訴事実と弁護人らの主張の要旨との対比からも明らかなように、被告人が安藤邦彦方(以下単に安藤方ともいう。)庭に立ち入つたのは同人方住居をひそかにのぞき見る目的をもつてであつたかどうか(住居侵入の点)、そして、被告人が同人方住居をひそかにのぞき見たかどうか(軽犯罪法違反の点)という事実認定上の問題であるが、本件の審理で取調べた証拠のうち主なものは、証人安藤邦彦(第三、第四回)、同安藤宏子(第五回)、同内藤敏子(第九、第一〇回)及び被告人(第八、第一三、第一四回)の公判調書中(各名下に該当公判回数を掲記、以下同じ。)の各供述部分、被告人の当公判廷における供述(以下、証拠の引用にあたつては、右に掲記したもの以外のものをも含めて、「当公判廷における供述」「公判調書中の供述部分」とも単に「供述」という。)並びに被告人の司法警察員に対する供述調書三通であるところ、安藤邦彦と安藤宏子は被害者側の、一方被告人と内藤敏子は被告人側のそれぞれ夫婦というきわめて親密で利害関係の一致する間柄にあつて、一般的に、供述内容を相談したり、調整したりすることが容易であるため、その虞れがあり、また、安藤邦彦においては、その供述内容からも、被告人の所属する日本共産党に対する反感が強いことが窺えるし、内藤敏子においては、その供述内容からも、思いつきで軽率な行動をすることがあることが窺えるのであつて、これらの事情に鑑みると、右各供述者、とりわけ証人安藤邦彦及び同内藤敏子の各供述の信憑性については、慎重な検討が必要であるといえる。
そこで、事実認定にあたつては、まず、実況見分調書等によつて、安藤方住居及びその付近の状況などいわゆる客観的とみられる事実を認定し、次いで、前記各証人や被告人の供述等によつて、被告人が安藤方庭に立ち入つた当時及びその後の状況などのうち、供述相互間に矛盾や相違がないために問題なく認められる事実を認定し、その後、これらの事実を基にして前記各証人や被告人の供述を検討しながら、争いのある事実についての認定をすることにする。
なお、被告人が安藤方住居をひそかにのぞき見たこと(軽犯罪法違反の点)が認定できるとすれば、被告人が同人方住居をひそかにのぞき見る目的で同人方庭に立ち入つたこと(住居侵入の点)は容易に認定できることになるので(もつとも、のぞき見たことが認定できないからといつて、当然にのぞき見る目的もなかつたということになるわけではない。)、判断の順序としては、前者の軽犯罪法違反の点を先にし、後者の住居侵入の点を後にする。
(一) 安藤方住居及びその付近の状況
証人重坂義人(第二回)及び同安藤宏子の各供述、司法警察員作成の実況見分調書四通によると、安藤方及びその付近の状況は、次のとおりであると認められる。
(1) 安藤方は、東京都杉並区浜田山四丁目三番一〇号都営第三住宅五号棟一号であり、そこは、人家の密集する閑静な住宅地内にある四世帯続きの二階建都営住宅の東端にある。
他方、被告人方も同じ都営住宅内にあつて、安藤方より南方へ二棟隔てた八号棟で、同人方とは近隣関係にあるといえる。
ところで、安藤方は、東、南、北の三方を幅員一・五ないし二メートルの道路で囲まれていて、一階には北側道路に面して西から便所、玄関、台所があり、その南に六畳居間、更にその南を二分して西側に風呂場、東側に三畳間があつて、その南は南北約三・九メートル、東西約三・五メートルの庭になつている。右六畳間には丸型蛍光灯が天井中央から下つており、同間と三畳間とはすりガラスの入つた戸三枚で間仕切りできるようになつているが、この戸は三枚とも風呂場の方へ寄せることができる。三畳間の庭側は縦一・七一メートル、横九〇センチメートルの引き違いガラス戸二枚があり、これらはいずれも五段に仕切られ、各段は縦約二九センチメートル、横約八二センチメートルのガラスが入つていて、最上段だけが透明ガラスで、他はいずれも曇りガラスであり、最上段ガラスの下部は三畳間床面から約一三九センチメートル、後記敷石から約一五センチメートルの高さにある。そして、右ガラス戸内側にピンク色の薄手のカーテンが引けるようになつている。
庭は、西及び南の二方は高さ約一・六メートルの生垣で、東は南方から生垣、少し間をおいて道路へ出る幅約九七センチメートル、高さ約八七センチメートルの蛇腹式木戸で囲まれている。庭の東南隅に三畳間ガラス戸から約二・二メートル隔てて、縦(南北)一・三六メートル、横(東西)一・六八メートル、高さ約一・九五メートルの物置があり、三畳間の庭側には厚さ約五センチメートル、幅約四、五〇センチメートルのコンクリート製敷石が敷かれている。
(2) 安藤方六畳間の豆電球だけを点灯した状態で、右敷石の上に立つて三畳間の東側ガラス戸最上段の透明ガラスから室内を見ると、昭和五一年一一月二〇日午後七時二〇分から同日午後七時五〇分の間の実況見分時では、顔をガラス戸から離すと室内の状況は全く見えないが、顔をガラス戸につけて一分位して目がなれてくると、六畳間内の、ガラス戸から約四・八メートル離れたところにいる人の状況がうつすらと透視でき、逆に室内の同地点からも庭側にいる人がうす黒く透視確認でき、また、同年一二月一日午後一一時三〇分から翌二日午前一時三〇分までの間の実況見分時には、透明ガラスに目を当てるようにして見るとやはり約四メートル前方の室内での人の動作が確認できる程度に透視できた。
(二) 被告人が安藤方庭に立ち入つた当時及びその後の状況のうち問題なく認定できる事実
証人安藤邦彦、同安藤宏子、同内藤敏子及び被告人の各供述並びに被告人の司法警察員に対する昭和五一年一一月一五日付(一)供述調書のうち、各証拠間に矛盾や相違がなく、その供述の信憑性の検討を特にすることなく採用できる部分や、司法警察員作成の同月一二日付及び同年一二月二日付各実況見分調書によると、被告人が安藤方庭に立ち入つた当時及びその後の状況のうち問題なく認定できる事実は、次のとおりである。
(1) 被告人は、昭和五一年一一月七日午前零時三〇分過ぎころから同日午前一時ころまでの間のある時点に安藤方庭に木戸口から立ち入つた。
その後、被告人は、安藤方室内で大声がして三畳間の庭側のガラス戸のガラスが割れる音を聞き、驚いて安藤方庭から立ち去り、東側道路に出て北進し、更に安藤方北側道路を西へ向つた。当時の被告人の服装は、浴衣にウールの羽織を着ていたが、下着類はつけていなかつた。
(2) 一方、安藤邦彦は、妻宏子とともに、六畳間で布団に入り横臥していたが、三畳間の庭側のガラス戸に人影を認めたため三畳間に行き、そこで「誰だ。」と大声を出してライターを右ガラス戸に向つて投げつけた。そのためガラス戸の上から二三段目のガラスが割れたので、同人は、その三段目のガラス戸枠をくぐつて、白のブリーフ、ランニングシヤツという下着姿のまま屋外に出て、東側道路を北進し、更に同人方北側道路を西へ向い、同人方木戸口から約三八メートル離れた遊園地付近路上で被告人に追いつくや、被告人に対し「痴漢。」とか「のぞきだろう。」とか「この野郎。」などと言いながら、その襟首のあたりをつかんだりした。その後、被告人と安藤邦彦はもつれあうようにして同人方玄関前へ行つたが、そこで、同人は、玄関の扉を開けるように言い、これを聞いて扉を開けた妻宏子に対し、「警察を呼べ。」とか「一一〇番しろ。」と指示した。
(3) ところが、安藤邦彦は、妻宏子より「内藤さんよ。」と言われたため、始めて被告人が近所に住んでいる内藤武男と判り「失礼しました。」と言つた。一方、被告人も「内藤です。」と言つた。そのときの被告人の服装は前がはだけ陰茎が見えており、右遊園地付近路上及びそこから安藤方玄関まで来る間の被告人と安藤邦彦の行動の激しさが窺われた。
「被告人は、安藤方玄関までの途中で履物も脱げてしまい裸足だつたので、履物をとつてくる旨述べて、これを取りに行き、その帰途安藤方玄関前で安藤宏子から「失礼しました。」という趣旨の言葉をかけられたが、同女からは、痴漢とか、のぞいたという趣旨のことは言われなかつた。
(4) 被告人は、同日午前八時三〇分ころ、出勤する際、安藤方に立寄り、安藤宏子に昨夜は騒がせてすままなかつた旨詫びた。このときも、同女は、被告人に対し、痴漢とか、のぞいたとかとは言つていない。
同日昼ころ、被告人の妻敏子は、安藤方を訪れ、安藤宏子に被告人同様昨夜は騒がせて済まなかつた旨詫び、その際、ガラス代を弁償すると申し出たが、同女から断られた。
更に、被告人の妻敏子は、安藤邦彦と同月八日午後一〇時ころから安藤方で、同月一〇日午後一〇時すぎころから井の頭線浜田山駅付近の喫茶店「シルクロード」などで、本件のことについて話し合つた。
2 軽犯罪法違反の点について
被告人は、捜査、公判を通じて、昭和五一年一一月七日午前零時三〇分過ぎころ安藤方庭内に立ち入つた事実を認めつつも安藤方住居内をのぞき見ていないと述べているので、被告人が安藤方住居内をのぞき見たかどうかについて判断する。
なお、被告人が安藤方庭に立ち入つた時刻については、被告人は、右のように七日午前零時三〇分過ぎころである旨供述しているところ、証人安藤邦彦及び同安藤宏子は、七日午前一時ころである旨供述しているので、七日午前零時三〇分過ぎころから同日午前一時ころまでのある時点と言つてよいが、被告人は、その時刻を時計で確認したわけではなく、安藤宏子は、午前一時五分前に目覚し時計を掛けて寝就して間もなくのことであつたと供述しているが、その供述が必ずしも正確であるとは言い難い点があるから、おおよそ七日午前一時前ころと認定してよいと思われる。
(一) まず、安藤邦彦が前記二1(二)(2)で認定した言動をとつた理由を考えるに、同人は、三畳間の庭側のガラス戸に人影を認め、ライターをガラス戸に向つて投げつけ、下着姿のまま屋外へ出、追いついた被告人に「痴漢。」とか「のぞきだろう。」などと言い、安藤方玄関先では妻宏子に対し警察を呼ぶよう指示するなど、かなり激しい言動をとつているのであるが、これらはその場の状況に応じてとつさにとられたものであるし、同人は、玄関先に来て妻宏子から告げられるまで内藤武男(被告人)であることを知らなかつたことが認められるから、同人が右のような言動をとつたことについて作為的なものは窺われない。従つて、室内にいた同人が右のような言動をとつたのは、そうさせるような契機があつたものと認められ、その契機としては、前記二1(二)で認定した事実や、曇りガラスを通しては室内をのぞき見ることができないので曇りガラスに人影を認めただけでは、のぞき見られたとは考えないであろうことを考慮すると、証人安藤邦彦の供述からも窺えるように、安藤邦彦は「誰だ。」と大声を出してライターを投げつけるまでの間に、おそらくは三畳間の庭側のガラス戸の透明ガラスを通しても人影を認めたため、その人影の主から住居内をのぞき見られたと感じたのであろうということ、そして、同人がその人影を追つて外に出たところ、被告人が庭から立ち去つていたため、被告人が右人影の主であつて被告人からのぞき見られたものであると感じたうえ、被告人が逃走をはかつたものと考えて、被告人からのぞき見られたとの疑いを一層強めたのであろうということであると推認するのが合理的である。
ところで、この点につき弁護人は、「深夜庭内に人影を発見した場合には、賊の侵入と考えるのが普通であるし、安藤邦彦は、当時いやがらせ電話におびえていて本件の約三か月前に電話を替えている程であるから、人影を殴り込みであると考えたのであつて、それ故に同人は同人方玄関で被告人に失礼しましたと言つて自己の行為の非を詫びたのである。」と主張する。
しかしながら、安藤邦彦が賊と認めたのであれば「痴漢」とか「のぞき」とは言わずに「泥棒」などと言つて追うのが通常であり、しかも、先に述べたように同人はその場の状況に応じてとつさに「痴漢」などという言葉を発していることからしても、賊と認めなかつたことは明らかである。また、証人安藤邦彦及び同安藤宏子の各供述によると、昭和五一年に入つてから安藤方に夜いやがらせ電話がかかつてきたため、同年八月か九月ころ電話を替えた事実が認められるけれども、取調べた全証拠によつても電話変更後もいやがらせ電話がかかつてきた事実やいやがらせ目的で深夜同人方を訪れた者がいた事実を認めることはできないのであつて、安藤邦彦が本件当時いやがらせにおびえ、人影を殴り込みと判断したとは到底考えられない。
そして、前記二1(二)(3)で認定したように安藤邦彦が同人方玄関で被告人に対し「失礼しました。」と言つた事実があるが、これは、証人安藤邦彦の供述や右のような言葉の発せられたときの状況からすると、同人が激しい言動をとつた相手が近所に住む被告人であつたことを知つて驚いて発せられた言葉と認められるのであつて、自己の非を認めたからでないといえる。
以上のとおりであるから、弁護人の右主張は採用できず、前記のように、安藤邦彦は「誰だ。」と大声を出してライターを投げつけるまでの間に、おそらくは三畳間の庭側のガラス戸の透明ガラスを通しても人影を認めたものであり、その人影の主が被告人であつて、被告人から住居内をのぞき見られたと感じたうえ、被告人が逃走をもはかつたものと考えて被告人から住居内をのぞき見られたとの疑いを一層強めたものであろうと推認する妨げとはならない。
(二) 次に、被告人が安藤方住居内をのぞき見ることの客観的可能性について検討してみる。
前記二1(一)で認定した事実によると、安藤方住居は、夜間でも蛍光灯を点灯していれば勿論のこと、六畳間の豆電球がついていて、三畳間と六畳間の境のガラス戸を風呂場の方へ寄せておけば、三畳間の庭側のガラス戸最上段の透明ガラスに顔をつけると、カーテン越しに六畳間内の状況が透視でき、右最上段のガラスの下部までの高さは敷石から約一五九センチメートルであるところ、被告人の供述(第一三回)によれば、被告人の身長は少なくとも一七二・五センチメートルはあることが認められるから、被告人が最上段のガラスに顔をつけることは可能である。そして、証人安藤邦彦及び同安藤宏子の各供述によると、安藤邦彦がのぞき見られたと感じたとき、安藤方三畳間のカーテンは引かれており、一階は六畳間に豆電球だけがついており、また、三畳間と六畳間の境のガラス戸は全部風呂場の方へ寄せられていたことが認められる。更に、前記二1(一)(1)で認定した事実のほか、司法警察員作成の昭和五一年一二月二日付実況見分調書によると、安藤方庭内は、南側道路からは高さ約一・六メートルの生垣と高さ約一・九五メートルの物置にさえぎられて見づらく、東側道路からは庭の横付近を通行する際は見えるが、昭和五一年一二月一日午後一一時三〇分から翌二日午前一時三〇分までの実況見分時においては通行人及び通行車両が全くなかつたことが認定できるのであつて、右実況見分時が平日であり、本件が土曜の夜という違いはあるにせよ、付近が閑静な住宅地であることを考慮すると、やはり深夜における通行量は少ないものと認めて差支えなく、深夜のぞき見する場所として不適当なところとは言えない。
以上のとおりであるから、深夜被告人が安藤方住居内をのぞき見ることは客観的には不可能ではないと認められる。
(三) そこで、被告人が安藤方住居内をのぞき見たと認められるかどうかについて判断する。
前記のように安藤邦彦は、「誰だ。」と大声を出してライターを投げつけるまでの間に、おそらくは三畳間の庭側のガラス戸の透明ガラスを通して人影を認めたものであり、その人影の主が被告人であつて、被告人に住居内をのぞき見られたと感じ、しかも被告人が逃走をはかつたと考えて被告人に住居内をのぞき見られたとの疑いを一層強めたものであろうということが推認できるのであつて、これは、被告人が安藤方住居内をのぞき見たことを疑わせる一つの間接事実(情況証拠)であるが、そのほかに、被告人がのぞき見たとの検察官の主張に副う証拠として、(1)直接にそれを目撃したという証人安藤邦彦及び同安藤宏子の各供述、
(2)間接にそれを疑わせる幾つかの事実(情況証拠)があるので、以下順次検討する。
(1) 証人安藤邦彦及び同安藤宏子の各供述について
まず、証人安藤邦彦は、被告人がのぞき見ていた旨供述し、その具体的状況について、「昭和五一年一一月七日午前一時ころ、六畳間の蛍光灯の豆電球だけを残して消灯し、同間に東西に敷いた布団の南側に、頭を東にして、北向きに横臥したが、一分もたたないうちに妻が『洗濯物じゃないし。洗濯物は取り入れたし。揺れてる。』というような独言をしばらく言つていたが、そのうち『人だ。』と言つたので、反転して、三畳間のガラス戸の方をおよそ二、三〇秒間見ていると、カーテン越しに人影がじつと室内をのぞいているように見えたため、枕元にあつたライターを持つて三畳間に行き『誰だ。』と大声を出すと、人影が木戸口の方へ逃げたので、すぐにライターをガラス戸に向つて投げつけ、ガラスの割れた、上から三段目の枠をくぐつて庭に出て人影を追い、被告人に追いついた。『誰だ』と声をかける直前の人影は鼻から上が透明ガラスのところにあつた。」旨供述している。
次に、証人安藤宏子は、人がのぞき見ていた旨供述し、その具体的状況について、「昭和五一年一一月七日午前一時五分前ころ、六畳間の蛍光灯の豆電球だけを残して消灯し、同間で就寝すべく東西に敷いた布団の北側に、頭を東にして南向きに横臥したが、その直後三畳間東側ガラス戸に影を認めたので、消灯後一、二分たつたころから『洗濯物を干した覚えもないのにおかしい。風もないのに揺れているのはおかしいな。』などと約一、二分間独言を言つていたが、そのうえに顔がぱつと映り、影が人間の形になつて、カーテン越しにじつとのぞき込むような感じになつた。その影は透明ガラスのところにも映つていた。そこで、『痴漢だ。のぞきだ。』と言いながら同じ布団の南側に寝ていた夫の肩をゆすつて起こした。すると、夫は三畳間で寝ている子供の頭のあたりで、立つた姿勢で『誰だ。』と言つて物を投げたようである。消灯前からのぞいていたと思う。」旨供述している。
右各供述は、のぞき見られたという状況を具体的、かつ詳細に述べ、各供述も大筋では一致していて、信用できそうであるが、更に仔細に検討してみると、次のような疑問がある。
(イ) まず、証人安藤邦彦の供述は、冒頭で述べたように被告人の所属する日本共産党に対する反感が強く、全体として強引かつ感情的な供述が目立つのである。そして、のぞき見られた際の人影の確認について、同証人は、「二、三〇秒間見て、のぞいているように見えた。」と述べるが、証人安藤宏子は、「飛び起きた。」とか「ちらつと見たんでしようね。」などと供述を変えながら、結局最後には「私の声と同時に起き上つた。」と述べるに至つている。これらの事実は印象の強い場面であつて、その供述の矛盾はかなり不自然と言わねばならないし、とりわけ証人安藤邦彦の述べるように約二、三〇秒間も布団の中で横になつたままガラス戸をじつと見ていたとすれば、早い処置を期待しているであろう安藤宏子の立場からすると、強く記憶に残つていて然るべきであるし、後述するようにそのとき同女は人影の方を見ていなかつたというのであるから尚更印象深かつたはずであつて、この点の証人安藤邦彦の供述には大きな疑問が残るのである。
そして、このような両者の供述の矛盾は、消灯の直前、直後の夫婦間の行為内容についても認められ、何故に喰い違うのか判然としないばかりか、それは事後の状況にも認められる。すなわち、安藤夫婦が本件当夜は七日午前三時ころまで起きて事件のことを話し合つたという点では、証人安藤邦彦及び同安藤宏子の各供述とも一致しているところ、その会話について、証人安藤邦彦は、「女房に開口一番『なんで帰しちやつたのか。警察へ突き出さないのか。』と言われた。」と述べているのであるが、証人安藤宏子は、そのようなことは言つていない旨述べており、このような言動があつたとすれば、これを安藤宏子が記憶していないということは極めて不合理であるから、証人安藤邦彦の右供述は信用できないものと言わざるを得ないのである。
このように、同証人の人影発見時、その直前及び事後の状況についての供述中には、信用性に疑問のある部分が存するのである。
しかも、前記二1(一)(2)で認定したように、安藤方住居は、六畳間に豆電球だけをつけた状態では、庭側から三畳間のガラス戸最上段の透明ガラスを通して室内を見る場合、ガラス戸から目を離すと室内の状態は全く見えないが、ガラス戸に目をつけて室内を見ると、ガラス戸から約四ないし四・八メートル離れたところにいる六畳間内の人の状況がカーテン越しにうつすらと透視できることが明らかであるところ(なお、ガラス戸に目をつけてから室内が透視できるまでの所要時間については、昭和五一年一一月二〇日午後七時二〇分から同七時五〇分までの間の実況見分時では一分間位とされているが、同年一二月一日午後一一時三〇分から翌二日午前一時三〇分までの間の実況見分時では実況見分調書に記載がないので不明であるが、記載がないところからするとそれ程時間を要しなかつたとみてよいであろう。また、証人安藤邦彦は、三〇秒ないし一分位と述べ、証人安藤宏子は、時間は特定できないが、そんなに時間はかからないと述べている。)、証人安藤邦彦の前記供述によると、邦彦が三畳間に行つて大声を出すまでは人影は動かなかつたというのであり、この点については被告人も声とほぼ同時にガラスの割れる音がしたので立ち去つたと述べているのであつて、これらの供述によると、被告人は安藤邦彦の声を聞くまではその場を立ち去ろうとするとか、その場に身をかがめて隠れようとするとかの行動を全くとつていないことが認められ、他に安藤邦彦が声を出す以前に被告人が何らかの行動を始めたことを窺わせる証拠はないのである。
そうすると、もし証人安藤邦彦が供述しているように、邦彦が妻宏子に「人だ。」と言われて反転し、二、三〇秒間ガラス戸の方を見たのち三畳間に行き、「誰だ。」と声を出したものであり、かつ被告人がその間室内をのぞき見ていたものであるとするならば、被告人は、邦彦が「誰だ。」と声を出す前に、白のブリーフ、ランニングシヤツという比較的目立ち易い服装の邦彦の動き(証人安藤宏子の供述によると、妻宏子は邦彦の肩をゆすつて起こしたと認められるので、宏子の動きも含まれる。)を確認でき、それに応じた行動をとつたであろうと考えられるのに、そのような行動を全くとつていないことになり、極めて不合理であると言わざるをえないのである。
以上のような諸点を考慮すると、安藤邦彦は、たとえ三畳間の庭側のガラス戸の透明ガラスを通しても被告人の影を認めたものであるとしても、住居内のどの位置で認めたのか、また、どのような形の影を、どの位置に、ガラス戸からどれ位の距離に、どの程度の時間、どの程度確実に見ていたのか、更には、そのときに認識したことを正確に供述しているのかについて疑問があつて、証人安藤邦彦の被告人が住居内をのぞき見ていた旨の供述は信用できないのであり、同証人の供述によつては、前記のような邦彦は、おそらくはガラス戸の透明ガラスを通して人影を認めたものであり、その人影の主が被告人であつて、被告人に住居内をのぞき見られたと感じたのであろうという推認事実以上の事実を認定することはできないのである。
(ロ) 次に、証人安藤宏子の供述は、消灯、就寝そして人影を発見して夫邦彦を起こすまでの部分は、消灯の直前、直後の夫婦間の行為内容や宏子が夫邦彦を起こしたときにかけた言葉に関して、証人安藤邦彦の供述と一致しない点があり、また、夫邦彦を起こしたときの声につき、当初は大きい声であつたと述べながら、後に「主人に聞こえる程度に。大声で言つたら逃げちやうから、普通より大きいということです。」と供述を変えるなど矛盾する部分はあるが、その他は明確かつ具体的で、主尋問及び反対尋問に対してもほぼ一致した供述をしている。
しかし、夫邦彦を起こしてから同人が外へ出て行くまでの間の状況についての供述になると、「覚えていない。」あるいは「見ていない。」と答える部分が多いうえ、主尋問では人影の動きについて具体的な供述をし、また、ガラスの割れる音も聞いた旨述べているのに、反対尋問に対しては、「夫に知らせた後は人影は見ていない。」、「ガラスの割れる音は聞いていない。」と前後矛盾する供述をしているし、夫邦彦が起きた状況についても、「私の声で飛び起きたんです。」、「枕元にあつたライターを持つてすつと行つたんです。」と述べ、次いで「主人は犯人がのぞいている方を見て、それからはつて行つたと思います。」となり、更に「よく覚えてませんけど、ちらつと見たんでしようね。」と変わつた末、「私の声と同時に主人は起き上つた。」と変遷するなど、全体としてあいまいな供述に終始しているのである。そして、安藤宏子が夫邦彦を起こした後の人影の目撃状況やガラスの割れる音の聞知の有無は、のぞき見られたという特異なでき事を発見した直後の事実であつて、このような点につき右のようにあいまいな供述をしていることは、それ以前ののぞき見られたというときの状況についての明確な供述と対比して考えると、奇異に感ぜられ、同証人の前記供述の信憑性に疑問をさしはさむ余地があると言える。
更に、事後の事情についてみても、前記二1(二)(3)(4)で認定したように安藤宏子は、夫邦彦と被告人が安藤方玄関へ来たとき、被告人に対し、痴漢とか、のぞいたとか言つていないばかりか、履物を取つてきた被告人に対し「失礼しました。」という趣旨の言葉をかけ、また、翌朝の七日午前八時三〇分ころ、被告人が安藤方を訪れた際も、被告人に対し、痴漢とか、のぞいたとか言つていないのである。しかも、証人安藤宏子の供述によると、安藤宏子は、本件当夜は七日午前三時ころまで夫邦彦と本件について話し合つたが、このとき被告人を警察に訴えようという気持ちはなかつたし、そのようなことも口にしていないこと、その後の八日及び一〇日の夫邦彦と内藤敏子との話の内容もほとんど聞いていないこと、そして、被害届提出後の処置についても夫邦彦に委せきりであつたことが認められるのであつて、これらのことからすると、安藤宏子は、被告人に悪感情を抱いていないようであり、また、本件に余り関心を示していないことが窺われるのであつて、寝室をのぞき見られたという女性の行動としては、余りにも穏当で、被害感情も稀薄であり過ぎるといえ、このことからしても、のぞき見られたという証人安藤宏子の供述の信憑性には疑問がある。
しかも、もし証人安藤宏子の述べるように夫邦彦が飛び起きて直ちにあるいはちらつとガラス戸の方を見て三畳間へ行つて声を出してライターを投げつけたとすると、前記認定のように被告人は安藤邦彦の声がするまではその場を立ち去ろうとするなどの行動を全くとつていないのであるから、室内の同人らの行動を認識していなかつたのではないか、すなわち、未だ内部の状況を透視していなかつたのではないかと言えるのであり、結局、被告人が安藤方住居内をのぞき見たものであると認めるのは困難である。
なおまた、証人安藤宏子は、消灯前からのぞき見ていたと思うとも供述するのであるが、それが単なる推測に止まることはその供述自体から明らかであるし、もし消灯前から被告人がのぞき見ていたとすれば、明るいガラス戸の外側に立つことになつて、外部の者から容易に発見されやすい状態でのぞき見をしていたことになるのであつて、ひそかにのぞき見しようとする者がそのようなことをするであろうかという疑問を抱かせるのみならず、証人安藤邦彦の供述の信用性について検討した際に述べたのと同様の不合理な点があることになつて、右供述は信用できないのである。
以上のように、証人安藤宏子の人が住居内をのぞき見ていた旨の供述の信憑性には疑問があつて、同証人の供述からは被告人が住居内をのぞき見ていた事実を認定することはできないのである。
(2) 被告人がのぞき見たのではないかと疑わせる間接事実(情況証拠)について
被告人が安藤方住居内をのぞき見たのではないかと疑わせる間接事実のうち主なものについて検討する。
(イ) 前記二1(二)(1)(2)認定のように、被告人は安藤邦彦が声を出してライターをガラス戸に投げつけガラスの割れる音がするや、同人方庭から立ち去つたことが認められるところ、もし被告人がのぞき見をしていなかつたのであればその場から立ち去ることも必要ではなかつたのではないかと考えられるので、右の事実は、被告人がのぞき見をしたことを疑わせる一つの間接事実であるといえる。
しかしながら、被告人は、深夜に安藤方の庭に立ち入つたものであつて、そのこと自体が通常の行為ではなく、被告人の供述をまつまでもなく心に引け目を感じていたことが窺えるのであるから、安藤邦彦の声やガラスの割れる音を聞いた際、居住者に発見されたと思つて驚き、その場から立ち去る行為に出たことは、被告人が供述するように近くの砂場で話し合うつもりであつたかどうかはとも角として、理解できないではない。すなわち、被告人がのぞき見をしたから立ち去つたものであるとか、のぞき見をしなかつたのであれば立ち去らなかつたはずであるとは言えないのである。
(ロ) 前記二1(二)(1)(3)で認定したように、被告人は本件当夜下着類をつけておらず、安藤邦彦と二人で同人方玄関にきたときには陰茎も見える状態であつたことが認められるが、被告人及び証人内藤敏子の各供述、被告人の司法警察員に対する昭和五一年一一月一五日付(一)供述調書によると、被告人は、日常帰宅して入浴した後は下着類をつけないのが習慣となつており、本件当夜もその習慣に従つたにすぎないこと、そして、安藤邦彦と二人で同人方玄関まで来る間のもみ合いで前がはだけてしまつたものであることが認められ、これに反する証拠はないのであるから、被告人が本件当夜下着類をつけていなかつたことなどをもつて、被告人がのぞき見の目的をもつていたとか、のぞき見たとかを認定する資料とはできないのである。
(ハ) 前記二1(二)(4)で認定したように、被告人は翌朝の七日午前八時三〇分ころ安藤方に行つて安藤宏子に詫びたことが認められ、これは、本件当夜被告人がのぞき見をしたため邦彦らに納得できる説明をしていなかつたからではないかと疑わせるものであるが、たとえ被告人がのぞき見をしなかつたにしても、前記のように被告人は深夜安藤方の庭に立ち入るという通常でない行為をし、その結果同人らに迷惑を掛けたことは間違いないのであるから、翌朝同人方に詫びに行くことは通常のことであるといえるのであつて、被告人が翌朝安藤方に詫びに行つたことをもつて、のぞき見をしたためであるとかないとかとは言えないのである。
(ニ) 被告人の司法警察員に対する昭和五一年一一月一五日付(一)供述調書には、「ガラス戸から中をみようとしたのです。」という記載があつて、被告人にのぞき見の目的がありのぞき見をしたのではないかと疑わせるが、右供述調書及び被告人の供述によると、これは、被告人が安藤方住居内をのぞき見る目的があつたことを前提とする供述記載ではないし、また、最初「中をのぞいたのです。」と記載されたため訂正を求めた箇所であつて、のぞき見たことを否定するために記載されたものであることが認められるので、この供述調書の記載から、被告人がのぞき見の目的をもつていたとか、のぞき見をしたとかを認定することは困難である。
(ホ) 前記二1(二)(4)で認定したように、被告人の妻敏子は安藤宏子及び安藤邦彦と何度か本件のことについて話し合つているが、証人安藤邦彦、同安藤宏子及び同内藤敏子の各供述によると、内藤敏子は、同月七日昼及び同月八日の夜、安藤宏子や邦彦に対し、本件当夜のことであるかどうかは別として、丸坊主で黒つぽいものを着た者でのぞき見をする者がいたことを話しており、それが同月一〇日夜の安藤邦彦との話し合いの際にはこのような話をしていないこと、また、同月七日昼に安藤宏子にガラス代を弁償すると言つていたことが認められ、これは、被告人がのぞき見たことを推認させる一資料となり得るようである。しかし、被告人及び証人内藤敏子は、それぞれ、被告人は本件当夜帰宅するなり痴漢と間違えられたと言つていた旨供述しているのであつて、内藤敏子は、被告人が痴漢扱いされたことを知り、安藤夫婦に被告人がそのようなことをしていないという趣旨で丸坊主で黒つぽいものを着た者の話をしたと解し得る余地もあるし、ガラス代弁償の件も、被告人が安藤方庭内に入つたことが原因で割れたことから話したとも理解できる。また、証人安藤邦彦、同安藤宏子及び同内藤敏子の各供述によると、内藤敏子は、安藤宏子や邦彦と本件について話し合つたが、被告人がのぞき見たことは否定し、安藤夫婦の誤解であると弁解していた事実が認められる。
従つて、被告人の妻敏子が安藤宏子や邦彦に対し丸坊主で黒つぽいものを着た者の話やガラス代弁償の話をしたり、何回も折衝したりしたことをもつて、直ちに被告人がのぞき見をしたことを推認させるものであるとは言えないのである。
なお、付言すると、被告人の妻敏子が話したという丸坊主で黒つぽいものを着た者の話については、証人安藤邦彦や同安藤宏子が聞いたというように「被告人が安藤方庭の物置の横に来たとき坊主頭の黒つぽいものを着た者がのぞいていたが、ガチヤンという音で四号館の方に逃げたので、被告人がそれを追いかけたが、見失つて帰つてくる途中、邦彦に会つて捕つた。」というのであれば、被告人と証人安藤邦彦や同安藤宏子の供述間には、被告人が当夜邦彦らに話した内容について相違はあつても、少なくとも被告人が当夜安藤邦彦らに対して、被告人以外の者がいたことは話しておらず、被告人自身が安藤方庭に来たものであることを前提として話していることに相違はないのであるから、内藤敏子が被告人より当夜のことをよく聞かずに独断で話したものか、もし被告人よりよく聞いていたとすれば右のようなことを話すとは通常考えられず、当夜以前のこととなる。また、証人内藤敏子の述べるように「以前丸坊主で黒つぽいものを着た者でのぞき見をしたのがいたので、そういうのがおれば別だが、被告人ではない。」というのであれば、本件当夜のことと関係のないことで、かえつて安藤邦彦らに誤解を与えるようなことを話したことになる。いずれにしても、内藤敏子の丸坊主云々の話は軽率な発言であるというほかない。
(ヘ) 被告人が安藤邦彦方庭に立ち入つた目的については、後記三のとおりであつて、これによつて被告人が安藤方住居内をのぞき見たと推認することができないことは言うまでもない。
(3) 以上のとおりであつて、証人安藤邦彦及び同安藤宏子の各供述のうち被告人が安藤方住居内をのぞき見た旨の部分は信憑性に疑いがあつて、これらの供述によつて、安藤邦彦らが被告人に住居内をのぞかれたと感じて被告人を疑つたこと以上に、被告人が安藤方住居内をのぞき見たという事実を認定することはできず、また、右各供述のほかに前記間接事実とみられるものを総合してみても、被告人が安藤方住居内をのぞき見たとの事実を認定することはできないのである。
従つて、本件公訴事実のうち軽犯罪法違反の点は、被告人か安藤方庭に立ち入つた際の地点が被告人の供述するとおりであるかどうかとか、その際被告人がどの程度身体を動かしたものであるかなどについて、被告人の供述を検討するまでもなく、犯罪の証明がないことになる。
3 住居侵入の点について
(一) 前記二2で検討したように、被告人は、昭和五一年一一月七日午前一時前ころ安藤方庭に立ち入つたものではあるが、被告人が安藤方住居内をのぞき見たかどうかについては、これを認めることができないので、被告人の立ち入つた目的が住居内をのぞき見るためであつたとは当然には言えないのである。
しかしながら、被告人の立ち入つた時刻は深夜であり、通常他人宅を訪問する時刻でないこと、被告人の立ち入つたのは玄関とは反対側の庭に木戸口からであつて、これまた通常他人宅を訪問する際の方法、場所ではないこと、被告人は立ち入る際に安藤方に声をかけるとか、立ち入つてから声をかけるなどのことは全くしておらず、立ち入りについて明示の承諾を得ていないこと、しかも、ガラス戸に映つた被告人の影によつて安藤邦彦に住居内をのぞき見られたと感じさせたばかりか、同人が声を出してガラスを割るや、その場から立ち去つたものであつて、同人に逃走したと感じさせ、同人にのぞき見られたとの疑いを一層強めさせたことなどが認められるので、被告人の立ち入つたのが他の目的によるものであるか、少なくとも他の目的によるものであることの可能性があることが明らかにされない以上は、被告人は安藤方住居内をのぞき見る目的をもつて同人方庭に侵入したものであると推認されてもやむをえないことになる。
(二) そこで、弁護人は、被告人の立ち入つた目的につき、「被告人は、妻敏子から安藤宏子と話がしたいので呼んできてくれと頼まれ、同女を被告人宅へ招くべく呼びに安藤方庭内に立ち入つたものである。」と主張するので、以下この点について判断する。
(1) まず、被告人は、「同月六日午後一一時三〇分ころ妻敏子から電話があり、寿司を買つてあるから、誕生祝いもしてないので、安藤宏子と話をしたいから呼んでおいて欲しい、玄関でチヤイムを鳴らすと子供が起きるから庭から行つたほうがいいということを言つたので、自分で呼べばいいだろうと返事をすると、電話番号が判らないからと言つていた。どこから電話をかけているかは聞かなかつたし、それ以上の指示はなかつた。自分は呼びに行く気もなかつたので行かなかつた。敏子は、一二時半(七日午前零時三〇分)ころ酔つて帰宅し、まだ宏子を呼んでおいてくれなかつたのかとか、呼んできてくれなどと絡むようなことをしたので、遅いし酔つているからとたしなめたが、しつこく言つてうるさいので、まあ起きているようならば声を掛けてみようかという程度で、まともに呼ぶ気はなかつたが、自宅を出た。外に出ると、安藤方は一階は暗かつたが二階には明りがついていたので、起きているようなら声を掛けようかという程度の軽い気持ちになり、つい明りに引かれるように安藤方の方に行き、開いていた木戸口から庭に入つてしまつたが、起きているかなとか、どうしようかなと思案しているうちに、声が聞こえガラスが割れたものである。なお、自宅を出るとき、妻敏子に安藤宏子を呼びに行くということは言つていない。その後帰宅したとき、妻敏子は客の用意はしていなかつた。」旨供述している。また、証人内藤敏子は、「同月六日夕方ころから、友人の須藤佐代子と勤め先付近のわかな寿司へ寄つて二人で酒を飲んだが、飲んでいるうちに安藤宏子と話がしたくなつた。しかし、その日同女と話さねばならないこともなかつたし、また早く帰ろうという気持ちもなかつた。帰りに寿司二折位を買い、次に調布駅付近の焼鳥屋銀八に須藤と二人で寄り、ここでも飲酒し、頼んであつたしようゆ油を受取つて帰路についた。途中京王線明大前駅で下車し、近くの公衆電話から自宅に電話し、一二時(七日午前零時)を過ぎてから帰宅した。」と供述し、そして、電話の内容及び帰宅してからの被告人とのやり取りについては、被告人とほぼ一致した供述をしている。
(2) そこで、右各供述の信憑性を検討する。
(イ) 検察官は、被告人の妻敏子が本件当夜わかな寿司で寿司を買つたことなどはなく、午後九時以前に帰宅をしていたものであるから、被告人や証人内藤敏子の右各供述は信用できないとして、被告人方で押収したサミツトストア西永福店の昭和五一年一一月六日付のレシート(昭和五二年押第四〇六号の三)を証拠として提出した。すなわち、サミツトストア西永福店は被告人方近くにあり、営業時間が午後九時までであるので、右レシートが被告人方にあつたことは、通常買物をする敏子が購入したことを示し、遅くとも本件当夜の六日午後九時ころまでには帰宅していたことになるというのである。
そして、検察官は、右レシートを示して証人内藤敏子の反対尋問をしたが、同証人は、六日夜サミツトストア西永福店で買物をした記憶がないと答えるばかりであり、一見、敏子は午後九時ころまでに同店で買物をし帰宅したのではないか、敏子がわかな寿司で寿司を購入するなどして遅く帰宅したという証人内藤敏子や被告人の前記各供述は虚偽ではないかと思わせるものがあつた。
しかしながら、弁護人請求の河田敏幸(株式会社サミツトストア西永福店々長)の弁護人に対する供述調書によると、当時サミツトストア西永福店においては午後六時以降は翌日の日付のレシートを発行しており、前記レシートは昭和五一年一一月五日午後六時から同月六日午後六時までの間に買物をした際のものであることが明らかとなり、検察官の前記立証計画は失敗に終つた。そればかりか、もし証人内藤敏子が本件当夜の行動を明確に記憶しているのであれば、サミツトストア西永福店で買物をしたことはないと明確に答えることができたはずであるから、同証人の記憶がない旨の供述は、敏子は当夜相当に飲酒酩酊していたため記憶のない部分があり、記憶がないことは記憶がない旨供述しているのではないかとその信憑性を裏付ける結果となつたとも言える。
(ロ) そして、証人須藤佐代子(第一二回)同大竹信夫(第一二回)及び同鳥居韶子(第一三回)の各供述に照らすと、証人内藤敏子の前記供述のうち、須藤佐代子とわかな寿司に寄つて飲酒したり寿司折を買つたりし、更に焼鳥屋銀八に寄つて飲酒し、同店でしよう油を受取つたのち、調布駅で同女と別れるまでの行動や被告人が外出する前に帰宅したとの部分は信用してよく、そのような事実があつたと認定してよいと思われる。(内藤敏子が銀八に立ち寄つてしよう油を受取つてきたことは、同女が同月七日昼ころ安藤方でしよう油のことを話したという証人安藤宏子の供述によつても裏付けられている。)
なお、被告人の妻敏子の帰宅時刻については、被告人は七日午前零時三〇分ころと、証人内藤敏子は七日午前零時を過ぎてからとそれぞれ供述しているが、証人鳥居韶子の供述に照らすと、敏子が銀八を出たあと何処にも立ち寄らないで帰宅したとすれば、右各時刻よりも少しは早い時刻になるのではないかとも考えられるが、証人鳥居韶子も、また被告人も証人内藤敏子も時計によつて時刻を確認していたわけではなく、また、同証人は本件当夜の行動を全て記憶しているわけでもないので、右各供述を直ちに信用できないとは言えないのである。
(ハ) 次に、被告人が妻敏子から安藤宏子を呼んでくれるよう依頼された旨の各供述について考える。
被告人の供述、被告人の司法警察員に対する昭和五一年一一月一五日付(一)供述調書、証人内藤敏子、同安藤邦彦及び同安藤宏子の各供述によると、内藤敏子と安藤宏子とは昭和四八年以来の知り合いで、内藤敏子は安藤夫婦の長男の家庭教師もし、また安藤宏子と身の上話をするなど親しく交際し、互いに行来をしている間柄で、夜遅くまで話し込むこともあつたが、それとても午前零時をすぎるようなことはなかつたし、安藤宏子は被告人方に来ていても被告人が帰宅すると遠慮して帰り、また被告人在宅中は上つて話し込むことはなく玄関先で用を済ませて帰るし、被告人と道で会つても挨拶をする程度の間柄であつたこと、被告人は安藤邦彦とは一面識もなく、同人宅を訪れることも稀で、しかも、それも玄関先で用件をことずける位のことであつて、家族ぐるみの交際をしていたのではないことが認められる。そして、右認定事実によると、内藤敏子が夜飲酒後でも安藤宏子と茶飲み話をしたいという気持ちを抱くことがあることは肯定できる。しかし、被告人及び証人内藤敏子の各供述によると、内藤敏子は、本件当夜は別段早く帰ろうともせず、結局帰宅したのはかなり遅くなつてからであること、しかも、とりたてて話すこともないのに、深夜安藤夫婦と交際のほとんどないと言つてよい被告人に呼びに行くよう頼み、その依頼も電話でしたときにはいつ帰るかも、またどこから電話しているのかも知らせていないというものであること(その反面、行く方法については子供が起きないように庭から行くよう指示するなど細かい配慮をしたというのである。)更に帰宅後も被告人にかなり執拗に呼んできてくれるよう言いながら、被告人が出掛けた後は客の用意もしていなかつたというのである。また、被告人及び証人内藤敏子、同鳥居韶子及び同須藤佐代子の各供述によれ、内藤敏子は、本件当夜かなり酔つていたとはいえ、安藤宏子を呼びに行けない程の酔いであつたとは認められないのであるから、同女は帰宅途中あるいは帰宅後も自ら安藤宏子を呼びに行こうとすれば、行けるはずであるのに、これをしていないのである。
以上のように、内藤敏子が被告人に対して安藤宏子を呼んでくれるよう依頼した旨の前記各供述には不合理な点があるのである。
そして、証人大竹信夫及び同内藤敏子の各供述によると、内藤敏子は、わかな寿司に寄つたときは土産に寿司折を買つて帰ることが多い事実が認められるから、本件当夜の六日夜寿司折を買つて帰つたからといつて、同女が安藤宏子を呼ぶつもりでいたこと、あるいは更に進んで同女を呼ぶよう被告人に頼んだことを推認し得るものではないのである。
しかしながら、被告人は、捜査、公判を通じて一貫して妻敏子に頼まれたと供述(被告人の司法警察員に対する同月一五日付(一)供述調書、被告人の供述)しており、また、証人内藤敏子もこの点については一貫した供述(同証人の供述)をしているばかりか、被告人の司法警察員に対する同日付(二)供述調書によると、右供述録取当時内藤敏子の調書が既に存在しており、その調書では、同人が被告人に安藤宏子を呼ぶよう依頼した事実については、被告人の供述と矛盾しない供述をしていることが窺われ、内藤敏子も捜査段階から被告人に安藤宏子を呼ぶよう頼んだ旨供述しているものといえること、内藤敏子は思いつきで軽率な行動をとることがあるうえ、本件当夜は相当飲酒酩酊していたこと、被告人は安藤宏子を呼びに行くつもりがなかつたから妻敏子が電話している場所や帰宅時間も聞かなかつたと考えられることなどを考慮すると、内藤敏子が被告人に対して安藤宏子を呼んでくれるよう依頼した旨の被告人及び証人内藤敏子の各供述部分は、前記のような不合理な点があるからといつて、直ちに信用性に疑問があるとして排斥することはできないといわなければならない。
しかも、前記二1(二)(4)で認定したように、内藤敏子は、本件後親しくしていた安藤宏子とだけでなく、安藤邦彦とも本件のことにつき二度話し合つており、うち一回は邦彦と二人だけで会うため夜間に喫茶店にまで赴いていることからすると、内藤敏子は単に被告人の妻として、夫のことを心配して右話合いをしていたというに止まらず、同女にも本件の責任の一端があると考え、被告人とは事前の相談なしに安藤夫婦の誤解を解こうと努力していたものと解せられる。
以上に述べた諸点を考慮すると、確かに被告人及び証人内藤敏子の前記各供述には不合理な点があるけれども、その不合理なことの理由も一応説明がつくのであつて、前記各供述は信憑性のないものであるとは言えないのである。すなわち、被告人及び証人内藤敏子の各供述によつて、内藤敏子は、本件当夜、帰宅前に電話で、被告人に対し、安藤宏子を呼んでくれるよう依頼し、帰宅後、被告人が安藤宏子を呼んでいなかつたために、まだ宏子を呼んでおいてくれなかつたのかとか、呼んできてくれなどと言つたと認定してよいと思われる。
(二) そこで、被告人が妻敏子の依頼に基づき安藤宏子を被告人方に招くべく呼ぶために自宅を出たものであるかどうかについてであるが、前記認定のような被告人と安藤夫婦との交際の程度や被告人が安藤方庭に立ち入つたのが深夜であることのほか、被告人は妻敏子から電話で宏子を呼んでくれるよう依頼されたときにも同女を呼びに行く気がなく、また自宅を出る際妻敏子に宏子を呼びに行つてくる旨を伝えていないと供述していることなどからすると、被告人が供述しているように、飲酒酩酊して帰宅した妻敏子にまだ宏子を呼んでおいてくれなかつたのかとか、呼んできてくれなどと執拗に絡まれて要求されたため、その煩わしさを避けるために自宅を出たものであり、まともに妻敏子の要望を入れて宏子を被告人方に招くべく呼びに行くため自宅を出たものではないということができよう。
(ホ) ところで、被告人は、前記のように「外に出ると、安藤方は一階は暗かつたが、二階には明りがついていたので、起きているようなら声を掛けてみようかという程度の軽い気持ちになり、つい明りに引かれるように安藤方の方に行き、開いていた木戸口から庭に入つてしまつたが、起きているかなとか、どうしようかなと思案しているうちに、声が聞えガラスが割れたものである。」と供述している。
そして、証人安藤宏子の供述によると、本件当夜安藤方二階には安藤邦彦の母が寝ており、安藤邦彦と被告人とが玄関に来た物音で、何分か前に便所に入つた右母が出てきた事実が認められ、これによると、被告人が安藤方庭に立ち入つたころには二階は点灯していたことが推認できるし、また、一階の六畳間に螢光灯がついていたか豆電球がついていたかについては、螢光灯がついて明るかつたとすれば、のぞき目的で庭に立ち入ることは外部から容易に発見されることとなつて不適当であろうし、また、安藤宏子に用事があると当然声をかけるなどしたであろうと思われるので、いずれにしても螢光灯はついておらず、豆電球がついていただけであり、そのため被告人は暗く感じたものとみるのが妥当であろう。更に、庭の木戸については、証人安藤宏子は閉めた旨供述するが、この供述は、司法警察員作成の同月一二日付及び同年一二月三日付各実況見分調書によつて認められる木戸の大きさ、三畳間の状況に照らして、疑問があるから、被告人の供述するように木戸は開いていたと認めてよいと思われる。
しかしながら、安藤方が右のような状況にあつたとはいえ、被告人の供述によると、被告人は、安藤宏子が被告人の在宅中は遠慮して被告人宅に上がつて話し込むことがないことを知つていたのであるから、同女を被告人方に招くべく呼んでも出掛けてくることがないことは容易に推察できたはずであるのに、同女に声を掛けて呼ぼうと考えたり、また、自己の用件ではなく妻の用件のため深夜夫の安藤邦彦と一面識もないのに同人方を訪れて、その妻宏子に声を掛けて呼ぼうと考えたりすることは、極めて不合理かつ非常識なことであるから、被告人の前記供述は、たやすく信用することはできないので、その供述によつて供述内容どおりの事実を積極的に認定することはできないであろう。
けれども、前記認定のように、被告人が飲酒酩酊して帰宅した妻敏子からまだ宏子を呼んでおいてくれなかつたのかとか、宏子を呼んできてくれなどと執拗に絡まれて要求されたため困惑して、その煩わしさを避けるため自宅を出たものであるといえることを考慮すると、被告人の前記供述は、理解できないではない情景を述べたものであるともいえる。すなわち、妻敏子に絡まれて困惑して自宅を出た被告人としては、自宅を出る際妻敏子に安藤宏子を呼びに行つてくる旨を伝えていないことや、同女を被告人方に招くべく呼んでみても同女が出掛けてくることがないと推察できたことから、同女を被告人方に招くべく呼ぼうという積極的な目的はなく、同女を被告人方に同道することは考えず、自宅に帰つたときには、妻敏子に対して、宏子は起きていなかつたと言うか、宏子に声を掛けたが断られたと言うかのいずれかの口実によつて、妻敏子を納得させようという気になつたのではないか、従つて、安藤方二階に明りがついているのを見て、宏子が起きているかもしれないので行つてみて、起きているかどうかを確め、宏子が起きていないようであればそれでよいし、起きていて声を掛けて断られればそれでもまたよいという程度の気持になり、安藤方に近づき、開いていた木戸口から庭に立ち入つたのではないか、とも理解できないではないのである。そして、このような考えに基づく行動は、なるほど不合理かつ非常識なことであるとはいえるけれども、妻に絡まれて困惑していた者の行動としてみると、ありえないものではないといえるのであり、被告人の前記供述を全く虚構なものであるとして否定し去ることはできないのであつて、その供述内容どおりの事実である可能性もあるといわなければならない。
(ヘ) なお、証人安藤邦彦及び同安藤宏子は、被告人が安藤邦彦とともに安藤方玄関に来た際に、「女房が来ているかと思つて」と話した旨それぞれ供述し、また証人安藤宏子は、翌朝の七日午前八時三〇分ころ被告人が安藤方に来た際に、「ゆうべ女房は遅く帰つて来た。二時半ころ帰つて来た。」と話した旨供述している。そして、もし、これらの供述どおりのことを被告人が話したとするならば、本件当夜被告人が外出する際には妻敏子は帰宅しておらず、被告人が外出したのも妻敏子から安藤宏子を呼んでくれなどと絡まれたためではないことになる。
しかしながら、まず、被告人は、安藤方玄関では、「家内に用事を頼まれて。奥さんが起きているかと思つて。」と話した旨供述している。そして、これを前記安藤夫妻が聞いたという言葉と対比してみると、「家内」「奥さん」が「女房」、「起(お)きているかと思つて」が「来(き)ているかと思つて」というように非常に似ており、しかも、不意の出来事のあつたあとの発言だけに聞き違えるなどの可能性も否定できない。また、被告人は、翌朝安藤方を訪ねた際には、「昨夜は家内がだいぶ酔つて帰つて遅かつたものだから、あんな時間になつた。」と話した旨供述している。そして、これを安藤宏子が聞いたという言葉と対比してみると、「あんな時間(被告人は、妻敏子が一二時半ころ帰つてきたと供述しているが、安藤宏子に対して、一二時半ころ帰つてきたと話したかどうかは、その供述からは明らかでない。)」が「二時半ころ(これは、検察官の誘導尋問によつて答えたものであり、正確な記憶に基づくものかどうか明らかでない。)」「だいぶ酔つて帰つて遅かつたものだから」が「遅く帰つて来た」というように似かよつた点があり、しかも、安藤宏子は、前記供述から窺えるように本件当夜被告人が「女房(敏子)が来ているのかと思つて」来たものと考えていたとすれば、誤解し易い言葉であり、誤解した可能性も否定できない。
従つて、前記証人安藤邦彦及び同安藤宏子の各供述からは、本件当夜被告人が外出する際には妻敏子は帰宅していなかつたとか、被告人が外出したのは妻敏子に宏子を呼んでくれなどと絡まれたためではないとかとは言えないのであつて、右各供述は、前記二3(二)(2)(ロ)のように被告人の妻敏子が被告人の外出する前に帰宅したと認定することの妨げとなるものではないのである。むしろ、被告人の妻敏子が被告人の外出する前に帰宅したことを考慮すると、被告人が前記各証人の供述するようなことを言うとは通常考えられないのであり、被告人の供述しているとおりに話した可能性が強いのであつて、それによると、被告人は妻敏子に宏子を呼んでくれと依頼されたこと、それが契機となつて安藤方庭に立ち入つたものであることの可能性があるといえるのである。(被告人の供述するとおりに「家内に用事を頼まれて」と話したとしても、それは、安藤方庭に立ち入つた際には声を掛けるなどのことができずにどうしようかと思案していた被告人が安藤邦彦に発見され、同人方玄関で顔見知りの安藤宏子に会つたために話したものであつて、安藤方庭に立ち入る際に同女を呼ぼうという積極的な目的があつたことを示すものであるとはいえない。)
(3) 以上検討してきたところから明らかなように、被告人が安藤方庭に立ち入つたのは妻敏子に頼まれて安藤宏子を被告人方に招くべく呼ぼうという積極的な目的をもつてであつたとは認められず、また、被告人が安藤方庭に立ち入つた経緯として供述しているような「飲酒酩酊して帰宅した妻敏子に絡まれて困惑し、その煩わしさを避けるために自宅を出たが、外に出ると、安藤方二階に明りがついていたので、起きているようなら声を掛けようかという気持ちになり、つい明りに引かれるように安藤方の方に行き、開いていた木戸口から庭に立ち入つた。」との事実も認定することはできないが、右のような事実である可能性はあるといえるのである。
従つて、被告人が安藤方庭に立ち入つたのは、検察官主張のように同人方住居をのぞき見る目的であつたと推認することはできないのである。
(三) ところで、弁護人は、「被告人が安藤方庭に立ち入つたのは、被害者安藤夫婦の推定的承諾の範囲内のものであり、もし、それを超えるとしても可罰的違法性はない。」と主張する。しかしながら、たとえ、被告人が前記供述のような経緯で安藤方庭に立ち入つたものであるとしても、被告人は、安藤邦彦とは一面識もないのに深夜同人方を訪れてその妻敏子に声を掛けようとしたものであり、仮に被告人が宏子に妻敏子が呼んでいる旨を伝えたにしろ、宏子がその招待を断ることが明らかであるから、安藤夫妻にとつては有難迷惑以外の何ものでもなく、被告人が事前に安藤方を訪れることの承諾を求めたとすれば、安藤夫妻が拒絶することも明らかであるといえるし、しかも、居住者からのぞき見をしたのではないかと疑われるような態様で立ち入つたものであつて、それは、まさに被告人自身が当公判廷で認めて供述しているように非常識な行為であつて、安藤方庭に立ち入る正当事由はなく、居住者である安藤夫婦の推定的承諾の範囲を超え、かつ可罰的違法性もあるというべきである。(なお、蛇足ながら、仮に、被告人が安藤宏子を被告人方に招くべく呼ぼうという積極的な目的で立ちち入つたものであるとしても、右に述べたのと全く同じ理由によつて、安藤夫婦の推定的承諾の範囲を超え、かつ可罰的違法性もあるといえる。)
従つて、弁護人の右主張は、採用できないのである。
(四) 以上のような次第であつて、被告人が安藤方庭に立ち入つたのは、同人方住居内をのぞき見る目的であつたとも、安藤宏子を被告人方に招くべく呼ぼうという積極的な目的であつたとも認めることはできないのであり、被告人の供述するような経緯である可能性があるが、たとえ、そのような経緯であつたとしても、その立ち入りについては何ら正当事由はなく、居住者たる安藤夫婦の承諾のない違法なものであるというほかなく、刑法第一三〇条にいう「故ナク……侵入シ」たことに該当するといわなければならない。
ところで、刑法第一三〇条の住居侵入罪の罪となるべき事実としては、故なく侵入したことを判示すれば足り、必ずしも侵入の目的を判示する必要はないと解されるところ、前記のように被告人が安藤方庭に侵入したのは、同人方住居をのぞき見る目的であつたとも、安藤宏子を被告人方に招くべく呼ぼうという積極的な目的であつたとも認定することができないのであり、被告人の供述するような経緯で侵入した可能性があるというに止まるのであるから、判示(罪となるべき事実)のように侵入の目的をのぞいて判示したものである。そして、このように侵入の目的を除いて認定し判示することは、弁護人の主張に基づき被告人の供述を検討した結果であつて、被告人や弁護人らにとつて何ら不意打ちとなるものではないから、訴因変更の手続をとる必要がないことは言うまでもないのである。
(五) なお、検察官は、「被告人は、本件以外にも他人の住居内をのぞき見た事実がある。」と主張し、その立証のために証人尋問の請求をしたが、当裁判所は、その請求を却下したので、その理由について説明する。
本件住居侵入の訴因は、被告人が安藤邦彦住居内をひそかにのぞき見る目的で同人方庭に侵入したというものであり、被告人は、安藤方庭に立ち入つたこと自体は認めており、住居内をのぞき見る目的があつたかどうかが争点となつているのであるから、検察官がその目的(主観的意図)の立証のために、被告人の他の類似行為の存在を証明し、その目的を間接的に証明することは、一般的には許してよい場合があると解される。しかしながら、本件においては、被告人は本件の安藤方はもちろん、他にものぞき見をしたことはないと否認しているのであるから、もし、検察官に被告人が他にのぞき見をした事実の立証をも許すとすれば、被告人が検察官の主張する他の住居内をのぞき見たかどうかばかりでなく、被告人がその住居近くにいたかどうかさえも立証することが必要となることが当然予想され、少なくとも本件住居侵入の訴因以上の困難な立証をせざるをえないこととなり、庇を貸して母屋を取られるが如きことになりかねないので、検察官が追起訴によつて審判を求めるのであれば格別、本件審理においてその立証を許すことは妥当とはいえないのである。
従つて、検察官の証人尋問の請求を却下したのである。また、検察官は、「被告人は、自宅にわいせつ写真を所持していた。」と主張し、その立証のために証人尋問の請求をしたが、わいせつ写真を所持していること自体が当然にのぞき見の目的があることを推測させるものとはいえないので、当裁判所は、その証人尋問の請求も却下したものである。
三 結論
以上検討したとおり、本件公訴事実中住居侵入の事実は認められるけれども、軽犯罪法違反の事実は、犯罪の証明がないことになる。しかし、同法違反の事実は、住居侵入罪と牽連犯の関係にあると解されるので、主文において無罪の言渡をしない。
(量刑の理由)
本件は、公訴事実のうち軽犯罪法違反の事実の証明がなかつたので、結局被害者方庭先に立ち入つた住居侵入の事案に止まるものであつて、これも被告人の妻と被害者の妻とが親しく交際していたことや侵入の態様に照らすと、比較的軽微なものといえ、被害者がのぞき見られたのではないかと疑うのがやむをえないような状況下で被害者方庭内に侵入した被告人に非常識なことをしたという落度があつたとはいうものの、のぞき見たのではないかと疑われ本件公訴の提起を受けたことによつて、被告人の名誉は損われ、これまでに受けたであろう被告人の精神的苦痛も相当なものと思料されるし、逮捕以来一月程身柄を拘束されていることなどの諸事情からすると、懲役刑をもつてのぞきむのは重きに失すると思われるので、罰金一万円に処したうえ、未決勾留日数中、一日を金二、〇〇〇円に換算して右罰金額に満つるまでの分を、右刑に算入するのが相当であると認めた次第である。
よって、主文のとおり判決する。