東京地方裁判所 昭和51年(特わ)3190号 判決 1977年10月24日
本籍
東京都東大和市大字奈良橋一一七〇番地
住居
同都同市大字蔵敷六八九番地
職業
会社役員
小嶋常雄
大正八年七月三一日生
右の者に対する所得税法違反被告事件につき、当裁判所は、検察官寺尾淳出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役六月および罰金七〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
ただし、この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、東京都東大和市大字蔵敷三九一番地において、「貯水池鳥山」の商号で飲食業を、「鳥山プール」の商号で遊泳プール業をそれぞれ営んでいたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、売上の一部を除外して簿外預金を設定する等の方法により所得を秘匿したうえ、
第一 昭和四八年分の実際総所得金額が四七、一一六、九七四円(別紙(一)修正貸借対照表の不動産所得、雑所得、事業所得の各差引修正金額の計参照)あったのにかかわらず、昭和四九年三月一四日、東京都立川市高松町二丁目二六番一二号所在の所轄立川税務署において、同税務署長に対し、昭和四八年分の総所得金額が一〇、〇二六、九一三円で、これに対する所得税額が三、一六一、五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額二四、九八九、一〇〇円と右申告税額との差額二一、八二七、六〇〇円を免れ(税額の算定は別紙(三)税額計算書参照)
第二 昭和四九年分の実際総所得金額が四二、三四二、三一三円(別紙(二)修正貸借対照表の不動産所得、事業所得の各差引修正金額の計参照)あったのにかかわらず、昭和五〇年三月一四日、前記立川税務署において、同税務署長に対し、昭和四九年分の総所得金額が五、七二二、七二五円で、これに対する妻富子の資産所得にかかる合算課税後のあん分所得税額が一、〇八三、九〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の妻富子の資産所得にかかる合算課税後の正規のあん分所得税額二〇、四八五、四〇〇円と右申告税額との差額一九、四〇一、五〇〇円を免れ(税額の算定は別紙(三)税額計算書参照)
たものである。
(証拠の標目)
判示冒頭の事実及び全般にわたり
一、被告人の当公判廷における供述
一、第一回公判調書中の被告人の供述部分
一、被告人の収税官吏に対する各質問てん末書(七通)
一、被告人の検察官に対する各供述調書(四通)
一、堀口幸夫の検察官に対する昭和五一年一一月二日付供述調書
一、持田稔の検察官に対する昭和五一年一一月二日付、同年一一月五日付、同年一一月一九日付各供述調書
一、小嶋多喜子の検察官に対する昭和五一年一一月八日付供述調書
一、証人榎本初子の当公判廷における供述
判示第一、第二の各事実添付の別紙(一)、(二)修正貸借対照表に掲げる各科目別当期増減金額欄記載の数額について
<現金>
一、被告人の収税官吏に対する昭和五〇年六月二四日付、同年一一月一八日付、同年一一月二一日付質問てん末書
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一一月二九日付調査書
<預金>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一二月一九日付預金調査書
<貸付金>
一、押収してある借用証等一袋(昭和五二年押第九二二号符二号)
<商品>
一、押収してある棚卸表一袋(前同号符一号)、押収してある昭和四七年分所得税青色申告決算書一袋(前同号符四号)、同じく昭和四八年分所得税青色申告決算書(前同号符五号)、同じく昭和四九年分所得税青色申告決算書(前同号符六号)(以下それぞれ昭和四七年分、昭和四八年分又は昭和四九年分決算書という)
<建物(貸家分)>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一二月一六日付査察官調査書
一、昭和四七、四八、四九年分各決算書
<建物(自宅分)>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五一年一月八日付事業主勘定調査書
<事業用建物、事業用プール設備、同機械、同備品、同車両>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一二月一〇日付減価償却資産調査書
一、昭和四七、四八、四九年分各決算書
<土地>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一二月六日付土地調査書
<保証金>
一、押収してある契約書一葉(前同号符三号)
<出資金>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一二月九日付出資金及び分配金調査書
<事業主勘定、料理店「綱一」建築資金勘定(事業主勘定)>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五一年一月八日付事業勘定調査書
一、同じく昭和五〇年一二月二六日付調査書(骨董品等購入額)
一、榎本初子の収税官吏に対する昭和五〇年一一月一四日付質問てん末書
一、同じく当公判廷における供述
一、小嶋富子の収税官吏に対する昭和五〇年一二月四日付質問てん末書
一、収税官吏野見山雅雄作成の昭和五二年八月三〇日付回答書
<未払費用>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一二月八日付未払費用調査書
<内野勘定(借地権勘定を含む)>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一二月一九日付調査書
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一二月八日付未払費用調査書
一、昭和四七、四八、四九年分各決算書
一、堀口幸夫作成の昭和五〇年七月二三日付証明書
一、大蔵事務官功刀靖介作成の昭和五二年六月九日付所得税の更正等決議書(写)
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年八月一〇日付公表普通預金調査書
一、同じく昭和五〇年一一月一〇日付仮名普通預金調査書
借地権については後記(いわゆる内野勘定六、〇〇〇、〇〇〇円の性格について)判断欄掲記の各証拠の標目
<借入金>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一〇月三日付借入金調査書
一、堀口幸夫作成の昭和五〇年七月二三日付証明書
<利子所得の分離課税分>
一、収税官吏栗原修作成の昭和五〇年一二月一九日付預金調査書
<雑所得>
一、押収してある借用証等一袋(前同号符二号)
公表金額および過少な確定申告書を提出したことにつき
一、押収してある昭和四八年分、昭和四九年分各所得税確定申告書(前同号符七、八号)
<元入金の計算方法について>
昭和四八年分二四七、九二三、三三二円については別紙(一)の資産の部の期首現在高合計二六九、七〇四、一三四円から負債の部の期首現在高二一、七八〇、八〇二円を控除した純資産額。
昭和四九年分二八七、七五一、六八八円については、別紙(一)の右純資産額二四七、九二三、三三二円に昭和四八年分の利子所得の分離課税分六、二四九、二六四円、不動産所得六六六、九六〇円、雑所得八三、三三四円、事業所得四六、三六六、六八〇円の計五三、三六六、二三八円を加算した後、事業主勘定一三、五三七、八八二円を控除した金額。
(いわゆる内野勘定六〇〇万円の性格についての弁護人の主張に対する当裁判所の判断)
弁護人は、内野悌二に対し支払った六〇〇万円は、過去において右内野の被相続人故内野綠太郎に支払った地代が割安であったことによる地代の追加払の性格をもつものであり、地代の支払が確定した時点(債務の確定)は、昭和四八年中であるから未払費用として当期資産の減少として処理されるべきである旨主張するので、この点についての当裁判所の判断を示すこととする。
被告人は当公判廷における被告人質問に際し、六、〇〇〇、〇〇〇円の性格について「あるときに兄貴から内野さんの所に今すぐ来るようにということで・・・・・行ったら、どうしても六〇〇万円ばかり足りないということで、相続税が足りないのかと言ったら、相続税はもう終ったんだ、・・・・・この際じいさんも死んでしまって、若い者だけになってしまったんだから、・・・・・地代も安すぎるから一〇〇万じやなくして月々一〇万なら一〇万ときちんとしておきなさいということです。それであのおじいさんは山を貸す場合でも、いくらで貸してくださいますかということばを使うと絶対貸してくれない人ですから、・・・・・金がほしくて貸すんじゃないということだったんですが、最初にお盆に五万円、また暮に五万円、そういうことを一、二年やりまして、三〇万になり、最後に五〇万ということになったわけです。(年に)五〇万ずつ二回です。それも、お中元、お歳暮ということで持っていかないと、地代ということばを使えばひどくおこられるわけですから、のし袋には、お中元、お歳暮と書いて持っていったわけです。・・・・・兄貴がいうには、このうちとは親せきづきあいを何代もやっていることだし、おまえもこのうちのためにそうなったんだから、きちんとしておかなければいけないと、・・・・・仏様にあげるつもりで、これから若い者と仲よくしていくためにけじめをつけろというようなことばが出たので、私は将来若い者と仲よくするためにということばが一番ぐっとくることばで、もちろんそうでなければならないわけですから、当然六〇〇万という金を払う気になりました。」と供述している。また、最初にこの土地を借りる時には無償で借りるということだったわけかとの問に対しても、被告人は「そうですね、ただということばを使うのもよくないことであるし、払うということもよくないことであるし、とにかく貸して下さい利用さして下さいという一本やりです」と供述したうえで、現在は有限会社として法人成りしているが、その利用関係については、被告人が会社から地代として毎月一〇万をとり、それを被告人が毎月内野悌二に渡していると供述し、更に、内野悌二がこの土地を返してくれと言ったらどうするかとの問に対しても「何しろ、これだけの設備をしてしまったんだから返すということは毛頭もないと思います」と供述している(被告人の当公判廷における供述)。
また、捜査段階においても被告人は収税官吏に対し「兄宗雄から地代の話があり、(年一〇〇万円)もう少し奮発できないか、きりの良いように月一〇万年一二〇万円でどうだと持ちかけられたので、まあいいやと承知しました。これで済んだと思ったとたん兄貴が常よ、先代(内野綠太郎)も亡くなったことだし、将来仲良くやっていくために、この際六〇〇万円くらいを何とかならないか、・・・・・と説得され、勝手に家を建てたりしているので権利金と言うような意味と納得して承知しました」とも供述している(被告人の収税官吏に対する昭和五〇年八月六日付質問てん末書問一四)。
しかして、右六〇〇万円を受領した内野悌二は、右金員を、不動産所得たる権利金として修正申告している(検察官の昭和五二年五月一三日付釈明書)。
右各証拠を総合すれば、本件六〇〇万円の性格は、被告人が先代内野緑太郎との間において、本件土地の使用関係における賃貸借契約の存在を明確ならしめるための権利金として支給した借地権の対価と認めるのが相当である。
他に右認定に反する証拠はない。
従って、借地権の対価であるから、それは税法上は非減価償却資産となり(所得税法二条一項一八号、令五条)必要経費に算入することができない。
しかして、前掲証拠から明らかなように、右六〇〇万円は、地代額と法律上直接の関係がないから、地代の支払債務の確定を論ずる必要はない。
以上のとおりであるから、弁護人の主張は失当である。
(事業主勘定のうち小嶋富子扱い生活費についての当裁判所の判断)
検察官は、事業主勘定のうち、小嶋富子扱い生活費として昭和四八年分につき二、三〇三、二〇二円、昭和四九年分につき一、八五九、三三二円を、収税官吏栗原修作成の事業主勘定調査書によって算定し、同金額を資産勘定に計上しているので、この点について判断する。
収税官吏栗原修作成の右調査書によれば、同金額の存在は認められるが、しかしながら、被告人は生活費につき捜査段階において検察官に対し「妻富子と光洋、康夫三人の生活は、光洋、康夫や嫁の多喜子に対し鳥山から支払っていた給料や、先に申した、朝鮮料理屋と床屋からの家賃によっていました」と供述している事実が認められる(被告人の検察官に対する昭和五一年一一月一五日付供述調書第二項)。
また、被告人の本妻小嶋富子も、収税官吏に対し、長男光洋と嫁の多喜子が鳥山に勤め、そこから貰う給料から生活していた旨供述し(小嶋富子の収税官吏に対する昭和五〇年一二月四日付質問てん末書)、更に、右小嶋多喜子も検察官に対し、昭和四八年、昭和四九年当時の生活費につき「光洋の給料(最初は警察、後に貯水池鳥山から支払われるもの)と、貯水池鳥山から支払われる私の給料で母や弟の分も含めて賄っていました。臨時支出のある時などには母が出してくれていました」と供述している(小嶋多喜子の検察官に対する昭和五一年一一月八日付供述調書)。
しかして、光洋、多喜子の給料収入は、昭和四八年分、昭和四九年分各確定申告書(押収してある確定申告書(前同号符七、八号))によれば、昭和四八年につき、光洋九九〇、〇〇〇円、多喜子四九五、〇〇〇円、昭和四九年につき光洋一、四〇〇、〇〇〇円、多喜子八〇〇、〇〇〇円であることが認められる。
これらの各証拠を総合すれば、小嶋富子、光洋、康夫等の生活費は、専ら、光洋、多喜子の鳥山からの給料収入によって賄われていたものと認めることができる。
ところで、収税官吏鈴木勇夫作成の「家計費調査書によれば、昭和四九年分については、同年六月分から一二月分までは「家計簿」が存在して実額が把握でき、これを基として一日当りの支出額二、九一八円を求めたうえ、それに三六五日を乗じて昭和四九年分の家計費を一、〇六五、〇七〇円と算定し得ること、昭和四八年分については、東京国税局調査統計課発行統計情報No.六六の個人営業者世帯人員別一ケ月間の消費支出(東京都区部)の昭和四七年、同四八年、同四九年の月平均を一年間に換算し、世帯主の年令別換算指数等により各年の消費支出を求め、同四九年の消費支出を基点に同四七年、同四八年の消費支出の上昇率を求め、この上昇率により、同四九年分の家計費一、〇六五、〇七〇円を基として同四七年分、同四八年分にスライドさせて推計し九五五、五八〇円と算定し得ることが認められる。しかして、昭和四八年分九五五、五八〇円、同四九年分一、〇六五、〇七〇円は、右光洋、多喜子両名の同年分における給料収入合計額の範囲内であるから、従って、富子、光洋、康夫等の生活費は右両名の給料収入によって生活していたものと推認することができる。
ところで、検察官主張にかかる小嶋富子扱い生活費は、被告人の妻や子に対する扶養を前提とし、被告人が妻子に支給した金員は、事業以外で費消したものとして事業主勘定を構成するとされるが、しかしながら光洋、多喜子が自らの給料収入から生活費を支弁していた事実を考慮していない。
光洋や多喜子において、被告人が本来扶養すべき家族の日常生計費を自己の資金を以て代って支払っていたとすれば、その金額に相当する部分については、事業主勘定における生活費から控除する必要がある。
被告人は、殆んど本妻富子等家族のもとに立寄らず、長年にわたって榎本初子と同棲していたものであり(小嶋富子の前同質問てん末書)、叙上認定のように、富子等の生活費は専ら光洋、多喜子の給料収入によって賄われていたのであるから、従って、そのうちの少なくとも食生活分としての昭和四八年分九五五、五八〇円、昭和四九年分一、〇六五、〇七〇円相当額については、事業主勘定生活費から控除すべきが相当である。
なお、被告人は、青色申告を取消され被告人が光洋、多喜子に対し青色事業専従者給与として支給した昭和四八年同四九年分の各金額は、白色申告者としての二〇万円および三〇万円ではないかとの疑問があろうが(所得税法五七条三項)、しかしながら、前掲各証拠によれば、被告人は榎本初子と同棲し別居していたもので、光洋、多喜子夫婦は毎月支給を受ける鳥山からの給料収入から自らの責任と計算でそれぞれの食費その他の日常の生活費を支弁し、時に被告人から若干の援助を受けることがあったものの、基本的には独立の世帯としての生計を営んでいたことが認められるのであり、生計の源泉が専ら被告人の事業にあったとしても被告人と有無相扶けて日常生活の資を共通にしていたものとは認められないから(最高裁昭和五一年三月一八日第一小法廷判決、裁判集(民事)一一七号二〇一頁参照)、従って、光洋、多喜子に支給した金員は、すべて同人等において被告人の事業に従事したことの対価(雇人費)であると解するのが相当であるから、何等叙上認定を左右するものではない。
しかして、事業主勘定の生活費につき、小嶋富子扱い生活費昭和四八年分二、三〇三、二〇二円のうち食生活分としての九五五、五八〇円、同じく昭和四九年分一、八五九、三三二円のうち食生活分としての一、〇六五、〇七〇円各相当額については、他に事業以外に費消し処分された事実が認められないので、それぞれ資産勘定として認めないこととした。
(法令の適用)
判示の各所為は、いずれも所得税法二三八条に該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑と罰金刑を併科する。以上の各罪は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情最も重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で主文の刑に処し、罰金刑の換刑処分については同法一八条を、懲役刑の執行猶予については同法二五条一項をそれぞれ適用する。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 松沢智)
別紙(一)
修正貸借対照表
小嶋常雄
昭和48年12月31日
別紙(二)
修正貸借対照表
小嶋常雄
昭和49年12月31日
別紙(三)
税額計算書