東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)118号 判決 1981年7月27日
原告
甲野三郎
右訴訟代理人
栗山和也
外二名
被告
法務大臣
奥野誠亮
被告
東京入国管理事務所主任審査官
吉田茂
右被告両名指定代理人
中島尚志
外四名
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた判決
一 原告
1 被告法務大臣が昭和五一年七月二三日付で原告に対してした出入国管理令四九条一項による異議の申出が理由がないとする裁決を取り消す。
2 被告東京入国管理事務所主任審査官が同月二六日付で原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 被告ら
主文同旨<以下、事実省略>
理由
一原告の地位及び本件退去強制手続の経過に関する請求原因一の事実は当事者間に争いがない。そして、<証拠>(判決謄本)によると、原告は、殺人、窃盗、傷害及び外国人登録法違反の罪で少年時の昭和四一年一〇月二八日懲役五年以上一〇年以下の判決を受けたこと、右殺人の罪は、原告が一七歳の時の同年三月一九日午前二時頃友人の星野誠と飲食店に立ち寄つた際相客の中村征夫と視線があつたことなどからけんかとなり、星野が中村と殴り合い蹴り合いを始め、原告もこれに加わつて所携のくり小刀で中村の左肩口付近を一回突き刺して傷害を与え、更に、星野がその場から逃げようとする中村の着衣を掴みながら「刺しちやえ、刺しちやえ」と叫んだところ、原告は右小刀で中村の左背部を一回力一杯突き刺し、まもなく中村の心臓に達する左背面刺創に基づく失血により死亡させたというものであり、原告は右行為につき未必の故意による殺人、星野は傷害致死の各責任を負わされたこと、また、右窃盗の罪は、原告が同年二月三日から同年三月二三日までの間に仲間と共謀して前後二二回にわたり普通乗用者等八四点時価合計約五三七万円の金品を窃取したというものであること、右傷害の罪は、原告が同年三月七日他人に暴行を加えて加療約一〇日間を要する傷害を負わせたというものであること、更に、右外国人登録法違反の罪は、原告が同年二月初め頃外国人登録証明書を紛失したのを知つたにもかかわらず所定の期間内に再交付申請をしないでそのまま本邦に在留したというものであることが認められる。
そこで、右のように原告が懲役五年以上一〇年以下の刑に処せられたことをもつて特別法六条一項六号に該当するとしてなされた本件裁決及び本件退令処分に原告主張の違法事由があるか否かを順次検討する。
二日本国籍を喪失していないとの主張について
原告は、そもそも原告が日本国籍を喪失していないので、原告を退去強制の対象とすること自体が許されないと主張する。
原告が昭和二三年一二月一三日東京〇〇市において朝鮮人父甲野太郎と同母乙野花子の三男として生まれたことは前記一のとおりである。ところで、明治四三年の韓国併合に関する条約により朝鮮人は日本国籍を取得するに至つたので、原告の両親は原告出生当時日本国籍を有し、原告は出生により日本国籍を取得したものである。ところが、今次大戦後の昭和二七年四月二八日の発効した昭和条約は、二条(a)項において、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び爵陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定しており、日本は、平和条約の右条項により、朝鮮の独立を承認し、朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄し、その日本国籍を喪失させることになつたものである(最高裁判所昭和三六年四月五日大法廷判決民集一五巻四号六五七頁参照)。原告は、右条項は日本が朝鮮の領域を喪失することを定めたものにすぎず、これにより在日朝鮮人が当然に日本国籍を喪失することにはならない旨主張するが、国家は人、領土及び政府を存立の要素とするものであり、日本が朝鮮の独立を承認するということは、単に朝鮮に属すべき領土に対する主権を放棄することを意味するにとどまらず、朝鮮に属すべき人に対する主権の放棄も意味するのであつて、その結果、朝鮮に属すべき人は日本国籍を当然喪失することになるものであるから、原告の右主張は採用できない。なお、法務府民事局長通達は、平和条約の発効により朝鮮人が日本国籍を喪失したことを前提とした上で、これに伴う国籍及び戸籍事務の処理方針を明らかにしたものにすぎず、右通達によつて朝鮮人が日本国籍を喪失することになるものではないから、右通達が在日朝鮮人の国籍選択権を奪い憲法等に違反する旨の原告の主張も失当である。
右のとおり、原告は平和条約の発効により日本国籍を喪失したものであり、原告に対し日本国籍を有しないものとして退去強制手続を進めることに違法はない。
三特別理由不存在の主張について
原告は、日韓両国の歴史的関係や日韓条約及び地位協定の締結、更には特別法制定の趣旨から、協定永住権者に対して退去強制手続を行うためには、形式的に特別法六条一項各号の事由が存在するだけでは足りず、その者をあえて韓国に送還すべき特別の理由が存在することを立証する必要があると主張する。
しかし、協定永住権者に対する退去強制について、地位協定三条は、「次のいずれかに該当することとなつた場合を除くほか、日本国からの退去を強制されない。」として、(a)ないし(d)の四事由を列挙し、また、右条項を国内法化した特別法六条一項も、「退去強制は、……次の各号の一に該当することとなつた場合に限つて、することができる。」として、一号ないし六号の六事由を列挙しており、その限りにおいて協定永住権者に対する退去強制事由が一般の在留外国人に対する退去強制事由を定めた令二四条よりも相当に限定されていることは明らかであるが、それ以上に、原告の主張するような特別の理由を併せ伴わなければ協定永住権者に対して退去強制手続を進めてはならないことまでを規定しているものとは解されない。合意議事録三条関係3には、韓国政府は地位協定三条の規定により日本国から退去を強制されることとなつた者の引取りについて日本国政府の要請に従い協力すると定められていることからみても、地位協定三条、したがつてこれを国内法化した特別法六条一項各号の事由があれば協定永住権者に対して退去強制手続をとることを妨げないことを前提としていることが窺われる。原告主張の歴史的沿革等の事情は、地位協定三条及び特別法六条一項の規定自体の中に盛り込まれているのであり、法文に明定されている事由の外に特別の理由を立証しなければ退去強制手続を進められないとの主張は採用できない。
四合意議事録違反の主張について
合意議事録三条関係2は、地位協定三条(c)又は(d)に該当する者の日本国からの退去を強制しようとする場合には、日本国政府は人道的見地からその者の家族構成その他の事情について考慮を払うと定めているが、その趣旨は、右法定の退去強制事由がある場合でも、特別法七条及び令五〇条により諸般の事情を総合して在留を特別に許すべきか否かを判断することとなるので、その判断の際に、協定永住権者については、その地位の特殊性に鑑み、人道的見地からその者の家族構成その他の事情を考慮しなければならないということを明らかにしたにとどまり、それ以上に、特別法六条一項各号に明定された事由に該当する者であるにもかかわらず、その者の協定永住権を失わせることが実質的に妥当であるか否かを入国審査官等が判断して退去強制手続自体を進めることを差し控えるべきことを要求しているものではない。
したがつて、協定永住権者たる原告に特別法六条一項六号に該当する事由があるとして退去強制手続を進めることに違法はない。
五特別法六条一項六号適用の誤りの主張について
1 原告は、少年に対する刑事処分は特別法六条一項六号の適用対象外であると主張する。
しかし、特別法六条一項六号は、退去強制事由として、無期又は七年を超える懲役又は禁錮に処せられた者と規定するだけで、成人として刑事処分を受けたか少年として刑事処分を受けたかを格別区別していないし、また、少年であつても少年法五一条により無期又は一〇年以上一五年以下における懲役又は禁錮の刑を科せられることもあることに徴すると、特別法六条一項六号が少年に対する刑事処分を特に除外しているものとは解せられない。もつとも、一般の外国人の退去強制事由を定めた令二四条が、四号リで一年を超える懲役又は禁錮の刑事処分を退去強制事由としながら、少年に対する刑事処分については四号トで長期三年を超える懲役又は禁錮に限定しているのに対し、特別法六条一項には右の令二四条四号トに対応するような少年に対する刑事処分についての限定規定がない。しかしながら、特別法六条一項は、協定永住権者について退去強制事由となる刑事処分を無期又は七年を超える懲役又は禁錮に限定しており、一般外国人に比しその範囲を著しく制限しているため、それ以上に少年に対する刑事処分についての限定規定を設けなかつたものと解されるのであつて、令二四条四号トに対応する条項のないところから、少年に対する刑事処分が退去強制事由に該当しないと解するのは相当でない。また、犯罪時少年であつても判決時に成人に達しておれば一般の成人と同様の刑事処分を受けるのであつて、判決言渡時に少年であつたというだけで退去強制処分を免れることになれば、公平を欠く結果にもなると考えられる。そして、合意議事録三条関係2や少年法の精神に照らしても、少年に対する刑事処分が特別法六条一項六号の適用対象外であるとは解されない。
なお、原告は、地位協定成立に先立つ第六次日韓会談第二次政治会談予備折衝第七回法的地位関係会議において、日本側が少年に対しては七年を超える懲役又は禁錮に処せられても退去強制をしない旨を提案していたと主張して、甲第二七号証の七の三九八頁を指摘し、証人梶村秀樹も右書証がその旨を明らかにしていると供述している。しかし、仮に、甲第二七号証の七が韓国側において韓国語で記録した原告主張どおりの会議の記録であるとしても、外交交渉の一過程における提案に法的効力を認めることができないのはもとより、右甲第二七号証の七の原告指摘部分を原告の付した訳文によつて検討しても、昭和三七年一一月三〇日日本側が会議に提出した書面には、「第1(協定上の永住)」という標題の下に、1として、今次大戦終了の日以前から在日する大韓民国国民及びその子で平和条約発効までに日本国で出生し継続して在留している者には永住を許可すること、2として、右許可を受けようとする者は所定の手続により日本国政府にその申請をすべきこと等を記載したのに続いて、3として、「日本国政府は、第1項の規定により永住を許可する大韓民国国民に対しては日韓両国間の親善関係を害するような重大な反社会的行為(注)をしない限り日本国からの退去を強制しないこととする。」とし、右の(注)として、「永住韓国人が退去強制されるのは合意議事録で次の各号の一つに該当する者の場合とするという意図を明確にする。1、出入国管理令第二四条四号オ、ワ及びカに該当する場合で刑事裁判により禁錮以上の刑を受けた者。ただし執行猶予の言渡を受けた者は除外。2、七年を超過する懲役又は禁錮に処せられた者。3、麻薬犯の取締に関する日本国の法令の規定に違反し禁錮以上の刑を受けた者。ただし執行猶予の言渡をうけた者は除外。4、出入国管理令第二四条四号ヨに該当する場合のうちで適用に関しては適切な表現を考慮する。」と記載していること、更に、同書面には、「第2(永住韓国人の子)」という標題の下に、1として、「日本国政府は第1第1項の規定により永住を許可する大韓民国国民の子(息子)に関しては、彼らが成年に達する時までは在留資格を付与することなく日本国に在留できるものとし、又、第1第3項に規定された場合を除外しては日本国からの退去を強制しないこととする。」と記載していることが認められるのであり、これによれば、日本側は、永住許可を受けた大韓民国国民の子(少年)であつても、前記「第1(協定上の永住)」の3に(注)として具体的に掲げられた重大な反社会的行為のいずれか(七年を超える懲役又は禁錮に処せられることはその一つとされている。)に該当する場合には成人と同様に退去強制事由とするという趣旨の提案をしているものであることが明らかであり、原告主張のように少年に対する刑事処分を退去強制事由としない旨を表明しているものとは認められない。原告及び証人梶村秀樹は、右「第2(永住韓国人の子)」の1の「大韓民国国民の子に関しては……第1第3項に規定された場合を除外しては……退去を強制しないこととする。」というのは、「第1(協定上の永住)」の3の(注)に掲げられている1と3の場合すなわちいわゆる公安事犯と麻薬犯については退去強制できるが、右(注)の2の七年以上の懲役又は禁錮に処せられた場合と4のいわゆる一般条項の場合には退去強制をしない趣旨を表わしたものであると述べるが、右に引用した訳文中の「第1第3項」という表現は前記の「第1」の3全体を指すものであつて、右原告らのいうように解することは前後の文言や文脈の関係から到底不可能というほかない。よつて、この点に関する原告の主張も採用できない。
以上のとおりであるから、少年法に規定する少年として懲役五年以上一〇年以下に処せられた原告を特別法六条一項六号の適用対象とすることに違法はない。
2 更に、原告は、仮に、少年に対する刑事処分が特別法六条一項六号の適用対象になるとしても、不定期刑の場合は短期を基準とすべきであり、短期五年の懲役刑に処せられた原告は右条項には該当しない、と主張する。
特別法六条一項六号は不定期刑の場合に長期と短期のいずれによるべきかを特に定めていないが、一般法たる令二四条四号トが「少年法に規定する少年でこの政令施行後に長期三年をこえる懲役又は禁こに処せられたもの」と長期を基準とする旨を定めていることからすれば、別段の規定のない限り、不定期刑に処せられた協定永住権者について特別法六条一項六号を適用するに際しても長期の刑を基準とすると解するのが相当である。不定期刑は、刑期に幅があるが、原告主張のように短期の期間のみが本来の刑であると解することはできず、長期までの期間ももとより刑であつて、長期が七年を超える場合は、「七年をこえる懲役又は禁錮に処せられた」ものというべきである。本来、退去強制制度は、日本の安全及び秩序の維持を図るためのものであり、刑事処分が退去強制事由となるのも、当該犯罪行為の重大さ、悪質さに着目してのことであつて、犯罪行為の重大さ、悪質さを決すべき基準は長期の方というべきであるから、特別法が長期を基準としているものと解することは、退去強制制度の趣旨にも合致するのである。のみならず少年法五二条一項但書及び同条二項によれば不定期刑における短期の最高限は五年と制限されているから、もし原告の主張するように短期を基準とすべきであるとすれば、不定期刑を科された少年が特別法六条一項六号に該当するということはおよそあり得ないこととなるが、既に述べたように少年に対する刑事処分を退去強制事由から特に除外するとする建前はとられていないにもかかわらず、結果的にその適用を一切許さないとしたのと変わりのない立法が行われたと考えることは理に合わないことである。原告指摘の少年法五八条三号や犯罪者予防更生法四八条は、刑の執行に関する規定であつて、右解釈の妨げとなるものではない。
したがつて、長期一〇年の懲役に処せられた原告(なお、原告は、後述のとおり、現実にも一〇年全部を服役している。)は特別法六条一項六号に該当するのであり、本件裁決及び本件退令処分に右条項を誤つて適用した違法はない。
3 原告は、右条項に該当するような事情にある原告に対して、服役中の刑務所が協定永住許可申請を勧奨し、政府はこれを許可したのであつて、政府がその後になつて右条項に該当するとして退去強制をすることは許されないと主張するが、右勧奨が退去強制をしないという国家意思の表明を意味するものでないことはいうまでもないことであり、また、協定永住許可は一定の資格要件を備えた者に対して与えるものとされており、退去強制事由が認められても不許可とすることはできないのであるから、右主張は採用できない。
六裁量権濫用の主張について
最後に、本件裁決に裁量権を濫用した違法があるかを検討する。被告らは、被告法務大臣の令四九条三項に基づく裁決及び被告主任審査官の行う退去強制令書発付処分は裁量行為ではないから、本件裁決及び本件退令処分に裁量権濫用による違法が生じる余地がないと主張する。しかし、令五〇条及び出入国管理令施行規則三五条四号によれば、被告法務大臣は裁決に当たり、令四九条一項による異議の申出が理由がないと認められる場合でも一定の要件があるときは異議申出人に在留特別許可を付与することができ、在留特別許可を与える場合には異議申出を棄却せず、逆に在留特別許可を与えない場合には異議申出を棄却する旨の裁決を行うものであるから、棄却の裁決は、異議を排斥する処分であるとともに、在留特別許可をすべき場合にも当たらないとしてこれを付与しない処分としての性質をも有し、この後者の判断につき裁量権の濫用があるときは裁決は違法となり、これを前提とする退去強制令書発付処分も違法となるものである。よつて、右濫用の有無を検討する。
1 <証拠>を総合すると、(一)原告は、昭和二三年一二月一三日東京都○○市において朝鮮人父甲野太郎と同母乙野花子の三男として出生し(この点は前述のとおりである。)その後も終始日本で成長し、日本の小学校を卒業後日本の中学校に入学し、中学三年の昭和三九年二月まで在籍したこと、原告の非行は中学在学中から始まり、原告は、暴力団にも加入し、昭和三八年中に窃盗罪等により東京家庭裁判所八王子支部において保護観察及び審判不開始の処分を一回ずつ受け、更に昭和三九年四月二四日には同支部において傷害罪により初等少年院送致決定を受け、赤城少年院に入院し(赤城少年院に送致されたことは当事者間に争いがない。)、その後昭和四〇年六月一〇日に同少年院を仮退院したが、半年程で本件で問題とされている殺人、窃盗、傷害及び外国人登録法違反の罪を犯して前述のとおり服役し、更に、横浜刑務所服役中の昭和四六年七月二六日看守に対して暴行を加え(右暴行の事実は当事者間に争いがない。)、横浜地方裁判所において昭和四七年六月二七日公務執行妨害及び傷害の罪により懲役四月に処せられたこと、原告は、右殺人等の罪につき一〇年の刑期を終えた後右公務執行妨害罪等による刑の一部を服役し、昭和五一年七月二三日仮出獄により府中刑務所を出所したが、直ちに東京入管に収容され、大村入国者収容所に移送された後、昭和五二年五月二七日仮放免となつたこと、原告は、仮放免後は、母乙野花子と共に△△市に住み、長兄甲野一郎が経営する廃棄物選別再生取扱業を手伝つているが、韓国へ行つたことはなく、韓国語も話せないこと、原告の父母は、ともに朝鮮で出生し、日本で知り合つて結婚し、その間に三男三女が生まれ、親子全員が日本で生活してきたところ、原告の父は昭和四八年頃死亡したが、母はアパートを経営し、兄及び姉妹はそれぞれ独立していずれも△△市周辺で暮らしていること、朝鮮に原告ら家族の親族はいないわけではないようであるが、原告らと格別の交際はないこと、(二)原告は、仮放免後、殺人事件の被害者の母を訪ね、被害者の供養をしたこと、(三)原告は、過敏な性格と拘禁生活との影響により服役中に拘禁性精神病にかかり、一時は「頭の中に機械が入つてその音がうるさい。」等と述べる程の重症状態を呈し、電気けいれん療法等を受け、前記昭和四六年七月の看守に対する暴行事件も右拘禁反応の影響が多少あつたのではないかとする専門家の意見もあること、右病状は府中刑務所を出所した昭和五一年頃は相当快方に向かつていたものの、昭和五三年九月時点でも未だ投薬療法を継続しており、主治医の広田伊蘇夫医師は、昭和五三年九月の証人尋問において、完治にはなお三、四年を要し、家族に囲まれた安定した精神環境が必要であり、拘禁状態や異なる生活環境下に置かれれば病勢が昂進する可能性もある旨を述べていること、以上の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。
2 右認定の事実によれば、原告が退去を強制されて韓国で暮らすことには相当の困難が伴うことは明らかである。協定永住権者は社会的経済的文化的に日本と深く関わり、これを退去強制すれば当該個人に相当の困難を強いる結果となることは予想されるところであるが、それゆえにこそ、特別法六条一項は協定永住権者に対する退去強制事由を一般の外国人に関する令二四条所定の事由よりもはるかに制限し、重罪犯その他我が国の国益を著しく害する所定の六事由がない限り退去強制をしないと定めているのであつて、それにもかかわらずあえて右所定の事由に該当する行為をしたときは、我が国の国益との比較均衡上当該個人が退去強制による右の困難をも忍ばざるを得ない場合があることは、これを認めなければならないのである。したがつて、退去強制をされると韓国において生活していくことがほとんど絶望的で身体生命の安全が危ぶまれるといつた異例かつ特段の事情がある場合はともかく、その者が韓国での生活経験等を有しないため生活に相当程度の困難を強いられることがあるとか、あるいは韓国に送られると従来より治療環境が低下する長期的疾患を有しているというだけでは、直ちにその者に対する退去強制を許されないものと目すべきではない。合意議事録三条関係2が「人道的見地からその者の家族構成その他の事情について考慮を払う。」と定めている趣旨は前述のとおりであつて、協定永住権者の家族の離散等の事態はできるだけ避けるべきではあるけれども、それとても、退去強制事由の内容、程度や家族構成のいかん等を総合的具体的に考慮して決められるべきことであり、協定永住権者本人又はその家族に苦痛や困難がもたらされるというだけで右の人道条項に抵触するというものではない。
原告は、いわば日本人と同様に日本で生まれ育つた者ではあるが、前述のとおり特別法六条一項六号に該当する殺人等の重罪を犯したものである。原告は、それが少年期の犯罪であり、その動機や態様、非行に至る社会的背景等からすれば、犯情は必ずしも重くないと主張するが、現在原告が既に刑期を終えて更生を期しているとしても、なお、その責任と国益侵害の程度が軽微化したものとたやすくいい得るものではない。そのうえ、原告は本件退令処分当時二七歳の独身男子であつて、その意欲さえ持てば韓国で自活していくことが著しく困難であるとはいえないのであり、かつ、原告を措いて他に保護の任に当たり得る者のない幼児や老齢者といつた要保護者がいるわけでもない。もつとも、原告が服役中にかかつた拘禁性精神病は本件裁決当時完治していなかつたし、現在でも投薬を受けており、急激な環境の変化が治癒に向かいつつある病勢を昂進させる可能性もあるというのであるから、本件退令処分の執行の時期等については相当の配慮が望まれるところであるが、原告の韓国における生活や治療については病状を長期的に悪化させないよう原告の家族による協力や援助も期待されて然るべきものであつて、原告に右の疾患のあることが本件裁決を著しく非人道的たらしめるものとは未だいい難い。
3 以上を総合すると、本件裁決が原告に在留特別許可を与えなかつたことに裁量権濫用の違法はなく(原告の主張する国際会議決議及び世界人権宣言等は右の判断を左右するものではない。)、これを前提とする本件退令処分にもこの点の違法はないというべきである。
七以上のとおり、本件裁決及び本件退令処分に原告主張の違法はないから、原告の請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条及び民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(佐藤繁 泉徳治 岡光民雄)