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東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)40号 判決 1978年7月18日

原告 宮田洋三

被告 東京都町田市 東京都町田市長

主文

一  被告東京都町田市長が昭和五〇年九月一三日原告に対してなした「町田市市民部へ勤務を命ずる。」との処分を取消す。

二  被告東京都町田市は原告に対し、一一〇万円及びうち九〇万円については昭和五一年九月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告の被告東京都町田市に対するその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用中原告と被告東京都町田市長との間に生じたものは被告東京都町田市長の負担とし、原告と被告東京都町田市との間に生じたものはこれを四分し、その三を原告の負担とし、その余は被告東京都町田市の負担とする。

五  この判決の第二項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(一)  主文第一項と同旨。

(二)  被告東京都町田市は原告に対し、三九〇万円及びうち三四〇万円については昭和五一年九月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(四)  第二項につき仮執行宣言。

二  被告両名

(一)  原告の被告両名に対する各請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  原告の地位、経歴

原告は昭和四一年三月慈恵会医科大学(以下慈恵医大という。)を卒業後、昭和四二年同大学精神神経科教室に入局して昭和四三年医師免許を取得し、昭和四六年五月より昭和四七年五月まで沖繩精和病院に精神科医として勤務した後、同年六月より同四八年六月まで神経学の知識、技術を習得するため国立国府台病院神経科に勤務し、同年七月一日神経科医師として被告東京都町田市(以下単に被告町田市という。)に採用され、以後町田市立中央病院(後に総合病院化され町田市民病院に名称変更される。以下単に市民病院又は病院という。)に勤務している。

二  行政処分の存在

被告町田市長は原告に対し、昭和五〇年九月一三日付発令通知書をもつて被告町田市の市民部へ勤務するように命じた(以下右処分を本件処分という。)。原告は昭和五〇年一〇月一八日東京都市公平委員会に対し本件処分につき審査請求の申立をなし、右請求は同年一一月二二日受理されたが、その後三ケ月を経過するも未だ裁決がなされない。

三  本件処分に至るまでの経過、背景

(一) 市民病院及び同病院神経科の概要

市民病院は従来、内科、外科、整形外科、産婦人科、小児科、神経科その他合計一〇の診療科目を擁する病院であつたが、さらに耳鼻咽喉科その他の科を新設し、医療行政の充実発展を図るべく昭和四九年より新病棟の建築が開始され、昭和五〇年一〇月一日より新病棟による医療が開始された。

本件処分の行なわれた同年九月一三日頃において市民病院に勤務する医師は常勤医師一七名(院長を含む)非常勤医師、嘱託医師合計約一九名であつた。

原告が同病院に勤務して以後の神経科勤務の医師は常勤医師二名(近藤医長及び原告)、非常勤医師一名、嘱託医師一名(脳波を専門に担当)であつた。同神経科の外来患者数は一日平均約二五、六名、入院患者は約一七名程度で常勤、非常勤医師三名が週二日ずつ外来患者を診察し、入院患者については同医師ら三名の分担のもとに主治医制がとられていた。

(二)医師評議会の結成

市民病院には一般の病院同様医局がおかれていたほか、医師によつて構成される医局会なる組織があつた。医局については、町田市立中央病院処務規程(病院の名称変更に伴い町田市民病院処務規程に名称変更されたもの、以下病院処務規程という。)中に若干の規定があるが、医局会についてはその目的、権限、活動につき拠るべき規程、規約類はなかつた。そこで原告らは医療の中心たるべき医師団の意思を病院運営に反映させるについては行政上の組織とは別に医師の組織体を作る必要があると考え、昭和五〇年三月頃医局会の席上、従来の医局会を廃止し、新たな医師集団の組織を作ることを提案した。この提案をめぐり医局会で種々討議が重ねられた結果、同年四月二三日院長、副院長管理部長を除く常勤医師全員一致の賛成をもつて医局会廃止を宣言し新たに右常勤医師を構成員とする町田市立中央病院医師評議会(以下医師評議会という)が結成された。そして原告は同会において互選の結果、議長に選出され、医師評議会を代表する立場になつた。

なお病院管理上の責任者たる院長、副院長、診療部長は同会の構成員から除外されたが、このような会を結成するについては名称は別として院長及び診療部長も賛同していたところである。

(三) 久富産婦人科医長をめぐる市民病院の内紛

昭和五〇年三月頃より市民病院産婦人科医長久富雄医師(以下久富医長という。)をめぐり次のとおり複雑な病院内部の紛争が発生した。

1 同月頃から院長が久富医長を病院から排除しようとし、同医長の処分を市長に上申したり、同医長の出身校たる慈恵医大の産婦人科教授に「近日中に同医長の処分がある。」と通告したりした。医師の人事問題に関することだけに医師評議会としても事態を放置できず、右処分申請の事実、理由、背景等につき関係者から事情を聴取するなどの調査を行なつたところ、院長による処分申請は全く理由がないことが判明した。そこで医師評議会では同問題について検討した後、議長である原告は再三にわたり、院長に対し、処分申請の撤回を申し入れた。その後同年五月二六日院長は医師評議会に出席し、その席上で久富医長の処分は凍結すると約したためこの件については一応結着がついた。

2 被告町田市に勤務する職員で結成された町田市職員組合の病院支部(以下組合という。)は、久富医長が市民病院看護科の人事異動に干渉したとして同年六月二五日以後激しい久富医長の排斥運動を展開した。組合は機関紙「こぶし」(病院版、以下「こぶし」という。)の紙面において久富医長に対する攻撃、退陣要求を連続して掲げ、同年七月九日には市民病院の建物の随所に久富医長を誹謗し、その退陣を求めるビラを貼りめぐらし、特に産婦人科外来診察室では天井にまで同趣旨のステツカーを貼り出すなどその運動をエスカレートさせた。

このように組合による久富医長の排斥運動がエスカレートしていく中で事態を重視した医師評議会は同日院長に対し、かかる組合による診療妨害行為を即座に中止させるよう善処方を要望したが、院長はたんに文書をもつて組合に対し撤去命令を出すという程度の措置しかとらず、ステツカーも剥がされないままの状態が数日続いた。

産婦人科医にとつて、診察室の天井に自己を誹謗するステツカーが貼られているという状況は忍び難い屈辱であり、到底冷静に診療行為を為し得る状態ではなく、久富医長をはじめ、産婦人科医は協議の結果、かかる状態では診療行為は行なえないとし、以後診療行為はせず、外来患者については市内の他の病院を紹介するとの方針を決定した。医師評議会は右産婦人科医の決定をやむを得ざるものと了承し、一方、院長に対しては、組合のかかる暴挙を即座に中止させ、ステツカー等を即時に撤去するよう要請したが、これに対しても院長は有効な措置をとることができなかつた。

院長はかかる状況の中で産婦人科医に対し、同月一〇日及び一一日の両日にわたり、診療行為を行なうよう命令書を手渡し、これに違反すれば地方公務員法三二条違反であると言い渡した。

このような院長の処置に対し、医師評議会は強く反発し、抗議の意思表明を行なうとともに同月一四日、同月二八日、同年八月九日院長を信任できない旨の表明をした。

3 また組合による久富医長排斥運動の結果、同医長の出身校で、かつ多数の医師を派遣している慈恵医大から市民病院医師の派遣について協力を得られないこととなつた。

前記新病棟の診療開始日は昭和五〇年九月一日と予定され、被告町田市及び市民病院は開院準備を行なつてきたが、そのためには多数の常勤医師の確保が不可欠であつた。そこで、従来、市当局と慈恵医大との間で新病棟開設に伴う医師増員の問題につき協議されてきたが、組合による医師人事への干渉等により慈恵医大は協力できないとの態度に出たため同日の新病棟の開院は延期されることになつた。

4 医師評議会は組合の久富医長排斥運動により生じた混乱の中でその責任は管理能力を欠如した院長のみならず、前記ステツカー闘争の如く行き過ぎた闘争を組んだ組合にもあるとし、同月三日には組合の違法行為の非を問うべく医師評議会の議を経た後「組合の非を問う。」との文書を作成し、これを配布した。

5 医師評議会は結成以後右に述べた如き活動や意見の表明を行なつてきたものであるが、院長にとつては自己を不信任したり、自己の責任を追求したりする医師集団なかんずくその代表者議長である原告を「うるさい存在」と思つていたものと推測される。

四  本件処分の違法性

(一) 本件処分の理由とするところは、<1>市民部健康課に専門の神経科医を配置し、精神衛生につき予防対策の見地から積極的に指導、助言、相談等を行なうための具体的計画及び実施計画の策定に当らせる必要があつたこと、<2>原告及び医師評議会の行為は違法であり、かかる違法行為を防止し病院の円滑な人間関係を回復し、病院の正常な運営を確保するため原告を市民病院外の職場に配置する必要があつたことにあるとされている。

(二) 本件処分の公務上の必要性の欠如

しかし、原告が新たに勤務を命ぜられた市民部の健康課(以下健康課という。)はその所掌事務上とくに神経科医師を必要とする部置ではなく、従つて健康課自体が医師の配置を要望したものではなかつた。仮に原告が同課に勤務したとしても、担当できる業務は精神衛生相談程度であるが、既に市民病院で看護士、心理技術士が同種の相談を行なつているうえ、健康課近くの都立町田保健所では毎週水曜日に近藤医師が同様に精神衛生相談をしているから、重ねて原告が健康課で精神衛生相談を行なう必要性は全く存しないのである。真実行政上の必要性から同課に神経科医師を配置するのであれば昭和五〇年四月の同課設置の段階から予め常勤医師の確保が検討されねばならなかつたし、また市民病院の医師を同課に配転するのであればそれに伴うその後の市民病院神経科の診療体制について考慮されねばならず、いずれにしても市民病院の神経科医長とも医師の適正な配置について協議されねばならないのにかかる協議は全くなされていない。また、原告に違法行為があつたとすれば地方公務員法上所定の懲戒手続を行ない黒白を明らかにすべきであるし、原告の行動は他の全常勤医師の意に従つて行なわれたものにすぎず、原告が市民病院に在籍することによつて病院の人間関係が破壊されたり、正常な運営が阻害されているわけではない。

従つて、本件処分の理由とされている前記(一)にのべた公務上の必要性というものは存在しない。

(三) 懲戒処分性について―本件処分の実質的理由

本件処分は外形的には懲戒処分の形式をとつていないが、一方において被告らが原告の違法行為なるものを問題とし、他方において公務上の必要性もないのに原告にとつて職務の重大な変更を伴う本件処分をなしたことを考えあわせると被告町田市長が本件処分を医師評議会議長たる原告に対する隠れた懲戒処分として課したものであることは明らかである。しかし、原告らが違法行為をなしたとする被告らの主張は次のとおり理由がない。

1 被告らは原告らが医局を廃止し、医師評議会を結成したことは病院処務規定に違反すると主張する。

しかし、医局は病院処務規程に規定された行政組織上の存在であるのに対し、医局会自体は医局とは別の組織でその運営、意思決定の方法などにつき何ら拠るべき規定もなく市の機構上、明確な存在ではないうえ、医師評議会も全医師の病院を良くしたいという熱心な討議の中から生まれた任意団体にすぎないものである。また医局会が正式な機関というのであれば必要に応じて院長らが医局会を招集し、会議を開けば足りるし、原告らがこのような会合の招集に応じないのであれば、それによつてはじめて服務規定違反の問題が生ずるにすぎない。

院長らは医師評議会の結成について何ら注意、警告をしなかつたし、慣例的に病院の諸会議に医師評議会の代表が出席することを認めていたのに、その後に至つて被告らが医師評議会の結成が違法なものであつたとの主張をするのは信義に反する態度といわねばならない。

2 また被告は、原告らが院長主催の管理会議等に非協力的態度をとり、病院業務の管理運営に大きな支障を生ぜしめたと主張する。

しかし、原告らは院長主催の管理会議、連絡会議には医師評議会の代表者を出席させ、その報告を受けて連絡事項等の周知徹底を図つてきた。医局長であつた近藤医師が管理会議に出席しなくなつたのは院長の了解のもとで医局長を辞任したことによるものであつてその後院長が医局長を出席させる必要性を認めたのであれば、当然後任の医局長を選任したはずである。また院長らは連絡会議の日時、場所等各医師に通知して出席を促すこともしなかつた。

このように院長らは医師評議会の活動を是認してきたのであるから被告らの主張は誤りである。

3 さらに、被告は、医師評議会が院長、事務部長、総看護婦長の不信任の表明をしたり、産婦人科医による診療拒否を支持したことを非難する。

しかし、院長は昭和五〇年五月頃から久富医長排斥の行動をとり、そのためには産婦人科業務が一時停滞してもやむを得ない旨発言しており、更に組合の激しい久富医長排斥運動の契機となつたのも看護科の人事問題で久富医長が院長に申出た希望が何らかの経路を経て組合に知らされたことによるものであつた。院長は組合機関紙による執拗なまでの個人攻撃、更にエスカレートの予想された事態に対し、それらを阻止する対策を講じて中傷誹謗から久富医長を守ろうともせず、診療行為不可能の事態を惹きおこしたステツカー闘争についても医師評議会や産婦人科医の抗議を受けてはじめて組合に撤去を申入れるという消極的態度に終始したのである。医師評議会所属の原告ら医師はこのような態度をとる院長及びこれに同調したと思われる事務部長、総看護婦長に対し、信任できない旨抗議と怒りの態度を表明し、やむなく産婦人科医の態度を支持したにすぎないのであつて原告ら医師に何ら非難さるべき点はない。

(四) 不利益処分性について

原告は医師として、又医師の職務に従事するため被告町田市に採用されたものである。医師が医師の職務に従事するとは当然のことながら一定の診療設備を備えた場所で個別的疾患を有する者に対して診療行為を行なうこと(臨床医)を意味する。かかる診療の場として被告町田市には市民病院があるのみで、他に医師としての職務に従事し得る部署はなかつたから原告は当然市民病院で勤務することを前提として採用されたのであつて、採用された時点で市民病院以外の場所で原告が勤務することは全く予定されていなかつた。従つて原告は市民病院で勤務する臨床医として被告町田市に採用されたもので職務の性質及び被告町田市の機構上配置転換は予定されていなかつたものである。

本件処分は当初の公務員任用契約の範囲外のもので、医師との関係や患者との治療関係を包含するところの臨床医にとつて必要不可欠と認められる治療の場を奪うものであるうえ、原告がなお若手医師であつて臨床医としての十分な経験を最も必要としていることに鑑みるとき原告にとつて著しく不利益な処分といわねばならない。また健康課に医師を配置する必要性が全くなく、懲戒的、見せしめ的な処分或いはその色彩を極めて強く帯有する処分である点からしても原告にとつてはいわば精神的打撃を与える暴力的な不利益処分ともいいうるものである。

(五) 以上のとおり本件処分はその動機、目的、態様等からみて人事異動において許容される裁量の範囲を著しく逸脱しており、公務上の必要がないのに原告が医師評議会の議長として活動したことに対してなされた報復的、懲戒的処分であるうえ、原告から医師の職務を奪う著しく不利益な処分であるから違法として取消されるべきである。

五  原告の損害

本件処分により原告は次のとおりの損害を被つた。

(一) 特殊勤務手当減額相当分 四〇万円

原告は従来市民病院に勤務することにより給料のほか特殊勤務手当として月額一四万円を町田市より支給されていたが、本件処分の結果、市民病院勤務以外の医師として待遇されることとなり、昭和五〇年一一月分から昭和五一年八月分まで毎月四万円以上に相当する診療手当を受給できなかつた。右減額分合計は四〇万円を下らない。

(二) 弁護士費用 八〇万円

原告は本訴につき弁護士今井征夫を訴訟代理人に選任したが、同弁護士に対し着手金として三〇万円を支払い、事件解決の際に五〇万円の報酬を支払うことを約した。法律専門家でない原告として訴訟手続により自己の権利救済の実現のためには弁護士に委任する以外に有効、適切な方法はなかつたから右合計八〇万円は本件処分により原告が被つた損害である。

(三) 慰藉料 二七〇万円

本件のいわれなき処分のために原告は精神的に多大の苦痛を受けた。とくに事の当否は別として正面から懲戒処分という形がとられれば、反論、弁明の機会も与えられるのにそれもできずに焦躁の念にかられ、執行停止を得るまでの間は本件処分に従わないということで懲戒解雇処分を受けるのではないかという不安もあり、心理的には退職を強要された毎日であつた。

また本件処分により原告は市民病院における医籍を抹消されて医師としてのプライドを大きく傷つけられたし、神経科医師として精神的な悩み、疾患を有する患者と日常面接し、治療にあたる原告にとつて他方で自身の身分の不安定のために精神的不安、動揺を余儀なくされることは耐えがたいことであつた。

そのほか、本件処分の明白な違法性、処分後の被告らの対応などに照らせば、原告の被つた精神的損害は二七〇万円を下らないといわねばならない。

六  以上のとおり本件処分は裁量権の範囲を逸脱した違法な処分であるから原告は被告町田市長に対し、その取消しを求め、被告町田市に対し、原告が本件処分によつて被つた損害合計三九〇万円及び未払いの弁護士費用五〇万円を除いた三四〇万円については履行期の経過した後である昭和五一年九月一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求原因に対する被告両名の答弁と主張)

一  請求原因一、二の事実は認める。

二  同三の(一)の事実は認める。但し、神経科の常勤医師定数については再検討の時期にきており、原告を採用した昭和四八年七月当時、神経科のベツド数は四五床であつたが、地域内に七つの精神病院があることを考慮し、市民病院増改築後は、包括的医療に重点を置くことに方針を変更し、ベツド数を二〇床に大幅削減した。従つて、常勤医師定数も従来の二名から一名にすべきであり、本件処分後も後任医師を採用していない。

同(二)のうち市民病院に医局及び医局会があつたこと、医局については病院処務規程が規定していること、院長、副院長、診療部長を除く常勤医師が医局会の廃止を宣言して医師評議会を結成し、原告がその議長となつたことは認め、その余の事実は否認する。

同(三)の1のうち、医師評議会が院長に対し久富医長の処分申請を撤回せよとの申し入れをしたこと、昭和五〇年五月二六日院長が久富医長の問題は凍結する旨約したことは認め、院長が久富医長を病院から排除しようとしたこと、院長が慈恵医大の細川教授に「近日中に医長の処分がある。」旨通告したことは否認し、その余の事実は知らない。同2のうち組合の久富医長排斥運動に関する部分は認めるが、院長の組合による治療妨害行為への対処が十分でなかつたとの点、及び組合のステツカー貼付行為等により産婦人科医師が診療行為をなし得ない状態にあつたとの点は否認する。同3のうち久富医長排斥運動の結果、慈恵医大が医師の派遣について町田市に協力しないとの態度をとるに至つたとの点は否認し、その余は認める。同4のうち医師評議会がその主張の如き文書を配布したことは認める。同5のうち医師評議会が結成後各種の文書を配布し、意見表明をしたこと、院長を不信任し、その責任を追求する行動をとつたことは認め、その余の事実は知らない。

三  請求原因四の(一)の事実は認める。

同(二)の事実は否認する。

同(三)の事実のうち被告らが原告が主張するような理由で本件処分を適法であると主張していること、医師評議会が院長不信任の意思表示をし、産婦人科医の診療拒否行為を支援し、支持したこと、組合の久富医長排斥運動の発端となつたのは久富医長が産婦人科看護婦の人事について院長と交渉したことであることは認め、その余の事実は否認する。

同(四)の事実は否認する。

四  請求原因五の(一)は認める。

同(二)の事実は知らない。

同(三)の事実は知らない。

五  本件処分の適法性

(一) 町田市においては行政の重点施策の一つとして市の行政機構の中に分散している保健医療業務を一本化し、市民の利便と保健指導の充実を図り、もつて市民の健康に対する要望に対処すべく、昭和五〇年四月一五日に町田市組織規則を改正し、市民部に健康課を設置し、市民の健康保持及び増進、並びに保健衛生思想の普及などを重点課題として取り組んできた。既に歯科衛生部門については専門医師の協力を得て具体的施策を実行しつつあり、市民の要望の強い精神衛生部門についても、その予防対策の見地から、市民に対し、市が積極的に指導、助言、相談等の業務を推進する必要があつたが、健康課については発足して日も浅く、まずこれらの業務に関して具体的な方針及び実施計画の策定からはじめなければならず、そのために、また具体的な指導、助言、相談等についてはとくに神経科の専門医師が必要とされた。

(二) 一方、原告及び原告によつて代表される医師評議会は次のとおり違法行為を繰返した。

1 原告の指導のもとに行なわれた医局会の廃止及び医師評議会の結成は病院処務規定に違反する。

医局と医局会は同義であり、医局は病院処務規定四条二項、五条四項、六条七項に明記されている町田市の正規の組織であるから、医師達が医局会を廃止して医師評議会を作ることは医局を廃止することを意味するのである。市長が病院処務規程を改正したことはなく、院長が医局長を解任したことも、同会の結成に賛同したこともないのであるから、医局の廃止及び医師評議会の結成は同規程に違反する。とくにその結成宣言文に「従来の如き院長を通じての上下の一本化はすでに不合理であるばかりか不可能ともいえる状況を呈していると考えざるを得ない。よつて我々は従来の単なる上意下達機関としての医局会を廃し、……」とある点は病院の組織秩序を否定し、医師による自主管理を志向するかの如く窺われ、院長において強く反対したところである。原告は右のような医局の廃止及び医師評議会結成の指導的役割を果たした。

2 原告が代表する医師評議会は、久富医長に関する一連の紛争につき昭和五〇年七月一七日、院長、事務部長、総看護婦長の不信任を表明しており、その後も再三にわたつて院長不信任を申し入れ、院長の出席する会議には一切出席しないと公言し、現に院長主催の病院管理運営方針を協議する管理会議、或いは院内連絡会議等に医師評議会代表は一切出席させていない。このため医療という人の生命を預かる重大な責任のある病院の業務の管理運営に大きな支障が生じた。

3 原告は医師評議会議長の名のもとに、久富医長をめぐる紛争に関し、数回にわたり、院長らの管理無能力を表明したビラを作成(しかも市民病院の印刷機、用紙を使用して作成した。)し、これらを病院外部の人々や市議会議員に勤務時間中に配布した。

4 同年七月中旬頃産婦人科の医師らが市職員組合病院支部との紛争の中で外来診療を拒否し、院長の業務命令にも従わなかつた際に原告らもこれを支持し、支援した。

5 同年九月、町田市定例市議会において差額ベツド(全体ベツドの五パーセント)に関する使用条例の議決がなされたが、これに対し、原告らは右評議会名により反対運動を行なつた。市民の意思を代表する市議会で議決された条例に対し、市の公務員である職員が勤務時間中に反対運動を行なうことは許されないところである。

(三) 久富医長に関する一連の紛争経過は次のとおりである。

右紛争の発端は、久富医長が看護婦を選り好みし、業務上も差別して扱うなど私的な感情を持ち込み、公私混同し、職場の秩序を乱したこと及び自分の意にそわない婦長、主任を排斥したりしたことなどにあるが、いずれにせよ、現実の問題として同医長が勤務する産婦人科病棟において同医長と大多数の看護婦との人間関係は極度に悪化し、加えて組合が同医師を排斥する運動を展開し、結局、同病棟ひいては病院全体の正常な管理運営が困難となる事態に立ち至つたのである。そこで管理運営の責任を負う院長が事態を解決すべく最終責任者である市長と善後策につき協議したが、事態は同医長に辞めてもらわねば解決しない程深刻化していた。

しかし、責任はもともと紛争当事者にあり、院長としては、管理責任者として事態解決のため努力したにすぎず、ことさら同医長を排斥しようとしたものではない。最終的には、昭和五一年三月三一日付で同医長が依願退職し、本件紛争は解決したが、その間、原告及び医師評議会は前記(二)の2ないし4に述べたとおり久富医長の側に立つて行動し、院長の管理運営に反発し、これを妨げるなどの違法行為に出たため、紛争は一層紛糾したのであつた。

(四) 前記(二)に述べた原告及び医師評議会の行為は被告町田市長の管理及び行政に関する権限に対する不当な侵害であり、被告町田市の職員としての正当な言動の範囲を逸脱したもので、いずれも違法である。それらに対しては法規に従い懲戒処分の方法もあり得るところであるが、被告らとしてはできる限り懲戒処分を行なわずに人事行政の一環としてこれ以上同種違法行為を重ねるのを未然に防止し、右違法行為によりそこなわれた病院の円滑な人間関係の回復を図り、病院の正常な運営を確保することが必要であると思料し、そのために原告を病院以外の職場に配置することを検討した結果、前記(一)に述べたように、神経科医一名を必要とする事情があつた市民部健康課に原告を配置することとして、本件処分に及んだのである。

このように、被告町田市長は、将来に向つて前向きに病院の正常な運営を確保するという観点及び市民全体の医療、保健行政の運営上の必要性の観点に立つて諸事情を総合考慮して原告に対し、市民部健康課の勤務を命じたのであるから、もとより本件処分は違法ではない。

なお、原告は本件処分は臨床医にとつて致命的な処分である旨主張するが、内科、外科の診療と異なり、神経科は患者の社会復帰、日常生活における精神衛生、予防等に重点があり、その目的のためにも設置された健康課において地域医療に参加することは、まさに神経科医師としての本来の職務の一環というべきである。

第三証拠<省略>

理由

一  請求の原因一(原告の地位、経歴)、二(行政処分の存在)の各事実は当事者間に争いがない。

二  市民病院に医局会なる組織があつたこと、院長、副院長、診療部長を除く常勤医師が医局会の廃止を宣言して医師評議会を結成し、原告がその議長となつたこと、医師評議会が院長に対し、久富医長の処分申請を撤回せよとの申入れをなし、昭和五〇年五月二六日院長が同会に対し久富医長の問題は凍結する旨約したこと、組合の久富医長排斥運動の経過が原告主張のとおりであること、医師評議会がその結成後、各種の文書を配布し、意見表明し、院長を不信任し、その責任を追求する行動をとり、産婦人科医の診療拒否行為を支援、支持したこと、組合の久富院長排斥運動の発端となつたのは久富医長が産婦人科看護婦の人事について院長と交渉したことであること、本件処分が健康課に神経科専門医師の配置が必要であることと原告及び医師評議会の違法行為の防止、病院内の人間関係の回復等を理由としてなされたことはいずれも当事者間に争いがなく、この争いのない事実と成立に争いのない甲第三ないし第五号証、第六号証の一ないし二〇、第七号証の一ないし四、第八ないし第二〇号証、第二八号証の二ないし四、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第三号証、証人近藤喬一の証言とこれにより真正に成立したものと認められる甲第二三号証、証人鈴木嘉幸、同堀江吉宏の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると本件処分に至るまでの事実経過は次のとおりと認められる。

(一)  市民病院には院長が主宰し、副院長(但し当時欠員)、診療部長を含む各科医師で構成される医局会が置かれ、隔週の月曜日の午後四時から開かれていたが、主たる議題は院長から管理者側が決定した病院業務に関する事項の伝達にあつて、質疑も不活発であり、これに対する院長ら管理者側の応答も十分なものではなかつた。このような医局会の運営について医局会を一方的な伝達機関化するものとして医師間では不満をいだく者が多く、現場の医師の意向を病院の管理運営を含め広く地域の医療行政に反映させる方法を検討すべきであるとの気運がおこり、昭和五〇年初め頃の医局会において小児科の奥富医師と原告が従来の医局会を改革し、右の方法を実行するにふさわしい組織を作ることを提案した。院長も昭和四八年四月下旬に同病院でおきた手術の際の鉗子置き忘れ事件、昭和四九年七月頃の急患たらい廻し事件以来、市民の町田市民病院に対する信頼が低下し、医師の自覚が要請されていたので、医局会に代る充実した組織が設置されればよいとの基本的立場のもとに原告らの趣旨に賛成した。

その後、原告ら若手医師が中心となつて新しい組織の目的、性格づけなどを検討したが、その結果、医局会を廃止したうえ、従前医局会の構成員であつた院長、副院長、診療部長ら管理職を除外した常勤医師による新組織を作り、そこで集約された医師の意見を院長に上申することにより、現場の医師が医療行政に参画するという方針が決定された。かくて同年四月二三日医局会に代つて右管理職三名を除く常勤医師により町田市立中央病院医師評議会が新しく結成され、議長に原告が選任されて、原告らが起草し、各医師が加筆訂正した結成宣言文が関係者に配布された。宣言文の要旨は、従来の医局会を単なる上意下達機関として批判し、その廃止を宣言すると共に専門職としての医師の立場から町田地域の医療行政に主体的に参画し、更に市民病院での医療行為の円滑な遂行をはかるために医師評議会を結成するというにあつた。そして、院長に対しては常勤医師を代表して原告及び奥富医師が直接結成宣言文を手渡したが、院長は同宣言文中の「病院の長を通じての上下の一本化はすでに不合理であるばかりか不可能ともいえる状況を呈していると考えざるを得ない。」「これまでの様な医局会のあり方を肯定することもできない。」「医療行為の主体性すら無視される状況の中で我々は根拠不明の周囲からの不信に翻弄され無意味な独語と対象をもたぬ攻撃や弁解とに終始してきたといつてよい。」との部分は従来の医局会の意義を否定し、組織医療を破壊するもので院長として容認できない旨を原告らに伝え、右のような形で医局会を廃止し、医師評議会を発足させることに反対の態度を表明した。

従来、病院内の管理運営のために院長、医局長、診療部長らで構成される管理会議及び各職場の係長以上の職員、各科の医長以上の医師で構成される連絡会議があり、管理会議には近藤医長が医局長として出席していたが、医師評議会結成後近藤医長は医局長を辞任したため管理会議及び連絡会議には医局長に代り医師評議会の代表者一名が出席するようになつた。

(二)  市民病院産婦人科においては、昭和四七年六月には同科看護婦の人事問題が絡んで総婦長の排斥運動がおこり、昭和四八年夏には同科の久富医長が助産婦手当の制度化について組合を無視して直接院長と交渉したとして同医長と組合との間で紛糾がおこり、同医長が自己の言動につき遺憾の意を表わす趣旨の念書を組合に差し入れたことがあつた。また昭和四九年一〇月には同科への配転が決まつた看護婦が同科への勤務を拒否し、更に昭和五〇年一月には同医長の同科主任を無視する旨の発言もあるなど同科内には同医長の日常的言動に反撥をする傾向がみられ、同医長と同医長に同調しない組合員である多くの看護科職員との間は著しく融和を欠く状態となつた。

昭和五〇年四月には同年七月に行なわれる看護科職員の定期異動の際の希望勤務部署についての調査がなされたが、一〇名の職員配置の同科に勤務を希望した者は当時勤務していた二名に限られ、他部署に比較して著しく希望者が少なかつた。院長はこのまま人事異動を実施した場合過去の経緯に徴し組合と同医長との間に紛糾の生ずるのではないかと懸念し、被告町田市長に対し同医長の更迭を希望し、更に同市長の示唆もあつて同医長の母校である慈恵医大の細川産婦人科教室をたずね、細川教授に対し、同医長と同教室医局員との交代などを打診したが、同教授は同医長が同教室の正式の医局員でないことを理由に院長の申入れに同意しなかつた。久富医長は細川教授から申入れがなされたことを聞き、医師評議会において申入れの経緯を説明すると共にその是非について検討するよう要望した。そこで医師評議会では原告らが中心となつて院長に善処方を申入れたところ、院長は産婦人科の状況について説明したうえ、納得のいくように各関係者から事情を聴取してもらうことを提案したので、原告と奥富医師が医師評議会を代表して院長立会のもとに総婦長、副総婦長、産婦人科の婦長、主任らから同科内の人間関係等について事情を聴取した。医師評議会はそのほか同科の医師、看護婦らからも事情を聴取し、調査したうえ、同科看護婦らの久富医長に対する反撥は感情的なものであつて、院長が被告町田市長に対し行なつた同医長の更迭を求める旨の上申を処分の上申と断定したうえ、右上申は理由がないとの結論に達したとして再三院長に右上申を撤回するよう申入れ、同年五月二三日には文書をもつて院長に対し、久富医長をめぐる紛糾は病院の管理機構、運営上の責任体制が確立していないこと及び総婦長、院長らが同医長に対する感情的な反感をもつて対処したことに根本的原因があり、右上申の撤回がない場合は院長として認めることはできないとして上申を撤回するよう要求した。

右久富医長の更迭についての上申問題については同医長、原告ら市民病院に派遣されている多数の医師の母校である慈恵医大出身の医師が多数加入している町田市医師会が間に立つて事情を聴取し、院長と同医長間の意思の疎通について仲介の労をとるなどしたが、当事者の主張は平行線をたどつていた。しかし、その後医師評議会の申入れにより院長が同医長更迭問題は凍結する旨、事実上撤回を約したことにより同問題は一応解決するに至つた。そこで医師評議会は「私達の意見」と題して右久富医長更迭問題をめぐる紛糾は病院の管理体制の不備にあつた旨の意見を表明した。

(三)  その後同年六月一九日久富医長は院長に対し、同年七月の定期異動の際に産婦人科の看護婦二名を同科に残留させるよう要望した。病院処務規程六条一一項によれば看護婦等の配置は院長の命を受けて総看護婦長があたることとされているため、院長は看護婦の配置換については総看護婦長に任せており、また、病院における看護婦総数は一〇〇名以上に達するためその定期異動はある程度機械的に実施することが円滑な人間関係を保つための方法と考えてはいたが、同医長の意向はそれとして総婦長に伝え、一方同医長に対しては看護婦の人事問題については慎重に行動するよう要望した。

組合は、同医長が院長に産婦人科看護婦二名の残留を希望したことを知り、同医長が同科のスタツフを選り好みし、総婦長の人事権に干渉したとして同年六月二五日以来組合の機関紙である「こぶし」において非難し、それまでの前記各紛争の契機となつた同医長の過去の言動等も潤色してとりあげ、同医長が同科の看護婦を選り好みし、公私を混同して同科及び看護科における不明朗な人間関係を醸成させ混乱させたと誹謗したりした。同医長に対する攻撃はしだいにエスカレートし、組合は民主的職場の回復をスローガンとして同医長の退陣を要求して署名活動するまでに至り、更に同年七月九日には組合は同医長糾弾のビラを配布し、退陣を要求する横断幕を病院の玄関に掲げ、産婦人科・小児科外来待合室、産婦人科外来診察室、手術室等に同趣旨の多量のステツカーを貼付するまでになつた。

院長は組合の闘争に対し当初組合対久富医長個人の問題として静観する態度であつたが、ステツカーが貼付されるに及び組合に対し口頭及び文書でその撤去を求めた。しかし、組合はこれに応じなかつた。

産婦人科外来診察室においては天井にまでステツカーが貼付されており、右ステツカーにおいて直接糾弾されている久富医長を除く同科の常勤医師、非常勤医師は当初は診察を続けていたが、同月一一日にはかかる状況は患者をいたずらに不安に陥れるだけであり、このまま診察を続けることは不可能であるとして外来診察を拒否したので同科の外来診察業務は事実上停止した。そこで院長は久富医長を除く産婦人科勤務の医師らに対して診察するよう業務命令を出したが、同医師らは応ぜず、同科に診察に訪ずれた妊婦らは市内の他病院に廻され、同月一三日には救急車の患者二名が他の病院に転送されるなど市民病院の業務は混乱に陥つた。

(四)  医師評議会は同年七月九日院長に対し、組合が行なつているステツカー闘争等による診療妨害行為を即座に中止させるよう善処方を要望し、同月一〇日には医師評議会名で市長宛に現状では産婦人科の外来診察は不可能と判断される旨上申すると共に、同日「医師評議会の意見」として久富医長排斥運動は院長と同医長との感情的対立が根本にあり、同医長が産婦人科看護婦の残留を要望したことについて院長が意図的に外部に洩らしたと断定したうえ、排斥運動が生ずるのは管理者の病院運営が拙劣であることにあり、同医長は単なるスケープゴートにすぎない旨を記載した文書を配布した。更に医師評議会は同月一二日にも診療業務妨害にまで発展した排斥運動の責任は事態を静観している院長ら管理職にあり、産婦人科診察室にステツカーが貼付されている現状では同科の外来診察は不可能と判断して来院者を他病院に紹介した旨を記載した文書を配布し、同月一四日には、同院長の組合の久富排斥運動に対する消極的態度、産婦人科医に対する業務命令を非難し、診察業務の中断と混乱の責任は院長にあるとする「管理者としての堀江院長の責任を問う」と題する文書を配布し、「私達は堀江氏を当病院院長として信任することはできない。」との態度を表明した。

一方、組合は一四日版の「こぶし」において医師評議会の医師が久富医長に同調して診療拒否行為をしたと非難し、更に市民病院に対する組合の基本的考え方として病院の診療が真に市民の生命と健康を守る立場を貫く医師団の構成のもとに行なわれることなど四項目を示し、更に常勤医師の増加、久富医長の辞任と民主的職場秩序の回復、産婦人科の外来診療の再開など九点を改善するよう求める旨を明らかにし、翌一五日には市長に対して同趣旨を記載した要請書を手渡した。

同日病院当局はステツカー等を除去し、産婦人科の診療業務は再開されたが、同日以降も組合は「こぶし」において久富医長の退陣を要求し、一方、医師評議会も前記「病院管理者としての堀江院長の責任を問う。」との七月一四日付文書に続き同月一六日組合の久富排斥運動は病院管理者と組合との合意によるものであり、これにより生じた産婦人科診療業務の混乱につき院長、事務部長、総婦長を信用することはできない旨の文書を配布し、更に八月九日「病院管理者としての堀江院長の責任を問う」と題し、前記七月一四日付文書と同趣旨の文書を配布し、院長に対する不信任を表明した。

(五)  被告町田市当局では同年九月に入つた頃から押田助役、鈴木管理部長らが中心となつて院長らから右紛争に至つた経緯等について事情を聴取し、収拾策を検討していたが、医師評議会は従来の行政組織である医局会を廃止し、院長に対する不信任を表明し、院長の業務命令を拒否するなど違法不当な行為により本件紛争を紛糾させたもので、今後における病院内での円滑な人間関係の回復、医師評議会の違法行為の防止など事態収拾のためには同会の議長たる原告の責任を問う必要があるとの結論に達し、市民病院神経科の常勤医師二名、非常勤医師一名については総合病院発足と同時に同科の病床が四五床から二〇床に削減されるので常勤医師が一名となつても業務に支障がないとの院長の意見を踏まえ、最終的には被告町田市長をも交じえて検討した結果、かねてから市当局の管理者の間で健康課内に既に設置されていた歯科衛生部門に次いで、精神衛生についての市民に対する予防、治療、社会復帰等の面からの指導、助言、相談等のいわゆるセンター的な部門を設置することが話題とされていたことから、当面原告を同課に配置しその専門知識の活用により右業務実施についての企画立案に当たらせる旨を同月一〇日に至り決定した。そして、被告町田市長は原告に対し同月一二日、同課への配転を内示したあと、同月一三日本件処分を発令した。

以上の事実が認められ、前掲各証言及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は採用しない(なお、被告らは、医師評議会が院内の管理会議、連絡会議に代表者を送らなくなつたこと及び議会により可決された差額ベツトに関する使用条例に対する反対運動を行なつたことをも処分理由として主張し、前掲証拠によれば右の事実を認め得るも、それが本件処分以前になされたものであるか否かにつき必ずしも明らかでないから、この点は処分理由から除外して判断せざるを得ない。)。

三  本件処分の適否

(一)  原告が被告町田市長により被告町田市に医師として勤務する職員として採用されたことは当事者間に争いがなく、従つて、被告町田市長が原告を医師以外の職種に従事させるためには原告の承諾が必要である(このことは、被告町田市の管理部長である証人鈴木嘉幸もその証言中において認めるところである。)。しかし、原告がその主張のようにその勤務場所を市民病院と限定して採用されたものとまで認むべき証拠はない。

ところで、前記二の(五)に認定したところによれば、被告町田市長が本件処分により健康課において原告に担当させることを予定した業務は、原告の神経科医としての専門知識の活用による精神衛生部門についてのいわゆるセンター的部門設置のための企画立案にあつたのであるが、この業務は一般行政事務、窓口事務等とは明らかに異なるのであり、医師として任用契約に予定された範囲外のものであるとまでは認めがたい。従つて、被告町田市長が本件処分をなすにつき原告の承諾を得ることは不要である。しかし、それは、病院における臨床医としての業務とはかなりかけはなれたものであり、多くの臨床医の望まれない分野であることは明らかである。とくに、請求原因一の争いのない事実と原告本人尋問の結果によつて認められるように、神経科臨床医を志し、昭和四三年七月医師免許取得以来神経科臨床医として勤務してきた原告にとつて、本件処分は臨床の場を失い、なお必要とされる臨床経験の蓄積による診断、治療の知識習得の途を閉ざすという結果をもたらすことになるのである。従つて、本件処分の適否の判断に当たつてはとくに業務上の必要の有無が吟味されなければならない。

(二)  そこで、先ず被告らが主張するように健康課の業務のため原告を同課に配置する必要があつたかどうかについて検討する。

証人鈴木嘉幸、同堀江吉宏、同近藤喬一の証言及び原告本人尋問の結果によれば、本件処分以前から市民病院では、看護士、心理技術士によつて精神衛生相談が行なわれ、更に近隣の都立町田保健所においても近藤医長その他の精神衛生相談員により同種相談が定期的に行なわれていたほか、町田市には七つの精神科専門の病院が開設されていること、他方市民病院新病棟開院により神経科ベツド数が減少するとしても、原告が異動すれば神経科常勤医は近藤医長一人となり、入院患者の診療のほか、外来診療、アフターケアー活動、社会復帰指導等のため宅診による治療実施等の神経科診療業務を遂行するうえで支障が予想され、現に、以前院長と近藤医長が新病棟発足後における神経科診療態勢につき意見交換をした際、院長としても神経科常勤医減員は考えていなかつたことが認められ、この認定に反する証人鈴木嘉幸、同堀江吉宏の証言は採用することができない。この事実によれば、被告町田市が市民病院神経科の常勤医を減員しこれを配置換えしてまで健康課に精神衛生部門の新設準備に踏切らなければならない必要性に疑念をいだかざるを得ない。

更に右の如く、本件処分が健康課に精神衛生部門の新設を前提とするものであると共に市民病院の神経科常勤医師一名の減員をもたらすものであるのに、証人堀江吉宏、同近藤喬一の証言によれば、被告町田市長は、本件処分に当たり、病院側から内科医である院長の意見を徴したにとどまり、神経科医長である近藤医師に専門的見地からも診療業務遂行の面からもなんら意見を求めず、また健康課にも知らせることなく、従つて同課において受入態勢のないまま、これを発令したことが認められる。

これらの事実と前記二の(五)に認定したように、久富問題につき医師評議会による被告町田市長、市民病院長ら被告町田市の管理者に対する批判的言動が一段落しかけた時期に本件処分が検討され実施されたことをあわせ考えれば、その真の意図は、専ら、院長ら市民病院管理者側と原告により代表される医師評議会所属の常勤医師との間の被告ら主張によるいわゆる人間関係の回復をはかるにあつたものと推測せざるを得ない。即ち、被告町田市長は、久富問題により悪化した院長ら病院管理者側と常勤医師との対立関係を解消し、医師評議会による同種の批判的言動の続発を防止し、以後の病院運営を円滑ならしめる目的で、同会の議長の地位にあつた原告を右対立関係の発生、批判的言動の責任者として、病院外へ配置することを意図したものということができる。

(三)  被告らとしても、本件処分の目的のひとつが右にのべたようにいわゆる人間関係の回復にあつたことまで否定しているわけではない。ところで、組織体において管理者と被管理者間に対立関係が生じ、被管理者が管理者を批判しその言動が不当、違法に及び組織体の運営が困難に陥つた場合、処分権者は被管理者に違法な点があれば懲戒処分を課すことは可能であるが、被管理者の行為が違法とまでは認めがたい場合や違法と認められる場合であつても懲戒処分を科することなくその者を他の部署に配置換することにより組織体の運営の回復をはかる途を選ぶことは処分権者の裁量に委ねられた措置ということができる。そして、その措置(処分)の適否又は当否は、被管理者の行為の態様、組織体に及ぼす影響、対立関係の原因、管理者側の対応、配置換が被管理者に与える不利益等を総合的に検討したうえで決しなければならない。そこで、かかる観点から、原告ら常勤医師による医師評議会の行動について、順次検討を加えることとする。

1  被告らは市民病院における医局と医局会は実質的には同一組織であり、原告ら常勤医師による医局会の廃止宣言、医師評議会の結成は被告町田市の一機構である医局を一方的に廃止する違法な行為であると主張する。

(1) 町田市立中央病院処務規程(前掲甲第二八号証の三)によるも医局の性格、所掌事務そのものに関する規定はなく、医局に関するものとしては、四条二項「前項の職員(院長、副院長、医長ら)のほか、医局長、主任技術員、主任事務員および必要な職員をおくことができる」、五条四項「医局長は、医長のうちから、院長が命ずる」、六条七項「医局長は、診療部長の命をうけ、医局内の連絡、調整にあたり、診療に関する一般的事項につき医局を代表する。」の各規定が存するのみであるが、これらの規定から推すと、医局とは、診療部に設置され、病院処務規程二条二項により同部に所属する各科間の診療業務についての連絡調整に当たるいわば専門を異にする各科を結ぶ横断的機構ともいうべきもので、各科の医師(少なくとも常勤医師全員)が所属する市民病院における公的一機構であると認めることができる。次に、医局会については、前記二の(一)に認定した事実と医局の所掌事務から推すと、院長、副院長、診療部長を含め診療部各科の全医師を構成員とし、診療業務に関する管理者側からの必要な事項の伝達、各科間の連絡調整のための協議その他各種の意見交換を行なうことを目的とする会議体であるということができる。そしてこれに関する組織規程はないが、長年にわたり慣例として定期的に開かれてきたことからみて、医局会は、医局内に設置され、院長、副院長、診療部長を含め医局所属の医師全員により構成され、医局所掌関連事項を取扱う公的性格をもつた会議体というべきである。

(2) 従つて、医局と医局会とは異なるものではあるが、診療業務に関する管理者による伝達、管理者を含めた全医師による連絡調整のための公的機構と認められる医局会を管理者たる医師を除外した常勤医の決議により管理者の意に反した形で一方的に廃止を宣言することは、それにより法的にも医師会の存在が解消するとまでは解し得ないとしても、事実上医局会の運営の続行を困難ならしめることは明らかであるから、一部の者による公的組織の否定行為といわざるを得ない。

もつとも、従来の医局会が存在目的にそつた運営が必ずしもなされておらず、その運営がいわゆる上意下達の弊に陥りつつあつたことは既に前記二の(一)に認定したとおりであるが、かかる弊害は院長ら管理者を含め医師間の話合いにより医局会の運営を改めることにより十分可能なはずである。また市民病院の現場の医師が医療行政に建設的な意見を具申すること自体なんら非難するに当たらないのであり、そのような意見の集約を医局会の席上でなすことは同会の存在目的に照らし差支えなく、もし管理者の同席に支障があるというのであれば医局会とは別途に有志による組織を作れば足ることである。いずれにせよ、常勤医師が医師評議会結成の目的とした事項は、医局会内部において運営の弊を改めることにより、或は別組織を結成することにより達せられるのであつて、院長ら管理者の反対を押切りあえて医局会廃止宣言という挙に出て、医局会開催を事実上困難ならしめるまでの必要はなかつたものというほかはないのである。この結果、院長ら管理者と常勤医師が一堂に会する公的機構は事実上消滅した。

(3) 他方、証人近藤喬一の証言及び原告本人尋問の結果によれば、前記のような医局会運営のマンネリ化は主宰者たる院長にも責任の一端があるものと認められ、院長が医局会を医師の会議体としてふさわしい方法で運営していさえすれば、かかる事態にまで至らなかつたともいえなくはなく、その後生じた久富問題についても、既に認定したような医師評議会名による常勤医師からの幾多の文書による申入れという形によらずとも、医局会において討議を重ね管理者側と常勤医師との間の意思の疎通をはかることにより、両者がかくも対立関係に至る以前に解決の途を見出し得たものと推測することもあながち不可能とも思えないのである。また院長が医師評議会発足後近藤医長の医局長辞任を認めて後任医局長を任命せず、その後の院内管理会議、連絡会議に同会からの出席を認めたことは、反対を唱えながら医局会の廃止宣言、医師評議会の存在を事実上公認したに等しく、かかる院長の態度が医師評議会に公然たる各種活動の契機を与える一因ともなつたとみることができる。

2  次に、被告らは久富問題をめぐる紛争において医師評議会のとつた態度に違法不当な点があると主張する。

(1)(久富医長の更迭問題)前記二の(二)に認定したところによれば、院長は過去久富医長の言動に起因する産婦人科内における各種紛争発生の事実と昭和五〇年四月に行なわれた看護婦定期異動についての希望調査の結果から推して、同年七月実施予定の定期異動の際再び同医長と組合との間に紛議がおこるのを懸念して、同医長の出身校を通じて産婦人科医長の交代をはかることを考えたというのであつて、このことは、「市長の命を受け院務をつかさどり所属職員を指揮監督する」(病院処務規程六条一項)立場にある院長の措置とみる限り特に不当というに当たらない。これに対する医師評議会は、前記二の(二)に認定したとおり、従来の産婦人科内における紛争の原因を病院管理体制の不備、院長、総婦長、同科看護婦の感情的反撥に求めているが、市民病院の他科において産婦人科におけるが如き紛争が発生したと認むべき証拠はなく、現に引続き同科においてのみ組合による医長排斥運動が行なわれていること(この運動に院長が関与しているものと認めがたいことは後に述べるとおりである。)に徴すれば、産婦人科内の紛争は同科固有の事情によるものであり、前記二の(二)に認定した事実に照らし、その原因の一端は久富医長に由来するものと推測せざるを得ないのである。もとより紛争における管理者及び組合側の対応がすべて正当であつたとはいい得ないとしても、医師評議会の態度は余りにも院長ら管理者側にのみ非を迫るものであり、そのうえ院長が産婦人科医師の任意交代を求める意味での更迭の動きを示したことを「処分」としてとらえ、処分上申の撤回をしない限り院長とは認め得ないとしたことは、市民病院に勤務し上司である院長の指揮監督下にある地方公務員たる医師として、上司に対する意見具申の域をこえた行為といわざるを得ない。

(2)(久富医長排斥問題)前記二の(三)に認定したところによれば、組合による久富医長排斥運動の直接の契機は、同医長が定期異動に当たり産婦人科の看護婦二名の残留を院長に要望したところ、組合がそのことを知り、これを看護婦人事への干渉ととらえ反撥したことにあるものということができる。そして、組合により連日配布された機関紙「こぶし」をみても、組合が久富医長の行動について的確な評価を欠き(例えば同医長が看護婦の人事権を有しないとしても配置につき要望を述べることは差支えないことであるから、これをもつて人事への干渉と即断することは誤りである。)、また、過去の経緯から感情的に対応した点がないとはいえず、とくに産婦人科の診療を困難ならしめたのも、直接にはとうてい正当な組合活動とは認めがたいステツカー闘争に由来するものといわざるを得ない。そして、久富医長を非難する組合機関紙「こぶし」の連日の配布にもかかわらず、また、両者が日頃円満を欠く関係にあることを熟知しているにもかかわらず、この問題を久富個人対組合の問題としてとらえ、ステツカー闘争による診療拒否問題がおこるまで静観の名のもとに放置した院長の消極的態度は、病院管理者として事態収拾に適切さを欠いたといわれてもやむを得ないものがあり、その意味では、院長は医師評議会により非難を受けても致し方がなかつたものというべきである。

しかし、医師評議会は、院長が久富医長の要望を看護婦人事への干渉としてとらえてその旨の情報を組合に流したことを前提として院長ら管理者を非難しているのであるが、同会が前提としたような院長と組合の密接さを認むべき証拠はなく、同会の判断は憶測の域を出るものではない。また、院長が産婦人科外来診療室に久富医長非難のステツカーが貼られた状況下において診療が困難であることを認めつつも、当面非難の対象外である久富医長以外の医師についてはなお診療が可能であるとして診療を命じたことは、地域住民の医療のための市民病院という公的施設を管理する責任者の判断として是認できないわけでなく、この命令に従わないことは、地方公務員法三二条に違反するものであり、前記二の(四)に認定した医師評議会が産婦人科医の診療拒否、業務命令拒否につき示した態度はかかる違法行為を支持したものといわざるを得ない。そして、同会による院長に対する不信任の表明は、憶測に基づく認識を根拠とするもので、前同様、地方公務員として上司に対する意見具申の範囲を逸脱しているものと認めるべきである。

3  以上1及び2において述べたところによれば、原告ら常勤医師は、医師評議会を医療行政への意見具申を目的とするものとして発足させたものの(この点で、同会は労働組合とは性格を異にしている)、公的機構である医局会廃止を一方的に宣言し、以来医局会開催を事実上困難ならしめ、また、院長ら管理者を構成員から除外したためいきおいその発足の趣旨にもかかわらず管理者への批判的言動が多くなり、遂には、会の意見が認められなければ院長を院長として認めないとか不信任とするまで公言したのであつて、かかる言動は院長ら管理者との間に疎外関係を生ぜしめ病院の管理運営に影響を与えるものである。常勤医師が何よりも先ず被告町田市が開設する市民病院に勤務する地方公務員であることにかんがみれば、前記諸言動には公的組織の一員として相当性を欠く点があつたことは認めないわけにはいかない。

他方病院管理者とくに院長には従来の医局会の運営に至らぬところがあり、医師評議会も結局公認した形となり、久富問題とくに組合の排斥運動への対応には適切さを欠くものがあり、これが紛争拡大の一因となつたことは否定し得ないところである。

このように、原告ら常勤医師が医師評議会の名のもとにとつた言動に相当性を認め得ないとはいえ、この点につき医師のみを責め得ない事情があるうえ、原告が同会議長として指導的役割を担つてきたとしても、同会は一四名の医師による少数者の集団であり、証人近藤喬一の証言及び原告本人尋問の結果により認められるように、同会は構成員である常勤医師全員の討議を基礎に行動してきたのであるから、同会の言動及びこれによりもたらされた病院運営への影響の責任を挙げて原告のみに負わせることは妥当とはいいがたく、また、それ以外に病院運営の円滑化を回復する手段がなかつたとも断定できない。

そして、何よりも既に述べたように本件処分が臨床医である原告から臨床の場を失わせる結果をもたらすこととを対比して考えれば、いかに病院運営の円滑化のためとはいえ、既に認定したような事実関係のもとにあつて、原告がこのような結果を忍ぶことを余儀なくされる本件処分を発することは、処分権者に与えられた裁量権の範囲を逸脱するものと認めざるを得ない。

(四)  よつて、本件処分は違法なものとして取消を免れない。

四  本件処分に裁量権の逸脱が認められる以上本件処分は違法な公権力の行使であるから、被告市は原告がこれにより被つた損害を賠償する義務がある。そこで、原告の損害額について検討する。

(一)  特殊勤務手当減額相当分

請求原因五の(一)の事実は当事者間に争いがなく、特殊勤務手当減額相当分四〇万円は本件処分により原告が被つた損害ということができる。

(二)  弁護士費用

本件の事案の内容及び訴訟経過に照らせば、原告は法律専門家である弁護士を訴訟代理人として選任しなければ、本訴の提起、維持、追行は困難であつたものと認められるから弁護士に支払うべき報酬は本件処分に基づく損害であるということができる。原告が弁護士今井征夫を本訴の訴訟代理人に選任したことは記録上明らかなところであり、本訴の経過にあらわれた一切の事情を考慮すればその報酬額は五〇万円が相当であると認められる(なお、原告本人尋問の結果によれば原告は同弁護士に対し着手金として三〇万円を支払つたことが認められる。)。

(三)  慰藉料

本件処分は違法であるとはいえ、前記三に述べたように原告側にも地方公務員として責められるべき点が存すること、東京高等裁判所は昭和五一年七月二〇日原告が本件処分により回復することが困難な損害を被るものとして本件処分の執行を停止し、以後原告は市民病院神経科医師として勤務していること、本判決により本件処分が違法である旨判断されその取消を求める原告の請求は認容されたこと、その他本件にあらわれた一切の事情のほか、当審において、証拠調終了後当裁判所が原告の復職を前提とする和解を勧告したところ、被告らはこれを容れ、本件処分を撤回し引続き市民病院神経科医師として勤務することを認めると共に前記(一)の金員全額(本件処分後右執行停止に至るまで原告が神経科に勤務し得なかつたことにより受給できなかつた金額)の支払いを承諾したため、以上の諸点では原被告間において事実上合意をみるに至つたが、弁護士費用及び慰藉料につき被告町田市も一定額につき支払いの意向を示したものの原告の希望する額とへだたりがあつたため折合いがつかないまま和解が不調に終つた経過があり、このように被告側において本件処分を撤回することにより過去における自己の誤りを認める態度を示していたことをもあわせ考慮すると、本件処分により被つた原告の精神的苦痛に対する慰藉料は金二〇万円が相当であると認められる。

五  以上のとおり原告の被告町田市長に対し本件処分の取消しを求める請求は正当であるからこれを認容し、被告町田市に対する請求中特殊勤務手当減額相当分四〇万円、弁護士費用五〇万円、慰藉料二〇万円及び右合計額一一〇万円のうち弁護士費用中未だ支払われていない二〇万円を除く九〇万円について履行期の経過した後である昭和五一年九月一日以降完済まで民法所定の年五分の割合による支払いを求める部分は理由があるからこれを正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法九二条本文、九三条一項但書、八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松野嘉貞 吉本徹也 牧弘二)

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