東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)7号 判決 1980年7月17日
千葉県成田市天神峯三三番地三
原告
小川嘉吉
右訴訟代理人弁護士
近藤勝
同
大川宏
昭和五一年(行ウ)第七号事件訴訟代理人弁護士
同
葉山岳夫
同
長谷川幸雄
同
田村公一
同
増田修
同
中根洋一
同
菅野泰
同
坂入高雄
千葉県成田市花崎町八一二番地一二
被告
成田税務署長
島田三郎
東京都千代田区霞が関三丁目一第一号
被告
国税不服審判所長
岡田辰雄
東京都千代田区霞が関一丁目一番一号
被告
国
右代表者法務大臣
倉石忠雄
右被告三名指定代理人
宮北登
同
清野清
右被告成田税務署長指定代理人
岩下定司
同
村上憲雄
右被告国税不服審判所長指定代理人
高須明
右被告国指定代理人
蔵持達男
同
中村誠司
同
吉岡栄三郎
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた判決
一 原告
1 被告成田税務署長が昭和四八年一一月二一日別紙目録記載の土地に対してした差押処分を取り消す。
2 被告国税不服審判所長が右差押処分に対する原告の審査請求を昭和五〇年一〇月一六日付で棄却した裁決を取り消す。
3 原告が被告国に対し昭和四四年八月一三日付相続税申告書に基づく五三三万五〇〇〇円の相続税債務を負担していないことを確認する。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 被告
主文同旨
第二当事者の主張
一 原告の請求原因
1 原告は、昭和四四年二月一三日父小川梅吉の死亡により同人の遺産を相続したが、右相続に係る遺産のうち千葉県香取郡大栄町吉岡挽谷一六二六番一四外三筆の農地は、昭和四一年七月に建設が決定された新東京国際空港(以下「空港」という。)の建設予定敷地内に所在していた(以下右農地を「本件農地という。)。
2 原告は、右相続に伴う相続税の申告期限の最終日である昭和四四年八月一三日、相続税の申告書を作成してもらうため遠藤英夫税理士方に赴いたところ、時間がないとのことで成田税務署に連れていかれ、同税務署資産税課の係官に紹介されたが、同係官は原告を更に同税務署直税課資産税相談係長松戸亮(以下「松戸係官」という。)のもとに案内した。
松戸係官は、当日が申告期限の最終日であることを知ると、原告から相続に係る土地の固定資産税評価証明書や戸籍謄本等を提出させ、時間がないので急がなければならないとして、これらの書類に基づき自分で一方的に申告書用紙に記入をしはじめ、相続財産の明細のうち本件農地の価額欄には、東京国税局が昭和四四年三月二七日付で定めた同年分相続税財産評価基準(以下「本件評価基準」という。)により新東京国際空港公団(以下「公団」という。)の空港建設予定敷地買収予定価格の七割相当額を記入した。
これに対し、原告は、空港建設反対の立場をとっており、空港建設のため本件農地の買収に応ずる意思は全くないので、本件農地を公団の買収予定価格を基礎とした価額により評価するのは不当であり、従前から行われていたように固定資産税評価額に一定の倍率を乗ずる方式により評価すべきである旨松戸係官に異議を述べた。しかし、松戸係官は、「今日は時間がない。あとで更正の請求もできるから今日中に申告を提出してほしい。」といって、本件評価基準による価額を記入した申告書に署名押印をするよう原告に強く迫ったので、原告は、後日更正の請求が可能であるとの右松戸係官の言を信じてやむなく署名押印に応じ、その場で同申告書を提出した(以下同申告書による申告を「本件申告」という。)。同申告書によれば、原告の納付すべき相続税額は五三三万五〇〇〇円と算出、申告されている。
その後、原告は成田税務署に三、四回赴き、申告税額が過大である旨を申し出たが、同税務署では更正の請求の手続を指導してくれず、とにかく申告税額を納付せよというのみであった。
3 本件申告の経過は右のとおりであるが、同申告には次に述べるような重大かつ明白な瑕疵があり、無効というべきである。
(一) 自己申告の原則違反
2で述べたとおり、本件申告書は、松戸係官が相続税に関する知識のない原告に対し、相続財産の評価額等についてなんらの説明もせずに一方的に記入したうえで、異議を申し立てている原告に署名押印を強要したものであり、これによる本件申告は原告の意思に基づくものではない。かかる申告は、国税通則法一六条の定める自己申告の原則に違反し、無効である。また、本件申告が松戸係官において原告を代理してしたものであるとするならば、同係官は申告の相手方である国の職員であり、申告者たる原告と利害相反の立場にあるものであるから、本件申告は民法一〇八条に違反し無効というべきである。
(二) 租税法律主義違反
相続税における相続財産の評価は時価によるべきものと定められており(相続税法二二条)、その時価の算定にあたっては、従前から、固定資産税評価額に一定の倍率を乗じて評価するいわゆる倍率方式が採用されてきた。しかるに、松戸係官が本件申告書の作成に際して用いた本件評価基準は、空港建設予定敷地内の土地につき、空港公団の地目別買収予定価格の七割に相当する額(坪当たり宅地は四六六〇円、田は三五七〇円、畑は三二六〇円、山林原野は二六八〇円)をもって時価とすべきことを定めており、これによるときは、倍率方式による評価に較べて約三・八倍高い価額となる。
しかし、通達によって相続財産の時価を定めることは、それ自体憲法の定める租税法律主義に違反する。のみならず、右公団の買収予定価格なるものは、不特定多数者間の自由な取引によって形成された価格ではなく、空港建設用地を確保するため建設反対派を切り崩そうとする公団と、いわゆるゴネ得を狙った条件賛成派との間で取り決めた価格であって、とうてい客観的交換価値による市場価格とはいえないものであり、しかも、本件相続当時はまだ空港建設の事業認定の告示がなされていないため右買収予定価格で強制的に収用できる状態でもなかった。したがって、右買収予定価格を基礎として定められた本件評価基準の標準価額は、正当な時価とはいいがたい。また、本件評価基準は本件相続後である昭和四四年三月二七日に出されたものであるから、これを本件に適用することは相続開始当時の時価によって評価したことにはならない。このように、本件申告は憲法及び相続税法の規定に違反している。
(三) 租税公平の原則違反
右に述べたとおり、本件申告においては、本件農地を空港建設予定地外農地の評価額の約三・八倍という高額で評価し、これに基づいて税額を算出しているが、原告が空港建設に反対し買収に応じないことが明らかであるにもかかわらず、単に本件土地が空港建設予定敷地内にあるということだけで不平等な課税価格を設定することは、憲法一四条に由来する租税公平の原則に違反する。
更に、原告の相続の前後に空港建設予定敷地内の土地について相続が発生した事例が数件(瀬利彦助、加藤つる、岩沢庄平等)あるが、いずれの場合にも、本件評価基準によらずに前記の倍率方式によって評価、申告がされているか、又は無申告のまま放置されており、本件評価基準が適用されたのは原告だけである。本件申告は、このような差別的適用がなされている点においても租税公平の原則に違反する。
4 ところが、被告成田税務署長(以下「被告税務署長」という。)は、本件申告により原告に五三三万五〇〇〇円の相続税債務があるとし、既に納付ずみの四七万七〇〇〇円を控除した四八五万八〇〇〇円及びこれに係る延滞税を徴収するため、昭和四八年一一月二一日原告所有の別紙目録記載の土地に対して差押処分(以下「本件差押処分」という。)を行った。
しかし、3で述べたとおり本件申告は無効であるから、原告がこれに基づく相続税納付義務を負担するいわれはなく、本件差押処分は違法として取り消されるべきである。
5 そこで、原告は、本件差押処分につき、所定の異議手続を経て、昭和四九年四月二四日被告国税不服審判所長(以下「被告審判所長」という。)に審査請求をしたが、同被告は、昭和五〇年一〇月一六日東裁(諸)五〇第七五〇号をもって右審査請求を棄却する裁決(以下「本件裁決」という。)をした。
しかし、本件裁決は、先に述べた本件申告の違憲違法性につき原告の意見を十分聴取することなく、表面にあらわれた書類のみを根拠として審理したもので、重大な事実誤認があり、取消を免れない。
6 以上により、原告は、被告税務署長に対し本件差押処分の取消、被告審判所長に対し本件裁決の取消、被告国に対し本件申告に基づく相続税債務の不存在確認をそれぞれ求める。
二 被告らの認否及び主張
1 被告税務署長
(一) 請求原因1は認める。
(二) 同2のうち、昭和四四年八月一三日遠藤税理士が原告を伴って成田税務署に来署し、同税務署資産税課係官に原告を紹介し、同係官が原告を更に松戸係官のもとに案内したこと、松戸係官が原告から固定資産税評価証明書や戸籍謄本等の提出を受けて申告書用紙に記入し、本件農地の価額欄には本件評価基準により公団の買収予定価格の七割相当額を記入したこと、松戸係官が原告に対し後日更正の請求もできるから今日中に申告書を提出してほしい旨をいい、原告が申告書に署名押印して、相続税額を五三三万五〇〇〇円とする申告書を提出したこと、原告がその後成田税務署に来署したこと、以上の事実は認めるが、原告と遠藤税理士とが来署したいきさつは不知、その余の事実は否認する。松戸係官は原告から申告書の代筆を依頼され、所要事項を記入してやったものであり、原告は右記入された内容につき同係官の説明を納得して任意に申告書に署名押印したものである。
(三) 同3の冒頭部分及び(一)は争う。同3の(二)の前段は認めるが、後段は争う。同3の(三)は争う。
(四) 同4の前段は認め、後段は争う。
(五) 仮に本件申告書の記載内容になんらかの過誤があったとしても、相続税法が申告納税制度を採用し、申告書の記載の是正につき更正の請求という特別の方法を定めている趣旨から考えると、申告内容の過誤の是正については、当該錯誤が客観的に重大かつ明白であって、更正の請求以外にその是正を許さないならば納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合でない限り、所定の方法によらずに申告書の記載内容の錯誤を主張することはできないものというべきである。したがって、原告が更正の請求もしていない本件においては、本件申告につき錯誤による無効を主張することは許されない。
また、本件の申告手続に違法があるとしても、その違法性は本件差押処分に承継されるものではなく、本件差押処分の取消事由とはなりえないものである。
2 被告審判所長
(一) 請求原因4の前段及び同5の前段は認め、同5の後段は争う。
(二) 本件裁決手続の経過は次のとおりである。
本件差押処分につき、原告から昭和四九年四月二四日付で審査請求があったので、東京国税不服審判所長は、同年七月二四日付で原告に担当審判官の氏名を通知するとともに、原処分庁の答弁書を送付し、併せて反論書及び証拠書類若しくは証拠物の提出を求めた。また、原告が右審査請求と同時に、口頭による意見陳述をしたい旨を申し立てたので、担当審判官は、同年九月二七日付で、右意見の聴取日時を同年一〇月七日午後一時から三時まで、聴取場所を東京国税不服審判所とする旨を原告に知らせるとともに、かねて原告から申請のあった補佐人二名を口頭意見陳述日に帯同することを許可した。しかし、原告及び補佐人は当日出頭せず、同年一一月二一日に至り原告及び補佐人一名が東京国税不服審判所に出頭したので、担当審判官が口頭意見陳述を聴取した。そして、担当審判官及び参加審判官は、右原告の口頭意見及び審査請求書並びに原処分庁から提出された処分の理由となった事実を証する資料及び国税不服審判所において調査した資料のすべてにより審理し、その議決したところに基づき、被告審判所長が本件裁決をしたものである。
原告は、本件裁決が本件申告の違憲違法性につき十分審理しなかった違法があると主張するが、原告は本件審査請求において、被告税務署長が原告に不当な相続税賦課決定処分をした旨を申し立てるのみで、口頭による意見陳述においても、本件農地の評価を不当とする主張を繰り返したにとどまり、本件申告の違憲違法についてはなんら主張していない。本件において相続税の賦課決定処分が行われていないことは明らかであるし、また、相続税の申告手続に違法があるとしても、その違法性は本件差押処分に承継されるものではない。そして、被告審判所長が本件裁決にあたって原告の意見を十分聴取するために最大限の配慮をしたことは、前記のとおりである。したがって、本件裁決には裁決固有の瑕疵は存しない。
3 被告国
(一) 請求原因1は認める。
(二) 同2のうち、昭和四四年八月一三日遠藤税理士が原告を伴って成田税務署に来署し、同税務署資産税課係官に原告を紹介し、同係官が更に原告を松戸係官のもとに案内したこと、原告が松戸係官に固定資産税評価証明書や戸籍謄本等を提出したこと、同日相続税額を五三三万五〇〇〇円とする本件申告書が提出されたことは認めるが、同申告書に記入された本件農地の価額について原告が異議を述べたこと、松戸係官が原告に対し申告書への署名押印を強要し、同申告書が原告の意思に基づかないで作成されたものであることは否認する。
(三) 同3は争う。
(四) 仮に本件申告書の記載内容になんらかの過誤があったとしても、本件申告につき錯誤による無効、したがって同申告に基づく相続税債務の不存在を主張することが許されないことは、被告税務署長の前記主張のとおりである。
三 被告審判所長の主張に対する原告の認否
被告審判所長の主張する本件裁決手続の経過(二の2の(二)の前段)は認める。
第三証拠
一 原告
1 甲第一ないし第四号証、第五号証の一、二、第六号証の一ないし六、第七、第八号証、第九号証の一ないし三九
2 証人松戸亮(第一、二回)、同遠藤英夫の各証言、原告本人尋問(第一、二回)の結果
3 乙第一号証の一、六、第三ないし第一〇号証の成立(第四、第六号証については原本の存在及び成立)は認める。同第一号証の二ないし五の成立は不知。同第二号証のうち納税義務者住所氏名欄及び申請者住所氏名欄の成立は認めるが、その余の部分の成立は不知。丙号証の成立は全部認める。
二 被告税務署長
1 乙第一号証の一ないし六、第二ないし第一〇号証
2 証人松戸亮の証言(第一回)
3 甲号証の成立(第三、第四号証については原本の存在及び成立)は全部認める。
三 被告審判所長
1 丙第一ないし第五号証
2 甲号証の認否は被告税務署長と同じ
四 被告国
甲号証の認否は被告税務署長と同じ
理由
第一被告税務署長及び被告国に対する各請求について
一 請求原因1の事実は原告と右被告両名との間において争いがなく、成立に争いのない乙第七号証、証人松戸亮(第一、二回)、同遠藤英夫の各証言及び原告本人尋問(第一、二回)の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 原告は、本件相続税申告期限の最終日である昭和四四年八月一三日、相続税の申告書を作成してもらうべく、かねて紹介されていた成田市内の遠藤英夫税理士方事務所を訪れたが、空港建設予定敷地内の土地については相続税の財産評価基準に定められている標準価額が右敷地外の土地よりも高額とされていることを聞き知っていたので、遠藤税理士に対し、空港建設に反対している原告としては右価額に納得できない旨申し出たところ、同税理士は評価基準に反した申告書を作成することは立場上できないと考え、所轄の成田税務署で直接処理してもらうため、同日午後三時ごろ原告を同税務署に伴った。
2 同税務署において遠藤税理士は資産税課の青野係官に原告を紹介したが、同係官は、休暇をとり退庁する矢先であったので、すぐ資産税相談係長の松戸係官のもとに遠藤税理士と原告を案内した。遠藤税理士は松戸係官に対し、「今日が原告の申告期限であるが、申告書を書いてやれないので、本人を連れてきた。」と話し、間もなく原告をその場に残して立ち去った。そして、原告もまた、ひとりで申告書を作成することは大変であるとの様子を示した。このため、松戸係官は、申告書の代筆を依頼されたものと考え、これに応じてやることとした。
3 そこで、松戸係官は、原告が持参した戸籍謄本、相続財産に係る固定資産税評価証明書及び被相続人の氏名住所等のみを記入してある申告書用紙等を提出させたうえ、主として右固定資産税評価証明書の記載に基づき、原告とも適宜問答をしながら、申告書中の相続財産の明細欄等の記入を進めたが、空港建設予定敷地内の土地については右敷地外の土地とは異なる特別の地目標準価額(坪当たり宅地四六六〇円、田三五七〇円、畑三二六〇円、山林二六八〇円)が本件評価基準により定められていたので、相続した土地が空港建設予定敷地内にあるかどうかを原告に確めたところ、原告は、空港建設は自分とは関係がない旨答えた。しかし、松戸係官は、空港建設予定敷地内に所在することが確認された本件農地については右評価基準に従ってその価額を記入し、これらの価額を基礎として相続税額を五三三万五〇〇〇円とする申告書を作成した。この間、原告は松戸係官の机の向い側に座っており、同係官が誤って空港建設予定敷地外にある土地にも本件評価基準による価額を付したのに対し、その誤りを指摘して訂正させたりした。また、原告は、相続税額が五三三万五〇〇〇円と算出されたことについて高すぎるとして疑問あるいは不服を述べたが、松戸係官が、本件農地を本件評価基準により評価すれば右の額になるとし、申告に誤りがあったときはあとで修正申告や更正の請求によって是正することができる旨説明して、同日中に申告書を提出するようすすめたので、原告は、当日が申告期限最終日で時間も遅くなっていたことから、後日更正してもらえばよいと考えて、不本意ながらも一応納得し、申告書に署名押印をしてこれを提出した。
4 申告を終えた原告は、松戸係官のすすめに従って、申告に係る相続税の分納手続をとることとし、同係官の案内で直ちに同税務署の担当係に行き、申告税額のうち現金納付をする三三万五〇〇〇円を除いた五〇〇〇万円につき昭和四四年から一〇年間で五〇万円ずつ分納する旨の相続税延納申請書兼徴収猶予申請書(乙第二号証)を提出した(ただし、この申請は、原告が所定の担保の提供をしなかったので、後日却下された。)。
5 原告は、右申告書を提出した後、同月中に単独又は国会議員と同道して成田税務署に赴き、本件評価基準の定めている標準価額の算出根拠について尋ねたり、右価額が公団の買収予定価格を基礎としていることの不当性を主張したりしたが、本件申告について更正の請求はしなかった。
以上のとおり認められる(ただし、右認定事実のうち、遠藤税理士と原告とが成田税務署に来署し、資産税課係官から松戸係官のもとに案内されたこと、原告が松戸係官に固定資産税評価証明書等を提出したこと、及び本件申告書が提出されたことについては、原告と前記被告両名との間において争いがなく、また、本件申告書が松戸係官の記入したもので、本件農地の価額は本件評価基準のとおりに記入されたこと、同係官が原告に対し、あとで更正の請求ができるから今日中に申告書を提出してほしい旨述べたこと、及び本件申告後に原告が同税務署に赴いたことについては、原告と被告税務署長との間において争いがない。)。原告本人尋問(第一、二回)の結果中右認定と低触する部分は採用せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
二 右認定事実に基づき原告の主張する本件申告の無効事由の存否について判断する。
1 自己申告原則の違反
前記の本件申告書が作成された経過に照らせば、原告は右申告書の代筆を松戸係官に依頼したものと認めるべきであり、同係官が勝手に書きはじめたものであるかのごとくにいう原告本人の供述は措信することができない。また、松戸係官の記入した事項のうち本件農地の価額が本件評価基準によって評価されたこと及びこの価額に基づいて税額が算出されたことについて原告が不満をもっていたことは明らかであるけれども、あとで是正する方法があるとの松戸係官の説明を一応納得して不本意ながらも申告書に自ら署名押印をし、これを自己の申告書として提出することとした以上、これによる申告をもって原告の意思に基づくものでないとすることはできない。一般に、いわゆる税務相談を受けた税務職員が納税者のために申告書の代筆をしてやるなどの技術的援助をすることは、行政指導の一環として是認されるところであり、その際、記載事項についての納税者の意見に問題があると考えられるときは、税務署側の見解を示してこれによるよう勧奨ないし説得することも、不当な強制にわたらない限り許されるものと解されるが、本件においては前記のとおりの経過により本件申告がなされたのであって、右申告がなされるまでの松戸係官の行為が勧奨ないし説得の域を超える強制的なものであったと認めがたい。したがって、本件申告は原告のいう自己申告の原則に違反するものではない。
なお、右のように本件申告そのものは松戸係官が原告を代理してしたものではないから、民法一〇八条違反をいう原告の主張は失当である。
2 租税法律主義違反
原告は、通達によって相続財産の時価を定めることは租税法律主義に違反すると主張するが、租税法律主義は、申告において時価評価をする際の標準価額を通達等によって設定することまでも禁止しているものではない。
また、原告は、本件評価基準の標準価額が適正な時価とはいえないと主張するが、本件申告が原告のしたものであるとの先の認定を前提とすれば、右主張は、結局のところ、税額算出の基礎となる相続財産の価額を誤って正当な時価よりも過大に申告したというに帰着する。しかし、右のような過大申告について申告者になんらかの錯誤があったとしても、現行法上、その是正は更正の請求の手続によってなすべきことが予定されているのであり、当該錯誤が客観的に重大かつ明白で更正の請求以外にその是正を許さないならば申告者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合を除いては、更正の請求によらずに申告の無効を主張することは許されないものと解すべきである。しかるところ、本件においては、申告価額の基礎となった前記標準価額が適正な時価を上まわることが客観的に明白であると認めるべき確証はないうえ、前認定の事実によれば、原告は、申告の時から申告価額に疑問をもち、松戸係官からは誤りがあれば更正の請求ができる旨を説明され、後日更正の請求をすればよいという考えで申告書の提出をしたものであって、申告後にも右申告について国会議員に相談をしたりしているのであるから、更正の請求の手続を具体的には知らなかったとしても、それだけで更正の請求をすることが客観的に不可能ないし著しく困難であったとはいうことができない。これらの点を考えると、本件申告につき更正の請求以外に錯誤による無効の主張を許さなければ原告の利益を著しく害する特段の事情はいまだ認めがたいものというべきである。したがって、申告価額の誤りをもって本件申告を無効とすることはできない。
3 租税公平の原則違反
成立に争いのない乙第三ないし第一〇号証(第四、第六号証については原本の存在と成立に争いがない。)及び弁論の全趣旨によれば、昭和四一年七月五日政令第二四〇号により空港建設が決定された地域は、従前は、相続税財産評価に関する通達により固定資産税評価額に一定の倍率を乗じた価額で時価を評価すべきものとされていたが、空港建設が決定されたことに伴い、建設予定敷地内の土地について地目別に公団の買収予定価格が定められ、これに基づいて用地買収が行われることとなったので、本件評価基準においては、右買収予定価格の七割相当額を基準として前記の地目別標準価額を定めたものであることが認められる(右事実は、原告と被告税務署長との間においてはおおむね争いがない。)。そうであるとすれば、空港建設予定敷地内の土地の評価について右買収予定価格を基礎に右敷地外の土地とは別の標準価額を定めたことはそれなりの理由のあることであって、これを不合理な差別ということはできない。また、原告の主張するように、本件相続の前後に空港建設予定敷地内の土地が相続された事案で本件評価基準によらないで申告された例や、あるいは相続税の申告自体がされなかった例があり、それらについて格別の税務上の措置がとられていないとしても、それにより直ちに原告のした申告が平等原則違反の瑕疵を帯びるものでないことは、いうまでもない。
三 右のとおり、本件申告には原告の主張する無効事由があるとは認められないから、原告は申告に係る五三三万五〇〇〇円の相続税納付義務を負うものというべきであり、したがって、右義務の不存在を前提とした本件差押処分の違法の主張も失当である。
よって、原告の被告税務署長及び被告国に対する請求はいずれも棄却を免れない。
第二被告審判所長に対する請求について
一 原告が本件差押処分につき所定の異議手続を経て昭和四九年四月二四日被告審判所長に審査請求をしたところ、同被告が昭和五〇年一〇月一六日付で本件裁決をしたこと、及び本件裁決手続の経過が同被告主張(事実欄第二の二の2の(二)前段)のとおりであることについては、原告と同被告との間において争いがない。そして、成立に争いのない丙第一号証によれば、本件裁決においては、本件申告の経過について触れることなく、単に原告が右申告に係る税額を納付しなかったため法定の手続に従って本件差押処分が行われたものであるから同処分は適法であるとの認定判断を示しているにとどまることが認められる。
二 原告は、本件裁決が本件申告の違憲違法性について原告からの意見聴取及び審理を十分に行っていないのは違法であると主張する。しかし、成立に争いのない丙第二号証によれば、原告は、本件審査請求書において、被告から相続税賦課決定処分とこれに基づく本件差押処分を受けたとの主張を前提にしたうえで、一方的に決定された空港建設を積極的前提とした課税は違法不当である旨を主張しているのみであって、原告が本訴で主張しているような本件申告の経過ないしその問題点についてはなんら具体的に言及していないことが明らかである。そして、申告になんらかの過誤があったとしても申告が当然に無効となるものでないことは前述のとおりである。してみると、前記の本件裁決手続の経過のもとにおいて、被告審判所長が、原告からは特に主張されていない本件申告の経過等につき積極的に原告に対して立ち入った意見陳述を求めず、あるいはその点の証拠の取調べをしなかったからといって、その審理及び判断を不十分かつ違法なものということはできない。また、本件裁決の認定した範囲において事実誤認があると認めるべき証拠もない。
よって、本件裁決に原告主張の違法はなく、その取消を求める原告の請求は棄却すべきである。
第三結論
以上の次第で、原告の被告らに対する請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 佐藤繁 裁判官 泉徳治 裁判官菊池洋一は外国出張中につき署名押印することができない。裁判長裁判官 佐藤繁)
目録
一 千葉県香取郡大栄町新田字道印用台一五五番地
山林 一一八平方メートル
二 右同所 一五六番地
山林 一二四平方メートル
三 右同所 一六七番地
山林 一〇七一平方メートル