東京地方裁判所 昭和52年(レ)19号 判決 1981年3月31日
控訴人
飯塚文子
被控訴人
森ツユ
右訴訟代理人
長井清水
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人の申立
1 原判決中、被控訴人に関する部分を取消す。
2 被控訴人は控訴人に対し、原判決添付物件目録記載の各土地(更正後のそれ)(以下本件土地という。)について、原判決添付登記目録(イ)記載の登記(更正後のそれ)の抹消登記手続をせよ。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人の申立
主文第一、二項と同旨
第二 当事者の主張
当事者の事実人の陳述は、次のとおり附加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
原判決六丁裏一行目「そうでないとしても、」の次に、「控訴人は、昭和四二年一二月八日付で告訴をした当時本件土地が原審被告榊田に所有権移転登記され、更に続けて原審被告田中に所有権移転登記がされている事実を知つていたのであるから、直ちに処分禁止の仮処分をし、あるいは同訴外人に対しても右登記の抹消を請求するなど権利保全の措置をとるべきであるに拘らず、当初から約二年を経過した同四三年一月一九日に処分禁止の仮処分決定を得るまでこれを放置していたのであるから、右登記を認容していたと認めるべきであつて、控訴人の過失も甚しく、」と附加する。
同丁裏五行目「従つて、」の次に「民法九四条二項または」と附加する。
第三 証拠<省略>
理由
一控訴人が昭和四一年六月七日訴外藤島縣吉から本件土地を代金一〇〇万円で買い受けて所有権移転登記を経由したこと及びその後原審被告榊田が同年七月一一日付で本件(ハ)の移転登記を、原審被告田中が同年八月九日付で本件(ロ)の移転登記を、被控訴人が翌四二年一〇月三日付で本件(イ)の移転登記をそれぞれ経由したことについては当事者間に争いがない。
二<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を動かすに足る証拠はない。
1 控訴人は、本件土地売買代金の不足分九万五〇〇〇円を昭和四一年六月二一日訴外斉藤敏及び小林トシから弁済期一か月後の約定で借り受け、その際控訴人の信用を裏付け保証する趣旨の「保証裏付」として本件土地の権利証、控訴人の印鑑証明書及び白紙委任状を同訴外人らに預けた。その際訴外斉藤らは右書類を使用しないことを約した。
2 右斉藤は、右弁済期前の同年七月四日、六日の二回にわたつて街金融を営む原審被告榊田から合計金二〇万円を、弁済期同年九月四日、利息月五分の約定で借り受け、前記各書類を右債務の担保として差し入れたところ、原審被告榊田は、前記のとおり本件(ハ)の登記を経由したうえ、本件土地を担保に同じく街金融を営む訴外桜井元泰から金六〇万円を借り受け、右桜井は原審被告田中の名義で本件(ロ)の登記を経由した。
3 控訴人は、同年八月末日頃登記簿を閲覧して本件(ロ)及び(ハ)の登記の存在に気づき、同年一二月八日訴外斉藤、小林のほか前記金員借受けに立会つた訴外明石延を告訴し、翌四二年五月一三日、右被告訴人らとの間で、原審被告榊田を右被告訴人らの保証人として、同月二八日までに本件土地の登記名義を控訴人に回復することを条件に右告訴を取下げる旨の示談をした。
三被控訴人は、控訴人が訴外斉藤及び小林に対して本件土地に譲渡担保または抵当権を設定するについての代理権を与えた旨主張するが、右代理権付与の事実を認めるに足る証拠はないから、被控訴人の右主張は採用しない。
また、被控訴人は表見代理の成立を主張するが、前記認定の示談の内容に鑑みると、原審被告榊田は控訴人の土地返還の要求を認め登記名義の返還を約しているのであつて、同人には訴外斉藤及小林が代理権を有すると信ずべき正当の理由がなかつたものと認めるのが相当であるから、他の点につき判断するまでもなく、右主張もまた採用しない。
四外観理論の適用について判断する。
1 <証拠>を総合すると、控訴人は、昭和四〇年頃から現在に至るまでたびたび民事訴訟に当事者として関与している者であるところ、前記のとおり、昭和四一年八月末日頃登記簿を閲覧して本件(ロ)及び(ハ)の登記の存在に気づき、同年一二月八日に至つて訴外斉藤らにつき刑事告訴をし、翌年五月一三日、訴外斉藤、同小林、同明石及び原審被告榊田との間で同月二八日までに本件土地の登記名義を控訴人に戻す旨の示談をしたが、右期間経過後も右示談内容の実現をはかる法的措置をとらず、しかも原審被告田中に対しては、同人が昭和四一年八月末当時すでに登記名義人となつていることを知つていたにもかかわらず、何らの措置をもとらずに放置し、被控訴人が本件土地を買受け本件(イ)の登記を経由した後である昭和四三年一月二二日に至つてようやく本件土地につき処分禁止の仮処分をしたにすぎないことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
2 <証拠>を総合すると、被控訴人は、本件当時東大病院の派遣看護婦をしていたものであつて、法律知識に乏しく、不動産取引の経験もない者であるところ、本件土地を買受けるにあたり、原審被告田中の代理人である訴外野島嘉道から本件土地が原審被告田中の所有であつて野島はその処理を一切委せられている旨説明され、右野島及び同人を被控訴人に紹介した訴外野口悦司とともに現地を見たうえ、代金一四〇万円を支払つて本件土地を買受け、本件(イ)の登記を経由したこと、及び、被控訴人は控訴人とは勿論、原審被告榊田や訴外斉藤、同小林などとは全く面識がなく、本件(ロ)の登記がなされるまでに前記のような不正が行われたものであることは全く知る由もなかつたことが認められ<る。>
右事実関係に照らすと、被控訴人は、右買受当時登記名義人である原審被告田中が本件土地を所有していると信じて本件土地を買受けたのであつて、かつ、そのように信じたことにつき過失はなかつたと評価すべきである。
3 以上の事実関係よると、控訴人は、本件(ロ)の登記の存在を知りながらこれを承認したものとまでは認められないが、その登記名義人である原審被告田中に対しては、刑事告訴の対象にできないまでも、示談交渉に参加させ、あるいは速やかに処分禁止の仮処分をする等自己の権利を保全し、その後の登記名義の移転を防止するための法的措置を執ることが十分可能であつたと認められるのに、本件(ロ)の登記の存在を知りながら、その後約一年二か月間、前記示談成立後からでも約五か月近くの間何らの措置も執らずに放置したのであつて、そのため本件(イ)の登記が経由されるに至つたのであるから、本件紛争の発端が前記のとおり控訴人において権利証のみならず印鑑証明書と白紙委任状をも不用意に他人に交付し、その所持人において、事実上、本件土地について権利変動を生じさせる登記手続をとることができる状況を作り出したことにあることをも考え合わせると、前記のとおり本件(ロ)の登記を信頼して本件土地を買受けた被控訴人との関係においては、本件(ロ)の登記の存在を知りながらこれを承諾した場合と同等の法的不利益を受けてもやむをえないと解すべきであつて、民法九四条二項の法意、外観尊重及び取引保護の要請ないし信義則の適用により、控訴人は、本件(ロ)の登記の無効をもつて善意無過失の被控訴人に対抗することはできないものと解するのが相当である。
五よつて、控訴人の請求は理由がないから、これと結論において同旨の原判決は正当であり、本件控訴は失当であるからこれを棄却し、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(三宅弘人 手島徹 藤山雅行)