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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)11122号 判決 1983年11月10日

原告

佐々木幸子

原告

佐々木一美

原告

佐々木幸

右両名法定代理人親権者母

佐々木幸子

原告

佐々木市太郎

原告

佐々木ミヨノ

原告ら訴訟代理人

儀同保

秋山幹男

被告

日本ポリテク株式会社

右代表者

河西大吉

右訴訟代理人

島谷六郎

杉野翔子

被告

永田澄夫

右訴訟代理人

藤井暹

水沼宏

太田真人

西川紀男

橋本正勝

主文

一  被告日本ポリテク株式会社は、原告佐々木幸子に対し、金七二九万九一五四円及びうち金六六九万九一五四円に対する昭和五〇年一二月二一日から、うち金六〇万円に対する昭和五八年一一月一一日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員、原告佐々木一美及び佐々木幸に対し、それぞれ金一二一九万一四三七円及びうち金一一一九万一四三七円に対する昭和五〇年一二月二一日から、うち金一〇〇万円に対する昭和五八年一一月一一日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員、原告佐々木市太郎及び同佐々木ミョノに対し、それぞれ金一一〇万円及びうち金一〇〇万円に対する昭和五〇年一二月二一日から、うち金一〇万円に対する昭和五八年一一月一一日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告日本ポリテク株式会社に対するその余の請求及び被告永田澄夫に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らに生じた費用の四分の一及び被告日本ポリテク株式会社に生じた費用の二分の一を被告日本ポリテク株式会社の負担とし、原告ら及び被告日本ポリテク株式会社に生じたその余の費用並びに被告永田澄夫に生じた費用を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自

(一) 原告佐々木幸子に対し、金一六九二万三五五五円及びうち金一五三九万三五五五円に対しては昭和五〇年一二月二一日から、うち金一五三万円に対しては本判決言渡の日の翌日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員

(二) 原告佐々木一美及び同佐々木幸に対し、それぞれ金二二九六万五八三八円及びうち金二〇八八万五八三八円に対しては昭和五〇年一二月二一日から、うち金二〇八万円に対しては本判決言渡の日の翌日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員

(三) 原告佐々木市太郎に対し、金二四四万二四四〇円及びうち金二二二万二四四〇円に対しては昭和五〇年一二月二一日から、金二二万円に対しては本判決言渡の日の翌日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員

(四) 原告佐々木ミョノに対し、金二二〇万円及びうち金二〇〇万円に対しては昭和五〇年一二月二一日から、金二〇万円に対しては本判決言渡の日の翌日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員

を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告日本ポリテク株式会社)

1 原告らの被告日本ポリテク株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

(被告永田澄夫)

1 原告らの被告永田澄夫に対する請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者について)

(一) 原告佐々木幸子は、亡佐々木市郎(昭和一八年三月二九日生。以下「市郎」という。)の妻である。

原告佐々木一美(昭和四四年生)及び同佐々木幸(昭和五〇年生)は、市郎・原告佐々木幸子夫婦の子である。

原告佐々木市太郎は市郎の父であり、原告佐々木ミョノは市郎の母である。

(二) 被告日本ポリテク株式会社(以下「被告会社」という。)は、自動車部品等を製造し日産自動車株式会社等に納入する河西工業株式会社(以下「訴外会社」という。)の子会社であり、合成樹脂その他高分子化学製品等の製造・販売を目的とする。

(三) 被告永田澄夫(以下「被告永田」という。)は、永田外科病院(以下「永田医院」という。)の名称で医院を開業する医師である。

2  (本件事故の発生経緯等について)

(一) 市郎は、弟の佐々木芳郎(以下「芳郎」という。)とともに、神奈川県高座郡寒川町宮山三三一六番地所在の訴外会社工場にいわゆる出稼者として働きに行つたところ、訴外会社工場内にある被告会社工場で働くように指示された。

(二) 市郎は、昭和五〇年一一月四日から、被告会社の従業員として、ウレタン発泡成型加工作業(自動車の内装部品の製造の一工程)に従事し、同社の出稼者用のプレハブ作りの寮に居住した。

(三) 右作業は、ポリオール(A液)とメチレンジイソシアネート(MDI・B液)とを型に注入し、ウレタン製品を製造するというものであつた。

(四) 市郎は、右作業に従事してから一週間くらいすると、食欲不振と疲労を訴えるようになり、仕事が終るとテレビも見ないで寝てしまうような状態であつた。市郎は職場で「作業を変えてほしい。」と言つていたが、聞き容れられなかつた。

(五) 同月一六日には、市郎は「体が疲れる。」「会社の中で仕事をすると頭が痛い。匂いをかぐとおかしい。」「自分の体に合わないのじやないか。」「体に合わないから(作業を)かえてもらおうか。(そうでなければ秋田へ)帰ろうかなあ。」「マスクしないで体に悪くないかなあ。」などと訴え、食欲もなかつた。

(六) 市郎は、翌一七日には作業に従事したが、一八日には重症で寝込んでしまい、出勤することができなくなつた。

一八日朝の症状は、発熱し、眼が充血してはれ、くちびるや口腔も炎症のためはれ、水を飲んだり食物を食べると痛みがあり、胸に発疹が出ていた。また頭痛と脱力感を訴えていた。介助なしには歩くことも困難な状態であつた。

(七) 市郎は同日被告会社の事務室に呼ばれ、藁品総務課長から休むなら診断書を提出するよう求められたが、被告会社から治療に関して何の助力も得られなかつた。藁品らは、市郎の症状を直接みているのに市郎に治療を受けさせようとはしなかつた。

(八) 芳郎は、出稼者のリーダーである草彅に相談し、永田医院を教えてもらい、同月一九日に同医院の場所を確認した後、同月二〇日同医院へ市郎を連れて行つた。

同日の市郎の症状は、咳嗽(からせき)、両側結膜災、口内ビラン炎症、上気道炎、その他全身の炎症、頸部より躯幹部にかけて粟粒大の発疹、高度の発熱(38.6度)であり、のどが痛くて食物を食べられない状態であつた。

この日市郎は、被告永田からスルピリン(メチロン)注射等を受けた。

(九) 市郎が永田医院へ行つた後、同日午後一時ころ、被告会社の藁品総務課長と鈴木製造課長は市郎を事務所に呼びつけた。藁品らは、市郎が被告永田の診察を受けたが、被告永田も病名をつけかねていることを知り、かつ洋服を上げさせて市郎の身体を見て、前記のごとき重大な症状であることを知つたのに、適切な治療方法を指示しなかつた。また、同日は木曜日で、被告会社の産業医(工場医)が会社に来ていたはずであるが、産業医に相談しようとすらしなかつた。

(一〇) 同月二一日、市郎は再び永田医院において被告永田の診療を受けた。このときの症状は前日の症状と同様であつたが、その程度が更に悪化しており、熱は39.2度あり、著明な発疹が全身に広がつており、口腔内(咽頭)ビラン炎症も著明であり、両側眼球充血発赤も高度となつていた。

被告永田は半信半疑ながらも麻疹と診断し、ガンマグロブリンを投与したが、前日と同様スルピリンの注射も行つた。

(一一) 芳郎は、同日横浜の姉のところに治療費を借りに行つて、夕刻帰つて来たが、帰つて来てみると市郎の症状は更に一段と悪化しており、発疹が大小の水疱になつていた。水疱は顔、胸、腹、手足など全身にできており、大きいものは鶏卵大ほどもあつた。口腔はただれ、眼はひどく充血し、眼があけられないほどであつた。

(一二) 芳郎はたいへん驚き、草彅を通じて被告会社の人を呼んでもらつた。すると総務課員の高木が藁品総務課長の指示を受けて様子を見に来た。高木は「わあ、ひどい。」と驚き、「自分ではわからないから聞いてくる。」と言つて藁品のもとに帰つたが、それきり来なかつた。

(一三) 同月二二日早朝、市郎の弟五郎が心配してかけつけた。五郎は、市郎の症状のひどさに驚き、被告会社に救急車の手配を頼んだが、被告会社はなかなかこれをしようとせず、五郎が自ら呼ぼうとすると、同日昼ころになつてやつと救急車を呼んだ。そして市郎は救急車で同日午後一時一五分、藤沢市民病院に入院した。

(一四) 同日藤沢市民病院に入院した当時の市郎の症状は、「四肢末端を除く全身紅潮し、水疱多数あり。刺激により破れやすい。」「咳嗽あり。その時淡黄色粘稠痰多量に喀出あり。」「眼球結膜、口腔粘膜の充血あり。疼痛強く、緑黄色分泌物多い。経口摂取不可能である。」「体温39.6度。」であつた。

同病院の皮膚科医長廻神輝家は、ただちに中毒性表皮壊死症(ライエル型)と診断したが、その症状は極めて重篤であり、廻神医師が「死ぬぞ。」と叫ぶほどであつた。

(一五) 市郎は同病院で治療を受けたが、肺炎を併発し、更に血液障害(貧血、白血球減少)も起こし、同年一二月二〇日死亡した(以下、市郎の死亡を「本件事故」という。)。

解剖所見では、肺炎、気道粘膜のびらん、その他内臓のびらん、出血等が見られた。

(一六) 市郎の直接の死因は心不全であるが、その原因は前記中毒性表皮壊死症(ライエル型)であり、とりわけ、中毒性表皮壊死症に伴い発生した肺炎が死亡の原因となつていた。肺炎は前記の中毒性表皮壊死症から必然的にもたらされるものであつた。

(一七) なお、芳郎も、被告会社においてMDIを取り扱うウレタン発泡作業(手作業)でMDI等を注入する作業)に従事したが、同人も、顔・手足の発疹、眼球充血等の症状を呈した。顔はひどくむくみ、かなり重症であつた。

芳郎は、同年一一月二〇日及び二一日、被告永田の診察を受けた。被告永田は、芳郎に対し、アレルギーに対する治療として抗ヒスタミン剤等を投与した。更に芳郎は、同月二二日より藤沢市民病院においてアレルギー疾患として治療を受けた。その結果、芳郎の症状は寛解した。

3  (本件事故の原因について)

(一) (本件事故の原因はMDIである)

(1) (市郎のMDI被曝について)

(イ) 被告会社でのウレタン発泡作業は、密閉式ではなく開放式であり、型にMDI等を注入する場合、MDI等は作業場内に発散するようになつていた。

(ロ) 市郎がMDIを注入する場合は、型の上に前かがみになつて行うので、顔が型の上方数十センチメートルのところにくることになり、市郎は、型から空気中に発散したMDIを吸入せざるをえない形となつていた。

(ハ) 市郎が注入作業を行つていた場所には排気装置の吸入口があつたが、吸入口は、市郎が注入作業の姿勢をとつた場合に市郎の頭の左後方に位置する形となり、型から吸入口へと流れるMDIは、ちようど市郎の顔に当たるようになつていた。

(ニ) 市郎は、昭和五〇年一一月四日から同月一七日までの一二日間に、合計一二六〇キログラムもの多量のMDIを二二六二回にわたり型に注入したのであり、型開放時間(MDIに被曝した時間と考えられる。)は合計一一三四分にも及んだ。

(ホ) 以上の事実からすれば、市郎が被告会社での作業中に吸入等によつて相当量のMDIに被曝したことは明らかである。

(2) (イソシアネートの毒性について)

MDIやTDI(トリレンジイソシアネート)などのイソシアネート(IC)は、強い粘膜刺激作用を有し、激しいアレルギー反応を引き起こす。また皮膚炎、じん麻疹、眼炎、口内炎、鼻炎、咽頭炎、咳嗽、呼吸困難、気管支炎、肺炎、肺水腫やアレルギー性喘息などを引き起こし、食欲不振、全身の倦怠感、頭痛、頭重、胸痛を伴う。重症の場合は心臓衰弱等により死亡することもある。

毒性は、TDIもMDIも同じである。ただし、TDIは、MDIより融点が低く(前者が21.5度、後者が三八度)、蒸気圧が高いため、低温度で気化して人体に吸収される危険が高い。

(3) (市郎の症状について)

市郎の前記症状は、前記のMDIなどのイソシアネートによる中毒症状と一致している。また、市郎の前記症状は、市郎が被告会社において就労した一週間後ころから発生したものである。

後記のとおり、市郎の前記症状はスルピリンによつても起こりうるが、前記のとおり、市郎の前記症状の基本的な部分はすべてスルピリン投与前から存在するものである。

(4) (芳郎の症状について)

芳郎も、前記のとおり、市郎と同様MDIを使用する作業に従事していたが、市郎と同様、顔・手足の発疹、眼の充血等の症状を呈した。

市郎と芳郎とでは症状の程度に違いがあるが、これは個体差等によるものであり、また芳郎の症状がそれほど悪化せず治ゆしたのは、芳郎がスルピリンを投与されず、抗ヒスタミン剤の投与等アレルギー症状に対する適切な治療を受けたからである。

(5) (労災認定について)

藤沢労働基準監督署長は、本件事故はMDIによるものであるとの判断の下に、市郎の死亡につき労働災害の認定を行つた。

なお、「労働基準法施行規則別表第一の二第四号にもとづき、労働大臣が指定する単体たる化学物質及び化合物並びに労働大臣が定める疾病を定める告示」は、TDI及びMDI取扱作業者の皮膚障害、前眼部障害、上気道障害又は喘息を業務上の疾病であるとしている。

(6) 以上述べたところからすれば、本件事故の原因がMDIであることは明らかである。

(二) (スルピリンの投与も本件事故の原因である)

(1) (スルピリンの投与について)

市郎は、前記のとおり、昭和五〇年一一月二〇日及び二一日に、被告永田からスルピリンの投与を受けた。

(2) (スルピリンの毒性について)

スルピリンはピラゾロン系の鎮痛・解熱剤であるが、副作用(アレルギー反応)として、じん麻疹、固定疹、剥脱性皮膚炎、喘息様呼吸困難、顆粒球減少症、血小板減少症、再生不良性貧血などを引き起こす。

中毒性表皮壊死症(ライエル型)は、様々な薬剤や化学物質によつて起こりうるものであるが、スルピリン等ピラゾロン系薬剤は、その主要な原因物質とされており、わが国の製薬会社が共同で作成したスルピリンの再評価資料においても、スルピリンによる中毒性表皮壊死症(ライエル型)が二例紹介されている。

また薬剤過敏症の中で、ピラゾロン系薬剤によるものは常に発生頻度が第一位である。

(3) (市郎の症状について)

市郎の症状は、前記のとおり、スルピリンの投与後急激に悪化し、発疹が全身に広がり、全身の水疱形成をみるに至つた。そして廻神医師から中毒性表皮壊死症と診断された。また血液障害も発生した。

(4) 以上述べたところからすれば、スルピリンの投与も本件事故の原因となつていることは明らかである。

4  (被告会社の責任について)

(一) 被告会社は、市郎との間で、雇傭契約を締結した。したがつて、被告会社は、市郎に対して、雇傭契約上の安全配慮義務を負う。

(二) 被告会社には、次のとおり、安全配慮義務違反ないし過失がある。

(1) (適正配置を欠いた義務違反ないし過失)

イソシアネートは、前記のとおり、過敏体質者に対して重いアレルギー疾病を引き起こす。許容濃度(0.02PPM)以下の曝露でもアレルギー症状の発生は避けられない。

したがつて、使用者は、イソシアネートを取り扱う作業に労働者を従事させる場合には、あらかじめ本人や兄弟等にアレルギー疾患の既往歴があるかないかを調査し、アレルギー体質又はアレルギー体質の疑いのある者を作業者として配置しないようにする義務がある。また、パッチテストによつてイソシアネートに感作されるか否かを検査し、感受性があると疑われる労働者を作業者として配置しないようにする義務がある。

ところが、被告会社は、市郎や同人の兄弟等のアレルギー性疾患の既往歴の有無等、市郎がアレルギー体質か否かの調査を全くすることなく、パッチテストも行うことなく、漫然と市郎をMDIを取り扱う作業に従事させ、MDIに被曝させた。

市郎は、ひどいアレルギー体質者であつた(同人は、うるしにかぶれやすく、うるしに接触すると全身にひどいかぶれが発生した。魚を食べると全身にひどいじん麻疹ができることもあつたし、芳郎もうるしにかぶれやすいアレルギー体質者であつた。)から、被告会社が、市郎に対し、同人や同人の兄弟等のアレルギー疾患の既往歴を質問すれば、市郎は右の既往歴を答えていたはずであり(出稼者のリーダーである草彅に聞いてもわかつたはずである。)、市郎をMDIを取り扱う作業に従事させないことができたはずである。

なお、労働安全衛生法六六条、同施行令二二条、特定化学物質等障害予防規則(以下「特化則」という。)三九条は、TDIを取り扱う業務について、使用者は労働者を雇い入れる時及びその後六か月毎に健康診断を行うよう義務づけている。その健康診断の項目にはアレルギー性疾患の既往歴の調査及びアレルギー反応の検査が含まれている。MDIを取り扱う業務については法令上の義務づけはないが、TDIと毒性が変わらないことから、TDIと同様の健康診断を行うよう行政指導がなされている。

(2) (MDI被曝防止を怠つた義務違反ないし過失)

MDIは低濃度でも重い疾患を引き起こすことがあるから、使用者はMDIを取り扱う作業に労働者を従事させるにあたつては、作業者がMDIに被曝しないようにするため万全の措置をとるべき義務がある。ところが、被告会社は次のとおり右義務を怠り、市郎をMDIに被曝させた。

(イ) (密閉化を怠つた義務違反ないし過失)

被告会社は、作業者の被曝を避けるため、ウレタン発泡作業を密閉自動化すべきであつた。ところが、被告会社はこれをせず、市郎をMDIに被曝させた。

なお、特化則四条一項及び二項は、TDIの製造作業について、密閉式設備を用い、隔離室での遠隔操作によつて作業を行わなければならないと定めている。

(ロ) (局所排気装置設置方法の誤り)

ウレタン発泡作業が密閉自動化されない場合には、被告会社は、MDIの発散源(注入箇所)に局所排気装置を取り付け、MDIが発散場所から直ちに吸入排出され、作業者がMDIに被曝しないようにする義務がある。

ところが、被告会社は、MDIの発散場所から離れた、しかも作業中の市郎の後方に排気装置の吸入口を設置した。そのため、空気中に発散したMDIは市郎の顔を直撃して、吸入口に吸い込まれることになつた。

(ハ) (ビニールカーテン、エアーカーテンによる隔離をしなかつた義務違反ないし過失)

MDIの発散源と市郎との間にビニールカーテンやエアーカーテンを設置すれば、MDIの吸入をかなり防止できたはずである。ところが、被告会社はこれを怠り市郎をMDIに被曝させた。

(ニ) (防毒マスク、保護メガネ、ゴム手袋を使用させなかつた義務違反ないし過失)

市郎に防毒マスクや保護メガネ、ゴム手袋を使用させれば、MDIの吸入や接触が防止できたはずである。ところが、被告会社は、市郎に防毒マスク等を使用させず、MDIに被曝させた。

なお、MDIのメーカーも防毒マスクや保護メガネの着用を求めている。また、特化則四三条は、TDIを取り扱う作業場には呼吸用保護具を備えなければならないと定めている。

(3) (発病後配置転換を怠り更に被曝させた義務違反ないし過失)

MDIを取り扱う作業者に、倦怠感、食欲不振、頭痛、咽頭痛、眼・咽喉等の炎症などがあらわれた場合には、使用者は、MDIによるアレルギー症状と判断し、作業員を配置転換して、MDIとの接触を止めさせるべきである。また、そのためには、常に作業者の健康状態を観察し、少しでも異常があつたら申告するよう指示しておかなければならない。

市郎は、前記のとおり、昭和五〇年一一月一一日ころから、MDIによるアレルギー疾患があらわれた。ところが、被告会社は、市郎の症状把握を怠り、同人を配置転換させず、MDIに被曝させ続けた。

(4) (安全教育を怠つた義務違反ないし過失)

使用者は、労働者を雇い入れたときは当該労働者に対し安全又は衛生のための教育を行わなければならない(労働安全衛生法五九条)のであり、本件のごとき人体に有害な物質を取り扱わせるときには、その毒性、中毒の症状、被曝防止の措置、被曝した場合の治療・予防方法等について詳細な告知をすべき義務がある。

ところが、被告会社は、市郎をMDI取扱い作業に従事させるにあたり、市郎が取り扱う有害物の毒性、健康被害の防止方法・治療方法等について一切告知しなかつた。

右告知があれば、市郎は、右作業に従事することを拒否し、MDIに被曝しなかつたであろう。仮に従事しても、早い時期に体調の変化がMDIの影響であることを知り、MDIを取り扱う作業から離れ、MDIに被曝しなかつたはずである。

また、右告知があれば、市郎は、永田医院へ赴いた際、被告永田に対し、自分の症状はMDIによるアレルギー疾患の疑いがある旨告げ、アレルギー疾患に対する適切な治療を受けることができたはずであるし、スルピリンの投与を受けることもありえなかつたはずである。市郎がアレルギー疾患に対する適切な治療を受け、スルピリンの投与を受けなければ、市郎の症状の悪化及び死亡は発生しなかつた蓋然性が高い。

(5) (発病後適切な治療を受けさせなかつた義務違反ないし過失)

市郎は、前記のとおり、昭和五〇年一一月一八日、頭痛、脱力感、発熱、眼・口・のどの炎症、発疹などのため動けなくなり、勤務を休んで寝込んでしまつた。これはMDIによるアレルギー疾患が相当進行したものである。

被告会社は、市郎の右症状を直ちに把握し、適切な治療を受けさせるなり、市郎の症状がMDIによるアレルギー疾患のおそれがあることを告知するなどすべき義務があつた。ことに、市郎は被告会社の門前にある同社の寮に住まわされ、同社の管理下にあつたのであるから、なおさらである。

ところが、被告会社は、市郎の症状を知る努力を怠り、市郎の症状を知つてからも市郎に適切な治療を受けさせることを怠り、市郎を放置した。市郎が適切な治療を受けていれば、症状の悪化及び死亡は発生しなかつた蓋然性が高い。

また、被告会社は、市郎の症状がMDIによるアレルギー疾患のおそれがあることを市郎に告知しなかつた。告知があれば、市郎は、前記のとおり、アレルギー疾患に対する適切な治療を受けることができたはずであるし、スルピリンの投与を受けることもありえなかつたはずである。

5  (被告永田の責任について)

(一) 被告永田は、市郎との間で、診療契約を締結した。したがつて、被告永田は、市郎に対して、右診療契約上、当時の医学水準に照らし適正かつ注意深い診療を行う義務を負う。

(二) 被告永田には、次のとおり右義務の履行の懈怠ないしは過失があつた。

(1) (アレルギー体質であるかどうかの問診を怠つた義務違反ないし過失)

スルピリンは、過敏体質者にアレルギー反応として重篤な副作用を引き起こすものであるから、副作用を防止するため、「本人又は両親、兄弟に他の薬剤に対するアレルギー、じん麻疹、気管支喘息、アレルギー性鼻炎、食物アレルギー等のみられる患者」には注意して用いるべきであるとされている。したがつて、スルピリンを投与しようとする場合には、右事項につき問診を尽くし、患者がこれに該当する場合には、解熱・鎮痛剤を投与しなくても済ませることができるか否かをよく検討し、済ませることができないときには、スルピリン以外の副作用の少ない代替薬の処方を行うべきである。

ところが、被告永田は、市郎に対してじん麻疹その他アレルギー疾患の既往症がなかつたか否かについて全く問診することなくスルピリンを投与した。

被告永田が問診していれば、市郎は自分や兄弟がうるしにかぶれやすいことや魚を食べるとひどいじん麻疹になることを述べたはずであり、市郎がアレルギー体質であることは容易に判明したはずである。また、被告永田は、ピリン系でない、薬疹を起こす可能性の低い解熱剤を使用することはきわめて容易であつたし、解熱剤を投与しなくても市郎の病状が進行する危険はなかつたはずである。

(2) (市郎の症状を麻疹と誤診して、スルピリンを投与し、アレルギー疾患として治療しなかつた義務違反ないし過失)

(イ) 被告永田は、一一月二〇日の診察で、はじめ市郎の症状を「腺窩性へんとう腺炎、結膜炎、口内炎、上気道炎」と診断しようとし、次いで薬疹ではないかとの強い疑いを抱いたが、問診の結果、薬は服用していないというので麻疹の疑いを持つた。しかし、麻疹特有のコプリック斑は認められず、市郎は子供のころ麻疹にかかつた旨明言していた。それでも被告永田は麻疹の疑いを持ち、経過観察とした。

翌二一日、被告永田は市郎の病名を麻疹と断定した。しかし、口腔内全体に白斑が散在し、コプリック斑と認められるものはなく、そのほかに麻疹の診断基準となるべき新たな事実は見当たらなかつた。また麻疹は三月から六月にかけて流行するのが通常であり、一一月は流行期ではなかつた。

以上のとおり、被告永田が市郎の症状を麻疹と診断したのは誤診であつた。

(ロ) 被告永田は、一一月二〇日の診察の際、市郎及び芳郎に対し仕事内容を尋ねた。これに対し、市郎及び芳郎は、「河西工業株式会社で自動車のドアを作つている。」「車のドアの内側のビニール加工をしている。」「油と油を混ぜて少し時間が経つと車のドアの内側の内装部品ができる。」などと答えた。

被告永田は、右の問診で、市郎が化学物質を取り扱つていることがわかつたはずであるから、被告永田は、市郎の症状は化学物質によるアレルギー疾患ではないかと強く疑うことができたはずである。

(ハ) 被告永田は、右(ロ)記載のとおり、市郎の症状は化学物質によるアレルギー疾患ではないかと強く疑うことができたのであるから、市郎に対して、アレルギー性の中毒疹を発生させる危険のあるスルピリンを絶対に投与してはならず、アレルギー疾患に対する治療を行うべきであつた。

ところが、被告永田は、右(イ)記載のとおり、市郎の症状を麻疹と誤診して、スルピリンを投与し、アレルギー疾患に対する治療を行わなかつた。

市郎がスルピリンを投与されず、アレルギー疾患に対する治療を受けていたならば、市郎の症状の悪化及び死亡は回避できた蓋然性が高かつたということができる。

6  (損害について)

原告らは、本件事故により次の損害を被つた。<中略>

7  (結論)

よつて、被告両名各自に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告佐々木幸子は、損害金合計金一六九二万三五五五円及びうち弁護士費用相当損害金以外の損害金一五三九万三五五五円に対しては市郎死亡の日の翌日である昭和五〇年一二月二一日から、うち弁護士費用相当損害金一五三万円に対しては判決言渡の日の翌日から、各支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告佐々木一美及び同佐々木幸は、それぞれ損害金合計金二二九六万五八三八円及びうち弁護士費用相当損害金以外の損害金二〇八八万五八三八円に対しては昭和五〇年一二月二一日から、うち弁護士費用相当損害金二〇八万円に対しては判決言渡の日の翌日から、各支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告佐々木市太郎は、損害金合計金二四四万二四四〇円及びうち弁護士費用相当損害金以外の損害金二二二万二四四〇円に対しては昭和五〇年一二月二一日から、弁護士費用相当損害金二二万円に対しては判決言渡の日の翌日から、各支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告佐々木ミヨノは、損害金合計金二二〇万円及びうち弁護士費用相当損害金以外の損害金二〇〇万円に対しては昭和五〇年一二月二一日から、弁護士費用相当損害金二〇万円に対しては判決言渡の日の翌日から、各支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否<以下、省略>

理由

第一(事実関係)

一(当事者について)

請求原因1(一)ないし(三)の事実は、原告らと被告会社との間において争いがない。請求原因1(三)の事実は、原告らと被告永田との間において争いがない。右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  市郎は、昭和一八年三月二九日生まれの男子であつた。原告佐々木幸子(以下「原告幸子」という。)は、市郎の妻である。

原告佐々木一美(以下「原告一美」という。)及び原告佐々木幸(以下「原告幸」という。)は、市郎・原告幸子夫婦の子である。他に市郎に子はない。

原告佐々木市太郎(以下「原告市太郎」という。)は市郎の父である。原告佐々木ミヨノ(以下「原告ミヨノ」という。)は市郎の母である。

市郎には、五人の兄弟がいた。

2  市郎を含めた市郎の兄弟は、全員じん麻疹を経験した。市郎は、鯖や刺身を食べてじん麻疹がでたことがあつた。また、市郎はうるしによくかぶれた。

3  原告ミヨノの話では、市郎は三才のころ、弟の芳郎は四才のころ、麻疹にかかつた。

4  被告会社は、合成樹脂その他高分子化学製品並びにそれらの応用加工製品の製造及び販売並びにこれらの製造施設工事施工、金属の合成樹脂被覆による押出成形品の製造及び販売等を目的とする株式会社であり、自動車部品等を製造し日産自動車株式会社等に納入している訴外会社のいわゆる子会社で、訴外会社の工場敷地内に工場がある。

5  被告会社には、百数十名の従業員がいる。毎年一一月ころ、数十名の季節工を雇い入れている。

6  被告永田は、昭和三二年に東京医科大学を卒業した。昭和三三年、国家試験に合格した。大学卒業後、外科、特に肺がんについて研究した。昭和四一年以降、各地の病院(主に外科部長として)に勤務した。昭和四七年八月から、寒川町一四〇番地所在の医院を借りて、開業した。昭和五〇年から、肩書地に医院を建て、診療している(永田医院と被告会社とは一、二キロメートルくらいしか離れていない。)。

7  被告永田は、外科医院として開業しているが、実際の患者の約四割は、内科関係の病気の診察を受けに訪れる。

二(本件事故の発生経緯等について)

請求原因2(一)の事実、同2(二)の事実、同2(三)の事実、同2(六)の事実中、市郎が一一月一七日には作業に従事したこと、同2(八)の事実中、市郎が一一月二〇日に永田医院へ行つたこと、同日市郎には発疹・発熱の症状があつたこと及び同日市郎は被告永田からスルピリン(メチロン)注射を受けたこと、同2(一〇)の事実中、市郎が一一一月二一日永田医院において被告永田の診察を受けたこと、このときの症状は前日よりも更に悪化していたこと及び被告永田は麻疹と診断しスルピリンの注射を行つたこと、同2(二)の事実中、右二一日夕刻には市郎の症状は更に一段と悪化し水疱ができたこと、同2(一三)の事実中、市郎が一一月二二日に救急車で藤沢市民病院に入院したこと、同2(一五)の事実中、市郎が一二月二〇日死亡したこと、同2(一七)の事実中、芳郎が被告会社においてMDIを取り扱うウレタン発泡作業(手作業でMDI等を注入する作業)に従事したこと、被告会社の主張1(一)(1)の事実中、市郎が昭和五〇年一一月四日から同月一七日まで一二日間被告会社においてウレタン発泡作業に従事したこと並びに同2(一)の事実は、原告らと被告会社との間において争いがない。請求原因2(二)の事実中、市郎が一一月四日から被告会社従業員としてウレタン発泡成型作業に従事したこと、同2(八)の事実中、市郎が一一月二〇日永田医院を訪れたこと、同日の市郎の症状は原告主張のようなものであつたこと及び同日市郎が被告永田からスルピリン(メチロン)注射等を受けたこと、同2(一〇)の事実、同2(一三)の事実中、市郎が藤沢市民病院に入院したこと、同2(一五)の事実中、市郎は藤沢市民病院で治療を受けたが肺炎を併発し一二月二〇日死亡したこと及び解剖所見では肺炎が見られたこと、同2(一六)の事実中、肺炎が中毒性表皮壊死症から必然的にもたらされるものであること以外の事実、同2(一七)の事実中、芳郎らが被告会社においてウレタン発泡作業に従事したこと、芳郎が発疹の症状を呈したこと、芳郎が一一月二〇日及び二一日被告永田の診察を受けたこと、被告永田は芳郎に対しアレルギーに対する治療として抗ヒスタミン剤等を投与したこと及び芳郎が藤沢市民病院において治療を受けたこと、被告永田の主張1(一)の事実、同1(三)の事実、同1(四)の事実、同1(五)の事実、同1(一〇)の事実並びに同2(一)(1)ないし(5)の事実は、原告らと被告永田との間において争いがない。右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  市郎は、同郷の草彅鉄夫に誘われ、弟の芳郎とともに、訴外会社に季節工として出稼ぎに行くことになつた。市郎は、頑強な体格であり、出稼ぎに出る際は元気であつた。

2  市郎らは、昭和五〇年一一月三日、神奈川県高座郡寒川町宮山三三一六番地所在の訴外会社工場に着いた。すると、市郎と芳郎は、他の十名余りの出稼者と一緒に被告会社で働くよう指示された。市郎らは、被告会社の工場のすぐ近くにある出稼者用のプレハブ作りの寮に居住することになつた。

なお、市郎と芳郎は、農業に従事するかたわら、以前から毎年出稼ぎに出ていたが、被告会社のような化学物質を取り扱う所で働いたことはなかつた。

3  翌四日から、市郎と芳郎とは、被告会社でウレタン発泡成型加工作業に従事した。

市郎は、自動的に回転するラインの上を動く型へ、A液とB液(MDIを含む。)との混合液を注入し、型を閉じる作業に専ら従事した。同月四日から同月八日までは補助者として、同月九日から同月一五日までは単独で右作業に従事した。なお、市郎が働いていたラインは第二ループラインと呼ばれていた。

芳郎は、最初一週間くらい、右ラインを流れる型からウレタンを取り出す等の作業に従事した。その後、固定した型に、A液とB液とを流し込む作業に従事した。

4  市郎は、被告会社との間で、雇傭期間を昭和五〇年一一月四日から昭和五一年四月一五日までとする期間従業員雇傭契約書を昭和五〇年一一月五日付で作成した。

5  市郎は、右ウレタン発泡作業に従事して一週間くらいすると、体に疲れを感じ始め、食欲もなくなつた。夕食後はテレビを見ずに寝るようになつた。

6  昭和五〇年一一月一六日は日曜日であつた。市郎と芳郎は、遊びに出かけた。しかし、市郎は、頭が痛い、薬のにおいをかぐとおかしい、仕事が自分の体に合わないのではないか、とこぼし、元気がなかつた。

7  市郎は、昭和五〇年一一月一七日には仕事に出たが、翌一八日には仕事に出ることができなくなつた。翌一九日も仕事を休んだ。

市郎は、目が充血し、くちびるがはれぼつたく、熱があり、体に赤黒い斑点が見える状態であつた。また市郎は、頭が痛い、のどがおかしい、と訴えた。

8  昭和五〇年一一月一九日、市郎は被告会社から呼ばれた。そして被告会社の課長らから、なぜ休むのか尋ねられた。市郎は、風邪をひいたらしいと答えた。課長らは、欠勤届を出すよう指示しただけで、市郎の病状に何ら注意を払わなかつた。

9  昭和五〇年一一月二〇日、市郎は、芳郎とともに、被告会社に近い永田医院を訪れ、被告永田の診断・治療を受けた。

被告永田の市郎に関する診断・治療の内容は、次のとおりである。

(一) 市郎は、三日くらい前からの発熱と口腔内びらんを訴えた。そのほか、疼痛、咳嗽を訴えた。熱は、38.6度あつた。両側の眼球の充血も著明であつた。

(二) 被告永田は、市郎の症状を、腺窩性扁桃腺炎、両側結膜炎、口内炎とカルテに書いた。

(三) ところが、市郎の頸部より躯幹部にかけて、粟粒大の発疹があつた。被告永田は、市郎の症状を薬疹ではないかと疑い、市郎に対し、最近薬を飲んだり使つたりしたかと尋ねた。市郎は、そのような事実はない旨答えた。

(四) そこで、被告永田は、市郎の症状は麻疹ではないかと疑つた。しかし、麻疹の特徴であるコプリック斑については、口腔内のびらんが激しく、その中に点状の化膿創のようなものが見えたが、通常見られるコプリック斑とは異なつていたため、自信をもつて確認できなかつた(カルテには、コプリックと書いて疑問符をつけた。)。また、市郎は、麻疹にかかつたことがある旨述べた。

(五) 被告永田は、このように病名が確定できなかつたため、一たんカルテに書いた前記(二)の症状を消した。

(六) また、被告永田は、市郎に対し、どのような仕事をしているのか尋ねた。市郎は訴外会社において自動車の部品を作つている旨答えた。被告永田は、これ以上市郎の仕事の内容について尋ねなかつた。

(七) 被告永田は、高熱と口腔・咽頭粘膜の炎症に対する対症処置として、五〇パーセントメチロン(スルピリンの商品名)一アンプル及びリンコシン六〇〇ミリグラムを注射した。眼を洗い、コートンを点眼した。更に、スルピリンを含む薬を与えた。インダシンという坐薬も与えた。

(八) 被告永田は、スルピリンを投与するにあたつて、市郎あるいはその血族がいわゆるアレルギー体質であるか否かについて全く質問しなかつた。

10  芳郎も、全身がかゆく、発疹ができていたので、市郎の後に被告永田の診察を受けた(なお、芳郎は、一五日、右足の股のところに、A液とB液をこぼしたので、ズボンの上からふき取つたが、一八日なつて、液のこぼれた部位に赤い斑点ができたのに気づいている。)。芳郎は、三日前から全身に発疹ができたと訴えた。また芳郎は、被告永田から、どのような仕事をしているのかと尋ねられたのに対し、訴外会社において車のドアの内側のビニール加工をしている旨答えた。しかし、被告永田は、芳郎の仕事の内容についてそれ以上質問しなかつた。被告永田は、芳郎をじん麻疹と診断したが、あるいは兄と同じ麻疹かもしれないと述べた。そして、抗ヒスタミン剤を注射し、レスタミン軟膏を塗つた。更に、抗ヒスタミン剤及び軟膏を与えた。

11  市郎は、永田医院から帰つた後、被告会社に呼ばれた。そして被告会社の課長らと会つた。市郎は、永田医院に行つたが病名ははつきりしない、明日になれば分かる旨説明した。

12  市郎と芳郎は、翌二一日にも被告永田の診断・治療を受けた。

市郎に関する診断・治療内容は、次のとおりである。

(一) 市郎の症状は更に悪化していた。すなわち、口腔内びらん炎症は高度になり、両側眼球充血発赤も高度になつた。全身の発疹も密になり著明であつた。体温は、39.2度あつた。

(二) 被告永田は、疑問を持ちつつも、市郎の口腔内の発疹をコプリック斑と判断し、市郎の前記症状もあわせて、市郎を麻疹と診断した。そしてカルテに麻疹と記載した。

(三) 被告永田は、麻疹の治療のため、ガンマーグロブリン六ccを注射した。更に、前日と同様、五〇パーセントメチロン一アンプルとリンコシン六〇〇ミリグラムを注射し、眼洗してコートンを点眼した。また、スルピリンを含む咳止めを中心とする薬(四日分)、セポールという抗生物質(四日分)及び口腔内局所塗布剤を与えた。被告永田は、市郎に暖かくして寝ていればよい、と指示した。

芳郎の病状には変化がなかつた。被告永田は、再び抗ヒスタミン剤を注射した。被告永田は、芳郎に対し、前日と同様、兄と同じ麻疹かもしれないと告げた。

13  昭和五〇年一一月二一日の夕方、被告会社の総務課員が寮で寝ていた市郎の様子を見に行つた。市郎は、麻疹らしいが苦しいので入院したい旨希望した。総務課員は市郎の症状が余りにひどいのに驚いた様子であつた。そして総務課員は総務課長と相談したうえ、永田医院に電話し、入院の必要の有無について尋ねた。被告永田は、暖かくしていれば治る、と答えた。

14  二一日の夜には、市郎の症状は更に増悪した。顔がはれ、目や口はあけることができなくなつた。水疱もあらわれた。

15  翌二二日の午前七時すぎころ、市郎の容体がおかしいので、草彅鉄夫が訴外会社の人事担当の社員の自宅に電話をかけ、その旨連絡した。同日は土曜日で被告会社及び訴外会社は休みであつたが、この社員らが出社し、永田医院を訪れ、応診を頼んだ。しかし、被告永田は、午前中は外来患者の診察があるから、午後でなければ診察できない、と答えた。そこで、被告会社は救急車を呼んだ。

16  救急車は、午前一一時ころ来た。そして市郎を、まず、同じ寒川町の木島外科に連れて行つた。木島外科では、市郎を見てひどい皮膚炎だと言つたが、同病院では手に負えないと入院を断つた。救急車は、市郎を藤沢市民病院へ連れて行つた。

17  午前一二時ころ、藤沢市民病院へ着いた。同病院の皮膚科医長廻神輝家は、市郎の病状を一目見て、中毒性表皮壊死症の重症患者と診断した。死亡の可能性があるので、すぐに入院させるよう指示した。

18  市郎の入院時の症状は、全身に発赤疹があり、水疱が形成されており、刺激すると破れやすい状態で、いわゆるニコルスキー現象が見られた。体温は39.6度あつた。悪寒があつた。目は充血し、目やにで目をあけることができなかつた。体を動かすと、疼痛を強く訴えた。咳嗽があり、淡黄色の粘稠痰を多量に吐いた。飲水等経口摂取は不可能であり、しやべることも困難であつた(ただし、意識ははつきりしていた。)。

19  廻神医師は、市郎の症状の原因として薬剤を疑い、それを調べるため、被告会社を通じて、被告永田の処方した薬を聞いた。そして廻神医師は、原因としてスルピリンとリンコシンを疑つた。特に割合事例が多いので、スルピリンの疑いが強いと判断した。

20  その後、市郎の症状は、皮膚の一部が乾燥しはじめ、顔面に痂皮が見られるようになつた以外に、大きな変化はなかつたが、入院後三週間くらいから、貧血や白血球減少などがあらわれ、症状は悪化した。そして市郎は同年一二月二〇日午前一時三〇分ころ死亡した。廻神医師は、市郎の直接の死因は心不全であり、その原因は中毒性表皮壊死症と診断した。

21  市郎の解剖所見では、肺炎、気道粘膜のびらん、胃潰瘍、十二指腸の出血・びらん、肝腫張、副腎うつ血、各臓器に点状出血が見られた。

三(被告会社の職場環境及び安全対策等について)

請求原因2(二)の事実、同2(三)の事実並びに同3(一)(1)の事実中、被告会社でのウレタン発泡作業は開放式であつたこと、市郎が作業を行つていた場所には換気装置の吸入口があり吸入口は市郎の左後方にあつたこと及び市郎は昭和五〇年一一月四日から同月一七日までの一二日間に合計一二六〇キログラムのMDIを二二六二回にわたり型に注入し、型開放時間は合計一一三四分に及んだことは、原告らと被告会社との間において争いがない。請求原因2(二)の事実中、市郎が一一月四日から被告会社従業員としてウレタン発泡成型加工作業に従事したことは、原告らと被告永田との間において争いがない。右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  被告会社の業務の約八割は、ウレタン樹脂の加工・成型である。すなわち、ウレタン樹脂を用いて自動車の内装部品を作つている。

2  ウレタン樹脂の加工成型に際しては、A液(ポリオール)とB液(MDIを含む。)とを混合させて、型に注入する。A液とB液とを混合させるとき、最高摂氏八〇度程度の反応熱がでる(TDIを使うと一〇〇度程度に熱処理しなければならないが、MDIを使うと右のとおり反応熱が出るので、その必要がない)。

3 市郎は前記二の3記載のとおり、注入機のボタンを操作して、A液とB液とを混合し、自動的に回転するラインの上を動く型に混合液を注入し、型の上ぶたを閉じる作業を行つた。これらの作業に要する時間は一個の型につき二、三〇秒間であつた。

4  右注入機を操作する際、あるいは、上ぶたを閉じる際に、市郎が前かがみになると、混合液に顔を近づけることになつた。また、市郎の左側後上方に排気装置の吸入口があつたため、混合液から蒸気がでれば、市郎が蒸気を吸い込むおそれがあつた。

5  被告会社の昭和五〇年一一月当時の勤務時間は、午前八時一〇分から午後五時までと午後一〇時五〇分から午前六時五〇分までの二交替制であつた。市郎は、昭和五〇年一一月四日から同月八日まで及び同月一七日には昼間勤務し、同月九日から同月一五日まで夜間勤務した。右勤務期間中、一日平均ニッサンフェアレディーのクラッシュパッドを七十数個、ニッサンローレルのドアを五十数個、ニッサンセドリックのドアを五十数個、合計一九〇個前後の製品を製造した。したがつて、市郎は、少なくとも一日に約一九〇回注入機を操作したことになる。

6  被告会社は、MDIの毒性がTDIより低いと考え、MDIによる中毒症についての対策を一切とつていなかつた。

すなわち、市郎らを雇い入れた際に、アレルギー体質の有無について尋ねることも、MDIの毒性について説明し、注意を促すこともなかつた。MDIの接触・吸収を防ぐため保護具を与えたり(普通の軍手を用意しただけであつた。)、局所排気装置を備えたり、作業を密閉化することもなかつた。MDI中毒を防ぐための健康診断を実施することもなかつた。

7  本件事故後、被告会社は、藤沢労働基準監督署労働基準監督官から、次のような勧告ないし指導を受けた。

(一) 季節労働者等雇い入れに際して、健康診断若しくは自主申告等により疾病防止に努力すること

(二) MDIとポリオールの混合液注入作業の自動化・密閉化を推進すること

(三) MDIの注入工程をビニールカーテン、エアーカーテン等により隔離すること

(四) MDIを取り扱う作業者に防毒マスク、ゴム手袋、ゴム製前掛け等を着用させること

(五) MDIにつき、(1)人体に及ぼす作用、(2)取扱い上の注意、(3)中毒が発生した場合の応急措置を作業場内に標示すること

(六) MDIを取り扱う作業者に対して、次の健康診断を行うこと

(1) 業務経歴の調査

(2) MDIによる頭重、頭痛、眼痛、鼻痛、咽頭痛、咽頭部異和感、咳、痰、胸部圧迫感、息切れ、胸痛、呼吸困難、全身倦怠感、眼・鼻・咽頭の粘膜の炎症、体重減少、アレルギー性喘息等の他覚症状又は自覚症状の既往歴の有無の検査

(3) 頭重、頭痛、咽頭痛、咽頭部異和感、咳、痰、胸部圧迫感、息切れ、胸痛、呼吸困難、全身倦怠感、眼・鼻・咽頭の粘膜の炎症、体重減少、アレルギー性喘息等の他覚症状又は自覚症状の有無の検査

(4) 皮膚所見の有無の検査

第二次健康診断項目は、次のとおり

(1) 作業条件の調査

(2) 呼吸器にかかる他覚症状又は自覚症状のある者に対しては、胸部理学的検査、X線検査又は閉塞性呼吸機能検査

(3) 医師が必要と認める場合は、肝機能・腎機能検査又はアレルギー性の検査

(七) MDIの取扱い作業については、作業標準を定め、労働者に周知させること

(八) MDIの取扱い性状、毒性、保護具等について、労働者に安全衛生教育を行うこと

(九) 注入機のノズルからMDIが飛散するのを防ぐ対策を講じること

(一〇) 局所排気装置については、MDIの発散源に近い部分にフードを設け、発泡中に発生するMDIを除去する対策もあわせて講ずること。

8  被告会社は、本件事故後、アレルギー体質の有無を確かめるパッチテストを実施し、MDI等使用の注意事項を記載した掲示板を作業所に備え、防毒マスク、ゴム手袋、ゴム製前掛けを用意した(ただし、これら保護用具を付けると作業がしにくいため、作業者はこれを着用していない。)。

四(イソシアネートについて)

請求原因3(一)(2)の事実中、毒性はTDIもMDIも同じであること以外の事実及び被告会社の主張、1(一)(2)の事実中、TDIに関する部分は、原告らと被告会社との間において争いがない。右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  ポリウレタンの原料として、イソシアネートが使用される。イソシアネートのなかには、トリレンジイソシアネート(TDI)とメチレンジイソシアネート(MDI)がある。

2  TDIについては、次のようにいわれている。

(一) 有害性について

TDIは、強い粘膜刺激作用があり低濃度でも眼、鼻、咽頭及び気管を刺激する。アレルギー性の喘息や皮膚炎を起こす。

(二) 急性中毒について

高濃度のTDIガスにさらされると、眼・呼吸器の粘膜が刺激され、流涙、鼻汁、咳、咽頭痛などの症状が直ちに生じる。

高濃度の吸入が続いた場合には、激しい咳、胸をしめつけられる感じ、呼吸困難、嘔吐などを起こす。全身倦怠、食欲不振、頭重、めまい、思考力減退、いらいらを感じる。呼吸器以外にも胃腸障害、皮膚疹などの症状を伴うことがある。

重い場合には、気管支炎、肺炎、肺水腫を起こす。重症の場合には、心臓衰弱を起こして死亡する例もある。

皮膚に付着した液状のTDIを、直ちに除去せず放置すると、赤くはれ、水疱を生じる。

(三) 慢性中毒について

比較的低濃度のTDI曝露が続くと、次第に咳、呼吸困難が激しくなり、喘息様発作をひき起こす。いつたん感作状態が成立すると、ごく微量のガス暴露によつても激しい喘息発作をひき起こす。

気中濃度が0.02PPM以下で、ほとんど咳、呼吸困難などの自覚症状のない作業者でも、長時間の暴露によつては慢性的蓄積的な影響として呼吸機能が低下することがある。

アレルギー性の皮膚炎の発生が見られることもある。

(四) 許容濃度

日本産業衛生学会及びACGIH(American Conference of Govern-mental Industrial Hygienists)の定める許容濃度は、0.02PPMである(瞬間的にでも超えてはならないとされている)。しかし、0.02PPM以下でも、イソシアネートによる中毒症があらわれることがあり、許容濃度0.02PPMは高すぎるとの意見もある(ACGIHは許容濃度を変更予告中であり、変更予告値は0.002PPMである。)。

(五) 予防対策

TDIの主要な侵入経路は、呼吸器であるから、作業所の気中濃度を許容濃度以下に抑えることが必要である。ガスの発散するおそれのある場所では、適宜その空気中濃度を測定し、全体又は局所換気を行わなければならない。

TDIに対する感受性は個人差が大きいので、適正配置が必要である。既往歴・家族歴に喘息・皮膚炎などアレルギー体質のある者、呼吸器・肝臓・賢臓の既往歴・現症のある者の就業を避けるべきである。

TDIの取扱い作業を行う人には、この物質の人体に与える有害性とその適切な予防方法をあらかじめ、十分に教育しておかなければならない。

TDIを取り扱つている作業者には、少なくとも半年ごとに当該職業性障害について知識をもつ医師の健康診断を受けさせ、また異常を感じた作業者には、医師の診断を受けさせる必要がある。

いつたん感作が成立したのちは、速やかにかつ完全にTDI暴露から離すことが必要である。

3  MDIについては次のようにいわれている。

MDIも、TDIと同様に、皮膚、粘膜に対して極めて強い刺激作用を有し、アレルギー反応を生じさせる。その有害性・中毒症状・予防対策は、TDIと同様である。ACGIHが定める許容濃度もTDIと同じ0.02PPMである(TDIと同様、瞬間的にでも超えてはならないとされている。)。

ただし、MDIは、TDIに比べ同一温度条件では蒸発しにくい(TDIの融点は摂氏21.5度、沸点は摂氏一二〇度、MDIの融点は摂氏三八度、沸点は摂氏一九九度である。もつとも、MDIは、融点以下の摂氏二五度でも少量蒸発し、温度が高くなると蒸気量も多くなる。)ため、TDIより多少は安全である。

4  イソシアネート中毒に関する研究・報告について外国では、昭和二六年ころから、イソシアネートの中毒・毒性について報告されている。わが国では、昭和三三年ころから、イソシアネートの中毒について報告されている。

昭和四四年に、イソシアネート中毒として、TDI中毒とMDI中毒の事例が報告されているが、後者は魚を食べてじん麻疹がでたことのある男子(二四才)がMDIを原料とするスプレー発泡作業に従事したところ、直ちに咽頭痛、息苦しさを感じ、数日後からは咳、痰、鼻漏、食欲不振、咽頭発赤著明といつた症状がでたものである。

5  特定化学物質等障害予防規則は、昭和四七年、TDIを特定第二類物質に指定し、事業者は、TDIを取り扱う業務に常時従事する労働者に対し、次のような健康診断を行わなければならないとしている。

(一) 雇入れ又は配置替えの際及び六か月に一回

(1) 業務の経歴の調査

(2) TDIによる頭重、頭痛、眼の痛み、鼻の痛み、咽頭痛、咽頭部異和感、咳、痰、胸部圧迫感、息切れ、胸痛、呼吸困難、全身倦怠感、眼・鼻又は喉頭の粘膜の炎症、体重減少、アレルギー性喘息等の他覚症状又は自覚症状の既往歴の有無の検査

(3) 頭重、頭痛、眼の痛み、鼻の痛み、咽頭痛、咽頭部異和感、咳、痰、胸部圧迫感、息切れ、胸痛、呼吸困難、全身倦怠感、眼鼻又は咽頭の粘膜の炎症、体重減少、アレルギー性喘息等の他覚症状又は自覚症状の有無の検査

(4) 皮膚炎等の皮膚所見の有無の検査

(二) 前記(一)の健康診断の結果、他覚症状が認められる者、自覚症状を訴える者その他異常の疑いがある者で、医師が必要と認めるもの

(1) 作業条件の調査

(2) 呼吸器に係る他覚症状又は自覚症状のある場合は、胸部理学的検査、胸部のエックス線直接撮影による検査又は閉塞性呼吸機能検査

(3) 医師が必要と認める場合は、肝機能検査、腎機能検査又はアレルギー反応の検査

6  労働省は、「特殊健康診断指導指針について」(昭和三一年五月一八日基発三〇八号)をもつて、衛生上有害な業務又は有害のおそれのある業務のうち主要なものに限り、障害を推測するに必要な最少限の検査項目を選定しかつその検査方法を掲げ、これに基づいて特殊健康診断が実施されるよう指導している。TDI及びMDIを取り扱う業務又はそれらのガス若しくは蒸気を発散する場所における業務は、昭和四〇年五月一二日基発第五一八号をもつて、右特殊健康診断の対象業務とされた。その検査項目は次のとおりである。

(一) 第一次健康診断項目

(1) 頭重、頭痛、眼痛、咽頭痛、咽頭部違和感、咳、嗽、喀痰、胸部圧迫感、息切れ、胸痛、呼吸困難、全身倦怠、体重減少、眼・鼻・咽喉の粘膜の炎症

(2) 皮膚の変化

(3) 胸部理学的検査

(二) 次の各号の一に該当する者が第二次健康診断対象である。ただし、医師が第一次健康診断結果の総合判定において、第二次健康診断を必要としないと認めた場合はこの限りでない。

(1) 自覚症状に異常がある。

(2) 眼、鼻、咽喉に炎症がある。

(3) 皮膚に発疹がある。

(4) 胸部理学的検査において異常呼吸音がある。

(三) 第二次健康診断項目

(1) 職歴調査

(2) 現症に対する問診、視診

(3) 胸部理学的検査

(4) 狭窄性換気機能検査

(5) 他の胸部慢性疾患が疑わしい場合は、胸部X線直接撮影

(6) その他医師の必要と認める(肝機能・腎機能等)検査

7  化学工業会社が中心となつて組織している日本化学会の防災化学委員会は、昭和四二年ころ、TDIについて「防災指針」を編集した。「防災指針」は、TDIに関する予防措置として、前記2の(五)と同様の内容の指摘をしている。

8  なお、労働基準法七五条二項、同法施行規則三五条、別表第一の二及び昭和五三年労働省告示第三六号は、業務上の疾病の範囲について定めているが、TDI及びMDIについて生じる主たる症状及び障害については、次のとおり定められている。

(一) TDIについて 皮膚障害、前眼部障害、気道障害又は喘息

(二) MDIについて 皮膚障害、前眼部障害、上気道障害又は喘息

五(スルピリンについて)

請求原因3(二)(2)の事実中、スルピリンが発疹等の副作用を引き起こすこと及び被告会社の主張2(一)は、原告らと被告会社との間において争いがない。請求原因3(二)(2)の事実中、スルピリンがピラゾロン系の鎮痛・解熱剤であることは、原告らと被告永田との間において争いがない。右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  スルピリンは、ピラゾロン系の解熱・鎮痛剤である。薬事法上、劇薬に指定されている。

2  わが国の製薬会社が共同でスルピリンの薬効再評価作業を行つた。その結果、スルピリンについて、次のとおり、評価している。

(一) 効能又は効果

(1) 結核性疾患、肺炎、流行性感冒、チフス、扁桃腺炎、その他の熱性疾患に対する解熱

(2) 筋肉リウマチ、関節リウマチ、多発性関節炎、筋炎、神経痛、腰痛、胸痛、頭痛、歯痛、耳痛、胆石痛、腎石痛、その他の疼痛性疾患に対する鎮痛

(3) モルヒネ中毒

(二) 使用上の注意

(1) 次のような患者には、投与してはならない。

(イ) ピラゾロン系薬剤に過敏な患者

(ロ) 本人又は血族がじん麻疹、気管支喘息、アレルギー性鼻炎、食物アレルギー等のアレルギー症状の既往歴を有する患者及びアレルギー体質者

(ハ) 重篤な肝・腎障害者

(2) 本剤の投与により、まれに穎粒球減少症、血小板減少性紫斑病等の血液障害が、まま肝・腎障害があらわれることがあるので、観察を十分に行い、このような症状があらわれた場合には、投与を中止する。

なお、すでに血液に異常のある患者、肝・腎障害のある患者に対し本剤を用いる必要がある場合には、慎重に投与すること。

(3) 本剤の投与により、まれにショック症状を起こすおそれがあるので観察を十分に行い、血圧降下、顔面蒼白、脈拍の異常、呼吸抑制等の症状があらわれた場合には投与を中止すること。

(4) 本剤の投与により、ときに悪心、嘔吐・食欲不振・下痢等の胃腸症状、紅斑・発疹・〓痒感等の皮膚症状、頭痛、倦怠感、小庖性角膜炎があらわれることがある。

(5) 本剤の投与により発疹等の過敏症状があらわれた場合には投与を中止すること。

(三) スルピリンの過敏症状については、ショック様症状を呈したものと、皮膚反応を中心としたものとが報告されている。皮膚反応の事例としては、アレルギー家族歴のある九か月の女児が、ジフテリア予防接種後の発熱に対してスルピリンを内服したところ、顔面の紅斑・小水庖、粘膜の充血、発赤があらわれた事例が報告されている。右事例では、女児の症状は、全身は潮紅し、とくに顔面、頸頂部・胸背部に強く、その中に大小種々の弛緩せる小水庖がある、水庖とびらん膜様鱗屑が認められ、額・鼻周囲では厚い漿液性痂皮が付着している、ニコルスキー現象は強陽性、眼瞼結膜充血、口腔粘膜発赤、多数のアフタが認められる、喉頭粘膜も発赤している、といつたものであつた。

3  第一製薬株式会社は、メチロン(スルピリンの商品名)の使用書(昭和五〇年四月改訂)で、次のような使用上の注意を与えている。

(一) 次の患者には投与しないこと

既往にピラゾロン系薬剤(アミノピリン)等に対する過敏症をおこした患者

(二) 次の患者には慎重に投与すること

(イ) 血液に異常のある患者、肝障害・腎障害のある患者

(ロ) 本人又は両親、兄弟に他の薬物に対するアレルギー、じん麻疹、気管支喘息、アレルギー性鼻炎、食物アレルギー等のみられる患者

(三) まれにショック様症状、発疹、紅斑、〓痒感、小庖性角膜炎等の過敏症状をおこすことがあるので、観察を十分に行い、血圧低下、顔面蒼白、脈拍異常、呼吸抑制、発疹等の症状があらわれた場合には、投与を中止すること

六(薬疹、中毒性表皮壊死症(TEN型・ライエル型薬疹)について)

<証拠>及び鑑定の結果を総合すると、次の事実が認められる。

1  本来体外性である物質が体内に入り、あるいは体内で生産された物質が、生体に障害を与え、その結果発疹を生じたものを、中毒疹という。その原因物質が薬剤である場合、薬疹という。中毒疹のうち重篤なものに、ライエル型(中毒性表皮壊死症、toxicepidermal necrolysis)と呼ばれるものがある。

2  中毒性表皮壊死症の原因物質としては、細菌と薬剤とが考えられているが、ピラゾロン系剤(スルピリンも含まれる。)も右薬疹の原因物質の一つに掲げられている。

3  中毒性表皮壊死症の臨床症状は、次のとおりである。

(一) 前駆症

全身的に発疹があらわれる一、二日、ときには七ないし一〇日前に、発熱、灼熱感、疼痛、頭痛、頭重感、不快感、異和感、咽喉痛、腰痛あるいは腹部症状、粘膜症状があらわれる。しかし、前駆症を全く欠くこともある。

(二) 発疹

まず初めに、斑状の発赤、じん麻疹、浮腫があらわれる。発赤は顔面、上肢、躯幹、下肢などに出現する。この初発疹と前後して口腔粘膜、結膜にびらんを生ずることもある。普通、初発疹は急速に拡大して、広範囲を占める。ついで発赤局面上に早いものでは数時間以内に水庖形成をみる。水庖の多くは発赤の中心部より発生し、周辺に拡大する。初期では碗豆大ないし鶏卵大であるが、早期に融合し、大きな水庖を形成する。庖膜は薄く、弛緩性で、皺襞を呈することが特徴的で、容易に破れやすく、後にびらん面を呈するニコルスキー現象が証明されることがある。これらの所見は、広範囲第二度熱傷の所見と酷似する。

皮膚の緊張感と疼痛が強く、皮膚を手で触れると激痛を訴える。

粘膜症状(口腔病変、眼病変)も併発することが多い。

眼瞼は眼脂と膿汁のため開瞼不能となることがある。

(三) 全身症状

ほとんどの病例において高熱をみる。白血球減少等の血液障害があらわれることもある。その他胃腸症状、種々の程度の意識障害、呼吸困難を訴えるきわめて重篤な例もあれば、ほとんど全身状態のおかされない場合もある。一般に死亡率は、四分の一ないし五分の一程度といわれている。

七(麻疹について)

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  麻疹は、飛沫感染による小児期の急性発疹性ウイルス感染症である。発熱、鼻カタル、咳、結膜炎、羞明があり、頬部口腔粘膜に出現するコプリック斑と、前駆熱がいつたんやや下降した後、再び高熱となるとともに出現する特有な全身性発疹が特徴である。症状は普通一四日後にほぼ消退する。九五パーセント以上の者が罹患し、終生免疫を獲得する。

2  疫学

小児で伝播が著しく、年長児や成人では免疫の存在によつて罹患しないことが多い。好発年令は生後九か月から四才前後である。季節では、春(三月から六月まで)が最も多く、夏、冬には少ない。

3  臨床症状

(一) 潜伏期間

潜伏期間は、一〇ないし一二日間である。感染して二、三日後に第一回目のウイルス血症がおこるので、この潜伏期間中にも軽度の発熱、一過性の発疹をみることがある。

(二) 前駆期

典型的な前駆期症状は、鼻カタル、持続する犬吠様咳(痰は伴わない。)、羞明を伴いやすい角結膜炎、発熱(三九ないし四〇度)である。全身のリンパ筋腫張と脾腫をしばしば伴う。

この時期にコプリック斑といわれる粘膜疹が、頬部粘膜の第一大臼歯に面した部位に出現し、診断的意義が大きい。コプリック斑は、間もなく粘膜全般に拡がつて、赤くなつた粘膜の上に白い砂粒をみるような外観を呈する。これらの白斑は皮疹が極期になると消失していく。

(三) 発疹期

前駆期の平均三ないし五日後に発疹をみる。発疹を生じるに至る期間はまちまちで、一ないし八日、ときには一四日に及ぶ。

発疹は、まず耳介後部や前額の頭髪との境界部にうすいピンクの斑となつて出現する。発疹は三日くらいの早さで顔面、頸部、躯幹、四肢へと下行性に拡大していく。発疹は拡がるにつれて互いに融合していく。この傾向は顔面でもつとも著しい。発疹の極期には濃い紅紫色を帯びてきて、皮膚の浮腫をみる。

発熱は多くは摂氏四〇度に達するが、発疹の極期を過ぎると、体温も急速に下降し、全身症状も数日のうちに消退する。発疹は出現のときと同様の順序で下行性に順次消退する。

なお、早期の発疹では、薬診や他の発疹症と区別しがたいことが多い。

4  治療

患者を隔離し平熱になるまで安静を保たせる。アスピリンなどの解熱剤の投与、鼻カタル、眼症状に対する対症療法及び鎮咳剤の投与が必要である。合併症としての細菌感染に対しては、抗生剤を投与する。

第二(本件事故の原因について)

一(当初の症状の原因について)

1 前記第一の二ないし四で認定したとおり、(一)市郎は被告会社においてA液とB液(MDIを含む。)を混合させて型に注入し、型の上ぶたを閉じる作業を行つていた、(二)市郎は注入機を操作する際や上ぶたを閉じる際にはA液とB液の混合液に顔を近づけることになつた、(三)市郎の左側後上方に排気装置の吸入口があつたため、右混合液から蒸気が出れば市郎が蒸気を吸い込むおそれがあつた、(四)市郎は右(一)記載の作業に一二日間従事し、一日に一九〇個前後の製品を製造した、(五)A液とB液を混合させるとき最高摂氏八〇度程度の反応熱がでる、(六)MDIの融点は摂氏三八度、沸点は一九九度であるが、MDIは、融点以下の摂氏二五度でも少量蒸発し、温度が高くなると蒸発量はもつと多くなる、と認められる。これらの事実からすれば、市郎は被告会社において右(一)記載の作業に従事していた際に、蒸発し気化したMDIに、いわば約二二八〇回被曝したと認めるのが相当である。そして以上の事実に、前記第一の四で認定したとおりMDIは皮膚及び粘膜に対して強い刺激作用を有しておりアレルギー反応を生じさせること、前記第一の二で認定したとおり市郎は右(一)記載の作業に従事していて一週間くらい後から疲れを感じ始めるなどし、その後発熱、口腔内びらん、疼痛、咳嗽、眼球の充血、発疹といつた症状(これが市郎の当初の症状である。)を呈したこと、同じく前記第一の二で認定したとおり市郎の弟芳郎も被告会社においてMDIを取り扱う作業に従事していたところ市郎と似た症状を呈したことなどの事実を総合すると、市郎の当初の症状の原因は、被告会社において被曝したMDIであると認めるのが相当である。

2(一) 被告会社は、市郎がウレタン発泡作業に従事していた地点でMDIの空気中濃度を測定したところ昭和五〇年六月二五日の測定では0.001PPM、昭和五一年八月二六日の測定では0.00148PPMであつたのであり、これらの濃度はTDIの規制値の約二〇分の一にすぎないから、市郎が被告会社の空気中のMDIにより健康障害を被るとは考えられない旨主張する。たしかに<証拠>によれば、株式会社エタックが昭和五〇年六月二五日被告会社の第二ループライン注入機付近においてMDIの濃度を測定したところ0.001PPMであつたと認められる。しかし、この濃度が何時間かの平均値であるのか、ある瞬間の値であるのか不明である(つまり前記第一の四認定のとおり瞬間的にでも超えてはならないとされている0.02PPMを瞬間的に超えた可能性を否定しきれない)し、測定場所も第二ループライン注入機付近のどこであるのか(つまり右濃度が市郎の作業環境と同一であるのか)不明である。また<証拠>によれば、財団法人神奈川県労働衛生福祉協会が昭和五一年八月二六日被告会社の第二ループライン付近においてMDIの濃度を測定したところ0.00148PPM以下であつたと認められる。しかし、同号証によれば、右濃度は、二時間空気を採集し、これを測定したものであり、ある瞬間の値を測定したものではない(つまり前記第一の四認定のとおり瞬間的にでも超えはならないとされている0.02PPMを瞬間的に超えた可能性を否定しきれない)し、測定場所も市郎が作業をしていた場所とはラインをはさんだ反対側であり、右濃度が市郎の作業環境と同一であるということはできない。更に前記第一の四認定のとおりMDIに対する感受性は個人差が大きく、0.02PPM以下でも中毒症があらわれることがあることをも考え併せると、右の各測定結果は、市郎の当初の症状の原因が被告会社において被曝したMDIであるとの右1の認定を覆すに足りない。

(二) 被告会社は、同社では市郎のような健康障害を生じた例は一件もないし、ウレタン工業会においてもMDIによる事故の報告はないから、市郎が被告会社の空気中のMDIにより健康障害を被るとは考えられない旨主張する。たしかに<証拠>によれば、(1)同人は被告会社においてMDIによる中毒症が生じた事例を知らない、(2)同人がMDIによる中毒症の事例についてウレタンフォーム工業会に尋ねたところ、そのような事例についての報告はない旨の回答を得た、と認められる。しかし、前記第一の四で認定したとおりMDIによる中毒症の事例は存するのであり、右(1)(2)の事実は、市郎の当初の症状の原因が被告会社において被曝したMDIであるとの右1の認定を覆すに足りない。

(三) 被告会社は市郎の当初の症状は麻疹によるものである旨主張する。しかし、前記第一の七認定のとおり麻疹は一度罹患すると一生免疫を獲得するところ、前記第一の一認定のとおり原告ミヨノの話では市郎は三才のころ麻疹にかかつたことがあること、前記第一の二認定のとおり被告永田は市郎の口腔内の発疹をコプリック斑と診断したが、その診断に疑問をもつていたこと、前記第一の七認定のとおり麻疹の好発年令は生後九か月から四才前後であり、季節では春(三月から六月まで)が最も多いこと及び右1記載の事実を総合すると、市郎の当初の症状が麻疹によるものとは認められず、右1記載の認定を覆すことはできない。

(四) 被告会社は市郎の当初の症状は市販の薬による影響も考えられる旨主張する。たしかに、<証拠>によれば、藤沢市民病院整形外科医長の鈴木医師が記載した、市郎についての併診連絡票には、「一一月一七日より感冒にて内服薬使用の後、一一月一九日に全身に発疹出現」との記載が存することが、また<証拠>によれば、藤沢市民病院の市郎についての看護記録には、「一一月一七日頃より風邪気味、内服薬服用す。」「三共新胃腸薬内服」との記載が存することが、それぞれ認められる。しかし、<証拠>によれば、藤沢市民病院の市郎についての看護記録の別の個所には「一一月一七日頃より風邪気味T37.5度あり近医受診内服薬治療中(服用一回)……一九日より顔面四肢に水庖発赤疹出現」との記載が存することが認められ、このことからすれば、前記「内服薬」とは被告永田が与えた薬であるとも考えられること、前記第一の一認定のとおり市郎は一一月二〇日被告永田からの質問に対し最近薬を飲んだり使つたりしたことはない旨答えていること、仮に市郎が市販の薬を飲んだとしてもその薬にどのような成分が含まれていたか(つまり市郎に当初の症状を引き起こすような成分が含まれていたかどうか)不明であることなどからすれば、市郎の当初の症状に市販の薬による影響があるとまで認めることはできず、右1記載の認定を覆すことはできない。

(五)  以上のとおり市郎の当初の症状の原因に関する被告会社の反論はいずれも理由がない。

二(昭和五〇年一一月二二日市郎が藤沢市民病院に入院した時の症状(以下「入院時の症状」という。)の原因について)

1 前記第一の二で認定したとおり、昭和五〇年一一月二二日に藤沢市民病院に入院した時の市郎の症状は、全身に発赤疹があり水庖が形成されておりいわゆるニコルスキー現象が見られた、体温は39.6度あつた、悪寒があつた、目は充血し目やにで目をあけることができなかつた、体を動かすと疼痛を強く訴えた、咳嗽があり淡黄色の粘稠痰を多量に吐いた、などといつたものであり、中毒性表皮壊死症と診断されたものである。

2  そこで、市郎が被告永田からスルピリンの投与を受けたことが入院時における右症状の原因となつているかどうかについて判断する。

前記第一の五、六で認定したとおり、(一)市郎は昭和五〇年一一月二〇日及び二一日に被告永田からスルピリンの投与を受けた、(二)スルピリンの投与により、ときに紅斑、発疹、〓痒感等の皮膚症状、頭痛、倦怠感等があらわれることがある、(三)スルピリンは中毒性表皮壊死症の原因物質の一つでもある、と認められる。

しかしながら、一方、鑑定の結果及び証人原田昭太郎の証言を総合すると、(一)スルピリンを原因とする中毒性表皮壊死症の発症には事前の感作成立が必要である、(二)したがつて本件において被告永田のスルピリン投与が市郎の入院時の症状(中毒性表皮壊死症)の原因であるというためには、被告永田によるスルピリン投与以前に市郎にピラゾロン系薬剤による過敏症の既往歴があるかまたは入院時以前に市郎がピラゾロン系薬剤を一週間以上使用したかいずれかの事実がなければならない、と認められる。

しかるところ、被告永田による投与以前に市郎にピラゾロン系薬剤による過敏症の既往歴があるとか、入院時以前に市郎がピラゾロン系薬剤を一週間以上使用したと認めるに足りる証拠はない(前記一の2(四)記載のとおり市郎が被告永田に受診する前に市販の薬を服用したことをうかがわせる証拠がないわけではないが、前記一の2(四)で述べたところからすれば、右証拠から入院時以前に市郎がピラゾロン系薬剤を一週間以上使用したと認めることはできない。)。

したがつて、市郎が被告永田からスルピリンの投与を受けたことが入院時の症状の原因となつていると認めることはできない。

3 前記第一の六認定のとおり、中毒性表皮壊死症は、まず発熱、灼熱感、疼痛、頭痛、頭重感、不快感、異和感、咽頭痛、腰痛あるいは腹部症状、粘膜症状があらわれたのち、発疹が生じ(初発疹と前後して口腔粘膜、結膜にびらんを生ずることもある)、発疹は急速に拡大して広範囲を占め、ついで水庖形成をみるに至り、ニコルスキー現象もあらわれる、といつた症状経過を示すと認められる。しかるところ、前記第一の二認定のとおり昭和五〇年一一月一六日ころから入院時までの市郎の症状経過は、まず疲労感、頭痛などがあらわれたのち、発熱、眼球の充血、口腔内びらん等が生じ、発疹もあらわれ(ここまでが当初の症状である。)、その後発疹は著明になり、水庖もあらわれ、ニコルスキー現象もみられるに至つた、と認められるのであり、これは右の中毒性表皮壊死症の症状経過と合致する。また、前記第一の二認定のとおり被告永田は市郎の症状の原因がMDIであるとの前提の下に治療を行つていない。以上に右1で述べたところを総合すると、市郎の入院時の症状は、MDIを原因とする前記当初の症状が悪化したものと推認するのが相当である。

4 なお、前記第一の二の19認定のとおり、廻神医師は市郎の入院時の症状の原因はスルピリンの疑いが強いと判断したと認められるが、<証拠>によれば、廻神医師は市郎が被告会社において働いていた際にMDI被曝を受けたことやMDIの有毒性などについて知らなかつたと認められるから、廻神医師が右のような判断をしたからといつて、右2、3記載の認定を覆すに足りない。

三(市郎の死亡の原因について)

1 前記第一の二認定のとおり、(一)市郎の症状は入院後大きな変化はなかつたが、入院後三週間くらいから貧血や白血球減少などがあらわれ、症状は悪化し、一二月二〇日死亡するに至つた、(二)廻神医師は、市郎の直接の死因は心不全であり、その原因は中毒性表皮壊死症と診断した、と認められる。

2 そして、市郎の入院時の症状がMDIを原因とする中毒性表皮壊死症であり、その後、右血液障害が出現するなど病状が次第に重篤となり、その結果死亡するに至つたという経緯及び前記第一の六記載のとおり中毒性表皮壊死症に伴い血液障害が発現することがあることなどによれば、右1記載の血液障害は中毒性表皮壊死症に伴つて生じたものと認められる。

ところで、前記第一の五認定によれば、スルピリンも血液障害を起こすことがあると認められる。しかし、右のような病状の経過に前記二記載のとおり、スルピリンの投与が入院時の症状の原因として認められないことを考え併せると、右1記載の血液障害がスルピリンを原因とするものであると認めることはできない。

3  被告永田は、藤沢市民病院の医師の治療に不適切な点があり、そのために市郎は死亡した旨主張する。しかし、そのようなことを認めるに足りる証拠はない。

4  以上述べたところからすれば、市郎は、MDIを原因とする中毒性表皮壊死症により死亡したと認めるのが相当である。

第三(被告会社の責任)

一前記第一の二ないし四で認定した事実からすれば、(一)市郎は前記第二の一の1記載のとおり被告会社においてMDIに被曝する作業に従事していた、(二)MDIは皮膚及び粘膜に対して強い刺激作用を有しておりアレルギー反応を生じさせる、(三)MDIのそのような毒性は昭和五〇年当時には知られていた、(四)イソシアネートに対する反応は個人差が大きいから、本人や家族にアレルギー体質のある者をイソシアネートを取り扱う作業に従事させることは避けるべきである、(五)イソシアネートを取り扱う作業者には、イソシアネートの毒性等をあらかじめ十分に教育しておかなければならない、(六)イソシアネートを取り扱う作業者に異常が生じたときには、取扱いを中止させるとともに医師の診断を受けさせるべきである、と認められる。また労働安全衛生法五九条一項は、「事業者は、労働者を雇い入れたときは、当該労働者に対し、労働省令で定めるところにより、その従事する業務に関する安全又は衛生のための教育を行なわなければならない。」と定め、更に労働安全衛生規則三五条は「事業者は、労働者を雇い入れ、又は労働者の作業内容を変更したときは、当該労働者に対し、遅滞なく次の事項のうち当該労働者が従事する業務に関する安全又は衛生のために必要な事項について、教育を行なわなければならない。一 機械等、原材料等の危険性又は有毒性及びこれらの取扱い方法に関すること。……五 当該業務に関して発生するおそれのある疾病の原因及び予防に関すること。」と定めている。以上述べたところからすれば、被告会社には、市郎を右1記載の作業に従事させるにあたつて、本人あるいは家族のアレルギー体質の有無を検査し、アレルギー体質又はアレルギー体質の疑いがある場合には、右作業に配置しないようにすべき注意義務、市郎を右作業に従事させる前にあらかじめMDIの毒性、中毒症状等を告知すべき注意義務及び市郎にMDIによる中毒症状があらわれたときには、右作業を中止させ、適切な治療を受けさせるべき注意義務があるということができる。

二前記第一の一ないし四で認定した事実に、前記第二の一及び二で述べたところを総合すると、(一)被告会社は、市郎を職場に配置する際、アレルギー体質の有無について調査することなく、右一の1記載の作業に従事させた、(二)もし被告会社がアレルギー体質の有無について調査していたなら、市郎が鯖等を食べてじん麻疹がでたことや、うるしにかぶれやすいことすなわち市郎がアレルギー体質であることは、質問によりわかつたはずである、(三)被告会社は、市郎を右一の1記載の作業に従事させる前に、市郎に対し、MDIの毒性、中毒症状等について告知することをしなかつた、(四)もし市郎が右の告知を受けていたなら、市郎は自分の症状がMDIによるものであることを知り、配置転換を申し出るとか、もつと早い時期に適切な治療を受けるとかすることができたはずである、(五)被告会社は、市郎にMDIによる症状があらわれ始めた後も、その点について注意を払わず、市郎からの申出もなかつたため、引続き(一一月一七日)市郎を右一の1記載の作業に従事させ、適切な治療を受けさせることもしなかつた、(六)市郎の症状は、右一の1記載の作業に従事しつづけ適切な治療を受けられなかつた間に、悪化した、と認められる。以上述べたところからすれば、被告会社は、右一記載の注意義務に違反し、その結果、市郎はMDIに被曝したうえ、MDIを原因とする症状を悪化させたと解することができる。そしてMDIに被曝したこと及びMDIを原因とする症状が悪化したことが前記第二記載のとおり市郎を死亡するに至らせたのであるから、被告会社(代表者ないし担当職員)は、過失により市郎を死亡させたということができる。

三よつて被告会社は、不法行為に基づき、市郎の死亡により市郎及び同人の近親者が被つた損害を賠償する責任を負う。

第四(被告永田の責任について)

一前記第二記載のとおり被告永田のスルピリン投与が市郎の死亡の原因とは認められないのであるから、被告永田がスルピリンの投与に関し市郎ないし同人の近親者に対し債務不履行又は不法行為責任を負うことはないというべきである。

二前記第一の二で認定した事実に前記第二の一で述べたところを総合すると、(一)昭和五〇年一一月二〇日に被告永田の診察を受けた時の市郎の症状はMDIを原因とするものであつた、(二)ところが被告永田は市郎の症状の原因がMDIであるとの前提の下に治療を行わなかつた、と認められる。そこで、この点に関し被告永田に診療契約(前記第一の二の9、12で認定した事実によれば被告永田は市郎との間で診療契約を締結したと認められる。)上の義務違反又は過失があるかどうかについて判断する。前記第一の二で認定したとおり、被告永田の診断を受けた際、被告永田の質問に対して市郎は訴外会社において自動車の部品を作つている旨答え、弟の芳郎は訴外会社において車のドアの内側のビニール加工をしている旨答えたと認められる。しかし、<証拠>によれば、被告永田は訴外会社の仕事内容をほとんど知らず、MDIやウレタン発泡成型加工作業等についての知識もなかつた(鑑定の結果によればこのことはやむをえなかつたということができる。)と認められるから、被告永田は右の答えから市郎がMDI(あるいはそのときの市郎の症状を引き起こしうるような化学物質)を取り扱つており、これが市郎の症状の原因であることを知りえたと解することはできない。その他、被告永田が市郎の症状の原因はMDI(あるいは何らかの化学物質)であることを知りえたと認めるに足りる証拠はない。したがつて、被告永田が市郎の症状の原因がMDI(あるいは何らかの化学物質)であるとの前提の下に治療を行わなかつたことが診療契約上の義務違反又は過失にあたるということはできない。よつて、被告永田はこの点に関しても市郎ないし同人の近親者に対し債務不履行又は不法行為責任を負うことはないというべきである。

第五(損害額について)

一逸失利益

1  市郎の得べかりし年間収入

市郎の得べかりし年間収入は、本来、市郎が本件事故前に得ていた年間の実収入に基づいて算定すべきである。しかしこの点についての十分な立証はない(<証拠>によれば、市郎は昭和五〇年一一月四日から昭和五一年四月一五日まで被告会社において働いたならば、約七〇万円の収入を得たであろうと認められる。しかし、市郎が一年のうち他の期間従事していた農業による収入については全く立証がない。)から、市郎が本件事故前に得ていた年間の実収入の額を算定することはできない。そこで市郎の得べかりし年間収入は、当裁判所に顕著ないわゆる賃金センサスに基づいて算定せざるをえないが、その額は、賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、年齢計、男子労働者の平均給与額に基づきつつ、上記の点を斟酌して、その七〇パーセントの額に当たると推認するのが相当である。そしてこの賃金センサスは市郎の死亡時から口頭弁論終結時まではそれぞれの年度のもの(それが発表されていないときは発表されているもつとも近いもの)を、口頭弁論終結時より後は口頭弁論終結時のもの(それが発表されていないときは発表されているもつとも近いもの)を用いるべきであると解されるから、市郎の得べかりし年間収入は、昭和五〇年から昭和五六年まではそれぞれの年度め賃金センサスを、昭和五七年以降は昭和五六年度の賃金センサスをそれぞれ用いて算定することとする。しかるところ、右の各年度の賃金センサスの右平均給与額は別表記載のとおりであるから、市郎の得べかりし年間収入は別表記載のとおりとなる。

2  生活費控除

前記第一の一の1で認定したとおり市郎には妻子がいたと認められるから、生活費控除は三〇パーセントを相当と認める。

3  就労可能年数

前記第一の一の1で認定したとおり市郎は昭和一八年三月二九日生まれで、本件事故当時は三二才であつたと認められる。市郎は、六七才まで就労可能であつたと考えられるから、市郎の就労可能年数は三五年と解することができる。

4  中間利息控除

中間利息の控除はライプニッツ式によるのを相当と解する。

5  市郎の逸失利益を右1ないし4で述べたところに基づき計算すると金二七五七万四三一一円(円未満切捨)となる。

{1659560+1789270×0.95238095+1970710×0.90702948+2103290×0.86383760+2209620×0.82270247+2386160×0.78352617+2543380×(16.3741−5.0756)}×0.7=27574311(円)

6  相続関係

前記第一の一の1で認定したとおり、原告幸子は市郎の妻、原告一美及び同幸は市郎の子であり、他に市郎の相続人はいないと認められるから、原告幸子、同一美及び同幸は、市郎の死亡により市郎の権利を当時の法定相続分に従い各三分の一ずつ(各自九一九万一四三七円、円未満切捨)相続したと認められる。

7  損害の填補

原告幸子が遺族補償年金合計五四九万二二八三円を受給したことは当事者間に争いがないから、これを原告幸子の逸失利益の額から控除する。よつて原告幸子の逸失利益の額は三六九万九一五四円となる。

二葬儀料

原告市太郎は、市郎の葬儀を行い、葬儀料として少なくとも五〇万円支出したと主張するが、同原告が労災保険より葬儀料として受領したと自認する金二七万七五六〇円を超えて市郎の葬儀料を支出したことを認めるに足りる証拠はない。したがつて原告市太郎の葬儀料相当の損害賠償請求は失当である。

三慰藉料

原告らは、本件事故により、それぞれ夫、父親、子を失い、大きな精神的苦痛を被つたと認められる。しかし他方、前記第二の一の2の(二)認定の事実などからすれば、市郎の体質も本件事故の原因となつていると認められ、その他本件事故の態様等諸般の事情を考慮すると、本件事故により原告らが被つた精神的苦痛に対する慰藉料の額は、原告幸子については三〇〇万円、原告一美及び同幸については各二〇〇万円、原告市太郎及び同ミヨノについては各一〇〇万円が相当である。

四弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは、本件訴訟代理人に本訴の提起及び訴訟追行を委任し、その報酬を支払う旨約したと認められる。本件事案の性質、審理の経過、認容額等に鑑みると、原告らが本件事故と相当因果関係がある損害として賠償を求めることができる弁護土費用の額は、原告幸子については六〇万円、原告一美及び同幸については各一〇〇万円、原告市太郎及び同ミヨノについては各一〇万円が相当である。

五結論

よつて、原告らの損害額は、原告幸子については七二九万九一五四円、原告一美及び同幸については各一二一九万一四三七円、原告市太郎及び同ミヨノについては各一一〇万円となる。

第六(結論)

以上の次第で、原告らの本訴請求のうち、被告会社に対する請求は、原告幸子については損害金合計金七二九万九一五四円及びうち弁護士費用相当損害金以外の損害金六六九万九一五四円に対する不法行為の日ののちである昭和五〇年一二月二一日から、うち弁護士費用相当損害金六〇万円に対する同じく不法行為の日ののちで本判決言渡の日の翌日である昭和五八年一一月一一日から各支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、原告一美及び同幸については、それぞれ損害金合計金一二一九万一四三七円及びうち弁護士費用相当損害金以外の損害金一一一九万一四三七円に対する昭和五〇年一二月二一日から、うち弁護士費用相当損害金一〇〇万円に対する昭和五八年一一月一一日から各支払ずみまで年五分の割合により遅延損害金、原告市太郎及び同ミヨノについては、それぞれ損害金合計一一〇万円及びうち弁護士費用相当損害金以外の損害金一〇〇万円に対する昭和五〇年一二月二一日から、うち弁護士費用相当損害金一〇万円に対する昭和五八年一一月一一日から各支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、被告会社に対するその余の請求及び被告永田に対する請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(友納治夫 吉野孝義 森義之)

別表<省略>

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