大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和52年(ワ)11316号 判決 1981年10月27日

亡原告加藤一正訴訟承継人原告

加藤精子

加藤由美子

加藤美和子

右三名訴訟代理人

小林芝興

谷口亮二

安田純子

被告

河野嘉昭

右訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

一、原告らの請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一請求の原因1の事実(当事者の地位)は、当事者間に争いがない。

二そこで、同2の事実(一正の死亡に至る経緯)について検討する。

1同2の(一)の事実中一正が昭和五〇年三月一〇日被告に対し昭和三七年に骨腫瘍の手術を受けたことがあることを告げたとの事実については証拠が全くなく、その余の事実は当事者間に争いがない。なお、<証拠>によれば、一正は、昭和五〇年九月二七日被告に対し、昭和三七年に東京医大病院において骨の病気のため腰の骨を取つて右膝に埋める手術を受けたことがあることを告げたとの事実、被告は昭和二五年から三〇年代までは骨髄炎が流行していたことから右「骨の病気」が骨髄炎であると理解したとの事実が認められる。

2 <証拠>によれば、一正は、被告の医院において昭和五〇年三月一〇日から同月一八日まで及び昭和五〇年九月二七日から同年一一月一日まで被告の診療を受けた結果、いずれの時も右膝関節内側の痛みの消失を覚えたこと、ところが、昭和五一年三月二日から同年一〇月四日まで被告の治療を受けた時は、痛みは消失しないばかりか九月ごろからは激しくなる一方であつたこと、そのため一正は被告の診断に疑問を抱き、昭和五一年一〇月五日東京医大病院を訪れ同病院医師の診断を受けたこと、同病院医師が診察すると一正の右膝上部に小児頭大の腫瘤があり、レントゲン検査によると大腿骨下端部に異常陰影が認められて骨腫瘍である疑いがあつたので、直ちに血液検査及び断層のエックス線検査がされ、その結果を検討のうえ、翌六日骨腫瘍との診断がされたこと、そのため一正は、直ちに仕事等を整理して、同月一二日同病院に入院し、以後同病院医師の治療を受けるようになつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3 <証拠>によれば、一正の骨腫瘍は悪性のものである疑いがあつたため、東京医大病院医師は、右入院後一正につき膝関節の穿刺液の検査、血管造影検査、シンチグラム検査等を行つたこと、その結果同病院医師はこれが悪性のものであると判断し、初発部位の処置として局所的に人工心肺装置を使つてマイトマイシン、エンドキサン、五FU等の三者併用による局所灌流療法を行つたうえで右足切断手術を行い、肺転移抑制のため全身的に制癌剤であるマイトマイシン、エンドキサン、五FUを投与するという治療方針をたてたこと、同病院医師は、右治療方針に従い右局所灌流療法を行つたうえで、昭和五一年一一月一九日大腿部の三分の一を残して右足を切断する手術をし、右肺転移抑制措置を講じたこと、右手術によつて一正が悪性巨細胞腫に罹患していたことが確認されたこと、右手術時その切断面には病的所見は無かつたこと、その後一正は、昭和五二年二月六日切断端部に再発像等が見られず、又、胸部レントゲン、全身シンチグラム検査等ではつきりした遠隔部への転移が発見されることなく、手術の結果は良好ということで同病院を退院したことが認められ<る。>

4 <証拠>によれば、一正は東京医大病院を退院する際同病院医師から週一回の割合で定期的検診のため外来受診する旨を指示され、また昭和五二年五月七日右受診は以後月一回の割合で良いとされたこと、一正は右各指示をほぼ守り外来受診をしていたこと、一正は同指示に従つて昭和五三年一月五日外来受診をしたところ腫瘍転移の疑いが認められ、同日及び同月一三日受けた諸検査の結果同月一九日になつて骨腫瘍が左肺及び右大腿部に転移していることが判明したこと、そのため一正は同日から同病院に通院してその医師によりエンドキサン等の制癌剤の投与等これに対する治療を受けるようになつたことが認められ<る。>

5 <証拠>によれば、その後右転移性腫瘍の症状は次第に悪化し、昭和五三年四月ごろからは激しく咳や痰が出るようになつたので、同月一〇日左の胸水を九五〇cc抜いたりしたが、貧血、発熱、脱力感が非常に強くなつたため、同年五月一五日東京医大病院へ再入院して治療を受けるようになつたこと、右再入院後一正は、制癌剤、抗生剤の投与、新鮮血の輸血、ブドウ糖、ビタミン剤の点滴注射等を受けたが、右悪性腫瘍により全身状態の衰弱を来たす悪液質を併発し、これにより、同年七月七日死亡したことが認められる。

三請求の原因3の事実(被告の過失)について

同3の事実中被告が昭和五〇年三月一〇日から同月一八日まで、同年九月二七日から同年一一月一日まで、昭和五一年三月二日から同年一〇月四日までの間、一正につき右膝関節周囲炎と診断したこと、被告は一正に対し人的物的設備の整つた骨腫瘍の専門医のいる大病院へ転院するよう勧告をしなかつたことは当事者間に争いがない。また、<証拠>によると、被告が右期間中一正につき悪性腫瘍の疑いを全く抱かなかつたことが認められる。この点については、昭和五一年九月一六日にはその疑いを抱いた旨の被告本人の供述があるけれども、右各証拠によれば、被告は、一正に対し同日以後もそれ以前と同様の処置しかしていないことが認められ、同事実に照らすと、これは信用することができない。ところが、<証拠>及び鑑定の結果により認められるとおり、実際には一正は、昭和五一年九月より前に悪性骨腫瘍に罹患していたのであり、前記認定のとおり、一正は、同疾病のため同年一一月一九日に大腿部の三分の一を残して右足を切断する手術を受け、そのかいもなく同腫瘍が他所に転移し、その結果全身状態の衰弱を来たす悪液質を併発し、昭和五二年七月七日判旨死亡している。そこで、被告の採つた右処置が不法行為上の過失に該当するかを検討する。

1  まず、一正につき悪性骨腫瘍と診断し又はその疑いを抱くべき注意義務があつたか否かを検討する。

既に認定したとおり、被告は診療科名を外科及び整形外科とする医院を経営する開業医であり、一正は、被告の医院において昭和五〇年三月一〇日から同月一八日まで及び昭和五〇年九月二七日から同年一一月一日まで右膝関節周囲炎との診断に基づく治療を受けた結果、いずれの時も右膝関節内側の痛みの消失を覚えたというのであるが、証人今給黎篤弘の証言、一正、原告精子、被告の各本人尋問の結果、前掲甲第三号証によれば、一正は昭和三七年に東京医大病院において右大腿骨黄色繊維腫(良性骨腫瘍)のため腫瘍切除術及び骨移施術を受けたことが認められ、また、前記認定のとおり、一正は昭和五〇年九月二七日被告に対し昭和三七年に東京医大病院において骨の病気のため腰の骨を取つて右膝に埋める手術を受けたことがあると告げており、更に同じく前記認定のとおり、昭和五一年三月二日から同年一〇月四日まで被告の診療を受けた時は一正の痛みは消失しないばかりか九月ごろから激しくなる一方であり、また、一正、被告各本人尋問の結果(被告本人尋問の結果については前記措信しない部分を除く。以下同じ。)、昭和五一年九月一六日当時の一正の右膝部のレントゲン写真及び鑑定の結果によれば、そのため、被告は、昭和五一年九月一六日、一正につきX線撮影をして診断したこと、右X線写真には本件悪性骨腫瘍の徴候が顕われており、被告はこれのスケッチをカルテに記載していることが認められ、また前記認定のとおり、同年一〇月五日東京医大病院医師が一正を診察するとその右膝上部に小児頭大の腫瘤を触知し得、直ちに骨腫瘍が疑われたというのであるから、これの事実と<証拠>及び鑑定の結果を総合すると、本件骨腫瘍は稀な発病の経過をとつているものであり、発生頻度は極めて低いものではあるが、被告は、一正につき、遅くとも、同人の痛みが激しくなつたためX線撮影をして診断をした昭和五一年九月一六日には、悪性骨腫瘍の疑いを抱くべき注意義務があつたと解するのが相当である。

2  次に、一正につき悪性骨腫瘍の疑いを抱いた場合、人的物的設備の整つた専門医のいる大病院へ転院するよう勧告すべき注意義務があるか否かについて検討する。

<証拠>によれば、悪性骨腫瘍であるとの診断は、問診、視診、触診等による臨床所見のみでは殆どなし難く、種々のX線、病理組織診断、血液の生化学検査所見などの総合的判断によつて診断を下しうるものであることが認められ、また、<証拠>によれば悪性骨腫瘍の治療のためには、初発部位の処置として、まず、局所的に人工心肺装置を使つてナイトロジェンマスタードNオキシド、マイトマイシンC、五FUの三者併用による局所灌流療法を行つたうえで切除、切断の手術療法を行い、右局所療法と同時に肺転移抑制のため全身的にアドリアマイシン、カルボコン等を全身投与する必要があることが認められるところ、被告本人尋問の結果によれば、被告の医院は医師は被告一名、看護婦四名、内一名は事務専務という無床診療所であつて、同所では、前記診断を得るための十分な諸検査や右治療をすることができないことが認められるから、被告が一正につき悪性骨腫瘍の疑いを抱いた場合、被告には、一正に対し人的物的設備の整つた専門医のいる大病院へ転院するよう勧告すべき注意義務があると解するのが相当である。

3  したがつて、被告が一正につき昭和五一年九月一六日以降も悪性骨腫瘍の疑いを全く抱かず、そのため同人に対し人的物的設備の備つた骨腫瘍の専門医のいる大病院へ転院するよう勧告しなかつたことは、不法行為上の過失に該当すると解するのが相当である。

判旨 四請求の原因4の事実(因果関係等)について

1  既に認定したとおり、一正は悪性骨腫瘍のため昭和五一年一一月一九日に大腿部の三分の一を残して右足を切断する手術を受けたが、そのかいもなく同腫瘍が他所に転移し、その結果全身状態の衰弱を来たす悪液質を併発し、昭和五二年七月七日死亡したのである。然して、既に認定したとおり、一正は昭和五一年九月一六日以前に既に悪性骨腫瘍に罹患していたのであるから、被告が昭和五一年九月一六日悪性骨腫瘍を疑い直ちに転院の処置をとつていたとすれば、特段の事情の認められない本件においては、転院後本件と同様の経過を辿り、一正について悪性骨腫瘍の発見、治療は一九日間は早く行われ得たと考えるのが相当である。

そこで、前記被告の不法行為上の過失と一正の死亡との間に因果関係があるか、又は、これが一正の死期を早めるという結果をもたらしたと認められるかを検討する。

<証拠>を総合すると、一般に早期発見、早期治療が悪性腫瘍の治療効果を向上させる大原則であること、ところが原発性悪性骨腫瘍の場合は統計上これが直ちにその向上につながらないこと、本件においても一正の悪性腫瘍が肺等へ昭和五一年一〇月以前の何時転移したかは医学上これを明らかにすることはできず、被告が昭和五一年九月一六日悪性骨腫瘍を疑い直ちに転院の処置をとつていたとしても、これにより腫瘍の転移を防いで救命又は延命することができたか否かは医学的にみてわからないことが認められる。したがつて、被告が昭和五一年九月一六日悪性骨腫瘍を疑い直ちに転院の処置をとり、悪性骨腫瘍の発見、治療が前記のとおり早くなつていたとしても、これにより一正が死の結果を免れた、又は、その死期を相当期間遅らせることができたと断ずることはできず、結局前記被告の過失と一正の死亡との間の相当因果関係の存在及び同過失のため一正の死期が相当期間早められたとの点についてはいずれも訴訟上の証明がないと言わざるを得ない。

判旨2 また、原告らは、被告に対し、被告の前記過失行為により、現代医学の提供する平均的水準の医療を受けられるとの期待を裏切られたこと自体につき、これによる疾病に関する結果発生の如何を問わず慰謝料の請求をしているが、右にいう期待は不法行為法によつて保護されるべき正当な利益とは解し難く、同主張はそれ自体失当であつて理由がない。

これを敷えんすると、前記認定のとおり、一正は、昭和五〇年三月一〇日から同五一年一〇月四日まで断続的であつたにしろ外科及び整形外科の専門医である被告の診断・治療を受けていたのに、同年一一月には右足を切断せざるをえないことになり、そしてこの右足の切断でも腫瘍の転移を阻止することができず死の転帰を辿ることになつているが、この経緯のなかで、被告において悪性骨腫瘍を疑うことが少くとも一九日間遅れそれだけ大病院への転院が遅れていることについては、被告の措置に適切でなかつた点が認められるのである。それで、適切な治療を受けることを望んでいた一正自身は勿論のこと、原告ら家族の不満・悲しみは大きなものがあり、本訴に及んだ心情は十分に察せられるのであるが、本件は悪性骨腫瘍という不幸な病気によつてもたらされたものであり、被告に法律上の責任を問いうるかという問題については、前に述べたとおり、本件悪性骨腫瘍が稀な経過をとり発生頻度の極めて低いものであること、就中悪性骨腫瘍の治療の困難性等を前提として判断を進めざるをえないのであり、これらの前提に立つて考えると、本件については前述のような結論とならざるをえないのである。

五結論

よつて、その余の点を判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(山田二郎 西理 川口代志子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例