大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和52年(ワ)11646号 判決 1980年1月31日

千葉県木更津市長須賀一七八四番地の一

原告 大場豊

同所

同 大場和子

右原告両名訴訟代理人 樋口家弘

千葉県富津市湊二六〇

被告 富津市

右代表者市長 白井長治

右訴訟代理人弁護士 野口國雄

同 加藤長昭

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告大場豊に対し金九五一万円、同大場和子に対し金八二一万円及び右各金員に対する昭和五二年一〇月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位など

原告大場豊(以下「原告豊」という。)及び同大場和子(以下「同和子」という。)は、亡大場美津江(以下「亡美津江」という。)の両親であり、被告は、富津市上総湊海水浴場(以下「本件海水浴場」という。)の開設者であって、監視人笹生芳郎の使用者である。

2  事故の発生

(一) 原告らは、昭和五二年八月五日、長女亡美津江(当時八才)を含む家族八人で、本件海水浴場に行き、別紙添附図面の①の地点(以下「①」といい、他の地点の記載も以下同様とする。)で遊泳し、そろって②(飲食店「鈴孝」)で食事をした後、亡美津江がいないことに気付いた。

(二) 原告豊は、④まで亡美津江を捜索して来たとき、海岸から約七〇メートルの③に亡美津江がゴムボート(以下「本件ゴムボート」という。)に乗ったまま漂流しているのを発見したので、直ちに本件ゴムボートを追って泳いで行き、⑤まで進んだ。このとき亡美津江は、本件ゴムボートに乗ったまま、海岸から約一〇〇メートル沖の方向に流されており、海流が速く追いつけそうになかった。

(三) そこで、原告豊は、救命ボートを出して救助するほかないと判断し、監視所に引き返えし、同所に一人いた監視員の笹生芳郎(以下「笹生」という。)に対し、亡美津江の救助を依頼したが、同所には救命ボートがなく、他所から借りて来なければならなかった。なお、原告豊が海岸に引き返したとき、亡美津江を乗せた本件ゴムボートは沖合約一五〇メートルを流されていた。

(四) そして、原告が右監視所に救助を求めてから約四〇分後にやっと原告豊を含む四名は、救命ボートに乗って出発し、海面を探索するうち、⑦付近に本件ボートから落ちて海に漂流していた亡美津江を発見し、右救命ボート上に収容したが、誰も応急措置を講じることができなかった。亡美津江は、その三〇分後に富津市佐賀一五六―一坂原医院に運ばれたが、死亡した。

3  被告の責任

(一) 営造物責任ないし工作物責任

被告が開設した本件海水浴場は、全体として公の営造物ないし土地工作物であるが、次のとおり本来備えるべき設備を欠いており、そのため本件事故が発生した。

(1) 被告は、昭和四八年千葉県が制定した海水浴場等安全指導要綱(以下「要綱」という。)に従った設備を備えることを条件として、千葉県より右設備の設置・維持に必要な補助を受けているのであるから、その開設する海水浴場は、本来、要綱及び要綱第六条に基づいて制定された海水浴場等安全指導要綱実施要領(以下「実施要領」という。)に従い、海水浴客の安全保持のため必要な人的・物的設備が完備したものでなければならない。要綱及び実施要領によれば、被告は、本件海水浴場に、監視塔、監視人救命ボートなどの救命具、人工そ生器を設備すべきことが義務づけられている。そして、本件海水浴場は、幅二五〇メートルに及ぶ大規模なものであるから、少なくとも沖合一〇〇メートル位(遊泳禁止区域まで八〇メートル)までを見通せる高さ(約五メートル)の監視塔を最低二基は備え、監視塔には望遠鏡及び拡声器を備えるべきであった。

(2) ところが、本件海水浴場には、救命ボート、人工そ生器などの救助装置が設備されておらず、監視人としての能力を備えた人間も必要数が配置されていなかった。監視人であった笹生は、人工そ生その他の応急処置の方法を知らず、監視人としての能力がなかった。

また、本件海水浴場には遊泳禁止区域を見通すこともできない高さ約三メートルの監視塔が一基設置されたのみであり、しかもそれには望遠鏡、拡声機の備えつけがなかった。

(3) 以上のような本件海水浴場の瑕疵により、遊泳者に対する監視がなされず、また、亡美津江の救助を迅速にすることができなかったため、本件事故が発生したのであるから、本件海水浴場の設置者である被告は、国家賠償法二条ないし民法七一七条に基づき後記4の損害を賠償すべき義務がある。

(二) 使用者責任

仮に(一)の主張が認められないとしても、被告には本件事故につき民法七一五条に基づく責任がある。すなわち、

(1) 笹生は本件海水浴場の監視人として常時監視塔上にいて遊泳者を監視し、その危険の発生を未然に防止すべき注意義務があり、もし右監視を怠らなければ、亡美津江が③ないし少くとも遊泳区域外で漂流しているのを発見し、これを救助することができたのにかかわらず、右義務を怠り、亡美津江に対する監視を行なわなかったため、本件事故を発生させたものである。

(2) また、笹生は、原告豊から訴外美津江の緊急事態を告げられたとき、直ちに救命ボートを手配し、発進させるべき義務があり、そのようにしておれば亡美津江を救助できたにもかかわらず、右義務を怠り、救命ボート発進までに四〇分間もの時間を徒過させ、本件事故を発生させたものである。

(3) 以上のように、本件事故は、笹生の過失により発生したのであるから、笹生の使用者である被告は、民法七一五条の使用者責任に基づき、後記4の損害を賠償すべき義務がある。

(三) 不法行為責任

仮に(二)の主張が認められないとしても、被告は、海水浴場開設者として当然に、ないしは、要綱に基づいて本件海水浴場の利用者の安全保持のため必要な人的・物的設備を完備させる義務があるにもかかわらず、前記3(一)(1)(2)のとおり、右義務を怠った過失により、本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき、後記4の損害を賠償すべき義務がある。

4  原告らは、本件事故により、以下のとおり損害を受けた。

(一) 亡美津江の逸失利益

亡美津江は死亡当時八才であったから、本件事故に遭遇しなければ、一八才以後就労可能年数は四九年であり、その間毎月八万四三〇〇円(昭和五〇年度賃金センサス女子全年令平均給与額による)を下らない収入を取得しえた。

そして、右収入から同人の生活費として五〇パーセントを控除した額にホフマン係数を適用して年五分の割合の中間利息を控除すると、亡美津江の逸失利益は、金九六九万一一二八円となる。

8万4300×12×0.5×19.16=969万1128

(二) 亡美津江の慰藉料 金一五〇万円

(三) 原告らの慰藉料 各金一七五万円

(四) 葬式費用(原告豊支出) 金七四万一〇〇〇円

内訳

(1) 葬儀屋費用 金一〇〇、〇〇〇円

(2) 霊きゅう車運転手謝礼金 金五、〇〇〇円

(3) 火葬場謝礼 金五、〇〇〇円

(4) 御茶菓子代 金七〇、〇〇〇円

(5) 酒類 金四〇、〇〇〇円

(6) 線香代等 金二〇、〇〇〇円

(7) 仏像類代金 金三〇、〇〇〇円

(8) 墓等費用 金二〇、〇〇〇円

(9) お寺費用 金九二、〇〇〇円

(10) 小学校謝礼 金三〇、〇〇〇円

(11) 町内会返礼 金一一、〇〇〇円

(12) 親戚等お返し 金五〇、〇〇〇円

(13) ハガキ印刷代 金五、〇〇〇円

(14) 仏壇費用 金二五〇、〇〇〇円

(15) 位牌費用 金一三、〇〇〇円

(五) 弁護士費用

(1) 原告豊について 金一、四二四、〇〇〇円

(2) 原告和子について 金八六七、一〇〇円

(六) 亡美津江の逸失利益及び慰藉料は合計一一一九万一一二八円となるところ、原告らは亡美津江の両親であるから、その各二分の一に当る金五五九万五五六四円をそれぞれ相続した。

そして、原告らの慰藉料及び弁護士費用を各自の損害額として、また、葬式費用を同豊の損害額として、右相続した損害額にそれぞれ加算すると、原告豊の損害合計額は金九五一万〇五六四円、同和子の損害合計額は金八二一万二六六四円となる。

従って、少なくとも、原告豊には金九五一万円の、同大場和子には金八二一万円の損害が生じたというべきである。

5  よって被告に対し、国家賠償法二条、民法七一七条、七一五条、七〇九条に基づき、原告豊は損害金九五一万円及びこれに対する弁済期後(訴状送達の日の翌日)である昭和五二年一〇月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、同和子は損害金八二一万円及びこれに対する右同日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、被告が本件海水浴場の開設者であることは認めるが、笹生の使用者であることは否認し、その余は不知。

2(一)  請求原因2(一)の事実は不知。

(二) 同(二)の事実のうち、原告豊が④まで亡美津江を捜索して来たとき、海岸から約七〇メートルの③に亡美津江が本件ゴムボートに乗ったまま漂流しているのを発見したことは否認し、その余は不知。

(三) 同(三)の事実のうち、笹生が監視所にいたこと、原告豊が笹生に救助を求めたことは認めるが、監視所には監視員笹生が一人だけいたこと及び同所には救命ボートがなく借りて来なければならなかったことは否認し、その余は不知。

(四) 同(四)の事実のうち、原告豊を含む四名が救命ボートに乗って出発し、⑦付近に本件ゴムボートから落ち海に漂流していた亡美津江を発見し、救命ボート上に救助し、その後亡美津江が富津市佐賀一五六―一坂原医院に収容されたが死亡したことは認めるが、その余の点は否認。

村野は、亡美津江を右ボート上に救助した後、直ちに人工呼吸を実施した。

(五) 本件事故発生の事実関係は、次のとおりである。

監視所には、笹生と警察官村野がいたが、原告豊の通報に接し、直ちに、村野が本署に通報し、右原告とともに現場確認に急行した。このとき、補助員の金子が監視所から約六〇メートル離れた海の家「金子」にいたが、村野らの行動を見て緊急事態の発生を知り、監視所に急行した。そして、金子の息子の雄二と中山千秋に指示して救命ボートを出させ、これに村野、金子巳三二、金子雄二、中山千秋及び原告豊が乗り込んだ。そして、右原告の指示によって本件ゴムボートを捜索したところ、本件ゴムボートは監視所から約八〇メートルの地点にコウケンブロックに接して無人で浮いていたので、更に捜索したところ、本件ゴムボートから北へ約四〇メートルの海上に亡美津江を発見した。救命ボートは船外機付きのため急に停止することはできなかったので、中山千秋が飛び込んで亡美津江を抱き上げ、続いて施回した救命ボートから金子雄二が飛び込んだ。このときエンジンがはずれた。救命ボートにはオールがなかったので、村野を除く四人が手で右ボートを漕いで接岸した。この間、村野は亡美津江に対しニールセン方式による人工呼吸を実施し続けた。上陸後、中山が監視所に走り、警察電話で一一九番に通報した。この時刻は、消防署の記録によれば午後一時五一分であり、救急隊が現場に到着したのが一時五六分であった。

3(一)  同3(一)のうち、被告が本件海水浴場を開設したこと、被告が千葉県から昭和五二年度に原告主張の補助金(金七七万円)を受領したこと、本件海水浴場には人工そ生器が設置されていなかったこと、監視塔が一基設置されていたことは認めるが、その余は否認ないし争う。

(二) 同(二)及び(三)は否認ないし争う。

4  同4は不知。

第三証拠《省略》

理由

一  被告が本件海水浴場を開設した点は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、以下の事実が認定でき(る。)《証拠判断省略》

1  千葉県による行政指導と本件海水浴場の開設

(一)  千葉県では、かねて労働部観光課を事務局として夏季観光安全対策本部を設置し、海水浴場の安全対策に努めていたが、昭和四七年には海水浴場及びその周辺での水死者が非常に多かったことから、同四八年、要綱・実施要領を作成して、同県内で海水浴場をもつ各市町村が行なう海水浴場利用者の安全確保に対する行政指導を強化した。

(二)  要綱は、次のような規定をおいている。

「この要綱において、海水浴場とは、一定の管理のもとに、一定期間、公衆の水浴・遊泳の目的に供される特定の海面及び土地の区域をいう。」(要綱1(1))

「海水浴場の開設者は、市町村とする。」(同2)

「開設者は、海水浴場の開設に当たり、次に掲げる事項を記載した開設届を所轄支庁長に提出するものとする。

ア 海水浴場の名称

イ 海水浴場開設の場所及び面積、遊泳区域内の汀線の延長

ウ 海水浴場開設期間

エ 海水浴場に設置する施設及び備品の一覧表

オ 監視人配置予定数

カ その他公衆衛生及び危険防止に関する事項」(同4)

「(1)開設者は、海水浴場に適切な施設を設置し、その保全に努めるものとする。(2)海水浴場の施設の基準は、別に定めるところによる。」(同6)

「開設者は、水難事故防止及び水難救助のため、別に定めるところにより監視人を置くものとする。」(同7)

「市町村長は、危険区域を明示する標識を別に定めるところにより設置し、監視人の巡回又は放送により、危険の防止に努めるものとする。」(同9)

そして、実施要領は、要綱6の(2)による施設基準につき、「(3)救命うきわ、ロープ、救命ボートその他適当な救命器具を備えていること。(4)管理事務所、救護所、案内所、更衣休憩所、シャワー設備、監視所(塔)、監視船、駐車場、放送施設、人工そ生器等が海水浴場の規模に応じて適当に設備されていること。」、要綱7による監視人の数等につき「(1)監視人の数は、海水浴場の規模、危険度、利用者の数に応じたものとすること。(3)監視人は原則として水難救助講習会の受講者で応急の処置ができるものであること。」と定めている。

(三)  被告は、昭和五二年六月九日、千葉県に対し、要綱4に基づき、本件海水浴場を含む海水浴場を開設する旨及び所定の届出事項を提出したが、本件海水浴場についての届出た内容は、「名称上総湊海水浴場、開設場所上総湊海岸、面積二万平方メートル、遊泳区域内の汀線の延長二五〇メートル、監視人配置予定数四人、救護監視所木造よしず張り六三、二五平方メートル救命ボートプラスチック船一隻、放送器具スピーカーアンプ一式、救護薬品一式、救命胴衣二着、救命浮輪一ヶ、標示ブイ三六ヶ、双眼鏡一基」などである。

(四)  また、千葉県は、県下の各市町村が海水浴場の安全措置を講じるについて補助金を交付しており、監視人の人件費に対する補助につき海水浴場管理運営補助要綱を、安全施設に対する補助につき海水浴場等安全施設補助要綱を定めている。被告は千葉県に対し、右要綱に基づき、補助金の申請をし、その給付を受けている(被告が昭和五二年度に補助金の給付を受けた点は当事者間に争いはない。)。

更に、千葉県は、各市町村に呼びかけ、海水浴場の監視人となる者を対象に、水難救助の講習会を開催したが、上総湊海水浴場の監視人となる者も二名がこれを受講した。

2  本件事故当時における本件海水浴場の安全管理体制

本件海水浴場においては、別紙添付図面表示のとおり、汀線二五〇メートルにわたる沖合八〇メートルの海域を遊泳区域とし、その周囲に「コ」の字型にブイを連続して浮かせて他海域との限界を画していた。そして、同図面上監視所と表示された場所に、本件海水浴場全体の管理をするための上総湊観光協会(以下観光協会という。)の事務所一棟と、その付近に前記遊泳区域全体を十分見通すことができ、拡声器を備えた監視塔一棟が設置されていた。また、水難事故の発生に備えて観光協会所有の救命ボート一隻が⑥のあたりに置かれていた(ただし、これに使用する船外機は、前記監視塔から約六〇メートル離れた金子巳三二経営の食堂内に保管されていた)。しかし、人工そ生器は備え付けられていなかった。

そして、本件海水浴場の利用者に対する安全管理については、観光協会に加盟する海の家の経営者などが交代して監視人を勤めるほか、同協会会長笹生が適宜監視の任に当たり、また、富津警察署外勤課の警察官が観光協会と協力して水難防止の監視のため派遣されており、本件事故当日には、右事務所に笹生と人命救助について訓練を受けた警察官村野聰が監視の任に着いていた。しかし、本件事故当時、前記監視塔に上って海面を監視していた者はいなかった。

なお、本件海水浴場の遊泳区域の潮流及び波浪は、本件事故当時、遊泳上特に注意すべき状態にはなかった。

3  本件事故の発生

(一)  昭和五二年八月五日、本件海水浴場の利用者は約一五〇〇人にのぼっていたが、原告らは、長女亡美津江(当時八才)を含む家族八人で本件海水浴場に行き、昼食前、①で遊泳した後、②で食事をした。食後、原告らは再び①で遊んでいたが、しばらくして亡美津江がいないことに気付いた。

(二)  原告豊は、②においておいた本件ゴムボートが無くなっていることから、亡美津江がこれで遊んでいるものと考え、海岸を捜し回り、④に至ったとき、遊泳区域の③を本件ゴムボートに乗ったまま漂流している亡美津江を発見した。そこで原告豊は、泳いで本件ゴムボートを追いかけ、⑤まで進んだが、海流に流されていく本件ゴムボートに追いつくことができず、やむなく海岸に引き返し、前記観光協会の事務所で監視の任に着いていた笹生及び警察官村野に対し亡美津江の救助を求めた。

(三)  笹生は、その時クラゲに刺された者の治療にあたっていたが、右救助を求められて直ちに、前記のとおり船外機を保管していた食堂の経営者金子巳三二、その子金子雄二、その友人中山千秋の協力を得て、⑥に用意してあった救命ボートに船外機をとりつけ、これに原告豊、村野、金子親子、中山の五人が乗り込み、⑥から同図赤線記載の進路をとって⑦付近に至ったところ、⑦に本件ゴムボートが、⑧(⑦付近のコウケンブロックの先端から約一五メートルはなれた点)に亡美津江がそれぞれ浮んでいたので、金子雄二及び中山が海中に飛びこんで同女を救命ボートに収容した。救命ボートの発進準備をしてから亡美津江を収容するまで約七分程度経過した。

(四)  村野は、亡美津江が救命ボートに収容された後、同女に対しニールセン式人工呼吸をほどこし続けた。しかし、亡美津江は、生気を取り戻すことがなく、上陸後間もなく救急車で千葉県富津市佐貫一―一坂原医院に運ばれたが、そのときにはすでに死亡と診断された(この点は当事者間に争いがない。)。

二  被告の営造物責任ないし工作物責任について

1  国家賠償法二条一項にいう公の営造物とは、行政主体により直接公の目的に供される有体物をいうと解されるところ、前記認定のとおり、本件海水浴場は、二万平方メートルの海域(汀線の延長二五〇メートル、巾八〇メートル)とそれに接する海浜を中心的要素として構成される海水浴場であり、普通地方公共団体である被告が遊泳区域を画し、人的・物的施設を配置して、海水浴場として開設し、利用者に供したものであるから、被告が設置・管理する公の営造物ということができる。

2  そこで、本件事故が本件海水浴場の設置・管理の瑕疵によるものか否かを検討する。

(一)  国家賠償法二条一項にいう「営造物の設置または管理の瑕疵」とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうものと解される。そこで、普通地方公共団体が開設する海水浴場が通常有すべき安全性について考えてみる。

およそ海水浴は、海水浴場の利用者側に内在する要素(例えば、水泳未熟ないし不能であること)と外在する要素(例えば、海流、水深など)が原因となり、常に水死という危険を伴うものであるが、そもそも海や海岸は、何人も他人の共同使用を妨げない範囲で、自由に使用できる自然公物であり、海水浴もこの公物の自由使用として普通地方公共団体による海水浴場の開設をまつまでもなく、自由にできる行為であるから、これに伴う危険を回避する責任も、本来、海水浴をする者自身(保護者を含む)にあるといわなければならない。もっとも、普通地方公共団体が特定の海域と海浜に海水浴場を開設した場合は、これを利用する者に海水浴場の安全性に対する信頼と開設者の事故救助措置に対する期待が生じることは否定できないから、普通地方公共団体が海水浴場を開設した以上、右の信頼と期待にこたえるため、海水浴の安全のためのある程度の人的・物的施設を備えることが設置・管理者としての責任上必要であると考えられる。

以上のような観点から考えると、市町村が開設する海水浴場が通常備えるべき安全性を備えているというためには、水難事故の予防の点において、海水浴場利用者の能力によっては防除しきれない外的危険に対処する安全措置が講じられており、水難事故発生後の救助の点において、水難事故発生の報告があった場合すみやかに救助のため出動できる体制が確保されていることが必要であり、これをもって足りるというべきである。

海水浴場利用者の能力により防除しきれない外的危険としては、水深の急激な変化、急な潮流等の遊泳区域それ自体の構造上の危険や、モーターボートなどの危険物の遊泳区域内への侵入などが考えられる。

従って、第一に、このような外的危険から海水浴場利用者の安全を予め確保するための安全措置としては、①水深、潮流などの環境的要素からみて遊泳に適する区域を遊泳区域として指定し、その範囲が誰にも認識できるよう標示(旗・ブイなど)を設置すること、また、特に遊泳が危険な区域にはそのことを示す標示をすること、②潮流や天候の影響で遊泳が危険になったときには、その旨を利用者に報らせることのできる人的・物的設備を備えていること、③外的危険物の侵入を防ぐため監視体制を備え、発見次第侵入者に注意したり、これを排除したり、利用者に避難を警告できる人的・物的設備を備えていることが必要である。第二に事故発生後の救助体制としては、水難事故発生の報告を受けることのできる事務所を設置し、救命ボー卜、人工そ生器、浮輪などの救助用具があり、かつ、救助用員を備えていることが必要である。

しかし、海水浴場は、不特定多数の者に何らの制限なく無償で利用に供されている場所であること、海水浴に伴う危険を回避する責任は本来海水浴をする者自身にあるという前述の点からすると、普通地方公共団体が開設する海水浴場において、常時海面や海浜を監視して水難事故に遭遇している者やその危険にある者を発見し、事故の発生を未然に防止するための監視体制を備えておくことは、望ましいことであるとはいえても、公の営造物の設置、管理責任として必要であるとまでは解することができない。

(二)  そこで、以上の見地から本件事故当時における本件海水浴場の安全管理体制に瑕疵があったか否か、本件事故が右瑕疵に基づくものかどうかについて検討する。

(1) まず、原告らは、本件海水浴場には要綱及び実施要領に定められたとおりの安全措置が講じられていなかったと主張する。

しかし、普通地方公共団体の行う海水浴場の安全管理は、その地方自治体の固有事務に属する本来の公共事務であって、その地方公共団体の責任と負担とにおいて処理すべきことであり、千葉県の定めた要綱・実施要領は、被告ら市町村に対する行政指導にすぎず、公の営造物としての本件海水浴場の瑕疵の問題を考えるにあたって、右行政指導の内容をそのまま本件海水浴場が本来備えるべき安全措置の内容とすることはできないと解せられ、本件海水浴場が本来備えるべき安全措置の内容は、前述の観点から具体的に考察すべきである。

したがって、本件海水浴場に要綱・実施要領に定められた内容どおりの安全措置が備わっていなかったとしても、そのこと自体で直ちに本件海水浴場の設置、管理に瑕疵があるものということはできない。

(2) そこで、本件事故当時の本件海水浴場の安全措置を具体的に検討するに、原告らは、本件海水浴場には能力を備えた監視人、監視に適当な高さの監視塔、望遠鏡、拡声器が必要数配置されていなかった点に瑕疵があると主張し、右は、本件海水浴場において水難の危険にある者を発見するための監視体制が不備であることを主張する趣旨と解される。

たしかに、本件事故当時本件海水浴場に監視人として任に着いていた者は、笹生と村野の二名のみであり、また、監視塔に上って海面・海浜を注視していた者はいなかったことは、前記認定のとおりであり、これは、《証拠省略》に照らしても、汀線二五〇メートルに及ぶ本件海水浴場において水難の危険にある者を発見するための監視体制として不充分であるといわなければならない。しかし、前述のように、右のような監視体制がとられていなかったとしても、普通地方公共団体が開設する海水浴場として通常備えるべき安全性に欠けているものということができないといわなければならない。

そして、前記認定のとおり、本件海水浴場においては遊泳区域がブイによって誰にも認識できるように区画されており、本件事故当日の潮流・波浪も遊泳上特に注意すべき状態になかったのであるから、亡美津江の乗った本件ゴムボートが遊泳区域から遊泳区域外に漂流していったのを早期に発見することができなかった責任は、前記認定事実に徴し、亡美津江の行動を充分監視していなかった原告ら両親にあり、これを本件海水浴場の設置・管理の瑕疵に求めることはできないといわなければならない。

(3) 次に、原告らは、本件海水浴場には救命ボート、人工そ生器などの救助用具が設備されておらず救助用員も確保されていなかった旨主張し、右の主張は、水難事故発生後の救助体制の不備を主張する趣旨と解される。

本件海水浴場には、前記認定のとおり、救助ボートを海浜に用意し、これに取り付ける船外機も近くの食堂に保管しており、かつ、本件事故当時笹生と人命救助について訓練を受けた村野のほか、観光協会員である右食堂の経営者金子巳三二やその家族等が適宜出動できる体制にあったのであり、人工そ生器の備え付けがなかった点を除いて、本件海水浴場の水難事故発生後の救助体制に欠けるところがあったものということができない。そして、前記認定の本件事故発生後亡美津江が死亡に至る経緯に照せば、本件海水浴場に人工そ生器の備えがあったとしても、同女の死亡という結果を回避することができたとはいうことができない。したがって、本件海水浴場の救助体制において、本件事故発生と因果関係の認められる瑕疵があったものということができない。

3  以上のとおりであるから、原告らの国家賠償法二条一項の営造物責任に基づく請求は理由がない。

また、本件海水浴場は前記のとおり公の営造物というべきであるから、原告らの民法七一七条の工作物責任に基づく請求は、その点においてすでに理由がない。

三  使用者責任について

1  原告らは、被告の被用者である笹生が本件海水浴場の監視人でありながら遊泳者に対する監視義務を怠り、亡美津江が遊泳区域外に漂流されているのを発見することができず、その結果本件事故を発生させたものであると主張する。

しかし、前記二2(一)において判示したとおり、海水浴に伴う危険を回避する責任は、まず海水浴をする者自身やその保護者にあることを考えると、海水浴場の利用者に対する関係において、その監視の任にあたっている者が負うべき不法行為上の義務としては、前述の外的危険を防止する義務と水難者の救助義務に尽き、常に遊泳者を監視して水難の危険にさらされている者を発見すべき義務までも含むものとは解することができない。

のみならず、本件事故当時本件海水浴場利用者数が約一五〇〇人にのぼっていたが、監視の任に着いていたのは村野と笹生の二名だけであり、笹生は当時負傷した海水浴場利用者を治療していたこと等前記認定事実に徴すると、亡美津江が遊泳区域内から遊泳区域外に漂流していることを発見しなかったゆえをもって、笹生に監視義務違反の過失があったということはできない。

2  次に、原告らは、笹生が原告豊から亡美津江の救助を求められた後救命ボートの発進までに手間どり、亡美津江を死亡させたものであると主張する。

原告豊が笹生及び村野に対し、亡美津江の救助を求めたのち、すみやかに金子親子、中山、村野らにおいて救命ボートが発進させたことは前記認定のとおりであり、右認定事実によれば、笹生に原告主張のような過失があったことを認めることはできない。

3  以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの民法七一五条の使用者責任に基づく請求は理由がない。

四  不法行為責任について

原告らは、被告は本件海水浴場の利用者の安全保持のため必要な人的・物的設備を完備させる義務を怠った過失により本件事故を発生させたのであるから、被告には民法七〇九条による不法行為責任があると主張するが、右主張にかかる過失は、本件海水浴場の設置、管理の瑕疵と内容を同じくするものであり、前述のとおり、本件海水浴場に本件事故と因果関係を有する設置、管理上の瑕疵が認められない以上、被告に不法行為上の責任があるということもできない。したがって、原告らの不法行為責任に基づく請求は、理由がない。

五  結論

よって、本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 黒田直行 裁判官 桜井登美雄 裁判官 長秀之)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例