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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)12102号 判決 1987年8月31日

原告 今村忠

右訴訟代理人弁護士 太田真人

被告 国

右代表者法務大臣 遠藤要

右指定代理人 星野雄一

<ほか四名>

被告 星川吉光

<ほか一名>

被告三名訴訟代理人弁護士 土谷明

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和四九年一二月一六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文と同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、昭和一九年二月二五日生まれの男子である。

(二) 被告国は、東京大学医学部付属病院(以下「東大病院」という。)を設置し運営しているものであり、被告星川吉光(以下「被告星川」という。)及び同古澤清吉(以下「被告古澤」という。)は、いずれも昭和四九年一〇月ないし一二月当時、東大病院整形外科に医師として勤務していたものである。

2  診療経過及び麻痺の発生

(一) 東大病院入院に至る経緯

原告は、昭和三八年五月頃東京厚生年金病院において第四、第五腰椎間の椎間板ヘルニアの摘出手術を受けた後さしたる症状もなく生活していたが、昭和四九年四月頃から腰部に痛みを覚えるようになり、同年七月三〇日東大病院物療内科を訪れ、以後通院していたところ、九月一八日頃、腰痛が激化し、また、右下肢にしびれを感じるようになったため、一〇月一五日、東大病院物療内科に入院した。

(二) 東大病院物療内科入院後の診療及び同病院整形外科に転科に至る経緯

原告は、物療内科入院後、同科において検査、治療を受けていたが、一〇月二二日、整形外科の外来診療を受け、同月三一日には同科においてミエログラフィ(脊髄造影検査)を実施された(以下「第一回ミエログラフィ」という。)。右ミエログラフィの結果、原告は、第三、第四腰椎間に中心性の腰椎椎間板ヘルニアが存在すると診断されるとともに、第四、第五腰椎間にも腰椎椎間板ヘルニア(以下「椎間板ヘルニア」又は単に「ヘルニア」という。)が存在する疑いがあるとされて、一一月一八日、整形外科に転科し入院した。

(三) 手術の施行及び麻痺の発現

(1) 第一回手術

右整形外科において、一一月二五日、第三、第四腰椎間の椎間板ヘルニアの治療のために、原告に対して椎弓切除術による手術が施行された。右手術の術者(執刀者)は、被告古澤及び同星川であった。仮に、右被告両名が術者であるとの主張が認められないとすれば、その術者は望月直哉医師(以下「望月医師」という。)、第一助手被告古澤、第二助手被告星川、第三助手佐野茂夫医師(以下「佐野医師」という。)であると主張する。

手術は午前九時すぎ執刀開始され、被告星川(又は望月医師)が第四腰椎の椎弓及び第三腰椎の椎弓の一部を削除した後、被告古澤が第三、第四腰椎間のヘルニア摘出を行った。さらに被告星川(又は望月医師)の執刀で第五腰椎の椎弓の一部も切除し、第四、第五腰椎間のヘルニアの状況を見ようとしたが、これを容易に見いだすことができないまま、それ以上の展開をすることなく午後五時すぎ、手術を終了した(以下これを「第一回手術」という。)。

(2) 麻痺の発現

右手術の翌日一一月二六日の朝には、腰部から両下肢を含む原告の下半身全体が完全に麻痺していることが判明した。

(3) 第二回手術

そこで、右一一月二六日、再度手術が施行された。右手術の術者(執刀者)は、被告古澤及び同星川であった。仮に、右術者についての主張が認められないとすれば、その術者は被告古澤、第一助手望月医師、第二助手被告星川であると主張する。

右手術において被告古澤らは、第一回手術の創を開け、硬膜上から電気刺激を加えて神経の反応を検査したが、麻痺の原因を解明できず、ドレーンの先が硬膜を圧迫していたのではないかと推定して手術を終了した(以下これを「第二回手術」という。)。

(4) 第二回手術後の経過

しかし、第二回手術後も原告の下半身の激痛及び麻痺状態は改善されなかった上、排尿、排便の困難が生ずるようになった。そこで、一二月一二日、被告古澤及び同星川は、原告に対し再度ミエログラフィを施行した(以下「第二回ミエログラフィ」という。)結果、第四、第五腰椎間に障害物が存在しているとの診断をなした。

(5) 第三回手術

そこで、一二月一六日、第四、第五腰椎間の障害物の除去のため、術者津山直一教授(以下「津山医師」という。)、第一助手被告古澤、第二助手望月医師、第三助手被告星川で、三度めの手術が行われた。右手術においては、第五椎弓が除去され、第四、第五腰椎間の中心性ヘルニアが摘出された(以下これを「第三回手術」という。)。

(6) 第三回手術後の経過

第三回手術後、原告の下半身の激痛を若干軽減したものの、両下肢の麻痺状態は依然持続した。原告は東大病院において一二月二五日頃から手足の運動、歩行、排尿の各訓練等を施されたが、翌昭和五〇年二月二三日、同病院を退院し、以後同五月二六日から一〇月一三日まで東京厚生年金病院整形外科に入院、その後同病院に通院してリハビリテーションを行なった。

(四) 原告の現在の状態

原告は現在、両下肢弛緩性麻痺の状態にあり、腱反射消失、両足関節背屈不能、腓腹筋萎縮著明、両側膝下より足まで知覚鈍麻等の症状があって、身体障害者福祉法、同法施行規則等に基づく身体障害者(二級)の認定を受けている。原告は、固定靴と杖なしでは歩行ができず、正座はできず、椅子での座位も一時間程度しか継続できず、排尿、排便が困難であるなど日常生活全般にわたり著しい苦痛と支障を余儀なくされており、将来にわたりその回復の可能性はない。

3  被告らの責任

(一) 債務不履行責任(被告国について)

(1) 診療契約の締結

昭和四九年一〇月一五日、原告が腰痛を主訴として被告国の開設する東大病院に入院した際、原告と被告国との間で、右病状の原因を的確に診断し、その症状等に応じた適切な治療を行うことを内容とする準委任契約(以下「本件診療契約」という。)が締結された。

(2) 診療契約の債務不履行

被告星川、同古澤及び望月医師は、本件診療契約に基づく被告国の債務の履行補助者として原告の診療、手術を行ったものであるところ、被告医師らは後記4のような医療上の過誤によって原告に損害を与えたものであるから、被告国は債務不履行責任に基づく損害賠償責任を負う。

(二) 不法行為責任(被告国、同星川及び同古澤について)

被告星川、同古澤及び望月医師は、職務として原告の診療、手術を行うに際し、後記4のように、医師としての注意義務を怠った医療上の過誤により原告に損害を与えたものであるから、被告星川及び同古澤らは民法七〇九条、七一九条に基づく、同被告ら及び望月医師の使用者である被告国は同法七一五条一項に基づく各損害賠償責任を負う。

4  被告星川、同古澤及び望月医師の過誤

(一) 第四、第五腰椎間のヘルニアの存在を確知しなかった誤り(被告古澤)

(1) 被告古澤は、医師として、第一回手術に先立つ診察の結果及び第一回ミエログラフィの結果から、第三、第四腰椎間の中心性ヘルニアのほかに第四、第五腰椎間の中心性ヘルニアの存在をも確知すべき注意義務があったのに、漫然右第四、第五腰椎間の中心性ヘルニアの存在を疑ったのみで、その存在を確知しなかった。

(2) 仮に、右ミエログラフィの映像のみでは、第四、第五腰椎間のヘルニアの存在を確定的に診断するに十分でなかったとすれば、そのような場合、医師としては、手術前により鮮明な映像を得るため再度ミエログラフィを施行するか、あるいは、上行性ミエログラフィ又はディスコグラフィ検査(椎間板造影)を施行すべきであったのに、被告古澤は、漫然これを怠り、第一回手術までに右ヘルニアの存在を確認しなかった。

(3) 被告古澤は、手術に関与する医師として、第一回手術の際には第四、第五腰椎間ヘルニアの存在を確認してこれを摘出すべきであったのにこれを怠り、右ヘルニアの存在を確認しなかった。

(4) 被告古澤は、手術に関与する医師として、遅くとも第二回手術の際には第四、第五腰椎間ヘルニアの存在を確認してこれを摘出すべきであったのにこれを怠り、右ヘルニアの存在を確認しなかった。

(5) 右(1)ないし(4)の過誤により、被告古澤は第四、第五腰椎間ヘルニアを残存させたまま第一回、第二回の各手術を終えたものであって、これが原因で、又は、これが後記(四)の手術操作上の誤りによる神経損傷とあいまって、第四、第五腰椎間ヘルニアの急激な悪化を招来し、原告をして下半身麻痺に至らしめたものである。

(二) 術者(執刀者)選定上の誤り(被告古澤)

(1) 被告古澤は、昭和三七年に医師免許を取得し、本件各手術当時東大病院整形外科の病棟医長の地位にあった。被告星川は、昭和四八年一〇月に医師免許を取得したばかりで、本件各手術当時は東大病院整形外科において臨床研修をしていたものであり、術者として腰部椎間板ヘルニアの手術をした経験はなかった。また、望月医師は、昭和四五年五月に医師免許を取得したものであり、術者として腰部椎間板ヘルニアの手術をした経験も四、五例にすぎず、かつ、椎弓切除術による中心性ヘルニアの手術の経験はなかったものである。

(2) 被告古澤は、第三、第四腰椎間ヘルニアは中心性ヘルニアであると診断し、かつ、これに対する手術として椎弓切除術を選択していたものであるが、中心性ヘルニアに対する椎弓切除術による手術は、それ自体稀な手術であるとともに困難な手術であることは明らかであった。しかも本件においては、被告古澤は、第四、第五腰椎間においても中心性ヘルニアの存在可能性ありと判断し、かつ、それが原告において過去にヘルニアの手術を受けたことのある箇所であることも知っていたのであるから、第一回手術がとりわけ困難な手術であることを認識しえたはずである。

(3) そうであるとすれば、病棟医長として手術の内容、方式や術者を決定する被告古澤は、第一回手術が難手術であることを十分認識して、右手術に関与する医師らのチームの中では最も経験を積み技術的にも熟達した医師である自己が自ら術者となるべきであったのにかかわらず、手術の困難性を十分認識せず、又は、認識しながらも安易に医師の研修の見地に立って、経験が浅く技術的にも未熟である被告星川(又は望月医師)を術者として選定した。

(三) 手術器具選定上の誤り(被告古澤)

(1) 第一回手術においては、手術開始後、骨を削り取る手術器具であるスタンツェを用いて椎弓板を切除する際、スタンツェが馬尾神経を覆う硬膜に触れただけで原告の下肢筋に攣縮がみられるという事態が発現したが、このことは馬尾神経の被刺激性が亢進し、神経が損傷しやすい危険な状態にあったことを示している。

(2) スタンツェは、その構造上刃が硬膜に触れることなくしては椎弓を切除することができないものである。したがって、手術の方法を決定し他の医師らを指導すべき立場にある医師としては、少なくとも前記下肢筋の攣縮状態の発現する事態にあっては、術者にスタンツェは使用させるべきではなく、より硬膜、馬尾神経及び神経根に触れずに操作できる手術器具、例えばエアドリルを使用させるべきであったのに、被告古澤はこれを怠り、術者被告星川(又は望月医師)に漫然スタンツェを使用させた。

(四) 手術操作上の誤り(被告古澤及び同星川又は望月医師)

(1) 前記下肢筋の攣縮の発現した状況においては、中心性ヘルニアの摘出手術に関与する医師らにおいては、仮にスタンツェを使用するにしても、椎弓板を切除するに際し神経の損傷を防止すべく可及的に愛護的に行うべきは当然であり、また、その後も硬膜管を一方の側に圧排する操作、骨性隆起を切除する操作その他手術の全過程の操作を最大限愛護的に行うべきであるところ、被告星川(又は望月医師)及び同古澤は、右いずれかの過程でスタンツェ、神経エレバトリウム、のみ等を不用意、不適切に操作して神経を侵襲した。すなわち、被告星川(又は望月医師)は、下肢筋の攣縮状態においてスタンツェによる椎弓の除去の操作を約一時間半から二時間もの長時間にわたり、かつ、その間、馬尾神経を切断したか、あるいは、少なくとも馬尾神経に損傷を与えながら行ったものであり、被告古澤は、のみによる第三、第四腰椎間の骨性隆起の除去をわずか一分足らずで行うなどの乱暴な操作により馬尾神経を切断し又は少なくともこれに損傷を与えたものである。

(2) 原告の下半身麻痺の発生は、直接的には右(1)の第一回手術の操作上の過失により惹起されたものであることは明らかである。

(五) 術者交替の必要性の判断の過誤(被告古澤及び同星川又は望月医師)

そもそも、このように神経に対する愛護的操作が高度に要請される場合、手術の熟練度は手術結果に大きな影響を及ぼすのであるから、手術に関与する医師としては、下肢筋の攣縮状態の発現をみた時点で、最も熟練した医師を術者となすよう術者変更の判断をなすべきところ、被告古澤は、右判断を誤り、漫然被告星川(または望月医師)をして右椎弓除去操作を約一時間半から二時間もの長時間にわたり続行させ、また、被告星川(または望月医師)も、自ら被告古澤に交替すべきであったのにこれを怠り、漫然椎弓除去操作を続行した。

(六) ドレーン設置上の誤り(被告古澤)

第一回及び第二回手術を終了して創を閉じる際、排液(ドレナージ)のためにドレーンが設置されたが、この際、手術に関与する医師としては、ドレーンの先端が神経根や神経枝に接触すると神経を損傷する危険があるから、これを防ぐよう注意すべき義務があったのに、被告古澤はこれを怠り、漫然ドレーンが神経根ないし神経枝に接触しこれを圧迫している状態でこれを設置した。

(七) 麻痺発生原因を看過した誤り(被告古澤)

被告古澤は、手術に関与した医師として、第一回手術後、手術当日あるいは遅くとも翌日までには原告の麻痺発生の原因が手術による神経損傷にあることを診断して直ちにこれを治療すべきであったのに、これを看過し、ひいて第三回手術まで約三週間も漫然放置して、原告の下半身麻痺を非回復性のものとするに至らしめた。

(八) チーム医療構成員の過失を看過した誤り(被告星川及び望月医師)

(1) 医療チームにより診療、手術をなす場合においては、チームを構成する各医師は、互いに他の構成員の過誤を防止すべき義務がある。

(2) したがって、前記(一)ないし(七)の被告古澤の各過誤について、被告星川及び望月医師はこれを防止しえなかった過誤がある。

5  損害

(一) 逸失利益

(1) 治療関係費 金八〇万円

原告は、東大病院に昭和四九年一〇月一五日から翌五〇年二月二三日まで入院し、さらに厚生年金病院に同年五月二六日から一〇月一三日まで入院し、退院後も本訴提起までに一六〇日間の通院を余儀なくされたものであり、これに要した費用は入通院費用、付添費用、雑費等を含め、八〇万円を下廻らない。

(2) 休業損害等 金二五〇万円

ア 昭和五〇年一一月八日から昭和五一年五月七日までの減収分三一万二〇〇〇円

原告は、本件医療事故以前は東京出版株式会社(以下「東京出版」という。)に勤務し、月収一五万七〇〇〇円を得ていたが、長期にわたる入通院のために昭和五〇年一一月八日、病気休職を余儀なくされ、従前の月収の約六七パーセントの傷病手当金の支給を受けるのみとなり、昭和五一年五月七日までの六か月間に合計三一万二〇〇〇円の減収をみた。

イ 昭和五一年五月八日から同年六月三〇日までの減収分二七万八〇〇〇円

右傷病手当金は、昭和五一年五月七日分の支給をもって打ち切られ、以後原告は同年六月三〇日まで無収入となり、合計二七万八〇〇〇円の減収を余儀なくされた。

ウ 賞与喪失分 一四五万円

本件医療事故による休業のため、原告は、東京出版から、昭和五〇年六月期、同年一二月期及び翌五一年六月期の賞与の支給を得ることができなかった。右得べかりし賞与の合計額は、一四五万円を下廻らない。

エ 転職による減収分 四六万円

原告は、本件医療事故の後遺症による労働能力の低下のため、東京出版を退社し、図書信販株式会社への入社を余儀なくされ、右入社後の月収は、一三万円であって、東京出版における月収から一か月あたり二万七〇〇〇円の減収となった。本訴においては、右減収分のうち四六万円(約一七か月分)を請求する。

(二) 慰謝料 金一六七〇万円

原告は、本件医療事故により、長期の入通院を強いられたうえ、下半身麻痺の後遺症のため労働能力を大幅に喪失し、日常生活にも著しい支障を来している。また、その間、転職を余儀なくされ、生活不安から妻との婚姻生活にも破綻を来し離婚に至るなど、原告は、本件医療事故により甚大な肉体的、精神的苦痛を受けたものである。右苦痛を慰謝するには、少なくとも一六七〇万円をもって相当とする。

5  よって、原告は、被告らに対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、各自(一)及び(二)の合計金二〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和四九年一二月一六日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者等)の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実中、原告が昭和三八年頃第四、第五腰椎間の椎間板ヘルニアの摘出手術を受けたこと、昭和四九年七月三〇日東大病院に来診したこと、同年一〇月一五日同病院物療内科に入院したことは認め、その余は知らない。

(二) 同2(二)の事実は認める。

(三) 同2(三)(1)の事実中、昭和四九年一一月二五日、整形外科において、原告に対し椎弓切除術による手術が施行されたこと、術者望月医師、第一助手被告古澤、第二助手被告星川、第三助手佐野医師であったことは認め、その余は否認する。(2)の事実中、手術翌朝原告にみられた麻痺が下半身全体の完全麻痺であったことは否認し、その余は認める。(3)の事実中、昭和四九年一一月二六日、第二回手術が行われたこと、右手術においては第一回手術の創を開け、硬膜上から電気刺激を加えて神経の反応を検査したこと、右手術の術者は被告古澤、第一助手は望月医師、第二助手は被告星川であったことは認め、その余は否認する。(4)の事実中、原告の下半身の激痛及び麻痺状態が改善されなかったことは否認し、その余は認める。(5)の事実は認める。(6)の事実中、東京厚生年金病院整形外科における経過は知らず、その余は認める。

(四) 同2(四)の事実は知らない。

3(一)  同3(一)(1)の事実は認め、(2)は争う。

(二) 同3(二)は争う。

4(一)  同(一)の事実は否認する。

(二) 同(二)(1)の事実は認め、(2)の事実中、被告古澤が、第三、第四腰椎間のヘルニアが中心性ヘルニアであると診断し、これに対する手術方法として椎弓切除術を選択したこと、中心性ヘルニアに対する椎弓切除術による手術は比較的稀な手術であること、被告古澤が第四、第五腰椎間にヘルニアの存在する可能性もあると判断していたこと、かつ、それが原告において過去にヘルニア摘出手術をした箇所であることを知っていたことは認め、その余は否認する。(3)のうち、被告古澤が望月医師を術者として選定したことは認め、その余は否認する。

(三) 同(三)(1)の事実は認め、(2)の事実は否認する。

(四) 同(四)(1)の事実中、下肢筋の攣縮の発現した状況において中心性ヘルニアの摘出手術に関与する医師らは、椎弓を切除する操作、硬膜管を圧排する操作、骨性隆起を切除する操作その他手術の全過程の操作を神経の損傷を防止すべく可及的に愛護的に行うべき注意義務を負うものであることは認め、その余は否認する。(2)の事実は否認する。

(五) 同(五)の事実は否認する。

(六) 同(六)の事実中、第一回及び第二回手術終了の際ドレーンを設置したこと、ドレーンの設置に際しては、その先端が神経根や神経枝に接触すると神経を損傷する危険があるから、これを防ぐべき注意義務のあることは認め、その余は否認する。

(七) 同(七)の事実は否認する。

(八) 同(八)は争う。

5  同5の事実は知らない。

三  被告らの主張

被告古澤、同星川及び望月医師は、以下のとおり適正な処置を施したものであり、その診療に違法な点はない。

1  原告の発病及び治療経過

(一) 原告は、昭和四九年七月三〇日、腰痛を主訴に東大病院に来診し整形外科で初診を受け、以後物療内科に通院して保存的治療を受けていたが、九月になって症状が増悪したため、一〇月一五日、東大病院物療内科に入院した。

(二) 物療内科に入院中、原告は、同科において保存的治療、検査を受けながら整形外科外来に紹介され、一〇月二二日、専門外来である腰痛診において被告古澤がこれを診察した。右診察時の主訴は、腰痛、臀部痛、右下肢のしびれ及び間欠性跛行であり、被告古澤は、診察の結果、第三、第四腰椎間又は第四、第五腰椎間の中心性のヘルニアの疑いありと診断し、ミエログラフィで確認の上その結果によっては手術したほうがよいと判断した。そこで一〇月三一日、腰痛診の井上医師の担当でミエログラフィが行われ、一一月五日、被告古澤は、右ミエログラフィ読影により第三、第四腰椎間に中心性ヘルニアがあるものと診断した。同時に右ミエログラフィ像上第四、第五腰椎間にも造影の欠損がみられたが、右第四、第五腰椎間は原告がかつて椎間板ヘルニアの手術を受けた箇所であったため癒着の存在が予想され、必ずしも右造影の欠損がヘルニアの存在を示すことにはならなかったうえ、他の検査、診察所見は、第三、第四腰椎間ヘルニアの存在によっても説明ができたことなどから、結局、第四、第五腰椎間ヘルニアの存在については正確な診断は困難であった。

(三) 原告の症状は、悪化が進み、一一月五日の再診時には尾骨部痛、右下腿のしびれ、左臀部から大腿にかけての疼痛が増悪しており、同月一八日頃には排尿困難、肛門周囲の知覚鈍麻もみられたため、早急に椎間板ヘルニア摘出手術を受ける必要があることが考慮され、同月一八日、原告は整形外科に転科入院した。

昭和四九年七月三〇日以来の保存的療法の無効に加えて、整形外科入院時には排尿障害、強度の坐骨神経痛が発現していたこと等からみて、原告は当時、手術の絶対的適応の状態にあった。そこで被告医師らは、第三、第四腰椎間ヘルニアを椎弓切除術により摘出し、同時に第四、第五腰椎間の状態も術中に確認するとの方針を決定し、原告の担当医であった被告星川が原告にその旨説明し、原告はこれを了承した。

(四) 第一回手術

(1) 第一回手術は、第三、第四腰椎間ヘルニアの摘出及び第四、第五腰椎間を観察し必要に応じてこれに対し適切な処置を講ずることを目的として、一一月二五日午前九時二五分頃全身麻酔下で開始され、術者を望月医師、第一助手を被告古澤、第二助手を被告星川及び第三助手を佐野医師がそれぞれ担当した。

(2) 手術は、いわゆる椎弓切除術であって、まず、腰背部の中央に昭和三八年の手術部位をやや上下に延長して縦に皮膚を切開し、第三、第四腰椎間を除圧するために第四腰椎の棘突起を切除し、第四腰椎椎弓を下縁から切除すべくスタンツェの刃先を椎弓の下にわずかに入れたところ、刃先が硬膜にわずかに触れただけで原告の下肢筋の攣縮が起こった。右は原告の馬尾神経の被刺激性が高まり損傷しやすい状態にあることを示す現象であったので、馬尾神経を損傷しないよう十分慎重にスタンツェを操作して第四腰椎椎弓を切除し、第三腰椎椎弓の尾側(下側)及び第五腰椎椎弓の頭側(上側)を部分切除したが、その間下肢筋の攣縮は何度もおこり、椎弓切除はかなり困難であった。

(3) 第四腰椎及び第三腰椎椎弓尾側の切除後、硬膜管を片側に圧排すると、椎間板とほぼ同じ位置に骨性の隆起が現れたので、これをのみにより椎体から切り離し、ヘルニアを除去した。右骨性隆起を切除する操作は被告古澤が行った。

(4) 次に、第四、第五腰椎間ヘルニアの確認のため第五腰椎の椎弓切除も行う予定であったが、原告の馬尾神経の刺激性が亢進していたこと、手術開始後すでに三時間余を経過していたことなどから、これ以上の神経に対する侵襲はなすべきではないと判断し、第五腰椎椎弓の頭側の一部を切除するためにとどめ左右から慎重に観察したが、ヘルニアは発見されなかった。

(5) 最後に、手術後の排液(ドレナージ)のため、ドレーンを硬膜の上に、硬膜を圧迫しないように十分注意して設置し、創を閉じた。手術終了は午後一時一五分、原告が麻酔から覚醒し、病室に帰室したのは午後三時三〇分頃である。

(五) 右帰室後には原告の両側足関節、足趾に自動運動性のあることが確認されたが、原告は、同日午後一一時過ぎ頃から、右膝部の激痛及び尾骨部のしびれを訴え続け、翌一一月二六日朝、原告の両下肢が完全に麻痺しているのが発見された。

(六) 第二回手術

(1) そこで、右麻痺の原因として手術後に手術部位に血腫が生じて硬膜を圧迫している可能性、あるいはドレーンが硬膜を刺激している可能性等を考慮し、同月二六日、緊急に原因究明すべく第二回手術を行った。手術は午前一一時三〇分から全身麻酔下で行われ、術者は被告古澤、第一助手は望月医師、第二助手は被告星川であった。

(2) ドレーンを抜去した上で手術創を開くと、硬膜外に血腫はなく、また、硬膜はいずれの方向からも圧迫されておらず、かつ、損傷の形跡もみられなかった。硬膜の上から電気刺激を加えて麻痺の発生原因たる神経の位置及び程度を検査し、麻痺の原因はわからなかったが、完全麻痺が生じているのではないものと判断し、手術を終了した。

(七) 第二回手術後、右下肢膝下は運動麻痺が持続し、左下肢膝下のそれは一時相当程度回復したがその後徐々に増悪し、排尿障害も持続した。一一月二六日からステロイドホルモン、抗炎症剤の投与を開始し一二月四日まで継続して経過を観察したが麻痺は増悪し、両下肢の完全麻痺に近い状態となった。そこで一二月一二日、第二回目のミエログラフィを施行したところ、第一回手術により第三、第四腰椎間の造影剤通過障害はなくなっており、第四、第五腰椎間で造影剤が停止した。

(八) 第三回手術

そこで一二月一六日、第四、第五腰椎間ヘルニアの除去のため、第三回手術が行われた。術者は津山医師、第一助手被告古澤、助手望月医師及び被告星川であった。午後二時三五分頃から全身麻酔下で手術が開始され、第五腰椎椎弓の切除、第一仙椎椎弓の部分切除を行って第三腰椎下端から第一仙椎にわたり硬膜を露出し、硬膜の側方から第四、第五腰椎の椎間板部を観察すると後縦靱帯をかぶった大量のヘルニアが発見され、馬尾神経を右方に圧迫していたので、第三腰椎の位置から第五腰椎の位置にかけて硬膜を切開して、馬尾神経を右方に寄せ、膨隆した後縦靱帯を切開し、椎間板物質をヘルニア鉗子で除去した。

2  原告主張の債務不履行ないし過失についての個別的主張

(一) 手術前の第四、第五腰椎間ヘルニアの存在確認について

(1) 第一回ミエログラフィの所見

第一回ミエログラフィによれば、第四、第五腰椎間にも造影の欠損がみられたが、右部分については、その上部の第三、第四腰椎間のヘルニアの存在のために造影剤の量が少なくなっていたうえ、以前に椎間板ヘルニアの摘出手術が行われた箇所であって癒着の存在が予想されたため、ミエログラフィの信頼性が低く、右造影の欠損からヘルニアの存在を診断するわけにはいかなかった。また、第一回手術前の原告の臨床症状及び神経学的所見は、第三、第四腰椎間のヘルニアのみでも十分説明できたのであり、結局、右ミエログラフィの施行により第四、第五腰椎間のヘルニアの存在を診断することは不可能であった。

(2) 第一回手術前の第四、第五腰椎間ヘルニアの確認の要否

第四、第五腰椎間は癒着の存在が予想されたため、再度ミエログラフィ又は上行性ミエログラフィを実施しても診断が困難であることは変らないこと、造影剤の注入により麻痺の増悪等の発現することがある上、第一回ミエログラフィにより原告の受けた苦痛は強かったこと、原告の症状は早期手術を必要としており原告もこれを希望していたところ当時の東大病院においてはミエログラフィを実施するのに二週間程度待たされるのが実情であったことなどからすれば、被告古澤らには、再度ミエログラフィないし上行性ミエログラフィを行うべき義務はなかったものというべきである。また、ディスコグラフィは椎間板ヘルニアの検査としては当時も現在も一般的ではないうえ、信頼性に不十分な面もあること、ディスコグラフィのために必要な椎間板の穿刺により、椎間板変性が惹起されるおそれもあることなどからすれば、被告古澤らには、ディスコグラフィを行うべき義務もなかったものというべきである。

本件では原告の第三、第四腰椎間に大きな中心性ヘルニアの存在が確認され、これを除去することは原告の治療のために必須であったのであるから、まず第三、第四腰椎間ヘルニアの摘出手術を行い、その際に第四、第五腰椎間ヘルニアもあわせて確認するとした被告古澤らの判断は妥当である。

(二) 術者の選定について

一般に、手術をするにあたって、経験のある医師の指導と介助のもとで行われる限り、より経験の少ない医師が術者となることは何ら失当ではない。また、第一回手術の術者となった望月医師は、第一回手術当時、中心性ヘルニアの椎弓切除によるヘルニア摘出手術を行ったことはなかったが、馬尾神経腫瘍による脊柱管狭窄の椎弓切除術は経験しており、かつ、ラブ法による椎間板ヘルニア手術を五例程度経験していたのであり、また、同年代の他の医師と比して技術的に劣っていた事実は全くなかったのであり、術者となるについて何らの支障もなく、第一回手術の術者の選定に過誤はない。

(三) 手術器具の選定について

原告は、被告古澤が下肢筋の攣縮状態の下で椎弓切除のためにスタンツェを使用したことが誤りであったと主張するが、昭和四九年当時、椎弓切除の器具としてはスタンツェを用いるのが一般であったのであり、右器具の選定には過失はない。

(四) 手術操作について

第一回手術の経過は、前記1のとおりであって、手術は神経に刺激を与えぬよう、十分配慮のうえ慎重になされたものであり、勿論手術中にスタンツェ、神経エレバトリウム、のみ等の操作の誤りはなかった。下肢筋の攣縮の発現自体はヘルニアの手術を中止すべき症状とはいえないし、また、原告の症状の改善のためには椎弓切除を完遂し、神経根及び馬尾神経を除圧することは必須であったことからすれば、下肢筋の攣縮発現後も椎弓切除を続行したことは妥当である。第一回手術は、神経に対し、最大限愛護的に行われたため、手術時間は三時間五〇分と長時間を要したのは当然である。ただし、骨性隆起切除の作業はとりわけ硬膜内の馬尾神経に機械的な刺激を与えることなしに施行することが不可能であるので、被告古澤は可及的にすみやかにこれを行ったものである。

(五) 術者交替の必要性について

椎弓除去の操作自体は比較的単純で、経験がなくては適切に行えないという性質のものではないし、望月医師が術者として適格であったことは前記(二)のとおりである。したがって、下肢筋の攣縮状態のもとで、より経験豊富なないしは上級の医師に術者を交替すべき義務はない。しかも、右手術においては、最も困難で経験と技術を要する過程である骨性隆起除去の部分については被告古澤が自ら術者として施行しているのであり、術者の交替に関しては妥当な措置が尽くされている。

(六) 第一回、第二回手術の際の第四、第五腰椎間ヘルニアの存在の確認について

(1) 第一回手術の際、被告古澤らは、第三第四腰椎間のヘルニアの摘出の後第四、第五腰椎間の確認の作業に進んだが、この際第五腰椎椎弓の頭側の一部を切除するにとどめたのは、第三、第四腰椎間ヘルニアの除去を終えた時点ですでに三時間余も経過しており、馬尾神経の被刺激性の亢進状態のもとでこれ以上神経に対する侵襲を加えることは神経麻痺を来すおそれがあると判断したためであって、右判断は妥当である。右椎弓の一部切除後、被告古澤らは、第四、第五腰椎間を左右から十分観察した。

(2) また、被告古澤らは第二回手術の際にも第四、第五腰椎椎弓を除去してヘルニアの確認をしなかったが、右時点において、被告古澤らは、原告の両下肢に発現した麻痺の原因が第四、第五腰椎間ヘルニアによるものとは考えていなかった。すなわち、原告の麻痺はその発現範囲が広く、第四、第五腰椎間の中心性ヘルニアのみで説明できるものではなかったのである。かかる手術後の麻痺の原因として最も考えられるのは、手術箇所に血腫が生じ硬膜管を圧迫したかあるいは、ドレーンが硬膜管を圧迫した事態であり、被告古澤らは、これらの原因に対処する緊急手術として第二回手術を行ったものである。かえって、第一回手術による侵襲の翌日に、椎弓切除のような神経根や馬尾神経に刺激を与える可能性のある手術操作を施行することは危険である。

3 本件麻痺の原因

(一) 前記1のごとく、原告の麻痺は、第一回手術の数時間後には未だ下肢の自動運動が可能であったのに翌朝には両下肢の完全麻痺となり、左足については第二回手術後、一時相当程度の回復をみたが、その後第三回手術までには再び両下肢の完全麻痺に至る経過をたどったものである。

右経過からすれば、

(1) 第一回手術において、馬尾神経の切断ないし圧挫に類する損傷が加わったことはありえない。けだし、神経切断のような場合は、損傷の瞬間から完全麻痺が生じ、その後回復することはないからである。

(2) 第一回手術前すでに第四、第五腰椎間の中心性ヘルニアが存在し、これを第一回手術の際見落としたために第一回手術後の麻痺が生じたということも考えられない。けだし、そもそも、第一回手術の際も、第四腰椎椎弓及び第五腰椎椎弓の頭側を切除して第四、第五腰椎間を十分観察したが第四、第五腰椎間にヘルニアは発見できなかったのであり、右ヘルニアが存在しなかった可能性も大きい。また、仮に、第一回手術前から右ヘルニアが存在したとしても、第一回手術により第四、第五腰椎間ヘルニアによる馬尾神経の圧迫の減少効果が期待できこそすれ、第一回手術によりもともとあったヘルニアが増悪して完全麻痺に至ることは考えにくいし、第二回手術により一時麻痺が回復しその後再び増悪した経過を合理的に説明できない。

(二) 右経過を合理的に説明するならば、

(1) 第一回手術後に、第四、第五腰椎間の中心性ヘルニアが新たに出現し、麻痺に至った。

(2) 馬尾神経が興奮性が高いなどの特殊な状態にあったため、通常の手術操作による刺激によって、右経過をたどり麻痺に至った。

(3) 馬尾神経の障害ではなく、より高位にある脊髄に何らかの原因で血行障害などの異常が起きて脊髄内の灰白質障害が惹起され、麻痺の原因となった。

といった可能性がある。

(三) そして、手術後一一年半経過した昭和六〇年五月二九日の黒川高秀医師(以下「黒川医師」という。)の診断によれば、原告には両下肢に左右対称性の麻痺がみられ、また、痛覚と触覚の解離がみられたというのであるが、右症状も合わせて考えれば、(二)(3)の可能性が大きいというべきである。脊髄の灰白質障害の原因は、脊髄内の血行障害による梗塞、脊髄の出血などが考えられるが、本件におけるその原因及び発生時期は不明である。そして、右脊髄の障害は、ミエログラフィでは発見しがたく、昭和四九年、五〇年当時まだ開発されていなかったCTやNMR(またはMRI)によらなければ検査することができなかったのであるから、被告古澤らにおいてこれを確認することはできなかったものである。

四 被告らの主張に対する原告の認否

1(一) 被告らの主張1(一)の事実は認める。

(二) 同1(二)の事実中、物療内科においては保存的治療を施療されたこと、一〇月二二日、整形外科で診察をうけたこと、右診察において第三、第四腰椎間及び第四、第五腰椎間の中心性ヘルニアの疑いがあると診断されたこと、同月三一日第一回ミエログラフィが施行されたこと、右ミエログラフィにより第三、第四腰椎間に中心性ヘルニアがあるものと診断されたこと及び第四、第五腰椎間にも造影の欠損がみられたことは認め、その余は否認する。

(三) 同1(三)の事実中、一一月一八日整形外科に転科入院したことは認め、その余は知らない。

(四) 同1(四)(1)の事実中、昭和四九年一一月二五日午前九時すぎに手術が開始されたこと、第三、第四腰椎間ヘルニアの摘出が手術の目的であったことは認め、その余は否認する。同(2)の事実中、慎重にスタンツェを操作したことは否認し、その余は認める。同(3)の事実は認める。同(4)の事実中、第四、第五腰椎間ヘルニアを確認するため第五腰椎椎弓の頭側の一部を切除したことは認め、その余は否認する。同(5)の事実中、ドレーンを設置したことは認め、硬膜を圧迫しないよう注意したことは否認し、その余は知らない。

(五) 同1(五)の事実中、手術翌日の一一月二六日朝原告の両下肢が麻痺していたことは認め、その余は知らない。

(六) 同1(六)(1)の事実中、一一月二六日第二回手術がなされたことは認め、その余は否認する。同(2)の事実中、手術中硬膜の上から電気刺激を加えたことは認め、その余は否認する。

(七) 同1(七)の事実中、一二月一二日第二回ミエログラフィが施行されたこと及び第四、第五腰椎間で造影剤が停止したことは認め、その余は否認する。

(八) 同1(八)の事実中、一二月一六日第三回手術が行われたこと、術者は津山医師、第一助手は被告古澤、助手望月医師及び被告星川であったこと、第四、第五腰椎間ヘルニアが除去されたことは認め、その余は知らない。

2 同2の事実は否認し、主張は争う。

3 同3の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者

請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二  診療経過及び麻痺の発生

1  請求原因2(診療経過及び麻痺の発生)について、まず、当事者間に争いがない事実は以下のとおりである。

原告は、昭和三八年頃第四、第五腰椎間椎間板ヘルニア摘出手術の既往をもつ者であるが、昭和四九年七月三〇日腰痛を主訴として東大病院整形外科にて初診を受け、以後物療内科の医師により通院による保存的療法を受けていたところ、同年九月頃症状が悪化したため、一〇月一五日物療内科に入院したこと、物療内科においては保存的療法を施療されたが、同月二二日整形外科の外来診療を受け、同月三一日には同科においてミエログラフィ検査を実施されたこと、右ミエログラフィの結果第三、第四腰椎間に中心性の椎間板ヘルニアが存在すると診断されるとともに第四、第五腰椎間にも椎間板ヘルニアが存在する疑いがあるとされ、一一月一八日整形外科に転科し入院したこと、同月二五日椎弓切除術により第一回手術が行われたこと、右手術において腰背部中央の昭和三八年手術の部位をやや上下に延長して縦に皮膚を切開し、第四腰椎の棘突起を切除し、次に第四腰椎椎弓を下縁から切除すべくスタンツェを椎弓の下にわずかに入れたところ、刃先が硬膜にわずかに触れただけでも下肢筋の攣縮が起こったが、右は馬尾神経の被刺激性が高まった状態にあることを示す現象であったこと、術者はスタンツェで第四腰椎椎弓切除及び第三腰椎椎弓の一部切除を行ったが、その間下肢筋の攣縮は何度もおこったこと、第四腰椎及び第三腰椎椎弓尾側の切除後、硬膜管を片側に圧排すると骨性隆起が現れたので、これをのみ等により椎体から切り離して切除したこと、右骨性隆起の切除に関しては被告古澤が自ら術者となったこと、ついで第四、第五腰椎間ヘルニアを確認するため、第五腰椎椎弓の頭側の一部を切除したこと、最後に手術箇所にドレーンを設置して創を閉じたこと、手術翌朝、原告の両下肢が麻痺していたこと、そこで一一月二六日第二回手術が行われ、右手術において硬膜の上から電気刺激を加えて神経の反応を検査したこと、第二回手術によっても結局麻痺の状態は改善されなかったため、一二月一二日に第二回目のミエログラフィを施行したところ、第四、第五腰椎間で造影剤が停止したこと、そこで同月一六日、第三回手術が行われ、第四、第五腰椎間へルニアが除去されたこと、右第三回手術の術者は津山医師、第一助手は被告古澤、助手は望月医師及び被告星川であったこと。

2  右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、以下の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告は、昭和三八年腰痛を覚え、同年五月頃、東京厚生年金病院において第四、第五腰椎間板ヘルニアの摘出手術を受け、以後はさしたる症状もなく生活していたが、昭和四九年四月頃腰痛が再発したため、同年七月三〇日、東大病院に来診し整形外科において診察を受け、以後物療内科にて保存的療法を受けた。右整形外科初診時の主訴は腰痛、歩行困難、右腰部から右下肢にかけてのしびれ等であり、他覚的には、腰椎の運動性及び可動域の制限がみられ、下肢伸展挙上テストは右八〇度、左七〇度であったが、アキレス腱反射等は正常であり、知覚障害は認められなかった。原告はその後同病院物療内科にて保存的療法を受けていたが、九月、両足にしびれが出現し腰痛も激化したため、一〇月一五日、精密検査及び治療のため物療内科に入院した。

(二)  原告は、右物療内科入院中、検査及び保存的療法を施されたが、一〇月二二日、物療内科から整形外科に紹介され、専門外来である腰痛診において被告古澤の診察を受けた。右専門外来診察の際の主訴は腰痛、臀部痛、右下肢のしびれ及び間欠性跛行であり、さらに診察によれは、腰椎の左への側彎が顕著であって、屈曲は中等度制限され伸展は不可能、下肢伸展挙上テスト(正常値は概ね八〇度ないし九〇度)は右四〇度、左六〇度であって、エリーテストは両側陽性、デジェリン症状がみられ、また、右足首から先の知覚鈍麻、痛覚鈍麻、右長母趾伸筋及び右長母趾屈筋の筋力低下等の症状がみられたので、被告古澤は、第三、第四腰椎間あるいは第四、第五腰椎間の中心性ヘルニアを疑い、ミエログラフィでヘルニアが確認できるようならば手術したほうがよいと一応の判断をした。

(三)  そこで一〇月三一日、整形外科の井上医師及び物療内科の山田医師が、原告に対し、腰椎穿刺により造影剤(水溶性のコンレイ)を脊髄腔内に注入してミエログラフィを施行した(第一回ミエログラフィ)。被告古澤は、右ミエログラフィのエックス線フィルム像を検討したところ、第三、第四腰椎間に造影剤の停止がみられたことから、他の診察所見と総合判断して、第三、第四腰椎間に大きな中心性ヘルニアが存在するものと診断した。さらに、右フィルム像によれば、その下部の第四、第五腰椎間でも殆ど造影が欠損している状態であったが、被告古澤は、すでに上部の第三、第四腰椎間で造影剤が止まったために第四、第五腰椎間に達する造影剤の量が少なくなっている可能性があり、また、従前手術した箇所であるから癒着の存在の可能性が高いことなどから、第四、第五腰椎間についてはヘルニアの存在の可能性を考慮にいれるにとどめた。

(四)  原告は、一一月五日、腰痛診の再診の際に、腰痛、尾骨部痛、右下肢のしびれ、左臀部から左大腿部の疼痛の増悪等を訴えるとともに、一〇月一八日頃から尿が出にくくなったことを告げた。そこで被告古澤は、前記ミエログラフィの結果及び諸診断の結果も勘案し、なるべく早く手術するほうがよいと判断した。

(五)  原告は、同月一八日、整形外科に転科入院した。入院時の主訴は、腰痛、右大腿部から腓腹筋部位の疼痛、右足首から先のしびれ、膀胱直腸障害などであり、一〇メートル位の歩行で腰部から右臀部にかけてのしびれが出現し、体位については仰臥位及び腹臥位が最も苦痛である旨を訴えた。

右入院時の主な局所所見としては、腰椎の側彎、前彎の不撓性、可動域の制限(屈曲、伸展、側屈、回旋とも)がみられ、下肢伸展挙上テストは右五〇度、左七〇度、エリーテストは両側陽性、デジェリン症状の発現、膝蓋腱反射が左側で消失、アキレス腱反射が右側で消失等の症状がみられたほか、筋力については右下肢の大腿四頭筋以下の筋に軽度の運動麻痺がみられた。

また、知覚については、痛覚の鈍麻が肛門周囲のほか右側は大腿部、臀部、下腿部及び足部に、左側は下腿部及び足部にそれぞれみられ、右下腿部外側及び足背部、左下腿部外側及び足部内側において特に鈍麻の程度が強かったほか、触覚の鈍麻が肛門周囲のほか右側は大腿部、臀部、下腿部及び足部に、左側は下腿部及び足部にみられ、右下腿部及び足背部、左下腿部外側においてその程度が強かった。

被告古澤は、以上の所見及び第一回ミエログラフィの所見から考察し、第三、第四腰椎間中心性ヘルニアがいわゆる責任病巣(病状の主たる原因となる部位)であるものと判断した。

そこで被告古澤は、第三、第四腰椎間ヘルニアを椎弓切除術により摘出し、同時に第四、第五腰椎間の状態も手術中に確認するとの方針を決定し、原告の担当医である被告星川が原告にその旨説明し、原告はこれを了承した。

(六)  同月二五日、第三、第四腰椎間中心性ヘルニアの摘出を主たる目的とし、あわせて第四、第五腰椎間の状態も確認し必要に応じて処置をとることを従たる目的として、第一回手術が行われた。手術法としては椎弓切除術が選択され、術者は望月医師、第一助手が被告古澤、第二助手が被告星川、第三助手が佐野医師であった。

手術は、全身麻酔下で午前九時二五分頃開始され、まず、望月医師は昭和三八年の手術部位をやや上下に延長して腰背部中央の皮膚を縦に切開し、第三、第四及び第五腰椎の椎弓を露出し、第三、第四腰椎間を除圧するために第四腰椎の棘突起を切除した。続いて第四腰椎椎弓を下側から上側へ向かって全部切除すべく、第四腰椎尾側からスタンツェの刃先を椎弓の下にわずかに入れたところ、刃先が椎弓の下の硬膜に触れるだけで原告の下肢筋の攣縮がおこった。望月医師が第四椎弓を切除し次に第三腰椎椎弓下側を部分切除する間、スタンツェの操作による下肢筋の攣縮は反復しておこり、作業は困難であった。右約一時間半ないし二時間にわたる椎弓除去後に第三、第四腰椎の椎間において神経エレバトリウムを用いて硬膜を片側に圧排すると、中心性の骨性の隆起(椎間板ヘルニアは通常は軟骨状であるが、ヘルニアを生じた椎間板の変性が進むと、骨棘が形成されてメスでは切れないような硬骨性の状態になることがある。このような骨性の状態になったヘルニアを「ハードディスク」ともいう。)が現れた。右骨性の隆起を丸のみ等で削り取り、さらに骨性隆起に覆われていた軟骨性のヘルニア(「ソフトディスク」ともいう。)を摘出した。右骨性隆起切除は、最も神経損傷の危険性の高い困難な作業であるため、その一部は被告古澤が望月医師にかわって直接行った。こうして、第三、第四腰椎間から合計七グラムのヘルニアが摘出された。

さらに、第五腰椎椎弓の頭側もわずかに切除して、第四、第五腰椎間を左右から観察するに、右部位には前回手術のためか癒着があり観察は困難であり、ヘルニアは発見できなかった。手術前の予定では、できれば第五腰椎椎弓も切除して第四、第五腰椎間の状態を確認し、必要な処置を採る予定であったが、これまでの手術がかなり困難な作業を要するものであったこと、すでに手術開始後三時間余を経ていたこと、手術中原告の下肢筋の攣縮が反復し馬尾神経が易損状態にあるものと判断されたことなどから、被告古澤はこれ以上の神経に対する侵襲はなすべきではないと判断してこの段階で手術を終了することとし、硬膜の上に排液のためのドレーンを設置し、創を閉じ、午後一時一五分頃手術を終了した。

(七)  原告は、午後三時四〇分頃病室に帰ったが、右時点において、知覚については第四腰神経根の範囲において知覚の鈍麻ないし脱失がみられたが、下肢の筋力は右下肢においては術前よりも運動性が悪くなった部分はあったものの、すべての筋について一応は運動性があり、完全麻痺の状態に至ってはいなかった。

しかし原告は、同日夜から、両下肢の電気ショック様の激痛及びしびれを覚え、これが一晩中続いた。

そして翌一一月二六日朝の回診では、原告は左右両下肢とも完全な運動麻痺(筋肉の収縮が全く起こらない状態)にあることが判明した。また、知覚については、両側第四ないし第五腰椎神経以下の範囲に痛覚脱失がみられ、肛門括約筋がトーヌス消失の状態にあることが発見された。

(八)  そこで、被告古澤らは、原告の両下肢完全運動麻痺の原因として、手術部位に術後血腫が生じたかあるいは手術の際設置したドレーンにより硬膜が刺激された等の可能性を疑い、緊急に同日午前一一時五五分頃から第二回手術を行った。右手術の術者は被告古澤、第一助手は望月医師、第二助手は被告星川であった。

右手術においては、ドレーンを抜去してから第一回手術の創を開いたところ、硬膜の圧迫、損傷の痕跡はみられず、また、血腫も存在しなかった。次に硬膜を開き馬尾神経をみると、その走行は正常で前方から圧迫の所見はなかった。左右の第四腰神経根はいくらか充血していたが、大部分は白色であった。次に、硬膜の上から電気刺激を行うと、第四腰神経根付近の部分には伝導性がみられたが、第五腰神経根付近の部分は伝導性が殆ど失われていた。

被告古澤らは、右手術の所見について、結局、硬膜、神経根周辺には機械的障害はないので、証明はできないがドレーンの先端で硬膜を押していたか、又は、手術の際の機械的刺激により一時的な麻痺を生じたのではないかと一応の推察をなし、午後一時一五分頃手術を終了し、以後経過を観察することとした。

(九)  第二回手術直後、下肢の運動麻痺は左足について相当の改善をみたが、その後また増悪し、一二月初めには、右側は完全麻痺、左側も完全麻痺に近い強度の麻痺の状態となった。

知覚についても両下肢において触覚、痛覚の鈍麻がみられ、特に右側の第五腰椎神経支配部分以下に痛覚の脱失がみられた。

そこで、被告古澤らは、右麻痺の悪化について教授津山医師の意見も聞いてその原因と対処方法を検討した結果、第三、第四腰椎間よりもひとつ下の第四、第五腰椎間に椎間板ヘルニアがあるか、あるいは反対にこれより上の脊髄下部(「脊髄円錘」ともいう。)に何らかの原因がある可能性があると考え、一二月一二日、後頭下穿刺により造影剤(油性のマイオジール)を注入して再度ミエログラフィを施行した(第二回ミエログラフィ)。右ミエログラフィによれば、先に手術をした第三、第四腰椎間は造影剤の通過障害はなくなっていたが、第四、第五腰椎間において造影剤が完全に停止した。脊髄円錘には異常はみつからなかった。

(一〇)  そこで、第四、第五腰椎椎間板ヘルニアの摘出と、第一回手術における椎弓切除部分の再観察のため、第三回手術が行われた。術者は津山医師、第一助手は被告古澤、第二助手は同星川であった。手術は全身麻酔のもと午後二時三五分に開始され、まず腰背部中央に第三腰椎から第一仙椎にかけて縦に皮膚を切開し、次に第五腰椎の椎弓を切除した。右部分の硬膜は、黄靱帯の肥厚がみられて圧迫されており、これが下方に及んでいるのでその下方の第一仙椎をも部分切除し、次いで上方に向かい第一回手術の椎弓切除の部分に生じた幼若瘢痕組織を取り除きつつ硬膜を第三腰椎の下端から第一仙椎まで露出し、第四、第五腰椎椎間部を観察すると、椎間板が後方に後縦靱帯に覆われたまま膨隆しており、やや左方に偏しているがほぼ中心性の巨大なヘルニア状を呈していた。さらに硬膜を第三腰椎から第五腰椎にかけて開いて馬尾神経を観察すると、第四、第五腰椎間椎間板が腹側から背側に膨隆し、馬尾神経を右方に寄せていた。左第四神経根を除き馬尾神経を右方に寄せて膨隆した椎間板を切開したところ、同部分から椎間板の壊死組織がはみ出してきたので、ヘルニア鉗子を用いて右椎間板物質を除去し、午後五時頃手術を終了した。

(一一)  しかし、第三回手術後も、原告の両下肢の麻痺の状態は改善がなかった。原告は、第三回手術の後、東大病院にて排尿訓練、下肢筋力増強訓練、足関節固定補助靴(以下「固定靴」という。)を着用した歩行訓練を施され、昭和五〇年二月二三日退院した。

(一二)  原告は、東大病院退院後、昭和五〇年五月二六日から同年一〇月一三日まで東京厚生年金病院整形外科に入院し、その後同病院に通院してリハビリテーションを行ったが、顕著な好転をみず、昭和五一年八月三日同病院にて、両下肢弛緩性麻痺、現症として腱反射消失、両足関節背屈不能、腓腹筋萎縮顕著、両下肢から足先までの知覚鈍麻がみられ、歩行には固定靴と杖の使用を必要とし、特に医学的治療方法はないと診断された。そして、両下肢弛緩性麻痺は現在も後遺症として残っており、昭和六〇年五月二九日の東大病院整形外科黒川高秀作成の診断書によれば、腰椎の伸展は中間位以上の伸展が不可能で、筋力については、両下肢とりわけ左右下腿以下の筋群に強度の弛緩性麻痺が存在し、膝蓋腱反射は右が正常、左が減弱で、アキレス腱反射、肛門周囲反射はいずれも消失、また両側の下腿部、足部及び臀部から後下腿部足底部にかけて痛覚の脱失及び触覚の鈍麻がみられ、かかと歩行及びつま先歩行は不可能であると診断されている。そして日常生活においては、固定靴及び杖なしで歩行することができず、長時間の歩行継続は困難であり、排尿、排便に困難があるなどの障害が現存している。

三  中心性の腰椎椎間板ヘルニア及び下肢の神経学的高位診断について

《証拠省略》を総合すると、次のとおり認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  馬尾神経及び神経根について

背柱管の中には、脊椎の高位までは硬膜に囲まれた脊髄が通っているが、成人の第一、第二腰椎あたりまで下ると脊髄そのものではなく硬膜に囲まれた末梢神経(神経根)が束状になって通っている。右束状の神経根の集団を馬尾神経という。馬尾神経根は、各腰椎の左右一対の椎間孔から一本ずつ背柱管の外に出て行く(左右各椎間孔のある腰椎の高位に従って、第一腰神経ないし第五腰神経という。)が、解剖学的にみると各神経根は椎間孔を出る前に椎弓根のところで外側に約四五度方向を変える。椎弓根は椎体の上約三分の一のところにあり、神経根はかなり椎弓根に密着しているので、ここで方向転換した神経根はその下位の椎間板腔を横切ることはない。

2  中心性ヘルニアについて

(一)  腰椎椎間板ヘルニアとは、腰椎椎間板の背柱管内への突出ないし脱出をいう。椎間板の突出ないし脱出はいずれの方向にも起こるが、一般に最も多くみられるのは後縦靱帯が力学的に最も弱い後側方に偏して発生する後側方ヘルニアである。この場合、突出した椎間板組織が線維輪外層や後縦靱帯を圧迫すると腰痛を生じ、さらに突出、脱出の度合いが大きくなるとヘルニアが神経根(椎間板が突出した側の単一神経根)をその分岐点で圧迫して、坐骨神経痛が発生する。

(二)  しかし、稀には、後方中央に大きなヘルニアを生じることがあり、これを中心性ヘルニアという。この場合には後側方ヘルニアと異なりヘルニアが単一の神経根のみならず馬尾神経自体を圧迫して下肢の知覚、運動麻痺、膀胱直腸障害を生じ、馬尾腫瘍に似た症状を呈することがある。昭和四九年当時、このような中心性ヘルニア、特に巨大な中心性ヘルニアによる馬尾神経障害は、一般に症状が重大で、予後も必ずしも良好でなく、ヘルニア摘出後下肢の運動麻痺は漸次回復するものが多い(ただし、回復には長期を要することが多く、完全な回復をみないものも少なくない。)が、知覚鈍麻及び膀胱直腸障害の回復は困難であると認識されていた。

3  下肢の神経学的高位診断について

(一)  ある神経根がヘルニアや神経損傷等によって障害を受けると、その神経根に特有な運動、知覚及び反射障害が出現する。前記1の馬尾神経根と椎間板腔との位置関係により、通常の後側方のヘルニアにより障害を受ける神経根は障害高位椎間より一椎下の椎間孔から外に出ていく神経根であることが多い。すなわち、神経根と下肢の麻痺部位の対応は次のとおりである。

(1) 第四腰神経根

第三、第四腰椎間の椎間板ヘルニアないし右腰椎間の傷害等によって障害される。運動麻痺は前脛骨筋に、知覚障害は下腿内側に、反射異常は膝蓋腱反射に生じるのが通常である。

(2) 第五腰神経根

第四、第五腰椎間の椎間板ヘルニアないし右腰椎間の傷害等によって障害される。運動麻痺は長母趾伸筋、長、短趾伸筋、中腎筋に、知覚障害は下腿外側と足背に生じるのが通常である。

(3) 第一仙骨神経根

第五腰椎、第一仙椎間の椎間板ヘルニアないし右椎間の傷害等によって障害される。運動麻痺は長、短腓骨筋に、知覚障害は足外側に、反射異常はアキレス腱反射に生じるのが通常である。

(二)  ただし、臨床像は必ずしも以上のように確然としているとは限らない。例えば、一本の神経根は時に上下隣接の神経根の要素を含んでいることがある。また、一つの椎間板ヘルニアが同時に二本の神経根を障害することがあり、特に中心性ヘルニアにおいてはそれが起こりやすい。また、椎間板ヘルニアは特に複数の椎間に同時に発生することもあり、その際は非定型的な神経症状を呈する。

四  麻痺の発生について

そこで、原告の両下肢弛緩性麻痺の原因について検討する。

1(一)  第一回手術前、原告には軽度の運動麻痺が右下肢に、軽度の知覚麻痺が肛門周囲及び両下肢にそれぞれみられる程度であったこと、しかるに第一回手術後翌朝までに右側下肢の完全麻痺が出現し、その後麻痺が若干の回復をみたことはあったが結局左右両下肢とも強度の非回復性の弛緩性麻痺に至ったことは前記二2認定のとおりである。

(二)  また、《証拠省略》を総合すれば、第一回手術当時の原告の馬尾神経は椎弓切除の際のスタンツェが硬膜に触れるのみで原告の下肢が攣縮するほどに興奮性が高まり、わずかの刺激にも神経が損傷ないしは障害を受けやすい状態にあったこと、スタンツェによる約一時間半ないし二時間にわたる椎弓切除の操作は、馬尾神経に刺激的に作用していたこと、神経エレバトリウムによる硬膜の圧排、のみ等による骨性隆起、ヘルニアの摘出は椎弓切除にもまして神経損傷の危険性の高い操作であったことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

右(一)、(二)の事実に前記二2認定の原告の麻痺発生の経緯及び部位を総合すれば、第一回手術のいずれかの過程において加えられた侵襲により原告の第四又は第五腰神経根ないし馬尾神経が何らかの損傷ないし障害を受け、これが第一回手術後の原告の麻痺の原因の一つをなしていたものと解するのが相当である。

2(一)  また、第一回ミエログラフィにおいては第四、第五腰椎間にも造影の欠損が見られたこと、第三回手術において第四、第五腰椎間に大きな中心性ヘルニア(ただし、やや左側に偏していた。)が発見され摘出されたことに加え、《証拠省略》によれば、第一回手術において、第四腰椎椎弓の下縁から椎弓切除を開始した際下肢筋の攣縮を見たことは、当時すでに第四、第五腰椎間にヘルニアが存在していたことを物語るというのであるから、第一回手術前にすでに第四、第五腰椎間の大きな中心性ヘルニアが存在していたことは明らかである。

被告らは、第一回手術時に被告古澤らが第四、第五腰椎間を十分確認するもヘルニアは見いだせなかったのであるから第一回手術の前に右ヘルニアが存在していたか疑わしい旨の主張をなし、なるほど《証拠省略》によれば、第一回手術の際、第五腰椎椎弓上縁を切除して左右から第四、第五腰椎間を観察したがヘルニアが見いだせなかったことが認められるが、《証拠省略》によれば、第一回手術においては第四、第五腰椎間のヘルニアを発見するのに必ずしも十分な展開がなされたとはいえないというのであるから、右第一回手術の際の確認をもってしては、前記推認を覆すに足りないといわざるを得ない。

(二)  そして、《証拠省略》を総合すれば、右第四、第五腰椎間ヘルニアの残存による刺激の加重は原告の麻痺の一つの要因となり得るものであったことが認められる。

被告らは、第四、第五腰椎がすでに存在していたとしても第一回手術による第三、第四腰椎間の除圧により良い影響を受けることはあっても悪化することは考えられない旨の主張をなし、《証拠省略》にはこれに副う供述部分があるけれども、右は《証拠省略》に照らし採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  そして、《証拠省略》によれば、原告の馬尾神経は右二箇所の中心性ヘルニアに慢性的に圧迫されて、第一回手術当時、すでにわずかな刺激によっても損傷ないし障害を受けやすい状態にあったこと、そこに第一回手術における操作(椎弓の切除、硬膜の圧排、骨性隆起の切除等)の機械的刺激が馬尾神経に刺激的ないし外傷的に作用し、かつ、第四、第五腰椎間ヘルニアも残存していれば、高度の馬尾神経麻痺が生ずる可能性が高いことが認められる。

4  以上1ないし3認定の事実に前記二2の原告の麻痺発生の経緯及び部位を総合すれば、原告の両下肢弛緩性麻痺は、第一回手術当時すでに第四あるいは第五腰神経根ないし馬尾神経が第三、第四腰椎間及び第四、第五腰椎間に存在する相当大きな二つの中心性ヘルニアに慢性的に圧迫されて病的に興奮し、わずかの刺激でも損傷ないし障害を受けやすい状態にあったところ、第一回手術のいずれかの過程における操作(椎弓の切除、硬膜の圧排、骨性隆起の切除等)の機械的刺激がこの神経根ないし馬尾神経に刺激的ないし外傷的に作用し、かつ、残された第四、第五腰椎間ヘルニアによる硬膜の圧迫も加重した結果惹起されたものと推認するのが合理的である。

5(一)  被告らは、原告は第一回手術直後は下肢の自動運動が可能であったのに手術翌朝両下肢の完全麻痺となり、左足についてはその後一時快方に向かいながらまた第三回手術までには両下肢のほぼ完全麻痺の状態に至るという経緯をたどったものであるところ、神経損傷の場合はこのような複雑な経緯をたどることは考えられないから、原告の麻痺発生は第一回手術による神経損傷によるものではない旨主張し、《証拠省略》にはこれに副う証言ないし供述部分がある。

しかしながら、第一回手術後の麻痺発現には第四、第五腰椎間ヘルニアによる刺激も加わっていたことはすでに認定したとおりであり、また、《証拠省略》によれば、第一回手術により第四、第五腰椎間ヘルニアの圧迫が増悪することは十分考えられるというのであり、また、原告の左足が第二回手術後一時的に回復したが徐々に悪化し一週間後に完全麻痺に近い状態に戻った過程は、その時間的経緯をみれば第二回手術の何らかの過程が第一回手術操作ないし第四、第五腰椎間ヘルニアにより障害を受けた神経根ないし馬尾神経にごく一時的に良い効果を及ぼしたと解するのが自然というべきであるから、《証拠省略》は採用しない。したがって、右麻痺の発生前後の推移をもってしても第一回手術によって惹起された神経損傷ないし傷害が麻痺の一因となったとの推認を妨げることはできない。

(二)  被告らはまた、原告の麻痺発生範囲が広範で、かつ、完全麻痺の状態であったことからすれば、第四あるいは第五腰神経根ないし馬尾神経の損傷によるものとは考え難いと主張し、《証拠省略》にはこれに副う証言部分があるが、右各証言部分は、これと反対の趣旨の《証拠省略》に照らし採ることができない。したがって被告の右主張もまた失当といわざるを得ない。

(三)  被告らはまた、原告の両下肢弛緩性麻痺は馬尾神経よりも高位の脊髄に何らかの原因(脊髄内の血行障害による梗塞、脊髄の出血等)によって脊髄内の灰白質障害が惹起されたことによる可能性が高いとの主張をなしており、その根拠となる証人黒川の証言中には、同証人が昭和六〇年五月二九日に原告の右時点における麻痺の症状を診察したところ、原告には両下肢に左右対称性の弛緩性麻痺(いわゆる対麻痺)がみられ、また、痛覚と触覚の解離が明確にみられたが、これらは手術の侵襲や腰椎の中心性ヘルニアによっては起こり得ず、腰椎よりも高位の脊髄の障害によって初めて説明できるものであるから、原告の麻痺の発生原因は脊髄の灰白質障害によるものであるというべきであり、右脊髄の障害の発生原因については、脊髄内の出血、血腫、腫瘍、のう腫あるいは脊髄空洞症等が考えられるが、これを特定することは現在では不可能であるし、右脊髄の障害の発生時期についても不明といわざるを得ないとの証言部分がある。

しかしながら、証人黒川の証言によれば、同証人は、第一回手術前後の麻痺発生の経緯について、診療録を検討したり原告に問診したりすることなく、手術後一一年半後の原告の症状を診察したのみで麻痺発生の原因を論じていることが認められるところ、右診察時の症状については、第一回手術後の時の経過やさまざまな外的内的要因により生じたであろう症状の変化が無視できないというべきであるから、右診察のみによって手術後の麻痺の症状を推認することあるいは麻痺の発生原因を正確に判定することはそれ自体困難であるといわざるを得ないうえに、《証拠省略》(東大病院の入院診療録)により認められる麻痺の発生、進行当時における筋力テスト、知覚テストの結果に照らせば、にわかに右黒川医師の診察の結果から脊髄の灰白質障害が麻痺の原因であるとの結論は導き難いところである。証人黒川の証言中には、筋力テスト、知覚テストは、施行者にある程度の経験、熟練がなければある程度以上には信頼することができず、第一回手術前後の原告の検査者は未だ卒業後一年も経ない被告星川であったのであるから、右診療録にみられる原告の麻痺の左右の微妙な差異等は信頼できないとする証言部分があるけれども、被告星川は、原告に対する筋力、知覚テストを手術の前後にわたり何回も実施し経過を記録していた(第一回手術後においてはほぼ毎日)ものであること、被告古澤、津山医師らも右診療録を基礎としてその後の手術を行っていることなどが認められるから、少なくとも本件においては右検査結果が信頼できないということはできない。

したがって、結局、脊髄の灰白質障害の主張事実については、これを認めるに足りる証拠がないものといわざるを得ない。

(四)  以上、(一)ないし(三)のいずれの主張事実をもってしても、前記4の推認を妨げることはできず、他に右推認を妨げるに足りる証拠はない。

五  以上の事実を前提として、被告らの責任について判断する。

1  昭和四九年一〇月一五日、原告が腰痛を主訴として被告国の開設する東大病院に入院した際、原告と被告国の間で、右病状の原因を診断しその症状に応じた適切な治療を行うことを内容とする本件診療契約が締結されたこと、以後被告星川、同古澤及び望月医師はいずれも履行補助者として原告の診療、手術を行ったものであることは当事者間に争いがない。

2  そこで、以下被告星川、同古澤及び望月医師の原告に対する診療行為につき原告が主張する過誤が存したか否かについて判断する。

(一)  第一回手術前に第四、第五腰椎間ヘルニアの存在を確知しなかった誤り(請求原因4(一)(1)、(2))について

(1) 第一回手術前、昭和四九年一〇月三一日に、原告に対して第一回ミエログラフィが施行されたこと、被告古澤は、右ミエログラフィのエックス線フィルム像を検討し、第三、第四腰椎間に大きな中心性ヘルニアが存在するものと診断したが、第四、第五腰椎間については造影の欠損があったものの第四、第五腰椎間のヘルニアの存在の可能性を考慮にいれるにとどめ、第一回手術の際に第三、第四腰椎間ヘルニアを摘出するとともに第四、第五腰椎間ヘルニアの存在の確認及び場合によってはこれに対する措置を行おうとしたことは前記二2認定のとおりである。

(2) 原告は、第一回ミエログラフィの結果から第四、第五腰椎間の中心性ヘルニアの存在も確知すべきであったと主張するけれども、《証拠省略》によれば、右部分については第三、第四腰椎間のヘルニアの存在のために造影剤の量が少なくなっていたこと、過去に椎間板ヘルニアの摘出手術を行った箇所であるため手術後の癒着が生じている可能性が高かった(手術後の癒着がヘルニアを伴わない単なる癒着の場合、再手術をすべきかについてはかつて議論のあったところであるが、現在では再手術は悪化を招くデータの方が多いことから、むしろ再手術を避けるべきであると一般に考えられている。)ことから、第一回ミエログラフィをもってしては右ヘルニアの存在を診断することができなかったというべきであるから、右主張は採ることができない。

(3) しかし、《証拠省略》によれば、右フィルム像及び他の神経学的所見からすれば、第四、第五腰椎間ヘルニアの存在は相当強く疑うべきであることが認められ、そして、《証拠省略》によれば、昭和四九年当時、右ヘルニアを再確認する方法として、右部位について上行性ミエログラフィあるいはディスコグラフィを行うか、あるいは再度ミエログラフィを施行する(《証拠省略》によれば、第一回ミエログラフィ像は必ずしも鮮明でなかったことが認められる。)方法が存在していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(4) そこで、被告古澤には、右上行性ミエログラフィ若しくはディスコグラフィの施行又はミエログラフィの再施行をなすべき義務があったかどうかについて検討する。

ア 前記(2)認定の事実からすれば、再度ミエログラフィを実施しても、過去において椎間板ヘルニアの手術を行った箇所である第四、第五腰椎間にヘルニアの存在を確認できない可能性が高いことが窺われ、また、《証拠省略》によれは、当時ディスコグラフィの椎間板ヘルニアの高位診断における有効性については整形外科医の間で有効性を強調する意見もあれば批判的な意見もありその臨床価値は未決定の状態であったことが、《証拠省略》によれば、一般に、ミエログラフィ、ディスコグラフィの実施には合併症の発症等のおそれがあるといわれていたところ、原告においては第一回ミエログラフィの実施後両下肢に激痛及び痙攣が発現していたことがそれぞれ認められる。

イ また、《証拠省略》によれば、腰椎椎間板ヘルニアの手術適応については、文献により若干の相違はあるものの、概ね、腰部や下肢の疼痛が激しく、数週間ないし数箇月の保存的治療で寛解しないもの、再発性で社会活動に支障をきたすものについては手術の適応となりうるとされ、中心性ヘルニアで膀胱直腸障害ないし急性高度神経麻痺のあるものは手術の絶対的適応、さらにその程度により緊急手術の対象となるといわれていることが認められるところ、本件においては、原告のヘルニアは中心性であったこと、原告は東大病院のみをみても昭和四九年七月三〇日以来三箇月以上の保存的治療を行いながら寛解せず、むしろ症状が悪化し、同年九月には急性の神経麻痺が発生し、一〇月一八日頃には尿が出にくくなっていたことは前記二認定のとおりであって、遅くとも一〇月下旬頃には、原告が手術の絶対的適応の状態にあったことは明らかである。そして、《証拠省略》によれば、右のような場合、一般にヘルニア摘出手術はできるだけ早期に実施されるほど予後が良いことは当時整形外科医の間で広く認識されていたことが認められる。

ウ さらに、《証拠省略》により認められる原告の手術前の神経障害の分布に、前記三認定の事実を総合すれば、原告に手術前にみられた神経障害は第四腰神経支配部分(一般の後側方のヘルニアであれば、第四、第五腰椎間のヘルニアによって圧迫される。)に最も障害が強かったが、最も高位の障害部分として第三腰神経支配部分(一般の後側方ヘルニアであれば第三、第四腰椎間ヘルニアによって圧迫される。)にも運動、知覚麻痺を生じていたこと、特に中心性ヘルニアの場合、第三、第四腰椎間のヘルニアによっても第四腰神経が圧迫されやすいことが認められ、したがって、仮に上行性ミエログラフィ、ディスコグラフィないし再度のミエログラフィによって第四、第五腰椎間にヘルニアが存在することが認められたとしても、第三、第四腰椎間ヘルニアと第四、第五腰椎間ヘルニアといずれのヘルニアが原告の第一回手術前の神経症状のいわゆる責任病巣であったかまでの判断はかなり困難であったことが推察される。そして、《証拠省略》によれば、原告の第三、第四腰椎間ヘルニア及び第四、第五腰椎間ヘルニアは、それぞれの寄与割合はにわかに決し難いものの、いずれも第一回手術前の原告の症状に寄与していたことは確実で、いずれにせよ早期に摘出を要するものであった可能性が高いこと、その場合、いずれのヘルニアから先に摘出すべきであるかは一概にいい難いものであったことが認められる。

以上認定の事実からすれば、第一回手術前に、上行性ミエログラフィ若しくはディスコグラフィの施行又はミエログラフィの再施行をなすか、あるいはこれを行うことなくすでにその存在が確認され、かつ、手術の必要性及び緊急性が相当程度高度に認められる第三、第四腰椎間のヘルニアの摘出手術を直ちに行い、この際に第四、第五腰椎間のヘルニアの有無を直接確認しようとするかは、いずれも医師の裁量の範囲内にあるものというべきであって、被告古澤には第一回手術前に必ず上行性ミエログラフィ若しくはディスコグラフィの施行若しくはミエログラフィの再施行をなすべき義務があったとまでいうことはできないものといわざるをえない。したがって、第一回手術前に第四、第五腰椎間のヘルニアの存在を確認しなかったことをもって被告古澤に過失があるものとはいえない。

(二)  第一回手術の術者(執刀者)選定上の誤り(請求原因4(二))について

(1) 第一回手術の術者が望月医師であり、被告星川は第二助手にすぎなかったことは前記二2認定のとおりであるから、被告星川を第一回手術の術者として選定したことに被告古澤の判断の誤りがあるとの主張はこの点ですでに失当であることが明らかである。

(2) そこで次に、望月医師を第一回手術の術者として選定したことに被告古澤の判断の過誤があるとの主張についてみるのに、被告古澤は昭和三七年に医師免許を取得し、第一回手術当時東大病院整形外科の病棟医長の地位にあったこと、望月医師は昭和四五年五月に医師免許を取得し、第一回手術当時術者として腰部椎間板ヘルニアの手術をした経験は四、五例にすぎず、椎弓切除術による中心性ヘルニアの手術の経験はなかったものであること、中心性ヘルニアに対する椎弓切除術はそれ自体比較的稀な手術であり、比較的困難な手術であること、被告古澤は第四、第五腰椎間においても中心性ヘルニアの存在可能性ありと判断し、かつ、右第四、第五腰椎間ヘルニアが原告において過去にヘルニアの手術を受けた箇所であることを知っていたことは当事者間に争いがない。しかし、《証拠省略》によれば、被告古澤が第一助手となったことの実質は、同被告が指導医として術者望月医師を指導しこれを介助する立場で手術に臨むことを意味していたこと、第一回手術程度の難易度の手術において、手術をなす医師らのチームにおいて、最も経験を積んだ指導医以外の者が術者となりながら、右指導医が助手として右術者の手術を指揮監督をなすこと自体は一般の大学病院においては通常の形態であるとともに、指導医が常に術者の手術を指揮し状況に応じていつでも自ら執刀しうる態勢にあれば特にこれを危険ということはできないこと、加えて、第一回手術の術者であった望月医師は、当時ラブ法による椎間板ヘルニア手術を五例程経験しており、椎弓切除術と手術技法の類似した馬尾神経腫瘍による脊柱管狭窄の椎弓切除術は経験していたことが認められ、また、望月医師が特に整形外科医師として技術的に劣っていたような事情は本件全証拠をもってしてもこれを認めることができない。

したがって、被告古澤が第一回手術の術者として望月医師を選定し、自らはこれを指導する医師として助手となったことには格別失当な点はないものというべきである。原告のこの点についての主張は採用できない。

(三)  手術器具選定上の誤り(請求原因4(三))について

(1) 第一回手術において、手術開始後、骨を削り取る手術器具であるスタンツェを用いて椎弓板を切除する際、スタンツェが馬尾神経に触れただけで原告の下肢筋に攣縮がみられるという事態が発現したこと、これは馬尾神経の興奮性が高まり神経が損傷しやすい状態にあり、かつ、スタンツェがこの馬尾神経に対して機械的刺激を与えていたことを示していることは前記四1認定のとおりであり、このような下肢筋の攣縮状態のもとで、望月医師は一時間半ないし二時間にわたり椎弓切除を続行し完遂したことは前記二2認定のとおりである。

(2) 《証拠省略》によれば、スタンツェは、当時椎弓切除の器具として当時広く普及していた手術器具であり、椎弓を二枚の刃でいわばかじり取る器具であること、術者が慎重を期してもスタンツェの構造上ある程度刃先が椎弓の下に入るため、ヘルニアのために硬膜と椎弓が密着している場合、刃先が硬膜に触れて馬尾神経を刺激することが不可避であること、現在は、右を妨ぐために神経を刺激する危険のある場合においては、スタンツェではなく、サージ・エアトーム(エアドリル)を用いて外側から椎弓を薄く削っていく方法が取られていくこと、しかし、昭和四九年当時においては、腰椎椎間板ヘルニアの手術器具としてエアドリルは必ずしも普及していなかったものであり、神経への刺激を避けるべくできるだけ愛護的に操作しながらスタンツェを使用するのが一般であったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そうであるとすれば、第一回手術の当時、被告古澤が下肢筋の攣縮状態においてスタンツェを使用したこと自体をもって同被告の手術器具選択上の過誤があったということはできないから、原告の右主張も理由がない。

(四)  手術操作上の誤り(請求原因4(四))について

(1) 前記(三)(1)の下肢筋の攣縮の発現した状況においては、中心性ヘルニアの摘出手術に関与した医師らにおいては、椎弓を切除するにあたり神経の損傷を防止すべく可及的に愛護的に行うべきこと、また、その後も硬膜管を一方の側に圧排する操作、骨性隆起を切除する操作その他手術の全過程において最大限愛護的に操作を行うべきであることは当事者間に争いがない。

(2) 原告は、第一回手術において術者が愛護的操作を欠いたため原告の両下肢弛緩性麻痺が発生したと主張するので、この点について判断する。

ア 第一回手術において椎弓の切除、硬膜の圧排、骨性隆起の切除等のいずれかの過程において馬尾神経に対して機械的ないし外傷的刺激が加えられ、これが現に手術後原告に発生した両下肢弛緩性麻痺のひとつの原因となったものであることは前記四4認定のとおりである。

イ しかし他方、第一回手術当時原告の馬尾神経はすでに存在していた第三、第四腰椎間及び第四、第五腰椎間の大きな二つの中心性ヘルニアに慢性的に圧迫されて病的に興奮し、わずかな刺激でも損傷ないし障害を受けやすい状態にあったこと、また、原告に手術後高度の麻痺が発生したことには残された第四、第五腰椎間ヘルニアによる硬膜の圧迫も相当程度寄与していたこともまた前記四4認定のとおりである。

ウ ヘルニアのために硬膜と椎弓が密着している場合椎弓切除の際にスタンツェの刃先が硬膜に触れざるを得ないこと、中心性ヘルニアの摘出手術においては硬膜の圧排、骨性隆起の切除の各操作は椎弓切除以上に硬膜、馬尾神経への刺激、損傷の危険を含んだ困難な作業であることは前記(三)、四1認定のとおりであり、《証拠省略》によれば、第一回手術においてはある程度強い外力を加えなくては硬膜の圧排、骨性隆起の切除を行うことはできなかったもので、結局、椎弓切除、硬膜の圧排、骨性隆起の切除等手術の一連の過程において、馬尾神経ないし神経根へある程度の機械的ないし外傷的刺激を避けることは殆ど不可能であったことが認められる。

エ そして、《証拠省略》によれば、本件麻痺発生の経緯からみて神経の完全な切断あるいは挫滅はなかったことが認められ、右事実からすれば、第一回手術において少なくとも神経の完全な切断あるいは挫滅をきたすような大きな侵襲が加わったものではないことを推認することができる。

また、本件において、椎弓切除に約一時間半ないし二時間もの時間を要したこと自体が直ちに術者のスタンツェ操作の拙劣さの現れであるということはできないし、かえって、《証拠省略》によれば、原告の下肢の攣縮状態の発現のため、椎弓は慎重にごく少しずつ削り取ることしかできず、それゆえに長時間を要したことが認められる。また、《証拠省略》によれば、骨性隆起の切除の過程において被告古澤が望月医師に短時間交替したことが認められるが、《証拠省略》によれば、骨性隆起の切除は第一回手術の過程においても特に神経損傷の危険の高い困難な操作であったため被告古澤が自らこれを行ったものであることが認められ、右術者の交替の事実から交替前の望月医師の操作が特段拙劣であったことを推認することはできない。さらに、原告は、被告古澤が、右過程を一分足らずで行ったのはあまりに拙速な手術操作であると主張するけれども、《証拠省略》によれば、右は骨性隆起切除の一部、最も危険な部分を被告古澤医師が行ったというにすぎず、一分で骨性隆起切除の全過程を行ったものとは認められないから、右主張は採ることができない。

オ さらに、《証拠省略》によれば、昭和四九年当時において、巨大な中心性ヘルニアによる馬尾神経の圧迫を伴う症例は、元来下肢の知覚、運動麻痺の症状が重大であるうえ手術の予後も必ずしも良好でない、すなわちヘルニア摘出後下肢の運動麻痺は漸次回復するものが多いが、回復には長期を要することが多く、完全な回復をみないものも少なくないし、知覚鈍麻及び膀胱直腸障害の回復は一般に良くないといわれていたことが認められる。

以上認定の事実を勘案すれば、第一回手術においては、馬尾神経が手術前からすでに二箇所の中心性ヘルニアに圧迫されて病的に興奮し、わずかの刺激にも損傷ないし障害を受けやすい状態にあったため、望月医師及び被告古澤がなした手術操作の過程で不可避的に加えられた刺激が神経に損傷ないし障害を来し、残存した第四、第五腰椎間ヘルニアによる圧迫と相俟って、手術後の麻痺発生の一因となったのではあるが、第一回手術においては、馬尾神経ないし神経根への機械的ないし外傷的刺激を避けることは手術施行上極めて困難であったのであるから、右刺激を与えたことをもって被告古澤及び望月医師に格別の手術操作上の過誤があったとはいえないというべきであり、他に第一回手術において手術操作上の誤りがあったものと認めるに足る証拠はない。

もっとも、第一回手術において下肢筋の攣縮の生じた時点で手術を中止すれば右のような馬尾神経への刺激をより軽く抑えられたことは明らかであるが、右のような階段で手術を続行するか否かは、《証拠省略》とおり、手術を行う医師らの裁量的判断に委ねられ、ただ術前及び術中の患者の状態から手術の必要性と危険性を判断し、これを比較考量して決定すべきものであるというほかはないところ、第一回手術当時すでに原告がヘルニア摘出手術の絶対的適応にあったことはすでに認定したとおりであり、《証拠省略》によれば、原告のヘルニアはこれを放置すれば麻痺の増悪をみる可能性ないしは非可逆的麻痺を来す可能性がかなり高く、早晩緊急手術の対象となったであろうことが認められ、しかも、馬尾神経障害を伴う中心性ヘルニアの場合、手術が遅れるほど術後の改善度が低く、かえって術後に症状を増悪させる危険性が高いといわれていたことは前記(一)(4)認定のとおりであるから、被告古澤及び望月医師が第一回手術を続行したことには相応の理由があるというべきであり、これをもって同医師らの落度ということはできない。

(五)  術者交替の必要性の判断の過失(請求原因4(五))について

原告はまた、下肢筋の攣縮状態において被告古澤は望月医師と術者を交替すべきであった(被告星川と術者を交替すべきであったとの主張は、被告星川が術者でなかったことは前記二認定のとおりであるから、明らかに失当である。)と主張するけれども、前記(四)認定のとおり望月医師の第一回手術の操作に格段の過誤の存在を認めることができない以上、右主張はすでに理由がないといわざるを得ない。

(六)  第一回手術の際に第四、第五腰椎間ヘルニアの存在を確認しなかった誤り(請求原因4(一)(3))について

原告は、被告古澤は第一回手術の際に、さらに第四、第五腰椎間ヘルニアの存在を確認してこれを除去すべきであったと主張するのでこの点についてみるに、《証拠省略》によれば、第一回手術において第三、第四腰椎椎間板ヘルニアの摘出のためになしたと同様の操作によってさらに展開すれば第四、第五腰椎間ヘルニアの確認は可能であったことが認められるが、他方、《証拠省略》によれば、被告古澤は、第三、第四腰椎間ヘルニアの摘出までにすでに馬尾神経の被刺激性の亢進がみられ手術に長時間を要していたこと及び第三、第四腰椎間ヘルニアの摘出の操作が困難であったことから、第五腰椎椎弓全部を切除してさらに馬尾神経を刺激することは危険であると判断し、第五腰椎椎弓の上縁をわずかに切除しその範囲で第四、第五腰椎間ヘルニアの存在を探索するにとどめたことが認められ、右被告古澤の判断には相当の理由があるというべきであるから、被告古澤がそれ以上に第四、第五腰椎間ヘルニアを探索しなかったことをもって同被告の判断に誤りがあったということはできない。

(七)  ドレーン設置上の誤り(請求原因4(六))について

原告は、第一回及び第二回の手術後に排液(ドレナージ)のために設置したドレーンが神経根ないし神経枝を圧迫し、これが原告の両下肢弛緩性麻痺を惹起したとの主張もなしているけれども、なるほど《証拠省略》によれば、被告古澤らが第一、第二回手術の直後においては、原告の麻痺についてその原因はドレーンが硬膜を圧迫したためかもしれないと推測していたことが認められるが、右事実のみをもって原告の下肢弛緩性麻痺がドレーン設置の誤りによるものと推認することはできないし、他にドレーンの設置の特段の誤りがあったことないしドレーンが硬膜を圧迫していたことを認めるに足りる証拠はないから、原告の右主張も失当である。

(八)  第二回手術の際に第四、第五腰椎間ヘルニアの存在を確認しなかった誤り(請求原因4(一)(4))について

原告は、第二回手術の際に被告古澤が第四、第五腰椎間ヘルニアの存在を確認しその摘出を行わなかった過失があると主張するのでこの点について判断するに、《証拠省略》によれば、第二回手術の際に第一回手術と同様の操作によって第四、第五腰椎間ヘルニアの確認及び摘出が可能であったこと、しかるに被告古澤は当時、麻痺の原因が手術後の血腫ないしはドレーンによる硬膜の圧迫によるとの可能性を疑い、第四、第五腰椎間ヘルニアによるものとは考えず、したがって初めからこの時点において右ヘルニアを確認し摘出することは考慮していなかったことが認められるが、《証拠省略》によれば、前日の手術による神経根の浮腫がまだ非常に高度に残っている状況でさらにスタンツェや神経エレバトリウム等を用いることは神経に刺激を与え麻痺を増悪する可能性のある行為であること、椎間板ヘルニアの手術後において手術操作に通常伴う侵襲により一過性の麻痺が生じその後漸次回復する経緯をたどることは稀ではないことが認められるから、第一回手術の翌日の時点においてさらに第四、第五腰椎間ヘルニアの確認及び摘出手術を行わなかったことをもって被告古澤に過失があったものとは認め難い。したがって、原告のこの主張も理由がない。

(九)  麻痺原因を看過した誤り(請求原因4(七))について

原告は、遅くとも第一回手術の翌日までには原告の麻痺が第一回手術による神経損傷を原因とするものであることを診断して直ちに治療すべきであったのに、被告古澤は漫然これを第三回手術まで約三週間放置した過失があると主張する。しかし、椎間板ヘルニアの手術後において手術操作に通常伴う侵襲により一過性の麻痺が生じその後漸次回復する経緯をたどることが稀ではないことは前記(八)認定のとおりであり、《証拠省略》によれば、被告古澤が原告に対し第二回手術後約三週間の間自然回復を待って経過観察をしたことは失当とはいえないことが認められ、他に経過観察の在り方に特段の問題があったことを認めるに足りる証拠はないから、右主張も採ることができない。

(一〇)  医療チーム構成員の過失を看過した過失(請求原因4(八))について

原告は、医療チームの構成員は、互いに他の構成員の診療、手術における過失を防止する義務があると主張して前記(一)ないし(九)について被告星川も責任を負うと主張するけれども、前記(一)ないし(九)において被告古澤に過失が認められない以上、この点に関する原告の主張はその余の点について判断するまでもなく失当である。

3  以上のとおりであるから、被告古澤、同星川及び望月医師にはいずれも医療上の過誤があったものということができず、したがって被告らには診療契約上の債務不履行責任又は不法行為責任はないものというべきである。

六  結論

よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大橋弘 杉原麗 裁判長裁判官薦田茂正は、転補のため署名捺印することができない。裁判官 大橋弘)

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