大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和52年(ワ)2081号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

2 そこで、被告が稲城に対し本件店舗を転貸した旨の原告の主張について検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

(一) 被告は、昭和四九年一二月三日、原告から、本件店舗を賃借したのち、同所で竹兆の屋号で飲食店の経営を始めた(この点は当事者間に争いがない。)が、右竹兆の営業内容は酒類、一品料理の提供を主とする小料理屋であり、被告は、右竹兆の営業に関し、同月二五日付で食品衛生法二一条の規定に基づく所轄保健所長の営業許可を受けた。

(二) ところで、被告は、元来、東京都新宿区内で旅館業を営み、前記飲食店竹兆の営業を開始した当時も右旅館業を継続していたもので、以来、右両営業を同時に並行して経営することになつた。被告は右竹兆の開業当初は前記旅館の女子従業員一名を手伝いに使用したが、昭和五〇年一月からは被告ひとりで営業を行つた。

(三) しかるところ、被告は、その後過労のため前記竹兆の経営をしていくのが容易でなくなつたので、同年四月末ころ、知人の訴外鈴木貞子に対し、被告に代つて右竹兆の経営にあたる適当な女性の紹介を依頼した。

右鈴木貞子は、当時、銀座八丁目でバー、ポイントを経営し、訴外稲城矩子をホステスとして、また、義妹の訴外鈴木和子を会計係として使用していたが、たまたま都合で右ポイントの経営をやめたいと考えていた矢先であつたので、右廃業に伴い稲城らの新しい働き口を世話する必要から同年五月下旬ころ、被告に面談し竹兆の経営を委ねるにあたつての条件をただした。

(四) 鈴木貞子が被告から聞いた竹兆の経営を委ねるについての条件は、新経営者は被告に対し一か月金八万円を支払う、本件店舗の賃料及び電気、ガス、水道の使用料その他の雑費は新経営者において負担する、竹兆の経営は新経営者に一切一任し、利益は同人において収受することを認める、また、什器備品は被告の使用しているものを引き続き使用して構わない、というものであつた。

(五) その後、鈴木貞子は、被告の右の意向を稲城及び鈴木和子に伝えたところ、両名とも乗り気となつた。そこで、同年五月末ころ、稲城は、鈴木貞子の案内で鈴木和子とともに本件店舗を訪れ、様子をみた結果、鈴木貞子から聞いていた前記条件によつて竹兆を経営していく見通しをえたので、その後まもなく、鈴木貞子を通じ、被告からの前記条件をすべて受入れる承諾し、ここに稲城と被告との間において、稲城が被告に代つて本件店舗を使用し、前記(四)の約定のもとに竹兆の営業を行う旨の合意が成立した。なお、鈴木和子は、そのころ、鈴木貞子が経営をやめたのちも前記ポイントに残ることとなり、以後、被告との話合いには参加しなかつた。

(六) こうして、稲城は、被告に代つて前記竹兆を経営することになり、当初の予定ではその時期は同年七月一日からとされていたが、同月中旬、被告から、早く竹兆の経営を代つてほしい旨の要望を受けたため、急拠予定を変更し、同月一五日から竹兆の経営を始めることとなつた。

(七) こうして、稲城は、右日時以降、本件店舗において、小料理屋竹兆の経営を始めたのであり、営業許可名義はその後も被告名義のままで変更されることはなかつたが、その後における毎日の仕入、販売、アルバイトの雇傭、電気、ガス、水道の使用料等の支払は一切、稲城の計算、負担で行われ、竹兆の営業上の損益はすべて稲城に帰属していた。稲城が、被告から、その後における竹兆の営業に関し、指揮監督を受けたことはなく、右のような状態は昭和五一年一一月末日、稲城が本件店舗を退去するまで続いた。

なお、稲城は、前記合意に基づき、被告に対し、昭和五〇年六月分は同月一五日からの分として金四万円を支払つたほか、同年七月以降、毎月一か月金八万円を昭和五一年一〇月分まで支払い、被告はこれを受取つた。

以上の事実が認められ、<証拠判断略>他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

そして、右認定事実によれば、稲城は、被告との合意に甚づき、昭和五一年六月一五日以降、単なる従業員としてではなく、竹兆の実際の経営者として、被告から独立して、本件店舗を使用占有していたものであつて、被告の稲城に対する本件店舗の使用許諾は、同店舗の転貸にあたるものと認めるのが相当である。

(宇野栄一郎 榎本克巳 藤村真知子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!