東京地方裁判所 昭和52年(ワ)2669号 判決 1978年10月26日
原告 五大コンピューターサービス株式会社
右代表者代表取締役 武田勝彦
右訴訟代理人弁護士 坂本成
被告 中央ビル管理株式会社
右代表者代表取締役 西川正一
右訴訟代理人弁護士 山本耕幹
主文
一 被告は原告に対し金七五五万三七七〇円を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分しその四を被告の負担としその余を原告の負担とする。
四 この判決中第一項に限り原告において二〇〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し九六四万七五五二円を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告(旧商号木徳コンピューターサービス株式会社)は、昭和四九年一〇月一日被告から東京都中央区日本橋兜町二丁目三七番地所在鉄骨鉄筋コンクリート造地下一階地上九階建事務所(名称「太洋ビルディング」)のうち六階部分床面積二六〇・〇七平方メートル(以下「本件貸室」という。)を賃借期間昭和四九年一〇月一日から昭和五二年九月三〇日まで、賃料一か月五五万三〇〇〇円(翌月分を前月二五日払い)と定めて賃借した(以下「本件賃貸借契約」という。)。
2 その際、原告は本件賃貸借契約に基づく一切の債務を担保するため、保証金一五八〇万円(以下「本件保証金」という。)を被告に預託し、被告は右保証金につき、契約期間中、原告が三か月の予告期間を置いて契約を解除し本件貸室を明渡した場合、契約期間の満了日である昭和五二年九月三〇日に解約手数料一五八万円を差引き残金一四二二万円を原告に返還する旨約した。
3 原告は、右約定に基づき昭和五〇年七月一八日被告に対し三か月後の同年一〇月一八日本件貸室を明渡す旨の予告をなし、同月二五日これを空室状態に戻して退去したが、同日現在被告に対し昭和五〇年六月一日から同年一〇月三一日までの賃料(一か月五五万三〇〇〇円)、共益費(一か月一六万五九〇〇円)、設備使用料(一か月二万五〇〇〇円)、その他電気代、清掃費等合計額四五七万二四四八円の債務を負担していた。
4 原告は右のように本件貸室を空室にしたことにより明渡義務を履行した。よって、被告は、本件保証金を返還すべき本件賃貸借契約の終期である昭和五二年九月三〇日現在において、原告に対し、本件保証金から前記2の解約手数料一五八万円及び前記3の債務四五七万二四四八円を控除した九六四万七五五二円を即時に支払う義務がある。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3の事実は認めるが、同4の事実は否認する。
2 原告と被告は本件賃貸借契約において、同契約の終了に際しては原告は直ちに本件貸室を原状に復して引渡さねばならないと定めたにもかかわらず、原告は昭和五〇年一〇月二五日本件貸室を空室にしたに過ぎず、別表記載のとおり契約当初の原状を毀損したまま回復しなかったから、同日現在において本件貸室を明渡したことにはならないのである。
三 抗弁
1 原告と被告は本件賃貸借契約において、(一) 被告が原告に対し保証金を返還するに際し、原告が被告に対し本件賃貸借契約またはその他に基づく債務を負担しているときはその債務額は当然保証金より優先的に控除される。(二) 原告が予め本件貸室の明渡期日を明示したにもかかわらずそれを遅滞した場合は原告は被告に対し賃料の倍額に相当する金員及び共益費を支払うことを合意した。
2 被告は原告が補修すべき別表記載の本件貸室の毀損箇所を昭和五一年九月三〇日までに七一万四八五〇円を支出してこれを補修し、同日をもって原告が本件貸室を明渡したとみなした。そこで、原告が自認する債務四五七万二四八八円、右補修費用七一万四八五〇円(別表合計欄記載の金額)、右(二)により原告が負担すべき賃料の倍額及び共益費に相当する金員合計一三九九万九〇〇円(昭和五〇年一一月一日から明渡終了日の昭和五一年九月三〇日までの一一か月分の賃料((一か月五五万三〇〇〇円))の倍額に相当する約定損害金一二一六万六〇〇〇円及び共益費用((一か月一六万五九〇〇円))一八二万四九〇〇円の合計額)は本件保証金から控除されることになるが、その合計額は二〇八五万八一九八円に達し本件保証金額一五八〇万円を超えることになるから、被告において返還すべき保証金残額は存在しない。
四 抗弁に対する認否
抗弁1の事実は認めるが、2の事実は否認する。原告は本件貸室を通常の方法により利用していたのであり、かかる使用方法により生じた毀損についてまでこれを補修する義務を負うものではなく、被告が自らの負担において行なうべきである。
第三証拠《省略》
理由
一 本件賃貸借契約の内容、原告が昭和五〇年一〇月一八日を期限とする明渡予告をなし、同月二五日本件貸室を空室にして退去した事実、賃貸借継続中の原告の不履行による債務額等に関する請求原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
二 《証拠省略》によれば、本件賃貸借契約において、賃貸人たる原告は契約終了に際し賃借物件である本件貸室を原状に復して賃貸人たる被告に引渡すべき義務があることが認められる。そして、右原状回復義務とは、いうまでもなく賃借人が賃貸借終了の際賃借物件を賃借開始当時の状態に回復すべき義務を指すのであり、《証拠省略》によれば、その費用は賃借人が負担すべきものであることが認められる。原告はこの点に関し右に反する主張をするが、採用の限りではない。
三 《証拠省略》によれば、原告は本件貸室の一部を間仕切りして床に電算機を設置していたが、労使紛争がおこり、昭和五〇年三月一四日から同年九月一七日まで労働組合関係者が原告の占有を排除して本件貸室を占拠してこれに泊込んでいたところ、原告は右泊込期間中である同年七月一九日夜右電算機を強制撤去したこと、本件貸室には、電算機設置に伴なう床、壁等に対する諸工事、組合員の長期にわたる泊込み、電算機撤去作業等の結果、原告が賃借した当時の本件貸室の状況と対比すると別表記載の損傷を含め本件貸室の各所に毀損箇所が生じ、原告は本件貸室を空室にして退去した同年一〇月二五日までにその一部を補修し賃借当時の原状に復したものの、別表記載の毀損箇所については補修をしなかったこと、そこで、被告が昭和五一年九月合計七一万四八五〇円を支出して本件貸室の右毀損箇所を補修して原告賃借当時の原状に回復したことが認められ(る)。《証拠判断省略》
右の事実によれば、原告は昭和五〇年一〇月二五日本件貸室を空室にして退去したものの、賃借当時の原状に回復したものということができない。
四 そこで、本件のように、賃借人が賃貸借終了後原状回復義務を履行しないまま賃借部分を空室にして退去した場合の保証金返還義務の範囲について検討する。
本件保証金が賃借人たる原告の契約上の一切の債務を担保するため差入れられたものであること、本件賃貸借契約において、抗弁1に記載したような保証金からの原告の負担すべき債務額の優先控除及び明渡遅滞の際の損害金(以下「明渡遅延損害金」という)に関する合意がなされたことは、当事者間に争いがない。そして、本件賃貸借契約において賃借人が原状回復義務を負うものと解すべきことは前記二のとおりであるから、賃借人がその義務の履行として賃借物件の原状回復を行なっていたため約定の明渡期限を遅滞すれば、右遅滞期間につき明渡遅滞損害金が保証金より控除されることとなり、賃借人は原状回復のための補修費用と明渡遅滞損害金を負担することになる。
そこで、右の争いのない事実と想定事例との対比において考察すると、本件の如き場合には、賃借物件の原状回復のための補修が代替性を有し、かつ第三者において右補修着手可能時(多くの場合賃借物件から退去の時である)までにおける賃借人の負担する債務を保証金から控除した額によって、補修費用及び補修に必要な期間中の明渡遅滞損害金をまかない得るのであれば、賃貸人は賃借人退去後補修に必要な期間を経過した時点において、右残存保証金から、更に、補修費用のほか、補修必要期間を明渡遅延期間とみなし同期間中の明渡遅滞損害金を控除した残額を賃借人に返還すべき義務を負うものと解するのが相当である(なお、中途解約の場合であって右算定時点において当初の契約期間が満了していなければ、請求原因2の約定により右満了時まで右返還義務は猶予される。)。
もし、被告が主張するように、賃借人が原状回復義務を履行しない限り賃借物件の明渡が行なわれないと解すると、賃借人が自らその補修をなさない限り又は本件における如く賃貸人が補修を行なって明渡したとみなさない限り、明渡遅滞損害金が保証金から控除され続けることになる。そうだとすると、たとい補修をしないことにつき賃借人に責のある場合であっても、賃借人の損失が賃貸人の得る利益に比し均衡を失し不公平な結果を招来することが考えられる。例えば、賃借人が資力に欠け不本意に補修を遅滞しているが、反面経済情勢の影響等で貸室希望者が少なく仮に即時に原状回復されたとしてもこれを他に賃貸し得る蓋然性が低いことが予想されるにもかかわらず、賃貸人は補修が遅滞する間(少なくとも保証金から明渡遅滞損害金を控除し得る間)毎月賃料の倍額及び共益費用に相当する明渡遅滞損害金を取得し得るという結果を容認することにもなるのである。
これに対し前記の如き解釈をすれば、右のような不都合結果は避け得るし、また貸室希望者の多い場合には、保証金が残存する限り賃貸人が賃借物件の補修が可能となった時点において直ちに補修に着手すれば、その費用及び補修のため賃借物件を利用し得ない損害を明渡遅滞損害金控除という形で十分回復のうえ他に賃貸することができるのであるから、賃貸人にとって不利益をもたらすということはない。
五 以上に述べた理を本件についてみると、前記認定のように原告は本件貸室を昭和五〇年一〇月二五日に空室としたのであり、別表記載の毀損箇所の補修は代替性を有すると認められるから、同月二六日以降は、いつにても、被告において本件貸室の右毀損箇所を補修することが可能であったということができ、また、《証拠省略》によれば、右毀損箇所の補修工事は費用見積期間を含め約一ヶ月で可能であったことが認められるから、補修に必要な期間即ち明渡遅滞損害金を算定する期間は同年一〇月二六日から同年一一月末日までと認めるのが相当である。
従って、本件保証金一五八〇万円から控除が認められるのは、当事者間に争いのない請求原因2記載の解約手数料一五八万円、同3記載の原告の被告に対する未払賃料債務等合計四五七万二四四八円、前記三認定の本件貸室の別表記載の毀損箇所の補修費用七一万四八五〇円、昭和五〇年一〇月二六日から同年一一月末日までの明渡遅滞損害金一三七万八九三二円(一〇月二六日から一〇月三一日までの日割賃料相当額一〇万七〇三二円((因に一〇月分の賃料及び共益費は請求原因3により原告自らいずれも全額控除ずみであるから、一〇月分の明渡遅滞損害金としては右期間の日割賃料相当額を算出すれば足りるものと解すべきである))一一月一日から同月末日までの賃料の倍額相当額一一〇万六〇〇〇円、共益費相当額一六万五九〇〇円の合計額)以上合計八二四万六二三〇円と算出され、その結果、原告に返還すべき保証金残額は七五五万三七七〇円となる。そして、本訴係属中に本件賃貸借契約の終期である昭和五二年九月三〇日が到来したので、同日の経過により、被告は右金額につき原告に対し即時返還の義務を負うに至った。
六 よって、原告の本訴請求は七五五万三七七〇円の支払いを求める限度において正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、担保を条件とする仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松野嘉貞)
<以下省略>