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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)4275号 判決 1981年10月22日

原告

和泉一成

ほか七名

被告

木暮清一

ほか二名

主文

一  被告木暮清一は、

1  原告和泉一成、同和泉綾子、同和泉ソノ子に対し、各金一〇〇五万八一二円及び内金九一五万八一二円に対する昭和四九年一一月一六日以降、内金九〇万円に対する昭和五二年五月二二日以降、各完済に至るまで年五分の割合による金員を、

2  原告和泉芳夫に対し、金一七三万三六九〇円及び内金一五八万三六九〇円に対する昭和四九年一一月一六日以降、内金一五万円に対する昭和五二年五月二二日以降、各完済に至るまで年五分の割合による金員を、

3  原告和泉榮、同和泉三郎、同大堀芳則に対し、各金五五万三二七六円及び内金五〇万三二七六円に対する昭和四九年一一月一六日以降、内金五万円に対する昭和五二年五月二二日以降、各完済に至るまで年五分の割合による金員を、

4  原告和泉四男に対し、金五七万九五九三円及び内金五二万九五九三円に対する昭和四九年一一月一六日以降、内金五万円に対する昭和五二年五月二二日以降、各完済に至るまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

二  原告らの被告木暮清一に対するその余の請求を棄却する。

三  原告らの被告永島えり子及び同太陽ブロツク工業株式会社に対する各請求をそれぞれ棄却する。

四  訴訟費用は、原告らと被告木暮清一との間においては、原告らに生じた費用の二分の一を被告木暮清一の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告永島えり子及び同太陽ブロツク工業株式会社との間においては、全部原告らの負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告和泉一成、同和泉綾子及び同和泉ソノ子に対し各金一二八七万六七六〇円、原告和泉芳夫に対し金三八〇万八一四八円、原告和泉榮、同和泉三郎及び同大堀芳則に対し各金一二八万一一二二円、原告和泉四男に対し金一六九万七四三九円並びにこれらに対する昭和四九年一一月一六日以降右各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

訴外和泉公二(以下、亡公二という。)は、昭和四九年一一月一六日午前二時三〇分ころ、埼玉県熊谷市大字楊井八六番地先県道上を普通乗用自動車(車両番号相模五五る二三六〇、以下、原告車という。)を運転して進行中、対向車線を進行してきた被告木暮清一(以下、被告木暮という。)運転の普通貨物自動車(車両番号群馬一一す一九〇五、以下、被告車という。)と衝突した(以下、本件事故という。)

1  権利侵害

本件事故により、原告車の同乗者訴外和泉フミイ(以下、亡フミイという。)は、脳挫傷等の傷害を受け、そのため本件事故発生から約一時間半後に死亡し、原告車の運転者亡公二は、頭蓋底骨折及び頭蓋内出血の傷害を受け、そのため事故発生から約一四時間後に死亡し、原告車の同乗者原告和泉芳夫(以下、原告芳夫という。)は、右前頭部挫傷、右側第七ないし第九肋骨々折の傷害を受け、訴外河野病院に昭和四九年一一月一六日から昭和五〇年一月五日まで五一日間入院し、その後若干の期間通院し、原告車の同乗者原告和泉四男(以下、原告四男という。)は、顔面打僕裂創の傷害を受け、訴外河野病院に昭和四九年一一月一六日から同月二〇日まで通院し、その後訴外キヤタピラ三菱株式会社診療所に同年一二月五日から昭和五〇年八月六日まで通院した。

3  責任原因

(一) 被告木暮は、被告車を運転するについてセンターラインを越えることなく、道路上の自己の走行車線に従つて運転すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、本件事故現場において被告車をセンターラインを越えて対向車線に進入させた過失により、別紙図面×地点で原告車に衝突させ、本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告永島えり子(以下、被告永島という。)は、被告車を所有し、自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下、自賠法という。)三条に基づき、原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(三) 被告太陽ブロツク工業株式会社(以下、被告会社という。)は、被告木暮を自動車持ち込みの形式で同社の運送業務に携わらせており、右業務執行について同人に対し指揮監督を及ぼしていたものであるから、被告会社と被告木暮との間には使用関係があり、本件事故は被告木暮が被告会社の業務執行中に同人の過失により生じたものであるから、被告会社には民法七一五条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

4  損害

(一) 亡フミイについて

(1) 逸失利益

亡フミイは、大正三年一一月一四日生れの、本件事故当時六〇歳の女子であり、本件事故により死亡しなければ七〇歳まで一〇年間稼働し、その間少くとも毎年女子労働者平均賃金である金一〇四万二九〇〇円の収入が得られるはずであるから、右の額から生活費としてその五割を、またライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息をそれぞれ控除して右死亡時の現在価額を算出すると、その額は金四〇二万六一一五円となる。

(2) 葬祭費用

亡フミイは、その死亡により葬祭費用として金三〇万円を要した。

(3) 慰藉料

亡フミイは、本件事故により精神的苦痛を受けたもので、これを慰藉するためには金一〇〇〇万円が相当である。

(4) 損害の填補

以上によれば、亡フミイの本件事故による損害額の合計は金一四三二万六一一五円であるところ、自動車損害賠償責任保険から、同人の損害金として金五五四万二六九六円が支払われているのでこれを控除すると、亡フミイの損害賠償債権額は金八七八万三四一九円となる。

(5) 相続

亡フミイの死亡により、原告芳夫はその夫として同人の前記損害賠償債権につきその三分の一である金二九二万七八〇六円を、原告和泉榮(以下、原告榮という。)、亡公二、原告和泉三郎(以下、原告三郎という。)、原告四男、原告大堀芳則(以下、原告大堀という。)は、いずれも亡フミイの子としてそれぞれ同じくその一五分の二である金一一七万一一二二円を相続した。

(二) 亡公二について

(1) 逸失利益

亡公二は、昭和一七年一月二日生れの、本件事故当事三二歳の男子であり、本件事故により死亡しなければ、六七歳まで少くとも三四年間稼働し、その間毎年本件事故当時得ていた金二四一万二二二八円を下らない収入を得られるはずであるから、右の額から生活費としてその三割を、またライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息をそれぞれ控除して右死亡時の現在価額を算出すると、その額は金二七三四万一一五七円となる。

(2) 葬祭費用

亡公二は、その死亡により葬祭費用として金四〇万円を要した。

(3) 慰藉料

亡公二は、本件事故により精神的苦痛を受けたもので、これを慰藉するためには金一五〇〇万円が相当である。

(4) 損害の填補

右(1)ないし(3)の損害額の合計は金四二七四万一一五七円であるところ、自動車損害賠償責任保険から亡公二の損害金として金八七九万一九九五円が支払われているのでこれを控除すると金三三九四万九一六二円になるが、これに前記(一)(5)の亡フミイの損害賠償債権の内亡公二の相続分金一一七万一一二二円を加えると、亡公二の本件事故による損害賠償債権額は金三五一二万二八四円となる。

(5) 相続

亡公二の死亡により、原告和泉ソノ子(以下、原告ソノ子という。)はその妻として、原告和泉一成(以下、原告一成という。)及び原告和泉綾子(以下、原告綾子という。)はその子として、亡公二の前記損害賠償債権の三分の一である金一一七〇万六七六〇円ずつを相続した。

(三) 原告芳夫について

(1) 休業損害

原告芳夫は、本件事故による傷害のため前記のとおり五一日間入院し、その間休業のやむなきに至つたので、同人の年齢である六二歳に対応する男子労働者平均賃金である年額金一五三万七六〇〇円を基礎に右休業期間中の損害を算出すると、その額は金二一万四八四二円となる。

(2) 入院雑費

原告芳夫は、本件事故により前記のとおり五一日間入院し、一日当たり金五〇〇円の雑費を要したから、その合計額は金二万五五〇〇円となる。

(3) 慰藉料

原告芳夫は、本件事故に基づく傷害により精神的苦痛を受けたもので、これを慰藉するためには金三〇万円が相当である。

(4) 右(1)ないし(3)の損害額合計金五四万三四二円に、前記(一)(5)の亡フミイの損害賠償債権の内原告芳夫の相続分金二九二万七八〇六円を加えると、原告芳夫の本件事故による損害賠償債権額は金三四六万八一四八円となる。

(四) 原告四男について

(1) 休業損害

原告四男は、本件事故による傷害のため約一か月間休業のやむなきに至り、金一一万七五八一円の損害を受けた。

(2) 治療費

原告四男は、本件事故による前記傷害の治療費として訴外キヤタピラ三菱株式会社診療所において金二〇万八四八五円を要した。

(3) 慰藉料

原告四男は、本件事故による前記傷害のため精神的苦痛を受けたもので、これを慰藉するためには金七〇万円が相当である。

(4) 損害の填補

右(1)ないし(3)の損害額の合計は金一〇二万六〇六六円であるところ、自動車損害賠償責任保険から同人の損害金として金六四万九七四九円が支払われているので、これを控除すると金三七万六三一七円になるが、これに前記(一)(5)の亡フミイの損害賠償債権の内原告四男の相続分金一一七万一一二二円を加えると、原告四男の本件事故による損害賠償債権額は金一五四万七四三九円となる。

(五) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に依頼し、その報酬等として原告一成、同綾子及び同ソノ子は各金一一七万円、原告芳夫は金三四万円、原告四男は金一五万円、原告榮、同三郎及び同大堀は各金一一万円を支払うことを約した。

そこで、被告らに対し連帯して、原告一成、同綾子及び同ソノ子は各金一二八七万六七六〇円、原告芳夫は金三八〇万八一四八円、原告榮、同三郎及び同大堀は各金一二八万一一二二円、原告四男は金一六九万七四三九円並びにこれらに対する不法行為の日である昭和四九年一一月一六日以降各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。

3(一)  同3(一)の事実は否認する。被告木暮は、原告車が亡公二の居眠り運転によりセンターラインを越えて被告車走行車線に進入してきたので、正面衝突を避けるため別紙図面<2>地点付近でブレーキをかけ、ハンドルを右に切つたが間に合わず、同<3>地点と×地点の間の×地点よりもセンターライン寄りの地点で原告車と衝突したものであり、本件事故は亡公二の一方的過失により生じたものであるから、被告木暮に過失はない。

(二)  同3(二)の事実は否認する。被告永島は、被告木暮が被告車購入当時未成年であつたので、同人の代わりに単に車両名義人となつたにすぎず、車両代金をすべて被告木暮が支払い、車両の管理も同人が行つていたもので、被告永島は被告車の所有者でも管理者でもないから、運行供用者ではない。

(三)  同3(三)の事実は否認する。被告会社は、被告木暮に対しブロツクの運送をさせていたが、被告木暮は、主として被告車があいている場合、その都度個数、運送場所、日時、運賃を決めて運送を引き受けていたもので、被告会社と被告木暮はブロツク運送契約の当事者にすぎず、運送契約に定められた以外の事項については被告木暮の裁量によつて行われていたものであり、被告会社は被告木暮の運転業務に対しては何らの監督の権限を有せず、またその事実もないのであるから、被告会社は、被告木暮の使用者に当たらない。

4  同4の事実のうち、自動車損害賠償責任保険から原告ら主張の金員の支払いがされたことは認め、その余の事実は争う。

なお、被告木暮は、原告らに対し、交通費その他の雑費として金二六万二六六一円相当の現物給付及び金銭支払いをしているので、慰藉料の算定に当たつて斟酌すべきである。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求の原因1の事故の発生の事実は当事者間に争いがない。

原告ソノ子本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第四号証、成立に争いのない甲第五ないし第九号証、原告芳夫本人尋問の結果によれば、本件事故により、原告車の同乗者亡フミイは、脳挫傷の傷害を受け、そのため事故発生日である昭和四九年一一月一六日午前三時五分に死亡し、原告車の運転者亡公二は、頭蓋底骨折及び頭蓋内出血の傷害を受け、そのため同日午後四時二〇分に死亡し、原告車の同乗者原告芳夫は、右前額部挫傷及び右側第七ないし第九肋骨々折の傷害を受け、右同日から昭和五〇年一月五日まで訴外河野病院に入院し、退院後約一か月間は一週間から一〇日に一度の割合で同病院に通院し、原告車の同乗者原告四男は、顔面打撲裂創、外傷性頸性症候群及び左胸背筋高度挫傷の傷害を受け、昭和四九年一一月一六月から同月二〇日までの間に四日訴外河野病院に、同年一二月五日から昭和五〇年八月六日までの間に一〇七日訴外キヤタピラ三菱株式会社診療所に、それぞれ通院したことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

二  そこで、被告木暮の責任について判断する。

成立に争いのない甲第一七号証の一ないし四、第一八、第一九号証、乙第二号証、証人坂口正の証言、原告芳夫及び被告木暮各本人尋問の結果によれば、本件事故現場は、熊谷市街地方面から東松山市方面へ向かつて南北に延びた幅員六・六メートル、片側一車線の歩・車道の区別のない県道上で、本件事故現場付近は直線であるが、熊谷市街地方面へは数十メートル先から左へ曲線となつており、道路の西側は傾斜度約五〇度の土手となつていること、被告車は、四・五トン積みの普通貨物自動車で、コンクリートブロツク一二、三トンを積載して熊谷市街地方面から東松山方面へ時速四〇ないし四五キロメートルで進行していたこと、同車は本件事故直後別紙図面<4>地点に車体の右前部を前記土手にぶつける形で南西方向に向かつて斜めに停車しており、車体の右前輪上部、右前部ヘツドライト、右ドア付近が損壊して著しく後方へ押しひしがれており、前部ガラスが破損脱落し、右前輪がパンクしていたこと、原告車は、東松山方面から熊谷市街地方面へ時速約四五キロメートルで進行していたこと、同車は、本件事故直後別紙図面<ロ>地点に被告車右側面の荷台の下に車体の前部を突つこみ、後部を土手の上方に乗り上げる形で停車しており、車体の前部右側は右前部ドア付近まで、前部左側は左前部ドアの手前まで著しく破損し、ボンネツトは上方へまくれあがり、前面ガラスは破損脱落していたこと、亡公二及び亡フミイはそれぞれ原告車の右前部運転席及び右後部座席に、負傷した原告芳夫及び同四男はそれぞれ同車の左前部助手席及び左後部座席に乗車していたこと、本件事故現場付近には別紙図面のとおり<2>地点付近に長さ二・三メートル、<3>地点付近に長さ七メートルの際過痕があり、後者は<3>地点で被告車走行車線から原告車走行車線へ斜めにセンターラインと交差しており、いずれも被告車の右側車輪によつて生じたものであること、×地点及び<4>地点付近には長さ五・五メートルと八・六メートルの二条のスリツプ痕があり、前者は被告車右側車輪、後者は同車左側車輪によつて生じたものであること、別紙図面×地点付近にはライト、前面ガラスの破片及び泥が多数落ちていたこと、本件事故現場付近には原告車によつて生じたとみられる擦過痕、スリツプ痕等は見当たらなかつたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

以上の事実によれば、原告車と被告車は、被告車の右前部の角と原告車の右前部がほぼ正面衝突に近い形で衝突し、被告車の重量が原告車のそれにくらべてはるかに重いため、原告車は被告車に押され車体を右回転しながら後退し、双方車両共前記土手に衝突して停止したこと、被告車は本件道路下り車線を走行して来て別紙図面<3>地点付近でセンターラインを越え、右にカーブしながら約二〇メートル走行したことが推認される。また、ライト、前面ガラスの破片が×地点付近に落ちていたこと、原告車が被告車と<3>地点より北側で衝突したとすれば、被告車が衝突後約二〇メートルの間路上に何らの痕跡も残さないで<ロ>地点に至ることは考えられないにもかかわらず、その痕跡がないことを考え合わせると、原告車と被告車の衝突地点は別紙図面×地点付近であると推認するのが相当である。

ところで、前掲甲第一八号証、証人坂口正の証言、被告木暮本人尋問の結果によれば、本件事故直後の実況見分時に、別紙図面地点付近に被告車のフオツグランプの破片が落ちていたことが認められるが、証人坂口正の証言によれば、右破片は直径一〇センチメートル程のもの一個で、本件事故直後本件道路下り車線をかなりの数の自動車が走行しており、右走行により右破片が移動して地点に至つた可能性があることが認められる(右認定に反する趣旨に帰する被告木暮の本人尋問の結果は措信できない。)から、右フオツグランプの破片の位置のみによつて前記衝突地点の認定を覆えずには至らない。

また、被告らは、原告車が亡公二の居眠り運転によりセンターラインを越えて被告車走行車線に進入したため、被告木暮は、別紙図面<2>地点付近でブレーキをかけ、ハンドルを右に切つたものであり、衝突地点は同<3>地点と×地点との間の×地点よりもセンターライン寄りの地点であると主張し、証人藤田精一、同木暮声、同木暮善治の証言中には、亡公二の居眠り運転を窺わせるかのような部分がある。しかし、右証言部分は、いずれも確実な根拠に基づかない憶測の域を出ないものであり、原告芳夫本人尋問の結果に照らすとたやすく信用することができない。さらに、前記認定の同<2>地点及び<3>地点付近の被告車の擦過痕のみから原告車が亡公二の居眠り運転によりセンターラインを超えて走行したことを認めることはできないし、他にこれを窺わせる証拠もないから、被告らの右主張を採用することはできない。

なお、被告らは、被告木暮が本件事故直後において、本件事故の原因は別紙図面<1>地点付近で被告車の右前輪がパンクしたため、ハンドルをとられてセンターラインを越えたことによる旨の供述をしたことがあるところ、その後の被告車の右前輪のタイヤ等の調査の結果、パンク後被告車が二〇メートルもの距離を走行したものとは認められないとし、このことを亡公二の居眠り運転によるセンターライン・オーバーという右主張に副う事実である旨の主張をしている。そして、前掲乙第二号証、証人本橋誠の証言中には、被告車の右前輪のタイヤ・チユーブの破損状況と当時の被告車の荷重等を考え合わせると、別紙図面<1>地点付近で被告車の右前輪がパンクし、したがつて被告車がパンク後停止位置まで二〇メートル以上も走行したとすると、右車輪のタイヤ・チユーブはもつと激しく破損していたはずである旨の記載ないし供述がある。かりに、右記載ないし供述のとおりであるとしても、前記認定のとおり、被告車のセンターライン・オーバー(その原因は証拠上確認できない。)により別紙図面×地点で衝突したという事実を前提とし、右のパンクも衝突時点以後に生じたとすれば、タイヤ等の状況から推認できるパンク後の被告車の走行距離と矛盾は生じない。

以上によれば、本件事故は被告木暮が被告車を運転中別紙図面<3>地点付近でセンターラインを越えたため生じたもので、被告木暮には通行区分に違反して被告車を運転した過失があると認められるから、民法七〇九条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

三  次に、被告永島の責任について判断する。

被告木暮本人尋問の結果によれば、本件事故当時被告車の登録名義は被告永島であつたことが認められる。

しかしながら右尋問の結果によれば、被告車は、被告木暮が昭和四九年三月ころ運送業をするために購入したもので、代金及び保険料等は被告木暮が支払い、もつぱら同人が使用していたこと、被告永島名義で登録したのは、右購入時被告木暮が未成年で、かつ、同人の両親が右購入に反対していたため、当時友人であつた被告永島に依頼して同人名義で登録してもらつたこと、被告永島は被告車を使用したことは全くないことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。以上によれば、被告車の所有者は被告木暮であつて、被告永島は、被告車に関する運行支配、運行利益を有する地位にはなかつたものというべきであるから、被告車を自己のために運行の用に供していたということはできない。そうすると、自賠法三条の運行供用者責任の成立を前提とする原告らの被告永島に対する請求は理由がない。

四  次に、被告会社の責任について判断する。

原本の存在及び成立に争いのない乙第五号証の一ないし三、証人藤生照雄の証言、被告木暮本人尋問の結果によれば、被告木暮は昭和四九年九月一四日以降被告会社のブロツクの運送を請け負うようになり、請負日数は同年九月が一一日、同年一〇月が二四日、同年一一月が同月一五日まで一二日であり、休日を除いてほとんど毎日であつたこと、運賃は、ブロツクの単価、数量によつて決められ、毎月二五日締め切り、翌月一五日払いであつたこと、ガソリン代、車の税金は被告木暮が負担していたこと、仕事の内容は被告会社から被告木暮の自宅へ毎日定時に指示があるが、納期に遅れない限り、ブロツクの運送方法、経路、時間については被告木暮の裁量で行い、被告会社がこの点について指示したことはなかつたこと、被告木暮は、被告会社との間に専属契約を結んだことはなく、被告会社の仕事をするか他の仕事をするかは、被告木暮の自由に任されていたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

以上の事実によれば、被告木暮と被告会社との間に雇用契約があつたということはできず、また被告木暮は本件事故前約二か月間ほとんど毎日被告会社の製品を運送していたものであるが、運賃の支払方法、被告車にかかる経費を被告木暮が負担していること、運送方法、経路、時間は被告木暮の裁量にまかされていること、被告会社との間に専属契約はないことを併せ考えると、いまだ被告木暮と被告会社との間に実質的な指揮監督関係があつたということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被告木暮と被告会社との間には被用関係あるいは実質的にこれと同視すべき関係があつたということはできないから、被告会社に対し民法七一五条の使用者責任を求める原告らの請求は、理由がなく、失当である。

五  次に、損害について判断する。

1  亡フミイについて

(一)  逸失利益

前掲甲第五号証、成立に争いのない甲第一四号証及び弁論の全趣旨によれば、亡フミイは大正三年一一月一四日生れで本件事故当時六〇歳の主婦であり、農業も営んでいたことが認められるところ、本件事故により死亡しなければ六七歳まで少くとも七年間稼働し、その間毎年昭和四九年度賃金センサスの企業規模計、産業計、学歴計、全年齢平均の女子労働者の給与額である金一一二万四〇〇〇円と同程度の収入が得られるはずであるから、その範囲内である原告ら主張の年収金一〇四万二九〇〇円を基礎とし、右の額から生活費としてその五割を、またライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息をそれぞれ控除して右死亡時の現在価額を算出すると、その額は次の計算式により金三〇一万七二六六円(一円未満切捨て)となる。

1,042,900×(1-0.5)×5.7863=3,017,266.135

(二) 葬祭費用

弁論の全趣旨によれば、亡フミイの死亡による葬祭費用のうち、金三〇万円を本件事故による損害と認めるのが相当である。

(三) 慰藉料

亡フミイが、本件事故により死亡するに至る傷害を受け、多大の精神的苦痛を被つたことは容易に推認し得るところであり、本件事故の態様、同人の年齢、その他諸般の事情を考慮すると、同人の受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては金六〇〇万円が相当である。

(四) 損害の填補

右(一)ないし(三)の損害額の合計は金九三一万七二六六円になるところ、自動車損害賠償責任保険から亡フミイの損害金として金五五四万二六九六円が支払われたことは当事者間に争いがないから、右金額を亡フミイの損害額から控除すると、亡フミイの損害賠償債権額は金三七七万四五七〇円となる。

(五) 相続

前記一認定事実によれば、亡フミイは亡公二より先に死亡したことが明らかであり、右事実と前掲甲第一四号証、成立に争いのない甲第一六号証を総合すれば、亡フミイの相続人は、その夫である原告芳夫、その子である原告榮、亡公二、原告三郎、同四男、同大堀であることが認められる。そうすると、亡フミイの損害賠償債権について、原告芳夫はその三分の一である金一二五万八一九〇円を、原告榮、亡公二、原告三郎、同四男及び同大堀は、それぞれその一五分の二である金五〇万三二七六円を相続した。

2  亡公二について

(一)  逸失利益

原告ソノ子本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一〇、第一一号証、成立に争いのない甲第一三号証によれば、亡公二は、昭和一七年一月二日生れの本件事故当時三二歳の男子で、訴外キヤタピラ三菱株式会社に勤務し、一年間に金二四一万二二二八円の収入を得ていたことが認められるところ、本件事故により死亡しなければ、六七歳まで少くとも三四年間稼働し、その間毎年右金額と同程度の収入が得られるはずであるから、右金二四一万二二二八円を基礎とし、右の額から生活費としてその三割を、またライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息をそれぞれ控除して、右死亡時の現在価額を算出すると、その額は次の計算式により金二七三四万一一五七円(一円未満切捨て)となる。

2,412,228×(1-0.3)×16.192=27,341,157.0432

(二) 葬祭費用

弁論の全趣旨によれば、亡公二の死亡による葬祭費用のうち、金四〇万円を本件事故による損害と認めるのが相当である。

(三) 慰藉料

亡公二が、本件事故により死亡するに至る傷害を受け、多大の精神的苦痛を被つたことは容易に推認し得るところであり、本件事故の態様、同人の年齢、その他諸般の事情を考慮すると、同人の受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては金八〇〇万円が相当である。

(四) 損害の填補

右(一)ないし(三)の損害額の合計は金三五七四万一一五七円になるところ、自動車損害賠償責任保険から亡公二の損害金として金八七九万一九九五円が支払われていることは当事者間に争いがないから、右金額を同人の損害額から控除すると、金二六九四万九一六二円になるが、これに前記1(五)の亡フミイの損害賠償債権のうち亡公二の相続分金五〇万三二七六円を加えると、亡公二の本件事故による損害賠償債権額は金二七四五万二四三八円となる。

(五) 相続

前掲甲第一三号証によれば、亡公二の相続人は、その妻である原告ソノ子、その子である原告一成、同綾子であることが認められる。そうすると、原告ソノ子、同一成及び同綾子は、亡公二の損害賠償債権についてその三分の一である金九一五万八一二円をそれぞれ相続した。

3  原告芳夫について

(一)  休業損害

原告芳夫本人尋問の結果によれば、原告芳夫は本件事故当時農業を営んでいたことが認められるところ、同人が本件事故による傷害のため五一日間入院したことは前記認定のとおりであるから、同人は右入院期間中、右農業を休業したことが認められる。

原告芳夫は右休業損害算定の基礎として賃金センサスによる額を主張するが、右入院により原告芳夫の農業収入が減少したことを認めるに足りる証拠はなく、休業期間中に損害が生じたか否かが明らかでない本件においては、直ちに賃金センサスの額を損害算定の基礎とすることはできないものであるから、原告らの主張は失当である。

(二)  入院雑費

弁論の全趣旨によれば、原告芳夫は、前記五一日間の入院期間中毎日相当額の雑費を支出したことが認められ、そのうち本件事故による損害として賠償を請求し得る額は、一日当たり金五〇〇円の割合による合計金二万五五〇〇円とみるのが相当である。

(三)  慰藉料

原告芳夫が、本件事故により前記のような傷害を受け、多大の精神的苦痛を被つたことを推認することができ、本件事故の態様、傷害の程度等を考慮すると、右苦痛に対する慰藉料としては金三〇万円が相当である。

(四)  右(一)ないし(三)の損害額に、前記1(五)の亡フミイの損害賠償債権の内原告芳夫の相続分を合計すると、原告芳夫の本件事故による損害賠償債権額は金一五八万三六九〇円となる。

4  原告四男について

(一)  休業損害

前掲甲第八号証、成立に争いのない甲第一二号証、原告四男本人尋問の結果によれば、原告四男は本件事故による傷害のため当時勤務していた訴外キヤタピラ三菱株式会社を昭和四九年一一月二七日から同年一二月二日まで及び同月四日から同月三一日までの合計三三日間欠勤し、その間の給与の支給を受けなかつたこと、右欠勤前三か月間の平均給与額は一か月金一一万七五八一円であることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。右事実によれば、原告四男の被つた休業損害は金一一万七五八一円を下らないものとみるのが相当である。

(二)  治療費

前掲甲第九号証によれば、原告四男は本件事故により被つた前記傷害の治療のために訴外キヤタピラ三菱株式会社診療所に対し治療費として金二〇万八四八五円の支出を余儀なくされ、同額の損害を被つたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

(三)  慰藉料

原告四男が、本件事故により前記のような傷害を受け、精神的苦痛を被つたことを推認することができ、本件事故の態様、傷害の程度等を考慮すると、右苦痛に対する慰藉料としては金三五万円が相当である。

(四)  損害の填補

右(一)ないし(三)の損害額の合計は金六七万六〇六六円になるところ、自動車損害賠償責任保険から原告四男に対し同人の損害金として金六四万九七四九円が支払われていることは当事者間に争いがないから、右金額を同人の損害額から控除すると、金二万六三一七円になるが、これに前記1(五)の亡フミイの損害賠償債権の内原告四男の相続分金五〇万三二七六円を加えると、原告四男の本件事故による損害賠償債権額は金五二万九五九三円となる。

5  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任したことが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額等を考慮すると、賠償を求め得る弁護士費用は、原告一成、同綾子、同ソノ子についてはそれぞれ金九〇万円、原告芳夫については金一五万円、原告榮、同三郎、同四男、同大堀についてはそれぞれ金五万円と認めるのが相当である。

6  以上によれば、原告らの有する損害賠償債権額は、原告一成、同綾子、同ソノ子が各金一〇〇五万八一二円、原告芳夫が金一七三万三六九〇円、原告榮、同三郎、同大堀が各金五五万三二七六円、原告四男が金五七万九五九三円となる。

六  以上の次第であるから、原告らの被告木暮に対する請求は、原告一成、同綾子、同ソノ子につき各金一〇〇五万八一二円及び内金九一五万八一二円に対する不法行為の日である昭和四九年一一月一六日以降、内金九〇万円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五二年五月二二日以降各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告芳夫につき金一七三万三六九〇円及び内金一五八万三六九〇円に対する同じく昭和四九年一一月一六日以降、内金一五万円に対する同じく昭和五二年五月二二日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告榮、同三郎、同大堀につき各金五五万三二七六円及び内金五〇万三二七六円に対する同じく昭和四九年一一月一六日以降、内金五万円に対する同じく昭和五二年五月二二日以降各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告四男につき金五七万九五九三円及び内金五二万九五九三円に対する同じく昭和四九年一一月一六日以降、内金五万円に対する同じく昭和五二年五月二二日以降各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は理由がないから失当としてこれを棄却することとし、原告らの被告永島及び被告会社に対する請求はいずれも理由がないから失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 北川弘治 芝田俊文 富田善範)

別紙図面

<省略>

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