東京地方裁判所 昭和52年(ワ)6306号 判決 1980年1月31日
原告 株式会社 留苑
右代表者代表取締役 朴憲
右訴訟代理人弁護士 中野公夫
藤本健子
被告 稲田万里子
右訴訟代理人弁護士 八木忠則
名城潔
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一 原告代理人は、「一、被告は原告に対し、別紙物件目録記載の建物部分を明渡し、かつ、昭和五二年二月七日から右明渡済みに至るまで一か月金四三万円の割合による金員を支払え。二、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに右第一項につき仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり述べた。
(一) 原告は別紙物件目録記載の建物部分を訴外ニイミビル有限会社から賃料一か月金一四万円、共益費一か月金三万円の約で賃借している。
(二) 原告は右建物部分(以下本件店舗という)に造作を施し什器備品を備えて喫茶店営業をしているが、原告は、被告との間に昭和五〇年四月一五日営業委託契約を締結し、(同年九月六日公正証書作成)、右喫茶店営業を被告に委託した。
右営業委託契約の内容は次のとおりである。
(1) 営業委託期間は昭和五〇年二月七日から昭和五二年二月六日まで二年間とする。
(2) 被告は、毎月の売上金から次の金員を支払った残額を、報酬として取得する。
(イ) 翌月分の家賃一四万円
(ロ) ビル共益費三万円
(ハ) 光熱費、水道料、看板料(五〇〇〇円)その他の必要経費
(ニ) 原告の毎月の取得分
昭和五〇年二月から昭和五一年一月までの間は毎月二五万円
昭和五一年二月から昭和五二年一月までの間は毎月二六万円
(3) 被告は、右(イ)、(ロ)及び(ニ)の各金員を、毎月二八日までに原告に支払う。
(4) 右委託期間は更新せず、昭和五二年二月六日の経過により契約は当然終了する。
(三) 右営業委託契約は昭和五二年二月六日の経過により終了したが、被告は引続き本件店舗を占有して喫茶店営業を継続し、その結果原告は毎月少くとも金四三万円(家賃相当額一四万円、共益費相当額三万円、右営業を原告ができれば毎月取得すべかりし利益相当額二六万円、以上の合計金額)の損害を被っている。
よって、原告は被告に対し、本件店舗の明渡及び同月七日から明渡済みまで一か月四三万円の割合による損害金の支払を求める。
(四) 仮に前記契約が被告主張のように本件店舗の賃貸借(転貸借)契約であるとしても、原告は、右賃貸借の期間満了による法定更新後の昭和五三年一月二〇日本件口頭弁論期日に同日付準備書面を陳述して、被告に対して賃貸借解約の申入れをした。
(五) 右解約申入れには次の正当事由があり、右賃貸借は六か月後の同年七月二〇日の経過をもって終了した。
(1) 本件店舗に関する権利は原告会社の唯一の資産であり、被告との契約により受領する利益金一か月二六万円は訴外朴春子及び原告代表者朴憲の唯一の生活の糧である。
原告代表者朴憲の父母は、昭和一六年朝鮮から日本に移住し福島県会津若松市で朝鮮人参の販売業をして生計を立てていたが、昭和四二年父の急死により廃業した。そこで一家は居住不動産を売却して上京したうえ、右売却代金から一部を借金返済に充てた残金を資金として昭和四四年四月本件店舗の賃借権を譲り受け、原告会社を設立し、店舗内装を一新し什器備品一式を購入して喫茶店「ナポリ」を開業した。半年を経過した頃仕入先の訴外サンワ珈琲株式会社(以下サンワと略称)からの要請を受け、原告は同年一一月一日契約を締結してサンワに営業を委託した。その後、昭和四七年一〇月頃被告は無権限のサンワ従業員訴外若林某から騙され本件店舗に関する権利を譲り受けたが、原告は昭和四八年一月にこのことを知った。
被告から使用を続けたいと懇願されたので、原告は同年二月六日、二年間限りの約束で被告と営業委託契約を結び使用を認めた。昭和五〇年二月六日の右契約期間満了前に、原告は、被告から「もう一度だけ二年間やらせてほしい」と再三の懇請を受け、二年後には必ず明渡してくれるものと信じ本件契約をしたのである。
原告代表者朴憲は在日朝鮮人であることから、将来的な生活基盤を築いて行くためには自家営業をする以外にはなく、現在一時的に運送会社に勤めているが、何時でも退職して本件店舗で喫茶店業を営む心づもりであり、被告の明渡を強く待ち望んできたのであり、原告には本件店舗を自己使用する必要がある。
(2) 被告は、夫が国鉄職員で安定した収入があるほか被告自身ニイミビル有限会社から同じ建物の一階のコーナーを借りて「おにぎり屋」を経営しており、恵まれた経済条件にある。したがって被告は、本件店舗を明渡しても何らの打撃を受けるものではない。
(3) 昭和五二年一二月家主ニイミビル有限会社から原告に対し本件店舗の賃料及び共益費の増額請求があり、原告がその旨被告に通知したところ、被告は、同月二九日訴外朴春子宅を訪れて同月限りで店をやめて明渡す旨挨拶し、昭和五三年一月五日当時は閉店してピアノ等一部の荷物を残すだけの状態であり、被告は原告代表者に対し、同月一〇日夜には翌日明渡す旨の電話をしながら、翌一一日には、八木弁護士から叱られたから店を続けると述べて前言をひるがえした事実があり、右のように被告が一時明渡の意思を表明したのは、被告にとって明渡が容易であることを物語るものである。
(4) 被告は、原告に無断で、夜間の時間帯に第三者に本件店舗を使用させてクラブを営業している。
(5) 原告は、家主ニイミビル有限会社との本件店舗賃貸借契約の期間が昭和五四年四月二二日に満了するため、被告との契約を解消して自ら営業をする必要に迫られていたし、原被告間の本件契約についてはニイミビル有限会社の承諾を得ていないので、同会社から無断転貸を理由として何時でも明渡訴訟を提起され得る立場にあり、この状況を早く解消しなければならない。
(6) 被告は、本件で訴訟上の和解が不調となるや、原告に無断で、昭和五三年三月一三日工事業者をして本件店舗の改装工事を開始させた。これは原被告間の営業委託契約第九条に違反することでもあり、ますます被告が明渡に応じない状況がつくられることになるので、原告は工事禁止の仮処分を申立てたうえ、その旨被告に連絡したのに、被告はこれを無視して工事を続行し審尋期日までに工事を終了したため、右仮処分の申立理由は消滅した。被告の右改装工事は賃貸借における信頼関係を損う行為である。
(六) (被告の主張に対し)
原被告間の当初の契約については、原告としては、被告に賃貸するよりも、新規に相当の保証金敷金を受領して他の第三者に賃貸する方が経済的に有利であったが、被告が若林に騙されて契約し五〇〇万円近い金額を支払ったと聞き、被告の立場に同情して、低額の三〇万円の保証金を受領して契約したのである。
被告は、人手を借りずに営業できる程度の広さの本件店舗に従業員を雇っているとすれば、相当の売上げがあって恵まれた経済的利益を享受していることになり、被告自身素人で本件店舗の営業を開始したのであり、地理的条件によって大きく左右される喫茶店営業において原告が喫茶店営業に素人であることを云々することはできない。
原告は、唯一の収入源である被告からの受託料をもって訴外郭三順及び朴賛二の生活に充て、さらにニイミビル有限会社との更新の際の諸費用を捻出しなければならないのである。
賃貸借の当事者双方とも目的物件の使用を必要とする場合、基本的には賃貸人側の自己使用の必要性に優位が認められるべきである。
被告の営業は主婦の副業であり、他に収入があるので廃業は経済生活を破壊するものではなく、従業員の生活についても、喫茶店のような小商売は従業員の回転が早く、職場に定着して生活基盤を築いて行くような性質をもたないから、被告側には斟酌すべき事由はない。
なお、原告が被告主張の供託金の還付を受けていて損害が発生していないことは認める。
二 被告代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。
(一) 請求原因(一)項の事実は認める。
(二) 同(二)項の事実は否認する。もっとも、原被告間において昭和五〇年九月六日営業委託契約の公正証書が作成されているが、これは家主ニイミビル有限会社と原告との間の本件店舗の賃貸借契約上転貸借が禁止されている関係で転貸を同会社に知られて右契約を解除されるおそれがあるため、営業委託を名目としたもので、被告は原告との賃貸借(転貸借)契約により本件店舗を占有使用しているのであり、また什器備品のうち、ジュークボックス一台と電話二台だけは原告の所有であるが、他の什器備品及び造作は被告が前転借人から買受けまたは被告自身の費用で備えつけたものである。
(三) 請求原因(三)項中、被告が本件店舗を引続き占有して喫茶店営業をしていることは認めるが、その余は争う。
被告は本件店舗においてスナック喫茶を営業してきたが、什器備品及び造作は前記のとおりであり、営業資金は全部被告が支出し、商品の仕入れ販売もすべて被告が自己の計算においてなし、従業員の採用、解雇もすべて被告が行ない、原告から営業上の指示を受けたことも営業や会計についての報告を求められたこともないし、被告は、原告がニイミビル有限会社に支払うべき家賃のほか共益費、水道光熱費等の諸費用を負担する以外に、利益の有無にかかわらず原告に毎月二六万円(昭和五一年一月までは二五万円)を支払うこととされ、営業上の利益も損失も全部被告に帰属するものであり、被告は本件店舗につき独立の占有権を有し、その営業も独立性、自主性を具えていて、原告が毎月被告に支払うべき金員は本件店舗使用の対価(転借料)の性質を有する。
以上のとおりで、被告は昭和五〇年四月一五日原告との間において締結した賃貸借(転貸借)契約に基き本件店舗を占有使用しており、その契約の内容は、期間を昭和五〇年二月七日から昭和五二年二月六日までとし、賃料を昭和五一年一月分まで月額三九万円、同年二月分より月額四〇万円とし、ビル共益費月額三万円及び水道光熱費は被告負担とし、右賃料その他の支払期日を毎月二八日とするものである。
右転貸借は昭和五二年二月六日期間満了により法定更新された。
なお、被告は昭和五二年二月七日以降同年一〇月末日までの分の賃料、共益費、水道光熱費の全額を供託し、原告は右供託金の還付を受けていて損害を生じていない。
(四) 請求原因(五)項の(1)は争う。
被告は、昭和四七年一〇月三〇日訴外若林一也との間において本件店舗の営業権を代金四九〇万円で買取る契約を締結し、内金四二〇万円を即時に支払い、直ちに壁、じゅうたんの張り替えやカウンターの改装をしたうえ営業を始めたところ、サンワから抗議を受けて若林がサンワの従業員にすぎないことを知り、さらに本件店舗の賃借人は原告でサンワは転借人にすぎないことを知ったので、原告との関係は一切サンワが責任を負う約束のもとに、サンワに対し同会社が要求する権利金三〇万円を支払った。
ところがサンワは経営不振で賃料等の支払が滞りがちで、原告は、昭和四七年九、一〇月分の賃料、共益費等合計七〇万三五二六円の内金九万円の支払遅滞を理由として昭和四八年二月七日サンワとの契約を解除し、被告に対し右契約解除を理由に立ち退きを求めたが、翌日には、被告から保証金三〇万円を受領して、被告との間において契約期間を二年間としサンワとの契約を踏襲する転貸借の契約を締結したものである。右は、原告が、賃料等の支払を遅滞がちのサンワとの契約を継続するよりは、転貸料、保証金額等契約条件がより有利で支払の確実な被告との契約を好都合とし、被告と契約するためにサンワとの契約を僅かな金額の支払遅滞を理由として解除したものである。
原被告間の右契約は、同様の趣旨で、期間満了後の昭和五〇年四月一五日に更新料二〇万円を授受して合意更新され、本件契約を締結したのである。
(五) 請求原因(五)項の(3)の事実中、昭和五二年一二月頃原告がニイミビル有限会社から賃料、共益費の増額請求を受け、その旨被告に通知したことは認めるが、その余の事実は否認する。
被告が同年末に原告に対し、賃料の増額について不満の意を表し、ついでにピアノの弾き語りをする芸人を雇ってしてきた夜間営業は人件費が高く営業成績が悪いので夜間営業を止める旨話したこと及び夜間営業に関する荷物を搬出したことはあるが、明渡をする旨表明したことはない。
(六) 請求原因(五)項の(4)の事実は否認する。
(七) 同項の(5)の事実中、ニイミビル有限会社と原告との賃貸借の期間が昭和五四年四月二二日に満了したことは認めるが、そのため原被告間の契約を解消して原告が自家営業を必要としたことは争う。
(八) 同項の(6)の事実中、被告が改装工事をし、原告が工事禁止の仮処分を申請した事実は認めるが、その余は争う。
地下一階にある本件店舗の調理場の排水が不良で漏水し、地下二階の高圧線の配電盤に水がかかり爆発のおそれがあったため、調理場床の防水工事をするよう家主から被告に申入れがあった。本来被告には右工事の義務はなかったが、家主も原告も右修繕工事をしないため、やむなく被告は昭和五三年三月一二日から同月一七日までの間に右防水工事を施行し、そのついでに、壁、カーペット、椅子の張り替えをしたのである。
被告がした右工事は、建物に附合し家主に所有権が移転する工事及び店内改装工事であって、造作工事ではなく、原被告間の契約では、造作をする場合には原告の承諾を要する旨の定めはあるが、改装工事を禁止する定めはない。
被告は、昭和四七年一〇月に若林との契約により本件店舗の占有を始めた時にも壁、じゅうたん、カウンターの張り替えをし、昭和四九年にもレジ、カウンターを張り替え、昭和五〇年四月に原告との契約更新の際には全面改装の工事をしたが、これらの際、原告は右事実を知りながらこれをとがめたことはなかったにもかかわらず、今回に限り工事禁止の仮処分申立までしたのである。
原告においてなすべきものを被告の負担でした前記防水工事を含めて原告主張の改装工事は信頼行為を損う行為といわれる筋合はない。
(九) 普通は転貸料は賃料の七割が相場であるのに、被告は賃料の二倍近くの高額の転貸料を原告に支払ってきたため、未だ投下資本の回収ができていないし、本件店舗では被告の家族二人のほかに六人の従業員が働いており、従業員の妻子も含めて一〇数人の生活が本件店舗での被告の営業に依存しているので、被告には本件店舗の転借を継続する必要がある。
これに対し、原告関係者は、本件店舗からの収入に依存しているのは訴外郭三順のみで、他は全員他に就職しており、喫茶店経営に素人の原告関係者が経営しても果たして期待するほどの利益を上げられるか疑問であり、自己使用の必要性は少い。
三 証拠関係《省略》
理由
一 原告会社が本件店舗をニイミビル有限会社から賃料一か月一四万円、共益費一か月三万円の約で賃借していること、被告が本件店舗を占有使用して喫茶店営業をしてきたこと、右店舗使用について原被告間において昭和五〇年四月一五日に契約が締結され、これにつき同年九月六日営業委託契約公正証書が作成されていることは当事者間に争いがない。
二 成立につき争いのない甲第一号証によれば、右契約の証書として作成された同号証(右公正証書)には、原告は本件店舗におけるスナック喫茶営業を被告に委託するものであること及び請求原因(二)項の(1)ないし(4)の約定記載があるほか、被告は原告に対し会計帳簿等を示して毎月の収支状況を翌月一〇日までに報告すべき旨の約定記載があるが、その一方で、被告は右営業の原料仕入れを被告の計算においてなすこと、及び家賃、共益費等に増額が生じたときはその額はすべて被告が負担し、請求原因(二)項の(2)の(ニ)の所定金額(原告取得分)は、利益の有無にかかわらず、毎月被告から原告に支払うべき旨の約定記載があることが認められる。
右に加えて、《証拠省略》を総合すると、被告は、本件店舗の占有使用の当初から、原告から指示を受けることも原告に会計報告をすることも全然なく、被告自身の意思と営業資金をもって、原料の仕入れ、商品の販売はもとより、店舗内装の改修、従業員の雇用関係、(店舗備え付けの原告所有の電話二台及びジュークボックス一台を除く)什器備品の調達を含めて本件店舗における飲食店(スナック喫茶「ナポリ」)の経営の一切を被告の計算(損益帰属)において行い、独立の営業主として本件店舗を占有使用してきたものであり、原告においても、もともと右営業に口出しする意思もなく、それをしたこともなかったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
三 以上の事実によると、原被告間の本件契約は、原告において、家賃等ニイミビルからの賃借諸費用を被告に負担させる以外に、被告から前記原告取得分の一定金額の支払を受けてこれを利得し、被告において、飲食店営業のため本件店舗を使用収益することを目的とする契約であり、毎月一定の金額をもって被告から原告に支払うべきものと定められている家賃、共益費及び右原告利得金の合計金額を月額賃料とする原被告間の(本件店舗を目的物とする)建物賃貸借契約(ニイミビル有限会社との関係では転貸借契約)にほかならず、期間満了にあたり更新しない旨の約束は借家法の強行規定に抵触して無効であるから、本件賃貸借契約は昭和五二年二月六日約定期間満了にあたり法定更新され同月七日以降期間の定めのない賃貸借となったものと認めるべきである。
よって、期間満了による営業委託契約の終了を原因とする原告の請求は理由がない。
四 前記賃貸借更新後の昭和五三年一月二〇日本件口頭弁論期日に、原告が被告に対し賃貸借解約の申入れをしたことは、記録上明らかである。
五 《証拠省略》を総合すると、次の各事実を認めることができ、右認定を動かすに足りる証拠はない。
原告会社は、代表取締役朴憲一家による同族会社で、昭和四四年四月にニイミビル有限会社から本件店舗を期間一〇年の約で賃借するについて設立され、当初の約半年間家族だけの手で本件店舗において喫茶店を営業したが、同年一一月サンワとの間に本件契約とほぼ同様の趣旨(ただし協議のうえ更新を予定する定めがある)の契約を結びサンワに店舗を転貸して以降は、他に事業をせず、事務所も従業員もなく、本件店舗の転貸による収入は朴憲一家の個人所得に充てられている名目的な会社であり、朴憲一家は同人のほか母三順(郭姓)、姉恭子及び英子、妹春子、弟賛二があり、姉英子は昭和四〇年頃、姉恭子は昭和四五年頃、妹春子は昭和五一年一一月頃それぞれ他家に嫁ぎ、憲(昭和五三年当時三四歳)も昭和四九年に結婚して別に家庭を持ち、昭和五三年当時以降において、同居しているのは残る母三順(同五九歳)及び弟賛二(同二九歳、独身)だけであり、憲及び賛二は他に勤務して給料を得ていて、その収入と毎月二六万円の本件店舗転貸による純益収入をもって無職の母三順を扶養している。
昭和四四年一一月原告から本件店舗を転借(昭和四六年に合意更新)したサンワは、本件店舗で訴外若林一也をして喫茶店営業をさせていたが、昭和四七年一〇月被告は、若林を譲渡権限ある賃借権者と誤信して同人に多額の対価を支払い、同人からその権利を譲受ける旨の契約をして本件店舗の引渡を受けたうえ、店舗内装の一部に改装工事を加えてスナック喫茶店の営業を開始し、これを知って抗議してきたサンワとの関係では間もなく示談解決した。
当時朴憲は名古屋市所在の会社に勤務し、賛二は大学に通学し、原告の代表取締役には二七歳の妹春子が就任していて、原告自身で本件店舗での自家営業をする用意はなかったが、間もなく原告は、支払を滞っていたサンワに対する支払請求交渉の過程で被告の本件店舗使用を知り、若林に騙され出費して開業した被告に同情したこともあって、昭和四八年二月七日(サンワとの契約を解除する一方)被告との間において、約定期間を同日から昭和五〇年二月六日までの二年間とし金額的差異はあるが不更新の合意条項を含む本件契約と同趣旨の賃貸借(転貸借)契約をした。(右契約に当たり原告が被告から保証金三〇万円を受領したことは当事者間に争いがない。)
本件契約は、右契約を合意更新することとして、被告から原告に対し更新料二〇万円を支払って、昭和五〇年四月一五日締結されたものである。
被告は、原告との契約後の昭和四八年中に店舗内の小改装をし、昭和五〇年には大規模の店内改装を施行して事業を継続してきたが、昭和五一年九月末頃原告から被告に対し、翌昭和五二年二月六日の営業委託期間満了の際には本件店舗を明渡すよう要求する旨通告し、被告は投下資本が未回収であるとして契約の更新を求める回答をし、本件紛争に至り昭和五二年七月六日本訴提起に至った。
原告代表者朴憲は本件店舗の返還を受けて自ら喫茶店営業をすることを希望しているが、開業について格別具体的な計画、準備をしているわけではない。
原告の被告に対する本件店舗転貸借は家主ニイミビル有限会社に無断でなされているが、営業委託の名目で契約され、被告がその受託者であると説明されているため、ニイミビル有限会社は被告の営業に対し現段階まで異議を唱えていない。しかし、同会社から原告に対し、昭和五二年一一月下旬に税、物価上昇等を理由に昭和五三年一月分から賃料を月二五万円、共益費を月四万円に増額する旨の請求があり、また昭和五三年一〇月には昭和五四年四月二二日期間満了に当たり賃貸借の更新を拒絶する旨の通知があり、原告から更新を求める回答をし、いずれも未解決の問題となっている。(右増額請求がありその旨を昭和五二年一二月原告から被告に通知したこと及びニイミビル有限会社と原告との右賃貸借期間満了日は当事者間に争いがない。)
昭和五三年一月一七日頃、ニイミビル有限会社から原被告に対し、「内装工事についての要望」と題する原告宛同日付書面(乙第一一号証の原本)をもって、本件店舗調理場の排水が不良のため階下に漏水があり高圧線の配電盤に水がかかって爆発する危険があることを指摘するとともに排水管の改善を含む調理場の防水工事をするよう求めてきたが、原告が右工事をしないため、同年三月被告において右工事を施行し、その機会に、被告は本件店舗の壁、天井及び床じゅうたんの内装改修工事をした。(同年三月被告が改装工事をし、その際原告が工事禁止仮処分申請をしたことは当事者間に争いがない。)
被告の夫は国鉄職員であり、被告は、本件店舗とは別に昭和五一年一〇月頃から同じビル一階に約一坪半の場所を借りて握り飯販売の店を出している。
六 証人郭三順の証言及び原告代表者尋問の結果中には、前記のニイミビル有限会社の増額請求があったことの通知を受けた被告が昭和五二年一二月末頃から昭和五三年一月上旬にかけて、原告に対し本件店舗を返還する旨告げ一時閉店して荷物の殆ど全部を搬出したことがあった旨の供述があるけれども、右の時期は、本件訴訟の第二回口頭弁論期日(昭和五二年一一月九日)が済み昭和五三年一月二〇日に開かれた第三回口頭弁論期日の前の訴訟の初期段階であり、被告は弁護士である本件訴訟代理人二名に訴訟委任して原告主張の営業委託を否認し賃貸借を積極主張して本訴請求を争っており、右第二回期日には本件契約を賃貸借であるとする具体的根拠を記載した準備書面を提出していた(原告からは未だ解約申入れはなされていない)時期であることは記録上明らかであり、このことと被告本人尋問結果に照らすと、他に裏付けとなる証拠もない右証人及び原告代表者の供述はたやすく措信できない。よってこの点に関する原告主張事実は正当事由の判断に斟酌できない。
七 請求原因(五)項の(4)の事実(第三者の店舗使用)は、これを認めるに足りる証拠がない。
八 原告から被告に対する本件店舗の転貸は、原告がニイミビル有限会社から賃貸借契約を解除される事由となりうるものであるが、原告は、当初からこれを承知のうえで営業委託を仮装して被告に転貸したもので、同訴外会社の解除権行使を受ける危険を負担して被告と本件契約を締結することにより被告に本件店舗を使用収益させるべき債務を負うに至ったものであり、かえって原告は、原被告間の契約関係においては、ニイミビル有限会社との契約関係から来る障害をも克服して被告に対し負担する右債務を履行し被告の使用収益を確保しなければならない責任があるから、前記解除権行使を受ける危険をもって被告に対する解約申入れの正当事由として積極に斟酌することはできない。
九 原告は、昭和五三年三月被告がした前記店舗改装工事をもって信頼関係を損う行為であると主張し、前掲甲第一号証によれば、本件契約にかかる前記公正証書の第九条には、被告が営業所(本件店舗)の造作をする場合は原告の書面による承諾を要し、かつ被告がした造作は無条件に原告の所有に帰する旨の定めがある。
しわし、右公正証書は本件契約を営業委託の契約とするものであるが、実は本件契約は前示のとおりスナック喫茶営業用の店舗賃貸借契約であるところ、この種の営業店舗の性質上、或る程度の期間経過に伴い店内改装を必要とすることは常識に属する事柄であり、被告は、原告からの賃借後、すでに一度ならず原告から口出しされることなく任意に店内改装工事をしてきたものであり、その他前認定の契約関係事情からすれば、前記公正証書条項は、本件賃貸借契約を営業委託の契約と仮装する手段の一つとして記載されたものであって、契約当事者双方とも右条項に従う意思がなかったものと認めることもでき、被告が前認定の経緯で昭和五三年三月の改装工事をしたことは本件賃貸借契約における信頼関係を損う行為であるとは認められない。
一〇 結局本件において、原告の解約申入れについては、原被告間の契約関係事情及び当事者双方の事情に関する前記の争いのない諸事実及び前認定の諸事実に基き、これを総合的に考量し解約申入れの昭和五三年一月二〇日以降において正当事由の有無を判断すべきものであるところ、原告が従来被告に賃貸してきた本件店舗を回収して原告代表者朴憲自ら担当して同じ営業をしたいという希望も理解できなくはないが、原告関係者一家の生活上、直ちに右営業をしなければならない必要に迫られているわけでもなく、本件店舗の営業(スナック喫茶店「ナポリ」)は被告が、昭和四八年から改装等に資本を投下し、原告のニイミビル有限会社に支払う賃料よりもはるかに高額の転借料を支払い、七年間営業して経営基盤を築いてきたものであることを考えれば、被告の家庭状況や握り飯販売をしていることを考慮しても、未だ本件解約申入れに正当事由が具備するものとは認め難い。
よって、解約による賃貸借終了を原因とする原告の請求も理由がない。
一一 以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないから、これを失当として棄却すべきものとし、民訴法八九条に則り、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡辺惺)
<以下省略>